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コトバ辞典


くびったけ


「くびったけ」は、

首っ丈、
頸っ丈、

と当て、

くびたけの促音化、

とある(広辞苑)。

彼女に首ったけ、

というように、

ある思いに深くとらわれること、特に、異性に心をひかれ夢中になること、またそのさま、

の意(デジタル大辞泉)だが、今日、もはや死語に近いかもしれない。

もともとは、

くびたけ、

であり、

首丈、
首長、
首尺、

と当て、

足元から首までの高さ、

の意で、

思い何くびたけ沈む池の鴨(沙金袋)、

という句がある。それをメタファに、

頸丈まで深くはまり溺れる、

意で、

すっかり色香に迷って惚れ込む、

意になり、

くびったけ、

と使われる(岩波古語辞典)。

「くびたけ」は、濁って、

くびだけ、

とも言われるが(仝上)、「くびたけ」と同様に、

炬燵に首ッたけ(享和二年(1802)「綿温石奇効果条」)、

と、

足元から首のところまで、

の意と同時に、

あのお姫様にやあ、範頼様が首ッたけだそうだ(元治元年(1864)「谷凱歌小謡曲」)、

と、

深く惚れ込んでいる、

意でも使うが、もうひとつ、

帰りてへは首ッたけだが(安永九年(1780)「多佳余字辞」)、

と、

その気持ちが十分ある、

意の、

やまやま、

という意味でも使われていたようである。近世前期からら上方では、

「くびだけ」の形で用いられ、文字通り首までの長さを表し、さらに「首丈沈む」「首丈嵌まる」などの言い回しにも見られるように、この上なく物事が多くつもる意、あるいは、深みにはまる意から、異性に惚れ込む意で用いられた、

とある(日本語源大辞典)ので、

首まで沈み込む、
首まで嵌まる、

という状態表現が、それをメタファに、

思いの深さ、

を言い表すようになった、とみられる。近世中期以降、

江戸を中心に「くびったけ」の形で用いられるようになった、

とある(仝上)。

「くびったけ」と同義の言葉に、江戸では、

くびっきり(首っ切り)、

という言い方も使われた(江戸語大辞典)。やはり、

足元から首のところまで、

の意で、

炬燵に首ッきりはいって居たりする(寛政六年(1794)「金々先生造化夢」)、

と使い(仝上)、また「くびったけ」と同様、

近頃は旦那に首ッきりと云ふもんだから(天保十年(1840)「娘太平記操早引」)、

と、

深く惚れ込んでいること、

の意でも使った(仝上)。

「くびったけ」の「くび」は、

頸、
首、

と当てる(広辞苑)が、大言海は「くび」の項を、

首、

頸、

で分けて立てている。「頸(くび)」は、

凹(くぼ)みの約(和訓栞)、陰門をツビと云ふも、窄(つぼ)の約なり。後(うしろ)くぼ、項(うなじ)のくぼ、ぼんのくぼの名もあり、

とし、

頭(かしら)と體(からだ)と細く接ぎ合ふ所、

の意とし、「首(くび)」は、

頸(くび)より上の部を云ふ意より移る、

とし、

かしら、あたま、

に意とする(「あたま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/454155971.htmlについては触れた)。

というのは、「くび」は、古くは、

頭と胴とをつなぐくびれた部分。のち頸部切り取った頭部すなわち頸部から上全体をもいうようになった、

とあるので、「くび」の対象が、頸部から頭部全体に広がって

頸→首、

となったからなのである(岩波古語辞典)。「かぶり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463972279.htmlで触れたことだが、これは、「あたま」が、

当間(あてま)」の転で灸点に当たる所の意味や、「天玉(あたま)」「貴間(あてま)」の意味など諸説あるが未詳。 古くは「かぶ」「かしら」「かうべ(こうべ)」と言い、「かぶ」は 奈良時代には古語化していたとされる。「かしら」は奈良時代から見られ、頭を表す代表 語となっていた。「こうべ」は平安時代以降みられるが、「かしら」に比べ用法や使用例が狭く、室町時代には古語化し、「あたま」が徐々に使われるようになった。「あたま」は、もとは前頭部中央の骨と骨の隙間を表した語で、頭頂や頭全体を表すようになったが、まだ「かしら」が代表的な言葉として用いられ、「つむり」「かぶり」「くび」などと併用されていた。しだいに「あたま」が勢力を広げて代表的な言葉となり、脳の働きや人数を表すようにもなった、

とあり(語源由来辞典)、

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま、

と変遷した中で、「あたま」の呼称の中で、「くび」も使われている。

「くびったけ」の「たけ」は、「たけ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461350623.htmlで触れたように、

