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コトバ辞典



「枝」(漢音シ・キ、呉音シ・ギ)は、

支、

とも当てる。

幹の対、

であり、

会意兼形声。支(キ・シ)は「竹のえだ一本+又(手)」で、一本のえだを手に持つさま。枝は「木+音符支」で、支の元の意味をあらわす、

とある(漢字源)。手足の意では、

肢(シ)、

指の意では、

跂(キ)、

の字が同系である。

和語「えだ」は、もとは、

かき数(かぞ)ふ二上山(ふたがみやま)に神(かむ)さびて立てる栂(つが)の木幹(もと)も枝(え)も同じ常葉にはしきよし……(万葉集)、

と、一語であり、平安時代以後は、

梅が枝(え)、
花の枝(え)、

等々と、複合語に残った(岩波古語辞典)。

「えだ」は、もちろん、和名抄に、

枝、條、衣太、

とあるように、

幹から分かれた部分、

の意だが、これをメタファに、

四肢、

の意でも、

本家から分かれた一族、

本体から文脈したもの、

の意でも使う。和名抄には、

肢、衣太、

とあり、

さらに、その他、

雉ひと枝奉らせたまふ(源氏)、

のように、

木の枝につけた贈物を数えるのや、

いづくともなく長櫃一枝持ち来たり(御伽草紙)、
一柄、ヒトエダ、長刀(饅頭屋本節用集)、

というように、

細長いものを数えるのにも使う。

古へは、心葉(ココロバ)として、贈物に生花、造花の花枝を添えたれば云ふ、

のが、始まりのようである(大言海)。で、大言海は、「えだ」を、

枝、
肢、
枝(接尾語)、

の三項に分ける見識を示す。

「えだ」は、もともと「え」一語だったとすると、語源はなかなか難しいが、「え(枝)」+「だ」の「だ」をどう考えるかになる。

エ(枝)にからだ(体)のダのついた語(岩波古語辞典・日本語源広辞典)
本言はエなり、エダは、枝出(えで)の轉か、小枝(コエダ)をコヤデとも云ふ、肢をもエと云ふは、身体の枝(エ)の義、又エダとも云ふは、枝手(エデ)の轉か(柄(エ)を、テとも云ふ)、ウタテ、ウタタ(大言海・日本語源広辞典)、

のいずれかと思われる。「うたた」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%9F)で触れたように、

うたた→うたて、

うたて→うたた、

の転訛は、結構古く、両用されてきたことを思わせるので、あり得るとは思うが、それよりは、「て(手)」の古形は、

於子之中、自我手俣(タナマタ)、久岐斯(くきし)子也(古事記)、
天皇(すめらぎ)の神の御子のいでましの手火(たひ)の光そここだ照りたる(万葉集)、

にあるように、

た、

であった。とすれば、

枝(エ)+手(タ)→枝+手(ダ)

なのではあるまいか。古形「た」は、

手(た)玉、
手(た)力、
手(た)枕、
手(た)挟む、

等々複合語の中に生きているのだから(岩波古語辞典)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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祐庵焼


「祐庵焼(ゆうあんやき)」は、

幽庵焼、
幽安焼、
柚庵焼、

等々とも当てられる、

鮎の祐庵焼、

という風に用いられる(たべもの語源辞典)、

和食の焼き物のひとつ、

で、

アマダイ、マナガツオ、イナダなどを使い、酒・醤油を四対六に合わせたものに漬けておき、焼き上がりにタレをもう一度つけて出す、

とある(仝上)、そのタレを、

幽庵地(醤油・酒・味醂の調味液にユズやカボスの輪切りを入れたもの)、

というらしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BD%E5%BA%B5%E7%84%BC%E3%81%8D。汁気を切って蒸すと、

幽庵蒸し、

となる(仝上)。

江戸時代の茶人で、食通でもあった、

北村祐庵(堅田幽庵)、

が創案したとされる(仝上)。しかし、

江戸時代の料理本などの文献には幽庵焼きの記載はなく、また幽庵焼きで用いる味醂も非常に高価なものであった為、一般的に料理に用いられるようになるのは北村祐庵の死後、約百年後からである。よって幽庵焼きを北村祐庵が創案したとするのは疑念がある、

との説もありhttps://www.bimikyushin.com/chapter_1/01_ref/yuan.html)、

幽庵の時代は味醂は非常に高価な飲み物であった、
味醂の料理使用は幽庵の時代から100年後、

等々から、

料理に味醂が使われるようになった経緯をみると、1820年頃の江戸時代後期に入ってからやっと料理に味醂が使われるようになったことが分かる。北村祐庵の生きた時代は江戸時代中期(1648年(慶安元年)〜1719年(享保4年))であるので、味醂を使った料理が『料理通』などの本で紹介されるようになる約100年以上も前に、北村祐庵が「幽庵焼き」を創案したとするのはやはり無理があるだろう、

としている(仝上)。

北村祐庵については、「北村祐庵(堅田幽庵)」https://www.bimikyushin.com/chapter_1/01_ref/yuan.htmlが詳しいが、

江戸時代の茶人。美食家としても有名。諱は政従(まさより)、通称佐太夫(さだゆう)。別に道遂(どうずい)と号す。慶安元年(1648)、近江・堅田の豪農の北村家に生まれた。堅田幽庵、堅田祐安(北村祐庵、北村幽庵)と記されることもある、

とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%A5%90%E5%BA%B5)。

『近世畸人伝』によると、北村祐庵は、

味を見分ける事、易牙のようであったと書かれている。易牙とは、中国の春秋時代、斉の桓公に仕えた中華料理の基礎を作ったとも言われる料理人で、「淄澠の水を混ぜても、嘗め分けることができた」と『淮南子』に書かれている、

とありhttps://www.bimikyushin.com/chapter_1/01_ref/yuan.html

水の味に鋭敏であった、

とされ、

ある時下男が骨惜しみして指図通りの水を汲まず、近くの湖辺のものを持参したことを看破し、下男は恐れ入った、

というエピソードがある(仝上)。また、当時の文化人として芸道のあらゆる分野に造詣深く、特に作庭・茶室設計・茶器製作に独特の手腕を発揮し、

天和元年(1681)頃、幽安が師の庸軒と共に創った「天然図画亭(てんねんずえてい)」(居初氏庭園)は、入母屋造りの草庵式と書院式を融合させた茶室「図画亭」と琵琶湖と湖東連山を借景にした枯山水庭園で、大津市指定文化財・国の名勝に指定されている、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%A5%90%E5%BA%B5

享和三年(1803)『新選庖丁梯(かけはし)』には、巻頭には料理の心得と茶人北村祐庵伝。続いて、珍しい盆や椀など器物の図と説明があるがhttp://www.library.tohoku.ac.jp/collection/exhibit/sp/2005/e-tenji/list1/017.html、その小伝に、

庭園の作意にも秀で、物の味を知ること、海内の一人者で、魚肉、きのこ、野菜はもちろんのこと、木・竹・水・石といえども、なめれば、ただちに、その出所の善悪を分かつこと神の如し、

とある(たべもの語源辞典)、とか。「利休煮」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba17.htm#%E5%88%A9%E4%BC%91%E7%85%AE)で触れたように、「利休」を冠する、

利久煮
利休蒸、
利休焼、
利休和、
利休蒲鉾、
利休善哉、
利休煎餅、
利休醤(びしお)、

等々に利休考案のものはひとつもない(たべもの語源辞典)のと同様、「祐庵焼」も、「味きき」伝説の祐庵に名を借りた物なのだろう。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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はんぺん


「はんぺん」は、

はんぺい、

とも言う。で、

半片、
半平、

と当てる。

半片、
半平、

が古く、少し後に、

半弁、

と素材などから当てた、

鱧餅、

等々と表記される(語源由来辞典)とあるが、

近世中期から後期にはハンペイが用いられることが多い。明治以降、東京地方では、ハンベンとすることが多く、次第にこちらの語形が定着した、

とある(日本語源大辞典)。江戸語大辞典には、

はんぺい(半平)、
はんぺん(半片)、

両方載り、

半平と名をかへさかなうつて來る(天明五年(1785)「柳多留」)、
時に半ぺん菜を入る安す料理(文化八年(1811)「柳多留」)、

という用例からみると、「半平」の方が古い(江戸語大辞典)。幕末の『守貞謾稿』には、

半平、江戸の半平は、半圓と方形と二種あり、

とあるので、両用されてきた、というのが正しいのかもしれない。

享保年間の『近世世事談』に、

慶長中、駿府の膳夫半平と云ふものに始まる、

とあるのは、どう考えても間違いである。また、

日本橋室町の「神茂」の祖先である神崎屋茂三郎が創製した、

とするのも、津田宗及の天正三年(1575)七月二十六日の手記に、

仕立ある折敷、かまほこのはんへん、

と「ハンペン」が出てくるので、当たらない。また、「はんぺん」の名は室町末期の料理書、『運歩色葉集』(1548)や『今古調味集』(1580)に見られるとあるhttps://www.kibun.co.jp/contact/faq/history/faq102.htmが、

豆腐料理として「はんぺん」が中世後期の「節用集」などにみられ、「はんぺん」との関係は明らかではない、

とされる(日本語源大辞典)。

ただ、宗及の記述する「かまほこのはんぺん」は、「蒲鉾」の由来と関わる。

「竹輪」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba17.htm#%E7%AB%B9%E8%BC%AA)で触れたが、「蒲鉾」の名は、

親指の太さくらいの丸竹のまわりに、魚肉のすり身を厚保さ四分(1.2センチ)ばかりに丸くつけ、竹とともに湯煮して、揚げ、竹を抜いて用いた、

からである(たべもの語源辞典)。大言海には、

鯛、鱧、鮫などの肉を、敲き擂りて、鹽、酒などを加へて泥(デイ)とし、竹串を心とし、円く長く塗りつけて、炙りたるもの。形、色、蒲槌(かまぼこ)の如くなれば、名としたり、

とある。蒲槌(ほつい)とは蒲の穂のことである。これを意識して、形作ったか、結果として蒲の穂に似たかは、はっきりしないが、

蒲鉾、

つまり、蒲の穂に似ているから、「蒲鉾」となった。

室町時代に、すり身を竹に塗りつけて焼き、儀式に用いたのが始まり、

とある(日本語源大辞典)。その後江戸時代、この竹輪蒲鉾とは別に、

板付蒲鉾、

がつくられるようになる。

板付蒲鉾が蒲鉾になると、竹輪蒲鉾は、竹輪という別な食品になってしまった、

とある(たべもの語源辞典)。もとは、いずれも、

蒲鉾、

であが、中央にさした竹を抜いて、きったきりくちが竹の輪に似ているので、

竹輪、

と別にされた。「はんぺん」は、

竹輪蒲鉾を縦二つに切って平らにしたもの、

で、それを、

半片(ハンペン)、

と呼んだものである(たべもの語源辞典)。だから「かまほこはんぺん」である。安政六年(1859)の『蒹葭堂雜禄(けんかどうざつろく)』に、

竹輪……二つに割りて板に付けたるを半片(ハンペン)と云ひ、……後に蒲鉾と云ひ習はせしが、京師にては、其の名残りにて、半平と云ふものあり(浪花にてスリミと云ふ物なり)、

とあり、さらに、

京師にて半平と號くるものに、浪花にて葛餡をかけて販ぐに、安平(アンペイ)と號せり、これ半片に餡をかくるよりしての名なるべし、

とあり、

安平、

と呼ぶものもあったらしい(大言海)。

江戸の「はんぺん」には、

円形中高のものと方形の二種があった、

とある(たべもの語源辞典)のは、「かまぼこはんぺん」からみるとあり得るので、

蒲鉾と同く磨肉也。椀の蓋等を以って製之、蓋、半分に肉を量る、故に半月形を以って名とす(守貞謾稿)、
中国語の方餅(fangpin)から(外来語辞典=楳垣実・外来語辞典=荒川惣兵衛)、

という説は成り立たない。また、

ハモの肉で作るところからハモヘイ(海鱧餅)の訛(嬉遊笑覧)、
魚肉のみではなく半分は山芋がまじったものであるから(たべもの語源辞典)、

も、考え過ぎではあるまいか。

「はんぺん」は、

関東周辺のみで食されていた地域色の強い食品であった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E7%89%87

戦後になって東京の紀文食品が「紀文のはんぺん」として全国的に販売するようになって以降はこの白いはんぺんが「はんぺん」として定着したが、現在も消費の殆どは関東周辺である、

とあり、

静岡県では、イワシなどを丸ごと用いて作った青灰色のいわゆる黒はんぺんを「はんぺん」と呼び、白いはんぺんは「白はんぺん」と区別して呼称する、

とある(仝上)。焼津市近隣では、昔から、

はんべ(半平)、

と呼んできた(仝上)、という。魚の練り物を揚げたものの総称として、

はんぺん、

と呼ぶ地域もあり、いわゆる「薩摩揚げ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%BE%E6%8F%9A%E3%81%92)と同じだと他の地方の人が誤解することが多い、とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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羽二重


「羽二重」は、

経糸(たていと)に生糸、緯(ぬきいと)に濡らした生糸を織り込んだ、緻密で肌触り良く光沢のある平組織の上質な白生地、

をいう(広辞苑)が、それを、

地合いを引き締め光沢を出すために、よこ糸を水で湿らせて柔らかくする「湿緯(しめよこ)」という羽二重独特の製織法、

という(テキスタイル用語辞典)。

非常に柔らかく、握ったり結んだりすると、キュッキュッという絹ならではの摩擦音「絹鳴り」がするのが特徴、

とある(仝上)。

享保二年(1717)の『書言字考節用集』に、

光絹(又作、輕光)湖紬、羽二重(和俗所用)はぶたへ、、

とあるように、

光絹(こうきぬ)、

とも呼ばれる。それは、

通常の平織りが緯糸と同じ太さの経糸1本で織るのに対し、羽二重は経糸を細い2本にして織るため、やわらかく軽く光沢のある布となる。織機の筬(おさ)の一羽に経糸を2本通すことから、

この名があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%BA%8C%E9%87%8D。平安時代の『古語拾遺』には、

衣服謂之白羽(篤胤云、羽は蓋し布帛の総名)、

とあり、江戸中期の『和漢三才図絵』には、

光絹(はぶたへ)、光繪、俗云、羽二重、按光絹出京師、而繪之最上、以為御服出於加賀者、名加賀光絹、稍劣、但馬之産次之、

とある。羽二重が始まったのは近世からで、

明治10年頃から京都や群馬県桐生などで機織り機の研究が進められ、明治20年頃には福島県川俣、石川県、福井県などで生産されるようになった。明治時代、日本の絹織物の輸出は羽二重が中心であり、欧米に向けてさかんに輸出され、日本の殖産興業を支え、羽二重は国内向けのものと輸出向けのものがあり、輸出されるものを「輸出羽二重」と呼んだ、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%BA%8C%E9%87%8D。別に、

明治4年。「五箇条の御誓文」の草案者である由利公正公が欧州から絹織物数種を持ち帰った。それを福井の有志に見せて新しい絹織物の考案を依頼し、羽二重製織の技術研究が始まりました。そもそも一年中いつでも昼と夜の乾湿の差が少ない福井地方は、まさに最高の条件をそなえた土地でした。明治20年頃には技術の基礎も確立し、福井県は名実ともに世界一の生産地となったのです、

と福井の羽二重の由来を説くものもあるhttp://www.fukukinu.jp/habutae/knowhow.html

「羽二重」の言葉の由来は、

和名抄に、「帛、波久乃岐奴」とあり、帛栲(ハクタヘ 栲は白布)の訛(大言海・日本語源広辞典)、
埴生帛(はぶたへ)の義、下総國、埴生(はぶ)郡ょり始めて製出す、因りて名あり(大言海)、
ふつうの絹糸を二重に合わせたような絹であるところから(三省録)、
羽振妙の義(和訓栞)、
ハクウタヘ(白羽布)の義(名言通)、

等々ある。「光絹」の名が、正式で、俗に、

羽二重、

と言ったとすると、

帛栲(ハクタヘ)、

白羽布(ハクウタヘ)、
か、

何れも同義だが、どちらかなのではないかと思うが、しかし、「光絹」の由来とつながる、

撚りのない生糸で織られた羽二重は、鳥の羽根のようなふわっとした風合いであること、また、たて糸を2本引き揃えて製織することから“二重”という意味にとり「羽二重」という名が生まれた、

とするhttp://www.fukukinu.jp/habutae/knowhow.htmlのが妥当かもしれない。

ところで、「羽二重」に因んだ、「羽二重餅」というものがある。

「求肥」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba16.htm#%E6%B1%82%E8%82%A5)で触れたように、江戸時代の初期に、

葛粉・蕨粉・玉砂糖の三味を糯米粉に入れて火にかけて煉り、さらに水飴を混ぜて煉って冷ましてから菱型に切った。糯米を主材料にしたので求肥餅とよばれたが、次第に餅より飴に発達して文化・文政(1804〜30)のころにはその技術は最高となり、加工品もできた。餡を求肥で包んだものは、羽二重餅といった、

というhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317673943。文化年間(1804〜18)の滑稽本『浮世床』にも、

紅毛やうかん、本やうかん、最中まんぢゅに、羽二重もち、

とあり、おなじみのものであった。ただ、この「羽二重餅」は、

外皮が羽二重のように滑らかできめ細かく搗いてある餅、

を指す(たべもの語源辞典)。いわゆる、

羽二重餅、

は、福井の名物、松岡軒の特製品である(仝上)、とあるが、

弘化四年(1847)錦梅堂(きんばいどう)で作られた、

ともありhttp://nyancoroge.info/mame_habutae、背景には、

「名産品の羽二重を彷彿とさせるような土産物を」という、福井の人たちの思いがあったようです。聞くところによると、ほぼ同時期に、福井の複数の菓子屋さんから同時多発的に販売が始まった、

ともあるhttps://www.kansendo.com/habutaemochi/

「求肥」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba16.htm#%E6%B1%82%E8%82%A5)そのものが普及した後のことだから、この発想が取り立てて珍しいものではないのだろう。

糯米(もちごめ)と砂糖と水飴とで柔らかく求肥に練り上げたものを取粉引きの厚い箱に、厚さ三ミリくらいに流し込み、冷やしてから包丁で長さ六センチくらいの短冊型に切る、

という(たべもの語源辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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ぬた


「ぬた」は、

饅、

と当てる(広辞苑)。

沼田、

とも当てる(たべもの語源辞典)。

饅和え、
饅韲え、

あるいは、

かきあえ、

ともいい(広辞苑)、

ぬたなます(饅膾)、

ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AC%E3%81%9F。つまり、「ぬた」は、

饅膾(ぬたなます)の略称

である(仝上)が、大言海は、

沼田和へ膾(なます)の略、

としているので、「ぬた」は、正式には、

沼田和へ膾(なます)の略、

である。

魚介や野菜などを酢味噌で和えたもの、

で(広辞苑)、

酢味噌和え、

ともいい(世界の料理がわかる辞典)、

なます(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba17.htm#%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%99)の一種、

である。室町末期の日葡辞書にも、

「Nuta」(饅)の見出しで「Namasu(膾)などを調理するのに用いる一種のソース。または、酢づけ汁(escaueche)。Nutanamasu(饅膾)この酢づけ汁で作ったNamasu、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AC%E3%81%9F、室町時代末期までに料理として成立していたとうかがえる。

「ぬた」に当てる、「饅」(漢音バン、呉音マン)は、

会意兼形声。「食+音符曼(マン 上に丸くかぶさる)」で、丸く薄皮をかぶった蒸しパン、

で(漢字源)、「小麦粉をねって丸く付加したもの」を意味し、「饅頭」の「饅」である。これを「ぬた」に当てた経緯がはっきりしない。『字源』も『漢字源』も、「饅」の意は載せない。ネット上では、

@食品の「饅頭(マンジュウ)」に用いられる字、
Aぬた。魚肉や野菜を酢みそであえた料理、

とある場合があるhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0006593900が、そう訓ませたところから後世の判断で、我国だけの使い方なのではないか。

だから、

沼田、

の当て字が正しいのかもしれない(たべもの語源辞典・大言海)。「沼田」は、

沼地、
泥土、

の意で、おそらく、それをメタファに、

酢味噌に和えた状態、

をも意味させたのではあるまいか(岩波古語辞典)。

ぬた打つ、
とか、
ぬたくる、

と泥まみれになる状態の言葉も、それと関わる(仝上)。

沼田和え(大言海)、
沼田膾(俚言集覧)、
泥に似ているところから泥濘の義、ヌタナマスの略(猪に関する民俗と伝説=南方熊楠)、

はその説だし、

ヌト(泥所)の意(言元梯)、

も同趣である。

味噌のどろりとした感じが沼田に似ている、

ところからの名である(たべもの語源辞典)。万葉集に、

醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗きかてて鯛願我れにな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)、

とある「醤酢」は、酢味噌を指し、鯛の刺身と蒜(ノビル・アサツキ・ニンニクなどの総称)との「ぬた」らしい。「蒜(ひる)」については「あさつき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba18.htm#%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%8D)で触れた。

「あえる」は、

和へる、
饅へる、

と当て、「あふ」は、

合ふ、

である。

雜ぜ合わせる、
一緒にする、

意になる。和名抄に、

俗に云、阿閉豆久利、……此あへづくりは、料理の書に、のたあへと云ふものにあたれり、

とある。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ニンニク


「ニンニク」は、

大蒜、
葫、

と当てる(広辞苑)が、

蒜、
忍辱、

とも当てているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%AF。室町時代の文明本節用集には、

荵蓐、ニンニク、或云蒜、或云葫、

とある。漢名は、

葫(コ)、
蒜(サン)、
葷菜(グンサイ)、
麝香草(ジャコウソウ)、
莙蒿菜(クンコウサイ)、

等々(たべもの語源辞典)。「葫」(漢音コ、呉音ゴ)は、

会意兼形声。艸+音符胡(コ えびす、西域)、

で、大蒜(ダイサン)、にんにく、大ビルなどを指す。「蒜」(サン)は、

会意兼形声。祘(サン)は。高さの揃った計算用の棒のこと。蒜はそれを音符とし、艸を加えた字で、算木のように、高さがそろってのびる草、

であり、にんにく、ノビルなどを指す(漢字源)。

仏教ではネ「ニンニク」「ニラ」「ネギ」「ラッキョウ」「ノビル」など、臭気の強い五種の野菜を「五葷(ゴクン)」「五辛(ゴシン)」などといい、これを食べると情欲・憤怒が増進する食品として、僧侶たちは食べることを禁じられていた、

とあり(語源由来辞典)、「五葷」は、

五辛、

とも言うとあるので、ほぼ同じ意味らしいが、挙げているものが、

忍辱(にんにく)、野蒜(のびる)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韮(らっきょう)(「五葷」 精選版日本国語大辞典)、
にら、ねぎ、にんにく、らっきょう、はじかみ(しょうが、さんしょう)(「五辛」 ブリタニカ国際大百科事典)、
忍辱(にんにく)、葱(ねぎ)、韮(にら)、浅葱(あさつき)、辣韮(らっきょう)(「五辛」 精選版日本国語大辞典)、

と、微妙に違うのは、楞厳経(りょうごんきょう)だと、

大蒜(ニンニク)、小蒜(ラッキョウ)、興渠(アギ)、慈葱(エシャロット)、茖葱(ギョウジャニンニク)、

梵網経(ぼんもうきょう)では、

葱(ネギ)、薤(ラッキョウ)、韮(ニラ)、蒜(ニンニク)、興渠(アギ:アサフェティダ)、

楞伽経(りょうがきょう)では、

大蒜(ニンニク)、茖葱(ギョウジャニンニク)、慈葱(エシャロット)、蘭葱(ニラ)、興渠(アギ)、

と違うためだが、

辛味や臭気の強い五種の野菜、

ということで、『説文解字』に、「葷」は、

臭菜也。从艸軍声(臭い野菜。部首は草冠で音は軍)、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E8%91%B7%E9%A3%9F、本来はネギ属の植物を指していたものと思われる(仝上)。「らっきょう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba17.htm#%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%82%A6)で触れたように、「葷(クン)」(「艸+音符軍(なかにこもる、むれる)」)は、

ねぎ、にら、などにおいの強い菜、また味の辛い菜、

の意味である(漢字源)。

不許葷酒入山門

とあるように、

肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は、修行の場に相応しくない、

としたためと思われる。仏語「忍辱」は、仏様の境涯に到るための六つの修行、

六波羅蜜、

の一つhttps://www.rokuhara.or.jp/rokuharamitsu/

さまざまな苦難や他者からの迫害に耐え忍ぶこと、

であり、

内心能安、忍外所辱境、故名忍辱、

とある(大言海)

この背景から、「にんにく」は、

忍辱、

と当て、

五葷のひとつである「ニンニク」を、僧侶たちが隠し忍んで食べたことから、「忍辱」の語を隠語として用いた、

という「ニンニク」の由来説がある(大言海・語源由来辞典・たべもの語源辞典)。隠語は、

忍辱(にんじゅく)、

で、音からニンニクと称せられた、

ともされる(たべもの語源辞典)。

臭気なく行者も食ふべしとて行者ニンニクなり、

とある(大言海)。

ニホヒニクム(匂惡・匂憎)の義(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・名言通・柴門和語類集)、

は、少し無理筋ではあるまいか。日本書紀の日本武尊の条に、

以一箇蒜彈白鹿、則中眼而殺之、

という節があり、蒜を以て白い鹿に弾き飛ばしたとある。この「一箇蒜」は、ニンニクである。

「ニンニク」は、古名、

おほびる(大蒜)、

といい、和名抄に、

葫、於保比流、

とある。「ひる」は、和名抄に、

蒜、比流、大小蒜総名也、
大蒜、葫、於保比流、
小蒜、古比流、一云米比流、
澤蒜、禰比流、

とある。本草和名をみると、

葫、於保比流、
蒜、古比流、

とあるので、「葫」はおおびる、「蒜」はこびる、と使い分けていた気配である(大言海)。

朝鮮語pïl(蒜)と同源(岩波古語辞典)、

という説がある。しかし、日本書紀をみるまでもなく、

日本には太古から自生していた、

とされる(たべもの語源辞典)。とすると、

根の味辛く、口に疼(ひひら)ぐ意(大言海・箋注和名抄・名言通)、
味のヒラヒラするところから(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
ニはニホヒ(匂)、ニクはニクム(嫌)の略、ニニクをニンニクと称した(たべもの語源辞典)、

等々味か匂いからきていると見るのが妥当ではあるまいか。同じ匂いの強い「ニラ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%83%8B%E3%83%A9)は、古名「かみら(韮)」が、

カは香、臭気ある意、

とし、

カミラ→ミラ→ニラ、

と転じた(岩波古語辞典)とする説があった。やはり「匂い」由来ではあるまいか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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奈良漬


「奈良漬」は、

糟漬の一種、上等の酒糟に、瓜、茄子、胡瓜、守口大根などを漬けたるものにて、上品なるものとす。初、大和の奈良より製し出したるものと云ふ、

とある(大言海)。醒睡笑(元和、安楽庵策傳)に、

瓜の糟づけ、奈良づけと云ふ事は、かす(糟)がの(春日野)があればよいといふ縁なり、

ともじっている(仝上・たべもの語源辞典)。

漬物の中でも高級なもので、一貫目(3.75キログラム)の酒糟に瓜二本という割合に漬けるのが良いとされるほどに贅沢なものである、

とし、

大阪の淀屋辰五郎が四斗樽(約72リットル)一挺の糟に瓜二本ずつを漬けて得意がったという話がある、

ともあり(たべもの語源辞典)、

糟が多いほどうまいものができる、

ということらしい(仝上)。奈良漬けは、粕漬として、平城京の跡地で発掘された長屋王木簡にも、

進物(たてまつりもの)加須津毛瓜(かすづけけうり)、加須津韓奈須比(かすづけかんなすび)、

と記された貢納品伝票があり、正倉院文書には、

生姜と瓜の粕漬、

が記されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%BC%AC%E3%81%91とあるし、平安中期の延長五年(927)編纂の延喜式にも、

粕漬瓜九斗、粕漬冬瓜一石、粕漬茄子等、

とあり、「粕漬」という名で、瓜、冬瓜・ナスが記載されていた、とある(仝上・「奈良の食文化についての実態調査報告書」)。この背景にあるのは、

奈良では古くから酒造りが行われており、室町時代(1338〜1573)になると「南都諸白」と呼ばれる良酒の産地となり、質のよい酒粕を使った野菜の粕漬が作られるようになった、

という酒造が盛んであったことがある(仝上)。なお、当時の酒はどぶろくを指していて、

粕とは搾り粕ではなくその容器の底に溜まる沈殿物の染(おり)に野菜を漬けこんだものであった、

とされる(仝上)。当時は、上流階級の保存食・香の物として珍重され、高級食として扱われていた、ともある(仝上)。

「奈良漬」という言葉は、明応元年(1492)『山科家礼記』に、宇治の土産として、

ミヤゲ、ナラツケオケ一、マススシ一桶、御コワ一器、

とあるのが初見とされる。慶長八年(1603)の日葡辞書にも、

奈良漬は奈良の漬物の一種であり、香の物の代わりに使う、

とある(仝上)、とか。

「奈良漬」の代表は、

越瓜(しろうり)、

である(たべもの語源辞典)、とある。

白瓜、

とも当て、

ウリ(メロン)の品種、

で、

アサウリ、
ツケウリ、
カタウリ、
モミウリ、

とも言い、

完熟すると皮の色が白っぽくなることにちなむ。身が緻密で味が淡白であるため、奈良漬けなどの漬物での利用が適している、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%AA

江戸時代に入り、

奈良中筋町に住む漢方医糸屋宗仙が、慶長年間(1596〜1615)に、シロウリの粕漬けを、

奈良漬、

という名で売り出しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%BC%AC%E3%81%91、これが奈良漬という言葉を広めた(仝上)。綱吉の時代には、浅草の観音の門前で「奈良漬を載せたお茶漬け」が評判となり、大当たりし、「奈良漬」は、

白瓜のほか、なす、小型のスイカ、きゅうりなども素材として用いられ、幕府への献上物や東大寺に参拝する人々にみやげ物として売り出され、奈良を訪ねる旅人によって一般に普及され始めた。江戸時代の川柳に、「奈良漬にひょっとおの字をつける下女」、「ほんのりと嫁奈良漬の船に酔い」の句が残っている。また、野菜の粕漬が酒造家の副業として全国に広がり、各地方独特の素材を使った漬け方が考案された、

ことで(「奈良の食文化についての実態調査報告書」)、瓜の粕漬から野菜の粕漬の総称となる。幕末の『守貞謾稿』には、

酒の粕には、白瓜、茄子、大根、菁を専らとす。何国に漬たるをも粕漬とも、奈良漬とも云也。古は奈良を製酒の第一とする故也、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%BC%AC%E3%81%91、銘醸地奈良の「南都諸白」から生まれる質のよい酒粕に負うところが大きい(仝上・たべもの語源辞典)、という。

「南都諸白」は、

なんともろはく、

と訓ませ、

平安時代中期から室町時代末期にかけて、もっとも上質で高級な日本酒として名声を揺るぎなく保った、奈良(南都)の寺院で諸白でつくられた僧坊酒の総称、

であり、

菩提山正暦寺が産した「菩提泉(ぼだいせん)」

を筆頭として、

山樽(やまだる)、
大和多武峯酒(やまとたふのみねざけ)」、

等々が有名でhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%BD%E8%AB%B8%E7%99%BD、僧坊酒全盛の時代が終わってからも、奈良流の造り酒屋がその製法を引き継ぎ、江戸時代に入ってもこのブランドで下り酒の販路に乗せていた(仝上)。

因みに、「諸白」とは、

麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を用いる製法の名、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E7%99%BD

現在の清酒では当たり前の手法であるが、精米が困難であった時代には玄米を用いて酒造りが行われていた、

とあるhttp://www.nada-ken.com/main/jp/index_mo/557.html

室町時代(1338〜1573)に、奈良の寺院において、麹米・掛米とも白米を用いる南都諸白が考案されるまで、

は、麹米には玄米、掛米には白米を用いた片白と呼ばれる濁り酒が一般的であった、とある(仝上)。

参考文献;
「奈良の食文化についての実態調査報告書〜奈良漬・茶がゆの魅力度向上策の提言(中小企業診断協会 奈良支部)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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とろろ汁


「とろろ汁」に、

薯蕷汁、

と当てている(大言海)。

いもじる、
とろろ、
とろ、

ともいう(仝上)。とろろ汁は飯がよく進むことから、「飯(いい)やる」を「言いやる」に掛けて、

言伝(ことづて)汁、

という異称があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%8D%E3%82%8D、とか。

ヤマイモ(薯蕷)、又は、仏掌薯(つくねいも)を擂りて、熱き味噌汁、又は、清澄(すまし)汁に溶かしたもの、

とある(仝上・広辞苑)

盪(トウ)汁の義、

とある(大言海)。

ヤマノイモやヤマトイモをおろし金ですりおろし、擂鉢に入れてすって、清(すまし)汁か味噌汁を加えて、すりのばし、この中に卵を割り入れる。出すときに、きざみ葱・青海苔などを薬味にする(たべもの語源辞典)、

生の山芋または長芋をすり下ろしたものhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%8D%E3%82%8D

ともあり、汁物にしてとろろ汁、吸物にして吸いとろ、麦飯にかけて麦とろ、などとして食べられる。とろろを鮪のぶつ切りにかけた料理を山かけといい、山かけ蕎麦や山かけうどん等々がある(仝上)。

梅若菜まりこの宿のとろろ汁、

と芭蕉が江戸に下る弟子の乙州(おとくに)に与えた句がある、「鞠子の宿」の「とろろ汁」は、参勤交代の大名に気に入られたので有名になった、という(たべもの語源辞典)。慶長元年(1596)創業の丁子屋(ちょうじや)は、鞠子宿の名物とろろ汁を提供する店の一つで、創業以来400年間場所を変えずに営業している。

「とろろじる」の「とろろ」については、

トロトロの略(たべもの語源辞典)、

とある。

トロトロした汁の意(類聚名物考・俗語考・日本語源=賀茂百樹・音幻論=幸田露伴)、

も同じである。

トロロは動詞トトロク(盪)の語幹に由来する(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、

は、大言海の、

盪汁の義、

と同じ意味である。これも、「とろく」

盪く、
蕩く、

固まっているものが溶解する、

意とすれば、同趣である。

「トロ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%83%88%E3%83%AD)で触れたように、擬態語の、「とろ」は、

トロトロ、

からきており、

固形物がとけてやわらかくなったり、液状の物が粘り気を帯びている様子、

を意味する(擬音語・擬態語辞典)。同じ擬態語「とろっ」「とろり」「とろとろ」と比べると、

「とろり」よりも、「とろっ」の方が状態を瞬間的にとらえて切れのある感じを表す。また、「とろり」と比べて「とろーり」の方が持続的でより滑らかに流れる感じを表す。「とろり」が状態を一回で切り取って把握するのに対して、「とろとろ」は何度も繰り返して継続的な感じを表す、

とある。「とろろ汁」の「とろとろ」はこれだろう。

ところで、「とろろ汁」に使う「薯」は、

とろろいも、

といい、

薯蕷芋、
薯蕷藷、

と当てるが、その種類は、

ヤマノイモ、
ナガイモ、
ツクネイモ、

等々があり(広辞苑)、

ヤマノイモとナガイモは全くの別種であるが、ともにヤマノイモ属であり、区別せず広義でヤマノイモ(山芋)と呼ぶ、

こともあり、しかも、一般に山芋と呼ばれるものには、大きく分けて、

ヤマノイモ、
ジネンジョ、
ダイジョ、

の3つの種類に分かれるhttps://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/tukuneimo.htm、という。「ナガイモ」は、

長芋群(細長い棒状の山芋)、
いちょう芋群(関東地方では「大和芋」とよばれているねばち形や手のひら状に広がった形のナガイモ)、
つくね芋群(「丹波いも」「大和いも」「伊勢いも」などね握りこぶしのように固くてゴツゴツした塊形)、

の3群に分けられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2、とある。栽培種になって、ますます品種がややこしいが、「ヤマイモ」にも、

よくスーパーで見かける長いナガイモ群、
関東で大和芋として売られていることもあるイチョウのような形のイチョウイモ(銀杏いも)群、
塊状のヤマトイモ群、

の3つに分けられるhttps://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/tukuneimo.htm、とある。

「やまいも」は、

山芋、
薯蕷、

とあて、

ヤマノイモ(山の芋)、

と同じである。鎌倉時代に編纂された字書『字鏡(じきょう)』には、

薯蕷、山伊母、

と載る。山野に自生するので、

自然生(じねんじょう)、
自然薯(じねんじょ)、

と言った。これは、里芋に対して、山地にあるから

ヤマイモ、

と言ったのである。漢名は、

薯蕷(じょよ)、

とされるが、牧野富太郎が、これはナガイモの漢名としている(たべもの語源辞典)のは、

古くは中国原産のナガイモを意味する漢語の薯蕷を当ててヤマノイモと訓じた、

からである。「やまいも」は、

日本特産で、英名はジャパニーズ・ヤム(Japanese yam)、中国名は、日本薯蕷(にほんしょよ)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%83%A2

「ながいも」は、

長薯、

とあて、古く中国から伝来し、畑で栽培された。漢名は、

山薬(さんやく)、
薯蕷(しょよ)、

とされるが、中国では、

同種のナガイモは確認されていない。日本で現在流通しているナガイモは日本発祥である可能性もある、

とされているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2

「ヤマトイモ」(大和いも)は、

ヤマノイモ科のつる性多年草の芋で、奈良県在来のツクネイモの品種である。関東などでは、イチョウ芋を「やまと芋」と呼ぶ、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E3%81%84%E3%82%82

芋が球形をしたものをツクネイモ群と称し、表皮が黒いものは大和いも、白いものは伊勢いもと呼ばれるが、いずれも中身は白色である、

とある。大和いもを含むツクネイモ群は、

大陸から渡来したナガイモの一種で、山に自生する日本原産のヤマノイモとは別の種、

とされる(仝上)。つくねいもの名前が最初に登場するのは『清良記』(1654年頃)で、

江戸時代の『本草綱目啓蒙』および『成形図説』に「大和イモ」「大和芋」の名が現れるが、この頃は「仏掌薯(つくねいも)」を指していた。1924年(大正13年)の『本場に於ける蔬菜栽培秘法』(三農学士編 柴田書房)にも「大和蕷薯〔ママ〕 一名仏掌薯(ツクネイモ)」の項があり、この頃まで「仏掌薯(つくねいも)」が「大和いも」と呼ばれていた、

とされる(仝上)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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いも


「いも」は、

芋、
薯、
藷、
蕷、

等々と当てる(広辞苑・大言海)。

サトイモ、ツクネイモ、ヤマノイモ、ジャガイモ、サツマイモなどの総称、

で(広辞苑)、

植物の根や地下茎といった地下部が肥大化して養分を蓄えた器官である。特にその中で食用を中心に利用されるものを指すことが多い。但し、通常はタマネギのような鱗茎は含めない、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%8B

「芋」(ウ)は、

会意兼形声。「艸+音符于(ウ 丸く大きい)」

とあり、「いも」の総称。とくにサトイモをさす、とある(漢字源)。

「薯」(漢音ショ、呉音ジョ)は、

会意兼形声。「艸+音符署(ショ 集まる、中身が充実する)」。根が充実してふといいも、

とある。「藷」と同じで、「いも」の意。「薯蕷」(ショヨ)は「ナガイモ」、「蕃薯」(バンショ)は「さつまいも」、「甘藷」も「さつまいも」になる(漢字源・字源)。

「藷」(ショ)は、

会意兼形声。「艸+音符諸(ショ あつまる、中身が充実する)」、

とあり、「薯」と同じで、根が充実したいも、を指し(漢字源)、「甘藷」(カンショ さつまいも)と使う。「藷藇」(ショショ)は「やまのいも(やまいも)」の意になる(字源)。

「いも」は、鎌倉時代に菅原為長によって編纂された字書、字鏡(じきょう)に、

蕷、芋、伊毛、

と載り、古く、

使掘薯蕷(武烈紀)、

とあり、この場合、

山芋、

を指すと思われる(岩波古語辞典)。古くは、「いも」は、

山芋・里芋をさし、江戸時代中頃からさつま芋、末期からじゃがいもをいう、

とある(仝上)。

和語「いも」の語源は、古くは、

うも(芋・薯蕷)、

と言ったとあり(大言海・岩波古語辞典)、

沖縄にては、ウム、

とある(大言海)。語源説は、古名「うも」なら、

ウモの転(岩波古語辞典)、
ウモの転、ウヲ、いを(魚)、根塊に就きての名か(大言海)、
ウモ(埋も)の音韻変化(日本語源広辞典・日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウヅムから埋むの転。土に埋めて蓄えるから(滑稽雑誌所引和訓義解)、

が、大勢のようだが、

ウヅマリミ(埋実)の義(日本語原学=林甕臣)、

も同趣と見ていい。

うむ(埋)の転訛、

とするのが妥当だろう。ただ、異説はある。

子をもつから、イモ(妹)となぞらえた(和訓栞・和句解)、
オモ(母)の転呼(言元梯)、
ウマシ(旨)の転(和語私臆鈔)、
イモのイはイキ(息)、イノチ(命)、スカル(怒)などのイとは共通で、内在するちからをいう。モはモモ(桃・腿)、モミ(籾)などのように、まるみのある身、まるい実をいう。イモはモが本体で、内容の充実したまるい物をいう意味になる(南島叢考=宮良当壮)、

しかし、どうしても、語呂あわせの屁理屈にしか見えない。複雑に考えれば考えるほど実態から乖離するのは、語源論の基本だと思う。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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さうらふ


「さうらふ」は、

候、

と当てる。

目上の人のそばに控える、仕える、
「あり」の謙譲語、ありの丁寧語、おります、ございます、

の意だが(広辞苑)、助動詞として、

聞こえさうらふ、
義経にて候、

というように、

動詞及びある種の助動詞の連用形に、「に」「で」などの助詞について、目下の者が自分に関することを目上の者に述べるのに用いた。鎌倉時代以降は「侍り」などと同じく丁寧な言い方に用いられた。今日の「ます」「ございます」にあたる。のちにはいわゆる「候文」として書簡などに用いられる、

