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コトバ辞典


ゆかし


又ぐしたてまつりたりしかば、なりはてんやうゆかしくて、思もかけず(宇治拾遺物語)、

にある、

ゆかし、

は、

知りたい、

という意味になる(中島悦次校注『宇治拾遺物語』拾遺)。「ゆかし」は、口語の、

ゆかしい、

で、

床しい、
懐しい、

等々と当てるが、当て字である。「ゆかし」は、

行か+し、

で(日本語源広辞典)、

行(ゆ)くの形容詞形、

であり、

良いことが期待される(岩波古語辞典)、
心が行きたい状態になる(日本語源広辞典)、
心、往かむとする意(大言海・本朝辞源=宇田甘冥)、
ゆか(往)しき義(名言通)、
ゆかまほしの略(志不可起)、
ユカシムルの義(日本語源=賀茂百樹)、

等々と、

心の中の〜したいという思いの表現、

とされ、

海づらもゆかしくて出で給ふ(源氏物語)、

と、

どんな様子か見たい、
逢いたい、

あるいは、

藤壺のまかで給へる三条の宮に、御有様もゆかしうて参り給へれば(仝上)、

と、

どんな様子か、誰であるか、知りたい、

等々、

見たい、
聞きたい、
知りたい、
逢いたい、

等々の、

何となく知らまほし、

という心情表現から、

見えぬものに心をやる、

という心の動きの、

奥ゆかし、
心ゆかし、

という(大言海)価値表現へと変じた、とみえる。色葉字類抄(1177〜81)には、

色、ゆかし、

とあるのは、そんな微妙な心情表現ではないか。

しのびて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひよすれば(徒然草)、

の、

好奇心を持つ、

は、隣接した意味だし、今日、

ゆかしい人柄、

などと使うのも、奥ゆかしさという価値表現につながる。それは、

山路来て何やらゆかしすみれ草(芭蕉)、

の、

何となく懐かしい、
何となく慕わしい、
何となく心が引かれる、

などともつながる価値表現になる。

「床」(慣用ショウ、漢音ソウ、呉音ジョウ)は、

会意文字。「广(いえ)+木」で、木でつくった家の台や家具を表す。もと細長い板を並べて張ったベッドや細長い板の台のこと。牀と同じ、

とある(漢字源)が、

「牀(シヤウ 板に足を付けたベンチ上の寝台)」の俗字、

のようである(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%8A・角川新字源)。日本の「ゆか」の意が強く「寝床(ねどこ)」「床屋」「床の間」などと異なり、「病床」のように、寝台や腰かけの意で使われる。別に、

会意兼形声文字です(广(爿)+木)。「屋根」の象形と「寝台を立てて横から見た象形と大地を覆う木」の象形(「ねだい」の意味)から、「ねだい」を意味する「床」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1179.html

「懷(懐)」(漢音カイ、呉音エ)は、

会意兼形声。褱(カイ)は「目からたれる涙+衣」の会意文字で、涙を衣で囲んで隠すさま。ふところに入れて囲む意を含む。懷は、それを音符とし、心を加えた字で、胸中やふところに入れて囲む、中に囲んで大切に温める気持ちをあらわす、

とある(漢字源・角川新字源・https://okjiten.jp/kanji1539.html)が、「懷」の字源には、

会意兼形声あるいは形声。「心」+音符「褱 /*KUJ/」。{懷 /*gruuj/}(思う、懐かしむ)を表す字、

とする上記説以外に、

音符の「褱」は形声文字、「衣」+音符「眔 /*KUJ/」。{懷 /*gruuj/}(いだく、つつむ)を表す字、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%87%B7

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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人屋


もとはいみじき悪人にて、人屋(ひとや)に七度ぞ入りたりける(宇治拾遺物語)、

の、

人屋、

は、

牢屋、

の意味(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)とある。

「人屋」は、

じんおく、

と訓ませると、

京中には辻風おびたたしう吹て、人屋多く転倒す(平家物語)、

と、

人の住む家屋、

の意となる(広辞苑)が、

ひとや、

と訓ませると、

獄、
囚獄、

とも当て、

罪人を捕らえて閉じ込めておく屋舎、
牢屋、
牢獄、

の意となる(仝上)。和名類聚抄(931〜38年)には、

獄、牢、囹圄、比度夜、牢罪人所也、

とある。また、霊異記(平安初期)の訓釋には、

囹圄、ヒトヤ、

とある。「囹圄」は、

れいご、

と訓ませる(「圄」の呉音)が、漢語では、

れいぎょ、

とも訓み(字源・大言海)、

牢屋、

の意で、

囹圉(レイギョ・レイゴ)、

ともいう(漢字源)。「囹」(漢音レイ、呉音リョウ)は、

領、

圄(漢音ギョ、呉音ゴ)は、

禦、

の意(唐代『初学記』)で、

囚徒を領録して禁禦する、

とある(字源・大言海)。前漢の経書『禮記(らいき)』月令篇に、

司に命じて、囹圄を省き、桎梏を去り、肆掠(しりやく)すること毋(な)く、獄を止めしむ、

とある(大言海・精選版日本国語大辞典)。

「ひと」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483976614.html?1651364003で触れたように、「人」(漢音ジン、呉音ニン)は、

