|

コトバ辞典
しなが鳥安房に継(つ)ぎたる梓弓(あづさゆみ)周淮(すゑ)の珠名(たまな)は胸別(むなわ)けの広き我妹(わぎも)腰細(こしぼその)のすがる娘子(をとめ)のその姿(なり)の(万葉集)、
の、
周淮(すゑ)の珠名娘子(をとめ)、
は、
土地の美女の名。伝説的女性らしい、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。似た伝承の、下総の、
真間手児奈(真野手児名 ままのてこな)、
については触れた。
しなが鳥、
は、
かいつぶりか、
とし、
ここは「安房」(千葉県南部)の枕詞、
だが、
かかり方未詳、
とする(仝上)。
梓弓、
は、
「周淮」の枕詞、
で、
「末」の意、
とする(仝上)。
我妹(わぎも)、
は、
主人公への愛称、
として使っている(仝上)とある。
胸別(むなわ)け、
は、
乳房の胸が張り出した女、
とある(仝上)が、
さを鹿の胸別(むなわけ)にかも秋萩の散り過ぎにける盛(さか)りかも去(い)ぬる(萬葉集)、
と、
鹿などが胸で草などを押し分ける、
のが原意で、転じて、
胸、
胸の幅、
の意とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
乳房の胸が張り出した女、
というのは、かなりの意訳で、
胸の広い、
と訳す方が自然な気がする(https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=1738)。
すがる、
で触れたことだが、
すがる娘子、
は、
じが蜂のすがれのように腰の細い娘子、
をいい(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
すがるをとめ、
は、
須軽娘子、
蜾蠃少女、
蜾蠃娘子、
とも当て、
じがばちのように腰細(こしぼそ)でなよやかな美しい少女、
をいう(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、細腰の美女、
珠名娘子(たまなおとめ)、
の形容で、その、
珠名娘子(たまなのいらつめ)、
を、『万葉集』で、高橋虫麻呂が、
しなが鳥安房に継ぎたる梓弓末の珠名は胸別けの広き我妹(わぎもこ)腰細の蝶嬴娘子(すがるをとめ)のその姿(かほ)のきらきらしきに花のごと笑みて立てれば玉桙の道行く人はおのが行く道は行かずて呼ばなくに門(かど)に至りぬさし並ぶ隣の君はあらかじめ己妻(おのづま)離(か)れて乞はなくに鍵さへ奉(まつ)る人皆のかく惑へればたちしなひ寄りてぞ妹(いも)はたはれてありける、
と歌っている、
珠名、
は、
豊かな胸とくびれた蜂のような腰を持つ晴れやかな女性、
で、これを、
蝶嬴娘子(すがるおとめ)、
と呼び、
花が咲くように微笑み、立っていれば、道行く人は自分の行べきであった道を行かず、呼ばれもしないのに珠名の家の門に来た。珠名の家の隣の主人は、あらかじめ妻と別れて、頼まれないのに予め自分の家の鍵を珠名に渡すほどであった。男たちが皆自分に惑うので、珠名は、たとえ夜中であっても、身だしなみを気にせずに、男達に寄り添って戯れた、
という伝説に登場している(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%A0%E5%90%8D%E5%A8%98%E5%AD%90)。
すがる、
は、
蜾蠃、
と当て、
じがばち(似我蜂)の古名(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・大言海)、
ジバチの異称(広辞苑)、
また、
はち(蜂)の異名(精選版日本国語大辞典)、
草木の花に睦(むつ)れて、露を吸う虻の類までを云ふ(大言海)、
広く蜂や昆虫の総称(岩波古語辞典)、
ともあり、
すがれ、
ともいう(広辞苑)。
じがばち科。じがばち。蜂。体長2センチ程の狩人ばち。蝶や蛾の幼虫を捕え地中の穴にたくわえる。黒色。腹部はくびれて細長く、赤色の帯がある。どろで巣をつくる、
とある(https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_yougo&pkey=20072)。
ジガバチ、
は、
似我蜂、
細腰蜂、
と当て、
雌は幼虫の餌シャクトリムシなどを捕えて地中の穴に貯え、産卵後、穴をふさぐ、
が、
獲物を運ぶとき羽音がじがじがと聞こえ、他の虫を自分の巣に入れて似我似我と言い聞かせて育てると考えた、
ところから、
ジガバチ、
