豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国(くに)は、是(これ)吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし(日本書紀)、 の、 行矣(さきくませ)、 は、 お幸せに、 とか、 お元気で、 という意味らしいが、 さきく(幸く)、 は、 「さき(幸)」に、「けだしく」などの「く」と同じ副詞語尾「く」の付いたもの、 で、 御船(みふね)は泊てむ恙(つつみ)無く佐伎久(サキク)いまして早帰りませ(万葉集)、 楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(仝上)、 などと、 さいわいに、 平穏無事に、 変わりなく、 つつがなく、 繫栄して、 等々、 旅立つ人の無事を祈っていう例が多い(日本国語大辞典)。 さきくませ、 の、 ませ、 は、助動詞、 まし、 の未然形、 動詞・助動詞の未然形を承け。奈良時代は、 未然形ませ、 終止形まし、 連体形まし、 しかなかったが、平安時代に入って、 已然形ましか、 が発達し、未然形に転用され(岩波古語辞典)、 ませ(ましか)・〇・まし・まし・ましか・〇、 と活用する(精選版日本国語大辞典)、 用言・助動詞の未然形に付く。推量の助動詞、 で(仝上)、その由来は、 将(ム)より轉ず(大言海)、 助動詞「む」の形容詞的な派生(精選版日本国語大辞典)、 推量の「む」から転成(mu+asi→asi)した(岩波古語辞典)、 とあり、中世以降の擬古文や歌で、 「む」とほぼ同じ推量や意志を表わすのに用いる、 とある(仝上)。 む、 は、 行かむ、 落ちむ、 受けめ、 と、 動作を未来に云ふ助動詞、 とある。 まし、 は、 動作を未然に計りて云ふ助動詞、稍、願ひ思ふ意を含めて用ゐるものもあり(大言海)、 現実には起らぬことや、事実と異なることを仮定し、仮想する意を表す。また仮定や空想の立つ種々の主観的な情意を表す。「……ませば(主として奈良時代)……まし」、「……ましかば(平安時代以降)……まし」と呼応することが多く、また仮定条件「……ましかば」を推量表現で結んだり、何らかの仮定条件を受けて、「……まし」で結ぶ表現もある(明解古語辞典)、 等々とあり、 現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立したのだったら、これこれの事態(B)がおこったであろうに」と想像する気持ちを表明するものである、 とあり(岩波古語辞典)、 「らし」が現実の動かしがたい事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これはなぜかと問うて推量するのに対して、「まし」は、動かしがたい目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合おこるであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである、 とある(仝上)。まさに、 さきくませ、 お元気で、 である。英語の、 Good luck!(I wish good luck to you)、 が近いのだろうか。 後世は、少しニュアンスが変わって、 けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや(古今集)、 と、 仮定の条件句を作り、または仮定条件句と呼応して、現実でない事態を想像する。もし…であったら、…であろう、 の意で、 ませば…まし、ましかば…まし、せば…まし、 の類型となり、 ひとりのみ眺むるよりは女郎花(をみなへし)我が住む宿に植ゑて見ましを(古今集)、 と、 現実にない事態を想像し、それが現実でないことを惜しむ意を表わす、 となったり、 いかにせましと思しわづらひて(源氏物語)、 と、 その実現の不確かさを嘆き、また実行を思い迷う意を表わす、 意で、 …だろうか。…したらよかろうか、 と使う。「らし」と対照的な使い方となる。 「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、その異字体に、 𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、𭎎(俗字)、 とあるが(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、 象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がややひろがったもの、 とあり(漢字源・https://okjiten.jp/kanji43.html)、別に、 会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせの象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、 ともあるが、 『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である。 手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、 と、上記両説を否定し、 「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり(古今和歌集)、 の、 しがらみ、 は、 柵、 笧、 と当て、 川の流れをせき止める柵、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 川の流れをせきとめるため、杭(くい)を打ち渡し、竹・柴などを横にからませたもの、 である(学研古語辞典)。それをメタファに、 袖のしがらみせきあへぬまで……尽きせず思ひ聞こゆ(源氏物語)、 と、 物事をせき止めるもの、 引き止めるもの、 まとわりつくもの、 じゃまをするもの、 などの意で使う(日本国語大辞典)。 しがらみ、 は、動詞、 しがらむ、 の名詞形で、 しがらむ、 は、 飛火(とぶひ)が岳に萩の枝(え)をしがらみ散らしさを鹿は妻呼び響(とよ)む(万葉集)、 山遠き宿ならなくに秋萩をしがらん鹿の鳴きも来ぬかな(「貫之集(945頃)」)、 と、 からみつける、 まといつける、 からませる、 意だから、それをメタファに、 うらみんとすれどもかれがれの、かづらばかりぞ身にそひて、しがらむいまのわが心、せめておもひもなぐさむと(御伽草子「さいき(室町末)」)、 と、 からみつく、 からまる、 もつれる、 かかわりをもつ、 でも使うが、 涙川流るる跡はそれながらしがらみとむる面影ぞなき(「狭衣物語(1069〜77頃)」)、 と、 しがらみを設ける、 しがらみを設けて、水流などをせき止める、 意でもあり、当然、 ひめ君も思ひ川、したゆくみづとかよへ共、さすが人目のしがらみて(浄瑠璃「十二段(1698頃)」)、 と、 さえぎり止める、 防ぎとめる、 意でも使う(精選版日本国語大辞典)。この由来は、 シは添えた語(万葉集類林)、 サ変動詞「す」と絡むの複合語、 と、からぐ(絡)と同根とされる、 巻きつく、 意の、 絡(搦)む、 からきているとする説があり、 水流をせき止めるために杭を打ち渡して、柴・竹などを結びつけることをセキカラム(塞き絡む)といった。セキ[s(ek)i]の縮約でシガラム(柵む)になり、その名詞形がシガラミ(柵)である、 とする(日本語の語源)し、 シキガラミ(繁絡)の約(大言海)、 も、同系統に思える。他の、 シバガラミ(柴搦)の義(名言通・和訓栞)、 シハカラキ(柴搦)の略転(言元梯)、 ヒシカラミ(菱搦)の上略(柴門和語類集)、 足からみの略(類聚名物考)、 イシカラミ(石籠)の義(日本釈名)、 も、やはり「からむ」と関わる。「からむ」を強調している意から見ると、 動作を行う、 意の、 シ(為)、 との複合語説が一番説得力がある気がする。 「柵」(漢音サク・サン、呉音シャク・セン)は、 会意兼形声。「木+音符册(サク 長短不揃いな木簡を並べた短冊)」。じくざぐした木のさく、 とある(漢字源)。別に、 形声。「木」+音符「冊 /*TSEK/」。「さく」を意味する漢語{柵 /*tshreek/}を表す字、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%B5)、 会意形声。木と、冊(サク)(木片を並べてとじた形)とから成る、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(木+冊)。「大地を覆う木」の象形と「文字を書きつける為に、ひもで編んだ札」の象形(「並べた札」の意味)から、「木や竹を編んで作った垣根(家や庭の区画を限るための囲いや仕切り)」を意味する「柵」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji2129.html)ある。 「笧」(サク)、 は、 文字を記すための細長い竹の札、 の意で、 冊、 と同義、 はかりごと、計画、 の意で、 策、 と同義(https://kanji.jitenon.jp/kanjir/8793.html)とある。 「柵」も、「笧」も、竹の「冊」とつながるようである。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 風吹けば落つるもみぢ葉水きよみ散らぬ影さへ底に見えつつ(古今和歌集)、 の、 きよみ、 の、 「きよ」は形容詞「きよし」の語幹。「み」は理由を表す接尾語、 とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 清いので、 けがれなく美しいので、 すがすがしいので、 という意味になる(精選版日本国語大辞典)。接尾語、 み、 は、 若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る(万葉集)、 埼玉の津にをる舟の風をいた美綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね(萬葉集)、 と、 形容詞の語幹に添いて、「の故に」の意をなす(大言海)、 形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて、…が…なので。…が…だから、原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある(学研全訳古語辞典)、 とある。形容詞、 きよし、 は、 汚らし、 の対で、氷のように冷たく冴えて、くっきり住んでいる意、清浄で汚れ・くもりがなく、余計な何物もない意。純粋、無垢で透明の意。類義語サヤケシは、氷のように冷たく冴えて、くっきり澄んでいる意、 とある(岩波古語辞典)。「きよい」で触れたように、 濁りがない、けがれがない、美しい、 くもっていない、あきらかである、 きもちがよい、さわやかである、 潔白である、いさぎよい、 残る所がない、あとかたがない、 といった意味の幅を持つ。 にごりがない→くもっていない→残る所もない→あとかたもない、 までは状態表現の外延としてわかる。 きもちがいい、 は、「濁りがない」という状態をメタファとした心情表現へと転じ、 潔白である、いさぎよい、 は、「濁りがない」という状態表現をメタファとした価値表現へと転じている、とみることができる。『大言海』を見ると、 穢れなし、清浄なり(きたなしの反)、 汚れなし、濁らず、 潔し、潔白なり、 残りなし、跡方なし、 と、「きよい(し)」の状態表現がクリアにわかる。つまり、 穢れや濁りがない、 という意味なのである。語源は、 生好(キヨ)の義(大言海) キ(気・息・生)+ヨシ(佳・吉・好)(日本語源広辞典)、 気佳・気好・気吉の義(和句解・和語私臆鈔・国語溯原=大矢徹)、 息善の義(紫門和語類集)、 キヨは生、ヨは助語(大島正健)、 イキイロシ(生色如)の義(日本語原学)、 アカキ(炎)の意(紫門和語類集)、 キエシキ(消如)の意(紫門和語類集)、 アキイヨシ(明弥)の義(言元梯)、 キは切る音、切ったものは新しく初めとなることから(日本声母伝)、 キヨはカミイホ(神庵)、カミヤド(神宿)の反、またカミヤドセリの反(名語記)、 等々が上がっている。この中では、 「キ(気・息・生)+ヨシ(佳・吉・好)」説 と 気佳・気好・気吉の義、 とはほぼ重なる。「よし(佳・吉・好)」が、 息、 か、 気、 か、 生、 か、 いずれにしても、どうやら、「きよい(し)」は、状態表現ではなく、もともとが、 よし(佳・吉・好)、 という価値表現であったということになる。 清浄で汚れ・くもりがなく、余計な何物もない意、 なのは、その人の、 息、 か、 気、 か、 生、 か、 といえば、結局その人そのものにつながるように思える。 ものきよき御なからひなり(栄花物語)、 と、 ものきよし(物清し)、 だと、 なんとなくきれいである、 さっぱりしている、 また、 潔白である、 と価値表現なのも、理由があるのかもしれない。さらに、 きよし、 に、 気好、 と当てると、文明本節用集(室町中)によると、 気のいいこと、また、その人、 お人よし、 の意となり、 惟任の妹の御つまき死了。信長一段のきよし也(多聞院日記・天正九年(1581)八月二一日)、 と、 お気に入り、 の意になる。 「清」(漢音セイ、呉音ショウ、唐音シン)は、 会意兼形声。青(セイ)は「生(芽ばえ)+井戸の中に清水のある姿」からなり、きよく澄んだことを示す。清は「水+音符青」で、きよらかに澄んだ水のこと、 とあり(漢字源)、呉音「ショウ」は、六根清浄(ショウジョウ)や清水(ショウズ)のような特殊な場合にしか用いない(仝上)とある。別に、 会意兼形声文字です(氵(水)+青())。「流れる水」の象形と「草・木が地上に生じてきた象形(「青い草が生える」の意味)と井げた中の染料の象形(「井げたの中の染料(着色料)」の意味)」(「青くすみきる」の意味)から、水がよく「澄んでいる・きよい」を意味する「清」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji586.html)。 「浄」(漢音セイ、呉音ジョウ)は、 形声、「水+音符爭」で、爭(争)は原義には関係しない、 とある(漢字源)。別に、 形声。水と、音符爭(サウ、シヤウ)→(セイ、ジヤウ)とから成る。もと、魯(ろ)国にあった池の名。古くから、瀞(セイ、ジヤウ)の略字として用いられている。常用漢字は俗字による、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(氵(水)+争(爭))。「流れる水」の象形と「ある物を上下から手で引き合う象形と力強い腕の象形が変形した文字」(「力を入れて引き合う」の意味)から、力を入れて水を「清める」を意味する「浄」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1938.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな(万葉集)、 の、 さやけし、 は、 きよらかな、 という意で、 分明、 亮、 寥、 と当てる(岩波古語辞典)とか、 明けし、 清けし、 爽けし、 と当てる(精選版日本国語大辞典)とある。類義語、 きよし、 との違いは、「きよみ」で触れたように、「きよし」は、 汚らし、 の対で、氷のように冷たく冴えて、くっきり住んでいる意、清浄で汚れ・くもりがなく、余計な何物もない意。純粋、無垢で透明の意。類義語サヤケシは、氷のように冷たく冴えて、くっきり澄んでいる意、 とある(岩波古語辞典)。「さやけし」は、 光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす、 を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、 さやけしは対象から受ける感じ、 きよしは対象そのもののようす、 をいうことが多い(学研全訳古語辞典)とある。だから、 さやけし、 は、 サユ(冴)と同根、 とあり(岩波古語辞典)、 冷たく、くっきりと澄んでいる意、視覚にも、聴覚にも使う、 とある(仝上)。 冴ゆ、 は、 さやか(分明・亮か)のサヤと同根、 とある(仝上)。 さや、 は、 清、 と当て、 あし原のしけしき小(を)屋に菅畳、いやさや敷きてわが二人寝し(古事記)、 と、 すがすがしいさま、 の意だが、やはり、 日の暮れに碓井の山を越ゆる日は背(せ)なのが袖もさや振らしつ(万葉集) と、 ものが擦れ合って鳴るさま、 の意もある(岩波古語辞典)。 さやけし、 には、 冴えてはっきりしている、 くっきりと際立っている、 と、 さや(冴)、 の語感の意の他に、 霧立ち渡り夕されば雲居たなびき雲居なす心もしのに立つ霧の思ひ過さず行く水の音もさやけく(佐夜気久)万代に言ひ継ぎ行かむ川し絶えずは(万葉集)、 と、 音、声などがはっきりとしてさわやかである、 快い響きである、 耳に快く感じられる、 意もある(精選版日本国語大辞典)のだが、視覚の、 さやけし、 と、聴覚の、 さやけし、 を分けているのが、大言海で、 分明なり、 さやかなり、 あきらけし、 の意の、 さやけし、 は、 分明、 と当て、 分明(さやか)の、音の転じて活用せる語(速(すみやか)、すむやけし、明(あきらか)、あきらけし、静(しずか)、しずけし)、 とし、字鏡(平安後期頃)にも、 分明、佐也介之、明(あきら)介志、 とある。この意をメタファに、上記の万葉集の、 行く衣の音も佐夜気久、萬代に言ひ継ぎ行かむ、 と、 (名声が揚る意で)明白に立ちて、高し、 の意とするが、いまひとつ、 音立ちて、爽亮(さやか)なり、 響き冴えたり、 の意の、 さやけし、 は、 爽亮、 と当て、 爽亮(さやか)より轉ず、 とあり、古語拾遺の、 嗟佐夜憩(あなさやけ)、 の註に、 竹葉之聲也、 とあり、大言海は、 天鈿女命の、竹葉を振ひたる声を云ふ、 と補う。ただ、二つの、 さやけし、 は、音に由来する、 同じ語原、 とする(大言海)。しかし、大言海自身が、 さやか、 に、 分明、 と当てる「さやか」は、 サヤは、清(さや)なり、 とし、 あきからに、 の意であり、 爽亮、 と当てる「さやか」は、 サヤは、喧(さや)なり、 とし、 音立ちて、 の意とする。応神紀に、 琴、其音鏗鏘而(さやかにして)遠聴(くきこゆ)、 とあるのについて、契沖は、 日本紀に、爽亮を、サヤカと訓めり、萬葉集に、清の字を書けり、鏗鏘を、さやかと訓むは、金珠などの、さはやなる聲にて、別義なり、 としている。どうも、 分明、 の、 さやか、 と、 爽亮、 とは使い分けられていて、当然、本来、 さやけし、 も、視覚と聴覚は、別けて使っていたのではないか、という気がする。このことをみるのに、 さやけし、 の、 さや、 を探ってみると、思い当たるのは、「さわぐ」で、「さわぐ」は、 奈良時代にはサワクと清音。サワは擬態語。クはそれを動詞化する接尾語、 で、 サワ、 は、 さわさわ、 という擬態語と思われる。今日、「さわさわ」は、 爽々、 と当て、 さっぱりとして気持ちいいさま、 すらすら、 という擬態語と、 騒々、 と当て、 騒がしく音を立てるさま、 者などが軽く触れて鳴る音、 不安なさま、落ち着かないさま、 の擬音語とに分かれる。「擬音」としては、今日の語感では、 さわさわ、 は、 騒がしい、 というより、 軽く触れる、 という、どちらかというと心地よい語感である。むしろ、 騒がしい、 感じは、 ざわざわ、 というだろう。しかし、 古くは、騒々しい音を示す用法(現代語の「ざわざわ」に当たる)や、落ち着かない様子を示す用法(現代語の「そわそわ」に当たる)もあった。「口大(くちおお)のさわさわに(佐和佐和邇)引き寄せ上げて(ざわざわと騒いで引き上げて)」(古事記)。「さわさわ」の「さわ」は「騒ぐ」の「さわ」と同じものであり、古い段階で右のような用法を持っていた、 とある(擬音語・擬態語辞典)。「さわさわ」は、 音を云ふ語なり(喧喧(さやさや)と同趣)、サワを活用して、サワグとなる。サヰサヰ(潮さゐ)、サヱサヱとも云ふは音轉なり(聲(こゑ)、聲(こわ)だか。据え、すわる)、 とあり(大言海)、「さいさいし」が、 さわさわの、さゐさゐと転じ、音便に、サイサイとなりたるが、活用したる語、 と、「さわさわ」と関わり、 『万葉集』の「狭藍左謂(さゐさゐ)」、「佐恵佐恵(さゑさゑ)」などの「さゐ・さゑ」も「さわ」と語根を同じくするもので、母韻交替形である、 とある(日本語源大辞典)。因みに、 さやさや(喧喧)、 は、 サヤとのみも云ふ。重ねたる語。物の、相の、触るる音にて、喧(さや)ぐの語幹、 であり、 さやぐ(喧)、 と動詞化すると、 さわさわと音をたてる、 意となる。 さやさや、 は、 清清、 と当てると、 光の冴えたる意、 で、 さや(清)、 を重ねた語である。で、 さや(清)、 は、 沍(さ)ゆと通ず、 とあり、 沍(さ)ゆ、 は、 冴ゆ、 とも当て、 冷たい、 凍(冱)る、 いであり、それをメタファに、 (光や音が)冷たく澄む、 意でも使い、 さやか(爽亮)、 に繋がっていく(岩波古語辞典・大言海)。 どうも、由来から見ると、 さや、 は、聴覚的な、 音が立つ、 からきているようなのだが、漢字を当て分けたため、別由来のように見えるものの、もともと、聴覚的な、 音が立つ、 意にも、視覚的な、 際立つ、。 意にも使っていたものではないか、という気がしてならない。だから、 さやけし、 には、その二つの意味が合流し、 聴覚的、 と 視覚的、 の使い分けが残っているのではないか。 「爽」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、 会意。「大(人の姿)+両胸に×印」で、両側に分かれた乳房または入墨を示す。二つに分かれる意を含む、 とある(漢字源)。別に、 大とは両手を広げた人の姿。四つの「乂」は吹き通る旋風。人の周囲をそよ風が吹き通って「爽やか」、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BD)、 会意。大と、(四つの「乂」り、い 美しい模様)とから成る。美しい、ひいて「あきらか」の意を表す、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(日+喪の省略形)。「太陽の象形と耳を立てた犬の象形と口の象形と人の死体に何か物を添えた象形」の省略形から、日はまだ出ていない明るくなり始めた、夜明けを意味し、そこから、「夜明け」を意味する「爽」という漢字が成り立ちました。また、「喪(ソウ)」に通じ(「喪」と同じ意味を持つようになって)、「滅びる」、「失う」、 「敗れる」、「損なう」の意味も表すようになりました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2191.html)。 「亮」(漢音リョウ、呉音ロウ)は、 会意兼形声。「人+音符京(明るい)の略体」で、高くて明るいの意を含む。京は諒(リョウ はっきり)・涼(清らか)にも含まれ、そのさいリョウという音をあらわす、 とある(漢字源)。別に、 会意文字です(高の省略形+儿)。「高大の門の上の高い建物」の象形(「高い」の意味)と「ひざまずいた人」の象形から、「高い人」を意味し、そこから、「明らか」、「物事に明るい」を意味する「亮」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1853.html)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) ほにも出でぬ山田をもると藤衣いなばの露にぬれぬ日ぞなき(古今和歌集)、 の、 藤衣、 は、 藤の繊維で織った粗末な衣、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 藤衣、 は、 ふじぎぬ(藤衣)、 ふじのころも(藤の衣)、 ともいい(広辞苑)、 藤蔓の皮の繊維にて織れる布の衣、 で、 織目が荒く、肌(はだ)ざわりが固く、じょうぶではあるが粗末なもの、 で(精選版日本国語大辞典)、古え、 賎民の着たる粗末なる服にて、 和栲(にぎたへ)、 に対し、 麁栲(あらたへ)、 という(大言海)とある。 和栲(にぎたへ)、 は、 和妙、 とも当て、平安時代になって濁り、以前は、 片手には木綿ゆふ取り持ち片手にはにきたへ奉まつり(万葉集)、 と清音で、 打って柔らかにした布、 をいい、 神に手向ける、 ものであった(岩波古語辞典)。 麁栲(あらたへ)、 は、 荒妙、 粗栲、 とも当て、 木の皮の繊維で織った、織目のごつごつした織物、 をいい、 藤蔓などの繊維で作った(デジタル大辞泉・仝上)。平安時代以降は、 麻織物、 を指した(仝上)。安斎随筆に、 望陁布、 として紫藤から作る衣類のことを述べ、樵などが着る、 とあるので、 藤衣、 は、近世頃まで実際にあったと考えられる(精選版日本国語大辞典)。 なお、 藤衣、 には、別に、 ふぢ衣はつるるいとはわび人の涙の玉の緒とぞなりける(古今和歌集)、 と、 麻の喪服、 または、 喪服、 の意味があり(広辞苑)、 縗衣、 とも当て、和名類聚抄(平安中期)に、 縗衣、不知古路毛、喪服也、 とある。