とあり(広辞苑)、

言葉遣いを丁寧・丁重にするために添える、

形で使われる(岩波古語辞典)。「さうらふ」は、

さもらふ、さむらふ、さぶらふの転、

とされる(大言海)。

「候」(漢音コウ、呉音グ)は、

会意兼形声。侯の右側は、たれた的(まと)と、その的に向かう矢との会意文字で、的をねらいうかがう意を含む。侯は、弓矢で警護する武士。転じて、爵位の名となる。候は「人+音符侯」で、うかがいのぞく意味をあらわし、転じて身分の高い人の機嫌や動静をうかがう意となる、

とあり(漢字源)、「さうらふ」に似ているが、別に、

会意形声。「人」+音符「矦(=侯)」、「侯」は矢で的を狙う軍人、時代が下って王の側近を意味するようになり、「候」に元の「ねらう」等の意が残った、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%80%99

「斥候」の「うかがう」意であり、「候門」のように「待つ」意であり、「時候」のように「きざし」の意であるが、身分の高い人の傍近くに仕えて機嫌をうかがう意の「さぶらふ」意でもある。

「さうらふ」に転訛した「さぶらふ」は、

候ふ、
侍ふ、

とあてるが、

さもらふの転。じっとそばで見守り待機する意。類義語ハベルは、身を低くして貴人などのそばにすわる意、

で(岩波古語辞典)、「さもらふ」は、

「様子を伺い見る」が古い意味である。……主人の側に仕えて、絶えず主人の意向を見守っていたことに発する語である。それが「さぶらふ」となって、貴人の命を伺い待つ意として使われ、やがて、広く丁寧の意を表すのに用いられるようになった、

とある(仝上)。

「居り」「有り」の謙譲語。また丁寧にいう語としても使われた、

が(広辞苑)、丁寧語としては、

奈良・平安時代にはバベル(侍)が使われていたが、次第にサブラフがとって代わった、

とあり(岩波古語辞典)、

鎌倉・室町時代には、男性は「さうらふ」、女性は「さぶらふ」「さむらふ」と使うという区別があった、

(平曲指南抄・ロドリゲス大文典)、とある(仝上・広辞苑)。

「さぶらふ」に転訛した「さもらふ」は、

候ふ、
侍ふ、

と当て、

サは接頭語、モラフは、見守る意の動詞モ(守)ルに反復・継続の接尾語フが付いた形、

とある(岩波古語辞典)。そしてこの接尾語「フ」は、

四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す。例えば、『散り』『呼び』といえば普通一回だけ散り、呼ぶ意を表すが、『散らふ』『呼ばふ』といえば、何回も繰り返して散り、呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形のあとに加わって成立したもの。その際の動詞語尾の母音の変形に三種ある。@[a]となるもの。例えば、ワタル(渡)がウタラフとなる。watariafu→watarafu。A[o]となるもの。例えば、ウツル(移)がウツロフとなる。uturiafu→uturofu。B[ö]となるもの。例えば、モトホル(廻)がモトホロフとなる。mötöföriafu→mötöföröfu。これらの相異は語幹の部分の母音、a、u、öが、末尾の母音を同化する結果として生じた、

とある(仝上)。とすると、「モリ(守)に反復・継続の接尾語ヒのついた形」の

「もる+あふ」

つまり、「もらふ」である。接頭語「さ(sa)」を付けると、

samöriafu→samörafu→samurafu→saburafu→saurafu、

といった転訛になろうか。ただ、大言海は、「さ」は、

万葉集の歌に、佐守布(サモラフ)とあり(遣る、やらふ)、或いはまもらふ(守)と通ずるか(惑す、まどはす)。サは、側の約か(多蠅(ははばへ)、サバヘ)。側にいて、目を離さず候(ウカガ)ひ居る意なり、

と、「そば」の意とする。「もる」は、

守る、

と当て、

固定的に或る場所をじっと見る意。独立した動詞としては平安時代にすでに古語となり、多く歌に使われ、一般には,これの上にマ(目)を加えたマモルが用いられるようになった、

とある(岩波古語辞典)。つまり、「もる」には、

見守る、

意はあるが、「そば」と特定する意味はない。とすれば、「さ」は、単なる接頭語とはいえず、

さもらふ、

の「さ」は、大言海の言うように、「側」の意があったと考えるべきではあるまいか。「サモラフ」の原義は、

相手の様子をじっと窺うという意味であったが、奈良時代には既に貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つという意味でも使用されていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D。「さ」がついて、はじめて「傍らに」の意味が出てくるのではあるまいか。

「さうらふ」は、「さもらふ」から、

さもらふ

さむらふ

さぶらふ

さうらふ、

そうろ、

そろ、

と音がつまるようになり、活用形が欠けて来て用いにくくなり、室町時代からは「まゐらする」が「候ふ」に代わって次第に広く使われ始め、「候ふ」は、文章語、書簡体のための用語となった、

ということになる(岩波古語辞典)。

「サムライ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4)で触れたが、「さむらい(侍・士)」は、

サブラフの転、

であり、

主君のそば近くに仕える、

意から(岩波古語辞典)、その人を指した。

平安時代、親王・摂関・公卿家に仕え家務を執行した者、多く五位、六位に叙せられた、

つまり、「地下人」である。さらに、

武器をもって貴族まったく警固に任じた者。平安中期、禁裏滝口、院の北面、東宮の帯刀などの武士の称、

へと特定されていく。とすると、

samöriafu→samörafu→samurafu→saburafu→samurafi

といった転訛であろうか。「サムライ」は16世紀になって登場した比較的新しい語形であり、

鎌倉時代から室町時代にかけては「サブライ」、平安時代には「サブラヒ」とそれぞれ発音されていた。「サブラヒ」は動詞「サブラフ」の連用形が名詞化したものである、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D、「サブラフ」は、

「侍」の訓としても使用されている、

のであり、

平安時代にはもっぱら貴人の側にお仕えするという意味で使用されていた。「侍」という漢字には、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味があるが、武士に類する武芸を家芸とする技能官人を意味するのは日本だけである、

とある(仝上)。つまりは、

サモラフ→サムラフ→サブラフ→サムラヒ、

と、途中から、「さうらふ」とは別れて、転訛していったことになる(日本語源広辞典)。

『初心仮名遣』には、「ふ」の表記を「む」と読むことの例の一つとして「さぶらひ(侍)」が示されており、室町期ころから、「さふらひ」と記してもサムライと発音していたらしい。一般的に「さむらひ」と表記するようになるのは、江戸中期以降である、

という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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居候


「居候」(ゐさうらふ・いそうろう)は、

他人の家に寄食すること、またその人、

の意である。略して、

居(ゐ)そ、

ともいう(江戸語大辞典)。

「しくじれば又いそだ、むづかしい咄はねへ」(享和元年(1801)「二布団」)

かかりうど(掛人)、

ともいい、

「かかりびと」の音変化、

である(広辞苑)。また、

食客(しょっかく)、

と意味が重なるが、微妙な齟齬もある。

居候三杯目にはそっと出し、

という川柳が有名だが、

居候因果と子供嫌いなり、

というのもある。

誰々方へ居候という言葉から出た、

とある(江戸語大辞典)。

「居候」は、「ごんすけ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E3%81%94%E3%82%93%E3%81%99%E3%81%91)で触れたが、

権八、

ともいう。権八は、

白井権八、

で、

侠客幡随院長兵衛の家の食客だったところから、

居候、
食客、

の代名詞として使われている(江戸語大辞典・広辞苑・大言海)。これも、

天明八年(1788)、江戸中村座にて、傾城吾妻鑑の狂言ありて、白井権八と云ふ者が、幡随院長兵衛の食客たりしことを演ず、

による(大言海)。

ただ「食客」は、

士不外索、取千食客門下矣(平原君傳)、

とあるように、

門客(もんかく)、
門下(もんか)、

とも言い、

客分としてかかえおく臣、

を指す(字源)。日本では、

他人の家に寄食する人,たとえば師匠の家に住みこみ,雑用をしながら食事と勉学の機会を与えられている書生などを含めて,

食客、

と言い、

多くの地方で不意の食客を意味し,カンナイド,ケンナイド,ケイナイヤツ,ケナイドなどの民俗語彙でよばれていた。ケはハレに対する日常の意味であり,とくに大和地方ではケナイドは〈招かざるに来て食事などをする客〉の意味であり,ここでは居候の存在は喜ぶべきものではなかった、

とある(世界大百科事典)が、中国では、

有力者の門に召しかかえられる寄食者,居候をさし,門客,門下客などともよばれる。春秋戦国時代の社会変動の中から放出された多数の浮動的な士や遊民は,一定の生業をもたないために,個人の才能だけをたよりに有力者に仕えざるをえず,他方,諸侯や貴族も彼らを集めて勢力をのばす必要があった、

とある(仝上)ので、「居候」と重ねるのは難がある。

多数の食客を抱えたことで有名な人物は、

戦国四君(斉の孟嘗君、 趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君)、
秦の呂不韋、

等々がいる。彼らの食客は俗に三千人と言われhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%AE%A2

招諸侯賓客、……食客數千人(孟嘗君傳)、

とあり(大言海)、食客は、

その土地に封土を有さないため、諸侯などの「館(『官』が原字)」に起居し、「官」の起源となった。また、生計を封土からの収穫ではなく、その特別な技術・才能からの報酬により立てたので、「論客」「剣客」「刺客」等の語源ともなる、

とある(仝上)。

天子は諸侯を賓礼によって遇し,賓客は礼遇すべきものと観念される。しかし春秋戦国の変動期以後,主家に寄食する〈食客〉がふえると,賓客に対する処遇にも格差が生じ,またその中に〈俠客〉の要素も加わって,やがて客や賓客が居候・とりまきの意味を帯びてくる。さらに主家に傭われて働く〈傭客〉,土地を失って豪族や地主の小作人となる〈田(佃)客〉や〈荘客〉,はては衣食を支給される代りに労働の成果をすべて主家に取られる〈衣食客〉まで現れる、

ともあり(世界大百科事典)、白井権八の「居候」との差がなくなる。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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食う


「食う(ふ)」は、

喰う、

とも当てる(広辞苑)し、

齧う、

とも当て(岩波古語辞典)、

噛う、

とも当てる(大言海)。

食物を口に入れ、かんでのみこむ、

つまり、

たべる、

意である(広辞苑)。それをメタファに、

暮らしを立てる、

という意でも使う。

ものに歯を立てる、または飲みこむ意、類義語くはふは食ひ合ふの約で、上下の歯でしっかりものをはさみ支える意、

とあり(岩波古語辞典)、大言海が、「くふ」に、

噛ふ、

と当て、

噛むに同じ、

とするように、「噛む」とつながる。「かむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%8B%E3%82%80)で触れたように、

カム(醸)と同根。口中に入れたものを上下の歯で強く挟み砕く意。類義語クフは歯でものをしっかりくわえる意、

であり(岩波古語辞典),古くは、「醸す」を、

かむ(醸)、

といっていた(大言海)。そして、

カム(噛む)は上下の歯をつよく合わせることで,『噛み砕く』『噛み切る』『噛み締める』などという。カム(噛む)はカム(咬む)に転義して『かみつく。かじる』ことをいう。人畜に大いに咬みついて狂暴性を発揮したためオホカミ(大咬。狼)といってこれをおそれた。また,人に咬みつく毒蛇をカムムシ(咬む虫)と呼んで警戒した。カム(咬む)はハム(咬む)に転音した。(中略)カム(噛む)はカム(嚼む)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を嚼んで酒をつくったことからカム(醸む)の語がうまれた。(中略)カム(嚼む)はカム(食む)に転義した。(中略)カム(食む)は母交(母音交替)[au]をとげてクム・クフ(食ふ)に転音した、

と(日本語の語源)、

カム(噛む)

カム(嚼む)

カム(醸む)

カム(食む)

クム(食む)

クフ(食ふ)、

と、「カム(噛む)」から「カム(醸む)」を経て「クム・クフ(食ふ)」への転訛を、音韻変化から絵解きして見せる。そして、「かむ」は、

「動作そのものを言葉にした語」です。カッと口をあけて歯をあらわす。カ+ムが語源です、

と(日本語源広辞典)、擬態語説を採るものがある。あるいは、

カは,物をかむ時の擬声音(雅語音声考・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴・江戸のかたきを長崎で=楳垣実),

ともあり(日本語源大辞典)、

かむ行為の擬態語,擬音語、

というのが、オノマトペの多い和語の由来としては、一番妥当に思える。だから、

「噛む」

「醸す」

「食う」

は、殆ど由来を重ねている。さらに、「食う」の意味では、上代、

はむ、

が使われていた。「はむ」は、

食む、
噬む、

と当て(岩波古語辞典)、

歯を活用す(大言海)、
「歯」を動詞化した語。歯をかみ合わせてしっかり物をくわえる意。転じて、物を口に入れれて飲み下す意。クフが口に加える意から、食べる意に転じた類(岩波古語辞典)、
歯の動詞化(日本語源広辞典)、

とあるように、「はむ」もまた「かむ」とつながっている。

「食う」は、

上代では口にくわえる意での用例が多く、「食」の意にはハムが用いられた、

とある(日本語源大辞典)。しかし、

平安時代には、和文脈にクフ、漢文脈にクラフが用いられ、待遇表現としてのタブ(のちにはタブルを経てタベル)も登場する。室町時代には、クラフが軽卑語、クフが平常語となり、タブルも丁寧語としての用法から平常語に近づいていった。江戸時代には、待遇表現としてのメシアガルなどが増加し、現在の用法とかなり近くなった。現在では、上位の者から下位の者が物をいただくの意から転じた「たべる」の方が上品な言い方とされる、

とある(仝上)。それは、「たまふ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%B5)で触れたように、「たまふ」には、

タマフの受動形。のちにタブ(食)に転じる語、

である下二段動詞として、

(飲み物などを)いただく、

の意味に転じたので、

「たべる(たぶ)」はもともと謙譲・丁寧な言い方であった、

のが、敬意がしだいに失われ通常語となったものだからである。そのため、現代語では、食する意では「食う」がぞんざいで俗語的とされ、一般に「食べる」を用いる(デジタル大辞泉)。しかし、

泡を食う、
一杯食う、
犬も食わぬ、
同じ釜の飯を食う
霞を食う、
気に食わない、
すかを食う、
側杖を食う、
他人の飯を食う、
年を食う、
弾みを食う、
人を食う、
道草を食う、
無駄飯を食う、
割を食う、

等々、複合語・慣用句では「食う」が用いられ、「食べる」とは言い換えができない(仝上)。それだけ「食う」の方が、平常語として使われていたということである。

最後に、漢字に当たっておくと、「食」(@漢音ショク、呉音ジキ、A漢音シ、呉音ジ、B漢・呉音イ)は、

会意。「あつめて、ふたをするしるし+穀物を盛ったさま」をあわせたもの。容器に入れて手を加え、柔らかくして食べることを意味する、

とある(漢字源)。しかし、別に、

象形文字です。「食器に食べ物を盛り、それに蓋(ふた)をした象形」から「たべる」を意味する「食・飠・𩙿」という漢字が成り立ちました、

とするものもあるhttps://okjiten.jp/kanji346.html。甲骨文字から見ると、後者の方が正確のようだ。

「喰」は、和声漢字、

会意。「口+食」。食の別体として、「くう」という訓を表すために作られた、

とある(漢字源)。「齧(囓)」(漢音ゲツ、呉音ゲチ、慣用ケツ)は、「かむ」意で、

会意兼形声。上部は、竹や木(|)に刃物で傷(彡)をつけたさまを表す。この音(ケツ・ケイ)は、これに刀(刃物)をそえたもの。齧はそれを音符とし、歯を加えた字で、歯で噛んで切れ目をつけること、

とある(漢字源)。「噛」(漢音ゴウ、呉音ギョウ、慣用コウ)も、「かむ」意で、

会意。「口+歯」。咬(こう)とちかい。「齧」の字に当てることもある、

とある(仝上)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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食べる


食うとは、ものを食べるという意味。「食べる」と比べてやや下品な表現である、

とある(笑える国語辞典)ように、どちらかというと、今日「食う」は、余りいい表現とはみなされない。

「食う」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E9%A3%9F%E3%81%86)で触れたように、

平安時代には、和文脈にクフ、漢文脈にクラフが用いられ、待遇表現としてのタブ(のちにはタブルを経てタベル)も登場する。室町時代には、クラフが軽卑語、クフが平常語となり、タブルも丁寧語としての用法から平常語に近づいていった。江戸時代には、待遇表現としてのメシアガルなどが増加し、現在の用法とかなり近くなった。現在では、上位の者から下位の者が物をいただくの意から転じた「たべる」の方が上品な言い方とされる、

とあり(日本語源大辞典)、「たまふ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%B5)で触れたように、「たまふ」には、

タマフの受動形。のちにタブ(食)に転じる語、

である下二段動詞として、

(飲み物などを)いただく、

の意味に転じたので、

「たべる(たぶ)」はもともと謙譲・丁寧な言い方であった、

のが、敬意がしだいに失われ通常語となったものだからである。そのため、現代語では、食する意では「食う」がぞんざいで俗語的とされ、一般に「食べる」を用いる(デジタル大辞泉)に至ったためである。

「たまふ」と同義に、

たぶ(賜)、
たうぶ(賜)、

がある。「たぶ」は、

タマフの轉、

であり(岩波古語辞典)、「たうぶ」も、

「たまふ」あるいは「たぶ」の音変化で、主として平安時代に用いた、

とあり、「たぶ」も、

「たまふ」の訛ったもので、

tamafu→tamfu→tambu→tabu

という転訛と思われる(岩波古語辞典)。で、大言海は、「たうぶ」を、

たうぶ(賜) たぶ(賜、四段)の延、賜ふ意、
たうぶ(給) たぶ(給、四段)の延、他の動作に添えて云ふ語、
たうぶ(給) 上二段、仝上の意、
たうぶ(食) たぶ(食、下二段)の延、

と四項に分ける。それは、「たぶ」が、

たぶ(賜・給、自動四段) 君、親、又饗(あるじ)まうけする人より賜るに就きて、崇め云ふ語、音便にたうぶ、
たぶ(賜、他動四段) たまふに同じ、
たぶ(食、他動四段) 賜ぶの転、食ふ、

とある(仝上)のと対応する。もともと自動詞の「たぶ」自体に、

飲み食ふの敬語、

の用例があるので、その意味が、

謙譲語、

としての「食ぶ」の用法につながっていくとも見える。

下二段の活用の「たまふ(給)」と同じく、本来は「いただく」の意であるが、特に、「飲食物をいただく」場合に限定してもちいられる、

にいたる(日本語源大辞典)。

なお、「たぶ(賜・給、自動四段)」にある「饗(あるじ)まうけ」とは、「あるじ(主・主人)」は、

客人(まらうど)に対して云ふが元なり、饗応を、主設(あるじまうけ)と云ふ、

の意味である(大言海)。「たぶ」は、「たまふ」の、

たまふ(賜、他動四段) 授ける、与えるの敬語、
たまふ(給、自動四段) 他の動作の助詞に、敬語として言ひ添ふる、
たまふ(自動下ニ) 己れが動作の動詞に、敬語として言ひ添ふる語、

と対応している(大言海)

賜ぶ→食ぶ→食べる、

という転訛とは別に、音韻変化として、

カム(噛む)がカム(嚼む)を経てカム(食む)に転義し、(中略)「カ」が子交(子音交替)[kt]をとげて、「カム(食む)」はタム・タブ(食ぶ)に転音した。(中略)タベルはその口語形である、

とする説(日本語の語源)もある。ただ、同じ著者が、

タマフ(給ふ)のマフ[m(af)u]を縮約するときには、タム・タブ(給ぶ)になった、

としている(仝上)。これを受け入れるとするなら、やはり、「食べる」には、

お食べになる、

という尊敬語の含意と、

頂戴する、

という謙譲語の含意が、含まれているのではないか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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いただきます


「いただきます」は、

頂きます、
とか、
戴きます、

と当てたりする。食事を始める際の日本語の挨拶であるが、挨拶として広く慣習化されたのは恐らく昭和時代からであり、

箱膳で食していた時代には、「いただきます」は決して一般的とは言い難いものであった。ほとんどの家庭において食前に神仏へのお供えがあった一方で、食前の挨拶はないことが非常に多く、またあったとしても様々な挨拶の言葉が存在した。それがやがて必ず言うようなものとなり、その文句(「いただきます」に限らない)も統一されてきたのは、軍国主義化していった時代ごろからのしつけや教育によるものであると推測されている、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99、柳田国男も「いただきます」が近頃普及したものだと言及している(1946年「毎日の言葉」)。

「いただきます」の「いただき」は、

動詞いただく(頂く・戴く)の連用形、

であり、「いただく」は、

本来は、頭上に載せる意の普通語であったが、上位者から物をもらう時、同様の動作をしたところから、中世以降、もらう意の謙譲用法が確立した。また、上位者からもらった物を飲食するところから、飲食する意の謙譲用法が生じ、さらに丁寧用法も派生した、

とあり(日本語源大辞典)、同趣旨ながら、

山や頭の一番高いところを「頂(いただき)」と言うように、本来は「いただく」は頭上に載せる意味を表した語である。中世以降、上位の者から物を貰う際に頭上に載せるような動作をしたことから、「いただく」に「もらう」という意味の謙譲用法が生じた。やがて、上位の者から貰った物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ……た、

とある(語源由来辞典)。

頭にのせる(万葉集「母刀自(あもとじ)も玉にもがもや戴きて角髪(みづら)の中に合へ巻かまくも」)

大切なものとして崇め扱う(万葉集「家の子と選(えら)ひたまひて勅旨(おほみこと)いただきもちて」)

(よいものを)授かる(宇治拾遺「いよいよ悦びをいただきて、かく参りたるなり」)

高く捧げる(日葡辞書「サカヅキヲイタダク」)

(「もらふ」の謙譲語。暮れる人にへりくだって言う(虎明本狂言・鏡男「安堵の御教書をいただいて下った」)

「食う」「飲む」の謙譲語(狂言・猿座頭「さらば差さう。飲ましめ。いただきましょう」)

等々といった転化であろうか(広辞苑・岩波古語辞典)。

戴き餅(もちひ)、

という言葉があり、

今年正月三日まで、宮たちの御いただきもちひに、日日にまうのぼらせ給ふ(紫式部日記)、

と、

幼児の頭に餅をいただかせてその前途を祝う言葉を述べる儀式が、元日または正月の吉日に行われていた、

とあるので、文字通り、「頂」に戴いていた(岩波古語辞典)。中世になると、

位階が細かくなると、人と会えばどちらかが目上であるということになり、また、相手を目上と思って尊ぶことを礼儀とするようになってからは、「いただく」機会は激増し、この謙譲用法は確立されていった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99

「食う・飲む」の謙譲語としての「いただく」は、室町末以後に成立した狂言に使用例がみられる。したがって本来は、飲食物を与えてくれる人、または神に対しての感謝の念が込められていたと考えられる、

とある(仝上)。その意は広がり、

古本高価にていただきます、

と(広辞苑)、買い取る意の謙譲語でも、

今度の試合はいただいたも同然だ、

と、苦労もなく、手に入れる意でも、

小言をいただく、

と、しかられる意でも使う(デジタル大辞泉)。

ただ語源については、

難解なり、先輩の二三説あれど、採るべくもあらず、

としている(大言海)ように、はっきりしていない。岩波古語辞典は、

イタはイタリ(至)・イタシ(致)のイタと同根。極限・頂点の意。ダクは「綰(た)く」で、腕を使って仕事をする意。頭のてっぺんで両手であれこれする意、

とする。「だく」は、しかし、

腕をはたらかせて仕事をする意、

として、

たけばぬれたかねば長き妹が髪この頃見ぬに掻きれつらむか(万葉集)、

の「髪を掻き上げる」意であったり、

大船を荒海(あらみ)に漕(だ)ぎ出彌船(やふね)かけわが見し児らが目見(まみ)は著(しる)しも(万葉集)、

の「舟をこぐ」意や、

秋づけば 萩咲きにほふ岩瀬野に馬だきゆきて(万葉集)、

の「馬の手綱を取る」意等々で、どうも、両手を頭上にささげるような動作とはかけ離れている。大言海が、「たく」を、

手を活用せる語、

としているので、その意味ではなくもないが、「いただく」を「イタ」と「タク」に分けたところが、如何であろうか。

「難解」として大言海は、「強いて、試みに、予が牽強説を云はば」と断って、

イは発語、タダクは、手手上(たたあ)くの約、

と、(「我れながら失笑す」と)自嘲しつつ述べているが、むしろ、「いただく」の原義から見て、

頂くは、もとは物を頭に載せること。食べものを頂くとは、神や貴人の前で、改まった儀式の日に、神と人とが同じ物を食べるとき、食べ物を頭と額に押しいただいたことから、

とする(堀井令以知『決まり文句語源辞典』)のが素直ではあるまいか。

「頂き+く(動詞化)」です。「物を頭の上(頂き)に載せる」意の動詞(日本語源広辞典)、

イタダクは、もともと「頭に載せる」の意であったが、身分の高い人から物をもらうときに頭の上に捧げ待つ動作をしたところから、もらうこと、さらには飲食することをへりくだって表現する言い方になった(山口佳紀『暮らしのことば新語源辞典』)、

「いただき」は「頂き」で、いちばん上、てっぺんのことです。人間の場合は、「頂」は頭です。神様や目上の人から物をもらうときは、頭の上で受け取るのが礼儀です。これが「頂く」です(子どもとおとなのことば語源辞典)、

も同趣旨である。

因みに、「いただく」に当てる「戴」(タイ)は、

形声。異を除いた部分は、在(ザイ 切りとめる)の原字で、切り止めること。戴はそれに異を音符としてそえた字で、じっと頭の頂上に止めておくこと。異の古い音はタイの音をあらわすことができた、

とある(漢字源)。「戴冠」というように、頭の上に載せて置く意で、そこから「君主からありがたくもらう」意に転じている。まさに「いただく」にふさわしい字を当てている。

「頂」(漢音テイ、呉音チョウ)は、

会意兼形声。「頁(あたま)+音符丁(直線がてっぺんにつかえる、てっぺん)」。胴体が直線につかえる脳天、

とある(仝上)。別に、

会意形声。「頁」+音符「丁」。「丁」は上が平らになったくぎの象形であり、「釘」の原字。打ち付ける釘の最上部の部分、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%82。「てっぺん」の意だが、やはり、「頭上にのせる」という意味もある(漢字源)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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マツタケ


「マツタケ」は、

松茸、

と当てるが、

松蕈、

とも当て、

マツダケ、

と訓ませた(大言海)。林逸節用集には、

松茸、マツダケ、

とある(仝上)。語源は、

松+茸、

赤松林に自生する、

ところから来た(日本語源広辞典)、と見ていい。

「きのこ」に当てる漢字は、

菌、
茸、
蕈、

がある(字源)。漢字では、

松菌、

で、

松蕈、

の意である。つまり「マツタケ」である。明代の、『本草集解(しゅうげ)』に、

松蕈生松陰、采無時、凡物松出、無不可愛者、

とある(字源)。「菌」(漢音キン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。囷(キン・コン)は、まるくまとまる、まるいの意を含む。菌はそれを音符とし、艸を加えた字、

であり、「きのこ」「たけ」の意(漢字源)。「茸」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)は、

会意。「艸+耳(柔らかい耳たぶ)」。柔らかい植物のこと、

とあり、柔らかい葉がふさふさと茂る意で、「きのこ」の意は、ない。「茸」に当てるのはわが国だけの用法である(仝上・字源)。「蕈」(漢音シム、呉音ジン)は、

会意。「艸+音符覃」

で、「きのこ」の意であり、「マツタケ」は、

松蕈、

と当てるのが正しいことになる。「覃」(漢音タン、呉音ドン)は、

会意。「襾(ざる)+高の逆形(下に深く下がったことを示す)」で、奥深くくぼんだざるのこと。下に深いことを示す、

とあり(漢字源)、「深い」という意である。まさに、

松蕈、

は、「マツタケ」である。

「タケ(茸)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%82%BF%E3%82%B1%EF%BC%88%E8%8C%B8%EF%BC%89)で触れたことだが、「タケ」は、

茸、
菌、
蕈、

と当て、「きのこ」の意であるが、「きのこ」にも、同じ字を当てる。「きのこ」は、

木の子、

で、「たけのこ(竹の子)」に対しての語(日本語源広辞典)とあるが、

「竹の子、芋の子もあり」

としている(大言海)ので、必ずしも対ではなさそうだ。木に寄生するために、そう名づけたものらしい。「くさびら」(クサヒラ)とも言うらしいが、古くは、

木茸(きのたけ)、
土茸(つちたけ)、

といったらしい。大言海は、「たけ(茸・菌・蕈)」の項で、

椎茸、榎茸の類は木ノタケと云ひ、
松茸、初茸の類を土タケと云ひ、
岩茸の類は岩タケと云ふ、

と区別している。和名抄は、

菌茸、菌有木菌木菌岩菌、皆多介、如人著笠者也、

とし、箋注和名抄は、

菌、太介、有數種、木菌土菌石菌云々、形似蓋者、

とし、本草和名は、

木菌、岐乃多介、地菌、都知多介、

としている(仝上)。「たけ」の訓みについて、

日本語のキノコの名称(標準和名)には、キノコを意味する接尾語「〜タケ」で終わる形が最も多い。この「〜タケ」は竹を表わす「タケ」とは異なる。竹の場合は「マ(真)+タケ(竹)」=「マダケ」のように連濁が起きることがあるが、キノコを表わす「タケ」は本来はけっして連濁しない。キノコ図鑑には「〜ダケ」で終わるキノコは一つもないことからもこれがわかる、

としているがhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B3、上記、

松茸、マツダケ(林逸節用集)、

の例があるので、「連濁」云々は、ちょっと当てにならない。しかし、「タケ(茸)」は、「タケ(竹)」とは異なることは確かである。たとえば、「竹」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%82%BF%E3%82%B1%EF%BC%88%E7%AB%B9%EF%BC%89)は、

タケ(丈)・タカ(高)と同源とする説は、アクセントを考えると成立困難である、

とされ、

タケ(丈)、
タカ(高)、

と語源をつなげることはできないが、たとえば、「たけ」(茸)は、異なり、

タケ(長)と同根。高く成るものの意(岩波古語辞典)、

とする説があり、「長け」を見ると、

タカ(高)の動詞化。高くなる意。フカ(深)・フケ(更)・アサ(浅)・アセ(褪)の類、

とある。この「長け」は、身の丈の「丈」とも通じる。「丈」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%9F%E3%81%91)については、

「ゆきたけ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%91)
「たけなわ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%AA%E3%82%8F)

で触れたことがあるが、「たけなわ」の「たけ」には、

タケ(長)の義、

タカキ(高)の義、

の二系統に分かれる。

長く(タク)は、高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも、根元は同じではないかと思います。春がタケルも、同じです。わざ、技量などいっぱいになる意で、剣道にタケルなどともいいます、

というように(日本語源広辞典)、長さや高さという空間的な表現を時間に転用することは、十分考えられる。

ある行為・催事・季節などがもっともさかんに行われている時。また、それらしくなっている状態。やや盛りを過ぎて、衰えかけているさまにもいう。最中(さいちゅう)。もなか。まっさかり、

と(日本語源大辞典)、長さと高まりとが重なり合うイメージになっていく。

それと重なるのが、

タケル(長ける・時が過ぎ、開いたキノコ)のタケ、

とする(日本語源広辞典)説である。「タケ(茸)」は、

長け、丈であり、タケナワの「タケ」なのではないか、と思う。

春タケナワ、

の「タケ」にある、時間経過が過ぎると、カサが開くという意ではないか。

さて、「マツタケ」は、

キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属マツタケ節のキノコの一種、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%82%B1

秋にアカマツの単相林のほか針葉樹が優占種となっている混合林の地上に生える、

とあるが(仝上)、「マツタケ」の類似菌は、日本に四種あるという(たべもの語源辞典)。

マツタケモドキ、

は、

マツタケより小型で、往々ささくれ状をしている。秋にマツタケより少し遅れて赤松林に発生する。マツタケのような芳香はない。俗に、マツタケノオバサン、オバマツタケと呼ばれる(仝上)。

バカマツタケ、

は、

広葉樹林(主にコナラ属)に発生し、マツタケと同じく芳香がするが、少し小型である(仝上)。

ニセマツタケ、

は、椎やコナラなどの広葉樹林に発生する。マツタケより一ヶ月ほど早く発生する。芳香はなく肉は柔らかい、とある(仝上)。

サマツ、

は、水ナラやコナラなどの広葉樹林に生えるhttp://www.sansai.blue/category2/entry26.html

「マツタケ」は、万葉集にも、

高松のこの峯も狭(せ)に笠立ちてみちさかりたる秋の香のよさ、

と詠われるほど、古くから知られていた。

土の中から頭を出したカサと軸の違いがわからぬ太く短い棒のようなマツタケを、

コロ、

と呼ぶが、

初々しいが香りがない、

とある(たべもの語源辞典)。この後、カサがはっきりわかるようになり、この時が、

味が一番いい、

が、香りはまだ不十分。カサが開きかける時が、香りが一番高い、という。八分通り開いたときが香りが一番強いが、味は下り坂、とある(仝上)。この香は、一種のアルコールで、

マツタケオール、

異性体イソマツタケオール、

桂皮酸メチル、

の混合物とある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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「松」は、

枩、

とも書く(漢字源)。「松」(漢音ショウ、呉音シュ)は、

会意兼形声。「木+音符公(つつぬけ)」。葉が細くて、葉の間が透けて通るまつ、

とある(仝上)。ついでながら、「公」(漢音コウ、呉音ク)は、

会意。「八印(開く)+口」で、入り口を開いて公開すること。個別に細分して隠さず大っぴらに筒抜けにして見せる意を含む、

とあり(仝上)、

「背私謂之公(私ニ背クヲ公ト謂フ)」(韓非子)とあるように、私(細かく分けて取り込む)と公とは反対の言葉、

ともある(仝上)。

和語「まつ」の語源は、

一説に、神がその木に天降ることをマツ(待つ)意、

と、

また一説に、葉が二股に分かれるところからマタ(股)の意、

とする二説がある(広辞苑)。後者については、

二葉一蔕をマタバ(股葉)とよんでいたのがマツバ(松葉)・マツ(松)になった(日本語の語源)、
葉が二股に分かれているところから、マタの転か(ニッポン語の散歩=石黒修)、

があるが、前者については、

常緑樹なので、長寿、慶賀を表す木とされてきました。日本人は人知を超える願いごとには、何事につけても、神の助けを求めました。地上にお降り下さった神の力で、願いごとの実現を祈りました。田植え、雨乞い、工事など、現代でも神に祈ります。さて、神の降りていらっしゃるところは、清浄な場所であり、そこに生えている木が、不思議に常緑の針葉樹でしたので、その木を「神を待つ木」と呼んだのです。正常な砂浜などに、天人、天女の伝説などが、各地に残り、松原、松の木、松並木などがあり、しめ縄がはられています(日本語源広辞典)、
神を待つ意(ニッポン語の散歩=石黒修)、

とする説のほか、「待つ」と絡めて、

行く末を待つ意(円珠庵雑記)、
後の葉の生ずるのを待って前の葉が落ちるところから、待つの義(九桂草堂随筆)、
万年の齢をもち、常盤の色を堅固に保つところから、マツの義(柴門和語類集)、

等々もある。さらに、

「神を祀る木」ということから、「まつる木」から 「まつ」になった、

とする説https://mobility-8074.at.webry.info/201703/article_6.htmlも、

常緑であるところからマトノキ(真常木)の義、

とする説(円珠庵雑記)も、類種である。

確かに、常に葉の色を変えないことを、

常に変わらぬ磐に見立てて、

常磐(とこいわ)、

転じて、

常盤(ときわ)、

といい(広辞苑・大言海)、「松」は、杉とともに、

常盤(ときわ)木、

といわれる、

樹齢の長い常緑樹であり、古くから不変、長寿の象徴として神聖視され、一夜松、逆さ松、腰掛け松、天狗松、衣掛け松など各地に松の伝説が多いのは、松に神霊を迎えた民間信仰に基づくものである、

とあり(日本昔話事典)、

東アジア圏では、冬でも青々とした葉を付ける松は不老長寿の象徴とされ、同じく冬でも青い竹、冬に花を咲かせる梅と合わせて中国では「歳寒三友」、日本では「松竹梅」と呼ばれおめでたい樹とされる。また、魔除けや神が降りてくる樹としても珍重、

されhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84、たとえば、奈良・春日大社の、

影向(ようごう)の松、

で(春日の老松は枯死し後継樹が植えられている)、

影向とは、神仏が一時的に姿を現すこと、

とされhttp://www.cerasasiki.jp/bunkasi-matsu.pdf

春日大明神が翁の姿で降臨され、万歳楽を舞われた地とされる。教訓抄によると、松は特に芸能の神の依代(よりしろ)であり、この影向の松は能舞台の鏡板に描かれている老松の絵のルーツとされている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E5%90%91%E3%81%AE%E6%9D%BE_(%E6%98%A5%E6%97%A5%E5%A4%A7%E7%A4%BE)

また「門松」には、「年神」で触れたように(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E5%B9%B4%E7%A5%9E)、かつて、

木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、年神を家に迎え入れるための依り代、

としての意味が強い。こう考えると、「待つ」に傾きたくなるが、「待つ」説は、意外と少数派なのである。

他の一つは、常緑樹の「松」から、「保つ」と絡めた説、

松の緑が長く「保つ」の、マツ→モツの音韻変化(日本語源広辞典)、
久しくよわい(齢)を保つところから、タモツの略転(日本釈名)、
久しきを保つところから、モツの義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、

等々もあるし、

葉がまつげに似ているから(和句解)、
葉が幹にまつわりつくから(古今要覧稿)、
マはマコトの声母、ツはツヅマルの義(日本声母伝)、

等々もあるが、「松」の神聖視からみると、「依代」とする説に傾くが、これは、後の民間伝承から意味づけられたのかもしれない。しかし、そもそも「松」信仰そのものも、中国由来で、古代中国では、

社稷の社に土地の神と穀物の神を祀りましたが、その場に植える木としてはマツが第一のものとされていました。それ以前から松柏(マツとカシワ)は百木の長とされていたのです。それが伝わってきて、日本の神信仰にも影響をあたえたといわれています、

とあるhttp://www.cerasasiki.jp/bunkasi-matsu.pdf。「依代」の「待つ」とは限らないが、「まつ」が、信仰とつながっていること自体は確かのようである。

ところで、「松」は、

五大夫(ごたいふ)、

とも言うが、これは「史記」秦始皇本紀に、

始皇東行郡県……上泰山、立石封祠祀、下風雨暴至、休於樹下、因封其樹、為五大夫、

とあり、雨宿りした松の木に五大夫の位を授けたという故事からきている(精選版日本国語大辞典)。このため、「大夫」を、

松の位、

といい、「大夫」を、日本では、

太夫(たゆう)、

とも表記したため、これが、遊女の最高位、

太夫(たゆう)、

を指すようになったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84。因みに、慶事・吉祥のシンボル、

松竹梅、

も、中国由来で、

歳寒三友、

が伝わったもの。「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」は、

宋代より始まった、中国の文人画で好まれる画題のひとつであり、具体的には松・竹・梅の三つをさす。三つ一緒に描かれることも多いが、単体でも好んで描かれる。日本では「松竹梅(しょうちくばい)」と呼ばれる。
松と竹は寒中にも色褪せず、また梅は寒中に花開く。これらは「清廉潔白・節操」という、文人の理想を表現したものと認識された。日本に伝わったのは平安時代であり、江戸時代以降に民間でも流行するが、「松竹梅」といえば「目出度い」ことの象徴と考えられており、本来の、中国の認識とは大きく異なっている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E5%AF%92%E4%B8%89%E5%8F%8Bとすると、古くある「松」への信仰とが絡み合って、「松竹梅」を縁起物と見做したのかもしれない。

松竹梅が吉兆の象徴とされるようになったのは、松が常緑で不老長寿に繋がるとして平安時代から、竹は室町時代から、冬に花を咲かせる梅は江戸時代から、

とある(語源由来辞典)。

参考文献;
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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たそがれ


「たそがれ」は、

黄昏、

と当てるが、

黄昏時の略、

とある(岩波古語辞典)。

弓張月、

を、

ゆみはり、

と略すのと同列、とある(大言海)。

「黄昏」(コウコン)は。漢語である。淮南子に、

日至于處淵、是曰黄昏、

とある(字源)。「黄」(漢音コウ、呉音オウ)は、

象形。火矢の形を描いたもの。上は、「廿+火」(=光)の略体。下は、中央にふくらみのある矢の形で、油をしみこませ、火をつけて飛ばす火矢。火矢の黄色い光をあらわす、

とあり(漢字源)、五色(青・黄・赤・白・黒)の一つで、

五方では中央(青:東、赤:南、黄:中央、白:西、黒:北)、五行(青:木、赤:火、黄:土、白:金、黒:水)では土の色に当たる。地上の支配者、皇帝の色。高貴な色とされる、

とある(仝上、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%96%B9%E8%89%B2)。

「昏」(コン)は、

会意兼形声。民は、目を↑型の針でつぶしたさまを示し、目が見えずくらい意を含む。昏は、もと「日+音符民(ミン)」。物が見えないくらい夜のこと。のち、唐の太宗李世民が、自分の名の民を含んでいるために、その字体を「氏+日」に変えさせた、

とある(漢字源)。

和語「たそがれ」は、古くは、

たそかれ、

と清音であった。

薄暗くなって、人の顔が見分けにくい時分、

のことで、

「誰(た)そ、彼は」といぶかる頃の意、

とある(岩波古語辞典)。

元来、

誰彼(たそかれ)と我な問ひそ九月(ながつき)の露に濡れつつ君待つ我を(柿本朝臣人麻呂歌集)、

というように、

アレハダレカ、

と尋ねる言葉であったものから、薄暗くて人の顔の見分けがつかない時分をさす、

たそがれどき、

という語が生じ、

さらに、その、

とき、

が省略された形であると考えられる、とある(日本語源大辞典)。今日の意の「たそがれ」で使われたのは、

光ありと見し夕顔の白露はたそがれ時のそらめなりけり(夕顔)、
寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見ゆる花の夕顔(仝上)、

と、源氏物語にみられる。

「たそ」は、「逢魔が時」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E9%80%A2%E9%AD%94%E3%81%8C%E6%99%82)で触れたことだが、