の名がついたという(精選版日本国語大辞典)。
すがる、
以外に
こしぼそばち、
じが、
とも呼ばれ(仝上)、
すがる、
という名の由来も、
鳴く聲を名とせる(大言海)、
とする説がある。
胸別(むなわけ)、
は、多く(広辞苑・岩波古語辞典・大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
胸分(むなわけ)、
と当てる名詞で、上述したように、
鹿などが草木を胸で押し分けて行くこと、
だが、この動詞が、カ行下二段活用の、
胸分(むなわ)く、
で、
大夫(ますらを)の呼びたてしかばさを鹿の牟奈和気(ムナワケ)ゆかむ秋野萩原(万葉集)、
と、
鹿などが、草を胸で押し分ける、
意である(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
「胸」(漢音キョウ、呉音ク)の異体字は、
胷、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%B8)。字源は、
会意兼形声。もと匈と書く。凶の字の凵印がくぼんだ穴をあらわし、×印はその中にはまりこんで交差してもがくことをあらわす。匈(キョウ)は、空洞を外からつつんださま。胸は「肉+音符匈」で、中に空洞をつつみこんだむね。
肺のある胸郭はうつろな穴である、
とある(漢字源)。同じく、
会意形声。肉と、匈(キヨウ)(むね)とから成る。「むね」の意を表す。「匈」の後にできた字(角川新字源)
会意兼形声文字です(月(肉)+匈)。「切った肉」の象形と「胸に施された不吉を払う印(しるし)と人が腕を伸ばして抱きかかえ込んでいる象形」(「むね」の意味)から、「むね」を意味する「胸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji282.html)、
と、会意兼形声文字とするが、他は、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%B8)、
形声。「肉」+音符「匈 /*KONG/」。「むね」を意味する漢語{胸 /*hong/}を表す字(仝上)、
形声。声符は匈(きよう)。匈は胸の初文。〔説文〕九上に匈を正字とし、「膺(むね)なり」と訓する。凶は死者の胸部に呪飾として×形の文身を加えた形。兇はその人、匈は側身形、胸は胸部をいう字。膺はおそらく抱擁の雍(よう)声をとる字であろう(字通)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
さし並ぶ隣の君はあらかじめ己妻(おのづま)離(まか)れて乞(こ)はなくに鍵さへ奉(まつ)る人皆(ひとみな)のかく惑(まと)へればたちしなひ寄りてぞ妹(いも)はたはれてありける(萬葉集)
の、
鍵、
とは、
財産を収める櫃の鍵、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
たちしなふ、
は、
立ち撓ふ、
とあて、
しなやかに立つ、
なよやかに立つ、
といった意(精選版日本国語大辞典)だが、ここでは、
物腰をしなやかにして寄りかかり、
と訳し、
(妹は)たはれてありける、
は、
(この女(ひと)は)はしたなく振舞うてばかりいたという、
と訳し、この、
ゾ……ケルは傳誦的事実を語り聞かせる語法、
とする(仝上)。
ける、
は、
過去の助動詞「けり」の連体形、
で、
しく、
で触れたように、動詞・助動詞の連用形を承ける、過去の助動詞、
けり、
は、
「き(来)」に「あり」が結合したもの、
とも、
過去の助動詞「き」に「あり」が結合したもの、
ともいわれ(精選版日本国語大辞典)、
けら・○・けり・ける・けれ・◯、
と活用し(精選版日本国語大辞典)、
事態の成り行きがここまできていると、今の時点で認識する、
という意味が基本であり、
この花の一節(ひとよ)のうちは百種(ももくさ)の言持ちかねて折らえけらずや(万葉集)、
と、
そういう事態なんだと気づいた、
という意味で、
……ていたのだな、
……たのだな、
と、
気づいていないこと、記憶にないことが目前に現れたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現することが少なくない、
とあり(岩波古語辞典)、
けり、
が、
詠嘆の助動詞、
とされる所以である。ただ、
世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり(万葉集)、
と、
