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コトバ辞典


まねし

 

垣(かき)ほなす人の横言(よこごと)繁(しげ)みかも逢はぬ日数多(まね)く月の経(へ)ぬらむ(田辺福麻呂)

の、

逢はぬ日数多(まね)く、

は、

逢えない日が何日も積るままに、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、この、

数多(まね)し、

は、

多(まね)し、

ともあて、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

の、形容詞ク活用で、

数量や回数が多い、
度重なっている、
頻繁(ひんぱん)である、

といった意で(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)・精選版日本国語大辞典)、

朝鮮語manhi(多)と同源か、

ともある(岩波古語辞典)が、

朝言(あさごと)に御言(みこと)問はさず日月(ひつき)の数多(まね)くなりぬるそこ故に皇子(みこ)の宮亼(みやひと)ゆくへ知らずも(万葉集)、

では、

月日が積もり積もってしまった、

の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

矢形尾(やかたを)の鷹を手にすゑ三島野に狩(か)らぬ日まねく月そ経にける(万葉集)、

では、

猟をすることのない日がずっと続いた末に、

と訳し(仝上)、

一年二年爾不在、歳眞尼久(まねく)、傷(そこなへる)故爾(龍田風神祭祝詞)、

では、

あまねし、
ゆきわたりてをる、

意で、『大言海』は、この意味の変化を、

あまねし、

が、本来、

日月の打ち続きたるを云ふ語、

で、

度重なる、
しげし、

が転じて、

天下をも乱り、己が氏門をも滅ぼす人等麻禰久(マネク)在り(続日本紀)、

多し、

となり、更に転じて、

うらさぶる心さまねしひさかたの天(あめ)のしぐれの流れ合ふみれば(万葉集)、

では、

うら寂しい思いが胸いっぱいにひろがる、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、

ゆきわたる、
あまねし、

の意となった、としている。この、

さしまねし、

の、

さ、

は接頭語で、

さ利(と)し(聡)と同趣、

で(大言海)、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

の、形容詞ク活用で、

心には忘れぬものをたまさかに見ぬ日さまねく月そ経(へ)にける(万葉集)、

と、

逢えぬ日がずるずる続いて、

と訳す(仝上)ように、

数が多い、
たび重なる、

意である。

まねし(数多)、

と同義で、「厚み」「重み」「苦み」「赤み」「面白みに欠ける」「真剣みが薄い」等々のように、

形容詞または形容動詞の語幹に付いて名詞をつくる、

み、

がついて、

性質・状態の程度やその様子を表わす、

玉桙の道に出で立ち別れなば見る日さまねみ恋しけむかも(万葉集)

で、

お逢いできない日がずっと重なるので、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

さまねみ(数多)、

も、同義である。

「數」(@慣用スウ、漢音ス、呉音シュ、Aサク、B漢音ソク、呉音ショク)の異体字、

は、

数(新字体/簡体字)、𢿙(俗字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B8

「数」の異体字は、

數(旧字体/繁体字)、

で、

「數」の草書体に由来する略体、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B0。「数字」「奇数」等々「かず」の意、「命数」「数奇」など「めぐりあわせ」の意、「歴数」など天文や暦の意、「術数」などはかりごとの意等々は@音、「数罟(サクコ)」のように、こせこせしたさま、頻繁などの意はAの音、「数罟(ソクコ)」(目の細かい網)の場合は、Bの音、となる(漢字源)。字源は、

会意文字。婁(ル・ロウ)は、女と女とを数珠つなぎにした樣を示す会意文字。數は、「婁(じゅずつなぎ)+攴(動詞の記号)」で、一連の順序でつないでかぞえること、

とある(漢字源)。同じく、

会意文字です(婁+攵(攴))。「長い髪を巻きあげて、その上にさらに装備を加えた女性」の象形(「途切れず続く」の意味)と「ボクっという音を表す擬声語と右手の象形」(「ボクっと打つ、たたく」の意味)から、続けて打つ事を意味し、そこから「責める」、「かぞえる」を意味する「数」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji230.html

