風まぜに雪は降りつつしかすがに霞たなびき春は來にけり(新古今和歌集)、 の、 しかすがに、 は、 そうはいうものの、 の意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)で、 かくしつつ暮れぬる秋と老いぬれどしかすがになほものぞかなしき(仝上)、 では、 そうではあるが、 さすがに、 の意だが、 古い語感の副詞、 とあり、この作者(能因)は、 思ふ人ありとなけれど古里はしかすがにこそ恋しかりけれ(後拾遺和歌集)、 とも詠んでいる(仝上)とある。 しかすがに、 は、 しか、 に、動詞、 す、 助動詞、 がに、 がついたもの、 で(広辞苑、学研全訳古語辞典は、「がに」接続助詞とする)、 上の事柄を「そうだ」と肯定しながら、もう一つの事を付け加える意、 を表わし(精選版日本国語大辞典)、 それはそうだがしかし、 そうはいうものの他方では、 それはそうだがやはり、 そんなはずではないのに、 という含意(仝上)で、 そうはいうものの、 さすがに、 の意味とある(広辞苑)が、 シカは然、スは有の意の古語、ガは所の意、アリカのカの転、ニは助詞、 ともあり(岩波古語辞典)、平安時代以後、 サスガニ、 となる(岩波古語辞典)とある。ただ、 「しか」は副詞、「す」はサ変動詞で存在の意を表わし、「がに」は上の動詞が表わす事態が今にも実現しそうな様態や程度であることを示す接続助詞、これらが結びついて一語化したもの、 とあるの(精選版日本国語大辞典)で、ほぼ意味としては、 然(しか)するからにの約略(車持(くるまもち)、くらもち。蛙手(かへるて)、かへで。いざさらば、いざさば)、 ということになる(大言海)。 しかすがに、 は、上代から用いられ「万葉集」には、 梅の花散らくはいづく志可須我爾(シカスガニ)この城(き)の山に雪は降りつつ、 山の際(ま)に雪は零(ふ)りつつ然為我(しかすが)にこの河楊(かはやぎ)は萌えにけるかも、 風交(まじ)へ雪は降りつつ然為蟹(しかすがに)霞たなびく春さりにけり、 などの例があるが、中古には、 さすがに、 に交代し散文には用いられなくなったが、和歌においては、 初句と第三句の五音中に用いられて、第二句と第四句の七音中に用いられる「さすがに」との相補分布が認められる、 とある(精選版日本国語大辞典)。「相補分布」とは、 複数の音が互いに重ならないように分布すること、 とあり(広辞苑)、日本語の、 ハ行音で〈フ〉[ɸɯ]には無声両唇摩擦音[ɸ]が、〈ヒ〉[çi]には無声硬口蓋摩擦音[ç]が、〈ハ〉[ha]、〈ホ〉[ho]、〈ヘ〉[he]には声門摩擦音[h]が現れる、 とあり(世界大百科事典)、 同一の音素が場面により異なる形をとって現れる、 とみなされる(広辞苑)とある。なお、 然、 爾、 と当てる、 しか、 については触れた。 「然」(漢音ゼン、呉音ネン)は、「しか」で触れたように、 会意。上部はもと厭の厂を除いた部分と同じで、犬の脂肪肉を示す会意文字。然は、その略体で、脂(あぶら)の肉を火で燃やすことを意味する。燃の原字で、難(自然発火した火災)と同系、のち然を指示詞ゼン・ネンに当て、それ・その・その通りなどの意をあらわすようになった。そのため燃という字でその原義(もえる)を表すようになった、 とある(漢字源)。で、「しかり」と肯定・同意するときの言葉、転じて、「そう、よろしい」と引き受けるのを「然諾」といい、イエスかノーかを「然否」という、とある(仝上)。別に、より分解して、 会意。「月」(肉) +「犬」+「灬」(火)を合わせて、犬の肉を炙ること。「燃」の原字。音が仮借されたもの(藤堂)、又は、生贄の煙を上げ神託を求める(白川)。難と同系、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%B6)のがわかりやすい。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 暗投空欲報(暗投(あんとう) 空しく報ぜんと欲するも) 下調不成章(下調(かちょう) 章を成さず)(宋之問・和姚給事寓直之作) の、 下調、 は、 低く、いやしい調べ、 の意で、 自分の詩に対する謙遜の言葉、 とある(前野直彬注解『唐詩選』)。 暗投、 は、 漢の鄒陽(すうよう)が梁の孝王に送った手紙「獄中上梁王書」に、 明月之珠、夜光之璧、以暗投人於道、衆莫不按劍相眄。何則無因而至前也(明月の珠(たま)、夜光の璧(たま)も、暗を以て人に道に投ずれば、衆は剣を按(あん)じて相(あい)眄(にら)まざる者莫し。何(なん)となれば則ち因(いん)無くして前に至ればなり)、 とあるのにもとづく(https://kanbun.info/syubu/toushisen126.html)、 夜光の玉も暗闇の中で人の前に投げれば、人は驚いて警戒する。価値あるものも、然るべき場合、もしくは然るべき相手に示さなければ、何の役にも立たない、 というたとえ(仝上・前野直彬注解『唐詩選』)。ここでは、 姚(給事)から詩を送られたことを、謙遜して言ったもの、 とある(仝上)。なお、手紙中の、 何則、 は、 「何なんとなれば則すなわち〜ばなり、 と読み、 なぜならば〜だからだ」と訳す、 とある(仝上)。冒頭の詩中、 空欲報、 は、 お返しの詩を作りたいと思うが、どうにも無駄である、 と訳し(仝上)、 下調、 で、 つまらぬ格調の詩、 と、自分の詩を卑下して言った(仝上)。 章、 は、ここでは、 詩の節・連、 とあり、『列子』湯問篇に 匏巴鼓琴、而鳥舞魚躍。鄭師文聞之、棄家從師襄游。柱指鈞弦三年、不成章(匏巴(こは)、琴を鼓(こ)せば、鳥舞い魚躍る。鄭(てい)の師文之(これ)を聞き、家を棄てて師襄(じょう)に従って游ぶ。指を柱(ささ)え弦を鈞(ととのう)ること三年、章(しょう)を成さず)、 とあるのによる(仝上)。 暗投、 は、上記『史記』鄒陽傳にある、 明珠を暗夜に人に投げ与える、 からきて、前述のように、 貴重なものを、贈るのにふさわしくない方法で人に贈ること、 また、 貴重なものを贈るにも適切な方法でなければ、かえってその人の怨みをかう、 ということのたとえで、 明珠暗投、 ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、転じて、 貴重な才能を持っているのに、それを認めてくれる人に出会えない、 という喩えに使われ、さらには、明治初期、 其の暗投(アントウ)に出で、君の怒に触るるを知る(末広鉄腸「雪中梅(1886)」)、 と、 交際のない人に手紙を送る、 意に転化して、誤用される(仝上)に至る。 明珠、 は、 越裳翡翠無消息 南海明珠久寂寥(杜甫・諸将詩)、 と、 透明にして光沢ある玉、 の意(大言海)、転じて、 七歳能屬文、……常置坐側、謂賓客曰、此兒、吾家之明珠也(梁書・劉孺傳)、 すぐれたる人物、 貴重なる人物、 に譬える(仝上・広辞苑)ので、意味の転化には背景がある。 ただ、面白いことに、 明珠暗投、 は、 中日辞典(第3版)をみると、、 善良な人が悪党の一味になる、 才能のある人が認められずに民間に埋もれてしまう、 という意味が載り、 明珠、 は、同じく、 愛する人・物、 の喩えとある。字通には、 光る玉。真珠の類。〔白虎通、封禅〕河、龍圖(りゆうと)を出だし、洛、龜書(きしよ)を出だす。江、大貝を出だし、海、明珠を出だす、 とある。 「珠」(漢音シュ、呉音ス)は、「二乗の人」で触れたように、 会意兼形声。「玉+音符朱」。朱(あかい)色の玉の意、あるいは主・住と同系で、貝の中にじっととどまっている真珠の玉のことか、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(王(玉)+朱)。「3つの玉を縦のヒモで貫いた」象形(「玉」の意味)と「木の中心に一線引いた」象形(「「木の切り口のしんが美しい赤」の意味)から、「美しい玉」、「真珠」を意味する「珠」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1316.html)が、 形声。「玉」+音符「朱 /*TO/」。漢語{珠 /*to/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8F%A0)、 も、 形声。玉と、音符朱(シユ)とから成る。真珠の意を表す(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 三島江や霜もまだひぬ蘆の葉に角(つの)ぐむほどの春風ぞ吹く(新古今和歌集)、 の、 角ぐむ、 は、 角のような芽を出す、 意、 蘆の芽はとがっているので錐や動物の角に喩えられる、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この歌の本歌は、 三島江に角ぐみわたる蘆の根のひとよのほどに春めきにけり(後拾遺・曾禰好忠)、 である(仝上)。 角(つの)ぐむ、 は、 新芽が角のように出はじめる(岩波古語辞典)、 つまり、 芽ぐむ、 芽生える、 意だが、 角くむ蘆(あし)のはかなくて枯れ渡りたる水際に(栄花物語)、 と、 角組む蘆、 角組む荻、 等々といい、 葦(あし)・荻(おぎ)・薄(すすき)・真菰(まこも)、 等々に多くいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。で、それをメタファに、 早く此心を察せよと、いふに角(ツノ)ぐむ鬼蔵人(浄瑠璃「苅萱桑門筑紫𨏍(1735)」)、 悋気の角(ツノ)ぐむ、あしき女の身の上物語(ばなし)(談義本「銭湯新話(1754)」)、 などと、 その気になり始める、 感情がたかぶってくる、 意で使ったりする(精選版日本国語大辞典)。 その由来は、 角含むの意、 とあり(大言海)、 芽ぐむ(大言海)、 モエフクム(萌含)の義(松屋筆記)、 芽組の義(和訓栞)、 等々と、 芽含むの義、 と同じとする(大言海)。ただ、 角組む、 と当てている例から見ると、 組む、 と関わるのではないかという気がする。 組む、 の、 クは、穴を穿つ意のクルから出た語根で、中に入り込む意(国語の語根とその分類=大島正健)、 という説があるが、 とぼそ、 で触れたように、 くる、 は、 くるる(枢)、 ともいい、 ト(戸)とホゾ(臍)との複合、 で(岩波古語辞典)、 ボソは、ホゾの清濁の倒語、 とあり(大言海)、 開き戸の上下の端に設けた回転軸である「とまら(枢)」を差し込むために、梁(はり)と敷居とにあける穴、 をいい(学研全訳古語辞典)、俗に、 とまら、 ともいう(広辞苑)。 楣(まぐさ 目草、窓や出入り口など、開口部のすぐ上に取り付けられた横材)と蹴放し(けはなし 門・戸口の扉の下にあって内外を仕切る、溝のない敷居)とに穿ちたる孔、 をいい(大言海)、 扉の軸元框(かまち)の上下に突出せる部分をトマラ(戸牡)と云ひ、それを戸臍に差し込みて樞(くるる)となす、 とある(大言海)。 土を穿って突き出てくる、 という感じは、この、 くる、 の方が、 含む、 よりあっている気がするのだが、どうだろう。ところで、 角、 は、 カク、 とよますと、漢字の音(漢音・呉音)で、 角質・牛角(ごかく)・犀角(さいかく)・触角・一角獣、 等々、 動物のつの、 だが(精選版日本国語大辞典)、 カド、 と訓ませると、 柱の角、 机の角、 など、 物のはしのとがって突き出た部分、 を意味し、 「かど(廉)」「かど(才)」とも同系、 とされる(仝上)。 ツノ、 と訓ませると、 牡鹿の角、 というように、 動物の頭部に突き出た、堅い骨質や角質のもの、 の意や、それをメタファに、 かたつむりの角、 というように、 物の表面などに突き出ているもの、 とがったもの、 をいい、和名類聚抄(931〜38年)に、 豆乃、獸頭上出骨也、有枝曰 (角篇各)、無枝曰角、 とある。 角ぐむ、 は、 この用例になる(仝上)。 角、 を、 ツヌ、 と訓ませるのは、 都奴婆之能瀰野(ツヌサシノミヤ)、 と、 角(つの)の「ノ」の甲類の万葉仮名「努」「怒」「奴」「弩」を、江戸時代に、ヌの音であると訓み誤ってつくった語、 とされる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。ただ、 角(つの)、 自体に、和名類聚抄(931〜38年)に、 菼、蘆初生也、阿之豆乃、 とあるように、 草木の芽立ち、 の意味がある(大言海)。 角くむ、 は、やはり、 角組む、 なのではあるまいか。その意味で、「つの」は、 ツキヌク(突抜)の義か(名言通)、 ツはツク(突)、ノはノブル(延)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、 といった由来と見ていいように思う。 なお、ススキについては「尾花」で触れた。 「角」(カク)は、 象形。角は∧型のつのを描いたもので、外側がかたく、中空であるつの、 とあり(漢字源)、他も、 象形。牛のつのの形にかたどり、「つの」、ひいて「かど」の意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「中が空(から)になっている固いつの」の象形から、「つの・かど」を意味する「角」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji195.html) と同趣旨である。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 夕月夜(ゆふづくよ)潮みちくらし難波江の蘆の若葉に越ゆる白波(新古今和歌集)、 の、 夕月夜、 は、 夕方の空に出ている上弦の月、 また、 その頃の夜、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、上記の歌は、 夕月は早く沈む。月の出と潮の満ち干とに関連があることを念頭に置いた句の続け方、 と注釈する(仝上)。この歌の本歌は、 花ならで折らまほしきは難波江の蘆の若葉に降れる白雪(後拾遺・藤原範永)、 とある(仝上)。 ユウヅクヨ、 の訓みは古く、後に、 ユウヅキヨ、 と訓む(広辞苑)。 夕暮に出ている月、 の意だが、 陰暦10日頃までの夕方の時刻に、空に出ている上弦の月。また、その月の出ている夜。 とある(仝上・精選版日本国語大辞典)。しかし、 唯、夕の月なり、夜と云ふ語に、意なしと見るべし、 とあり(大言海)、古言に、 月をつく、 と云ふ(仝上)ともいい、 夕付日、 というと、 夕方になってゆく陽の光、 つまり、 夕日(夕陽)、 をさす(仝上・広辞苑)。 夕月夜、 の対となる、 朝月夜(あさづくよ)、 も同じで、 唯、朝の月なり、夜と云ふ語に意なし、 とあり(仝上)、 有明の月、 の意となる。ただ、 秋萩の妻を枕(ま)かむと朝月夜(あさづくよ)明けまく惜しみ(万葉集)、 と、 月が残っている明け方、 をもいうので、 朝月夜、 に、広く、明け方の、 朝、 をいうように、 夕月夜、 も、 夕方、 をもさし、必ずしも、 夜、 を意味しないということは言えないようだ。 朝月夜、 の対の語に、 月のない明け方、 を指す、 暁闇(あかときやみ・あかつきやみ)、 がある。 陰暦で、1日から14日ごろまで、月が上弦のころの現象、 をいい(精選版日本国語大辞典)、 夕月夜あかつきやみの朝影にあが身はなりぬ汝(な)を思ひかねて〈万葉集〉、 と、 上弦の月は早く出でて、(夕月)夜(ゆふづくよ)に早く入れば、、暁は闇となる。下弦の月は遅く出でて、(夕闇(ゆうやみ)・宵闇(よひやみ))暁まで残り、暁月(あかつきづくよ)、朝月(あさづくよ)、有明の月となる、 とある(大言海)。因みに、 暁月夜(あかときづくよ・あかつきづくよ)、 は、 朝月夜、 と同じ、 有明の月、 の意で、 陰暦17、8日以後は月の出が遅く、暁に月が残っている、それで夕闇・暁月夜という。これに対して、陰暦12、3日以前は月の出が早く、暁には月が沈んでいる。それで夕月夜、暁闇という、 とある(岩波古語辞典)。 夕月夜、 は、また枕詞として、 夕方から出ている月は夜中に沈んでしまって、明け方は月の無い闇になるところから、上述した、 暮月夜(ゆふづくよ)暁闇の朝影に吾が身はなりぬ汝を思ひかねて(万葉集) と、 暁闇(あかときやみ)にかかり、夕方のほのぐらいところから、 ゆふづくよをぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋はくるらん(古今和歌集)、 と、 「小暗(をぐら)し」と同音を含む地名「小倉」にかかり、 夕月が入る、沈むの意で、 ゆふ月夜いるさの山の木隠れにほのかに名のるほととぎすかな(千載和歌集)、 と、 「入(い)る」と同音・類音を含む地名「入佐(いるさ)の山」や「入野(いりの)」にかかる(仝上)。 「夕」(漢音セキ、呉音ジャク)は、 象形。三日月を描いたもの。夜(ヤ)と同系で、月の出る夜のこと、 とある(漢字源)が、 象形。「月」と同様、三日月を象る。「つき」を意味する漢語{月 /*ngwat/}、および「くれ」「よる」を意味する漢語{夕 /*slak/}を表す字。もともと「月」と「夕」の両字は区別されていなかったが、西周以降「月」を{月}に用いて、「夕」を{夕}に用いるようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%95)、 象形。月の形にかたどり、月のかがやくよるの意を表したが、のち、ゆうがたの意となり、よるの意には夜の字ができた(角川新字源)、 象形文字です。「月の半ば見える」象形から「日暮れ」を意味する「夕」という漢字が成り立ちました。(甲骨文は「月」の象形でした(https://okjiten.jp/kanji154.html)、 と、「月」との関係に着目する説が多い。 「月」(漢音ゲツ、呉音ゴチ、慣用ガツ)は、 象形。三日月を描いたもので、まるくえぐったように、仲が欠けて行く月、 とあり(漢字源)、他も、 象形。「夕」と同様、三日月を象る。「つき」を意味する漢語{月 /*ngwat/}、および「くれ」「よる」を意味する漢語{夕 /*slak/}を表す字。もともと「月」と「夕」の両字は区別されていなかったが、西周以降「月」を{月}に用いて、「夕」を{夕}に用いるようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%88)、 象形。つきが欠けた形にかたどり、「つき」の意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「つきの欠けた」象形から「つき」を意味する「月」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji88.html)、 とあり、「月」と「夕」の関連を裏付けられる。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空(新古今和歌集) の、 夢の浮橋、 は、 夢を不安定な浮橋に喩える、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 文選・高唐賦で宋玉が叙す、宋の懐王が昼寝の夢裡に巫山の神女と契ったという朝雲暮雨の故事を面影とする、妖艶な気分の濃い春の歌。定家卿百番自歌合に自選している、 と注釈がある(仝上)。 夢の浮橋、 は、 大和の国、吉野川の名所なる夢淵(ユメノワタ)に渡せる橋、 をいい(大言海)、 夢淵、 は、 淵中に奇岩多しと云ふ、 とあり(仝上)、 我が行きは久(ひさ)にはあらじ夢之和太瀬とはならずて淵にしありこそ(大伴旅人)、 の、 わた、 は、 曲(わた)の義、 とある(大言海)。この名所の名から、転じて、 夢の中に出てくる浮橋(岩波古語辞典)、 つまり、 夢の中の通路、 夢路、 の意で(仝上)、 夢の通路、 は、 通ひ路、 で触れたように、 思いやるさかひははるかになりやするまどふ夢路にあふ人のなき(古今和歌集) の、 夢路、 も同じで、 夢の中の想う相手へ通う路、 で、 夢の中の路が思いを寄せる人へとつながる、 意である(仝上)。 また、 いかにたどり寄りつる夢のうきはしとうつつの事とだに思されず(狭衣物語)、 と、 はかないことや、世の中がはかなくて渡りにくいことのたとえ、 として、 夢の渡りの浮橋、 とも言われ(精選版日本国語大辞典)、 一夜見しゆめのうきはしそのままにあだにや帰る恋路なるらむ(新千載和歌集)、 と、 夢に重点を置き、夢とほぼ同義にもちいる、 とある(岩波古語辞典)。 なお、 朝雲暮雨の故事を面影とする、 の、 朝雲暮雨(ちょううんぼう)、 は、文字通り、 朝の雲と夕方の雨、 の意だが、 朝雲暮雨、 は、 雲雨巫山、 雲雨之夢、 楚夢雲雨、 巫山雲雨、 巫山之雨、 巫山之夢、 尤雲殢有、 朝朝暮暮、 等々ともいい(故事ことわざの辞典・https://idiom-encyclopedia.com/tyouunbou/)、楚の宋玉の「高唐賦」(『文選』所収)に、 昔者先王嘗游高唐、怠而昼寝、夢見一婦人、曰、妾巫山之女也、為高唐之客、聞君游高唐、願薦枕席、王因幸之、去而辞曰、妾在巫山之陽、高丘之岨、旦爲朝雲、暮爲行雨、朝朝暮暮、陽臺之下、旦朝視之如言、故爲立廟、號曰朝雲(昔者、先王嘗て高唐に游び、怠りて昼寝す、夢に一婦人を見る、曰く、妾は巫山の女なり、高唐の客と為る、聞く君高唐に游ぶと、冀わくは枕席を薦めんと、王因りて之を幸す、去りて辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には朝雲と為り、暮には行雨と為り、朝朝暮暮、陽台の下にあらん、旦朝(タンチョウ)に之を視れば言の如し、故に為に廟(ビョウ)を立て、号して朝雲と曰ふ、と)、 とあり、この故事から、 男女が夢の中で結ばれること、また、男女が相会して、情交のこまやかなこと(故事ことわざの辞典)、 また、 男女の契り(広辞苑)、 の意で使う。なお、神女の素性について、『文選』所収の「高唐賦」では自ら単に「巫山之女」と名乗るだけであるが、『文選』所収の江淹「別賦」李善注に引く「高唐賦」、および江淹「雑体詩」李善注に引く『宋玉集』では、 帝の季女(末娘)で、名を瑤姫といい、未婚のまま死去して巫山に祀られた、 と説明されている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%B1%B1)とある。また、李善の引用する『襄陽耆旧伝』では、 瑤姫は赤帝(炎帝神農)の末娘、 とされている(仝上)。後代になると、後蜀の杜光庭の『墉城集仙録』で、 雲華夫人こと瑤姫は西王母の第23女で、禹の后となった、 と歴史に地続きになっていく。「神農」については「烏號」で触れたし、「西王母」についても触れた。 巫山(ふざん)、 は、 中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成する。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある、 とされる(仝上)。 「浮」(慣用フ、漢音フウ、呉音ブ)は、 会意兼形声。孚は「爪(手を伏せた形)+子」の会意文字で、親鳥が卵をつつむように手でおおうこと。浮は「水+音符孚」で、上から水をかかえるように伏せてうくこと、 とあり(漢字源)、 会意兼形声文字です(氵(水)+孚)。「流れる水」の象形と「乳児を抱きかかえる」象形(「軽い、包む」の意味)から、「軽いもの」、「うく」を意味する「浮」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1091.html)が、 形声。「水」+音符「孚 /*PU/」。「うかぶ」「うかべる」を意味する漢語{浮 /*bru/}を表す字、(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%AE)、 も、 形声。水と、音符孚(フ)→(フウ)とから成る。「うかぶ」意を表す(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館) 聲華大國寶(聲華 大國の寶) 夙夜近臣心(夙夜(しゅくや) 近臣の心) 逸興乗高閣(逸興 高閣に乗じ) 雄飛在禁林(雄飛 禁林に在り)(張九齢・和許給事直夜簡諸公) の、 夙夜、 の、 夙、 は、 朝早く、 の意で、「詩経」大雅、烝民(じょうみん)の、 夙夜、懈(おこたら)ず、以て一人(天子)に事(つか)う、 を踏まえ、 朝早くから夜遅くまで、 の意とある(前野直彬注解『唐詩選』)。 雄飛、 は、 雌伏、 に対する言葉で、 空高く、雄々しく飛ぶこと、 とある(仝上)。 雌伏、 は、 雄鳥に雌鳥が従うという意味から、将来の活躍を待ちながら人に従うということ、 雄飛、 は、 雄鳥が高く羽ばたくように、雄雄しく飛び立つこと、 の意(https://yoji.jitenon.jp/yoji/497)だが、 雌伏雄飛、 といい、『後漢書』趙温伝に 大丈夫當雄飛、安能雌伏(大丈夫(だいじょうふ)当(まさ)に雄飛すべし、安(いずく)んぞ能(よく)雌伏せん、 とあるのによる(https://kanbun.info/syubu/toushisen131.html#google_vignette)。趙温伝には、 初為京兆丞、嘆曰大丈夫當雄飛、安能雌伏、遂棄官去。遭歲大饑、散家糧以振窮餓、所活萬餘人。獻帝西遷都、為侍中、同輿輦至長安、封江南亭侯、代楊彪為司空、免、頃之、復為司徒、錄尚書事…… とある(https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B727)ように、後に飢饉の時に私財を投じて庶民を救って名を挙げ、望み通り出世を遂げた。 なお、 雌伏、 は、 将来の活躍の日を期しながら、しばらく他人の支配に服して絶えていること、 の意味から、敷衍して、 雌伏竟非天(温庭筠)、 と、 退きて、隠れる、 意でも使う(字源)。 「雄」(漢音ユウ、呉音ウ・ユ)は、 会意兼形声。厷(ユウ)は、「手+∠印(肱を張った形)」の会意文字で、肱(ひじ)の原字。