見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにしたとき、
や、
遠き代にありけることを昨日(きのふ)しも見けむがごとも思ほゆるかも(万葉集)、
と、
真偽は問わず、知らなかった話、伝説・伝承を、伝聞として表現するとき、
にも用いる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。だから、
けり、
の場合は、
気づいた事態や筋道は目の前に存在したり、ありありと意識されたりすることを表わす、
が、
けらし、
の場合、それらは、
直接には確かめることができないので、存在する可能性が述べられるに止まっている、
という違いがある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、同じ過去の助動詞
き、
は、基本、
人言(ひとごと)を繁(しげ)みこちたみ逢はずありき心あるごとな思ひわが背子(万葉集)、
と、
「き」の承ける事柄が、確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは、自己の体験であるから、「き」は、
「……だった」と自己の体験の記憶を表明する場合が多い、
とある(仝上)。しかし、自分の経験しえない、また目撃していない事柄についても、
音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領布(ひれ)振りきとふ君松浦山(きみまつらやま)(万葉集)、
と、
みずから目撃していない伝聞でも、自己の記憶にしっかり刻み込まれているような場合には、「き」を用いて、「……だったそうだ」の意を表現した、
とある(仝上)。係助詞、
ぞ、
は、古くは、
そ、
と、清音で、文中にある場合、
畝火山昼は雲とゐ夕されば風吹かむと曾(ソ)木の葉さやげる(古事記)、
時々の花は咲けども何すれ曾(ソ)母とふ花の咲き出来ずけむ(万葉集)、
と、
文中の連用語や条件句を受け、指示強調する。結びの活用語は連体形となる、
とあり(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、上記訳(伊藤博訳注『新版万葉集』)の解釈とは異なり、
ぞ、
は、あくまで、
強意、
であり、
けり、
に、
はしたなく振舞っていたという、
と、
……たという、
の意味が込められているとみるべきなのだろう。
たはる、
は、
戯る、
狂る、
淫る、
とあて、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
と、
自動詞ラ行下二段活用
で、天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、
淫、放逸也、戯也、私逸也、、多波留、
字鏡(平安後期頃)に、
淫、遊逸也、戯也、太波留、
戲、ツハモノ・メス・ホトコス・ハタ(タハ)ブル・オヨク・モテアソブ・ヲヒク、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
淫、たはる、
戲、タハブル・タハブレ・オヨク・モテアソブ・メス、
狂、ヨギル・マドフ・クルフ・タハブル・タフル・モノグルヒ・イツハル、
などとある。
たはる、
は、
たはぶる(戯)・たはし(淫・戯)と同根、常軌を逸した行為をする意(岩波古語辞典)、
とあり、
たはし(淫・戯)、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
字鏡(平安後期頃)に、
妷、樂虚也、淫也、耽也、太波志、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
淫、タハシ、
とあり、
タハケ・タハル(戯)と同根、女性関係に常軌を逸している(岩波古語辞典)、
意になる。
たはぶる(戯)、
は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
戯、タハブル、
字鏡(平安後期頃)に、
謔、戯也、太波夫留、
とあり、
タハケ・タハル(戯)と同根、常軌を逸したことをする、ふざけた気持ちで人に応接する意(岩波古語辞典)、
相手に面白半分の態度で接する意(広辞苑)、
タは発語、ハフルは放逸(はふ)るの義(大言海)、
という意味から見ると、
たはる→たはし→たはぶる、
と、性的な含意が捨象されて、
ふざける、
意にシフトしていくように見える。本来、
け/け/く/くる/くれ/けよ、
の、自動詞カ行下二段活用の、
