今聞く、大日本国(おおやまとのくに)の救将(すくいのきみ)廬原君臣(いおはらのきみおみ)、健児(こんでい)万余(よろづあまり)を率(い)て、正に海を越えて至らむ(日本書紀)、 の、 健児、 は、 けんじ、 と訓むと、 快馬健児、不如老嫗吹篪(洛陽伽藍記)、 と、 壮士、 と同義で、 血気盛んな若者、 の意であり、さらに、漢語では、 天下諸軍有健児(六典)、 と、 軍卒の職名、 として使われる(字源)が、我が国では、古く、 ちからひと、 と訓ませ、 乃ち健児に命(ことおお)せて、翹岐(ぎょうき)が前に相撲(すまひ)とらしむ(日本書紀・皇極天皇元年(641年)7月22日)、 今聞く、大日本国(おおやまとのくに)の救将(すくいのきみ)廬原君臣(いおはらのきみおみ)、健児万余(よろづあまり)を率(い)て、正に海を越えて至らむ(同・天智天皇2年8月13日)、 等々、 武勇者、 兵士、 の意味で用いられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%A5%E5%85%90)が、後の、軍制に組み込まれた健児(こんでい)制度の謂いではない(日本大百科全書)。 こんでい、 と訓ませるのは、 奈良時代中期以降現れた兵士の一種、 の、 健児制度、 を指し、 一般の兵士の中から強健で武芸に秀でた300人を選んだもの、 をいい、 田租と雑徭(ぞうよう)が半分免除され、中男(ちゅうなん 17〜20歳男子)二人が馬子として付けられた、 とあり、 こんに、 とも訓ませ、天平宝字六年(762)には、 郡司の子弟、および良民の20〜40歳の中から選ぶこととした(精選版日本国語大辞典)とある。 健児(こんでい)、 は、 騎馬を自弁し、弓馬の術に長じた者が選抜され、騎馬の世話をする馬丁が国から支給された、 とあり、後世の武士の原型をなす(日本大百科全書)とされる。これは、 唐で府兵制の変質過程で募兵の一形式として軍鎮(ぐんちん)勤務のものとして「健児」が現れる、 とあるのを模倣した用語とみられる(仝上)。健児制度の初見は、近江国(滋賀県)志賀郡の大友吉備麻呂(きびまろ)で、725年(神亀2)から734年(天平6)まで健児であった。この間、735年には、 兵士300人を健児としたことや、翌年、健児、儲士(ちょし)、選士に対して田租(でんそ)、雑徭(ぞうよう)のなかばが免除となった、 という記事が残っている(仝上)。その後738年5月に、 東海、東山、山陰、山陽、西海諸道の健児を停止、 したとあり、約10年間の存在であった(仝上)。 軍団が私物化され農民の疲弊を招いた、 軍団の兵士は弓馬の心得あるものが少ない、 などが原因で、延暦11年(792)に軍団の制度が一部を除いて廃止されると、代わりに、質の向上を図るため、その代わりに設けた兵制をも、 健児(こんでい)、 という(精選版日本国語大辞典)。 郡司や富裕者、有位者の子弟を採用して健児とし、軍団の兵士と同様の任務につけ、国府におかれた健児所が彼らを統率した、 とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、国衙(こくが)に健児所(こんでいどころ)を置いて所属させ、 各国の国府、兵庫、鈴蔵などを警備した、 という(精選版日本国語大辞典)。のち、 勲位を持つ者、さらには白丁(はくてい 無位無官の良民。口分田を支給されて租を納め課役を負担する者)、 をも採用し、その数は国の大きさによって違い、 約 20〜200人、 全国で、 3155人、 延喜式には、 3964人、 とあった。彼らは 60日交代で勤務し、徭役は免除された。その費用には健児田(こんでいでん 健児の食料にあてるため国衙で営作した田。不輸租田であった)からの収入があてられた(仝上)。健児所は平安末まで存続した。 健児、 という用語の採用は、農民兵士の義務制を否定し、郡司子弟からのみ募兵するという理念を表現するものであったと考えられる(日本大百科全書)とあり、 後世の武士の原型をなす、 とはその意味であろう。そのためか、 健児(こんでい)、 には、武家隆盛の、中世には、 健児童(こんでいわらわ)、 ともいい、 こんてい童(わらは)もしは格勤者(かくごしや)なんどにて召し使はれけるが(平家物語)、 と、 中間(ちゅうげん)、足軽などをさしていう語、 になっていく。なお、 健児、 を、 こんでい、 こんに、 と訓ませることについては、 和訓栞は、「コンデイ」は、 健児の転音、 とある。 コン、 は、 健の呉音、 ニ、 と訓むのは、 児の呉音、 で、 尼の字の漢音はヂ、デイ、呉音はニ、相通じるものか、 とある(大言海)。これだと、 コンニ、 と訓む理由はわかるが、 コンデイ、 と転じた理由ははっきりしない。 「健」(漢音ケン、呉音ゴン)は、 会意兼形声。建は「聿(筆の原字で、筆を手で立てて持つさま)+廴(歩く)」の会意文字で、すっくとたつ、からだをたてて歩くの意を含む。健は「人+音符建」。建が単に、たつのいとなったため、健の字でからだを高く立てて行動するの原義をあらわすようになった、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(人+建)。「横から見た人」の象形と「十字路の左半分を取り出し、それを延ばした」象形(「のびる」の意味)と「手で筆記用具を持つ」象形(「ふで」の意味)から、のびやかに立つ人を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「元気・健全」を意味する「健」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji570.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 忉利(たうり)は尊き處なり、善法堂には未申(ひつじさる)、圓生樹より丑寅(うしとら)に、中には喜見(きげん)の城(じやう)立てり(梁塵秘抄)、 の、 喜見城(きけんじょう)、 は、梵語、 Sudarśana、 の訳語、 帝釈天(たいしゃくてん)の居城、 とされ、 須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の中央に位置し、七宝で飾られ、城の四門に四大庭園があって諸天人が遊び戯れるというので、楽園などのたとえにされる、 とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑・デジタル大辞泉)。 善見城(ぜんけんじょう)、 喜見、 喜見宮、 喜見城宮、 等々とも呼ばれる(仝上)。 善法堂(ぜんぽうどう)、 とは、 善法、 ともいい、 忉利天(とうりてん)の中にあるといわれる、帝釈天(たいしゃくてん)の善見城外の堂。三十三天がここに集まる、 とある(精選版日本国語大辞典)。 圓生樹、 は、 在忉利天善見城之東北(俱舍論)、 とあり、 城外東北有圓生樹、是三十三天受欲樂所也。其圓生樹盤根、深廣五十踰繕那、聳乾上昇、枝葉傍布、高廣量、等百由繕那、挺葉開花、妙香芬馥、順風熏滿百由繕那、逆風時猶徧五十、 ともある(仏学大辞典)。 「忉利天」は、 梵語、多羅夜登陵舎(トラーヤストリンシャ Trāyastriſśa)の音写、 で、また、 怛利耶怛利奢、 に作り、 三十三天、 と漢訳する(大言海・デジタル大辞泉)。唐代の『慧苑音義』(慧苑・撰述 22年)には、 忉利、訛言、正云怛利耶怛利奢、言怛利耶者此云三也、怛利舎十三也、謂須弥山頂、四方各有八天城、當中有一天城、帝釈所居、総数有三十三處、 とあり、 忉利天者……住蘇迷蘆山(Sumeru の音訳、須彌山)頂、山頂有宮、名善見白、亦名喜見城、……更加是帝釈所住、喜見城成三十三天也(天台宗の僧源信(恵心僧都942〜1017)「三界義(11C初)」)、 ともある。つまり、原意は、 三十三、 つまり、 三十三種の天(または天神)からなる世界、 を意味するので、 三十三天、 と意訳された(日本大百科全書)。 欲界、 の、 六欲天、 は、上から、 他化自在天(たけじざいてん) 欲界の最高位。六欲天の第6天、天魔波旬の住処、 化楽天(けらくてん、楽変化天=らくへんげてん) 六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする、 兜率天(とそつてん、覩史多天=としたてん) 六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある。菩薩がいる場所、 夜摩天(やまてん、焔摩天=えんまてん) 六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界、 忉利天(とうりてん、三十三天=さんじゅうさんてん) 六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所、 四大王衆天(しだいおうしゅてん) 六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所、 となる(精選版日本国語大辞典・http://yuusen.g1.xrea.com/index_272.html)が、 忉利天、 は、 欲界の六天のうちの第二、 須弥山(しゅみせん)の頂上にあり、 帝釈天は、 中央の喜見城(きけんじょう)の、 殊勝殿(しゅしょうでん)、 に住み、四方の峰に八天があるので、 三十三天、 ともいう(広辞苑・デジタル大辞泉・日本大百科全書)。『慧苑音義』には、 この天、須弥山の頂に在り、四方に各八天の住処あり中央の善見城を加ふるゆゑに三十三天となる、帝釈天王の居所である、 に続いて、 往昔迦葉仏入滅の時一女人あり発心して塔を修す、また三十二人ありてこれを助修す、この功徳によりて女人は忉利天王に転生し、其助修者は皆輔臣となつたと、三十三天ある所以である、 とある(仏教辞典)。ちなみに、三十三天は、中央の、 喜見城(きけんじょう)天(善見城天)、 のほか、 善法堂天(ぜんぽうどう 善見城の南西に善法堂があり、ここに天人が定期的に集まり会議を開く)、 山峯天(さんぽうてん 北東の外側にある)、 山頂天(さんちょうてん 北西の外側にある)、 鉢私地天(はっしちてん 北西にある)、 倶吒天(くたてん 北東にある)、 雑殿天(ぞうでんてん 北西の外側にある)、 歓喜園天(かんぎえんてん 北方にある。ここには善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ歓喜園と如意池がある。ここへ入ると自然に歓喜の心が生じるとされる。「かんぎおん」とも)、 光明天(こうみょうてん 北東の外側にある)、 波利耶多天(はりやたてん 北東の外側にある)、 離険岸天(りけんがんてん 東にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ衆車園と如意池がある)、 谷崖岸天(こくがいがんてん 東にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ衆車園と如意池がある)、 摩尼蔵天(まにぞうてん 北東の外側にある)、 旋行天(せんぎょうてん 北東にある)、 金殿天(こんでんてん 北東の外側にある)、 鬘影天(まんえいてん 南東にある)、 柔軟天(じゅうなんてん 南東の外側にある)、 雑荘厳天(ぞうしょうごんてん南東の外側にある)、 如意天(にょいてん 南東にある)、 微細行天(びさいぎょうてん 南東の外側にある)、 歌音喜楽天(かおんきらくてん 南の外側にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ粗悪園(悪口園)と如意池がある)、 威徳輪天(いとくりんてん 南西の外側にある)、 月行天(げっこうてん 南西にある)、 閻摩那娑羅天(えんまやさらてん 南西の外側にある)、 速行天(そっこうてん 南西の外側にある)、 影照天(えいしょうてん 西の外側にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ雑林園と如意池がある)、 智慧行天(ちえぎょうてん 西の外側にある)、 衆分天(しゅうぶんてん 西の外側にある)、 曼陀羅天(まんだらてん 北西にある)、 上行天(じょうぎょうてん 北西にある)、 威徳顔天(いとくがんてん 北西の外側にある)、 威徳燄輪光天(いとくえんりんこうてん 北西にある)、 清浄天(しょうじょうてん 北西の外側にある)、 とある(https://jiincenter.net/toriten-33ten/)。 「須弥山」については触れた。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 「梵天」で触れたように、 帝釈天は梵天と並んで諸天の最高位を占め、仏法の守護神とされる(広辞苑)。 密教では十二天の一つとされるが、「大梵天」で触れたように、 十二天、 は、 仏教の護法善神である「天部」の諸尊12種の総称、 で、十二天のうち、特に八方、 東西南北の四方と東北・東南・西北・西南、 を護る諸尊を、 八方天、 あるいは、 護世八方天といい、更に、 天地を護る諸尊、 を加えて、 十天、 ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%A4%A9)。すなわち、 東方の帝釈天(たいしゃくてん インドラIndra)、 南方の焔魔天(えんまてん ヤマYama)、 西方の水天(バルナVaruna)、 北方の毘沙門天(びしゃもんてん バイシュラバナVaiśravaa、クベーラKuvera)、 東南方の火天(アグニAgni)、 西南方の羅刹天(らせつてん ラークシャサRākasa)、 西北方の風天(バーユVāyu)、 東北方の伊舎那天(いしゃなてん イーシャーナĪśāna)、 上方の梵天(ぼんてん ブラフマーBrahmā)、 下方の地天(ちてん プリティビーPthivī)、 日天(にってん スーリヤSūrya)、 月天(がってん チャンドラCandra)、 をいう(日本大百科全書)。 帝釈天、 は、梵語。 Śakro devānām Indraḥ、 の音写、 釈迦提桓因陀羅(釈迦提婆因達羅)、 の訳語、 梵天帝釋の略、 とあり(大言海)、 天帝釈、 釈提桓因、 帝釈、 帝釈天王、 などともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 梵云、釋迦提婆因達羅、釋迦姓也、此飜為能、提婆天也、因達羅帝也、正云能天帝、……此在妙高山(須弥山)頂而住、三十三天之帝主也(『妙法蓮華経玄贊(唐の慈恩大師窺基著)』)、 とある。 「四天王」で触れたように、もとはバラモン教の神で、インド最古の聖典『リグ・ベーダ』のなかでは、 雷霆神(らいていしん)、 であり、 武神、 である。ベーダ神話に著名な、 インドラIndra、 が原名、天衆をひきいて阿修羅(あしゅら)を征服し、密教では、 十二天の一つで、また八方天の一つ、 として東方を守り、 須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の善見城(ぜんけんじょう)に住し、四天王を統率し、人間界をも監視する、 とされる(日本大百科全書)。「是生滅法」で触れた、『大乗涅槃経(だいじょうねはんぎょう)』聖行品(しょうぎょうぼん)にある、 雪山童子(せっさんどうじ)、 の説話で、帝釈天が羅刹(らせつ 鬼)に身を変じて童子の修行を試し励ます役割を演じている(仝上)。 善見城(ぜんけんじょう)、 は、喜見の城でも触れたように、 喜見城(きけんじょう)、 ともいい、梵語、 Sudarśana、 の訳語、 帝釈天(たいしゃくてん)の居城、 とされ、 須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の中央に位置し、七宝で飾られ、城の四門に四大庭園があって諸天人が遊び戯れるというので、楽園などのたとえにされる、 とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑・デジタル大辞泉)。 善見城(ぜんけんじょう)、 喜見、 喜見宮、 喜見城宮、 等々とも呼ばれる(仝上)。帝釈天は、 殊勝殿(しゅしょうでん)、 に住み、忉利天は、四方の峰に八天があるので、 三十三天、 ともいう(広辞苑・デジタル大辞泉・日本大百科全書)。『慧苑音義』には、 この天、須弥山の頂に在り、四方に各八天の住処あり中央の善見城を加ふるゆゑに三十三天となる、帝釈天王の居所である、 に続いて、 往昔迦葉仏入滅の時一女人あり発心して塔を修す、また三十二人ありてこれを助修す、この功徳によりて女人は忉利天王に転生し、其助修者は皆輔臣となつたと、三十三天ある所以である、 とある(仏教辞)。ちなみに、三十三天は、中央の、 喜見城(きけんじょう)天(善見城天)、 のほか、 善法堂天(ぜんぽうどう 善見城の南西に善法堂があり、ここに天人が定期的に集まり会議を開く)、 山峯天(さんぽうてん 北東の外側にある)、 山頂天(さんちょうてん 北西の外側にある)、 鉢私地天(はっしちてん 北西にある)、 倶吒天(くたてん 北東にある)、 雑殿天(ぞうでんてん 北西の外側にある)、 歓喜園天(かんぎえんてん 北方にある。ここには善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ歓喜園と如意池がある。ここへ入ると自然に歓喜の心が生じるとされる。「かんぎおん」とも)、 光明天(こうみょうてん 北東の外側にある)、 波利耶多天(はりやたてん 北東の外側にある)、 離険岸天(りけんがんてん 東にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ衆車園と如意池がある)、 谷崖岸天(こくがいがんてん 東にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ衆車園と如意池がある)、 摩尼蔵天(まにぞうてん 北東の外側にある)、 旋行天(せんぎょうてん 北東にある)、 金殿天(こんでんてん 北東の外側にある)、 鬘影天(まんえいてん 南東にある)、 柔軟天(じゅうなんてん 南東の外側にある)、 雑荘厳天(ぞうしょうごんてん南東の外側にある)、 如意天(にょいてん 南東にある)、 微細行天(びさいぎょうてん 南東の外側にある)、 歌音喜楽天(かおんきらくてん 南の外側にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ粗悪園(悪口園)と如意池がある)、 威徳輪天(いとくりんてん 南西の外側にある)、 月行天(げっこうてん 南西にある)、 閻摩那娑羅天(えんまやさらてん 南西の外側にある)、 速行天(そっこうてん 南西の外側にある)、 影照天(えいしょうてん 西の外側にある。その内側には善見城の周囲にある4つの庭園のうちの1つ雑林園と如意池がある)、 智慧行天(ちえぎょうてん 西の外側にある)、 衆分天(しゅうぶんてん 西の外側にある)、 曼陀羅天(まんだらてん 北西にある)、 上行天(じょうぎょうてん 北西にある)、 威徳顔天(いとくがんてん 北西の外側にある)、 威徳燄輪光天(いとくえんりんこうてん 北西にある)、 清浄天(しょうじょうてん 北西の外側にある)、 とある(https://jiincenter.net/toriten-33ten/)。 帝釈天の像形は一定でないが、古くは、 高髻で、唐時代の貴顕の服飾を着け、また外衣の下に鎧を着けるもの、 もあるが、平安初期以降は密教とともに、 天冠をいただき、金剛杵(こんごうしょ)を持ち、象に乗る姿、 が普及した(精選版日本国語大辞典)。 帝釈天に仕える、 四天王(してんのう 梵語Caturmahārāja)、 は、「深沙大王」で触れたように、 六欲天の第1天、 四大王衆天(しだいおうしゅてん、四王天)の主、 大王(しだいおう)、 もいい、 東方の持国天(じこくてん)、 南方の増長天(ぞうちょうてん)、 西方の広目天(こうもくてん)、 北方の多聞天(たもんてん)、 の四神をいい、帝釈天に仕え、それぞれ須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護し、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で共に仏法を守護する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B)。 八部鬼衆、 は、 四天王に仕え仏法を守護する8種族の鬼神です。乾闥婆(けんだつば)、毘舎闍(びしゃじゃ)、鳩槃荼(くばんだ) 、薜茘多(へいれいた)、那伽(ナーガ、龍神)、富單那(ふたんな) 、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)、 をいい(https://jiincenter.net/8bukishu/)、 もとは古代インドの鬼神でしたが、仏教に帰依して仏法の守護神となりました。また、どれも集団の名であり、個別の神をさすものではありません、 とある(仝上)。『仁王経合疏』によると、 乾闥婆(けんだつば 古代インドのガンダルヴァ。香陰と訳す。酒や肉を食さず、ただ香をもってその陰身を保つ。東方を守護する持国天の眷属。 毘舎闍(びしゃじゃ 啖精気と訳す。人および五穀の精気を食す。東方を守護する持国天の眷属)、 鳩槃荼(くばんだ 形と訳す。その陰茎甕形に似た厭魅鬼である。南方を守護する増長天の眷属)、 薜茘多(へいれいた 餓鬼と訳す。常に飢餓・涸渇に切迫せられた鬼神である。南方を守護する増長天の眷属)、 那伽(ナーガ、龍 水属の王とされる。西方を守護する広目天の眷属)、 富單那(ふたんな 臭餓鬼と訳す。これ主熱の病鬼である。西方を守護する広目天の眷属)、 夜叉(やしゃ 勇健鬼と訳す。地行夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類がある。北方を守護する多聞天の眷属)、 羅刹(らせつ 捷疾鬼と訳す。北方を守護する多聞天の眷属)、 とある(https://jiincenter.net/8bukishu/)。 八部衆、 と名称が似ており、また鬼神名も一部重複するため間違われやすい。八部衆も八部鬼衆も天部に位置し仏法を守護する護法善神に属するという点では同じであるが、八部鬼神は四天王の配下とされる点で異なる(仝上)。 「八部衆」については、「妙見(めうけん)大悲者」でも触れたが、 天部、 とは、 仏教の尊像の4区分、 如来、菩薩、明王、天、 の第4番目にあたるのを、 天部、 といい、 諸天部、 ともいい、 インド古来の神が天と訳されて仏教に取入れられ、護法神となったもの、 で、 貴顕天部と武人天部、 があり、前者は、 梵天王、帝釈天、吉祥天、弁財天、伎芸天、鬼子母神(訶梨帝母)、大黒天、 後者は、 毘沙門天(多聞天)などの四天王や仁王、韋駄天、深沙大将、八部衆、十二神将、二十八部衆、 等々である(精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)。 帝釈天、 は、天部の最高位に属する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%A4%A9)。なお、 八部衆、 とは、 八つの種族、 という意味で、『舎利弗問経』を基本に、『法華経』や『金光明最勝王経』などの説により、 天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆、 の八つを指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86)。 天(Deva、てん 梵天、帝釈天を初めとする、いわゆる「天部」の神格の総称。欲界の六天、色界の四禅天、無色界の四空処天のこと。光明・自然・清浄・自在・最勝の義を有す。古代インドにおける諸天の総称。天地万物の主宰者、 龍(Naga、りゅう 「竜」、「竜王」などと称される種族の総称。蛇を神格化したもので、水中に棲み、雲や雨をもたらすとされる。また、釈尊の誕生の際、灌水したのも竜王であった。人面人形で冠上に龍形を表す)、 夜叉(Yaksa、やしゃ 古代インドの悪鬼神の類を指すが、仏法に帰依して護法善神となったもの)、 乾闥婆(Gandharva、けんだつば 香を食べるとされ、神々の酒ソーマの守り神とも言う。仏教では帝釈天の眷属の音楽神とされている。インド神話におけるガンダルヴァである)、 阿修羅(Asura、あしゅら 古代インドの戦闘神であるが、インド・イラン共通時代における中央アジア、イラン方面の太陽神が起源とも言われる。通常、三面六臂に表す)、 迦楼羅(Garuda、かるら ガルダを前身とする、竜を好んで常食するという伝説上の鳥である。鳥類の一種を神格化したもの)、 緊那羅(Kimnara、きんなら 音楽神であり、また半身半獣の人非人ともいう。人にも畜生にも鳥にも該当しない。仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされ、美しい声で歌うという)、 摩睺羅伽(Mahoraga、まごらが 緊那羅とともに帝釈天の眷属の音楽神ともいう。または廟神ともいわれる。身体は人間であるが首は蛇である。大蛇(ニシキヘビとも)を神格化したもの)、 とある(仝上) 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 摩犂山(まれいさん)のこねにこそ、かうふてゐる蒔き直し、僧伽(そうぎや)の種(たね)に生(お)いにけり、やうれ香(かう)とぞ匂ふなる(梁塵秘抄)、 の、 僧伽、 は、 そうが、 とも訓ませ、梵語、 saṃgha(サンガ)、 の音訳、 集団・会合。 の意(デジタル大辞泉)で、 和合衆、 衆、 と訳し(広辞苑・大辞林)、 和合僧、 僧祇(そうぎ)、 ともいい、 僧といふは略言なり。つぶさには僧伽といふ。梵言の僧伽、ここには衆和合といふ(「十善法語(1775)」)、 と、略して、 僧、 ともいう。普通は、 仏教修行者の集団、 僧侶の集団、 の意で、 四人以上の和合体、 をさすが、広義には、 在家を含む仏教教団全体、 をいうこともある(精選版日本国語大辞典)。 saṃgha(サンガ)、 は、政治史の上では、 古代インドの部族共和制国家、 の呼称として用いられる。 部族共和制国家、 とは、 専制王をもたず、部族集会で選出された首長や代表者に行政権がゆだねられる国家をいう。同じく集団を意味するガナgaṇaの名でも呼ばれ、英語ではリパブリックrepublicと訳される。仏教成立時代のリッチャビ族や釈迦(シャーキヤ)族の国家は、この種の国家を代表するものである、 とある(世界大百科事典)が、インドで古く、 商工業者たちの組合団体、 を意味し(世界大百科事典)、それが、 仏教教団、 をさす名称となった。厳密な意味での「サンガ(僧伽)」は、 仏法を信じ、仏道を実践する、少なくとも4人以上、 で構成される、 男子出家集団(比丘(びく)僧伽)、 女性出家集団(比丘尼(びくに)僧伽)、 であり、男女在家(ざいけ)信者を含む教団全体、 パリシャド(四衆)、 と区別されてきたが、明治以後の日本では、在俗の男女信者を含んだ仏教集団全体も「僧伽」と呼ばれるようになっている(山川世界史小辞典)とある。「サンガ」は元来、 集団、共同体、 の意味で、 修行者の集り、教団、 を指すが、中国では転じて、 個々の修行者、 を、 僧、 とよぶにいたり、その、 複数形をあらわす僧侶、 が、日本では個人を指す語に転化した(世界大百科事典)とある。いわゆる、 仏法僧、 と訳される、 三宝(さんぼう 仏(ほとけ)・法(ほとけの教え)と僧(ほとけに従う弟子たちの集団))、 の、 僧、 は、 僧伽の略、 であるから、個々の僧を指していたのではない(仝上)。 因みに、 仏陀(釈迦)と法(ダルマ)と僧伽(そうぎゃ、さんが)、 を指す、 三宝(さんぽう)、 は、梵語、 tri-ratna、 あるいは ratna-traya、 の訳語、、『宝性論』では、この三つが、 @世の中に稀有なものであり、A清らかで、B力を備え、C出世間を荘厳し、D最上の存在であり、E移り変わらないという六点を具える、 から宝とすると説き、大乗の『涅槃経』、『南本涅槃経』、や『維摩経』などは、 仏は、すなわち是れ法、法はすなわち是れ僧なり、 と、 仏・法・僧が実は本性として等しい、 と主張する(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%AE%9D)。 「僧」(ソウ)は、 形声。「人+音符曾(ソウ 曽)で、梵語を音訳するために作られた字。後漢には「桑門」と書き、三国時代以後には、「僧」と書く、 とある(漢字源)。 「伽」(慣用カ・ガ、漢音キャ、呉音ギャ)は、 形声。「人+音符加」、梵語のガの音を、音訳するために作られた字。「伽藍」「伽羅」などに使う、 とある(漢字源)。 参考文献; 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 蓮華陸地に生(お)いずとは、暫く弾呵(たんか)の詞(ことば)なり、泥水(でいすい)掘り得て後(のち)よりぞ、妙法蓮華は開(ひら)けたる(梁塵秘抄)、 弾呵(たんか)、 とあるのは、 だんか、 とも訓まし、 弾は弾劾、呵は呵責(かしやく)、 を意味(日本大百科全書)し、 弾訶、 とも当て(精選版日本国語大辞典)、 小乗の教えにとどまっているのを叱ること、 とあり(大辞林)、 彼等を一々不品行、不徳義として弾呵するのは縄墨(ぜうぼく)の見(けん)であらうが(中村春雨「欧米印象記(1910)」)、 と、 しかり、とがめること、 非難すること、 の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。 大乗仏教では、大乗経典を指して、 方等経(ほうどうきょう)、 と呼び、天台宗では、 浄土三部経(『無量寿経(むりょうじゅきょう)』、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』、『阿弥陀経(あみだきょう)』)、『大日経』・『金剛頂経』・『金光明経』・『維摩経』・『勝鬘経』・『解深密経』、 等々がそれにあたるとし、それを、 弾呵(たんか、だんか)の教え、 といい、『維摩経』では、 釈迦の弟子で阿羅漢(声聞)とされる舎利弗たちが、在家である維摩詰にやり込められる模様、 を述べるなど、小乗の修行者を厳しく弾劾・呵責、している(梅田愛子「『維摩経』における声聞の扱いについて」・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E7%AD%89%E7%B5%8C)。 方等(ほうとう・ほうどう)、 は、 方広、 ともいい、 毘仏略、 と音訳する梵語(サンスクリット語)、 vaipulya(バイプルヤ)、 の訳語で、本来、 広い、 とか、 大きい、 の意味をもち、 方広、 広大、 などと訳す(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。 