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コトバ辞典


みこし入道


さてさて、あやうきことかな、夫(それ)こそ見こし入道にて候はん(百物語評判)、

にある、

見こし入道、

は、

背が高く、首が伸びる大入道の妖怪。人が見上げれば見上げるほど、背が高くなるといわれる、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、必ずしも、

首が伸びる大入道、

とは限らないようだ。

「見こし入道(にゅうどう)」は、

見越し入道、
見越入道、

とも当て、

大なる法師の、鉄棒を杖にしたる、

という像とあり(大言海)、

見上げ入道、
次第高、
高入道、
入道坊主、

等々の呼名もある(デジタル大辞泉)。

首が長く、背の高い入道姿で、金棒などを持っている妖怪。人が見上げれば見上げるほど背が高くなり、また首が長くなる(精選版日本国語大辞典)、

ともあるが、

路上に現れ、出会ったものが目線を上げるほど巨大化するとされる(デジタル大辞泉)、

ともある。市井雑談集(1764年)には、見越入道の出現と思って肝をつぶした著者に、

此の所は昼過ぎ日の映ずる時、暫しの間向ひを通る人を見れば先刻の如く大に見ゆる事あり是れは影法師也、初めて見たる者は驚く也、

と語ったとある(世界大百科事典)。

多くの伝承があるが、

夜道や坂道の突き当たりを歩いていると、僧の姿で突然現れ、見上げれば見上げるほど大きくなる、見上げるほど大きい、

から、

見上げ入道、

の名がついた。そのまま見ていると、死ぬこともあるが、

見こした、
みぬいた、
見越し入道みこした、

などと言えば消える、

とか、

見越し入道に飛び越されると死ぬ、喉を締め上げられる、

といいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E8%B6%8A%E3%81%97%E5%85%A5%E9%81%93、それで、

見こし入道、

ともいい、

主に夜道を一人で歩いていると現れることが多い、

とされ、

四つ辻、石橋、木の上、

等々にも現れる(仝上)というものである。

妖怪画では、鳥山石燕『画図百鬼夜行』の「見越」は、首が長めになっているが、これは背後から人を見る格好で、ろくろ首のように首の長さを強調していない(仝上)。

しかし、江戸時代のおもちゃ絵などに描かれたものは、

首の長いろくろ首かとさえ思える見越し入道、

も決して珍しくない(仝上)し、十返舎一九『信有奇怪会』では、

首の長い見越し入道、

が描かれている(仝上)。

この首の長さは、時代を下るにつれて誇張され、江戸後期には、

首がひょろ長く、顔に三つ目を備えているものが定番、

となり、妖怪をテーマとした江戸時代の多くの草双紙でも同様に首の長い特徴的な姿で描かれ、その容姿から、

妖怪の親玉、

として登場する(仝上)、とある。

多く、

入道、
坊主、

とあることについては、

土着の信仰に根ざす生活をしていた日本人は、仏教に対して畏敬の念を持ちながらも、忌避の感情を捨てきれず、村落の外から入ってくる僧侶を異形(いぎよう)の者として畏怖の念を抱いていたので、そうした感情が複合して、入道ということばは、種々の妖怪と結びつけられるようになった。あいきょうもある小僧・小坊主に対して大入道は妖怪変化の王であり、見越(みこし)入道のように、仰ぎ見ればどこまでも大きくなっていく怪物などが語り伝えられた、

とあり、

入道は強大であるが、どこかうさんくさく得体の知れないものと感じられているが、それは日本人の仏教に対する感情の深層の反映でもあろう、

と説かれている(世界大百科事典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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彭侯


併しながら草木に精なきといふにはあらず。又草木の精もこだまと申すべし。唐土(もろこし)にても彭侯(ほうこう)と云ふ獣(けだもの)は、千歳を経し木の中にありて、状(かたち)、狗(いのこ)の如しと云へり(百物語評判)、

にある、

彭侯、

は、

古代中国で信じられた、樹木に宿る妖精、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。上記「百物語評判」では、つづいて、

むかし呉の敬淑(けいしゅく 陸敬淑)と云ひし人、大いなる樟樹(くすのき)をきりしに、木の中より血ながれ出で、あやしみ見れば、中に獣有りしが、彭侯ならんとて、煮て喰らひしに、味ひ狗のごとしといふ事、『捜神記』に見えたり。是れ、ただちに樹神(こだま)なるべし(仝上)、

とある(仝上)。『捜神記』は、

4世紀に東晋の干宝(かんぽう)が著した志怪小説集、

だが、干宝は、

当代一流の学者・文章家で、超自然的な摂理の虚妄でないことを明らかにしようとして本書を著した、

とされ、

神仙、方士(ほうし)、占卜(せんぼく)、風神、雷神など天地の神々、吉兆、凶兆、孝子烈女、妖怪(ようかい)、異婚異産、死者の再生、幽鬼幽界、動物の報恩復仇(ふっきゅう)、