雄はそれを音符とし、隹(とり)を加えた字で、肩を張って威勢を示す、オスの鳥、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(厷+隹)。「肱(ひじ)」の象形(「広げる」の意味)と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、翼を広げている鳥を意味し、そこから、「おす鳥」を意味する「雄」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1302.html)が、 形声。「隹」+音符「厷 /*WƏNG/」。「おす」を意味する漢語{雄 /*wəng/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%84)、 形声。隹と、音符厷(コウ)→(イウ)とから成る。勇ましい鳥、おすの鳥、ひいて「おす」の意を表す、 も(角川新字源)、 形声、声符は(こう)とされているが、声が合わず、右の変化したものであろう。漢碑には右に従う字が多い。〔説文〕四上に「鳥なり」とし、声とする。鳥の雌雄をいう字であるが、雄壮・雄健など、男性的な徳性をいうことが多い(字通)、 も、形声文字とする。 「雌」(シ)は、 会意兼形声。此(シ)は、足がちぐはぐに並んださまを表す会意文字。雌は「隹(とり)+音符此」で、左右に羽をちぐはぐに交差させて、尻を隠すメスのとり、 とあり(漢字源)、別に、 会意兼形声文字です(此+隹)。「立ち止まる足の象形と年老いた女性の象形」(「わずかに開いて踏む」の意味)と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形(「小鳥」の意味)から、生殖器がわずかに開いた「めす」を意味する「雌」という漢字が成り立ちました、 と(https://okjiten.jp/kanji1303.html)、やはり会意兼形声文字とするが、 形声。「隹」+音符「此 /*TSE/」。「めす」を意味する漢語{雌 /*tshe/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%8C)、 形声。隹と、音符此(シ)とから成る(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空(新古今和歌集) 時しもあれたのむの雁の別れさへ花散る頃のみ吉野の里(仝上) の、 たのむの雁、 は、 田の面の雁、 の意で、 忘るなよたのむの沢を立つ雁も稲葉の風の秋の夕暮れ(仝上)、 の、 たのむ、 は、 田の面、 の訛音、 みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞ寄ると鳴くなる(伊勢物語)、 が古い例で、冒頭の「今はとてたのむの雁もうちわびぬ……」の本歌となる(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 たのむ、 には、 タノミの転、 で、 田の実、 と当てて、 秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば(古今和歌集)、 と、 田にみのった稲の実、 の意があり、これは、 たのむ(田実)の祝い、 たのみの祝い、 たのむの節、 たのむの日、 たのもの日、 たのも節句、 などという、 田の実すなわち稲のみのりを祝う、 意から、 陰暦八月朔日(ついたち)に新穀を贈答して祝った民間行事、 がある(広辞苑)。農村では、 穂出しの祈願や刈初めの神事が行われる(世界大百科事典)、 八朔の日、其年の早稲を産土神(ウブスナノカミ)に供へて祭る(大言海)、 などとある。 古へ行ひたる新嘗祭の名残りならむ、 ともある(仝上)。 頼む、 に通じることから、鎌倉中期以降の武家の間では、 憑、 と書いて、 君臣相たのむ、 意に掛けて、 田の実の祝、 といい、 たのみ奉る主君へ太刀・馬・唐物などを贈り、主君からも物を返し賜る、 という、 主君と家人の間で物を贈答し、封建的主従関係を強固にする重要な儀式、 とされ、室町時代には 憑(たのみ)総奉行、 を置くほど幕府の重要儀式となり、江戸時代には、 徳川家康の江戸入城が八月朔日だったので、、元日と同じ重い式日とし、諸大名は賀辞を述べ、太刀献上のことがあった、 とある(仝上・岩波古語辞典)。 冒頭の歌の、 たのむ、 は、 田の面、 とあて、 タノモの転、 で、 田のおもて、 田づら、 あるいは、 田、 を指す歌語で、 頼む、 とかけていうことが多い(仝上)とある。 たのむの雁、 は、 田に降りている雁、 で、歌では多く、 頼む、 に掛けていう。伊瀬物語では、 昔、男、武蔵の国までまどひありきけり。さて、その国にある女をよばひけり。父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。父はなお人にて、母なむ藤原なりける。さてなむあてなる人にと思ひける。このむこがねによみてをこせたりける。住むところなむ、入間の郡三芳野の里なりける。 みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる むこがね、返し、 わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ となむ。人の国にても猶かゝる事なむ、やまざりける、 とある(石田穣二訳注『伊勢物語』)。なお、江戸時代、 たのもあんどん(田面行燈)、 といったのは、 吉原にて、廓外の堤に點ぜし行燈、 のこととある(大言海)。 「田」(漢音テン、呉音デン)は、「田楽」で触れたように、 四角に区切った耕地を描いたもの。平らに伸びる意を含む。また田猟の田は、平地に人手を配して平らに押していく狩のこと、 とある(漢字源)。別に、 象形文字です。「区画された狩猟地・耕地」の象形から「狩り・田畑」を意味する「田」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji108.html)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) あらし吹く岸の柳の稲筵おりしく波にまかせてぞ見る(新古今和歌集)、 の、 おりしく波、 は、 折り返してはしきりに寄せる波、 の意で、 「折り」に「筵」の縁語「織り」、「しく」は頻りに起こるの意の「頻く」に「筵」の縁語「敷く」を掛ける、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 稲筵、 は、 秋の田の稲穂が波打つ有様を筵に喩えていう、 が、ここでは、 川面に浸る柳条の比喩、 とあり(仝上)、 稲蓆(いなむしろ)川副楊(かはそひやなぎ)水行けば靡き起き立ちその根は失せず(日本書紀)、 を引く(仝上)。 いなむしろ、 は、 いねむしろ、 の轉(大言海)で、 稲筵、 稲蓆、 等々と当て、 稲稈(いねわら)で織ったむしろ、 の意で、一説に、 寝筵、 の意という(広辞苑)。 寝筵、 は、 寝る時に布団の上に敷く筵、 の意とある(仝上)。 夫婦寝るに用ゐる、二枚刺しつなぎたる筵(比翼茣蓙 ひよくござ)、 ともある(大言海)。また、 いなむしろ、 は、上述のように、 田の稲のみのって乱れ臥したさまをむしろに見做していう語、 でもある(仝上)。俊頼髄脳(1111〜14)に、 いなむしろといへる事は、稲の穂の出でととのはりて田に波寄りたるなむ、筵を敷き並べたるに似たると云ふなり、 とある。で、上述のように、 夫婦寝るに用ゐる、二枚刺しつなぎたる筵(比翼茣蓙 ひよくござ)、因りて敷くに掛かり、二枚刺し交すより、かはにかかる、 とあり(大言海)、 玉桙(たまほこ)の道行き疲れ伊奈武思侶(イナムシロ)しきても君を見むよしもがも(万葉集)、 と、「敷く」の序詞として用いられ、冒頭の歌と関連付けられたように、 伊儺武斯盧(イナムシロ)川副楊(かはそひやなぎ)水行けば摩(なび)き起き立ちその根は失せず(日本書紀)、 と、「かわ(川)」にかかるが、このかかり方については、 (イ)風に吹かれて波打つ稲田のさまを川に見立てて。 (ロ)川面の青やかであるのを稲わらで編んだむしろを敷いたのにたとえて。 (ハ)「いなむしろ」は「いねむしろ(寝莚)」の変化した語で、「いなむしろ」に使う皮の意から「皮」と同音の「川」にかかる、 (ニ)稲の莚は、コモ、スゲなどの莚にくらべて編み目が強(こわ)ばっているところから「こわ」と類音の「川」にかかる、 等々諸説ある(精選版日本国語大辞典)。 むしろ、 は。 筵、 蓆、 席、 莚、 薦、 等々と当て(広辞苑・大言海・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、 梯立(はしたて)の嶮(さが)しき山も我妹子と二人越ゆればやす武志呂(ムシロ)かも(日本書紀)、 と、 藺(い)・竹・藁(わら)・蒲(がま)などで編んで作った敷物の総称、 で、和名類聚抄(931〜38年)に、 筵、無之呂、竹席也、席、訓上同、薦席也、 とある。 平安・鎌倉期は屋内用であったが、畳の普及後は屋外用、 となった。 筵薦(むしろごも)、 ともいうが、今はもっぱら、 藁筵(わらむしろ)、 をいう(精選版日本国語大辞典・大言海)。形により、 狭(さ)むしろ、 長むしろ、 小むしろ、 広むしろ、 などと区別した(世界大百科事典)。 藁筵(わらむしろ)、 は、 藁にて織り作りたるむしろ、 で、江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安)には、 筵、……藁筵(わらむしろ)、麤莚、處處皆織之、農家乾殻包綿、又代畳表、其用最多也、 とある。 わらむしろ、 は、農家の板の間や土間に敷いたり、出入口に垂らし風雨よけなどに用いた。穀物の乾燥用などの農作業用や荷物の包装材料としても広く用いられ(世界大百科事典)、 かます(叺)、 は、 むしろを二つ折りにして左右の両端を縫い閉じたもので、肥料、石炭、塩、穀類などを入れたもの、 である(仝上)。 むしろ、 は、上記の意が転じて、 女院は法皇の御病のむしろに御髪剃させ給へりき(今鏡)、 と、 人々が寄り集まり、すわって、風雅な遊びや法事などをする場所、 会席、 座席、 の意に、さらに、日葡辞書(1603〜04)に、 Muxironi(ムシロニ)ツク(寝床に寝る)、 と、 寝るための場所、 寝床、 意へと、何だか先祖返りしている(仝上)。漢語の音で、 えん(筵)、 ともいうが、これは、 過去の四仏も普賢薩埵も、形をかくして、この御講演の莚には、日々に来りのぞみ給て(出法華修法一百座聞書抄(1110)三月二七日)、 と、 むしろ、 敷物、 の意と共に、その派生意として、 座席、ところ、場所、 また、 催しや酒宴などの席、 でもある(精選版日本国語大辞典)。この、 むしろ、 の由来は、 ムシ(苧)シロ(代)の約か(岩波古語辞典)、 裳代の転にて、裳は敷裳を云ふかと云ふ(大言海・名言通・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、 身代(みしろ)の転(大言海・言元梯・文学以前=高崎正秀)、 メシロ(目代)の転か(俚言集覧)、 ムシはマシ(座)の転、ロは助詞(東雅)、 タタミノシロ(畳代)の義で、ムはタタム、シロは代の意(和語私臆鈔)、 等々あるが、たぶん、 シロ、 は、 代、 つまり、 代わり、 の意だと思うが、平安期の用例から見ると、 裳代の転にて、裳は敷裳を云ふ、 のが最も近いのではないか。 莚の大きさは、 幅約3尺(約90センチメートル)に長さが約6尺(約180センチメートル)、 と決まっていて、 薦(こも)、 より上等品とされ、保存に留意しながら生活に組み込まれてきた(日本大百科全書)とある。因みに、 こも、 は、 真菰、 で触れたように、 薦、 菰、 と当て、 イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一〜二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五〜一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、 とあり、漢名、 菰、 という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。なお、 筵道、 というと、 えんどう、 または、 えどう、 と訓み、 天皇や貴人が歩く道筋や神事で祭神が遷御する通り道に敷く筵の道、 といい、筵の上に白い絹を敷く場合もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%9A)とあり、平安時代に宮中で舞が演じられる際に庭に敷かれる筵の道も筵道と呼ぶとある(仝上)。 「筵」(エン)は、 会意兼形声。「竹+音符延(のばす)」、 で、 竹を編んでつくり、引き延ばして敷くむしろ、 の意で、 たかむしろ(竹筵 たけむしろ)、 ともいう(漢字源・岩波古語辞典)。 「席」(漢音セキ、呉音ジャク)は、 形声。「巾(ぬの)+音符庶の略体」で、巾印をつけて座布団を示す、 とあり(漢字源)、 がまやいぐさで編んだ敷物、転じて、広く座る場所や寝る所に敷く敷物、で、広く座る場所の意、ポストの意にも使う(漢字源)。別に、 形声。「巾」+音符「石 /*TAK/」[字源 1]。「むしろ」を意味する漢語{席 /*sdak/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%AD)、 形声。巾と、音符庶(シヨ)→(セキ)とから成る。しきもの、ひいて、座る所の意を表す(角川新字源)、 形声文字です(庶の省略形+巾)。「屋根の象形と器の中の物を火で煮たり焼いたりする象形」(「煮る」の意味だが、ここでは「籍」に通じ(同じ読みを持つ「籍」と同じ意味を持つようになって)、「しきもの」の意味)と「頭に巻く布きれにひもを付けて、帯にさしこむ象形」(「布きれ」の意味)から、「しきもの」を意味する「席」という漢字が成り立ちました。(甲骨文は、「草を編んだしきもの」の象形から「しきもの」の意味を表しました)(https://okjiten.jp/kanji653.html)、 と、同じ形声文字でも、解釈が異なる。 「蓆」(漢音セキ、呉音ジャク)は、 会意兼形声。「艸+音符席(しきもの)」、 で、「むしろ」の意だが、「大きくしきつめたさま」から、「広くおおきい」意で使う(漢字源)。 「莚」(エン)は、 会意兼形声。「艸+音符延(のばす)」、 で、草が伸びてはびこる意だが、我が国では、「むしろ」に当てている(漢字源)。 「薦」(セン)は、「刈菰(かりこも)」で触れたように、 会意。「艸+牛に似ていて角が一本の獣のかたち」で、その獸が食うというきちんとそろった草を示す、 とある(漢字源)が、別に、 形声。「艸」+音符「廌 /*TSƏN/」。「むしろ」を意味する漢語{薦 /*tsəəns/}を表す字、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6)、 会意。艸と、廌(ち)(しかに似たけもの)とから成り、廌が食う細かい草の意を表す。借りて「すすめる」意に用いる、 とも(角川新字源)、 会意文字です(艸+廌)。「並び生えた草」の象形と「一本角の獣」の象形から、「一本角の獣が食べる草」を意味する「薦」という漢字が成り立ちました。また、「饌(せん)」に通じ(同じ読みを持つ「饌」と同じ意味を持つようになって)、「すすめる」、「供える」の意味も表すようになりました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1962.html)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 散りはてて花の蔭なき木の本にたつことやすき夏衣かな(前大僧正慈円)、 の、 詞書に、 更衣をよみ侍りける、 とあるが、この、 更衣、 は、 四月一日に春着を単の夏衣に替えること、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 ころもがへ、 は、 更衣、 衣更、 衣替、 等々と当て(精選版日本国語大辞典)、 時雨うちして、物あはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣、指貫うすらかに衣かへして、いとををしう、あざやかに、心はづかしきさまして、まゐり給へり(源氏物語)、 と、文字通り、 着ている衣服を別の衣服に着かえること、 着がえ、 の意だが、 四月になりぬ、ころもがへの御装束、御帳(みちょう)のかたびらなど、よしあるさまにし出づ(源氏物語)、 と、 毎年、季節に応じて着物を着かえたり調度を改めたりすること、 をいい、 1年を2期に分けて、4月朔日(1日)から9月晦日までを夏装束、10月朔日から3月晦日までを冬装束とし、4月と10月の朔日に、それぞれ服飾はもとより室内の調度を改めるのを例とした、 ので、この日を、 更衣、 といった(世界大百科事典)。平安時代の公家は、 四月一日から冬の小袖(こそで)をやめて薄衣(袷 あわせ)にかえ、寒い時は下に白小袖を用い(白重(しらがさね))、 五月五日から帷子(かたびら)を着、涼しい時は下衣を着(一重がさね)、 六月に単襲(ひとえがさね)、 八月一五日から生絹(すずし)にかえ、 九月一日から袷を、 同九日から綿入れを着、 十月一日から練絹(ねりぎぬ)の綿入れ、 に着かえることが年中行事であった(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)。建武年中行事に、 四月ついたち、御衣がへなれば、所々御装束あらたむ、御殿御帳のかたびら、おもてすずしに、胡粉(ごふん)にて絵をかく、壁代(かべしろ)みなてっす、よるの御殿もおなじ、灯籠の綱、おなじ物なれど、あたらしきをかく、畳おなじ、しとねかはらず、御服は御直衣(のうし)、御ぞすずしの綾の御ひとへ、御はり袴、内蔵寮(くらのつかさ)より是をたてまつる、女房きぬあはせのきぬども、衣がへのひとへからぎぬ、すずし、裳(も)、常のごとし、 とあるように、夏になると、衣服は単(ひとえ)とするだけでなく、 壁代(かべしろ)(壁のかわりに垂らした几帳(きちょう)のようなもの)をかたづけて帷子(かたびら)(几帳、帳(とばり)などに用いる一重の布)をかけ、御座を敷き改め、 た(日本大百科全書)。『西宮記(さいぐうき)』所引の『蔵人式(くろうどしき)』や『北山抄』などによれば、 殿上で采女(うねめ)・女蔵人などを率いて天皇の朝膳(あさのおもの)などに奉仕し、また「内宴」のときの陪膳(ばいぜん)を勤める、 とあり、『清涼記』(村上(むらかみ)天皇撰(せん))には、 員数12人、 としている(仝上)。室町時代以後は、綿入れ、帷子(裏をつけない一重の服)が用いられるようになり、 四月一日に綿入れを袷(あわせ)にかえ、 十月一日に袷を綿入れに かえるようになった。前者を、 綿抜(わたぬき)の一日、 後者は、 後(のち)の衣更、 ともいった(仝上・岩波古語辞典)。江戸末期の東都歳事記に、 四月朔日、更衣、今日より五月四日迄貴賤袷衣(こうい)(あわせ)を着す。今日より九月八日まで足袋をはかず。庶人単羽織(ひとえばおり)を着す、 とあり(世界大百科事典)、4月1日から綿入れの衣を脱ぐことから、四月一日と書いて、 わたぬき、 とよむ風が起こった(碧山日録)とある。なお、 衣更、 とあてる、 ころもがえ、 は、別に 男女互いに、衣服を交換(とりか)へ、或いは、借りて着ること、 をいい、古へは、 男女の服、其製、同じくして、筒袖にて、丈は、膝までのものなりき、交換するは、情交の上のことなりしが如し、 とあり(大言海)、 己呂毛加戸(かろもかへ)せむや、さ公達(きむだち)や、我が衣(きぬ)は野原篠原萩の花摺や、さきむだちや(催馬楽)、 と、 男女が互いに衣服を交換し、共寝した、 の意で使う(広辞苑・大言海)。なお、 更衣、 を、 こうい(カウイ)、 と訓ますと、漢語で、 更衣直夜房(高啓)、 と、 着物を着換える、 衣替え、 の意だが、我が国では、もちろん、 ころもがへ、 とも訓ませて、 衣服を着換える、 意でも使い、特に、 「更衣(コロモカヘ)(〈注〉カウイ)一日 白重(しらかさね)(俳諧「増山の井(1663)」)、 と、四月の、 初夏の衣がえ、 をさす(精選版日本国語大辞典)が、平安時代の、 女御(にょうご)の次位にあって、天皇の衣を替えることをつかさどり、天皇の寝所にも持す、 後宮の女官の意で使う。この称、 仁明天皇の御代より見ゆ、嬪(ヒン)の称失せて、起れるなり、 とある(大言海)。 嬪、 は、 古へ、女官の號、後の更衣、 とある。元は、 天子の、御更衣(ころもがへ)の便殿(びんでん 便宮(べんきゅう) 休憩のために設けられた部屋)の名、それが、御更衣を司るの女官の名となれるなりと云ふ、漢書、田廷傳の更衣の註に、「為休息易衣之處、亦置宮人」、 とあり(大言海)、地位は女御の下で、 納言およびそれ以下の家柄の出身の女で、ふつう五位、まれに四位に進む者があった、 とある(精選版日本国語大辞典)。本来は、というか、女官として、 天皇の衣替えをつかさどる役であったが、のち、寝所に奉仕するようになった、 とされ(精選版日本国語大辞典)、 更衣、 は、 天皇の侍妾、 であり、 古代の天皇の令外の〈きさき〉の称、 で、おそらく上述の女官の実務には関与しなかったであろう(日本大百科全書)とある。 女御(にようご)の下位にあり、ともに令制の嬪(ひん)の下位に位置づけられた。位階は五位または四位止りであった。皇子女をもうけた後は御息所(みやすどころ)とよばれたが、出身が皇親氏族・藤原氏・橘氏など有力氏族以外の更衣所生の皇子女は源氏となった、 とあり(山川日本史小辞典)、その成立は9世紀初頭。 嵯峨朝における源氏賜姓と深くかかわる。更衣の生んだ皇子女は、更衣たちが皇親系諸氏、藤原氏、橘氏等有力氏族出身者である場合を除いてすべて源氏を賜姓した。史料的には後三条朝を下限とする、 とある(仝上・世界大百科事典)。延喜式(927成立)には、 妃、夫人、女御(にようご)、 の后妃がみえるが、定員のない女御は光仁朝に登場し、平安初期に、 更衣(こうい)、 が生まれて、妃、夫人の称号は廃絶した(仝上)とある。 「替」(漢音テイ、呉音タイ)は、 会意文字。「夫(おとこ)ふたり+曰(動詞の記号)」で、Aの人からBの人へと入れかわる動作を示す、 とある(漢字源)。別に、 会意文字です。「口を開けた2人」の象形と「太陽」の象形から、2人の役人が太陽の下で大声をあげて引き継ぎを行うさまを表し、そこから「かわる(交替)」を意味する「替」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1291.html)が、他に、 形声。曰と、音符竝(ヘイ)→(テイ)(㚘は変わった形)とから成る。廃止する、ひいて「かえる」意を表す、 と(角川新字源)、形声文字とする説もある。 「更」(漢音コウ、呉音キョウ)は、「深更」で触れたように、 会意。丙は股(もも)が両側に張り出したさま。更は、もと「丙+攴(動詞の記号)」で、たるんだものを強く両側に張って、引き締めることを示す、 とある(漢字源)。 「更」は、 「㪅」の略字、 とあり(https://okjiten.jp/kanji1319.html)、また、 𠭍、 とともに、異字体ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B4)ので、その意味がよくわかる。 別に、 会意文字です(丙+攴)。「重ねた台座」の象形と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手で打つ」の意味)から、台を重ねて圧力を加え固め平らにする事を意味し、そこから、「さらに(重ねて)」、「あらためる」、「かえる」を意味する「更」という漢字が成り立ちました、 とある(https://okjiten.jp/kanji1319.html)ように、「更」は、「更新」「更改」というように、「変わる」「改まる」という意であり、「変更」「更代(=交代)」というように、「代わる」である。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) をりふしも移ればかへつ世の中の人の心の花染めの袖(皇太后宮大夫俊成女)、 の、 花染め、 はもともと、 露草、 で染めた、 あせやすい藍色の染め物、 だが、ここでは、 桜色の染め物、 の意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 袖、 は、 衣服、 の意。「露草」については、「月草」で触れた。「袖」については「衣手」で触れた。 花染、 は、 世中の人の心は花ぞめのうつろひやすき色にぞ有りける(古今和歌集)、 と、 露草の花の汁で染めること、また、その衣、 をいい、 藍色・薄桃・桜色などに染めるが、変色しやすいところから、うつろいやすいことのたとえ、 にもいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。また、 忘るなよ木曾の麻衣やつるともなれし吉野の花染の袖(新葉和歌集)、 と、 桜の花の色に染めること、またその色、 にもいう(仝上・岩波古語辞典)。なお、 花染めにした衣、 を、 おのづから古きに返る色しあらば花染め衣露やわけまし(続古今和歌集)、 と、 花染め衣、 という(仝上)。また、 紅(くれなゐ)のはつ花ぞめの色ふかく思ひしこころわれわすれめや(古今和歌集)、 と、 初花染め(はつはなぞめ)、 というと、 紅花(べにばな)の初花で染めること。また、その染めたもの、 をいう(精選版日本国語大辞典)。 「花」(漢音カ、呉音ケ)は、「はな」でも触れたが、 会意兼形声。化(カ)は、たった人がすわった姿に変化したことをあらわす会意文字。花は「艸(植物)+音符化」で、つぼみが開き、咲いて散るというように、姿を著しく変える植物の部分、 とある(漢字源)。