会意。旧字は數に作り、婁(ろう)+攴(ぼく)。婁は女子の髪を高く結(ゆ)いあげた形。これに攴を加えて、髪を乱すことを數(さく)という。数々として髪が乱れる意。女子を責めるときにその髪をうって乱したので責めることをいい、乱れてばらばらになるので数多い意となり、計数の意となる。〔説文〕三下に「計(かぞ)ふるなり。攴に從ひ、婁(ろう)聲」とするのは、後起の義。字もまた婁声ではない。計数の赴くところは必然であるから、世運や運命をも数という(字通)、

と、会意文字とするものもあるが、

形声。「攴」+音符「婁 /*RO/」。「かぞえる」を意味する漢語{數 /*sroʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B8

旧字は、形声。攴と、音符婁(ロウ、ル)→(ス、サク)+(ソク)とから成る。「かぞえる」意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、

と、形声文字とするものもある。

「多」(タ)の、異体字は、

夛、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A、字源は、「あはに」で触れたように、

会意文字。夕、または肉を重ねて、たっぷりと存在することを示す、

とあり(漢字源)、他も、

会意。「夕(=肉)」を重ねて数多いことを意味https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A

会意。夕の字を二つ重ねて、日数が積もり重なる、ひいて「おおい」意を表す。一説に、象形で、二切れの肉を並べた形にかたどり、物が多くある意を表すという(角川新字源)、

会意文字です(夕+夕)。「切った肉、または、半月」の象形から、量が「おおい」を意味する「多」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji156.html

会意。夕+夕。夕は肉の形。多は多肉の意。〔説文〕七上に「重ぬるなり。重夕に從ふ。夕なる者は、相ひ繹(たづ)ぬるなり、故に多と爲す」と夕・繹(えき)の畳韻を以て解する。また「重夕を多と爲し、重日を曡と爲す」といい、多・曡を夕・日を重ねる意とするが、多は多肉、曡は玉を多く重ねる意。宜の初文は、俎上に多(肉)をおいて廟前に供える意。曡はそれに玉飾を加える形である。宜の初形は、卜文・金文においては多に従う。牲薦の肉の多いことから、のちすべて繁多・豊富の意となる(字通)、

と、いずれも、会意文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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横言(よこごと)

 

垣(かき)ほなす人の横言(よこごと)繁(しげ)みかも逢はぬ日数多(まね)く月の経(へ)ぬらむ(田辺福麻呂)

の、

垣(かき)ほなす、

は、

高く目につく隔ての垣のように、

と注記し、

横言(よこごと)、

は、

よこしまごと、
中傷、

の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

横言、

は、

讒言に同じ、

とあり(大言海)、

よこしまごと、

要は、

わざと事実と相違することを言って、人を傷つける言葉、

つまり、

中傷(する言葉)、

である(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。

横言

を、

おうげん、

と訓ませると、

時真横言悉令露顕者哉(東寺百合文書)、

と、

わがままで、勝手気ままな言葉、
横暴な言葉、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。



で触れたことがあるが、

よこざま、

という言葉がある。

横様
あるいは
横方

と書く。当然ながら、

横の方向、
とか
横向き、

という意味だが、用例は、

諸の善人に於ては、横(ヨコサマ)に毀謗を生せり(「西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)」)
いかにかかる悪人をば横(ヨコサ)まには救ひ給ふぞ(「沙石集(1283)」)、

と、

正しくないこと、
普通ではないこと、
当然でないこと、
道理に背くこと、
よこしまなこと、

等々の意味で、どうもこの、

よこ、

という言葉には特別な意味があるように見える。因みに、漢字の「横」は、後述するように、

「木+横」で、中心線からはみだして広がる横木、勝手に広がる意を含む、

という意味で、多少「はみだす」という含意がなくもないが、和語「よこ」にはその意味が強い。

よこ、

は、

ヨキ(避き)と同根。平面の中心を、右または左に外したところ、またその方向の意。タテ(垂直)に対し、水平方向の意。転じて、意識的に中心点に当たらないようにする、真実・事実を避ける意から、「よこごと(中傷)」、「よこしま(邪悪)」等々、故意の不正の意に用いた。類義語「ワキ(脇)」は、中心となる者にぴったりと添ったところの意、