誰ぞ、

と当て、

タは代名詞、ソは、指定する意の助詞、

とあり、

たそかれと問はば答むすべを無み君が使いを帰しつるかも(万葉集)、

といった使い方をしていた。それが、

誰そ彼→たそかれどき→たそがれ、

と、比喩としてではなく、普通名詞と変じていった、とみられる。

「たそがれ」の対になるのが、暁に言う、

かはたれどき、

である。奈良時代までは、

カハタレトキ、

と清音であった。

彼は誰れの義、

である(大言海)。

暁(あかとき)の加波多例等枳に島蔭(しまかぎ)を漕ぎにし船のたづき知らずも(万葉集)、

とあり、

薄暗くて、人の顔もおぼろにしか見えず、あれは誰と見とがめるような時刻の意、

である(岩波古語辞典)。

「あかつき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%8D)で触れたように、古代の夜の時間は、

ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

という区分し、「昼」は、

アサ→ヒル→ユウ、

と区分した。「たそかれ」は、

ユウ、

に、「かはたれ」は、

アカツキ、

に当たることになる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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おやじ


「おやじ」は、

親父、
親爺、
親仁、

等々と当て(広辞苑)、

老爺、

とも当てる、とある(日本語源広辞典)。

自分の父親を、他人に対して称する語、

である(大言海・広辞苑)。旧仮名では、

おやぢ、

である。「おやじ」は、

親父、

から、

おやちちの転、

とされる(広辞苑・日本語源広辞典・大言海・和訓栞)。

江戸期以後の言葉、

とある(仝上)。旧仮名から見れば、

おやぢ、

で、「父」を、古くは、

ち、

と言っていたので、

おやちちの転、

とするまでもない(語源由来辞典)のだが、

男親を「ちち」と呼ぶようになって以降の言葉なので、「おやちち」の転、

とする(仝上)。ただ、「ち」に、

父、

と当てるのは、古く、古事記にも、

甘(うま)らに聞こし以ち食(を)せまろが父(ち)(古事記)

とあり、この場合、「ち」は、父親の意だけではなく、

男性である祖先・親・親方などに対する親愛の称、

で(広辞苑)、

チチ、オヂのチ、祖先、男親の意、

として使われた(岩波古語辞典)。で、

おほぢ(祖父)、
おぢ(「おぼぢ」の転)、
おぢ(小父)

のように他の語の下に付く場合は連濁のため「ぢ」となることがある(デジタル大辞泉)。いずれにしても、

もとは「ち」に父の意があったことは(上記の古事記から)わかる。「ち」はまた「おほぢ」(祖父)「をぢ」(叔父、伯父)の語基である、

とある(日本語源大辞典)ように、「ち」を父親の意味でも使っていたことに変わりはない。では、いつごろから、「ちち」と使っていたのかというと、

労(いた)はしければ玉鉾(たまほこ)の道の隈廻(くまみ)に草手折(たお)り柴(しば)取り敷きて床(とこ)じものうち臥(こ)い伏して思ひつつ嘆き伏せらく国にあらば父(ちち)取り見まし家にあらば母(はは)取り見まし……

と万葉集にある。「ち」も「ちち」も、ほぼ同時期に使われていたと思われる。ただ、

歴史的には、チ・チチ・テテ・トトの順で現われる、

とある(日本語源大辞典)ので、「ち」が先行していたようであるが、

常に重ねてちちと云ふ、

ともあり(大言海)、

母(おも)、母(はは)との対、

とあるところを見ると、

ちち、

はは、

は対である。とすると、やはり、「おやぢ」は、

おやちちの転、

と見ていいのかもしれない。ただ「おやぢ」と転訛したのは江戸期としても、「おやちち」は、かなり古いのではないか、という気がする。

で、「ち」あるいは「ちち」の語源だが、

霊(ち)を重ねて云ふ語、

とする(大言海)説がある。

威力ある神霊を称える語チ(靈)を重ねたもの(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、

も同趣旨である。大言海は、

持ちの約、

とする。「持ち」とは、

神の御名に云ふ語。其の物を保ち知(しろ)しめす義。転じては貴(ムチ)と云ひ、約めては、チと云ひ、又転じて、ミ、ビとも云ふ、則ち大名持(ノ)神、保食(ウケモチノ)神、天御食(ミケノ)神、大日孁貴(オオヒルメノムチ)、野津霊(ノヅチ)など、

とする。ただ岩波古語辞典は、「貴(ムチ)」は、

神や人を尊び親しんで言う語、

であるが、

ムツの転と見られ、ムツには、皇睦神魯支(すめむつかむろぎ)など「睦」の字が当てられているから、ムチは単に尊貴の対象ではなく、親しく睦まじい対象を言ったものと思われる、

とある。もし、この意味だとしても、

ムツ→ムチ→チ→チチ、

の転訛があるなら、「ちち」の由来に当てはめられなくもない。まして、祖先をも「チチ」が指しているのなら、なおさらな気がする。「ちち」の由来としては、その他、

中国北魏の漢語、達達tata tiatiaが、音韻変化で、titiとなった(藤堂明保)、
乳を分けて子の血とした人であるところから。また父を見ると畏れて縮むところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
チチ(千血)の義(柴門和語類集)、
チチ(血道)の義(言元梯)、
チは男子の尊称(古事記伝)、

等々あるが、こんな基本語を中国由来とする必要もないのではあるまいか。どうも、

ムツ→ムチ→チ→チチ、

モチ→ムチ→チ→チチ、

の、何れかなのではあるまいか。

「父親」を言う語には、中古以後に、

てて、

が見られるが、

てて、ちちの俗語也(和訓栞)、

とある(日本語源大辞典)。中世末期の日葡辞書には、

toto(とと)、

が見られるが、「とと」は、

ちちの転訛、

だが、幼児語である(日葡辞書・大言海・広辞苑・物類称呼他)。しかし、この「とと」の語形は、これにさまざまな接辞のついた語形が近世になってあらわれ(仝上)、

ととさん(上方語)、
ととさま(仝上)、
おとっちゃん(江戸語)、
おとっつぁん(仝上)、
おととさん(仝上)、
とうさん(仝上)、
おとうさん(仝上)、

等々。ちなみに、

ちゃん、

は、

おとっちゃんの略語、
とも、
ちちの転訛、

ともみられる(仝上)。「おとうさん」は、どうやら、

1903年(明治36年)に尋常小学校の教科書に採用されてから急速に広まった。それ以前は「おとっつぁん」が多かった(武士の階級では「父上」)、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%88%B6%E3%81%95%E3%82%93、標準語を強制したように、上から指示されたもののようである。ただ、江戸期の、「おとっつぁさん」は、

御父様、

と当てるが、

おととさまの転訛、

であり(江戸語大辞典)、「おととさま」(御父様)は、多く武家用語で、中流以上の商家でも用いる、

おととさん、

を丁寧に言う称で、

おかかさま(御母様)の対、

となり、やはり武家、富商でもいった(仝上)、とある。どうやら、本来幼児語の、

とと、

が、

おとうさん、

にまで格上げされ、「おとっつぁん」より上とされるのは、何だか、嗤える。

ところで、チの重複形は、チチだが、これは、

チチの有声化(濁音化)がヂヂ(爺)で、ハハ(母)―ババ(婆)と対をなす、

とある(日本語源大辞典)。

なお「父」(漢音フ、呉音ブ、慣習ホ)は、

会意。父は「おの+又(手)」で、手に斧を持って打つ姿を示す。斧(フ)の原字。もと拍(うつ)と同系。成人した男性を示すのに、夫という字をもちいたが、のち父の字を男の意に当てて、細分して「父」は「ちち」、夫は「おとこ、おっと」をあらわすようになった、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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おふくろ


「おふくろ」は、

御袋、

とあてる(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。

母親を親しんで呼ぶ語、

である。由来は、諸説あり、

昔は、金銭、衣類、器什、すべて袋に入れたり、外出にも、従者に持たする物、皆袋に入る、母は家政を取り、袋の出し入れの締めくくりをすれば、時世の詞にて称したるなり(大言海)、
かやうに家の御袋とならむ人は、物の締めくくりをよくしはべる故に、家の内の人、お袋様と申しはべる也(俗語考)、
今は借り盡し貰ひ盡して、お袋の袋の内も空しくなりにけり(負博奕)、

と、「袋」に絡める説が多い。一理あるとは思うが、理屈ばっているのが気になる。他にも、

袋の中の物を探りとるような安産を祝って名づけられたるものか(嬉遊笑覧)、
家計の袋(日本語源広辞典)、
オ+袋、ふくれるものが袋の語源ですから、家の繁栄のために子袋に子宝を宿して身を膨らませて産んでくださった御方の意(日本語源広辞典)、

等々「袋」由来とする説は多い。その他に「ふところ」と絡めて、

オ(御)フトコロの義(貞丈雑記)、
母は子供をふところに包み懐くところから(日本語源=賀茂百樹)、

というのもある。しかし、

「観智院本名義抄」に、「胞 胎衣也、はらむ フクロ」とあり、フクロが子宮、胞衣を指す例が見える、

とあり(日本語源大辞典)、

母の胎内で胞衣をかぶり包まれ、あたかも袋に入れた状態であるところから(後宮名目抄)、
フクロが子宮を指すところから(江戸東京語=杉本つとむ)、

という説は捨てがたい。前出の、

袋の中の物を探りとるような安産を祝って名づけられたるものか(嬉遊笑覧)、
オ+袋、ふくれるものが袋の語源ですから、家の繁栄のために子袋に子宝を宿して身を膨らませて産んでくださった御方の意(日本語源広辞典)、

とする説も、「胞衣」絡めると見え方が変わる。

室町末期の日葡辞書には、

Fucuro(ふくろ)、

の項で、

普通はヲフクロと言い、これは女性たちの間でもまた他の人々(男性)の間でももちいる、

とあるので、「胞衣」説が妥当とする(日本語源大辞典)が、「袋」とも「胞衣」とも決めがたい。

「おふくろ」は、敬称の意で、たとえば、

本日室町殿姫君御誕生也、御袋は大館兵庫頭妹也(享徳四年(1455)「康富記」)

というように、

高貴な対象にも使用したが、徐々に待遇価値が下がり、近世後期江戸語では、中流以下による自他の母親の称となった、

とあり(日本語源大辞典・江戸語大辞典)、

おやじの対、

として(江戸語大辞典)、

おやじよりやァおふくろがやかましくって成りやせん(安永四年(1775)「甲駅新話」)、

と使われるに至る。

母親の意では、他に、

かか、

という呼び方がある。これは、

ととの対、

で、

小児語、母を親しんで言う語、

であり(岩波古語辞典)、

可愛しの首肯を重ねたる小児語、

とあり(大言海)、「可愛(かはゆ)し」が、

愍然の意より可愛いの意に移せるは、室町時代なり、

とする(仝上)。「かか」は、

母、
嚊、
嬶、

と当てる。「かか」の転訛で、

かかあ、
おっかあ、
おっかさん、
おっかちゃん、

ともいうが、

自分の妻に対しても使う(仝上)のは、

子が母をカカと呼ぶを父が、口真似して云ひしより移れる、

とある(大言海)のは、妻が「おとうさん」と夫を呼ぶのに類似している。

「かか」は、「とと」が、「おやじ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%98)で触れたように、武家や中流以上の商家で、

おととさん、
おととさま、

といったように、

おかかさん、
おかかさま、

といい、

御母様、

と当てる(江戸語大辞典)。庶民では、

おとっつぁん、
おっかさん、

の対になる。今日の「おかあさん」は、「かか」とつながり、

元来は小児語、

で、

おかかさんの転訛、

とある(江戸語大辞典)。

おとっつぁんの対、

になる。「おかあさん」は、

江戸時代に上方の中流階級以上の家庭の子女で使われ始め、明治36年(1903年)に尋常小学校の国定教科書に採用され急速に広まった。それ以前の江戸・東京では「おっかさん」が多かった、

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AF%8D%E3%81%95%E3%82%93・広辞苑)、「おとうさん」の普及の仕方と同一である。

ところで、「かか」を幼児語とみるのは、「とと」との関連で妥当に見えるが、

幼児語カカは疑問、

とする異説があり(日本語源広辞典)、「おかあさん」も、

御方(おかた)+様、

とし、「おっかさん」は、

大方様が語源、

であり、

カカサマ、カアチャン、カアサン、キカア、カカ、オカカは、方様が、

とする(仝上)。

オカタの小児語(綜合日本釈名民俗語彙)、

はそれだし、

カミ(上)のカを重ねた語(懐橘談)、

も似た発想になる(日本語源大辞典)。これについては、

カミサマのカを重ねた語とする説は、近世初期の儒者・黒沢石斎が「懐橘談」で唱えたのが古いが、その後、江戸中期の伊勢貞丈の「安斎随筆」で否定されてからはほとんど顧みられなかった。しかし、近年になって、カミサマ出自の女房詞カモジの存在などから、カミサマとカカの関係を見直す考えもある、

と説いている(日本語源大辞典)。しかし、「とと」と「かか」は対なのではないか、と思うので、「かか」のみ「カミ」「カタ」とつなげるのはどうなのだろう。

なお「はは」については、項を改める。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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はは


「はは」は、

母、

と当てる。ただ、上代、「母」を、

オモ、

とも訓ませた(岩波古語辞典)。

「母」(慣用ボ、漢音ボウ、呉音ム・モ)は、

象形。乳首をつけた女性を描いたもので、子を産み育てる意味を含む、

とある(漢字源)。

「はは」の意味の漢字には、

「嬢(孃)」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)、

があり、

会意兼形声。「女+音符襄(ジョウ 中にこもる、ふんわりとして柔らかい)」で、からだつきの柔らかい女性のこと、はは・むすめの両義に用いる、

とあり(仝上)、

爺嬢(やじょう)、

というと、「ちちはは」の意になる。

妣(ヒ)、

は、

会意兼形声。「女+音符比(ならぶ)」。父と並ぶ人という意味であろう、

とあり(仝上)、死んだ父に対して、

死んだ母の意、

で、

生前には母といい、死後は妣という、

とある(仝上)。

媽(漢音ボ、呉音モ)、

は、

形声。「女+音符馬」。父をパといい母をモまたはマというのは上古の漢語以来の古い称呼である。媽は、俗語の中に保存されたもの、

で、

かあちゃん、

の意(仝上)。

嫗(ウ、慣用オウ)、

は、

会意兼形声。「女+音符區(ク ちいさくかがむ)」。背中の屈んだ老婆、

で、「老いた母」を意味する。

さて、和語「はは」は、

奈良時代はファファ、平安時代にはファワと発音されるようになった。院政期の写本である「元永本古今集」には「はわ」と書いた例がある(広辞苑)、
ファファが平安、中世の発音(日本語源広辞典)、
平安時代以後ハワと発音が変化したが、ロドリゲス大文典などによると、室町時代はハハとする発音もあった(岩波古語辞典)、

等々とあり、「母」を、

はは、

と訓むのは後のことのようである。

は行子音は、語頭では、p→Φ→h、語中ではp→Φ→wと音韻変化したとされる(Φは両唇摩擦音。Fとも書く)。これに従えば、「はは」は、papa→ΦaΦa→Φawa→hawaとなったはずで、実際、ハワの形が中世に広く行われたらしい。仮名では「はは」と書かれたものの読み方がハハなのかハワなのかは確かめようがないが、すでに12世紀の初頭から「はわ」と書かれた例が散見されるから、川のことを「かは」と書いてカワと訓むごとく、「はは」と書いてハワと読むことも少なくなかったと考えられる。キリシタン資料を見ると、「日葡辞書」では「Fafa」と「faua」の両形が見出しにあるが、「天草本平家」などにおける実際の用例ではハワの方が圧倒的に多い、

とある(日本語源大辞典)。したがって、「はは」は、「母」と表記しても、

ファファ(奈良時代)→ファワ(平安時代)→ハハ(「ハハ」と表記してハワと読む。室町時代)→ハハ(江戸時代以降、ハハ)、

と読んでいったという経緯になる。なお、国際音声記号で、

[ɸ]は無声両唇摩擦音を、[ø]は円唇前舌半狭母音を表す、

とされているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%CE%A。無声両唇摩擦音(むせいりょうしんまさつおん)は、

子音のひとつである。両唇で調音される摩擦音で、ロウソクの火を吹いて消したり、粥を吹いて冷ます時に発生する音、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%A3%B0%E4%B8%A1%E5%94%87%E6%91%A9%E6%93%A6%E9%9F%B3

現代日本語では、ファ行全段とハ行の「フ」をこの音で発音する。これらの文字の子音はローマ字表記においてFで転写されることが主流であるが、多くの日本語話者は外国語などの無声唇歯摩擦音([f])もこの音で発音してしまうことがある。(中略)日本語の歴史上では、平安中期から江戸初期までは、ハ行の全段をこの音で発音していたが、ハ行転呼の現象により両唇接近音[β](下唇と上唇が接近することで作られた隙間から生じる音)、すなわちワ行の音に変化した、

とある(仝上)。「こんにちは」を、「こんにちわ」と発音するのがそれだろう。その意味で、和名抄に、

母、波波、

字鏡に、

母、波波、

は、「はは」と訓ませたとは限らないことになる。

おもしろいことに、どの呼び方にせよ、「おやじ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%98)、「おふくろ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D)で触れた「かか」「とと」と同じように、「はは」も、

乳首を求める乳児の甘え声が語源(日本語源広辞典)、
愛(は)しの首言の身を重ねて云へるにて、小児語に起これるならむ(大言海)、
子供が発音しやすく偶然発した音声ファアから(国語溯原=大矢徹)、

等々、幼児語由来とする説がある(日本語源大辞典)。

室町末期(17世紀初頭)までは、「母」は、「ハワ」が優勢だったが、それが、表記、発音とも「ハワ」が滅び、「ハハ」になっていったのだが、その理由として、

@他の親族名称、チチ・ヂヂ・ババ……は、二音節語、同音反復、清濁のペアをなす、といった特徴があるから、ババから期待される形はハハと類推されるから、
A江戸時代には、口頭語で母を……、カカ(サマ)・オッカサンなどが次第に一般的となり、「はは」は子供がちいさいとき耳で覚える語ではなく、大人になって習得する語になっていった、
B江戸時代でも、仮名表記する際には「はは」が一般的であり、この表記の影響による、

等々があるとする(仝上)。表記と読みが違うのは、

てふてふ、

を、「ちょうちょう」と読ませることなど多々ある。「ちち」「はは」と連呼したとき、「チチ」「ハワ」は、言いにくいということが大きいのではあるまいか。

こうみると、「はは」の語源は、

子をハラム(孕)ところから(本朝辞源=宇田甘冥・日本語源=賀茂百樹)、
ハゴクムの義(仙覚抄)、
ハはヒラフシ(日足)の転ヒタラサの約(和訓集説)、
ハラ(腹)の義(言元梯)、
胞衣の意のフフム(含)から(名語記)、
母の意の古語イロハのハを重ねたもの(国語蟹心鈔)、

はいずれも、語呂合わせに近い。ただ、「いろは」との関連については、

母をイロハと云ふときは、ハの一音に云へり(大言海)、

というのもあり気になるが、「母」の意の「いろは」は、名義抄にも、

母、イロハ、俗云、ハハ、

とあり、

イロは、本来同母、同腹を指す語であったが、後に単に母の意と見られて、ハハ(母)のハと複合してイロハとつかわれたものであろう、

とあり(岩波古語辞典)、

伊呂(イロ)兄(え)、
伊呂兄(せ)、
伊呂姉(せ)、
伊呂弟(ど)、

等々、同腹の兄弟姉妹を云ひし(大言海)とある。どうやら、由来が先後逆である。

「はは」と同義の「おも」については、項を改める。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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おも


「母」は、古代、

おも、

と訓ませ、万葉集に、

わが門の五本柳(いつもとやなぎ)いつもいつも母(おも)が恋ひすす業(なり)ましつしも(矢作部真長)、

とあり、

はは、

の意であったが、同じく万葉集に、

緑児のためにこそは乳母(おも)は求むといへ乳(ち)飲めや君が乳母(おも)求むらむ(作者未詳)、

とあるように、

乳母(うば)、

の意でもあった(広辞苑)。

上代語であり、中古以降は「おもとじ」など複合語の構成要素にのみみられる。東国では、「おも」「おもちち」とともに「あも」「あもしし」「あもとじ」の形が見える、

とある(日本語源大辞典)。因みに、「おもとじ」は、

母刀自、

と当て、

ははとじ、

ともいい、「とじ」は、

トヌシ(戸主)の約、主婦の意、

とある(岩波古語辞典)。

「おも」から想定するのは、朝鮮語、

オモニ(어머니)、

である。「おも」は、

ömö、

「オモニ」は、

ömi、

である(仝上)。

朝鮮語と通じる(東雅・古事記伝・和訓栞)、

とする説は長く主張されてきたが、「おも」は、

東国語形が古形とすれば、アモの母音交替したもの、

ではないか、とされている(日本語源大辞典)。沖縄では、

あんまあ、

という、とある(大言海)。「なゐ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba19.htm#%E3%81%AA%E3%82%90)で触れたことと重なるが、

周圏分布、

と見られなくもない。「周圏分布」とは、『蝸牛考』で柳田國男が提示した仮説で、

相離れた辺境地域に「古語」が残っている現象を説明するための原則で、文化的中心地において新語が生れると、それまで使われていた単語は周辺へ押しやられる。これが繰返されると、池に石を投げ入れたときにできる波紋のように、周辺から順に古い形が並んだ分布を示す、

とするものである(ブリタニカ国際大百科事典)。柳田國男は、

蝸牛を表わす語が、時期を違えて次々と京都付近で生まれ、各々が同心円状に外側に広がっていったという過程である。逆からみると、最も外側に分布する語が最古層を形成し、内側にゆくにしたがって新しい層となり、京都にいたって最新層に出会う。地層を観察すればかつての地質活動を推定できるのと同様に、方言分布を観察すればかつての言語項目の拡散の仕方を推定できる、

としたものであるhttp://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2012-03-07-1.html

つまり、古形が、東北に残っている、ということである。この説が比較的受け入れやすい。ただ、その由来を辿ると、やはり朝鮮語「おもに」と無縁とは思えない。

『大言海』は、「はは」と同様に、

オモと云ひ、アモと云ひ、共に、形容詞うまし(旨)、あまし(甘)の語根にて、……乳の味に就きて云ふ語なり、

と「あまし」「うまし」にこだわっているが、

乳を、ウマウマと云ひ、さらに約めて、乳母を、ママと云ふ、母は百済語にも、オモ、今の朝鮮語オマニ、沖縄にてアクマア、翻訳名義集、梵語「阿摩、此云女母」、

との説明は説得力がある。和訓栞も、

梵語の阿摩で、乳母の意、

としているが、幼児語由来は、「かか」「はは」と通じるものがあり、

擬声語で、嬰児の最初の発音ウマはオモとも聞こえ、これをとって、その欲求するもの、すなわち母および乳の名としたもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、

も同じ発想である。

母(Mo)に、親愛の接頭語、阿(o)を添えたもの(日本語原考=与謝野寛)、
母のオン(恩)はオモ(重)いということから(円珠庵雑記)、

等々の説は考え過ぎではあるまいか。

ところで、

母屋、

と当てる「おもや」は、

母家、
主家、

とも当て、

もや、

ともいうが、

寝殿造りなどの建物の紂王の部分、

で、

庇、廊、

などに対して言う、とある(日本語源大辞典)。この「母」とあてる「おも」を、「母」の複合語と思ったが、「母屋」は、

もともと「もや」と読み、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E5%B1%8B、漢字「母屋」を訓んだだけの、別由来である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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おやま


「女形」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E5%A5%B3%E5%BD%A2)については触れたことがある。「おやま」は、

女形、

と当て、

仮名遣いでは、

をやま、

とも表記した(広辞苑)。また、「おやま」は、

お山、
於山、

とも当て、

女形人形の略、またはその人形遣い手、
歌舞伎で、女の役をする男役者、おんな形、またはその略、
(上方語)色茶屋の娼妓、後に遊女の総称、
美女、または女、

といった意味がある(広辞苑)。幕末の『守貞謾稿』には、「於山」について、

江戸にて芝居の女形を於山とも云也、一座中の女形の上品をたておやまと云也、立於山也、

とあり、さらに、

妓品の名目に非ず、京阪の俗は、太夫、天神の二妓を除きて、その他は官許非官許の賣女ともに、遊女の惣名をおやまと云也、

とある(大言海)。で、江戸後期の『嬉遊笑覧』には、

小山次郎三郎といふもの女の人形をよくつかふ。遊女傾城の類をおやまといふにより是をおやま人形といふといへり。紛らわしき書やうなり。思ふに上かたにて遊女をおやまといふによりとなへしならむ、

とある(日本語源大辞典)。つまり、

上方には人形遣いや歌舞伎に先立ってもともと遊女を意味する「おやま」という語があった、

と考えられる(仝上)。その由来は、

遊女は眉墨を山の形につけたから(嬉遊笑覧・和訓栞)、
遊女を指す「やましゅう」(山衆・山州)に、接頭語「お」をつけて「しゅう」を略した(物類称呼)、

等々があるが、「おやま」を「遊女」の意で使ったのは上方のみであり、『守貞謾稿』と同様、江戸中期の『物類称呼』も、

江戸にてはをやまと云名は戯場(しばい)のみ有、

としている。ちなみに、歌舞伎では、

貞享元年(1684)刊の役者評判記「野良三座詫」に、二代目伊藤小太夫が他の女形と区別して「おやま」と称されているのが最初、

とある(日本語源大辞典)。なお、「女形人形」(おやまにんぎょう)とは、

承応年間(1652〜1655)、人形遣いの小山次郎三郎が江戸の操り人形芝居で巧みに使った遊女の人形、また女形の人形、おやま、

の意で、このため「おやま」の語源を、

小山次郎三郎が巧みに使った女の人形を「小山人形」といい、その後、女の人形を使う人形遣いを「おやま……」というようになり、それが歌舞伎の世界に移って「女形(おんながた)」のことを「おやま」というようになって、美女や遊女の称に用いるようになった、

とする説があるのである。しかし、上記の「おやま」の上方での由来を見ると、

遊女を指す「おやま」→小山(おやま)人形→女形(おやま)、

と真逆の変遷とみるべきなのかもしれない。

なお、今日東京都の無形文化財 に指定された「江戸糸あやつり人形」というのがあるが、これは、

江戸時代の寛永12年(1635年)に初代結城孫三郎が創設以来、現在12代目結城孫 三郎まで380年以上の歴史があります、

とあり、「小山人形」とのつながりはないが、面影を推測はできる。

「女形」を、

おんながた、

と訓むと、

女方、

とも当て(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%BD%A2・江戸語大辞典)、

演劇で、女役に扮する男の役者、またその役柄、

という意味で、

おんなやく、

とも言い、

おとこがた、

がその対で、

男形、
男方、

と当てる。いわゆる、

立役(たちやく)、

とも言うが、ただ、「立役」は、

もとは座っている地方(じかた)・囃子方に対して、立って舞う立方(たちかた)すなわち俳優全体の意であったが、後には女形以外の男役の総称となり、さらに老役(ふけやく)・敵役(かたきやく)・道外方(どうけかた)以外の男役の善人の役を言うようになった、

と少し意味を変えているが(広辞苑)。

「おとこがた」「おんながた」の、「がた」は、

接尾語で、ガタと濁る、

とあり、

〜役、

という意味になる(岩波古語辞典)。囃子方などと同じとある。だから、

ガタは「方」つまり、能におけるシテ方、ワキ方などと同様、職掌、職責、職分の意を持つものであるから、原義からすれば「女方」との表記がふさわしい。歌舞伎では通常「おんながた」と読み、立女形(たておやま)、若女形(わかおやま)のような特殊な連語の場合にのみ「おやま」とする、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%BD%A2、ここでも、

「おやま」は一説には女郎、花魁の古名であるともされ、歌舞伎女形の最高の役は花魁であることから、これが転用されたとも考えられる、

とある(仝上)。

これは、「女形」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E5%A5%B3%E5%BD%A2)で触れたように、小谷野敦氏が、遊女の由来から、女形の呼び方について、

「遊女」というのは平安朝以来の名称で、むしろ中世の、江口・神崎で、水辺に棲んで舟に乗り、淀川を下ってくる男たちに声をかけるのが遊女、地上を旅して春を鬻ぐのを傀儡女(くぐつめ)、男装したものを白拍子などといった。中世には前の二つはあわせて遊女とされ、遊女の宿といったものが宿駅に出来たりしたし、京の街中には、地獄などと呼ばれる遊女宿があり、遊君(ゆうくん)、辻君(つじきみ)、厨子君(ずしきみ)といった娼婦が現れた。…近世以来、上方では娼婦を「おやま」と呼んだ、

とし、

歌舞伎の女形が「おやま」と言われるのは、人形浄瑠璃で、遊女の人形を「おやま人形」と呼んだことから来ている。だから、女形の人は、「おやま」と言われるのを嫌い、「おんながた」としてもらうことが多い、

とするのとも重なる。「女形」を、

おんながた、

と呼ばせる謂れはここにあるらしい。『大言海』が、「をやま」の項で、

歌舞伎の女形(おんながた)の称、その大立者(おおだてもの)なるを立をやま、少女なるを、わかをやまと云ふ、

と、「おんながた」と「をやま」を区別しているのは、この由来のようである。

参考文献;
小谷野敦『日本恋愛思想史〜記紀万葉から現代まで』 (中公新書)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ごとし


「ごとし」は、

〜の如く、

と使う。これは、

比況の助動詞「ごとし」の連用形、

で、

活用語の連体形、体言、助詞「の」「が」に付いて、

彼の言うごとく、
とか、
今さらのごとく、

といったように、

比喩・例示を表し、〜のように、〜のとおり、

の意で使う(デジタル大辞泉)。現代では文章語的表現、または改まった表現をする場合に用いられる(仝上)、とある。

「ごとし」に当てる「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、

会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には若とともに、近くもなく、遠くもない物を指す指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B」(AはほぼBに同じ、似ている)という不則不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も現場にないものを指す働きの一用法である、

とある(漢字源)。「人世如朝露」というように、「〜のようだ」の意で使うが、「若」と同じく、「如有復我者(もし我を復する者有らば)」のように「もし」の意でも使うし、A如B(AもしくはB)の形でも用いる(仝上)。

「如」については、

会意形声。「口」+音符「女」。「女」は「若」「弱」に共通した「しなやかな」の意を有し、いうことに柔和に従う(ごとし)の意を生じた。一説に、「口(神器)」+音符「女」、で神託を得る巫女(「若」も同源)を意味し、神託に従う(ごとし)の意を生じた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82

会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1519.htmlあるので、旁の「女」には、「神託を得る巫女」の意があるものとみてよさそうである。

さて「ごとし」は、確かに助動詞であるが、

動詞・助動詞の連体形を承ける。しかし、「……がごとし」「……のごとし」のように助詞の「の」「が」にもつづく。助動詞は助詞を承けることはないものであるから、上のような用法のある「ごとし」は本来の助動詞ではない、

とされる(岩波古語辞典)。その背景は、「ごとし」の成り立ちと絡む。「ごとし」は、

同一の意味の体言「こと」の語頭の濁音化した「ごと」に、形容詞化する接尾辞「し」のついた語。活用語の連体形、助詞「が」「の」につく。まれに名詞につく使い方もある。古くは「ごと」が単独で使われた。活用形の変則的用法として、副詞的には「ごとく」の他に「ごとくに」も用いられ、指定の助動詞「なり」には「ごとき」の他に「ごとこく」「ごとし」からも続く。平安時代には漢文訓読分に用いられ、かな文字系(女流文学系)では「やうなり」が一般であった。現代口語では、文章語的な文体で「ように」の意味で「ごとき」が用いられる、

とある(広辞苑)。「ごと」は、

同、
如、

と当て(岩波古語辞典)、

古に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし我が恋るごと(額田王)

と使われ、

コト(同)と同根、後に如しの語幹となる、連体修飾語をうけて、

とあり(仝上)、「〜と同一」の意で、

ごと(毎)、

とはアクセントと意味から別語とある(仝上)。「こと」は、

同、

と当て、

花細(ぐは)し桜の愛(め)でてこと愛でば早くは愛でず我が愛づる子ら(允恭天皇)、

と使われ、

如し(ゴトシ)と同根、仮定の表現を導くに使う。「こと」(別・異)とは起源的に別語、

とあり(仝上)、

此語、常に多く、何のごと、某(ソレ)のごとと、他語のしたに用ゐられ、連声にて濁る、されど独立なるときは清音なるなり(万葉集古義)。ただし、清音にて、語尾の活用したるを見ず、古今集の歌の、ことならむを、顕注密勘に、かくの如くならむの意と釈せり、

としている(大言海)。

しかしもともと、「こと」は、体言である。だから、

「見けむがごと」といえば、「見たというのと同一」の意である。この用法の発展として、他の事・物に比較して「……とおなじだ」「……のようだ」の意を表す「ごとし」があらわれた(岩波古語辞典)、

というような用法を可能にしたのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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しく


「しく」は、

及ぶものはない、

の意で、

如くは無し、

と使い、また、

百聞は一見に如かず、

の「しか」は至り及ぶ意の「しく」の未然形に打消しの助動詞ズをつけて、

(それに比べて)及ばない、
(それに)まさるものはない、

の意で使う(岩波古語辞典)。「しく」は、

如く、

と当てる。「如く」を、

ごとく、

と訓む「ごとし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%97)は触れた。そこで触れたことと重なるが、「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、

会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には若とともに、近くもなく、遠くもない物を指す指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B」(AはほぼBに同じ、似ている)という不則不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も現場にないものを指す働きの一用法である、

とある(漢字源)。「人世如朝露」というように、「〜のようだ」の意で使うが、「若」と同じく、「如有復我者(もし我を復する者有らば)」のように「もし」の意でも使うし、A如B(AもしくはB)の形でも用いる(仝上)。

「如」については、

会意形声。「口」+音符「女」。「女」は「若」「弱」に共通した「しなやかな」の意を有し、いうことに柔和に従う(ごとし)の意を生じた。一説に、「口(神器)」+音符「女」、で神託を得る巫女(「若」も同源)を意味し、神託に従う(ごとし)の意を生じた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82

会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1519.htmlあるので、旁の「女」には、「神託を得る巫女」の意があるものとみてよさそうである。

しかし、「しく」は、

及く、
若く、

とも当てる。

「若」(漢音ジャク・ジャ、呉音ニャク・ニャ)は、

象形。しなやかな髪の毛をとく、からだの柔らかい女性の姿を描いたもの。のち、草冠のように変形し、また口印をくわえて若の字になった。しなやか、柔らかく従う、遠回しに柔らかく指を指す、などの意を表す。のち、汝(ジョ)、如(ジョ)とともに、「なんじ」「それ」をさす中称の指示詞に当てて用い、助詞や接続詞に転用された、

とある(漢字源)が、

象形。手を挙げて祈る巫女を象る物であり、「艸」(草)とは関係ない。髪をとく、体の柔らかい女性を象る(藤堂)。手や髪の部分が、草冠のように変形した。後に「口」を添え、「神託」の意を強くした(藤堂)、又は、神器を添えたものとも(白川)。神託から、「かく」「ごとし」の意が生じる。「わかい」巫女が祈ることから、「わかい」の意を生じたものか。音は、「女」(本当?)「如」「弱」「茹」等と同系で、「やわらかい」の意を含む。また音を借り、中称の代名詞、助詞や接続詞に用いられた、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5、「若」の由来がよくわかる。「如」と似た使い方をされ、「A若B」で、AもしくはB、AまたはBの意や、若是と、かくのごとしのように、「ごとし」の意で使われる。ために、「しく」に当てたものと思われる。

「及」(漢音キュウ、呉音ゴウ)は、

会意。「人+手」で、逃げる人の背に追う人の手が届いたさまを示す。その場、その時にちょうど届くの意を含む、

とあり(仝上)、「如」「若」とは異なり、AとBと事物を列挙する意を表す。むしろ後述の通り、「しく」の意から、「及」を当てたと見える。「如」の項で、

奈良時代の日本語で、「及ぶ、届く」の意、「不如(しかず)」(〜に及ばない)、「莫如(しくなし・しくはなし)」(其れに及ぶものはない)、「不如学也(学ぶに如かず)」

とある(仝上)のは、その意味と受け止めた。

和語「しく」は、まさに、「及」の意で、

距離を隔てたものの後を追って対等に並ぶ意(広辞苑)、
追って行って、先行するものに追いつく意(岩波古語辞典)、

とあり、

追いつく、
及ぶ、肩を並べる、
匹敵する、

意味である。

シク(敷・頻)と同根、

とある(岩波古語辞典)。「しく」(敷・領)は、

一面に物や力を広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす意、シク(及・頻)と同根、

とあり、

曲廬(まげいほ)の内に直土(ひたつち)に藁解き敷き父母は枕の方(かた)に妻子(めこ)どもは足(あし)の方(かた)に囲み居て憂へ吟(さまよ)ひ(貧窮問答歌)

と、

物を平らに延べ広げて隅まで一杯にする、

意だが、「しく」に「領」を当てると、

すめろぎの神の命(みこと)の敷きいます国のことごと湯はしもさわにあれども(万葉集)、

と、

辺り一面に隅々まで力を及ぼす、一帯を治める、

意となり、「しく」に「頻」「茂」を当てると、

シク(敷・及)と同根、

で、

住吉の岸の浦廻(うらみ)にしく波のしくしく妹(いも)を見むよしもがも(万葉集)、

というように、

痕から後から追いついて前のものに重なる、

意で使われる。「しくしく」は、

及く及く、

で、

波が寄せてくるように後から後から絶えないで、

という意味で、要は、

絶え間なく、

の意である。「しくしく」と「しく(頻)」とつながる言葉と思われる。こうみると、「しく」(及)と「しく」(頻)とは、

痕から追いつく、

という含意で、ほぼ意味が重なる。とすると、「しく」は、

物を平らに延べ敷く、
あるいは、
力が目一杯広がった、

結果、

追いついた、という意味に、意味の外延が広がった、と見ることができるのではないか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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しか


「しか」は、

然、
爾、

と当てる(広辞苑)。

奥城(おくつき)をここと定めて後の世の聞き継ぐ人もいや遠に偲(しの)ひにせよと黄楊小櫛(つげおぐし)しか刺しけらし生ひて靡けり(万葉集)、

のように、

そのように、さように、

の意味である(岩波古語辞典)。さらに、転じて、

内裏(うち)よりと宣(のたま)へばしかまかではべるままなり(源氏)、

というように、

(感動詞的に用いて、相手の言葉を肯定する)そう、そうです、

の意味で使う(仝上)。「しか」は、

シはサと同義の副詞、カは接尾語、

とある(広辞苑)が、

指示代名詞「し」+接尾語「か」から(デジタル大辞泉)、
指示語「し」に接尾語「か」のついたもの(日本語源大辞典)、

とあるので、「し」は指示詞とみていい。さらに、

代名詞シと状態を示す接尾語カとの複合。すでに述べた状態を指示する語。上代では歌にも使われたが、平安時代には漢文訓読に使い、平安女流文学ではこれに当たる語は「さ」で、「しか」は男性の言葉として使われることが多い、

とある(岩波古語辞典)。そして、

和文では平安以後「さ」が多くなるが、「さ」が発生した後でも、「しか」は漢文訓読語として、依然として使われた。室町以後は一般には減少し、「かく」から変じた「こう」や、「さ」から変じた「そう」などがこれに代わっていく、

とある(日本語源大辞典)。ところで、

指示語「し」+接尾語「か」

の、接尾語「か」は、

カアヲ・カボソシなど接頭語のカと同根、

とあり、確かに、

物の状態・性質を表す擬態語などの下につき、それが目に見える状態であることを示す、

とあるが(仝上)、

のどか、
ゆたか、
なだらか、

等々の用例から見ると、ちょっと違う気がして、少し疑問が残る。といって、

其気(そけ)の転(大言海)、
シは発語、カは古語カレ(故)のカと相通ず(国語の語根とその分類=大島正健)、
シカ(息香)の義。息は水、香は火をいい、万事は皆水火をもととするため、種々品々をさしてシカという(柴門和語類集)、
イカスガ、またはサスガの略(類聚名物考)、

というと、あまりにもひねくりすぎて首をかしげる。

ただ、「か」が、

接頭語「か」と同根、

とある(岩波古語辞典)。接頭語「か」は、

アキラカ・サヤカ・ニコヨカなど、接尾語カと同根、

とあり、

か細し、
か弱し、

等々のように、

目で見た物の色や性質などを表す形容詞の上につき、見た目に……のさまが感じられるという意を表す、

とあり、

転じて、ケ(気)となる、

とある。接尾語「か」も、

後に母音変化を起こして、「け」となり、「あきらけし」「さやけし」などのケとして用いられ、「さむげ」などのゲに転じた、

とある(仝上)。とすると、

其気(そけ)の転(大言海)、

はあり得るが、しかし「しか」の「し」が指示詞なら、「か」は、

ありか(有處)、
すみか(住處)、
かくれが(隠處)、

の、

處、

とあてる接尾語「か」ではあるまいか。

處(こ)に通ず、

とあり(大言海)、「しか」は、

指示「し」+か(處)、

の方が意味が一貫する気がするのだが、もちろん勝手な憶説ではある。

漢文訓読で使われ、残ってきたせいからか、今日残る言葉は、

しかして(然して 漢文訓読 体で使う、シテは助詞 そして)、
しかしながら(然しながら・併しながら シカは然、シは有りの意の古語。ナガラは助詞。そうであるままの意。転じて、そのまま、すべての意。事の成り行きはすべて……であると判断を下す用法から、接続詞として、結局のところの意。ナガラがそのままの意から転じて、……けれどもと逆接の意を表すに至ったと同じく、シカシナガラも広く逆接の条件句にも使うようになって、けれども、だが、の意。現在の「しかし」はこの語の下略形(岩波古語辞典))、
しかすがに(然すがに シカは然、スは有りの意の古語。ガは所の意。アリカのカの転。ニは助詞。平安時代以後、サスガニとなる(岩波古語辞典)、シカスルカラニの約(大言海) そうであるところでの意が古い意味、転じてそうではあるが)、
しかのみならず(然のみならず そればかりでなく)、
しかも(然も 副詞シカに感動の助詞モのついたかたち)、
しからば(然らば シカアラバの約 そうであるのならば)、
しかり(然り シカアリの約 そうである)、
しかるあひだ(然る間 シカアルアヒダの約。そうであるうちに)、
しかるに(然るに シカアルニの約 そうであるのに)、
しかるべし(然るべし シカアルベクの約 そうなるように定められている)、
しかるを(然るを シカアルヲの約 そういう状態で)、
しかれども(然れども シカアレドモの約 そうではあるが)、
しかれば(然れば シカアレバの約 そうだから)、