象形。人の立った姿を描いたもので、もと身近な同族や隣人仲間を意味した、

とあり、その範囲を、

四海同胞、

にまで広げ、それを仁と呼んだ(漢字源)、とある。

立っている姿には違いないが、

人が立って身体を屈伸させるさまを横から見た形にかたどる(角川新字源)、
人が立っている姿の側面を描いたものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA

ともある。

「屋」(オク)は、

会意文字。「おおって垂れた布+至(いきづまり)」で、上からおおい隠して、出入りをとめた意をあらわす。至は室(いきづまりの部屋)・窒(ふさぐ)と同類の意味を含む。この尸印は尸(シ しかばね)ではない。覆い隠す屋根、屋根で覆った家のこと、

とあり(漢字源)、

テント状の建物が原義、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%8Bが、

尸(居の省略形。すまい)と、至(矢がとどく所)とから成る。居住する場所を求めて矢を放つことから、住居の意を表す(角川新字源)、

会意文字です(尸+至)。「屋根」の象形(「家屋」の意味)と「矢が地面に突き刺さった」象形(「至(いた)る」の意味)から、人がいたる「いえ・すみか」を意味する「屋」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji464.html

ともある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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みづち


「みづち(みずち)」は、

虬、
虯、
蛟、
蜃、
蜄、
鲛、
鮫、
螭、

等々、様々に当てられるようだhttps://kanji.jitenon.jp/yomi/914751.htmlが、当て方は、

虬 33.3%
蛟 33.3%
大虬 11.1%
水蛇 11.1%

とあるhttps://furigana.info/r/%E3%81%BF%E3%81%A5%E3%81%A1。手元の辞書では、

蛟、虬、虯、螭、彲(字源)、
蛟、虬、虯、螭(広辞苑・デジタル大辞泉)、
蛟、虬、蛟龍(岩波古語辞典)、
蛟、虬、虯(大言海)、

と当てているが、後述のように、

「虬」(キュウ、ケ)は、「虯」(キュウ、ケ)に同じ、
「彲」(チ)は、「螭」(チ)に同じ、

とある(字源)ので、つまるところ、漢字は、

蛟、虯、螭、

ということになる。

「くちなわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488045482.html?1652552920で触れたように、「みづち」は、古くは、

みつち、

と清音、和名類聚抄(平安中期)に、

蛟、美豆知(みつち)、龍属也、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

蛟、大蛇、みつち、

天治字鏡(平安中期)に、

蛟、龍名、美止知、

とある(岩波古語辞典)。仁徳紀67年西暦(379)10月に、

是歳、於吉備中國川鳴河渡、有大虬(みつち)、令苦人、

という記事があり、

県守(あがたもり 笠臣(かさのおみ、笠国造)の祖)が、瓠(ヒサゴ)(瓢箪)を三つ浮かべ、大虬にむかって、そのヒサゴを沈めてみせよと挑戦し、もし出来れば撤退するが、出来ねば斬って成敗すると豪語した。すると魔物は鹿に化けてヒサゴを沈めようとしたがかなわず、男はこれを切り捨て、淵の底の洞穴にひそむその類族を悉く斬りはらったので、淵は鮮血に染まり、以後、そこは「県守淵(あがたもりのふち)」と呼ばれるようになった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F。万葉集にも、

虎に乗り、古屋(ふるや)をこえて、青淵に、鮫(ミツチ 鮫は蛟なり)取り來(こ)む、剣太刀もが(境部王)、

とある(大言海)。

「みづち」は、

想像上の動物、蛇に似て四足をもち、毒気を吐いて、人を害する、

とあり(広辞苑)、

龍の角なきものを虬(みづち)と云ふ(大言海)、
虬竜(きゅうりゅう)(広辞苑)、

などとという付記は、後述のように漢字からの、誤伝も含めた、影響とみえる。

「みづち」の語源は、

ミは水、ツは助詞、チは靈で、水の霊(広辞苑)、
水神の義(類聚名物考)、
ミツチ(水之神)の義(琅玗記=新村出)、

と、「水の霊」ないし「水の神」とするものと、

チはヲロチ(大蛇)のチに同じ、威力あるものの意、朝鮮語mirï(龍)と同源(岩波古語辞典)、
ミは蛇の古称、ツチは尊称、蛇の主の義(蛇に関する民俗と伝説=南方熊楠)、
ミはヘミ(蛇)にて、ツは之なり、或は云ふ、合して水なり、チは靈の異称(大言海・国語の語根とその分類=大島正健)、