等々多彩な内容で、

中国の説話の宝庫、

とされ、唐代の伝奇など、後世の小説に題材を提供した(日本大百科全書)とされる。同書によれば、中国の聖獣・白沢が述べた魔物などの名を書き記した、

白沢図、

の中に、彭侯の名があると記述している。

「彭侯」は、江戸時代の日本にも伝わっており、上記に引用した、怪談集、

古今百物語評判、

のほか、江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)、

和漢三才図絵(わかんさんさいずえ 寺島良安)、

鳥山石燕による妖怪画集、

今昔百鬼拾遺、

にも中国の妖怪として紹介されている。

『和漢三才図会』では『本草綱目』からの引用として、彭侯を、

木の精、
または、
木魅(木霊)、

としているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%AD%E4%BE%AFが、山中の音の反響現象である山彦は、

木霊(木の霊)が起こす、

と考えられたことから、かつて彭侯は山彦と同一視されることもあった。江戸時代の妖怪画集である『百怪図巻』や『画図百鬼夜行』などにある、犬のような姿の山彦の妖怪画は、この彭侯をモデルにしたという説もある、とされる(仝上)。

鳥山石燕は、『画図百鬼夜行』で、「木魅」を、

百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ、

と記し(画図百鬼夜行)、「彭侯」を、

千歳(ざい)の木には精あり、状(かたち)黒狗(くろいぬ)のごとし。尾なし、面(おもて)人に似たり。又山彦とは別なり、

と、「彭侯」と「木魅」は、重ねながら、「山彦」とは、区別している。

「こだま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/433340757.htmlで触れたように、「こだま」は、

木霊
とか
木魂
とか
木魅
とか


と当て、

樹木の精霊、
やまびこ、反響、
歌舞伎囃子の一つ。深山または谷底のやまびこに擬す、

とある(広辞苑)。語源は、

「木+タマ(魂・霊)」

とある。

木の精霊、やまびこのこと。反響を。タマシイの仕業と見ている言葉、

とある(仝上)。和名類聚抄(平安中期)には、

文選、蕪城賦云、木魅、山鬼、今案、木魅、即、樹神也、内典云、樹神、古太萬、

とある。

「やまびこ」は、

山彦、

と当て、

山の神、山霊、
山や谷などで、声、音の反響すること、

とあり、語源は、

山+ヒコ(精霊・彦・日子)、
山響(やまひびき)、

で、山間での音の反響を指す。こう見ると、鳥山石燕のいうように、、

樹木の精霊

山霊

とは同義かどうかは疑問になる。箋注和名抄(江戸後期)は、「木魅」を、

涅槃経、如来性起品に見ゆる、樹神の文意を考ふるに、葉守の神にて、こだまにあらず、こだまは、天狗の類にて、木魅を充つるを、近しとすとあり(諸書に、樹神(こだま)とあるは、和名抄に據れるなり)、

としているが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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つるべおろし


それは俗にいへるつるべおろしと云ふ、ひかり物なり(百物語評判)、

とある、

つるべおろし、

は、

垂直に上下する妖怪、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、本文は続いて、

其の光り物は大木の精にて、即ち木生火(もくしょうか 五行相生説では木は火を生ずる)の理なり。さて昼も顕はれず、わきへも見えざる事は、火は暗きを得て色をまし、明らかなるにあひて光を失ふ。常の事なり。就中(なかんずく)、木の下の暗き所にあらはれ見ゆるなるべし。(中略)其の火のうちにて陰火(いんか)、陽火(ようや)のわかちあり、陽火は物を焼けども、陰火は物を焼くことなし。(中略)此のつるべおとしとかやも、陰火なり、

と解釈している(百物語評判)。

「つるべ」とは、

釣瓶、

と当て、言うまでもなく、

縄や竿の先につけて井戸の水をくみ上げる桶、

をいい、

つるべおけ、

ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。後には、

滑車の先に桶を結び桶の重さを利用して水を汲み上げる、

スタイルとなるが、

豊玉姫の侍者玉の瓶(ツルヘ)を以て水を汲む(神代紀)、

とあるように古くから使われている。

瓶を使う井戸を、

釣瓶井戸、

といい、縄を付け滑車にかけて使う釣瓶を、

縄釣瓶、

といい、

二岐釣瓶 縄の両端に付けて上部の滑車で交互に上げ下げする釣瓶、
竿釣瓶 竹竿の片方に水かごを付けて上げ下げする釣瓶、
はね釣瓶 竹竿の片方に重石を付けて上げ下げする釣瓶、
投げ釣瓶 縄の一端に付け一方の端を持って水中に投げ込む釣瓶、

といった種類があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E7%93%B6らしい。

「つるべ」の語源は、

吊瓶(つるへ)の義(大言海)、
ツル(蔓)へ(瓶)の意(岩波古語辞典)、

とされ、

連るぶ、

とし、

続けざま、

という意とするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E7%93%B6ものもあるが、それは滑車を使うようになってのことではないか。