等々、漢文訓読風である。「然り」は、「シカアリ」の約だが、

さり、

とも訓ませる。

サアリの約、

とあり(広辞苑)、

平安女流文学ではこれに当たる語は「さ」、

とある「さ」に転じた後も「しか」と「さ」は両用だったことによるのだろう。

然云ふ、

は、

漢文で「云爾(うんじ)」の訓読、

で、

文章の末尾に用い、上に述べた通りである意、

である。

「しか」に当てられた漢字を見ておくと、「然」(漢音ゼン、呉音ネン)は、

会意。上部はもと厭の厂を除いた部分と同じで、犬の脂肪肉を示す会意文字。然は、その略体で、脂(あぶら)の肉を火で燃やすことを意味する。燃の原字で、難(自然発火した火災)と同系、のち然を指示詞ゼン・ネンに当て、それ・その・その通りなどの意をあらわすようになった。そのため燃という字でその原義(もえる)を表すようになった、

とある(漢字源)。で、「しかり」と肯定・同意するときの言葉、転じて、「そう、よろしい」と引き受けるのを「然諾」といい、イエスかノーかを「然否」という、とある(仝上)。別に、より分解して、

会意。「月」(肉) +「犬」+「灬」(火)を合わせて、犬の肉を炙ること。「燃」の原字。音が仮借されたもの(藤堂)、又は、生贄の煙を上げ神託を求める(白川)。難と同系、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%B6のがわかりやすい。

「爾(尓)」(漢音ジ、呉音ニ)は、

象形。柄にひも飾りのついた大きいはんこを描いたもの。璽(はんこ)の原字であり、下地にひたとくっつけて印を押すことから、二(ふたつくっつく)と同系のことば。またそばにくっついて存在する人や物をさす指示詞に用い、それ、なんじの意を表す、

とある(漢字源)。同趣旨だが、

象形。(例えば漢委奴国王印のような形の)柄に紐を通した大きな印を描いたもの(あるいは花の咲く象形とも)。音が仮借され代名詞・助辞などに用いられるようになったため、印には「璽」が用いられる、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BE。近くにいる相手を指す二人称の「なんじ」の意と、近くにある事物や前に述べた事物・事柄を示す「それ」「そのような」の意でもある。

「然」「爾」は、「しこうして」の意の「而」とともに接続詞として使われるが、三者の違いはこう比較されている(字源)。

「而」は、て、にて、して、しかるに、しかも、などと訓み、「承上起下之辞」と註す。されば而の字を句中に置くときは、かならず上下二義あり、上下の二義、折るることあり、「哀而不傷」の如し、折れざることあり、左傳に「有威而可畏、之謂威」の如し。折るる場合には、しかもと訓むべし、
「然」は、而と同用にして、意重し、しかれどもと訓むときは、雖然の義にして、語緊(かた)し、
「爾」は、如是の義にて、然と同じ。卓然を卓爾、卒然を卒爾などと云ふにて知るべし。但し、然の字よりは意軽し、……爾時は然りし時の義にて、其の当時をさして云ふ。故に、爾の字を一に指辞とも解す、

要は、意味の差ではなく、意の重さを言うだけのようである。

因みに、「而」(漢音ジ、呉音ニ)は、

象形。柔らかくねばったひげのたれたさまを描いたもの。ただ、古くから、中称の指示詞に当て、「それ」「その人(なんじ)」の意に用い、また指示詞から接続詞に転じて、「そして」「それなのに」というつながりを示す、

とあり(漢字源)、

象形。頬ひげ(説文解字など)、または、結髪をせず髪を振り乱した様をかたどる。巫女が、そのようにして雨乞いをするさまを「需」という(白川)。早くに元の意味は失われ、音を仮借した意味のみ残る、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%8C

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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しかと


「しかと」は、

シカトする、

の「シカト」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%83%88)ではなく(これについては触れた)、

しかと相違ありません、

と使う副詞の「しかと」である。今日、あまり使わない。

「しかと」は、

確と、
聢と、

と当て(広辞苑)、たとえば、

@はっきりしているさま、はっきりと、分明に、ちゃんと(万葉集「志可登(シカト)あらぬ鬚かき撫でて吾れをおきて人はあらじと誇ろへど」)、
Aたしかであるさま、確実なさま、たしかに、かならず(史記抄(1477)「縦しかと腎か両方にあると云証拠はなくとも、命門を指て陰支蘭蔵と云べきぞ」)、
Bいいかげんでないさま、かたく、しっかりと(太平記「淵辺御胸の上に乗懸り、腰の刀を抜て、御頸を掻んとしければ、宮御頸を縮て、刀のさきをしかと呀(くわへ)させ給ふ」)、
C十分に、完全に、よく(上杉家文書(1569)四月二七日・北条氏康書露状「次遠州之儀、兵粮然と断絶候」)、
Dすきまのないさま、びっしりと(太平記「誰か候と被尋ければ、其国の某々と名乗て、廻廊にしかと並居たり」)、
E自分の望みどおりにするさま(日葡辞書(1603‐04)「xicato(シカト)ゴザレ〈訳〉自分の望みどおりにしている」)、

等々といったように、かなり意味の幅がある(精選版日本国語大辞典)が、要は、

かたく、しっかりと、また、十分に、完全に、しっかと、
はっきりと、
すきまなく、びっしりと、

といった意味(広辞苑・岩波古語辞典・デジタル大辞泉)の外延を広げた使い方をしているということだと思う。

「しかと」を促音化した、

しっかと(確と)、

は、

「しかと」を強めた言い方、

で、

@動作・態度などがしっかりしているさま、しっかり(史記抄(1477)「嗇夫は嗇はをしむやうな心で物をよくしっかとつましふする小官の名也」、浄瑠璃・烏帽子折(1690頃)「飛びかかってしっかと取れば」)、
A物事の状態などがしっかりしているさま(百丈清規抄(1462)「韈(たび)を以てしっかと褁(つつみ)て鞋(わらじ)を着けよぞ」)、

と使われているところを見ると(精選版日本国語大辞典)、より意味の幅は狭められる。

この「しかし」は、「しっかり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A)で触れたように、

確り、
聢り、

と当てる「しっかり」とつながり、

シッカは、聢(しか)の延(大言海)、
シカとの語根シカが、音韻変化で、シッ+カ+リ、となった(日本語源広辞典)、

と見る説がある。さらに、

「しっかり」の最古の語形は、奈良時代の「しかとあらぬひげ(多くはない髭)」(万葉集)に見られる。これは現代でも、「しかと聞く」「しかと見分ける」などのように使われる。この「しかと」の強調形が「しっかと」で、室町時代に、「(扇の)かなめしっかとして」(狂言「末広がり」)という例がある。それが江戸時代になり、「しっかりとした商人のひとりむすこ」(洒落本『辰巳婦言』)のように、「しっかり」の例が出てくる(擬音語・擬態語辞典)、

とあり、「しっかり」は、

しかと→しっかと→しっかり、

と変化した(仝上)とみて、「しかと」を始原とするとする説があった。意味の流れから見ると、その説が自然に思えるか、「しっかり」で触れたように異説もある(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A)

では、「しかと」は、何に由来するのか。大言海は、意味で分け、

固く結する状に云ふ、

しかと(緊)、

と、

しっかりと、たしかに、
分明に、

の意の、

しかと(聢と)、

を分け、前者は、

シカはたしかの略、

後者は、

シカは、シカ(然)と同意か、

としている。「しか(然)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%97%E3%81%8B)については触れた。

シは緊縮の義、固く保ち、極める意(国語の語根とその分類=大島正健)、
シカ(然)と助詞トの複合(岩波古語辞典)、
タシカ(確か)の略(言元梯)、
シカ(確か)+と(福祉化)(日本語源広辞典)、
其斯と慥かめる義(日本語源=賀茂百樹)、

と諸説を見ると、大言海の言う、

しかと(緊)、

しかと(聢と)、

らほぼ二つに分かれる。これは和語「しかと」が幅広い意味を持っていたせいではないか、と推測される。その意味の幅の分、由来は別の可能性はあると思う。

「しかと」に当てた漢字を見ておくと、「確」(カク)は、

形声。隺(カク)は、高く飛ぶ白い鳥を表す。ここでは単に音を示すだけである。確は、もと固くて白い石英。石のようにかたくて、しかも明白なの意を含む、

とある(漢字源)。「しかと」に当てたのは慧眼である。別に、

形声文字です(石+隺)。「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味)と「はるか遠いを意味する指事文字と尾の短いずんぐりした小鳥の象形」(鳥が高く飛ぶの意味だが、ここでは「硬」に通じ(「硬」と同じ意味を持つようになって)、「かたい」の意味)から、かたい石を意味し、そこから、「かたい」、「たしか」を意味する「確」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji824.html、より具体的である。

もうひとつ「しかと」に当てる「聢」は、和製漢字。

会意。「耳+定(しかときめる)」で、耳で聞いて決める意、

で国字である(漢字源)。

「しかと」には当てないが、「たしかに」に当てる「慥」(慣用ゾウ、呉音・漢音ソウ)は、

会意兼形声。造次(ゾウジ 急ごしらえ)の造は、あわただしく寄せ集めること。慥は「心+音符造」で、そそくさと急場を作ろう気持のこと、

とあり(仝上)、「あわただしい」意であり、「たしか」の意はない。「急慥え」とつかう、「こしらえる」意も、漢字にはもともとない(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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そそけだつ


「そそけだつ」(そそけ立つ)は、

髪の毛などがそそける、

意だが、その状態表現をメタファに、

身の毛がよだつ、
ぞっとする、

という価値表現の意でも使う。「そそける」は、

(髪・織物などが)ほつれ乱れる、けば立つ、

意で(広辞苑)、「そそく」からきている。「そそく」は、

噪く、

と当て、

せかせかと物事をする(堤中納言物語「あすのこと思ひ侍に今より暇なくて、そそきはむべるぞ」)、
ざわざわさせる、けばだたせる(大鏡「これかれそそき侍らむもうるさきに」)、

の意となる(岩波古語辞典)。

ただ、「そそく」には、

進く、

と当てて、

忙しくする、

意の「そそく」と、

噪く、

と当て、

乱れる、

意の「そそく」とがある(大言海)。だから、乱れた髪の意で、

そそけ髪、

という言い方もある(広辞苑)。

前者の、「そそく(進)」は、

ソソクは、燥急(そそ)くの義、イススクの上略、

とあり、「いすすく」は、

倉皇、

と当て、

心落ち着かず身震いする、

とあり、

イは発語、ススクは、進む、すすろぐ、と通ず、

とある(大言海)が、

うすすきの母音交替形、

とあり(岩波古語辞典)、

うつつす、

とも通じ、

そわそわする、
おろおろする、

意である(仝上)。「すすろぐと通ず」とある「すすろぐ」も、心が落ち着かなくなる意である。

一方、後者の「そそく(噪)」は、

蓬蓬(ほうほう)、

と当て(大言海)、

髪、紙、織物などのけば立つ、

意となり(仝上)、

ソソは擬態語。そわそわ・せかせか・ざわざわなどの意。キは擬音語・擬態語を受けて動詞を作る接尾語。カカヤキ(輝き)・ワナナキ(震)のキに同じ。ソソキ(注・灌)とは別音の別語、

とある(岩波古語辞典)。この他に、第三の「そそく」として、

みだれ、そそくる、

意として、

ささく(噪進)の転、

とする「そそく」を別項として上げている(大言海)。これは、

すかすく、いすすく、そそくと通ず、

とあり(仝上)、

すすむ、
ぞめく、

意とする。こうみると、「そそく」は、由来を異にする、

せかせかする、
ざわざわさせる、けばだたせる、

の両義が重なっていると見ることができる。だから、

そそく→そそくる、

と転じた「そそくる」は、

ソソはソソキ(噪)のソソ、クリは繰り、

とあり(岩波古語辞典)、

せかせかと忙しく手先を動かす、

意となり、おそらく、

そそくさ、
そそかし(そそっかし)、

は、その意の外延に連なる。

そそく→そそけ(名詞)→そそける(→そそけ立つ)、

の転訛の「そそける」は、

髪の毛のほつれる、

意となる(大言海)。

けば立つ、ほつれる、

の意の

そそくれ、

という語があり(江戸語大辞典)、この「そそ」は、

髪のそそけ立つ、

意から、

そそ髪、

さらに、そこから、恐怖の為に髪の毛が逆立つ意の、

ぞぞ髪立つ、
あるいは、
ぞぞ髪がたつ、

という言葉に到る(大言海・江戸語大辞典)。あるいは、

総毛立つ、
総毛立ち、

は、

そそげ立つ、
あるいは、
ぞぞ髪立つ、

からの転訛なのかもしれない。ちなみに、「総毛立つ」は、今日、

そうけだつ、

と訓むが、室町末期の日葡辞書には、

そうげだつ、

とある(広辞苑・岩波古語辞典)。

ところで、第三の「そそく」の意味に「ぞめく」があったが、「ぞめき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba17.htm#%E3%81%9E%E3%82%81%E3%81%8D)で触れたように、「ぞめく」は、

ざわざわと騒ぐ、
(遊里や盛り場を)騒いで浮かれ歩く、

という意(岩波古語辞典)で、この「ぞめく」、古くは、

そめく、

で、「そめく」は、

さめくの転、

とある(大言海)。そして、

そそめくに同じ、

そして、

急ぎ騒ぐ、

意とする。「そそめく」は、

騒騒(さわさわ)する、そよめく、そめく、

の意が載る(大言海)。

ソソはソソク(噪)・ソソノカス(唆)のソソと同根、

とある。「ぞめく」もまた「そそく(噪)」の、

ソソは擬態語。そわそわ・せかせか・ざわざわなどの意、

とつながるのである。

とすると、「そそく」の、

そそ、

「そそめく」の、

そそ、

は、もととなる擬態語は、せわしいさまの、

そわそわ、

のようである。

とすると、「ぞめく」が、

そそ→そそく→そそめく→そめく、

と転訛し、「そそけ立つ」が、

そそく→そそけ(名詞)→そそける(→そそけ立つ)、

と転訛したとみると、「そそく」の意味の、

せかせかする、
ざわざわさせる、けばだたせる、

の両義は、せわしなく、

わさわさ、
そわそわ、
そそくさ、
あたふた、

した落着かない擬態を、けば立つさまの、

細かい毛がそそけ立つ、

状態表現に転用したものではあるまいか。

「そそく」に当てた「噪」(ソウ)は、

会意兼形声。喿(ソウ さわがしい)は、「木+口三つ」の会意文字で、木の上で鳥ががやがやと騒ぐさまを示す。佐噪はそれを音符とし、口を加えた字で、騒と極めて近い、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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じゃがいも


「じゃがいも」は、

ジャガいも(芋)、

と表記するのは、

ジャガタラいもの略、

だからである(広辞苑)。

ジャバイモ、
オランダイモ、
カピタンイモ、

等々というのも、それとつながる(たべもの語源辞典)。

慶長年間(1596〜1615)ジャカルタから渡来したから、

いう(広辞苑)が、「ジャガタラ」とは、

ジャカルタの呼称。近世日本ではジャワ島の意に誤解して、オランダ船がジャワ島から舶載した貨物にこの語を冠して呼んだ、

とある(仝上)。

バタヴィァ(Batavia)、

あるいは、

咬𠺕吧(からっぱ)

のことである(大言海)。

このため、

ジャガタラ縞(和漢三才図絵「咬𠺕吧柳條(じゃがたらじま)、紺與浅葱、縦横柳條木綿、俗称盲縞」)
ジャガタラみかん(ざほんのこと)、
ジャガタラ水仙(アマリリスの異称)、

等々と、ジャガタラを冠したものは少なくない。「じゃがいも」も、

ジャガタラいも、

と呼ばれたものの略称である。この由来には、「ジャガタラいも」説以外に、

ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの、
天保の大飢饉ではジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたもの、

とする説もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2

「じゃがいも」は、

馬鈴薯、

とも言うが、「じゃがいも」が渡来したのは長崎だが、全国に普及したのは、

明治七年(1874)アメリカから優良種イモが持ち込まれた、

以降とあり(たべもの語源辞典・日本語源大辞典)、そのせいか、

日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2

「じゃがいも」の呼び名が、園芸学会、日本植物学会、日本土壌微生物学会では、

じゃがいも、

だが、日本育種学会、日本作物学会、日本植物防疫協会では、

バレイショ、

と呼ぶ(仝上)のは、日本において、

当初は観葉植物としての色合いが濃く、食用としてなかなか普及しなかった、

ことの反映でありhttps://www.jakitamirai.or.jp/nousantop/potato/potato2/、前者が植物としての名であり、後者は農作物としての名であり、「じゃがいも」が、本格的な農産物とされて以降かどうかに因るようである。

「馬鈴薯」の語源は、

マレーの薯の意https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%88%B4%E8%96%AF
駅馬の鈴馬の尻繋(しりがい)につける球形または楕円球形の鈴)のように実がなるから(外来語の話=新村出後)、

等々がある。

中国の文献『松渓県志』(1700年)に「馬鈴薯菜依樹生掘取之形有大小略如鈴子色黒而円味苦甘」(意訳:馬鈴薯は、葉は樹によって生ず。これを掘り穫れば、形に大小ありてほぼ鈴の如し。色は黒く、丸く、味は苦甘し)との記述がある、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%88%B4%E8%96%AF、そのため18世紀に小野蘭山が『耋筵小牘』(1807年)で、「じゃがいも」に、馬鈴薯を当てたものだが、これは、

まったくの別物(牧野富太郎博士)、

で、現在ではこの馬鈴薯は

アメリカホドイモであろうと比定されている、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%88%B4%E8%96%AF。漢名は、

洋芋、
または、
陽芋、

とされる(たべもの語源辞典)。ただ「馬鈴薯」の文字から、

馬につける鈴のように鈴なりにできる、

ことからこの漢字を当てたのではないか、と見られている(仝上)。英語のポテト(potato)の語源は、

タイノ族の言葉でサツマイモを意味するbatataがスペイン語のpatataに変化したもの、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2

「じゃがいも」は、江戸時代以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったため、地方名や地方品種も多い(仝上)。

ごしょいも(五升薯)、
ハッショウイモ(八升薯)、
にどいも(二度芋)、
さんどいも(三度芋)、

という(仝上・たべもの語源辞典)のは、収穫量を言っているのだし、

善太夫芋、
清太夫芋、
治助イモ、

等々というのは、ジャガイモの普及に尽力した人の名を取っている(仝上)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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なみする


「なみする」は、

無みする、
蔑する、

と当て(広辞苑)、

君をなみし奉る(平家物語)、

というように、

ないがしろにする、
軽んずる、
その人が居ても居ないように振舞う、

意である。今日は、ほぼ使わない。平安期の名義抄に、

無・无 ナミス、
蔑 ナミス、ナイガシロ、

とある(大言海・岩波古語辞典)。「なみ」は、

無み、

と当て、

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる(万葉集)、

と、

ないので、
ないままに、
ないために、

といった意味で使う(明解古語辞典)。「なみする」「なみす」は、

無みすの義、

とある(大言海)。つまり、

無いものと見做す、

というのが原義のようである。(多少価値表現が含まれるが)ただの状態表現が、

ないがしろにする、
軽んずる、

と意味の外延を広げ、価値表現の勝った使い方になっていったとみられる。

「み」は、

形容詞無しの語幹に接尾語ミのついたもの、

とある(広辞苑・明解古語辞典)。接尾語「み」は、一つは、

春の野の繁み飛び潜(く)くうぐいすの声だに聞かず(万葉集)、

というように、

形容詞の語幹について体言を作る、

とあり、ふたつには、

黒み、白み、青み、赤み(ロドリゲス大文典)、

と、

色合いを表し、三つには、

甘み、苦み(仝上)、

と、味わいを表すとある(岩波古語辞典)が、どうも、「なみ」は当てはまらない。その他に、

采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集)、

と、

形容詞及び形容動詞型活用の助動詞の語幹につき、多くは上に間投助詞「を」を伴って、

のゆえに、によって、なので、

と、

原因・理由を表す(広辞苑・明解古語辞典)、

という接尾語があり、上記の、

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる(万葉集)、

にも該当しそうである。

「なみする」に当てる、「蔑」(漢音ベツ、呉音メチ)は、

会意。大きな目の上に、さかさまに戈(カ 刃物)をそえて、傷ついてただれた目をあらわした。よく見えないことから、転じて目にとめないとの意に用いる、

とあり(漢字源)、「ただれた目」の意の他に、「相手を目にとめない」という意を持つ。別に、

会意、「艹」(艸くさ) +「罒」(目) +「戍」。『戍』は戈ほこで、目前の草を刈って見なかったように扱い、「ないがしろ」にすること、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%94%91が、

会意兼形声文字です(苜+伐)。「かすかで目に見えない精霊(草・木に宿っているとされる魂)」の象形と「横から見た人の象形と握りのついた柄の先端に刃のついた矛」の象形(「人に矛を当てて切る、取り除く」の意味)から、「精霊の力で退けて存在を認めない」、「あなどる」を意味する「蔑」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji2112.html説明が、納得がいく。

「無(无)」(漢音ブ、呉音ム)は、

形声。原字は、人が両手に飾りを持って舞うさまで、のちの舞(ブ・ム)の原字。無は「亡(ない)+音符舞の略体」。古典では无の字で、無をあらわすことが多く、今の中国の簡体字でも无を用いる、

とある(漢字源)。また、

日本語の「なし」は形容詞であるが、漢語では「無」は動詞である、

ともある(仝上)。

参考文献;
金田一京助・春彦監修『明解古語辞典』(三省堂)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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あやかし

 

「あやかし」は,

日本における海上の妖怪や怪異の総称,

の意かと思っていたら,

海上に現れる妖怪,

とあり(広辞苑),特に,

船が難破する時に海上に現れる,

ともあり(デジタル大辞泉),

海上で死んだ者の魂が仲間をとるために現れる,

ともある(岩波古語辞典)。別に,

あやかり,
海幽霊,
敷幽霊,
船弁慶,

等々ともいうらしい。

「長崎県では海上に現れる怪火をこう呼び、山口県や佐賀県では船を沈める船幽霊をこう呼ぶ。西国の海では、海で死んだ者が仲間を捕えるために現れるものだという」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%82%B7_(%E5%A6%96%E6%80%AA)

これが転じて,

あやしいもの,妖怪,

の意となったものらしい。また,

コバンザメの異称,

とあるのは,

「コバンザメが船底に貼り付くと船が動かなくなるとの俗信から、コバンザメもまたアヤカシの異称で呼ばれた」

ということ(仝上)によるものらしい。室町末期の日葡辞書には,

あほう,馬鹿者,

の意で載るらしい。これも意味の転化のひとつらしい。また,「あやかし」を,

怪士,

と当てると,能面の一つの呼称になる。

「怨念を持つ男の亡霊。霊的な力を持った神や妖怪。 目元に恨みが表現され、使用曲に幅がある」

とあり(http://www.noh-kyogen.com/encyclopedia/mask/ghost.html),使用曲目は,『船弁慶』『松虫』という。

鳥山石燕は,『今昔百鬼拾遺』で「あやかし」に,巨大な海蛇を描いている。これはイクチをアヤカシ(海の怪異)として描いたものとされている。

「イクチ」とは,日本に伝わる海の妖怪のことで,『譚海』(津村淙庵),『耳袋』(根岸鎮衛)などの江戸時代の随筆に記述がある。『譚海』によれば,

「常陸国(現・茨城県)の沖にいた怪魚とされ、船を見つけると接近し、船をまたいで通過してゆくが、体長が数キロメートルにも及ぶため、通過するのに12刻(3時間弱)もかかる。体表からは粘着質の油が染み出しており、船をまたぐ際にこの油を大量に船上にこぼして行くので、船乗りはこれを汲み取らないと船が沈没してしまうとある」

『耳袋』では,

「いくじの名で述べられており、西海から南海(近畿地方、九州)にかけて時折現れ、船の舳先などにかかるものとされている。ウナギのように非常に長いもので、船を通過するのに2,3日もかかるとあり、「いくじなき」という俗諺はこれが由来とされている。また同書では、ある人物が「豆州八丈(現・東京都八丈島)の海に、いくじの小さいものと思われるものがいるが、それは輪になるウナギ状のもので、目や口がなく動いているものなので、船の舳先へかかるものも、長く伸びて動くのではなく、丸くなって回るものだ」と語ったという」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%81)。なお,「イクチ」を,

シーサーペントと同一のもの,

とする指摘もある(仝上)とか。「シーサーペント」は,

「海洋で目撃、あるいは体験される、細長く巨大な体を持つ未確認生物(UMA)の総称である。特定の生物を指すものではない。大海蛇(おおうみへび、だいかいじゃ)とも呼ばれる」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%88。そう見ると,大蛇に見えなくもないが,大蛸であるまいか。鳥山石燕は,「あやかし」で,こう注記している。

「西国の海上に船のかかり居る時,ながきもの舟をこえて二三日もやまざる事あり。油の出る事おびただし。船人力をきはめて此油をくみほせば害なし。しからざれば船沈む。是あやかしのつきたるなり」

石燕は,「あやかし」とは別に,「舟幽霊」「海座頭」を描いているので,「あやかし」とは別と見做していた。

大言海は,「あやかし」の語源を,

「古事記,『阿夜訶志古泥(アヤカシコネノ)神』(神代紀,『吾屋惶根(アヤカシコネノ)尊』)を,記傳に,咄嗟可畏(アヤカシコ)の義と解き,謡曲に,阿夜訶志の着く,云々とあり,此魚の船底に着くを,舟人最も畏るるに因りて,アナオソロシの意にて,アヤカシとは云ふとの説もあり。されど,神代語と後世と甚だしき懸隔あり。和訓栞アヤカシ,『俗に事実明白ならざるを,アヤカシなどと云へり』。さらば,不思議なる意より,妖怪の義とするか。されど,アヤカシの語原を知らず,或は,血をアヤカスと云ふ語に因みて,不詳の意に移りたるか,なお考ふべし」

というにとどめている。船底に着く「阿夜訶志」とは,「コバンザメ」を指すもののようである。「血をアヤカスという語から不詳の意に移った」という大言海説以外には,

動詞アヤカルと同義か(和訓栞),
アナオソロシの義(俚言集覧),
アヤフカシの約(言元梯),
アカシマの訛(石燕雑志),

等々あるが,「あやかし」の別名,

あやかり,

との関連で,「あやかる」が気になる。大言海は,「あやかる」に,

肖,

を当て,

「肖(あ)えかかるの約と云ふ(映ゆ,はやる。萎ゆ,なやむ)」

とし,

物に触れて似る,
他に感じて同じ姿となる,

意とする。「肖(あ)ゆ」の項で,

名義抄「肖,あえたり,にたり」

を載せる。「あやかし」の別名として「あやかり」があるのには意味がある。

あやかり→あやかし,

の転訛ではあるまいか。

参考文献;
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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しめじ


「しめじ」は、

シメジダケ、

といい、

占地、
湿地、
占地茸、
湿地茸、
王茸、

等々と当てる食用キノコであるが、「原野湿地に生ずる」ので、

湿地蕈(しめじきのこ)

とも名づけられた(たべもの語源辞典)。だが、分類学的には定義が曖昧で、

キシメジ科シメジ属ホンシメジ、
キシメジ科シロタモギタケ属のブナシメジ、
ヒラタケ科ヒラタケ属のヒラタケ、

が含まれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%B8、とあるように、

千本シメジ、
カブラシメジ、
ヌノビキ、

等々の異名も多く、

(白色の)シロシメジ、
(黄色の)キシメジ、
(黒ずんだ)シモフリシメジ、

などがある(たべもの語源辞典)。総称的にシメジと呼んでいるが、植物学的には、「しめじ」は、

キシメジ科のキノコ、とりわけキシメジ科シメジ属のホンシメジ、

を指しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%B8

匂いマツタケ味シメジ、

といわれるのは、ホンシメジである。別名、

ダイコクシメジ(大黒占地)、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%B8。ホンシメジは、生きた木の外生菌根菌であるために栽培が非常に困難であり、ほぼ天然物に限られ稀少なため高級品とされる。ほとんど流通していない(仝上)。しかも、

ホンシメジはとった翌日になると味が落ちる、

とある(たべもの語源辞典)。

場合によっては、漠然と他のキシメジ科のキノコ、

シメジ属のハタケシメジやシャカシメジ(センボンシメジ)、
シロタモギタケ属のブナシメジ、

等々も含めた総称とされることもある(仝上)。かつて「ホンシメジ」の名で流通していたのは、キシメジ科シロタモギタケ属のブナシメジの栽培品である。スーパーなどで必ずと言っていいほど販売されている「シメジ」は、ブナシメジであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%B8

ホンシメジは、菊の花が咲くころ、松のまじったミズナラやナラの雑木林に五、六本ずつかたまって列をなし、毎年同じ場所に生える、

とある(たべもの語源辞典)。ために、「シメジ」の名は、

コナラなどの根元に群生し、地面を占領するところから「占地」

とする説がある(仝上)。他に、

湿出(しめい)づの約(大言海・日本語源広辞典・たべもの語源辞典)、
湿地(しめぢ)に生ずるところから(衣食住語源辞典=吉田金彦)、
茅(ちがや)の多く生えた地にあるところから、シメヂタケ(標茅茸)の義(本朝食鑑)、

その他、

シジムレイデタケ(繁群出茸)、
鎌倉時代の書物に夏の異称として「しめじ」があることから「夏頃に発生するきのこ」の意、
ソヒ、ムレ、タケの反シメテの転、

等々とする説もあるが、常識的には、「湿地」とも当てるので、

湿ったところから出る茸ということでシメイズ(湿出)、
湿地(しめぢ)に生ずるところから、

というところに落ち着くのだろうが、「占地」と当てるところから、

「しめじ」とはもともと「標地」、つまり菌輪をつくって生えるきのこのことではなかっただろうか、

とする説を見つけた。

「しめる」(古語「しむ」)という言葉は、現在の「占める」とはニュアンスが違うので、折口はわざと「標めた」と書いている。『日本国語大辞典』によれば、「しめる」の古い意味は「標(しめ)を張って自分の占有であることを示し、他人の立入りをとめる」こと、そして「標」とは「神の居る地域、また、特定の人間の領有する土地であるため、立入りを禁ずることを示すしるし」であった。「標」にはいろいろな形があるが、その代表は縄で周囲を囲うもので、それが「縄張り」の語源である、

とするものである(三浦励一「『しめじ』の語源について」)。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(万葉集)、

の「標野」(しめの)は、一般人立ち入り禁止となっている野原のことである、と(仝上)。これは、

占地、

の「占」に特殊な意味を持たせたものである。これは、

地面を占領するほど一面に生える、

という意味であるが、「占」(セン)は、

会意。「卜(うらなう)+口」。この口は、くちではなく、ある物ある場所を示すむ記号。卜(うらない)によってい、一つの物や場所を選び決めること、

とある(漢字源)。あるいは、

「卜」(甲骨の割れ目の象形、うらない)+「口」の会意、説文解字に「視兆問也」とあり、うらないの結果を口述すること。「口」は神器とも(白川)。うらないの結果により物事が決まることから、確定し動かないことを意味する、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%A0。わざわざ「標」に当てなくても、「占」には、ただ「占有」という意味だけではなく、「占卜(センボク)」ともいい、ある意味特別な地である意味がある。穿ち過ぎではないか。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
三浦励一「『しめじ』の語源について」http://chibakin.la.coocan.jp/kaihou34/p19-21shimeji.pdf

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さかやき


「さかやき」は、

月代、
月額、

と当てるが、訛って、

さかいき、
さけえき、

ともいう(江戸語大辞典)。時代劇で見る、

男の額髪を頭の中央にかけてそり落としたもの、

である(広辞苑)。

もともと冠の下に当たる部分を剃ったが、応仁の乱後は武士が気の逆上を防ぐために剃ったといい、江戸時代には、庶民の間にも流行し、成人のしるしとなった、

とある(広辞苑)が、しかし、「月代」は、

つきしろ、

とも訓み、本来の意は、

月の出る直前に、月の近くの空が半円形に白んで見えるもの、

を(誤って「月」そのものをも)指し(岩波古語辞典)、日葡辞書にも、

Tçuqixiroga(ツキシロガ)ミエタ(すでに月がのぼった。または月の光が見えた)、

と載る。それに準えて、

半円形にそり落としたもの、

を指した(仝上)。それは、

古へ、男子、頂髪の中央の毛を、圓く抜き去りおくもの。後世に云ふ中剃(なかぞり 頭頂の中央のところのみ剃り去ること)なり。古へは皆総髪にて、全髪を頂に束ねて髻(もとどり)とし、冠の巾子(コジ)に挿したり。然して逆上(のぼせ)を漏らさむために、中剃をしたるなりと云ふ。又、冠の額に当たる髪際を、半月形に抜けるを額月(ひたいづき)と云ひき、

とある(大言海)。貞丈雑記(1784頃)にも、

古代の人はさかいきをそる事なし。髪のもとどりをばかしらの百会の所にてゆふ也、

とある。「百会(ひゃくえ)」は、頭のてっぺんにあるツボを指す。「巾子(こじ)」は、

(「こんじ」の「ん」を表記しない形)冠の頂上後部に高く突き出ている部分。髻(もとどり)を入れ、その根元に笄(こうがい)を挿して冠が落ちないようにする。古くは髻の上にかぶせた木製の形を言った。元来は、これをつけてから幞頭(ぼくとう 冠部分)をかぶったが、平安中期以後は冠の一部として作り付けになった、

とある(広辞苑・デジタル大辞泉)。

「額月」(ひたいづき)とは、

額の月代(つきしろ)の意、

で、

額付、
額突、

等々とも当て、

古へ、男子の額上の毛髪を半月形に抜き去りおくもの。又月額(さかやき)とも云へり、冠又は烏帽子を被りて、額の髪際(はええぎわ)の見えぬやうにとて抜き去れるなり、

とあり(大言海)、略して、

ひたひ、

という(仝上)。

だから、「つきしろ」とは、

形、圓ければ、月の代わりにて、月様(つきよう)の意なるべし、

と、本来の「月代」の意味に準えたものといっていい。

しかも、本来は、剃るのではなく、抜いていたと見え、

天正年代(1573〜92)まで毛抜きを用いて頭髪を抜いた、

とある(日本大百科全書)。そのため、ルイス・フロイスは、

合戦には武士が頭を血だらけにしている、

と記しているhttps://www.kokugakuin.ac.jp/article/11121、とある。ただ、

頭皮に炎症を起こし、兜を被る際に痛みを訴える者が多くなったため、この頃を境に毛を剃ってさかやきを作るのが主流となる、

という次第https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%8B%E3%82%84%E3%81%8Dで、剃るのに代わる。

戦国時代は,貞丈雑記に、

合戦の間は月代をそれども、軍やめば又本のごとく惣髪になるなり、

あるように、戦の時だけであったが、やがて、

月代を剃っていることが勇敢さの印にもなり,武家の男子が成人になると兜をかぶらないでも,月代を剃るようになった、

とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、それが江戸時代、庶民にまで広まった理由のようである。もともとは、

武士は鉄製の兜をかぶったが,頭が蒸れるので,兜の頂上に通気孔を開けて,その穴の真下の髪を剃った、

とあり(仝上)、

頭髪の蒸れによって、のぼせるのを防ぐために編み出されたもので、……最初は半月のような形をしていて、中剃り的なものであった。元来、公家、武家ともに日常生活で頭に冠や烏帽子を着用したが、戦乱が続くようになって、甲冑姿で頭が蒸れるところから、百会に月代をあけ、戦いが終わると同時にもとに戻していた。しかし、室町時代に入って応仁の乱など戦いが長く続くようになってからは日常化し、それがいつとはなく、戦乱が終わったのちでも、月代をあけておくのが習わしとなった。それも最初は小さな月代であったのが、だんだんと大きくなっていった、

とある(日本大百科全書)。「つきしろ」の由来から鑑みると、額際(額月)と頭頂部(つきしろ)を抜いていたものを、つなげて、ひろく「さかやき」にしたのだと見える。もともとは、「つきしろ」と「額月」とは離れていたし、「さかやき」とも別であったものが、つなげて額から頭頂部までを剃るようになって、ひとくくりに、

さかやき、

というようになった、というように見える。

つきしろと同義なので、(さかやきに)月代と当てた、

とある(岩波古語辞典)のはその意味である。では、「さかやき」はどこから来たか。

頭が蒸れるので,兜の頂上に通気孔を開けて,その穴の真下の髪を剃った。空気が抜けるので,逆息(さかいき)といい,その音便とするもの

とする、貞丈雑記の、

「さかいき」と云ふは、気さかさまにのぼせるゆえ、さかさまにのぼするいきをぬく為に髪をそりたる故「さかいき」といふなり、

説があるが、大言海は、

サカイキ云ふは、後世の音便なり、これを、逆息の義とし、逆上の気なりと云ふ説は、後世に云ふサカヤキには云へ、額月(ひたいづき)の語原とはならず、また月代(ゲッタイ)の字は、ツキシロにて、異義なるを因襲して用ゐるなり、

と、否定し、

逆明(さかあき)の転にて(打合(うちあひ)、うちやひ)、髪を抜きあげて、明きたる意、

とする。他に、たとえば、

サカ(境・生え際)+アキ(明き)、生え際を広く明けて剃り上げる意、

とする(日本語源広辞典)のは、「額月」(ひたいづき)の意味とは重なっても、「さかやき」のそれには当たらないのではないか。あるいは、

昔、冠を着けるときに、前額部の髪を月形に剃ったところから、サカは冠の意、ヤキ(明)は船名の意(茅窓漫録・嬉遊笑覧・和訓栞・風俗辞典=森本義彰等々)、
額毛をいうサカヒケ(界毛)の訛り(俗語考)、
サカイケヤキ(頭毛焼)の略転(燕石雜志)

も、「額月」(ひたいづき)や「つきしろ」の説明にしかなっていない。「つきしろ」は、月の出のことを指していて、和訓栞が、

冠下に劫月(大言海は初月(みかづき)の誤りか、とする)の如く剃るなるべし、似たるを持って名づくる也、

としている通り、月の形ないし、月の出の光の暈を指しているし、「額月」(ひたいづき)は、

額の月代(つきしろ)の意、

である。しかし、「さかやき」の由来を、説明する説は、

サカは栄、若えさかやぐと祝っていう語から(類聚名物考)、
サカエケ(栄毛)の義(名言通)、
ソキアケ(刵欠)の義(言元梯)、

というものしかなく、結局由来不明とするしかない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)

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ちょんまげ


「ちょんまげ」は、

丁髷、

と当てる(広辞苑)が、

髷が「ゝ(ちょん)」の形に似ているところからという、

とする説(広辞苑)と、

「ちょん」は、ちょう(丁)の音便の誤、

とする説(大言海)がある。しかし、

結んだ髪の毛先を前に折り返した形がチョン(ゝ)に似た髷だから(日本語源広辞典)、
前面に折り返した髷の形が踊り字 の「ゝ(ちょん)」に似ているからで、「丁髷」の「丁」は当て字(語源由来辞典)、

とするのが妥当なようである。ただ、別に、「ちょんまげ」の「ちょん」は、

「ちょん」が「ちいさい」「すくない」などの意味で、丁髷が小さいため「ちょんまげ」となった、

とする説がある(仝上)。確かに、「わずかな時間」の意の、

ちょんの間、

という言葉があるし、「ちょっぴり」の意の、

ちょんぼり、
ちょんびら、
ちょんびり、

もある(岩波古語辞典・江戸語大辞典)。「ちょっと切る」意の、

ちょん切る、

もある(大言海・江戸語大辞典)。しかし「ちょんまげ」は、

額髪を剃り上げ、後頭部で髻(もとどり )を作り、前面に向けた髷、

の意であり(仝上)、「少し」という感じではないのではあるまいか。ただ、「ちょんまげ」を、

江戸時代中期以降、額髪を広く剃り上げ、髻(もとどり)を前面に向けてまげた小さな髷、

をさす(広辞苑)とする説明もあり、「ちいさい」という感じを捨て切るのには躊躇う。本来の「丁髷」は、

髪の少ない老人などが結う貧相な髷、

を指す、ともありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%9D%8F%E9%AB%B7、「小さい」「少ない」の含意は捨てきれない。

ところで、「ちょんまげ」の、「髻(もとどり)を前面に向けてまげる髷」は、中世後期には、

一般に烏帽子などをかぶらなくなり、髷を後ろに纏めて垂らし、烏帽子や冠は公家・武士・神職などが儀式に着用する程度になり、近世には、月代が庶民にまで広がって剃るのが一般化し、髷を前にまげて頭の上に置く、

ようになったためhttps://www.kokugakuin.ac.jp/article/11121であるが、大坂の陣以降、戦国時代が遠くなり、兜をかぶる機会が減った、平和な時代ということなのだろう。「さかやき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%95%E3%81%8B%E3%82%84%E3%81%8D)の由来については触れた。

成人男性の丁髷は、大きく分けて、束ねた髪を元結(もとゆい)で巻いて先端を出した、

茶筅髷(ちゃせんまげ)、

と、元結の先端を二つ折りにした、

丁髷、

とがみられ、元服前の男子は前髪を残し中剃りする、

若衆髷(わかしゅまげ)、

で元服後に前髪を剃り落としたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E9%AB%B7、とある。「ちょんまげ」といわれる由来のもとになったのは、本多忠勝家中の髪形から広まったという、

本多髷(ほんだまげ)

といわれる、明和・安永(1764〜1781)のころに流行した男子の髪形のようである。

中ぞりを大きく、髷(もとどり)を細く高く巻き、7分を前、3分を後ろにしてしばったもの、

であり(広辞苑・デジタル大辞泉)、

ほんだわげ、

ともいい、

金魚本多、
兄様本多、
団七本多、
浪速本多(なにわほんだ)、
豆本多(まめほんだ)、
蓮懸本多(はすかけほんだ)

等々の種類を生み、通を競った(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%AB%B7・広辞苑)、という。「本多髷」は、

文金風の変化したもので,宝暦〜明和(1751年―1772年)ごろに芝居の役者が結い始め,安永(1772年―1781年)ごろ全盛をきわめた、

とある(百科事典マイペディア)。

その結い方は、

耳の上ぎりぎりから側頭部にかけてまで極端に広く月代(さかやき)を取り、鬢の毛を簾のように纏め上げる。鼠の尻尾のように細く作りなした髷は元結で高く結い上げて、急角度で頭頂部にたらすというもの。広い月代と頭と髷先、髷の根元を線で結んだ間の部分に空間ができるのが特徴、優美で柔和な印象で最初吉原に出入りする客の間で大人気を博した髷で、本多髷でなければ吉原遊郭では相手にされない、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%AB%B7