と、「蛇」に拘らせるものに大別される。

「チ」は、「をろち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469001407.html、「ち(血)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465705576.html?1557945045、「いのち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465724789.html、等々で触れたように、

いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞。雷)、
をろち(尾呂霊。ヲは峰(あるいは尾)、ロは助詞、チは激しい勢いあるもの。大蛇)、
のつち(野之霊。野槌。野つ霊(チ)。野の精霊)、
いのち(イは息、チは勢力、息の勢い。命)、

と重なり、「ち(霊)」は、

原始的な霊格の一。自然物のもつはげしい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる、

とされ(岩波古語辞典)、

神、人の霊(タマ)、又、徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ、野槌)、尾呂霊(ヲロチ、蛇)などの類の如し。チの轉じて、ミとなることあり、海之霊(ワタツミ、海神)の如し。又、轉じて、ビとなることあり、高皇産霊(タカミムスビ)、神皇産霊(カムミムスビ)の如し、

とある(大言海)ので、「チ」は、

霊、

とみるか、

神、

と見るかであり、「み」を、

水、

とみるか、

蛇、

とみるかも、ヤマタノオロチもそうだが、水の神は、多く、

龍、

か、

蛇、

に擬せられたり、

大雨を降らすなどの伝承が多く、水神もしくは水神の使わしめ、

と考えられ、たとえば、

水神は女神で水底で機(はた)を織っているという機織淵(はたおりぶち)などの伝説がある。民間伝承では水神を蛇体と伝えている例が多く、そのほかウナギ、タニシなどを水の主(ぬし)としている所もある。河童(かっぱ)は水神の零落した姿、

とされている(日本大百科全書)。ただ、柳田國男は、

ミヅチは蛟と書き又虬と書いている。だから蛇類ではないかという人もあろうが、それに答えては中国ではそう思っているというより他はない。日本のミヅチという語には水中の霊という以外に、何の内容も暗示されておらぬ、

という(『妖怪談義』)。つまり、その姿形は、「みづち」に当てた漢字のイメージが強いが、国内的には想定する史料がない、ということらしい。しかし、南方熊楠は、

わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意でミヅチと呼んだらしくそれに蛟虬等の漢字 を充てたはこれらも各支那の水怪の号故だ。現今ミヅシ(加能)、メドチ(南部)、ミンツチ(蝦夷)など呼ぶは河童なれど、最上川と佐渡の水蛇能く人を殺すといえば(『善庵随筆』)、支那の蛟同様水の主たる蛇が人に化けて兇行するものをもとミヅチと呼びしが、後世その変形たる河童が専らミヅシの名を擅にし、御本体の蛇は池の主淵の主で通れどミヅチの称を失うたらしい。かく蛇を霊怪視した号なるミヅチを、十二支の巳に当て略してミと呼んだは同じく十二支の子をネズミの略ネ、卯を兎の略ウで呼ぶに等し。また『和名抄』に蛇 和名 倍美(へみ)、蝮 和名 波美(はみ)とあれば蛇類の最も古い総称がミで、宣長の説にツチは尊称だそうだから、ミヅチは蛇の主の義ちょうど支那で蟒を王蛇と呼ぶ(『爾雅』)と同例だろう、

と(十二支考・蛇に関する民俗と伝説)し、「へび」の古名「へみ」、「蝮」の古名「はみ」の「み」から、「蛇」のイメージがあったと推測している。結局、

水の主、
すなわち、
蛇の主、

ということになりそうであるが、「蛇の主」にしろ「水の主」のいずれにしても、

水の神、

ということになる。因みに、蛇の古名である「へみ」「はみ」については、「くちなわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488045482.html?1652552920で触れた。

中国でいう「みづち」は、

蛟竜(こうりょう・こうりゅう)、

といい、

蛟龍は常に保深淵之中。若遊浅渚、有漁網釣者之愁(太平記)、

と、

「神龍忽ち釣者の網にかかる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485851423.html?1651386479で触れたように、