大乗では非常に重要な意味をもつように喧伝(けんでん)されているのは、「方等」が、 仏所説や如来所説の十二部経(じゅうにぶきょう)の一つとされ、後世に製作された大乗経典が、十二部経の方等にあたり、したがって大乗経典は仏説であると主張された、 ためであろう(仝上)としている。それは、 パーリ語の九分(くぶん)教ベーダッラvedalla(教理問答)のかわりに、サンスクリット語の十二分教ではバイプルヤvaipulya(方等)と置き換え、このバイプルヤがすなわち大乗の経典をさすとし、後世発達した経典の権威づけのために、九分十二分教の転釈が行われた(仝上)とみられている。 因みに、十二部経(じゅうにぶきょう サンスクリット語: dvādaśāṅgadharmapravacana)は、仏教の経典の形態を形式、内容から12種に分類したものをいい、 修多羅(しゅたら、sūtra、契経(かいきょう)教説を直接散文で述べたもの)、 祇夜(ぎや、geya、重頌(じゅうじゅ)散文の教説の内容を韻文で重説したもの)、 和伽羅(わがらな、vyākaraṇa、授記仏弟子の未来について証言を述べたもの)、 伽陀(かだ、gāthā、諷頌(ふじゅ)/偈 最初から独立して韻文で述べたもの)、 優陀那(うだな、udāna、自説経 質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)、 伊帝曰多伽(いていわったか、ityuktaka、itivr̥ttaka、本事(ほんじ)、如是語とも 仏弟子の過去世の行為を述べたもの)、 闍多(じゃーたか、jātaka、本生(ほんじょう)仏の過去世の修行を述べたもの)、 毘仏略(びぶつりゃく、vaipulya、パーリ語: vedalla、方広(ほうこう)広く深い意味を述べたもの)、 阿浮陀達磨(あぶだだつま、adbhutadharma、未曾有法(みぞうほう)仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの)、 尼陀那(にだな、nidāna、因縁)経や律の由来を述べたもの)、 阿婆陀那(あばだな、avadāna、譬喩(ひゆ)教説を譬喩で述べたもの)、 優婆提舎(うばだいしゃ、upadeśa、論議 教説を解説したもの)、 で、9種の分類法、 九部経、 がより古い形態とされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%83%A8%E7%B5%8C・ブリタニカ国際大百科事典)。 十二分教(じゅうにぶんきょう)、 十二分聖教(じゅうにぶんしょうぎょう)、 ともいう(仝上)。 なお、 一説に「啖呵を切る」などの啖呵は、これから出たのではとする、 など(世界宗教用語大事典)、 弾呵、 が、 啖呵を切る、 の、 啖呵、 の語源とする説があるが、啖呵で触れたように、語源には、 「弾呵(だんか)」の転 と。 「痰火(たんか)」の転、 の二説があり、 痰火、 は、痰の出る病、あるいは咳を伴って激しく出る痰をいい、のどや胸につかえた痰が切れて、胸がすっきりした状態を「痰火を切る」ということから、「痰火」に「啖呵」をあて、…「啖呵を切る」というようになった、 といわれる(日本大百科全書)。 弾呵(だんか)、 は、上述のように、維摩居士(ゆいまこじ)が十六羅漢や四大菩薩を閉口させた故事による、自分だけが成仏すればよいとする小乗の修行者の考えを強くたたき、しかりつけることをいい、転じて「啖呵」の字をあて、相手を激しくののしることの意となった、 とされる(仝上)。しかし、 弾呵が「責める」の意味とすれば、「切る」は必要ない言葉となるため、何を表しているか不明である、 というように(語源由来辞典)、 痰火(たんか)から転じたとする説が有力である、 とされる(日本大百科全書)。 啖呵を切る、 の「啖呵」は、もともと「痰火」と書き、体内の火気によって生ずると考えられていた咳と一緒に激しく出る痰や、そのような病気のことをいう。「切る」は、その啖呵(痰火)を治療・治すこと、 とする(語源由来辞典)のが妥当な気がする。 痰火が治ると、胸がすっきりするところから、香具師などの隠語で、品物を売るときに歯切れのよい口調でまくしたてることを、 啖呵を切る、 と言い、相手をやりこめる意味にもなった(仝上)ものと考えていい。 啖呵、 は当て字である(デジタル大辞泉)。 「弾(彈)」(漢音タン、呉音ダン)は、 会意兼形声。單(単)は、両耳のついた平らな団扇を描いた象形文字で、ぱたぱたとたたく、平面が上下に動くなどの意味を含む。彈は「弓+音符單」で、弓や琴の弦が上下に動くこと、転じて、張った紐や絃をはじいて上下に振動させること、 とある(漢字源)。別に、 形声。「弓」+音符「單 /*TAN/」。「はじく」「発射する」を意味する漢語{彈 /*daan/}を表す字、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%88)、 形声。弓と、音符單(タン)とから成る。石つぶてなどを飛ばす弓、ひいて、「はじく」意を表す、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(弓+単(單))。「弓」の象形と「先端がY字形になっているはじき弓」の象形から「はじき弓」を意味する「弾」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1411.html)。 「單」(@漢音・呉音タン、A漢音セン、呉音ゼン)は、 象形。籐(とう)の弦を編んで拵えたはたきを描いたもの。はたきは両側に耳があり、これでぱたぱたとたたき、ほこりをおとしたり、鳥や小獣をたたきおとしたりする。獣(獸)の字に意符として含まれる、 とある(漢字源)。@音は、「単位」のようにひとつとか、ひとえの意味のとき、A音は、平らげる意のときとある(仝上)。別に、 象形。狩猟用具の一種を象る。本義は不明。のち仮借して「ひとつ」「ひとえ」を意味する漢語{單 /*taan/}に用いる、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%AE)、 象形。先がふたまたになっている武器の形にかたどる。借りて、ひとつの意に用いる、 とも(角川新字源)。 象形文字です。「先端が両またになっているはじき弓」の象形から「ひとつ」を意味する「単」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji654.html)あり、武器系と見る説が多い。 「呵」(カ)は、 会意兼形声。「口+音符可」。可の原字は、¬ に曲がったさまを示す。それに口を加えて、呵となった。息がのどもとで屈曲し、はあ、かっと摩擦を帯びつつでること、 とある。 「訶」(カ)は、 会意兼形声。可はかぎ型に曲がる、まっすぐにいかず、かどでまさつをおこすという基本義をもつ。曲りなりにも承知すること。訶は「言+音符可」で、のどもとに強い摩擦をおこして怒鳴ること。喝(カツ どなる)は、その語尾が転じた語、 とある(漢字源)。 参考文献; 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 釈迦の月は隠れにき。慈氏の朝日はまだ遥かなり、そのほど長夜の闇(くら)きをば、法華経のみこそ照らいたまへ(梁塵秘抄) の、 慈氏、 とは、 捨身他世、昇於天上、見慈氏尊、得三菩提(「大日本国法華経験記(1040〜44)」)、 と、 慈氏尊、 とも、 正念にして慈氏菩薩を念じ奉り給ふ間(今昔物語)、 と、 慈氏菩薩、 ともいい、梵語、 Maitreya(マイトレーヤ)、 の訳、梵語、 Maitrī、 慈しみ、 を語源とし(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9)、 慈悲深い、 の意であり、 Maitreya、 音写、 彌勒、 つまり、 彌勒菩薩の異称、 である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。別に、 クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの太陽神ミスラMithraに由来し、したがってベーダの契約神ミトラMitraと関連する。インド仏教徒はMiiroをMitraに還元し、mitraが友を意味し、派生語maitreyaが〈友情ある〉を意味することから、弥勒を〈慈氏〉(Maitreyaの意訳語)ととらえたものと思われる、 ともある(世界大百科事典)。 今為彌勒雖無可慊。為文殊有妨。猶不欲顕彼時答問(「法華義疏(7C前)」)、 と、 彌勒、 ともいい、 彌勒慈尊、 彌勒天、 彌勒龍樹、 という呼び方もする(精選版日本国語大辞典)。 「彌勒」は、「出世」で触れたように、 釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩、 で、 於是衆生。歴年累月。蒙教修行。漸漸益解。至下於王城始発中大乗機上、称会如来出世之大意(法華義疏)、 と、 兜率天(とそつてん)に住し、釈尊入滅後56億7千万年後この世に下生(げしょう)して、龍華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するために出世する(衆生済度のため世界に出現する)、 未来仏、 とされる(広辞苑)。 下生のときにはすでに釈迦仏の代りとなっているので菩薩ではなく仏となっており、そのために、 将来仏、 当来仏、 とも呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。 「兜率天」は、かつて釈迦がここにいて、ここから下界へ下ったが、 六欲天の第四なり、須弥山の頂上十二万由旬に在り、摩尼宝殿又兜率天宮なる宮殿あり、無量の諸天之に住(画題辞典)、 し、 内外二院あり(広辞苑)、内院は、 将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒(みろく)菩薩が住む、 とされ、 弥勒はここに在して説法し閻浮提に下生成仏する時の来るのを待っている、 とされている(仝上)。日本ではここに四十九院があるという。外院は、 天人の住所、 である(広辞苑)。 六欲天の第四、 というのは、 欲界(kāma‐dhātu)、 色界(rūpa‐dhātu)、 無色界(ārūpa‐dhātu)、 の三種に分類した、 三界、 のひとつである「欲界」が、 他化自在天(たけじざいてん) 欲界の最高位。六欲天の第6天、天魔波旬の住処、 化楽天(けらくてん、楽変化天 らくへんげてん)六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする、 兜率天(とそつてん、覩史多天 としたてん) 六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある、 夜摩天(やまてん、焔摩天 えんまてん) 六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界、 忉利天(とうりてん 三十三天 さんじゅうさんてん)六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所、 四大王衆天(しだいおうしゅてん、四天王の住む場所) 六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所、 からなる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%B2%E5%A4%A9・精選版日本国語大辞典)、六欲天の、 第四天、 である。 「兜率天」は、 夜摩天の上にあり、この天に在るもの五欲の境に対し、喜事多く、聚集して遊楽す、故に喜楽集とも訳し、又兜卒天宮とは、此の兜率天にある摩尼宝殿をいふ、また三世法界宮ともいふ、この天に内院外院の二あり、外院は定寿四千歳にして内院にはその寿に限なく火水風の二災もこれを壊すこと能はざる浄土である、この内院にまた四十九院あり、補処の菩薩は弥勒説法院に居す、余の諸天には内院の浄土なく兜率には内院の浄土ありと『七帖見聞』に説かれている、 とあり(仏教辞林)、この天の一昼夜は、 人界の四百歳に当たる、 という(精選版日本国語大辞典)。この天は、 下部の四天王、忉利天、夜摩天三つの天が欲情に沈み、 また反対に、 上部の化楽天・他化自在天の二天に浮逸の心が多い、 のに対して、 沈に非ず、浮に非ず、色・声・香・味・触の五欲の楽において喜足の心を生ずる、 故に、弥勒などの、 補処の菩薩、 の止住する処となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9)。七宝で飾られた四九重の宝宮があるとされる、 兜率天の内院(ないいん)、 は、 一生補処(いっしょうふしょ)の位、 にある菩薩が住むとされ、かつて釈迦もこの世に現れる前世に住し(釈迦はここから降下して摩耶夫人の胎内に宿り、生誕したとされている)、今は弥勒菩薩が住し、法を説く(仝上)とされ、日本では古くよりこの内院を、 彌勒菩薩の浄土、 つまり、 兜率浄土、 と見てきた(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。因みに、上記の、 補処(ふしょ)、 とは、 一度だけ生死の迷いの世界に縛られるが、次の世には仏となることが約束された菩薩の位、 をいい(精選版日本国語大辞典)、 補処の彌勒、 というように、特に、 彌勒菩薩、 にいう(仝上)。 なお、弥勒の兜率天での寿命が、 4000年、 とされ、兜率天の1日は地上の、 400年、 に匹敵するという説から、下生までに、 4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年かかるという計算になるはずだか、後代、 5億7600万年、 が、 56億7000万年、 に入れ替わったと考えられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9)。 弥勒菩薩を本尊とする信仰である、 弥勒信仰(みろくしんこう)、 は、死後、 弥勒の住む兜率天(とそつてん)へ往生しようとする上生(じょうしょう)思想、 と、 仏滅後、 五六億七千万年ののち、再び弥勒がこの世に現れ、釈迦の説法にもれた衆生を救うという下生(げしょう)思想、 の二種の信仰から成り、 インドに始まり、日本には推古朝に伝来し、奈良・平安時代には貴族の間で上生思想が、戦国末期の東国では下生思想が特に栄えた、 とある(大辞林)。その、 弥勒菩薩が兜率天(とそつてん)から天降って人間世界に現れ、衆生(しゅじよう)を救うという未来の世、 を、 弥勒の世、 といい、釈迦入滅後、五六億七千万年後の、弥勒菩薩がこの世に現れ、竜華樹の下で衆生教化の説法をする時を、 弥勒竜華の朝(みろくりゅうげのあした)、 といい(広辞苑・大辞林)、そのとき、 華林園の竜華樹下で説法するという会座、 を、 竜華会(りゅうげえ)、 といい、3回にわたって行うので、 竜華三会(りゅうげさんえ・りゅうげさんね)、 弥勒三会(みろくさんえ・みろくさんね)、 という(仝上)。「三会」については触れた。 弥勒菩薩の住する浄土は、 兜率天(とそつてん)、 だが、 阿弥陀仏の西方極楽浄土、 と共に浄土思想の二大潮流をなしている。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大集方等は秋の山、四教の紅葉は色色に、たんかほうゑは濃く淡く、随類毎にぞ染めてける(梁塵秘抄)、 の、 四教(しきょう)、 は、 且四教、本諸先王立論、則変風乃文周所不知、厪厪二南可以尽詩乎(礼記)、 と、 詩・書・礼・楽の四つの教え、 をいうが、論語では、 子以四教、文行忠信(子は四(し)を以て教う。文・行・忠・信)、 と、 文(学問)・行(実践)・忠(誠実)・信(信義)の四つの教え、 をいい、礼記では、 教以婦徳・婦言・婦容・婦功、 と、女性の守るべき四つの教えとして、 婦徳・婦言・婦容・婦功、 の四徳をいい、仏教では、 釈迦一代の教説を四種に整理したもの、 をいい、それには、天台智(「摩訶止観」で触れた)の、 蔵教・通教・別教・円教(化法(けほう)の四教)、 頓教・漸教・秘密教・不定教(化儀(けぎ)の四教)、 四諦教・無相教・法相教・観行教(隋・笈多(ぎゅうた)による)、 など、数種の分類がある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。 大集方等、 とあるのは、 方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)、 を指すと思われる。 大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)、 は、 大集経(だいじっきょう・だいしゅうきょう)、 方等経、 ともいい、一般には、 大乗経典の別名、 ともされるが、 中期大乗仏教経典の1つ、 で、釋迦が、 仏・欲色二界の中間において、十方の仏菩薩を集めて大乗の法を説かれたもの、 とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9B%86%E7%B5%8C・精選版日本国語大辞典)。 弾呵でも触れたが、 方等(ほうどう)、 は、梵語、 Vaipulya、 の訳で、 方は「広く」、等は「等しい」、 の意味であり、 毘仏略(びぶつりゃく)、 毘富羅、 為頭羅、 と音写する。 広、方広、広大、無比、 とも訳す(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%96%B9%E7%AD%89)。一般には、 大乗あるいは大乗経典、 をさし、原始仏教経典の分類においては、基本的な型である、 九部経・十二部経、 の一つである(仝上)とされる。九部経・十二部経、については、「弾呵」で触れたが、 十二部経(じゅうにぶきょう サンスクリット語: dvādaśāṅgadharmapravacana)、 は、仏教の経典の形態を形式、内容から12種に分類したものをいい、 修多羅(しゅたら、sūtra、契経(かいきょう)教説を直接散文で述べたもの)、 祇夜(ぎや、geya、重頌(じゅうじゅ)散文の教説の内容を韻文で重説したもの)、 和伽羅(わがらな、vyākaraṇa、授記仏弟子の未来について証言を述べたもの)、 伽陀(かだ、gāthā、諷頌(ふじゅ)/偈 最初から独立して韻文で述べたもの)、 優陀那(うだな、udāna、自説経 質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)、 伊帝曰多伽(いていわったか、ityuktaka、itivr̥ttaka、本事(ほんじ)、如是語とも 仏弟子の過去世の行為を述べたもの)、 闍多(じゃーたか、jātaka、本生(ほんじょう)仏の過去世の修行を述べたもの)、 毘仏略(びぶつりゃく、vaipulya、パーリ語: vedalla、方広(ほうこう)広く深い意味を述べたもの)、 阿浮陀達磨(あぶだだつま、adbhutadharma、未曾有法(みぞうほう)仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの)、 尼陀那(にだな、nidāna、因縁)経や律の由来を述べたもの)、 阿婆陀那(あばだな、avadāna、譬喩(ひゆ)教説を譬喩で述べたもの)、 優婆提舎(うばだいしゃ、upadeśa、論議 教説を解説したもの)、 で、9種の分類法、 九部経、 がより古い形態とされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%83%A8%E7%B5%8C・ブリタニカ国際大百科事典)。 十二分教(じゅうにぶんきょう)、 十二分聖教(じゅうにぶんしょうぎょう)、 ともいう(仝上)。 大方等大集経、 は、 六十巻、 前二十六巻と「日密分(にちみつぶん)」三巻は北涼の曇無讖(どんむしん)訳、「無尽意品(むじんいぼん)」四巻は智厳(ちごん)・宝雲(ほううん)共訳、「日蔵分(にちぞうぶん)」十二巻「月蔵分(がつぞうぶん)」十一巻「須弥蔵分(しゅみぞうぶん)」二巻は隋の那連提耶舎(なれんだいやしゃ)訳とされ、隋の僧就(そうじゅ)がまとめた、 とされ(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%A4%A7%E9%9B%86%E7%B5%8C)、「月蔵分」巻十には、 五箇五百年(釈尊滅後の仏教の展開を五種の五百年に区切って表すもの)、 をあげ、末法のすがたを説く(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A7%E9%9B%86%E6%9C%88%E8%94%B5%E7%B5%8C・仝上)とある。 法華経娑婆に弘むるは、普賢薩埵の力なり、讀む人其の文(もん)忘るれば、共に誦して覚(さと)るらん(梁塵秘抄)、 の、 普賢薩埵、 の、 薩埵、 は、「薩埵」で触れたように、 梵語sattvaの音訳、 で、 薩埵婆(さったば)の下略、 とあり(大言海)、 有情(うじょう)、衆生(しゅじょう)、およそ生命あるもののすべての称、 の意とある(広辞苑・ブリタニカ国際大百科)が、さらに、 梵語bodhisattvaの音訳、 で、 菩提薩埵(ぼだいさった)の略、 であり、仏教において、 菩提(bodhi、悟り)を求める衆生(薩埵 sattva)、 の意味とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9)、元来は、 仏教の創始者釈尊の成道(じょうどう 悟りを完成する)以前の修行の姿、 をさしている、とされる(日本大百科全書)。だから、釈迦の死後百年から数百年の間の仏教の原始教団が分裂した諸派仏教の時代、『ジャータカ』(本生譚 ほんじょうたん)は、釈尊の前世の修行の姿を、 菩薩、 の名で示し、釈尊は他者に対する慈悲(じひ)行(菩薩行)を繰り返し為したために今世で特別に仏陀になりえたことを強調した(仝上)。故に、この時代、 菩薩はつねに単数、 で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊だけを意味した(仝上)。だから、たとえば、「薩埵」も、 釈迦の前身と伝えられる薩埵王子、 を指し、 わが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかける哉、 とある(宇治拾遺物語)「さた」は、 薩埵脱衣、長為虎食(「三教指帰(797頃)」)、 の意で、 釈迦の前生だった薩埵太子が竹林に身の衣装を脱ぎかけて餓虎を救うために身を捨てた、 という故事(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)で、法隆寺玉虫厨子の蜜陀絵にも見える(仝上)。しかし、西暦紀元前後におこった大乗仏教は、『ジャータカ』の慈悲行を行う釈尊(菩薩)を自らのモデルとし、 自らも「仏陀」になること、 を目ざした。で、 菩薩は複数、 となり、大乗仏教の修行者はすべて菩薩といわれるようになり(日本大百科全書)、大乗経典は、 観音、 弥勒、 普賢、 勢至、 文殊、 など多くの菩薩を立て、歴史的にも竜樹や世親らに菩薩を付すに至る(百科事典マイペディア)。で、仏陀を目ざして修行する菩薩が複数であれば、過去においてもすでに多くの仏陀が誕生しているとされ、薬師、阿弥陀、阿閦(あしゅく)などの、 多仏思想、 が生じ、大乗仏教は、 菩薩乗、 もいわれる(仝上)。宋代(1143年)の梵漢辞典『翻訳名義集』(ほんやくみょうぎしゅう)には、「薩埵」の項に、 薩埵、秦言大心衆生、有大心、入仏道、名菩提薩埵、……菩提名仏道、薩埵名成衆生、……薩埵此曰衆生以智上求菩提、用悲下救衆生、 とあり、もとの「薩埵」の意味を伝えている。で、 普賢薩埵、 は、 普賢菩薩、 の意である。無量寿経の「普賢菩薩」註に、 普賢者、梵邲輸跋陀、或三曼跋陀、此云普賢、 とあるように、梵語、 Samantabhadra、 の音訳、 三曼多跋陀羅、 あるいは、梵語、 Visvabhadra、 の音訳、 邲輸跋陀 なとされ、 普賢、 遍吉、 と意訳される(大言海・ブリタニカ国際大百科事典)、 徳利周徧(普)、仁慈惠悟(賢)の菩薩名、 と(仝上)、 あまねく一切処に現れて賢者の功徳を示す、 ことから、 普賢、 の名があり、 仏陀の実践的理性を司る菩薩、 で、 如来の悟りの理法や禅定、修行の面を顕わした菩薩、 であり、 一切菩薩の上首として常に仏の教化・済度を助ける、 とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、 理知・慈悲をつかさどり、また延命の徳を備える、 とある(大辞泉)。 普賢大士、 ともいい、智慧の文殊に対し、 慈悲の普賢、 という(デジタル大辞泉)。釈迦三尊の中では、 智慧を司る文殊菩薩と並んで、釈迦如来の右(向かって左)の脇士(脇侍 きょうじ)、 として知られ(仝上)、 恒受妙楽、終遇舎那之法莚、将普賢而宣遊、共文珠而展化(正倉院文書「東大寺献物帳」天平勝宝八年(756)六月二一日)、 とある。 『華厳経』「普賢行願品」にある、この菩薩の立てた十大願は、 一切の菩薩の行願の旗幟、 とされ(仝上)、 應修十種廣大行願。何等爲十。一者禮敬諸佛。二者稱讃如來。三者廣修供養。四者懺悔業障。五者隨喜功徳。六者請轉法輪。七者請佛住世。八者常隨佛學。九者恒順衆生。十者普皆迴向。 とあり、十種の広大の行願を、 一には、諸仏を礼敬す、 二には如来を称讃す、 三には広く供養を修す、 四には業障を懺悔す、 五には功徳に随喜す、 六には転法輪を請す、 七には仏住世を請う、 八には常に仏の学に随う、 九には衆生に恒に順ず、 十には普くみな廻向す、 とある(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E3%81%AE%E9%A1%98)。 その像容は、独尊として表されるときは、「法華経」普賢勧発品で、 六牙の白象に乗って法華経の信仰者を守護しにやってくる、 とあり、 蓮華座を乗せた六牙の白象の背に結跏趺坐し、合掌の姿、 をとり(精選版日本国語大辞典)、普賢は行(ぎよう)を象徴し、 白象に乗る、 のに対し、文殊は知を象徴し、 獅子に乘る、 とある(デジタル大辞泉)。釈迦如来の脇侍の場合は、 右手を如意、左手を与願の印に結ぶ(ブリタニカ国際大百科事典)、 合掌または独鈷をとる姿で白象に乗る(精選版日本国語大辞典)、 などとある。密教では、 金剛薩埵(さった)と同体と考えられ、胎蔵界曼荼羅の中台八葉院の南東隅に置かれ、左手には剣を立てた蓮華を持ち、右手は三業妙善の印を結ぶ、 とある(ブリタニカ国際大百科事典)が、 金剛薩埵と全く同じ左手に五鈷鈴、右手に五鈷杵を執る姿で表される他、如意や蓮華、経典を手に持つ作例も見られる、 ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E8%8F%A9%E8%96%A9)。 また、密教で、普賢菩薩に延命の徳があるところから、これを人格化して延命、増益を祈る本尊とした尊像を、 普賢延命菩薩、 といい、 寿命を延ばし、智慧敬愛を得ることを祈願する、 延命法、 の本尊として、 二臂または二十臂で、一身三頭あるいは四頭の白象に乗る、 像があり、 20臂像は真言系、 2臂像は天台系、 とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E5%BB%B6%E5%91%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9)、 延命菩薩、 ともいう(広辞苑)。 二臂像、 の場合、 右手に金剛杵、左手に金剛鈴を執り、三象または一身三頭象に乗る、 とされ、両側に四天王を配する場合もある。 二十臂像、 の場合、 大安楽不空金剛三味真実菩薩と同じ持物を執り、四象に乗り、それぞれの頭上に四天王を配する、 とある(精選版日本国語大辞典)。「大安楽不空真実菩薩」は、 悟りを生み出す智慧を持つとされ、この菩薩が制定した禅定に入れば時の限界を超越した安楽な命が生成されるとされることから「普賢延命」と呼ばれるようになった、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E5%BB%B6%E5%91%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9)。 普賢延命菩薩、 は、 一身四頭(三頭)の白象に騎乗、 する(仝上)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 聞くに羨しきものは、妙荘厳の二人の子、浄蔵浄眼親を導きて、菩提の道に入りければ(梁塵秘抄)、 の、 浄蔵、 浄眼、 は、法華経妙荘厳王本事品に説かれる、 妙荘厳王の二子、 をいい、母を、 浄徳夫人、 という。同品によると、 過去無量無辺不可思議阿僧祗劫に浄蔵・浄眼の二王子がおり、この二人は雲雷音宿王華智仏のもとで出家し菩薩行を修して三昧を得た。後に仏に法華経の説法を受け、浄徳夫人に仏に詣でることを勧めたが、夫人はまず父王を婆羅門から放ち、仏門に帰依させることを命じた。二子は種々の神変を顕わして父王に見せ、仏法を信解する心を起こさせた、 という(http://gmate.org/V03/lib/comp_gosyo_210.cgi?a=bef4c2a2a1a6bef4b4e3)。 妙荘厳王、 は、法華経の会座にいる、 華徳菩薩、 であり、 浄蔵、 浄眼、 の二子は、 薬王(やくおう)菩薩、 薬上(やくじょう)菩薩、 である(仝上・精選版日本国語大辞典)。いずれ薬王菩薩は、 浄眼如来(じょうげんにょらい)、 に、薬上菩薩は、 浄蔵如来(じょうぞうにょらい)、 になるとされている(https://www.7key.jp/data/thought/hotoke/yakuoubosatsu.html)とある。『法華経』の「薬王菩薩本事品」では、薬王如来の前世は自分の腕を燃やして日月浄明徳如来を供養した、 一切衆生喜見菩薩、 であったとされる(仝上)。 薬王菩薩は、 薬草と薬壺、 薬上菩薩は、 薬壺を持つことが多い(仝上)とされるが、その性格が薬師如来に近いため、両菩薩は薬師如来の、 八大菩薩、 に数えられ、 阿弥陀二十五菩薩、 に加えられており、 釈迦如来の脇侍、 として従うこともある(仝上)。 法隆寺金堂に安置されている、 釈迦三尊像(国宝)、 の脇侍は寺伝では、 薬王菩薩、 薬上菩薩、 と称している(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E4%B8%89%E5%B0%8A)。 薬師如来の、 八大菩薩(はちだいぼさつ・はつだいぼさつ)、 には異説があるが、薬師本願経によると、 文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢至菩薩・無尽意菩薩・宝檀華菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・彌勒菩薩、 とされる(精選版日本国語大辞典)。 