たはく(戯・姧)、
は、
王母(こきしのいろね)と相婬(タハケ)て、多に行無礼(ゐやなきわさ)す(日本書紀)、
と、
正常でない、また常識にはずれたことをする、
意で、特に、
みだらなことをする、
ふしだらな行ないをする、
意で、
たわし(戯)る、
ともいい、それが、後に、
五日前より奥に夫婦並んでじや、たはけたことぬかすまい(浄瑠璃「傾城反魂香(1708頃)」)、
と、
たわむれる、
ふざける、
ばかなことをする、
意へとシフトしている(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この連用形の、名詞化が、
たはけ(戯)、
で、
正常でない、また常識にはずれて行為をすること、
で、特に、
みだらな行為、許されない性的行為をする、
意で、
タハル(婬)タハブル(戯)と同根、常軌を逸したことをする意(岩波古語辞典)、
タハム(戯)と同語(猫も杓子も=楳垣実)、
タハフレケの略(物類称呼・俚言集覧)、
タは接頭語、ハケが語根で理に昧い意のワケナキからか(俗語考・神代史の新研究=白鳥庫吉)、
等々とあり、こうした、
たは-し
たは-く
たは-ぶる
等々の語の意味の幅を考えれば、
たは-る、
もまた、冒頭の、
斯く迷(まと)へればうちしなひよりてそ妹は多波礼(タハレ)てありける(万葉集)、
の、
異性にみだらな行為をする。男女がいちゃつく。浮気心で男女が関係する(精選版日本国語大辞典)、
みだらな行為をする。色恋におぼれる(学研全訳古語辞典)、
みだらな行為をする(デジタル大辞泉)、
というよりは、はっきりと、
異性と不倫な関係を結ぶ(岩波古語辞典)、
意から、
ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ(徒然草)、
と、
他を忘れて一途にそれにふける。おぼれて馬鹿のようになる。熱中する、
意、多く、
色恋におぼれる意で用いる、
へシフトし、
おほやけざまは少しはたれて、あざれたる方なりし(源氏物語)、
と、
謹厳さを欠く、砕けた態度をとる、
意、さらに、
秋くれば野べにたはるる女郎花(をみなへし)いづれの人か摘(つ)まで見るべき(古今和歌集)、
と、
遊び興ずる。無心に遊ぶ。たわむれる、
意へと移っていく。今日での、
ふざける、
たわむれる、
という意に重なっていくようである。なお、
あざる、
は、
立ちあざる、
で触れた。
「戯」(@慣用ギ・ゲ、漢音キ、呉音ケ、A漢音呉音キ、B漢音コ、呉音ク)の異体字は、
戏(簡体字)、戱(俗字)、戲(旧字体/繁体字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%AF)、
「戲」の異体字は、
㪭、戏(簡体字)、戯(新字体)、戱(俗字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B2)。「戯言」等々、たわむれ、ふざける意や、「戯曲」の場合@の音、「戯下の騎」のように、大将の旗の意の場合、Aの音、「於戯(ああ)」と、ため息の意の場合はBの音、となる(仝上)。字源は、「立ちあざる」でふれたように、
形声文字。「戈(ほこ)+音符虚(コ)」。説文解字は、ある種の武器で我(ぎざぎざの刃のあるほこ)と似たものと解する。その原義は忘れられ、もっぱら「はあはあ」と声を立てて、おどけ笑う意に用いる、
とある(仝上)。他も、解釈は異なるが、
形声文字です(虚+戈)。「虎(とら)の頭の象形と頭がふくらみ脚が長い食器、たかつきの象形」(「虚(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「虚」と同じ意味を持つようになって)、「むなしい」の意味)と「にぎりのついた柄の先端に刃のついた矛」の象形から、むなしい矛、すなわち、実践用ではなく「おもちゃの矛」を意味する「戯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1321.html)、
形声。戈と、音符䖒(キ)とから成る。出陣前に軍舞をすること、借りて「たわむれる」意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、
と、形声文字とするが、