まだ龍にならない蛟(みずち)。水中にひそみ、雲雨に会して天に上り龍になるとされる、

とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)、

だとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F%E7%AB%9C)。

積水の淵を成さば蛟龍生ず(『荀子』勧学篇)、

とある一方、

蛟龍は淵に伏寝するも、その卵は陵(おか)において割(さ)ける(『淮南子』暴族訓)、

ともあるが、

水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で應龍となる、

とある(志怪小説『述異記』)。想像上の動物なので実体ははっきりしない。「蛟」の字は、

その眉が交生するから(『述異記』)、

とある(仝上)。

「蛟」(漢音コウ、呉音キョウ)は、

会意兼形声。「虫+音符交(よじれる)」、

で、

みずち、想像上の動物の名、竜の一種、蛇に似て、からだがよじれ、四足をもつという。水を好み、大水を起こす、

とある(漢字源)。

蛟の眉相交わる、故に交に从(したが)ふ、

とある(字源)。

蛟蛇(こうだ)、
蛟螭(こうち)、

でも、

みずち、

の意であり、

蛟龍得雲雨(こうりょう、うんうをう)、

は、

劉備非久屈為人用者、恐蛟龍得雲雨、終非池中物也(呉史・周瑜傳)、

と、

英雄が一旦時に逢えば忽ち覇業を為す、

に喩える(字源)とある。別に、

蛟龍得水、

ともいう(仝上)。

「虬」(キュウ、ケ)は、「虯」(キュウ、ケ)に同じだが、

虬は角ある龍、螭は角なき龍、

とあり(字源)、

虯龍(キュウリョウ)、

でも、

有角曰虯龍(虬龍)(埤雅)、

と、

角のある龍、

の意となる(仝上)。また、

虯髯(キュウゼン)、

有勇力虯髯善射(五代史・皇甫遇傳)、

と、

みずちのごとく曲がれるほほひげ、

の意とされる。

「螭」(チ)は、

みずち、

の意だが、

龍の角なきもの、

の意である(仝上)。また、

一説に黄色の龍、
龍の雌、

ともある(仝上)。

蛟螭(コウチ)、
虯螭(キュウチ)、

ともいう。

「彲」(チ)は、螭に同じとあり、

龍に似て黄色、

とある(仝上)。なお「龍」には、

鱗あるを蛟龍、
翼あるを應龍、
角あるを虯龍(虬龍)、
角なきを螭龍、
未だ天に昇らざるを蟠龍、

とがある(仝上)、とされる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
南方熊楠.『南方熊楠作品集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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非時


南の京の永超僧は、魚なきかぎりは、時・非時もすべてくはざりけり(宇治拾遺物語)
道心、社僧となりて、……糧料など乏しくて、……心ざし有る人にたよりて、斎(とき)・非時を乞い侍る(曽呂利物語)、

などとある、

時(とき)、

は、

斎(とき)、

で、

仏家で、午前中に取る食事、午後は食しないと戒律で定めている、

とあり(広辞苑)、

斎食(さいじき)、
時食(じしょく)、

ともいい(広辞苑)、

食すべき時の食事、

の意で、

インド以来の戒律により午前中に食べるのを正時、

とし、午後は食すべき時ではない時刻の食の意で、

非時(ひじ)、

とある(デジタル大辞泉)が、正確には、

日中から後夜(ごや)までは食事をとってはならない定めだった、

ので、

非時者、従日中至後夜後分、名為非時、……従日中至後夜後分、明轉滅没、故名非時(薩婆多毘婆沙)、

と、

非時、

といい、この間に取る食事を、

佛經戒比丘非時食、蓋其法過午則不食也、西蜀僧招客暮食、謂之非時(老学庵筆記)、

と、

非時食(ひじじき)、

あるいは、

非食(ひじき)、

といった(字源・岩波古語辞典・広辞苑)。因みに、「後夜」は、仏語で、一日を昼夜六つ、

晨朝、日中、日没、初夜、中夜、後夜、

に分けた、夜間の後の時分、

夜半から朝までの間、

をいう(精選版日本国語大辞典)。

「非時」については、

鑑真和尚、日本へ渡り給ひたりし昔は、寺寺はただ一食にて、朝食一度しけり(鎌倉後期の仏教説話集『雑談集』)、

とあり、続けて、

次第に器量弱くして、非時と名づけて、日中に食し、後には山も奈良も三度食す(仝上)、

ということで、

非時食、

という矛盾したものが生まれ、

正午過ぎの食事、

となる(大言海)。

つまり、

斎(とき)⇔非時、

の対となる。

在家でも、

特に八斎戒をまもる斎日には、正午を過ぎてからは食事をしない、

とある(精選版日本国語大辞典)。「八斎戒」とは、「六斎日(ろくさいにち)」(特に身をつつしみ持戒清浄であるべき日と定められた六日)などに、

在家信者が一昼夜の間だけ守ると誓って受ける八つの戒律、

つまり、

生き物を殺さない、
他人のものを盗まない、
嘘をつかない、
酒を飲まない、
性交をしない、
午後は食事をとらない、
花飾りや香料を身につけず、また歌舞音曲を見たり聞いたりしない、
地上に敷いた床にだけ寝て、高脚のりっぱなベッドを用いない、