釣瓶落とし・釣瓶下し、
あるいは、
釣瓶おろし、

という言い回しは、釣瓶を井戸へ落とす感覚でわかるが、

釣瓶打ち・連るべ打ち、

というのは、滑車のそれで、手でくみ上げている感覚とは程遠い気がする。和名類聚抄(平安中期)には、

罐、楊氏漢語抄云、都留閇、汲水器也、

とある。

「つるべおろし」は、

釣瓶下ろし、

と当てるが、

釣瓶落とし(つるべおとし)、

ともいい、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、

釣瓶火(つるべび)、

としている(鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』)が、これは、上記『百物語評判』で、

西岡の釣瓶おろし、

として、

京都西院の火の玉の妖怪が描かれたもの、

が原典としているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%A3%E7%93%B6%E7%81%ABとある。

木の精霊が青白い火の玉となってぶらさがったもの、

とする見方があるようである(仝上)が、

通行人が通ると木の上から降りてきて、食べてしまうという妖怪、

または、

大きな釣瓶を落として通行人を掬い、食べてしまう、

とも言われているhttps://mouryou.ifdef.jp/100wa-mi/tsurube-otoshi.htm

参考文献;
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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富楼那(ふるな)の弁


浄土の荘厳(しょうごん)のおごそかなるさま、独り来て独り行くのことわり、富楼那の弁をかつて一時ばかり説き聞かせ給ふほどに(新御伽婢子)、

にある、

富楼那の弁をかつて、

とは、

釈迦十大弟子のうち、弁舌第一といわれた、富楼那(ふるな)のような巧妙な弁舌を駆使して、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、上記の、

独り来て独り行く、

は、

人の死の道理、

の意とある(仝上)。

富楼那 ( ふるな )の弁、

とは、

弁舌第一といわれた富楼那のような巧妙な弁舌、

の意で、

すらすらとよどみなくしゃべる、

ことのたとえとして使われ(精選版日本国語大辞典)、

舎利弗が知恵、富楼那の弁舌、なほし及ぶところにあらず(宝物集)、
阿難の才覚、舎利弗の知恵、富楼那の弁舌にて(風姿花伝)、

などと、

富楼那の弁舌、舎利弗(しゃりほつ)の知恵、目連(もくれん)が神通、

という言い方もする(故事ことわざの辞典)。

巧みでよどみない話術の富楼那、知恵のすぐれた舎利弗、何でもできる力を具えた目連、

と、

十大弟子の長所をいうが、それを包み込む、

釈迦の教え、

の広大であることの謂いでもある(仝上)。最初期には特定の弟子はいなかったとされるが、大乗経典では十大弟子の呼称が固定し、

舎利弗(しゃりほつ 智慧第一)、
目犍連(もくけんれん 略して目連 神通力(じんずうりき)第一)、
摩訶迦葉(まかかしょう 頭陀(ずだ(苦行による清貧の実践)第一)、
須菩提(しゅぼだい 解空(げくう すべて空であると理解する)第一)、
富楼那(ふるな 説法第一)、
迦旃延(かせんねん 摩訶迦旃延(まかかせんねん)とも大迦旃延(だいかせんねん)とも、論議(釈迦の教えを分かりやすく解説)第一)、
阿那律(あなりつ 天眼(てんげん 超自然的眼力)第一)、
優婆(波)離(うばり 持律(じりつ 戒律の実践)第一)、
羅睺羅(らごら 羅睺羅(らふら) (密行(戒の微細なものまで守ること)第一)、
阿難(あなん 阿難陀 多聞(たもん 釈迦の教えをもっとも多く聞き記憶すること)第一)、

をいう(日本大百科全書、https://true-buddhism.com/founder/ananda/他)。

「富楼那」は、正式には、

富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)、

で、

パーリ語でプンナ・マンターニープッタ(Puṇṇa Mantānīputta)、
サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyanīputra)、

略称として、

富楼那、

他の弟子より説法が優れていたので、

説法第一、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%A4%A7%E5%BC%9F%E5%AD%90。音写では、

富楼那弥多羅尼弗多羅、

とも表記するが、

弥多羅尼(ミトラヤニー)とは母親の名であり、弗多羅(プトラ)は「子」、

を意味する。漢訳では、

満願子、
満願慈、
満足慈、
満厳飾女子、
満見子、

等々と記されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%A5%BC%E9%82%A3

「富楼那」は、

十大弟子の中では一番早く弟子となった人、

で、富楼那と呼ばれた人は複数いたとされるが、

各地に赴き、よく教化の実を挙げ、9万9000人の人々を教化した、

とも伝えられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%A5%BC%E9%82%A3。なお、法華経(授記品)に、