丈、
長、

と当てると、

物の高さ、縦方向の長さ、

となり、

動詞「たく(長く)」と同源、

であり、

岳、
嶽、

と当てると、

くて大きい山、

の意となり、

「たか(高)」と同源(中世「だけ」とも)、

とある(以上広辞苑)。しかし、「たけ(長・闌)」は、

タカ(高)と同根。高くなるものの意、

とあり(岩波古語辞典)、単に物理的な長さ、高さだけではなく、時間的な長さ、高まりも指し、「たけなわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456786254.htmlで触れたように、

長く(タク)は、高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも、根元は同じではないかと思います。春がタケルも、同じです。わざ、技量などいっぱいになる意で、剣道にタケルなどともいいます、

という意味も持つ(日本語源広辞典)。だから、

タカ(高)と同根。高い所の意、

である「たけ(岳・嶽)」ともほぼ重なる。

丈も
長も、
岳も、
嶽も、

かつては、「たけ」だけで済ませていた。文脈依存の文字を持たない祖先にとって、その区別は、その場にいる人にわかればいいのである。そう考えると、「たけ(茸)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461300903.html?1535312164も、「たけ(竹)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461199145.htmlも、すべて、

たけ、

であり、長さ、さ、という含意を込めていたのではないか。

さて「首」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

象形。頭髪のはえた頭部全体を描いたもの。抽(チュウ 抜け出る)と同系で、胴体から脱け出したくび。また道(頭を向けて進む)の字の音符となる、

とある(漢字源)。

別に、

象形文字です。「髪と目を強調した」象形から「くび」を意味する「首」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji15.html

「頸」(漢音ケイ・ギョウ、呉音キョウ)は、

会意兼形声。巠は機織り機のまっすぐなたて糸を描いた象形文字で、經(経)の原字。頸はそれを音符とし、頁(あたま)を加えた字で、まっすぐたてに通るくび筋、

とある(漢字源)。

「丈」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、会意。手の親指と他の四指とを左右に開き、手尺で長さをはかることを示した形の上に+が加わったのがもとの形。手尺の一幅は一尺をあらわし、十尺はつまり一丈を示す。長い長さの意を含む、

とある(漢字源)。

別に、

象形文字です。「長い棒を手にする」象形から、長さの単位「十尺(約3.03メートル。ただし、周代の制度では、約2.25メートル)」を意味する「丈」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1320.html

なお、「くびったけ」の類義語、「ぞっこん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456564500.htmlについては触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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くどく