もと、「織目のごつごつした織物」である藤衣を、 喪服として用いたからであろう、 とあり(精選版日本国語大辞典)、後、麻で作ったものをもいうようになる。中古の例は、 大部分が喪服をさしたものである、 とある(仝上)。木綿の伝わる中世末期までは植物性繊維として、藤衣は、アサ(麻)についで栲(たえ)などとともに庶民の間には広く行われていたが、喪服はもともと粗末なものを用いることをたてまえとしたので、庶民の衣服材料である麻布や藤布で作られた、 とある(世界大百科事典)。信長葬儀の模様を描いた、「惟任退治記」(大村由己)にも、 御輿の前轅(さきながえ)は池田古新輝政、これを舁(か)き、後轅(あとながえ)は羽柴於次丸秀勝これを舁く。御位牌、御太刀秀吉これを持す。かの不動國行なり。両行(りょうぎょう)に相連なる者三千余人、皆烏帽子・藤衣を着す、 とあり、室町末期にも葬儀に着用していたと思われる。なお、 藤衣、 は、 大君(おほきみ)の塩(しほ)焼く海人(あま)の藤衣(ふぢころも)なれはすれどもいやめづらしも(万葉集)、 と、 衣の織目の粗い意から「間遠に」、衣になれるという意から「なれる」、衣を織るという音から「折れる」をそれぞれ引き出す、 序詞、 として使われる(デジタル大辞泉・仝上)。ちなみに、 序詞(じょことば、じょし)、 とは、和歌に見られる修辞法で、 ある語句を引き出すために、音やイメージの上の連想からその前に冠する修辞のことば、 で、。枕詞(まくらことば)と同じ働きをするが、音数に制限がなく、 「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもねむ」のはじめの三句 「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」のはじめの三句 等々、二句以上三、四句におよぶ(精選版日本国語大辞典)とある。 「藤」(漢音トウ、呉音ドウ)は、 会意兼形声。「艸+音符滕(トウ のぼる、よじれてのぼる)」、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(艸+滕)。「並び生えた草」の象形と「渡し舟の象形と上に向かって物を押し上げる象形と流れる水の象形」(「水がおどり上がる、湧き上がる」の意味)から、「つるが上によじ登る草」を意味する「藤」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2100.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) かれる田におふるひつちのほに出でぬは世を今さらにあきはてぬとか(古今和歌集)、 の、 ひつち、 は、 稲を刈り取ったあとの株から伸びる新芽、 とあり、 穂は出ない、 と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 ひつち、 は、 穭、 稲孫、 と当て、 ひつぢ(ひつじ)、 ひづち(ひずち)、 とも訓ませ、 おろかおひ(い)、 稲の二番生(ばえ)、 ままばえ、 再熟稲(さいじゅくとう)、 まごいね、 ともいい(精選版日本国語大辞典)、学術的には、 再生イネ、 といい、一般には、 二番穂、 とも呼ばれ、 穭稲(ひつじいね)、 穭生(ひつじばえ)、 等々ともいう、いわゆる、 ひこばえ、 である。要は、稲刈りをした後の株に再生した稲で、 稲の蘖(ひこばえ)、 である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%AD%AB)。で、 稲刈りのあと穭が茂った田を、 穭田(ひつじだ)、 という(仝上)とある。 和名類聚抄(平安中期)には、 穭、比豆知、 類聚名義抄(11〜12世紀)には、 穭、ヲロカオヒ、俗に云、ヒツチ、 とあるように、室町時代末期までは、 ひつち、 と清音であった(岩波古語辞典)。 「ひこばえ」で触れたように、「ひつち」の由来は、 刈れる後の乾土(ヒツチ)より生ふれば名とするか(大言海)、 秣、ヒツチ、稲の再生して実なるを云、秋田をかり、水をおとして後、干土(ヒツチ)より出て、みのるものなればヒツチと云(日本釈名)、 とある(大言海)。 「穭」(ロ・リョ)は、 禾(のぎへん)+魯、 になるが、手元の漢和辞典には載らなかった。 「魯」(漢音ロ、呉音ル)は、 会意兼形声。「魚(鈍い動物の代表)+曰(ものいう)」で、言行が魚のように大まかで間抜けであること、 とある(漢字源)。あるいは、 穭、 は、 おろかおひ、 の意味から作った「和製漢字」なのかもしれない。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今和歌集)、 の、 こく、 は、 枝から花や葉をもぎとること、 とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 こきまぜて、 で、 もぎとった花や実をまぜあわせること、 とある(仝上)。万葉集には、 藤波(ふぢなみ)の花なつかしみ引き攀(よ)ぢて袖(そで)にこきれつ、 というように、 こきいれる、 を略した、 こきる、 が使われている(学研全訳古語辞典)。 こく、 は、 転く、 倒く、 と当てると、「こける(転・倒)」の文語形で、 ころぶ、 意で、 痩く、 と当てると、「こける(痩)」の文語形で、 痩せ痩ける、 というように、 やせ細る、 意で使う。 漏(く)くと通ずるか、 とする説(大言海)もあり、和訓栞は、 こける、 について、 仆るを云ふ、神代紀に、漏落を、クキオチと讀めり、コケとクキと通ぜり、 としている。類聚名義抄(11〜12世紀)には、 擿(テキ)、コカス、コク、サル、ハラフ、ノゾク(擲に同じ)、 とある。 こく、 を、 放く、 と当てると、 屁をこく、 というように、 体外に出す、はなつ、ひる、 意で、和名類聚抄(平安中期)に、 霍乱、俗云之利(尻)与利久智(口)与利古久(こく)夜万比(病)、 とあり、そのメタファで、 言ひ放つ意から、言ふを卑しめて、 嘘をこく、 というように、 ぬかす、 ほざく、 意で使う。 こく、 を、 扱く、 と当てると、 細長い物などを片手で握って他の手で引く、 しごく、 また、 しごいて掻きおとす、 しごいて引き抜く、 といった意味になり、冒頭の引用の「こく」は、この、 扱く、 で、 もみぢばは袖にこき入れてもていなむ秋は限りと見む人のため(古今和歌集)、 などと使う(広辞苑)。類聚名義抄(11〜12世紀)には、 揃、ムシル、こく、 とある。万葉集だと、 引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖にこき入れつ染(し)まば染むとも、 と、 しごく、 意で使われている。この、 こく、 の由来については、 カク(掻)と通ず(掻雜(かきま)ず、こきまず)(大言海)、 しごくと同系語(柴門和語類集)、 コは細の義(国語本義)、 等々とあるが、日葡辞書(1603〜04)に、 イネヲコク、また、コキヲトス、 とあり、意味の上からも、同じく、 扱く、 と当てる、 しごく、 との関係がある気がしてならない。中世以降、時に、 こぐ、 と濁音化することもある(日本国語大辞典)ので、なおさらである。 「扱」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、 会意文字。及は、人の背に又(手)が届くさま。扱は「手+及」で、手が届いてものを処理すること、 とある(漢字源)。「扱」は、手で取り入れる意を表すが、日本では、「あつかう」意に用いる(角川新字源)。別に、 形声文字です(扌(手)+及)。「5本の指のある手」の象形と「人の象形と手の象形」(人に手が触れて「追いつく・およぶ」の意味だが、ここでは、「吸(キュウ)」に通じ(同じ読みを持つ「吸」と同じ意味を持つようになって)、「すいこむ」の意味)から、「手で引きこむ」を意味する「扱」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1075.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(古今和歌集)、 の、 かる、 は、 離る、 と当てるが、 離る、 は、 ある、 と訓ませると、 散る、 とも当て、 アラ(粗)の動詞形、 で、 廿人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで来ず(竹取物語)、 と、 別れる、 散り散りになる、 意で、その外延で、 鮪(しび)突く海人(あま)よ其(し)が阿礼(アレ)ばうら恋(こほ)しけむ(古事記)、 と、 遠のく、 疎くなる、 となり、 さかる、 と訓ませると、 離(さ)くの自動詞形、 で、 大和をも遠く離りて岩が根の荒き島根に宿りする(万葉集)、 と、 へだたる、 遠ざかる、 意で、 はなる、 とよますと、 放る、 とも当て、 大君の命(みこと)畏み愛(うつく)しけ真子が手波奈利(ハナリ)島伝ひ行く(万葉集)、 と、 離れる、 意である(広辞苑・日本国語大辞典)。いずれも、 かる(離)、 と似た意味であるが、「離(か)る」は、 空間的・心理的に、密接な関係にある相手が疎遠になり、関係が絶える意、多く歌に使われ、「枯れ」と掛詞になる場合が多い。類義語アカルは散り散りになる意。ワカルは、一体になっているものごと・状態が、ある区切り目をもって別のものになる意、 と、使い分けられていたとある(岩波古語辞典)。 離(か)る、 は、 か(涸・枯)れると同源(広辞苑)、 切るると通ず(大言海)、 とある。 かる、 に当てるのは、 離る、 の他に、 刈る、 駆る、 枯る、 涸る、 嗄る、 等々とある。 涸る、 嗄る、 枯る、 は、意味からも、 水気がなくなる、 意と通じるのはわかる気がするが、他についても、「かる」で触れたように、 離る、 と繋がっていく。 刈る、 も、 切り離す、 意であり、 切る、伐(こ)るに通ず、 とあり(大言海)、 伐(こ)る、 は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 伐、キル・コル とあり、 離(か)る、 も、 切るるの義、 であり(大言海)つながっていく。さらに、 枯(涸・乾)る、 も、 カル(涸)と同根。水気がなくなってものの機能が弱り、正常に働かずに死ぬ意。類義語ヒ(干)は水分が自然に蒸発する意だけで、機能を問題にしない、 とあり(岩波古語辞典)、万葉集に、 耳無(みみなし)の池し恨めし吾妹子が来つつ潜(かづ)らば水は涸れなむ、 とある。こう見ると、 刈ればそのまま枯れるという意から、カル(枯)に通じる(和句解)、 涸る、 と 刈る、 はつながり、 離る、狩る、涸ると同源、 となる(日本語源広辞典)。 「離」(リ)は、 会意。離は「隹(とり)+大蛇の姿」で、もと、へびと鳥が組みつはなれつ争うことを示す。ただし、ふつうは麗(きれいにならぶ)に当て、二つくっつく、二つ別々になる意をあらわす、 とあり(漢字源)、また、 会意兼形声文字です(离+隹)。「頭に飾りをつけた獣」の象形と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、「チョウセンウグイス」の意味を表したが、「列・刺」に通じ(「列・刺」と同じ意味を持つようになって)、切れ目を入れて「はなす」を意味する「離」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1304.html)が、 会意文字と解釈する説があるが、誤った分析である。音韻形態が示すように実際には形声文字である、 とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%A2)、 形声。「隹」+音符「离 /*RAJ/」。一種の鳥を指す漢語{離 /*raj/}を表す字。のち仮借して「はなれる」を意味する漢語{離 /*raj/}に用いる、 とか(仝上)、 形声。隹と、音符离(チ、リ)とから成る。こうらいうぐいすの意を表す。借りて「はなれる」意に用いる、 とされる(角川新字源)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 夕されば衣手(ころもで)寒みしよしのの吉野の山にみ雪降るらし(古今和歌集)、 の、 衣手、 は、 袖の歌語、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 着物の手、 の意から(精選版日本国語大辞典)、 袖、 の意である(広辞苑)。転じて、 よはをわけはるくれ夏はきにけらしとおもふまなくかはるころもて(「曾丹集(11C初)」)、 と、 着物全体、 にもいい、さらに、 衣手が耳にはさみし筆津虫(俳諧「談林十百韻(1675)」)、 では、 僧尼の法衣、また、法衣を着ている人、 の意で使われている(精選版日本国語大辞典)。 また、枕詞として、 袖を水に浸す、 意から、 衣手(ころもで)常陸(ひたち)の国の二(ふた)並ぶ筑波の山を見まく欲り君来ませりと(万葉集)、 と、同音を含む地名、 常陸(ヒタチ)、 にかかり、かかり方は未詳ながら(一説に、衣手の色の「葦毛」色という意でかかるという)、 衣手葦毛の馬の嘶(いば)え超えれかも常ゆ異(け)に鳴く(万葉集)。 と、 葦毛、 にもかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。また、 衣手の、 で、 石走(いはばし)る近江(あふみ)の国の衣手(ころもで)の田上山(たなかみやま)の真木(まき)さく桧(ひ)のつまでを(万葉集)、 と、 袖の意から手(タ)の音をもつ「田上(タナカミ)山」「高屋」などにかかり、また、 ころもでの真若(まわか)の浦のまさご(真砂)つちまなくときなしあがこいふらくは(万葉集)、 衣手(ころもで)の名木(なき)の川辺を春雨(はるさめ)に我れ立ち濡(ぬ)ると家(いへ)思ふらむか(仝上)、 と、かかり方は未詳ながら(「真若の浦」は、「別る」から「若(わか)」にかかるとする説もある)、 真若(まわか)の浦、 名木(ナキ)、 等々にもかかる(仝上)。さらに、 衣手乃(ノ)別る今宵ゆ妹も吾れもいたく恋ひむな逢ふよしを無み(万葉集)、 と、 袖が両方に分かれていることから(大辞林)、 たもとを分かって離れる意から(精選版日本国語大辞典)、 別る、 にかかり、 袖が風にひるがえる意から、 早川の行きも知らず衣袂笶(ころもでの)帰りも知らず馬じもの立ちて爪づきせむすべのたづきを知らに(万葉集)、 と、 別る、 にもかかる(精選版日本国語大辞典・大辞林)。さらに、 衣手を、 は、 袖の意から、 ぬば玉の夜霧は立ちぬ衣手(ころもで)を高屋の上にたなびくまでに(万葉集)、 と、手(タ)の音を持つ、 高屋、 に、 きぬたで打つことから、 衣手(ころもで)を打廻(うちみ)の里にあるわれを知らにそ人は待てど来(こ)ずける(万葉集)、 と、 打ち、 に、あるいは、地名、 うちみの里、 にかかり、 下に敷くことから地名、 敷津、 にもかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)とある。 ころも、 は、 上代では下着にも上着にもいう。平安時代以後の仮名文で「きぬ」「御ぞ(御衣)」などが多く使われるようになると、「ころも」は、雅語・歌語として歌に多く用いられた、 とある(岩波古語辞典)。和訓栞(江戸後期)は、 服物(キルモノ)の義なるべし(黄金(きがね)、こがね。木實(きのみ)、このみ。主人(あるじ)、あろじ。惡(わろ)し、わるし。作物所(つくりものどころ)、つくりもどころ。鋳物師(いものし)、いもじ)、 とする(大言海)が、他に、 キルモ(着裳)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、 キルモノ(服物・着物)の義(日本釈名・名言通・和訓栞・柴門和語類集)、 クルムモノ(包裳)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、 などがあり、 着る裳、 は、 kirumo→koromo、 着る物は、 kirumono→koromo、 包む裳、 は、 kurumumo→koromo、 と、いずれも、母音交替による変化とする(日本語源広辞典)。どれも、「ころも」の意味から逆算している感じで、少し無理がある気がする。天治字鏡(平安中期)は、 衣裳、己呂毛、 とする。あえて言えば、「物」ではなく、「裳」の方だろう。 「衣」(漢音イ、呉音エ)は、 象形。うしろのえりをたて、前野えりもとをあわせて、肌を隠した着物の襟の部分を描いたもの、 とある(漢字源)。別に、 象形。胸元を合わせた上衣を象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%A3)、 象形。衣服のえりもとの形にかたどり、「ころも」の意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「身体に着る衣服のえりもと」の象形から「ころも」を意味する「衣」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji616.html)、 とあり、「えり」を示していたことは共通している。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 今よりはつぎて降らなむわが宿のすすきおしなみ降れる白雪(古今和歌集)、 の、 おしなむ、 は、 押しなびかせて、 押し伏せて、 の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 おしなむ、 は、 押(し)靡む、 と当てる(精選版日本国語大辞典)が、 押し並む、 とも当てる(岩波古語辞典)。 おし(押)、 は、接頭語で(精選版日本国語大辞典)、 押し伏せて一面に平らにする、 意(仝上)で、 おしなびく、 なびく、 という意味では、 押し靡ぶ、 押し並ぶ、 と当てる、 おしなぶ、 と意味が重なる(大言海は「おしなむ」を「おしなぶ」の転訛としている)が、 印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)押靡(おしなべ)さぬる夜のけ長くしあれば家し偲ばゆ(万葉集)、 と、 押靡ぶ、 と当て、 むりに力を加えてなびかせる、 また、 一様になびかせる、 意や、 さきにやけにしにくどころ、こたみはおしなぶるなりけり(蜻蛉日記)、 と、 押し並ぶ、 と当て、 すべてを一様にする、 おしならす、 意で使い、 押し靡ぶ、 と 押し並ぶ、 を使い分けているようだ(精選版日本国語大辞典)。 おしなぶ、 に、 たり、 をつけて、 おしなべたる大方のは、数ならねど(源氏物語)、 と、 普通である、 世間なみである、 平凡だ、 の意や、 そらみつやまとのくにはおしなべてわれこそおれしきなべてわれこそませ(万葉集)、 と、 おしなべて、 と、副詞として、 全体にわたって、 どこもかしこも、 の意で使うのは、 すべてを一様にする、 一様になびかせる、 意から派生したものとわかる(岩波古語辞典)。 押す、 は、 面積あるいは量を持つものの、上面又は側面に密着して力を加える、 意の動詞で(仝上)、それを接頭語として、 押し入る、 押し返す、 押し掛ける、 と、 押し、 を付けることで、 強力に、強引に、無理に、 などの意を表し、また、 押し詰まる、 押し黙る、 のように、 下に付く動詞の表す意味を強める、 役割りを果たす。 なむ、 は、 並む(並ぶも同じ)、 の場合、 横に凹凸なく並ぶ、 連なる、 意となり、 靡む(靡ぶも同じ)、 の場合、 なびくようにする、 つまり、 風や水の勢いに従って横にゆらめくように動く、 意や、それをメタファに、 他の意志や威力などに屈したり、引き寄せられたりして服従する、 意で使う。結果としては、 押し並べられる、 意ではあるが、 等し並みに平らにされる、 意と、 一方向に押し伏される、 意とは、微妙に異なり、 押し並む(ぶ)、 と、 押し靡む(ぶ)、 は、微妙に使い分けられている。 「靡」(漢音ビ、呉音ミ)は、 形声。「麻(しなやかなあさ)+音符非」、 とあり(漢字源)、 「非」は、分離すること。「麻」は、水に浸した麻のこと、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%A1)ので、水に靡く姿が想像できる。 「並(竝)」(漢音ヘイ、呉音ビョウ)は、 会意文字。人が地上に立った姿を示す立の字を二つならべて、同じようにならぶさまをしめしたもの。同じように横にならぶこと。略して、並と書く。また、併(ヘイ)につうじる、 とある(漢字源・角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%A6)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 雪降りて人もかよはぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ(古今和歌集)、 の、 あとはか、 は、 「あと」は痕跡。「はか」は、目当て、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 あとはか、 は、下に否定の形を伴い、 手掛かりになる足跡、 しるしとなる足跡、 跡形、 の意でも使うが、否定語「なし」と一体化した、 あとはかなし、 と、同義になる。 あとはかなし、 は、 跡はかなし、 と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、字義通り、 痕跡がのこらないほど、 といった意味になるのだろう。 アトはものごとが起こり去来した痕跡、ハカはハカリ(計)のハカか、 とある(岩波古語辞典)。 僧都の御許にも尋ねきこえ給へど、あとはかなくて(源氏物語)、 と、 痕跡がない、 痕跡のほどを推し量りようもない、 (行方の)手掛かりすらつかめない、 跡形もない、 といった意味で、その外延で、 行くさきも見えぬ浪路に舟出して、風にまかする身こそ浮きたれ。いとあとはかなき心地して、うつぶし伏し給へり(源氏物語)、 と、 心細く頼りない、 とりとめがない、 はっきりしない、 といった意味でも使う(仝上・精選版日本国語大辞典)。 あとはかなし、 あとはか、 の用例は、 「古今集」以後の中古例が主で、平安時代の和文特有語といえる、 とある(精選版日本国語大辞典)。上述の、 ハカはハカリ(計)のハカか(岩波古語辞典)、 の、 はかり(計)、 は、 いづこはか(何処許) いづこはかり(何処許)、 いづこをはかり(何処許)、 と使う、 はか、 と同じで(大言海)、 程(ほど)、 の意とある(仝上)。この、 はか、 は、 はかがいく、 はきかどる、 の、 はか、 と同じではないか。 「はか」で触れたように、この、 はか、 は、 計、 量、 捗、 の字を当て(広辞苑・岩波古語辞典)、 ハカリ・ハカドリ・ハカナシなどのハカ、 稲を植えたり刈ったり、まくた茅を刈るときなどの範囲や量、また稲を植えた列と列の間を言う。 目あて、あてど。 (「捗」とも書く)仕事の進み具合、 の意味になる(仝上)。『大言海』は、 計、 と 量、 を別項を立て、それぞれの由来が異なるとする。 計、 は、 稻を植え、又は刈り、或いは茅を刈るなどに、其地を分かつに云ふ語。田なれば、一面の田を、数区に分ち、一はか、二(ふた)はか、三(み)はかなどと立てて、男女打雑り、一はかより植え始め、又刈り始めて、二はか、三はか、と終はる。又稲を植えたる列と列との間をも云ふ。即ち、稲株と稲株との間を、一はか、二はかと称す、 とし、 量、 は、 量(はかり)の略。田を割りて、一はか二はかと云ふ。農業の進むより一般の事に転ず。かりばかの条をみよ、 とあり、 仕事の捗る、 という意味を載せる。 かりばか、 は、 刈婆加、 の字を当て、 稲刈りに、田に区分を分割して、刈り取ることを云ふ。刈量(かりはか)の義ならむ。…功程(はか)のゆく、ゆかぬという語、是なるべし。然して、それがやがて、稻、茅の刈取という意となりしとおぼし、 とある。初めは、「量」で、その意味が広がって、「計」になり、ついには、 捗(はかど)る、 とあて、「捗」を当てるようになった、と考えられる。この「はか」が、 はかない、 の「はか」に通じる、という(大言海)。 はかない、 は、 無果敢、 儚、 の字を当て、 あとはかなし(無痕迹)の略、 としているが、 果無い、 果敢無い、 儚い、 の字を当て、別に、 ハカは、仕上げようと予定した作業の目標量。それが手に入れられない、所期の結実のない意、 として、 これといった内容がない、とりとめがない、 てごたえがない、 物事の進捗などがわずかである、 うっけない、むなしい、特に人の死についていう、 等の意味が載る(広辞苑)。 「はか」がいかない、 という意味の果てに、 とりとめがない、 むなしい、 と行きついたということになる。 あとはかなし、 の意味の外延と重なっているところからみると、 はかなし、 が、 あとはかなしの略、 とする(大言海)のも故なしとしない。 「跡」(漢音セキ、呉音シャク)は、 会意。亦は、胸幅の間をおいて、両脇にある脇の下を示す指事文字。腋(エキ)の原字。跡は「足+亦」で、次々と間隔を置いて同じ形の続く足あと、 とある(漢字源)。別に、 形声。足と、音符亦(エキ)→(セキ)とから成る。「あと」の意を表す(角川新字源)、 形声。