阿弥陀二十五菩薩、 は、「来迎引接(らいごういんじょう)」で触れたように、 阿彌陀仏を念じて極楽往生を願う者を守護し、その臨終の時には迎えに来るという二五の菩薩、 をいい、 観世音(かんぜおん)菩薩、大勢至(だいせいし)菩薩、薬王(やくおう)菩薩、薬上(やくしょう)菩薩、普賢(ふげん)菩薩、法自在王(ほうじざいおう)菩薩、獅子吼(ししく)菩薩、陀羅尼(だらに)菩薩、虚空蔵(こくうぞう)菩薩、徳蔵(とくぞう)菩薩、宝蔵(ほうぞう)菩薩、金蔵(こんぞう)菩薩、金剛蔵(こんごうぞう)菩薩、光明王(こうみょうおう)菩薩、山海慧(さんかいえ)菩薩、華厳王(けごんおう)菩薩、衆宝王(しゅうほうおう)菩薩、月光王(がっこうおう)菩薩、日照王(にっしょうおう)菩薩、三昧王(さんまいおう)菩薩、定自在王(じょうじざいおう)菩薩、大自在王(だいじざいおう)菩薩、白象王(びゃくぞうおう)菩薩、大威徳王(だいいとくおう)菩薩、無辺身(むへんしん)菩薩、 とされる(https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=136)。 薬王菩薩、 は、『法華経』「薬王品」「妙荘厳王品」での主人公だが、「法師品」「勧持品」「陀羅尼品」等々では、 対告者として登場する、 とされ(https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/50/2/50_2_911/_pdf)、「勧持品」では、 爾時藥王菩薩摩詞薩 及大樂説菩薩摩詞薩 與二萬菩薩眷屬 皆於佛前作是誓言 唯願世尊不以為慮 我等於佛滅後 奉持讀誦説此經典 後悪世衆生 善根轉少多増上慢 貧利供養増不善根 遠解脱雖難可教化 我等當起大忍力讀誦此經. 持説書冩種種供養不惜身命、 と、 薬王菩薩が仏滅後の法華経弘通を誓う(仝上)とある。密教では病気平癒を目的とする、 薬王菩薩法の本尊、 とされ、法華経「薬王菩薩本事品」では、 若有女人 聞是薬王菩薩本事品 能受持者 尽是女身 後不復受 若如来滅後 後五百才中 若有女人 聞是経典 如説修行 於此命終 即往安楽世界 阿弥陀仏 大菩薩衆、 と、 この経典を聞いて修行すれば、臨終の後、阿弥陀如来のいる安楽世界に生まれることが出来る、 と説かれている(https://www.butsuzou.com/jiten/yakuou.html)とある。 諾楽の京の越田の池の南、蓼原の里の中の蓼原堂に、薬師如来の木像在り(日本霊異記)、 の、 薬師如来(やくしにょらい)、 は、 薬師瑠璃光如来、 薬師瑠璃光仏、 薬師仏、 薬師、 善逝(ぜんせい)、 ともいい、 東方の浄瑠璃世界の教主、 とされ、薬師経(薬師瑠璃光如来本願功徳経)に、 彼世尊薬師瑠璃光如来、本行菩薩道時、發十二大願、令諸有情所求皆得、 と、菩薩であったとき、 12の大願、 を発して成就し、 衆生(しゅじょう)の病苦を救い、無明の痼疾(こしつ)を癒すという如来、 である(広辞苑)。 日光菩薩、 月光(がっこう)菩薩、 を脇侍として三尊をなし、 十二神将、 を眷属(けんぞく)とする(仝上)。「如来」については触れた。 十二神将(じゅうにしんしょう)、 は、「深沙大王」で触れたように、 十二薬叉大将(じゅうにやくしゃだいしょう)、 十二神王、 ともいい、 薬師如来の名号を聞いて仏教に帰依し、薬師経を受持する者や読誦する者を守護し、願いを遂げさせるという12の大将、 で、 薬師如来(やくしにょらい)の12の眷属(けんぞく または分身)で、8万4000あるうちの上首に位置する、 とされ(日本大百科全書)、その出現のようすは、 薬師如来の12の大願に順応して現れる、 といい、 宮毘羅(くびら)、 伐折羅(ばさら)、 迷企羅(めいきら)、 安底羅(あんちら)、 摩儞羅(まにら)、 珊底羅(さんちら)、 因陀羅(いんだら)、 婆夷羅(ばいら)、 摩虎羅(まこら)、 真達羅(しんだら)、 招杜羅(しょうとら)、 毘羯羅(びから) の大将で、いずれも憤怒形で、名称は『薬師経』に、身色や持ち物は『七仏本願経儀軌供養法(しちぶつほんがんきょうぎきくようほう)』に基づく(仝上)という。梵語では、例えば、 伐折羅、 は、 ヴァジュローマハーヤクシャセーナパティ、 であり、 ヴァジュラ(という神格の)偉大なヤクシャの軍の主、すなわち大夜叉将軍=神将、 と意訳される。元々は、 夜叉であったが、仏と仏法の真理に降伏し善神となって仏と信者を守護する、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A5%9E%E5%B0%86・精選版日本国語大辞典)。 薬師如来、 の像は、 左手に薬壺または宝珠を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結ぶ、 のを通例とし(精選版日本国語大辞典)、古くは通常の、 如来形(にょらいぎょう)、 に造られた(広辞苑)、とある。 菩薩形(ぼさつぎょう)、 が、 釈迦の出家以前の姿が基本にあるので、インドの当時の貴族の形容、 で(精選版日本国語大辞典)、 胸、腕、頭が多くの装飾品、 で飾られている(https://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/002.html)のに対して、 如来形(にょらいぎょう)、 は、 悟りに至った釈迦の姿を基本、 としてつくられ、如来の特徴である、 仏相三十二相八十種、 にそった表現がされる(https://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/001.html)。本来は、釈迦仏に限られていたが、やがて過去仏や千仏の思想を生み、大乗仏教では、 阿弥陀、阿閦(あしゆく)、薬師、毘盧遮那(びるしやな)、大日(だいにち)、 等々の仏陀(如来ともいう)が考え出されていく(世界大百科事典)。なお、 仏相三十二相八十種、 は、「鳥瑟」、「白毫」でも触れた。 東方の浄瑠璃(じょうるり)世界の仏、 とされる、 薬師如来、 は、サンスクリット語、 バイシャジュヤグルBhaiajyaguru、 の訳、正確には、 薬師瑠璃光如来(にょらい)、 といい、 大医王、 医王善逝(いおうぜんぜい)、 とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5・日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典)。菩薩としての修行時代に、 12の本願、 を立て、それが達成されないかぎり仏にならないと誓った。その本願とは衆生の病気をなおして災難をしずめ、苦しみから救う、というもので、それが、 薬師如来、 の名の起源となった(仝上)。大乗仏教における信仰対象である如来の一尊で、かつては、現世利益を与える仏として、 朝観音・夕薬師、 といわれるほど庶民に信仰され(広辞苑)、民間では、 眼病などの治療に効験がある、 と信じられていた(日本大百科全書)。 十二の本願(誓願・大願)、 は、 自身の光明照耀(こうみょうしょうよう)に依って、一切衆生をして三十二相八十随形(ずいぎょう)を具せしむるの願(衆生をことごとく薬師如来のごとくにすること)、 衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること(迷いの衆生をすべて開暁(かいぎょう)させること)、 衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること(衆生の欲するものを得させること)、 邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること(衆生をすべて大乗に安立させること)、 衆生をして梵行を修して清浄なることを得、決して悪趣に堕せしめざること(三聚戒(さんじゅかい)を備えさせること)、 六根具足して醜陋(しゅうろう)ならず、身相端正(しんそうたんせい)にして諸の病苦なからしむること(いっさいの障害者に諸根を完具させること)、 諸病悉除(いっさいの衆生の病を除くこと)、 女(にょ)を転じて男(なん)と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること(転女成男(てんにょじょうなん)させること)、 外道の邪見に捕らえられて居る者を正見に復(ふく)せしめ、無上菩提を得せしむること(正しい見解を備えさせること)、 もろもろの災難(さいなん)刑罰(けいばつ)を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること(獄にある衆生を解脱(げだつ)させること)、 飢渇(きかつ)に悩まされ、食を求むる者には、飯食(ばんじき)を飽満せしめ、又、法味(ほうみ)を授けて安楽を得せしむること(飢渇(きかつ)の衆生に上食を得させること)、 所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の宝荘厳(ほうしょうごん)を得せしめんとすること(衣服に事欠く衆生に妙衣を得させること)、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5・日本大百科全書)。なお、 三聚戒、 は、 三聚浄戒(さんじゅじょうかい)、 三聚、 ともいい、 大乗仏教の菩薩が受け、守る3種の戒、 で、 仏の定めた戒を守って悪を防ぐ摂律儀(しょうりつぎ)戒、 自己のために進んで善を行う摂善法(しょうぜんぼう)戒、 世の人を教え導き、利他に尽くす摂衆生(しょうしゅじょう)戒(饒益有情(にょうやくうじょう)戒)、 をいう(マイペディア)。 東方浄瑠璃国土、 は、 瑠璃光土、 ともいい(大言海)、 阿弥陀如来の西方極楽浄土、 とならぶ浄土のひとつ、 薬師如来の東方浄瑠璃浄土、 で、東方にある薬師如来の浄土をいい、 大地は瑠璃、すべての建物・用具が七宝造りで、日光・月光をはじめ、無数の菩薩が住むという世界、 とされる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。 浄土、 は、漢訳の無量寿経の、 清浄国土、 を縮めた語とされ、サンスクリットの、 仏国土を意味する、 buddha‐kṣetra、 の訳語とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F)、大乗仏教において、 一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のこと、 をさす(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F)。 七仏功徳経(薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経))には、 東方浄瑠璃国土の七仏、 とあり、 七仏薬師、 ともいい、「薬師琉璃光七仏本願功徳経」および「薬師琉璃光如来本願功徳経」に説く、 善称名吉祥王如来、 宝月智厳光音自在王如来、 金色宝光妙行成就如来、 無憂最勝吉祥如来、 法海雷音如来、 法海勝慧遊戯神通如来、 薬師瑠璃光如来(薬師如来)、 の総称(精選版日本国語大辞典)だが、この七仏は、 薬師の異名、 とする説と、それぞれ別の仏とする説がある(精選版日本国語大辞典)。なお、 七仏薬師、 というと、薬師如来をまつる京都付近の七カ寺、すなわち、 祇園の観慶寺、 八幡の護国寺、 太秦(うずまさ)の広隆寺、 蓼倉の法雲寺、 延暦寺、 珍皇寺、 平等寺、 をも指す(広辞苑)。古くは、 観慶寺と珍重寺に代わり、東寺と法界寺が加わっていた、 とある(精選版日本国語大辞典)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 善逝(ぜんぜい)、 は、 ぜんせい、 とも訓ますが、「薬師如来」で触れたように、 東方浄瑠璃世界の教主、醫王、善逝、忽然として、來り給へり(太平記)、 と、 薬師如来の異名、 ともされる(大言海)が、 善く逝った者、 の意の、梵語、 須伽陀(スガタ sugata)、 の漢訳、 上昇最極、永不退環、故名善逝(大乗仏教の瑜伽行派の論書「瑜伽論(ゆがろん 瑜伽師地(しじ)論)」)、 謂、以無量智慧、能斷諸惑、妙出世閨A能趣佛果、故號善逝(明代の仏教書「大蔵法數(だいぞうほっす)」)、 と、 迷いの世界をよく超え出て再び迷いに還らない者、 の意、 俗人の諸惑を断じ、世閧出て、佛果に赴くものの称、 つまり、 仏に対する尊称、 である、 仏の十号、 または、 如来の十号、 と呼ばれる、 仏十号(ぶつじゅうごう)、 のひとつである(仝上)。十号には、「善逝」のほか、 如来(にょらい)、応供(おうぐ)、正徧知(しょうへんち)、明行足(みょうぎょうそく)、世間解(せけんげ)、無上士(むじょうじ)、調御丈夫(じょうごじょうぶ)、天人師(てんにんし)、世尊(せそん)、 があり、「如来」で触れたように、おのおの、 如来 tathāgata 真実に達した者、人格完成者、 応供(おうぐ) arhat 尊敬を受けるに値する者、阿羅漢。 正遍知(しょうへんち) samyaksambuddha 正しく悟った者、 明行足(みょうぎょうそく) vidyācaraṇasaṃpanna 知恵と行いの完成者、 善逝(ぜんぜい) sugata よく到達した者、しあわせな人、 世間解(せけんげ) lokavid 世間を知る者、 無上士(むじょうし) anuttara このうえなき者、 調御丈夫(じょうごじょうぶ) puruṣadamyasārathi 教化すべき人を教化する御者、 天人師(てんにんし) śāstā devamanuṣyānāṃ 天や人に対する教師、 仏世尊(ぶつせそん) buddho bhagavān 真理を悟った者、尊き人、 で、「仏世尊」を「仏」と「世尊」に分ければ十一号となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%8F%B7・ブリタニカ国際大百科事典)。 なお、広く、 お釈迦さま、 呼ぶが、 釈迦、 は古代インドの種族の名前になり、 ゴータマ・シッダッタ、 という呼び名の、 ゴータマ、 も、 種族の別名、 になる。 シッダッタ、 が名前で、 悉達多、 悉達太子、 などと音写される。この意は、 すべての目的を達成した、 とされる(http://tobifudo.jp/newmon/name/hotoke10.html)。 釈尊、 は、 釈迦族の尊者、 という意味で、 釈迦牟尼世尊、 の略、 牟尼、 は、 聖者、 の意味、 世尊、 は、 薄伽梵(ばかぼん)、 と同意とある(仝上)。 プッダ、 という呼称は、 めざめた人、真理を悟った人、 の意である(仝上)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 観音誓し廣ければ、普(あまね)き門(かど)より出でたまひ、三十三身に現じてぞ、十九の品(しな)にぞ法(のり)は説く(梁塵秘抄)、 の、 三十三身、 は、 「観音勢至」で触れたように、 法華経「観世音菩薩普門品」(観音経)に、 衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ、 とある(観音経・普門品偈文)ように、観世音菩薩(観音菩薩)が、衆生済度のために相手に応じて化身するという、 三十三種の異形(いぎょう)、 すなわち、 辟支仏(びゃくしぶつ)・声聞(しょうもん)・梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天・小王・長者・居士(こじ)・宰官(さいかん)・婆羅門(ばらもん)・比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごらか)・執金剛、 をいう(精選版日本国語大辞典)。それを、 三十三観音、 といい、西国三十三所の観音霊場はその例になるが、その形の異なるに従い、 千手(せんじゅ)、十一面、如意輪(にょいりん)、准胝(じゅんてい)、馬頭(ばとう)、聖(しょう)、 を、 六観音、 不空羂索(ふくうけんさく・ふくうけんじゃく)、 を含めて、 七観音、 というなど様々の異称がある(マイペディア)。しかし、 妙音菩薩の誓こそ、かへすがへすもあはれなれ、娑婆界の衆生故に、三十四身に身を分けつ(梁塵秘抄)、 の、 三十四身、 は、「法華経(妙法蓮華経)」妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)による語で、 妙音菩薩、 が、 衆生(しゅじょう)に経典を説き示すために化身した、 という、 三四種の異形(いぎょう)、 すなわち、 梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天王・転輪聖王・小王・長者・居士(こじ)・宰官(さいかん)・婆羅門(ばらもん)・比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらか)・地獄・餓鬼・畜生・(王の後宮に於て)女身、 をいい(精選版日本国語大辞典)、これらを、 時に応じ所に応じて現じ、法華経を説いて一切の衆生を教化する、 とある(http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/2_39.html)。 妙音菩薩、 は、「法華経」妙音菩薩品に、 言妙音者、此菩薩、過去以十萬種伎楽供養於佛、故得美妙音聲、因立名、舊經稱獅子吼菩薩、 とあり、 東方の一切浄光荘厳国から法華経の説法の場である霊鷲山(りょうじゅせん)に来て釈迦仏を礼拝した、 とされ(精選版日本国語大辞典)、 美妙なる音声を以て、遍く十方世界に教えを弘宣すと云ふ菩薩、 とある(大言海)。 「妙法蓮華経」妙音菩薩品には、 爾の時に釈迦牟尼仏、大人相の肉髻の光明を放ち、及び眉間白毫相の光を放って、徧く東方八万億那由佗恒河沙等の諸仏の世界を照したもう。是の数を過ぎ已って世界あり、浄光荘厳と名く。其の国に仏います、浄華宿王智如来・応供・正徧知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けたてまつる。無量無辺の菩薩大衆の恭敬し囲遶せるを為て、為に法を説きたもう。釈迦牟尼仏の白毫の光明、徧く其の国を照したもう、 とあり(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK24kun)、 釈尊の肉髻(にくけい)と眉間の白毫相から光を放って、東方にある無数の諸仏の世界を普く照らされました。その先に浄光荘厳国という国があり、浄華宿王智仏と申される仏が、多くの菩薩大衆に囲繞されてご説法されておりました。その菩薩達の中に、諸の善根功徳を積み累ねた結果、十六の三昧を得たという妙音菩薩がおられました、 とある(http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/2_39.html)。その、 妙音菩薩については、 爾の時に一切浄光荘厳国の中に一りの菩薩あり、名を妙音という。久しく已に衆の徳本を植えて、無量百千万億の諸仏を供養し親近したてまつりて、悉く甚深の智慧を成就し、妙幢相三昧・法華三昧・浄徳三昧・宿王戯三昧・無縁三昧・智印三昧・解一切衆生語言三昧・集一切功徳三昧・清浄三昧・神通遊戯三昧・慧炬三昧・荘厳王三昧・浄光明三昧・浄蔵三昧・不共三昧・日旋三昧を得、是の如き等の百千万億恒河沙等の諸の大三昧を得たり。釈迦牟尼仏の光其の身を照したもう。即ち浄華宿王智仏に白して言さく、 世尊、我当に娑婆世界に往詣して、釈迦牟尼仏を礼拝し親近し供養し、及び文殊師利法王子菩薩・薬王菩薩・勇施菩薩・宿王華菩薩・上行意菩薩・荘厳王菩薩・薬上菩薩を見るべし。 爾の時に浄華宿王智仏、妙音菩薩に告げたまわく、 汝彼の国を軽しめて下劣の想を生ずることなかれ。善男子、彼の娑婆世界は高下不平にして、土石・諸山・穢悪充満せり。仏身卑小にして、諸の菩薩衆も其の形亦小なり。而るに汝が身は四万二千由旬、我が身は六百八十万由旬なり。汝が身は第一端正にして、百千万の福あって光明殊妙なり。是の故に汝往いて、彼の国を軽しめて、若しは仏・菩薩及び国土に下劣の想を生ずることなかれ。 妙音菩薩、其の仏に白して言さく、 世尊、我今娑婆世界に詣らんこと、皆是れ如来の力・如来の神通遊戯・如来の功徳智慧荘厳ならん。 是に妙音菩薩、座を起たず身動搖せずして三昧に入り、三昧力を以て耆闍崛山に於て法座を去ること遠からずして、八万四千の衆宝の蓮華を化作せり。閻浮檀金を茎とし、白銀を葉とし、金剛を鬚とし、甄叔迦宝を以て其の台とせり。 等々とあり(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK24kun)、 釈尊に礼拝供養し、文殊師利菩薩や薬王菩薩に会うために、娑婆世界に行きたいと申し出た妙音菩薩に対して、その師である浄華宿王智仏が訓誡されるという形で、求道者の心得が説かれています。浄華宿王智仏は、「娑婆世界は穢れも多く、菩薩達も汝ほど端正で福相に充ちてはいない。しかし、どのようなことがあろうとも仏や菩薩達を初め、娑婆世界全てに対して、決して軽蔑の心を持ってはならない。」と申されました、 という(http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/2_39.html)。そして、 妙音菩薩は是の如く種々に変化し身を現じて、此の娑婆国土に在って諸の衆生の為に是の経典を説く。神通・変化・智慧に於て損減する所無し。是の菩薩は若干の智慧を以て明かに娑婆世界を照して、一切衆生をして各所知を得せしむ、 と(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK24kun)、そして、 妙音菩薩摩訶薩、釈迦牟尼仏及び多宝仏塔を供養し已って、本土に還帰す、 とある(仝上)。 妙音菩薩、万二千歳に於て、十万種の妓楽を以て雲雷音王仏に供養し、並に八万四千の七宝の鉢を奉上す。 是の因縁の果報を以て、今浄華宿王智仏の国に生じて是の神力あり、 という、 妙音菩薩、 は、 妙幢相三昧・法華三昧・浄徳三昧・宿王戯三昧・無縁三昧・智印三昧・解一切衆生語言三昧・集一切功徳三昧・清浄三昧・神通遊戯三昧・慧炬三昧・荘厳王三昧・浄光明三昧・浄蔵三昧・不共三昧・日旋三昧を得、是の如き等の百千万億恒河沙等の諸の大三昧を得たり、 妙音菩薩是の三昧の中に住して、能く是の如く無量の衆生を饒益す、 妙音菩薩品を説きたもう時、妙音菩薩と倶に来れる者八万四千人、皆現一切色身三昧を得、此の娑婆世界の無量の菩薩、亦是の三昧及び陀羅尼を得たり、 等々ともある(仝上)、 「三昧」は、 梵語samādhiの音訳、 で、 三摩地(サンマジ)、 三摩提(サンマダイ)、 とも当て(大言海)、原意は、 心を一か所にまとめて置くこと、 をいい、 定(ジョウ)・正定(セイジョウ)・等持・寂静(仝上)、 あるいは、 定(ジョウ)・正定(セイジョウ)・止息、寂静、正受(ショウジュ)(大言海)、 平等・正受・正定(字源)、 等々とも訳す。中国の字典『祖庭事苑(そていじえん)』(宋代)には、 亦云正受、謂正定不亂、能受諸法、 とある。 心を一所に住(とど)めて、動かざること、妄念を離れて、心を寂静にし、我が心鏡に映じ来る諸法の実相を、諦観する、 意で、 禅定(ゼンジョウ)、 ともいう(大言海)。ここで、妙音菩薩は、 妙幢相三昧・法華三昧・浄徳三昧・宿王戯三昧・無縁三昧・智印三昧・解一切衆生語言三昧・集一切功徳三昧・清浄三昧・神通遊戯三昧・慧炬三昧・荘厳王三昧・浄光明三昧・浄蔵三昧・不共三昧・日旋三昧、 という 十六の三昧、 をえたとあるが、それは、 第一 妙憧相(どうそう)三昧 妙憧とは袈裟のことで、衣を纏い袈裟を懸けることによって、心がシャンと引き締まります。 第二 法華三昧 法華経の即身成仏・娑婆即寂光土の義を体得しますと、何時でも何処でも、正しい判断と正しい行いが自然にできるようになります。これを目標にして精進するのが、法華三昧であります。 第三 浄徳三昧 浄行とは菩薩の六度の修行のことで、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知慧という、六つの修行の結果得られる立派な徳です。 第四 宿王戯(け)三昧 宿とは久しく共にあるという意で、王戯とは王のごとく自由にふるまう意であります。 第五 無縁三昧 自分に直接縁の無い者でも、縁の有る者と同様に救済する、広大な慈悲の心であります。 第六 智印三昧 自分の持っている智慧により、他の人にも法華経は有難いという印象を与えることです。 第七 解(げ)一切衆生語言(ごごん)三昧 全ての人々のことばを聞いて、よく理解できることです。 第八 集一切功徳三昧 扇の要のように、全ての功徳が行者の一身に集中する功徳です。 第九 清浄三昧 心が清く雑念無く、法華経の修行に打ち込むことです。 第十 神通遊戯三昧 どのような境遇の中にあっても、その境遇に左右されることなく、明るく楽しい環境に変えてゆく力であります。 第十一 慧炬(えこ)三昧 「炬」とは大きな火という意味で、どのような暗いところでも火を燈せば明るくなるように、智慧のともしび≠ェ明るく盛んになるよう努めることです。 第十二 荘厳三昧 自分も仏さまのように、立派な徳を身に飾るよう努めることです。 第十三 浄光明三昧 自分の清浄な徳の光が、周囲を浄化することを目標に努力することです。 第十四 浄蔵三昧 蔵に物を納めるごとく、自分の心の中に浄い徳を蓄えることです。 第十五 不共(ふぐ)三昧 仏徳のように、他の世俗のものと比べられない勝れた徳を積むべく誓いを立て、修行に励むことです。 第十六 日旋(にっせん)三昧 その智慧の光で衆生を導ける身になるべく、修行に励むことであります。 をいう(http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/2_39.html)とある。この、 十六の三昧力、 をもって、三十四身を現じて、娑婆世界の一切衆生を救うという(仝上)。 是の妙音菩薩品を説きたもう時、妙音菩薩と倶に来れる者八万四千人、皆現一切色身三昧を得、此の娑婆世界の無量の菩薩、亦是の三昧及び陀羅尼を得たり。爾の時に妙音菩薩摩訶薩、釈迦牟尼仏及び多宝仏塔を供養し已って、本土に還帰す、 妙音菩薩来往品を説きたもう時、四万二千の天子、無生法忍を得、華徳菩薩、法華三昧を得たり、 とある(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK24kun)、 無生法忍(むしょうぼうにん)、 とは、 生滅無き諸法実相の中に於て、信受し通達して、無礙(むげ)不退なり(大智度論)、 とあり、 物に動かされない悟りの境地で、一切のものが不生不滅であることを認識すること、 という(http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/2_39.html)。 三十四身、 は、しかし、「妙法蓮華経」妙音菩薩品には、 或は梵王の身を現じ、或は帝釈の身を現じ、或は自在天の身を現じ、或は大自在天の身を現じ、或は天大将軍の身を現じ、或は毘沙門天王の身を現じ、或は転輪聖王の身を現じ、或は諸の小王の身を現じ、或は長者の身を現じ、或は居士の身を現じ、或は宰官の身を現じ、或は婆羅門の身を現じ、或は比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身を現じ、或は長者・居士の婦女の身を現じ、或は宰官の婦女の身を現じ、或は婆羅門の婦女の身を現じ、或は童男・童女の身を現じ、或は天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人等の身を現じて是の経を説く。諸有の地獄・餓鬼・畜生及び衆の難処、皆能く救済す。乃至王の後宮に於ては、変じて女身となって是の経を説く、 とあり、数え方では、 仏身、菩薩身、辟支仏身、声聞身、梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、毘沙門身、転輪聖王身、諸小国王身、長者身、居士身、宰官身、婆羅門身、比丘身、比丘尼身、優婆塞身、優婆夷身、長者婦女身、居士婦女身、宰官婦女身、婆羅門婦女身、童男童女身、諸天身、諸竜身、夜叉身、乾闥婆身、阿修羅身、伽楼羅身、緊那身、摩睺羅伽身、地獄身、餓鬼身、畜生身、女人身、 の、 三十八種身、 ともなるようだ(東洋画題綜覧) 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 不軽大士(ふし)のかまへには、逃るるひとこそ無かりけれ、誹(そし)る縁(えん)をも縁として、終(つい)には佛になしたまふ(梁塵秘抄)、 の、 大士、 は、 だいし、 だいじ、 と訓ませ、梵語、 Mahāsattva、 の訳、 摩訶薩(まかさつ)、 摩訶薩埵(まかさった)、 と音写され、 すぐれた人、 偉大な人、 立派な人、 を意味し(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A7%E5%A3%AB)、 大士、ダイシ、 とある「書言字考節用集(1717)」の註に、 法華文句、稱菩薩為大士、亦曰開士、出智度論、 とあり、また、 正士、 とも訳され、 菩薩の異称、 とされる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。特に『般若経』では、 自利利他のために菩提を求める姿勢が理想とされ、無執着(智慧)、輪廻を厭わない救済行・不住涅槃(方便)が尊重され(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A7%E5%A3%AB)、自利のために菩提を求める、 小乗仏教者、 あるいは、 外教者、 と区別するために、 菩薩大士、 菩薩摩訶薩、 と呼ばれる(仝上)とある。「菩薩」については「薩埵」で触れたが、自利よりも利他を優先させ、 菩薩乗、 ともいわれる大乗仏教では、 覚りを求める心を起こせば、あらゆる衆生が菩薩となることができる、 とし、 菩薩、 は覚りを求める心を起こし、さらに自分以外のあらゆる衆生を救い導き、覚りを開かせようと誓った存在であり、覚りと衆生をともに気にかける存在である(とする)。だから、 大乗の菩薩、 は、観音菩薩など高位の菩薩が多数存在する。このような菩薩は仏になれるにもかかわらず、あらゆる衆生を救い導こうという誓いのもと、自ら地獄等の悪趣に赴き教化活動をなす(仝上)存在とされる。 不軽大士(ふきょうだいじ)、 つまり、 不軽菩薩(ふきょうぼさつ)、 は、 是仏滅後、法欲尽時、有一菩薩、常名不軽、時諸四衆 計著於法、 と、「法華経」常不軽菩薩品第二十に説く、 常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)、 のことである(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/7/20.htm)。 