「くどく」は、

口説く、

と当てる。

また泣く泣く口説き申しけるには(保元物語)、

というように、

うらみがましくくどくどという、
愚痴っぽく言う、

という意味と、

経読み仏くどきまゐらせるるほどに(讃岐典侍日記)、

と、

心のうちを切々と訴える、

特に、

神仏に祈願して訴える場合にいう、

意味と、

此方よりくどきても埒のあかざることもあるに(好色一代男)、

と、

異性に思いのたけを訴えて言い迫る、

意とがある(広辞苑・岩波古語辞典)。

「くどく」の「くど」は、

くどくど、くだくだの語幹を活用せしむ。苛々(いらいら)、いららぐ。連連(つらつら)、つららぐ、

とある(大言海)。「くどくど」は、

長ったらしいさま、
冗長なさま、

の意で、

話、文章が長々しくて煩わしい、
同じ事を繰り返す、

といった状態表現であるが、そこから、

何をくどくどして居るぞ(虎寛本狂言・靱猿)、
とか、
ああ、由ないことをくどくどと思うた事かな(狂言記・布施無)、

といったような、

ぐずくず、

くよくよ、

といった、

振舞いや思い切りの悪さを意味する価値表現の言葉として使われる。「くどくど」は、古く、

ぐとぐとと埒明かずといへば(仮名草子・悔草)、

と、

ぐとぐと、

と言ったり、

あそこのすみへいってもぐどぐど、ここのすみへ行ってもぐどぐどと、同じことを云ひて(虎明本狂言・宗論)、

と、

ぐどぐど、

といったりする(擬音語・擬態語辞典)。日葡辞書にも、

ぐどぐどとする、

と載る。これが方言に残り、

徳島県で「ぐとぐと」、山形・新潟・香川・愛媛で「ぐどぐど」というところがある、

とある(仝上)。類義語に、

くだくだ、
たらたら、
ぐだぐだ、

がある。「くどくど」が、

不必要なことを繰り返す、

のに対して、「くだくだ」は、

無用のことをわざと長々説明する様子、
要領を得ない様子、

であり、「ぐだぐだ」は、

長々とだらしなく言い続ける様子、

と、似ているのに対して、「たらたら」は、

不平・文句・お世辞などを並べ立てる様子、

を表すという違いがある(擬音語・擬態語辞典)。

「くどくど」は、「長い」の語幹を重ねた「ながなが」と同様、

形容詞「くどい」の語幹を繰り返した語、

とある(擬音語・擬態語辞典)が、「くどくど」は、

くだくだの転訛、

ともある(日本語源広辞典)。

「くだくだ」は、

刀を抜き、くだくだに斬りてぞ投げ出しける(仮名草子・智恵鑑)、

と、

細かに打ち砕いたさま、

つまり、

こなごな、

の意(岩波古語辞典)だが、

くだくだしゃべる、

というように、

言い方が明快さを書き、しつこくて長たらしいさま、

の意でも使う。

くだくだし、

という形容詞は、

クダはクダク(砕)と同根、

とあるので、

いかにも細かい、

という状態表現であるが、

くだくだしきなほ人の中らひに似たる事に侍れば(源氏)、

と、

いかにも細々しくて煩わしい、

という価値表現としても使う(仝上)。名義抄には、

細砕、クダクダシ、

と載る。

古語のくだくだしは、(「くどくど」の)語源に近い言葉です、

とある(日本語源広辞典)が、

こまごまと煩わしい、

意味が、

喋り方に転用されることはあり得る。現に、

クダクダシしい文章、

は、

くだくだしい物言い、

とも言い変えられる。

こうみると、「くどく」が、

くどくど、
ぐとぐと、
ぐどぐど、
くだくだ、
ぐだくだ、

といった擬態語から来たと見るのでよさそうに見えるのだが、異説がある。

口(言葉)+説く、

で、

ことばで説得する、

意とする説がある(日本語源広辞典・和句解・和訓栞)。

反復する擬態語が、動詞を作る時は、チラチラする、ヒラヒラする、グラグラする、の形を取り、大言海のような(苛々(いらいら)、いららぐ。連連(つらつら)、つららぐ等々)例は見られません。口を、クという音韻で表すことは他にも例があります(口調、異口同音)、

として、

口+説く、

を語源とするものである。確かに、

口説、
口舌、

と当てる「くぜつ」もある。「口説」は、

くぜち、

とも訓ませ、

おしゃべり、
言い争い、

の意もあり(日葡辞書に、「クゼツノキイタヒト」とある)。さらに、「口説」には、

男女間の言い争い、
痴話げんか、

の意もある(広辞苑)。ただ、「くぜち(口舌)」は、

口舌(こうぜつ)の呉音、

とある。「ク」と訓むことだけから、

口+説く、

とするのには決め手が欠ける。意味だけからいうなら、やはり、

くどくど、
ぐとぐと、
ぐどぐど、
くだくだ、
ぐだくだ、

等々の擬態語由来とみるのが妥当なのではないか。さらに、「くどくど」が、

形容詞「くどい」の語幹を繰り返した語、

とすれば、例えば、

くどい→くどくする→くどく、

と、形容詞から動詞化することはあり得る。

また、

「口説く」は当て字、

ともある(デジタル大辞泉)。当て字から語源を遡るのは先後逆となる。この当て字は、

口説(くどき)、

と呼ばれる、

琵琶法師の、平家語る曲節(ふし)、

の意で、

語る半ばに、特に調子を変えて、書簡などを語るところ、

を指す(大言海)。この、

平曲、

が、謡曲、浄瑠璃、長唄などへと流れていく。「平曲」では、

説明的な部分をいう。地の部分で、最も普通に用いられる曲節。旋律的でなく、また、音を装飾したり伸ばしたりすることもなく、語るような口調。中音域で、テンポも中庸。歌詞の内容は雑多であるが、多くの曲はこれで始まる、

意から、謡曲で、

拍子に合わない語りの部分。散文的である点は平曲と同じであるが、内容は悲嘆、述懐などで落ち着いた調子。音域も低い、

となり、浄瑠璃、歌舞伎音楽では、

悲嘆、恋慕、恨み、懺悔などを内容とする部分。特に恋する相手に心中の思いを訴えるものが多い。いわゆる「さわり」と呼ばれる曲中の聞きどころで、詠嘆的、抒情的。テンポが遅く旋律が美しい、