「足」+音符「朿 /*TSEK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B7%A1)、 会意兼形声文字(足+亦)。「胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「足」の意味)と「人の両わきに点を加えた文字」(「わき」の意味だが、ここでは、「積み重ねる、あと」の意味)から、「積み重ねられた足あと」を意味する「跡」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1232.html)、 等々ともある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 梅の花それとも見えずひさかたの天霧る雪のなべて降れれば(古今和歌集)、 の、 天霧(あまぎ)る、 は、 天をかきくもらせる、 の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 雲や霧が立ち込めて、空一面が曇ること、 とあり(風と雲のことば辞典)、 かきくもりあまぎる雪の古郷(ふるさと)をつもらぬさきに訪ふ人もがな(新古今和歌集)、 と、 空が曇る、 状態を指すものらしい。 あまぎらひ降り来る雪の消 (け) なめども君に逢はむと流らへ渡る(万葉集)、 と、 「あまぎる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」、 の、 あまぎらふ、 とも、 月見る人に戀ふらく天霧之(アマギラシ)降りくる雪の消(け)ぬべくおもほゆ(万葉集)、 と、 あまぎらす、 とも使う(大言海・デジタル大辞泉)。 あま(天)、 は、 あまつおとめの(天つ少女)、 あまつえだ(天つ枝)、 あまつかぜ(天つ風)、 あまついわさか(天つ磐境)、 あまつかみ(天つ神)、 あまつかみのみこ(天つ神の御子)、 あまつくもい(天つ雲居)、 あまつそら(天つ空)、 あまつのりと(天つ祝詞)、 あまつひつぎ(天つ日嗣)、 あまつひもろき(天つ神籬)、 あまつみや(天つ宮)、 等々様々に使われるが、 「あめ(天)」に同じ。多く助詞「つ」あるいは「の」を介して他の語を修飾し、また直接複合語をつくるときの形、 で(大辞林)、 あまつ、 の、 あま、 は、 あめ、 が、 熟語に冠したる時の音転なり、爪(つめ)、爪(つま)先。目(メ)、まぶた(蓋)。雨(アメ)、雨(あま)雲、雨(あま)水、 と(大言海)、 あめ(天)の母音交替形、 で、 アカ(赤・明)からアケ(朱・明)が派生するように、ア段で終わる語根に母音iが下接して、エ段音(乙類)になった形が名詞・動詞連用形などに転じることが少なくないが、それに準じればアマがアメの原形あると考えてよい、 と(日本語源大辞典)、 アメの古形、 ということになる(広辞苑)。 ツは、 ツは上代の助詞、 で(大辞泉)、 天の、 天にある、 の意となり(大辞林)、「あま」は、 あをによし奈良の都にたなびけるあまの白雲見れど飽かぬかも(万葉集)、 と、 そら、 てん、 の意で(広辞苑)、 天雲、 天人(あまびと)、 天降(くだ)る、 天霧(ぎ)る、 等々、 天に関する事物、また、高天原(たかまがはら)に関する事物に冠して用いる、 とあり(日本国語大辞典)、 アマは何もないという意のソラ(空)とは異なり、奈良時代及びそれ以前には、天井にある一つの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。天皇家の祖先はアマから降下してきたと建国の神話にあり、万葉集などにも歌われている。それでアマは、天上・宮廷・天空に関する語に付けて使う、 というもののようである(岩波古語辞典)。 「あま」の語源については、 アオギミエ(仰見)の略形(桑家漢語抄)、 アミ(阿水)の意(柴門和語類集)、 ウカミ(所浮)の義か、またあまりの義か(雅言考)、 アオミエ(蒼見)の反(名言通)、 イカミエ(大見)の約(和訓集説)、 ウハミエ(上見)の反(名語記)、 天を仰ぎ見る時に自然に出る感歎の声(言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹)、 奄の音amの転音(日本語原考=与謝野寛)、 ア(非常に大きく広い)+マ(空間)(日本語源広辞典)、 と、種々あるが、 皆付会なり、 という感じ(大言海)は否めない。結局、はっきりしない。 霧(き)る、 は、 霞立ち春日のきれるももしきの大宮所見れば悲しも(万葉集)、 と、 霞や霧が立つ、 かすむ、 意で、それをメタファに、 目も及ばぬ御書きざまも、目もきりていみじ(源氏物語)、 と、 涙で目がかすんではっきり見えなくなる、 意でも使う(広辞苑)。この名詞形が、 霧、 とする(大言海)説があり、この語源を、 かをる(靄)→こる→きる、 とする(仝上)。江戸後期の注釈書『万葉集古義』は、 かをり(薫)、樵り(香)、こる(香)、きる(伐)、名詞形にて霧となる、 とある。 かをる、 は、 靄、 と当てるものと、 薫、 と当てるものがあり、 新撰字鏡(平安前期)に、 淑郁、香気之盛……加乎留、 天治字鏡(平安中期)に、 靄、加孚利、 平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、 靄、牟加利(加牟利の倒語)、 芬、秀美、加乎留、 などとあるが、 おをる、 は、 煙・火・霧などが、ほのかに立ちのぼって、なびきただよう意。転じて、匂いの漂う意。類義語ニホフは赤い色の美しさが浮き上がるのが原義、 とある(岩波古語辞典)ので、漢字で当て分ける以前の和語としては、一つであったと思われる。もとは、 潮気のみかをれる国に味凝りあやにともしき高照らす日の御子(万葉集)、 と、 気がほのかに立つ、 意と思われるので、 気折る、 とする語源説(大言海)も的を外していないのかもしれない。 「天」(テン)は、「天知る」で触れたように、 指事。大の字に立った人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示したもの。もと、巓(テン 頂)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。高く平らに広がる意を含む、 とある(漢字源)。別に、 象形。人間の頭を強調した形から(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9)、 指事文字。「人の頭部を大きく強調して示した文字」から「うえ・そら」を意味する「天」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji97.html)、 指事。大(人の正面の形)の頭部を強調して大きく書き、頭頂の意を表す。転じて、頭上に広がる空、自然の意に用いる(角川新字源)、 等々ともある。 「霧」(漢音ブ、呉音ム)は、 会意兼形声。務は、手探りして求める意を含む。霧は「雨+音符務」で、水気がたちこめて手探りして進むことを表す、 とある(漢字源)。ただ、他は、 形声。「雨」+音符「務 /*MO/」。「きり」を意味する漢語{霧 /*m(r)os/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%A7)、 形声。雨と、音符敄(ブ、ム)(または、務(ブ、ム))とから成る。「きり」の意を表す(角川新字源)、 形声文字です(雨+務)。「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形と「矛(ほこ)の象形とボクッという音を表す擬声語と右手の象形と力強い腕の象形」(「矛で打ちかかる⇒務(つと)める(精一杯、仕事を行う)」の意味だが、ここでは、「冃(ボウ)」に通じ、「覆う」の意味)から、天と地の間にたちこめて(一面に広がって)覆う「きり」を意味する「霧」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji339.html)、 と、形声文字とする。 参考文献; 倉嶋厚監修『風と雲のことば辞典』(講談社学術文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) わが待たぬ年は来(き)ぬれど冬草のかれにし人はおとづれもせず(古今和歌集)、 の、 つごもり、 には、 月末と月の最後の日と二つの意味がある、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 つごもり、 は、 晦日、 晦、 と当てる(広辞苑)。陰暦では、 三十日の夜は新月となる、 ことから(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%94%E3%82%82%E3%82%8A・日本大百科全書)、 月隠(つきごもり)の約(広辞苑・日本語の語源・デジタル大辞泉・大言海)、 月籠(つきこもり)の約(岩波古語辞典・日本語源広辞典)、 と、当字に差はあるが、ほぼ、 つきごもり、 の意とする。ただ、 単純なキの音節の脱落による(ツキゴモリ→ツゴモリ)という説は、他に類例がなく極めて疑問。意味上対をなすツイタチと音節数の平衡性を保つためにキが脱落したという見方もあるが、上代の複合語形成の原則からは、ツキタチ・ツキゴモリよりもツクタチ・ツクゴモリの方が自然であり、従ってツクゴモリ→ツウゴモリ→ツゴモリという変化過程も考えられる、 とあり(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、 ツキコモリは興福寺本「日本霊異記」訓釈に見られ、天治本・享和本「新撰字鏡」にはツキコモリ・ツクコモリの両訓が見られるが、特にツクコモリの意味の限定は難しい。上代において、「ツクコモリ」は「太陰」を表わし、「ツキコモリ」は暦日の「つき」を表わすという意義分化があった可能性もあり、意義の分裂に沿って語形の分裂が起こった可能性も否定できない、 とする(仝上)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)には、 日篇に覆、晦也、豆支己毛利、 と載り、類聚名義抄(11〜12世紀)にも、 ツゴモリ、 と載る。文字通り、 月の光が隠れて見えなくなること、また、その頃、 を指し(広辞苑)、 陰暦にて、月の下旬、又、毎月の下旬の十日ばかりの程の称、 を言い、 下旬(つえつかた)、 と、 朔日・朔(ついたち)、 望(もち 月の十五日、望の日)、 に対する(大言海)。因みに、 望(もち)、 は、 持ちの義、 で、 月満ちて、日と相当たる意と云ふ、 とある(仝上)。 みそか、 は、上記の月の状態から、敷衍して、 月の最後の日、 を言い、 三十日(みそか)、 と当て(仝上)、 御寺(みてら)に渡りたまうて、月ごとの十四五日、晦日(つごもり)の日行はるべき普賢講(ふげんかう)、阿弥陀、釈迦(さか)の念仏の三昧(さんまい)(源氏物語)、 と、古くは、 つごもりの日、 ということが多い(広辞苑)。また、年の最終日は、特に、 大晦日(おおつごもり)、 という(日本大百科全書)。 みそか(三十日、晦日)、 を、 尽日(じんじつ)、 というのも月の最終日にあたっているからで、日常生活の節目として、 晦掃(つごもりばき)、 といい、毎月この日には家中をきれいに掃除したり、 晦蕎麦(みそかそば)、 といって延命を願ってそばを食べる等々、種々の行事があった。今日、大晦日の夜に食べる、 年越し蕎麦。 は、月の末日に祝って食べる蕎麦(晦蕎麦)の集大成ということになる(仝上)。 「晦」(漢音カイ、呉音ケ)は、 形声。毎(マイ)は「まげを結った姿+音符母」の会意兼形声文字。晦は「日+音符毎(カイ・マイ)」、 とある(漢字源)。「みそか」「つごもり」の意である。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) あらたまの年のをはりになるごとに雪もわが身もふりまさりつつ(古今和歌集)、 の、 あらたまの、 は、 「年」「月」などにかかる枕詞、 である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 あらたま、 は、 粗玉、 荒玉、 新玉、 璞、 等々と当て(岩波古語辞典・大言海・広辞苑)、文字通り、 掘り出したままで、堅くてまだ磨かないごつごつした玉、 の意である。和名類聚抄(平安中期)には、 璞、阿良太万(あらたま)、玉未理也、 とある。とすると、この場合の、 あら、 は、 粗、 荒、 と当てる、 あら、 で、 柔き、 和(にご・にき)、 に対し(大言海・岩波古語辞典)、 アラカネ(鉄)・アラタマ(璞)アラト(硫)などのアラ、 で、 物が生硬・剛堅で、烈しい意、 を表すので、剛(こわ)き意で、 毛の荒物、毛の和物(ニゴモノ)、 荒炭、和炭(ニゴスミ)、 と対比して使ったり、烈しい意で、 荒御霊(アラミタマ)、和御霊(ニギミタマ)、 と対比して使い、さらには、そこから広げて、 荒波、荒海、 等々と使う(仝上)。 あら、 には、いまひとつ、 こまか(濃・密)、 に対し(岩波古語辞典)、 アラアラ(粗・略)・アラケ(散)・アライミ(粗忌)・アラキ(粗棺)などのアラ、 で、 物がばらばらで、粗略・粗大である意を表す、 あら、 があり、この「あら」は、母音交替で「オロ」と転じ、「オロカ」「ワオロソカ」の形で使われる(岩波古語辞典)とある。 「荒」のあら、 と、 「粗」のあら、 は、 起源的に別であったかと思われるが、後に混用され、次第に「荒」一字で両方の意味を示すようになった、 とある(仝上)。この、 あら、 が、 あらたま、 として、 「年」「月」「日」「夜」「春」、 にかかり、 あらたまの年、 で、 新年、 新春、 の意で使われる。これは、 枕詞「あらたまの」が、「年」「春」等々に冠せられ、「あらたまの年」「あらたまの春」ともちいられているうちに、「あらたま」だけで、「春」や「年」の意を表すに至った、 もののようである(岩波古語辞典)。しかし、この、 あらたま、 は、上述の、 荒、 粗、 の、 あら、 とは、意味が違い過ぎる。あるいは、由来を異にするのではないか。 (江戸中期)『万葉代匠記』(契沖著、『万葉集』の注釈・研究書)、総釋枕詞、あらたまの「あらたまるなり」(谷(はさま)も、挟(はさま)るなるべし)、此語原説、殊に平易なるをおぼゆ、然れども、語原を枕詞としたる例もなきやうなれば、強ひて、云ひがたし。尚、考ふべし。新閨iアラタマ)と云ふ説もあれど、間と云ふ意、落ち着かず。此外にも諸説あれど、皆理屈に落つ、 とはある(大言海)ものの、 あらたまる、 は捨てがたい。 あらたま、 に、 新玉、 と当てるのは、 新しい、 意の、 あらた(新)、 からきている。 「あたら」で触れたように、 「あらたし」は、 あらた(新)の形容詞形、 つまり、 あらたを活用した、 もので、 平安時代以後、アタラシ(可惜)と混同を起こしたらしく、アタラシという形に変わった。ただし、可惜の意のアタラシと新の意のアタラシとのアクセントば別で、アタラシ(新)の第一アクセントは、アラタ(新)の第一アクセントと一致していた、 とある(岩波古語辞典)。つまり、口語では、 あたらし(可惜)、 と あたらし(新)、 とは区別されていたが、書き言葉の中では区別がつかなくなっていった、ということなのだろうか。日本語源大辞典は、 アラタシからアタラシへの変化は、音韻転倒の典型的な例として引かれることが多いが、変化の説明はなお考慮すべき点がある。まず、アクセントのうえでは区別できるものの、「惜しい」の意の形容詞「アタラシ」と同形となり、一種の同音衝突となる点をどのように考えるかが問題となる。さらに、同根の類語アラタナリ・アラタムとの類似が薄まるために起こりにくくなるはずの変化が、どうして起こり得たかを明確にする必要がある、 と、述べている。確かに、 あらた(新)なり、 あら(新)た、 はそのまま生きているのである。憶説にすぎないが、この、 あら(新)、 と、 あら(荒)、 とが混用されてしまったのではあるまいか。意味からいえば、 あら(新)、 が、 あらたま(新玉)、 とつながる方が自然なのではないか。 「璞」(漢億ハク、呉音ホク、慣用ボク)は、 会意兼形声。菐は、あらけずりのままの意を含む。璞はそれを音符とし、玉を加えた字、 とある(漢字源)。「今有璞玉於此」と使い(孟子)、荒玉の意である。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 雪降りて年の暮れぬる時にこそつひにもみぢぬ松も見えけれ(古今和歌集) は、論語子罕篇の、 歳寒くして、然る後、松柏の彫(しぼ)むに後(おく)るるを知る、 を踏まえる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。この、 もみづ、 は、 我が宿(やど)の萩(はぎ)の下葉(したば)は秋風(あきかぜ)もいまだ吹かねばかくぞもみてる(万葉集) とある、四段活用動詞、 もみつ、 が平安初期以後上二段化し、語尾が濁音化したもの、 とあり(岩波古語辞典・日本国語大辞典)、 もみつ、 は、 紅葉つ、 黄葉つ、 と当てる(広辞苑)。その、 もみづ、 の連用形の名詞化が、 もみぢ(紅葉。黄葉)、 である。 もみち(もみぢ)、 は、 色を揉み出すところから、もみじ(揉出)の義、またモミイヅ(揉出)の略(日本語源広辞典・和字正濫鈔・日本声母伝・南嶺遺稿・類聚名物考・牧の板屋)、 紅(もみ)を活用す(大言海)、 モミヂ(紅出)の義、モミ(紅)の色に似ているところから(和句解・冠辞考・万葉考・和訓栞)、 モユ(燃)ミチの反(名語記)、 モミテ(絳紅手)の義(言元梯)、 等々あるが、もともとの、 もみつ、 からの語源説明でないと、意味がないのではない。その点では、 もみ(紅)の活用、 は意味がある。これは、 色は揉みて出すもの、紅(クレナヰ)を染むるに、染めて後、水に浸し、手にて揉みて色を出す、 とあり(大言海)、 もみ、 は、 ほんもみ、 ともいう(精選版日本国語大辞典)ので、結果的には、 もみじ(揉出)、 モミイヅ(揉出)の略、 とする語源説と似てくるが。 もみ、 は、 紅、 紅絹、 本紅絹、 と当て(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)、 紅花を揉んで染めるところから、 この名があり、江戸時代には、 紅花染を紅染(もみぞめ)、職人を、 紅師(もみし)、 といったことされる(仝上)。 緋紅色に染めた平絹 をそう呼び、 平絹、羽二重に鬱金(うこん)で黄に下染めした上へ紅をかけて、いわゆるもみじ色の緋(ひ)色に染め上げた、 とあり、 和服の袖裏や胴裏などに使う、 とある(仝上)。日本では、古くから、 紅で染めたものを肌着や裏地に用いる習慣がある。これはおそらく紅の薬物的な効力に対する信憑(しんぴょう)感から出たものであろう、 とある(日本大百科全書)。 なお、「紅葉狩」については触れた。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくにも(万葉集)、 の、 あふち(おうち)、 は、 センダンの古名、 とある(広辞苑)。 センダン、 は、 栴檀、 と当て、 センダン科センダン属に分類される落葉高木、 の一種で、別名、 アフチ、 オオチ、 オウチ、 アミノキ、 などがあり、薬用植物の一つとしても知られ、果実はしもやけ、樹皮は虫下し、葉は虫除けにするなど、薬用に重宝された(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%B3)とある。 栴檀は双葉より芳(かんば)し、 のセンダンだが、香木の栴檀はインドネシア原産のビャクダン(ビャクダン科)を指し、センダンは特別な香りを持たない(仝上)という。 平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、 槤、阿不知乃木、 和名類聚抄(平安中期)に、 楝、阿布智、 とある、 あふち、 の由来は、 花が藤に似て上向きに咲くことから、アフグフジ(仰藤)の義(名言通)、 アハフジ(淡藤)の義(日本語原学=林甕臣)、 五月五日ごろ必ず咲くということから、アフチ(逢時)の義、チはトキ(時)の反(和訓栞)、 等々があるが、藤と絡めて、 仰藤(アフフジ)の約(仰向(アフム)く)にて、葉も花も藤に似て、花は仰ぐという説あれど、似ざるがごとし、又、梟首する木なれば、逢血(アフチ)なりなど云ふ説は、取るに足らず。尚、考ふべし。樗(チヨ)、又、木篇に惡、の字を用ゐる、 とある(大言海)。「木篇に惡」の字を、 あふち、 と訓むのは、 樗を惡木也と注せるに因れる倭字也、 とある(和訓栞)。 惡木、 とするのは、 梟首するに因りて、 か(大言海)とあるのは、かつて、 梟首(きょうしゅ)、 は、貞丈雑記(1784頃)に、 今時の人梟首(きゃうしゅ)の事を獄門と云也、 とあるように、 獄門、 とも言った、平安時代中期〜明治初期の刑罰の一つで、 大衆へのみせしめとして行われたさらし首、 をいい、鎌倉時代までは、 斬首した罪人の首をほこに突刺して京中の大路を渡したのち、その首を左獄ないし右獄の門前にある楝(おうち。センダンの古名)の樹にかけてさらすことが多かったので、いつしか梟首のことを獄門と呼ぶようになった、 とある(ブリタニカ国際大百科事典)。室町時代以降になると、 柱と横木で台をつくって、その上に5寸釘を打った首台を据え、そこへ首を刺してさらした、 が、 獄門、 という呼称はそのまま残った(仝上)。この故に、 楝、 を、 惡木、 とするのだろうと(大言海は)推測したもののようである。なお、 楝(おうち)、 には、 襲(かさね)の色目、 の意もあり、山科流では、 表は薄色(薄紫色)、裏は青、 また、 表は紫、裏は薄紫、 で、夏に用いる(広辞苑)とある。 その、 楝の花に似た薄紫色、 を、 おうちいろ、 といい、 ききょう色、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。 「楝」(レン)は、 形声。「木+柬(カン・レン)」、 とある(漢字源)。「柬」は、えらぶ、えりわける意で、類義語は簡。で、手紙の意もある。 「樗」(チョ)は、 会意兼形声。旁が音をあらわす、 としかない(漢字源)。にがき科の落葉高木を意味するが、日本ではみつばうつぎ科の「ごんずい」にこの字を当て、「おうち」にも当てる。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) ゆく年の惜しくもあるかなます鏡見るかげさへにくれぬと思へば(古今和歌集)、 の、 ます鏡、 は、 真澄の鏡、 の意で、 澄みきって、ものがよく映る、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 ますかがみ、 は、 真澄鏡、 十寸鏡、 等々と当て、 まそかがみ、 の転とある(岩波古語辞典)。また、 たらちねの母が形見と吾が持てる真十見鏡(まそみかがみ)に(万葉集)、 と、 まそみかがみ(真澄鏡)、 ともいう例がある(精選版日本国語大辞典)。 まそかがみ、 は、 真澄鏡、 真十鏡、 と当て(広辞苑)、萬葉集では、 麻蘇鏡、末蘇鏡、 清鏡、白銅鏡、銅鏡、 真素鏡、真祖鏡、真鏡、 等々もある(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32304)が、 真十鏡、 が最も多い(仝上)とある。この由来は、 マソはマスミの転、ますみのかがみの転、一説に、完全の意(広辞苑)、 マソはマスミの転、マソミの約(岩波古語辞典)、 マスミノカガミ(真澄鏡)の約(大言海)、 「ますみのかがみ」と同義とも、「まそ」は十分整った意ともいう(大辞林)、 とあり、 ますみのかがみ(真澄鏡)、 は、 殊に善く澄みて、明なる鏡、 とあり、 まそみのかがみ、 まそひのかがみ、 てるのかがみ、 等々とも言い(大言海)、易林節用集(慶長)には、 真角鏡、マスミノカガミ、十寸鏡、ますかかみ、 とある。しかし、 「ますかがみ」の変化したものとする説は、「ますかがみ」の確実な例が平安時代以降にしか見られないので疑問、 ともあり(精選版日本国語大辞典)、語源は未詳ながら、一説に、 「ま」は接頭語で、「そ」は完全な、そろった、などの意で、よく整った完全な鏡の意とする、 とあり(仝上)、また、 万葉集にある「ますみの鏡」(吾が目らは真墨乃鏡吾が爪は……)という語が紀の神代紀の古訓(白銅鏡、私注「曼須美乃加加見)や『新撰亀相記』にも見えることから、「まそかがみ」はその転訛と考える説もあるが、「まそかがみ」の例に集中することから、むしろ「ますみの鏡」は語源解釈の結果生まれた語形であろう。おそらく接頭語「まそ」は真+具の意で、足り備わったさま、十全なさまをあらわすのであろう、 ともある(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32304)。 いずれにしても、 白栲(しろたへ)のたすきを掛け麻蘇鏡(まそかがみ)手に取り持ちて と、 澄み切った、明なる鏡、 の意ではあり(大言海)、 鏡の美称、 であることは間違いない。