とあり(岩波古語辞典)、その語源には、

人が立つのに対し、「ヨコタフ」が語源で、体をヨコタエルのヨコ(日本語源広辞典)、
「ヨ(寄)+コ(方向)」で、正面に対して、「寄る方向」がヨコ。不正な方向、ヨコシマのヨコ(仝上)、
ヨコ(間所)の義(言元梯)、
ヨコ(避処・寄処)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ヨケ(除)の義(名言通)、
人が横になる意から、ヨノトコ(夜床)の義(和句解)、
ヤドトコ(宿別)の反、またイソキヨの反(名語記)、

等々とあるが、語源でははっきり見えないが、

よこ、

には、どこか、

当然でない、

という含意が透けて見える。本来、

タテ(正道)、

に対して、

ヨコ、

は、縦にするのを横に倒す、という喩から、もともと、

正しくない、

という意を含んでいた、とも見られなくもない。だから、たとえば、

よこ(横・緯)、

を、

年中、偽(うそ)とよこと欲とを元手(もとで)にして世を渡り(好色一代女)、

と、

故意に曲げること、

の意とするものもある(学研全訳古語辞典)。だから、

横、

を当てる言葉には、

横様雨、
横様斬り、

は、たた横向きを指しているだけだが、

横様の死、

は、横向きの含意はあるが、横様の死が、

横死、

の訓みで、文字通り、非業の死、というニュアンスで、

犬死、

というか、まっとうではない死に様を示している。ただ、

横様の幸い、

は、予期しない幸い、僥倖、というか棚ぼたである。想定外、とか、不意に、というニュアンスがある。「横死」の「横」にもそんな含意があるのかもしれない。

横矢、
横槍、

は、側面を、鑓や矢で突かれたことを意味しているから、そこにも、不意打ちのニュアンスがある。

しかし、考えると、

横言、
横道、
横訛り、
横飛び、
横恋慕、
横流し、
横好き、
横取り、
横紙
横車、
横槍
讒(よこし ヨコ(横)の動詞化 讒言)、

等々と、「横」のつく言葉は、横向きという以外は、ほとんど悪意か、不正か、当たり前でない、ことを示すことが多い。

横を行く、

と言えば、無理を通すだし、

横車、

も、横向きに車を押す、ことだから、理不尽さ、という意味合いを含んでいる。

横紙破り、

は、線維に沿って縦に破るのではなく、横に裂こうとする含意から、無理押しの意味が含まれる。

横板

で触れたように、

横板は、

木目を横にして用いる板、

をいい、

立板に水、

に対して、

横板に飴、

というのは、

横板に飴を抛付くるが如き、

という言い方もあり、

立板、

の、

立、

は、

縦、

の意で、鍵は、木目にある。

横板に雨垂れ、

は、

つかえながらする下手な弁舌、

つまり、

立板に水、

の逆、

横板に泥、
横板に餅、
立板に玉(豆)、

という言い方もある。

立板に飴、

といってもいいところを、

横板、

ということで、木目に逆らうという含意がある。これがわからないと、たぶん、面白さが半減するのかもしれない。

よこしま

は、

横しま、
あるいは、
邪、

とあて、

縦しまの対、

で(岩波古語辞典)、

「横+様」、yokosamaの音韻変化、yokosimaです。縦を正、横を不正と見た日本人の言語意識があります(日本語源広辞典)、
横状(よこさま)の転、さかさま(逆)、さかしまの類(大言海)、
ヨコサマ(横方・横様)の転(言元梯・名言通・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
ヨコシマ(横四魔)の義か(和句解)、

とある(「よこさま」は、元来は「よこさ」に接尾語「ま」の付いたもので、「さま」は「とさまかくさま」の「さま」とは異なり、「様」や「方」はあたらないとする説(精選版日本国語大辞典)もある)が、上述の、

縦を正、横を不正と見た日本人の言語意識(日本語源広辞典)、

というのが正鵠を射ている。

たて

は、

縦、
竪、
経、

とあてる(岩波古語辞典)が、どの辞書を見ても、

タテ(上下の方向、前後の方向)、
か、
縦糸(経 横糸は「ぬき」)、
時間の流れ、

といった意味しか載らない。語源は、

タチ、タツ(立)の義(言葉の根しらべ=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・国語溯原=大矢徹)
「タチ、タツ(立つ)」、立てた時の、上下の方向、距離の意(日本語源広辞典)、
タテ(竪)はタケ(丈)の義、タテ(経)はタチ(竪所)の義(言元梯)、
タチテ(立手)の義(名言通)、