ものへと変じていく(精選版日本国語大辞典)。今日の「口説き」のイメージは、浄瑠璃の心情表現のイメージが強い。この「口説き」は、

くり返して説くという意味の動詞「くどく」の名詞化、

であり(世界大百科事典)、

口説く、

と当てたのは、この、

くどき、

からのような気がする。

「口」(漢音コウ、呉音ク)は、

象形、人間の口やあなを描いたもの、

である(漢字源)。別に、

会意文字です(卜+口)。「うらないに現れた形」の象形と「口」の象形から、「うらない問う」を意味する「占」という漢字が成り立ちました。また、占いは亀の甲羅に特定の点を刻んで行われる事から、特定の点を「しめる」の意味も表すようになりました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1212.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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おかぼれ


「おかぼれ」は、

岡惚れ、

と当てるが、「うぬぼれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/440529875.htmlで触れたように、「岡惚れ」の「岡」は、

岡目八目、

の岡であり、

傍目八目、

とも当てるように、

他人のすることを脇から見ていることをホカミ(外見、他見)といったのが、オカミ・オカメ(傍見、岡目)になって、第三者の立場でものを見ることをいう、

とある(日本語の語源)。「おかめ(をかめ)」を、

傍目(ヲカメ)、傍見(ヲカミ)、

とする(大言海)の他、

ホカメ(外目)、

とする(古今要覧稿・両京俚言考)ものもある。いずれも、同じ趣旨だが、この「岡」は、

傍の意だが、一説に、本に対する仮の意、

があるとするものもある(江戸語大辞典)。

「岡目八目」は、

当局者(当事者)迷、

の逆で、

傍で見ている者の方が、打っているひとより八目も先を見越している、という意だが、中国では、

当事者迷、旁观者清、

というらしい。

「岡惚れ」は、江戸期から使われたようだが、今日死語かもしれない。

傍から惚れる、

意で、

ちょっと接しただけで惚れること、深く接して人物を知ったうえでもないのに惚れること、

だが(江戸語大辞典)、

相手の心も知らず自分だけ密かに思慕すること、

の方がいい解釈に思える(岩波古語辞典)。だからか、

本惚れに対する仮惚れ、

の意とある(仝上)。また、

傍惚(おかぼ)れ、

とも当てる。

おかっぽれ、

と表記した方が、その軽さをよく言い表している。

で、他人が仲の好いのをはたでねたむことをホカヤキ(傍妬き)といったのが、

オカヤキ(傍妬き)、

に転音したのもこの類だ(日本語の語源)。これは、

岡焼餅、

ともいい、

本焼餅に対する仮焼餅、

の意で、

岡目焼餅(外目焼餅とも当てる)、

とも言うらしい(江戸語大辞典)。

やはり、「岡」を当てる、

岡持ち、

は、ホカモチバコ(他持ち箱)の転らしい(日本語の語源)。

また「岡」を当てる、俗に、

岡っ引き、

という、

町同心の手先に使われ、違法者を探知して、捕吏の手引きをする者、

つまり、目明しの異称である、

岡引、

は、

傍にいて手引すること、一説に、同心の捕縛するのが本引きで、これに対して仮引きの意、

とある(江戸語大辞典)。

「岡場所」の「岡」も、

公許の吉原に対して、その外の(「わきの」)場所、

の意で、やはり、

本場所に対して、仮場所の意、

があり、

寛延・宝暦頃(1748〜64)から言い始めた呼称で、官許の遊里すなわち吉原以外の私娼地、

とある。別に、

さと・くるわ(廓)の対、

とある(江戸語大辞典)。全盛を極めたのは、安永・天明(1772〜1789)期と化政期(1804〜30)とで、その数86ヵ所に及んだ、という。後に、

品川・新宿・板橋・千住、

の四宿が準官許地とされ、それ以外は、寛政(1787〜93)・天保(1841〜43)両度の改革で禁廃された(仝上)、とある(仝上)。

「岡惚れ」は、

傍から惚れる、

でいいと思うが、異説がある。

ヲカは、小高い岡から遠望するという意(すらんぐ=暉峻康隆)、

はまだいいとして、

オカはカオ(顔)の倒置語で、カオボレ(顔惚)の意、また、岡は岡場所とする説もある(ことばの事典=日置昌一)、

というのはどうだろう。

「岡」(コウ)は、

会意。岡は「山+网(つな)」。网は網(モウ あみ)の原字であるが、ここでは綱(コウ つな)を示すと考えたほうがよい。固く真っ直ぐな意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

形声文字です(网+山)。「網」の象形(「網」の意味だが、ここでは、「亢」に通じ(「亢」と同じ意味を持つようになって)、「アーチ形」の意味)と「山」の象形から、「アーチ形の山」、「丘」を意味する「岡」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1952.html