そして、枕詞として、 曇りなく光らせてある、 ところから(岩波古語辞典)、 鏡を月にたとえて、 我妹子(わぎもこ)や吾れを思はば真鏡(まそかがみ)照り出づる月の影に見え来ね(万葉集)、 と、 清き月夜、 照り出る月、 に、 鏡は箱に入れてあるところから、「蓋(ふた)」と同音を含む地名に、 娘子(とめら)らが手に取り持てる真鏡(まそかがみ)二上山に木の暗(くれ)の繁き谷辺を(万葉集)、 と、 二上(ふたかみ)、二上山(ふたがみやま)、 に、 みることから、 真祖鏡(まそかがみ)見とも言はめや玉かぎる石垣淵(いはかきぶち)の隠りたる妻(万葉集)、 と、 見、 に、 真十鏡(まそかがみ)敏馬(みぬめ)の浦は百船(ももふね)の過ぎて行くべき浜ならなくに(万葉集)、 と、それと同音の地名、 敏馬(みぬめ)、南淵(みなふち)、 に、 鏡に映る影の意から、 里遠み恋ひわびにけり真十鏡(まそかがみ)面影去らず夢(いめ)に見えこそ(万葉集)、 と、 面影、 に、 床のそばに置くの意で、 里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ(万葉集)、 と、 床の辺さらずに、鏡を掛けて使うので、 まそ鏡懸けて偲(しぬ)へとまつり出す形見のものを人に示すな(万葉集)、 と、 かく、 に、 鏡を磨(と)ぐの意で、 真十鏡(まそかがみ)磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験(しるし)あらめやも(万葉集)、 と、 磨ぐ、 にそれぞれかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 「鏡」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、 会意兼形声。竟は、楽章のさかいめ、区切り目を表わし、境の原字。鏡は「金+音符竟」。胴を磨いて明暗のさかいめをはっきり映し出すかがみ、 とある(漢字源)。ただ、他は、 形声。「金」+音符「竟 /*KANG/」。「かがみ」を意味する漢語{鏡 /*krangs/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8F%A1)、 形声。金と、音符竟(ケイ、キヤウ)とから成る。かげや姿を映し出す「かがみ」の意を表す、 も(角川新字源)、 形声文字です(金+竟)。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土中に含まれる「金属」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口の象形(「言う」の意味)の口の部分に1点加えた形(「音」の意味)と人の象形」(人が音楽をし終わるの意味だが、ここでは、「景(ケイ)」に通じ(同じ読みを持つ「景」と同じ意味を持つようになって)、「光」の意味)から、姿を映し出す「かがみ」を意味する「鏡」という漢字が成り立ちました、 も(https://okjiten.jp/kanji555.html)、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) わたつうみの浜の真砂(まさご)君がちとせ(千年)のあ(有)り數にせむ(古今和歌集)、 の、 わたつうみ、 は、 海神、 の意、 転じて、上記歌では、 海、 の意で使われている。 わたつうみ、 は、 わたつみの転か、 とあり、 わだつうみ、 ともいう(広辞苑)とある。ただ、 ワタツウミの語形、 は、 ミをウミ(海)のミと俗解したところから現れたもので平安時代以降にみえる、 とあり(日本語源大辞典)、それは、 わたつみ、 が、 渡津海、 綿津海、 などと書くため、 「み」が「海」の意に意識されてできた語、 なのである(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 わたづうみ、 わだつうみ、 も、その転訛である(仝上)。 「うみ」で触れたように、「わたつみ」は、 海神、 海津見、 綿津見、 等々と当て、 わだつみ、 わたづみ、 わだづみ、 ともいい(精選版日本国語大辞典)、 海(わた)つ霊(み)の意。ツは連体助詞(岩波古語辞典)、 ツは助詞「の」と同じ、ミは神霊の意(広辞苑)、 「つ」は格助詞、「み」は神霊の意(大辞林)、 「つ」は「の」の意の古い格助詞。「海つ霊(み)」の意。後世は「わたづみ」「わだづみ」「わだつみ」とも(精選版日本国語大辞典)、 ツは之、ミは霊異(クシビ)のビと通ず、或は云ふ、海(ワタ)ツ海(ウミ)と(大言海)、 わた(さらに古形は「わだ」)」は海の非常に古い語形、「つみ」は同系語に、山の神を意味する「やまつみ(cf.オオヤマツミ)」等が見られるように、「つ」は同格の助詞「の」の古形であり、「み」は神霊を意味する(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF)、 ワタ(海)+ツ(の)+ミ(水)、ワタノハラとも(日本語源広辞典)、 ワタツカミ(海津神)―ワタツミ(綿津見)(日本語の語源)、 ワタツミ(海之龍)の義(名言通)、 ワタツモリ(海之守)の義(日本語原学=林甕臣)、 等々あるが、ほぼ、 ツはの、ミは霊(ミ)、 と解されている。個人的には、 ワタツカミ(海津神)―ワタツミ(綿津見)、 と、神のなから転じたと見るのが、意味から見ても妥当な気がする。ただ、『古事記』には、 綿津見神(わたつみのかみ)、 綿津見大神(おおわたつみのかみ)、 と表記されているのが、ダブりになるので難点ではある。ともかく、 ミをウミのミと俗解した、 というのは、「海津神」が、意識されなくなったところから来ているのだろう。 わた、 は、 海、 と当てているが、 渡るの意と云ふ、百済語ホタイ、朝鮮語バタ(大言海)、 船で渡るところからワタ(渡)の義(色葉和難集・冠辞考・俚言集覧・月斎雜考・答問雜稿・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄)、 「わた(さらに古形は「わだ」)」は海の非常に古い語形、現代朝鮮語「바다(/pada/ 海)」の祖語との説は根拠が無い(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF) ワダとも、朝鮮語pata(海)と同源(岩波古語辞典)、一説に、ヲチ(遠)の転(広辞苑)、 等々あるが、確定は出来そうもないが、 わたつみ、 は、和名類聚抄(平安中期)に、 海神、和太豆美乃加美、 とあり、 海を領する神、 つまり、 海神、 の意である。そして、海の神がいる所の意から転じて、 海、 海原、 の意で使う。また、その意味から、枕詞として、 わたつみの、 として、 海が深いことから、 棹(さを)させど底(そこ)ひも知らぬわたつみの深きこころを君に見るかな(土佐日記)、 と、 深き心、 にかかり、また、 わたつみのそこのありかはしりなからかつきていらむなみのまそなき(後撰和歌集)、 と、海の底の意で、 そこ、 にかかる(精選版日本国語大辞典)。 「海」(カイ)は、 会意兼形声。「水+音符毎」で、暗い色のうみのこと。北方の中国人の知っていたのは、玄海、渤海などの暗い色の海だった。音符の毎は、子音が変化し、海・晦・悔などにおいてはカイの音を表す、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(氵(水)+每)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「髪飾りを付けて結髪する婦人」の象形(黒い髪を結髪する様(さま)から「暗い」の意味)から、広く深く暗い「うみ」を意味する「海」という漢字が成り立ちました、 とある(https://okjiten.jp/kanji79.html)が、他は、 形声。「水」+音符「每 /*MƏ/」。「うみ」を意味する漢語{海 /*hməəʔ/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%B7)、 形声。水と、音符每(バイ)→(カイ)とから成る。くろぐろと深い「うみ」の意を表す、 も(角川新字源)、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) かくこのたびあつめえらばれて、山したみづのたえず、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば(古今集・仮名序)、 の、 はまのまさご、 は、 きわめて数の多い喩え、 として使い、 万葉集では、 相模道(さがむぢ)の余綾(よろぎ)の浜の真砂(まなご)なす子らは愛(かな)しく思はるるかも(万葉集)、 と、 浜のまなご、 といった(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 紫の名高の浦の愛子地(まなごつち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ(万葉集)、 と、 真砂地(まなごつち)、 というと、 真砂のある土地、砂地、 をいう(精選版日本国語大辞典)。 まさご、 は、 わたつうみの浜の真砂(まさご)君がちとせのあ(有)り數にせむ(古今和歌集)、 と、 真砂、 真沙、 と当て(広辞苑・大言海)、 細かな砂、 の意で、 まさごじ(真砂路)、 というと、 唐崎やかすかに見ゆるまさご路にまがふ色なき一もとの松(風雅和歌集)、 と、ずっと続いている白い海岸線を、路に見立て、 真砂の中の路、 真砂を敷きつめた道、 の意で使い(岩波古語辞典)、 真砂地(まさごじ)、 というと、 うつ浪のたかしの浜の砂地においける松のねこそあだなれ(藤原家隆)、 と、 砂浜、 砂地、 とも使う(精選版日本国語大辞典)。 まさご、 は、 まなご、 いさご、 真砂子、 ともいう(広辞苑)が、萬葉集で使われた、 まなご、 は、中古以降衰退し、 まさご、 と交替したかと思われ、「古今集‐仮名序」以来、「まさご」が圧倒的に多数例を占めるようになった(精選版日本国語大辞典)とある。 まなご、 は、 織沙、 織砂、 真砂、 細砂、 砂、 と当て(大言海・岩波古語辞典)、やはり、 細かい砂、 の意で、 眞砂子(ますなご)の略かと云ふ、眞は、細かきを云ふ、 とある(仝上)。和名類聚抄(平安中期)に、 織砂、萬奈古、 とある。 まさご、 は、 真砂、 と当て、 眞沙子(まいさご)、又は、眞沙子(ますなご)の約、マは発語(大言海・名語記)、 マイサゴの約(岩波古語辞典)、 とあり、 いさご、 まいさご、 ますなご、 まなご、 すなご、 ともいう(大言海・日本語源大辞典)とある。もとを、 まいさご、 ますなご、 とすると、 いさご、 と すなご、 は、同義で、和名類聚抄(平安中期)に、 砂、須奈古、 字鏡(平安後期頃)に、 磣、墋、石微細而、隨風飛也、伊佐古、又須奈古、 とある。 すなご、 は、 沙之子(スノコ)の転、スは取り扱う時発する語、ナは粉のナの義、ゴは物の意、俗に、沙と、砂と混用す、 とある(大言海)が、 すな、 と同義なので、 すな+指小辞こ(子・小)、 が考えられるが(「指小辞」は、主に名詞や形容詞につき、感情的に「小さい」「少し」といった意味を表す接辞)、 す(砂・州)+な(「の」の意)+指小辞「こ」、 の可能性もある(日本語源大辞典)としている。ただ、 すな(砂・沙)、 自体が、 小の義(日本釈名)、 ス(州)にナル(生)の義(和訓栞)、 ス(州)にナガルル義(和句解)、 スノコ(砂子)の略。スは流水が落ち着いて沈殿した小石の儀から砂の義に転じたもの。ナは語尾(国語の語根とその分類=大島正健)、 等々、 子、 や、 小、 の意を含んでいるので、重複する気がする。 スナゴ、 は、平安時代末ごろまで、 スナコ、 とある(岩波古語辞典)のでなお、 コ(子・古)、 がダブル気がしてならない。 ま(眞)、 は、 片(カタ)の対、 で、 名詞・動詞・形容詞について、揃っている、完全である、本物である、すぐれているなどの意を表す、 とあり(岩波古語辞典)、この場合、 純粋である、 といった意味になりそうである。 「砂」(漢音サ、呉音シャ)は、「沙」と同義で、 会意兼形声。「石+音符沙(小さいの略体)」、 とある(漢字源)。ただ、 形声。「石」+音符「少 /*SAJ/」。「沙」の偏を入れ替えた異体字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A0%82)、 形声。石と、音符沙(サ)(少は省略形)とから成る。もと、沙の俗字(角川新字源)、 と、形声文字とするものと、 会意文字です(石+少)。「崖の下に落ちている石」の象形と「小さな点」の象形から小さく砕けた石粒、すなわち、「すな」を意味する「砂」という漢字が成り立ちました、 と(https://okjiten.jp/kanji961.html)、会意文字とするものとに分かれる。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 八十(やそじ)の賀にしろがねを杖につくれりけるを見て(古今和歌集)、 の、 賀にしろがねを杖につくれりける、 とあるのは、 算賀におくられるならわし、一般は竹のものが多い、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 算賀、 の算は、 廣韻(北宋、韻書)に「物数也」とあり、年数の義、年齢の意、年賀とも云ふ、是なり、至尊の御年齢を、御算、寶算と申す、顔延之、赭白馬賦「歯算延長、聲價隆振」注「言長命而聲價盛振」、 とあり(大言海)、 算賀、 は、 年寿を祝賀する、 意で、後世では、 賀(が)の祝い、 という(世界大百科事典)。古くは、 40歳から10年ごとに祝った、 とされるが、室町末期からは、 42歳(初老)・61歳(還暦)・70歳(古稀)・77歳(喜寿)・80歳(傘寿)・88歳(米寿)・90歳(卒寿)・99歳(白寿)を祝うようになった、 とある(デジタル大辞泉)、 長寿の祝い、 を総称して、 賀寿、 賀の祝い、 算賀、 といい(世界大百科事典)、庶民の間ではこれを、 年祝と呼ぶことが多い、 ともある(仝上)。これは、中国伝来の風習で、東大寺要録には天平一二年(740)10月八日の聖武天皇の40の賀が、 皇御年四十満賀之設講初開講、 とあり、奈良時代から行なわれていたことが知られる。この算賀の儀は、 饗宴、奏楽、作詩・作歌が主要行事、 であり、この儀には、 屏風を調進し、屏風絵・屏風歌を書いて祝の席に立てていた、 とある(精選版日本国語大辞典)。祝儀の品々は、 40の賀なら白馬40匹、薬師経40巻、唐櫃(からびつ)40合、 というように年数(またはその2倍、10倍、100倍など)に数を合わせるしきたりだった。また、 竹杖、 鳩杖、 を贈った(仝上・世界大百科事典)。この、10の倍数によらない、 六一(生年の干支が一巡する年としての還暦)、 七七(喜ぶの草書からの喜寿)、 八十(傘寿「傘」の略字が八十に似ているから)、 八八(米の字から米寿)、 九十(卒寿、「卒」の略字「卆」が九十と読めるから)、 九十九(白寿、百から上の一を取ると白になるから)、 百(上寿(じょうじゅ)、元々は寿命の長いことを上寿と呼ぶ)、 等々の賀を祝うことは、室町時代頃から行なわれ始めたのは上述した。 賀寿、 は、本来は、言葉の意味からは、 長寿を祝うこと、 よろこびを述べること、 で、 寿賀、 ともいうが、 算賀、 とほぼ同義で使われている。 合類節用集(元禄)には、 年算賀、人、四十歳、古来称始仕、故賀焉、相承遂年到百歳、猶修此式、 とあり、「日次記事(ひなみきじ)」(江戸前期)には、 凡、人壽、四十歳に満つる年は、老者の初と称して、始めて、延ぶる祝なす事、是れ、往来の壽算を数へ、老を延ぶる祝なり、 とある。 「賀」(漢音カ、呉音ガ)は、 会意兼形声。加は「力+口」の会意文字で、上に何かをのせるという意味をふくむ。賀は「貝+音符加」で、もっと礼物をうず高く積み上げる意。転じて、物をおくってお祝いすること、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(加+貝)。「力強い腕・口の象形」(力と祈り(口)である作用を「くわえる」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形(「財貨(金銭と品物)」の意味)から貨幣を人に贈り「いわう」を意味する「賀」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji801.html)。ただ、 形声。貝と、音符加(カ)とから成る。たからを贈って祝う意を表す、 と(角川新字源)、形声文字とする説もある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 櫻花散りかひくもれ老いらくの來むといふなる道まがふがに(古今和歌集) の、 がに、 は、 ……するように、 ……するほどに、 の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 がに、 は、助詞(接続助詞)で、 動詞・助動詞の終止形に付く。多く完了の助動詞「ぬ」に付き「ぬがに」の形をとる、 とあり(広辞苑)、一説に、 疑問の助詞「か」と格助詞「に」との結合か、 ともある(岩波古語辞典)。 秋田刈る仮廬(かりほ)もいまだ壊(こほ)たねば雁が音寒し霜も置きぬ我二(ガニ)(万葉集)、 と、 …せんばかりに、 …するほどに、 の意を表わし、また、 動詞・助動詞の連体形に付く。願望・命令・禁止などを表す文と共に使われ、その理由・目的を表す、 とあり(広辞苑)、一説に、 「がね」の方言的転化で、平安時代に都でも使われた、 とある(岩波古語辞典)。 おもしろき野をばな焼きそ古草に新草(にひくさ)まじり生(お)ひは生ふる我爾(ガニ)(万葉集)、 と、 …するだろうから、 …するように、 の意でも使い(精選版日本国語大辞典)、それが転じて、 消え入るがに見える、 と、 まるで…するかのように、 の意でも使う(仝上)とある。上代の「がに」は、 東歌の一例(上記、おもしろき野をばな焼きそ……)を除き終止形接続であり、中古以降の連体形接続の「がに」とは意味・用法が異なる。中古以降の「がに」は上代の「がね」を母胎として、ほぼその意味・用法を継承しているが、それはさらに、 ゆふぐれのまがきは山と見えななむ夜はこえじと宿りとるべく(古今和歌集)、 のような同様の表現効果を持つ、 べし、 の連用止めの用法にとって代わられるようになり、中世以降は擬古的な用例に限られる(仝上)という。 ところで、上記引用の、 老いらくの來むといふなる、 の、 老いらく、 は、老ゆのク語法、 老ゆらく、 の転で、 老いること、 の意である(広辞苑・大言海)。「ク語法」は、活用語の語尾に「く」がついて全体が名詞化される、 言はく、 語らく、 老ゆらく、 悲しけく、 (言ひ)しく、 (聞く)ならく、 (散ら)まく、 等々の語法である。 オユルコト(老ゆる事)→オユラク(老ゆらく)→オイラク(老いらく)(日本語の語源)、 ラクは動詞語尾のルの延言(橿園随筆)、 オユルの延(大言海)、 とあるが、「延言」は、近世の国学者の用法で、語尾を伸ばしたものの意。「く」「らく」が活用語について名詞化するク語法もこの中に含まれる(日本語源大辞典)ので、要は、 ク語法、 による、ということになる。 老らく、 に、 老楽、 と当て、 年来(としころ)夫婦睦しく、孫さへはやく挙(まうけ)たる、母は老楽(オイラク)、幸あるものと(南総里見八犬伝)、 と、 年をとってから、安楽な生活に入ること、 老後の安楽、 の意で使う(精選版日本国語大辞典)。日葡辞書(1603〜04)に、 Voiracu (ヲイラク)、 とあり、 歌語、すなわち、老いの楽しみ、 とあるので、 老い楽、 の用例は古い。 老ゆ、 の語源は、 「老いさらばえる」でも触れたように、 大+ゆ(自然に経過してそうなる、であろうとされている)、 とする説がある(日本語源広辞典)。他に、 「おゆ」の「お」は、「親」の「お」と同根、 とする説(https://hohoemashi.com/oyu/)もあるが、発想は同じに見える。 上代語「ゆ」の語源は、 田子の浦ゆ打ち出でて見れば真白にぞ富士の嶺に雪は降りける(万葉集)、 と、 経過する、 の意味で、 〜を通って、 の意味となるとある(日本語源広辞典)が、 体言または体言に準ずるものを受けて「より」と同様に用いられる上代語、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 はしきよし我家の方由(ユ)雲居立ち来(く)も(日本書紀)、 と、 時間的にも空間的にも、動作・作用の起点、 を示す、 ……より、 ……から、 の意の用例と、 伊那佐の山の木の間由(ユ)もいゆきまもらひ(仝上)、 と、 動作の行なわれる場所・経由地、経過点、 を示し、 ……を、 ……を通って、 の意で、時間的・空間的・抽象的な用法があり、また、 小筑波のしげき木の間よ立つ鳥の目由(ユ)か汝(な)を見むさ寝ざらなくに(万葉集)、 と、 動作の手段、 を示し、 ……で、 ……によって、 の意の用例とがある。そこを、 起点、 と考えても、 経過点、 と考えても、 ある年齢に達した、 という意味には違いない。 老ゆ、 の類義語に、 ねぶ、 がある。 御供に、大童子(だいどうじ)の多きやかに年ねびたる四十人、中童子(ちゅうどうじ)二十人、召次(めしつぎ)ばら(栄花物語)、 と、 いかにも年の入った様子をする、 意で使うが、 ねび、 は、 年をとったのにふさわしい行動をする意、 で、 老ゆ、 は、 年をとって衰えに近づく意、 とある(岩波古語辞典)。 ねび、 が、 大人になっていく、 意なの対して、 老ゆ、 その盛りを過ぎていく、 意ということになる。 「老」(ロウ)は、 象形。年寄が腰を曲げて杖をついたさまを描いたもので、からだがかたくこわばった年寄り、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%81・https://okjiten.jp/kanji716.html・漢字源)。別に、 象形。こしを曲げてつえをつき、髪を長くのばした人の形にかたどり、としよりの意を表す、 ともある(角川新字源)。「老いさらばえる」で触れたように、漢字、 老、 には、老いる、老ける、という意味だけでなく、 長い経験をつんでいるさま(「老練」) 老とす(老人と認めて労わる、「老吾老、以及人之老」) 年を取ってものをよく知っている人、その敬称(「長老」「古老」) 親しい仲間を呼ぶとき(老李、李さん) といった意味がある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ(万葉集)、 の、 ももちどり、 は、 百千鳥(岩波古語辞典・広辞苑)、 あるいは、 百箇鳥(大言海)、 と当てる。 ももち、 は、 百箇(岩波古語辞典)、 百(大言海)、 と当て(「ももち」は百箇の義(大言海)とある)、 チは個数をあらわす語、 で、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 百・佰、モモ・モモチ、 とあり、 百個、 の意だが、 時雨こそももちの人の袖濡らしければ(平安後期「月詣和歌集」) と、 数の多い、 意でも使う(岩波古語辞典)。そこから考えると、 ももちどり、 も、文字通り、 数多くの小鳥、 あるいは、また、 いろいろな鳥、 の意で、 百鳥(ももとり)、 という意味になりそうである。しかし、これを鳥の固有名詞として、 友をなみ川瀬にのみぞ立ちゐけるももちとりとは誰かいひけん(和泉式部集)、 と、 ちどり(千鳥)の異名、 としたり、 ももちとりこ伝ふ竹のよの程もともにふみ見しふしぞうれしき(「拾遺愚草(1216〜33頃)」)、 うぐいす(鶯)の異名、 とし、「稲負鳥(いなおほせどり)」で触れたように、 ももちどり、 を、 呼子鳥(よぶこどり)、 稲負鳥(いなおほせどり)、 とともに、 「古今伝授」の「三鳥」の一つ、 としたりする(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典。さらには、書言字考節用集(1717)では、 もず(百舌)、 としたりしている(仝上)とか。 「ちどり」で触れたように、 千鳥、 も、その字の通り、 朝狩(あさかり)に五百(いほ)つ鳥立て夕狩に千鳥踏み立て許すことなく追ふごとに(万葉集)、 と、 多くの鳥、 の意である(岩波古語辞典・広辞苑)が、この場合、「千」は、 郡飛する意、 となる(大言海)。 「千鳥」の由来は、 数多く群れを成して飛ぶからか、また、鳴き声から(広辞苑)、 交鳥(チガエドリ)の義、飛ぶ状より云ふ、或いは云ふ、鳴く声を名とす。鵆は鴴の異体なり、但し(中国南北朝期(439〜589)の漢字字典)『玉篇』には、「鵆、荒鳥」とあり、チドリは國訓(大言海)、 鳴き声から(日本語源=賀茂百樹・音幻論=幸田露伴)、 チ(擬声、チョチョ・チンチン)+鳥。チチと鳴く鳥の意(日本語源広辞典)、 と、鳴き声とする説が多い。他に、 チヂドリ(千々鳥)の義(日本語原学=林甕臣)、 チガヘドリ(交鳥・差鳥)の義(名言通)、 もある。「チガヘ」というのは、「千鳥足」で触れたように、 路を行くに、右へ片寄り、又、左へ片寄りて歩むこと。又、歩むに両脚を左右に打ちちがへて行く、 こと(大言海)からきているが、 鳴き声をチと聞いて、 しほ山のさしでの磯に住む千鳥君がみ代をばやちよとぞ鳴く(古今集)、 のように、祝賀の意を持たせることがある。