の八戒。おもに原始仏教と部派仏教で行われた(仝上)、とある。

なお、

食すべき時の意、

の「斎(とき)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.htmlについては触れた。

「非」(ヒ)は、「非想非々想天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485982512.htmlで触れたように、

象形。羽が左と右とに背いたさまを描いたもの。左右に払いのけるという拒否の意味をあらわす、

とある(漢字源)。「羽」(ウ)の

二枚のはねをならべおいたもの、

と比べると、その意味が納得できる(仝上)。

「時」(漢音シ、呉音ジ)は、「とき」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460526964.htmlで触れたように、

会意兼形声。之(シ 止)は、足の形を描いた象形文字。寺は「寸(て)+音符之(あし)」の会意兼形声文字で、手足を働かせて仕事をすること。時は「日+音符寺」で、日が進行すること。之(行く)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という、

とあり(漢字源)、日の移り変わり、季節、時期などの意を表すに至る(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(止+日)。「立ち止まる足の象形と出発線を示す横一線」(出発線から今にも一歩踏み出して「ゆく」の意味)と「太陽」の象形(「日」の意味)から「すすみゆく日、とき」を意味する漢字が成り立ちました。のちに、「止」は「寺」に変化して、「時」という漢字が成り立ちました(「寺」は「之」に通じ、「ゆく」の意味を表します)、

とありhttps://okjiten.jp/kanji145.html、結果としては、同じになる。

「齋」(漢音セイ、呉音セ)は、「齋(斎)」(とき)http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.htmlで触れたが、

会意兼形声。「示+音符齊(きちんとそろえる)の略体」。神を祭るとき、心身を清めととのえる意を表す、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1829.html

なお、「時(とき)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460526964.htmlについては触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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わりご


北のおとどよりわざとがましく集めたる鬚箱(ひげこ)ども、わりごなど奉れ給へり(源氏物語)、
破籠やうの物取り開き、舟人にも食はせなんどし給ふ(伽婢子)、

などの、

「わりご」は、

中にしきりのある箱、弁当箱、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。因みに、「鬚箱(ひげこ)」は、

竹や針金などで作った籠で、編み残した端が鬚(ひげ)のようにでているもの(広辞苑)、
竹をもって籠をつくり、其編みあまりを長く残しおくもの、残れるが恰も髭の如し、端午の幟の頭などに用ゐ、又は贈物などを入る(大言海)、

と、

竹編みの籠、

を言う。

「わりご」は、

破子、
破籠、
割籠、
割子、
樏、

等々と当て(広辞苑)、当て方を見ると、

割籠 71.4%
破子 14.3%
割子 7.1%
破籠 3.6%
食籠 3.6%

https://furigana.info/r/%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%94

食籠、

とも当てるようだが、平安時代から、

ヒノキの薄い白木で折箱のように造り、内部に仕切りを設けて、同じ深さの蓋(かぶせぶた)をした弁当箱、

の意、また、それを換喩に、

なしまの丈六堂にて、ひるわりこくふに、弟子ひとり近邊の在家にて、魚をこひてすすめたりけり(宇治拾遺物語)、

と、

中に入れた食物、

も指す(仝上・岩波古語辞典)。

円形、三角形、四角形、扇形などさまざまな形につくり、その日限りに使い捨てた、

という(日本大百科全書)。古くは、

携行食には餉(かれいい)、すなわち干した飯を用い、その容器を餉器(かれいけ)、

といったが、『和漢三才図会』には、

わり子は和名加礼比計(かれいけ)、今は破子という、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。後世、

弁当容器としてメンツウ、メンパ、ワッパなどとよばれるヒノキの曲物(まげもの)をサクラの樹皮で留めたもの、

や、

メシゴウリなどとよばれるタケ、ヤナギの行李(こうり)、

が用いられ、これらを両手に持って開いたとき、蓋と身(み)がほぼ同形で二つに破(わ)った格好になるので、これを、

破子、

ともよんでいる(日本大百科全書)、とある。

蓋と身がちょうど同じ深さであるところから(思ひの儘の記)、
ワリケ(別笥)の義(言元梯)、

も同趣旨だが、別に、

器内に隔あれば、割子なり(大言海・嬉遊笑覧)、

と、器内の分割からきているとする説もある。あるいは、

ふたは一枚板かかぶせぶた、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E7%B1%A0ので、当初は、