佛告諸比丘、汝等見是富楼那彌多羅尼子不、我常稱其於説法人中、最為第一、

とある。

「富楼那」については、https://true-buddhism.com/founder/punna/に詳しい。

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八功徳水


西方にあり、八功徳水(はちくどくすい)といふ(新御伽婢子)、

の、

八功徳水、

は、

はっくどくすい、

とも訓ませるが、

極楽浄土にある七宝の池、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。阿弥陀経に、

また舎利弗、極楽国土には七宝(しっぽう)の池あり。八功徳水(はっくどくすい)そのなかに充満(じゅうまん)せり。池の底にはもつぱら金(こがね)の沙(いさご)をもつて地(じ)に布(し)けり。四辺の階道(かいどう)は、金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻璃(はり)合成(ごうじょう)せり。上に楼閣(ろうかく)あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)をもつて、これを厳飾(ごんじき)す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色(しょうしき)には青光(しょうこう)、黄色(おうしき)には黄光(おうこう)、赤色(しゃくしき)には赤光(しゃっこう)、白色(びゃくしき)には白光(びゃっこう)ありて、微妙(みみょう)香潔(こうけつ)なり、

とあるのを指しhttp://www.smj.or.jp/posts/houwa907.html

その(七宝の池)中に充満せり。その水清く涼しくて味(あぢはひ)甘露の如し(孝養集)、

とある、「七宝の池」は、

宝池をよめるはちす咲くたからの池にうく舟のまづ面影に浮びぬるかな(「草庵集(1359頃)」)、

と、

宝(たから)の池、

ともいい、

極楽浄土にある七宝で飾られた池で、そこには八功徳の水がたたえられている、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「八功徳水」は、

八つの功徳を持つといわれる霊水、

をいうが、

八池水、
八定水、
八昧水、
八支徳水、

ともいいhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AB%E5%8A%9F%E5%BE%B3%E6%B0%B4、親鸞が、

七宝(しっぽう)の宝池(ほうち)いさぎよく 八功徳水(はっくどくすい)みちみてり 無漏(むろ)の依果(えか)不思議なり 功徳蔵(くどくぞう)を帰命(きみょう)せよ(浄土和讃)

と称えており、無量儒経には、

八功徳水、湛然盈満、清浄、香潔、味如甘露、

とあるが、その「八つの功徳」については、たとえば、

清、冷、軽、美、香、飲む時に適う、飲み已(をは)って患(うれへ)なし、臭からず、

の八種とあり(岩波古語辞典)、書言字考節用集(1717)には、

清浄、清冷、甘美、軽輭、美、香、飲無厭、潤沢、安和、飲時除飢渇一切患、飲已長養四大、

とあるが、「八つの功徳」は、経典によって異なり、倶舎論(くしゃろん)は、

須弥山をとりまく七内海に満ちる水、

として、

七中皆具八功徳水。一甘。二冷。三軟。四輕。五清淨。六不臭。七飮時不損喉。八飮已不傷腹、

と、

甘・冷・軟・軽・清浄・不臭・飲時不損喉(のどを損しない)・飲已不傷腹(腹を痛めない)、

の八徳としhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AB%E5%8A%9F%E5%BE%B3%E6%B0%B4

『称讃浄土経』(『仏説阿弥陀経』の異訳)は、

何等名爲八功徳水。一者澄淨、二者C冷、三者甘美、 四者輕輭、五者潤澤、六者安和、七者飮時除飢渇等无量過患、 八者飮已定能長養諸根四大、揄v種種殊勝善根、

と、

澄浄(ちょうじょう 澄み切っていて、底まで明らかに見える)・清冷(しょうりょう 清くて冷たい)・甘美(かんみ 甘くて美味しい)・軽軟(きょうなん 軽くて軟(やわ)らかい)・潤沢(じゅんたく 色艶があって、よく潤す)・安和(あんわ 身にも心にも心地が良い)・飲む時飢渇(きかつ)等の無量の過患(かげん)を除く(飲むと飢えや病気をいや)・飲み已(おわ)りて定(さだ)んで能(よ)く諸根(しょこん)四大(しだい)を長養(ちょうよう)し種々の殊勝の善根を増益(ぞうやく)す(飲むと心身を健やかに育てる)、

とするhttp://shinshu-hondana.net/knowledge/show.php?file_name=hakkudokusui

『観経疏』(善導 ぜんどう)には、

此水即有八種之コ。一者C淨潤澤、即是色入攝。二者不臭、即是香入攝。三者輕。四者冷。五者輭、即是觸入攝。六者美、是味入攝。七者飮時調適。八者飮已無患、是法入攝。此八コ之義已在『彌陀義』中廣説竟。

と、

清浄(しょうじょう)・潤沢(にんたく 清浄で光っている)・臭(くさ)からず・軽(かろ)し・冷(すず)し・軟やわらか・(やわらかい)・美(うま)し・(甘美かんびである)飲む時調適(じょうちゃくす 飲んでいるときに心地がよい)・飲みをはりて患(うれひ)なし、

とあるhttp://www.smj.or.jp/posts/houwa907.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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化生