「華」は、 もと別字であったが、後に混用された、 とあり(仝上)、また、 会意兼形声文字です。「木の花や葉が長く垂れ下がる」象形と「弓のそりを正す道具」の象形(「弓なりに曲がる」の意味だが、ここでは、「姱(カ)」などに通じ、「美しい」の意味)から、「美しいはな」を意味する漢字が成り立ちました。その後、六朝時代(184〜589)に「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「左右の人が点対称になるような形」の象形(「かわる」の意味)から、草の変化を意味し、そこから、「はな」を意味する「花」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji66.html)が、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8A%B1)、 形声。「艸」+音符「化」。「華」の下部を画数の少ない音符に置き換えた略字である、 とされ(仝上)、 形声。艸と、音符(クワ)とから成る。草の「はな」の意を表す。もと、華(クワ)の俗字、 とある(角川新字源)。 「染」(慣用セン、漢音ゼン、呉音ネン)は、 会意文字。「水+液体を入れる箱」で、色汁の中に柔らかくじわじわと布や糸をひたすこと、 とある(漢字源)。別に、 会意文字です(+木)。「流れる水の象形と川が曲がって行き止まりになる象形」(「屈曲する穴の奥から流れ出る泉」の意味)と「大地を覆う木」の象形から、樹液などで「そめる」を意味する「染」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji953.html)が、 形声。水と、音符朵(ダ)→(ゼム)(杂は変わった形)とから成る。絹布をそめる意を表す、 と(角川新字源)、形声文字とする説もある。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 洗幘豈獨古(幘(さく)を洗うば豈獨(ひと)り古(いにしえ)のみならんや) 濯纓良在茲(纓(えい)を濯(あら)うは良(まこと)に茲(ここ)に在り)(孟浩然・陪張丞相自松滋江東泊渚宮) の、 洗幘、 は、 むかし楚の陸通という隠者が、幘(頭巾)を松の枝にかけたまま寝ていると、鶴がそれをくわえて、川岸まで運んだ。通は頭巾を洗い、鶴に乗って飛び去った、 という故事を踏まえている(前野直彬注解『唐詩選』)。また、 濯纓、 は、文字通り、 冠の紐を洗濯する、 意だが、 治まった世に、すぐれた人物が官職について、平和な生活を楽しむこと、 との意がある(仝上)。「楚辞」屈原の「漁父」に、 滄浪の水清(す)まば、以て吾が纓を濯(あら)う可し、滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯う可し、 とあるのを踏まえる(仝上)。 洗幘、 の、 幘(さく)、 は、 髪の毛を包む布製の頭巾、 をいい、 洗幘、 は、明代『広博物誌』(董斯張)に、 楚狂士陸通高臥松間、以受霞氣。幘挂松頂。有鶴銜去水濱。通洗之、因與鶴同去(楚の狂士(きょうし)陸通(りくつう)、松間(しょうかん)に高臥(こうが)し、以て霞気 (かき)を受く。幘(さく)松頂(しょうちょう)に挂(か)く。鶴有り銜(ふく)んで水浜 (すいひん)に去る。通(つう)之を洗い、因りて鶴と同じく去る)、 とある、 楚の陸通(りくつう)が頭巾を松の枝にかけて寝ていたところ、一羽の鶴がそれをくわえて川辺に運んだ。陸通はその頭巾を洗い、鶴に乗って飛び去った、 という逸話を踏まえる(https://kanbun.info/syubu/toushisen138.html)。 濯纓、 の、 纓(えい)、 は、 冠のひも、 で、 冠かんむりのひもを洗う、 意から、『楚辞』屈原の「漁父」を基に、 時の流れに従い、治まった世には官職に就き、平和な生活を楽しむこと、 である(仝上)。 幘(さく)、 は、漢代『急就篇』(史游)註に、 幘者、韜(つつむ)髪之布、 とあり、 古代、中国で、髪を包んだ布、 頭巾(ずきん)、 をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、これが伝わった我が国では、 大嘗祭、神今食(じんごんじき)などの神事に際して、天皇の冠の巾子(こじ)を包む布。白い生絹(すずし)で巾子と纓(えい)とを一つに合わせて巾子の後方で結び、その端を左右に垂らしたもの、 をいい、 御幘(おさく・ごさく・おんさく)の冠(かむり)、 という(仝上)。なお、 神今食(じんごんじき・じんこんしき・じんこじき)、 とは、 陰暦六月と一二月の一一日、月次祭(つきなみまつり)の夜、天照大神を神嘉殿に勧請(かんじょう)して、火を改め、新しく炊いた御飯を供え、天皇みずからこれをまつり、自身も食する儀式。新嘗祭(にいなめまつり)に似ているが、新嘗祭は新穀を用いるのに対し、これは旧穀を用いる、 とある(仝上)。和訓栞に、 御幘は、白き絹もて、御冠の巾子を結はせたまふ、御神事の時の儀式なりと、三箇重事抄に見えたり、 とある、 白き生絹を、四折(よつおり)にしたるもの、 で、 立纓(りふえい)の御冠の纓を、巾子の前へ曲げて、二つ折にして、それを、御幘にて結ひつくるなり、、 とある(大言海)。 巾子、 は、 冠の後ろに高く突き出ている部分。もとどりを入れて冠を固定する、 とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。似たものに、 かしはばさみ(柏夾)、 空頂黒幘(くうちょうこくさく)、 がある。 柏夾、 の、 柏、 は、 凶事、焼亡のような非常の場合、臨機に冠の纓(えい)を巻くこと、 で、 挟木(はさみぎ)に有り合わせの木・竹の類を用いることを特色とする、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 窪椀(くぼて)、葉椀(ひらで)に、葉(かしは)を竹針にて刺し作るになぞらへたる名か、和訓栞に「白木を、柏とつめて書きしより、かしは夾みと云ひなせり」とあるが、いかがか、 とある(大言海)。「葉椀(くぼて)・葉手(ひらて)」については触れた。 冠の垂纓(すゐえい)を、二重に折りて、白木の挟木にて挟みと止むるもの、 である(仝上)。 空頂黒幘、 は、 頂辺をあけた黒の幘帽(さくぼう)の意で、黒絹製の天冠の一種。江戸時代は繁文(しげもん)の羅を山形に作り、帽額(もこう)の正面につけ、額にあて後ろで結ぶ、 ものである。新撰字鏡(898〜901)に、 幘、比太比乃加加保利(ひたひのかかほり)、 とあり、 かがふり(被り、冠り)、 は、 頭に被る、 意である(岩波古語辞典)。 黒紗、三山形をなし、前面に、四目様の紋、散らしあり、紫絹の縁をつく、 という(大言海)。 纓(えい)、 は、「衣冠束帯」、「したうづ」で触れたように、日本独自の冠の付属品の1つで、 冠のうしろに長く垂れるもの、 をいい、古くは、 髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めた紐の余りを、うしろに垂らした。のちには、別に両端に骨を入れ羅(うすぎぬ)を張り、巾子の背面の纓壺(えつぼ)に、差し込んで垂らした、 とある。冠の縁を2分して、 額のほうを磯 (いそ)、 後方を海 (うみ)、 といい、海に挿し入れて垂らす細長い布を纓と称した(ブリタニカ国際大百科事典)。元来は、 令制の頭巾の結び余りから変化したもので、地質が羅のような薄い地であったので、平安時代 (9世紀)に漆をはいて形を固定し、院政頃 (10世紀) より冠と纓が分離する、 ようになり、形も、初めは燕尾であったのが長方形となり、天皇の纓は高く直立する、 立纓(りゅうえい) 、 であるが、文官は、 垂纓(すいえい)、 といって纓を垂れ下げ、武官は、 巻纓 (けんえい) 、 といって巻くのが普通であり、その巻き方も衣紋の流儀によって異なる。また六位以下の武官が警固や駆馳 (くち) をする際には、挙動が便利なように纓筋だけの鯨鬚黒塗りのものを輪にして挿し、これを、 細纓(ほそえい)、 と称した(仝上)とある。なお、 五位以上は有文(うもん)、六位以下は無文、 である(精選版日本国語大辞典)。飛鳥(あすか)時代後期に、中国より導入されたイラン式の、 漆紗冠(しっしゃかん)、 は、髪を頭上に束ねた髻(もとどり)を、巾子(こじ)という筒に入れ、その上から袋状に仕立てた絹や布をかぶり、髻の根元を共裂(ともぎれ)の紐(ひも)で結んで締め、結び余りを後ろに垂らした。この垂らした部分を、 纓、 とよび、その形より、 燕尾(えんび)、 ともいった。 平安時代に冠が大きく固くつくられるようになると、纓も両側にクジラのひげを入れて幅広く長いものとなって、後ろにただ綴(と)じ付けて垂らした。鎌倉時代になると形式化して、纓の元を冠に取り付けた纓壺(えいつぼ)に上から差し込んで、しなって垂れ下がる形となった、 (日本大百科全書)という。この、 纓、 の由来は、 冠系也とあれば、上緒(あげを 冠が脱げないように、冠の左右につけ、引き上げて髻(もとどり)の根にくくり結ぶための紐)なり、其餘垂に、纓との名の移りしものか、 あるいは、 燕尾を、えひと約め、纓を借字とせしものか、 とある(大言海・東雅・安斎随筆)。 なお、「冠」については、「冠と烏帽子」(http://www.kariginu.jp/kikata/2-2.htm)が詳しい。 「幘」(漢音サク、呉音シャク)は、 会意兼形声。責は、重ねる意を含む。幘は「巾(ぬの)+音符責」で、髪を重ねて上から包む布のこと、 とある(漢字源)。この布製の頭巾は、 漢以降唐までの風俗で、冠をはずしても、幘はつけていた、 とある(仝上)。 「纓」(漢音エイ、呉音ヨウ、慣用オウ)は、 会意兼形声。「糸+音符嬰(エイ ぐるっととりまく)」で、顔をとりまく冠のひもをあらわす、 とある(漢字源)。「纓冠」と、冠の両脇から顔をとりまき、あごの下で結ぶ、冠のひもである(仝上)。 参考文献; 差前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 乗興宜投轄(興に乗じては宜しく轄を投ずべし) 邀歓莫避驄(歓を邀(もと)めては驄を避くる莫(な)し)(高適・陪竇侍御泛霊雲池) の、 驄(そう)、 は、 葦毛(あしげ)の馬、 の意で、 あおうま、 ともいい、 青黒い毛と白い毛の混ざった馬、 をいう。 避驄、 は、 御史(竇侍御)をおそれて避けること、 の意だが(侍御は官名侍御史の略称)、この背景になっているのは、 百官の非違を摘発する、 のが、 御史、 の役目で、 拝侍御史、常乗驄馬、京師畏憚、為之語曰、行行且止、避驄馬御史(御漢書・桓典伝)、 と、 後漢の桓典が御史となったとき、常に驄馬(そうば あしげ)に乘ったため、その剛直さをおそれた人々が、「驄馬御史を避けよ」と言い合った、 という故事がある。 投轄(とうかつ)、 の、 轄、 は、 車輪を軸にとめつけるくさび、 で、 輪をはめて、軸頭に挿すもの、 なので、それで、 車輪を止めておく、 ことになる。転じて、「轄」は、 管轄・所轄・総轄・直轄・統轄、 等々、 物事を中心に取りまとめること(精選版日本国語大辞典)、 ある範囲をおさえて支配する(デジタル大辞泉)、 意でも使うが、 投轄、 つまり、 轄を投ず、 は、 車のくさびを外し、客を留める、 意になり(字通)、 客をねんごろに留むるにいふ、 とある(字源)。この背景にあるのは、。『漢書』陳遵(ちんじゅん)伝の、 遵耆酒、每大飲、賓客滿堂。輒關門、取客車轄投井中。雖有急、終不得去(遵(じゅん)酒(さけ)を耆(たしな)み、大(おお)いに飲(の)む毎(ごと)に、賓客(ひんかく)堂(どう)に満(み)つ。輒(すなわ)ち門(もん)を関(とざ)し、客(かく)の車轄(しゃかつ)を取(と)り井(せい)中(ちゅう)に投(とう)ず。急(きゅう)有(あ)りと雖(いえど)も、終(つい)に去(さ)ることを得(え)ざらしむ)、 とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen140.html)、前漢の陳遵(ちんじゅん)が、 酒を好み、客を招いて宴を開き、客が途中で帰らぬようにと、客の車の轄(くさび)を抜き取って井戸の中に投げ込み、急用があっても帰れないようにした、 という故事である。 乗興、 は、 感興のわくままに。興の赴くままに、 の意で、『晋書』王徽之(きし)伝の、 嘗居山陰、夜雪初霽、月色清朗、四望皓然。獨酌酒、詠左思招隱詩、忽憶戴逵。逵時在剡、便夜乘小船詣之、經宿方至、造門不前而反。人問其故、徽之曰、本乘興而行、興盡而反。何必見安道邪(嘗て山陰に居り、夜雪初めて霽(は)れ、月色(げっしょく)清朗(せいろう)、四望(しぼう)皓然たり。独り酒を酌みて、左思(さし)の招隠(しょういん)の詩を詠じ、忽ち戴逵(たいき)を憶う。逵(き)時に剡(せん)に在り、便(すなわ)ち夜小船(しょうせん)に乗じて之に詣(いた)り、宿(しゅく)を経て方(まさ)に至り、門に造(いた)りて前(すす)まずして反(かえ)る。人其の故を問う、徽之曰く、本(もと)興に乗じて行き、興尽つきて反る。何ぞ必しも安道(あんどう 戴逵の字(あざな))を見みんや、と)、 と、 東晋の王徽之が冬の夜、雪を愛でながら酒を飲み、左思の「招隠の詩」を詠じていたが、ふと剡渓にいる友人の戴逵を訪ねようと思いたち、小舟に乗って出かけた。しかし、門前まで来て引き返してしまった。人がその理由を尋ねたところ、「自分は興に乗じて来て、興が尽きて帰ったのだ」と答えた、 という故事を踏まえる(https://kanbun.info/syubu/toushisen140.html)。なお、 莫避驄、 は、 侍御史を畏れて避けることはない。無礼講といきましょう、 という意味だが、これは、上述した『後漢書』桓典伝の、 桓典が侍御史に任じられたとき、その厳正さに権力を握っていた宦官たちは畏れをなした。桓典はいつも驄馬(そうば 黒毛と白毛のまざった馬)に乗っていたので、京師の人々は「行き行きて且かつ止とどまれ、驄そう馬ば御史を避けよ」と言い合った、 という故事を踏まえる(仝上)。 「轄」(漢音カツ、呉音ゲチ)は、 会意兼形声。害(ガイ・カツ)は、口に上にふた(おおい)をかぶせて押さえたさまをしめす会意文字。途中でおさえとめるの意を含む。轄は「車+音符害」で、車輪が軸から抜けないようにとめるくさび、 とある(漢字源)。転じて、「物事のわくがはずれないように、おさえる、取り締まる」意で、「管轄」「総轄」等々の意で使う。別に、 会意兼形声文字です(車+害)。「車」の象形と「屋根の象形と切り刻む象形と口の象形」(祈りの言葉を切り刻みふさぐさまから、「わざわい・さまたげ」の意味)から、「車が車軸からずれ抜けるのをさまたげるためのくさび」、「とりしまる」を意味する「轄」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1839.html)が、 形声。「車」+音符「害 /*KAT/」。「くさび」を意味する漢語{轄 /*graat/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BD%84)、 形声。車と、音符害(カイ)→(カツ)とから成る。車が車軸からはずれるのを止める「くさび」の意を表し、借りて、とりしまる意に用いる(角川新字源)、 は、形声文字とする。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 簡野道明『字源』(角川書店) あかなくに散りにし花のいろいろは残りにけりな君が袂に(大納言経信) の詞書に、 五月五日、薬玉つかはして侍りける人に、 とある、 薬玉、 は、 玉状の袋に薬・香料を入れ、菖蒲・蓬や造花を結び、五色の糸を垂らす、 もので、 端午の節句に用いる、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 薬玉、 は、 クスリダマの転、 で(岩波古語辞典)、 麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、丁子(ちょうじ)、白檀、甘松等々種々の香料を網の玉に入れ、糸で飾り、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などの造花を結び付けて、五色の糸の八尺許りなるを垂らしたもの、 である(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)。丁子については、「丁子染」で触れた。 長命縷、 続命縷(しょくめいる)、 くすりのたま、 五色縷、 久寿玉、 等々とも言い、 五月五日の端午の節供に、邪気を払い、不浄を避けるものとして柱や簾(すだれ)にかけた、 とされる(仝上)。 中国から伝わり、平安時代に盛んに贈答に用いた(広辞苑)とある。初見は、 五月五日に薬玉(くすだま)を佩きて酒を飲む人は、命長く、福ありとなも聞食(きこしめ)す、故、是を以て、薬玉を賜ひ、御酒賜はくと宣る(続日本後紀嘉祥二年(849)五月五日)、 とある。中古、宮中では5月5日に薬玉を下賜するならわしがあり、 中宮などには縫殿より御くす玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちよう)立てたる母屋の柱の、左右につけたり。九月九日の菊をあやとすずしの絹につつみて参らせたるを同じ柱にゆひつけて月頃あるくす玉にとりかへて(枕草子)、 と、 各人はそれをひじにかけて長命のまじないとした。また薬玉は御帳(みちよう)の東の方の柱にかけておき、9月9日重陽(ちょうよう)の節供(菊の節供)に菊花を絹に包んだものと取り替える風習があった、 とある(世界大百科事典・日本大百科全書)。また、 玉に五彩の糸のみ添へて、身にも繋ぐ、 とあり(大言海)、後の、 掛香(かけかう)、 とある(仝上)。 掛香、 は、 懸香、 とも当て、 香嚢(こうのう)、 ともいい(和名抄)、 練香を絹袋に入れたもの、 で(大言海)、 悪臭を防ぐため、室内に掛け、また紐をつけて首に掛けたり、懐中したりする、 とあり(広辞苑)、後の、 匂袋(においぶくろ)、 匂の玉、 である(仝上・大言海)。『雍州府志』(貞享元年(1684)山城一国の地理・沿革・寺社・古跡・陵墓・風俗行事・特産物などを漢文で記述した地誌)には、 嚢(絹嚢)左右、著緒繋項、懐其袋、故、元称掛香、 とある。古くは、 はじめショウブとヨモギの葉などを編んで玉のようにまるくこしらえ、これに5色の糸をつらぬき、またこれに、ショウブやヨモギなどの花をさしそえて飾りとした、 ようだが、室町時代より後は、 薬玉を飾る花は造花となり、サツキ、ショウブその他四季の花が用いられ、また中に麝香(じやこう)、沈香、丁子(ちようじ)、竜脳などの薫薬(くんやく)を入れたため、薬玉はにおい入りの玉となった、 とあり(世界大百科事典)。糸も、室町時代には6色となり、長く垂れることとなった(仝上)という。江戸時代に、 民間で5月5日に女児の玩具(がんぐ)として新しく流行した。京には薬玉売りも現れ、端午の節供には女児がいろいろの造花を紙に張って細工したものを背中にかけたり、肘に下げたりした、 とされるのも、薬玉の古い習俗の名残(なごり)である(日本大百科全書)。 女児がいろいろの造花を糸に通したり、あるいは紙にはったりなどしてもてあそんだのも、薬玉の古い習俗のなごりである、 とある(仝上)。 今日、七夕の飾り、運動会や式典などに用いる、 薬玉、 も、この系譜で、式典のものは、 玉が二つに割れて、中から垂れ幕や紙吹雪などが出てきたりする(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 薬玉模様(くすだまもよう)、 は、 吉祥(きちじょう)模様の一つ、 で、 江戸中期から末期にかけて、染織や蒔絵(まきえ)の装飾に多く用いられた、 が、これは、邪気を避ける長寿の象徴としての、 薬玉、 に由来する(日本大百科全書)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 玉柏茂りにけりなさみだれに葉守の神のしめはふるまで(藤原基俊) の、 葉守の神の、 は、 葉守の神が、 の意。 「の」は主語を表す、 と見る(久保田淳訳注『新古今和歌集』)とし、 葉守の神、 は、 木に宿って葉を茂らせ、木を守る神、 で、 楢の葉の葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな(後撰和歌集)、 を引く。また、 しめはふるまで、 は、 注連縄を張るまでに、 の意、 はふる、 は、 はふ、 の連体形とある(仝上)。なお、 わぶる、 とする異文ならば、 注連縄を張れないまでに、 の意となる(仝上)。なお、 玉柏(たまがしわ)、 の、 玉、 は、 美称、 てあるが、 たま(魂・魄)、 で触れたように、 たま、 は、 魂、 魄、 霊、 と当て、「たま(玉・珠)」が、 タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる、丸い石などの物体が原義、 とある(岩波古語辞典)。依り代の「たま(珠)」と依る「たま(魂)」とが同一視されたということであろうか。 未開社会の宗教意識の一。最も古くは物の精霊を意味し、人間の生活を見守り助ける働きを持つ。いわゆる遊離靈の一種で、人間の体内から脱け出て自由に動き回り、他人のタマとも逢うこともできる。人間の死後も活動して人を守る。人はこれを疵つけないようにつとめ、これを体内に結びとどめようとする。タマの活力が衰えないようにタマフリをして活力をよびさます、 ともある(仝上)。だから、いわゆる、 たましい、 の意であるが、 物の精霊(書紀「倉稲魂、此れをば宇介能美柂麿(うかのみたま)といふ」)、 ↓ 人を見守り助ける、人間の精霊(万葉集「天地の神あひうづなひ、皇神祖(すめろき)のみ助けて」)、 ↓ 人の体内から脱け出して行動する遊離靈(万葉集「たま合はば相寝むものを小山田の鹿田(ししだ)禁(も)るごと母し守(も)らすも」)、 ↓ 死後もこの世にとどまって見守る精霊(源氏「うしろめたげにのみ思しおくめりし亡き御霊にさへ疵やつけ奉らんと」)、 と変化していくようである。そこで、 生活の原動力。生きてある時は、體中に宿りてあり、死ぬれば、肉體と離れて、不滅の生をつづくるもの。古くは、死者の魂は、人に災いするもの、又、生きてある閧ノても、睡り、又は、思なやみたる時は、身より遊離して、思ふものの方へゆくと、思はれて居たり。生霊などと云ふ、是なり。故に鎮魂(みたままつり)を行ふ。又、魂のあくがれ出づることありと、 ということになる(大言海)。 玉柏、 の、 たま、 には、 柏の葉、 を、 祭祀具として用いる。 とある(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963652636&owner_id=17423779)ので、 柏のもつ霊力に期するところがあり、だからこそ、 美称、 でもあったのではないか。だから、 葉守の神、 という樹神の、 木、特に柏に宿って葉を守る神、 を、葉の茂る頃、 ゆう(木綿)を付け注連を張って祭る、 のではないか(仝上)。 しめ、 は、 標、 注連、 と当て、由来については、 占むの連用形の名詞化から(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、 シリクメナハの約なる、シメナハの略(大言海・東雅)、 シメ(閉)の義(大言海)、 シメ(締)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、 自分が占めたことを標す義(国語溯原=大矢徹)、 これを張って出入をイマシメルところから(和句解・日本釈名・柴門和語類集)、 シヘ(後隔)の義(言元梯)、 等々の諸説あるが、意図はほぼ同じとみていい。なお、 しめくりなは、注連縄で触れたように、 は、 注連縄、 尻久米縄、 端出縄、 などと当て、 「しめなは」の古語、 であり(広辞苑)、 布刀玉(ふとだま)の命、尻久米(クメ 此の二字は音を以ゐよ)縄を其の御後方(みしりえ)に控(ひ)き度(わた)して白言(まを)ししく(古事記)、 と、 端(しり)を切りそろえず、組みっぱなしにした縄、 の意である(仝上) 占む、 標む、 と当てる動詞があり、 物の所有や土地への立ち入り禁止が、社会的に承認されるように、物に何かを結いつけたり、木の枝をその土地に刺したりする意、 とある(岩波古語辞典)。だから、 占有のしるしをつける、 占有する、 という意味で、 閉める、 締める、 ともつながる。 標、 は、 後(おく)れ居て恋ひつつあらずは追ひ及(し)かむ道の阿囘(くまわ)に標(しめ)結へ吾が兄(せ)(万葉集)、 と、 山道などに、先づ行く人の、柴などを折りて、牓示(しるし)とするもの、又は、牓示として、立つるもの、 で、もと、 縄を結び付けて、標(しるし)とせし故に(即ち、しめなは)、結ふという、 とあり(大言海)、それが、 如是(かか)らむと豫(か)ねて知りせば大御船泊(は)てし泊りに標(しめ)結はましを(万葉集)、 と、 占むること、 の意に転じ、 物事に限りを立て、入るを禁ずる、僚友の標に付け置くもの、 の意に絞られ(仝上)、 かくしてやなほやなりなむ大荒城(おほあらき)の浮田(うきた)の杜(もり)の標(しめ)にあらなくに(万葉集)、 と、さらに限定して、 神の居る地域、また、特定の人間の領有する土地であるため、立入りを禁ずることを示すしるし。木を立てたり、縄を張ったり、草を結んだりする、 意となり、 恋の相手を独占する気持や、恋の相手が手のとどかないところにいることなどを、比喩的に表現するのにも用いる、 とある(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)には、 五月五日、競馬立標、標、讀、師米(結縄法 縄を締めて標となす)、 とあり、平安後期の有職故実書『江家次第(ごうけしだい)』には、 木工寮、四面曳標、四角立標(人を入らせじとてなり)、 とある。