等々とあるが、いずれも、

立つ、

と絡んでいる。

立つ

は、

自然界の現象や静止していめ事物の、上方・前方に向かう動きが、はっきりと目に見える意。転じて、物が確実に位置を占めて存在する意、

とある(岩波古語辞典)。この含意は、

立役者、

の「立」に含意を残している気がする。

立つ、

ということはそれだけで目立つことだったのに違いない。そこに、

ただ立ち上がる、

という意味以上に、

隠れていたものが表面に出る、

むっくり持ち上がる、

と同時に、それが周りを驚かす、

変化をもたらす、

には違いがない。

立つ、

には特別な意味が、やはりある。

引き立つ、
思い立つ、
気が立つ、
心が立つ、
感情が立つ、

あるいは、

忠義立て
隠し立て
心立て

という使い方もある(伊達も「取り立て」のタテから来ているという説もある)。そう思って、振り返ると、腹が立つ、というように、立つが後ろに付くだけではなく、

立ち会い、立ち至る、立ち売り、立ち往生、立ち返る立ち並ぶ立ち枯れ、立ち遅れ、立ち働く、立ち腐れ、立ち遅れ、立ち竦む、立ち騒ぐ、立ち直る、立ち退き、立ち通す、立ち回り、立ち向かう、立ち行く、立ち入り、立ち戻る、立ち切る、立ち居振る舞い、立ち代り、立ち消え、立ち聞き、立ち稽古、立ち込み、立ち姿、立ちどころに、立ち退き、立ちはだかる、立て替え、建て替え、立ち水、立ち塞がる、立待の月、立て板、立て付け、立て直し…。

「立つ」ことが目立つ、ある特別のことだというニュアンスが、接頭語としての「立ち」に波及している。しかし、

立場、立木、立つ瀬、建前、立て方、立ち衆、立行司、立て唄、立女形、立て作者、立ち役…、

と見ると、「立つ」には、特別な意味がある。詳しく調べたわけではないので、素人考えだが、「立つ」ことが、際立って重要で、満座が坐っている中で、立つことがどれほどの勇気がいることで、目立つことかと思い描くなら、「立つ」には、いい意味でも、悪い意味でも、目立つ、中心に立つ、という意味が込められている。

今日、立つこと、立っていることが当たり前になったとき、

立つ、

と同じような効果のある、振る舞いはなんであろうか。かつて、

立つ、

とは、

(おのれが)やる、

ということを主張するに等しかったとすれば、それと同じことは、いま、

よほど目立つことでなれければ、

誰にも気づかれぬことになるのだろうか。なお、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

横、ヨコザマ・ヨコシ・ヨコタフ・ホシイママ・キヌハリ・ミツ、

字鏡(平安後期頃)には、

横、ヨコサマ・ヨコサマナ・ヨコタフ・フサグ・カウサマ・ホシママ・キヌハリ・ミツ、

とある。

「」(漢音コウ、呉音オウ)の異体字は、

㶇、䊣、䌙、撗、横(新字体/簡体字)、穔、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%AB

「横」(漢音コウ、呉音オウ)は、

(繁体字)、

の異体字であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%AA。字源は、

会意兼形声。「黃(オウ・コウ)=黄)は、先端に動物の頭の脂肪(廿印)のついた火を描いた象形文字で、四方八方に発散する火矢の光を示す。は「木+音符黃」で、中心線からはみ出てひろがるよこ木。かつて広がる意を含む、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(木+黄(黃))。「人が腰に玉を帯びた象形」(「黄色」の意味だが、ここでは、「腰のよこに着ける帯玉」の意味)から「よこ」を意味する「横」という漢字が成り立ちました(「大地を覆う木」の象形はのちに付されました)https://okjiten.jp/kanji418.html

と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「木」+音符「黃 /*KWANG/」。「よこぎ」「かんぬき」を意味する漢語{ /*wraang/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%AB

旧字は、形声。木と、音符黃(クワウ、ワウ)とから成る。かんぬきの意を表す。転じて「よこ」の意に用いる。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、