於像法中。増上慢比丘。有大勢力。爾時有一菩薩比丘。名常不軽、 とある、「像法」は、「闘争堅固」、「正法・像法・末法」で触れたように、仏滅後二千五百年を五百年毎に区切った、 五五百歳(ごごひゃくさい)、 を、 大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん(大集経)、 とあり、順に、 @解脱堅固(げだつけんご 仏道修行する多くの人々が解脱する、すなわち生死の苦悩から解放されて平安な境地に至る時代)、 A禅定堅固(ぜんじょうけんご 人々が瞑想修行に励む時代)、 B読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご 多くの経典の読誦とそれを聞くことが盛んに行われる時代)、 C多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご 多くの塔や寺院が造営される時代)、 D闘諍言訟(とうじょうごんしょう 仏教がおとろえ、互いに自説に固執して他と争うことのみ盛んである時代)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)=闘諍堅固、 とし(大集経)、 解脱・禅定堅固は正法時代、 読誦多聞・多造塔寺堅固は像法時代、 闘諍堅固は末法、 といい、これを、 正法、 像法、 末法、 の、 三時説、 という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%9C%AB%E6%B3%95)。「像法」とは、 仏法と修行者は存在するが、それらの結果としての証が滅するため、悟りを開く者は存在しない、 とされ、民衆の仏法に対する素養(機根)は正法時代より劣るが、仏法を盛んに修行する姿は正法時代に似ており、形式化されて仏法が伝えられ利益をもたらす時代(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%8F%E6%B3%95)で、 読誦多聞堅固、 多造塔寺堅固、 の二つの五百年を指す(仝上)。そういう時代、 不軽菩薩、 は、 得大勢。以何因縁。名常不軽。是比丘。凡有所見。若比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。皆悉礼拝讃歎。而作是言。我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。而是比丘。不専読誦経典。但行礼拝。乃至遠見四衆。亦復故往。礼拝讃歎。而作是言。我不敢軽。於汝等。皆当作仏。 とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/7/20.htm)、 我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作(我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり)、 の、 二十四文字は、 万人成仏という法華経の教理が略説されていることから、 二十四文字の法華経、 という(https://www.nichiren.or.jp/hokekyo/id44/)らしい。だから、 四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来。自言我不軽汝。而与我等授記。当得作仏。我等不用。如是虚妄授記。如此経歴多年。常被罵詈。不生瞋恚。常作是言。汝等当作仏。説是語時。衆人或以。杖木瓦石。而打擲之。避走遠住。猶高声唱言。我不敢軽於汝等。汝等皆当作仏。以其常作是語故。増上慢。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。号之為常不軽、 と(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/7/20.htm)、 常にこの二十四の文字を発し常に相手を軽んじないということから、増上慢の四衆たちは、、 常不軽、 という名付けた(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/7/20.htm)とある。是比丘、臨欲終時に、 於虚空中。具聞威音王仏。先所説法華経。二十千万億偈。悉能受持。即得如上。眼根清浄。耳鼻舌身意根清浄。得是六根清浄已。更増寿命。二百万億。那由他歳。広為人説。是法華経。於時増上慢四衆。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。軽賎是人。為作不軽名者。見其得大神通力。楽説弁力。大善寂力。聞其所説。皆信伏随従。是菩薩。復化千万億衆。令住阿耨多羅三藐三菩提。命終之後。得値二千億仏。皆号日月燈明。於其法中。説是法華経。以是因縁。復値二千億仏。同号雲自在燈王。於此諸仏法中。受持読誦。為諸四衆。説此経典故。得是常眼清浄。耳鼻舌身意。諸根清浄。於四衆中説法。心無所畏。得大勢。是常不軽菩薩摩訶薩。供養如是。若干諸仏。恭敬尊重讃歎。種諸善根。於後復値。千万億仏。亦於諸仏法中。説是経典。功徳成就。当得作仏、 と、 諸仏の法の中に於て是の経典を説いて、功徳成就して当に作仏することを得たり、 とあり、さらに、最後に、 得大勢。於意云何。爾時常不軽菩薩。豈異人乎。則我身是、 と、それが釋迦自身の、 過去世、 であったとする(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/7/20.htm)。 なお、法華経については、「法華経五の巻」で触れた。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 我等ぞ思へば頼もしき、きけむ経を聞きし故、三昧惣持(そうぢ)を得てこそは、佛に多くは仕へしか(梁塵秘抄)、 の、 惣持(そうじ)、 は、 総持、 とも当て、梵語、 dhāraṇī、 の音写、 陀羅尼(だらに)、 の訳語で、 周匝蘭楯者、譬総持、四面懸鈴者、譬四弁(「法華義疏(7C前)」)、 と、 よく総(すべ)てのものをおさめ持(たも)って忘れ去らないもの、 という意(精選版日本国語大辞典)とある。 悪法を捨てて善法を持する、 という意味から、 仏の説くところをよく記憶して忘れない、 ということである(デジタル大辞泉)。 「千手の呪い」、「加持」で触れたように、「陀羅尼」は、 で、 陀憐尼(だりんに)、 陀隣尼(だりんに)、 とも書き、 保持すること、 保持するもの、 の意で、 総持、 の他、 能持(のうじ)、 能遮(のうしゃ)、 と意訳し、 能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、 をいい(日本大百科全書)、仏教において用いられる、 呪文、 の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、 サンスクリット語原文を音読して唱える、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC)。 其の用、聲音にあり。これ佛、菩薩の説ける呪語にして、萬徳を包蔵す。呪は、如来真言の語なれば真言と云ひ、呪語なれば、誦すべく解すべからず、故に翻訳せず、 とある(大言海)。ダーラニーとは、 記憶して忘れない、 意味なので、本来は、 仏教修行者が覚えるべき教えや作法、 などを指したが、これが転じて、 暗記されるべき呪文、 と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、 一種の記憶術、 であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、 暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、 を目的とし(仝上)、 種々な善法を能く持つから能持、 種々な悪法を能く遮するから能遮、 と称したもので、 術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった とある(精選版日本国語大辞典)のは、 原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、 真言 mantra、 といわれたからで、普通には、 長句のものを陀羅尼、 数句からなる短いものを真言(しんごん)、 一字二字などのものを種子(しゅじ) と区別する(日本大百科全書)。この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、 これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、 とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、 初に那謨(なも)、或は唵(おん)の如き、敬礼を表す語を置き、諸仏の名號を列ね、二三の秘密語を繰返し、末に婆縛訶(そはか)の語を以て結ぶを常とす、又、阿鎫覧唅欠(アバンランガンケン)の五字は、大日如来の真言にて、五字陀羅尼とも云ひ、この五字は阿鼻羅吽欠(アビラウンケン)の如く、地、水、火、風、空、の五大にして、大日如来の自体となす(大言海)、 とか、 仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる(日本大百科全書)、 とかとある。因みに、「阿毘羅吽欠蘇婆訶」(あびらうんけんそわか)となると、 阿毘羅吽欠、 は、 梵語a、vi、ra、hūṃ、khaṃ、 の音写で、 地水火風空、 を表し、 大日如来に祈るときの呪文、 である(デジタル大辞泉)。 蘇婆訶、 は、 梵語svāhā、 の音写で、 成就の意を表す(仝上)。『大智度論(だいちどろん)』には、 聞持(もんじ)陀羅尼(耳に聞いたことすべてを忘れない)、 分別知(ふんべつち)陀羅尼(あらゆるものを正しく分別する)、 入音声(にゅうおんじょう)陀羅尼(あらゆる音声によっても左右されることがない)、 の三種の陀羅尼を説き、 略説すれば五百陀羅尼門、 広説すれば無量の陀羅尼門、 があり、『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』は、 法陀羅尼、 義陀羅尼、 呪(じゅ)陀羅尼、 能得菩薩忍(のうとくぼさつにん)陀羅尼(忍)、 の四種陀羅尼があり、『総釈陀羅尼義讃(そうしゃくだらにぎさん)』には、 法持(ほうじ)、 義持(ぎじ)、 三摩地持(さんまじじ)、 文持(もんじ)、 の四種の持が説かれている(仝上)。しかし、日本における「陀羅尼」は、 原語の句を訳さずに漢字の音を写したまま読誦するが、中国を経たために発音が相当に変化し、また意味自体も不明なものが多い、 とある(精選版日本国語大辞典)。 なお、「陀羅尼」は、訛って、 寺に咲藤の花もやまんたらり(俳諧「阿波手集(1664)」)、 と、 だらり、 ともいう。 陀羅尼、 は、結句、 すべてのことを心に記憶して忘れない力、または修行者を守護する力のある章句、 をいい(日本国語大辞典)、特に、 密教では一般に長文の梵語を訳さないで梵文の呪文を翻訳しないで、原語のまま音写されたものを、そのまま読誦するので(仝上)、 一字一句に無辺の意味を蔵し、これを誦すればもろもろの障害を除いて種々の功徳を受ける、 とされ(仝上)、 秘密語、 密呪、 呪、 明呪、 ともいい(広辞苑)。 呪、 を、 陀羅尼、 と名づけるところから、呪を集めたものを、 陀羅尼蔵、 明呪蔵(みょうじゅぞう)、 秘蔵(ひぞう)、 等々といい、経蔵、律蔵、論蔵、般若(はんにゃ)蔵とともに、 五蔵、 の一つとされる。密教では、 祖師の供養(くよう)や亡者の冥福(めいふく)を祈るために尊勝(そんしょう)陀羅尼を誦持するが、その法会(ほうえ)を、 陀羅尼会(だらにえ)、 といい(日本大百科全書)、 陀羅尼を誦する時につく鐘、特に、京都建仁寺の 百八陀羅尼鐘、 を、 陀羅尼鐘、 といい、陀羅尼のこと、また、密教の呪文を、 陀羅尼呪(だらにじゅ)、 また、吉野・大峰・高野山などで製造する、 もと陀羅尼を誦する時、睡魔を防ぐために僧侶が口に含んだ苦味薬で、ミカン科のキハダの生皮やリンドウ科のセンブリの根などを煮つめて作る黒い塊、 を、 陀羅尼助(だらにすけ)、 という(仝上)。 苦味が強く腹痛・健胃整腸剤、 に用いる(日本国語大辞典)。訛って、 だらすけ、 ともいう(仝上)。真言密教の「求聞持法」については触れた。 「惣」(ソウ)は、 もと、「才+怱」を書き誤ったもの、 とあり(漢字源)、 「揔」の書き誤り、 で、 「総」の異体、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%83%A3)。 形声。手(て。牛は誤った形)と、音符怱(ソウ 忽は誤り変わった形)とから成る。もと、揔(ソウ)、(ハ(ソウあつめたばねる意)の俗字)の誤字、 なのである(角川新字源)が、 形声文字です(物+心)。「角のある牛の象形と、弓の両端にはる糸をはじく」象形(「悪い物を払い清める」の意味)」(「清められたいけにえの牛」、「もの」の意味)と「心臓」の象形(「心」の意味)だが、ここでは、「総(ソウ)」に通じ(同じ読みを持つ「総」と同じ意味を持つようになって)、「すべる」、「すべて」を意味する「惣」という漢字が成り立ちました、 誤った「牛」説から説くものもある(https://okjiten.jp/kanji2453.html)。
妙法連華経、書き読み持(たも)てる人は皆、五種法師と名づけつつ、終には六根清しとか(梁塵秘抄)、 の、 五種法師(ごしゅほっし)、 は、『法華経』法師品(妙法蓮華経法師功徳品)第十九に、 若し善男子・善女人是の法華経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は当に八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て六根を荘厳して皆清浄ならしめん、 とある(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK19kun)ように、 五種の行者のあり方、 つまり、 5種類の修行を行う者、 をいい(広辞苑)、 受持法師(教えを信心受持する人)、 読経法師(経文を読む人)、 誦経(じゅきょう)法師(経文を見ず暗誦する人)、 解説(げせつ)法師(経の文句を解釈する人)、 書写法師(写経する人)、 の五種類をさす(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E7%A8%AE%E6%B3%95%E5%B8%AB)。ただ、これは『法華経』に、 読誦、 と説く部分を、 読と誦に分けて理解するもの、 とある(仝上)。そのえられる功徳を、 八百の眼の功徳・千二百の耳の功徳・八百の鼻の功徳・千二百の舌の功徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳、 としている(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK19kun)のは、 眼の功徳 先入観なく物事が正しく見える、 耳の功徳 微妙なところまではっきりと捉えられ真意が分かる、 鼻の功徳 さまざまな香りをかぎ分けることができる、 舌の功徳 食事がすべておいしく感じられる。また言葉が人を感動させる、 身の功徳 清らかな身のために、美しく健康になる、 意の功徳 清らかな心のために、多くの人が会うことを願うようになる、 と(http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/6kon.html)、 六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)、 をさし、 以是功徳、荘厳六根、皆令清浄(法華経)、 六根清徹、無諸悩患(無量寿経)、 と、 以て六根を荘厳して皆清浄ならしめん(https://temple.nichiren.or.jp/nagasaki_hokekyo/page.html?file=HK19kun)、 の、 六根清浄、 をもたらす、と。 「六根」については「六根五内」で触れたが、 外界の対象をとらえて、心の中に認識作用をおこさせる感覚器官としての、 目、耳、鼻、舌、身、 の、 五根(ごこん)、 に、 意根(心)を加えると、 六根、 となる(精選版日本国語大辞典)。仏語で、 六識(ろくとき)、 つまり、 六根をよりどころとする六種の認識の作用、 すなわち、 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識、 の総称、 つまり、 六界、 による認識のはたらきの六つの対象となる、 六境(ろっきょう)、 つまり、 色境(色や形)、 声境(しょうきょう=言語や音声)、 香境(香り)、 味境(味)、 触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、 法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、 で、別に、 六塵(ろくじん)、 ともいう対象に対して認識作用のはたらきをおこす場合、その拠り所となる、 六つの認識器官、 である。だから、 眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根、 といい、 六情、 ともいう(仝上)。 須臾の間も聴く人は、陀羅尼菩薩を友として、一つの蓮(はちす)に入りてこそ、衆生教化弘むなれ(梁塵秘抄)、 の、 陀羅尼菩薩、 は、 三十日秘仏の十六日仏、 とあり、 陀羅尼の言葉の力で仏法を保持して悪法を防ぎます、 とある(http://tobifudo.jp/butuzo/25bosatu/06.html)。 陀羅尼、 は、「加持」で触れたように、 サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、 で、 陀憐尼(だりんに)、 陀隣尼(だりんに)、 とも書き、 保持すること、 保持するもの、 の意で、 総持、 能持(のうじ)、 能遮(のうしゃ)、 と意訳し、 能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、 をいい(日本大百科全書)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、 サンスクリット語原文を音読して唱える、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC)。ダーラニーとは、 記憶して忘れない、 意味なので、本来は、 仏教修行者が覚えるべき教えや作法、 などを指したが、これが転じて、 暗記されるべき呪文、 と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、 一種の記憶術、 であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、 暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、 を目的とし(仝上)、 種々な善法を能く持つから能持、 種々な悪法を能く遮するから能遮、 と称したもので、 術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった とある(精選版日本国語大辞典)のは、 原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、 真言 mantra、 といわれたからだが、普通には、 長句のものを陀羅尼、 数句からなる短いものを真言(しんごん)、 一字二字などのものを種子(しゅじ) と区別する(日本大百科全書)。この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、 これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、 とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、 仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる、 とある(仝上)。梵語の音写「陀羅尼」の訳は、 「総持」 ともいうので、 陀羅尼菩薩、 は、 総持菩薩、 ともいい(http://tobifudo.jp/butuzo/25bosatu/06.html)。 舞いながら両手とも袖を持っています、 とある(仝上)。 三十日秘仏の十六日仏、 の、 三十日秘仏、 というのは、 一か月三十日に日替わりで仏菩薩を割り当てることによってその日を縁日とし、特別な御利益が得られるとされる暦のこと、 で(https://yasurakaan.com/shingonshyu/sanjyunichihibutsu/)、 甲子の日=大黒天、 寅の日=毘沙門天、 巳の日=弁財天、 庚申の日=帝釈天、 午の日=稲荷明神、 亥の日=摩利支天、 というように、 十二支で定めたもの、 と、 日にち、 で定め、 1日 定光仏(じょうこうぶつ) 2日 燈明仏(とうみょうぶつ) 3日 多宝仏(たほうぶつ) 4日 阿閦如来(あしゅくにょらい) 5日 弥勒仏(みろくぶつ) 6日 二萬燈明仏(にまんとうみょうぶつ) 7日 三萬燈明仏(さんまんとうみょうぶつ) 8日 薬師如来(やくしにょらい) 9日 大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ) 10日 日月燈明仏(にちがつとうみょうぶつ) 11日 歓喜仏(かんぎぶつ) 12日 難勝仏(なんしょうぶつ) 13日 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) 14日 普賢菩薩(ふげんぼさつ) 15日 阿弥陀仏(あみだぶつ) 16日 陀羅尼菩薩(だらにぼさつ) 17日 龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ) 18日 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) 19日 光菩薩(にっこうぼさつ) 20日 月光菩薩(がっこうぼさつ) 21日 無盡意菩薩(むじんいぼさつ) 22日 施無畏菩薩(せむいぼさつ) 23日 大勢至菩薩(だいせいしぼさつ) 24日 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) 25日 文殊菩薩(もんじゅぼさつ) 26日 薬上菩薩(やくじょうぼさつ) 27日 盧遮那仏(るしゃなぶつ) 28日 大日如来(だいにちにょらい) 29日 薬王菩薩(やくおうぼさつ) 30日 釈迦如来(しゃかにょらい) となっている(https://yasurakaan.com/shingonshyu/sanjyunichihibutsu/)が、 特に身近な、お不動さま、お地蔵さま、観音さま、 等々は、 本来の縁日以外に下一桁の同じ日も縁日となっている、 とある(http://tobifudo.jp/newmon/gyoji/ennichi.html)。この由来は、西暦900年代、 中国の五台の頃に五祖山戒禅師が始めた、 とされ、 一日定光仏、二日燃灯仏、三日多宝仏、 等々の仏を毎日供養することで罪障消滅と祖先の冥福を祈ったことによる(仝上)とある。 十六日仏、 というのは、 陀羅尼菩薩、 が、 十六日目、 の縁日だからである。また、 陀羅尼菩薩、 は、 「来迎引接(らいごういんじょう)」で触れた、阿彌陀如来が従える25菩薩のひとりである。 来迎図、 は、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の説く、 阿弥陀四十八願の一つ、 である、 浄土に生まれることを願う人の臨終に、阿弥陀仏が西方浄土から迎えにくる姿を描いたもの、 で、平安中期以後、浄土教の発達にともなって描かれた(旺文社日本史事典)。高野山の《阿弥陀聖衆(しょうじゅ)来迎図》など阿弥陀如来が聖衆を従えて飛来する図柄が多いが、迎えてから帰るさまを描いた帰り来迎図や《山越阿弥陀図》等もある(マイペディア)。 阿弥陀仏が従えている、 二十五菩薩、 は、 観世音(かんぜおん)菩薩、大勢至(だいせいし)菩薩、薬王(やくおう)菩薩、薬上(やくしょう)菩薩、普賢(ふげん)菩薩、法自在王(ほうじざいおう)菩薩、獅子吼(ししく)菩薩、陀羅尼(だらに)菩薩、虚空蔵(こくうぞう)菩薩、徳蔵(とくぞう)菩薩、宝蔵(ほうぞう)菩薩、金蔵(こんぞう)菩薩、金剛蔵(こんごうぞう)菩薩、光明王(こうみょうおう)菩薩、山海慧(さんかいえ)菩薩、華厳王(けごんおう)菩薩、衆宝王(しゅうほうおう)菩薩、月光王(がっこうおう)菩薩、日照王(にっしょうおう)菩薩、三昧王(さんまいおう)菩薩、定自在王(じょうじざいおう)菩薩、大自在王(だいじざいおう)菩薩、白象王(びゃくぞうおう)菩薩、大威徳王(だいいとくおう)菩薩、無辺身(むへんしん)菩薩、 とされる(https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=136)。 法華経説かるる所にて、語り伝ふる聞く人の、功徳の量(はかり)を尋(たづ)ぬれば、五十隨喜(ずいき)ぞ量(はかり)なき(梁塵秘抄)、 の、 五十隨喜(ずいき)、 とあるのは、法華経(随喜功徳品)の、 亦随喜転教、如是展転、至第五十(亦隨喜して転教せん、是の如く展転して第五十に至らん)、 とあるところから、 五十展転(ごじゅうてんてん・ごじゅうてんでん)、 といわれる、 人から人へと説き伝え、50人目にいたっても同じ功徳がある、 という、 法華経の功徳、 をいう語のことではないかと思う(広辞苑・大辞林)。 五十展転、 は、 随喜五十展転(ずいきごじゅうてんでん)、 ともいい(http://gmate.org/V03/lib/comp_gosyo_210.cgi?a=bfefb4eeb8debdbdc5b8c5be)、 五十展転の随喜、 または 五十展転随喜の功徳、 ともいう(http://gmate.org/V03/lib/comp_gosyo_210.cgi?a=bfefb4eeb8f9c6c1c9ca)。 法華経を聞いて随喜した人が、その喜びを人に伝え、その人がまた別の人に伝えるというようにして、第50人に至ったとして、その第50人の随喜の功徳ですら、莫大なものである、 との意である(仝上)。だから、 是の如く第五十人の展転して法華経を聞いて隨喜せん功徳、尚お無量無辺阿僧祇なり。何に況んや、最初、会中に於て聞いて隨喜せん者をや。其の福復勝れたること無量無辺阿僧祇にして、比ぶること得べからず(随喜功徳品)、 と、 最初に随喜した衆生の功特は更に大きく測り知ることができない、 として、 一念随喜(初随喜)、 を説く(仝上)。 一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ、五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり(日蓮遺文・「持妙法華問答鈔(1263)」)、 ともあり、日蓮は、 50人とば特定の人に限られるのではなく、妙法を聞いて随喜する一切衆生をさす、 としている(仝上)。 「妙法蓮華経」随喜功徳品第十八には、 爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、 阿逸多、如来の滅後に、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び余の智者、若しは長若しは幼、是の経を聞いて隨喜し已って、法会より出でて余処に至らん。若しは僧坊にあり、若しは空閑の地、若しは城邑・巷陌・聚落・田里にして、其の所聞の如く、父母・宗親・善友・知識の為に、力に隨って演説せん。是の諸人等聞き已って隨喜して復行いて転教せん、余の人聞き已って亦隨喜して転教せん、是の如く展転して第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子・善女人の隨喜の功徳を我今之を説かん、汝当に善く聴くべし、 とあり、さらに、 其の教を受けて乃至須臾の間も聞かん。是の人の功徳は、身を転じて陀羅尼菩薩と共に一処に生ずることを得ん。利根にして智慧あらん。百千万世終に瘖唖ならず。口の気臭からず。舌に常に病なく、口にも亦病なけん。歯は垢黒ならず、黄ならず、疎かず、亦欠落せず、差わず、曲らず。唇下垂せず、亦褰縮ならず、麤渋ならず、瘡胗ならず、亦欠壊ならず、亦喎邪ならず、厚からず、大ならず、亦黧黒ならず、諸の悪むべきことなけん、 ともある。 陀羅尼菩薩、 は、 三十日秘仏の十六日仏、 とあり、 陀羅尼の言葉の力で仏法を保持して悪法を防ぎます、 とある(http://tobifudo.jp/butuzo/25bosatu/06.html)。梵語の音写「陀羅尼」の訳は、 総持、 ともいうので、 陀羅尼菩薩、 は、 総持菩薩、 ともいう(http://tobifudo.jp/butuzo/25bosatu/06.html)。 陀羅尼、 は、「加持」で触れたように、 サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、 で、 陀憐尼(だりんに)、 陀隣尼(だりんに)、 とも書き、 保持すること、 保持するもの、 の意で、 総持、 能持(のうじ)、 能遮(のうしゃ)、 と意訳し、 能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、 をいい(日本大百科全書)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、 サンスクリット語原文を音読して唱える、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC)。ダーラニーとは、 記憶して忘れない、 意味なので、本来は、 仏教修行者が覚えるべき教えや作法、 などを指したが、これが転じて、 暗記されるべき呪文、 と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、 一種の記憶術、 であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、 暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、 を目的とし(仝上)、 種々な善法を能く持つから能持、 種々な悪法を能く遮するから能遮、 と称したもので、 術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった とある(精選版日本国語大辞典)のは、 原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、 真言 mantra、 といわれたからだが、普通には、 長句のものを陀羅尼、 数句からなる短いものを真言(しんごん)、 一字二字などのものを種子(しゅじ) と区別する(日本大百科全書)。