こうなると、 標、 は、 注連縄、 の略となる。 注連縄、 については触れたが、 神域など神聖な場所を限って不浄悪穢の侵入を防ぐ縄、 で、 標縄、 七五三縄、 とも書き、記紀では、 尻久米縄(しりくめなわ)、 端出之縄(しりくへなわ)、 と書いている。 はふ、 は、 這ふ、 延ふ、 と当て、 延ふ、 は、 這ひ経るの意、這ふに通ず、 とあり、 這ふ、 は、 延ふに通ず、 とある(大言海)。 はらばう(腹這う)、 意なので、 腹、 と繋げて、 ハラ(腹)を用いて進むところから(国語の語根とその分類=大島正健)、 ハラフ(腹経)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣)、 等々とする説があるが、はっきりしない。ただ、 幸はふ、 賑はふ、 の、 はふ、 の語源とされている(日本語源大辞典)。 ふりはへて、 で触れたことだが、 ハフは遠くへ這わせる、 意で(岩波古語辞典)、 はふ、 は、 「心ばえ」の、 心延え、 (心の動きを)敷きのばす、 意味と同じで(大言海・岩波古語辞典)、 心延え、 は、 心映え、 とも書くが、 映え、 は、もと、 延へ、 で、 延ふ、 は、 這ふ、 の他動詞形、 外に伸ばすこと、 つまり、 心のはたらきを外におしおよぼしていくこと、 になる(岩波古語辞典)。 「標」(ヒョウ)は、「澪標」で触れたように、 会意兼形声。票は「要(細くしまった腰、細い)の略体+火」の会意文字で、細く小さい火のこと。標は、「木+音符票」で、高くあがったこずえ とあり(漢字源)、別に、 会意兼形声文字です(木+票)。「大地を覆う木」の象形と「人の死体の頭を両手でかかげる象形と燃え立つ炎の象形」(「火が高く飛ぶ」の意味)から「木の幹や枝の先端」を意味する「標」という漢字が成り立ちました(転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、高くて目につく「しるし」・「めじるし」の意味も表すようになりました)。「標」は略字です、 とある( https://okjiten.jp/kanji718.html)が、 形声。木と、音符票(ヘウ)とから成る。木の「こずえ」の意を表す。借りて「しるし」の意に用いる、 と(角川新字源)、形声文字とするものもある。 「這」(@ゲン、Aシャ)は、 会意兼形声。「辵(足の動作)+音符言(かどめをつけていう)」で、かどめのたった挨拶を述べるために出ていくこと、 とある(漢字源・角川新字源)。迎と類義で、「むかえる」「出迎えてあいさつする」意は、@の音、「これ」「この」の意の場合は、Aの音、とある。宋代に、「これ」「この」という意味の語を、遮個、適個と書き、その遮や適の草書体を誤って這と混同したとある(漢字源)。「這」を、我が国で、「はう」意で使うのは、「老人が人を迎えるときによろばい出てくるということから、這の字をあてたもの(仝上)とある。別に、 会意兼形声文字です(辶+言)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」、「道」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)から、「道を言う」を意味し、そこから「この」、「これ」を 意味する「這」という漢字が成り立ちました、 とするもの(https://okjiten.jp/kanji2752.html)もある。 「延」(エン)は、「ふりはへて」、「をりはへ」で触れたように、 会意文字。「止(あし)+廴(ひく)+ノ印(のばす)」で、長く引きのばして進むこと、 とある(漢字源)。別に、会意文字ながら、 会意。「彳(道路)」+「止 (人の足)」で、長い道のりを連想させる。「のびる」を意味する漢語{延 /*lan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B6)、 会意文字です(廴+正)。「十字路の左半分を取り出しさらにそれをのばした」象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(「まっすぐ進む」の意味)から、道がまっすぐ「のびる」を意味する「延」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1012.html)、 と、構成を異にするが、 形声。意符㢟(てん)(原形は𢓊。ゆく、うつる)と、音符𠂆(エイ)→(エン)とから成る。遠くまで歩く、ひいて、「のびる」意を表す(角川新字源)、 と形声文字とする説もある。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 草昧英雄起(草昧 英雄起り) 謳歌暦数帰(謳歌 暦数帰す)(杜甫・重経昭陵) の、 草昧(そうまい)、 は、 天地の始めの、混沌とした状態、 を意味し、ここでは、 隋末の乱世をいう、 とある(前野直彬注解『唐詩選』)。 暦数、 は、 帝王が授かる天命のこと、 とあり、「書経」大禹謨篇に、 天の暦数は汝が躬(み)に在り、 とあるのに基づき、 「数」は運命、それが次の帝王・王朝へと運行するから、「暦」という、 とある(仝上)。 草昧、 は、『易経』屯(ちゅん)卦に、 天造草昧、宜建侯而不寧」(天造(てんぞう)草昧(そうまい)なり、宜(よろ)しく侯(きみ)を建(た)つべくして寧(やす)しとせず)、 とあり、また、『貞観政要』君道篇に、 太宗謂侍臣曰、帝王之業、草創與守成孰難。尚書左僕射房玄齡對曰、天地草昧、群雄競起、攻破乃降、戰勝乃剋。由此言之、草創爲難(太宗(たいそう)、侍臣(じしん)に謂(い)いて曰く、帝王の業、草創(そうそう)と守成(しゅせい)と、孰(いず)れか難(かた)き、と。尚書左僕(さぼく)射(や)房玄齢(げんれい)対(こた)えて曰く、天地草昧にして、群雄競(きそ)い起こる、攻め破りて乃(すなわ)ち降(くだ)し、戦い勝ちて乃(すなわ)ち剋(か)つ。此に由りて之を言いえば、草創を難しと為す、と) とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen142.html)。 謳歌、 は、 民衆が天子の徳をたたえて歌うこと、 をいい、『孟子』萬章上篇に、 謳歌者、不謳歌堯之子、而謳歌舜(謳歌する者は、堯の子を謳歌せずして、舜を謳歌す)、 とある(仝上)。 暦数、 は、 四五紀、一日歳、二日月、三日日、四日星辰、五日暦数(書経洪範篇)、 陰陽寮、頭一人、掌天文、暦数、風雲気色、有異密封奏聞事(「令義解(718)」職員令)、 等々と、 季節のめぐり、 をいい、また、 日月運行の度数を測って、こよみを作る技術、 をもいい、ひいては、 こよみ、 そのものの意もいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。そこから、 堯曰、咨爾舜、天之暦数、在爾躬(堯曰く、咨(ああ)爾(なんじ)舜、天之暦数、爾の躬(み)に在り)(論語・堯曰篇)、 と、 自然にめぐって来る運命、 運命、 命数、 天運、 の意となり(仝上・大言海)、 隆周の昭王穆王暦数永し。吾君も又暦数永し(新撰朗詠集)、 と、 年代、 年数、 の意で使う(仝上)が、ここでは、『書経』大禹謨篇の、 天之曆數在汝躬(天の暦数は汝の躬(み)に在り)、 とあるのを踏まえ、 暦、 は、 巡り合わせ、 数、 は、 運命、 の意で、 天命を受けて天子となるべき順位、 の意に特定して使われる(https://kanbun.info/syubu/toushisen142.html)。 「暦」で触れたように、「暦」と「歴」は同系である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%A6)。「暦(曆)」(漢音レキ、呉音リャク)は、 厤(レキ)はもと「禾(カ 象形。穂の垂れた粟の形を描いたもの)をならべたさま+厂印(やね)」の会意文字で、順序よく次々と並べる意を含む。曆はそれを音符とし、日を加えた字で、日を次々と順序よく配列すること、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(厤+日)。「屋内で整然と稲をつらねる」象形と「太陽」の象形から、日の経過を整然と順序立てる事を意味し、そこから、「こよみ(天体の運行を測り、その結果を記したもの。カレンダー。)」を意味する「暦」という漢字が成り立ちました、 との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1292.html)。しかし、 形声。「日」+音符「厤 /*REK/」。「こよみ」を意味する漢語{曆 /*reek/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%86)、 も、 形声。日と、音符厤(レキ)とから成る。「こよみ」の意を表す(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 清見潟月はつれなき天の戸を待たでもしらむ波の上かな(新古今和歌集)、 の、 天の戸、 は、 天にあり、日や月の出入りすると想像された戸、 で、この場合、 清美ヶ関の戸への連想もあるので、「戸」は「清見潟」の縁語、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 清見潟、 は、 駿河國の枕詞、 で、 現在の静岡市興津町付近の海岸、清見ヶ関があった、 とある(仝上)。 清見ヶ関(きよみがせき)、 は、 平安時代、静岡市東部、旧清水市の興津(おきつ)にあった関。清見寺(せいけんじ)がその跡という、 とある(広辞苑・デジタル大辞泉)。跡碑のある清見寺の寺伝によると、 天武天皇在任中(673年〜86年)に設置、 とあり、 その地は清見潟へ山が突き出た所とあり、海岸に山が迫っているため、東国の敵から駿河の国や京都方面を守るうえで格好の場所であった、 とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%A6%8B%E9%96%A2)。清見寺の創立は、 その関舎を守るため近くに小堂宇を建て仏像を安置したのが始まり、 という(仝上)。この関のあった、 興津、 は、延喜式に、 息津(おきつ)、 と見え、 東は興津川・薩埵(さつた)峠、西は清見寺山が駿河湾に迫る東海道の難所、清見寺山下には清見関が設けられ、坂東への備えとした、 とある(世界大百科事典)。 庵原(いほはら)の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつもの思ひもなし(万葉集) 清見がた沖の岩こす白波に光をかはす秋の夜の月(西行)、 等々、多くの和歌に詠まれた清見潟のテーマは、 海、波、岩など磯の風景、 とある(https://sarasina.jp/products/detail/122)。この風景は現存しないが、 明治20年測量の5万分の一地形図と、幸運にも清見寺に残された清見寺に残された古写真から往時の風景を想像することができる、 とある(仝上)。 天の戸、 の、 と、 は、「とま」で触れたように、 戸、 門、 所、 処、 等々と当て、 ノミト(喉)・セト(瀬戸)・ミナト(港)のトに同じ。両側から迫っている狭い通路。また入口を狭くし、ふさいで内と外を隔てるもの、 で(岩波古語辞典)、 両方から接近して狭くなっている所、そこを破って通る所の意、 であり(仝上)、 秋風に声をほにあげてくる舟はあまのとわたるかりにぞありける(古今和歌集)、 と、 天界の門、天界の入口にある門(岩波古語辞典)、 天河(あまのがは)の水門(みと)(大言海・広辞苑)、 と、 大空を海にたとえていった語で、「戸」は水流の出入りする所、 の意である(精選版日本国語大辞典)が、また、 銀河を川にたとえていった語で、「戸」は両側の狭くなっている川門(かわと)の意、 と、 織女(たなばた)のあまのと渡る今夜(こよひ)さへをち方人のつれなかるらん (後撰和歌集)、 と、七夕に牽牛、織女の二星が渡る、 天の川の川門。 の意でも使う(仝上)。で、上記の、 天の門、 の意から、 あまのとのさもあけがたくみえしかなこや夏の夜の短かりける(古今和歌六帖)、 と、 夜が明けることのたとえ、 として、 「の」「を」を伴って「明く」の枕詞的に用いられ、 夜と昼との間にある戸、 の意でも使われる(仝上)。なお、 天の戸、 を、 ひさかたの安麻能刀(アマノト)ひらき高千穂(たかちほ)の岳(たけ)に天降(あも)りし(万葉集)、 と、 天の岩戸、 の意でも使う(仝上・広辞苑・大言海)。 天の岩戸、 は、 天の岩屋、 天の岩屋戸、 天の岩門、 ともいい、 天磐戸(アマノイハト)を引き開(あ)け、天八重雲(あめのやゑくも)を排分(をしわ)けて、奉降(あまくだります)(日本書紀)、 と、高天原の入口にあると信じられていた、 岩窟の堅固な戸、 である(岩波古語辞典・仝上)。 天の岩屋に入りまして岩戸を閉(さ)して幽(こも)りましぬ(古事記)、 と、 アマテラスオホミカミがこもったという岩室、 であり、 東南アジアなどの冬至または日食の神話にも、日神が同穴などにかくれる例がある、 とある(岩波古語辞典)。また、 天の岩戸、 は、限定されて、 天の岩戸に入れば、灯明かがやかし。常闇(とこやみ)のむかし思ひ出られ、有難き事かぎりなし(俳諧「本朝文選(1706)」)、 と、 伊勢神宮の外宮の南方、高倉山の上にある大きな岩穴、 をもいう(仝上)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) よられつる野もせの草のかげろひて涼しく曇る夕立の空(西行法師) の、 よられつる、 は、 暑さのためにひからびてよじれていた、 とあり、 野もせ、 は、 野にいっぱいの、 の意となる(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 生動感溢れる叙景歌、 とする(仝上)。なお、 涼しく曇る、 は、詠歌一体で、 制詞、 とされる(仝上)とある。「制詞」は、「飼ふ」で触れたように、 制(せい)の詞(ことば)、 ともいい、 禁制の歌詞、 といい、歌学で、 聞きづらいとか、耳馴れないとか、特定の個人が創始した表現であるなどの理由から、和歌を詠むに当たって用いてはならないと禁止したことば、 とされ、鎌倉初期の歌論書『詠歌一体(えいがいったい)』で、藤原為家が説いている(精選版日本国語大辞典)。 野もせ、 は、 野面、 野も狭、 と当てる(岩波古語辞典)。 白露のうつろひにけり高まどの野も狭に咲ける秋萩の花(万代集)、 秋なれば萩の野も狭に置く霜のひるもにさへも恋しきやなぞ(風雅集)、 の、 野も狭に、 と、 野も狭くなるまでに、 の意の、 野も狭、 の、 野が狭いと思われるほどいっぱい、 の意(岩波古語辞典)が、転じて、 「野も狭」を一語と解し、「に」を格助詞と解したことによる語、 として、 野の面(おもて)、 のづら、 野原、 の意となったものである(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。平安後期の歌学書『奥義抄』(藤原清輔)に、 のもせとは野に満ちたりといふ心なり、多くひまなきなり、 とある。 野面、 を、 のづら、 と訓むと、文字通り、 野原、 野外、 という意味だが、 野面石、 の意で、 切り出したままで加工してない自然の石のはだ、 また、 自然のままの石、 の意もあり、そこから、古い城郭の、大割りした石をそのまま積んだ石垣を、 野面積(のづらづみ)、 という(仝上)。 「野(埜)」(漢音呉音ヤ、漢音ショ、呉音ジョ)は、「野干」で触れたように、 会意兼形声。予(ヨ)は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、野原のこと、 とある(漢字源)。ただ、 会意形声。「里」+音符「予」(だんだん広がるの意を有する)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)、 と、 形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、 とを合わせてやっとわかる解説のように思える。別に、「野」と「埜」を区別し、「野」は、 会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちました、 とし、「埜」は、 会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました、 と解釈するものがある(https://okjiten.jp/kanji115.html)。しかし、 「里」+「予」、 とする説は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、 『説文解字』では「里」+「予」と分析されているが、誤った分析である。「土」と「田」は異なる時代に個別に加えられた、 とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)、 原字は会意文字、「林」+「土」。これに音符「予 /*LA/」を加えて「𡐨」の字体となった後、「林」の代わりに「田」を加えて「㙒」→「野」の字体となる。「の」「平原」を意味する漢語{野 /*laʔ/}を表す字、 としている(仝上)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) うばたまの夜のふけゆけば楸おふる清き河原に千鳥鳴くなり(新古今和歌集)、 楸(ひさぎ)生(お)ふる片山陰に忍びつつ吹きぬけるものを秋の夕風(仝上)、 の、 楸(ひさぎ)、 は、 キササゲ、 とも、 アカメガシワ、 ともいわれ(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 ともに夏に淡黄色の花が咲く落葉高木、 とあり(仝上)、 君恋ふと鳴海の浦の浜久木(はまひさぎ)しをれてのみも年を経るかな(新古今和歌集)、 の、 浜久木、 も、 浜に生えるひさぎ、 である(仝上)。 ひさぎ、 は、 ひさき、 とも訓ませ(岩波古語辞典)、和名類聚抄(931〜38年)に、 楸、比佐木、 天治字鏡(平安中期)にも、 楸、比佐木、 とあり、 羽嶋椿・比佐木・多年木・蕨・薺頭蒿あり(出雲風土記)、 とある、 植物の古名、 で、 きささげ(木豇豆)、 または、 あかめがしわ(赤芽柏)、 をさしたと考えられる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 アカメガシワ(赤芽槲、赤芽柏)、 は、 トウダイグサ科アカメガシワ属の落葉小高木または落葉高木。主に山野に生えており、春にでる若葉が紅色をして目立つのが名の由来、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%AF)、 ゴサイバ(五菜葉)、 ともいう。 アカメガシワ、 の由来は、 新芽が鮮紅色であること、 葉がカシワのように大きくなること、 から命名されたといわれ(仝上)、地域によって、 アカガシワ、 ともよばれる。 五菜葉(ごさいば)、 というのは、 互生する大きな葉に飯を盛った、 からで、 菜盛葉(さいもりば)、 ともいう(世界大百科事典)。古来、歌人に愛された、 楸(ひさぎ)は本種とみなされる、 とある(仝上)。 漢名は、 野梧桐(やごどう)、 という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%AF)。 新葉が紅色の星状毛を密生し、美しい鮮紅色を呈す。また秋には黄葉し、古本州中南部から台湾、中国にかけて分布する。陽樹で生長が速く、高さ10mになる。雌雄異株で、5〜6月ころ、当年茎の先に長い円錐花序をつけ、小さな黄色の雌花か雄花を多数つける。果実は赤みをおびた刮ハ(さくか)で、球形の種子が3個出る。材は淡黄色で柔らかく、薪炭材のほか下駄などの材料とされる。果実と葉から赤色染料がとれる、 とある(世界大百科事典)。樹皮は、 赤芽柏(あかめがしわ)、 あるいは、 将軍木皮(しようぐんぼくひ)、 と呼ばれ、 苦味質のベルゲニンbergenin、フラボン配糖体、タンニンなどが含まれる。胃潰瘍、十二指腸潰瘍など胃腸疾患、胆石症などに用い、製剤もある。葉の煎汁を痔に外用し、また新鮮な葉汁を、はれものの吸出しや痛み止めとして外用とする とある(仝上)。 因みに、 梓弓、 で触れたように、「梓(あづさ)」は、和名抄には、 梓、阿豆佐、楸(ひさぎ、きささげ)之属也、 とあり、この「梓」には、古来、 キササゲ、 アカメガシワ、 オノオレ、 リンボク(ヒイラギガシ) などの諸説があり一定しなかったが、白井光太郎による正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、 ミズメ(ヨグソミネバリ)、カバノキ科の落葉高木、 が通説となっている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93)、とある。 キササゲ(木大角豆・楸・木豇)、 は、 ノウゼンカズラ科キササゲ属の落葉高木、 で、 果実がササゲ(大角豆)に似ており、束になって枝にぶら下がるのでキササゲ(木大角豆)と呼ばれる、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%B2)。別名、 カミナリササゲ、 カワギリ、 ヒサギ、 とも呼ぶ。生薬名で、 梓実(しじつ)、 と呼ばれる。「梓(し)」は、「あずさ」と読まれ、 カバノキ科のミズメ(ヨグソミネバリ)の別名とされるが、本来はキササゲのことである、 とある(仝上)。漢名は、 梓、 あるいは、 梓樹、 とある(仝上)。 中国原産で薬用や観賞用に栽培されるノウゼンカズラ科の落葉高木、 で、 高さ6〜9m、直径60cmくらい。葉は対生し、広卵形またはやや円形、長さ10〜25cm、先端は急に短くとがり、基部は心形、裏面にははじめ短毛がある。7月ころ頂生の円錐花序に多数の花をつけ、長さ10〜25cm。花は鐘形で淡黄色、暗紫色の斑点があり、長さ約2cm。刮ハ(さくか)は線形で長さ20〜30cm、直径4〜7mm、幼時は長柔毛を有する。種子は長楕円形、長さ8〜10mmで両端に長毛がある。日本では暖地で古くから栽培され、しばしば河岸などで自生している、 とある(世界大百科事典)。また、本種とその同属植物トウキササゲの果実は、生薬として、 梓実(しじつ)、 といい、利尿剤としての作用が強い(仝上)とある。なお、 ひさぎ、 に、 柃、 と当てると、 ヒサカキの異称、 で(広辞苑)、字鏡(平安後期頃)に、 柃、ヒサキ・ヒサカキ、 とある。 柃の花、 ともいい、 ツバキ科の常緑低木、 サカキに似、三月ごろ小さな白色の花が咲く、 とある(季語・季題辞典)。 「さかき」で触れたように、 榊、 は、別名、 ホンサカキ、 ノコギリバサカキ、 マサカキ、 ともよばれ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%82%AD)、 今、多く、ヒサカキを代用す、 とある(大言海)のは、 サカキは関東以南の比較的温暖な地域で生育するため、関東以北では類似種のヒサカキをサカキとして代用している、 ためである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%82%AD)。ヒサカキは仏壇にも供えられる植物で、早春に咲き、独特のにおいがある。名の由来は小さいことから、 姫榊(ヒメサカキ→ヒサカキの転訛)、 とも、サカキでないことから、 非榊、 とも呼ばれる(仝上)。独特のにおいのあるのは、こちらである。 「楸」(漢音シュウ、呉音シュ)は、 会意兼形声。「木+音符秋(細く締まる)」で、枝の先が細い木、 とある(漢字源)。「ひさぎ」なのだが、 のうぜんかずら科の落葉高木、枝は細かく分かれ、葉は桐に似ている。初夏に淡黄色の花をつけ、ササゲに似た、鞘のみを結ぶ、きささげ、 と、 あかめがしわ、 の意味もある(仝上)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) みしぶつき植ゑし山田にひたはへてまた袖濡らす秋は來にけり(新古今和歌集)、 の、 ひた、 は、 引板、 で、 鳴子、 の意(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 はへて、 は、たぶん、「ふりはへて」で触れた、 延へて、 とあて、 (引板の縄を)引いて延ばして、 の意(仝上)である。「引板」で触れたように、 ひた、 は、 ひきいた、 の音便で、 ヒキイタ→ヒキタ→ヒイタ→ヒタ、 と転訛して、 ひた、 といい、冒頭の歌の本歌で、 衣手(ころもで)に水渋(みしぶ)つくまで植えし田を引板(ひきた)我れ延(は)へ守れる苦し(万葉集)、 とある、 田や畑に張りわたして鳥などを追うためのしかけ、 で、 細い竹の管を板にぶらさげ、引けば鳴るようにしかけたもの、 をいい、 鳴子、 と同じで、 おどろかし、 とりおどし、 などともいう(精選版日本国語大辞典)が、また、竹筒などで水を引き入れたり、流水を利用して音を立てる、 ばったり、 ししおどし、 にもいう(仝上)。 みしぶ、 は、 水渋、 と当て、 水錆(水銹 みさび)、 ともいい 水上に泛ぶ赤黒いかす、 つまり、 水垢(みずあか)、 の意である(広辞苑)。 水の上に刀のさびの如くなるものの、浮かびて見ゆるもの、 とある(大言海)ので、 水錆(水銹 みさび)、 というようである。 「渋(澀)」(慣用ジュウ、漢音ソウ、呉音シュウ)は、 澀、 が 本字(繁体字)、 澁、 が、 旧字体、 渋、 は、 新字体、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B8%8B)。 会意兼形声。止は、足の形。歰(シュウ)は「下向きの足二つ+上向きの足二つ」の会意文字で、足がうまく進まず停止することを示す。