いかさま化生(けしょう)の類ならんと、恐れてすすまず(新御伽婢子)、

化生、

は、

変化、幽霊の類、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

化生、

は、

かせい、

と訓ませると、

汝天地の中に化生して(太平記)、

と、

形を変えて生まれること、

の意味で、

化身に同じ、

ともあり(広辞苑)、また、

変質形成、

の意で、

赤星病にかかったナシの葉での海綿組織から柵(サク)状組織への変化、

のように、

ある特定の器官に分化した生物の組織・細胞が再生や病理的変化に伴って著しく異なった形に変化する、

意で使う(大辞林)。また、

水面無風帆自前、徒弄化生求子戯(玩鴎先生詠物百首(1783)・泛偶)、

と、西域から中国に伝わった風俗の、

七夕の日に、女性が子を得るまじないとして水に浮かべる蝋作りの人形、

の意味もある(精選版日本国語大辞典)。

けしょう、

と訓ませると、

無而忽現、名化生(瑜加論)、

と、仏語の、

四生の一つ、

で、

湿生化生(ケシャウ)はいさ知らず体を受けて生るる者、人間も畜生も出世のかどは只一つ(浄瑠璃「釈迦如来誕生会(1714)」)、

と、

母胎や卵殻によらないで、忽然として生まれること、

をいい、

天界や地獄などの衆生の類、

を指す(精選版日本国語大辞典)。

「四生」(ししょう)は、「六道四生」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486172596.htmlで触れたように、生物をその生まれ方から、

胎生(たいしょう 梵: jarāyu-ja)母胎から生まれる人や獣など、
卵生(らんしょう 梵: aṇḍa-ja)卵から生まれる鳥類など、
湿生(しっしょう 梵: saṃsveda-ja)湿気から生まれる虫類など、
化生(けしょう upapādu-ka)他によって生まれるのでなく、みずからの業力によって忽然と生ずる、天・地獄・中有などの衆生、

の四種に分けた(岩波仏教語辞典)ひとつ。その意味から、

後時命終。悉生東方。宝威徳上王仏国。大蓮華中。結跏趺坐。忽然化生(「往生要集(984〜85)」)、

と、

極楽浄土に往生する人の生まれ方の一つ、

として、

弥陀の浄土に直ちに往生すること、

の意、さらに、

其の柴の枝の皮の上に、忽然に彌勒菩薩の像を化生す(「異記(810〜24)」)、

化身、
化人、

の意で、

仏・菩薩が衆生を救済するため、人の姿をかりて現れること、

の意として使うが、ついには、

まうふさが打ったる太刀もけしゃうのかねゐにて有間(幸若「つるき讚談(室町末‐近世初)」)、

と、

ばけること、

の意となり、

化生のもの、
へんげ、
妖怪、

の意で使われるに至る(精選版日本国語大辞典・広辞苑・大辞林)。で、

化生の者(もの)、

というと、

ばけもの、
へんげ、
妖怪、

の意の外に、それをメタファに、

美しく飾ったり、こびたりして男を迷わす女、

の意でも使う。

「化」(漢音カ、呉音ケ)は、

左は倒れた人、右は座った人、または、左は正常に立った人、右は妙なポーズに体位を変えた人、いずれも両者を合わせて、姿を変えることを示した会意文字、

とある(漢字源)が、別に、

会意。亻(人の立ち姿)+𠤎(体をかがめた姿、又は、死体)で、人の状態が変わることを意味する、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%96

会意形声。人と、𠤎(クワ 人がひっくり返ったさま)とから成り、人が形を変える、ひいて「かわる」意を表す。のちに𠤎(か)が独立して、の古字とされた、

とか(角川新字源)、

指事文字です。「横から見た人の象形」と「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から「人の変化・死にさま」、「かわる」を意味する「化」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji386.htmlとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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偕老のふすま


夜半の鐘に枕をならべては、偕老のふすまをうれしとよろこび、横雲の朝(あした)に鳥の鳴く時は、別離の袂をしぼりて、悲しとす(新御伽婢子)、

の、

偕老のふすま、

は、

夫婦共に老いるまで連れ添おうという、睦まじいかたらい、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、「ふすま」は、前に触れたように、

衾、
被、

と当てるかつての寝具で、

御ふすままゐりぬれど、げにかたはら淋しき夜な夜なへにけるかも(源氏物語)、

と、

布などで作り、寝るとき身体をおおう夜具、

で(広辞苑)、雅亮(満佐須計 まさすけ)装束抄(平安時代末期の有職故実書)には、

御衾は紅の打たるにて、くびなし、長さ八尺、又八幅か五幅の物也、

とあるように(一幅(ひとの)は鯨尺で一尺(約37.9センチ))、

八尺または八尺五寸四方の掛け布団、袖と襟がない、

とある(岩波古語辞典)が、

綿を入れるのが普通で、袖や襟をつけたものもある(日本語源大辞典)とある。そうなると、袖のついた着物状の寝具、

掻巻(かいまき)、

に近くなる。『観普賢経冊子(かんふげんきょうさっし)』(平安時代)の図を見ると、余計にそう見える。また、

御張台(みちょうだい)に敷く衾は、紅の打(うち)で襟のついていないもの、襟にあたるところに紅練糸(ねりいと)の左右撚(よ)り糸で三針差(みはりざし)といって縫い目の間隔を長短の順に置いた縫い方をする、