「文金風(ブンキンフウ)」というのは、

髷 (まげ) の根を元結で高く巻き上げ、毛先を月代 (さかやき) のやや前方に出したもの。豊後節の祖、宮古路豊後掾 (みやこじぶんごのじょう) が始めたという。通人に好まれた、宮古路風ともいう、

とあり(デジタル大辞泉)、

元文年間(1736〜41)の文字金(「文」の極印のある金貨)と同じころ始まったからという、

とある(広辞苑)。

辰松風(たつまつふう)から出て、まげの根を上げて前に出し、月代に向かって急傾斜させた、

とある(広辞苑)。

辰松風(たつまつふう)とは、

江戸中期、辰松八郎兵衛が結い始めた、

とされ、

元結で髷 (まげ) の根を高く巻き上げ、毛先を極端に下向きにしたもの、

である。

辰松風→文金風→本多髷、

と、まさに、本来の「月代」の実用性を逸脱し、広く大きく剃り、髷も、現代の髪型を競うのに似て、江戸期、平和な時代になった証のように、様々な髪型が流行したのである。

一般的だった男性の髪形、特に時代劇などで使われている銀杏髷(いちょうまげ)、
中間・奴の間に流行した、月代が大きく、髱が小さく、髷が太く短い髪型奴髷(やっこまげ)、
後頭部で髷を細く結った材木屋風」(ざいもくやふう)、

等々https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%AB%AA%E5%9E%8B、正に現代さながらに髪型を競ったようである。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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将門眼鏡


江戸川乱歩の『鏡地獄』を読んでいたら、

将門目がね、
万華鏡、

と出てきた。「万華鏡(まんげきょう)」は、

ばんかきょう、

とも訓み、

百色眼鏡(ひゃくいろめがね)、
錦眼鏡(にしきめがね)、

とも呼ばれ、

カレイドスコープ(kaleidoscope)、

のことである。

2枚以上の鏡を組み合わせてオブジェクトと呼ばれる内部に封入または先端に取り付けた対象物の映像を鑑賞する筒状の多面鏡、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%8F%AF%E9%8F%A1が、

三枚の長方形の鏡板を三角柱状に組み、色紙の小片などを入れ、筒を回しながら一方の端の小孔からのぞくと、美しい模様が見えるようにしたもの、

とある(広辞苑)方がわかりやすい。

万華鏡はわかるが、

将門目がね、

というのはわからなかった。

「将門目がね」は、

将門眼鏡、

とも当てるが、落語「めがねや」(別名「眼鏡屋盗人」「がみはり」)でも、

店にあった将門眼鏡を節穴の前の桟に乗せますと、7〜8つに像が見えます、

と出てくるhttps://rakugonobutai.web.fc2.com/23meganeya/meganeya.html。別に、

眼鏡を物が七つに見える将門眼鏡に付け替えた。平将門が七人の影武者を従えていたことから将門眼鏡というやつだ、

ともあるhttp://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/meganedoro.html。これが、「将門眼鏡」の由来らしい。

「将門眼鏡」とは、

プリズムスコープ、

の謂いで、「将門眼鏡」の他に、

ドラゴンフライ、
八角眼鏡、
将軍鏡、
タコタコ眼鏡、

等とも呼ばれる、

複眼鏡の一つ。板に据えられたレンズがトンボの目のように多面にカットされ被写体が複数重なって見える。江戸末期には子供達にこれを覗かせる大道芸もあった、

とあるhttps://rakugonobutai.web.fc2.com/23meganeya/meganeya.html。現在はカメラのレンズにフイルターとして装着し、3面や5面の多重映像を記録できる物もある(仝上)らしい。古くは、7面カットを将門鏡、13面カットを明治将門鏡とよんだhttp://yamada.sailog.jp/weblog/2018/09/post-9a6c.html、とある。

「将門眼鏡」という名は、

将門七変化、

由来するとみていい。

これは、将門伝説のひとつ、

七人将門の伝説(将門の影武者の伝説)、

に由来する。

将門と全く同じ姿の者が六人いた(俵藤太物語)、
とか、
同じ姿の武者が八騎いた(師門物語)、

等々とされ、

将門に助力した興世王、藤原玄茂、藤原玄明、多治経明、坂上遂高、平将頼、平将武とする説、弟六人説、

などがあるhttps://blog.goo.ne.jp/shuban258/e/e4855b02e311db7808dd7250eb35f0a1とかで、これが、

7面カット、

を「将門眼鏡」といった理由になる。

山東京伝(1761-1816)の黄表紙『時代世話二挺鼓』では、

身体が7つあった将門に対抗するため、藤原秀郷(俵藤太)は、八角眼鏡を取り出し、「わたしは姿が8つあるからお前よりも勝っている。お前には見えないだろう。この眼鏡で見てみろ」と、将門にかけさせて自分の姿を見させ、将門の度肝を抜いた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%A3%E4%B8%96%E8%A9%B1%E4%BA%8C%E6%8C%BA%E9%BC%93、この時代の人々が、八角眼鏡を知っていた、ということになる。

参考文献;
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tashi/page010.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%A3%E4%B8%96%E8%A9%B1%E4%BA%8C%E6%8C%BA%E9%BC%93
https://rakugonobutai.web.fc2.com/23meganeya/meganeya.html

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ちょぼちょぼ


「ちょぼちょぼ」は、

点々、

と当てる(広辞苑・大言海)。

疎(まばら)に点を打つ状に云ふ語(大言海)、

が原意のように思われる。それをメタファに、

量や程度が少ないさま、ちょびちょび(虎明本狂言・鱸庖丁(室町末‐近世初)「なりてんぢくのかいしきに、ふかくさがわらけに、ちょぼちょぼとよそふておまらせうが」)、
物が所々に少しずつあるさま、ちょびちょび(病論俗解集(1639)「斑点小児はもがさ、或ははしか、大人はかざぼろし等ぞ。何さまちょぼちょぼ見ることぞ」)、

とか(精選版日本国語大辞典)、さらに、

所々に、

とか、

小さい、または少ない、

といった意味でも使い(広辞苑・大言海)。また、「点々」の意の派生で、

点を並べて打つ記号「:」や踊字「〻」などを、

チョボチョボで書てある線は始の波、また波形で書てある線は後の波(「颶風新話(航海夜話)(1857)」)、

とも使い(精選版日本国語大辞典)、さらに、同じことを重ねて記す場合に、略して点を打つ(〃)ところから、

前に同じ、
両者とも大したことがないさま、

の意で、

二人の成績はちょぼちょぼ、

等々とも使う(広辞苑)。ただこれについては、

ともども(共々)→ちょぼちょぼ(伯仲)、

と転訛したとする説がある(日本語の語源)。

「ちょぼ」を、大言海は三項別に分けている。ひとつは、

点、

を当てる「ちょぼ」で、

しるしに打つ点、

の意で、

ぽち、
ほし、

とも言い(広辞苑)、本の中のその部分に傍点が打ってあるところから、

歌舞伎で、地の文(登場人物の動作・感情などの部分)を浄瑠璃で語ること、

を指す(広辞苑)。

芝居の義太夫語は丸本を全部語らず、役者のセリフに文中に言ふ語のときに、自分の語るだけの所を、本の中に点(ちょぼ)をつけてそこを語りしに云ふ、

とある(大言海)。元来は、

説経節から出た称、脚本中の語るべき文句にチョボ(墨譜)が打ってある、

とある(江戸語大辞典)。「墨譜(すみふ・ぼくふ)」とは、

雅楽、声明(しょうみょう)、平曲、謡曲、浄瑠璃などに見える日本音楽の楽譜の一つ。文句の右側に墨でしるす点や線の譜、節博士(ふしはかせ)、ごまてん、

とある(精選版日本国語大辞典)。浄瑠璃の譜も,平曲の記譜法にならったものである。

ついでに、「義太夫節」とは、

竹本義太夫が大坂に竹本座を興して創始した浄瑠璃(語り物)で、劇的要素や豪快さ緻密さにひときわ優れ、人形浄瑠璃はもとより歌舞伎を芯で支える重要な音曲となっています。竹本義太夫と共に作者として近松門左衛門が台頭し、人形浄瑠璃を隆盛に導いてゆきましたが、その後歌舞伎にも多く移され、歌舞伎の中で義太夫物は重要なポジションを担っています。三味線は太棹と呼ばれる豊かな音量とともに低音が利いた大型で、語りも低音から高音まで幅広く使われ、ドラマティックな表現力の豊かさがまさに命です、

とあるhttp://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3432。このため、「ちょぼ」を語ることを、

ちょぼ語り、

という(岩波古語辞典・江戸語大辞典)。

「ちょぼ」の二項目は、

江戸の佃島にて、白魚の廿一疋の称、これを一堆にして一ちょぼ、二ちょぼと云ふ、

とあり、これは、

博奕の簺(サイ)の目、廿一点出づるを勝とす、これより出でしか、

とある(大言海)。廿一は、サイコロの目の総和と等しいのである。

「ちょぼ」の三項目は、

樗蒲、
摴蒱、

と当てる。

サイコロを使った日本の賭博、

で、

ちょぼうち(樗蒲打)、

が訛って

ちょぼいち(樗蒲打)、

とも言う(大言海)。その道具を、

かり(樗蒲子)、

というため、

かりうち(樗蒲)、

ともいう(大言海)。

「ちょぼいち」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%81の詳細は譲るが、

一個の賽で勝負する博奕。賭けた目がでれば賭金の四倍・四倍半・五倍を得るなど種類がある、

とある(江戸語大辞典)。「ちょぼいち」の、

「一」は、サイコロを一つだけしか使わないことに由来、

するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%81ともある。

「ちょぼちょぼ」と「ちょぼいち」と関連づける説がある。

点を並べて打つ符号「:」や踊字「〻」などを「ちょぼちょぼ」ということがある。中国渡来の遊び「ちょぼ(樗蒲)」に使うサイコロの目に似ているので、点を「ちょぼ」というようになり、それを重ねたところから。また前と同じということも「〃」と表すことから、二つ以上の物事が同程度である様子も「ちょぼちょぼ」と言う、

とある(擬音語・擬態語辞典)。ただ、「ちょぼいち」は、

起源は江戸時代頃、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%81、「かりうち(樗蒲)」の項には、

後世に、樗蒲(ちょぼ)と音読する博奕あり、

ともある(大言海)。あるいは、「ちょぼ(樗蒲)」と「かりうち(樗蒲)」は別なのかもしれない。

「かり(樗蒲)」が中国から渡来したのは古く、

晋の時代には大変流行したようで、『晋書』劉毅伝には劉毅と劉裕が樗蒲を行ったときの様子が詳しく記されている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%97%E8%92%B2。しかし宋の頃には滅んだらしい。嬉遊笑覧には、

樗蒲と云ふものは、和名抄にも出、令などにもあれど、ここに盛んに行はれたるものとも見えず、されど、万葉集に是を仮名に用ひたる事見ゆれば、まれまれ此戯したる事なきにはあらず、漢土にても、こはいと古き戯にて、早く宋の代には滅びて、その制を知るものなし、

とある。ただ「かり(樗蒲子)」は、和名抄に、

樗蒲、一名、九采、加利宇知、

とあり、万葉集にも、

折木四哭(かりかね)、
切木四之音泣(かりがね)、

とあり、これについて、

雁(かり)が音(ね)の借字。折、切の字は、木を切りて作る意かと云ふ。木四は樗蒲子(かり)の四木なるを云ふなり、又万葉集「三伏一向(つくよ)」「一伏三起(ため)」「一伏三向(ころ)」などある、ツク、タメ、コロなど、四箇の樗蒲子(かり)を投げ、起伏してあらはれたる象、則ち、采の名称なり、突出(つけ)、囘(ため)、自(ころ)にもあるべきか。然れども、詳なることは知らず、

とある(大言海)。どうも「樗蒲」を「ちょぼいち」と呼ぶものと、「樗蒲」を「かり」と呼ぶものとは別のようである。前者は賽一個で出目を競うが、後者は、

中国古代のダイスゲーム・賭博で、後漢のころから唐まで遊ばれた。サイコロのかわりに平たい板を5枚投げて、その裏表によってすごろくのように駒を進めるゲームであったらしい、

のであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%97%E8%92%B2。樗蒲は、唐の李翺『五木経』および李肇『唐国史補』によると、

サイコロのかわりに5枚の板(五木)を投げた。板は片面が黒く、もう片方が白く塗られていた。5枚のうち2枚には白い側に雉が描かれており、その2枚の裏側(黒い側)には牛(犢)が描かれていた。目の出方には下の10通りがある、

とある(仝上)が、大言海には、

木造の橢圓、扁平なるもの、四個を用いる。各箇一面黒くして、其中二箇に犢を畫き、他の一面は、各白くして、其二個に雉を畫きく、此四箇のカリを、盤上に投げうつが、カリウチにて、其黒、白、犢、雉の面の種種に表るることを、采と云ふ、其色采の象(カタ)に寄りて、勝負あるなり、

とある。個数の違いなと、細かな点は別にして、ゲームの中身は、似ているが、ここからは、「ちょぼ」は出にくい。

「ちょぼちょぼ」の語感からいうと、「ちょぼいち」の「しょぼい」ゲーム感がなくもないが、わざわざ「ちょぼいち」とつなげる必要はなさそうで、

擬態語、ちょぼ、ちょび、ちょぼっ(日本語源広辞典)、

でいいのではないだろうか。

ちょぼっ、

は、

ひとつだけ小さくまとまってある様子、

ちょびっ、

は、

数量や程度が少しだけある様子、

のそれぞれ擬態語である(擬音語・擬態語辞典)。

ちょっぴり、
ちょびちょび、
ちょびりちょびり、
ちょろちょろ、
ちょろり、

等々近縁の擬態語はいっぱいある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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刀自


「刀自」は、

とじ、

と訓ませる。「おも」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E3%81%8A%E3%82%82)で触れたように、「母刀自」は、

おもとじ、
とも、
ははとじ、

とも訓ませる。「とじ」は、

トヌシ(戸主)の約、戸口を支配する者の意、家公(いへきみ)の対、

とあり(岩波古語辞典)、

「刀自」は万葉仮名、

とある(広辞苑)。

一家の主婦、老若に関わらない、

意である。

「家長」は男ですから、「刀自」は女、つまり、「一家の主婦」なのですが、奈良時代には「一族の女主人的な立場の人」でもありました、

ということらしいhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312892348が、

古代の后妃(こうひ)の称号の一つである夫人(ぶにん)も和訓はオホトジである。……7〜8世紀の石碑・墓誌に豪族層女性の尊称としてみえ、……さまざまなレベルの人間集団を統率する女性が原義か。族刀自的なものから家刀自へと推移するが、古代には里刀自や寺刀自もいて、後世のような主婦的存在に限られない、

とある(日本大百科全書)のが分りやすい。万葉集に、

真木柱(まけはしら)頌めて造れる殿のごといませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず(坂田部首麻呂)、

とある。この意が転じて、

女性に対する敬称(岩波古語辞典)、
あるいは
主に年輩の女性を敬意を添えて呼ぶ語(広辞苑)、

として、

青海夫人(おおとじ)(欽明紀)、

と、名前の下につけて用いる、とある。更に、

御膳宿(おものやどり)の刀自を呼びいでたるに(紫式部日記)、

のように、

禁中の御厨子所(みずしどころ)、台盤所(だいばんどころ)、内侍所(ないしどころ)に奉仕した(事務・雑務に従う)女房、

の意でも使う(仝上)。

「刀自」の語源は、岩波古語辞典が、

tonusi→tonsi→tonzi→tozi、

というの転訛を示したように、

トヌシ(戸主)の義で、家をつかさどる者の意(万葉考別記・萍(うきくさ)の跡・俚言集覧・八重山古謡=宮良当壮・日本語源広辞典・広辞苑)、

と多数派である。大言海も、

戸主(とぬし)の義か。ジは宮主(みやじ)・群主(むらじ)・主(あるじ)などと同趣。叉、古書に負と書けるは、白水郎(あま)を泉郎と書けると同趣にて、倭名抄の誤を承けたり、

とする。確かに、和名抄に、

負、度之、劉向、列女列伝云、古語老母為負、今案和名度之俗用刀自二字者訛、

と「刀自」を誤用とし、さらに、「刀自」を老女に言うについて、

謂老女為召(度之)、字従目也、今訛以貝為自歟、

とする。和名抄がこう書くには理由がある。「刀自(トウジ)」は漢語であり、

老母の称、

とある(字源)。そして、

婦、即ち「女篇+負」の古字たる負の字を誤りて二分し、さらに転訛せしものか(書言字考)、

とある(仝上)。つまり、

負→刀+貝→刀+自、

と転訛したのであり、和名抄は、「負」を「刀」と「貝」に二分したのが、劉向・列女伝であること、それがさらに転訛して「刀」と「自」になったことを承知していたのである。我国では、それを、

主婦、また年たけたる夫人の称、

の意味で使う(字源)。つまり和語「とじ」に当てたのである。今日では、「負」(慣習フ、漢音フウ、呉音ブ)の由来にも、

会意。「人+貝(財貨)」で、人が財貨を背負うことを示す、

とあり、「負」は、「おう」とか「せおう」「せをむける」といった意であり、「婦」の含意は丸きりないが、

老母の称、

の意は、確かに辞書に載る(漢字源)。

つまり、「負」は「婦」の古字であった。それが、誤って、「刀」と「自」に分けたとき、

刀+自なのに刀+貝とした、

とまで言っているのだから、和名抄は、漢語「刀自」の由来を弁えていたのである。この来歴から考えると、

刀自、

を、意味のずれを承知の上で、和語「とじ」に当てたと見える。あるいは、本来、「とじ」は、

老母、

を指していたのかもしれない。そう見てくると、

トジ(戸知)の義(話の大事典=日置昌一)、
トジ(杜氏)の転。女性が酒を管理したことから(明治大正史=柳田国男・たべもの語源抄=坂部甲次郎)、
トは富、ジはアルジ・ヂ(主)の意で女性への敬称(仙覚抄・日本古語大辞典=松岡静雄)、
トドマリテ、シマリをすべき人の意(本朝辞源=宇田甘冥)、

等々の諸説は、採りがたい。

「負」(慣用フ、漢音フウ、呉音ブ)は、

会意。「人+貝(財貨)」で、人が財貨を背負うことを示す、

とあり、「おう」とか「せおう」「せをむける」といった意であり、「婦」の含意はない。

「刀自」の「刀」(漢音トウ、呉音ト・トウ)は、刀そのものを描いた象形文字(漢字源)。

「婦」(慣用フ、漢音フウ、呉音ブ)は、

会意。「女+帚(ほうきをもつさま)」で、掃除などの家庭の仕事をして、主人にぴったり寄り添う嫁や妻のこと、

とある(漢字源)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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杜氏


「杜氏(とうじ)」は、「刀自(とじ)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba20.htm#%E5%88%80%E8%87%AA)で触れたように、「刀自」を、

トジ(杜氏)の転。女性が酒を管理したことから(明治大正史=柳田国男・たべもの語源抄=坂部甲次郎)、

と、「杜氏」由来とする説がある。確かに、「刀自」も、

とうじ、

とも訓ませる。だから、当然、「杜氏」も、「刀自」由来とする説がある。ひとつは、

酒造家の酒壺をいう刀自から(東雅・名言通・木綿以前のこと=柳田国男)、

というものである。これは、

奈良・平安時代造酒司(さけのつかさ)が酒をつくるのに用いた壺を〈大刀自(おおとじ)〉〈小刀自(ことじ)〉と呼び,後の人が酒をつくる人をも刀自と呼んだとする説、

とつながる(世界大百科事典)。いまひとつは、

寺社で酒つくりが行われる以前,酒つくりは家庭を取りしきる主婦(刀自)のしごとであり,刀自が転じたものであるとの説(仝上)、

である。これは、「刀自」の由来の、

トジ(杜氏)の転。女性が酒を管理したことから、

と通じ、上代、「酒」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E9%85%92)は、

濁酒なれば,自ら,食物の部なり。万葉集二,三十二『御食(みけ)向ふ,木缻(きのへ)の宮』は,酒(き)の瓮(へ)なりと云ふ。土佐日記には,酒を飲むを,酒を食(くら)ふと云へり。今も,酒くらひの語あり,或は,サは,発語にて,サ酒(キ)の転(サ衣,サ山。清(キヨラ),ケウラ。木(キ)をケとも云ふ)、

とあり(大言海),「さけ」の古語「酒(キ)」は,

醸(かみ)の約,字鏡に「醸酒也,佐介加无」とあり。ムと,ミとは転音、

とある(仝上)。「醸す」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%99)の古語は、

か(醸)む,

であり(岩波古語辞典)、酒は、

もと,米などを噛んで作ったことから、

であり(大言海)、「カム(醸)」は,

口で噛むという古代醸造法、

だからである(日本語源広辞典)。だから、

口噛みは女性の仕事で、殊に神に供える神酒は、若い生娘が噛んだものでなければならなかった、

https://wajikan.com/note/sakezukuri/、その娘たちを束ねていたのが「刀自」だから、

酒造りの責任者、

の「杜氏」につながる(仝上)、とするものである。確かに、「刀自」は、

さまざまなレベルの人間集団を統率する女性が原義か、

とされる(日本大百科全書)ように、

族刀自的なものから家刀自へと推移するが、古代には里刀自や寺刀自もいて、後世のような主婦的存在に限られない、

含意ではある(仝上)。また、『大隅国風土記』逸文(713年(和銅6年)以降)に、

大隅国(今の鹿児島県東部)では村中の男女が水と米を用意して生米を噛んでは容器に吐き戻し、一晩以上の時間をおいて酒の香りがし始めたら全員で飲む風習があり、「口嚼(くちかみ)ノ酒」と称していたという、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

口噛み酒は唾液中の澱粉分解酵素であるアミラーゼ、ジアスターゼを利用し、空気中の野生酵母で発酵させる原始的な醸造法であり、東アジアから南太平洋、中南米にも分布している、

という(仝上)ことで、

現在のところ最有力説、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E6%B0%8F

杜氏は元々、刀自(とじ)という文字が宛がわれていた。刀自とは、日本古語では戸主(とぬし)といい、家事一般をとりしきる主婦のことを指し、働く男を指したという刀禰(とね)の対語にあたる。東南アジア各地には、煮た穀物を口で唾液と共に噛みつぶし、空気中から野生酵母を取り込んで発酵させて酒を造る、いわゆる口噛みの酒という原始的な醸造法が広く存在した。……こうした製法の時代に、酒造りは女性の仕事であったと考えられている。やがて朝廷の造酒司(みきのつかさ)において酒が造られていた飛鳥時代以降にも、酒部にはまだ女性も含まれていたが、時代を下るにつれ酒造りは次第に男性の仕事になっていった。それでも職名には「とじ」の音だけが受け継がれたとする、

ということになる(仝上)。しかし、「杜氏」が「刀自」からきているとするには、

口噛み酒→女性が口噛み→それを束ねる刀自→杜氏、

と、口噛みの女性を束ねるだけで、「刀自」と酒造りとつなげるのは、少し無理がありはしまいか。「杜氏」は、確かに、

酒造家の酒を醸造為る長(おさ)、

の意もあるが、広く、

酒造りの職人、

をも指す。むしろ、酒との直接のつながりを示すのは、

杜康説、

である(日本語源広辞典・俚言集覧・閑窓瑣談)。

魏武帝、短歌行「對酒當歌、人生幾何、譬如朝露、去日苦多、慨當以慷、憂思難忘、何以解憂、只有杜康、

とあり、「杜康(とこう)」は、

古、酒を造りし人、転じて酒の異名、

である(字源)。文明九年(1477)の史記抄に、

さかとうじとありて古き語なり、和邇雅(元禄)に杜氏とあり(人倫訓蒙圖彙、幷に合類節用集)、又、支那三代の周の世に杜康と云ふ者、酒を造りたりとて、支那にては、酒の事を杜康と云へり、杜氏の字は、杜康より考へたるものと見ゆ。杜氏を延べてトウジの意か、又は、ウジの仮名遣は氏の訓か、

とあり(大言海)、

東寺に伝わる『東寺執行日記』にもこれを裏づけるように読める記述がある、

ともあるhttp://www28.tok2.com/home/okugawa/kodawarinihonsyu/nihonsyu/s-chisiki/2.htm

確かに、最もあり得ると思うが、大言海は、一蹴する。職人たちが、

杜康の事を知りて、互いに杜氏など呼びあぐる理なし、

と。しかし、「杜氏」という職掌が生じるのは、

江戸期以降、産業としての酒作りが高度化、複雑化し、日本酒造りが寒造りになってからは一時期に集中するようになり、季節労働力の組織化が起こった。各地の酒蔵が冬場の働き口として次第に定着していき酒造りの最高責任者としての杜氏が一層重要になり、蔵で働く人々を組織化していった、

というところに起因(仝上)する、新しい言葉ではないのか。

酒造りの初出は、『日本書紀』崇神紀に、

高橋邑(たかはしのむら)の人(ひと)活日(いくひ)を以て、大神(おほみわ)の掌酒(さかびと)(掌酒 此をば佐介弭苔(さかびと)と云ふ)とす、

http://hjueda.on.coocan.jp/koten/shoki14.htm、「杜氏」の言葉は使われない。その後、

朝廷による酒造りが営まれるようになり、飛鳥時代には朝廷に造酒司(みきのつかさ)という部署が設けられ、酒部(さかべ)と呼ばれる専門職が酒造りを担当していた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E6%B0%8F

《令義解(りようのぎげ)》によれば大和,河内,摂津の3国出身の60人の酒部(さかべ)が造酒司で酒造に従事し,彼らは調(ちよう),雑徭(ぞうよう)を免ぜられている、

とある(世界大百科事典)。やがて主流は寺院に移り、

醸造についての専門知識を備えた僧たちが僧坊酒を造るようになった。この僧たちは造酒司の酒部とは異なり、菩提酛に代表されるようなそれぞれの寺院の味や造り方を分化させていった、

が(仝上)、ここにも「杜氏」は存在しない。やがて、酒部の子孫を自称する人々などが、民間で酒を造り始め、

酒師(さかし)、

といい、また酒を造り販売した店を造り酒屋(あるいは「酒屋」)という、とある。現在では完全に杜氏集団のなかの仕事である麹造りについても、

まだ酒造りの職人集団の仕事ではなく、造り酒屋の仕事ですらなかった。なぜなら、それは麹屋という、麹造りを生業とする別の業界の店へ外部発注に出していたからである、

とある。これが完全に組織化される必要が生まれるのは、慶長5年(1600)、

鴻池善右衛門による大量仕込み樽の技法、

の開発、さらに、幕藩体制が敷かれ、

各地方において農民と領主の関係が固定したこと、

で、

概して土地が乏しく夏場の耕作だけでは貧しかった地方の農民が、農閑期である冬に年間副収入を得るべく、配下に村の若者などを従えて、良い水が取れ酒造りを行なっている地域、いわゆる酒どころへ集団出稼ぎに行ったのが始まりである、

と、これが現在の「杜氏」「蔵人」が制度化した理由とある(仝上)。

とすると、「杜氏」という言葉は、比較的新しいのではないか。人倫訓蒙図彙(1690)に、

酒屋〈略〉酒造る男を杜氏(トウジ)漉弱(ろくしゃく)といふなり、

とある(精選版日本国語大辞典)。とすれば、その集団に、

杜氏(とし)、

と名づけることはあり得る。室町時代の「史記抄」などに、

さかとうし、

の表記があるので、

杜氏(とし)→とうし→とうじ、

といった転訛かと推測する。もちろん憶説だが。

因みに、「氏」(漢音シ、呉音ジ・シ)は、

象形、氏はもと、先の鋭いさじを描いたもので、匙(シ)と同系。ただし古くより伝逓の逓(テイ つき次と伝わる)に当て、代々と伝わっていく血統を表す、

とあるが(漢字源)、

平たい小刀や匙を表す。ここから同じ食事を分かつ一族の意が生じた、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%8Fのが、「匙」の意味がよくわかる。

本来は、

中国で、同じ女性先祖から出たと信じられた古代の部族集団(姓)のうち、住地・職業、または兄弟の序列などによって分かれた小集団のこと、またその小集団の名につける、

とある(漢字源)。しかし、姓と氏が混同され、

すべての家の血統を表す名の下につける、

となる。日本の場合、「氏(ウヂ)」も、

同じ血族の集団を示す名、

として(広辞苑)、

蘇我氏、物部氏、大伴氏等々、

氏神をまつり、氏人を率いて、姓(かばね)を定められて天皇氏の政治に参加した、

が(岩波古語辞典)、後には、

単に人命に添えて敬意を示す語、

となった。この「杜氏」の「氏」もそれと考えていい。

「杜氏」の語源説には、他に、

社司説 神社でお神酒(みき)を造る人という原義から由来するとする説。時代の推移のなかで、「社」は「杜」、「司」は「氏」へ変換されたとされる。
頭司説 酒造りチームの一党を率いるリーダーという意味の「頭司」(とうじ)が起源だとする説。現在でも「杜氏」を「頭司」と書く酒蔵もある。

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E6%B0%8F。大言海は、物類称呼の挙げる、

藤次郎と云ふ者、善く酒を造りたるより始まる名なり、

という説を採る。是非の判断はつかない。

なお「杜氏」の「とうじ」の表記については、

歴史的かなづかいは「さかとうじ(酒杜氏)」の項に引用の「史記抄」など室町時代の文献に「さかとうし」の表記がみえ、当時まだ「とう・たう」「じ・ぢ」の区別はあったと考えられるところから「とうじ」とする説に従う、

とあり、「とうじ」であったと推測される(精選版日本国語大辞典)。とすると、「氏」は、

うぢ、

とある(岩波古語辞典)ので、「トウヂ」と読ませたのではなさそうである。

また、「杜氏」については、http://www28.tok2.com/home/okugawa/kodawarinihonsyu/nihonsyu/s-chisiki/2.htmに、詳しい。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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糝粉


「糝粉(しんこ)」は、

精白した粳米(うるちまい)を乾燥して挽いた粉、

の意である(たべもの語源辞典)。江戸後期の『瓦礫雜考』に、

他物の混ざらない米の粉の意で、シンコ(真粉)の義か、

とある。「糝」(シン、サン)は、

こながき。米の粉をかきまぜて煮たてたあつもの、

の意だが、

米粒、

意でもあり(字源)、「糝粉」は漢語で、

粳米(うるち米)の粉、

の意である(仝上)。中国由来と考えていい。今日、

新粉、

と書き,

米粉(こめこ)、

と呼ぶこともある。普通品を、

並新粉,

きめの細かい上質品を、

上新粉,
上用粉、

と呼ぶことも多い(世界大百科事典)とあるが、細かく、目の粗いものを、

新粉(糝粉、しんこ)・並新粉(並糝粉、なみしんこ)、

細かいものを上新粉(上糝粉)、

更に細かいものを上用粉(じょうようこ)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%96%B0%E7%B2%89とあり、その用途は、

新粉  団子・すあま等、
上新粉 団子・柏餅・ういろう等、
上用粉 薯蕷饅頭等に配合。薯蕷粉(じょうよこ)とも言う、

とある(仝上)。大言海が「しんこ」に、

新粉、

と当て、

粳米の粉を水に捏ねて蒸して、餅の如くしたるもの、

とは、

糝粉餅、

を略して言うのを指す。俚言集覧には、

真餻、

と当てて、

米を粉にしてねりて蒸して叉搗きたる餅をいふ、

とある(たべもの語源辞典)。

糝粉も違う流行したため、それを「糝粉」と略して呼び、その方が粉より多く用いられるようになった、

とある(仝上)。

江戸時代、文化(1804〜18)頃に糝粉に色をつけたりして鳥獣草木の形に作って四角な薄い杉板の上に載せた糝粉細工がはやって子供の玩具になった、

とある(仝上)。はじまりは、『毛吹草』(1638)に見える、

しんこ馬、

という、新粉餅で馬の形をつくったものと思われる(世界大百科事典)が、これが江戸中期ころから子ども相手の屋台店などで行われ,昭和まではよく見かけた。僕の子供の頃の昭和廿年代までは、まだ縁日にこんな細工を、実演していた記憶があるが,いまはほとんど見られない。

はさみ,竹串(たけぐし),へらなどを用いて細工したものに色をつけ,蜜(みつ)をかけて食べるようにする、

らしいが,幕末期の『守貞漫稿』に、すでに食べる子はまれだとされている(仝上)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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おぞまし


「おぞまし」には、

悍し、

とあてる語と、

鈍し、

と当てる語がある(広辞苑)。前者は、

ぞっとするようで嫌な感じだ、恐ろしい、
我が強い、強情だ、

という意味であり、後者は、

鈍い、愚かしい、

という意である。どうも、「おぞまし(鈍し)」は、

おそし、

からきて、

遅し、
鈍し、

と当て、

はやし(速し)・とし(疾し)の対、

とあるので、

動作や心の動きがにぶい、

意であり、それが、

おぞし、

と転じ、

おぞまし、

へと転じた(大言海)ものと見られる。

「おぞまし(悍し)」は、

おぞくれ、おぞしと同根、

とある(岩波古語辞典)ので、

おぞし(悍し)、

からきている。ただ、「おぞし」は、

気の強さと能力を備えている(源氏「(乳母は)物づつみせずはやりがに(短気で)おぞしき人」)、

という意であり、それを傍から見て、

強烈で恐ろしい(源氏「(身投げなどとば)おどろおどろしくおぞしきやうなりとて」)、

という意になる(岩波古語辞典)。この原意は、

押すを活用せしめたる語なるか、

とある(大言海)ので、

強気、

の含意からきているのかもしれない。

なお、「おぞし」には、

おずし(悍し)、

という、

オゾシの母音交替形があり、ほぼ同義だか、

強烈で恐ろしい(源氏「(荒々しい関東で育ったから身投げなどという)すこしおぞかるべき事を思い寄るなりけむかし」)、

という意で使われる(仝上)。「気が強い」「強情だ」の意の、「おずし」は、

上代から見られるが、「おぞし」は中古からで、意味の中心も、(恐ろしい)へと移っていった、

とある(日本語源大辞典)。

おずし→おぞし、

と同様、「おぞまし」にも、

おずまし、

という「おぞまし」の母音交替形があり、

おずまし→おぞまし、

の転訛がある(岩波古語辞典・大言海)。

「おぞし(鈍し)」と「おぞし(悍し)」とは、別由来と考えられるが、ただ、「おぞし」は、

オゾシ(鈍)とオヅ(怖)の混合か(両京俚言考)、

との説もある(仝上)し、「おぞくれ」が、

オゾオクレの約、オゾはオゾシのオゾと同根。オクレは遅れの意、

気が強くて愚かである意、

とあり(岩波古語辞典)、「おぞし(鈍し)」と「おぞし(悍し)」は、辿れば、無縁ではないかもしれない。因みに、名義抄には、

i・忔 オゾクレタリ、

とある(仝上)。「i」(漢音キツ、ギツ、ゴツ、呉音コチ、ゴチ)は、

形声。「人」+音符「乞」、

いさましい、勇壮、

の意https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A1、「忔」(キツ、ギツ)は、喜ぶ、嫌う、と真逆の意味を持つ。ついでながら、「悍」(漢音カン、呉音ガン)は、

会意兼形声。旱はからからに乾くこと、悍は「心+音符旱」で、かわいてうるおいのない心、むき出しの性分のこと、

とあり(漢字源、)、「気が強くて荒々しい」意である。

なお、「おぞし」から「おぞまし」に転ずる、「おぞし」+「まし」の助動詞「まし」については、

将(む)より転ず。動作を未然に計りて云ふ助動詞、稍、願ひ思ふ意を含めて用ゐるもあり、

とあり(大言海)、また、

現実にはおこらないことや、事実と異なることを仮定し、仮想する意を表す。また、仮定や空想に立つ種種の主観的な情意を表す、

ともある(明解古語辞典)。その造語法は、

現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立していたのだったら、これこれの事態(B)が起こったことであろうに」と想像する気持ちを表明するものである。世に多くこれを反実仮想の助動詞という。「らし」が現実の動かし難い事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これは何故かと問うて推量するに対し、「まし」は動かし難い目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合起こるであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである。これは「行く」から「ゆかし」(見たい、聞きたいと思う意。原義はそちらへ行きたい)、「うとむ」から「うとまし」、「むつ(睦)ぶ」から「むつまし」、「つつむ」から「つつまし」などの形容動詞がつくられた造語法(yuku+ashi→yukasi)と同一の方法によって、推量の「む」から転成した(mu+asi→mashi)ものと思われる、

とあり(岩波古語辞典)、「おぞし」の、主体が現実に感じている感情ではなく、相手(事態)を見ながら、

そうなってほしくはないがそうなるだろう→そうなると恐ろしい、

といった含意があり、「おぞし」とは異なる使い方であったはずである。「おぞし」の、

「(荒々しい関東で育ったから身投げなどという)すこしおぞかるべき事を思い寄るなりけむかし」、

と、「おぞまし」の、

「(嫉妬深い女が)腹立ち怨ずるに、かくおぞましくは、……絶えて見じ」

とは。共に源氏物語だが、(そうなってほしくないのにそうなるという)事態に対する内的心の葛藤の差が、含意としてあったものと思われる。

なお、

オゾシ・オゾマシに類する型の語は、ツベタシ・ツベタマシ(冷)、アラシ・アラマシ(荒)などある、

とある(岩波古語辞典)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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糝薯


「糝薯(しんじょ)」は、

真薯、
真蒸、
真丈、

とも表記しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%96%AF

糝蒸、

と書くものもあり(たべもの語源辞典)、

しんじょう、

とも呼ぶhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%96%AF

エビ、カニ、魚の白身などをすりつぶしたものに、山芋や卵白、だし汁などを加えて味をつけ、蒸したり、ゆでたり、揚げたりして調理したもの。お吸い物やおでんの具にしたり、直接薬味をつけて食べるなどする(仝上)、
魚、鳥、蝦などの肉のすりみに、すった山の芋・粉類を加えて調味し、蒸しまたは茹でたもの(広辞苑)、
魚をすりつぶし、すったヤマノイモを加えて調味し、蒸したり揚げたりゆでたりした練り物(デジタル大辞泉)、
すり身にした魚や鳥肉に、卵白やだし汁で味をつけてすりまぜ、固めて蒸したもの。わさび醤油でそのまま食べたり、吸いものの実にする(精選版日本国語大辞典)、

等々とあり、

糝薯を油で揚げたものを揚げ糝薯、海老を使ったものを海老糝薯、

といい、糝薯の上物とされた、という(たべもの語源辞典)。川柳に、

野田平がけに親玉の海老糝薯、

とある。野田平は蒲鉾屋、親玉の海老は団十郎にかけている、とある(仝上)。

「糝薯」の「糝」は、「糝粉」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480366901.html?1615060023で触れたように、「糝」(シン、サン)は、

こながき。米の粉をかきまぜて煮たてたあつもの、

の意だが、

米粒、

意でもあり(字源)、「糝粉」は漢語で、

粳米の粉、

の意である(仝上)。もともと、「糝薯」は、

古くは米の粉とヤマノイモを原料としたことからこの名がある(「書言字考節用集(1717)」)、

ので(精選版日本国語大辞典)、本来、

糝薯、

と思われる。「糝薯」の「糝」は、

ねばるという意味から用いられている、

という(たべもの語源辞典)のは、確かに、

魚肉をすり鉢ですったところに、薯(山の芋)を加えてさらにすったものは粘ったものになる、

けれども、

この状態をあらわしたのが糝であり、薯を加えてつくったものであるから、この字が用いられた、

とする(仝上)のは、「糝」の意味から考えると、後世のこじつけではないか。むしろ素直に、

古くは米の粉とヤマノイモを原料とした、

からこそ、「糝」(こめつぶ)と「薯」(山の芋)と当てたと見るべきではないか。

「いも」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479827829.htmlで触れたように、「薯」(漢音ショ、呉音ジョ)は、

会意兼形声。「艸+音符署(ショ 集まる、中身が充実する)」。根が充実してふといいも、

とある。「藷」と同じで、「いも」の意。「薯蕷」(ショヨ)は「ナガイモ」、「蕃薯」(バンショ)、「甘藷」は「さつまいも」になる(漢字源・字源)。「とろろ汁」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479813734.htmlで触れたように、「やまいも」は、

山芋、
薯蕷、

とあて、

ヤマノイモ(山の芋)、

と同じである。鎌倉時代に編纂された字書『字鏡(じきょう)』には、

薯蕷、山伊母、

と載る。山野に自生するので、

自然生(じねんじょう)、
自然薯(じねんじょ)、

と言った。これは、里芋に対して、山地にあるから

ヤマイモ、

と言ったのである。漢名は、

薯蕷(じょよ)、

とされるが、牧野富太郎が、これはナガイモの漢名としている(たべもの語源辞典)のは、

古くは中国原産のナガイモを意味する漢語の薯蕷を当ててヤマノイモと訓じた、

からである。「糝薯」「糝」「薯」の字を当てたのには意味があるはずである。

「糝薯」が創めて出るのは、元禄時代(1688〜1704)、文化・文政(1804〜30)頃に大流行した、という(仝上)。

八百善の四代目当主、栗山善四郎によって著された江戸料理の献立集、『料理通』(1822年)によれば玉子(たまご)の白みだけを加えたものを蒲ぼこ、薯蕷(やまのいも)と鶏卵(とりのこ)の白みを加えて練ったものを真薯というとされている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%96%AF。似たものに、

はんぺん、

があるが、これはすり下ろした白身魚に山芋を加えて練ったもので、主に関東で食されていた(仝上)。なお、「はんぺん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479729382.htmlについては触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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のべつまくなし