澀は「水+音符歰」で、水を加えて、しぶることを明白にした字。澁は澀の止(足)一つを省略した字。常用漢字はさらにそれを略した、 とある(漢字源)。別に、 会意形声。水と、歰(シフ)(歮は省略形。とどこおる)とから成り、水がとどこおって流れにくい意を表す。常用漢字は省略形の俗字による、 ともある(角川新字源)が、 形声。「水」+音符「歰 /*SƏP/」。元々は歰で「とどこおる、しぶる」の意味を表したが、のちに水を足し、水がうまく流れない、「しぶる」を表すようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BE%80)、 は、形声文字とし、 会意文字です(氵(水)+歰)。「流れる水」の象形と「立ち止まる足の象形×4」(足がもつれるさまから、「とどこおる」の意味)から、「水がなめらかに流れない」、「しぶる」を意味する「渋」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1903.html)、 は、会意文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 嶺雁随毫末(嶺雁(れいがん)は毫末(ごうまつ)に随い) 川霓飲練光(川霓(せんげい)は練光(れんこう)を飲む) 霏紅洲蕊亂(紅を霏(ち)らせば洲蕊(しゅうずい)は亂れ) 拂黛石蘿長(黛(たい)を払えば石蘿(せきら)は長し)(杜甫・奉観嚴鄭公庁事岷山沲江画図十韻) の、 練光、 は、 練り絹の放つ光、 の意で、 絵のかかれた練り絹の光とする説、 画中の川が練り絹のように光って見えるとする説、 があるが、ここでは、 「毫末」にあわせて、前者をとる、 とし(前野直彬注解『唐詩選』)、 霏紅 の、 霏、 は、 雨や雪の降ること、ここでは、 霏紅、 で、 絵師が画面に紅色を点々と散らすこと、 を言い、 拂黛、 の、 黛、 は、 黒色の顔料、絵師が黒の絵具を塗りつけることをいう、 とある(仝上)。 川霓、 は、 川に掛かった虹、 の意、 むかし、虹は動物と考えられ、それが谷にかかるのは、虹が谷川へ下りて水を飲むのだと信ぜられた、 とある(仝上)。「霓裳(げいしょう)」で触れたように、 霓、 は、 虹、 をメタファに、 虹のように美しく裾を引いたもすそ、転じて、天人、仙女などの衣、 の意(精選版日本国語大辞典・広辞苑)でも使う。 嶺雁、 は、 嶺を越えて飛ぶ雁、 毫末、 は、 絵筆の穂先、 で、『老子』六十四章に、 合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下(合抱(ごうほう)の木も、毫末(ごうまつ)より生じ、九層の台も、累土(るいど)より起り、千里の行(こう)も、足下(そっか)より始まる)、 とある(仝上)。 川霓、 の、 霓、 を、『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『四部叢刊本』『草堂詩箋』『銭注本』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』等々では、 蜺、 に作る(https://kanbun.info/syubu/toushisen146.html)とある。同義である。 霓、 は、 にじ、 であるが、はっきりと見える、 虹、 に対し、その外側に薄く見える、 副虹、 を指す(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%93)。 紫が内側で、色が鮮やかなのを、 虹、 紫が外側で、色が淡いのを、 霓(蜺)、 とある(漢字源)が、要は、二本現われたにじのうち、 外側が赤、内側が紫で、全体が鮮明に見える、 主虹(しゅこう)を、 虹、 二本のにじの外側に位置して、やや淡く、内側の虹とは逆に、内側が赤、外側が紫の、 副虹(ふくこう)、 を、 霓、 という(漢辞海)のである。この、二重のにじを、 虹霓(こうげい)、 と言い(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11170886386)、にじを、 天空を貫く大蛇、 に見立て、ヘビの意味を表す「虫」と、貫くという意味を表す「工」をあわせて、「虹」になった(仝上)とある。伝承としては、 虹 が、 雄の蛇又は竜、 であるのに対し、 霓、 は、 雌、 とされる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%93)。 「霓」(漢音ゲイ・ゲツ、呉音ゲ・ゲチ)は、「霓裳」で触れたように、 会意兼形声。「雨+音符兒(ゲイ 小さい子供)」、 とあり、「にじ」、転じて「五色」の意(漢字源)で、 雨が降った後に現れる小物体、 という意味らしい(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%93)。「にじ」を、 蛇、 または、 竜、 とみなし、前述したように、 虹(コウ)、 を「雄」、 霓(ゲイ)、 を「雌」とし(漢字源)、「霓」は、 小形の細いにじ、 とされた(仝上)。ただ、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とされ、 形声。「雨」+音符「兒 /*NGE/」、 と、形声文字とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%93)。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 戸川芳郎監修『漢辞海』(三省堂) 袖ひちてわが手にむすぶ水の面(おも)に天つ星合の空をみるかな(新古今和歌集)、 の、 ひつ、 は、 漬つ、 沾つ、 と当て、 ひたる、 濡れる、 意(広辞苑)、「ひつ」で触れたように、 室町時代まではヒツと清音、 で(岩波古語辞典)、江戸期には、 朝露うちこぼるるに、袖湿(ヒヂ)てしぼるばかりなり(雨月物語)、 と、 ひづ、 と濁音化した(デジタル大辞泉)。 奈良時代から平安時代初期、 は、 相思はぬ人をやもとな白たへの袖(そで)漬(ひつ)までに哭(ね)のみし泣かも(万葉集)、 と、 四段活用、 であった(岩波古語辞典)が、平安中期に、 袖ひつる時をだにこそなげきしか身さへしぐれのふりもゆくかな(蜻蛉日記)、 と、四段活用から、 上二段活用、 になった(大言海・精選版日本国語大辞典・仝上)とされる。 天の川なぬかを契る心あらばほしあひばかり影を見よとや(玉葉集) あまのかは七日をちぎる心あらばほしあひばかりのかげをみよとや(蜻蛉日記) 等々とも使われる、 星合(ほしあひ)、 は、 牽牛・織女の二星があうこと、 とある(仝上・久保田淳訳注『新古今和歌集』)。で、 星合の空、 というと、 初秋はまだ長からぬ夜半なれば明くるや惜しき星合の空(風雅集)、 雲間より星合の空を見わたせばしづ心なき天の川波(新古今和歌集)、 と、 天で二星が逢う七夕の夜の空、 である(仝上)。 「星」の古字には、
曐、 谷神如不死(谷神(こくしん) 如(も)し死せずんば) 養拙更何郷(拙を養うは更に何れの郷(きょう)ぞ)(杜甫・冬日洛城北謁玄元帝廟) の、 谷神、 は、老子に、 谷神死せず、是を玄牝(げんぴん)と謂う、 とあるのにもとづき、この句の解釈には諸説あるが、この詩で、 杜甫は老子の精神というほどの意味で「谷神」を理解していたのであろう、 とある(前野直彬注解『唐詩選』)。 養拙、 は、 老子の主張は、剛よりは柔を、巧よりは拙を、賢よりは愚を貴いとするにあり、柔や拙の中に人間の正しい道があると考えた。だから拙を養うことは、人間の本性を陶冶し、正しい生き方を求めてゆくことになる、 と注釈する(仝上)。 谷神(こくしん)、 は、「老子」六章の、 谷神不死、是謂玄牝、玄牝之門、是謂天地根、綿綿若存、用之不勤(谷神死せず、是れを玄牝(げんびん)と謂ふ。玄牝の門、是れを天地の根と謂ふ。緜緜(めんめん)として存するが若(ごと)く、之れを用ふるも勤(つ)きず)、 の注記に、 谷神、谷中央無谷、無形無影、無逆無違、処卑不動、守静不衰、谷以之成、而不見其形、此至物也、 とあるのにより(字通)、 谷の中の空虚なところ、玄妙な道のたとえ、 にいう(精選版日本国語大辞典)。一説に、 谷は穀に通じて養う意、神は五臓の神で、人が神を養うこと、 ともいう(仝上)。隋以前の詩の全集『古詩紀』(明・馮惟訥(ふういとつ)編)に、 要妙思玄牝、虛無養谷神」(要妙は玄牝を思い、虚無は谷神を養う)、 とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen147.html)。因みに、 谷神不死、是謂玄牝、 の、 玄牝(げんびん)、 は、 万物の根元、生成の源、 の意(字通)とある。 養拙、 の、 拙 は、 つたない、 という意味だが、 素朴な心、飾り気のない心、 という意味で、昔の額などに、 養其拙(その拙を養う)、 とある。吴鎮の詩に、 我愛晚風清 新篁動清節 腭腭空洞手 抱此歲寒葉 相對兩忘言 只可自怡ス 惜我鄙吝才 幽阯{其拙 野服支扶筇 時來苔上屧 夕陽欲下山 林間已新月(題畫三首 其三) とあるのに因るが、 素朴な心を持ち続ける、上手く世渡りしない、 という意味(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1420751044)とある。陶潜の「園田の居に帰る」に、 荒(くわう)を開く、南野の際 拙を守りて、園田に歸る と、 守拙、 ともいい、「老子」第45章に、 大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。清靜為天下正(大成は缺けたるが若く、其用弊(やぶれ)ず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、其用窮まらず。大直(だいちょく)は、屈するが若く、大巧(たいこう)は拙なるが若く、大辯(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁は寒に勝ち、靜は熱に勝つ。清靜にして天下の正と為(な)る)、 と、 大巧は拙なるが若し、 とある(福永光司訳注『老子』)。潘岳「閑居の賦」(『文選』巻十六)には、 仰衆妙而絕思、終優游以養拙(衆妙(しゅうみょう)を仰ぎて思いを絶ち、終に優游(ゆうゆう)して以て拙を養わん) とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen147.html)。 「拙」(漢音セツ、呉音セチ)は、 会意兼形声。出(シュツ)は、足が凵印の線から出たさまで、標準線より前にでたこと。逆に、後ろに出たのを屈という。拙は、「手+音符出」で、標準より後ろにさがって見劣りすること、 とあり(漢字源)、「つたない」「見劣りがする」のほか、「人口を加えない素朴な心」の意でもある(仝上)。別に、 会意兼形声文字です(扌(手)+出)。「5本の指のある手」の象形と「足がくぼみから出る」象形(「出る」の意味)から、手の技がうまくおさまらず、はみ出る事を意味し、そこから、「つたない」を意味する「拙」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1959.html)が、 形声。「手」+音符「出 /*TUT/」。「おとる」を意味する漢語{拙 /*tot/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8B%99)、 形声。手と、音符出(シユツ)→(セツ)とから成る。手わざがつたない意を表す(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 萩が花真袖にかけて高円の尾上の宮に領布(ひれ)振るやたれ(新古今和歌集)、 の、 領布、 は、 上代、女性が首にかけ、左右に垂らした装身用の布、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 領布、 については、 望夫石、 で触れたように、万葉集で、 山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領布(ひれ)を振りけむ、 万代(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領布(ひれ)振りけらし松浦佐用姫、 海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領布(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫、 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫、 などと詠われる、 松浦佐用姫伝説、 で、 大伴佐提比古(狭手彦 おとものさてひこ/さでひこ)が異国へ使者として旅立つとき、妻の松浦佐用比売(さよひめ)が別れを悲しみ、高い山の上で領巾(ひれ)を振って別れを惜しんだので、その山を「領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)」とよぶと伝える、 とある(日本大百科全書)。大伴狭手彦が朝廷の命で任那(みまな)に派遣されたことは『日本書紀』の宣化(せんか)天皇二年(537)条にみえるが、佐用姫の伝えはない、とある(仝上)。肥前地方で発達した伝説で、奈良時代の『肥前国風土記』にも、松浦(まつら)郡の、 褶振(ひれふり)の峯(みね)、 としてみえるが、そこでは、 大伴狭手彦連(むらじ)と弟日姫子(おとひひめこ)の物語、 になっており、 夫に別れたのち、弟日姫子のもとに、夫に似た男が通ってくる。男の着物の裾(すそ)に麻糸をつけておき、それをたどると、峯の頂の沼の蛇であった。弟日姫子は沼に入って死に、その墓がいまもある、 と、昔話の、 蛇婿入り、 の三輪山型の説話になっている(仝上)。 佐賀県唐津市東郊鏡山(284メートル)を中心に東北地方まで伝説が分布、 しているといい(日本伝奇伝説大辞典)、狭手彦が百済救援のため渡海するときに名残りを惜しんだ、 名残りの坂、 焦がれ石、 がある(仝上)。姫は夫に焦がれて後姿を追って鏡山に登り領巾(ひれ)を振った。山頂に、 領巾振り松、 があり、それで鏡山を、 領巾振(ひれふり)山、 といい、姫は、軍船が小さくなると、松浦川の 松浦佐用姫岩、 に飛び降り、着物が濡れたので、 衣掛(きぬかけ)松、 で干し、呼子に走ったが及ばず、加部島の伝登(てんどう)岳で、悲しみの余り、 望夫石、 と化した(仝上)、とされる。 領布、 は、 比礼、 肩巾、 とも記し(精選版日本国語大辞典)、 ももしきの大宮人は宇豆良登理(鶉鳥 ウヅラトリ)比礼(ヒレ)取り掛けて鶺鴒(まなばしら)尾行き合へ(古事記)、 と、上代から平安時代にかけての 婦人の服したる白き帛、 で、和名類聚抄(931〜38年)に、 領布、比禮、婦人項上餝(飾ノ俗字)也、 とあるように、 項より肩に掛けて、左右の前へ垂れたるもの、生絹、紗、羅などを用ゐる、 とある(大言海・岩波古語辞典)。 5尺から2尺5寸の羅や紗などを、一幅(ひとの)または二幅(ふたの)に合わせてつくった、 とされ(世界大百科事典)、「古事記」に、 天日矛(あめのひぼこ)招来の宝物として、振浪比礼(なみふるひれ)、切浪比礼(なみきるひれ)、風振比礼(かぜふるひれ)、風切比礼(かぜきるひれ)、 とか、 須佐之男命が、須勢理毘売(すせりびめ)から蛇比礼(へびのひれ)、呉公蜂比礼(むかではちのひれ)を得てこれを振り、蛇やムカデ、ハチの難を逃れた話が見える、 等々、比礼を振ることに呪術的意味があり、 風や波を起こしたり鎮めたり、害虫、毒蛇などを駆除する呪力を持つ、 と信じられ、 別れなどに振った、 とされる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 本来は呪力をもつものとして用いられ、のちにその意識が薄れて装飾用に用いられたと思われる、 とある(仝上)。古くは男女ともに着用したものらしく、 比礼掛る伴の男(祝詞大祓詞)、 とあり、「延喜式」には元日や即位の儀に、 隼人(はやと)が緋帛五尺の肩巾(ひれ)を着用して臨む、 とある(世界大百科事典)。 領布、 は、 朝服、 で定められた衣服であったが、『日本書紀』天武天皇11年(682)の条に、 膳夫(かしわで)、采女(うねめ)等の手繦(たすき)、肩巾(ひれ)は並び莫服(なせそ)、 と、 廃止され、『延喜式』縫殿寮の巻の年中御服の条中宮の項に、 鎮魂祭の項その他に領巾が掲げられ、ふたたび用いられた、 とあり(日本大百科全書)、平安時代の宮廷女子の正装に裙帯(くたい・くんたい 裙はロングスカートで、もともと裙(くん 裳裾)をはいた腰のところに締めて前に長く垂らす帯)とともに着用されたという。 なお、「朝服」は「衣冠束帯」で触れたように、 大宝令を改修した養老令(718)の衣服令では、即位・朝賀などの朝廷の儀式に際して着用する、五位以上の、 礼服(らいふく)、 と、 諸臣の参朝の際に着用する、 朝服(ちょうふく)、 が定められ、すべて唐風をそのままに採用した(有職故実図典)。この朝服が、唐風を脱して、わが国独自の服装である、 束帯、 へと変じていくが、現在、飛鳥時代から平安時代にかけて着用された装束を特に、 朝服、 といい、これ以降、国風文化発達に伴って変化した朝服を、 束帯(そくたい)、 と称する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%9C%8D)。 領布、 の由来は、 ヒラヒラするものの意(岩波古語辞典)、 ヒレ(鰭)と同義、ヒラメク異(大言海)、 ヒラメクの意(筆の御霊・言元梯)、 フリテ(振手)の約(古事記伝・和訓栞)、 フリタヘ(振栲)の約(雅言考)、 など、その形状からきているようである。 鰭、 も、ここからきていると見ていい。 「領」(漢音レイ、呉音リョウ)は、 会意兼形声。令(レイ・リョウ)は、すっきりと清らかなお告げ。領は「頁(あたま、くび)+音符令」で、すっきりときわだったくびすじ、えりもとをあらわす。清らかな意を含む、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(令+頁)。「頭上の冠の象形とひざまずく人の象形」(「人が神の神意を聞く」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「頭」の意味)から、「うなじ(首の後ろの部分)」を意味する「領」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji833.html)が、 形声。「頁」+音符「令 /*RENG/」。「えりくび」を意味する漢語{領 /*rengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%98)、 形声。頁と、音符令(レイ、リヤウ)とから成る。「うなじ」の意を表す。借りて「おさめる」意に用いる(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 起きて見むと思ひしほどに枯れにけにり露よりけなる朝顔の花(新古今和歌集)、 の、 けなり、 は、 まさっている、 格別である、 の意(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 けなり、 は、 異なり、 と当てる(広辞苑)が、 殊なり、 とも(岩波古語辞典)、 羨なり、 とも当て(大言海)、 異(け)なりの義、 とある(仝上)。この当て字からも分かるように、 普通とは違っている、 際立っている、 大したことである、 という状態表現から、 すぐれていてうらやましい、 と、価値表現に転じ(岩波古語辞典・広辞苑)、 あらあら、けなりや、けなりやな。我にも福をたび給へ(虎明本狂言「連歌毘沙門(室町末〜近世初)」)、 と、感情表現に用いる(精選版日本国語大辞典)。 けなり、 の、 なり、 は、 指定の助動詞、 とする説がある(広辞苑)。これは、「べらなり」で触れたように、 雁くれば萩は散りぬとさをしかの鳴くなる声もうらぶれにけり(万葉集)、 の、 伝聞・推定のなり、 ではなく、奈良時代から見え、 汝たちもろもろは、吾が近き姪なり(続日本紀)、 と、 ……である、 という指定する意味を表す助動詞である(岩波古語辞典)。古くは、 にあり、 であったものが、 niari→nari、 と音韻変化したものである(仝上)。 けなり、 は、形容詞、 「けなりい」の語幹、 ともある(精選版日本国語大辞典)が、 けなりい(異なりい)、 は、 「けなり」の形容詞化、 なので、先後が逆である。ちなみに、 けなりい、 は、 名馬の騏驥(きき)をけなりう思てあれやうに駿逸になりたうこいねがう馬は驥の類ぞ(「玉塵抄(1563)」)、 と、 (対象が、格別であるので)そうありたいと思うさま、うらやましい、 意で。 けなるい、 という言い方もする(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 普通と異なる、きわだっている、能力などがとくに優れている、のでうらやましい、 という含意が、 そのようにすばらしい様子になりたい、 うらやましい、 へとシフトしている(仝上)。この形容詞「けなりい」の語幹に接尾語「げ」の付いた、 けなりげ、 という言い方もあり、この場合も、 やせて候へども、此の犬はけなりげに候と見候へば、いと惜く候とて、悪(にく)まれ子をとる(「米沢本沙石集(1283)」)、 と、 格別であるさま、 健康や気分などがすぐれているさま、 態度がしっかりしているさま、 丈夫なさま、 の意や、 Qenarigueni(ケナリゲニ) ミユル(「日葡辞書(1603〜04)」)、 と、 好ましい物事にうらやましさを持つさま、 また、 まねたり、持ったりしたいと望むさま、 の意で使う(精選版日本国語大辞典)。ただ、 殊勝、 とも当てる(大言海)ので、いわゆる、 けなげ(健気)、 の意と重なり、 かいがいしくみえること、 の意ともなる(仝上)。また、形容詞「けなりい」の語幹に、接尾語「がる」の付いた、 けなりがる、 という言い方もあり、 国・所に御一家の御坊御座なき大坊主の太きなる働きをけなりがること、言語曲事の心得にて候なり(「本福寺跡書(1560頃)」)、 と、 うらやましく思う気持を外に表わす、 うらやましがる、 意で使う(仝上)。 けなり、 の、 け、 は、 異、 と当て、 奇(く)し、異(け)し、の語根(大言海)、 怪の音転(和訓栞)、 カ(気)の変化した語(国語溯原=大矢徹)、 斎・浄の相反する概念を示す語で、ケガレ(穢)の原語、凶異の意にも転用された(日本古語大辞典=松岡静雄)、 等々とされるが、 妹が手を取石(とろし)の池の波の間ゆ鳥が音(ね)異(けに)鳴く秋過ぎぬらし(万葉集)、 と、 普通、一般とは違っているさま、 他のものとは異なっているさま、 の意で、そこから、 秋と言へば心そ痛きうたて家爾(ケニ)花になそへて見まく欲(ほ)りかも(万葉集)、 と、 ある基準となるものと比べて、程度がはなはだしいさま、 きわだっているさま、 の意で、多く、連用形「けに」の形で、 特に、 一段と、 とりわけ、 などの意で、さらに、 御かたちのいみじうにほひやかに、うつくしげなるさまは、からなでしこの咲ける盛りを見んよりもけなるに(夜の寝覚)、 と、 能力、心ばえ、様子などが特にすぐれているさま、 すばらしいさま、 の意で使う(精選版日本国語大辞典)。また、 けな、 の形で、 ヲヲおとなしやけな子やな(浄瑠璃「甲賀三郎(1714頃)」)、 と、 けなげであること、 殊勝であるさま、 の意でも使う(仝上)。由来は、 奇(く)し、異(け)し、の語根、 なのではないかと思うの。 けし、 は、 異し、 怪し、 等々と当てる。「けしからん」で触れたが、 普段と異なった状態、または、それに対して不審に思う感じを表す、 とあり(広辞苑)、 いつもと違う、普段と違って宜しくない。別人に事情をもつ、病気が悪いなどの場合に使う(万葉集「はろばろに思はゆるかもしかれどもけしき心を我が思はなくに」)、 劣っている、悪い(源氏「心もけしうはおはせじ」)、 不美人だ(源氏「よき人を多く見給ふ御目にだにけしうはあらずと…思さるれば」)、 (連用形「けしう」の形で副詞的に)ひどく(かげろふ「けしうつつましき事なれど」)、 等々といった意味が載り(岩波古語辞典)、 け(異)の形容詞形。平安女流文学では、「けしうはあらず」「けしからず」など否定の形で使うことが多い(仝上)、 異(ケ)を活用せしむ、奇(く)しと通ず(大言海)、 とあり、「異(け)」には、 奇(く)し、異(け)しの語根(大言海)、 とあり、別に、 怪、 と当てる「怪(け)」も、 怪(カイ)の呉音とするは常説なれど、異(ケ)の義にて、異常のいならむ、 ともある(大言海)。 怪し、 と 奇し、 とは、どちらから転訛したかは別として、意味の上からは、 普通と違う、 という意味が、だから、 際立つ、 か、 怪しい、 かに転じて行くと思えば、重なるようである。 漢字「異」(イ)は、 同の反。物の彼と此と違うなり、 とあり(字源)、「ことなる」意であり、だから、「怪しい」「奇し」「めずらしい」という意になっていくとみられる。 「怪」(漢音カイ、呉音ケ)は、 会意兼形声。圣は「又(て)+土」からなり、手で丸めた土のかたまりのこと。塊(カイ)と同じ。怪は、それを音符とし、心をそえた字で、まるい頭をして突出した異様な感じを与える物のこと、 とあり(漢字源)、「ふしぎなこと」「あやしげなもの」といった意味を持ち、 「奇」(漢音キ、呉音ギ・キ)は、 会意兼形声。可の原字は┓印で、くっきりと屈曲したさま。奇は「大(大の字の形に立った人)+音符可」で、人のからだが屈曲してかどばり、平均を欠いて目立つさま。またかたよる意を含む、 とあり(仝上)、「めずらしい」「あやしい」という意味を持ち、当てている漢字も、意味の幅が重なる。 「異」(イ)は、 会意。