器内を分けていた、

ことから、その名が由来したが、後の、

メンパ、
ワッパ

などから、

ほぼ同形で二つに破(わ)った格好、

からくる「破子」の意味に転じたということも考えられる。『和漢三才図絵』の、

わり子は和名加礼比計(かれいけ)、今は破子という、

とは、その意味のようだ。和名類聚抄(平安中期)にも、

樏子、破子、和利古、有障之器也、

とある。

因みに、現在も、平安時代由来の「わりご」を使っているのは、

小豆島わりご弁当

だけhttps://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/warigo_bentou_kagawa.htmlらしい。

「樏」(ルイ)は、

山道を行くときに用いる道具、人を乗せて運ぶかご、

の意で、

禹が山行に乗りし処のもの、

とある(字源)。しかし、わが国では、

雪中を行くに踏込まざるやうに編見て作りし履物、

つまり、

かんじき、

の意で使い(字源)。

わりご、

にも当てたらしい。旁の「累」(ルイ)は、

会意兼形声。「纍」の略体、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%AF

「纍」は「糸」+音符「畾」(ルイ・ライ)、「畾」はものが積みあがった様子を示す象形又は会意で、積み上がったものを連ねるの意、

とあり(仝上)、「纍」は、

畾を音符とし、糸を加えたのが原字で、糸でつなぐように、次々とつらなって、重なる意、

となる(漢字源)。その意味で、「木」で、

重ねる、
つなげる、

意から、

わりご、

かんじき、

に当てたものではないかという気がする。

「破」(ハ)は、

形声(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)。「石+音符皮」。皮(曲線をなしてかぶせたかわ)とは直接関係はない、

とあり(漢字源)、

石が「やぶれる」こと、石で「やぶる」ことhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A0%B4
石が裂けくだける、ひいて、くだきやぶる意を表す(角川新字源)、

ともある。別に、

形声文字です(石+皮)。「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味)と「獣の皮を手ではぎとる」象形(「皮」の意味だが、ここでは「波」に通じ(「波」と同じ意味を持つようになって)、「波(なみ)」の意味)から、
くだける波のように石が「くだける」を意味する「破」という漢字が成り立ちました、

との解釈もありhttps://okjiten.jp/kanji847.html、「皮」と関連づけている。

「割」(漢音カツ、呉音カチ)は、

形声。害(ガイ)は、かご状のふたを口の上にかぶせることを示し、遏(アツ)と同じくふさぎ止めること。割は「刀+音符害」で害の原義とは関係ない、

とある(漢字源)が、

形声。刀と、音符(カイ)→(カツ)とから成る。切り分ける意を表す(角川新字源)、

とも、

会意兼形声文字です(害+刂(刀))。「刀」の象形と「屋根の象形ときざみつける象形と口の象形」(祈りの言葉を切り刻むさまから、「傷つける・殺す・断ち切る」の意味)から、刀で「たちきる」を意味する「割」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji982.html

ともある。

「子」(漢音呉音シ、唐音ス)は、

象形。子の原字に二つあり、一つは、小さい子供を描いたもの。もう一つは、子供の頭髪がどんどん伸びるさまを示し、おもに十二支の子(シ)の場合に用いた。のちこの二つは混同して子と書かれる、

とある(漢字源)が、見た限りでは、

象形。こどもが手を挙げている形にかたどり、おさなご、ひいて、若者の意を表す。借りて、十二支の第一位に用いる(角川新字源)、

象形文字。「頭部が大きく手・足のなよやかな乳児」の象形から「子」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji29.html

と「子ども」の象形説のみである。

「籠(篭)」(漢音ロウ、呉音ル)は、

会意形声。「竹」+音符「龍」、「龍」は丸く細長いものを意味し、竹でそのように編んだかごに当てた(藤堂明保)、

と、

壟(小高い丘)に通じ、土を運ぶもっこの意。又は、「寵」に通じ、抱え込むの意、

の二説があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B1%A0とされるが、

会意兼形声。「竹+音符龍(ロウ 円筒状で長い)」。大蛇のように細長い竹かご(漢字源)、
形声。竹と、音符龍(ロウ)とから成る。竹製の「かご」の意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(竹+龍)。「竹」の象形と「龍」の象形(「龍」の意味だが、ここでは、「つめこむ」の意味)から、「土を詰め込む竹かご(もっこ)」を意味する「籠」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1369.html

等々、前者の説しか見えなかった。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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万八