この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、 これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、 とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、 仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる、 とある(仝上)。 法華経については「法華経五の巻」で触れた。 沙羅林にたつ煙(けぶり)、上(のぼ)ると見しは空目なり、釋迦は常にましまして、霊鷲山(りょうじゅせん)にて法(のり)ぞ説く(梁塵秘抄)、 の、 空目、 は、 あきめ、 と訓ますと、 明目、 とも当て、 双六(すごろく)で、むだ目のこと、 や、 賭け事で、だれも張らないところや、だれもかけていない賽の目、 の意で使うが、 そらめ、 と訓ませると、 いみじうも、物言ふものかな。わいても、里人を褒むるぞ、空目なる。藤壺の御方まかで給はば、必ず見せ給へ(宇津保物語)、 そらめをぞ君はみたらし川の水あさしやふかしそれは我かは(拾遺和歌集)、 と、 見まちがえること、 ありもしないものを見たように思うこと、 めがね違い、 といった意や、 遠山田穂波うち過ぎ出でにけりいまは見守もそらめすらしも(「為相本曾丹集(11C初)」)、 と、 見て見ないふりをすること、 目をそらすこと、 また、 わき見、 の意や、近代になっては、 もんは安心して横になり、そら眼をして、ちょっといい男ぢゃないの母さんと云った(室生犀星「あにいもうと」)、 と、 ひとみを上にあげて見ること、 つまり、 うわめ、 の意や、 返す返す、例のそらめのみしつつ過ぐす(「成尋母集(1073頃)」)、 と、 遠く空に目をやること、 うつろであること、 放心状態であること、 また、 その目、 の意で使う(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 空目遣い、 というと、だから、 見て見ないふりをする。 うわめづかいをする、 うつろな目つきをする、 と、「空目」の意味に重なり、 空目を使(つか)う、 という言い方も、 見て見ないふりをする、 うわめづかいをする、 うつろな目つきをする、 と同義である(デジタル大辞泉)。 空耳、 の、 そらみみかけさふくかぜのおときけばわれおもはるるこゑのするかな(「一条摂政集(961〜92頃)」)、 と、 音がしないのに、音が聞こえたように感じること、 や、 夕つかた夜など、しのびたる郭公の、遠う空みみかとおぼゆるまでたどたどしきを聞きつけたらん(「能因本枕(10C)」)、 と、 聞いているのに聞かないふりをすること、 の、 空(そら)、 と重なる。「空がらくる」で触れたように、「空」は、 天と地との間の空漠とした広がり、空間、 の意だが(岩波古語辞典)、 アマ・アメ(天)が天界を指し、神々の国という意味を込めていたのに対し、何にも属さず、何ものもうちに含まない部分の意、転じて、虚脱した感情、さらに転じて、実意のない、あてにならぬ、いつわりの意、 とあり(仝上)、 虚、 とも当てる(大言海)。で、由来については、 反りて見る義、内に対して外か、「ら」は添えたる辞(大言海・俚言集覧・名言通・和句解)、 上空が穹窿状をなして反っていることから(広辞苑)、 梵語に、修羅(スラ Sura)、訳して、非天、旧訳、阿修羅、新訳、阿蘇羅(大言海・日本声母伝・嘉良喜随筆)、 ソトの延長であるところから、ソトのトをラに変えて名とした(国語の語根とその分類=大島正健)、 ソラ(虚)の義(言元梯)、 間隙の意のスの転ソに、語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、 等々諸説あるが、どうも、意味の転化をみると、 ソラ(虚) ではないかという気がする。漢字では、 空は有の反、 虚は實また盈の反、 曠はひろくしてむなしい、 と使い分けている(字源)。これを接頭語にした「そら」は、 空おそろしい、 空だのみ、 空耳、 空似、 空言(そらごと)、 等々、 何となく、 〜しても効果のない、 偽りの、 真実の関係のない、 かいのないこと、 根拠のないこと、 あてにならないこと、 徒なること、 などと言った意味で使っている(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。 なお、 空目貫、 という言葉がある。 目貫、 は、 「め」は孔(あな)、 の意で、 太刀・刀の身が柄(ツカ)から抜けないように柄と茎(ナカゴ)の穴にさし止める釘、 つまり、 目釘、 のことである(精選版日本国語大辞典)が、鎌倉以降、頭と座の飾りと釘の部分を離して別の位置につけるようになり、釘の部分を、 真目貫(まことめぬき)、 目釘、 といい、飾りの金物を目につく箇所につけるのを、 空目貫(そらめぬき)、 飾目貫(かざりめぬき)、 という(仝上・広辞苑)。近世には普通、 空目貫、 を「目貫」をいう(仝上)。もともと、 目貫は「茎」(なかご)に設けられた穴に挿し通し、刀身が柄から抜け出ないように固定するための「目釘」(めくぎ)の両端を留める役割を果たしていました。それが江戸時代頃より、釘部分と装飾部分が分離し、釘部分が目釘、装飾部分が目貫へと独立。目釘はそのままに、目貫のみ柄の中ほどに配置が変わることになります。このような流れから目貫は、刀身を固定する役割から開放され、より装飾性を強めていくこととなるのです、 とある(https://www.touken-collection-kuwana.jp/touken-basic-information/about-tousougu-menuki/)。 「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、「空がらくる」で触れたように、 会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、 とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。別に、 会意兼形声文字です(穴+工)。「穴ぐら」の象形(「穴」の意味)と「のみ・さしがね」の象形(「のみなどの工具で貫く」の意味)から「貫いた穴」を意味し、そこから、「むなしい」、「そら」を意味する「空」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji99.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 沙羅林にたつ煙(けぶり)、上(のぼ)ると見しは空目なり、釋迦は常にましまして、霊鷲山(りょうじゅせん)にて法(のり)ぞ説く(梁塵秘抄)、 の、 沙羅林(しゃらりん・さらりん)、 は、 娑羅の木の茂った林、 をいう(精選版日本国語大辞典)が、特に、 娑羅林に赴き給にし後より遺し置き給へる舎利を拝み奉り(「観智院本三宝絵(984)」)、 と、 釈尊の入滅した娑羅の林、 をいう(仝上)とある。 沙羅樹(サラジュ)、 は、 インド原産の常緑大高木、 であり、 サラソウジュの別称、 とある(動植物名よみかた辞典)。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす(平家物語)、 の、 サラソウジュ、 は、 沙羅双樹、 娑羅双樹、 と当て、学名、 Shorea robusta、 の、 フタバガキ科サラノキ属の常緑高木、 で、 シャラソウジュ、 サラノキ、 シャラノキ、 ともいい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A5)、ラワンの一種レッドラワン(S.negrosensis)と同属とある(仝上)。ただ、本来の沙羅双樹(フタバガキ科のShorea robusta)は、 幹高は30mにも達する。春に白い花を咲かせ、ジャスミンにも似た香りを放つ、 が(仝上)、 温暖な地域でしか育たないため、仮託してツバキ科のナツツバキを沙羅双樹または沙羅の木と呼んでいます、 とある(https://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/nikko-old/5_jokyo/today%27s_flowers/2010_Jun_2nd.html)。つまり、 沙羅双樹、 の名で呼ばれ、日本の寺院に聖樹として植わっている木のほとんどは、本種ではなく、 ナツツバキ、 であるらしい(仝上)。 沙羅樹、 は、神話学的には、 復活・再生・若返りの象徴、 とされ、 生命の木、 に分類される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A5)とあり、仏教では、 二本並んだ沙羅の木の下で釈尊が入滅した、 故に、 般涅槃の象徴、 とされ、 沙羅双樹、 と呼ばれる(仝上)。 佛在鳩戸那城、跋提河邊、沙羅雙樹下、入涅槃(地蔵経)、 世尊、沙羅樹下、寝臥寶林、……其樹、卽時惨然變白、猶如白鶴、……漸漸枯悴(涅槃経)、 と、 釋迦入滅セムトスル時、沙羅樹、二株ノ閭j、臨終臥床ヲ敷ケリ、入滅シタル時、二樹、時ナラヌ白花ヲ開キテ、臥床ヲ垂レ覆ヒ、暫クシテ、枯レタリ、 と云ふ(大言海)とある。 此白花ノ、白鶴ノ如クナリシニ因リテ、釋迦ノ入滅ヲ、鶴林ト云ヒ、鶴の林ナドト云フ、 ともある(仝上)。 梵語śāla、 は、 高遠の義、 とあり(大言海)、 其樹、類槲(カシハ)、而皮、青白、葉甚光潤(西域記)、 翻為高遠、其林森聳出於餘樹(華厳音義)、 と、 喬木にして、高く余樹を凌ぐ、皮は、青白に、葉は、橢圓にして、光沢あり、花は白色なりと云ふ、此の樹の林を沙羅林と云ふ、 とある(仝上)。 和名、 ナツツバキ、 の由来は、花や葉の形がツバキに似ており、夏に花が咲く、 ことによる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD)。別名は、 シャラノキ(沙羅木)、 サラノキ、 シャラ、 サルナメ、 シャラソウジュ、 サラソウジュ(娑羅樹、沙羅双樹)、 等々、 幹肌が次々と剥がれてすべすべしている、 ところから、 サルスベリの異名、 もある(仝上)。江戸時代中期に、仏教の聖樹である、 沙羅双樹、 を、 ナツツバキ、 にあてるようになった(仝上)とある。 羅樹(しゃらじゅ)、 の、 シャラは、 沙羅双樹、 の、 サラから転じたといわれるが(仝上)、別に、 別名、サルスベリ、 を下略して、音を転じたる語かと云ふ(御旅所(オタビショ)、おたび。三味線、しゃみ。するする、すらすら)、 ともある(大言海)。 サルと云ふ樹名を取りて、白花を開くに因りて、僧侶が、寺院に移植し、神聖なるものとして、印度の沙羅樹に付会して、其字を充てたるなるべし、 とあり(仝上)、名は、 さるすべり、 の、 さる、 に付会したものとするのは、 樹幹、裸にして、滑らかなること、百日紅(さるすべり)の如し、 というによるもので、 ナツツバキ、 を当てたものらしい(仝上)。その経緯は、 沙羅樹、山茶花科に属す、日光、中禅寺湖畔、伊豆の天城山中に、多く野生す、夏時、椿に似たる白花を開く、ナツツバキとも云ふ、樹幹、極めて滑らかなれば、日光邊にて、サルスベリと名づく、印度の沙羅双樹とは、甚だ異なり、比叡山、及び、ところどころの寺院に在りて、沙羅樹と云ふもの、混同せしものか(仏教大辞典)、 ともある。 比叡山云々、 とあるのは、和漢三才図絵に、 沙羅双樹、比叡山有之、其花白單辨、状、似山茶花、 とあるのによると見える。 なお、 仏教三大聖樹、 というのがあり、 無憂樹(マメ科)、 は、 釈迦が生まれた所にあった木、 印度菩提樹(クワ科)、 は、 釈迦が悟りを開いた所にあった木、 娑羅樹(フタバガキ科)、 は、 釈迦が亡くなった所にあった樹木、 をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A5)とある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 法華経八巻(やまき)は一部なり、廿八品其の中に、あの、よまれ給ふ、説かれ給ふ、壽量品ばかり、あはれに尊(たうと)きものはなし(梁塵秘抄)、 の、 壽量品(じゅりょうぼん)、 は、法華経二十八品中の第十六品、 「如来寿量品」の略、 で、 如是我成仏已来(是の如く我成仏してより已来) 甚大久遠 寿命無量 阿僧祇劫 常住不滅 と(阿僧祇劫(あそうぎこう)は、梵語asaṃkhyeya 無限に長い時間の意 10の56乗とも10の64乗とも)、 釈迦の寿命や無量を説いたもの、 とある(精選版日本国語大辞典・https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/6/16.htm)。 如来寿量品、 の後半に、 自我得仏来(我仏を得てより来) 所経諸劫数(経たる所の諸の劫数) 無量百千万(無量百千万) 億載阿僧祇(億載阿僧祇なり) と(仝上)始まる、5文字で1句となる詩の形で書かれた、 偈頌、 があり、 自我得仏来、 とはじまるため、これは、 自我偈(妙法蓮華如来寿量品偈)、 と呼ばれ、 釈迦牟尼仏の命は永遠であることが語られ、仏は迷い苦しむ人びとに死を示して人びとの心を目覚めさせることにより仏の道を歩むよう説いている。また、いっさいの人びとを仏にするのが、仏の誓願であることがしめされている、 とある(http://www.kujhoji.or.jp/youten/sub14_2_07.htm)。 自我偈、 は、 如来寿量品の前半で説かれた教えと同じ意味を、 詩の形、 で繰り返し説いている(https://temple.nichiren.or.jp/1081018-shoboji/2019/12/id379/)ものになる。 我時語衆生(我時に衆生に語る) 常在此不滅(常に此にあって滅せず) 以方便力故(方便力を以ての故に) 現有滅不滅(滅不滅ありと現ず) 余国有衆生(余国に衆生の) 恭敬信楽者(恭敬し信楽する者あれば) 我復於彼中(我復彼の中に於て) 為説無上法(為に無上の法を説く) 汝等不聞此(汝等此れを聞かずして) 但謂我滅度(但我滅度すと謂えり) 等々と、人として生まれて悟りを開いて佛となったとされているが、 実は久遠実成(くおんじつじょう 今生で初めて悟りを得たのではなく、実は久遠の五百塵点劫の過去世において既に成仏していた存在である)の釈迦牟尼佛、 であった(http://tendoji.sakura.ne.jp/nyoraijuryouhonge.html)とし、 もともと永遠の仏である、 として、 我々も釈尊と同じ仏性(仏としての本性)をもっており、衆生も本来悟っている仏である、 とし、 釈尊も我々も大いなるもの、宇宙のもともとの実在の絶対者(慈悲の当体である神的な存在)と本来同じ、 と説く(仝上)、 大乗仏教、 そのものを示している。『妙法蓮華経』の第16「如来寿量品」が、 法華経の最大のテーマの部分、 とされる(仝上)ゆえんである。 法華経、 については、「法華経五の巻」で触れたが、法華経の原本は、 紀元1世紀以降にインドで編纂された、 という説が有力(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C)とされ、サンスクリット原典は、 サッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtra、 といい、 妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)の略称、 だが、原題は、 「サッ」(sad)は「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)は「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)は「たて糸:経」の意、 で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C)、 白蓮華のごとき正しい教え、 の意となる(世界大百科事典)。この漢訳は、 竺法護(じくほうご)訳『正(しょう)法華経』10巻(286)、 鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』7巻(406)、 闍那崛多(じゃなくった)他訳『添品(てんぼん)妙法蓮華経』7巻(601)、 三種が存在する。『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』が最も有名で、通常は同訳をさす。詩や譬喩・象徴を主とした文学的な表現で、一乗の立場を明らかにし、永遠の仏を説く(日本大百科全書)とある。 「法華経」以外は、 随他意のお経、 といい、相手に合わせて説かれたお経で、「法華経」だけは、 随自意のお経、 として説かれた(http://tendoji.sakura.ne.jp/nyoraijuryouhonge.html)とされ、 釈尊の悟りそのものを相手に合わせるのではなく、釈尊の御心のままに説かれた、 ものとされる(仝上)。 我が身は夢に劣らねど、無上道(だう)をぞ惜しむべき、命は譬(たとひ)の如くなり、如来付属はあやまたじ(梁塵秘抄)、 の、 無上道、 は、 此れを以て仏像を供養せむには、無上道を成ぜむ(日本霊異記)、 と、 この上もなくすぐれたさとり、 完全な究極のさとり、またその、智慧、 の意で、 仏道、 を指す(精選版日本国語大辞典)。当然、妙法蓮華経序品第一の、 若有仏子(若し仏子有って) 修種種行(種々の行を修し) 求無上慧(無上慧を求むるには) 為説浄道(為に浄道を説きたもう)、 とあるように(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/01.htm)、それがもたらす、 最高の教え、 の含意もある(仝上)。妙法蓮華経勧持品第十三勧持品(かんじほん)の偈頌(げじゅ gāthā の音訳の「偈」と意訳の「頌」を合わせたもの)に、 為説是経故(是の経を説かんが為の故に) 忍此諸難事(此の諸の難事を忍ばん) 我不愛身命(我身命を愛せず) 但惜無上道(但無上道を惜む) とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/13.htm)。 この、 無上、 は、 無上の光栄、 とか、 無上の喜び、 というように、 この上もないこと、 最もすぐれたこと、 最上、 の意で使うが、 お釈迦様が魂をこめられた最上の教えのことであり、それを実践していくことです。そして、それを実践し、弘めていくためであるならば、自分の身命(しんみょう)も惜しまないということです、 とあり(https://sumo7.hatenadiary.jp/entry/2017/06/12/101120)、 その道が成就されたありさま、 をいっており、 この上はない、 意味と見られる。 無上正覚、 無上尊、 無上菩提、 等々とも使い、 無上正覚(むじょうしょうがく)、 とは、 最上の正しい覚知。仏の悟り、 を指し、 無上正等覚、 無上等正覚、 ともいい、 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)、 は、 阿耨菩提(あのくぼだい)、 ともいい、梵語、 anuttara-samyak- saṃbodhi、 の音訳、 アヌッタラー(無上の)・サムヤク(正しい、完全な)・サンボーディ(悟り)、 の意で(日本大百科全書)、 無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく すべての段階の菩提を越えて、最高にして正しく、遍(あまね)き正覚)、 無上正真道(しょうしんどう)、 無上正遍知(しょうへんち) とも訳し(仝上)、 仏の悟り、 つまり、 真理を悟った境地。この上なくすぐれ正しく平等である悟りの境地、 をいう(精選版日本国語大辞典)。 縁覚(えんがく)、声聞(しょうもん)がそれぞれ得る悟りの智慧のなかで、仏のそれ(菩提)は、このうえない究極のものを示す、 という意味である(日本大百科全書)。 この境地へ至ったことを、 無上道、 というのであろう。因みに「声聞」で触れたように、 声聞(しょうもん)、 縁覚(えんがく)、 菩薩(ぼさつ)、 は、 三乗、 とされる。「声聞」は、 梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、 の訳語、 声を聞くもの、 の意で、 弟子、 とも訳し(精選版日本国語大辞典)、 釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、 であるのに対し、「縁覚」(えんがく)は、 梵語pratyeka-buddhaの訳語、 で、 各自にさとった者、 の意、 独覚(どっかく)、 とも訳し、 辟支仏(びゃくしぶつ) ともいい(辟支はpratyeka の略音写、仏はbuddha の音訳)、 仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、 をいう(仝上・日本大百科全書)。「菩薩」は、 サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、 の音訳、 菩提薩埵(ぼだいさった)、 の省略語であり、 bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、 より、 悟りを求める人、 の意であり、元来は、 釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、 をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。 部派仏教(小乗仏教)では、 菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、 だけを意味する。そして他の修行者は、 釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。「阿羅漢」とは、 サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、 で、 尊敬を受けるに値する者、 の意。 究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、 をいう。部派仏教(小乗仏教)では、 仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、 をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、 無学(むがく)、 ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教の立場からは、 個人的な解脱を目的とする者、 とみなされ、 声聞を独覚(縁覚)と並べて、この2つを二乗・小乗として貶している、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)。ちなみに、「乗」とは、 乗物 の意で、 世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え、 を指し、「三乗」とは、 悟りに至るに3種の方法、 をいい、 声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、 縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、 菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、 の三つをいう(仝上)。大乗仏教では、 菩薩、 を、 修行を経た未来に仏になる者、 の意で用いている。 悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、 また、仏の後継者としての、 観世音、 彌勒、 地蔵、 等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、 小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、 とされた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)。『大智度論』(大乗仏教中観派の祖・龍樹『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経、二万五千頌般若経)の注釈書)は、3種の菩提や5種の菩提を説き、 小乗の声聞の菩提と縁覚の菩提は執着や煩悩を滅尽しているけれども、真の菩提ということはできず、大乗の仏と菩薩の菩提のみが阿耨多羅三藐(あのくたらさんみやく)三菩提anuttarasamyak‐saṃbodhiである、 としている(世界大百科事典)。 菩提、 は、梵語 ボーディ(bodhi)、 の音写、 仏の正覚の智、さとり、 仏の悟りの境地、 極楽往生して成仏すること、 悟りの智慧、 などを意味し(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90)、 智、道、覚、 等々と漢訳され(仝上)、菩提を得た者が仏であり、 声聞菩提、 独覚菩提、 仏菩提、 といい、これを目指す衆生を、 菩薩、 という。3種の菩提のうち、仏菩提は至高であるため、 無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)、 と呼ばれることになる(仝上)。なお、『大智度論』の説く、 五種の菩提、 とは、 菩薩がさとりを求める心を発すのを、その心は菩提の果に至る因であるとの意から発心菩提、 煩悩をおさえて諸波羅蜜を行うのを伏心菩提、 諸法実相をさとった般若波羅蜜の相を明心菩提、 般若波羅蜜において方便力を得て、般若波羅蜜に捉われず煩悩を滅して、一切智(薩婆若)に到るのを出到菩提、 仏果の覚智を無上菩提、 と名づけている(http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%BC%E3%81%A0%E3%81%84)。ついでに、、 四諦(したい)、 は、「声聞」で触れたように、 「諦」はsatyaの訳。真理の意、 で、迷いと悟りの両方にわたって因と果とを明らかにした四つの真理、 苦諦、 集諦(じったい)、 滅諦、 道諦、 の四つで、 四聖諦(ししょうたい)、 ともよばれる。苦諦(くたい)は、 人生の現実は自己を含めて自己の思うとおりにはならず、苦であるという真実、 集諦(じったい)は、 その苦はすべて自己の煩悩(ぼんのウ)や妄執など広義の欲望から生ずるという真実、 滅諦(めったい)は、 それらの欲望を断じ滅して、それから解脱(げだつ)し、涅槃(ねはん ニルバーナ)の安らぎに達して悟りが開かれるという真実、 道諦(どうたい)は、 この悟りに導く実践を示す真実で、つねに八正道(はっしょうどう 正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精進(しょうしょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう))による、 とするもの(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)とある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 氷(こほり)を敲(たた)きて水掬(むす)び、霜をへ拂ひて薪(たきぎ)採り、千歳(ちとせ)の春秋(はるあき)を過(すぐ)してぞ、一乗妙法聞きそめし(梁塵秘抄)、 の、 一乗妙法、 とは、 妙法一乗、 といい、 法華経(ほけきょう)に説かれている一乗の教えのこと、 をいい(新明解四字熟語辞典)、 妙法、 は、 仏法、 と同義、とりわけ、 妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)、 を指す(仝上)。 法華経だけが悟りを得られる唯一のものと説いたもの、 という意味になる(https://yoji.jitenon.jp/yoji/192.html)。 一乗、 の、 一とは、唯一無二の義、乗とは、乗物の舟車などにて、如来の教法、衆生を載運して、生死界を去らしむる意となると云ふ、 とある(大言海)、 衆生の成仏すべき、最上の教法、 の意だが、普通、 妙法蓮華経の法門、 をいい、妙法蓮華経提婆達多品(だいばだったぼん)第十二に、 大智徳勇健(大智徳勇健にして) 化度無量衆(無量の衆を化度せり) 今此諸大会(今此の諸の大会) 及我皆已見(及び我皆已に見つ) 演暢実相義(実相の義を演暢し) 開闡一乗法(一乗の法を開闡して) 広導諸群生(広く諸の群生を導いて) 令速成菩提(速かに菩提を成ぜしむ) とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/12.htm)ように、 一乗経、 一乗妙典、 という(大言海)。 法華一乗(ほっけいちじょう)、 とは、 法華経に説かれる一乗の教え、 をいい、 一乗には、声聞(しょうもん)・縁覚(えんが)くの二乗および菩薩(ぼさつ)を加えた三乗(声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんがくじょう)・菩薩乗(ぼさつじょう))の実践法がいずれも融合されているということ、 をいう(デジタル大辞泉)。 一仏乗(いちぶつじょう)、 仏乗(ぶつじょう)、 ともいう。法華経を中心に置く天台宗で特に強調するが、 法華一乗、 の他、 華厳一乗、 本願一乗、 等々とも用いられる(精選版日本国語大辞典)。 一乗、 とは、つまり、 仏の真実の教えは一つであり、すべての衆生が平等に仏になれると説く教え、 であるのに対して、 声聞・縁覚・菩薩のそれぞれに、固有な三種の覚りへの道があるとするのが、 三乗、 である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%80%E4%B9%97)。上述のように、 天台宗、 や、また、 華厳宗、 では、 一乗が真実であり三乗は方便である、 と主張したが、 法相宗、 では、 三乗真実・一乗方便、 と主張した(仝上)とある。