「おおきなざる、または頭+両手を出したからだ」で、一本の手のほか、もう一本の別の手をそえて物を持つさま。同一ではなく、別にもう一つとの意、 とある(漢字源)。しかし、他は、 象形文字。鬼の面をかぶって両手を挙げた形(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0)、 象形。人が大きな仮面をかぶって立っているさまにかたどる。神に扮(ふん)する人、ひいて、常人と「ことなる」、また、「あやしい」意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「人が鬼を追い払う際ににかぶる面をつけて両手をあげている」象形で、それをかぶると恐ろしい別人になる事から、「ことなる」、「普通でない」を意味する「異」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji972.html)、 と、いずれも、象形文字としている。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) うらがるる浅茅か原の刈萱(かるかや)の乱れてものを思ふころかな(新古今和歌集)、 の、 うらがるる、 は、 葉末が枯れる、 意、 刈萱、 は、 イネ科の多年草、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 刈萱、 は、 刈草、 とも当てる(広辞苑)のは、古くは、 秋風の乱れそめにしかるかやをわれぞつかねて夕まぐれ見し(古今六帖)、 と、 屋根葺きのため刈り取る草(かや)の総称、 をいったから(日本語源大辞典・大言海)で、転じて、 草の花は、撫子、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし、をみなへし(女郎花)、桔梗、あさがほ、かるかや、菊、つぼすみれ(枕草子)、 と、 イネ科の多年草、オガルカヤとメガルカヤの総称、 となり(仝上)、 主として、メガルカヤのことをいう(精選版日本国語大辞典)、 メガルカヤの別称(動植物名よみかた辞典)、 ともあるので、 メガルカヤ、 のことのようである。 雌刈萱(メガルカヤ・メカルカヤ)、 は、 イネ科の多年草。本州、四国、九州の池のほとりや湿った草地に生える。高さ七〇〜一〇〇センチメートル。葉は狭線形で基部は鞘状、縁に長毛を密生。九〜一〇月、房状の花穂を円錐形につける。各花穂には苞葉があり、小穂は下部につく四個の雄花と中央の両性花一個からなる。ひげ根でたわしや刷毛をつくる、 とあり、 かるかや、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、 雄刈萱(オガルカヤ)、 は、 イネ科の多年草。本州、四国、九州の丘陵地の草原や土手などに生える。全体に香気があり、稈(かん)は叢生(そうせい)して、高さ六〇〜一〇〇センチメートルになる。葉は線形で長さ一五〜四〇センチメートルで先は次第にとがり、基部は長いさやとなる。夏から秋にかけて赤紫色、または緑色の花序をまばらにつける、 とあり(仝上)、 いぬがるかや、 すずめかるかや、 かるかや、 あきわれもこう、 等々とも呼ばれる(仝上)。 かや、 は、 萱、 茅、 草、 と当て(岩波古語辞典)、古くから、 屋根材や飼肥料などに利用されてきたイネ科、カヤツリクサ科の大型草本の草本の総称、 で(日本語源大辞典)、 ススキ、 スゲ、 チガヤ、 等々を指す(仝上)。その意味で、 草、 葺草、 を当てて、 刈りて屋根を葺く物の意、 の、 かや、 と、 茅、 萱、 と当てて、 屋根を葺くに最良なれば、カヤの名を専らにす、 ために、和名類聚抄(931〜38年)に、 萱、加夜 とあるように、 その草の名とした、 かや、 とを区別している『大言海』は卓見というべきである。なお、「チガヤ」については、「浅茅生」で、「ススキ」にいては「尾花」で、触れた。 かや、 は、 ネやムギなどの茎(藁)は水を吸ってしまうのに対し、茅の茎は油分があるので水をはじき、耐水性が高い。 この特徴から茅の茎は屋根を葺くのに好適な材料、 であった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A4_(%E8%8D%89))ので、屋根を葺くために刈り取った茅をとくに、 刈茅(かるかや)。 と呼び、これを用いて葺いた屋根を、 茅葺(かやぶき)屋根、 と呼んだ(仝上)。 以前の日本では最も重要な屋根材として用いられた。 「萱」(漢音ケン、呉音カン)は、「恋忘れ草」で触れたように、 形声。「艸+音符宣(セン・ケン)」、 とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%B1・角川新字源)。「わすれぐさ」ともいい、 この草を眺めると憂いを忘れる、 というので、 忘憂草、 ともいう(仝上)。別に、 会意兼形声文字です(艸+宣)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「屋根・家屋の象形と物が旋回する象形」(天子が臣下に自分の意志を述べ、ゆき渡らせる部屋の意味から、「行き渡る」の意味)から、行き渡る草「忘れ草(食べれば、うれいを忘れさせてくれる草)」を意味する「萱」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2238.html)。なお、「萱」の異字体には、 萲、 蕿、 藼、 蘐、 がある(漢字源・https://kanji.jitenon.jp/kanjie/2263.html・漢辞海)。 「茅」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、「浅茅生」で触れたように、 会意兼形声。「艸+音符矛(ボウ 先の細いほこ)」 であり、尖った葉が垂直に立っている様子から、矛に見立てたものであり、「ちがや」「かや」の意である、 とある(漢字源)が、 形声。艸と、音符矛(ボウ)→(バウ)とから成る。「かや」の意を表す(角川新字源)、 と、形声文字とする説もある。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 九重承渙汗(九重(きゅうちょう)に渙汗(かんかん)を承け) 千里樹芳菲(千里に芳菲(ほうひ)を樹(う)えたり)(鄭審・奉使巡検両京路種果樹事畢入秦因詠) の、 九重、 は、『楚辞』の「九弁」に、 君之門以九重(君の門九重を以てす)、 とあり、 宮殿の門を九つ重ねて作ってあること、 から、 宮廷・宮中、 を指す(https://kanbun.info/syubu/toushisen151.html)。 渙汗、 は、 君主の命令、 つまり、 詔勅、 を言い(前野直彬注解『唐詩選』)、「易経」に、 九五、渙汗其大號。渙王居、无咎(九五、渙(かん)するとき其の大号(たいごう)を汗にす。渙(かん)して王居(お)れば、咎(とが)无(な)し)、 とあり、 その大号を渙汗す、 の、 渙、 は、 流れ散ること、 つまり、 君主の命令は汗の渙(なが)れるように、一度出たならば、修正され、あとへ戻ることはない、 ところから、こういうとある(仝上)。 渙汗之恩、宜及瘡痍之俗(冊府元龜)、 とあり、 広く大なり、 の意で、 王者の詔を出す義、 で、上述のように、 汗が出でて返らざる如く、詔令発すれば取り消すべからず、 の含意である(字源)。 綸言汗の如し、 と類語である。 綸言、 は、 「綸」は組糸。天子の言は、そのもとは糸のように細いが、これを下に達する時は綸のように太くなる、 意で(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、 詔(みことのり)、 の意。 綸言汗の如し、 は、 王言如糸、其出如綸、王言如綸、其出如綍(王言糸の如し、其の出づるや綸の如し、王言綸の如し、其の出づるや孛(ふつ 大なわ)の如し)(「礼記(らいき)」) 号令は汗の如し、汗は出て反(かえ)らざる者也(漢書・劉向(りゆうきよう)傳)、 等々による、 一度口に出した君主の言は、汗が再び体内に戻らないように、取り消すことができない、 意である(仝上)。なお、 渙汗、 は、また、 渙者散釋之名、大徳之人、建功立業、散難釋険、故謂之渙(易経)、 と、 卦の名、 で、周易六十四卦(カ)のひとつ、 坎下巽(カンカソンショウ)の形、 とされ、 渙兮若氷之将釋(渙として氷の将に釋(と)けんとするがごとし)(詩経)、 と、 艱難が離れて事が広がるさまを示す、 とある(字源・漢字源)。 渙、 は、 渙は亨(とお)る、 とあり、 渙とは渙散、散らすの意、 とある(高田真治・後藤基巳訳『易経』)。 「渙」(カン)は、 会意兼形声。「水+音符奐(ゆとりをあけて出る)」 とある(漢字源)が、 形声。声符は奐(かん)。奐は婦人の分娩の象であろう。その側身形は免(免)、俛・娩はその系統の字。渙ははげしく水の散る意。〔説文〕に「散りて流るるなり」とみえるが、自然に流れる水の状態ではない。獣子の生まれることを羍(たつ)といい、逹(達)はそのさまをいう。みな勢いづいたさまをいう語である、 ともある(字通)。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 大荒木(おほあらき)の杜の木の間をもりかねて人頼めなる秋の夜の月(俊成女)、 有明の月待つ宿の袖の上に人頼めなる宵の稲妻(家隆)、 の、 人頼めなる、 は、前者は、 いたずらに人の気を持たせる、 と、後者は、 やっと出たのかといたずらに期待させる、 と注記される(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 タノメは頼ませる意、 とあり(岩波古語辞典)、形容動詞ナリの、 なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ の活用で、 実際にはそれほどでもないのに、人に頼もしく思わせること、 とある(広辞苑)。 人に頼もしく思はせて、さもあらぬこと、 人をたらすこと、 とか(大言海)、 人に頼るように仕向けること、 とか(岩波古語辞典)、 人にたのもしく思わせて、実際には、その期待にこたえないこと、 そら頼みさせること。また、そのさま、 とあり(精選版日本国語大辞典)、和歌などでは、 実際は期待に反して頼りにならないことにいう、 とある(学研全訳古語辞典)。たとえば、 かつ越えて別れも行くか逢坂(あふさか)はひとだのめなる名にこそありけれ(紀貫之)、 は、 (あなたは引きとめられているのに)一方で(この山を)越えて別れて行くのか、逢坂(という名)は(「逢う」と)頼もしく思わせるけれども、(期待に反してあてにならない)名前であったのだなあ、 と解釈されている(仝上)。 人頼、 を、 ひとだより、 と訓ませると、 用心時の自身番にも人頼みするこそあれ(浮世草子「好色一代男(1682)」)、 と、逆に、此方が、 他人をあてにすること、 他人に頼んで自分の代わりにしてもらうこと、 また、 事を行なうのに、人まかせにして関知しないこと、 の意となる(精選版日本国語大辞典)。 動詞、 たのむ、 は、 頼む、 恃む、 憑む、 とあて(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、 タは接頭語、ノムは、祈(の)むの意か。ひたすら良い結果を祈って、相手に身の将来を任せる意、類義語タヨルは、何かの手がかりに寄りかかって、相手に依存する意、 とあり(岩波古語辞典)、 手を合わせて祈る意から、自分を相手にゆだねて願う意(広辞苑)、 タノム(他祈)の義(柴門和語類集)、 手祈の義(和訓栞)、 人はタノミ(田実 田の実の祝い)を頼りにするところからか(和句解・和訓考・和訓栞)、 等々、 祈る、 という、 神仏頼み、 に原義がありそうである。 祈る、 は、 「い」はイミ(斎・忌)・イクシ(斎串)などのイと同じく、神聖なものの意、斎の意。「のる」はノリ(法)ノリ(告)などと同根、みだりに口に出すべきでない言葉を口に出す意(岩波古語辞典)、 「い」は神聖、斎の意。「のる」は宣るの意(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉) 斎(い)告(の)る意(広辞苑)、 斎(い)宣(の)る意(大言海)、 等々と、 神仏に請い願う、 意である。 頼む、 は、 上代・中古においては、 「人ヲ頼む」の形をとって、「信頼し、我が身を託す・期待する」といった意味で用いられることが主であり、「依頼する」の意で用いられた可能性のある用例は、極めてまれである、 とあり(精選版日本国語大辞典)、中世になると、 ヲ格にくる名詞が、「人」から「事柄」へと徐々に交替していき、「依頼する」という意が一般的になってきたと考えられる、 とし、中世には、 「人ヲ頼む」という用法も残しており、「あなたを信頼します」ということで、上向きの丁寧な依頼を行なうために用いられ、 その後、江戸中期以降、 「頼りにする」の意が失われていくにつれ、「丁寧な依頼」としての用法は、「お頼み申します」のような定型化した挨拶表現にのみ残り、代わって、「願う」が用いられるようになっていった と、用例が変化していったようである(仝上)。 「頼(ョ)」(ライ)は、 形声。頼は、「人+貝(財)+音符刺の略体」で、財貨の貸借にさいして、ずるずると責任を他人になすりつけることをあらわす。刺(ラツ)は、音をあらわすだけで、その意味(激しい痛み)とは関係がない、 とある(漢字源)。別に、 形声。貝と、音符剌(ラツ)→(ライ)(は変わった形)とから成る。金銭をもうける意を表す。転じて「たのむ」「たよる」意に用いる。常用漢字は俗字による(角川新字源)、 形声文字です(刺+貝)。「とげの象形と刀の象形」(「刀でとげのように刺す」の意味だが、ここでは、「柬」に通じ(「柬」と同じ意味を持つようになって)、「袋に物を閉じ込める」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形から、金品を袋に閉じこんで、「もうける」を意味する「頼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1463.html)、 などともある。 「恃」(漢音シ、呉音ジ)は、 会意兼形声。「心+音符寺(=待 じっとまつ)で、あてにして待つこと、 とある(漢字源)。別に、 形声。「心」+音符「寺 /*TƏ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%83)、 ともある。 「憑(慿)」(漢音ヒョウ、呉音ビョウ)は、 会意兼形声。馮(ヒョウ・フウ)は、「馬+音符冫(ヒョウ こおり)」の会意兼形声文字。冫(にすい)は、氷の原字で、ぱんとぶつかり割れるこおり。馬が物を割るような勢いでぱんとぶつかること。憑は「心+音符馮」で、AにBをぱんとぶつけてあわせること。ぴたりとあわせる意からくっつける意となり、AとBとあわせてぴたりと符合させる証拠の意となった、 とある(漢字源)。「憑欄(欄によりかかる)」と、「寄りかかる」意、「憑付」(ヒョウフ)と、「たのむ」意、「憑拠」と、「証拠」の意で使う(仝上)。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 月見れば思ひぞあへぬ山高みいづれの年の雪にかあるらむ(新古今和歌集)、 の、 思ひあへぬ、 は、 とうてい思いきれない、 と訳注があり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 一声は思ひぞあへぬほととぎすたそかれ時の雲のまよひに(新古今和歌集)、 の、 思ひあへぬ、 は、 (確かに鳴いたと)思いきれない と訳注される(仝上)。 あへぬ、 の あふ、 は、「あへなし」で触れたように、 … しきる、 … しおおせる、 の意である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 おもひあへず、 は、 思ひ敢へず、 と当て、 伊勢の海の浦のしほ貝拾ひ集め取れりとすれど玉の緒の短き心思ひあへず(古今集)、 と、 思い切れない、 意や、 思ひなるやうもありしかど、ただ今、かく思ひあへず(源氏物語)、 と、 考えつかない、 思い及ばない、 意で使う(デジタル大辞泉)。 かく、おもひもあへず、はづかしきことどもにみだれ思ふべくは(源氏物語)、 と、 思も敢えず、 とも使い、この場合、 考える間もない、 思うこともできない、 意となる(精選版日本国語大辞典)。 ず、 は、 打消しの助動詞、 で、 ず・ず・ぬ・ね、 と活用し、 承ける語の動作・作用・状態を否定する意、 を表す(岩波古語辞典)。で、 思ひ敢ふ、 は、 思い切る、 や、 考え及ぶ、 意になる(仝上)が、多く、 思ひ敢へず、 思ひ敢へぬ、 等々、上記のように、否定の意で使われる例が多い。 あふ(敢ふ) は、「あへなし」で触れたように、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 肯、アフ、アヘテ、 敢、アヘテ、 とあり、 合ふと同根、事の成り行きを、相手・対象の動き・要求などに合わせる。転じて、ことを全うし、堪えきる、 とあり(岩波古語辞典)、 大船のゆくらゆくらに面影にもとな見えつつかく恋ひば老い付く我が身けだし堪へむかも(万葉集)、 と、 (事態に対処して)どうにかやりきる、 どうにかもちこたえる、 意から、 秋されば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ(万葉集)、 と、 こらえきる、 意となり、動詞連用形に続いて、 神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの(万葉集)、 と、 ……しきれる、 意や、 足玉(あしだま)も手玉(てだま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫ひもあへむかも(万葉集)、 と、 すっかり……する、 意で使う。 「敢」(カン)は、「あへなし」で触れたように、 会意兼形声。甘は、口の中に含むことを表す会意文字で、拑(カン 封じこむ)と同系。敢は、古くは「手+手+/印(はらいのける)+音符甘(カン)」で、封じ込まれた状態を、思い切って手で払いのけること、 とある(漢字源)。別に、 形声。意符𠬪(ひよう 上下から手をさしだしたさま)と、音符古(コ)→(カム)とから成り、進んで取る意を表す。のち、敢の字形に変わり、借りて、おしきってする意に用いる、 とも(角川新字源)、 会意文字です(又+又+占の変形)。「口」の象形と「占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目を無理矢理、両手で押し曲げた」象形から、道理に合わない事を「あえてする」を意味する「敢」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1613.html)ある。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 心こそあくがれにけれ秋の夜の夜深き月をひとり見しより(新古今和歌集)、 の、 あくがる、 は、 何かに誘われて心が身体からぬけ出てゆく、上の空になる、 意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 あくがる、 は、 憧る、 と当て、 「あこがれる」の文語形、 である。上代には用例は見えず、 十世紀半ば以降に一般化した語、 で(日本語源大辞典)、中世頃から、 「あこがる」と併用、 され(精選版日本国語大辞典)、その後、 ふらふらとさまよいでる、 意から、その原因の、 対象に惹かれる、 意へとシフトし、 あこがれる、 へと転化したもののようである。 所または事を意味する古語アクとカレ(離)との複合語。心身が何かにひかれて、もともと居るべき所を離れてさまよう意。後には、対象にひかれる心持を強調するようになり、現在のアコガルに転じる、 とある(岩波古語辞典)。 アクとカルとの複合語で、カルが離れる意、 で、 アクの語源は諸説あり不明であるが、あるいは場所にかかわる語か(日本語源大辞典)、 「あく」は「ところ」、「かる」は「離れて遠く去る」意(広辞苑)、 (浮宕、憧憬と当て)在處離(ありかか)るの略転と云ふ。アコガルルも同じ(假事〔かりごと〕、かごと。若子〔わかご〕、わくご。其處〔そこ〕、此處〔ここ〕)。宿離(か)レテ、アクガレヌベキ、など云ふは、重言なれど、アクガルの語原は忘れられて云ふなり(大言海)、 アクは事、所などの意の古語。カルは離れて遠く去る意(日本語の年輪=大野晋)、 アは在、クは処、カルは離の意(槻の落葉・信濃漫録・雅言考・比古婆衣)、 アク(間隔が空く)+カレ(離れる)。距離が遠くなればなるほど強く惹かれる心情(日本語源広辞典)、 アク(足・踵)+カレ(離れる)。足が地から離れるほど引きつけられる心情(仝上)、 ア(接頭語)+焦がれる(吉田金彦説)、 アクは空の義。これを語源として動詞のアクグル、アクガルが生まれた(国語の語根とその分類=大島正健)、 ウカルルと同意。ウの延アク(名言通・和訓栞・槙のいた屋)、 等々諸説あるが、 アク、 については、 (本来居る)所、または事の意をもつ古語。単独の用例はなく、アクガレ(憧)に含まれている。また、いわゆるク語法の曰ハク・恋フラクのク・ラクの語根、 とある(岩波古語辞典)。なお、ク語法の用例については、 おもわく、 ていたらく、 で触れた。 カル、 は、「かる」で触れたように、 切り離す、 意であり、 離る、狩る、涸る、刈ると同源、 とであるるので、基本は、 アク(所)+カル(離れる)、 と、 心が自分のところから離れ、強く引き付けられる意、 で(日本語源広辞典)、 人間の身や心、また魂が、本来あるべき場所から離れてさまよいあるくこと、 をいう意味になる(日本語源大辞典)。で、 思ひあまり恋しき時は宿かれてあくがれぬべき心地こそすれ(貫之集)、 と、 本来いるはずの場所からふらふらと離れる、 さまよい出る、 意や(広辞苑・岩波古語辞典)、 物思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける(源氏物語)、 と、 何かにさそわれて、心がからだから抜け出てゆく、 宙にさまよう、 意や(仝上)、 いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千世もへぬべし(古今和歌集)、 と、 ある対象に、何となく心がひかれる。心が、からだから離れる、 うわのそらになる、 意から、 このとしごろ人にも似給はず、うつし心なき折々多く物し給ひて、御中もあくがれてほど経にけれど(源氏物語)、 と、 いとわしく思うようになって離れる、 男女の仲がうとくなる、 世を避けようとする、 などの意になり(精選版日本国語大辞典)、 離れかたきは女子(をなこ)の誠、分つ袂にふり棄られて、あくがれて死(しな)んより、おん身刃(やいば)にかけてたべ(南総里見八犬伝)、 と、 (心がひかれるところから)気をもむ、 気が気でなくなる、 意や、 花にあくかるる昔を思出して(延慶本平家)、 と、 理想とするもの、また、目ざすものなどに心が奪われて落ち着かなくなる、 また、それを求めて思いこがれる、 意と(仝上)、 あこがる、 の意味にシフトし、中世になると、 特定の対象に心をひかれるという意味合いが強くなり、アコガルという語形も生じる、 とある(日本語源大辞典)。ちなみに、 心あくがる、 というと、 かくこころあくがれて、いかなるも、のどらかにうちおきたる物と見えぬくせなんありける(蜻蛉日記)、 と、 魂が身から抜け出て放心状態になる、 浮き浮きする、 夢中になる、 意で使う(精選版日本国語大辞典)。なお、 あこがれる、 については触れた。 「憧」(漢音ショウ、呉音シュ、慣用ドウ、)は、 会意兼形声。「心+音符童」で、心中がむなしく筒抜けであること、 とあり、自分の心をむなしくして、ひたすら遠くのものを恋い求める、 うっとりと気を取られる、 意とある(漢字源)。「童」は、 東(トウ 心棒を突きぬいた袋、太陽が突き抜けて出る方角)はつきぬく意を含む。童の下部は「東+土」。重や動の左側の部分と同じで、土(地面)をつきぬくように↓型に動作や重みがかかること。童は「辛(鋭い刃物)+目+音符東+土」で、刃物で目をつき抜いて盲人にした男のこと、 とあり、もともとは、 刃物で目を突きぬいて盲人にした男のどれい。転じて男の召使い、 を指し、「僕童」(男の奴隷や召使)といった使い方をするが、それが転じて、 わらべ(十五歳で成人して冠者となる)、 の意となる(仝上)。ただ、他は、 形声。「心」+音符「童 /*TONG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%A7)、 形声。心と、音符童(トウ)→(シヨウ)とから成る。(角川新字源) 形声文字です(忄(心)+童)。「心臓」の象形と「入れ墨をする為の針の象形と人の目の象形と重い袋の象形」(「目の上に入れ墨をされ、重い袋を背負わされた奴隷」の意味だが、ここでは、「動(ドウ)」に通じ(同じ読みを持つ「動」と同じ意味を持つようになって)、「動く」の意味)から、「心が動いて定まらない」、「あこがれる」を意味する「憧」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2176.html)、 と、何れも形声文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 秋風は身にしむばかり吹きにけり今やうつらむ妹(いも)が狭衣(新古今和歌集)、 の、 いも、 は、 妻、 の意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 いも、 の対は、 せ(兄)、 である(岩波古語辞典)。