「傍」(漢音ホウ、呉音ボウ)は、

会意兼形声。方は鋤の柄が両わきに張り出た形を描いた象形文字。旁は、それに二印(ふたつ)と八印(ひらく)を加え、両側に二つ開いた両脇を示す。傍は「人+音符旁(ボウ)」で、両脇の意。転じて、かたわら、わきの意を表す、

とある(漢字源)が、別に、

会意兼形声文字です〈人+旁〉。「横から見た人」の象形と「帆(風を受けるための大きな布)の象形と柄のある農具:すきの象形(並んで耕す事から「並ぶ・かたわら」の意味)」(「左右に広がった部分・かたわら」の意味)から、「かたわら」、「よりそう」を意味する「傍」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1175.html

なお、「ほれる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/446808988.htmlについては触れた。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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白雨


「白雨」は、

はくう、

と読ますが、

しらさめ、

とも訓まし、

ゆうだち、

とも訓ます(雨のことば辞典)。ただ、

しろあめ、

と訓むと、

霙(みぞれ)、

を指し、冬の雨になる。

「白雨(はくう)」は、

白く見える雨、

とある(大言海・類語新辞典)。これは、

積乱雲から降ってくる夏の雨で、雨脚が太く強いため、雨滴が空中で分裂したり、地面に当たってしぶきとなるので、白く煙ったようになるところからその名がある、

とある(雨のことば辞典)。

李白の詩に、

白雨映寒山(白雨寒山を映(おお)い)、
森々似銀竹(森々として銀竹に似たり)、

とあり(大言海・雨のことば辞典)。「銀竹」とは、

光線を浴び、光輝いている雨、

の意であり、

強い雨脚に雲間からの光が当たり輝いている様子が、まるで銀色の竹のようだ、

というのである(雨のことば辞典)。

蘓武の詩にも、

K雲翻墨未遮山(K雲墨を翻して未だ山を遮らず)、
白雨跳珠亂入船(白雨珠を跳らせて亂れて船に入る)、

とある(字源)。あるいは、

明るい空から降る雨、

の意かもしれない(デジタル大辞泉)。「夕立」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456384452.htmlについては触れたが、

俄雨(にわかあめ)、
村雨(むらさめ)、
驟雨(しゅうう)、
繁雨(しばあめ)、

等々もほぼ同義となる。

「村雨」は、

群雨、
叢雨、
不等雨、

とも書く

ひとしきり強く降ってはやみ、また降り出す雨、

で、

群れた雨https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E9%9B%A8
群雨(むらさめ)、不等雨(むらさめ)の義(箋注和名抄・大言海)、
ムラムラに降って、降らぬところもあるところから(日本釈名・東雅)、
ムラのある雨、降ってもすぐやむ雨(日本語源広辞典)、

等々という雨の降り方の、

繁粗むら気な雨、

を指している(雨のことば辞典)。「村雨」は、

秋に俄に降り出す雨(日本類語大辞典)、

ともあり、必ずしも夏季と限定されたことばではない(雨のことば辞典)、とある。

「繁雨(しばあめ)」は、雨の降り方が、

一時断続的に激しく降る雨、

で、

屡雨、
芝雨、

とも当てる。「俄雨」「村雨」と同義である。

「俄雨」は、

俄に降ってきてすぐやむ雨(広辞苑)、

で、

早雨(そうう)、
急雨(はやさめ/きゅうう)、
懸雨(けんう)、
驟雨(しゅうう)、
過雨(かう)、

とも言う(広辞苑・大言海・雨のことば辞典)。「懸雨(けんう)」も、

急に降り出す雨、

だが、

「懸」はかかる、ぶらさがる、また枝や葉が垂れ下がったものをいう。雨が、急に降りかかる、

意である(雨のことば辞典)。「驟雨(しゅうう)」は、

夏の俄雨、

で、「夕立」と重なるが、歳時記などでは、

夕立と別に驟雨を詠む、

ことも多くなったとある(仝上)。

急に降り出して、間もなく止む雨、

という意味では、

通り雨、

も、「俄雨」と同義である。

雲の流れに沿って雨脚が通り過ぎていく雨、

であり、

つうう、

とも訓み、

過雨(かう)、

ともいう。

俄に、ひとしきり降る雨、

でもあるが、

雨が通り過ぎるように降る、

という意味でもある(雨のことば辞典)。

なお、「白驟雨(はくしゅうう)」は、

雨脚を白くしぶかせて降る秋の驟雨、

になる(雨のことば辞典)。また、

黒雨(こくう)、

というと、

真っ黒な雨雲から降ってくる雨、

で、

空が暗くなってしまうような土砂降りの雨や豪雨、

を指す(仝上・精選版日本国語大辞典)。

因みに、「あめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/459999594.htmlで触れたように、「雨」の語源は、大別すると、