ともある(雅亮装束抄)。この起源を、日本書紀の天孫降臨の際に本文に、

高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を「真床追衾」を以て覆い、天磐座を放ち天八重雲を排分けて降臨させたとあり、一書では高皇産霊尊が瓊瓊杵尊に「真床覆衾」を着せて、天八重雲を排分けて、天下し奉ったことに由来する、

という説があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%BE。平安時代などには、結婚時に、夫婦となった二人にこれを掛ける、衾覆い(同衾)という儀式に使われることもあった(仝上)という。

その意味では、

偕老のふすま、

は、

偕老同衾、

と、ほぼ同義と見ていい。

「偕老」は、

老を偕(とも)にするの意、

で、

夫婦が老年になるまで、生活を共にすること、
また、
その仲がむつまじいこと、

をいうが、ほぼ同義の、

偕老同穴、

は、「同穴」が、

死んで穴を同じくして葬られること、

から、

生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる、

意に対して、「偕老のふすま」は、

生きては共に老い、

に意味の比重がある、という違いだろう。

偕老同穴は、詩経・邶風・撃鼓の、

死生契闊、與子成説、執子之手、與子偕老(子(し)の手を執りて子と偕(とも)に老いん)、

や、

詩経・王風・大車の、

穀(=生)則異室、死則洞穴(穀(い)きては則ち室を異にすとも、死しては則ち穴を同じうせん)、

等々を典拠とし(字源)、

生きては共に老い、死しては墓穴を同じくして葬られる、

意で、

偕老の契(ちぎ)り、
同穴の契り、

という言い方もする。

因みに、この「偕老同穴」にちなむ名を持つ、

カイロウドウケツ科の六放海綿類の一群、

がある。

単体で円筒状で、全長三〇〜八〇センチ。広い胃腔をもつ。上端の口は半球状に膨出した節状板で覆われ、ガラス質の骨格は格子状、下端は延びて長い根毛になり深海底に立つ。胃腔中にドウケツエビがすみ、多く雌雄一対が共にいることからこのエビに「偕老同穴」の名がつき、のち海綿の名となった、

とある(広辞苑)。

しかし、「偕老洞穴」という言葉に、むしろ、

老妻の我を覩(み)る顔色(がんしょく)同じ(百憂集行)、

という一節を、ふと、思い出す。杜甫は嘆く、

即今倐忽已五十(即今倐忽(しゅくこつ)にして已(すで)に五十)
坐臥只多少行立(坐臥(ざが)のみ只だ多くして行立(こうりゅう)少(まれ)なり)
将笑語供主人(強(し)いて笑語(しょうご)を将(もっ)て主人に供し)
悲見生涯百憂集(悲しみ見る生涯に百憂(ひゃくゆウ)の集まるを)
入門依旧四壁空(門に入れば旧に依って四壁(しへき)空(むな)し)
老妻覩我顔色同(老妻の我を覩(み)る顔色(がんしょく)同じ)
痴児未知父子礼(痴児(ちじ)は未だ父子(ふし)の礼を知らず)
叫怒索飯啼門東(叫怒(きょうど)して飯(はん)を索(もと)め 門東に啼く)

http://itaka84.upper.jp/bookn/kansi/265.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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家に杖つく


我にひとしき他国の男一人ありて、家に杖つくばかりの老人にむかひ、物がたりする有り(新御伽婢子)、

のある、

家に杖つく、

は、

五十歳をさす、

と(高田衛編・校注『江戸怪談集』)あり、

五十杖於家、六十杖於郷、七十杖於国、八十杖於朝(「礼記」王制)、

を引く。

昔、中国では五十歳になると、家の中で杖をつくことを許された、

とある(精選版日本国語大辞典)。

六十歳は村里で杖をつくことが許され、
七十歳は国都で杖をつくことが許され、
八十歳以上の老臣には天子が杖を賜わり、朝廷で杖をつくことが許された、

ということらしい。で、七十歳を指して、

国中どこでも杖を突くことを許された、

という意味で、

国に杖突く、

という言い方もある。『論語』には、

郷人飮酒、杖者出、斯出矣(郷人(きょうじん)の飲酒するときは、杖者(じょうしゃ)出(い)ずれば、斯(すなわ)ち出(い)ず)、

と、

杖者、

とあり、

六十歳以上の老人、

と注記がある(貝塚茂樹訳注『論語』)。郷で杖を突く以上の年齢という意味になる。

「いへ(え)」は、

家族の住むところ、家庭・家族・家柄・家系をいうのが原義。類義語ヤ(屋)は、家の建物だけをいう(岩波古語辞典)、
上代の文献では「家屋」はヤと表現されることが多く、イエ(いへ)はむしろ「家庭」の意味合いが強かった(精選版日本国語大辞典)、