この場合、 一乗、 と、 三乗、 の中の、 菩薩乗、 が同一か否かという点でも見解が分かれる(仝上)とある。 「声聞」で触れたように、 声聞(しょうもん)、 縁覚(えんがく)、 菩薩(ぼだい)、 は、 三乗、 とされる。「声聞」は、 梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、 の訳語、 声を聞くもの、 の意で、 弟子、 とも訳し(精選版日本国語大辞典)、 釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、 であるのに対し、「縁覚」(えんがく)は、 梵語pratyeka-buddhaの訳語、 で、 各自にさとった者、 の意、 独覚(どっかく)、 とも訳し、 辟支仏(びゃくしぶつ) ともいい(辟支はpratyeka の略音写、仏はbuddha の音訳)、 仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、 をいう(仝上・日本大百科全書)。「菩薩」は、 サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、 の音訳、 菩提薩埵(ぼだいさった)、 の省略語であり、 bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、 より、 悟りを求める人、 の意であり、元来は、 釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、 をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。 部派仏教(小乗仏教)では、 菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、 だけを意味する。そして他の修行者は、 釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。「阿羅漢」とは、 サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、 で、 尊敬を受けるに値する者、 の意。 究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、 をいう。部派仏教では、 仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、 をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、 無学(むがく)、 ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教の立場からは、 個人的な解脱を目的とする者、 とみなされ、 声聞を独覚(縁覚)と並べて、この2つを二乗・小乗として貶している、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)。ちなみに、「乗」とは、 「乗」は乗物 の意で、 世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え、 を指し、「三乗」とは、 悟りに至るに3種の方法、 をいい、 声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、 縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、 菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、 の三つをいう(仝上)。大乗仏教では、 菩薩、 を、 修行を経た未来に仏になる者、 の意で用いている。 悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、 また、仏の後継者としての、 観世音、 彌勒、 地蔵、 等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、 小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、 とされた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)。だから、 一乗、 と 三乗、 の中の、 菩薩乗、 が、同じなのかどうかが、問題になるのではある。なお、 四乗(しじょう)、 という場合、 声聞(しょうもん)乗・縁覚(えんがく)乗・菩薩乗・仏乗、 をいい(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%9B%9B%E4%B9%97)、 五乗(ごじょう)、 という場合、 仏乗、菩薩乗、縁覚(えんがく)乗、声聞(しょうもん)乗、人天乗、 あるいは、 声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、人間乗(人乗)、天上乗(天乗)、 の五種の教法の総称をいう(精選版日本国語大辞典)。宗派によって異なるらしいが、天台宗の教学では、人間の心の境涯を、 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏、 の十の世界(十界)に分け、 声聞と縁覚、 を小乗の教法として、 二乗、 と呼び、 菩薩・仏、 の大乗の教法と分け、 声聞・縁覚・菩薩、 を、 三乗、 人間界から菩薩界までを、 五乗、 と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B9%97)とある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 達多五逆の悪人と、名には負へどもまことには、釋迦の法華経ならひける、阿私(あし)仙人これぞかし(梁塵秘抄)、 の、 阿私仙人、 は、 阿私陀(あしだ)、 とも、 阿私、 とも、 阿私仙、 とも、 阿斯陀、 とも表記する、梵語、 Asita、 の音写、 古代インドの聖仙。釈尊誕生の時にその相好を拝し、出家すれば大慈悲の聖師となり、王となれば転輪王となると予言した仙人、 とされ、また、 釈迦が前世で法華経を聞くために仕えたという仙人、 でもある。いずれも、 法華経提婆達多品、 による(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。妙法蓮華経提婆達多品(だいばだったぼん)第十二に、 時有阿私仙(時に阿私仙あり) 来白於大王(来って大王に白さく) 我有微妙法(我微妙の法を有てり) 世間所希有(世間に希有なる所なり) 若能修行者(若し能く修行せば) 吾当為汝説(吾当に汝が為に説くべし) とあり(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/12.htm)、提婆達多品は、 提婆達多や龍女の成仏を説くことにより、法華経の中でも功徳の勝れた一章として重視されている、 とある(精選版日本国語大辞典)。冒頭、 達多五逆の悪、 とあるのは、 提婆達多、 を指す。 提婆達多品、 の由来は、前段が、 提婆達多と釈尊を中心人物として説かれている、 から(http://www.hokkeshu.jp/hokkeshu/2_20.html)とある。前段で、 悪人提婆達多の成仏、 を記し、後段で、 畜身竜女の成仏、 を説いて、法華経の功徳力の大なることを証明している(仝上)とある。 「法華経五の巻」で触れたように、 「五の巻」は、 第五の巻(だいごのまき)、 五巻(ごのまき)、 とも表記し、この巻には、 悪逆な提婆達多(だいばだった)の成仏の予言や八歳の龍女が成仏することを説いて、法華経の広大な功徳を讚える提婆品、 が収められ(精選版日本国語大辞典)、この「提婆品(だいばぼん)」は、 悪人成仏、 女人成仏、 の根拠となる(岩波古語辞典)ので、 わづかに請じ寄せ給し法師してもよみ講せさせ給し提婆品、最勝王経、ここにして日々にかの御ためによません(宇津保物語970〜999頃)」)、 などと、 特に重視され、法華八講などには第五巻を講ずる日は、 五巻日(ごかんのひ)、 といって薪行道(たきぎのぎょうどう)が行なわれる(精選版日本国語大辞典)とある。この日は、 法華八講では3日目、 三十講では13日目、 にあたり、悪人成仏、女人成仏を説く提婆品(だいばぼん)が講説され、特別な供養が行われる(デジタル大辞泉)。 提婆達多(だいばだった、梵語Devadatta、デーヴァダッタ、略称:提婆、音写:調達、訳:天授)、 は、 釈迦仏の弟子で、後に違背したとされる人物、 である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%90%E5%A9%86%E9%81%94%E5%A4%9A)。 釈迦の弟子の一人、 で、釈迦の従兄弟に当たるといわれ、多聞第一で有名な、 阿難の兄、 または、 耶輸陀羅(釈迦の后)の兄弟、 とする説が一般的とある(仝上)。彼は、 分派して新しい教団をつくった、とされる。 現在の仏教学においては疑問視されているらしいが、『増一阿含経』で、 提婆達多は三逆罪を犯した後、自身の爪に毒を塗り釈迦を殺さんとするも、地中から炎の暴風が巻き起こり巻き込まれる。この刹那に提婆達多は悔いて「南無仏」と言おうとしたが焼き尽くされ、地獄の最下層である阿鼻地獄へと堕ちていった。彼は現在、賢劫中は阿鼻地獄に堕しているが、その後四天王に生まれ、幾度か転生を繰り返し天界を次第に昇り、最後に人間界に戻ってくる とある(仝上)。 霊山界の大空に、寶塔(ほうたう)扉(とばそ)を押し開き、二人の佛を一たびに、喜び拝み奉る(梁塵秘抄)、 の、 霊山界(りょうぜんかい) とあるのは、 霊山会(りょうぜんえ)、 ともいい、 霊山会上にして即身成仏せし龍女(日蓮遺文・「祈祷鈔(1272)」)、 と、 霊鷲山(りょうじゅせん)の集会、 の意で、 釈尊がしばしば説法された霊鷲山(りょうじゅせん)の会座(えざ)、 をいい、 法華経が説かれたところ、 である(精選版日本国語大辞典)。 「霊鷲山」(りょうじゅせん)は、梵語、 グリドラクータ(Gŗdhrakūţa)、 の音写、 「耆闍崛山」(きじゃくっせん)、 ともいい、 釈尊が『大経』や『法華経』を説かれた山、 として有名である(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%9C%8A%E5%B1%B1%E4%BC%9A%E4%B8%8A)。 二人の佛、 とあるのは、妙法蓮華経見宝塔品第十一に、 此宝塔中 有如来全身(此の宝塔の中に如来の全身います) 乃往過去(乃往過去に) 東方無量千万億 阿僧祇世界(東方の無量千万億阿僧祇の世界に) 国名宝浄(国を宝浄と名く) 彼中有仏(彼の中に仏います) 号曰多宝(号を多宝という) 其仏本行菩薩道時(其の仏本菩薩の道を行ぜし時) 作大誓願(大誓願を作したまわく) 若我成仏 滅度之後(若し我成仏して滅度の後) 於十方国土 有説法華経処(十方の国土に於て法華経を説く処あらば) 我之塔廟 為聴是経故(我が塔廟是の経を聴かんが為の故に) 涌現其前(其の前に涌現して) 為作証明(為に証明と作って) 讃言善哉(讃めて善哉といわん) とあり(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/4/11.htm)、 多宝佛、 と、 釈迦牟尼、 を、 二仏並坐、 といい、これ指すと思われる。その先に、 爾時多宝仏(爾の時に多宝仏) 於宝塔中(宝塔に中に於て) 分半座与 釈迦牟尼仏(半座を分ち釈迦牟尼仏に与えて) 而作是言(是の言をなしたまわく) 釈迦牟尼仏 可就此座(釈迦牟尼仏此の座に就きたもうべし) 即時釈迦牟尼仏 入其塔中(即時に釈迦牟尼仏其の塔中に入り) 坐其半座 結跏趺坐(其の半座に坐して結跏趺坐したもう) とある(仝上)。さらに、 若我宝塔(若し我が宝塔) 為聴法華経故 出於諸仏前時(法華経聴かんが為の故に諸仏の前に出でん時) 其有欲以我身 示四衆者(其れ我が身を以て四衆に示さんと欲することあらば) 彼仏分身諸仏 在於十方世界説法(彼の仏の分身の諸仏十方世界に在して説法したもうを)、 尽還集一処(尽く一処に還し集めて) 然後我身 乃出現耳(然して後に我が身乃ち出現せんのみ) 大楽説(菩薩) 我分身諸仏 在於十方世界 説法者(大楽説、我が分身の諸仏十方世界に在って説法する者を) 今於当集(今当に集むべし)、 とあり(仝上)、 十方諸仏 皆悉来集(十方の諸仏皆悉く来集して) 坐於八方(八方に坐したもう) 爾時一一方 四百万億 那由他国土(爾の時に一一方の四百万億那由他の国土に) 諸仏如来[]満其中(諸仏如来其の中に遍満したまえり)、 とある、 釈迦、 多宝如来、 十方分身(釈迦の分身の諸仏)、 の一堂に会するを、 三仏(さんぶつ)の来集、 というらしい(https://www.nichiren.or.jp/hokekyo/id25/)。 多宝塔(たほうとう)、 とは、 仏塔の一種、 で、 円筒状の塔身に宝形(ほうぎょう)の屋根をのせた宝塔の周囲に裳層(もこし)をつけた形式の建物、 をいう(日本大百科全書)。裳層内部に円形の塔身部が認められるものは、 大塔(だいとう)ともいう(仝上)らしい。平安時代に密教が最澄・空海によって伝えられてから出現した建築である(仝上)。 多宝塔、 の名の由来は、 多宝如来を安置した塔。釈迦が法華経を説いたとき、空中に七宝の塔が現われ、塔中の多宝仏が釈迦を讚嘆して半座を分けたと説かれることに基づいて作られた、 とする説(精選版日本国語大辞典)と、 重層宝塔から、 とする説(日本大百科全書)があるようだ(仝上)。 慈悲の御室(みむろ)に住みながら、忍辱衣(にんにくころも)を身にかけて、忍辱衣は色深く、慈悲の室(むろ)には風吹かず、諸空法を御(み)座として、人には教え持(たも)たしむ(梁塵秘抄)、 の、 忍辱衣、 は、 忍辱の衣、 忍辱慈悲の衣、 忍辱の鎧、 ともいい、 忍辱衣(え)、 とも訓まし、 忍辱の心はいっさいの害難を防ぐというところから、忍辱の心を身を護る衣にたとえていう、 とあり、それを、 袈裟、 にたとえて、 忍辱の袈裟(にんにくのけさ) ともいい、のち、転じて、 袈裟、 をもいうようになる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 忍辱、 は、 菩薩の六種の修行、 をいう、 六波羅蜜(ろくはらみつ)、 の一つ、 六波羅蜜の第三、 で、 外からの種々の侮辱や迫害を耐えしのんで心を動かさないこと をいい、 忍辱波羅蜜、 という(仝上)。「波羅蜜」は、「禅定」で触れたように、サンスクリット語、 パーラミター pāramitā、 の音写、 六波羅蜜(ろくはらみつ)、 は、 大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、 をいい、即ち、 布施波羅蜜(施しという完全な徳)、 持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、 精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、 禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、 般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、 を指し、 般若波羅蜜、 が、 他の波羅蜜のよりどころとなるもの、 とされる(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)とある。 妙法蓮華経法師品第十に、 若人説此経(若し人此の経を説かば) 応入如来室(如来の室に入り) 著於如来衣(如来の衣を著) 而坐如来座(而も如来の座に坐して) 処衆無畏所(衆に処して畏るる所なく) 広為分別説(広く為に分別し説くべし) 大慈悲為室(大慈悲を室とし) 柔和忍辱衣(柔和忍辱を衣とし) 諸法空為座(諸法空を座とす) 処此為説法(此れに処して為に法を説け) 若説此経時(若し此の経を説かん時) 有人悪口罵(人あって悪口し罵り) 加刀杖瓦石(刀杖瓦石を加うとも) 念仏故応忍(仏を念ずるが故に忍ぶべし) とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/4/10.htm)、 柔和忍辱衣(え)、 は、 衣座室(えざしつ)の三軌(さんき)、 とあり(http://okigaruni01.okoshi-yasu.com/yougo%20kaisetu/nyuwa-ninnikue/01.html)、衣座室の三軌は、 釈尊が薬王菩薩に釈尊滅後(めつご)に法華経を弘通(ぐずう)するための三種の心得(こころえ)を説いたもの で、 弘経(ぐきょう)の三軌、 ともいう(仝上)とある。 衣座室(えざしつ)、 とは、 如来の滅後、法師が『法華経』を弘通するために守るべき、大慈悲心・柔和忍辱の心・一切法の空という三種の規則を、仏衣・仏座・仏室の比喩に寄せたもの、 とあり(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A1%A3%E5%BA%A7%E5%AE%A4)、 衣座室の三軌、 衣座室の三誡、 弘経の三軌、 ともいう(仝上)とある。『法華経』法師品では、衣・座・室の三軌を、 薬王 若善男子 善女人(若し善男子・善女人あって)。 如来滅後 欲為四衆 説是法華経者(如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば) 云何応説(云何してか説くべき) 是善男子 善女人(是の善男子・善女人は)、 入如来室 著如来衣 坐如来座(如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して) 爾乃応為四衆 広説斯経(爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし) 如来室者 一切衆生中 慈悲心是(如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり) 如来衣者 柔和忍辱心是(如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり) 如来座者 一切法空是(如来の座とは一切法空是れなり) 安住是中(是の中に安住して) 然後以不懈怠心(然して後に不懈怠の心を以て) 為諸菩薩 及四衆(諸の菩薩及び四衆の為に) 広説是法華経(広く是の法華経を説くべし) と(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/4/10.htm)、 如来の室に入り、 如来の衣を著し、 如来の座に坐して、 としている。上述引用の「梁塵秘抄」の、 慈悲の御室(みむろ)、 は、これを指していると思われる。智(ちぎ)は、法師品に、 受持。読誦。解説。書写。妙法華経。乃至一偈。於此経巻。敬視如仏、 とあるのを受けて、法華経を、読誦と書写すれば、 これ外行にして即ち如来の衣、 法華経を、受持すれば、 これ内行にして即ち如来の座、 法華経を解説して他を益すれば、 これ如来の室なり、 と記し(法華文句)、三軌を、『法華経』法師品にいう 五種法師(五種類の修行を行う者。受持・読・誦・解説(げせつ)・書写の五種)、 に対応させて解釈した(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A1%A3%E5%BA%A7%E5%AE%A4)とある。なお、薬王については、「浄蔵浄眼」で触れた。 また、 法華経を行ふ人は皆、忍辱鎧(にんにくよろひ)を身に着つつ、露の命を愛せずして、蓮(はちす)の上にのぼるべし(梁塵秘抄)、 と、 忍辱鎧、 という言い方もあるが、 忍辱の心がいっさいの害難を防ぐというところから、忍辱の心を身を護る鎧にたとえていう、 もので、 忍辱の衣、 と同義、転じて、 袈裟、 のことをいうのも同じ(精選版日本国語大辞典)。妙法蓮華経勧持品第十三に、 我等敬仏故(我等仏を敬うが故に) 悉忍是諸悪(悉く是の諸悪を忍ばん) 謂斯所軽言(斯れに軽しめて) 汝等皆是仏(汝等は皆是れ仏なりと謂われん) 如此軽慢言(此の如き軽慢の言を) 皆当忍受之(皆当に忍んで之を受くべし) 濁劫悪世中(濁劫悪世の中には) 多有諸恐怖(多くの諸の恐怖あらん) 悪鬼入其身(悪鬼其の身に入って) 罵詈毀辱我(我を罵詈毀辱せん) 我等敬信仏(我等仏を敬信して) 当著忍辱鎧(当に忍辱の鎧を著るべし) 為説是経故(是の経を説かんが為の故に) 忍此諸難事(此の諸の難事を忍ばん) 我不愛身命(我身命を愛せず) 但惜無上道(但無上道を惜む) 我等於来世(我等来世に於て) 護持仏所嘱(仏の所嘱を護持せん) 世尊自当知(世尊自ら当に知しめすべし) 濁世悪比丘(濁世の悪比丘は) 不知仏方便 随宜所説法(仏の方便 随宜所説の法を知らず) 悪口而顰蹙 数数見擯出(悪口して・蹙し 数数擯出せられ) 遠離於塔寺(塔寺を遠離せん) 如是等衆悪(是の如き等の衆悪をも) 念仏告勅故(仏の告勅を念うが故に) 皆当忍是事(皆当に是の事を忍べし) とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/13.htm)。 「忍」(漢音ジン、呉音ニン)は、「しのぶもじずり」で触れたように、 会意兼形声。刃(ニン・ジン)は、刀の刃のある方を、ヽ印で示した指示文字で、粘り強くきたえた刀の刃。忍は「心+音符刃」で、粘り強くこらえる心、 とあり(漢字源)、「忍耐」「堅忍不抜」と、「つらいことをねばり強くもちこたえる」意の「しのぶ」の意や、「有不忍人之心」(人に忍びざる之心有り)など、堪える意の「しのぶ」の意で、 人に目立たないようにする、 意の「しのぶ」の意は、わが国だけの用例である。当然「忍者」「忍術」という意味も、本来ない。 「辱」(漢音ジョク、呉音ノク・ニク)は、 会意文字。「辰(柔らかい貝の肉)+寸(手、動詞の記号)」で、強さをくじいて、ぐったりと柔らかくさせること、 とある(漢字源)が、別に、 会意。「辰(除草に用いる石器)」+「又(石器を持つ手)」、農地を除草する様子。「除草する」「たがやす」を意味する漢語{耨 /*nooks/}を表す字。のち仮借して「はじる」「はずかしめる」を意味する漢語{辱 /*nok/}に用いる、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BE%B1)、また、 会意。辰(大きな貝がら。農具として用いる)と、寸(手)とから成り、貝がらで草をかる意を表す。「耨(ドウ、ジヨク)」の原字。借りて「はずかしめ」の意に用いる、 ともある(角川新字源)。同趣旨だが、 会意文字です(辰+寸)。「2枚貝が殻から足を出している」象形(「たつ」の意味だが、ここでは、「大きなはまぐりのからで作られた草かりの道具」の意味)と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形(「手」の意味)から、草刈り具で草を刈るの意味を表し、そこから、「芽生えをつみとる」、「はずかしめる(恥をかかせる)」を意味する「辱」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1687.html)。 忍辱衣を身に着れば、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、弘誓瓔珞(やうらく)かけつれば、五智の光ぞ輝ける(梁塵秘抄)、 の、 弘誓(ぐぜい)、 は、 弘大の誓願、 の意(大言海)、 で、 「ぐ」は「弘」の呉音、 になる(精選版日本国語大辞典)。 佛の、あらゆる衆生を済はむとの誓、 の意(仝上)で、「妙法蓮華経」観世音菩薩普門品第二十五に、 弘誓深如海(弘誓の深きこと海の如し) 歴劫不思議(劫を歴とも思議せじ) 侍多千億仏(多千億の仏に侍えて) 発大清浄願(大清浄の願を発せり) と(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/8/25.htm)、 其誓の深廣なるを、海に譬へて、 弘誓の海、 または、 ちかひのうみ、 と云ひ、 衆生をして、生死の苦海を渡りて、涅槃の彼岸に到らしむるを、 弘誓の船、 または、 ちかひのふね、 という(大言海)。また、 衆生の為の故に、弘誓の鎧を被きて、徳本を積累し、一切を度脱し(無量寿経・二十二願)、 と、 弘誓の堅固なことを鎧、 にたとえて、 弘誓(ぐぜい)の鎧、 また、 弘誓の広大で衆生をもれなく救うことを網、 にたとえて、 弘誓(ぐぜい)の網、 などともいう(広辞苑)。 仏菩薩のひろく衆生を済度して仏果を得させようとする広大な誓願、 をいう、 弘誓、 には、 すべての仏や菩薩が共通して持っている四個の誓願、 四弘誓願(しぐぜいがん・しぐうぜいがん・しくせいがん)、 があり、 四弘誓、 四弘願行、 四弘行願、 四弘願、 四弘、 ともいう、 衆生無辺誓願度(誓ってすべての人を悟らせようという願い) 煩悩無量誓願断(誓ってすべての迷いを断とうという願い) 法門無尽誓願学(誓願知 誓って仏の教えをすべて学び知ろうという願い) 仏道無上誓願成(誓ってこのうえない悟りにいたろうという願い) があり(精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)、さらに、浄土宗・真宗では、 阿弥陀仏が、因位であった法蔵菩薩としての修行中に、世自在王仏により二百一十億の諸仏国土を見せられ、その中からとくに勝れたものを選び取って建てた四八の誓願、 六八(ろくはち)の弘誓(ぐぜい)、 ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98)、 阿弥陀の四十八願、 特に、 設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法 とある(大無量寿経)、 第十八願、 至心信楽の願(衆生を浄土へ往生させて、さとりを得させようと誓う)、 という、 念仏往生、 をさす(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98・大辞林)ことが多いとされる。 普賢菩薩は、 十大誓願、 を立て、 一切の菩薩の行願の旗幟、 とされ(デジタル大辞泉)、 應修十種廣大行願。何等爲十。一者禮敬諸佛。二者稱讃如來。三者廣修供養。四者懺悔業障。五者隨喜功徳。六者請轉法輪。七者請佛住世。八者常隨佛學。九者恒順衆生。十者普皆迴向。 とあり、十種の広大の行願を、 一には、諸仏を礼敬す、 二には如来を称讃す、 三には広く供養を修す、 四には業障を懺悔す、 五には功徳に随喜す、 六には転法輪を請す、 七には仏住世を請う、 八には常に仏の学に随う、 九には衆生に恒に順ず、 十には普くみな廻向す、 とある(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%99%AE%E8%B3%A2%E3%81%AE%E9%A1%98)。 また、「観音勢至」で触れたように、 観音菩薩、 は、 法華経「観世音菩薩普門品」(観音経)に、 衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ、 とある(観音経・普門品偈文)ように、観世音菩薩(観音菩薩)が、衆生済度のために相手に応じて化身するという、 三十三種の異形(いぎょう)、 すなわち、 辟支仏(びゃくしぶつ)・声聞(しょうもん)・梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天・小王・長者・居士(こじ)・宰官(さいかん)・婆羅門(ばらもん)・比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごらか)・執金剛、 をいう(精選版日本国語大辞典)。それを、 三十三観音、 といい、西国三十三所の観音霊場はその例になるが、その形の異なるに従い、 千手(せんじゅ)、十一面、如意輪(にょいりん)、准胝(じゅんてい)、馬頭(ばとう)、聖(しょう)、 を、 六観音、 不空羂索(ふくうけんさく・ふくうけんじゃく)、 を含めて、 七観音、 というなど様々の異称がある(マイペディア)。また、薬師如来にも、 十二の本願(誓願・大願)、 があり、即ち、 自身の光明照耀(こうみょうしょうよう)に依って、一切衆生をして三十二相八十随形(ずいぎょう)を具せしむるの願(衆生をことごとく薬師如来のごとくにすること)、 衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること(迷いの衆生をすべて開暁(かいぎょう)させること)、 衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること(衆生の欲するものを得させること)、 邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること(衆生をすべて大乗に安立させること)、 衆生をして梵行を修して清浄なることを得、決して悪趣に堕せしめざること(三聚戒(さんじゅかい)を備えさせること)、 六根具足して醜陋(しゅうろう)ならず、身相端正(しんそうたんせい)にして諸の病苦なからしむること(いっさいの障害者に諸根を完具させること)、 諸病悉除(いっさいの衆生の病を除くこと)、 女(にょ)を転じて男(なん)と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること(転女成男(てんにょじょうなん)させること)、 外道の邪見に捕らえられて居る者を正見に復(ふく)せしめ、無上菩提を得せしむること(正しい見解を備えさせること)、 もろもろの災難(さいなん)刑罰(けいばつ)を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること(獄にある衆生を解脱(げだつ)させること)、 飢渇(きかつ)に悩まされ、食を求むる者には、飯食(ばんじき)を飽満せしめ、又、法味(ほうみ)を授けて安楽を得せしむること(飢渇(きかつ)の衆生に上食を得させること)、 所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の宝荘厳(ほうしょうごん)を得せしめんとすること(衣服に事欠く衆生に妙衣を得させること)、 であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5・日本大百科全書)、 薬師如来の名号を聞いて仏教に帰依し、薬師経を受持する者や読誦する者を守護し、願いを遂げさせるという12の大将、 宮毘羅(くびら)、 伐折羅(ばさら)、 迷企羅(めいきら)、 安底羅(あんちら)、 摩儞羅(まにら)、 珊底羅(さんちら)、 因陀羅(いんだら)、 婆夷羅(ばいら)、 摩虎羅(まこら)、 真達羅(しんだら)、 招杜羅(しょうとら)、 毘羯羅(びから) が、いずれも憤怒形で12の大願に順応して現れるという(日本大百科全書)。 