後世には、 ちりちり(虎明本狂言「千鳥」)、 チンチン(松の葉・ちんちんぶし)、 と聞きなす、 とある(日本語源大辞典)。「千鳥」の由来は、鳴き声でいいようであるが、今日、僕には、さえずりは、 チ、チ、チ、 と聞こえ。地鳴きは、 ピウ ピウ、 と聞こえる(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1523.html)。どうも、これからみると、 ももちどり、 は、 ちどり、 ではないようだし、 誤りて、鶯の称、 とある(大言海)ので、 ウグイス、 でもないようである。 百千、 の表記から、多くの鳥、さまざまな鳥と解釈したほうが自然である、 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) をちこちのたづきもしらぬ山なかにおぼつかなくもよぶこどりかな(古今和歌集)、 の、 よぶこどり、 は、 呼子鳥、 喚子鳥、 と当て、 稲負鳥(いなおおせどり) 、 百千鳥(ももちどり) 百千鳥 と共に、 古今伝授の三鳥のひとつ、 とされ、 鳴き声が人を呼ぶように聞こえる鳥、 なのでこの名がある(広辞苑)。しかし、 よぶこどり、 を詠う歌は、萬葉集では、 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象(きさ)の中山呼びぞ越ゆなる 神なびの石瀬の社(もり)の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる 世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ 滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰(た)れ呼子鳥 我が背子を莫越(なこし)の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに 春日なる羽がひの山ゆ佐保の内(あち)へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥 答へぬにな呼び響(と)めそ呼子鳥佐保の山辺(やまへ)を上り下りに 朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ 朝霧の八重山越えて呼子鳥鳴きや汝(な)が来る宿もあらなくに の九首がある(https://art-tags.net/manyo/animal/yobuko.html)とされるが、大言海は、万葉集のそれと、古今集のそれとを別の項を立てている。万葉集のそれは、 呼戀鳥にて、伴などを呼び戀ふる如く、昼夜鳴く意からと云ふ、 とし、 霍公(ほととぎす)の大和にての別名なりしならむと云ふ、 として、上記の、 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる、 のよぶこどりの歌と、 古へに戀ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)蓋(けだ)しき鳴きし吾が念へるごと、 の霍公鳥の歌を挙げ、 山城の京となりて、その實を忘れて、唯、呼ぶと云ふを縁に、読まれたるなるべし、 としている。 そして、 古今三鳥の一つ、 とする説は、江戸後期の随筆、 『比古婆衣(ひこばえ)』(伴信友)の説に依る、 とする(仝上)。だから、古今集時代は、 呼子鳥、 は、 郭公鳥(かっこうどり)、 とする。これは、鳴声、 物を喚ぶが如し、 とある(仝上)。多くは、冒頭の歌以外は、 (恋人を)呼ぶ、 などの修辞的利用が主とある(日本語源大辞典)。つまり、 よぶこどり、 は、萬葉集の頃と異なり、鳥の実名を意識したというよりは、その言葉の呼び寄せるimageを使った修辞として使う方向にシフトしたのではないか。秘伝となったのは、その意味ではないか、という気がする。 カッコウ、 については、「諫鼓鶏」で触れたように、 閑古鳥、 もいい、 カッコウドリの転訛、 とされる(大言海・広辞苑・岩波古語辞典)。別に、 クヮンコどり(喚子鳥)の義(万葉考・古今要覧稿)、 とする説もあるが、 郭・喚ともに、音クヮク・クヮンとなればカンとは拗直の相違あり、この鳥は「かっこう」と鳴く、また東日本の方言に散在する名も直音カンコドリ、よってその鳴き声より言う名、 とある(江戸語大辞典)。字鏡(平安後期頃)に、 郭公鳥、保止止支須、 和名類聚抄(平安中期)に、 郭公、保度度木須、 とあり、長く、 郭公、 は、 ほととぎす、 を表記する語として用いられ、 カッコウ、 を、 郭公、 と表記するのは近代に入ってからである(日本語源大辞典)とある。 因みに、ほととぎすは、 カッコウ目・カッコウ科、 に分類され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9)、特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られ、 カッコウは、 カッコウ目カッコウ科、 に分類され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%A6)、やはり、オオヨシキリ、ホオジロ、モズ等々に托卵を行う。こうみると、ホトトギスとカッコウは、形、色彩がにているだけではなく、似た習性がある。ただ、大きさは、 ホトトギスが、28センチ程度、 に対して、 カッコウは35センチ、 と、少し大きい(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1403.html)。カッコウは、日本には、 日本には五月頃渡来し、 ホトトギスも、 5月の中旬ごろに渡来する(精選版日本国語大辞典)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 朝ゐでに来鳴く貌鳥汝(な)れだにも君に恋ふれや時終(を)へず鳴く(万葉集)、 貌鳥の間なくしば鳴く春の野の草根の繁き恋もするかも(万葉集)、 の、 かほ鳥、 は、 顔鳥、 貌鳥、 容鳥、 等々と当てる(広辞苑)。 かほ鳥の聲も聞きしに通ふやと繁みをわけて今日ぞたづぬる(源氏物語)、 と、「万葉集」「源氏物語」に登場するが、何の鳥かは分っていないようである。 かおよどり、 ともいい(広辞苑)、 古くは清音、カホと鳴く鳥の意から、カッコウのことという。一説に、美しい春の鳥(広辞苑)、 今のカッコウとも、春鳴く美しい鳥ともいう(大辞林) 古くは「かおとり」、カッコウその他諸説があるが、実体不明(大辞泉)、 カホと鳴く声から出た名かという、後に誤ってカワセミをさすという(岩波古語辞典)、 かわせみ(翡翠)のことでヒスイ、ショウビンともよばれる(https://manyuraku.exblog.jp/10737173/)、 等々諸説ある。大言海は、 容花(かほばな)と同義、 とし、 美しき鳥の称、 つまり、 容好鳥(かほよどり)、 とする。 かほばな、 は、 容花、 貌花、 と当て、 カホとは容姿(スガタ)の義、 とし、 容好花(かほよばな)、 ともいい、 すがたの美しき花の義、容(かほ)が花とも云ふ、……美麗なる人を、容人(カタチビト)と云ふが如し、容鳥(かほどり)も同じ、 とする(大言海)。このように、中古以後、おおむね、「かおどり」の語義を、 かおばな、 と同じく、 容姿の美しい鳥、 と考えているが、 雉(きじ)の雄、 鴛鴦(おしどり)、 翡翠(かわせみ)、 雲雀(ひばり)、 梟(ふくろう)、 鴟鵂(みみずく)、 蚊母鳥(よたか)、 虎鶫(とらつぐみ)、 青鳩(あおばと)、 河烏(かわがらす)、 郭公(かっこう)、 等々、様々なものに当てている(精選版日本国語大辞典)。 しかし、「かお」は、 表面に表し、外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を主にした言い方、 とあり(岩波古語辞典)、 気表(ケホ)の転、人の気の表(ホ)に出でて見ゆる意と云ふ、 カホ(形秀)の義(和訓栞)、 カは外、ホはあらわるる事につける語(和句解)、 カは上の儀、ホカ(外)で、表面の意(国語の語根とその分類=大島正健)、 と、いわゆる、 顔面、 顔つき、 表面、 ではなく、 表面にあって見えるもの、 を指す。大言海は、それが転じて、 容(かほ)の転、身体の表示には、顔が第一なれば、移れるか、 とする。つまり、 表面、 という意のメタファで顔と使われた、という感じになる。「かんばせ」は、 顔・容、 と当て、 カオバセの転、 とされる(広辞苑)が、 顔つき、容貌、 という状態表現の意から、 体面、面目、 という価値表現へと転じている。 こころばせ、 が、 心馳の義。心の動きの状を云ふ。こころざしに同じ。類推して、顔様(かんばせ)、腰支(こしばせ)など云ふ語あり。かほつき、こしつきにて、こころばせも、こころつきなり、 とあるように、 心の向かうこと、心ばえ、こころざし、 という意味になる。「心ばえ」の「映え」がもと「延へ」で、外に伸ばすこと。つまり、心のはたらきを外におしおよぼしていくこと。そこから、ある対象を気づかう「思いやり」や、性格が外に表れた「気立て」の意となる。特に、心の持ち方が良い場合だけにいう、という意味であった。 は(馳)せ、 は、 心+馳せ(日本語源広辞典)、 で、「心の動き」を言う状態表現から、 心のゆきとどくこと、たしなみのあること、 といった価値表現へと転ずる。日本語源大辞典は、 性格や性質にもとづいた心の働き、人格を示すような心の動き、才覚、気転の程を示すような心の動き、 と意味を載せる。 心が先へと走る、 という心の状態、働きが、 先へ先へと気(配慮)が回る、 と、そのもたらす効果というか、価値を指すように転じたというのがよく見て取れる。「心ばえ」は、 その性格がおのずと外へ出る、 と言っているのに対して、「心ばせ」は、 その振る舞いが外へ出ている、 ということだろうか。 かんばせ、 は、そういう様子だと言っていることになる。その意味でいうと、 かほ(顔)、 は、 姿形、 と当てる「なりすがた」の意と、 顔、 と当てて、「顔面」の意とに分けている。「顔」で提喩的に、その人全体を表現する、という意味になる。 もともと「顔」自体に、「顔面」の意以外に、 体面、 という意味を持っているが、「かんばせ」と言ったとき、「顔」で何かの代表を提喩するように、 そのひとそのものの、 提喩でもある使い方になっているのではあるまいか。その意味で、 貌鳥、 には、 単に外面の美しさだけではない、内から映えるような、 というような価値を表現をしていたのではないか、という気がする。 「貌」(@漢音ボウ、呉音ミョウ、A漢音バク、呉音マク)は、 会意兼形声。「豸(けもの)+音符皃(ボウ あたまと足のある人の姿)で、人や動物のあらましの姿をあらわす、 とあり(漢字源)、「外貌」というように「かたち」の意は、@の音、「おぼろげなさま」の意はAの音となる(仝上)。同じく、 会意兼形声文字です(豸+皃)。「獣が背を丸くして獲物に襲いかかろうとする」象形(「模様のはっきりした豹」の意味)と「頭が空白の人」の象形(「外から見た、かたち」の意味)から、「かたち(顔つき(容貌)、姿、ありさま、外観、振る舞い、動作、飾り)」を意味する「貌」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2164.html)、 も、会意兼形声文字とするが、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%8C)、 形声。「豸」+音符「皃 /*MEW/」、 とするもの(仝上)、 本字は、象形で、人が仮面をかぶったさまにかたどる。貌は、会意形声で、豸と、皃(バウ)とから成る。「皃」の後にできた字、 とするもの(角川新字源)がある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 山高み雲ゐに見ゆる櫻花心の行きて折らぬ日ぞなき(古今和歌集)、 の、 雲ゐ、 は、 雲居、 雲井、 などと当て、 雲のあるあたり、 の意で、上記歌では、 櫻を雲に見立てたものではないが、通じるものがある、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 「雲居」で触れたように、「雲居(くもゐ)」は、 ヰは、坐っているところの意(岩波古語辞典)、 「居」はすわる意(広辞苑)、 「居」はすわるの意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 雲の集(ヰ)るところの義(仙覚抄)、即ち中空(なかぞら)の意、萬葉集、三船の山に居雲の(滝(たぎ)の上(うへ)の三船(みふね)の山に居(ゐ)る雲の常(つね)にあらむとわが思はなくに)、或は雲揺(くもゆり)の約(地震を、なゐと云ふも、根揺(ねゆり)の約)、雲の漂うところの意(大言海)、 イはイル(居)の名詞形(万葉代匠記)、 等々とあるか、いわば、 雲の居座っているさま、 を言っている。だから、 「井」は当て字、 となる(広辞苑)。 「雲居」は、当然、 はしけやし我家(わぎへ)の方よ久毛韋(クモヰ)立ち来も(古事記)、 と、 雲、 そのものを指し、 雲居隠り、 雲居路、 という言い方の、「雲居」は、ほぼ「雲」の意であるが、その、 雲が居るほど高いところ、 の意から、すなわち、 空の高い所、 で、 人を思ふ心はかりにあらねどもくもゐにのみもなきわたるかな(古今和歌集)、 と、 大空、 天上、 の意であり、それが比喩的に、 名ぐはしき吉野の山は影面(かげとも)の大き御門ゆ雲居にそ遠くありける(万葉集)、 と、 中心となるべき所からはるかに隔たった場所、 遠くまたは高くてはるかに離れているところ、 の意となり、 雲の上、 の意で、 雲井にてよをふるころは五月雨のあめのしたにぞ生けるかひなき(大和物語)、 と、 宮中、皇居、 をいい、 天皇、皇室、 をもいう。そこから敷衍して、 潔く討死し、屍は野外に埋み名をばくもゐにしらせんと(浄瑠璃「頼光跡目論」)、 と、 皇居のある所、 すなわち、 都、 を意味する(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 「雲居」の言い回しには多様なものがあり、 雲居の空(そら)、 は、 雲の浮かんでいる空、大空の高み、 で、それをメタファに、 遠く離れた場所・世界、また宮中、 の謂いであり、 雲居の庭(にわ)、 は、 宮中の庭、 雲居の雪(ゆき)、 は、 高い山の上に積もっている雪、 だが、 皇居に積もった雪、 にもいい、 雲居の橋(はし)、 は、 かささぎの雲井の橋の遠ければ渡らぬ中に行く月日哉(続古今集)、 と、 雲のかなたにかかっている橋、 で、 七夕(たなばた)の夜、天の川にかけられるという鵲(かささぎ)の橋、 を指し、そこから、 宮中の階段、 をもいう。 雲居の余所(よそ)、 は、 かぎりなき雲井のよそにわかるとも人を心におくらさむやは(古今和歌集)、 と、 遠く離れたところ、 非常な遠方、 の謂い、 雲居遥(はる)か、 は、 ちはやぶる神にもあらぬ我が仲の雲居遥かになりもゆくかな(後撰和歌集)、 と、 遠く離れるさま、 の意で、それをメタファに、 逢ふことは雲居遥かになるかみの音に聞きつつ恋ひわたるかな(古今和歌集)、 と、 及びもつかないさま、 手も届かないさま、 の意でも使う。 雲居路(くもいじ)、 は、 雲路(くもじ)、 の意だと、 是に、火の瓊瓊杵尊、天関(あまのいはくら)を闢(ひきひらき)て、雲路(クモチ)を披(おしわ)け、仙蹕(みさきはらひ)駈(をひ)て戻止(いたりま)す(日本書紀、)、 と、 鳥、月などが通るとされる空の中のみち、 つまり、 雲の中の路、 の意や、それをメタファに、 昔は胡塞(こさい)万里の雲路(クモヂ)に鏡の影をかこちわび(保元物語)、 と、 はるか遠い道のり、 の意となり、 雲居路、 も、 雲井地の遙けき程のそら事はいかなる風の吹きてつづけむ(後撰和歌集)、 の、 雲の道、 の意や、それをメタファにして、 欠落(かけおち)して走るあれば、雲井路(クモヰヂ)のみちくさくふ遊山(ゆさん)旅ののろつくあり (東海道中膝栗毛)、 と、 遠い路、 長い旅路、 の意となる。 雲居隠る(くもいがくる・くもいかくる)、 は、文字通り、 二上の山飛び越えて久母我久理(クモガクリ)翔(かけ)り去(い)にきと(万葉集)、 と、 雲隠(くもがくる)、 と同義で、 雲の中に隠れる、 意だが、同じように、隠喩として、 大皇の命恐(みことかしこ)み大荒城(おほあらき)の時にはあらねど雲隠(くもがくり)ます(万葉集)、 と、「死ぬ」というのを避けて、間接に、 死去する、 意で使い、特に、貴人の死去についていう。枕詞としての、 雲居なす、 は、 隼人(はやひと)の薩摩の瀬戸を雲居奈須(くもゐナス)遠くも我は今日見つるかも(万葉集)、 と、「雲のかかっている遠方のように」の意で、 遠く、 にかかり、 夕されば雲居(くもい)たなびき雲居なす心もしのに立つ霧の思ひ過ぐさず行く水の音もさやけく(万葉集)、 と、「雲があてもなくただよっているように」の意で、 心いさよふ、 心もしのに、 にかかる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。 なお「雲」については、「くもる」で触れた。 「雲」(ウン)は、 会意兼形声。云(ウン)は、立ち上る湯気が一印につかえて、もやもやとこもったさまを描いた象形文字。雲は、「雨+音符云」で、もやもやたちこめる水蒸気、 とある(『漢字源』)。「云」の後にできた字(角川新字源)ともある。別に、 会意兼形声文字です(雨+云)。「天の雲から雨水が滴(したた)り落ちる」象形と「雲が回転する様子を表した」象形から「くも」を意味する「雲」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji102.html)、 形声。「雨」(天候)+音符「云 /*WƏN/」。「くも」を意味する漢語{雲 /*wən/}を表す字。もと「云」が{雲}を表す字であったが、「雨」を加えた、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%B2)ある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 住の江の松を秋風吹くからに声うちそふる沖つ白波(古今和歌集)、 の、 からに、 は、 ……するやいなや、 ……すると同時に、 ……する一方で、 という意味で、上の歌は、 松風の音に波の音が加わる。よく似た音の響き合い、 と注釈がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 からに、 は、 原因、理由を意味する助詞の「から」に格助詞の「に」が付いたもの) 活用語の連体形を受け、全体で接続助詞的に働く(精選版日本国語大辞典)、 準体助詞「から」+格助詞「に」、活用語の連体形に付く。上代では格助詞「の」「が」にも付く(大辞泉)、 カラ(理由などの意)に格助詞ニが付いて接続助詞的に働く(広辞苑)、 接続助詞「から」に格助詞「に」の付いたもの(大辞林)、 等々とあり、 君が目の恋(こほ)しき舸羅儞(カラニ)泊(は)てて居てかくや恋ひむも君が目を欲(ほ)り(日本書紀)、 と、 ……だけで、 ……ばっかりで、 それだけの原因で、 の意で、 原因がきわめて軽いにもかかわらず結果の重いことを示す、 使い方と、中古以後の用法として、 うつせみのこゑきくからに物そ思ふ我も空しき世にしすまへは(後撰和歌集)、 と、 ……と共に、 ……と同時に、 ……や否や、 の意で、 さして重くない原因によって、ある結果がただちに生ずることを示す。原因の結果に対する支配力は前述の「からに」よりやや弱いが、時間的関係が強い、 使い方と、 などかは女と言はんからに世にある事の公、私につけて、むげに知らず至らずしもあらむ(源氏物語)、 と、 …ゆえに、 の意で、 原因、結果を順接の関係において示す。逆接の意が感じられる例もあるが、それは反語によるものである、 使い方と、 秋をおきて時こそありけれ菊の花うつろふからに色のまされば(古今和歌集)、 と、上述の引用歌のように、 ……と同時に、 ……と共に、 の意や、反語を導いて、 など帝の御子ならむからに、見む人さへ、かたほならず物ほめ勝ちなる(源氏物語)、 と、 ……だとて、……のことがあろうか、ありはしない、 の意で、 神宮といはむからに、国中にはらまれて、いかに奇恠(きくゎい)をばいたす(宇治拾遺)、 と、 逆接の関係において、原因、結果を示す。中世に現われ、その後見られない、 使い方で、これは、近世には、 てから、 てからが、 の形となる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 上代、中古の例では「から」の体言性がかなり強いが、中世に現われた逆接用法に至って体言性は失われたと考えられる、 また、 順接条件を示す場合、中世末期には「に」を伴わない形で用いられるに至る、 とあり(精選版日本国語大辞典)、近世以降、文末におかれて、 年寄りの癖に出しゃばってからに(浮世風呂)、 と、 てからに、 の形で用いられることがある(仝上)とある。 からに、 は、 血族・血筋の意から自然の成り行きの意へと発展したカラと格助ニの結合、ほんの小さいことの結果として意外に大きいことの起こる場合にいうことが多い、 とある(岩波古語辞典)。 族、 柄、 と当てる、「から」は、 うから、 やから、 ともがら、 はらから、 の、 から、 で、 語源は名詞「から」と考えられる。「国から」「山から」「川から」「神から」などの「から」である。この「から」は、国や山や川や神の本来の性質を意味するとともに、それらの社会的な格をも意味する。「やから」「はらから」なども血筋のつながりを共有する社会的な一つの集りをいう。この血族・血筋の意から、自然のつながり、自然の成り行きの意に発展し、そこから、原因・理由を表し、動作の出発点・経由地、動作の直接続く意、ある動作にすぐ続いていま一つの動作作用が生起する意、手段の意を表すに至ったと思われる(岩波古語辞典)、 から(族・柄)は、満州語・蒙古語のkala、xala(族)と同系の語。上代では「はらから」「やから」など複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的な出発点・成行き・原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転(岩波古語辞典)、 万葉集に助詞「が」「の」に付いた例があり、語源は体言と推定でき、「うから」「やから」「はらから」などの「から」と同源とも。「国柄」「人柄」の「柄(から)」と同源とも(広辞苑)、 「うから、はらから、やから」と同源で、「血の繋がり」から転じた語です。転じて自然の繋がりを意味し、原因理由を示す接続助詞になった語です(日本語源広辞典)、 「から(柄)」という名詞が抽象化されて、動作・作用の経由地を表すようになったといわれる。上代から用いられているが、起点・原因を表すようになるのは中古以降の用法(大辞林)、 「から(柄)」と同語源) 名詞の下に付いて、その物事の本来持っている性質、品格、身分などの意、また、それらの性質、品格、身分などにふさわしいこと、また、その状態の意などを表わす。「人柄」「家柄」「身柄」「続柄」「国柄」「場所柄」「声柄」「時節柄」などと用いられる(精選版日本国語大辞典)、 ウカラ、ハラカラ等「血族」を意味する体言が、山カラ、川カラ等「事物の性質」を表わすに至り、更に抽象化して「自然のつながり」「自然のなりゆき」の意となり、そこから経由地・出発点・理由を示す助詞が出た(大野晉「日本語の黎明」)、 などとあるが、この、 族、 柄、 由来とする説以外に、「から」に、 自・従、 と当てて、 間(から)の轉用(大言海)、 とするもの、また、 「理由」または「間」という意の体言(山田孝雄、松尾捨治郎)、 ある事物に少しも積極的な力を加えない、という概念をもつ形式体言(石垣謙二)、 とする説もあるようだが、個人的には、 ウカラ、ハラカラのカラ、 とするのが妥当な気がする。この、 から、 は、格助詞としては、 出発する位置を表す、 使い方として、たとえば、 ほととぎす鳴きて過ぎにし岡辺(をかび)から秋風吹きぬよしもあらなくに(万葉集)、 と、場所を示す語に付いて、 窓から捨てる、 というように、 動作の経由点を示す、 が、平安時代以降は、 浪の花沖から咲きて散り来めり水の春とは風やなるらむ(古今和歌集)、 と、 起点となる場所・時を示す、 ようになり、日葡辞書(1603〜04)にも、 コレカラアレマデ、 と載る。また、 惜しむから恋しきものを白雲の立ちなむ後は何心地せむ(古今和歌集)、 と、動詞連体形に付いて、 …するとすぐ、…するや否や、…だけでもう、 と、 後の事態が、前に引き続いて直ちに起こること、 をいう。それを人に当てて、 お乳の人はどこにぞ。御前から召します(浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節)、 と、動作の発する人物を示し、 父から叱られた、 などと使う等々がある。