形声。声符は黃(黄)(こう)。〔説文〕六上に「闌(さえぎ)る木なり」とあり、門に施すかんの木の類をいう。縦横の字には古く衡を用い、衡はくびき。牛馬の首に横にわたす木である。同声によって通用する(字通)、

と、形声文字としている。ちなみに、「黃」の字は、

「黄」(漢音コウ、呉音オウ)の異体字は、

黃(旧字体/繁体字)、𡕛(古字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BB%84

「黃」(漢音コウ、呉音オウ)の異体字は、

黄(新字体/簡体字)、

であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BB%83。字源は、

象形。火矢の形を描いたもの。上は、炗(光)の略体。下は、中央にふくらみのある矢の形で、油をしみこませ、火をつけて飛ばす火矢。火矢のきいろい光を表す、

とあり(漢字源)、他も、
象形。障害により上半身がふくれた人を象る。障害の一種およびそれをもつ人を指す漢語{尪 /*ʔwaang/}を表す字。のち仮借して「黄色」を意味する漢語{黃 /*waang/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BB%83

旧字は、象形。人が佩玉(はいぎよく)(腰に着ける玉器)を着けているさまにかたどる。佩玉の色から、きいろの意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

象形文字です。「人が腰に帯びた黄色い玉」の象形から「きいろ」を意味する「黄」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji138.html

象形。卜文の字形は火矢の形かと思われ、金文の字形は佩玉の形にみえる。いずれも黃の声義を含みうる字である。〔説文〕十三下に「地の色なり」とし、字は田と光とに従うもので、光の声をとるというが、卜文・金文の字形は光を含む形ではない。金文に長寿を「黃耇(くわうこう)」といい、黄は黄髪の意。〔詩、周南、巻耳〕「我が馬玄黃たり」、また〔詩、小雅、何草不黄〕「何の草か黃ばまざる」「何の草か玄(くろ)まざる」の玄黄は、ともに衰老の色である。黄を土色、中央の色とするのは五行説によるもので、その説の起こった斉の田斉(田・陳)氏の器に、黄帝を高祖とする文がある(字通)、

と、象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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さね

 

たち変り月重(かさ)なりて逢はねどもさね忘らえず面影(おもかげ)にして(田辺福麻呂)

の、

さね、

は、

打消と呼応する副詞、

で、

ちっとも、

の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、

さね、

は、もともと、

實、
核、

とあて、

真根(さね)の意(日本語源大辞典)、
サ(接頭語 真)+根(根本)、つまり「真の実の中心」が語源(日本語源広辞典)、
真根(さね)の義(故に、実(まこと)、又根本の義ともなる)。和訓栞、さね「核を訓むは、小根の義なるべし」。芽を生ずる原(もと)の意なり(種(たね)も田根の義、稻も飯根の約)、實は、身にて、核なり、肝要を、核子、骨子と云ふ(大言海)、
サネ(小根)の義(日本釈名・東雅)、
サ(佳)は美称、ネ(根)は本の意か(菊池俗語考)、
サは先、ネは根の義か(和句解)、
サタネ(小種)の義(名言通・和訓栞)、
タネ(種)と通じる(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々の語原説があるが、和名類聚抄(931〜38年)に、