会意。旧字は戲に作り、䖒(き)+戈(か)。䖒は〔説文〕五上に「古陶器なり」とするが、その器制も明らかでない。䖒は虎頭のものが豆形の台座に腰かけている形。それに戈で撃ちかかる軍戯を示す字であろう。金文の〔師虎𣪘(しこき)〕に「嫡として左右戲の繁荊を官𤔔+司(司)せしむ」とあり、「左右戲」とは軍の偏隊の名であろう。〔左伝〕に「東偏」「西偏」の名があり、〔説文〕十二下に「戲は三軍の偏なり。一に曰く、兵なり」とし、字を䖒声とする。「左右戲」の用法が字の初義。麾・旗と通用し、麾下をまた戯下という。戯弄の意は、虎頭のものを撃つ軍戯としての模擬儀礼から、その義に転化したのであろう。敵に開戦を通告するときに、〔左伝、僖二十八年〕「請ふ、君の士と戲れん」のようにいうのが例であった。嶷・巍と通ずる字で、〔玉篇〕に「山+戲は嶮山+戲、巓危きなり」とあり、山巓の険しいさまをいう(字通)、
と、会意文字とするものもある。
「淫」(イン)の異体字は、
婬、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B7%AB)。字源は、
会意兼形声。㸒は「爪+壬(妊娠)」会意文字(音 イン)で、妊娠した女性に手をかけて色ごとにふけること。淫はそれを音符とし、水を加えた字で、水がどこまでもしみこむことをありらわす。邪道に深入りしてふけること、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(氵(水)+爪+壬)。「流れる水」の象形と「手を上からかぶせ下にある物をつまみ持つ象形と、はた糸を巻き付けた象形(織物を織るときに持続的に提供される機糸の意味から、「持続的に耐える」の意味)」
(「手を差し出し求め続ける」の意味)から、降りすぎの雨を意味し、そこから、「度を超す」を意味する「淫」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2034.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。水と、音符㸒(イム)とから成る。水に「ひたす」、ひたる、転じて、度を過ごす意を表す(角川新字源)、
形声。「水」+音符「㸒 /*LƏM/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B7%AB)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
春の日の霞(かす)める時に住吉(すみのえ)の岸に出(い)で居(ゐ)て釣舟のとをらふ見ればいにしへのことぞ思ほゆる(万葉集)
の、
とをらふ、
は、
波のまにまに揺れる、
意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
とを、
は、
タワの転、
とあり(広辞苑)、
揺れ動く、
揺れる、
意である(仝上)。で、
とをらふ、
は、
撓らふ、
とあて、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、冒頭の、
墨吉(すみのえ)の岸に出(い)でゐて釣り船のとをらふ見れば古(いにしへ)の事そ思ほゆる(万葉集)、
と、
揺れ動く、
たゆとう、
意である(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。東歌の、
行(い)こ先に浪な等恵良比(トヱラヒ)後方(しるへ)には子をと妻をと置きてとも來ぬ(万葉集)
の、
とゑらふ、
は、
とをらふ、
の転と見られる(精選版日本国語大辞典)とある。
とをらふ、
の、
とを、
は、
トヲム(撓)・トヲヲ(撓)のトヲ、
とあり(岩波古語辞典)、
秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも(万葉集)、
の、
とをを(撓)、
は、
タワワの母音交替形、
で、
たわむさま、
の意、
沖つ波撓(とを)む眉(まよ)引(び)き大船(おおぶね)のゆくらゆくらに面影にもとな見えつつ(万葉集)、
の、
とをむ(撓)、
は、
たわむの母音交替形(岩波古語辞典)、
トヲはタワの転(大言海)、
で、
うねりたわむ、
しなう、
意、
あぢ群(むら)のとをよる海に舟浮(う)けて白玉(しらたま)採ると人に知らゆな(万葉集)、
の、
とをよる(撓寄)、
の、
とを、
は、
タワの母音交替形(岩波古語辞典)、
タワの転(大言海)
で、
しない寄り添う、
たおやかである、
の意、で、冒頭の、
住吉(すみのえ)の岸に出(い)で居(ゐ)て釣船のとをらふ見ればいにしへのことぞ思ほゆる(万葉集)、
の、
とをらふ(撓)、
の、
とを、
も同様で、
とを、
は、
たわ、
の転である。
たわ、
は、
タワム(撓)・タワワのタワ、
で、
たわむ(撓)、
たわやか、