「千三(せんみつ)」という言葉がある。

真実なのは千のうちわずか三つだけ、

という意で、

今は千といふ事三つもまことなしとて千三といふ男あり(西鶴「本朝桜陰比事」)、

と、

うそつき、
ほらふき、

さらに、単に、

嘘、

の意でも使う(広辞苑・大言海)。先後は分からないが、

千三屋、

という言葉があり、

千口の中、僅か三口だけ、相談が調ふ、

という意で、

地所の売買、
貸金、

等々の周旋を業とする人、

を指す(仝上)。「千三屋」とは、

地所の売買、又は貸金その他の周旋を業とするもの。千口の中にて相談纏り口銭でも取り得るものはただの三個位に過ぎぬとの意なり。その人をいふ、

とある(隠語大辞典)。

千三、

と同義の言葉に、

万のうちで、真実なのはわずかに八つだけという意で、

世に万八といふ事はこの男より始まりける(浄瑠璃「神霊矢口渡」)、

と、

万八(まんぱち)、

という言葉がある。これは、「千三」が、上述の『本朝桜陰比事』が元禄二年(1689)刊で使われていたが、

万八、

は、

明和・安永(1764〜1780)の頃の流行語、

とあり(江戸語大辞典)、

いつはりうそといふを、江戸尾張辺上野にて万八といふ、近年のはやり詞也、

とある(安永四年(1775)刊の「物類称呼」)。ただ、

江戸両国の萬屋八郎兵衛の略字に起こる、

ともある(大言海)。これは、文化十四年(1817)3月23日に、

両国柳橋の萬屋八郎兵衛の料理店「萬八楼」で大酒大食大会が開かれた、

という記録の「萬屋八郎兵衛」とつながりそうである。その記録では、酒組では、

小田原町堺屋忠蔵(68歳):三升入り盃三杯、
芝口の鯉屋利兵衛(30歳):三升入り盃六杯半、
小石川天掘屋七右衛門(73歳):五升入り丼鉢を一杯半飲み、

菓子組では、

神田丸屋勘右衛門(56歳):饅頭50、羊羹7棹、薄皮餅30、茶19杯、
八丁堀伊予屋清兵衛(65歳):饅頭30、鶯餅80、松風煎餅30、沢庵漬5本、

飯組(万年味噌の茶漬け)では、

和泉屋吉蔵(73歳):54杯と唐辛子58、
小日向上総屋茂左衛門(49歳):47杯、
三河島の三右衛門(41歳):68杯と醤油二合、

蕎麦組(二八蕎麦並盛り)では、

新吉原桐屋惣左衛門(42歳):57杯、
浅草鍵屋長介(49歳):49杯、
池之端山口屋吉兵衛(38歳):68杯、

となっているとか(兎園小説、http://denmira.jp/?p=8630)。しかし、これと、

万八、

という言葉の流行とはつながらない。ただ、柳橋「万八楼」は、

書画会、

を開き、即売会をやったとされていたことで知られていたhttps://tukitodora.exblog.jp/13885579/らしく、この大食い大会は、

「千住酒合戦」(文化十二年(1815)10月21日)の二年後、

に開かれたと、滝沢馬琴の『兎園小説』に出てくる話なのだが、これ自体、

馬琴が当時の文人たちに呼びかけ、毎月1回、身辺で見聞きした珍談・奇談を披露し合う「兎園会」で出たおもしろ話をまとめたもの、

http://www.jlogos.com/d013/14625122.html

明らかに他のものから「書き写した」記録、

も多く、

この大食い大会の話は、

浜町小笠原家の家臣某が実見した、

というの添え書きのある、

仲間の一人関思亮(海棠庵)が披露したもの、

とされるhttps://tukitodora.exblog.jp/13885579/。話半分としても、その飲食量は半端ではない。

どうやら「作り話」のようなのです、

とあり(仝上)、

他の話と違って名前の知れた人が一人も出てこないところが「作り話」と言われる所以なんでしょう、

としている(仝上)。あるいは、ここから、

万八、

という言葉が出たのかもしれない。因みに、「千住酒合戦」は、文化十二年(1815)10月21日、

日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦、

で、

参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五合)、緑毛亀盃(二升五合)、丹頂鶴盆(三升)の盃が用意され飲むというもので、酒肴としてカラスミ・花塩・さざれ梅、蟹と鶉(うずら)の焼き鳥、羹として鯉にハタ子をそえたものが添えられ、これも半端ない量だが、

新吉原の伊勢屋言慶(62歳):三升五合余、
千住の松勘:全ての酒を飲み干した、
下野小山の左兵衛:七升五合、
料理人の太助:終日茶碗酒をあおった上で丹頂鶴盆(三升)飲み干す、
五郎左衛門妻の天満屋みよ女:万寿無量盆(一升五合)で酔った顔も見せず、
菊屋おすみ:緑毛亀盃(二升五合)、