なお、「瓔珞」については触れた。 「弘」(漢音こう、呉音グ)は、 会意兼形声。厶(コウ)は、ひじをひろく張り出したさま。肱(コウ)の原字。弘は「弓+音符厶」で、弓をじゅうぶんに張ることを示す、 とある(漢字源)。別に、 形声。弓と、音符厷(コウ 厶は省略形)とから成る。弦を張るために弓を大きく反らせる意を表す。ひいて、おおきい意に用いる、 とも(角川新字源)、 形声。音符「弓 /*WƏNG/」+羨符「口」(区別のための記号)。仮借して「ひろい」を意味する漢語{ひろい /*wəəng/}を表す字、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%98)、 形声文字です(弓+ム)。「弓」の象形と「小さく取り囲む」象形(「私有する・わたくし」の意味だが、ここでは、「宏(コウ)」に通じ(同じ読みを持つ「宏」と同じ意味を持つようになって)、「ひろい」の意味、または、「弓を強くはじいた時の擬声語」)から、弓の音響が広まる事を意味し、そこから、「ひろい」、「ひろまる」を意味する「弘」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1649.html)。 「誓」(漢音セイ、呉音ゼ、慣用ゼイ)は、 会意兼形声。「言+音符折(きっぱりとおる)」。きっぱりと言い切ること、 とある(漢字源)。別に、 形声。言と、音符折(セツ→セイ)とから成る。とりきめのことば、「ちかい」の意を表す、 とも(漢字源)、 会意兼形声文字です(折+言)。「ばらばらになった草・木の象形と曲がった柄の先に刃をつけた手斧の象形」(「斧で草・木をばらばらにする」の意味だが、ここでは、「明らかにする」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)から、神や人前で明らかにした言葉「約束」、「ちかい」を意味する「誓」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1814.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまうさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、ひとへに弥陀の御もよほしにあづかて念仏まうしさふらふひとを、わが弟子とまうすこと、きはめて荒涼(無遠慮)のことなり(歎異抄)、 とある、 彌陀、 は、 阿弥陀仏、 阿弥陀、 の意で、 阿弥陀如来、 無量光仏、 無量寿仏、 ともいい、 弥陀、 弥陀如来、 弥陀善逝(ぜんぜい)、 とも略称されるが、 阿彌陀、 は、梵語 Amitāyus(アミターユス)、 あるいは Amitābha(アミターバ 阿彌陀婆) の略、 Amita、 の音訳、阿は、 無の義、 彌陀は、 量の義、 とあり(大言海・日本国語大辞典)、 アミターバ(阿彌陀婆)、 は、 量はかりしれない光を持つ者、 アミターユス、 は、 量りしれない寿命を持つ者、 の意で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E5%A6%82%E6%9D%A5)、 Amitābha、 は、 無量光、 と漢訳、 Amitāyus、 は、 無量寿、 と漢訳される(仝上・大辞林・広辞苑)。翻訳名義集(南宋代の梵漢辞典)に、 清浄平等覚經、翻無量清浄佛、無量寿経、翻無量寿佛、称讃浄土経、世尊名無量寿、及無量光、 とあり、 壽は、寿命にて、體徳に就きて云ひ、光は、光明にて、徳用に就きて云ふ、 とある(大言海)。 阿弥陀仏、 は、 極楽化主(けしゅ)、 とも呼ばれ、 従是西方過十万億佛土有世界、名曰極楽、其土有佛、號阿彌陀、……彼佛、光明無量、照十方國(仏説阿弥陀経)、 と、 西方極楽浄土を建て、そこに住する他方仏、 つまり、 西方極楽浄土の教主、 であり、 浄土宗、浄土真宗など浄土教諸宗において本尊とされる仏、 である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%BB%8F)。 浄土教系の仏教、 とは、 阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く大乗仏教の一派、 であり、 浄土門、 浄土思想、 ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E6%95%99)。「薬師如来」で触れたように、 阿弥陀如来の西方極楽浄土、 に対して、東方にあるのが、 薬師如来の東方浄瑠璃浄土、 になる。 阿彌陀、 は、法蔵菩薩として修行していた過去久遠の昔、衆生救済のため、 四十八願、 を発し、成就して、 阿弥陀仏、 なった(広辞苑)という。その、 第十八願、 は、 念仏を修する衆生は極楽浄土に往生できる、 と説く(仝上)が、「弘誓」で触れたように、 阿弥陀の四十八願、 特に、 設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法 とある(大無量寿経)、 第十八願、 至心信楽の願(衆生を浄土へ往生させて、さとりを得させようと誓う)、 で(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98・大辞林)、 自力で成仏できない人も、念仏を唱えればその救済力によって、極楽に往生する、 いわゆる、 念仏往生 を説き(大辞林)、平安中期、源信の「往生要集」の前後から、この仏の信仰が流行し、 浄土宗・浄土真宗の本尊、 となった(仝上)。 阿弥陀仏、 は、 脇士として、 観世音菩薩、 勢至菩薩、 を従え(http://ppnetwork.seesaa.net/article/500452968.html)、 阿弥陀三尊、 と呼ばれる。 また、 九品の定印、 をもち、 九体仏、 四十九仏、 などの造像が行なわれた(精選版日本国語大辞典)。 九品印(くほんいん)、 とは、 九品の印相、 をいう。「九品往生」で触れたように、 九品往生(くほんおうじよう)、 とは、 阿弥陀如来の住む極楽浄土に生れたいと願う者の9段階(九品)の往生の仕方、 をいい(ブリタニカ国際大百科事典)、 九品浄土に往生しようと願って念仏すること、 を、 九品念仏(くほんねんぶつ)、 その、往生する者の機根に応じて九等の差別がある浄土を、 十方仏土の中には西方を以て望とす九品蓮台の間には下品といふとも足んぬべし(和漢朗詠集)、 と、 九品浄土、 あるいは、 九品安養界(あんにょうかい)、 九品の浄刹(じょうせつ)、 阿弥陀の西方浄土、 極楽浄土、 ともいい、その極楽浄土にある往生した者が座す蓮の台(うてな)、 を、 九品蓮台(くほんれんだい)、 という。それも、生前の功徳によって九等の差別があるので、 九品のうてな。 九品の蓮(はちす)、 といい、 阿弥陀仏が九品ごとに異なる来迎をするさまを描いた仏画、 の、印相の異なる9体の阿弥陀如来像を、 九品来迎図(くほんらいごうず)、 という。その阿弥陀仏を、九品浄土の教主という意味で、 九品の教主(くほんのきょうしゅ)、 という(広辞苑)。たとえば、上品上生の阿弥陀仏は、 両掌を上に向けて重ね、両手の親指と人差指の先端をつけた印をなし、これを妙観察智印、弥陀の定印、 をとる(ブリタニカ国際大百科事典)とある。阿弥陀二十五菩薩については「来迎引接(らいごういんじょう)」触れた。 阿弥陀仏の本願、 といわれる、 四十八願(しじゅうはちがん)、 は、「弘誓」でも少し触れたが、 因位であった法蔵菩薩としての修行中に、世自在王仏により二百一十億の諸仏国土を見せられ、その中からとくに勝れたものを選び取って建てた四八の誓願、 をいい、 六八(ろくはち)の弘誓(ぐぜい)、 ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98)が、本願の数は、 『無量寿経』では四八、 『大阿弥陀経』『平等覚経』では二十四願、 『無量寿如来会』では四十八願、 『無量寿荘厳経』では三十六願、 梵文では四十七願、 蔵訳では四十九願、 必ずしも同一ではない(仝上)。浄土宗では、四十八願を、次のように解釈している。 @無三悪趣(むさんなくしゅ) A不更悪趣(ふきょうあくしゅ) B悉皆金色(しっかいこんじき) C無有好醜(むうこうしゅう) D宿命智通(しゅくみょうちつう) E天眼智通()てんげんちつう F天耳智通(てんにちつう) G他心智通(たしんちつう) H神境智通(じんきょうちつう) I速得漏尽(そくとくろじん) J住正定聚(じゅうしょうじょうじゅ) K光明無量(こうみょうむりょう) L寿命無量(じゅみょうむりょう) M声聞無数(しょうもんむしゅ) N眷属長寿(けんぞくちょうじゅ) O無諸不善(むしょふぜん) P諸仏称揚(しょぶつしょうよう) Q念仏往生(ねんぶつおうじょう) R来迎引接(らいこういんじょう) S係念定生(けねんじょうしょう) ㉑三十二相(さんじゅうにそう) ㉒必至補処(ひっしふしょ) ㉓供養諸仏(くようしょぶつ) ㉔供具如意(くぐにょい) ㉕説一切智(せついっさいち) ㉖那羅延身(ならえんじん) ㉗所須厳浄(しょしゅごんじょう) ㉘見道場樹(けんどうじょうじゅ) ㉙得弁才智(とくべんざいち) ㉚智弁無窮(ちべんむぐう) ㉛国土清浄(こくどしょうじょう) ㉜国土厳飾(こくどごんじき) ㉝触光柔軟(そっこうにゅうなん) ㉞聞名得忍(もんみょうとくにん) ㉟女人往生(にょにんおうじょう) ㊱常修梵行(じょうしゅうぼんぎょう) ㊲人天致敬(にんでんちきょう) ㊳衣服随念(えぶくずいねん) ㊴受楽無染(じゅらくむぜん) ㊵見諸仏土(けんしょぶつど) ㊶諸根具足(しょこんぐそく) ㊷住定供仏(じゅうじょうくぶつ) ㊸生尊貴家(しょうそんきけ) ㊹具足徳本(ぐそくとくほん) ㊺住定見仏(じゅうじょうけんぶつ) ㊻随意聞法(ずいいもんぼう) ㊼得不退転(とくふたいてん) ㊽得三法忍(とくさんぼうにん) この十八番目の 往生念仏の願、 あるいは、 至心信楽(ししんしんぎょう)の願、 とも、 念仏往生の願、 選択本願、 本願三心の願、 至心信楽の願、 往相信心の願、 などともいうが、 衆生を浄土へ往生させて、さとりを得させようと誓う、 第十八願である。浄土教は、 この第十八願を基底とし立脚し、さとりをめざす仏教、 である(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98)。親鸞は、これへの「信」を、 この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。この大願を選択本願と名づく、また本願三心の願(「至心」「心楽」「欲生」)と名づく、また至心信楽の願と名づく、また往相信心の願と名づくべきなり。しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し、 いっている(仝上)とか。 ところで、 阿彌陀、 に絡んだ言葉は多種多様で、特に近世以降は、阿彌陀仏の絵や像にある放射状の光背から、さまざまな意を派生した(精選版日本国語大辞典)。 阿弥陀笠、 は、 阿弥陀像の光背(こうはい)を負うように、笠をうしろ下がりにあおむけぎみにかぶること、また、その笠、 をいう。 笠の内側の骨が仏像の光背の形に見えることからいう とある(大辞林)。そういう、 帽子などを後頭部に傾けてかぶる、 被り方を、 阿弥陀被り、 ともいう(仝上)。 阿弥陀籤、 は、 籤の線の引き方が、阿弥陀の光背に似て放射状であった、 のにより、 人数分引いた線の一端に金額を記して籤とし、各自が引き当てた額の銭を出し、菓子を買ったり飲食したりなどするもの、 だが、近年は、 平行線に梯子はしご状の横線を書き加えたものが普通、 になっている。 あみだ、 あみだのひかり(阿弥陀の光) くものすごこう、 などともいう(広辞苑)。 阿弥陀号、 は、 阿号、 ともいい、 鎌倉時代以降、浄土宗各派や時宗の僧・信者の法号の一種で、下部に「阿弥陀仏」やその略である「阿弥陀」「阿弥」「阿」を含むもの。仏師・画工・能役者の名にも使われ、中世に特に多くみられる。頓阿・世阿弥など、 をいう(デジタル大辞泉)。 阿弥陀割(あみだわり)、 は、 道路の配置を阿弥陀の後光に似せて、中心点から放射状に配する地割りの方法、 阿弥陀聖(あみだひじり)、 は、平安中期の、 空也くうやの俗称、 だが、 平安末期から鎌倉時代にかけて、空也にならって皮衣をつけて鹿角の杖をつき、金鼓こんくを叩きながら阿弥陀の名号を唱えて民衆を勧化して遊行した法師、 また、 踊念仏の信徒、 広くは、 念仏行者の称、 としても使われた(広辞苑)。 あみだの光も金次第、 というと、 阿弥陀も寄進した金の多寡で利益(りやく)を与える、 意で、 すべての事は金次第で決まる、 ということで、 阿弥陀も銭(ぜに)ほど光る、 ともいい、 地獄の沙汰も金次第、 と同義になる(仝上)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 阿彌陀佛については触れたが、そこで、浄土系でいわれる、 三身礼(さんじんらい)、 が、 日常勤行式の中で「総仏偈」の前に称える「三身礼」、 とか(http://www.hounen.jp/blog-h3.html)、 日常勤行式の三宝礼と対応させたようなお経ですが、三法礼は「仏法僧」を敬うのに対し、三身礼は阿弥陀様の三種類のお姿を敬うお経です、 とか(https://seigan-ji.jp)、 「三唱礼」は抑揚(節)をつけて阿弥陀さまの名をおとなえし、「三身礼」は阿弥陀さまの大きな三つの特徴を讃えます、 とか(https://jodo.or.jp/newspaper/special/6569/)、 「総願偈」の次に唱える文で、この偈文の代わりに「三唱礼」または「三帰礼」のいずれかを唱えることもある、 とか(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E8%BA%AB%E7%A4%BC)、 まさに「三身礼」に説くごとく、(阿弥陀如来は)本願成就・光明摂取・来迎引摂の仏ということになる、 とか(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%BB%8F)と、よく出てくるので気になったので、調べてみた。 三身礼、 は、 阿弥陀仏の三つの功徳を讃歎して帰依する文、 とされ(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E8%BA%AB%E7%A4%BC)、 南無西方極楽世界本願成就身阿弥陀(なむさいほうごくらくせかいほんがんじょうじゅしんあみだぶ) 南無西方極楽世界光明摂取身阿弥陀仏(なむさいほうごくらくせかいこうみょうせっしゅしんあみだぶつ) 南無西方極楽世界来迎引接身阿弥陀仏(なむさいほうごくらくせかいらいこういんじょうしんあみだ) と、 本願成就、 光明摂取、 来迎引摂、 に集約される、 阿弥陀仏の三つの徳身、 を五体投地(ごたいとうじ 初めに両膝、つぎに両肘を地につけて、合掌して頭を地につけるというの五体を地に投げ出して行う最敬礼)して敬礼する文、 とある(仝上)。 出典不明、 とされる(仝上・https://seigan-ji.jp/)が、四十八願のなかで、とくに、 第十八念仏往生願・第十二光明無量願・第十九来迎引接願、 を成就した阿弥陀仏を帰依する文、 とある(仝上)。それは、阿弥陀仏が、 四十八願(本願)を建てて修行を積み、その本願を成就して悟りを得た酬因感果の報身の仏で、今も極楽にあって、衆生(特に凡夫)を救おうと常に光明を発しており、臨終には自ら来迎引摂(らいこういんじょう)する、そのような仏と理解する、 ゆえとある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E4%BB%8F)。 三身礼、 は、 総願偈、 の次に唱える文で、この偈文の代わりに「三唱礼」または「三帰礼」のいずれかを唱えることもある、 とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E8%BA%AB%E7%A4%BC)ように、関西ではお念仏3度ずつを3回節をつけて称える、 三唱礼、 を用いることが多いが、関東では、 3度にそれぞれの意味を表す、 三身礼、 称える(http://www.hounen.jp/blog-h3.htm)とある。 ちなみに、 三唱礼、 とは、 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 と(https://jodo.or.jp/newspaper/special/6569/)、 阿弥陀の名をとなえるものである。 三帰礼(さんきらい)、 は、 仏法僧に帰依する功徳を往生極楽へ振り向ける、 偈文で、善導『往生礼讃』により、 帰仏得菩提(きぶっとくぼだい) 道心恒不退(どうしんごうふたい) 願共諸衆生(がんぐしょしゅじょう) 回願往生(えがんおうじょう) 無量寿国(むりょうじゅこく) 帰法薩婆若(きほうさはにゃ) 得大総持門(とくだいそうじもん) 願共諸衆生(がんぐしょしゅじょう) 回願往生(えがんおうじょう) 無量寿国(むりょうじゅこく) 帰僧息諍論(きそうそくじょうろん) 同入和合海(どうにゅうわごうかい) 願共諸衆生(がんぐしょしゅじょう) 回願往生(えがんおうじょう) 無量寿国(むりょうじゅこく) とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%B8%B0%E7%A4%BC)。 悟りを得た仏に帰依し仏道を進める心が退かないように、一切を知る智慧の法に帰依し、悪を抑え、善を勧める大いなる法門を得、論争をやめた僧に帰依し和合する、その功徳を振り向けてもろともに極楽へ往生せん、 との意(仝上)で、 三唱礼、 あるいは、 三身礼、 の代用偈文として用いられる(仝上)とある。 三身礼、 の次に唱える、 送仏偈(そうぶつげ)、 は、 奉請した仏をその本国へ送る偈文で、勤行・法要等で最後に唱える、 偈文で、 請仏随縁還本国(しょうぶつずいえんげんぽんごく) 普散香華心送仏(ふさんこうけしんそうぶつ) 願仏慈心遥護念(がんぶつじしんようごねん) 同生相勧尽須来(どうしょうそうかんじんしゅらい) は、 香を焚き、華を撒いて仏を送り、本国に還られた後も大悲の心で遥かに護念したまえと願い、またすでに浄土に往生した人も、勧め来たりて護念せよと念じる、 との意味(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%80%81%E4%BB%8F%E5%81%88)で、善導(中国浄土教の僧。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立した)『法事讃』によるとされる(仝上)。最後に、 五体投地(ごたいとうじ・ごたいとうち)、 がなされる場合もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%81%E4%BB%8F%E5%81%88)とある。 三身礼、 の前に唱えられる、 総願偈(そうがんげ)、 は、 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) 煩悩無辺誓願断(ぼんのうむへんせいがんだん) 法門無尽誓願知(ほうもんむじんせいがんち) 無上菩提誓願証(むじょうぼだいせいがんしょう) 自他法界同利益(じたほうかいどうりやく) 共生極楽成仏道(ぐしょうごくらくじょうぶつどう) という偈文で、源信『往生要集』により、 菩薩の度・断・知・証の四つの誓願を立て、自分と衆生と共に極楽に生まれ、この四弘誓願を成就しようと願う、 意とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%B7%8F%E9%A1%98%E5%81%88)。 三宝礼(さんぼうらい)、 は、 一心敬礼十方法界常住仏(いっしんきょうらいじっぽうほうかいじょうじゅうぶ) 一心敬礼十方法界常住法(ほう) 一心敬礼十方法界常住僧(そう)、 と、 仏・法・僧の三宝を心から敬い礼拝する文、 である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%AE%9D%E7%A4%BC)。遵式(じゅんしき)『往生浄土懺願儀(さんがんぎ)』による。 勤行式などでは「香偈」の次に唱える文で上品礼をし、三宝帰依を表明する。心を一つにして敬って、あらゆる世界にまします仏(仏の教え、仏の教えを持たもつ僧)に礼拝します、 の意とある(仝上)。 忍辱衣(ころも)を身に着れば、戒香(かいこう)涼しく身に匂ひ、弘誓(ぐぜい)瓔珞(やうらく)かけつれば、五智の光ぞ輝ける(梁塵秘抄)、 の、 五智(ごち)、 は、密教で、 大日如来の智を五種に分けて説いたもの、 をいい、大日の智の総体の、 法界体性(ほっかいたいしょう)智(法界の本性を明らかにする智慧 宇宙に存在するすべての智慧)、 と、 大円鏡智(大円鏡のようにあらゆるものを顕現する智慧 鏡のようにすべてのものを本当の照し出す智慧)、 平等性智(すべての事象と自他の平等を観ずる智慧 すべてのものが平等であることを知る智慧)、 妙観察智(すべての事象の差別相を正しく観ずる智慧 すべての真実を正しく認識する智慧)、 成所作(じょうしょさ)智(自他のために為すべきことを成就する智慧 すべてのものを完成させる智慧)、 の、 四智をいう(ブリタニカ国際大百科事典・http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%99%BA)。浄土教では、 仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智、 の五つを、 阿弥陀仏、 の智とする(仝上)。密教では、この五智を、 五大(地・水・火・風・空) と 金剛界の五智如来(大日・阿閦(あしゅく)・宝生・阿弥陀・不空成就) に配し(仝上)、 五智如来(五大如来)、 あるいは、 五智五佛、 として(大言海)、 五体の如来にあてはめ、 法界体性智 大日如来(だいにちにょらい) 大円鏡智 阿閦如来(あしゅくにょらい 薬師如来と同一視される) 平等性智 宝生如来(ほうしょうにょらい) 妙観察智 観自在王如来(かんじざいおうにょらい 阿弥陀如来と同一視される) 成所作智 不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい 釈迦如来と同一視される) としている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%99%BA%E5%A6%82%E6%9D%A5)。 大日如来、 が、 智慧そのものであり、他の仏は大日如来の智慧の一部を取り出したもの で、この、 五智、 は、 存在するすべての智慧を5種類に分類したもの、 ともある(https://note.com/hotokudo/n/n313452de0709)。 大日如来の戴く冠は、五角形にて、五方面に、五仏の像あり、これを、五智の宝冠、又、五仏の宝冠と云ふ、是れは、大日如来の五智、五仏の総体なることを表示するなりと云ふ、 とある(大言海)。なお、 戒香(かいこう)、 は、 戒律を堅く守る功徳が広まることを香の匂いが広まることに例えたもの、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%92%E9%A6%99)、 未来生処、聞上妙香、常以戒香、為身瓔珞(「往生要集(984〜85)」)、 と、 持戒の人の徳を、芳香のかおるのにたとえていう語、 あるいは、 忍辱(にんにく)の衣を著きつれば、戒香匂ひにしみ薫かほりて(栄花物語)、 と、 持戒の人の徳が四方に影響することを、芳香の遠くまで香ることにたとえていう語、 とも使われるが、中国語では、 仏戒の功徳のたとえ、 とあるので、原意は、前者のようである。 「持戒」は、 持律、 ともいい、 仏教の戒律を堅く守ること、 である(精選版日本国語大辞典)。 智慧によって欲望を制御して、悪を行わないように自覚的に実践すること、 である(ブリタニカ国際大百科事典)。「四衆」で触れたように、世俗人が実践すべき戒としては、 不殺生、 不邪淫、 不偸盗、 不妄語、 不飲酒、 の、 五戒、 があるが、出家者(比丘、比丘尼)は、『四分律』で、 男性の修行者は250戒、女性は348戒、 あるとされる(精選版日本国語大辞典)。ただ、「戒」は、 サンスクリット語のシーラśīla、 の訳語で、 自ら心に誓って順守する、 徳目であるとされる(日本大百科全書)が、「シーラ」は、 習慣性、 を意味し、 自分にとって良い習慣を身につける、 というのが持戒の意味(https://www.nichiren.or.jp/glossary/id57/)とある。これによって悟りの彼岸に至ることを、 持戒波羅蜜、 という(百科事典マイペディア)とある。 六波羅蜜、 のひとつである。「六波羅蜜」については、「禅定」で触れたが、 波羅蜜(はらみつ)、 は、 サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、 で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、 大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、 布施波羅蜜(施しという完全な徳)、 持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、 精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、 禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、 般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、 を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。 持戒の対語が、 破戒、 である。その、 持戒の人の徳が四方に影響することを、香の遠く匂うのにたとえた、 のが、 戒香(かいこう)、 である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 ところで、焼香の時に唱える偈文(げもん)に、華厳経の、 戒香定香解脱香(かいこうじょうこうげだっこう)、 光明雲台遍法界(こうみょううんたいへんほっかい) 供養十方無量仏 供養十方無量法 供養十方無量僧 見聞普薫証寂滅(けんもんふくんしょうじゃくめつ) がある(https://kougetsuin.com/blog/%E3%81%8A%E9%A6%99/6368)。このお香も、 戒定慧(かいじょうえ)香 と、 仏教修行の三学 にたとえている(仝上)、とある。この辺りも、「香」に、喩えとしての意味がありそうである。ちなみに、 三学(さんがく、 は、「禅定」で触れたように、 仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、 つまり、 戒学(戒学は戒律を護持すること)、 定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、 慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること) をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、 戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、 などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。なお、浄土宗では、「日常勤行式」は、 願我身淨如香炉(がんがしんじょうにょこうろ) 願我心如智慧火(がんがじんにょちえか) 念念焚焼戒定香(ねんねんぼんじょうかいじょうこう) 供養十方三世仏(くようじっぽうさんぜぶ) という、 香偈、 という偈文(げもん)で始まる(http://www13.plala.or.jp/houkaiji/kouge.html)とされ、 私はこの体が、香炉のように浄らかであることを願います。私はこの心が、あらゆる煩悩を焼き尽くす(仏の)智慧の火のようであることを願います。私は一瞬一瞬の想いの中で、仏弟子として守るべき戒と求めるべき心の静寂という香を、(私の体という香炉の中で静かに)焚き上げ(実践し)、あらゆる世界の、あらゆるみ仏に供養を捧げます、 との意(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A6%99%E5%81%88)で、ここでも、 香、 は、象徴的な意味を対している。ちなみに、 定香(じょうこう)、 は、 事の善し悪しや好き嫌いという感情によって動揺する心をなくすこと、 をいう(http://www13.plala.or.jp/houkaiji/kouge.html)らしい。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) もし大日如来をうちたてまつれる人をば蓮花の座にすゑて讚む(「観智院本三宝絵(984)」)、 とある、 大日如来(だいにちにょらい)、 は、「五智」でも触れたが、梵語、 Mahāvairocana、 の音写は、 摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)、 と音写し、 梵音、毘盧遮那者、是日之別名、即除暗遍明之義也(大日経疏)、 と、 大日、 は、その訳、 大遍照、 大日遍照、 遍一切処、 遍照(へんじょう)王如来、 などとも漢訳、 摩訶毘盧遮那如来、 大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)、 とも呼ばれる(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5)。 その光明が遍(あまね)く照らす、 ところから、 遍照(へんじょう) または、 大日、 という(広辞苑)。大日とは、 「偉大な輝くもの」(サンスクリット語マハーバイローチャナMahāvairocana)、 の訳、つまり、元は、 太陽の光照のことであったが、のちに、 宇宙の根本の仏、 の呼称となった(日本大百科全書)とある。この意味は、真言密教では、 法界、いわゆる森羅万象あるいは全宇宙は、六大(地・水・火・風・空という物質的要素と、識という本源的な精神的要素)を本体、 と考え、この六大が法身大日如来を象徴するという。