とあり、ハードよりソフトを指していたと思われ、和名類聚抄(平安中期)に、

家、人所居處也、伊閉、

とある。その語源は、

イホ(盧)と同根か(岩波古語辞典)、
寝戸(いへ)の義(へ(戸)は乙類)にて、宿所の意かと云ふ(大言海・日本語源広辞典・家屋雑考)、
イ(一族)+へ(隔て、甲類へ)、一族を隔てるもの、一族を仕切るものもの意(日本語源広辞典)
イヘ(睡戸)の義(日本語原学=林甕臣)、
「い」は接頭語で「へ」は容器を意味し、人間を入れる器を表す(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イハ(岩)の転、フエ(不壊)の意(和語私臆鈔)、

等々諸説あるが、「いへ」が、ハードではなくソフトを意味したとすると、「器」説は消えるように思う。

「つゑ(え)」は、

丈、

とも当てるが、

突居(ツキスヱ)の略、或いは突枝(ツキヱ)の略、ツの韻よりキヱはゑに約まる(大言海・日本語源広辞典)、
ツクヱダ(突枝)の義(和句解・日本釈名)、
ツはツク(突・衝)の語幹、ヱはエ(枝)の転(日本古語大辞典=松岡静雄・国語の語根とその分類=大島正健)、
ツキ--ヲエ(小枝)の義(雅言考)、

と諸説あるものの、ほぼ「つく」に絡ませている。

「家」(漢音カ・コ、呉音ケ・ク)は、

会意文字。「宀(やね)+豕(ぶた)」で、大切な家畜に屋根をかぶせたさま、

とある(漢字源)。ただ、別に、

「豕」は生贄の犬で、建物を建てる際に犠牲を捧げたことによる(白川静)、

とする説もありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%B6、同趣旨の、

会意。宀と、豕(し いけにえのぶた)とから成る。もと、いけにえをささげて祖先神を祭る「たまや」の意を表した。ひいて、「いえ」の意に用いる、

とする説(角川新字源)の他に、

会意文字です(宀+豕)。「家の屋根・家屋」の象形と「口の突き出ている、いのしし」の象形から「いのしし等のいけにえを供える神聖な所」を表し、そこから、そこを中心とする「いえ」を意味する「家」という漢字が成り立ちました、

とするものもあるhttps://okjiten.jp/kanji265.html

「杖」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。丈は「十+攴(て)」の会意文字で、手尺の幅(尺)の十倍の長さをあらわす。杖は「木+丈」で、長い棒のこと、

とある(漢字源)。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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黄泉


自ら参り侍らんが、司録神(しろくじん)に申せし暇(いとま)の限りは近ければ、又黄泉(よみじ)に帰るなり(新御伽婢子)、

にある、

黄泉、

を、

よみじ、

と訓ませているが、これは、

黄泉路、
冥途、

とも当て、

黄泉よみへ行く路、
冥土へ行く路、

の意(広辞苑・日本語の語源)で、また、

冥土、
あの世、

そのものをも指し、

よみ(黄泉)、

と同義でも使う(仝上)。因みに、司録神の「司録」は、

司命(しみょう)、

ともに、

閻魔庁(えんまのちょう)の書記官をいい、

閻魔卒(えんまそつ)、

は、閻魔に仕えて罪人を責める獄卒で、閻魔付きの鬼である。

黄泉、

は、漢語で、

こうせん、

と訓み、

中国で、「黄」は地の色にあてるところから、

蚓上食槁攘(乾土)、下飲黄泉(孟子)、

と、

地下の泉、

の意だが、転じて、

誓之曰、不及黄泉、無相見也(左伝)、

と、

使者の行くところ、
よみじ、
冥途、

の意でも使う(字源)。

黄泉、

を当てた、和語、

よみ、

は、

下方、
黄泉、

と当てて、

したへ
したべ、

と訓ませ、

下の方の意、

で、

稚(わか)ければ道行き知らじ幣(まひ (謝礼の)贈物、まいない)は為(せ)む黄泉(したへ)の使負(つかひお)ひて通(とほ)らせ(万葉集)、

と、

死者の行く世界、
黄泉、

の意で使う。「よみ」を、

泉下、
九泉、

というのに通じる(大言海)。

さて、和語「よみ」は、

ヤミ(闇)の転か。ヤマ(山)の転とも(広辞苑)、
ヤミ(闇)の轉(仙覚抄・万葉集類林・冠辞考続貂・言元梯・国語の語根とその分類=大島正健・神代史の新研究=白鳥庫吉)、
ヨモツ(黄泉)のヨモ(ヨミの古形、ツは連帯助詞)の転、ヤミ(闇)の母音交替形(岩波古語辞典)、
夜見(ヨミ)の義にて、暗き處の意、夜の食國(ヲスクニ)を知ろしめす月読命(つくよみのみこと)のよみも夜見か、闇(やみ)と通ず(大言海)、
梵語Yami、中国語ヨミ(預見)で閻魔または夜摩の訛転(外来語辞典=荒川惣兵衛)、

と(なお、「よもつ」は、「つ」は「の」の意の格助詞。「黄泉(ヨミ)の」の意(日本国語大辞典・大辞林)で、「よもつ国」「よもつ醜女(しこめ)」「黄泉つ平坂(ひらさか)」「黄泉つ竈食(へぐい 黄泉の国のかまどで煮炊きしたものを食うこと、黄泉の国の者となることを意味し、現世にはもどれなくなると信じられていた)」「黄泉つ軍(いくさ)」「黄泉つ神(かみ)」「黄泉つ国(くに)=よみ(黄泉)」などと使う)、ほぼ、