等々の記録が、大田南畝の観戦記録(『後水鳥記』)に著されhttp://denmira.jp/?p=8630、江戸食文化史に名高い。この、

「後水鳥記」がもてはやされたので、その二番煎じをねらった、

のではないか、というhttps://tukitodora.exblog.jp/13885579/のは当たっているのかもしれない。

なお、大食い大会とは関係ないのかもしれないが、

万八、

は、

酒の異称、

とあり(広辞苑)、

満鉢の義、マンは満を引くのまん、はちは鉢にて、肴の意と云ふ、

とあり(大言海)、

しこみぬる、酒のかはるは、ういこんだ(男だての気ちがひくわうまん八がすきだと見えた)、種彦云、まん八とは酒の事なり、下に見えたる百韵の末の詞書に、吉田なにがし、……酒鉢とれば、まんはちをまくらふべき事をなん思ふ、……とあるに合わせてみるべし、

とある(足薪翁記(柳亭種彦)・奴とは)。「満を引く」は、

皆引満挙白(さかづき)(漢書)、

と、

酒をなみなみとついだ杯をとって飲む、

意となる(広辞苑)。

「万(萬)」(慣用マン、漢音バン、呉音モン)は、

象形。萬(マン)は、もと、大きなはさみを持ち、猛毒のあるさそりを描いたもの。のち、さそりは萬の下に虫を加えて別の字となり、萬は音を利用して、長く長く続く数の意に当てた。「万」は卍の変形で、古くから萬の通用字として用いられている、

とあり(漢字源)、

「万」の異字体は「萬」、

とされたり、

「萬」は「万」の旧字、

とされたりするが、「万」は、

古くから「萬」に通ずるが、「萬」との関係は必ずしも明らかでない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%87

「万」はもとの字は「萬」に作る(白川静)、
「万」と「萬」とは別字で、「万」は浮き草の象形(新潮日本語漢字辞典・大漢語林。「万」と「萬」が古くから通用していることは認めている)、
「卍」が字源(大漢和辞典 西域では萬の數を表はすに卍を用ひる。万の字はその變形である)、
象形、蠆(さそり)の形。後に、数の一万の意味に借りられるようになった。現在でも、「万」の大字として使用される(角川新字源・漢字源)、
象形。もと、うき草の形にかたどる。古くからの略字として用いられていた(角川新字源)、

等々と諸説あり(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%AC)、「中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、

「萬」を「蟲なり」とするが、虫の名前は挙げず、説文解字注(段注)はサソリの形に似ているからその字であろう、

というが、白川静は「声義ともに異なる」と指摘する(仝上)。しかし、

「萬」が蠍の象形で、10000の意味は音の仮借、

という立場は、藤堂明保『学研 新漢和大字典』、諸橋轍次『大漢和辞典』、『大漢語林』、『新潮日本語漢字辞典』等々多くの辞典が支持する(仝上)、とある。数字の万としての用法はすでに卜文にみえる(白川)ようである(仝上)。

「八入」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484945522.htmlで触れたように、「八」(漢音ハツ、呉音ハチ)は、

指事。左右二つにわけたさまを示す(漢字源)、

指事。たがいに背き合っている二本の線で、わかれる意を表す。借りて、数詞の「やつ」の意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する「八」という漢字が成り立ち、借りて、数の「やっつ」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji130.html

などと説明される。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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つとめて


みづからは、渡りたまはむこと明日とての、まだつとめておはしたり(源氏物語)、

の、

つとめて、

は、名詞で、

早朝、

の意であり、また、

つとめて少し寝過ぐしたまひて、日さし出づる程に出でたまふ(源氏物語)、
つとめて、さても昨日いみじくしたる物かなといひて、いざまたおしよせんといひて(宇治拾遺物語)、

と、

(前夜、事のあった)その翌朝、

の意でも使う(岩波古語辞典)。「夙に」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485537261.htmlで触れたように、平安時代の漢和辞典『新撰字鏡』(898〜901)にも、

暾、日初出時也、明也、豆止女天(つとめて)、又阿志太(あした)

とある(「暾」(カン)は、日の出の意。暾将出兮東方(暾トシテマサニ東方ニ出ントス (楚辞))。

ツトは夙の意、早朝の意から翌朝の意となった、

とあり(岩波古語辞典)、また、

「つとむ(勤・務・努)」の「ツト」もツトニ(夙に)のツトと同根、

とある(仝上)。ついでながら、「つとむ」は、

ツト(夙)を活用した語、

で、

早朝からコトを行う意、

となり(日本古語大辞典=松岡静雄・大言海・日本語の年輪=大野晋・岩波古語辞典)、