核、(さね)、桃人、一名桃奴、毛毛乃佐禰(もものさね)、
核者、子中(このなか)之骨也、佐禰、

とあり、『大言海』は、

桃人、一名桃奴、

に注記して、

人は仁(にん)なり、和訓栞、さね「人の字を訓むは、人康(さねやす)親王の如し、子仁の義に因れる也」、

とする。

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

實、マサ・マコト・ミ・サネ・フサク・ミノル・ナル・ミツ・ミツク・ヨシ

とあるように、

果実の中心にある核(かく)、

を指し(岩波古語辞典)、瓜の核を、和名類聚抄(931〜38年)に、

瓣、宇利乃佐禰

とあり、

瓜ザネ、

という(大言海)。これが転じて、

是を山田大娘皇女(おほいらつめのひめみこ)と為。更の名は、赤見の皇女といふ。文稍に異(け)なりといへども、其の実(サネ)一なり(日本書紀)、

と、

物事の中心、本質となるもの、
根本となるもの、
真実、

の意として使い(大言海)、さらに、

大垣はさねばかりこそ残りけれ方なしとてもいへはあらじな(続詞花和歌集)、

と、

人や動物の骨組。また、土壁や障子などの芯(しん)にする骨組、

等々にも使う(精選版日本国語大辞典)。この、

さね、

が、

転じて、副詞として、

さね忘らえず、

のように、

真実、
本当に、

の意で、奈良時代、下に打消しの表現を伴い、

決して、
少しも、
心から、

の意で使い、

さね忘らえず、

は、

「忘る」の未然形+可能の助動詞「え」+打消の助動詞「ず」、

で、

ちっとも忘れられない、

の意だが、この用法は非常に稀で、万葉集以降の文献ではほとんど見られないようである。中古になると、

行きてみてあすもさね来むなかなかにをちかた人は心おくとも(源氏物語)、

と、否定を伴わず、

本当に、
必ず、

の意で使う。おなじ、

さね、

でも、

難波潟(なにはがた)潮干(ひほひ)に出(い)でて玉藻刈る海人娘子(あまをとめども)汝(な)が名告(の)らさね(万葉集)、

の、

尊敬・敬愛の意の助動詞「す」の未然形「さ」+あつらえの意の助詞「ね」、

の、

さね、

は、

相手にそうしてほしいと敬愛の意をもって希望するときに使う、

もので、

……してくださいな、

の意である(岩波古語辞典)。

「核」(漢音カク・呉音ギャク)の異体字は、

覈(繁体字)、𣝗(古字)、𱓯(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B8。字源は、

会意兼形声。亥(ガイ)は、ぶたのからだのしんにあるかたい骨組みを描いた象形文字で、骸(ガイ)の原字。核は「木+音符亥」で、木の実のかたい芯、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(木+亥)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「いのしし」の象形(「いのしし」の意味だが、ここでは「かたい」の意味)から、かたい木を意味し、そこから、「物事の中心」を意味する「核」という
漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1554.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。木と、音符亥(カイ)→(カク)とから成る。樹皮を編んで作ったかごの意を表す。借りて、「さね」の意に用いる(角川新字源)、

形声。「木」+音符「亥 /*KƏ/」。「果実のたね」を意味する漢語{核 /*gəək/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B8

形声。
声符は亥(がい)。亥は獣の骨骼の形で、堅核の意がある。〔説文〕六上に「蠻夷、木皮を以て篋と爲す。状、籢𭔿(れんそん)の如し」とあり、籢は鏡匣の意(字通)、

と、形声文字としている。

「實」(慣用ジツ、漢音シツ、呉音ジチ)の異体字 は、

实(簡体字)、実(新字体)、

であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%A6。字源は、

会意文字。「宀(屋根)+周(いっぱい)+貝(たから)」で、家の中に財宝をいっぱい満たす意を含む。中身がいっぱいで欠け目がないこと、また、真(中身がつまる)は、その語尾nが転じたことば、

とあり(漢字源)、同じく、

会意文字です(宀+周+貝)。「屋根・家屋」の象形と「方形の箱に彫刻がいちめんに施された」象形(「ゆきわたる」の意味)と「子安貝」の象形から屋内に財貨が「ゆきわたる・みちる」を意味する「実」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji493.html

会意。宀と貫(財宝)とから成り、家の中に財宝が満ちていることから、ひいて「みちる」、転じて「みのる」「み」の意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

会意。旧字は實に作り、宀(べん)+貫(かん)。〔説文〕七下に「富なり」とし、「貫を貨物と爲す」(段注本)とするが、宀は宗廟、貫は貝貨を貫き連ねた形で、貝を宗廟に献ずる意。その貫盈するところから、充実の意となる。金文の〔散氏盤(さんしばん)〕に鼎に従う字があり、また〔国差缶+・(こくさたん)〕の字は、上部が冖(べき)の形に近い。鼎中にものを充たして供える意ともみられる。充実の意から誠実・実行の意となり、その副詞に用いる(字通)、

と、すべて、会意文字とするが、その字解うち、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)による、

宀と貫(財宝)、

とする、

「宀」 + 「貫」の分析は誤りである。「貫(毌)」の金文を見ればわかるように「貫」は関係ないhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%A6