死者の魂が行くという地下の世界をヤミ(闇)といった。「ヤ」が母交(母音転換)[ao]をとげてヨミ(夜見、黄泉)の国に転音し、そこへ行く道をヨミヂ(冥途)といった(日本語の語源)、

と、

闇(やみ)、

に収斂する。だから、

よみじ、

も、

ヤミジ(闇路)の義(日本釈名・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、
ヨミヂ(夜見地)の義(柴門和語類集)、
ヨミト(泉門)の転(河海抄)、

と、「よみ」の説の延長にある。

因みに、古事記で、

イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、黄泉国に入った、

という、

黄泉国の出入口を、

黄泉比良坂(よもつひらさか)、

といい、出雲国に存在する、

伊賦夜坂(いぶやざか)、

に擬されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B3%89。また、出雲国風土記では、

黄泉の坂・黄泉の穴、

とあり、

人不得不知深浅也夢至此磯窟之辺者必死、

とされ、

猪目洞窟(出雲市猪目町)、

に比定されている(仝上)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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盂蘭盆会


文月(ふみづき)は、諸寺より始めて、在家に至って、盂蘭盆会の仏事を営み、なき人の哀れをかぞへて、しるしの墓に詣でて(新御伽婢子)、

にある、

盂蘭盆会、

は、

梵語ullambana、倒懸(とうけん)と訳され、逆さ吊りの苦しみの意とされるが、イランの語系で霊魂の意のurvan、

とする説もあり(広辞苑)、また最近では、

盂蘭盆を「ご飯をのせた盆」である、

とする説(辛嶋静志)もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86%E4%BC%9A

「盂蘭盆会」は、また、

盂蘭盆供(供(く)を読まず)、

とも言い、略して、

盂蘭盆、
うらんぼん、

さらに略して、

盆、
お盆、

また、

歓喜会、
精霊会(しようりようえ)、
魂祭(たままつ)り、
盆祭、

等々とも言い(大言海・日本国語大辞典他)、

盂蘭盆経の目連(もくれん)説話、

に基づき、もと中国で、

苦しんでいる亡者を救うための仏事で七月一五日に行われた、

が、日本に伝わって、

初秋の魂(タマ)祭りと習合し、

祖先霊を供養する仏事、

となった(大辞林)。江戸時代からは、

一三日から一六日、

にかけて行われ、現在では、一三日夜に迎え火をたいて霊を迎えいれ、一六日夜に送り火で霊を送る。

ふつう、迎え火をたいて死者の霊を迎え、精霊棚(しようりようだな)を作って供物をそなえ、僧による棚経(たなぎよう)をあげ、墓参りなどをし、送り火をたいて、霊を送る、

が、現在は、地方により陰暦で行う所と、一月遅れの八月一五日前後に行う所とがある(大辞泉・日本国語大辞典)。因みに、棚経とは、

お盆の時期に菩提寺の住職が、檀家の家を一軒一軒訪ね、精霊棚(しょうりょうだな)や仏壇の前でお経を読むこと、

をいい、棚経の棚とは、

精霊棚(盆棚 お盆に仏壇の前に設置する供養の棚)、

をいうhttps://www.bonchochin.jp/bonchochin3-5.html

ただこの行事の典拠になった、

盂蘭盆経、

は、

西晋の竺法護(じくほうご)訳の経典と伝えるが、インドに素材を求めた後代の中国偽経、

で、釈迦の十大弟子の一人、

目連が餓鬼道の母を救う孝行説話が中心、

となり(仝上)、たとえば、

(目連)法眼を以て、其亡母の、地獄の餓鬼道に在りて、頭下足上(づげそくじゃう)の苦を受け居るを見て、救はむことを釈迦に請ひ、其教に因りて、餓鬼に施さむの心にて、七月十五日、百味の飲食(おんじき)を供へて衆僧に供養し、母の倒(さかしま)に懸かるを解かむ(解倒懸(げたうけん)と云ふ)としたりと云ふ、十六日に行ふは、僧の自恣の日を期したるなるべし、

とある(大言海)。「頭下足上」は、

地獄へ堕ちてゆく時は頭を下にして、足を上にして真っ逆様に落ちてゆく、

のをいい、

頭下足上にして二千年を経て下に向かいて行けども、いまだ無間地獄に至らず、

というように、落ち続けている状態であるhttp://aki-ryusenji.jugem.jp/?eid=271

また、「自恣」とは、

一般に夏安居(げあんご)の最後の日(七月一五日)に、集会した僧が安居中の罪過の有無を問い、反省懺悔(ざんげ)しあう作法、

で(精選版日本国語大辞典)、「安居」とは、

仏教の出家修行者たちが雨期に1か所に滞在し、外出を禁じて集団の修行生活を送ること、