つまり、 森羅万象・全宇宙に遍満し、森羅万象・全宇宙は大日如来の活動の顕現、 であり、大日如来そのもののありよう(自性法身)とする。さらに大日如来には、 法(ダルマ)を法として受け止めるありよう(自受用法身)と、また他にそれを受け取らせようとするありようがあり、 阿閦(あしゅく)・宝生(ほうしょう)・弥陀・不空成就の四仏、あるいは他の仏・菩薩、 として顕現するありよう(他受用法身)があり、さらに変化(へんげ)法身、等流(とうる)法身というありようから、 いかなる他者にも対応した姿をとって顕現する、 という。こうした点において大日如来は、 仏・菩薩をはじめ教化者すべてを包括する総体、 とも言われる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5)からにほかならない。 大日経(『大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)』)・金剛頂経((こんごうちょうぎょう、こんごうちょうきょう)の中心尊格、 で、日本密教では、 両界曼荼羅(金剛界曼荼羅・胎蔵曼荼羅)、 の主尊とされ、さらには虚空にあまねく存在するという真言密教の教主とされ、 「万物の慈母」とされる汎神論的な仏、 で(広辞苑)、 声字実相を突き詰めると全ての宇宙は大日如来たる阿字に集約され、阿字の一字から全てが流出している、 とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5)、 大日経系の胎蔵界、 と、 金剛頂経系の金剛界、 との二種の像がある(広辞苑)。 大日如来の「智」の面を表したのが、 金剛界の大日如来、 「理」の面を表したのが、 胎蔵界の大日如来、 とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5)。金剛界の大日如来は、 智拳印を結んで周囲に阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四仏、 を置き(金剛界五仏)、胎蔵界の大日如来は、 中台八葉院の中央に位して法界定印を結ぶ(仝上)。つまり、金剛界大日は、 胸の前にあげた左拳の人差し指をのばし、右の拳をもって握る「智拳印(ちけんいん)」、 を結び、胎蔵大日は、 膝上で左の掌を仰けておき、その上に右の掌をかさね左右の親指の先を合わせ支える「法界定印」、 を結ぶ(https://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/nyorai/dainichi.html)形となる。いずれも、 宝蓮華座上、 にすわる(精選版日本国語大辞典)。 この両部曼荼羅に描かれている大日如来の姿は、 釈迦如来や阿弥陀如来のような出家の姿の、 如来形(にょらいぎょう)、 ではなく、うず高く髪を結(ゆ)うなど、 菩薩形((ぼさつぎょう))、 の姿をしているのが特徴となる(https://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/nyorai/dainichi.html)。 この、 菩薩形の姿である大日如来、 は、宇宙の神格化とも考えられる密教観から、宇宙の真理そのものを現す絶対的中心の本尊として王者の姿をされている、 といわれ、その姿は帝王にふさわしく、 五仏を現した宝冠(ほうかん)をつけ、菩薩よりもさらにきらびやかな装身具を身にまとい、背に負う光背は円く大きなもので日輪を表し、諸仏諸尊を統一する最高の地位を象徴するにふさわしい威厳のある姿、 となっている(仝上)。密教においては、 一切の諸仏菩薩の本地、 とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5)、神仏習合の解釈では天照大神(大日孁貴)と同一視もされている(仝上)とある。なお、 東密(空海を開祖とする真言宗)では、顕教の釈迦如来と大日を別体としているが、台密(最澄を開祖とする天台宗)では同体としている、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5)。 密教においては大日如来と同一視される、 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、 は、梵語、 Vairocana(ヴァイローチャナ)、 の音訳、 で、 光明遍照(こうみょうへんじょう)、 を意味し(大言海)、 毘盧舎那仏、 とも表記され、略して、 盧遮那仏(るしゃなぶつ)、 遮那仏(しゃなぶつ)、 とも表され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E7%9B%A7%E9%81%AE%E9%82%A3%E4%BB%8F)、華厳経において、 中心的な存在として扱われる尊格、 である。 法身如來名毘盧、此翻徧一切處、報身如来名盧遮那、此翻淨満、応身如来名釈迦(法華文句會本)、 境妙究竟顯名毘盧舎那、智妙究竟満名盧遮那、行妙究竟満名釈迦牟尼(法華玄義)、 と、天台宗においては、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)を、 法身仏、 とし、 遍一切處、 と訳す。盧遮那仏(るしゃなぶつ)を、 報身仏、 とし、 浄満、 と訳す、而して、釋迦を、 応身仏、 とす(大言海)とある。これは、「三身仏性」で触れたように、大乗仏教で、 真如そのものである法身(ホツシン)、 修行をして成仏した報身(ホウジン)、 人々の前に出現してくる応身(オウジン)、 の総称(大辞林)を、 三仏身、 三身仏、 ともいい、 仏の一体に具備する所を、三相に別ちて云ふ、 とあり(大言海)、 法身、 とは、 真如(一切存在の真実のすがた。この世界の普遍的な真理)の理解、如来(仏の尊称。「かくの如く行ける人」、すなわち修行を完成し、悟りを開いた人)自證の妙理にして、諸法の本体、萬法の所依となる仏身、 なり、 報身、 とは、 福徳、智慧の勝因に酬報して、佛の感得する相好円満なる色身、 なり、 応身、 とは、 衆生の機類(根機(機根とも 仏の教化を受けるとき発動することができる能力または資質)に隨応して、三業(さんごう 身業・口業(くごう)・意業)の化用を施す化身、 なり(仝上)とある。『撮壌集(さつじようしゆう)』(飯尾永祥(享徳三(1454)年)に、佛名について、 毘盧遮那仏、法身、廬舎那仏、報身、釈迦牟尼仏、応身、 とある。 しかし、『華厳経』では、 毘盧遮那者日也、如世阡V日、能除一切暗冥、而生一切万物、成一切衆生事業、今法身如来亦復如是、故以為喩也(大日経疏)、 毘盧遮那、此翻最高顯廣眼蔵、毘者最高顯也、盧遮那者廣眼也、先有、翻為徧照王如来、又有翻大日如来(即身成仏義冠註)、 と、 毘盧遮那、 盧遮那、 を、梵名 Vairocana(ヴァイローチャナ)、 の具略とし、 報身仏、 の称号として、 光明遍照、 略して、 遍照、 或いは、 最高顯廣眼蔵、 と訳す(大言海)とある。 仏身論の上では諸宗によって、法相宗では、毘盧遮那と盧舎那を区別し、、 毘盧遮那を自性身(じしょうしん)とみなし、盧舎那を受用身とし、また変化身(へんげしん)としての釈迦を立てる、 天台宗では、 毘盧遮那を法身とみなし、盧舎那を報身、釈迦を応身とするが、究極的には毘盧遮那に帰着するとする、 華厳宗では、 毘盧遮那を十身具足の身とし、三身を立てないで、毘盧遮那も盧舎那も釈迦も同一仏身の異称とする、 のに対し、前述したように、密教では、 法身とみなし、大日如来に同じとする、 等々、解釈を異にしてしいる(精選版日本国語大辞典)。 大日如来と毘盧遮那如来の関係について、 大日如来、 は、思想史的には『華厳経(けごんきょう)』の、 毘盧遮那如来、 が大日如来に昇格したものと推定される(日本大百科全書)とあり、 毘盧遮那如来、 が、経中で終始沈黙しているのに対し、 大日如来、 は教主であるとともに説主でもある。普通、仏の悟りそのものの境地は法身(ほっしん)といわれ、法身は色も形もないから説法もしないとされる。けれども大日如来は法身であるにもかかわらず説法し、その説法の内容が真言(語)、印契(いんげい 身)、曼荼羅(まんだら 意)である。法身大日如来がこのような身・語・意の様相において現れているのが、 三密加持、 であり、これが秘密といわれるのは、この境地は凡夫(ぼんぶ)はもちろんのこと十地(じゅうじ 菩薩(ぼさつ)修行の段階を52に分け、そのなかの第41から第50位をいう)の菩薩もうかがい知ることができないからであるとされる(仝上)。しかし真言行者は瑜伽観行(ゆがかんぎょう)によってこの生においてこの境地に至るとされ、これは大日如来と一体になることを意味する(仝上)。ゆえに、 大日如来は究極の仏でありながら衆生(しゅじょう)のうちに内在する、 とされる(仝上)。 胎蔵界(たいぞうかい) と、 金剛界(こんごうかい) は、前者は、『大日経(だいにちきょう)』、後者は、『金剛頂経』(こんごうちょうぎょう、こんごうちょうきょう)の説く仏の世界で、 「胎蔵界」の胎蔵とは梵語 garbha-kośa の漢訳で、 一切を含蔵する意義を有し、また母胎中に男女の諸子を守り育てる意義、 があり(ブリタニカ国際大百科事典)、 大悲胎蔵生、 ともいい、 仏の菩提ぼだい心が一切を包み育成することを、母胎にたとえ(デジタル大辞泉)、 胎児が母胎の中で成育してゆく不思議な力にたとえて、大日如来の菩提心があらゆる生成の可能性を蔵していることを示したもの、 とされ(精選版日本国語大辞典)、 大日如来の理性の面、 をいい、 蓮華、 によって表象する(デジタル大辞泉)。それを図示したのが、 胎蔵界曼荼羅(詳しくは大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅Mahākaru ágarbha-sabhava-maala)、 で、 大日如来の一切の衆生に対する慈悲(大悲)によって、その悟りの内奥(胎蔵)から生起した(生)諸仏・諸尊の世界で、毘盧遮那仏が、その無数劫(こう)の過去世に蓄積した経験を現世に生きる衆生に対応した形に変化させ(神変)、その上に付加して(加持)、衆生に仏の真実の世界の内実(荘厳(しょうごん))としての意味づけを与えた、その総体(マンダラ) である(日本大百科全書)、とされる。 金剛界(こんごうかい)、 は、梵語、 バジラダートゥvajradhātu、 の訳。金剛(バジラ)は、 もともとは武器をさす、 語であるが、ここでは大日如来(だいにちにょらい)の真実の智慧を意味し、それが堅固で壊れないことに例えられて、 金剛、 といい(仝上)、 大日如来を智徳の方面、 をいう(デジタル大辞泉)。これを図示したものを、 金剛界曼荼羅(まんだら)、 という(仝上)。 界(ダートゥ)、 は多義あるが、空海の『金剛頂経開題』によると、 体・界・身・差別、 の義をあわせもつという(日本大百科全書)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 釈迦の御弟子(みでし)は多(おほ)かれど、佛(ほとけ)の従弟(いとこ)は疎からず、親しきことは誰よりも、阿難尊者(そんざ)ぞおはしたる(梁塵秘抄) とある、 阿難(あなん)、 は、梵語 Ānanda(阿難陀)、 の音訳、 意訳して、 歓喜、 慶喜、 ともいう(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E9%9B%A3・日本国語大辞典)。 釈尊の従弟、 で、 提婆達多(だいばだった)、 の弟、 である。提婆達多については、「阿私仙」で触れた。出家後、釈迦に奉侍すること二十余年、師の説法を最も多く聞き、教説を仏弟子中で最もよく記憶したとされ、 多聞第一、 といわれた(大辞泉・日本国語大辞典)、釋迦の、 十大弟子、 の一人、 第一結集(けつじゆう)、 に努力した、とされる(広辞苑・大辞林)。 第一結集、 の、 結集(けつじゅう、saṃgīti、 サンギーティ ともに唱える意)、 は、 仏教の経・論・律(三蔵)をまとめた編集会議、 のことで、 第一回仏典結集、 は、伝承によると、 釈迦(ブッダ)入滅後、王舎城(ラージャグリハ)郊外の七葉窟(しちようくつ)に500人の比丘が集まり、最初の結集が開かれ、 五百結集、 または、 王舎城結集、 といい、 摩訶迦葉(マハーカーシャパ )が座長となり、阿難(アーナンダ)と優波離(ウパーリ)が、それぞれ 法(Dharma)と 律(Vinaya)の編集責任者となった、 という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E9%9B%86)。 阿難、 は、 記憶力にすぐれ、経典の第一結集(けつじゆう)の際、教法の合誦において、 教え(法)を誦した、 とされる(大辞泉・http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E9%9B%A3)。また、 釈尊の養母摩訶波闍波提(マハーパジャーパティー)の出家に際し、釈尊は当初それを渋ったが彼の仲介によって許され、尼僧教団が成立した、 とされ(仝上)、 女人出家の道を開いた、 ともいわれる(日本国語大辞典)。ただ、 釈迦が女人の出家を躊躇ったとの逸話は原始仏典との矛盾が多く、後世に付加されたものである可能性が高い、 ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%9B%A3)。 釈迦十大弟子、 は、「摩訶迦葉」、「富楼那」で触れたように、『維摩経』弟子品の記述が有名で、 智慧第一の舎利弗しゃりほつ(シャーリプトラ)、 神通第一の目連(もくれん マウドガリヤーヤナ)、 頭陀(ずだ)第一の大迦葉(だいかしょう マハー・カーシャパ)、 解空(げくう)第一の須菩提(すぼだい スブーティ)、 説法第一の富楼那(ふるな プールナ・マイトラーヤニープトラ)、 論議第一の大迦旃延(だいかせんねん マハー・カーティヤーヤナ)、 天眼第一の阿那律(あなりつ アニルッダ)、 持律第一の優波離(うぱり ウパーリ)、 密行第一の羅睺羅(らごら ラーフラ)、 多聞第一の阿難(アーナンダ)、 の10人である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E9%9B%A3)。中でも、 舎利弗、 と 目連、 は傑出していたが、釈尊より先に亡くなった。大迦葉は釈尊滅後の教説散逸を怖れて結集の必要性を主張した(仝上)とされ、第一結集では、 阿難が経を誦し、 優波離が律を誦した、 と伝承され、仏典の骨格を形成したのがこの仏弟子たちである(仝上)。『和漢三才図会』に、阿難を、 阿難尊者、第二祖、当周夷王之時、阿難姓刹帝利、中天竺王舎城人、白飯王之子、釈迦之従弟、本名阿難陀、(此云慶喜又名歓喜)投仏出家、多聞博達、智慧無碍、世尊乃命為偖者、至是垂入涅槃、至綂伽河、五百羅漢、自空而下、中有二羅漢(曰商那和修曰末度迦)知其皆大器、而命之曰、昔如来以正法眼蔵、付大迦葉、入定而付於我、我今将滅、用伝汝等乃以偈授之而滅、各分舎利起宝塔供養之、 とあり、『古今事類全書』前集に曰く 第二祖阿難、将入滅雪山五百仙人、飛空而至、阿難為説法、 とある(https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E9%98%BF%E9%9B%A3%E5%B0%8A%E8%80%85)。 大通智勝の王子ども、をのをの浄土に生(むま)るれど、第十六の釈迦のみぞ、娑婆に佛に成りたまふ(梁塵秘抄)、 の、 大通智勝(だいつうちしょう)、 は、 妙法蓮華経化城喩品第七に、 我念過去世(我過去世の) 無量無辺劫(無量無辺劫を念うに) 有仏両足尊(仏両足尊いましき) 名大通智勝(大通智勝と名く)、 とある、 大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)、 あるいは、 大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)、 のことで、法華経化城喩品に、 過去三千塵点劫以前に出現して法華経を説いたという仏、 とある(精選版日本国語大辞典)。 塵点劫(じんでんごう・じんてんごう)、 とは、 はかりきれない長い時間、 をいい、化城喩品に、それを喩えて、 譬如三千大千世界 所有地種(譬えば三千大千世界の所有の地種を) 仮使有人 磨以為墨(仮使人あって磨り以て墨と為し) 過於東方 千国土 乃下一点(東方千の国土を過ぎて乃ち一点を下さん) 大如微塵(大さ微塵の如し) 又過千国土 復下一点(又千の国土を過ぎて復一点を下さん) 如是展転 尽地種墨(是の如く展転して地種の墨を尽くさんが如き) 於汝等意云何(汝等が意に於て云何) 是諸国土 若算師 若算師弟子(是の諸の国土を、若しは算師若しは算師の弟子) 能得辺際 知其数不(能く辺際を得て其の数を知らんや不や) 不也世尊(不也、世尊) 諸比丘 是人所経国土(諸の比丘、是の人の経る所の国土の) 若点不点 尽抹為塵(若しは点せると点せざるとを、尽く抹して塵となして) 一塵一劫(一塵を一劫とせん) 彼仏滅度已来(彼の仏の滅度より已来) 復過是数 無量無辺 百千万億 阿僧祇劫(復是の数に過ぎたること無量無辺百千万億阿僧祇劫なり) とあり(阿僧祇劫(あそうぎこう)は、梵語asaṃkhyeya 無限に長い時間の意 10の56乗とも10の64乗とも)、 三千大千世界のあらゆる地の存在を構成する要素を集め、すりつぶして墨を作り、一千の国土を過ぎるごとにその墨の一点をたらし、墨をすべて使い尽くしてから、その過ぎ去ったあらゆる世界を微塵に砕いて、その一塵を一劫とした場合、微塵のすべてを合計した劫の長さを三千塵点劫という、 と(精選版日本国語大辞典・https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/3/07.htm)、 大通智勝仏の出世の久遠である、 たとえとしとている。 法華経化城喩品第七で、 其仏未出家時 有十六子(其の仏未だ出家したまわざりし時に十六の子あり) 其第一者 名曰智積(其の第一をば名を智積という) 諸子各有 種種珍異 玩好之具(諸子各種々の珍異玩好の具あり) 聞父得成 阿耨多羅三藐三菩提(父阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たもうを聞いて) 皆捨所珍 往詣仏所(皆所珍を捨てて仏所に往詣す) 諸母涕泣 而随送之 其祖転輪聖王(諸母涕泣して随って之を送る其の祖転輪聖王) 与一百大臣 及余百千万億人民(一百の大臣及び余の百千万億の人民と) 皆共圍繞 随至道場(皆共に圍繞し随って道場に至る) 咸欲親近 大通智勝如来(咸く大通智勝如来に親近して) 供養恭敬 尊重讃歎(供養・恭敬・尊重・讃歎したてまつらんと欲し) 到已頭面礼足(到り已って頭面に足を礼し) 繞仏畢已 一心合掌(仏を繞り畢已って一心に合掌し) 瞻仰世尊 以偈頌曰(世尊を瞻仰して偈を以て頌して曰さく) とあり、 諸比丘 我今語汝(諸の比丘、我今汝に語る) 彼仏弟子 十六沙弥 今皆得阿耨多羅三藐三菩提(彼の仏の弟子の十六の沙弥は今皆阿耨多羅三藐三菩提を得) 於十方国土 現在説法(十方の国土に於て現在に法を説きたもう) 有無量百千万億 菩薩声聞 以為眷属(無量百千万億の菩薩・声聞あって以て眷属とせり) 其二沙弥。東方作仏(其の二の沙弥は東方にして作仏す) 一名阿閦 在歓喜国(一を阿閦と名け歓喜国にいます) 二名須弥頂(二を須弥頂と名く) 東南方二仏(東南方に二仏) 一名師子音(一を師子音と名け) 二名師子相(二を師子相と名く) 南方二仏(南方に二仏) 一名虚空住(一を虚空住と名け) 二名常滅(二を常滅と名く) 西南方二仏(西南方に二仏) 一名帝相(一を帝相と名け) 二名梵相(二を梵相と名く) 西方二仏(西方に二仏) 一名阿弥陀(一を阿弥陀と名け) 二名度一切世間苦悩(二を度一切世間苦悩と名く) 西北方二仏(西北方に二仏)。一名多摩羅跋栴檀香神通(一を多摩羅跋栴檀香神通と名け) 二名須弥相(二を須弥相と名く) 北方二仏(北方に二仏) 一名雲自在(一を雲自在と名け) 二名雲自在王(二を雲自在王と名く) 東北方仏 名壊一切世間怖畏(東北方の仏を壊一切世間怖畏と名く) 第十六 我釈迦牟尼仏(第十六は我釈迦牟尼仏なり) 於娑婆国土成阿耨多羅三藐三菩提(娑婆国土に於て阿耨多羅三藐三菩提を成ぜり) と(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/3/07.htm)、 大通智勝如来には出家する前は王子で、さらに16人の息子(王子)がいた。その中に、 阿閦如来(あしゅくにょらい)、 阿彌陀如来、 がおり(http://tobifudo.jp/butuzo/bosatu/daituchi.html)、 16人目の息子が、 釈迦如来の過去世の姿、 としている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%9A%E6%99%BA%E5%8B%9D%E5%A6%82%E6%9D%A5)。この大通智勝仏は、 仏説是経(仏是の経を説きたもうこと) 於八千劫 未曾休廃(八千劫に於て未だ曾て休廃したまわず)、 と、 8、000劫の間、法華経を説き(http://tobifudo.jp/butuzo/bosatu/daituchi.html)、 十六菩薩沙弥も、 亦於八万四千劫(亦八万四千劫に於て) 為四部衆 広説分別 妙法華経(四部の衆(四衆)の為に広く妙法華経を説き分別す) と、 この仏様(大通智勝)の子供達もまた出家して、同じように法華経を84000劫の間説いた(仝上)とされる。「劫」については触れたが、「劫」の字は、 サンスクリット語のカルパ(kalpa)、 に、 劫波(劫簸)、 と、音写した(漢字源)ため、仏教用語として、 一世の称、 また、 極めて長い時間、 を意味する(仝上)。 また、大通智勝仏は、 三十日秘仏の九日仏、 ともされる。「陀羅尼菩薩」で触れたように、 三十日秘仏、 というのは、 一か月三十日に日替わりで仏菩薩を割り当てることによってその日を縁日とし、特別な御利益が得られるとされる暦のこと、 で(https://yasurakaan.com/shingonshyu/sanjyunichihibutsu/)、 甲子の日=大黒天、 寅の日=毘沙門天、 巳の日=弁財天、 庚申の日=帝釈天、 午の日=稲荷明神、 亥の日=摩利支天、 というように、 十二支で定めたもの、 と、 日にち、 で定め、 1日 定光仏(じょうこうぶつ) 2日 燈明仏(とうみょうぶつ) 3日 多宝仏(たほうぶつ) 4日 阿閦如来(あしゅくにょらい) 5日 弥勒仏(みろくぶつ) 6日 二萬燈明仏(にまんとうみょうぶつ) 7日 三萬燈明仏(さんまんとうみょうぶつ) 8日 薬師如来(やくしにょらい) 9日 大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ) 10日 日月燈明仏(にちがつとうみょうぶつ) 11日 歓喜仏(かんぎぶつ) 12日 難勝仏(なんしょうぶつ) 13日 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) 14日 普賢菩薩(ふげんぼさつ) 15日 阿弥陀仏(あみだぶつ) 16日 陀羅尼菩薩(だらにぼさつ) 17日 龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ) 18日 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) 19日 光菩薩(にっこうぼさつ) 20日 月光菩薩(がっこうぼさつ) 21日 無盡意菩薩(むじんいぼさつ) 22日 施無畏菩薩(せむいぼさつ) 23日 大勢至菩薩(だいせいしぼさつ) 24日 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) 25日 文殊菩薩(もんじゅぼさつ) 26日 薬上菩薩(やくじょうぼさつ) 27日 盧遮那仏(るしゃなぶつ) 28日 大日如来(だいにちにょらい) 29日 薬王菩薩(やくおうぼさつ) 30日 釈迦如来(しゃかにょらい) となっている(https://yasurakaan.com/shingonshyu/sanjyunichihibutsu/)が、 特に身近な、お不動さま、お地蔵さま、観音さま、 等々は、 本来の縁日以外に下一桁の同じ日も縁日となっている、 とある(http://tobifudo.jp/newmon/gyoji/ennichi.html)。この由来は、西暦900年代、 中国の五台の頃に五祖山戒禅師が始めた、 とされ、 一日定光仏、二日燃灯仏、三日多宝仏、 等々の仏を毎日供養することで罪障消滅と祖先の冥福を祈ったことによる(仝上)とある。 一生の間不退転(ふたいてん)の位を期(ご)して阿閦仏の像を図絵し奉る(今昔物語)、 の、 阿閦仏、 は、 阿閦如来、 ともいい、梵語、 Akṣobhya-buddha、 で、 akṣobhyaの音写、 で、 瞋(いか)らないの意(デジタル大辞泉)、 不瞋恚(ふしんい)の意(世界大百科事典)、 とある。音写に、阿閦の他、 阿閦鞞、 阿閦婆、 阿芻鞞耶、 噁乞蒭毘也、 意訳に、 不動、 無動、 無怒、 無瞋恚(むしんに)、 がある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E9%96%A6%E4%BB%8F)。 東方妙喜世界に住する現在仏、 とされ(仝上)、 大乗仏教の初期に考えだされた仏、 とある(世界大百科事典)。147年漢訳の『阿閦仏国経』によると、 過去世に一比丘が東方の妙喜国Abhiratiにおいて大日如来の説法をきき、菩薩の誓願をおこし、不瞋恚の誓いをたて、大日如来から〈阿閦仏となるべし〉との予言をうけた。現在、妙喜国を支配する仏となり、衆生にはその浄土への往生が勧められる、 とある(仝上)。『法華経』化城喩品では、「大通智勝」で触れたように、 過去の大通智勝如来の十六王子の一人が阿閦仏として東方で成仏し、一人が阿弥陀仏として西方で成仏したことを説き、 『阿弥陀経』では、東方の諸仏の一人として、 阿閦鞞仏、 を挙げる。また『悲華経』では、 阿弥陀仏の本生である無諍念王(むじょうねんおう)の第九王子が現在の阿閦で、東方において成仏し国土を妙楽と号する、 と説き、『金光明経』では、 東方に阿閦、西方に無量寿が置かれる、 とあり、「阿閦仏」は、 東方に住する仏、 東方にあって、「大円鏡智」の徳を備える、 として定位置を占めるようになり、密教では、 金剛界五智如来(大日、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就)の一つで東方に住し、無冠で降魔の印を結び、東方に住して五智のうちの大円鏡智を表し、諸悪の煩悩を破壊し、菩提心を顕現する仏、 とされる(仝上・精選版日本国語大辞典)。 同じく初期大乗で登場した有力な現在他方仏である阿弥陀仏が『般若経』では言及されないことから、 阿閦仏と阿弥陀仏の信仰は異なるところで起こった、 とが推測されるとある(仝上)が、誓願・浄土・往生などの思想において、 阿弥陀仏思想、 と通ずるところがあり、そのため阿閦は阿弥陀仏思想の影にかくれた存在となっていく(世界大百科事典)。日本の仏教(主に真言宗と天台宗)では、 五大明王のうち東方に位置する降三世明王を阿閦如来の化身、 とし、また、同じく東方を仏国土とする、 薬師如来、 と同一視されることもある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%96%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5)とされる。 形像は、 結跏趺坐し、左手は衣の端を握って腹前におき、右手は指を下に伸ばす降魔印(ごうまいん)を結ぶ、 とある(https://www.butuzou-world.com/dictionary/nyorai/ashukunyorai/)。これは、 右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん、「降魔印:ごうまいん」とも)、 で、 釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%96%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5)。「降魔」については、「降魔の相」でふれた。 「阿閦仏」登場の由来については、「薩埵」で触れたように、 薩埵、 菩薩、 は、 梵語bodhisattvaの音訳、 で、 菩提薩埵(ぼだいさった)の略、 であり、仏教において、 菩提(bodhi、悟り)を求める衆生(薩埵、sattva)、 の意味とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9)、元来は、 仏教の創始者釈尊の成道(じょうどう 悟りを完成する)以前の修行の姿をさしている、 とされる(日本大百科全書)。だから、釈迦の死後百年から数百年の間の仏教の原始教団が分裂した諸派仏教の時代、『ジャータカ』(本生譚 ほんじょうたん)は、釈尊の前世の修行の姿を、 菩薩、 の名で示し、釈尊は他者に対する慈悲(じひ)行(菩薩行)を繰り返し為したために今世で特別に仏陀になりえたことを強調した(仝上)。故に、この時代、 菩薩はつねに単数、 で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊だけを意味した(仝上)。だから、たとえば、「薩埵」も、 釈迦の前身と伝えられる薩埵王子、 を指し、 わが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかける哉、 とある(宇治拾遺物語)「さた」は、 薩埵脱衣、長為虎食(「三教指帰(797頃)」)、 の意で、 釈迦の前生だった薩埵太子が竹林に身の衣装を脱ぎかけて餓虎を救うために身を捨てた、 という故事(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)で、法隆寺玉虫厨子の蜜陀絵にも見える(仝上)。しかし、西暦紀元前後におこった大乗仏教は、『ジャータカ』の慈悲行を行う釈尊(菩薩)を自らのモデルとし、 自らも「仏陀」になること、 を目ざした。で、 菩薩は複数、 となり、大乗仏教の修行者はすべて菩薩といわれるようになり(日本大百科全書)、大乗経典は、 観音、 弥勒、 普賢、 勢至、 文殊、 など多くの菩薩を立て、歴史的にも竜樹や世親らに菩薩を付すに至る(百科事典マイペディア)。で、仏陀を目ざして修行する菩薩が複数であれば、過去においてもすでに多くの仏陀が誕生しているとされ、薬師、阿弥陀、阿閦(あしゅく)などの、 多仏思想、 が生じ、大乗仏教は、 菩薩乗、 もいわれる(仝上)に至る。 |
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