とし、

会意。「宀」+「周(玉器)」の原字 + 「貝」。家の中に宝物が満ち溢れるさまを象る。「みちる」を意味する漢語{實 /*dik/[字源 2]}を表す字、

を是とする(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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まにまに

 

和栲(にきたへ)の衣(ころも)寒(さむ)らにぬばたまの髪は乱れて国問(と)へど国をも告(の)らず家問へど家をも言はずますらをの行きのまにまにここに臥(こ)やせる(万葉集)

の、

臥(こ)やせる、

の、

臥(こ)ゆ、

は、

臥(こ)いまろぶ

で触れたように、

い/い/ゆ/ゆる/ゆれ/いよ、

と、自動詞ヤ行上二段活用で、

寝ころぶ、
横になる、

意である(学研全訳古語辞典)。由来は、

老い、老ゆ。悔い、悔ゆと同じ活用なり、此語、活用は違へど、崩(く)ゆ(下二段)に通ずと云ふ(蹴(く)ゆ、蹴(こ)ゆ)、崩(く)え横たわる意なり、一転して、こや(臥)る、くやるともなる(映(はゆ)、栄(はえ)る)、同義にして自動なり、崩(く)ゆも、くやすとなる、他動なれど、同じ趣きなり(臥ゆ、も、臥(こ)やすともなれど、是れは、敬語なり)(大言海)、
コヒ(臥)はコロビ(転)の転義(言元梯)、

とあるが、はっきりしない。ただ、

臥ゆ、

は、

「こい伏す」「こいまろぶ」など、連用形で複合動詞を作った形で用いられ、単独では用いられない、

とある(日本語源大辞典・学研全訳古語辞典)。

行きのまにまに、

は、

旅の途中で、

の意で、

まにまに、

は、

ままに、
任せて、

の意となり、

遠く故郷を離れたまま、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

行のまにまに(ゆきのまにまに)、

は、文字通りには、

しかすがに黙(もだ)もえあらねば我(わ)が背子が往乃万々(ゆきノまにまに)追はむとは千遍(ちたび)思へど(万葉集)、

と、

進むにまかせて、
また、
進み行くにつれて、

の意で(精選版日本国語大辞典)、

(あの方が)行った道筋通りに、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

まにまに 、

は、

「まにま」に格助詞「に」の付いた語、

で、

随に、
随意に、
儘に、
任に、

等々とあて(大言海・岩波古語辞典・広辞苑)、

連体修飾句を受け、全体が連用修飾句として、

副詞的に用いられ(精選版日本国語大辞典)、

儘(まま)に儘(まま)に、の約、

ともされ(大言海)、

他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意(学研全訳古語辞典)、
他人の意志や事態の成り行きに任せて行動するさま(デジタル大辞泉)、
行動の決定を他に任せて、他の意志や事態の成り行きに従うさまを表わす語(精選版日本国語大辞典)、