平安時代以降多く使われた、 いもうと、 は、 イモヒトの音便形、 である。 いも、 は、元来、 次に成れる神の名は、宇比地邇上神(うひぢにのかみ)、次に妹(いも)須比智邇去神(すひぢにのかみ)(古事記)、 と、 男性の側から、同腹の姉妹を呼ぶ語、 で、 年齢の上下に関係なく、姉をも妹をも呼ぶ、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 いもこ、 ともいう。ただ、 古は、兄弟、長幼を問はず、女は男を以て兄(せ)と言ふ、男は女を以て妹(いも)と言ふ(日本書紀・仁賢紀註)、 とある。平安時代以降、 いもうと、 にとって代わり、 この意味の、 いも、 は、歌謡・熟語に残った、 とある(岩波古語辞典)。この意味が転じて、 是に其の妹(いも)伊邪那美命を相ひ見むと欲して、黄泉国(よみのくに)に追ひ往く(古事記)、 と、 男性から結婚の対象となる女性、または、結婚をした相手の女性をさす称、 となる(精選版日本国語大辞典)。雄略紀の、 吾妹(わぎもこ)、 註に、 稱妻為妹、盖(蓋)古之俗乎、 とあり、 恋人、 妻、 の意で、 兄(せ)、 が対語である。 妻問い婚の時代に、男が訪問して結婚することを許した女を、男が呼ぶ称、 ともある(岩波古語辞典)。その他、 本辺(もとへ)は君を思ひ出末辺(すゑへ)は伊毛(イモ)を思ひ出(古事記)、 と、 年ごろの若い娘、 お嬢さん、 娘さん、 の意や、 風高く辺には吹けども妹(いも)がため袖さへ濡れて刈れる玉藻そ(万葉集)、 と、 女性が同性の友人や自分のいもうとなど親しい女性、 をさしていう、 あなた。 の意味でも使う。この、 いも、 は、 モはメ(女)に通う(日本語源=賀茂百樹)、 イは発語、モは向う義(東雅・万葉集類林・和訓栞)、 妻は夫より劣ったものという考えから、イロヲトリの義(関秘録)、 いきてあるうちおもうという意か(和句解)、 イはイトシキ意、モはミ(身)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、 イは接頭語、モはセに対立する語(日本古語大辞典=松岡静雄)、 姻の音、Imの語尾MをMoと変えたもの(日本語原考=与謝野寛)、 等々諸説あるが、どうも付会にすぎ、 いも、 は、 母の「おも」、女の「め」などと関係があり、近親の女性を指したのが原義であろう、 とあり(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、前述のように、 万葉集には、女性が同性の友人や姉妹を指して「いも」と呼ぶ場合があることも、そこから説明できる、 とある(仝上)。平安時代以後、前述の通り、 いも、 が、 歌語化、 したが、それは、 いもうと、 という語が成立したことが遠因である。この、 いもうと、 は、上述したように、 いもひと(妹人)の音便形、 で、 せうと(しようと)の対、 である(岩波古語辞典・日本語源大辞典)。 昔、男、いもうとのいとをかしげなりけるを見をりて(伊勢物語)、 と、 男性(兄弟)の側から、姉妹を呼ぶ語、 で、古くは、 年齢の上下に関らず姉をも呼んだが、のち、年下の女きょうだいだけに限られるようになった、 とある(精選版日本国語大辞典)。で、 せうと、 は、 セヒト(兄人)の音便形、 で、 姉妹から見て兄弟をいう語、 になる(岩波古語辞典)。さらに、 いもうと、 は、 このいもうと、せうとといふことは、上(うへ)までみな知ろしめし、殿上にも、司(つかさ)の名をば言はで、せうととぞつけられたる(枕草子)、 と、 (兄妹になぞらえて)男の側から、親しい女性をさしていう、 例もある(精選版日本国語大辞典)。それが、 姉はいもうとに問へと言ふ、妹は姉に問へと言ふ(平家物語)、 と、 女のきょうだいのうち、年下のほう、 を指すようになる(岩波古語辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、 妹、女子後生為妹、以毛宇止(いもうと)、 とある。ただ、 いもうと、 は、 平安時代には、男性側が使う言葉で、女性が自分の年下の女きょうだいさして用いた例は見当たらない、 とある(日本語源大辞典)。だから、 おとうと、 と、男女別の対をなすようになるのは中世以後である(精選版日本国語大辞典)。一般的に、 「妹」「弟」のような年下の方を表わす語は年上からの呼びかけとしては使わない。名前、あるいはあだ名のようなもので呼ぶのが普通である。逆に、兄弟姉妹の年下は年上に対して、名前そのもので呼びかけはせず、「兄さん」「姉さん」あるいはそれに準じた呼び方、またはあだ名のようなもので呼ぶことが多い、 ともある(仝上)。 なお、 かしこきや命(みこと)蒙(かが)ふり明日(あす)ゆりや草(かえ)が共(むた)寝む伊牟(イム)なしにして(万葉集)、 と、 「いも(妹)」の上代東国方言に、 いむ(妹)、 があり、 己が妹(イモト)日(ひ)之媛(ひめ)を献る(日本書紀)、 と、 「いもうと(妹)」の変化した語に、 いもと(妹)、 旅とへど真旅になりぬ家の母(モ)が着せし衣に垢つきにかり(万葉集)、 と、 「いも(妹)」の変化した語に、 も(妹)、 もある(仝上)。 「妹」(漢音バイ、呉音マイ・メ)は、 会意兼形声。未は、木の字の先に一印をつけ、まだ伸びきらぬ若枝を示す。妹は「女+音符未」で、まだ成育しきらぬ若い女、つまり女きょうだいのうちのいもうとを意味する、 とある(漢字源)。また、 会意兼形声文字です(女+未)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「女」の意味)と「木に若い枝が伸びた」象形(「まだ小さい」の意味)から「まだ小さい、いもうと」を意味する「妹」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji38.html)が、 形声。「女」+音符「未 /*MƏT/」。「いもうと」を意味する漢語{妹 /*məəts/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%B9)、 形声。女と、音符未(ビ)→(バイ)とから成る。年下の女きょうだいの意を表す(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 信濃道(しなぬぢ)は今の墾(は)り道刈りばねに足踏ましむな沓(くつ)はけ我が背(万葉集)、 の、 せ、 は、 背、 兄、 夫、 と当て、 いも(妹)の対、 である。主として女性が用い、 夫、兄弟、恋人などすべて男性を親しんでいう語、 とされる(精選版日本国語大辞典)。 せこ、 せな、 せなな、 せのきみ、 せろ、 せうと、 等々とともいう(仝上)。古えは、 兄弟、長幼を問はず、女は男を以て兄(せ)と言ふ、男は女を以て妹(いも)と言ふ(日本書紀・仁賢紀註)、 とある。女性が、自分の夫あるいは恋人である男性に対して用いる場合は、 後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及(し)かむ道の隈廻(くまみ)に標(しめ)結へ吾が勢(セ)(万葉集)、 と、 畏敬の念を伴わない、 とされ、女性が、 兄または弟に対して用いる場合は、 言問はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)と有りと云ふをただ独り子にあるが苦しさ(万葉集)、 と、 年齢の上下を区別しない、 とし、男性が、兄弟その他の親しい男性に対して用いる場合は、 向かつ峰(を)に立てる制(セ)らが柔手(にこで)こそ我が手を取らめ(日本書紀)、 と、 歌語に特有である、 とある(仝上)。これが、 ながらふる妻吹く風の寒き夜に我がせ(勢)の君はひとりか寝(ぬ)らむ(万葉集) と、専ら、 結婚の相手としてきまった男、 妻問い婚の時代に、訪れてくることを許した男を女が呼ぶ称、 になる(岩波古語辞典・大言海)。これは、 いも、 が、 いもうと、 に変化したのに対応して、 せ、 が、 せうと、 に変化したのに伴い、 せ、 は、 夫、 の意に収斂していった(日本語源大辞典)ようである。この、 せ、 は、 兄(エ)の転か、朝鮮語にも、セと云ふ(大言海)、 セ(背)の高いところから(名言通)、 セ(兄)はエ(甲)の義、セ(夫)はテ(手)の義(言元梯)、 等々あるが、普通に考えると、 兄(エ)の転、 とするのが妥当なのだろう。 せ、 が、 いも→いもうと、 の変化に対応して使われた、 せうと(しょうと)、 は、 兄人、 背人、 と当て、 セヒトの音便形である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 せうと、 は、 二条の后に忍びて参りけるを、世の聞えありければ、せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ(伊勢物語)、 と、 女からみて同腹の兄、または弟をいう語、 であり、また、 京極中納言の御むすめ、……民部卿の典侍(すけ)のせうとにてぞおはしける(十六夜日記)、 と、 女からみて姉または妹をいう語、 であるが、平安末期以降、 かのせうとの童(わらは)なる、率(ゐ)ておはす(源氏物語)、 公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは(徒然草)、 と、 男の兄弟。兄または弟をいう語、 となり、後には、 もっぱら兄をさす、 とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。また、「せ(兄)」の敬称として。 せのきみ(背の君・兄の君・夫の君)、 という使い方もされる。 兄(エ)の転、 とされるが、 兄(え)、 と 兄(せ)、 では意味が違う。 イモ(妹)、 は、 セ(兄)、 と対であるが、 エ(兄)、 は、 オト(弟)、 と対である。 エ(兄)とオト(弟)、 については、 あに、 で触れた。 え、 は、 元来ヤ行のエ、 で、 兄、 姉、 と当て(岩波古語辞典)、 同母の子のうち年少者から見た同性の年長者。弟から見た兄、妹から見た姉、 を指す(仝上)。下から見て、 え、 というのは、 うへ(上、古くはウハ)、 という意味ではあるまいか。『大言海』も、 上(うへ)の約(貴(あて)も、上様(うはて)の約ならむ)、 としている。対語の、 おと、 は、 弟、 乙、 と当て、年上から見て、同性の下のものをいい、 兄に対する弟、 姉に対する妹、 をいった(岩波古語辞典)。で、 え、 は、 弟から見た兄、妹から見た姉、 おと、 は、 兄から見た弟、姉から見た妹、 となる(岩波古語辞典)。なお、 おと、 は、 オトス(落)・オトル(劣)のオトと同根、オトは低い位置、必要な力の少ししかない状態(岩波古語辞典)、 年劣る義、乙の字をも用ゐるは、甲乙の義にて、次なる意か(大言海)、 とある。 「兄」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、 象形。兄は頭の大きい子を描いたもので、大きいの意を含む、 とある(漢字源)。別に、 象形。頭蓋骨が固まった子どもの形から。固まっていないのは兒(児)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%84)、 指事。儿の上に(頭の意)を加えて、頭部の大きな人の意を表す。転じて、年長者の意に用いる。なお、篆文(てんぶん)・楷書(かいしよ)では、兄と、祝(・)の旁(つくり)の兄とが、同じ字形になっているが、もとは異なっていた(角川新字源)、 会意文字です(口+儿)。「口」の象形と「人」の象形から上に立って妹・弟の世話をする「あに」を意味する「兄」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji35.html)、 とあり、諸説ばらばらである。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 莫比冥霊楚南樹(比す莫れ 冥霊(めいれい) 楚南の樹(じゅ)の) 朽老江邊代不聞(江辺(こうへん)に朽老(きゅうろう)して代(よ)に聞こえざるに)(張説・遥同蔡起居偃松篇) の、 冥霊、 は、 伝説的な木の名、非常に長命だという、 とある(前野直彬注解『唐詩選』)。「列子」湯問篇に、 荊之南有冥霊者、以五百歳為春、五百歳為秋(荆の南に冥霊なる者有り、五百歳を以て春と為し、五百歳を秋と為す)、 とあるのにもとづく(仝上)とある。ちなみに、この続きは、 上古有大椿(たいちん)者、以八千歳為春、八千歳為秋(上古大椿(だいちん)者有り、八千歳を以って春と為し、八千歳を秋と為す)、 とある。「荘子」逍遥遊にも同文があり、つづいて、 而彭祖(ほうそ 長寿で知られた伝説的人物)乃今以久特聞、衆人匹之、不亦悲乎、 とある(Downloads/gakuho01_46-1-02.pdf)。なお、 荆(荊)南、 は、いまの 湖南省の地方、 で、この詩の 作者の流された岳州のあたりを含む、 とある(前野直彬注解『唐詩選』)。 冥霊(めいれい)、 は、 以五百歳為春、五百歳為秋、 以八千歳為春、八千歳為秋、 とあるので、 長寿の大樹、 とする説のように思えるが、別に、 溟海にいるという長寿の亀(かめ)、 とする説もある(字源・精選版日本国語大辞典)。 「冥」(漢音メイ、呉音ミョウ)は、「冥加」で触れたように、 会意。「冖(おおう)+日+六(入の字の変型)」で、日がはいり、何かにおおわれて光のないことを示す。また冖(ベキ おおう)はその入声(つまり音 ミャウ)にあたるから、冖を音符と考えてもよい、 とある(漢字源)。別に、 会意。「冖」(覆う)+「日」+「六」(穴の象形)を合わせて、日が沈んで「くらい」こと、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%A5)、 会意。冖と、日(ひ、明かり)と、(六は変わった形。両手)とから成る。両手で明かりをおおうことから、「くらい」意を表す、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(冖+日(口)+六(廾))。「おおい」の象形と「場所を示す文字」と「両手でささげる」象形から、ある場所におおいを両手でかける事を意味し、そこから、「くらい(光がなくてくらい、道理にくらい)」を意味する「冥」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1619.html)あり、「六」の解釈が分かれる。 「靈(霊)」(漢音レイ、呉音リョウ)の異字体には、 灵(簡体字)、霛、 𢩙、 𧨈、 𩄀、 𩆮(古字)、 䨩、 𠳄、 𡀓、 𤫊、 𤴤、 𦊄、 𧈀、 𩂊、 𩃏、 𩄇、 𩆜、 𩂳(俗字)、 等々がある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%88)が、 会意兼形声。霝(レイ)は、「雨+〇印三つ(水玉)」を合わせた会意文字で、連なった清らかな水たま。零と同じ。靈は「巫(みこ)+音符霝」で、神やたましいに接する清らかな巫女。転じて、水たまのように冷たく清らかな神の力やたましいをいう。冷(レイ)とも縁が近い。霊はその略字、灵は、中国で霊の簡体字、 とある(漢字源)。同趣旨に、 会意兼形声文字です(霝+巫)。「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「口」の象形と「神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる」象形から、祈りの言葉を並べて雨ごいする巫女を意味し、そこから、「神の心」、「巫女」を意味する「霊」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1219.html)、 ともあるが、 形声。「巫」+音符「霝 /*RING/」。「みたま」「たましい」を意味する漢語{靈 /*reeŋ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%88)、 形声。意符巫(ふ)(みこ)と、音符霝(レイ)とから成る。雨ごいするみこの意を表す。常用漢字は省略形による。(角川新字源)、 は、形声文字とする。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 簡野道明『字源』(角川書店) しぐれつつ枯れゆく野辺の花なれば霜の籬にいほふ色かな(新古今和歌集)、 の詞書に、 上のをのこども菊合しけるついでに、 とある、 菊合、 は、 左右に分かれて、それぞれの方の菊の優劣を競う遊び、 を言い、 歌を伴う、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、この歌の菊合は、 延喜十三年(913)十月十三日内裏菊合か、 とある(仝上)。 寛平御時(かんぴょうのおんとき)菊合(仁和四年(888)〜寛平三年(891)に開かれた)、 が、現存最古の史料(広辞苑)とある。 菊合、 は、 物を合わせて優劣を競う遊戯、 である、 物合(ものあわせ)、 の一つで、 菊合、 の他、 貝合、 女郎花合、 前栽(ぜんざい)合、 根合、 草合、 艶書合、 今様合、 草子合、 扇合、 絵合、 歌合、 花合、 蟲合、 香合(薫物合)、 等々がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)。紫式部日記に、 御前のありさま、絵にかきたる物合の處にぞ、いとよう似て侍りし、 とあり、枕草子にも、うれしきものに、 物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ、 とある。 なお、「寛平内裏菊合」については(中村佳文「『寛平内裏菊合』の方法」(https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/5391/files/Kokubungakukenkyu_158_NakamuraY.pdfに詳しい)。 菊合(きくあわせ)、 は、後に、 菊合などいひて一りんづつ開かせ、其大さ物さしをあつるよふになりたり(随筆「独寝(1724頃)」)、 と、 菊くらべ、 闘菊、 等々と言い、 菊の花を持ち寄って、花輪の美、作柄などを品評して優劣を争う催し、 となってゆく(精選版日本国語大辞典)。この背景にあるのは、古代中国で、菊は邪気を祓い長生きする効能があると信じられ、日本では、 重陽の節句、 に、菊に関する歌合せや観賞する宴が催され、不老長寿を祈った(https://kigosai.sub.jp/001/archives/16670)とされる。 五節句の一つである、 重陽、 は、中国の、 九月九日の重陽(ちょうよう)の節句、 が日本にも伝わり、『日本書紀』武天皇十四年(685)九月甲辰朔壬子条に、 天皇宴于旧宮安殿之庭、是日、皇太子以下、至于忍壁皇子、賜布各有差、 とあるのが初見で、嵯峨天皇のときには、神泉苑に文人を召して詩を作り、宴が行われ、淳和天皇のときから紫宸殿で行われた(世界大百科事典)。 菊は霊薬といわれ、延寿の効があると信じられ、 重陽の宴(えん)、 では、 杯に菊花を浮かべた酒(菊酒)を酌みかわし、長寿を祝い、群臣に詩をつくらせた、 とある(精選版日本国語大辞典)。菊花を浸した酒を飲むことで、長命を祝ったので、 菊の節句、 ともいう。 物合(ものあわせ)、 は、上述のように、 左方、右方に分かれ、たがいに物を出し合って優劣を競い、判者(はんじや)が勝敗の審判を行い、その総計によって左右いずれかの勝負を決める遊戯の総称、 で(広辞苑・世界大百科事典)、 菊合、 と同じく、多く歌を伴い、平安貴族の間で流行した。 物合、 は、 歌合、 相撲(すまい)、 競馬(くらべうま)、 賭射(のりゆみ)、 などとともに、 競べもの、 の一種であるが、歌合、詩合などをも含む広範囲に及ぶ各種の、 合わせもの、 を一括していうことも多い(仝上)とある。近世まで含めると、植物では、 草合、根合(ショウブの根)、花合(主として桜)、紅梅合、瞿麦(なでしこ)合、女郎花(おみなえし)合、菊合、紅葉合、前栽(せんざい)合、 等々、動物では、 鶏(とり)合、小鳥合、鶯合、鵯(ひよどり)合、鶉(うずら)合、鳩合、虫合、蜘蛛合、犬合、牛合、 等々、文学では、 歌合、詩合、物語合、絵合、扇紙(扇絵)合、今様(いまよう)合、懸想文(けそうぶみ)合、連歌合、狂歌合、発句合、 等々、文具・器物では、 草紙合、扇合、小筥(こばこ)合、琵琶合、貝合、石合、 等々、武技・遊芸では、 小弓合、乱碁合、謎謎合、薫物(たきもの)合、名香(みようごう)合、 等々、衣類では、 小袖合、手拭合、 等々が行われている(仝上)という。競技の際には、 比べる物にちなんで詠まれた和歌が添えられて、出し物とあわせて判定の対象、 となったが、平安後期以降の、 歌合、 の盛行とともに、その和歌の占める比重が漸次大きくなり、物合は一種の文芸的な遊戯の色合いを濃くしていった(日本大百科全書)とある。なお、 内裏菊合(888〜891)、 円融院扇合(973、実際には扇に添えられた歌を内容とする)、 斎宮良子内親王貝合(1040)、 正子内親王絵合(1050)、 郁芳門院根合(1093)、 後白河法皇今様合(1174)、 等々が名高い(世界大百科事典)とある。 物合(ものあわせ)の遊び方は、下記のようであった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E5%90%88)。 左方・右方のチームメンバーを決める。 ↓ 各チームのスポンサーとなる大貴族が、親類縁者・家臣など関係者の中からその道に優れた人を抜擢する。歌合などでは、小貴族であっても和歌の腕がよければ選ばれて光栄に浴することも出来た。 ↓ 左方のチームカラーは暖色系統(当時は紫から橙色まで)で、大きな催しなどではアシスタントの女童たちの衣装や品物を包む料紙なども赤紫から紅の色合いで意匠を統一する。右方のチームカラーは寒色系統(当時は黄色から青紫まで)で、同じく凝った意匠を競った。 ↓ 審判(判者)の選定はもっとも神経を使うもので、審美眼はもちろん判定書に必要な書道や文章・和歌の道に優れた老練の人が選ばれる。他に、数回戦を競うため各チーム勝ち負けの数を串で記録する記録係「数刺し」がいた。 ↓ また、両チームにはチーム代表で解説や進行を担当する「頭」や、応援担当の「念人」が選出されることもある。 「菊」(キク)は、 会意兼形声。匊(キク)は、手の中に米をまるめてにぎったさま。菊は「艸+音符匊」で、多くの花をひとまとめにして、まるく握った形にしたはな、 とあり(漢字源)、別に、 会意兼形声文字です(艸+匊)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「人が手を伸ばして抱え込んでる象形と横線が穀物の穂、六点がその実の部分を示す象形」(「米を包む・両手ですくう」の意味)から、米を両手ですくい取る時に、そろった指のように花びらが1点に集まって咲く「きく」を意味する「菊」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1556.html)が、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%8A)、 形声。「艸」+音符「匊 /*KUK/」。一種の植物(キク)を指す漢語{菊 /*kuk/}を表す字(仝上)、 形声。艸と、音符匊(キク)とから成る。「きく」の意を表す。(角川新字源)、 と、形声文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 中村佳文「『寛平内裏菊合』の方法」(https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/5391/files/Kokubungakukenkyu_158_NakamuraY.pdf) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 野辺見れば尾花がもとの思ひ草枯れゆく冬になりぞしにける(新古今和歌集)、 の、 思草、 は、 リンドウ、露草など諸説ある。すすきの根元にはえるという点を重視すれば、なんばんぎせるが最もふさわしい、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 道辺の尾花が下の思草(おもひぐさ)今さらになに物か思はむ(万葉集)、 と、 尾花が下の思草、 と詠われるところから、ススキなどの根に寄生する、 南蛮煙管(なんばんぎせる)、 と推定されている(精選版日本国語大辞典)が、他に、 リンドウの別称、 シオンの別称、 ススキの別名、 等々ともされ(動植物名よみかた辞典・岩波古語辞典)、 女郎花おなじ野べなるおもひ草いま手枕にひき結びてむ(「行宗集(1140頃)」)、 と、 おみなえし(女郎花)」の異名、 とも、 煙管にくゆる火も、……吹きて乱るる薄煙、空に消えては是もまた、行方も知らぬ相おもひぐさ(浄瑠璃「曾根崎心中(1703)」)、 と、 タバコの異称、 としても使われる(精選版日本国語大辞典)。 下向きに花をつける形、 が、 思案する人の姿、 を連想させることによるものか、恋の歌に多く使われ、 思ふ、 を導いたり、 思ひ種、 にかけたりして用いられ(仝上)、 思種、 とも当てる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 ナンバンギセル(南蛮煙管)、 は、 イネ科の単子葉植物(イネ、ススキ、サトウキビなど)の根に寄生する。葉緑素が無く、寄主の根から吸収した栄養分に依存して生育するため、寄主の生長は阻害され、死に至ることもある。全長は15〜50cm。葉は披卵形、長さ5〜10mm、幅3-4mm。花期は7-8月、赤紫色の花を1個つける。花冠は筒型で、唇形になる。花冠裂片の縁は全縁。雄蕊は黄色の毛が密生している。