「のべつまくなし」は、

のべつ幕なし、

と当てるが、

芝居で、幕を引かず、休みなく引き続いて演ずること、

の意(広辞苑)で、

幕を引かず(つまり休みなく)続けざまに演じられる長丁場の芝居を指す、


とあるhttp://ohanashi.edo-jidai.com/kabuki/html/ess/ess004.html。そこから転じて、

ひっきりなしに続くさま、

の意で使う(広辞苑)。この「のべつまくなし」を、

のべつくまなし、

と使う人が、「のべつまくなし」(32.8%)に対して、42.8%もいるという(文化庁の平成23年度「国語に関する世論調査」)。「くまなし」は、

隈無し、

と当て、

隠れるところ(隈)がない、

という意味なので、少し意味が変わる。ま、言葉は生きものなので、いずれ、

のべつくまなし、

が、

のべつまくなし、

と重なって行くのかもしれないが。

「のべつ」は、

絶え間ないこと、
ひっきりなし、

という意味で、

のべたら、
のべたん、

等々とも言う。「のべ」は、

延べ、

と当て、

延べること、
のべたもの、

の意だが、ここから、

延べ百人、

等々と使う、

同一のものが何回もふくまれていても、それぞれを一単位として数えた総計、

の意で、今日使う。「のべ」には、

延紙の略、

もあり、

小形(縦七寸、横九寸ほど)の小型の鼻紙、中世の公家の懐中紙で吉野ののべ紙に由来する、

とある(広辞苑)が、

杉原紙(すぎはらがみ、すいばらがみ)、

ともある(江戸語大辞典)。また、「のべ」には、

延打(のべうち)の略、

の意もあり、これは、

金属を鍛えて平らに打ち延べつくること、

を意味し(広辞苑)、特に、

延打煙管、

というように、

羅宇(キセルの火皿と吸い口とをつなぐ竹の管)を用いず、全部金属で製した煙管、

の意である。

延棹、

というのも、

継棹でない三味線の棹、

を指す(江戸語大辞典)。「杉原紙」は、

楮を原料として製した、奉書に似て薄く柔らかな紙。平安時代から播磨の杉原谷で製し、中世に多く流通した、

とある(広辞苑)。

米粉を添加し、凹凸(皺)のない和紙、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E7%B4%99。とくに武士や僧侶の間で慶弔用,贈答用,目録用,錦絵用などに広く使用された。小判の小杉原は男子用の高級懐紙として好まれた(百科事典マイペディア)が、江戸中期には庶民も使うほどに普及し、需要を賄うため各地で様々な「杉原紙」が生産されるようになった、という。縦約二一センチメートル、横約二七センチメートルと小さなものなので、ほぼ広げたまま懐紙にする。半紙というものは、

杉原紙の寸延判を全紙としてこれを半分にした寸法の紙、

をさしhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E7%B4%99、延紙(延べ紙)を半分にした寸法の紙と定義される。「延紙」の「のべ」は、その意味ではないか、と想像する。

こう考えると、「のべつまくなし」の「のべつ」を、

「のべつ」は「述べる」の「述べ」に助動詞の「つ」が付いた語、

という説(語源由来辞典)は、あり得ない。むしろ、

延べ+ツ+幕+無し(日本語源広辞典)、
ノベ(延べ)に助動詞ツをつけたもの、マクナシは芝居用語で幕を引くことなしに場面を連続すること(上方語源辞典=前田勇)、

とし、

ツは継続・反復だから、「延ばし続けて膜を下ろさない」意の芝居用語で、庶民の作った言葉、

とする(日本語源広辞典)ほうがまともだろう。語感からいえば、

同義語ノベツ・マクナシを重ねた強調語、

というのが正確な気がする(上方語源辞典=前田勇)。

「幕」といえば、この場合、

定式幕(じょうしきまく)、

という、

引幕、

を指す。

幕を引く人が手動で左右に開け閉めする、

ので、引幕というらしいhttps://www.kabuki-za.co.jp/sya/vol110.html)。これは、

狂言幕、

といい(仝上)、

三色に染めた布を縦に縫い合わせて作った引幕、

で、

おもに歌舞伎の舞台で使われる。歌舞伎の舞台では演目や場面によって様々の幕が使われるが、定式幕は芝居の幕開きと終幕に使われる。「定式」とは「常に使われるもの」といった意味である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%BC%8F%E5%B9%95)。江戸時代には下手から上手に引いて閉じていたらしい(仝上)。江戸時代、芝居小屋における引幕は、

いわゆる『江戸三座』(中村座・市村座・森田座)と呼ばれる官許(幕府の許可)の芝居小屋だけに許されていた大変名誉なもので、それ以外の小芝居では、引幕の使用は許されませんでした。また、定式幕の三色の配列は各座(江戸三座)によって、異なっており、中村座は黒・白・柿、市村座は黒・萌黄・柿、森田座は黒・柿・萌黄の順序(左から)でした、

とあるhttps://www.kabuki-za.co.jp/sya/vol110.html

定式幕の起源は、

中村座座元初世中村勘三郎が、幕府の御用船『安宅丸』の江戸入港の際、得意の木遣りで艪漕ぎの音頭とり、見事、巨船の艪の拍子を揃えた褒美に船覆いの幕(帆布ともいわれている)を拝領したものとされています。これが黒と白の配色だったようで、その後、黒・白・柿の中村座の定式幕となった、

と伝えられる(仝上)、とある。現在劇場で主流の、上下に開閉する、

緞帳、

は、江戸時代から明治初期頃までは、

ごく簡素で粗末な巻き上げ式の幕を緞帳と呼び、引幕の使用を許されない小芝居に専ら使われていましたので、俗に小芝居のことを緞帳芝居と蔑称していました、

とありhttp://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/2568

明治後期あたりから西洋式の劇場が建設され、西洋演劇の影響を受けて緞帳は豪華でモダンなものへと生まれ変わりました、

とある(仝上)ので、「のべつまくなし」の「幕」は、緞帳ではなく、引幕を指していたと思われる。

「のべつまくなし」は、江戸語大辞典には載らず、大言海にも載らない。

「絶え間なく」といった意味の「延べつに」は、江戸時代から見られるが、「のべつ幕なし」の用法は明治以後から見られる、

とあるhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1059210765ので、あるいは、「緞帳」の可能性が、微かにある。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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めくちかわき


「めくちかわき」は、

目口乾き、

と当てるが、僕は方言だと思っていた。

噂好きで、ご近所に目ざとく、妙に人のことに詳しい、

そんな含意で受け取ってきた。

穿鑿好き、

という意味である。似た言葉が見つからないが、

隣近所の噂を触れ回る、

金棒曳(かなぼうひ)き、

が、どちらかというと近い含意だと思っていた。ところが、「めくちかわき」は、ちょっと意味がずれているが、

目はしがきいてくちやかましいこと、また、他人のあらさがしをする人(広辞苑)、

あるいは、

他人の欠点などを目ざとく見つけ、口やかましく言うこと。また、その人(デジタル大辞泉)、

と辞書に載るのである。

つねに見たり言ったりして目や口をうるおさないと、乾ききってしまう意、

とある(仝上)ので、井戸端会議的な、

穿鑿好き、
噂好き、

の意味がなくもない。ただ、江戸語大辞典には、

新関は目くちかわきの人ばかり、

という川柳(明和六年(1769)『柳多留』)のように、

他人のあらさがしばかりしたがる性癖、またその性癖の人、

と載る。これが古い意味とすると、方言に、古い意味が残ったとも考えられる。「めくちかわき」は、

もとは上方語、

という説http://www1.tmtv.ne.jp/~kadoya-sogo/ibaraki-me.htmlもあり、式亭三馬の『浮世風呂』(文化六〜十年(1809〜13))に、

人品(ひとがら)の能風(いいふう)をして居て、とんだ目口乾きだの。遊ばせの、入らっしゃいのと、食べつけねえ言語(ものいひ)をしても、お里がしれらあ、

とあり(仝上)、

現代でも名古屋で使われると言う、

とある(仝上)。まさに方言として残っている、ということか。

浄瑠璃の、

「三つ寄すれば姦 (かしま) しい、目口乾きの色ばなし」(矢口渡)、

他人の欠点などを目ざとく見つけ、口やかましく言うこと、

の意味だが(江戸語大辞典)、その前に、そういううわさ話、世評を目ざとく耳にしている、という意味でもある。

「目口」というのは、

目と口、

の意だが、

目ざとく見つけて、噂する、

という含意がなくもない。

目口はだかる、

という言い回しは、

あきれ、驚いて、目と口が大きく開いたままふさがらない、

という意味(広辞苑)だが、「立ち開かる」の「はだかる」で、

広がり開く、

意で、

これを聞くにあさましく、目口はだかりておぼゆ(宇治拾遺)、

と使われる(広辞苑・デジタル大辞泉)。

目口を立てる、

といういい方もあり、

目くじらを立てる、

に同じ意で、「めくじら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/403963816.htmlで触れたように、

ささいなことにむきになる、
目角を立てて他人の欠点を探し出す、

という意味だが、語源的には、

「目+くじら(端・尻)」

で、目尻のことである。で、めくじらを立てるで、眼角を立てて、他人の欠点を言い立てる意となる。

人の噂をいうはかもの味がする、

とか、

他人の不幸は蜜の味、

とかいう。昔も今も、噂は尽きないが、噂が、リツイートされると、嘘も重なれば真実に化す、とはトランプ騒動で、いまも余震が続いている。考えれば恐ろしい世の中になった。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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のり(海苔)


「のり」は、

海苔、

と当てる「のり」である。「海苔」は、

カイタイ、

と読む漢語である。

海の藻、

の意で、南越志に、

海藻、一名海苔、

とある(字源)。「のり」の漢名は、

紫菜(シサイ)、

といい、

水苔(スイタイ)、
海菜(カイサイ)、
石衣(セキイ)、
苔哺(タイホ)、
石髪(セキハツ)、

等々ともいう(たべもの語源辞典)、とある。日本では、古く、

紫菜、
神仙菜、

と呼ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%8B%94、とあるのは、漢名由来である。平安時代の字書『天治字鏡』には、

海糸藻、乃利、

とある(大言海)。「海苔」は、

nöri、

で、「糊」も、

nöri、

で、同源のようである(岩波古語辞典)。

海苔はすでに上代、縄文時代から食用にされていたが、文字として海苔が初めて登場したのは、『常陸風土記』で、

古老の曰(い)へらく、倭武の天皇 海辺に巡り幸(いでま)して乗浜(のりのはま)に行き至りましき。時に浜浦(はま)の上に多(さは)に海苔(俗(くにひと)、乃理(のり)と云ふ)を乾せりき、

とあるhttps://www.yamamoto-noriten.co.jp/knowledge/history.html。「大宝律令」(701年制定)の賦役令(ぶやくりょう)では、大和朝廷への「調」(現在の税金)の一つに、

紫菜(むらさきのり)、

があるが、「紫菜」は「凝海藻(こもるは)」(=ところてん)やその他海藻類の2倍以上の価値があった、とある(仝上)。「出雲風土記」(733年)にも、

紫菜は、楯縫(たてぬひ)の郡(こほり)、尤(もつと)も優(まさ)れり、

とあり(仝上)、延喜式(平安中期)には、志摩・出雲・石見・隠岐・土佐などから算出したとある(たべもの語源辞典)。

粗朶(ソダ 海苔をつけるための樹の枝)を立てて海苔をとり始めたのは元禄年間(1688〜1704)とされる(仝上)が、これには、

江戸の漁師は毎日将軍家に鮮魚を献上しなければならず、そのため浅瀬に枝のついた竹などで生簀を作り、常に魚を用意していました。冬になるとその枝にたくさんの海苔が生えることに着目したことが海苔養殖の始まりと言われています、

とあるhttps://www.yamamoto-noriten.co.jp/knowledge/history.html。「武江年表(ぶこうねんぴょう)」には、

大森で海苔養殖が始まった、

と記されている(仝上)。享保二年(1718)に、

品川の海に初めて海苔養殖のための「ソダヒビ」が建てられました。ちなみに「ソダヒビ」とは、葉を落として枝を束ねて作った物です。しかし、この頃は海苔の胞子(種)のつき方が不明で、もっぱら経験則に基づいた養殖であったため、年によって収穫量が違い、豊作なら大金が入り、失敗すると借金が残るので、海苔は「運ぐさ」と呼ばれていた、

とある(仝上)。その後、海苔養殖は幕府の保護を受け、江戸の特産品となった。「紫海苔」を、

浅草海苔、

と呼ぶのは、品川大森辺でとった海苔を浅草で製造して売ったから、という(たべもの語源辞典)。昔は、隅田川からも海苔がとれたという(仝上)。

和語「のり」の語源は、

糊と同じで、ねばったさま、ヌルヌルした状態から「のり」といった(たべもの語源辞典)
粘滑(ヌルスル)の義(大言海)、
ヌルリ、ヌリがノリに変化した(日本語源広辞典)、
「糊(のり)」と同源で、「ヌルヌル」や「ヌラヌラ」などが変化した語(語源由来辞典)、

というところだと思われる。

粘り気があるところから(国語の語根とその分類=大島正健)、
ヌル(濡)と同源の、ヌルヌルと辷る義の動詞ヌル(辷)の連用形名詞法ヌレが変化したもの(続上代特殊仮名音義=森重敏)

も同趣だと思うが、ただ「ぬる」(濡る)は、

ぬる(塗る)と同根、湯・水・涙など水分が物の表記につく意、

とあり(岩波古語辞典)、擬態語の「ぬるぬる」とは別由来と思われる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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糊、

と当てる「のり」は、

海苔、

と当てる「海苔」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480467069.html?1615577953で触れたように、「海苔」は、

nöri、

で、「糊」も、

nöri、

で、同源である(岩波古語辞典)。ために、

黏滑(ヌルヌル)の意、滑(スル)に通ず、

とあり(大言海)、「海苔」の、

粘滑(ヌルヌル)の義、

とする(大言海)のと重なる、擬態語「ヌルヌル」由来と思われる。ただ、大言海が「黏」と「粘」と、旧字と新字とに使い分けている理由はわからないが。

ネマリ(粘)の転(東牖子)、
ネバリヲリ(粘居)の義(日本語原学=林甕臣)、
ヌメリ(滑)の義(言元梯・名言通)、
ノはヌラヌラのヌとネバネバのネとに通う(国語の語根とその分類=大島正健)、

も同趣旨、

ノリ(海苔)から(和訓栞)、

もあり得る。ただ、

米と水で煮てねる意で、ネリの義(和句解)、

はともかく、

絹と紙にぬるところから、ヌリ(塗)の義(日本釈名)、

は、「海苔」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480467069.html?1615577953で触れたように、「ぬる(塗る)」は、

「ぬる(濡る)」と同根、湯・水・涙など水分が物の表記につく意、

とあり(岩波古語辞典)、別由来と思われる。

「糊」は、

米・正麩(しょうふ)などの澱粉質から製した粘り気のあるもの、

の意で、広くは、

接着剤、

を指す(広辞苑)が、衣服の形を整えるために使う。粘り気が必要で、米以外にも、

麦・大豆、

等々も煮てつくる(岩波古語辞典)。正倉院文書に、

叉下白米弐升、右合白土能(のり)汁料、

とある(仝上)。また平安末期の古辞書『色葉字類抄』には、

糊で貼る、

と載る(広辞苑)。

「糊(黏)」(漢音コ、呉音ゴ)は、

会意兼形声。胡(コ)は「肉+音符古」の形声文字で、牛の下あごの上にかぶさる垂れた肉。糊は「米+音符胡(かぶせる)」で、誤字の上にかぶせて消す白い粉、

とあり(漢字源)、「糊粉」(ゴフン)、「模糊」(モコ)というように、「書き間違った處の上にぬりかぶせてそれを消す米の粉」の意で、「糊塗」はここからきている。他に、「のり」の意があり、「粥」の意から、「糊する」の使い方が出る(仝上)。他に、

会意兼形声文字です(米+胡)。「横線(穀物の穂の枝)と6点(穀物の実)」の象形(「米」の意味)と「ぼんやりしているさまを表す擬態語と切った肉」の象形(肉の1部なのか、あごひげなのか「ぼんやりしてわからない」の意味)
から米粒がぼんやりして見えない「のり」、「かゆ」を意味する「糊」という漢字が成り立ちました、

とする別解釈があるhttps://okjiten.jp/kanji2649.html

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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煮しめ


「煮しめ」は、

煮染、

と当てる。煮物料理のひとつで、

肉や野菜などを醤油で煮染めた料理、

である(広辞苑)が、古くは、

にじめ、

ともいい、

煮染肴の略、

とある(たべもの語源辞典)。

煮汁が残らないように時間をかけてじっくり煮る調理法を「煮しめる」というが、これが転じてそのように料理されるものを「煮しめ」と称する、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%AE%E3%81%97%E3%82%81

煮締め、
お煮しめ、

などとも言う(仝上)。転じて、

惣菜料理の煮物類、

を指す用語となり(たべもの語源辞典)、

煮染海老、
煮染田楽、
煮染麩、

といった使い方をする(仝上)。室町時代は、

煮染は精進料理、

であったが、近世には、魚貝の煮染もあり、魚菜の煮染を売る店を、

煮染屋、

とよび、多くは屋台であった(仝上)。落語の『七度狐』や『二人旅』に登場するのは、

煮売屋、

で、

煮魚・煮豆・煮染など、すぐに食べられる形に調理した惣菜を販売する商売のこと、

をいい、

菜屋(さいや)、

とも言ったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%AE%E5%A3%B2%E5%B1%8B

正月の重詰の煮染のことを、

おせち、

と呼んだが、今は正月料理を指して「おせち」という。しかし、

「節(せち)」の食べ物は、その季節の野菜をいうので、野菜を煮染めたもの、

が「おせち」であった(たべもの語源辞典)。室町時代に「醤油」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471986028.htmlができ、醤油で煮染めたものを、

煮染、

と呼ぶようになり、砂糖やみりん、しょうゆなどで甘辛く煮たものを、

うま煮、

たっぷり汁を含ませたのが、

ふくめ煮、

煮あがりに照りのつかないのが、

煮しめ、

と呼ぶ(たべもの語源辞典)らしいが、

うま煮とふくめ煮の中間にある煮方、

が「煮染」らしい(仝上)。この「にしめ」は、

「煮しめ」のシメは染まることをいう。色がつくことをソメルという。ものを煮ると醤油の色がいたから、ニソメ(煮染)といい、ニソメがニシメになった、

とある(仝上)。

ニソメ(煮染)→ニジメ→ニシメ(煮染)、

といった転訛である。染物にも、

煮染め、

という技法があるが、こちらは、

にぞめ、

と読むことが多いhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%AE%E3%81%97%E3%82%81、とあるが、発想は同じのようだ。

ただ、ネットで料理のものを見ていると、

おせち料理の中でも「煮しめ(筑前煮)」は、各家庭の味が色濃く出やすい料理です、

などhttps://gurusuguri.com/special/season/osechi/spcu-osechi_nishime/と、「煮しめ」と「筑前煮」が同義のような使われ方をしている。しかし、筑前煮は、

鶏肉と野菜、こんにゃくなどを油で炒め、甘辛く味付けした煮物で、福岡県の北部・西部の筑前地方の郷土料理です。具材を「油で炒めてから煮る」という作り方が、筑前地方独特のものであったことが、名前の由来だとされています、

とあるhttps://delishkitchen.tv/articles/407ように、

植物油で材料を炒めてから煮る、

のが特色のはずである。「筑前煮」は、

がめ煮、

とも呼ばれ、これは、秀吉が、文禄元年(1592)に、

博多の入江や沢にスッポンが多くいたので、これと野菜を一緒に煮て食べた、

らしいが、スッポンは川龜、またはドロガメというので、

ガメ煮、

といった(たべもの語源辞典)、とある。後には、スッポンの代わりに鶏肉を使い、

人参や牛蒡ヤコンニャクや筍などを甘煮(うま煮)にするようになった、

とある(仝上)。

あくまで、「煮染」は、

煮汁を残さずに具材に染み込ませていく調理法、

であり、「筑前煮」は、

材料を油で炒めてから煮る、

のであり、「うま煮」は、

旨煮、
もしくは、
甘煮、

から来ており、

具材を煮ることによって引き出される旨味や、砂糖やみりん、しょうゆなどで甘辛く煮たときの甘さを表現したもの、

とあるhttps://delishkitchen.tv/articles/407。「ふくめ(含め)煮」は.

多めの煮汁で、材料に味をしみ込ませるように時間をかけて煮る調理法、

であるhttps://cookpad.com/cooking_basics/6191

なお、「がめ煮」については、

筑前煮同様、鶏肉と野菜などを炒めてから甘辛く煮た福岡県の郷土料理、

ではあるが、

「寄せ集めの」という意味を持つ方言「がめくり込む」から来ているという説、

もあり、一般には、がめ煮は、

骨付きの鶏肉、

使うhttps://delishkitchen.tv/articles/407、ともある。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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煮切り


「煮切り」とは、

料理で、酒や味醂の旨味成分を利用するため、それらを煮立てたり火をつけたりしてアルコール分を除く、

意である(広辞苑)が、また、

煮つめて水分や煮汁を除く、

意でも使う(デジタル大辞泉)。煮切ったものは、

煮切りみりん、
煮切り酒、

とも呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%AE%E5%88%87%E3%82%8A。和食独特で、西洋料理のフランベと似ているところがあるが、

フランベが具材に対して行われるのに対して、煮切りではそのような対象物がない。あくまでみりんや酒に含まれる、調味に余分なアルコールを除くために行われる、

のが特徴(仝上)、とされる。

味醂をそのまま用いるのに比べて、たいへん味がよくなり、煮物でも焼物でもきわめて美しい光沢が出る、

のである(たべもの語源辞典)。

この「煮切り」は、

ラ行五段活用の動詞「煮切る」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの、

であり(日本語活用形辞書)、「煮切り」の「きり」は、

終わり、

の意とある(たべもの語源辞典)。「切る」http://ppnetwork.seesaa.net/article/467643440.htmlで触れたように、「切る」は、

「物に切れ目のすじをつけてはなればなれにさせる意。転じて、一線を画して区切りをつける意。類義語タチ(断)は、細長いもの、長く続くことを中途でぷっつりと切る。」

とあり(岩波古語辞典)、

刈(か)る、伐(こ)るに通ず、段(きだ)、刻(きざむ)、岸、際(きは)などと語根を同じうす、

でもあり(大言海)、

「キ(切断・分断)+る」

である(日本語源広辞典)。

「にる」の意の漢字は、

煮、
烹、
煎、

等々などがあるが、三者は、本来使い分けられている。

「煎」は、火去汁也と註し、汁の乾くまで煮つめる、
「煮」は、煮粥、煮茶などに用ふ。調味せず、ただ煮沸かすなり、
「烹」は、調味してにるなり。烹人は料理人をいふ。左傳「以烹魚肉」、

とある(字源)。漢字からいえば、「煮切る」は、誤用ということになる。

狡兎死して走狗烹らる、

の成句からみると、「煮る」は「烹る」で、「煮切る」は「烹切る」でなくてはならないのかもしれない。

「煮」(慣用シャ、呉音・漢音ショ)は、

会意兼形声。者は、コンロの上で木を燃やすさまを描いた象形文字で、火力を集中して火をたくこと。のち、助辞にもちいられたため、煮がつくられて、その原義をあらわすようになった。「火+音符者」。暑(熱が集中してあつい)と縁が深い、

とあり(漢字源)、「煮沸」というように、「たぎらせる」意で、「容器に入れて湯の中でにる」意である。別に、

会意兼形声文字です(者(者)+灬(火))。「台上にしばを集めつんで火をたく」象形(「にる」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「にる」を意味する「煮」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1199.html

とも、

会意形声。者は庶と古く同声であるため、この両者が声符として互易することがあり、庶蔽の庶はもと堵絶の意であるから者に従うべき字であり、庶は煮炊きすることを示す字であるから、庶が煮の本字である。本来、者は堵中に隠した呪禁の書であるから、これに火を加えて煮炊きの意に用いるべき字ではない(白川)、

ともありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%85%AE、今日の「煮炊き」の意味ではなかったと思われる。

「烹」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)は、

会意。亨(キョウ)は、上半の高い家と下半の高い家とが向かい合ったさまで、上下のあい通うことを示す。烹は「火+亨(上下にかよう)」で、火でにて、湯気が上下にかよい、芯まで通ることを意味するにえた物が柔らかく膨れる意を含む、

とある(漢字源)。「割烹」(切ったりにたり、料理する)と使い、「湯気を立ててにる」意である。やはり「煮る」は、「烹る」がふさわしいようだ。別に、

会意。「亨」+「火」、「亨」の古い字体は「亯」で高楼を備えた城郭の象形、城郭を「すらりと通る」ことで、熱が物によくとおること(藤堂)。白川静は、「亨」を物を煮る器の象形と説く。ただし、小篆の字形を見ると、「𦎫」(「亨(亯)」+「羊」)であり「chún(同音:純)」と発音する「燉(炖)(音:dùn 語義は「煮る」)」の異体字となっている。説文解字には、「𦎫」は「孰也」即ち「熟」とあり、又、「烹」の異体字に「𤈽」があり、「燉」に近接してはいる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%83%B9、「烹る」と「煮る」の区別は、後のことと知れる。

「煎」(セン)は、

会意兼形声。前の「刂」を除いた部分は「止(あし)+舟」の会意文字。前はそれに刀印を加えた会意兼形声文字で、もと、そろえて切ること。剪(セン)の原字。表面をそろえる意を含む。煎は「火(灬)+音符前」で、火力を平均にそろえて、鍋の中の物を一様に熱すること、

とある(漢字源)。「水気がなくなるまでにつめる」「水気をとる」意で、「いる」意でもある。別に、

形声文字です(前+灬(火))。「立ち止まる足の象形と渡し舟の象形と刀の象形」(「前、進む」の意味だが、ここでは、「刪(セン)」に通じ(同じ読みを持つ「刪」と同じ意味を持つようになって)、「分離する」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「エキスだけを取り出す為によく煮る」、「いる(煮つめる、せんじる(煎茶))」を意味する「煎」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2170.html

とあり、「水気を飛ばす」意になり、「煎薬」と、「煮出す」意でも使う。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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南禅寺揚


「南禅寺揚(なんぜんじあげ)」というものがある。

豆腐を砕いて、少量の小麦粉に卵黄・酒・塩・煮出汁などを加えた衣をつくって、魚とか魚菜を揚げたもの、

とある(たべもの語源辞典)。

京都の蹴上(けあげ)にある「南禅寺」付近で良質の豆腐が作られたことから、豆腐を使った料理名によくつけられ、南禅寺揚げ、南禅寺蒸等々、「南禅寺〜」ということがある(世界の料理がわかる辞典)。

「南禅寺揚」は、

水切りをしてくずした豆腐を衣にした揚げ物、

だから、「南禅寺」の名が付いた。

南禅寺(なんぜんじ)は、

京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)と称する。開山は無関普門(大明国師)。開基は亀山法皇。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ、

とありhttps://www.wikiwand.com/ja/%E5%8D%97%E7%A6%85%E5%AF%BA、「湯豆腐」は、

南禅寺周辺参道の精進料理が起源、

とされている(仝上)。

湯豆腐はもともとお坊さんの精進料理でした。いま有名な湯豆腐は昆布だしで豆腐をゆでて食べるのですが、当時のものは、焼き豆腐を煮たものでどちらかというとおでんみたいな感じ、

だとあるhttp://www.ryokan-yachiyo.com/ryokan-kyoto-yudofu.html

「南禅寺豆腐」といわれるものに、いくつかあって、天明二年(1782)刊の『豆腐百珍』には、

高津湯とうふ、

が載り、

ゆでた絹こし豆腐に熱い葛をあんかけにして芥子を添えます。南禅寺とも言います、

とあるhttp://www.toyama-smenet.or.jp/~tohfu/tofuhyakutin.html。また、

京都東山名物の豆腐で、豆腐を小判型に切って、両面を油でキツネ色に焼いたものをいう、

ともある(たべもの語源辞典)。さらに、「南禅寺豆腐」には、

酒田市の南禅寺屋が発祥といわれている半球形の豆腐、

があるhttps://gurutabi.gnavi.co.jp/i/i_1000838/。これは、

酒田市南禅寺屋の祖先がお伊勢参りの途中で病気になり、路銀を使い果たしたため、京都の南禅寺で住み込みで働いた。そこで丸く軟らかい豆腐に出合い、その作り方を学んだ後、庄内で「南禅寺豆腐」として売り始めた、

といわれているhttps://gurutabi.gnavi.co.jp/i/i_1000838/。現在、南禅寺から商標「南禅寺どうふ」の使用許可を得た店は、唯一、

南禅寺豆腐屋服部、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%A6%85%E5%AF%BA%E8%B1%86%E8%85%90

その他、「南禅寺」の名のついたものに、

南禅寺蒸、

がある。

豆腐を当たって漉し、卵白を加えてすり混ぜ、だしを加え好みの材料(麸、銀杏、鶏肉、青味など)を入れて茶碗蒸しの器などで蒸し上げる。蒸しあがったら葛あんをかけてワサビを天盛り、

とあるhttps://temaeitamae.jp/top/t2/kj/992_R/032.html

なお、江戸時代を通じて評判だった豆腐料理に、南禅寺前の湯豆腐の他、

京都の八坂神社鳥居前の茶屋で出された「祇園豆腐」という木の芽田楽、

があるhttps://souda-kyoto.jp/knowledge/culture/tofu.html

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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こじつけ


「こじつけ」は、

こじつける、

の名詞。

牽強付会、

である(広辞苑)。あるいは、

道理ありげに云ふ、

という(大言海)か、あるいは、

無理に二者を結びつける、無理に筋の通ったことのように言う、

というのが(江戸語大辞典)、その含意を絵解きしてくれる。動詞、

こじつける、

は、文語では、

こじつく、

で、

無理に筋の通ったことのように言いなす、
無理に関係づける、

意である。

抉付ける、

と当てる(江戸語大辞典)ものもある。その意が、だから、

無理強い、

の意に(広辞苑)少しスライドし、

何様(どう)も夫婦合(やひ)の事許りは……親の威光で無理にこじつけにこじつけたと言って、夫れじゃあ和合(じんじく)するもんじやァねへ、

というように(文政七年「軒並娘八丈」)、

無理に行う、押し通す、

の意となり(江戸語大辞典)、当然、

あしたはあたらし橋の旦那にこぢつけようス、

と(文化十五年「辞十八癖」)、

押しかける、

意にもなり、それが「押す」意に焦点を絞ると、

夫にはあらで不得心、どふもこふもゆかぬのをこぢ付けるところが御伝授、

と(安永九年「根柄異軒之伝」)、

口説く、ねだる、

意に転じ、さらに、

こぢつけた侍の出る松の内、

と(安永八年・柳多留)、

似せる、
ばける、

意でも使われる(江戸語大辞典)。今日は、せいぜい、

無理強い、

どまりでしか使われないが。

「こじつける」の語源は、

古事付けるか、故実付ける(江戸語大辞典)、
故事付ける(広辞苑)、
故實附けるの約なるべし、水漬く、みづく(大言海)、

という、

故事、

故実、

とつなげる説が多い。しかし、江戸語大辞典が、

抉付け、

と当てていたように、

こじる(無理やりにする)+付ける、

と考える(日本語源広辞典)のが自然ではあるまいか。

「こじる」は、

こづ、
こず、

とも遣い、

えぐる、

意であるが、

くぐる(潜・抉)の転、潜(くぐ)る、こぐる、

とある(大言海)。よく似た意味の、

穿ち過ぎ、

という意の、「うがつ(穿つ)」が、

孔をあける、

意であるのとよく似ているのではないか。

「故事」は、

古事、

と同じ(字源)であり、

明習故事(漢書・蘓武伝)、

と、

むかしありし事実、

であり、「故實」は、

必問於遺訓、而咨於故実(魯語)、

と、

古き事実、

で(仝上)、ほぼ同じ意である。ただ、我国では、「故實」を、

有職故実、

というように、

古への儀式礼法など後世の手本、

の意で使うが(仝上)。

「故」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。古は、かたくなった頭骨、またはかたいかぶとを描いた象形文字。故は「攴(動詞の記号)+音符古」で、固まって固定した事実になること。またすでにかたまって確立した前提を踏まえて、「そのことから」とつなげるので「故に」という意の接続詞となる、

とあり(漢字源)、「古」と同じく、「古い」意である。他に、

会意兼形声文字です(古+攵(攴))。「固いかぶと」の象形(「固くて古い」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「強制する」の意味)から、古く固くしてしまう事を意味し、そこから、「死ぬ」、「わざわい」等を
意味し、また、「古(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「古」と同じ意味を持つようになって)、「ふるい」の意味、「固(コ)」に通じ、「以前から」を意味する「故」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji874.html

「抉」(漢音ケツ・エツ、呉音ケチ・エチ)は、

会意兼形声。夬(ケツ)は「コ印+又(手)+指一本」の会意文字で、かぎ型の爪(ツメ)を指につけてひっかけるさま。抉は「手+音符夬」で、指をかぎ型に曲げ、ひっかけてえぐりの出すこと、

とある(漢字源)。「剔抉」というように「えぐる」意である。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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たたみいわし


「たたみいわし」は、

畳鰯、

と当てる。

カタクチイワシの稚魚(シラス)を洗い、生のままあるいは一度ゆでてから、葭簀(よしず)や木枠に貼った目の細かい網で漉いて天日干しし、薄い板状(網状)に加工した食品、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%BF%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%97。「カタクチイワシ」は、

ヒシコイワシ、

とも言い、

鯷魚、
鯷、

と当てる。ただ、「鯷」は、「ナマズ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479499856.htmlで触れたように、中国では、

鯷(テイ、シ)、
鮧(イ、テイ)、

は、「おおなまず(大なまず)」を意味し、

鯷冠、

という言葉があり、この皮を以て冠を作る。「千疋飯」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479115906.htmlで触れたことだが、「千疋」とは、

たたみいわし、

のことで、海苔のように抄(す)いて簀子(すのこ)に並べたさまが、

小さい魚が千疋もいるように見える、

ので、

千疋、

と呼んだ(たべもの語源辞典)、という。俗に、イワシの仔魚(主にカタクチイワシ)は、

白子(シラス)、

といい、江戸では、「たたみいわし」は、

白子干(しらすぼ)し、

とも呼び、「たたみいわし」を、

帖鰯、

とも書いた(仝上)。

「畳」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465497455.htmlで触れたように、「畳」は、

畳む、

意である。「畳む」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465432269.html?1556881252は、

幾重にも積み重なること、

であり(岩波古語辞典)、

筵(むしろ)を厚く畳み重ねたことによる

のである(仝上)。

古くは、筵・ござ・しとねなど敷物の総称。平安時代には、畳といえば薄縁(うすべり)であったが、厚畳(あつじょう)も既にできていて、寝殿造の廂(ひさし)には、随所に厚畳が敷かれた。縁の種類によって繧繝縁(うんげんべり・うげんべり)・高麗縁(こうらいべり)などがあり、この二つは最上とされた、

とあり(仝上)、

畳縁は目立つので、色や柄で部屋の雰囲気が大きく変わる。 昔は、身分等によって利用できる畳縁に制限があった。
繧繝縁(うんげんべり・うげんべり)…天皇・三宮(皇后・皇太后・太皇太后)・上皇、神仏像、
高麗縁(こうらいべり)…親王・摂関・大臣(大紋高麗縁)、公卿(小紋高麗縁)、

とされていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B3。つまり、畳の原点は、

古代から存在する。古代の畳は、莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称であり、使用しないときは畳んで部屋の隅に置いたことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされる、

とあり(仝上)、古事記にも、

菅畳八重・皮畳八重・絹畳八重を波の上に敷きて、其の上に下り坐しき、

とある(広辞苑)が、『大言海』は、「畳」を、

「たたみ薦(こも)の略、重ねて敷く意」

とする。となると、「畳」は、

たたむ、

意という収納方法からではなく、「畳む」のもつ、

重ねる、

意という製造方法から来たと見る。「畳」の、

筵(むしろ)を厚く畳み重ねたことによる、

という意(岩波古語辞典)は、「畳む」の持つ使用方法を指す。つまり「畳む」には、

折り返して「畳む」(収納方法)から「たたみ」なのか、
積み重ねる「畳む」(製造方法)から「たたみ」なのか、

の二重の意味がある。元々「うすべり」だったから、

折り返した畳んだ、

という「収納方法」に由来するのか、「畳」が、

薦を幾重にも重ねて作られた、

という「製造方法」に由来するのか、という違いである。

いずれにせよ、平安時代には、

主としてうすべり(ふちどった茣蓙)の類、

を、「たたみ」と呼び(たべもの語源辞典)、「たたみ」は、

ござ、菰、皮畳、絹畳などの敷物の総称、

なのである(仝上)。だから、

小さいイワシを畳のような形にした、

ので、

たたみいわし、

であるが、

積み重ねられた、
あるいは
折り重ねられた、

から「たたみいわし」でもある。

畳菰(たたみこも)、

畳筵(たたみむしろ)、

があり、それが、略されて、

畳み、

となったという含意がある(たべもの語源辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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かゆい


「かゆい(かゆし)」は、

痒い、
癢い、

と当てる(大言海)。「痒」は「癢」の異字体であるhttps://mojinavi.com/d/u7662

痛い(し)の対、

である(大言海)。

皮膚を掻きたいような感じ、

とある(広辞苑)。

皮膚の下で非常に小さいものがうじゃうじゃと動き回っていてくすぐられるような感じがし、掻きむしってすっきりしたいという気持ちにさせられている様子をいう、

という感覚である(笑える国語辞典)。これは、ほとんど、

乾燥肌、

が原因で、実感とは、少し一致しないのだが、

全て乾燥肌に直結しています。健康な肌は角質細胞が隙間なくぴったりとくっつき合って皮膚の表面を覆っています。ところが、乾燥肌になると角質細胞の間に隙間ができ、体内の水分がどんどん失われていきます。同時に外部の異物が肌の奥に入り込み、よくない刺激を体に与えます。例えばアトピー性皮膚炎のかゆみも一部は乾燥肌に由来します、

とあるhttps://www.juntendo.ac.jp/co-core/research/kayumi.html

10世紀半ばの「和名抄(和名類聚抄)」には、

癢、加由之、

11世紀末から12世紀頃の「名義抄(類聚名義抄)」には、

痒、癢、カユシ、

とある。漢字「痒」(ヨウ)は、

形声。「疒」+ 音符「羊」。当初は「癢」であったが、音符を「羊」のみに簡略化した。「氧」も同じ成り立ちの字である、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%97%92。「癢」(ヨウ)は、

会意兼形声。「疒+音符養(栄養の多い羊肉)」。羊肉を食べ過ぎると、痒みを起こすことからかゆい意となった、

とある(漢字源)。「痛痒」とも「痛癢」とも書く。因みに「養」(ヨウ)は、

会意兼形声。昔の中国では羊はおいしくて形のよいものの代表とされた。養は「食+音符羊」で、羊肉のように力をつける食物をあらわす。善は、羊のようにうまいこと。美は、羊のようにうつくしいこと。義は、羊のようにかっこうがよいこと。いずれも、羊をよい物の代表としている、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(食+羊)。「羊の首」の象形と「食器に食べ物を盛りそれにふたをした」象形から、羊(ひつじ)を食器に盛る・そなえるの意味から、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「やしなう」を意味する「養」という漢字が成り立ちました、

とあり、少し異なるが、「羊」とは深くつながるようだhttps://okjiten.jp/kanji624.html

さて、和語「かゆい」は、

カ(痒)+ユシ(形容詞化)、

というのが(日本語源広辞典)、シンプルだが、「か」を痒いとしたものは見当たらなかった。

搔きたくなる、

という感覚からいえば、

カキユユシ(掻忌忌)の義(言元梯)、
掻ユスル義(和訓栞)
カキユルシキ(掻動如)の義(名言通)、

等々だが、説明がいま一つである。

掻(か)かま欲しき意の語なるべし、

が(大言海)、身体の感覚と最も近いのではないか。

「まほし」は、

まくほしの約、

で(明解古語辞典)、

動詞の未然形につき、希望を表す語、

である(仝上)。

平安時代に現われた語で、希求の意を表す。「……てほしい」と話し手の希望、また話し手以外の人の希望を表す、

とある(岩波古語辞典)。しかし、「かゆみ」は、万葉集に、

今日なれば鼻の鼻ひし眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり、

と既に使われているし、倭名抄にも載る。少し時代的には合わないのが難点だし、

かかまほし→かゆし、

には少し飛躍がある。結局語源ははっきりしないが、体感覚の言葉は、語源は相当古いのではあるまいか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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竜田揚


「竜田揚」は、

立田揚、

とも当て(たべもの語源辞典)、

魚とか、肉類を甘みのある醤油につけ、片栗粉を着けて揚げるもの、

である(仝上)。

片栗粉のまま付ける方法、

水どきしてからつける方法、

とがある(仝上)、とある。この名は、

揚った色が赤いので、紅葉の名所竜田川に因む、

とある(広辞苑)が、在原業平の歌、

ちるはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅に水くくるとは、

からとった(たべもの語源辞典)。紅葉そのものではなく、「唐紅に水くくる」の、

水を紅いくくり染にしたように見える、

ところに因ったものである(仝上)。「くくり染」とは、

絞り染め、

の意で、

糸でくくったところを白く染め残して模様を出す染め方、

で、

川面に流れる紅葉のさま、

になぞられた。

醤油につけて赤っぽい色を出すだけでなく、片栗粉をつける。火が通ると片栗粉は白くなる。赤い色のところに、点々と白いものが見える。紅葉の流れる竜田川の景を思わせる、

というものである(たべもの語源辞典)。

「竜田(たつた)」は、

海老、醤油などを使って紅葉(もみじ)のような赤色に仕上げた料理に使われ、

竜田揚げのほかにも、

竜田焼き、
竜田豆腐、

等がありhttps://kondate.oisiiryouri.com/japanese-food-tatsuta-age/、紅葉を連想させるため、秋の献立に使われる(仝上)。

「竜田揚」に似たものに、

唐揚げ、

がある。

空揚げ、

とも当てる(広辞苑)。これは、

衣をつけず、あるいは、小麦粉・片栗粉を軽くまぶして油で揚げるもの、

とある(広辞苑)。

小麦粉や片栗粉を薄くまぶす程度で、衣をつけずに高温の油で揚げる、

ところが「竜田揚」との差らしい。「空揚げ」の「空」はそこからきていると思われる。

「唐揚げ」の由来は、普茶料理」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474648427.htmlで、

とうあげ、
からあげ、

の訓みがあったとあるhttps://macaro-ni.jp/25377。当時の唐揚げは、

豆腐を細かく切って油で揚げ、しょう油とお酒で似たもの、

という精進料理であった(仝上)。その場合、「唐揚げ」という言葉はなく、衣を付けずに揚げる料理は、

素揚げ(すあげ)、

といったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E6%8F%9A%E3%81%92、らしい。

食材に小麦粉等をまぶして揚げる調理は、

衣揚げ、

とも言い、江戸時代には、

天ぷら、
衣かけ、

と呼んだ(仝上)。『料理歌仙の組糸』(1747年)に、「鯛切身てんぷら」として、

てんぷらは何魚にても、うんとんの粉まぶして油にて揚げる也、菊の葉てんぷら又ごぼう、蓮根、長芋其他何にても天ぷらにせんには、うんとんの粉を水醤油とき塗付けて揚る也、肴にも右のとおりにしてもよろし、又葛の能くくるみて揚るも猶よろし、