「天(あま)」の同源説、

「天水(あまみづ)」の約転とする説、

にわかれる。しかし、

雨が多く、水田や山林など生活に雨が大きく関係している日本では、古くから雨のことを草木を潤す水神として考えられた。雨が少い場合は、雨乞いなどの儀式が行われ、雨が降ることを祈られた。「天」には「天つ神のいるところ」との意味があり、そのため雨の語源と考えられている、

とあるhttp://www.7key.jp/data/language/etymology/a/ame2.htmlように、「天」そのものと見るか、その降らせる水にするかの違いで、両者にそれほどの差はない。雨は、

天(アメ、アマ)と共通の語源、

であり、

アマ(非常に広大な空間)から落ちてくる水、

である(日本語源広辞典)。

参考文献;
倉嶋厚・原田稔編『雨のことば辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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半夏生


「半夏生(はんげしょう)」は、禮記に、

仲夏之月(陰暦五月)、小暑至る、鵙(げき モズ)初めて鳴き、反舌(はんぜつ モズの異称)声無し。是の月や、…鹿角落ち、蝉始めて鳴き、半夏生じ、木槿栄く、

とあり(大言海・https://www.tomiyaku.or.jp/file_upload/100058/_main/100058_02.pdf)、「半夏生(はんげしょう)」は、

雑節の一つ、

で、

七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)、

から作られた暦日(暦法に基づいて定められた、暦の上の一日)である。

夏至から十一日目の称、

であり、太陽暦では七月二日(〜七日日)頃までの5日間に当たる。現在の暦では、

太陽の黄道が100度に達するとき、

とされる(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)。

田植えの終る頃、

で、この日を、

出梅(つゆあけ)、

といい、田植えの限とした(大言海)。一説には、

半夏(はんげ)、烏柄杓(カラスビシャク)が成長する頃、

とも、また、

半夏生(ハンゲショウ、カタシログサ)の葉が半分白くなって化粧しているようになる頃、

とも言われる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E5%A4%8F%E7%94%9F・岩波古語辞典)。

近世には、

この朝毒気が降るといって、井戸に蓋をし、野菜を食べず、諸事を忌む日とした、

とある(岩波古語辞典)。南北朝、安倍晴明に仮託された陰陽道指南書『簠簋内傳』(ほきないでん)に、

半夏生、五月中十一日目、可註之、此日不行不浄、不犯婬欲、不食五辛酒肉日也、

とあるとか(大言海)。また、『俳諧歳時記』(享和三年(1803)刊)には、

半夏生、五月中より十一日なり。世俗、この日を期として竹の子を食わず、是竹節蟲を生ずるのゆゑ也、

とある。「竹節蟲(たけのふしむし)」は、

ななふし、

とも訓ませ、

七節、

とも当てる。

体長7〜10センチ。体や脚は細長く、竹の枝に似て、緑色または褐色。翅(はね)はない。コナラ・クマイチゴなどの葉を食べる、

とある(デジタル大辞泉)。「暦注」(暦本に記入される事項)の吉凶によれば、

この日は万物の生気を損耗するので、草木の種をまくには悪い日で決して成長しない、

とされる(広瀬・前掲書)

半夏(はんげ)の乾燥させた根茎は、『本草綱目』(1590)に、

蓋し夏の半に相当するという意味、

とされ、夏の半ばに生えるところから名付けられたという古くから使われる重要な生薬で、根茎を売って小銭をためたところから別名、

ヘソクリ、

ともよばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AF

半夏生は、

半化粧、

とも言われる。名前は、

半夏生の頃に花を咲かせることに由来する、

とする説と、

葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」、

とする説とがあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6

「雑節(ざっせつ」は、二十四節気、五節句などの暦日のほかに、

季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた特別な暦日、

を指し、

節分(各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日)、
彼岸(春分・秋分を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間)、
社日(しゃにち 産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日)、
八十八夜(立春を起算日(第1日目)として88日目)、
入梅(梅雨入りの時期)、
半夏生(はんげしょう 夏至から数えて11日目)、
土用(四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間)、
二百十日(立春を起算日として210日目)、
二百二十日(立春を起算日(第1日目)として220日目)、

等々指した(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%AF%80)。

七十二候(しちじゅうにこう)は、

一年を72に分けた五日ないし六日を一候、

とするものだが、

二十四節気をさらに五日ないし六日ずつの3つに分けた期間、

になる。二十四節気の一気が、

15日、

なので、一候は、わずか五日程度、

そんなに気候が変わるわけはない、

はずである(内田正男『暦と日本人』)。

「二十四節気」は「をざす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481844249.htmlでも触れたが、