刮ハは球状で、種子の大きさは0.04mm、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%BB%E3%83%AB)、 長い花柄の先に筒形の大きな紅紫色の花をつけ、それがパイプに似るのでこの名がある。茎はごく短く、ほとんど地上にでず、黄色から赤褐色で、狭三角形の鱗片状の小さな葉をまばらにつける、 とある(世界大百科事典)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 新しき年やわが身をとめ来(く)らむ隙(ひま)ゆく駒に道をまかせて(新古今和歌集)、 の、 隙ゆく駒、 は、「荘子」知北遊に、 人生天地之間、若白駒之過郤(隙)、 とあるのにより、 月日の過ぎやすく、人生の短いことを言う、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 駒に道をまかせて、 は、「韓非子」説林上の、 老馬道を知る、 の故事にもとづき、 いかでわれ隙ゆく駒を引き留めて昔に返る道を尋ねむ(千載和歌集)、 夕闇は道も見えねど古里はもと来し駒にまかせていぞ来る(後撰和歌集)、 等々と詠われる(仝上)。 隙行く駒(ヒマユクコマ)、 は、 駒隙(くげき)の文字読み、 とあり(大言海)、「荘子」知北遊の、 人生天地之間、若白駒之過郤(隙)、忽然而已、 により、 隙(げき)行く駒、 ひま過ぐる駒、 ひまの駒、 隙(げき)を過ぐる駒、 白駒(はっく)隙(げき)を行く、 白駒(はっく)隙(げき)を過ぐ、 白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如ごとし、 隙駒(げきく)、 白駒(はっく)、 などともいい、文明本節用集(室町中)には、 白駒ハック、隙駒(ゲキク)義也、 ともあり、 壁のすきまに見る馬はたちまち過ぎ去る、 という意から、 人の一生を白い馬が壁のすきまを通り過ぎるくらいの長さにすぎない、 とたとえた(精選版日本国語大辞典・故事ことわざの辞典)。 奔馬をすきまからちらりと見る如し、 とある(字源)のが、原義なのだろう。「史記」魏豹傳に、 人生一世閨A如白馬過隙耳。 とあり、注記に、 白駒、謂日影也、隙、壁隙也、以言速疾如日影過壁隙也、 とあり、より含意が伝わる。上述の、 老馬道を知る、 は、 老馬道を弁ず、 老馬路を忘れず、 老馬の智(ろうばのち)、 ともいい、「韓非子‐説林」の、 管仲隰朋従於桓公伐孤竹、春往冬反、迷惑失道、管仲曰、老馬之智可用也、乃放老馬而随之、遂得道、 により、 経験を積んだものの知恵を尊重すべきことをいう(精選版日本国語大辞典)、 老いた馬は独自の知恵をもっていて、特に通の判断は正確で迷うことはない。ものには、それぞれ学ぶべき点があることのたとえ(故事ことわざの辞典) をいう(精選版日本国語大辞典・故事ことわざの辞典)。 「隙」(慣用ゲキ、漢音ケキ、呉音キャク)は、 会意兼形声。𡭴は「小+小+白(ひかり)」の会意文字で、小さなすき間から白い光が漏れることを示す。隙はそれを音符とし、阜(土もり、土べい)を加えた字で、土塀のすきまをあらわす、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(阝+小+日+小)。「段のついた土山」の象形と「小さな点と太陽の象形」(「すき間から光が漏れる」の意味)から、「暇」、「すき」、「すき間」を意味する「隙」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2155.html)が、 形声。「阜」+音符「𡭴 /*KRAK/」。「すきま」「裂け目」を意味する漢語{隙 /*khrak/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%99)、 形声。阜と、音符𡭴(ケキ)とから成る。かべの穴、すきまの意を表す、 も(角川新字源)、形声文字とする。 「駒」(ク)は、 会意兼形声。「馬+音符句(ちいさくまがる、ちいさくまとまる)」、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(馬+句)。「馬」の象形と「曲がった鍵の引っかかった象形と口の象形」(「言葉を区切る」の意味だが、ここでは、「クルッと曲がる」の意味)から、「クルクルはねまわる子馬、こま」を意味する「駒」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2167.html)が、 形声。「馬」+音符「句 /*KO/」。{駒 /*k(r)o/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%92)、 形声。馬と、音符句(ク)とから成る。(角川新字源)、 も、形声文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 簡野道明『字源』(角川書店) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館) 遲日園林悲昔遊(遅日(ちじつ) 園林(えんりん) 昔遊(せきゆう)を悲しむ) 今春花鳥作邊愁(今春 花鳥 辺愁(へんしゅう)を作(な)す)(杜審言・渡湘江) の、 遅日(ちじつ)、 は、 うらうらと長い春の日、 をいい、『詩経』豳風(ひんぷう)・七月の詩に、 春日遲遲(春日(しゅんじつ)遅遅(ちち)たり)、 とあるのにもとづく(前野直彬注解『唐詩選』・字源)とある。 春の日、日永くして暮るることおそき故、 とある(字源)。『詩経』豳風(ひんぷう)・七月の詩には、 七月流火、九月授衣。春日載陽、有鳴倉庚。 女執懿筐、遵彼微行、爰求柔桑。 春日遲遲。采蘩祁祁。女心傷悲、殆及公子同歸。 とあり(https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B6%93/%E4%B8%83%E6%9C%88)、「虞美人草」(夏目漱石)では、 遅日(チジツ)影長くして光を惜まず、 と使われている。 昔遊、 は、 かつて遊んだ時のこと、 昔の行楽、 の意だが、魏の文帝(曹丕)の「呉質(ごしつ)に与うるの書」に、 追思昔遊、猶在心目(昔遊(せきゆう)を追思(ついし)すれば、猶心目(しんもく)に在り)、 とある(https://kanbun.info/syubu/toushisen302.html)とか。 遅日、 は、同じ意味で、 おそひ(遅日)、 遅(おそ)き日、 とも訓ませ、 いでやらぬかどをそき日のかげなどいふ句も春なり(「無言抄(1598)」)、 遅き日のつもりて遠きむかしかな(「蕪村句集(1784)」)、 等々とつかわれる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。 「遅(遲)」(漢音躬チ、呉音ジ)は、 会意文字。犀は、サイ(動物)のこと。歩のおそい動物の代表とされる。遲は「辵+犀」、 とあり(漢字源)、 会意文字です(辶(辵)+犀)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「獣の尻の象形を変形したものと毛の象形と角のある牛の象形」(「歩くのがおそい動物:サイ」の意味)から、「おそい」を意味する「遅」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1138.html)、 ともあるが、これは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、 『説文解字』では「辵」+「犀」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「犀」とは関係がない、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%B2)、 形声。「辵」+音符「屖 /*LI/」[字源 1]。「おそい」を意味する漢語{遲 /*lri/}を表す字、 とあり(仝上)、別に、 形声。辵と、音符犀(セイ)→(チ)とから成る。ゆっくり歩く、ひいて「おそい」「おくれる」意を表す。常用漢字は省略形による、 ともある(角川新字源)。 参考文献; 前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫) 簡野道明『字源』(角川書店) 色にのみ染めし心のくやしきをむなしと説ける法のうれしさ(小侍従)、 の、 詞書に、 心経の心をよめる、 とある、 心経、 は、 摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)、 をいい、 般若経の精髄を簡潔に説く、玄奘の漢訳した262字から成る本が流布する、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 色、 は、仏教で、 しき、 と訓み、 目で見られるもの、形をもったすべての物質的な存在をいう、 とある(仝上)。また、 むなしと説ける法、 とは、般若心経(はんにゃしんぎょう)の、 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色、 の法文を念頭においていう(仝上)とある。般若心経の全文は、https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/hannyashingyo.htmに譲る。 色(しき)、 は(「しき」は「色」の呉音)、 梵語rūpa、 の漢訳、仏教用語で、 物質、 のことだが、 物質的存在、感性的存在、 あるいは、 いろと形、 とする(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%89%B2_(%E3%81%97%E3%81%8D))。これは、 およそ人間の目に映ずるものは形あり色(いろ)あるものであるが、それをインドでは、形よりも色(いろ)の側面で取り上げてルーパという、 とあり(日本大百科全書)それゆえに、仏教で色(しき)というときは、単にカラーのみならず、色(いろ)とともに形あるものをさし(仝上)、仏教で用いる色という語には、 (1)同一空間に二者が共存できないもの(質礙(ぜつげ))、 (2)変化して壊れてゆくもの(変壊(へんね))、 (3)悩まされるもの(悩壊(のうえ))、 という三つの性質を備えたものとされ、 広義の色、 と、 狭義の色、 との二つの意味があるとし、ひとつは、 五蘊(ごうん)のなかの一つである色蘊の色、 で、 こころに対応する物質的なるものの総称、 であり、具体的には、 五根(眼、耳、鼻、舌、身の五つの感覚器官)、 と、 五境(色、声、香、味、触の五つの感覚対象)、 と、 無表色(戒体など具体的に知覚されない物質的なるもの)、 の11種がある。 いまひとつは、 五境の一つの色、 で、 視覚の対象となる「いろ」(顕色(けんじき))、 と、 「かたち」(形色(ぎようしき))、 とをいう(世界大百科事典)。般若心経の、 色即是空、空即是色、 の色は、広義の意味の色、すなわち、 色蘊の色、 をいっている(仝上)。 五蘊(ごうん)、 は、 五陰(ごおん)、 ともいい(「おん」は「陰」の呉音)、「蘊(うん)」(「陰(おん)」)は、 集まりの意味、 で、 サンスクリット語のスカンダskandhaの音訳、 である(精選版日本国語大辞典)。 五衆(ごしゆ)、 ともいう(大辞林)。 仏教では、いっさいの存在を五つのものの集まり、 と解釈し、生命的存在である「有情(うじよう)」を構成する要素を、 色蘊(しきうん 五根、五境など物質的なもののことで、人間についてみれば、身体ならびに環境にあたる)、 受蘊(じゅうん 対象に対して事物を感受する心の作用のこと。苦(不快)・楽(快)・不苦不楽などの基本的な感覚)、 想蘊(そううん 対象に対して事物の像をとる表象作用のこと。受蘊によって感受したものを色、形などにおいて心で表象し、概念化するもの)、 行蘊(ぎょううん 対象に対する意志や記憶その他の心の作用のこと。のちにしかるべき結果をもたらすもの)、 識蘊(しきうん 具体的に対象をそれぞれ区別して認識作用のこと。受蘊によって識別された対象を言語をともなって区別し認識すること)、 の五つとし、この五つもまたそれぞれ集まりからなる、とする。いっさいを、 色―客観的なもの(身体)、 受・想・行・識―主観的なもの(精神)、 に分類する考え方である(日本大百科全書)。仏教では、あらゆる因縁に応じて五蘊が仮に集って、すべての事物が成立している(ブリタニカ国際大百科事典)とする。 この五蘊に執着し諸々の苦が生じること、とくに有漏の場合を、 五取蘊(五受蘊)、 といい、 取(受)は煩悩の異名。また衆生の身心は五蘊が因縁によって仮に和合して成り立っているものであることから、 五蘊仮和合(けわごう)、 という。衆生は五蘊が仮和合して成立しているから、本体というものはなく、無我であるから、 五蘊皆空、 という(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%98%8A)。字典『祖庭事苑』(宋代)には、 變礙曰色、領納曰受、取像曰想、造作曰行、了知曰識、亦名五蘊、 とある。 色蘊(rūpa) には、 肉体を構成する五つの感覚器官(五根)、 と、 それら感覚器官の五つの対象(五境)、 と、 行為の潜在的な残気(無表色 むひようしき)、 とが含まれる(世界大百科事典)。また、 受蘊(vedanā)、 想蘊(saṃjñā)、 行蘊(saṃskāra)、 の三つの心作用は、 心王所有の法、 あるいは、 心所、 といわれ、 識蘊(vijñāna)、 は心自体のことであるから、 心王、 と呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。 五根、 については、 六根五内、 で触れたように、 根、 は(「根機」で触れた)、 能力や知覚をもった器官、 を指し(日本大百科全書)、 サンスクリット語のインドリヤindriya、 の漢訳で、原語は、 能力、機能、器官、 などの意。 植物の根が、成長発展せしめる能力をもっていて枝、幹などを生じるところから根の字が当てられた、 とあり(仝上)、外界の対象をとらえて、心の中に認識作用をおこさせる感覚器官としての、 目、耳、鼻、舌、身、 また、煩悩(ぼんのう)を伏し、悟りに向かわせるすぐれたはたらきを有する能力、 の、 信(しん)根、勤(ごん)根(精進(しょうじん)根)、念(ねん)根(記憶)、定(じょう)根(精神統一)、慧(え)根(知恵)、 をも、 五根(ごこん)、 という(広辞苑・仝上)が、 目、耳、鼻、舌、身、 に、 意根(心)を加えると、 六根、 となる(精選版日本国語大辞典)。仏語で、 六識(ろくしき)、 は、 六根をよりどころとする六種の認識の作用、 すなわち、 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識、 の総称で、この認識のはたらきの六つの対象となる、 六境(ろっきょう)、 は、 六塵(ろくじん)、 ともいい、 色境(色や形)、 声境(しょうきょう=言語や音声)、 香境(香り)、 味境(味)、 触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、 法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、 という、 対象に対して、認識作用のはたらきをする場合、その拠り所となる、 六つの認識器官、 である。だから、 眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根、 といい、 六情、 ともいう(仝上)。 六つの認識器官(能力)の、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の、 六根、 六つの認識対象の、色境・声境・香境・味境・触境・法境の、 六境、 六塵、 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の、 六識、 の、 六根と六境を合わせて十二処、 さらに、 六識を加えて、 十八界、 と(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AD%E6%A0%B9%E3%83%BB%E5%85%AD%E5%A2%83%E3%83%BB%E5%85%AD%E8%AD%98)いわれ、仏教で説くさまざまな法(梵語dharma)は、これら一八に集約することができる。それはつまり、我々の経験しうる世界が、これら、 一八の要素から成立している、 ことを意味する(仝上)とある。そのわけは、『俱舎論』に、 法の種族の義、是れ界の義なり。一の山中に、多くの銅・鉄・金・銀等の族あるを説きて、多界と名くるが如く、是くの如く一身、或は一相続に十八類の諸法の種族有るを十八界と名づく、 とあり、 あたかも一つの山が多種の鉱石から成り立っているように、我々の身心は一八種の法から成り立っている。そして、一八の法は心身の構成要素であるから、十八界と呼ばれ、『大般若経』では、五蘊や十二処と共に十八界は空であることが繰り返し説かれる、 とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%95%8C)。なお、 般若心経(はんにゃしんぎょう)、 は、 摩訶般若波羅蜜多心経、 略して、 般若多心経、 心経、 とも称される。唐・玄奘訳。サンスクリット本の原名は、 Prajñāpāramitā-hṛdaya-sūtra、 という。いわゆるサンスクリット語の経文を漢字の音を利用して写したものであり、還元すれば、 小本のサンスクリット本の経文、 となる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C)。『般若心経』は三〇〇字にも満たない簡潔な経典であるが、 釈迦に心経、 といえば、 釈迦に経、 釈迦に説法、 と同様で、経題の中の心(梵語hṛdaya)とは心臓のことで、 物事の核心・心髄、 ということである。つまり経題は、般若波羅蜜多の核心を説く経典という意味になる(仝上)。 『般若心経』は、厖大な般若経典類に説かれる般若の智慧の教えやそのとらわれのないあり方を空思想に凝縮して、覚りの彼岸への到達成就を般若の明呪・真言によって説き明かしている(仝上)とある。 「色ふ」で触れたように、「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、 象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、 とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、 象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、 ともあるが、 会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2)、 ともあり、 会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji143.html)、 会意。人+㔾(せつ)。人の後ろから抱いて相交わる形。〔説文〕九上に「顏气なり。人に從ひ、卩(せつ)に從ふ」とし、人の儀節(卩)が自然に顔色にあらわれる意とするが、男女のことをいう字。尼も字形が近く、親昵の状を示す。特に感情の高揚する意に用い、〔左伝、昭十九年〕「市に色す」は怒る意。「色斯(しよくし)」とはおどろくことをいう(字通)、 と、会意文字とする説もある。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 紫の雲路にさそふ琴の音(ね)に憂き世を払ふ峰の松風(寂連法師)、 の詞書に、 十楽の心をよみ侍りけるに、聖衆来迎樂、 とある、 十樂(じゅうらく)、 は、 西方浄土で受ける十種の樂、 とあり、『往生要集』に詳述され、 聖衆来迎樂はその第一、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 寂連法師は、冒頭の歌の他に、 十楽の第二、蓮華初開楽 についての歌として、 これやこの憂き世のほかの春ならむ花のとぼそのあけぼのの空、 十楽の第五、快楽不退楽 についての歌として、 春秋も限らぬ花におく露はおくれ先立つ恨みやはある、 十楽の第六、引接結縁楽 についての歌として、 立ちかへり苦しき海におく網も深き江にこそ心引くらめ の歌の載せている(「とぼそ(樞)」については触れた)。 十楽、 は、『往生要集』大文第二「欣求浄土門」に説示される、浄土に往生した者が受ける十種の快楽のこと、 をいい、 浄土十楽、 ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E6%A5%BD)。『往生要集』では、 今、私は十種の楽を挙げて、極楽浄土を讃ほめようと思うが、それはちょうど、一筋の毛で大海の水を滴らせるようなものである。第一には聖衆来迎の楽、第二には蓮華初開の楽、第三には身相神通の楽、第四には五妙境界の楽、第五には快楽無退の楽、第六には引接結縁の楽、第七には聖衆倶会の楽、第八には見仏聞法の楽、第九には随心供仏の楽、第十には増進仏道の楽である、 と書き始めている(http://www.yamadera.info/seiten/d/yoshu1_j.htm)が、「十楽」とは、 @聖衆来迎楽。臨終時に苦しみがなく、阿弥陀仏や観音・勢至菩薩が来迎して浄土に引接してくれる、 A蓮華初開楽。蓮華のつぼみの中に寄託して浄土に往生し、その蓮華が初めて開くとき、清浄の眼を得て浄土の荘厳を見ることができる、 B身相神通楽。三二の勝れた特質(三二相)を持つ身と天眼などの五種の神通力を得ることができる、 C五妙境界楽。浄土では、五感の対象となるものすべてが、清らかで勝れたこよなきものとなっている、 D快楽無退楽。浄土では、行者がもはや退転することなく楽を受けることができる、 E引接結縁楽。縁故のある人びとを浄土に迎えとることができる、 F聖衆俱会楽。多くの聖者たちと浄土で会うことができる、 G見仏聞法楽。仏を見ることや、仏の法を聞くことが容易にできる、 H随心供仏楽。心のままに自由に阿弥陀仏や十方の諸仏を供養することができる、 I増進仏道楽。浄土の勝れた環境によって自然に仏道を増進して、ついにはさとりを得ることができる、 をいう(仝上)。 『往生要集』では、 『群疑論』五には浄土の三〇種の利益、 『安国鈔』では二四種の楽、 があることをあげて、 欣求浄土、 を勧めている(仝上)。鎌倉時代、 越前国坪江下郷十楽名、紀伊国阿氐河(あてがわ)荘十楽房、十楽名、 等々、しばしば仮名(けみよう)・法名として使われた(世界大百科事典)とあり、このように広く庶民の間で用いられるにつれて、 十楽、 は楽に力点を置いて理解されるようになった(仝上)という。戦国時代、諸国の商人の自由な取引の場となった伊勢の桑名、松坂を、 十楽の津、 十楽、 の町といい、関、渡しにおける交通税を免除された商人の集まる市(いち)で、不入権を持ち、地子を免除され、債務や主従の縁の切れるアジールでもあった市を、 楽市、 楽市場、 といったように、 十楽、 楽、 は中世における自由を表現する語となった(仝上・マイペディア)。織田信長の、 楽市・楽座、 もその意味であるが、江戸時代に入るとこうした楽は抑制され、地域によっては被差別民を「らく」と呼んだ事例があるように、この語の意味自体、大きく逆転する場合もみられた(仝上)とある。 なお、 往生要集、 は、 往生集、 ともいい、源信が、 百六十余部の仏教経典、論疏から九五二文に及ぶ要文を集め、極楽浄土に往生するためには、念仏の実践が最も重要であることを示した書、 で(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86)、これにより浄土教の基礎が確立された。その構成は、 @厭離穢土A欣求浄土B極楽証拠C正修念仏D助念方法E別時念仏F念仏利益G念仏証拠H往生諸行I問答料簡、 の一〇門(大文)からなり(仝上)、その序文で、 それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯の者、あに敢てせんや、 と、撰述の目的を述べている。 「田楽」で触れたように、「樂(楽)」(ガク、ラク)は、 象形。木の上に繭のかかったさまを描いたもので、山繭が、繭をつくる櫟(レキ くぬぎ)のこと。そのガクの音を借りて、謔(ギャク おかしくしゃべる)、嗷(ゴウ のびのびとうそぶく)などの語の仲間に当てたのが音楽の樂。音楽で楽しむというその派生義を表したのが快楽の樂。古くはゴウ(ガウ)の音があり、好むの意に用いたが、今は用いられない、 とある(漢字源)。音楽の意では「ガク」、楽しむ意では、「ラク」と訓む。しかし、この、 「木」に繭まゆのかかる様を表し、櫟(くぬぎ)の木の意味。その音を仮借、 とする説(藤堂明保)、 に対し、 柄のある手鈴の形。白が鈴の部分、 とする説(白川静)がある(字通)。また別に、 象形。木に糸(幺)を張った弦楽器(一説に、すずの形ともいう)にかたどり、音楽、転じて「たのしむ」意を表す、 とも(角川新字源)、 象形文字です。「どんぐりをつけた楽器」の象形から、「音楽」を意味する「楽」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「たのしい」の意味も表すようになりました、 とするものもある(https://okjiten.jp/kanji261.html)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) |
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