また、 原因・理由を表す、 使い方として、 常世辺に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)己(な)が心からおそやこの君(万葉集)、 と、 …によって、…のせいで、…ゆえ、…なので、 の意で使い、 手段を表す、 使い方として、 徒歩(カチ)からまかりていひ慰め侍らむ(落窪物語)、 と、 …で、…によって、 の意で使い、 資料・素材・原料を示す、 使い方として、 日本酒は米から作る、 と、 …を使って、…で、 の意で使ったりする(大辞林)。 「柄」(漢音ヘイ、呉音ヒョウ)は、 会意兼形声。「木+音符丙(ぴんと張る)」で、ぴんと張りだす意を含む、 とあり、別に、 会意兼形声文字です(木+丙)。「大地を覆う木」の象形と「脚の張り出た台」の象形(「張り出す」の意味)から、「道具の張り出した所、取っ手」を意味する「柄」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1426.html)が、他は、 形声。木と、音符丙(ヘイ)とから成る。手にとる木、「え」の意を表す(角川新字源)、 形声文字、「木」+ 音符「丙」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%84)、 と、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)とする。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) み吉野の 山下風(やまのあらし)の寒(さむ)けくにはたや今夜(こよひ)もわが独り寝(ね)む(古今和歌集) 霞(かすみ)立つ春日(かすが)の里の梅の花山下風(やまのあらし)に散りこすなゆめ(仝上) の、 山下風、 について、 万葉集では、下風をあらしと訓むことから、やまのあらし、と訓読する、 とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、古今時代は、 やましたかぜか、 ともある(仝上)。冒頭の歌については、 白雪の降りしく時はみ吉野の山下風に花ぞ散りける(古今和歌集)、 というように、 吉野の雪を花に見立てている、 とある(仝上) 山下風(やましたかぜ)、 は、 山から(ふもとへ)吹き下ろす風、 つまり、 やまおろし、 をいい(広辞苑・大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 やまおろし、 は、 山颪、 と当て(仝上)、 山颪の風(かぜ)、 山のおろし、 おろし、 等々とも言う(仝上)。 おろし、 は、 太平洋沿岸一帯で言われ、山脈の山頂からあまり高くない高度に逆転層があるとき、山または、丘から吹き下りてくる滑降風である、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%AA)、日本海側では、 陸地や山から吹き出してくる風という意味で、「だし風」または「だし」と呼ぶ、 とある(仝上)。 関東平野の空っ風、 山形県の清川だし、 岡山県の広戸風、 等々その土地土地での固有の名で呼ばれることが多い(仝上)とある。 山下(やました)、 は、文字通り、 山の下の方、 山のふもと、 山すそ、 等々、また、 山の木や草の繁みの下、 についてもいう(精選版日本国語大辞典)。万葉集では、 神名火の山下(やました)とよみ行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや、 と、 本来あまり人目につかない場所で、激しく音を立てて流れる水、つややかに咲き誇る花、美しく色づいたもみじなどに着目して詠まれている、 とあり(仝上)、古今和歌集以降では、 あしひきの山下水の木隠(こがく)れてたぎつ心を堰(せ)きぞかねつる、 と、 人目にふれないでいることに、主眼が置かれるようになり、特に、木々の影で、激しく流れる水を、ひそかな恋情にたとえる例が多くなる、 とある(仝上)。 「山」(漢音サン、呉音セン)は、 象形。△カタの間を描いたもので、△型をなした分水嶺のこと、 とある(漢字源)。象形文字では一致するが、 山岳の形を象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%B1)、 山岳のそびえているさまにかたどる。「やま」の意を表す(角川新字源)、 「連なったやま」の象形から「山」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji77.html)、 と、山容については異同がある。 会意。「下(ふきおろす)+風」 とあり(漢字源)、国字、つまり、和製漢字である(字源)。 参考文献; 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 今日別れ明日はあふみと思へども夜やふけぬらむ袖の露けき(古今和歌集)、 の、前文にある、 むまのはなむけしける夜にめる、 とある、 むまのはなむけ、 の、 「むま」は馬、 で、 馬のはなむけ、 の意で、ここでは、 送別の宴、 を意味し、 もともと、旅立つ人の馬の鼻をその旅先の方へむけたことからいう、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 「餞(はなむけ)」で触れたが、 うまのはなむけ、 は、 はなむけ(餞)、 に同じで、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、 餞、馬乃波奈牟介、 とあり、 はなむけ、 は、 馬のはなむけの略、 ともある(大言海)。下っては、室町時代の意義分類体の辞書『下學集』に、 餞別、はなむけ、 とあるので、 別れに際して贈る贈り物、 の意となる。 うまのはなむけ、 は、 馬鼻向、 馬餞、 馬贐、 餞、 等々と当て(大言海・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、本来は、 いづみのくにまでと、たひらかに願たつ。ふじはらのときざね、ふなぢなれど、むまのはなむけす(土佐日記)、 と、 旅立つ人の前途の無事を祈って、出発にあたり旅行者と酒食をともにすること(精選版日本国語大辞典)、 古代、旅に出る人の安全を祈って、出発時にその人の乗馬の鼻を行き先の方に向けた習慣から、……送別の宴を行ったりすること(学研全訳古語辞典)、 という、いわゆる、 門出を祝う宴会、 壮行会、 送別会、 の意のようだ。そこから、 県(あがた)へゆく人に、むまのはなむけせむとて、よびて、うとき人にしあらざりければ、家刀自(いへとうじ)さかづきささせて、女の装束かづけんとす(伊勢物語)、 と、 旅立つ人に金品や詩歌などを贈ること。また、そのもの。餞別(精選版日本国語大辞典)、 旅立つ人を送り、其馬の鼻へ向けて物を贈ること、転じて、旅行く人に贈る凡ての品物、又は詩歌(大言海)、 旅立つ人に餞別(せんべつ)の金品を贈ったり……すること(学研全訳古語辞典)、 と、今日の、 餞別、 の意になっていく。 鼻向け、 は、 その方に鼻を向けること。匂いを嗅ぐために、その方向に鼻を向けること、 とあり(広辞苑・日本国語大辞典) 旅立つ人の馬の鼻を行くべき方へ向けて見送った習慣による、 とある(広辞苑・学研国語大辞典)。 馬の鼻を立て直す、 と言い方もあり、これは、 馬の鼻先をもと来た方へ向け変える、 意となる(日本国語大辞典)。 「馬のはなむけ」の由来は、文字通り、 旅に出る人の安全を祈って、出発時にその人の乗馬の鼻を行き先の方に向けた習慣(学研全訳古語辞典)、 旅に出る人を送る時馬の鼻を行き先に向けたことからという(岩波古語辞典)、 行くべき方向へ馬の鼻をむけてやる意(安斎随筆・俚言集覧)、 馬の鼻の向かう方の意(和句解)、 と、「馬の鼻を行き先へ向ける」意とする説と、 馬の鼻に向かって餞別する意(和句解・日本語源=賀茂百樹・大言海)、 と、「馬の鼻に餞別する」意とする説とに分かれるが、常識的には前者のような気がする。 なお、「うま」については触れた。 「馬」(漢音バ、呉音メ、唐音マ)は、 象形。うまをえがいたもの。古代中国で馬の最も大切な用途は戦車を引くことであった。向う見ずに突き進む宿直を含む、 とある(漢字源)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 別れてはほどをへだつと思へばやかつ見ながらにかねて恋しき(古今和歌集) の、 かつ、 は、 同時に起きている二つの事柄の一方をさす、 とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 ほど、 は、 距離、 の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 かつ、 は、 且つ、 と当て、 二つの動作・状態が並行して同時に存在することを表す。二つの「かつ」が相対して用いられる場合と、一方にのみ「かつ」が用いられる場合とがある(広辞苑)、 二つのことが同時にまたは相前後して行われることを表す(大辞林)、 ある行為や心情が、他の行為や心情と並んで存在する関係にあることを表わす(日本国語大辞典)、 (「…かつ…」または「かつ…かつ…」の形で)二つの行為や事柄が並行して行われることを表す(大辞泉)、 対(ムカ)ひたるものの片一方の意(大言海)、 一方で、ある動作・作用の行われると同時に、他方で、もう一つの動作・作用の行われる意。相反する二つが対照的に行われる場合と、二つのことが連鎖的に行われる場合とがある(岩波古語辞典)、 等々で、二つのことが連鎖的に行われる場合(岩波古語辞典)、 一方では、 の意となる。接続詞として使う場合、漢文訓読に由来して、 先行の事柄に、後行の事柄が並列添加される関係にあること、 を示し(日本国語大辞典)、 学び、かつ遊ぶ、 必要にしてかつ十分な条件、 と、 それとともに、 その上に、 の意で使う(広辞苑・仝上)。 当然、相反する二つが対照的に行われる場合(岩波古語辞典)、 うつせみの世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにかつ散りにけり(古今和歌集)、 と、 (ある行為や心情が、他の行為や心情(特にしばしばこれと矛盾するような行為や心情)に、直ちに移ること、 を表わし(岩波古語辞典・日本国語大辞典)、 …する間もなく、 …するとすぐ、 たちまち、 すぐに、 と連続した意味で使う。それとつながるが、 二つの動作の間隔がごく短い場合(岩波古語辞典)、 筆にまかせつつあぢきなきすさびにて、かつ遣り捨つべきものなれば(徒然草)、 と、 ……するはしから、 という意でも使ったり(日本国語大辞典)、 かつあらはるるをも顧みず、口に任せて言ひ散らすは(徒然草)、 と、 すぐに、 の意で使う(広辞苑)。その連続性の隙間になれば、 ある行為や心情が、本格的でない形で、短時間だけ、またはかりそめに成り立つこと、 を表わし(日本国語大辞典)、 かつ見るにだにあかぬ御様をいかで隔てつる年月ぞ(源氏物語)、 と、 とりあえず、 ついちょっと、 わずかに、 かりに、 といった意味になる(広辞苑・仝上)。また、同時並行の特殊な例として、 ある行為や心情が、他の行為や心情に先立って成り立つ、 ことを表わし、 後世の苦しみかつ思ふこそかなしけれ(平家物語)、 というような、 あらかじめ、 前もって、 事前に、 という意で使う例もある(仝上)。さらに、 「知る」「見る」「聞く」などの動詞の上にきて、 それが先行しているという意味からか、 世の中し常かくのみとかつ知れど痛き心は忍びかねつも(万葉集)、 と、 すでに、 もう、 という意味で使う例もある(広辞苑)。この、 かつ、 の由来は、 片と通ず(籠(かたま)、かつみ。熱海(あつみ)、あたみ)(大言海)、 カタ(片)の義(国語溯原=大矢徹)、 つきあわせて一緒にする意のカテ(合・糅)と同根か(岩波古語辞典)、 動詞カテ(加)の転で、又の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、 物を混ぜ合わせる意のカツ(搗)と同源の語か(角川古語大辞典)、 とあるが、 かてて加えて、 という言い方がある。 糅てて加えて、 と当て、 かててくわへておかちが煩ひ、伯父の難儀(油地獄)、 と、 ある事柄にさらに他の事柄が加わって、 と、 その上、 おまけに、 の意で、多く、 よくないことが重なるときに使われる、 とある(デジタル大辞泉)。この、 「かて」は動詞「か(糅)つ」(下二)の連用形、 で、 かてて加えて、 は、混ぜ合わせたところに更に加えるの意味から、「さらに」「その上に」、 を表す(語源由来辞典)、強調した言い方になっている。後からできた言葉ではあるが、 つきあわせて一緒にする意のカテ(合・糅)と同根か(岩波古語辞典)、 に軍配を上げたい気分である。 「且」(@漢音・呉音シャ、A漢音ショ、呉音ソ)は、 象形。物を積み重ねた形を描いたもので、物を積み重ねること。転じて、重ねる意の接続詞となる。また、物の上に仮にちょっとのせたものの意から、とりあえず、間に合わせの意にも転じた、 とあり(漢字源)、接続詞として「かつ」「その上に」が@の音、「其樂只且(其れ楽しまんかな)」(詩経)と、詩句で語調を整える助辞の場合は、Aの音、とある(仝上)。別に、 象形。もと「俎」の略体で、小さな台を象る。「まないた」を意味する漢語{俎 /*tsraʔ/}を表す字。のち仮借して「かつ」「さらに」を意味する接続詞{且 /*tshaʔ/}に用いる、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%94)、 象形。肉を入れて神に供える、重ね形になっている器の形にかたどる。「俎(シヨ、ソ)」の原字。借りて「かつ」「かりに」などの意の助字に用いる、 とも(角川新字源)、 象形文字です。「台上に神へのいけにえを積み重ねた」象形から、「まないた」を意味する「且」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「かつ(さらに、その上)」、「まさに・・・す(今にも・・・しようとする)」などの意味も表すようになりました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1789.html)ある。この漢字の意味は、和語「かつ」にも反映している。「且」を当てたせいかどうかはわからないが。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 思へども身にしわけねば目に見えぬ心を君にたくへてぞやる(古今和歌集) の、 たぐふ、 は、 寄り添わせる、 意(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。 たぐふ、 は、 類ふ、 比ふ、 偶ふ、 副ふ、 などと当てる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)が、 似つかわしいもの、あるいは同質のものが二つ揃っている意。類義語ツル(連)は、つながって一線にある意、ナラブ(並)は、異質のものが凹凸なく揃う意、 とあり、ハ行四段活用の自動詞は、 語幹(たぐ)未然形(は)連用形(ひ)終止形(ふ)連体形( ふ)已然形(へ)命令形(へ) と活用し(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%90%E3%81%B5)、 比ふ、 類ふ、 偶ふ、 と当て(仝上)、 鴛鴦(をし)二つ居て偶(たぐひ)よく陀虞陛(タグヘ)る妹を誰か率(ゐ)にけむ(日本書紀)、 と、 同じものが二つ並んでいる、 意味で、 並ぶ、 寄り添う、 いっしょにいる、 連れだっている、 意や、 道行く者も多遇譬(タグヒ)てぞ良き(日本書紀)、 と、 伴う、 連れだつ、 いっしょに行く、 意や、 御前の河波、嵐にたぐひ、山をひびかす(保元物語)、 と、 相応ずる、 呼応する、 意の状態表現で使い(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、その対を、 君達の上(かみ)なき御選びには、ましていかばかりの人かは、たぐひ給はん(源氏物語)、 と、 似あう、 かなう、 適合する、 相当する、 という意や、さらに、 水の泡とも消え、底の水屑(みくず)ともたぐひなばやとぞ思し召す(保元物語)、 と、 仲間となる、 という意の価値表現としても使う(仝上)。この、他動詞、ハ行下二段活用は、 語幹(たぐ)未然形(へ)連用形(へ)終止形(ふ)連体形(ふる)已然形(ふれ)命令形(へよ) と活用し(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%90%E3%81%B5)、 比ふ、 類ふ、 偶ふ、 供ふ 副ふ、 等々と当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)、 花のかを風のたよりにたぐへてぞさそふしるべにはやる(古今和歌集)、 と、 (似つかわしいもの、あるいは同質のものとして)二つを一緒に揃える、 並ばせる、 添わせる、 いっしょに居させる、 意や、 おもへども身をしわけねば目に見えぬ心をきみにたぐへてぞやる(古今和歌集)、 と、 伴わせる、 連れだたせる、 いっしょに行かせる、 意、 松のひびきに秋風楽をたぐへ(方丈記)、 と、 合わせる、 意、 我にたぐへてあはれなるはこの里(謡曲・柏崎)、 と、 (似たものを)ならべる、 引き比べる、 意でつかい、そこから、その意をメタファに、 かさねては乞ひえまほしき移り香を花橘に今朝たぐへつつ(山家集)、 と、 なぞらえる、 似せる、 ならう、 意で使う。この名詞が、 たぐひ(類・偶・比・屬)、 で、色葉字類抄(平安末期)に、 類、屬、比倫、 新撰字鏡(平安前期)に、 儕、止毛加良(ともがら)、又、太久比(たぐひ)、 類聚名義抄(11〜12世紀)に、 比、タグヒ、 平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、 儕、輩類也、太久比、 などとあり、 同じ並(なみ)なる物事、 で(大言海)、 同じ種類のもの、 よく似た物事、 同類、 同列、 同種、 の意で、当然、人に当てはめれば、 仲間、 同胞(はらから) の意にもなる。ただ、この語源については タテナラブの約略(万葉考)、 くらいしか見当たらない。 「比」(漢音ヒ、呉音ヒ・ビ)は、 会意文字。人が二人くっついて並んだことを示すこと、 とある(漢字源・角川新字源)。別に、 形声。音符「匕 /*PI/」を二つ並べた文字[字源 1]。「ならぶ」「ならべる」を意味する漢語{比 /*piʔ/}を表す字。のち仮借して「くらべる」を意味する漢語{比 /*pis/}に用いる。『説文解字』では人が二人並んだ形で「从」を左右反転させた文字であると解釈されているが、甲骨文字から現代に至るまで「人」字と「匕」字は一貫して形状が異なるため、この分析は誤りである、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AF%94)ある。 「類」(ルイ)は、 会意文字。もと「米(たくさんの植物の代表)+犬(種類の多い動物の代表)+頁(あたま)」で、多くの物の頭かずをそろえて、区分けすることをあらわす。多くの物を集めて系列をつける意を含む、 とある(漢字源)。また、 会意文字です(犬+米+頁)。「横線(穀物の穂)と六点(米)」の象形と「犬」の象形と「人の頭部を強調した」象形(「頭部」の意味)から、人・犬の顔も米も区別を認めにくい事から、「にる」を意味する「類」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji678.html)が、 形声。「犬」+音符「頪 /*RUT/」。「たぐい」を意味する漢語{類 /*ruts/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A1%9E)、 形声。意符犬(いぬ)と、音符頪(ルイ、ライ)とから成る。犬を犠牲として天を祭る意を表す。借りて「たぐい」、似るなどの意に用いる、 も(角川新字源)も、形声文字とする。 「偶」(慣用グウ、漢音ゴウ、呉音グ)は、 会意兼形声。禺は、上部が大きい頭、下部が尾で、大頭の人まね猿を描いた象形文字。偶は「人+禺(グウ)」で、人に似た姿であることから、人形の意となり、本物と並んで対をなすことから、偶数の偶の意となる、 とある(漢字源)。別に、 形声。人と、音符禺(グ)→(ゴウ)とから成る。ひとがたの意を表す。耦(グウ)・俱(グ)に通じ、転じて、つれあい、くみの意に用いる、 とも(角川新字源) 形声文字です(人+禺)。「横から見た人」の象形(「人」の意味)と「大きな頭と尾を持ったサル、おながざる又は、なまけもの」の象形(「おながざる・なまけもの」の意味だが、ここでは、「寓(ぐう)」に通じ(同じ読みを持つ「寓」と同じ意味を持つようになって)、「かりる」の意味)から、木を借りて人の形に似せたもの「人形(ひとがた・でく)」を意味する「偶」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1529.html)あり、形声文字(意味を表す文字(漢字) と音(読み)を表す文字(漢字)を組み 合わせてできた漢字)とする。会意兼形声文字は、会意文字(二文字以上の漢字の形・意味を組み合わせて作られた漢字)と形声文字の特徴を併せ持つ漢字となる。 「副」(フク)は、 形声文字。畐(フク)は、腹がふくれ、一杯酒のはいるとっくりを描いた象形文字。副は、刀にそれを単なる音符としてそえたもの。原義とは関係ない。剖(ホウ)と同じく、もと二つに切り分けることであるが、むしろその二つかぴたりとくっついてペアを成す意に専用される。倍・逼(ヒョウ・ヒツ ぴたりとくつつく)・富(財貨がびっしりつまっている)とも縁が近い、 とある(漢字源)、別に、 形声。「刀」+音符「畐 /*PƏK/」。「わける」を意味する漢語{副 /*phrək/}を表す字。のち仮借して「二番目の」を意味する漢語{副 /*phəks/}に用いる、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%89%AF)、 形声。刀と、音符畐(フク)とから成る。刀で切り裂く意を表す。また、二つに裂かれた半分と半分とが並んでいることから、「そう」意に用いる、 とも(角川新字源)、 形声文字です(畐+刂(刀))。「神にささげる酒ツボ」の象形(器の中に酒などが「満ちる」の意味だが、ここでは「北」に通じ(「北」と同じ意味を持つようになって)、「1つの物が2つに離れる」事の意味)と「刀」の象形から、「刀でさく」意味する「副」という漢字が成り立ちました。また、2つのものでありながら、「寄りそっている」の意味も表します、 とも(https://okjiten.jp/kanji623.html)あり、ともに、形声文字とする。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 唐衣たつ日は聞かじ朝露のおきてしゆけば消(け)ぬべきものを(古今和歌集)、 唐衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞおもふ(仝上)、 唐衣、 は、 韓衣、 とも当て(大辞林)、 からころも、 と訓ませ、近世以降、 からごろも、 とも訓み、 袖が大きく、裾はくるぶしまでとどき、日本の衣服のように褄前を重ねないで、上前、下前を深く合わせて着る、 という、 中国風の衣服、 の意で、転じて、 めずらしく美しい衣服をいうこともある、 とある(広辞苑)が、上述の引用歌もそうだが、 雁が音の来鳴(きな)きしなへに韓衣(からころも)立田の山は黄葉(もみ)ち初めたり(万葉集) のように、 着(き)る、裁(た)つ、袖(そで)、裾(すそ)、紐(ひも)など、すべて衣服に関する語や、それらと同音または同音をもつ語、 にかかる枕詞として使われる(広辞苑)。訛って、 可良己呂武(カラコロム)裾(すそ)に取り付き泣く子らを置きてそ来ぬや母(おも)なしにして(万葉集)、 と、 「からころも(唐衣)」の上代東国方言、 ともなる(精選版日本国語大辞典)。 唐衣、 を、 からぎぬ、 と訓ませると(室町ごろまでは「からきぬ」)、 背子、 とも当て(大言海)、 唐風の衣、 の意で、 女官が正装するとき着用した短い上衣(仝上)、 とある(大辞林)が、 女子の朝服で上半身につける表衣(うわぎ)、 をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、 奈良時代の背子(ハイシ)の変化したもの、 で(大辞林)、 唐様(からよう)の丈(たけ)の短い胴着、 に、 幅の狭い広袖があり、襟を羽織のように折り返して上衣の上に着る。 とあり、 唐の御衣(おんぞ)、 ともいう(仝上)。一説に、カラは、 裳と対にして着用、 することからか、 幹・胴、 で、 胴衣(からころも)、 の意とも言う(岩波古語辞典)。 和名類聚抄(平安中期)に、 背子、形如半臂、無腰襴之袷衣也、婦人表衣、以錦為之、加良岐沼、 とある。 「衣冠束帯」で触れたように、「朝服」は、 は、参朝して事務に当たる一般官人が着用した衣服、 で、飛鳥時代から平安時代にかけて着用された装束を、特に、 朝服、 といい、唐風をそのままに採用したが、和風化に伴って変化した朝服を、 束帯(そくたい)、 という(有職故実図典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%9C%8D)。 