1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもの、

で、

「節(せつ)または節気(せっき)」

「気(中(ちゅう)または中気(ちゅうき)とも呼ばれる)」

が交互にあるhttps://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s7.html。例えば、

春は、

立春(りっしゅん 正月節)、
雨水(うすい 正月中)、
啓蟄(けいちつ 二月節)、
春分(しゅんぶん 二月中)、
清明(せいめい 三月節)、
穀雨(こくう 三月中)、

で、夏の、

立夏(りっか 四月節)、
小満(しょうまん 四月中)、
芒種(ぼうしゅ 五月節)、
夏至(げし 五月中)、
小暑(しょうしょ 六月節)、
大暑(たいしょ 六月中)、

のうち、七十二候の「半夏生(はんげしょうず)」は、夏至の三等分、

初候 乃東枯(なつかれくさかるる 夏枯草が枯れる)、
次候 菖蒲華(あやめはなさく あやめの花が咲く)、
末候 半夏生(はんげしょうず 烏柄杓が生える)、

となる。中国由来だが、日本の気候風土に合うように何度も改訂され、今日は、明治七年(1874)の「略本暦」によっている。「半夏生(はんげしょうず)」は、中国由来のままである。

「半夏生」は、真夏の最中なので、

半夏正、

とも書く(広瀬・前掲書)。また、この時期は、

梅雨の真っ盛り、

なので(内田・前掲書)、この頃降る雨を、

半夏雨(はんげあめ)、
半夏水(はんげすい)、

といい、此の大雨で起こる洪水を、

半夏水(はんげみず)、

という(雨のことば辞典)。

参考文献;
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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歯固め

 

かつての暦には日々の吉凶、禁忌などを記載した暦注というものがあった。たとえば、正月三箇日だと、第一日(元日、また元日が陽が悪いと二日になる)、

はかため(歯固め)・くらひらき(蔵開)・ひめはしめ(火水始)・きそはしめ(着衣始)・ゆとのはしめ(湯殿始)・こしのりそめ(輿乗初)、万よし、

第二日には、

馬のりそめ・ふねのりそめ・弓はしめ・あきなひはしめ・すき(鋤)そめ、万よし、

等々とある。

だいたい初日に入るものと、二日目に入るものと決まっているが、年によってどちらかになるものとがある、

とある(内田正男『暦と日本人』)。だから、享保五年(1720)の『天朝天文』(源慶安)は、

門出に凶とある日、主命なれば発足するに何事もなく帰国すること毎度なり。また役目なれば金神の方の国土に行きて在宅するに何の災いなきこと主人持し人々皆これなり、

と、「儒・仏・神ともに学者の用いざる」ような、「日に依って吉凶善悪」に振り回されることを嘲笑っている。

さて、この正月の「歯固め」は、

歯固(よはひかため)を、ハと読める語なるべし、

とある(大言海)ように、

正月から三日までの間、歯(よはひ)すなわち年齢を固める意味で歯の根を固め、健康増進を願って食べる食物、

のこと(岩波古語辞典)で、

元日に、餅鏡(もちひかがみ)に向かいて見る儀、後に、これを鏡餅に居ると云ふ、

とある(大言海)。「鏡餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473055872.htmlで触れたように、大言海は、ここから、

元旦の歯固(はがため)のモチヒカガミを略して、カガミと云ひしに、再び、下に、モチを添えたる語ならむ、

と、「鏡餅」の語源を、

もちかがみ→かがみ→かがみもち、

としているが、室町後期の『世諺問答(せいげんもんどう)』(一条兼良)に、

元日の歯固めとて、鏡餅に向ふことは、歯と云ふ文字をよはひと読むなり。齢を固むる心なり。古今集の、あふみやの、鏡の山を、たてたれば、かねてぞ見ゆる、君が千歳は、の歌を吟ず(鏡餅の名も是より起る、御歯固めの餅は、近江國の火切(ヒギリ)の里より貢するを用ゐる)、

とあるので、深くつながることは確かである。『源氏物語』にも、

歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事どもして(初音巻)、

とある。

中国の『荆楚歳時記』(525年)に、

年頭に膠牙餳(こうがとう)という堅いあめを食べる風習、

が記されている(世界大百科事典)。日本にもこの風が伝わったもので、「歯固めの具」としてさまざまなものが用いられた。

たとえば、宮中では、正月に天皇へ供える膳には、

大根(おおね)・未噌漬瓜(みそづけうり)・糟漬瓜・鹿宍(しかのしし)・猪宍(いのしし)・押鮎(おしあゆ)・煮塩鮎(にしおあゆ)の七品をそろえる、

と定められていた(日本食生活史)。天皇は見るだけであったのは神供の形式であろう(世界大百科事典)、とされる。

平安末期の『江談抄』に、

元三之閨A供御薬御歯固、鹿或盛也、近代以雉盛之也(以上、今の雑煮餅也)。江家次第、一、供御薬「内膳自右青瑣門、供御歯固具……大根一坏、串刺二坏、押鮎一坏、煮鹽鮎一坏、猪宍一坏、鹿宍一坏」、