とあり、これが「衣揚げ」の初見とされる(仝上)。

「唐揚げ」という言葉は、後世のもので、江戸初期の『南蛮料理書』には、

魚の料理。何魚なりとも脊切り、麦の粉をつけ、油にて揚げ、その後、丁字の粉、にんにく磨りかけ、汁よき様にして煮〆申也、

とあり、「唐揚げ」と近い。その中で、

食材を醤油等で下味をつけて小麦粉や片栗粉をまぶして揚げた調理を、

竜田揚げ、

というが、「てんぷら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470781916.html、「唐揚げ」とは異なる来歴と見られている。

因みに、

丁字の粉、

の「丁字」は、
丁子、

とも当て、

クローブ、

ともいい、

フトモモ科の樹木チョウジノキの香りのよい花蕾、

原産地はインドネシアのモルッカ群島で、香辛料として使われるほか、生薬としても使われ、漢名に従って丁香(ちょうこう)とも呼ばれる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B8。その名は、花蕾が、

釘に似た形、また乾燥させたものは丁の字や、錆びた古釘のような色、

をしており、

中国では紀元前3世紀に口臭を消すのに用いられ、「釘子(テインツ)」の名を略して釘と同義の「丁」の字を使って「丁子」の字があてられ、呉音で「チャウジ」と発音した、

ちため、日本では、

チョウジ、

の名がつけられた、とある(仝上)。日本にも古く入り、正倉院の帳外薬物のなかにも丁子(丁香)がある。また上述のように、『南蛮料理書』に、から揚げに近い料理に紹介され、食用としても認知されてきたことが知れる。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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だまくらかす


「だまくらかす」も、「だまかす」も、「だます」も、ほぼ同じ意味だが、「だまくらかす」が、

だます、あざむく、だまかす、

「だまかす」が、

だます、あざむく、

に対して、「だます」は、

すかしなぐさめる、なだめる、
うそを本当と思わせる、あざむく、だまかす、たぶらかす、

と、少し意味に幅がある(広辞苑)。「だます」が始点だからだろうか。

「だます」と「だまかす」は、

騙す、
騙かす、

と当てている(仝上)が、「だまくらかす」は漢字を当てない(広辞苑)が、「だまかす」が「騙かす」なら、江戸語大辞典当てているように、「だまくらかす」も、

騙くらかす、

と当ててもよさそうである。

語感からいうと、「だまくらかす」には、

「だます」を強調した俗な言い方、

とあり(デジタル大辞泉)、

弟をだます、

弟をだまかす、

弟をだまくらかす、

と、より強く騙そうとする意志が強まる感がある。

たとえば、「だまかす」には、「だます」の語意が残り、

おこりちらして太平らくをいふゆへ、内中よつてたかつてだましてかへしてしまうと(寛政十一年(1799)「仲街艶談」)、

というように、

だましすかす、なだめすかす、

意がある(江戸語大辞典)が、「だまくらかす」には、

壬生狂言の道具を借りてだまくらかせし趣向なり(寛政三年(1791)「尽用面二分狂言」)、

というように、

いつわる、だます、

意味に完全にシフトしている(仝上)。ただ、

「だまくらかす」は、元は北海道の方言です、

とする説がありhttps://meaning-book.com/blog/20191210131835.html、その地方では、

「騙す」のこととして普通に使われている場合が多いですが、(中略)北海道以外では「騙す」のニュアンスが強くなった言葉として使われており、「だまくらかしてやる」とした時には、見事にそれをやってやるというニュアンスで使っている、または騙す内容がそれなりにすごいのだと考えていいでしょう、

とある(仝上)。

「だます」は、

黙ると同根、

とあり(岩波古語辞典)、

黙るの他動詞、

ともあり(大言海)、

黙す、

と当て(仝上)、

小児の泣く声を黙(だま)す、

と、本来の意味は、

黙るようにする、

意で、だから、

すかす、
なだむ、

の意となり、転じて、相手ではなく、主体側に変わって、

黙って知らぬ顔をして欺く、

というように(日本語源広辞典)、

あざむく、
たぶらかす、

意になった、とみられる(大言海)。ただ、「だまる」には、

黙る、

以外に、

騙る、

とあてるものもあり(日本語源大辞典)、この「騙る」は、

真実や真意・本心を画して表に表さないでいる、ということで「黙」の意を持つ、

のに対し、「騙す」は、

弁舌らをふるうなどの積極的な働きかけをして欺く、

と180度意味が変わる(仝上)、とする。つまり、「だまる」の場合、

黙る、
騙る、

も、

知らぬ顔をする、

という含意なのに対して、「騙す」となると、

すかす、なだむ、

にしろ、

あざむく、

にしろ、「黙」の含意は消えている、ということらしい。

なお、「だます」が現れたのは、室町時代で、それ以前は、

いつはる、
あざむく、

が用いられていた、とある(日本語源大辞典)。

「だます」には、

騙し込む、

といういい方がある。この場合、

騙し込んで寸分も疑われない、

というように、

すっかりだます、

意で、

だまくらかす、

の先を行くのかもしれない。

なお、当てられている感じを見ておくと、「騙」(ヘン)は、

会意兼形声。「馬+音符扁(ヘン うすい、かるい、ひらひらする)」

とあり(漢字源)、「ひらりと馬に飛び乗る」意で、他に、「たばかる」という意がある。他に、

会意形声。「馬」+音符「扁」。「扁」は「戸(片開きの戸)」と「冊(木簡・竹簡を綴ったもの)」を合わせたもので薄く平らなものがひらひらとしている様を表す。元は馬にひらりと飛び乗るの意。「だます」の意は、16世紀の世俗書に見られるようになり、また、正字通に「今俗借爲誆騙字」とあることから、比較的新しい用字。「言葉巧みに偽る」の意を有する同音異声の「諞」を仮借したものか、

とするものもあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A8%99

「黙」(漢音ボク、呉音モク)は、

会意兼形声。「犬+黒(くらい、わからない)」

とあり(漢字源)、これだとよくわからないが、

会意兼形声文字です(黒(K)+犬)。「上部の煙出しにすすがつまり、下部で炎が上がる」象形(「くろい・物の動きがない」の意味)と「耳を立てた犬」の象形から、犬が黙って人についてくる事を意味し、そこから、「だまる」を意味する「黙」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji1451.html、由来がよくわかる。元の意は、「もだす」で、「口をきかないので意向がわからない」と、「だまる」「だます」に「黙」を当てた慧眼に畏れ入る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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かたる(騙る)


「だまくらかす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480711603.html?1616872311で触れたように。

騙る、

は、

だまる、

とも訓ませるが、

騙る、

は、

かたる、

とも訓ませる。「かたる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448623452.htmlで触れたように、「騙る」は、

語る、

と同根である。「語る」は、

相手に一部始終を聞かせるのが原義。類義語ツグ(告)は知らせる意。イフ(言)は口にする意。ノル(宣)は神聖なこととして口にする意。ハナスはおしゃべりをする意で、室町時代から使われるようになった語、

とある(岩波古語辞典)。

「だまくらかす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480711603.html?1616872311で触れたように、

騙る、

は、

真実や真意・本心を画して表に表さないでいる、

という「黙」の意を持つ、

なだめすかす、

意から、

弁舌らをふるうなどの積極的な働きかけをして欺く、

意へと転じていった。それは、

騙(だま)る→騙(かた)る、

と、「黙」の意が消えていくことと対比できる。

言葉を口に出す、という言い回しの、

「言う」「話す」「申す」「述ぶ」「宣る」「告ぐ」

については、「はなす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/448588987.html?1490905148で触れた。

「語る」と「はなす」の違いは、「はなす」は、

放す(心の中を放出する)、

の(大言海)に対して、「かたる」は、

事柄や考えを言葉で順序立てて相手に伝える。一部始終をすっかり話す、
筋のある一連の話をする、
節や抑揚をつけてよむ、朗読するように述べる、
親しくする、うちとけて付き合う、
(物事の状態や成行きなどが)内部事情や意味などをおのずからに示す、

等々(広辞苑)、

「タカ(型、形、順序づけ)+る」で、順序づけて話す、
か、
「コト(物事・事象)+る」で、世間話をする、物事を話す、

の二説(日本語源広辞典・大言海)あるが、

筋のある、
事柄や考えを言葉で順序立てて相手に伝える、

ところがポイントとなる。カタリベ、カタライベなどがあるので、随分古い言葉だとされているのだが、

物をカタルとかのカタル(語)が、ダマス(瞞、騙)に使われるようになって、近世になって、ハナス、に漢字の『話』を当てて生まれた語です、

とあり(日本語源広辞典)、「話」は、19世紀以後の当て字であり、

16世紀以前は、語る(カタル型+る)、語り(カタリ型+り)デアリ、ハナス、ハナシは使わなかった、

とある(仝上)。それは、「かたる」が、語るから、騙るへと意味を広げた、ことが背景にある。「騙る」は、

虚を語る(大言海)、
(巧みに話しかけて)だます(岩波古語辞典)、

という意味になる。虚実いずれにせよ、「騙る」も「語る」も、

筋の通ったことを相手に伝える、

ことであり、それが「かたる」ことである。

「語」(漢音ギョ、呉音ゴ)は、

会意兼形声。「吾」は、「口+五(交差する意)」からなり、音符「五」は、指事文字。×は、交差を表す印。五は、「上下二線+×」で、二線が交差することを示す。片手の指で十を数えるとき、→の方向で(親指から折って)五の数で、(今度は指を立てて、逆の)←方向に戻る、その転回点にあたる数を示す。で、「吾」は、AとBが交差して話しあうこと。後に、吾が我(われ)とともに一人称を表す代名詞に転用されたので、「語」がその原義を表すことになった。語は「言+音符吾(ゴ)」、

とある(漢字源)。だから「対話」の意であり、「論語」は、対話を整理した書の意となる(仝上)。別に、

形声文字です(言+吾)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「棒を交差にさせて組み立てた器具と口の象形」(「神のおつげを汚れから守る為の器具」の意味だが、ここでは、「互(ご)」に通じ、「交互する」の意味から「交互に言う・かたる」を意味する「語」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji199.html、解釈が違うが、「対話」では一致する。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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あざむく


「あざむく」は、

欺く、

と当てる(広辞苑)。

布施(ふせ)置きて吾は祈(こ)ひ祷(の)むあざむかず直に率(ゐ)ゆきて天路(あまぢ)知らしめ(万葉集)、

と、

だます、まどわす、

意と、

法師を見れども尊む心なし、若し教へすすむる人あれば、かへつてこれをあざむく(発心集)、

と、

あざける、そしる、

意と、

源氏どもにあざむかれて候はんは、誠に一門の恥辱でも候ふべし(平家物語)、

と、

あなどる、ばかにする、

意とがあり、他に、

近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり風にあざむくことたえず(後拾遺序)、

と、

(自動詞として)興に乗じて歌などを口ずさむ、

意があり、

雪を欺く御顔をもたげさせ給ひ、
昼を欺くばかりの明るさ(共に「のせ猿草子」)、

と、

……を欺く、

の形で、

……と間違える、……にひけをとらぬ、

の意でも使う(広辞苑)。

これを見ると、

だます、

意と、

あなどる、

意と、

あざける、

意とがまじりあっている。

あなどる、

あざける、

をほぼ同義の範囲とすると、

だます、
意と、
あなどる(あざける)、

意とに分かれる気がする。どうやらこれは語源と関わる。岩波古語辞典は、

アザはアザ(痣)・アザヤカ・アザケルのアザと同根。人の気持ちにかまわずどぎつく現れるものの意。ムクはブク(吹)の転。吹くは、自分の気持のままに、口から出まかせを言う意、

とある。このため、

近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり風にあざむくことたえず(後拾遺序)、

は、自分の気持ちのままに歌など口ずさむ、

の意にスライドしたと見ることができる。

アザケルやアザワラフのアザと、向くとの複合語(時代別国語大辞典-上代編)、

もほぼ同趣旨である(日本語源大辞典)。このアザは、

あざやか、

に当てる、

鮮、

ではなく、

痣、

である。「あざ(痣)」は、あばた、ほくろ、瘤なども含めており、和名抄には、

痣、師説阿佐(あざ)、

とあり、

瘤、アザ、肉起、

とある(文明本節用集)。

アザアザ・アザワラフ・アザケル・アザムク・アザヤカと同根、

とある(岩波古語辞典)。「あざあざ」は、

鮮々、

と当て、

はっきりしたさま、

である。「あざむく」とは意味が離れてしまう気がするが、「痣」と「あざやか」とは通じなくもない。

いま一つの説は、大言海の、

浅む、

を活用せしめた語、

というものである。

摘むが紡ぐとなる(酒水(さかみづ)く、鬘(かづら)く、枕(ま)く)、あさましく仕向くる意にもあらむか、

とする(大言海)。「浅む」は、

驚む、

とも当て、

あさみ笑ひ、嘲るものどもあり(更級日記)、

と、

人の行動を浅い、情けないと見下げる、軽蔑する、馬鹿にする、

意とともに、

人々見ののしり、あさね、さわぎあひたり(古本説話)

と、

余りの出来事にきれる、びっくりする、

意がある(岩波古語辞典・明解古語辞典)。これは、

浅(アサ)を活用して、アザムと云ふなり、あきれかえるに因りて濁る(淡(あは)む、あばむと云ふと同趣なり)、此語の未然形のアサマを形容詞に活用させて、アサマシと云ふ(勇む、いさまし。傷む、いたまし)。即ちあさましく思ふなり、あざ笑ふなり、

とあり(大言海)、この「あさ」は、

浅、

を当てる。

アサ(浅)の語根と、ムク(向)の複合語(俚言集覧)、
アサムカフ(浅向)の義(名言通)、

も同趣旨である(日本語源大辞典)。いま一つの説は、

アザ(交)ム+ク、つまり真偽をまぜあわせてだます、

と、「あさ」を、

交、

と当てる説である。この「あさ」は、

アザナフ・アザナハリ・アザハリ・アザヘなどのアザ、

で、

あぜ(校)の古形。棒状・線状のものが組み合う意、

である(岩波古語辞典)。しかし、この解釈は、

あざむく、

の「だます」意から逆算したような解釈ではあるまいか。

普通に考えると、

浅む、

から来たと考えたいが、しかし、「あさむ」は、

対象とする事物の属性や事態に処する自分の認識を「浅いとみなす」が原義か、

とあり(日本語源大辞典)、そこから180度意味を変えて、

人の行動を浅い、情けないと見下げる、軽蔑する、馬鹿にする、

意に転じるところまではよしとしても、「あざむく」の、

相手にあれこれと誘い掛け自分の思い通りにさせる、
相手に本当のことだと思わせる、

という(仝上)、

単なる自分の認識の意から働きかける意へ、

という飛躍があり、乖離がありすぎる。しかも「あさむ」は、

上代には適例がなく、「あざける」などからの類推で、江戸時代以降「あざむ」と言われた。しかし「あざむ」は、中世以前には確認できない、

とある(仝上)。つまり、

あさむ→あざむ→あざむく、

と転訛したとするには、万葉集にすでにみられる「あざむく」の由来の説明にはならない、ということなのである。

そこで、改めて、「あざむく」の「あざ」と同根とされる「あざける」をみると、

好き勝手な言葉を口にする、あたりかまわず勝手な口をきく、
ことばに出して射手をばかにする、相手を見下して物を言う、

の意だが、「観智院本名義抄」の「嗤・謾・欺」等々には、

あざける、
あざむく、

の二訓が含まれ、「色葉字類抄」には、「嘲・詐・謾・欺」等々も、二訓とある(日本語源大辞典)。前述の後拾遺の序文、

近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり風にあざむくことたえず、

では、八代集抄本では、

風にあざむく、

となっており、

あざむく、

あざける、

が同義に解されていた(仝上)、とある。となると、「あざむく」の、

見下す気持ち、

と、「あざける」の、

言葉に出して物を言う、

の意味が、「あざむく」で重なることはある。さらに、「あざける」には、

加持を参るに……侍女忽ちに狂ひて哭(な)きあざける。侍女に神つきて走り叫ぶ(今昔)、

というように、

好き勝手な言葉を口にする、
あたりかまわず、勝手な口をきく、

という意味があり、どうやら、「あざむく」の「あざ」は、

痣、

由来であり、

あざやか、
あざける、
あざわらふ、

に共通する「あざ」のようである。「あざむく」は万葉集の時代から使われる言葉だか、「あざける」とどこかの時点で意味が重なったようである。

「あざむく」に当てられた「欺」(漢音キ、呉音コ、慣用ギ)は、

会意兼形声。其(キ)は、四角い箕(ミ)を描いた象形文字。旗(四角い旗)や棋(キ 四角い碁盤)などに含まれて、四角くかどばった意を含む。欺は「欠(人が身体をかがめる)+音符其」で、角ばった顔をみせて、相手をへこませること、

とあり(漢字源)、「表面だけしかつめらしく見せておいて、実はごまかす」意である。他に、

形声文字です(其+欠)。「農具:(み)」の象形(「農具:箕・方形をして整っている」の意味だが、ここでは「期(キ)」に通じ(同じ読みを持つ「期」と同じ意味を持つようになって)、「まつ(末)」の意味)と「人が口を開けている」象形から、期待したものが、最終的に得られなくて、あいた口がふさがらない事を意味し、そこから、「あざむく」を意味する「欺」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1524.html

似た意味の漢字の使い分けは、

「欺」は、あなどりてだます義、大学「誠意者、毋自欺也」、
「瞞」は、ぱっとしたことを云ひてだます義、「謾」と同じ、
「誑」は、たぶらかすとも訓み、だまして迷わす義、

とある(字源)。「あざむく」に、「欺」の字を当てたのは、的確である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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あざやか


「あざやか」は、

鮮やか、

と当てるが、

「あざむく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480760102.html?1617131910で触れたように、「あざやか」の「あざ」は「あざむく」の「あざ」と同根とする説がある。

アザはアザ(痣)・アザケル・アザムク・アザワラフのアザと同根、人の気持にかまわず、どぎつく現れるものの意。アザヤカはすべて、際立って鮮明であるさま。類義語ケザヤカはケ(界)サヤカ(冴)で、二つの対比がはっきりし、物事のけじめがきっぱりしているさま、

とある(岩波古語辞典)。

「アザ」には、

交、

と当て、

アザナフ(糾)・アザナハル(糾)・アザハル(糾)・アザフ(叉)などのアザ、

であり、

あぜ(校)の古形、

で、

棒状・線状のものが組み合う意、

とある(仝上)。名義抄には、

糺縄、アザハレルナハ、

と載る。さらに、「アザ」には、

痣、

と当てて、和名抄に、

痣、阿佐、

とあるように、いわゆる「痣」を指し、さらに、

あばた・ほくろ・こぶ、

等の意でも使い、文明本節用集に、

瘤、あざ、肉起、

とある。この「あざ」が、

アザアザ・アザワラフ・アザケル・アザムク・アザヤカのアザと同根、

とされるのである(岩波古語辞典)。「アザアザ」は、

鮮々、

と当て、

明瞭、鮮明、

の意である。

「あざやか」の語源は、「あざ」の由来と関わり、ひとつは、

アザはアザ(痣)・アザケル・アザムク・アザワラフのアザと同根、

とする説で、

人の気持にかまわず、どぎつく現れるものの意、

とするものである(岩波古語辞典)。これは、

「アザ(痣)+やか」で、きわだって明白な色、美しさ、腕前を言います。一般に見た瞬間の強い印象を表し、舞など、動きが無駄なく、際立って上手だという印象を表現する言葉、

という説明が、「痣」との関連を強く主張している観がある。

いまひとつは、

「あざ(交)+やか(形容動詞化)」で、色を入り交えた美しさを言う、

とするもの(日本語源広辞典)で、これは、「あざむく」の、

アザ(交)ム+ク、つまり真偽をまぜあわせてだます、

と重ねる説(仝上)だが、二つの説明が、微妙に変えてあるのが、少し気になる。ただ、和訓栞が、

黒き色は、體に交じりたるを以て云ふ也(交(アザ)ふと云ふにや)、

しており(大言海)、「痣」の「あざ」と「交」の「あざ」が交叉しているのだが。

『大言海』は、「あざ」との関連を別に解釈し、

アは明くの語幹、明清(アサヤカ)ならむか、

とする。

アキラカ(明)ニ−サヤカ(和句解)、
アキ(明)サヤカ(和訓栞)、

も同趣旨になる。しかし、この意味なら、「痣」の「あざ」と重なるのではあるまいか。

「あざ」は「あざける」「あざむく」と同根で、心情表現に関わりなく強烈に現われることを言うか、

とあり(日本語源大辞典)、さらに、「あざやか」と同義の、語幹を同じくする、

あざ(鮮)らか、

という言葉は、

(殺した動物の肉の)新鮮で生き生きしているさま、

の意で用い(岩波古語辞典)、両者は使い分けられていた。

「あざらか」が魚肉などの鮮度を言うのに対して、「あざやか」は美的形容をもっぱらとしていたが、中世に、ヤカとラカの区別が薄れるにつれて、「あざらか」が消滅して、「あざやか」が新鮮の意味でもちいられるようになった、

とある(日本語源大辞典)。中古では、「あざやか」は、

衣装や調度の色彩のコントラスト、姿形、態度などの視覚的な鮮明さに用いる場合、



性格、態度、手腕などが際立っているなど、質的な価値判断をこめて人事に用いる場合、

とがあった(仝上)、とある。やはり、

コントラストの際立ち、

が原義なのではあるまいか。

「鮮」(セン)の字は、

会意。「魚+羊(ひつじ)」で、生肉の意味を表す。なまの、切り立ての、切りめがはっきりした等々の意を含む、

とあり(漢字源)、「鮮魚」というように、「生の魚」「生の肉」の意であり、そこから「新しい」という意味が派生した。その意味で「あざらか」に当てたのは的確であった。

別に、

会意文字です(魚+羊)。「魚」の象形と「羊の首」の象形から、新鮮さを求める魚や羊をあげて、「あたらしい」、「いきいきしている」、「生魚」、「生肉」を意味する「鮮」という漢字が成り立ちました。また、「尟(セン)」に通じ、「すくない」、「とぼしい」の意味も表すようになりました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji314.html、金文の文字を見ると、意味がよくわかる。やがて、「金文」の、

羊は上、魚は下、上下の結びついた構造は小篆の「鮮」という単語が左右の構造に受け継がれ、変更されています。楷書は小篆を受け継ぎ、左右合体した文字、

となっていく(https://asia-allinone.blogspot.com/2019/01/p5.html)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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たぶらかす


「たぶらかす」は、

誑かす、

と当て、

だます、まどわす、

意だが、

たぶろかす(誑かす)の転、

とある(岩波古語辞典)。これは、

「たぶる」の他動詞形、

とある。

タブル(狂)の未然形(たぶら)+カス(接尾語)、

という感じであろうか(日本語源広辞典・精選版日本国語大辞典)。

「たぶる」は、

狂る、

と当て、

気が変になる、
気が狂う、

意である(岩波古語辞典)。大言海は、「たぶる」は、

倒(たふ)るに通じるか、

としている。相手を狂わせる、という含意だろうか。

たぶる(狂)→だぶろかす→だぶらかす、

と転訛し、主体の「狂う」意から、相手を(狂わせて)「だます」意へと転化したことになる。

「たぶる」は、古い言葉で、万葉集に、

狂(たぶ)れたる醜(しこつ)翁の言だにもわれには告げず(大伴家持)

と使われる。

で、「誑かす」は、

たぶらかす、
たぶろかす、

と訓ませるが、また、

たらかす、

とも訓ませる。

涼しやと莚もてくる川の端〈野水〉
たらかされしや彳る月〈荷兮〉(曠野(1689))、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「たらす」は、

誑す、
欺す、

と当て(岩波古語辞典)、中世の和漢通用集に、

誑、たぶらかす、人をたらす也、

とあり、確か、秀吉は、

人たらし、

といわれたが、

うまいことを言ってあざむく、
だます、

という意の他に、

子供などをすかしなだめる(好色一代男「泣く子をたらし」)、

意がある(広辞苑)。「だまくらかす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480711603.htmlで触れた「だます」と似た使い方である。この含意だと、必ずしも、誉め言葉とは限らない。

誑し込む、

は、「たらす」を強めた言い方になり、まんまと騙した含意がある。

だまして手なづける、

意とし、

賺し込む、
蕩しこむ、

と当てている(江戸語大辞典)。

「あざむく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480760102.html?1617131910で触れたように、「誑」(漢音キョウ、呉音コウ)の字は、同義の漢字を

「欺」は、あなどりてだます義、大学「誠意者、毋自欺也」、
「瞞」は、ぱっとしたことを云ひてだます義、「謾」と同じ、
「誑」は、誑かすとも訓み、だまして迷わす義、

と使い分ける(字源)が、

会意兼形声。狂(キョウ)は、むやみにとびまわる犬のことで、むやみやたらに動く意を含む。誑は「言+音符狂」で、でたらめなことをいうこと、

とある(漢字源)。「欺誑(ギキョウ)」「誑誕」(キョウタン)などと使い、あざむく、誑かす意である。

因みに、「狂」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。王は二線の間にたつ大きな人を示す会意文字。また末広がりの大きなおのの形を描いた象形文字。狂は「犬+音符王」で、大袈裟にむやみに走りまわる犬。ある枠を外れて広がる意を含む、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(犭(犬)+王)。「耳を立てた犬」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかりの象形」(「王」の意味だが、ここでは、「枉(おう)」に通じ(同じ読みを持つ「枉」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、獣のように精神が曲がる事を意味し、そこから、「くるう」を意味する「狂」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1163.html。この方が「くるう」の意がとりやすい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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いつわる


「いつわる(いつはる)」は、

偽る、
詐る、

と当てる。

事実をゆがめる、
うそをつく、
だます、
あざむく、

といった意味である(広辞苑)。大言海は、自動詞の「いつはる」に、

偽る、
詐る、
佯る、
譎る、

を当て、他動詞「いつはる」に、

偽る、

をあてるという区別をしている。

平安初期までは、

更にうつはる人無し(允恭紀)、

というように、

うつはる、

の形もあったが、中期以降は、

事をいつはりて、物を盗めるなり(宇津保物語)、
いつはり飾りて名を立てんとす(徒然草)、

等々と、

いつはる、

だけが用いられるようになった(日本語源大辞典)、とある。平安後期の『字鏡』には、既に、

詐、伊豆波留、又、阿佐牟久、

とある(大言海)。で、大言海は、

古言、ウツハルの転、うつくしむ、いつくしむ。魚(うを)、いを。芋(いも)、うも、

と(大言海)、

うつはる→いつはる、

との転訛とする。『日本語の語源』も、

ウツワリ(偽、允恭紀)、
ウツワリゴト(偽事、欽明紀)、

であったのが、

u→i、

間の母音交替とみている。

この母交(母音交替)から見れば、「いつわる」の語源は、「うつはる」をもとに考えるほかはない。しかし、多くは、

イツイヒ(虚言)の約であるイツヒに助動詞アリが結合して、イツハリという語ができた(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イツハル(何時晴)の義(和訓栞)、
イツアル(何時有)の義(名言通)、
イツハル(言津張)の義、ツは休字(和句解)、
イツハル(言突張)の義か(日本語源=賀茂百樹)、
イツハル(稜威張)の義(俚言集覧)、

等々と、「いつはる」に合わせて語呂合わせをしている(日本語源大辞典)。「うつはる」由来として考えているものは、

ウツ(空虚、ウツロ)+ハル(張、動詞化)。内容のないこと、空虚なことを言う(日本語源広辞典)、
ウツホル(虚)の転声(和語私臆鈔)、
うつはり(空張)の意(言元梯)、

である。

虚言、
空事、

の意味でいえば、「うつ」は「虚」か「空」なのだろう。

「いつわる」に当てた漢字を見ておくと、「偽(僞)」(ギ)は、「いつわる」意だが、

会意兼形声。爲(為)の原字は「手+象の形」の会意文字で、人間が手で象をあしらって手なづけるさまを示す。作意を加えて本来の性質や姿をためなおすの意を含む。偽は「人+音符為(イ)」で、人の作意により姿を変える、正体を隠してうわべをつくろうなどの意。爲が、広く作為する→するの意となったため、むしろ僞にその原義が保存され、「人間の作意」「うわべのつくろい」といった意味が為のもとの意に近い、

とある(漢字源)。同趣だが、別に、

会意兼形声文字です(人+為(爲))。「横から見た人」の象形と「手の象形と象(ぞう)の象形」(「人が手を加えて作る」の意味)から、「人がつくりごとをする」、「いつわる」を意味する「偽」という漢字が成り立ちました、

とある(https://okjiten.jp/kanji1286.html)。

「詐」(漢音サ、呉音シャ)も、「いつわる」意だが、

会意兼形声。乍は刀で切れ目を入れるさまを描いた象形文字で、作の原字。物を切ることは人間の作意である。詐は「言+音符乍(サ)」で、作為を加えたつくりごとのこと、

とある(漢字源)。

「佯」(ヨウ)は、

形声。佯は「人+音符羊」で、外面の姿の意を含む。羊は音だけを示し、ここではひつじは意味に関係しない、

とある(仝上)。

「譎」(漢音ケツ、呉音ケチ)も、「いつわる」意だが、

会意兼形声。矞(ケツ)はややこしくいりくんだという意を含む。譎はそれを音符とし、言を添えた字、

とある(仝上)。

これら同義の漢字の使い分けは、

「僞」は、人爲にて、天真にあらざるなり、いつはりこしらへたるなり、虚偽・詐偽と用ふ、晉紀「太子有淳古之風、而末世多偽、恐不了家事」、
「詐」は、詐欺と連用す。欺き騙すこと誠実の反なり、説苑、貴徳「巧詐不如拙誠」、
「譎」は、権詐なり、正しからず、詐謀を設けていつはるなり、すべて言行器服などのあやしく異様なるをいふ。詭に同じ。「晉文公譎而不正」の如し、
「詭」は、譎に同じく、あやしくして正しからざる義。詭巧・詭変と用ふ。孫子「兵者詭道也」、
「佯」は、「陽」と同音同義。内心は然らずして、うはべをいつはるなり。史記「箕子佯狂為奴」、

とある(字源)。なお、「誕」(漢音タン、呉音ダン)も、「いつわる」意があり、

会意兼形声。延は、ひきのばすこと。誕は「言+音符延」で、むやみに引き延ばした空事。その音を利用して、旦(タン 隠れた日が地平に現われること)・蛋(タン 腹に隠れたたまごが外に出る、たまご)に当て、特に人間の赤子が世に出ることをいう、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(言+延)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「国や村の象形と立ち止まる足の象形と十字路の象形の左半分を取り出し、それを延ばした形」(「まっすぐ行く」の意味から、言葉を真実よりも越えてのばす事を意味)し、そこから、「いつわる」を意味する「誕」という漢字が成り立ちました。また、「のびる」の意味から、「生まれ育つ」の意味も表します、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji929.htmlが、

「言」と音符「延」を合わせて、言い延ばされた「でたらめ」が原義、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AA%95ので、元来、「虚誕」(おおげさなうそ)、「怪誕」(でたらめであやしい)などと使ったらしい。

それが、意味が変わったのは、『詩経』に、

誕彌厥月(誕(ここ)に厥(そ)の月を彌(を)へ)
先生如達(先づ生まるること達の如し)

という一説があり、ここから、「誕生」「生彖」という言葉が生まれ、「誕」が「うまれる」という意味で使われるようになった、とする説があるhttps://quizknock.com/tanjou

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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でっちあげる


「でっちあげる」は、

捏ち上げる、

と当てる。

証拠をでっちあげる、

というように、

ないことをあるようにつくりあげる、

つまり、

捏造、

の意である。それをメタファに、

報告書をでっちあげる、

というように、

間に合わせに形だけ整えてまとめ上げる、

意でも使う(広辞苑)。岩波古語辞典にも大言海にも載らない。比較的新しい言葉に思われる。大言海、江戸語大辞典に載るのは、

捏ちる、

と当てる、

でっちる、

である。「でっちる」は、

うなされて夜着のうえからでっちられ(明和四年(1767)「柳多留」)、

と、

こねる、
つくねる、

意である(江戸語大辞典)。この言葉は、今日ほとんど使わないが、広辞苑にも載る。

「捏」(漢音デツ、呉音ネツ・ネチ)は、

会意兼形声。旁(つくり)は「土+音符日」からなる形声文字で、ねばる土のこと。捏はそれを音符とし、手を添えた字で、粘土をこねること、

とあり(漢字源)、「こねる」意で、泥など、柔らかい物を手でこねる意から、「捏造」と使う(漢字源)。

捏造、

は、文字通り、

土などをこねて物の形を造る、

意で、それが転じて、

根も葉もない事実を構成する、

意で使う(字源)。わが国では、「捏造」を、

捏ち上げる、

という意味でも使うが、この「捏ち上げる」自体が、

「捏(デツ)」を活用させたことば(漢字源)、

とする説が主流である。たとえば、

捏造の「捏」が語源とされる。呉音「ねつ」漢音「ダツ」、その「捏」(デツ)が動詞化され、「捏ち上げる」となった(語源由来辞典)、
「捏つ(でつ)上げる」と言われていたものが、「でっちあげる」と変化していったhttps://yaoyolog.com/
漢音で「でつ」と読む。その「捏(でつ)」の読みが動詞化されることで「捏ち上げる(でっちあげる)」となり、「でっちあげ」が生まれたhttps://www.yuraimemo.com/1903/

等々、

デツ→でっちる→でっちあげる、

といった転訛を言っているらしいのである。本当にそうだろうか。

でっちる、

でっちあげる、

では少し意味に乖離がある。もし「捏」(デツ)の動詞化というのなら、

デツ→デツスル→デッツル、

といった転訛になるのではないか。憶説かもしれないが、

「捏(でつ)」の動詞化説、

はどうも承服しがたい。直接に、

「捏」の動詞化、

とするには、語感的にも意味的にも、飛躍がある。

隠語には、「でっちあげ」は、

丁稚上げる、

と当て、

無いことをあるように偽りつくること(捏造)、丁稚(職人や商人の家に奉公する少年、小僧)を一人前に仕上げる意から出た語、

とする説がある(隠語大辞典)。これを、「まったくの俗説」(語源由来辞典)と言い切るのはむつかしい。むしろ、

でつ→でっちる→でっちあげる、

自体がいかがわしい俗説に思われてならない。大言海は、「でっちる」を、

手抉(テクジ)るの転か、

としている。ただ、「抉(くじ)る」は、

うがつ、
えぐって中の物を取り出す、

意で、少し意味がずれる。それなら、

捏ねる、

とあてる「こねる」のほうが、意味がもっと近い。

粉末または土などを水に混ぜて固まるほどにこねる、

意で、漢字「捏」の意味とも重なる。

「こぬ(捏ぬ)」は、名語記に、

粉を水に和するをこぬと言へり、

とある(岩波古語辞典)。「こねる」の語源は、

粉練るの、口語調に成れる語なるべし、粉成す、粉熟(こな)れる、同趣の語なり、集韻「捏、乃結切、音捏(ネツ)」、増韻「捻聚(ひねりあつむる)也」、正字通「捏、同捻」、

とする(大言海)。他に、

コネル(粉煉・粉練)の義(日本釈名・和訓栞)、

も同趣旨。

コ(接頭語、小手で)+ネル(練る)(日本語源広辞典)、
コマネル(細練)の義(名言通)、
コネル(泥練)の義(言元梯)、

等々もある。文字通り「こねる」の同義、

捏、

を当てたところから、この漢字「捏」の音から、

デツする→デッツル→デッチル、

という言い回しが生まれたとするのなら、まだ納得できる。そう考えると、

でっちあげる、

という言葉は、江戸期にはなく、明治以後、それも昭和近くになってから生れた言葉ではないだろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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定家煮


「定家煮(ていかに)」は、

魚介を塩と酒だけで味付けした料理、

とある(広辞苑)が、

鯛などの淡白な魚を塩と酒(または焼酎)で煮る、

のをいう(たべもの語源辞典)、とある。文政五年(1822)の『江戸流行料理通大全』(八百善主人著)に、

焼酎と焼塩で味をつけ煮るを定家煮といふなり、

あり(たべもの語源辞典)、

潮煮の一種、

であるhttp://gogen.bokkurigoya.com/archive/006633.php。「潮煮」は、

ウシオニ、

と訓ませ、

鯛・かつおなどの魚介類を材料とした塩味の煮物。汁は通常の煮物より多めで、汁も味わう、

とあり(世界の料理がわかる辞典)、

うしお、
うしおじる、

などともいう。応永三二年(1425)の『看聞御記』に、

水車火の車にそ成にける池の魚をはうしをににして、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「定家煮」は、藤原定家の、

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしおの身もこがれつつ、

という歌にちなんで名づけられた、とも(仝上)、鎌倉時代の定家の名が、江戸時代に流行した料理に名づけられた、ということで、あくまで、

利休煮http://ppnetwork.seesaa.net/article/474289336.html
や、
祐庵焼http://ppnetwork.seesaa.net/article/479712626.html

等々と同じく、

定家好み、

ということから名づけられたともされる(たべもの語源辞典)。

しかし、天明五年(1785)の『万宝料理秘密箱』(一名「玉子百珍」)には、

骨付きの鶏を生醤油と酒で炒り煮する。おろし大根と山椒の粉、葱の五分切、にんにくを添えて、

とあるhttps://megutama.com/category/%E5%82%AC%E3%81%97%E5%A0%B1%E5%91%8A/%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%EF%BC%88%E5%82%AC%E3%81%97%EF%BC%89/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%96%99%E7%90%86/

『万宝料理秘密箱』は、その出版広告に、

たまご百色、鳥るい、川うをるいの料理、飯、汁、なます、ちよく、ひらさら、くはしわん、やきもの、すべて膳部一式、勿論、酒のさかな、すいものに至るまでたまご、一式にして、四季のこん立、くみあはせ、古来より、料理の書にいでざる珍らしき、仕立にて、いまだ人のしらざる、秘方伝受もの、并に当りうの作りものゝ、仕方をいづかたにても、とゝのひ安きやうに、くはしくかきしるしたる書なり、

とありhttp://codh.rois.ac.jp/edo-cooking/tamago-hyakuchin/、一名「玉子百珍」とも言われるように、

江戸時代後期には採卵を目的として鶏が飼育されはじめ、本書の刊行により卵料理は、当時の食生活のなかに広まっていった、

という(仝上)。本書には、103種の卵料理が記されている。

どうやら、当初の、

燒酎と燒鹽にて味を付煮る、

という(江戸流行料理通大全)、

定家好み、

云々は消えて、ただ「定家」の名のみ残った感じである。

こうした料理本は、江戸時代、

『料理物語』 著者・出版者不詳 寛永二〇年(1643)、
『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』 正・続篇 何必醇編 大阪 藤屋善七 天明二年(1782〜1783)、
『大根一式料理秘密箱』 著者不記 京都 西村市郎右衛門[ほか] 天明五年(1785)、
『甘藷百珍(いもひゃくちん)』  珍古樓主人編著 出版地・出版者不明 寛政元年(1789)、
『新撰包丁梯(しんせんほうちょうかけはし)』 杉野駁華著 大阪 浅野弥兵衛[ほか]享和三年(1803)、
『料理通(江戸流行料理通)』 初編〜4 編 八百善著 江戸 和泉屋市兵衛 文政五年(1822)〜天保六年(1835)、

等々ありhttp://hikog.gokenin.com/edonosyokubunka1.html、今日の料理本と同様に、

専門の料理人ばかりではなく一般読者をも対象とした読み物、

となっており、まず、

料理法、

次に、

遣ひ方、

つまり用途を記述し、

どのような場面、器がふさわしいかなども記述している(仝上)。いわば、

料理を楽しむ、

という、この時代の豊かさを反映している。

定家の名にちなんだものには、もうひとつ、

定家葛、

がある。

式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく命名である。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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じぶ煮


「じぶ煮」は、

熟鳧煮、
治部煮、

等々と当てる。

石川県金沢の郷土料理で、鴨肉の煮込みのこと、小麦粉をまぶした鴨肉を煮て、別に煮込んだ野菜や簾麩(すだれぶ)と共に山葵(わさび)を添えて供する、

とある(広辞苑)。「簾麩」(すだれふ・すだれぶ)というのは、

石川県金沢の名産品、特産品として知られる麩の一つ。グルテンに米粉を加えて練り、「すだれ」に包んで茹でたもの。生麩の一種。江戸時代から製造されている伝統的な加賀麩のひとつ、

であるhttps://japan-word.com/sudarefu。「じぶ煮」については、別に、

鴨肉(もしくは鶏肉)をそぎ切りにして小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒をあわせたもので鴨肉、麩(金沢特産の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮てできる。肉にまぶした粉がうまみを閉じ込めると同時に汁にとろみをつける。薬味はわさびを使う、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE。「熟鳧」と当てるのは、

鴨の煮込み、

の意だから、とある(仝上)。本来は、

小鳥を用いるとされ、その際は丸ごとすり潰してひき肉状にし、これをつくねのように固めたものを煮立てた、

とある(仝上)。そのためか、「熟鳧煮」は、

ツグミを用いた金沢地方の郷土料理、

ともある(たべもの語源辞典)。

ツグミは秋になるとシベリアから渡ってくる。主な捕獲地は南加賀の丘陵地帯、

で、このための、

霞網は加賀藩で考えられて発達した、

という(仝上)。今日は霞網による捕獲は禁止されているため、

鴨、

等々の鳥肉を使う(仝上)、とある。

鳧(フ)は、カモのことで、じふ煮は、鴨の皮を煎り、出したまりを加減して入れ、ジフジブといわせ、その身を入れて煮た料理、

とある(仝上)。「じぶ煮」には、

カモ(またはガン)の正肉を醤油で少し辛めに蒸し、焼麩千切り、ささがき牛蒡か山芋を少し入れて煎る。要するに醤油仕立てで、カモに限らず、焼麩・牛蒡・茸類を加えて煮たものを準麩(じゅんぶ)といった。ジブのことである、

とするもの(仝上)と、

煎鳥のようにして塩を強く塩梅して、煮汁少なく仕かけ、ジブシブと煎りつけるようにして出すもの、

とがある(仝上)、とする。

同じ「じぶ」という名称であっても、調理方法には変遷があった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE。加賀前田家に仕えた代々料理人が18世紀前期に書いた『料理の栞』には、