平安時代以降は、公家の女子の正装であった晴装束とされるもので、 十二単(じゅうにひとえ)といわれる女房装束(にょうぼうしょうぞく)の最上層に重ねる、 ものとされる。奈良時代の女子朝服の衣の上に春・冬に着用した、 背子(はいし)、 は、袖(そで)のない、身丈の短いものであったが、平安時代中期以降、服装の長大化に伴って、袖幅の狭い袖をつけ、襟を外側へ折り返して裏側をみせる、 返し襟形式、 となった。さらに衣が大きく、身丈も裾(すそ)を引く長さとなって、夜着の袿衣(けいい)と形が同様となり、衣(きぬ)とも袿(うちき)ともよばれるようになると、その上に重ねて着る背子も、それにしたがって大きくなり、身丈がやや長く、身幅が二幅(ふたの)、袖幅は狭いが袖丈が長く、広袖形式で、唐衣と称されて、四季を通じて用いられた、 とある(日本大百科全書)。腰に着装する、 裳(も)、 とともに正装の象徴と考えられた(仝上)という。十二単を、 裳唐衣(もからぎぬ)装束、 と称するように、唐衣をつけることによって女房装束が正装となった(世界大百科事典)のであり、また数多い着装物の最上層衣であったために、平安時代においては、これには裳とともに刺繡や箔、ときには螺鈿(らでん)の置口(おきくち)などで相当はなやかな装飾がほどこされた(仝上)。形は、 短い袷(あわせ)仕立ての羽織のようなもの、 で、 前身が通常後身より少し長い。これを表着の上に着て、後ろに裳の大腰をあてて、これを小腰という紐で前で結ぶが、前身は通常裳の紐の上にかぶさって、帯を締めたように唐衣を上から押さえることはしない、 とある(仝上)。襟は、これが今日の羽織の襟のように着装したときには、 外へ折れかえる、 もので、ちょうど背の中央、うなじの下に当たるところに三角形に飛び出した部分がある。これを、 髪置(かみおき)、 と称するが、古い時代にはなかったようである(仝上)。その材質は、表地に、 錦(にしき)、二重(ふたえ)織物、浮(うき)織物、固(かた)織物、綾(あや)、平絹(ひらぎぬ)などのほか刺しゅうを施したものも用い、 裏地に、 菱文(ひしもん)の綾、平絹が使われた、 とある(日本大百科全書)。 からぎぬは短き衣とこそいはめ、されどそれは、もろこしの人のきるものなれば(枕草子)、 色ゆるされたる人々は、例の青色、赤色の唐衣に、地摺(ぢずり)の裳、上着はおしわたして蘇芳(すおう)の織物なり(紫式部日記)、 とあるが、表地の地文には、たとえば、 亀甲(きっこう)、三重襷(みえだすき)、花菱(はなびし)、小葵(こあおい)、 等々、正装の最上層のものとして、品格高く、端正な印象を与えるもを用いた。禁色の赤色、青色、錦や二重織物などの唐衣は、勅許を得た上(じょうろう)(高位)の女房でなければ用いられなかった(仝上)とある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) あさなけに見べき君としたのまねば思ひたちぬる草枕なり(古今和歌集)、 の、 あさなけに、 は、 朝日、 とも当て(精選版日本国語大辞典)、 「朝にけに」の転、 で、 け、 は、 晝、 とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、 あるいは、 朝にけに、 朝な朝な、 などとの混交、 ともある(仝上)。 朝も昼も、 いつも、 の意となる(広辞苑)。 け、 は、 カ(日)の転、 ヒ(日)が一日をいうのに対して二日以上にわたる期間をまとめていう語、 とあり、 日(ヒ)の複数名詞で、këの音、 となる(岩波古語辞典)、この場合、「け」は、上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)の、 乙類、 成句「日(ひ)にけに」(日ましにの意)の「け」は、 異(ケ)、 で、 keの音で別語、 であり、この場合は、 甲類、 となる。ただ、 このように複数だけを表す単語は日本語では他例がない、 とある(仝上)。「万葉集」では、すべて、 青山の嶺の白雲朝爾食爾(あさニけニ)常に見れどもめづらしあが君、 というように、 あさにけに(朝爾日爾、朝爾食爾)、 である(精選版日本国語大辞典)。 ただ、別に、 ケは、來経(キヘ)の約、 とする説(大言海)があり、その場合、「け」は、 き、への約と云うふ(八年経(ヤトシヘ)、八年(ヤトセ)、高嶺(タカネ)、嶽(タケ))…、幾日(イクカ)のカ、日讀(暦 コヨミ)のコ、この語の転、 で、 年月の、來つつ、経行くこと、 とする(仝上)。 きふ(來経)、 は、 あらたまのとしかきふればあらたまのつきはきへゆくうへなうへな(古事記)、 萬世に年は岐布(キフ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし(万葉集)、 と、 年月、経來(へきた)る、 意とする(仝上)。ただ、 ケはカ(日)の転、 とする説が大勢(日本古語大辞典=松岡静雄・時代別国語大辞典−上代編・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑等々)であるが、是非の判断はつかない。個人的には、毎朝の意の、 朝な朝な、 があるのだから、 日の転、 というよりは、 経來(へきた)る、 の方がいい気がするが、まあ、個人的嗜好でしかない。 「朝」(@漢音・呉音チョウ、A漢音チョウ、呉音ジョウ)は、「後朝(きぬぎぬ)」で触れたように、 会意→形声。もと「艸+日+水」の会意文字で、草の間から太陽がのぼり、潮がみちてくる時をしめす。のち「幹(はたが上るように日がのぼる)+音符舟」からなる形声文字となり、東方から太陽の抜け出るあさ、 とある(漢字源)。@は、「太陽の出てくるとき」の意の「あさ」に、Aは「来朝」のように、「宮中に参内して、天子や身分の高い人のおめにかかる」意の時の音となる(仝上)。同趣旨で、 形声。意符倝(かん 日がのぼるさま。𠦝は省略形)と、音符舟(シウ)→(テウ)(は変わった形)とから成る。日の出時、早朝の意を表す、 とも(角川新字源)、 会意文字です。「草原に上がる太陽(日)」の象形から「あさ」を意味する「朝」という漢字が成り立ちました。潮流が岸に至る象形は後で付された物です、 とも(https://okjiten.jp/kanji152.html)あるが、 「朝」には今日伝わっている文字とは別に、甲骨文字にも便宜的に「朝」と隷定される文字が存在する、 として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9D)、 会意文字。「艸」(草)+「日」(太陽)+「月」から構成され、月がまだ出ている間に太陽が昇る明け方の様子を象る。「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}を表す字。この文字は西周の時代に使われなくなり、後世には伝わっていない、 とは別に、 形声。「川」(または「水」)+音符「𠦝 /*TAW/」。「しお」を意味する漢語{潮 /*draw/}を表す字。のち仮借して「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}に用いる。今日使われている「朝」という漢字はこちらに由来する、 とし、 『説文解字』では「倝」+音符「舟」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように、「倝」とも「舟」とも関係が無い、 とある(仝上)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 夕暮れの籬(まがき)は山と見えななむ夜は越えじと宿りとるべく(古今和歌集)、 の、 ななむ、 は、 完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」とあつらえのぞむ意の助詞「なむ」、 籬(まがき)、 は、 柴などで編んだ粗末な垣根、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。和名類聚抄(平安中期)に、 籬、末加岐、一云、末世、以柴作之 字鏡(平安後期頃)には、 稱、曼世、 とあり、 籬、 は、 ませ、 とも訓ませ、 ませがき(籬垣・闍キ垣)、 ともいい(広辞苑・大言海)、 竹・柴などを粗く編んでつくった垣、 で(仝上)、 ませごし(籬越・馬柵越)、 という言葉があり、 籬垣(ませがき)を越えて、品物を授受したりなどすること、 あるいは、 馬柵(ませ)を越えて物事をすること、 という意味のように、 低く目のあらい垣、 のようである(仝上)。 籬(まがき)、 は、近世になって、 柵、 とも当て、 名におふ嶋原や、籬(マガキ)のかいまみに首尾をたどらぬはなし(仮名草子・都風俗鑑)、 と、 新吉原のの入口の土間と張見世(みせ)の間を仕切る格子戸、またはその張見世、 の意で使われるに至る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 まがき(籬)の由来は、 闃_の義、顯閧隔つる意(大言海)、 間垣の義(名語記・言元梯・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、 マヘガキ(前垣)の略か(万葉代匠記・日本釈名・北辺随筆・和訓栞)、 メカキ(目垣)の略(名語記・日本語原学=林甕臣)、 馬垣の義(箋注和名抄)、 ませ(籬)の由来は、 「間塞」または「馬塞」の意という(広辞苑)、 マ(間)セ(塞)の意(岩波古語辞典)、 「間狭ませ」の意か(デジタル大辞泉)、 闍キの義と云ふ、或は云ふ馬塞の義(大言海)、 馬塞の義(万葉考・言元梯・日本語源=賀茂百樹) ムマサエまたムマサケ(馬礙)の反(名語記)、 とある。どれかとする決め手はない。 間、 ともとれるし、それが、 狭い、 とも、 塞ぐ、 ともとれるが、共通する、 馬塞、 にちょっと惹かれるが。 ちなみに、垣の種類について、籬の他に、 我が背子に恋ひすべながり安之可伎能(アシカキノ)ほかに歎(なげ)かふ我(あれ)しかなしも(万葉集)、 の、 葦垣(あしがき)は葦で編んだ垣、 しばつち、あみたれじとみ、めぐりはひがき、ながや一つ、さぶらひ(宇津保物語)、 の、 檜垣(ひがき)はヒノキの薄板を網代(あじろ)のように編んだものを木製の枠に張ったもの、 所どころの立蔀 (たてじとみ) 、すいがきなどやうのもの、乱りがはし(枕草子)、 の、 透垣(すいがき)は割竹を縦に編むように木製の枠に張ったもの、 行くへも遠き山陰の、ししがきの道の険 (さが) しきに(謡曲・紅葉狩)、 の、 鹿垣(ししがき)は枝つきの木を人字形に組んだ柴垣、 大君の 御子の志婆加岐(シバカキ) 八節結(やふじま)り 結(しま)り廻(もとほ)し 截(き)れむ志婆加岐(シバカキ) 焼けむ志婆加岐(シバカキ)(古事記)、 の、 柴垣(しばがき、古くは「しばかき」)は柴木を編んで作った垣根、 門柱に椿井民部(つはゐみんぶ)と筆太に張札して、菱垣(ヒシカキ)のかりなる風情(浮世草子・武道伝来記)、 の、 菱垣(ひしがき)は割り竹をひしがたに組んで結った垣、 下手に建仁寺垣・竹の素戸(歌舞伎・お染久松色読販)、 の、 建仁寺垣(けんにんじがき)は、京都の建仁寺で初めて用いたという形式で、四つ割り竹を皮を外にして平たく並べ、竹の押縁(おしぶち)を横にとりつけ縄で結んだ垣、 等々がある(世界大百科事典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 「籬」(リ)は、 会意兼形声。「竹+音符離(リ 別々のものをくっつける)」、 とある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 名にしおはばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(古今和歌集)、 の、 詞詞に、 白き鳥のはしと足と赤き、川(隅田川)のほとりにあそびけり、京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず、 とある。これは、『伊勢物語』九段の、 なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それを隅田河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、と、わびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ、日も暮れ暮れぬ」と言ふに、乗りて、渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、 名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。 とそのままで(石田穣二訳注『伊勢物語』)、物語の文章を直接取り込んだ印象がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。この、 都鳥、 は、 チドリ科のミヤコドリ とするものと、 カモメ科のユリカモメ とするものとに説が分かれる(仝上)。 ミヤコドリ(都鳥、学名: Haematopus ostralegus)、 は、 チドリ目ミヤコドリ科、 に分類され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%89%E3%83%AA)、 全長45cm。赤白黒の目立つ色彩のチドリの仲間、メスオス同色です。頭から背、翼の上面は黒色で腹は白色。飛行時には翼に太い白帯が出るほか、腰は白色。尾も白く、黒い帯があります。くちばしは赤色で、太く見えますが、正面から見ると上下くちばしとも横から押されたように薄い形。脚は桃赤色。群性があり、同種でばかり群をつくっていることが多い、 とある(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/4617.html)が、かつては旅鳥または冬鳥としてふつうに見られたが、近年は非常に少ない(精選版日本国語大辞典)という。 ユリカモメ (百合鴎、学名:Chroicocephalus ridibundus)、 は、 チドリ目カモメ科、 に分類され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%A1)、 全長40cm。冬鳥として、全国の河、河口、湖沼、海岸に至る水辺に来ます。赤いくちばしと足がきれいな小型のカモメの仲間で、水上に群がる姿は白い花が一面に咲いたようです、 とあり(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1506.html)、 カモメ類ではいちばん内陸にまで飛来する鳥で、海岸から数10キロも入った川岸の街や牧草地でエサをあさったりしています、 という(仝上)。大きさは、 カモメ・ウミネコより小さく、あしとくちばしが黄色でなく赤色なので区別できる。冬羽は背が淡い灰青色、耳羽が褐色を呈するほかは白色。夏羽では頭部全体が黒褐色になる、 とある(精選版日本国語大辞典)。 白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥、 とあるので、 ゆりかもめ、 と目されている。 冬鳥で、水辺に棲み、くちばしとあしが赤いという点で共通するが、体色、体形、食物等は異なる、 として(日本語源大辞典)、 ユリカモメ、 に照応し、順徳天皇が著した歌論書『八雲御抄』(1221)にも、 城鳥 すみだ川ならでも、ただ京ちかき河にも有、白とりのはしあかき也、 も、そう解している。なお、 現在の京都ではユリカモメは鴨川などで普通に見られるありふれた鳥であるが、鴨川に姿を見せるようになったのは、1974年のことである。それ以前は「京には見えぬ鳥」であった、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%A1)。また、食性も、「ミヤコドリ」が、 カキなどの貝類を食べる、 のにたいして、「ユリカモメ」は、 近くに水草が生えている河川や池では昆虫や雑草の種子などを食べ、港では不要な捨てられた魚を食べ、時には人の食べ物や売られている魚を横取りすることも少なくない、 と異なる(仝上)。万葉集の、 船競ふ堀江の川の水際に来ゐつつ鳴くは美夜故杼里(ミヤコドリ)かも、 も、同様、 ユリカモメ、 と目されている。 ユリカモメ、 の由来は、 ユリの花のように美しいところからとする説、 イリエカモメ(入江鴎)」が転じたとする説、 「ユリ」は「のち・あと(後)」を意味する古語説、 等々があり(語源由来辞典)、 ミヤコドリ、 の由来は、 ミヤ小鳥の義、ミヤは鳴き声ミヤミヤから(松屋筆記)、 ミメアテヤカトリ(容貌貴鳥)の義(日本語原学=林甕臣)、 等々がある(日本語源大辞典)が、確定しがたい。「ミヤコドリ」の鳴き声は、 「ギィー」とか「ギュゥーィ」と聞こえる、 とある(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1506.html)ので、ちょっと違うようだ。 ふたみの浦といふ所に泊まりて、夕さりのかれいひたうべけるに(古今和歌集)、 の、 かれいひ、 は、 乾飯、 と当て(学研全訳古語辞典)、 米を蒸してかためたもの、旅の携行食で、水や湯で戻して食べる、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 たうぶ、 は、 食ぶ、 と当て、 いただく、 意である(仝上)。 たうぶ、 は、 賜ぶ、 給ぶ、 食ぶ、 などと当て(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、 賜ふの転、いただく意(岩波古語辞典)、 「たまふ」から変化した語で同じ系統に「たぶ」がある。「たうぶ」は、おもに中古に用いられた語で「たまふ」よりは敬意の度合いがやや低い。男性言葉である(学研全訳古語辞典)、 食ぶの延、食ぶは賜ぶの転、賜ぶは給ふに同じ(大言海)、 等々とあり、 給ふ→たうぶ→たんぶ→たぶ、 と変化した(https://hohoemashi.com/tabu/)ともある。 「たまふ」で触れたように、「たまふ」は、 目下の者の求める心と、目上の者の与えようとする心とが合わさって、目上の者が目下の者へ物を与えるという意が原義、転じて、目上の者の好意に対する目下の者の感謝・敬意を表す、 (目下の者に)お与えになる、 (慣用句として「いざ〜賜へ」と命令形で)是非どうぞ、是非〜してください(見給へ、来給へ)、 意の他動詞(岩波古語辞典)と、それが、 タマ(魂)アフ(合)の約か。(求める)心と(与えたいと思う)心とが合う意で、それが行為として具体的に実現する意。古語では、「恨み」「憎しみ」「思ひ」など情意に関する語は、心の内に思う意味が発展して、それを外に具体的行動として表す意味を持つ、 助動詞として、動詞の意味の外延を引きずって、 天皇が自己の動作につけて用いる。天皇は他人から常に敬語を使われる位置にあるので、自分の動作にも敬語を用いたもの、 として、 〜してつかわす(「「労(ね)ぎたまふ」)、 意と、さらに、 〜してくださる(「いざなひたまひ」)、 と、目上の者の行為に対する感謝・敬意をあらわし、また、 〜なさる(「位につきたまふ」)、 と、広く動作に敬意を表す(仝上)使い方をする。助動詞「たまふ」は、 元来、ものを下賜する意で、それが動詞連用形(体言の資格をもつ)を承けるように用法が拡大されて、「選び玉ヒデ」「御心をしづめたまふ」などと用い、奈良時代以後ずっと使われた。そこから、相手の動作に対する尊敬の助動詞へと転用されていったものと考えられる。つまり相手の動作を相手が(自分などに対して)下賜するものとして把握し表現したのである。 平安時代になると、単独の「たまふ」よりも一層厚い敬意を表す表現として、……使役の「す」「さす」「しむ」と、「たまふ」とを組み合わせる形が発達した。「せ給ふ」「させ給ふ」「しめ給ふ」という形式…である。それは、「〜おさせになる」という、人を使役する行為を貴人が下賜することを意味し、その意味で使われた例も多く存在する。しかし、貴人自身の行為であっても、それを侍者にさせるという表現を用いることによって単に「〜し給ふ」と表現するよりも一層厚い敬意を表すこととになったものである、 とある(仝上)。さらに、「たまふ」には、 タマフの受動形。のちにタブ(食)に転じる語、 である下二段動詞として、 (飲み物などを)いただく、 主として自己の知覚を表す動詞「思ふ」「聞く」「知る」「見る」などの連用形について、思うこと、聞くこと、知ること、見ることを(相手から)いただく意を表し、謙譲語、 として、 伺う、 拝見する、 等々の意としても使う。尊敬語(下さる)の受け身なのだから、謙譲語(していただく)になるのは、当然かもしれない。 「食べる」で触れたように、「たまふ」と同義の、 たぶ(賜)、 たうぶ(賜)、 があり、「たぶ」は、 タマフの轉、 であり(岩波古語辞典)、「たうぶ」も、 「たまふ」あるいは「たぶ」の音変化で、主として平安時代に用いた、 とあり、「たぶ」も、 「たまふ」の訛ったもので、 tamafu→tamfu→tambu→tabu という転訛と思われる(岩波古語辞典)。で、大言海は、「たうぶ」を、 たうぶ(賜) たぶ(賜、四段)の延、賜ふ意、 たうぶ(給) たぶ(給、四段)の延、他の動作に添えて云ふ語、 たうぶ(給) 上二段、仝上の意、 たうぶ(食) たぶ(食、下二段)の延、 と四項に分ける。それは、「たぶ」が、 たぶ(賜・給、自動四段) 君、親、又饗(あるじ)まうけする人より賜るに就きて、崇め云ふ語、音便にたうぶ、 たぶ(賜、他動四段) たまふに同じ、 たぶ(食、他動四段) 賜ぶの転、食ふ、 とある(仝上)のと対応する。もともと自動詞の「たぶ」自体に、 飲み食ふの敬語、 の用例があるので、その意味が、 謙譲語、 としての「食ぶ」の用法につながっていくとも見え、 下二段の活用の「たまふ(給)」と同じく、本来は「いただく」の意であるが、特に、「飲食物をいただく」場合に限定してもちいられる、 にいたる(日本語源大辞典)。 なお、「たぶ(賜・給、自動四段)」にある「饗(あるじ)まうけ」とは、「あるじ(主・主人)」は、 客人(まらうど)に対して云ふが元なり、饗応を、主設(あるじまうけ)と云ふ、 の意味である(大言海)。「たぶ」は、「たまふ」の、 たまふ(賜、他動四段) 授ける、与えるの敬語、 たまふ(給、自動四段) 他の動作の助詞に、敬語として言ひ添ふる、 たまふ(自動下ニ) 己れが動作の動詞に、敬語として言ひ添ふる語、 と対応して(大言海)、 賜ぶ→食ぶ→食べる、 という転訛になる。 なお、「食う」については触れた。