とある(大言海)。「歯固めの祝ひ」は、「供御薬儀(ミクスリヲクウズルギ)」と呼ばれる年中行事の一部として、

元日早朝に屠蘇(数種の薬草を組み合わせた屠蘇散を酒に浸してつくった薬酒)と共に硬い食べ物を口にして長寿を願う儀式、

なのであるhttp://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/01/post_2393.html。この七品が、平安後期には、「江家次第」によると、鹿宍の代わりに鴫(しぎ)を、猪宍の代わりに雉子を用いるように変わる。仏教と陰陽道の影響で、肉食を戒める傾向が強まったためである。なお、「屠蘇」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479283275.htmlについては触れた。

さらに、平安中期からは、

鏡餅、

も加えられるようになり、朝廷、公卿の家では、

五歳までの子の頭に餅を載せ、前途を祝う儀式をした、

とある(岩波古語辞典)。どの時点からか、「歯固め」における、

歯固めの具、

が、前述の、

大根・未噌漬瓜・糟漬瓜・鹿宍・猪宍・押鮎・煮塩鮎、

等々に代わって、

神前に供えた鏡餅を元日の朝食べて歯固めをする、

と、鏡餅を食べることに意味が変わっていったように見え、

年神に供えた鏡餅をそのまま歯固めと呼ぶところ、

すらあり、これを夏季まで保存し、6月1日に食べるところもある(百科事典マイペディア)、とある。

地方によってさまざまであるが、

くり、かや、大根、串柿、かぶ、するめ、昆布、

等々を「歯固めの具」として口にしたり(ブリタニカ国際大百科事典)、

元旦に串柿、搗栗、豆などを茶うけとして家族一同で茶を飲むこと(長野県の上、下伊那郡)、
正月に搗栗や飴を食べる(広島県や鳥取県など)、

だったりする(日本大百科全書)が、全国的に大根は共通して用いられているらしい。ただ、東日本を中心に、6月1日を、

歯固めの日、

として、

正月神前に供えた鏡餅を干して保存しておいたものを食べる、

地方がある。江戸末期の『諸国風俗問状答(といじょうこたえ)』にも、伊勢国白子(しろこ)領の答書によると、正月の鏡餅をしまっておいて食べる(日本大百科全書)とある。

「鏡開き」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473083486.htmlで触れたように、「鏡開き」は、

正月十一日に鏡餅を下げて雑煮・汁粉などに作って祝う行事。もと武家で男子は具足、女子は鏡台に供えた鏡餅を下ろして祝ったのが、一般の風習となったもの、

であり(江戸語大辞典)、一般に、

正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される、

ようになるのは江戸時代になってからであり、その意味で、「鏡餅」を「歯固めの具」とするのは、かなり新しい、と思われる。

正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される、

という「雑煮」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481191464.htmlも、「鏡餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473055872.htmlと深くつながる。だから、「歯固め」に鏡餅がセットになった時から、正月の雑煮餅を祝う風習へと変化したという流れもありうるのである。

参考文献;
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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鬼門


「鬼門(きもん)」は、

北東(艮=うしとら 丑と寅の間)の方位、

をいう。陰陽道で、鬼が出入りするといって、万事に忌み嫌う方角で、これをメタファに、

あそこは鬼門だ、

などと、

ろくなことがなくて嫌な場所、また、苦手とする相手・事柄、

についても言う(広辞苑)。

鬼門方向の造作、移徒(わたまし 転居)は絶対避けること、これを犯せば禍がたちどころに至る、

と広く世間に言われている(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)とある。

この逆が、

裏鬼門(うらきもん)、

で、南西(坤=ひつじさる 未と申の間)を指す。これは、

人門、

という。これに対して、

北西(乾=いぬい 戌と亥の間)、

を、

天門、

東南(巽=たつみ 辰と巳の間)、

を、

風門、

という(広瀬・前掲書)。

比叡山は御所の鬼門に当たるので、多くの宗徒をおいて天下安全をまもらせた(仝上)が、江戸城は、鬼門にあたる方角に神田明神と寛永寺を配置、裏鬼門にあたる方角に増上寺を配置して守らせているhttps://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=5390