として、

大君の行幸(みゆき)のまにまにもののふの八十供(やそとも)の男(を)と出で行きし(万葉集)、

と、

……に任せて、
……のままに、

の意で、

天皇の行幸に付き従って、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

漕(こ)ぎゆくまにまに海のほとりにとまれる人も遠くなりぬ(土佐日記)、

では、

ある事柄が、他の事柄の進行とともに行われるさま、

の意で、

……とともに、
……につつれて、

の意で使い、さらに、後に、

この外に猫のよび名を、……主の随意(マニマニ)名づけ給へ(南総里見八犬伝)、

と、

思いのままに、
任意に、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

格助詞「に」を取った、

まにま、

は、

随、
随意、
儘、
任、

などとあて(大言海・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

マの一音に、任(ままに)の意あり、任(ま)くなど云ふ、疊みて、ママとも云ふ、下のマは、逢はずま、懲りずまのマに同じ、

とあり(大言海)、

他の意志や事態の成り行きに従うさま(精選版日本国語大辞典)、

をいい、

かにかくにと念ひさまたく事なくして教へ賜への末仁末(マニマ)奉侍(つかへまつれ)(続日本紀)、

と、

従って、

の意となる(仝上・岩波古語辞典)。なお、『大言海』のいう、

ま、

は、

大和はくにのまほらま(古事記)、
かへらまに君こそ我(わ)れに栲領布(たくひれ)の白浜波(しらはまなみ)の寄る時もなき(万葉集)、

と、

形容詞語幹・動詞の未然形・打消しの助動詞「ず」・接尾語「ら」などに接続して、状態を表す語、助詞「に」を伴って副詞的に用いられることが多い。また「かへらま」「かへらば」などマとバと音が共通する(岩波古語辞典)、
名詞、形容詞の語幹、動詞の未然形、打消しの助動詞「ず」などに付いて、そのような状態である意を表す。多く「に」を伴って副詞句をつくる(デジタル大辞泉)、
形容詞の語幹や名詞、動詞の未然形、打消の助動詞「ず」などさまざまな語について、そのような状態である意の体言をつくり、さらに助詞「に」を伴って副詞句をつくる。「とひとまに」「まほらまに」「ふつまに」「かえらまに」「逢わずまに」など(精選版日本国語大辞典)、

とあり、また、

任(ま)く、

は、

罷く、

とも当て(精選版日本国語大辞典)、

任(まか)すと同根、

とあり(岩波古語辞典)、

支配者が下の者に対し命令して行動させる意、

を表わし、

亦鍛地(かたしところ)を賜ふ。即ち土部職(はしのつかさ)に任(マケ)たまふ(日本書紀)、

と、

任命する、

意である(精選版日本国語大辞典)。で、

まにまに、

の用例は、

伊弉諾尊、悪(にく)むて曰(のたま)はく、可以任情(ココロノマニマニ)行(い)ねとのたまふて乃(すなは)ち逐(やらひや)りき(日本書紀)、

の、

心のまにまに、

は、

こころ(心)のまま、

の意、

こととはばありのまにまに都鳥都の事を我に聞かせよ(後拾遺和歌集)、

の、

有りのまにまに、

は、

ありのまま(有儘)、

の意、

大君の末支能末爾末爾(マキノマニマニ)執り持ちて仕ふる国の(万葉集)、

の、

まけ(任)のまにまに、

は、

まけのまくまく、
まきのまにまに、

ともいうが、

任命のままに、
任命にしたがって、

の意(精選版日本国語大辞典)で使う。もともとは、

奈良時代の口頭語、

で、「万葉集」や「続日本紀」宣命では「まにま」と「まにまに」が併用されている。用例からすると「まにま」の方が新しいが、

「まにま」から「まにまに」へ転じたとする説、
と、
「まにまに」から「まにま」へ転じたとする説、

とがある(精選版日本国語大辞典)。平安時代には、訓点資料で見ると、九世紀中頃より、

「まにまに」から「ままに」へ移行したと推察される、

とある(仝上)が、訓点資料では、

ほしきまにまに、
ほしきままに、

の形で使用されていて、「まにまに」や「ままに」の単独用法には乏しい(仝上)ともある。その後、「まにまに」は減少し、一二世紀初頭には歌の中でも使用されなくなり、「ままに」にとって代わられる(仝上)とある。

「随」(漢音スイ、呉音ズイ)の異体字は、

隨(旧字体/繁体字)、

であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%8F

会意兼形声。隋・墮(堕 おちる)の原字は「阜(土盛り)+左二つ(ぎざぎざ、参差(しんし)の意)」の会意文字で、盛り土ががさがさと崩れ落ちることを示す。随は「辶(すすむ)+音符隋」で、惰性にまかせて壁土がおちてとまらないように、時勢や先行者のいくのにまかせて進むこと、もと、上から下へ落ちるの意を含む、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(辶(辵)+隋)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「段のついた土山の象形と左手の象形と工具の象形と切った肉の象形」(「細かく割いてしなやかになった肉、くずれおちる」の意味)から、緊張がくずれたまま行く事を意味し、そこから、「言いなりになる」、「従う」を意味する「随」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1695.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

形声。意符辵と、音符隋(スイ)とから成る。「したがう」意を表す(角川新字源)、

形声。旧字は隨に作り、隋(ずい)声、隋は祭の余肉。〔説文〕二下に「從ふなり」とし、墮(堕)(だ)の省声とする。墮は祭肉を埋めて地を祀る下祭の儀礼。神の在る所に従って祀る意。随時随所、神の在るところに従って祀るので、随従の意となる。わが国では「随神」を「神(かん)ながら」とよむ(字通)、

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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