「食」(@漢音ショク、呉音ジキ、A漢音シ、呉音ジ、B漢・呉音イ)は、「食う」で触れたように、 夕月夜(ゆふづくよ)おぼつかなきを玉くしげふたみの浦はあけてこそ見め(古今和歌集) 玉くしげ、 は、 櫛などを入れる箱、 で、 蓋にかかる枕詞、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 玉櫛笥、 とも当て、 たま、 は、接頭語、歌語として使われ、 をとめらが珠篋(たまくしげ)なる玉櫛の神さびけむも妹(いも)に逢はずあれば(万葉集)、 ふた方に言ひもてゆけば玉くしけ我が身離れぬかけごなりけり(源氏物語)、 など、 美称、 として使われ、 櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱、 の意(学研全訳古語辞典)で、 くしばこ、 ともいう、 くしげ、 の美称ということになる(広辞苑)が、 玉飾りのある櫛笥(くしげ)、 の意が転じて、 女の持つ手箱の美称、 となった(岩波古語辞典)ともあり、 たま、 は、 霊魂を意味し、神仙としての霊性とかかわりのある箱の意、 ともある(仝上)。 「たま(魂・魄)」で触れたように、 「たま」は、 魂、 魄、 霊、 と当てるが、「たま(玉・珠)」で触れたように、 玉、 球、 珠、 とも当て、 球体・楕円体、またはそれに類した形のもの、 をいうが、もともと、 たま(玉・珠)、 は、 タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる、丸い石などの物体が原義、 とある(岩波古語辞典)。依り代の「たま(珠)」と依る「たま(魂)」というが同一視されたということであろうか。 呪術・装飾などに用いる美しい石、宝石、 であり、 特に真珠、 を指し、転じて、 美しいもの、 球形をしたもの、 と意味が広がったと見られる。 なお、形の丸については「まる」で触れたように、「まる」「まどか」という言葉が別にあり、 中世期までは「丸」は一般に「まろ」と読んだが、中世後期以降、「まる」が一般化した。それでも『万葉−二〇・四四一六』の防人歌には「丸寝」の意で「麻流禰」とあり、『塵袋−二〇』には「下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ」とあるなど、方言や俗語としては「まる」が用いられていたようである。本来は、「球状のさま」という立体としての形状を指すことが多い、 とあり(日本語源大辞典)、更に、 平面としての「円形のさま」は、上代は「まと」、中古以降は加えて、「まどか」「まとか」が用いられた。「まと」「まどか」の使用が減る中世には、「丸」が平面の意をも表すことが多くなる、 と(仝上)、本来、 「まろ(丸)」は球状、 「まどか(円)」は平面の円形、 と使い分けていた。やがて、「まどか」の使用が減り、「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して、「まどか(まとか)」の項には、 ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま、 とある。平面は、「円」であり、球形は、「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは、「まどか」と「まる」の区別が必要であったが、「円」「丸」で表記するようになれば、区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませた。 とすると、本来「たま」は「魂」で、形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが、 丸い石、 を精霊の憑代とすることから、その憑代が「魂」となり、その石をも「たま」と呼んだことから、その形を「たま」と呼んだと、いうことのように思える。その「たま」は、単なる球形という意味以上に、特別の意味があったのではないか。 たま、 は、 魂、 でもあり、 依代、 でもある。何やら、 神の居る山そのものがご神体、 となったのに似ているように思われる。しかし憑代としての面影が消えて、形としては、「たま」は、「丸」とも「円」とも差のない「玉」となった。しかし、 掌中の珠、 とは言うが、 掌中の丸、 とは言わない。かすかにかつての含意の翳が残っている。 さて、そうした陰影のある「たま」の美称をもつ、 玉匣(たまくしげ)、 は、 枕詞、 に転じ、 くしげを開く、 意から、 吾が思ひを人に知るれや玉匣(たまくしげ)開きあけつと夢(いめ)にし見ゆる(万葉集)、 と、 「ひらく」「あく」に、 珠匣(たまくしげ)蘆城の河を今日見ては万代(よろづよ)までに忘らえめやも(万葉集)、 と、 「開(あく)」の「あ」と同音を含む地名「あしき」に、 かかり、 くしげの蓋(ふた)をする、 意から、 玉匣(たまくしげ)覆ふをやすみ明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも(万葉集)、 と、 「おほふ」に、 かかり、 くしげの蓋、 の意から、「ふた」と同音の、 ぬばたまの夜はふけぬらし多末久之気(タマクシゲ)二上山に月傾きぬ(万葉集)、 と、 地名「二上山」「二見」「二村山」、 ほととぎす鳴くや五月(さつき)のたまくしげ二声聞きて明くる夜もがな(新勅撰和歌集)、 と、 「二年(ふたとせ)」「二声」「二尋(ふたひろ)」「二つ」、 などを含む語にかかり、 くしげの身の、 意から、 玉匣(たまくしげ)みもろの山のさなかづらさ寝ずは遂にありかつましじ(万葉集)、 と、 「身」と同音を含む「三諸(みもろ)」「三室戸(みむろと)」「恨み」に、 かかる。一説に、くしげを開けて見る意で、「見」と同音を含む語にかかるともいう。また、 くしげの箱、 の意から、 たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡と誰か見ざらん(土佐日記)、 と、 「箱」と同音または同音を含む地名「箱根」、または「箱」、 などにかかり、 たまくしげかけごに塵もすゑざりし二親ながらなき身とを知れ(金葉集)、 と、 くしげと縁の深いものとして「掛子(かけご)」にかかり、また、鏡と同音の地名「鏡の山」、 にかかり、 大切なもの、 の意で、 あきづはの袖振る妹を珠匣(たまくしげ)奥に思ふを見給へ吾が君(万葉集)、 と、 奥に思ふ、 にかかり、 くしげが美しい、 の意から、 玉匣かがやく国、苫枕(こもまくら)宝ある国(播磨風土記逸文)、 と、 「輝く」にかかる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 なお、 玉匣、 を、 ぎょっこう、 と読むと、漢語で、 宝玉で装飾した箱、 をいい、 玉手箱、 鏡箱(かがみばこ)、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。 「匣」(漢音コウ、呉音ギョウ、慣用ゴウ)は、「筥」で触れたように、 会意兼形声。甲(コウ)は、ぴったりと蓋、または覆いのかぶさる意を含む。からだにかぶせるよろいを甲といい、水路にかぶせて流れを塞ぐ水門を閘(コウ)という。匣は、「匚(かごい)+音符甲」で、ふたをかぶせるはこ、 とある(漢字源)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 手向けにはつづりの袖もきるべきに紅葉に飽ける神や返さむ(古今和歌集)、 の、 つづり、 は、 布地を継ぎあわせて作った着物、 の意で、転じて、 粗末な着物、 僧衣、 の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 つづれ(綴れ・襤褸)、 ともいう(精選版日本国語大辞典)が、この動詞、 つづる(綴)、 は、 つづら(葛)と同根、 とあり(岩波古語辞典)、「つづら」は、 綴葛(ツラツラ)の約にて、組み綴るより云ふ、 で(大言海)、「つづる」は、 蔓(繊維)を突き通して物を縫い合わせる、 意で(岩波古語辞典)、 同類のものを二つ以上つぎ合わせる、 意とある(精選版日本国語大辞典)。で、 手を以て衣を縫(ツツリ)き(「大智度論平安初期点(850頃)」)、 と、 糸などで二つ以上のものをつなぎ合わせて布地や衣服にする、また、欠けたり破れたりした所をつぎ合わせる、 意や、 障子をつづりて倹約をしめしたるは時頼の母とかや(「俳諧・類船集(1676)」)、 と、 布、紙などをつぎ合わせる、 意で使い、それを広く、 紙を糸・紐などでとじる、とじ合わせる、 意でも、それをメタファに、 コトバヲ tçuzzuru(ツヅル)(「日葡辞書(1603〜04)」)、 ことばを組み合わせて文を作る、 また、 文章に書き表わす、 意や、 さるによりて、他力の本願にほこりて、いよいよ悪をつづり、首題の超過をよりどころとして仏をそしり他をなみす(談義本「艷道通鑑(1715)」)、 と、 ある行為や物事をとぎれなくつづける、 意でも使う(精選版日本国語大辞典)。この連用形の名詞形が、 つづり、 だから、 此等は外穢内浄の句なるべし。たとへば、金(こがね)をつづりに裹(つつ)みたるごとし(「ささめごと(1463〜64頃)」)、 と、 布きれをつぎ合わせたもの、 をさし、そこから、 粗末な衣服、 ぼろぼろの着物、 となり、さらに、上記引用のように、 種々のきれをつぎ合わせてつくった袈裟、 または、 法衣、 をも指す。 「綴」(漢音テイ・テツ、呉音タイ・テチ)は、 会意兼形声。叕(テツ)は断片をつなぎ合わせるさまを描いた象形文字。綴はそれを音符とし、糸を加えた字で、糸で綴り合せることを示す、 とある(漢字源)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 來べきほど時すぎぬれや待ちわびて鳴くなる人をとよむる(古今和歌集)、 の、 とよむ、 は、 音や声を鳴り響かせる、 意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 「どよむ(響)」で触れたように、今日の「どよむ」は、色葉字類抄(平安末期)に、 動、とよむ、 とあり、平安時代までは、 とよむ、 と清音で、 「どよむ」に変わったのは、平安中期以後 とされ(日本語源大辞典)、 響む、 動む、 響動む、 等々と当てる(広辞苑・岩波古語辞典・日本語源大辞典・大言海)。 「とよむ」の「とよ」は、 擬声語(広辞苑)、 擬音語(岩波古語辞典)、 音の鳴り響く義(大言海)、 の、 動詞化、 とあり(広辞苑)、古くは、 雷神(なるかみ)の少しとよみて降らずとも我はとまらむ妹しとどめば(万葉集)、 と、 鳴り響く、響き渡る、 意や、 さ野つ鳥雉(きぎし)は登与牟(トヨム)(古事記・歌謡)、 と、 鳥獣の鳴き声が鳴り響く、 意のように、 人の聲よりはむしろ、鳥や獣の声や、波や地震の鳴動など自然現象が中心であったのに対して、濁音化してからは、主として人の声の騒がしく鳴り響くのに用いられるようになった、 とある(日本語源大辞典)。 とよむ、 には、上述の、 雷神なるかみの少しとよみて降らずとも我はとまらむ妹しとどめば(万葉集)、 と、 鳴なり響ひびく、 大声おおごえをあげ騒さわぐ、 意の、自動詞で、マ行四段活用の、 語幹(とよ)未然形(ま)連用形(み)終止形(む)連体形(む)已然形(め)命令形(め) と、 恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思もふ時に来鳴きとよむる(万葉集)、 と、 鳴り響かせる、 とよもす、 どよむ、 意の、他動詞、マ行下二段活用の、 語幹(とよ)未然形(め)連用形(め)終止形(む)連体形(むる)已然形(むれ)命令形(めよ) とがある(大言海・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%88%E3%82%80・広辞苑)。 「響」(漢音キョウ、呉音コウ)は、「どよむ(響)」で触れたように、 会意兼形声。卿(郷 ケイ)は「人の向き合った姿+皀(ごちそう)」で、向き合って会食するさま。饗(キョウ)の原字。郷は「邑(むらざと)+音符卿の略体」の会意兼形声文字で、向き合ったむらざと、視線や方向が空間をとおって先方に伝わる意を含む。響は「音+音符卿」で、音が空気に乗って向こうに伝わること、 とある(漢字源)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) ありと見てたのむぞかたき空蝉の世をばなしとや思ひなしてむ(古今和歌集む) は、 世をばなしとや、 で、 をばな、 を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。この、 空蝉(うつせみ)、 は、 世の枕詞、 として使われている。 うつせみ、 は、 ウツシ(現)オミ(臣)の約ウツソミが更に転じたもの。「空蝉」は当て字、 とあり、 打蝉(うつせみ)と思ひし妹がたまかぎるほのかにだにも見えなく思へば(万葉集)、 と、 この世に生きている人、 生存している人間、 の意で、 うつしおみ、 うつそみ、 ともいい、また、 香具山は畝火(うねび)雄々(をを)しと耳成(みみなし)と相(あひ)争ひき神代よりかくにあるらし古(いにしえ)もしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき(万葉集)、 と、 この世、 現世、 また、 世間の人、 世人、 の意で、 うつそみ、 ともいう(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 空蝉、 は、 「現人(うつせみ)」に「空蝉」の字を当てた結果、平安時代以降にできた語、 とあり(広辞苑)、万葉集では「この世」、「この世の人」という意味で使われ、 虚しいもの、 というニュアンスはない(日本語源大辞典)が、 空蝉、 虚蝉、 打蟬、 等々と表記して、 うつ‐せみ、 と、 はかないもの、 を意識して、 空蝉のからは木ごとにとどむれどたまのゆくへをみぬぞかなしき(古今和歌集)、 と、 蝉のぬけがら、 さらに、 うつせみの声きくからに物ぞ思ふ我も空しき世にしすまへば(後撰和歌集)、 と、 蝉、 の意で使い、そこから、 その音が蝉の声に似るところから、 と、 説法しける道場に鳥の形なりけるこゑをうつせみの聴聞の人の中にいひける(菟玖波集)、 と、 楽器の一種「けい(磬)」の異称、 ともなり、その「抜け殻」のイメージをメタファに、 わがこいはもぬけの衣(きぬ)のうつせみの一夜(ひとよ)きてこそ猶(なほ)(狂言「鳴子」)、 と、 魂が抜け去ったさま、 気ぬけ、 虚脱状態、 の意や、 御台所は忙然と歎に心空蝉(ウツセミ)のもぬけのごとくにおはせしが(浄瑠璃「神霊矢口渡」)、 と、 蛻(もぬけ)の殻の形容、 からっぽ、 の意へと広がり、 うつ蝉(セミ)とて用をかなへに行ふりで、かふろを雪隠(せっちん)の口につけ置、我みはあひにゆきます(評判記「難波鉦(1680)」)、 と、 遊里の語。客に揚げられた遊女が手洗いに立ったふりをして、他のなじみ客の所に行って逢うこと、 また、 それによる空床、 の意や、形は島田髷に似て、蝉のぬけがらを連想させるところからの名づけなのか、安永(1772〜81)頃の、 遊女の髷(まげ)の名、 等々にまで意味が広がる(精選版日本国語大辞典)。 空蝉の、 という枕詞は、「空蝉」「虚蝉」という表記から「むなしい」という意が生じて、 うつせみの命を惜しみ波にぬれ伊良虞(いらご)の島の玉藻刈りをす(万葉集)、 と、 命、身、人、空(むな)し、かれる身、 などにかかる(仝上・大辞林)。で、 空蝉の世(よ)、 というと、 この世、 現世、 の意で、やはり「空蝉」という表記から、仏教の無常感と結び付いて、 うつせみの世にもにたるか花ざくらさくとみしまにかつちりにけり(古今和歌集)、 と、 はかないこの世、 という含意になる(仝上)。 さて、この「空蝉」と当てる前の、 うつせみ、 の語源は、 ウツシ(現)オミ(臣)の約ウツソミが更に転じたもの(広辞苑)、 「うつしおみ(現人)」の転。「うつそみ」とも(大辞林)、 「うつしおみ」が「うつそみ」を経て音変化したもの(大辞泉)、 ウツソミの転、ウツソミは、ウツシ(現)オミの約、ウツセミの古形(岩波古語辞典)、 とするのが大勢で、 「現実に生きているこの身」という意味でウツシミ(現し身)といったのが、ウツセミ(空蝉)になり、さらにウツソミ(現身・顕身)に母交[i][e][o]をとげた(日本語の語源)、 現身(ウツシミ)の転と云ふ(さしもぐさ、させもぐさ)、空蝉は借字なり、死して見えぬに対して云ふ、ウツソミは、再転なり(れせはせはし、そはそはし)(大言海)、 と、 うつしみ(現身)の転、 とする説は、 「現身」と解する説は誤り、ミ(身)は、上代ではmï(乙音)の音、ウツソミのミはmi(甲音)の音(岩波古語辞典)、 「み」は万葉仮名の甲類の文字で書かれているから「身(乙類)」ではなく、「現身」とすることはできない。「うつしおみ(現臣)」が「うつそみ」となり、さらに変化した語という(精選版日本国語大辞典) ミが甲乙別音である(日本語源広辞典)、 と上代特殊仮名遣から否定されていて、 現身(うつしみ)、 は、 ウツシ(現世の・現実の)+ミ(身)、 が、 ウツセミ、 と転訛した別語とある(日本語の語源)。 ただ、大勢となっている、 うつしおみ→うつそみ→うつせみ、 の語形変化が正しいとは言えず、 「うつしおみ」を、「現実の臣」と解釈すると、このつながりは説明できない、 乙類のソが甲類のセに転じるという変化は考えにくい、 「うつそみ」が「うつせみ」より古いという確証がない、 等々から、 ウツソミ→ウツセミ、 の変化を想定するのは妥当ではなく、 ウツソミ、 は、 擬古的にもちられたもの、 ではないかとしている(日本語源大辞典)。結局、語源はわからないのだが、意味的に言えば、音韻的な妥当性を欠くにしても、 ウツシミ(現身)→ウツセミ(現人)→ウツセミ(空蝉)、 が通りがいい。万葉集の時代、 ウツセミ、 は、萬葉集時代には、 ウツセミ(現人)、 の意味であったのだから。 なお、「もぬけ」、「セミ」については触れた。 「蝉(蟬)」(漢音セン、呉音ゼン)の字は、「セミ」で触れたが、 会意兼形声。「虫+音符單(薄く平ら)」。うすく平らな羽根をびりびり震わせて鳴く虫、 で(漢字源)、「せみ」を指す。「蟬」の字は、「嬋」に通ずというので「うつくし」という意味もある(字源)。別に、 会意兼形声文字です(虫+單)。「頭が大きくてグロテスクな、まむし」の象形(「虫」の意味)と「先端が両股(また)になっている弾(はじ)き弓」の象形(「弾く」の意味)から羽を振るわせて鳴く虫「せみ」を意味する「蝉」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2723.html)。ただ、 形声。「虫」+音符「單 /*TAN/」。「セミ」を意味する漢語{蟬 /*dan/}を表す字。なお、音符を変更して「蟺」とも書かれる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%9F%AC)、 形声。虫と、音符單(タン)→(セン)とから成る。「せみ」の意を表す(角川新字源)、 と、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)とする説もある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) かづけども波の中にはさぐられで風吹くごとに浮き沈む玉(古今和歌集)、 は、 中にはさぐられで、 で、 かにはさくら(樺桜)、 を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。また、 かづく、 は、万葉集では、 かづく、 平安後期では、 かつぐ、 となる、 水に潜る、 意である(仝上)。 頭に被るもの、 の意の、 かづき、 で触れたが、この動詞「かづく(被)」は、 かづく(潜)と同根(岩波古語辞典)、 とあり、 あたまにすっぽりかぶる、 意とあり、 伊知遅島(いちぢしま)美島(みしま)に着(と)き鳰鳥(みほどり)の潜(かづ)き息づき(古事記)、 と、 水に頭を突っ込む、 水にくぐる、 意や、 伊勢のあまの朝な夕なにかづくとふあはびの貝の片思もひにして(万葉集)、 と、 水に潜って貝・海藻などをとる、 意で使う。この四段自動詞の他に、 隠(こも)り口(く)の泊瀬(はつせ)の川の上(かみ)つ瀬に鵜(う)を八頭(やつ)かづけ(万葉集)、 と、下二段の他動詞で、 (水中に)もぐらせる、 鵜などを水中に潜らせて魚を取らせる、 意でも使う(仝上・学研全訳古語辞典)。この、 かづく(潜)、 の由来は、 頭突(かぶつ)くの約か、額突ぬかつ)く、頂突(うなづ)くの例(大言海)、 頭をツキイル(衝入)意(雅言考・俗語考・和訓栞)、 水ヲ-カヅク(被)の義か(俚言集覧)、 等々あるが、 かづく(被)、 と同源とするなら、 水ヲ-カヅク(被)の義、 なのではないか、という気がする。因みに、 かづく(被)、 の由来は、 上から被う意のカヅク(頭附)(国語の語根とその分類=大島正健)、 カはカシラ(頭)、カミ(髪)の原語。頭部を着くという義(日本古語大辞典=松岡静雄)、 等々がある。 被衣、 被き、 と当てる、 かづき、 は、 女子が外出に頭に被(かづ)く(かぶる)衣服、 のことで、平安時代からみられ、女子は素顔で外出しない風習があり、衣をかぶったので、 その衣、 を指し、多く単(ひとえ)の衣(きぬ)が便宜的に用いられ、 衣かずき(衣被き・被衣)、 きぬかぶり(衣被り)、 ともよばれた。 すっぽりと頭に被る、 という意味の、 かづく(被)、 からすると、 かづく(潜)、 も、 水にすっぽり被る、 意で、 頭にかぶる意で、特に、水を頭上におおうというところから、 と(日本国語大辞典)、 水ヲ-カヅク(被)の義、 の語源説に惹かれる。 「潜(潛・濳)」(漢音セン、呉音ゼン)は、 会意兼形声。朁は、かんざしを二つ描いた象形文字で、髪の毛のすきまに深く入り込んむ簪(シン かんざし)の原字。簪の朁は、「かんざし二つ+日」からなり、すきまにわりこんで人を悪く言うこと。譖(そしる)の原字。潜は、それを音符とし、水を加えた字で、水中に深く割り込んでもぐること。すきまから中にもぐりこむ意を含む、 とある(漢字源)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 逢ふからもものはななほこそかなしけれ別むことをかねておもえば(古今和歌集)、 は、 からもものはな を詠みこんでいるが、 からも、 は、 からに、 と同じで、 ……すると同時に、 の意であり、 からもも、 は、 杏の古名、 とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。 からもも、 は、 中国渡来のモモ、 意で、「天治字鏡(天治本新撰字鏡)」(898年〜901年)に、 杏、辛桃、 「本草和名(ほんぞうわみょう)」(918年編纂)に、 杏子、加良毛毛、 「類聚名義抄」(11〜12世紀)に、 杏・杏子、加良毛毛、 とある。 あんず、 は、 杏子の唐音(日本釈名・大言海・国語の中に於ける漢語の研究=山田孝雄)、 とされ、 杏子(きやうし)の宋音、禅僧の杏子(カラモモ)に読みつけたる語なるべし。本草和名に、「俗に、杏子、唐音に呼んで、アンズとも云ひ、杏仁をアンニンと云ふ」、銀杏(ギンキヤウ)を、ギンアンと云ふも是れなり、本草に、杏核、一名杏子とあれば、杏子は、元来、核(タネ)の名なりしが如し、 とある(大言海)ように、 ももになぞらえうる外来の植物ということで、別の種類の植物とともに「からもも」と呼ばれていたが、杏の果実である「杏子」を食する習慣が、アンズという音で普及するに及び、果実だけでなく、その木や花もアンズと呼ばれることになった。また種子であるアンニン(杏仁)を薬用とすることも、普及に寄与した、 とあり(日本語源大辞典)、 江戸時代になってから、漢名の杏子を唐音読みでアンズとなったといわれている、 という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BA)。 なお、 からもも、 には、 紫檀、蘇枋(すはう)、黒柿(くろがい)、唐桃(からもも)などいふ木どもを材木として、金銀、瑠璃、車渠(しやこ)、瑪瑙(めなう)の大殿を造り重ねて(宇津保物語)、 と、 寿星桃(じゅせいとう)、 江戸桃、 源平桃、 アメンドウ、 はなあんず、 西王母、 さきわけもも、 日月桃(じつげつとう)、 等々とも呼ぶ、 中国原産のモモの一種、 の桃の栽培品種がある。 葉は細長く密に茂り、小木であるが、花は多く咲き、幹は一メートルぐらいで、三〇センチメートルに足りない小木にも花や実がつく。葉は細長く、よく茂る。花は、一重、八重、紅色、白色、紅白のしぼりなどがある、 もので、一般には、 ハナモモ(花桃)、 という名で知られる。 アンズ、 は、 バラ科サクラ属の落葉高木。中国の原産。果樹として広く世界で栽培、日本では東北地方・長野県で栽培。幹の高さ約3メートル。葉は卵円形で鋸歯がある。早春、白色または淡紅色の花を開く。果実は梅に似て大きく、初夏に実り、果肉は砂糖漬・ジャムなどにする。種子は生薬の杏仁(きょうにん)で、咳どめ薬の原料、 である。 ハナモモ、 は、 バラ科モモ属の耐寒性落葉低木、幹は一メートルぐらいになるが、三〇センチメートルに足りない小木でも花や実がつく。葉は細長くて、よく茂る。花は、一重・八重、紅色・白色・紅白のしぼりなどの変化がある。結実するが実は小さく、食用には適さない。 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%A2%E3%83%A2・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 「桃」(漢音トウ、呉音ドウ)は、 会意兼形声。兆(チョウ)は、ぽんと二つに離れるさま。桃は「木+音符兆」で、その実が二つに割れるももの木、 とある(漢字源)。同趣旨で、 会意兼形声文字です(木+兆)。「大地を覆う木」の象形と「うらないの時に亀の甲羅に現れる割れ目」の象形(「前ぶれ」の意味だが、ここでは、「2つに割れる」の意味)から、2つにきれいに割れる木の実、「もも」を意味する「桃」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji308.html)が、 形声。「木」+音符「兆 /*LAW/」。「もも」を意味する漢語{桃 /*laaw/}を表す字、 と(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A1%83)、 形声。木と、音符兆(テウ)→(タウ)とから成る。「もも」の意を表す、 と(角川新字源)、形声文字とする説もある。 「杏」(慣用キョウ、唐音アン、漢音コウ、呉音ギョウ)は、 会意文字。「木+口」で、口に食べてみておいしい実のなる木をあらわす、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(木+口)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「口」の象形(「種類、口」の意味)から、木の一種「あんず(バラ科の落葉高木)」、「ぎんなん(いちょうの木の実)」を意味する「杏」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2212.html)が、 形声。木と、音符向(キヤウ)→(カウ)(口は省略形)とから成る、 ともある(角川新字源)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) |
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