麦鳥(むぎどり)、

と呼ばれる、

雁・鴨・白鳥などの肉をそぎ切りにし、麦の粉を付けて濃い醤油味の汁で煮、ワサビを添える、

という料理があり、これが現在の治部煮に似ている、という(仝上)。また同書には、

「じぶ」あるいは「じゅぶ」、

という、

鍋に張った汁(醤油、たまり、煎り酒などを混ぜる)を付けながら鍋肌で焼き、汁を張った椀に5切れほど盛ってワサビを添えて出すカモの鍋焼き、

という料理があった、とされる(仝上)。上記の「じぶ煮」の二つのタイプは、それぞれの流れをくむものとみていい。

ただ、以後この二種類の料理が混同されて、19世紀前期までには従来の「麦鳥」のような料理が「じゅぶ(熟鳧)」と呼ばれるようになり、現在の「じぶ」につながる、

とある(仝上)。

「じぶ煮」という名の由来については、

じぶじぶと煎りつけるようにして作るhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE
ジブシブと煎りつけるようにして出す(たべもの語源辞典)、
ジブジフと音をさせて煮るhttps://mainichi-kotoba.jp/kanji-439

等々といった調理の仕方に関わる説や、あるいは、

カモに限らず、焼麩・牛蒡・茸類を加えて煮たものを準麩(じゅんぶ)といった。ジブのことである(仝上)、

といった料理内容に関わる説が順当だと思う(仝上)が、その他に、「じぶ」という名前の由来は諸説ある。

「じゅぶ」とは「熟鳧」(じゅくぶ)の略https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE
豊臣秀吉の兵糧奉行岡部治部右衛門が朝鮮から伝えた陣中料理(https://mainichi-kotoba.jp/kanji-439・たべもの語源辞典)、
石田三成(治部少輔)が考案した料理(仝上)、
高山右近が加賀にいた折に伝えた欧風料理だともされる(仝上)、

等々がある。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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つるべずし


「つるべずし」とは、

釣瓶鮨、

と当て、

馴鮨(なれずし)の一種、

で、

(奈良県の)吉野川のアユで作った早鮨、

である。

吉野川のアユを、下市(しもいち)で製し、釣瓶型の桶に入れ、藤蔓で桶と蓋を押さえつけてならしたもの、

とある(広辞苑)。

「なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨)」は、「すし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.htmlで触れたように、

塩漬けにした魚の腹に飯を詰め、または魚と飯とを交互に重ね重石で、圧し、よくなれさせた鮨、

である(広辞苑)。ただ、「飯鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.htmlで触れたように、

古い時代、鮨は、自然に酢味をもたせた魚ばかりのものであった。その後、早ずしとか一夜ずしといって飯を使って鮨をつくるようになったが、これは発酵作用のために飯を利用したもので、食べるのはやはり魚ばかりであった、

とあり(たべもの語源辞典)、飯は、捨ててしまったのである。つまり、

動物の生肉を塩と合わせ、それを飯の間に漬け、数日たつと飯が発酵して酸味を生じたものを食べた。…飯は食べずに、肉だけを食用とした(日本食生活史)、

冬場、雪に閉ざされる北海道や東北地方の港町ならではの食べ物で、冬の保存食として年末やお正月には欠かせない郷土料理として食べられてきました。魚をどのように美味しく保存できるのか考えられ開発されたのが「飯寿し」http://takemoto-suisan.com/user_data/whats.php

等々とあるように、あくまで主役は、魚であった。

古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く「すし」が出てくるが、

これは「馴れずし」で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために、飯を加えて漬けるようになったのは、慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで、江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり、散らしや握り鮨が生まれる、

とある(たべもの語源辞典)。飯を加えて漬けるようになったのはかなり新しい。因みに、「すし」は、

鮨、
鮓、

と当てるが、「鮨」の字は

魚の鰭、
うおびしお、魚のしおから、

を意味し、我が国でだけ、

酢につけた魚、
酢・塩をまぜ飯に、魚肉や野菜などをまぜたもの、寿司、

の意で使う。「酢」は、

塩・糟などにつけ、発酵させて酸味をつけた魚。たま、飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食、

で、これが、

なれずし、

の元の形になる。

この時代の、「すし」の「酢」と「鮨」の表記は、

『十巻本和名抄-四』に『鮨(略)和名須之 酢属也』とあり、『鮨』と『鮓』は同義に用いられていた可能性がある。ただし、飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で、魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている、

と(日本語源大辞典)、「鮨」と「鮓」は使い分けがなされていた可能性が高い。

歴史的には、「なれずし」の後に、「一夜鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475989654.htmlと呼ばれる「すし」が生まれてくる。「一夜鮨」には、

昔の「なれずし」の製法、
と、
酢をつかったものとの両義があり、

ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、

が古い形になる。

元来酢は鮒にあれ、鮎にあれ、其魚と飯とをまぜて、二三日或いは四五閧煬oて、なれて食するものなるを、一夜にてなれて食するより云ふ、

とある(大言海)。この「酢」は、飯の中に魚介類を入れて漬ける「鮨」を指す。江戸時代後期『嬉遊笑覧』には、

ムカシの酢は、飯を腐らしたるものにて、みな、源五郎鮒の酢の如し、早鮨とも、一夜ずしなり、料理物語、一夜ずしの仕様、鮎の酢を苞に入れ、焼火に炙りて、おもしを強くかくる、又は、柱に巻つけて、しめたるもよし、一夜にしてなるるといへり、

とある。寛永二〇年(1643)刊行の『料理物語』は、「一夜ずし」の仕様を、

鮎をあらひ、めしを常の鹽かげんよりからうして、うほに入れ、草づとにつつみ、庭に火をたき、つととともにあぶり、その上を、こもにて二三返まき、かの火をたきたる上におき、おもしを強くかけ候、又、柱に巻きつけ、強くしめたるもよし、一夜になれ候、

と書く。

つくりはじめて一日くらいで食べられる酢、

の意で、

はやすし、
なまなり、

とも言う(たべもの語源辞典)のである。ただ、「生成(なまなり)の鮨(鮓)」は、

十分な熟成を経ない半熟の鮨(鮓)ではあるが、飯を共に食するというものではなく、敢えて半熟状態のものを試みに賞翫するというもの、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、飯を食べる今日の鮨とは異なる。

「早すし」は、酢を用いるようになって以後の「すし」をも指すので、何に対して早いかの意味が、少しずつ変わる。ここで「一夜ずし」を「はやすし」というのは、

なれずし、

に対して言っている。時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かい、1600年代からは酢を用いた例が散見されるようになり、鮨に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司が誕生し、まさに、

早寿司(鮨)、

が生まれることになる(仝上)。この場合は、「早鮨」は、

一夜ずし、

よりも早い、ということを意味する。酢を用いるようになると、

魚は沖鱛ほどにひらりと大きく切って、二時間ほど酢につけておく。引き上げて水気がなくなるまで乾かし、飯をきれいにこしらえて、一段一段に並べ、おしをよくして、二、三日たったら出す。こしらえた翌日も食べることが出来る、

とあり(たべもの語源辞典)、ここで飯を食べるスタイルになっている。「釣瓶鮨」は、この段階の鮨になる。

酢でしめた鮎の腹にご飯を詰めて桶に入れ、フタをして上からぎゅっと押さえつけ、5日間ほどかけて発酵させたなれずしのことです、

とあるhttps://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1148/のはその意味になる。桶の形が、井戸で水を汲み上げるときに使う釣瓶に似ていることから、この名がついた。

「釣瓶鮨」は、

弥助鮨、
吉野鮨、

とも言うが、特に、

吉野川のアユは吉野山の櫻の花びらを食べて育つ、

といわれ、別名、

桜鮨、

とも言われた(たべもの語源辞典)。

釣瓶鮨は室町時代の、『石山本願寺日記』に下市別院からの到来物と記されるなど、日記類に散見されるが、有名になったのは、竹田出雲の歌舞伎狂言の、

義経千本桜(延享三年(1746))、

の三段目の「すし屋」で、

俗称すし屋に登場する釣瓶鮨屋弥左衛門のところに平維盛が世を忍んで弥助という変名で雇人になっている、

という場面である。だから、

弥助鮨、

とも呼ぶようになった(仝上・語源由来辞典)。

この芝居の舞台となった「つるべすし 弥助」は創業800年、今も実在する。代々「弥助」を名乗る主人も当代49代目とかhttps://www.kabuki-bito.jp/special/knowledge/todaysword/post-todaysword-post-233/

なお、「鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.html、「一夜鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475989654.html、「飯鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.html、「いなりずし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469221526.html、については、それぞれ触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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なじむ


「なじむ」は、

馴染む、

と当てる。

なれて親しくなる、

意である。それが転じて、

おなじみ、

というように、

馴染客の意でも使うし、メタファとして、

手になじんだ筆、

というように、

しっくりする、

意でも使う(仝上)。

なれしむの約、

とある(広辞苑・大言海)ので、

馴れ染むの義(日本釈名・柴門和語類集・国語の語根とその分類=大島正健)、

ということだろう(日本語源大辞典)。

馴れ親しむ(日本語原学=林甕臣)、
馴添(日本語源=賀茂百樹)、

は、「しむ(染む)」の意味の広がりからみて、別の文字を持ってくる必要はない。

「しむ」は、「しむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463683479.htmlで触れたように、

染む、
沁む、
滲む、
浸む、

と、使い分けるが、

染色の液にひたって色のつく意から、あるものがいつのまにか他の物に深く移りついて、その性質や状態に変化・影響が現れる意、

である(広辞苑)。だから、

色や香り、汚れが付く→影響を受ける、

意へと広がり、さらに、その価値表現として、

感じ入る、親しむ→しみじみと落ち着いた雰囲気→気に入る→馴染みになる、

の意に広がり、その価値が変われば、

こたえる、
痛みを覚える、

という意にまでなる。物理的な色や香りや汚れが付く状態表現から、そのことに依って受ける主体の側の価値表現へと転じた、ということになる。だから、出発は、

染む、

と当てた、染まる意である。岩波古語辞典は、「染み」「浸み」と当て、

ソム(染)の母音交替形。シメヤカ・シメリ(湿)と同根。気体や液体が物の内部までいつのまにか入りこんでとれなくなる意。転じて、そのように心に深く刻みこまれる意、

とする。

ソム(染)の母音交替形です。シム、シミル、シメルなどと同源(日本語源広辞典)、
ソムに通ず(日本語源=賀茂百樹)、

も同趣旨だが、

シム(入)の義(言元梯)、
物の中に入り浸る意のシヅクとつながりがある(小学館古語大辞典)、

も意図は同じである。「しむ」は、

しめ(湿)す、

と同根、つまりは、

ぬらす、

のと同じ意であった、と見られる。

「染」(セン、漢音ゼン、呉音ネン)の字は、

会意。『水+液体を入れる箱』で、色汁に柔らかくじわじわと布や糸をひたすこと、

で(漢字源)、染める意である。「しみじみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463638912.html?1547325377で触れたように、漢字「染」には、

しみる、
しみこむ、

という意や、しみじみのように、

心に深く感じ入る、

意はない。我が国だけの使い方である。別に、

会意文字です(+木)。「流れる水の象形と川が曲がって行き止まりになる象形」(「屈曲する穴の奥から流れ出る泉」の意味)と「大地を覆う木」の象形から、樹液などで「そめる」を意味する「染」という漢字が成り立ちました、

との説もあるhttps://okjiten.jp/kanji953.htmlが、あくまで「染める」意しかない。

「なる」は、「なれる」の文語形だが、

慣る、
馴る、
狎る、
熟る、
穢る、

等々と当てる(広辞苑・岩波古語辞典)。意味は幅広く、

物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、

とある(広辞苑)。そのことから、

たびたび経験して常の事になる、

意と、

たびたび行ってそのことに熟達する、

意となり、

馴染みになる(「馴る」と当てる)、
馴染んで打ち解ける(「狎る」と当てる)、

意となり、それをメタファに、

衣類などが体になじむ、

意となり、そこから、

使い古す、

意となり、そのメタファで、

よく熟成する(「熟る」と当てる)、

意となり、

使い慣れた万年筆、

というように、

馴染む、

意と重なる使い方もある。一般には、「なる」は、

慣る、

と当てるが、「慣」(漢音カン、呉音ケン)は、

会意兼形声。貫は、ひとつの線で貫いて変化しない意を含む。慣は、「心+音符貫」で、一貫したやり方にそった気持ちのこと、

とあり(漢字源)、「なれる」意から、「慣習」というように、「いつもおなじことをするならわし」の意である。別に、

会意兼形声文字です(忄(心)+貫)。「心臓」の象形と「物に穴を開けつらぬき通す象形と子安貝(貨幣)の象形」(「物をつらぬく」の意味)から、1つの物事を心の働きを方を通して、「なれる」を意味する「慣」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji845.htmlが、趣旨ほぼ同じである。ただ、漢字としては、

倣、
習、

と対比される。

「慣」は、ならひ、なるるなり、大載禮「習慣如自然」、
「倣」は、效と同じ。先例にまねびてならふなり、
「習」は、重也と註す。そのことを幾遍となく重ねてならひ熟するなり。論語「學而時習之」、

とある(字源)ので、「慣」は、「なれる」意はあるが、「習う」「倣う」の「なれる」のようである。意味として重なる部分はあるが、「ならう(倣・習)」ことで、「なれる」のと、「なれる(馴・熟・狎)」ことで「なれる」のとでは、プロセスが異なる。本来、「なじむ」の「なる」は、

「狎」は、なれなれしく、なじむ儀。禮記「賢者狎而敬之」、
「馴」「擾」は、鳥獣のひとになれるをいう。淮南子「馬先馴而後、求良」漢書「劉累學擾龍」、

と(仝上)、どちらかというと、「なれなれしい」いの「なれる(馴・狎)」であり、「なれる」に当てる字としては、意味が限定される。

「熟」(漢音シュク、呉音ジュク、ズク)は、

会意。享は、郭の左側の部分で、南北に通じた城郭の形。突き通る意を含む。熟の左上は、享の字の下部に羊印を加えた会意文字で、羊肉に芯を通すことを示す。熟は丸(人が手で動作するさま。動詞の記号)と火を加えた字で、芯に通るまで柔らかく煮ること、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「火」+音符「孰」、「孰」は「享」+「丸(←丮)」の会意。「享(古体:亯)」は「郭」の原字で、城郭の象形、「丮」は、両手で工事するさま。「孰」は城郭に付属して建物を意味していたが、音を仮借し、「いずれ、だれ」の意に用いるようになったため、元の意は「土」を付し「塾」に引き継がれた。古体は「𦏧」であり、「羊」が加えられており食物に関連。「享」が献上物をとおして、「饗」と通じていたことから、饗応のための食物をよく煮る意となったか。藤堂明保は、「享」に関して、城郭を突き抜けるさまに似る金文の形態及び「亨」の意義などから、城郭を「すらりと通る」ことを原義としていることから、熱をよく通すことと解している。なお、「亨」に「火」を加えた「烹」も「煮る」の意を有する、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%86%9F、さらに、

会意兼形声文字です(孰+灬(火))。「基礎となる台の上に建っている先祖を祭る場所の象形と人が両手で物を持つ象形」(「食べ物を持って煮て人をもてなす」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「よく煮込む」を意味する「熟」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji971.htmlが、あくまで「熟」は、「煮る」意であり、果物などが「熟す」意であるが、それをメタファに、「習熟」というような、手慣れている意もある(漢字源)が、

なじむ、

の意の「なれる」の意はない。「馴」(漢音シュン、呉音ジュン)は、

会意兼形声。「馬+音符川」で、川が一定の筋道に従って流れるように、馬が従い慣れる、

意で(漢字源)、「なれる」というより、「ならす」の含意が強い。

和語「なる」の語源は、

ナラス(均)・ナラフ(習)のナラと同根。物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、

とある(岩波古語辞典)ように、「ならう」も、

倣う、
習う、

と、

慣う、
馴う、

とを区別していない。たとえば、

ナレアフ(馴合)の義(日本語原学=林甕臣・菊池俗語考)、

というように、語源でも区別しない。だから、「なる(なれる)」も、

ナラフ(習)の義(和訓栞)、
ナラブ(並)の義に通ず。何となく事を繰り返して常となる意(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々。

「ならう(倣・習)」ことで、「なれる」

のと、

「なれる(馴・熟・狎)」ことで「なれる」

のとでは、プロセスが異なる。どうやら、語源的には、一緒くたに「なる」「なれる」である。和語のいい加減さをよく示している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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鉄火味噌


「鉄火味噌」は、

赤味噌に細かく刻んだごぼうや炒り豆、ねぎ、砂糖、みりん唐辛子などを混ぜてごま油で炒めた、

もので(広辞苑・ブリタニカ国際大百科事典)、

嘗味噌の一種、

だが、形状は、

カラカラに乾燥したものもあれば、ペースト状のものもある、

とし、

大日本帝国陸軍のレシピ集である「軍隊調理法」や大日本帝国海軍のレシピ集でも取り入れられていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%81%AB%E5%91%B3%E5%99%8C

「鉄火味噌」の名は、

豆味噌を使ったことから来ている、

とか(仝上)、

味噌を油で炒めると赤みの光沢が増すところからその名がつけられた、

とか(ブリタニカ国際大百科事典)、

心の凶悪無残な者、粗暴なる者、乱暴者、鉄火肌の者をいった、鉄火者の「鉄火」からきた、

とか(たべもの語源辞典)、いろいろある。

「鉄火」については、「いなせ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/414618915.htmlで触れたように、

鉄火場、

つまり博奕場である。だから、

鉄火打、
とか、
鉄火博奕、

というと、

玄人相手の博打打ち、

を指し、転じて、

博徒、

そのものを指した(岩波古語辞典・江戸語大辞典)。

しかし、「鉄火肌」の「鉄火」は、

鉄火(鉄が焼かれて火のようになったもの)

という意味から来ているので、気性の激しさを言っている。

「鉄火」http://ppnetwork.seesaa.net/article/436546704.htmlでも触れたように、「鉄火」には、

鉄を熱くして真っ赤にしたもの、
戦国時代に罪の有無を試すために、神祠の庭前で熱鉄を握らせたこと。炎苦に耐えず投げ捨てたものを有罪とした、
刀剣と鉄砲、
弾丸の発射の火、
鉄火打の略。博徒。また博徒のようにきびきびして威勢のいいさま、侠客風、
鉄火丼の略、
鉄火巻きの略、

等々の意味がある(広辞苑)。「鉄火丼」「鉄火巻」は別とすると、本来、

真っ赤に焼けた鉄、

を意味した(岩波古語辞典)。そして、

鉄が赤く焼けている様や鍛冶仕事の火花でもあるが、そこから鍛冶の中でも神事や武士との繋がりが強い、刀鍛冶・鉄砲鍛冶を指すようになり、ひいては刀・鉄砲を表す。またその使用時には刀も鉄砲も火花を散らす事も鉄火を意味するようになった。そこから戦場や戦という意味に転じ、戦(いくさ)や死を意味する修羅場、または勝負事(賭け事)という意味を持つようになった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%81%AB。「鉄火」には、中世・近世の日本で行われた神判の一種で、いつわりなければ熱鉄を握っても熱くないと、これを握って誠を誓う、

鉄火の誓言(せいごん)、

とか(江戸語大辞典)、相論の是非が定まらなかった場合に、神の判断を仰ぐ意図で、

相論の対象となる集団からそれぞれ代表者を指名し、代表者は精進潔斎の上に立会いの役人らの前で掌に牛王宝印を広げ、その上に灼熱した鉄(鉄片・鉄棒)を乗せて、それを歩いて神棚の上まで素手で持ち運びその完遂の度合いによって所属集団の主張の当否が判断された、

火起請(ひぎしやう)、
火誓(かせい)、
鉄火(てっか)、
鉄火起請(てっかきしょう)、

とかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%B5%B7%E8%AB%8Bというように、

鉄火を執る、

というのが、

善悪正邪の判定法、

で、

鉄火裁判、
鉄火の裁判、

とも言った。これは、古く熱湯に手をさし込んでその正邪を神にただした、

盟神探湯(くかたち、くかだち、くがたち)、

の遺風とみられる(大言海)。

そう考えると、「鉄火」には、ただ、鉄が熱せられたという意味だけではなく、真偽、成否、是非を明らかにする、というニュアンスが色濃くあるのではないか、そこから、鉄火場につながる意味の筋があるように思える。

昔は、武内宿禰と甘内宿禰とが争って、熱湯に手をさし込んでその正邪を神にただした、ということがありますが、鉄火を執るということは、戦国時代によく言った言葉で、天神地祇に誓って、火で真赤に焼いた鉄を掴み、それで火傷をしない方を勝とする、善悪正邪の争いの時、鉄火を執っても自分の主張の正しいことを見せる、なんていうことがあった。一か八か、神祇の罰利生を覿面に見ようとする。テキパキ片づくところから、「鉄火」という言葉を生じた、

とする(三田村鳶魚)には理由がある。とみると、

鉄火丼、
鉄火巻、
鉄火味噌、
鉄火鮨、
鉄火飯、

等々は、

鉄火肌、

の「鉄火」のもつ、いささか、

伝法な、
侠気のある、
無法な、
勇み肌、

といった含意を持たせているのではないか。しかし、

鉄火場で食べた、
鉄火場で調理した、

というのは(日本語源広辞典)、いささか穿ち過ぎではあるまいか。

まっとうではない、
堅気ではない、
身を持ち崩した、

が、どこか、

ことさら侠気を示そうとする、
人目につく、
あか抜けていき、

といった含意を込められているではないか。だから、たとえば、

マグロの切身とおろしたワサビを芯にして巻いた海苔巻き、

の「鉄火巻」は、

マグロをぶつ切りにして巻くところから、身を持ち崩したヤクザの意の鉄火洒落たもの(すらんぐ=暉峻康隆)、

という説になる(日本語源大辞典)。

醤油を加えて炊いた飯(あぶらげ飯を指す場合もある)、

の「鉄火飯」も、

芝海老の身をそぼろにして酢飯の上に掛けた、

「鉄火鮨」も、

鮨飯に、おろしたワサビとマグロの切身をのせ、焼きのりを散らした、

「鉄火丼」も、江戸時代の『皇都午睡(みやこのひるね)』に、

芝えびの身を煮て細末にし鮨の上に乗せたるを鉄火鮓(ずし)と云うは身を崩してという謎なるべし、

とあり(江戸語大辞典・日本大百科全書)、

鉄火者的なところがある、

という(たべもの語源辞典)含意なのだろう。「鉄火味噌」にも、たしかに、本道から外した趣が無くはない。

江戸時代の『春色恵の花』に、

「鉄火味噌(みそ)に坐禅(ざぜん)豆梅干」とあり、鉄火みそは江戸時代からあった。色が赤く、辛味がきいているものにも鉄火の名がつけられた、

とある(日本大百科全書)が、「鉄火味噌」の作り方には、微妙な違いがあり、たとえば、

フライパンで細かく刻んだ根菜をカラカラになるまで油で炒める。味噌を入れて再びよく炒め、全体がパラパラになるまで炒める、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%81%AB%E5%91%B3%E5%99%8Cし、

ごぼうは、みじん切りにする(あるいは、短いささがき)。生姜はすりおろす。鍋にオイルを入れて火にかけ、ごぼうを入れて炒める。おろした生姜の半量も加えて弱火で焦がさないように混ぜながら炒め、味噌を加えて炒める。調味料を加えて、弱火で味がなじむように炒める。黒練りごまと残りの生姜、豆を入れて全体になじむように混ぜて炒める。味を調えて火を止め、ごま油を混ぜて、器に入れ炒りごまをちらす

ともありhttps://shop.henko.co.jp/goma-recipe/%E9%89%84%E7%81%AB%E5%91%B3%E5%99%8C%EF%BC%81/、さらに、

胡麻油を熱して最初に大豆を煎って、次に牛蒡、蓮根をこまかに刻んで入れ、するめをこまかに刻んで、煎った麻の実、こまかくした唐辛子をいっしょに打ち込み、よく煎って、赤味噌を砂糖・酒で調味して加え、練って混ぜ、手早く煮あげる、

ともある(たべもの語源辞典)。ま、「鉄火」には、本道はない。ただ、

マグロを用いた料理に鉄火の名がしばしば使われているが、天保(てんぽう)(1830〜1844)中期以前にはすしにマグロは用いていない、

とある(日本大百科全書)し、

鉄火巻きの名称は明治以降、

また、マグロの角切りを丼(どんぶり)飯の上に置き、焼きのりをふりかけたものを鉄火丼(どん)と名づけたのは、

大正以後、

とみられる(仝上)とあり、「鉄火巻」は、大正十四年に出た『現代用語辞典』に、

通語の一、

とありhttps://japanknowledge.com/articles/asobi/16.html、まだ一般化していなかったとみられる。どうやら、「鉄火」な雰囲気だけで名づけただけで、「鉄火巻」の「鉄火」には深い意味はないようだ。

なお、「味噌」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471703618.html)については触れた。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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鉄砲焼


「鉄砲焼」は、

魚・鶏肉・タケノコに唐辛子味噌をつけて焼いた料理、

を指す(広辞苑)。

アユ・フナ・ハヤなどを丸のまま山椒味噌を塗って焼いたものは、

土蔵焼、

という(たべもの語源辞典)が、

魚の上に塗るのでいう、

とある(仝上)。「鉄砲焼」の作り方も同じだが、

唐辛子味噌、

山椒味噌、

の違いで、「鉄砲」の名は、「鉄炮和(あえ)」が、

ぶつ切りにしたゆでたねぎと、魚・貝などと辛子酢味噌であえたもの、

だが、この「鉄砲」の名は、

ぴりりと辛子がきくのから、

とも、

食べると葱の芯がポンと抜けるのが鉄炮に似ているから、

ともいうが、

唐辛子がきく、
とか、
辛子がきく、

から名づけたとする(たべもの語源辞典)。しかし、どうもこれは疑わしい。『料理談合集』(享和元年(1801)〜文化元年(1804))に、精進の「鉄砲焼」は、

筍を皮のまま生で根を切り離し、肉の節を抜いて、酒とたまり醤油をつぎ込んで、切り口を大根で塞いで。藁灰の中に入れて焼く。焼けたところを出して皮をむいて切る。中につぎ込んだ醤油が良くしみ込んで香味がよくなる、

とある、という(仝上)。この「鉄砲焼」は、

形が鉄砲に似ているから、

という。ここから「鉄砲焼」の名だけが引き継がれたのではないか。そうみれば、

食べると葱の芯がポンと抜けるのが鉄炮に似ているから、

とするのには意味がある。そう考えるには理由がある。

たとえば、「鉄砲漬」というものがある。千葉県内にはタケノコの鉄砲漬(筍の中にトウガラシ)、菜の花の鉄砲漬(瓜の中に菜の花。トウガラシなし)などなどいろいろな「鉄砲漬」があるが、正しい「鉄砲漬け」は、

白瓜の種の部分を抜き、ここにシソで巻いた 「青トウガラシ」を入れて醤油または味噌漬けにしたものです。発祥地は「千葉県成田」です、

とある(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO13914750Q7A310C1000000?page=2)。唐辛子の辛さが由来と思いたいが、

周りの白瓜を鉄砲の筒に見立てて、中に入っているシソ巻き青トウガラシを弾丸に見立てる、

ところから「鉄砲漬け」と言う(仝上)、とある。筍の節を抜いた筒状を、「鉄砲」と名づけたのと同じである。

「烏賊の鉄砲焼」というのもあるが、

青森県下北半島や石川県能登、富山等々の郷土料理、で、いかの足を細かく切り、これにわたとみそを合わせて胴に詰めて焼いたもの。輪切りにして食べる、

とあり、これも同じ見立てなのではないか、という気がする。「鉄砲和え」も、「からしが効く」からではなく、

ネギの芯 (しん) が抜けるのが鉄砲に似る、

ところからではないか(デジタル大辞泉)。

「鉄砲巻」は、

干瓢を芯にした細い海苔巻、

だが、これも、

形が鉄砲の砲身に似ている、

というのが名前の由来である(広辞苑)。

「鉄砲」は、

鉄炮、

とも当てるが、多くは大筒ではなく、小銃を指す。この形をなぞって、

鉄砲釜、

というものがある(岩波古語辞典)。

据え風呂・風炉に装着して火を焚く金属製の円筒、

である(仝上)。幕末の『守貞謾稿』にも、

銕炮風呂と号て桶中の側に銅筒を立る、内に銕簀を納る、銅筒無底にて火勢を助く、是には炭を専らとし希には薪にても焚之、

とある(江戸語大辞典)し、

たっぷりの湯に首までつかる「据え風呂」ができたのは、慶長年間の末ころ。据え風呂は蒸気や薬湯ではなく、井戸水を沸かして入れるので「水(すい)風呂」とも呼ばれ、一般の庶民の家庭に広まります。湯舟は湯量が少なく済むよう、人一人が入れるほどの木桶を利用。浴槽の内側の縁に通気口のついた鉄製の筒をたて、この中に燃えている薪を入れます。通気口から入る風で薪が燃え続け、鉄の筒が熱せられることによって湯が沸く「鉄砲風呂」が発明され、江戸の主流となりました、

とあるhttps://www.nasluck.co.jp/useful/bath/history/。関西では、桶の底に平釜をつけ、湯をわかす「五右衛門風呂」が主流だったらしい。

このように、多く「鉄砲」の名がつくのは、

砲身と弾丸、

に準えたもののように思える。ただ例外は、

鉄砲汁、

で、これは、

河豚汁、

を指す(広辞苑)。

鉄炮と名にこそ立てれ河豚(ふくと)汁(元禄十六年(1703)『たから船』)、

という句がある。

河豚は当たると死ぬ、

のが「鉄砲」の名の由来らしいhttps://japanknowledge.com/articles/asobi/16.html

曲がり鉄砲、

とも言うが、河豚の刺身を、

テッサ、

河豚のちり鍋を、

テッチリと言うのは、

鉄砲の刺身・鉄砲のちり鍋の略、

とある(仝上)。因みに、「鉄砲」には、

法螺、
嘘、

の意味があるが、江戸初期から使われ、

人を驚かすから、文化九年(1813)の式亭三馬『浮世風呂』にも、

「イヤイヤ、飛八さんの話はいつも鉄炮だて」

と使われている(仝上)。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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さしみのつま


「さしみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453881536.htmlの「つま」は、

妻、

と当て、

刺身や吸物などにあしらいとして添える、野菜・海藻などのつけあわせ、

であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%BE・広辞苑)、

主要なものを引き立てる軽く添える、

意として、

話のつまにされる、

等々とも使い、

ツマ、

とも表記し、

具、

とも当てる(仝上)。

「つま」は、「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1615959193で触れたように、

妻、
夫、
端、
褄、
爪、

と、当てて、それぞれ意味が違う。

爪、

と当てて、「つま」と訓むのは、「つめ」の古形で、

爪先、
爪弾き、
爪立つ、

等々、他の語に冠して複合語としてのみ残る。岩波古語辞典は、「つま(爪)」は、

端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ、

とし、

端、

は、

物の本体の脇の方、はしの意。ツマ(妻・夫)、ツマ(褄)、ツマ(爪)と同じ、

とする。その意味は、「つま(妻・夫)」を、

結婚にあたって、本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意、

つまりは、「妻」も、「端」につながる。さらに、「つま(褄)」も、

着物のツマ(端)の意、

とあり、結局「つま(端)」につながることになる。これだけなら簡単なのだが、大言海は、「つま(端)」を、

詰間(つめま)の略。間は家なり、家の詰の意、

とし、「間」には、もちろん、いわゆる、

あいだ、

の意と、

機会、

の意などの他に、

家の柱と柱との中間(アヒダ)、

の意味がある。さらに、「つま(妻・夫)」も、

連身(つれみ)の略転、物二つ相並ぶに云ふ、

とあり、また、「つま(褄)」も、

二つ相対するものに云ふ、

とし、

「つま(妻・夫)」の語意に同じ、

とある。

つまり、「つま」には、

はし(端)説、

あいだ説、

があるということになる。ただ、「つめ」だけは、大言海は、

端(つま)の意。橋端をハシヅメ、軒端をノキヅマと云ふ類、

とし、これのみ、

はし(端)説、

を採っているのが一貫しない気がするが。

当然、「つまようじ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444901278.htmlで触れたように、「つまようじ」の「つま」も、

はし(端)説、

あいだ説、

があり、

爪楊枝、

とともに、

妻楊枝、

と当てたりする。

はし、

関係(間)、

の二説、いずれとも決め手はないが、「さしみのつま」の「つま」の使われ方からすると、

物二つ相並ぶに云ふ、

意ではなく、

物の本体の脇の方、はし、

の含意がある。ただ、「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1477684696でも書いたが、上代対等であった、





の関係が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、

対の関係、

が、

つま(端)

になったように思われる。たべもの語源辞典は、「つま」の、

ツは連(ツラ)・番(ツガフ)のツ、
マは身(ミ)の転、

とし、「連身」説を採っている。因みに、

「あちこちに女を持つヤチホコ神に対して、『后(きさき)』であるスセリビメは、次のように歌う。
 やちほこの 神の命(みこと)や 吾(あ)が大国主
 汝(な)こそは 男(を)に坐(いま)せば
 うちみる 島の崎々(さきざき)
 かきみる 磯の崎落ちず
 若草の つま(都麻)持たせらめ
 吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば
 汝(な)を除(き)て 男(を)は無し
 汝(な)を除(き)て つま(都麻)は無し」(三浦佑之)

とあり、あるいは、ツマは、

対(つい)、

と通じるのではないか、という気がする。「対(對)」(漢音タイ、呉音ツイ)は、

会意。左側は業の字の上部と同じで、楽器を掛ける柱を描いた象形文字。二つで対をなす台座。對はその右に寸(手、動詞の記号)を加えたもので、二つで一組になるように揃える。また二つがまともにむきあうこと、

とあり(漢字源)、別の解釈では、

会意文字です(丵+又)。「上がノコギリ歯の工具(のみ)」の象形と「右手」の象形から王(天子)の命令である言葉に「こたえる」・「むきあう」を意味する「対」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji513.htmlが、呉音由来で、

二つそろって一組をなすもの、

である(漢字源)。『大言海』は、「つゐ(対)」について、

「むかひてそろふこと」

と書く。

「刺身につま」というときは、

具、

とも当てるが、その「つま」を分解すると、

けん、
つま、
辛味、

の三種となる(たべもの語源辞典)。「けん」は、

「間」か「景」の訛りかと思われるが確かでない。「けん」は「しきづま」と呼ばれるもので、白髪大根・胡瓜・ウドの千切り、オゴノリなど、

とあり、別に、「けん」とは、

「剣」であり、鋭く細長いの意です。「三寸」長さに切って食べやすくし、また彩りや造り身の脇役としても欠かせません。大根のけんは【白髪】と献立に書くのが普通です。大根以外にも、ウド、カボチャ、ジャガイモ、キュウリ、ニンジン、カブラなんかも使います。極千切りにして、刺身の横に剣のように立てて盛ります、

という説もあるhttps://temaeitamae.jp/top/t6/b/japanfood3.06.html。「つま」は、

芽ジソ、防風など前盛りとしてあしらうもの、

であり、「辛味」は、

ワサビ・ショウガなど、

を指す(仝上)。江戸時代の料理書には、「つま」に、

交、
具、
妻、

等々を当て、「具(つま)」には、

大具(おおつま)、
小具(こつま)、

があり、「交(つま)」は、

取り合わせ、
あしらい物、

の意であり、

配色(つま)、

とも書く(たべもの語源辞典)。こうみると、

主役と脇役、

は、対である。

料理のあしらいとして添えるもの、

と位置づけたのは、対から下がった「妻」の字の影響かもしれない。

参考文献;
三浦佑之『古代研究−列島の神話・文化・言語』(青土社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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つみいれ


つみいれ

「つみいれ」は、

摘入れ、
抓入れ、

とあてる(大言海・広辞苑)。約して、

つみれ、

とも言うが、「つみれ」は、

摘入、
抓入、

と当てる(広辞苑)。

魚の擂り身に卵・小麦粉・塩などをすり合わせ、少しずつすくい取り、ゆでたもの、

である(仝上)。鍋の具や汁の実とする。

少しずつ摘み取りて、汁に入れて煮たるもの、

とある(大言海)、「摘み入れ」から来たものかと思われるが、

つみいれかまぼこの略、

とあり、『江戸料理集』(1674)は、

すり身のつまみ取り方によって、つみいれを7種類にも分けている、

とあるhttps://www.excite.co.jp/dictionary/ency/content/%E3%81%A4%E3%81%BF%E3%81%84%E3%82%8C)。

うどんの抓入れ、

ともあるので、

捏ねたる小麦粉、

を、少しずつ摘み取りて入れたものもあったようである(大言海)。ただ、江戸語大辞典には、

魚肉を擂り潰し、少しずつつまみとって汁に入れて煮たもの、汁は味噌汁が通例、

と、魚肉になっている。高級品は、

スズキ、
キス、

を原料とし、一般には、

サバ、
アジ、
イワシ、

を用いる(たべもの語源辞典)、とある。始めたのは、文化七年(1810)の『飛鳥川』(八十九翁著)に、

筋違外(すじかいそと)の大丸という料理屋、

とある(仝上)。幕末の『守貞謾稿』によると、

「つみいれ」は京阪にはなかった、

らしく、昔は、

「うけいれ」といい、鯛肉すって小梅実の大きさにつくり、冬は味噌汁にこれを入れ、みぞれの吸物といった、

とある(仝上)。江戸では、「はんぺん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479729382.htmlと同じ品の魚肉で、四季ともに味噌汁に用い、粗製の膳に用いた、とある(仝上)。「うけいれ」は、

うけ煎(うけいり)、

ともいい、室町末期成立の『庖丁聞書』に、

タイのすり身を小梅ほどにまるめてゆでるもので、これを入れたみそ汁を冬は〈みぞれの吸物〉といった、

とある(世界大百科事典)。

「つみいれ」と似たものに、「つくね」があり、魚のすり身で作った物を、

つみれ、

鶏や豚などのひき肉で作った物を、

つくね、

と分けることもあるが、元々は調理法が違い、「つくね」は、

手で捏ねて形を整えた状態のもの、

「つみれ」は、

手やスプーンなどでつまみとった状態もの、

をいう(由来・語源辞典)とある。

「つみいれ」の「つむ」は、「摘む」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465356690.htmlで触れたように、

集む、
詰む、
摘む、
抓む、
積む、
切む、
齧む、

と当て分けているが、

摘む、

とあてる「つむ」は、

抓む、

とも当てる。

指先または詰め先で挟み取る、
つまみ切る、

意であるが、転じて、

ハサミなどで切り取る、刈り取る、

意でも使うし、

爪先や箸で取る、

意にも使う。更にそれに準えて、

摘要、

の意にも広げる。

「摘」(漢音テキ、タク、呉音チャク)の字は、

「会意兼形声。帝は、三本の線を締めてまとめたさま。締(しめる)の原字。啻は、それに口を加えた字。摘はもと『手+音符啻』で、何本もの指先をひとつにまとめ、ぐいと引き締めてちぎること」

とあり、「指先をまとめてぐっとちぎる、つまむ」意である。

「抓」(漢音ソウ、呉音ショウ)の字は、

「会意兼形声。爪(ソウ)は、指先でつかむさま。抓は『手+音符爪』で、爪の動詞としての意味をあらわす」

で、「つまむ、つかむ」意である。

「つむ」は、

つま(爪)を活用させた語、

である(広辞苑)。

指の先で物を上へ引っ張り上げる意。転じて、植物などを指の先で地面から採取する意、

ともある(岩波古語辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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つくね


「つくね」は、「つみいれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480975139.html?1618253464で触れたように、

魚のすり身で作った物を、

つみれ、

鶏や豚などのひき肉で作った物を、

つくね、

と分けることもあるが、元々は調理法が違い、「つくね」は、

手で捏ねて形を整えた状態のもの、

「つみれ」は、

手やスプーンなどでつまみとった状態もの、

をいう(由来・語源辞典)。

「つくね」は、

捏ね、

とも当て、

つくぬ(捏ぬ)、

からきている。

手でこねて丸める、

意で、

乱雑に積重ねる、

意もある(岩波古語辞典)が、

たばねる、

意もある(江戸語大辞典)。この口語体が、

つくねる(捏ねる)、

である。「つくねる」の語源は、はっきりしないが、

つか(束)ぬの訛りか、

とする説がある(大言海)。

上方語でツカネル(束ねる)をツクネル、

という(日本語の語源)ともあるので、意味から見ても、

ツカネル(つかぬ)→つくねる(つくぬ)、

と転訛したことになる。「つかねる」は、文語で、

つかぬ、

だが、

ツカ(束・柄)と同根、

とあり、

物を一つにまとめてくくる。ひとつにまとめたばねる、

意である。名義抄には、

束、ツカヌ、

とある。

握(つか)を活用せさする語(大言海)、
つかむ(掴)と同根(小学館古語大辞典)、

と、「つかむ」とつながり、「つかむ」は、

束・柄と同根(岩波古語辞典)、

と「つかぬ」に戻る。「つくぬ」の語源が、

束(つか)ねる、

からきていることを示している。「つかねる」は、

たばねる、

意の他に、

手をつかねる、

と、

手(腕)をこまぬ(ね)く、

と、傍観の意でも使うのが面白いが、「こまぬく」は、

拱く、

と当て、説文に、

拱、斂(おさむる)手也、

とあり、

両手を腹の上にて組み合す(敬礼なり)、

とある(大言海)、中国風の礼からきている。

「つくねる」は、また、

でっちる、

ともいう(大言海)。「捏ち上げる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480825365.html?1617476126で触れたように、「でっちる」は、

捏、

の字を当て、

こねる(こぬ)、

とも訓ませる。

粉や土などに水分を加えて練り混ぜる、

意で、名語記には、

粉を水に和するをこぬと言へり、

とある(岩波古語辞典)。これをメタファに、今日、

理窟をこねる、
ただをこねる、

というように、

筋の通らない理屈などを繰り返ししつこく言う、
とか、
無理なことをあれこれ言って困らせる、
とか、
あれこれと考えてみる、

等々(デジタル大辞泉)の意でも使う。これは、

つくねる、

とは別由来で、

コ(接頭語、小手で)+ネル(練る)(日本語源広辞典)、
粉練るの、口語調に成れる語なるべし、粉成す、粉熟(こな)れる、同趣の語なり(大言海)、

等々、その行為からきているようである。

「捏」(漢音デツ、呉音ネツ・ネチ)は、

会意兼形声。旁(つくり)は「土+音符日」からなる形声文字で、ねばる土のこと。捏はそれを音符とし、手を添えた字で、粘土をこねること、

とあり(漢字源)、「こねる」意で、泥など、柔らかい物を手でこねる意から、「捏造」と使う(漢字源)。その意味では、

こねる、
つくねる、
でっちる、

に当てたのには意味がある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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