たわやめ(撓や女)、
たわわ(タワタワの約)、
の、
タワ、
さらに、
たをたを(タワタワの母音交替形)、
たをやか(タヲはタワの母音交替形)、
の、
タヲ、
ともつながる。さらに、
とゐ波、
で触れた、
とゐ、
は、
上二段動詞「とう」の連用形から(精選版日本国語大辞典)、
撓(たわ)むの「たわ」と同源(広辞苑)、
とをを(撓)と同根、トヲヲは「たわわ」の母音交替形(岩波古語辞典)、
などとあり、
とう、
は、
自動詞ワ行上二段活用、
の、
畝火山昼は雲登韋(トヰ)夕されば風吹かむとぞ木の葉さやげる(古事記)、
と、
うねり動く、
動揺する、
意で(精選版日本国語大辞典)、
撓(たわ)む、
の、
たわ、
と同源となる。
たわ、
は、
撓、
と当て、
タワム(撓)・タワワのタワ、タヲリと同根、
とあり、
山の多和(タワ)より御船を引き越して逃げ上り行でましき(古事記)、
と、
山の尾根などのくぼんで低くなった所、
山の鞍部(あんぶ)、
をいい、
たをり、
たを、
ともいい、それをメタファに、
忘れずもおもほゆるかな朝な朝なしが黒髪のねくたれのたわ(「順集(983頃)」)、
と、
枕などに押されて髪についた癖、
をもいう(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
足引の山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝も多和多和(たわたわ)に雪の降れれば(万葉集)
の、
タワタワの略、
が、
たわわ、
で、
撓、
と当て、
折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわにおける白露(古今和歌集)、
と、
実の重さなどで木の枝などがしなうさま、
をいい(広辞苑)、その
たわわの母音交替形、
の、
とをを、
は、
秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも(万葉集)、
と、
たわみ曲がるさま、
の意である(岩波古語辞典・広辞苑)。また、
ををる、
で触れた、
ををる、
も、
ら/り/る/る/れ/れ、
と活用する、自動詞ラ行四段活用で、
撓る、
生る、
と当て(学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
いっぱい茂り合う(岩波古語辞典)、
花や葉がおい茂って枝がしなう、また、枝がしなうほど茂る(精選版日本国語大辞典)、
(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる(学研全訳古語辞典)、
たわむほどに茂る(デジタル大辞泉)、
と、微妙に意味にずれがあるが、
いっぱい茂り合い→(花や葉の重みで)枝がしなう、
という意味の変化だろうか。ただ、
春去者花咲乎呼里(ハナサキヲヲリ)秋付者丹之穗尓黄色(ニノホニニホフ)味酒乎(ウマザケヲ)(春されば花咲きををり秋づけば丹(に)のほにもみつ味酒(うまざけ)を)、
では、
乎遠里(ヲヲリ)、
と当てており、
花が枝もたわわに、
と注釈している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。こうみると、
とを、
とゐ、
をを、
たを、
のすべては、
ま/み/む/む/め/め、
の、自動詞マ行四段活用、
たわむ(撓む)、
の、
たわ(撓)、
につながっている。
「揺」(ヨウ)の異体字は、
搖(旧字体/繁体字)、摇(簡体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8F%BA)。字源は、「たゆたふ」で触れたように、
会意兼形声。䍃(ヨウ)は「肉+缶(ほとぎ 酒や水を入れた、胴が太く口の小さい土器)」の会意文字で、肉をこねる器。舀(トウ・ヨウ)の異体字。揺は「手+音符䍃」で、ゆらゆらと固定せず動くこと。游(ユウ ゆらゆら)と非常に近い、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です。「5本の指のある手」の象形と「肉の象形と酒などの飲み物を入れる腹部のふくらんだ土器の象形」(神に肉をそなえ歌うさまから、「声を強めたり、弱めたりして口ずさむ」の意味)から、「手で上下左右に動かす」、「ゆする」を意味する「揺」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1781.html)、
ともあるが、他は、
形声。手と、音符䍃(エウ)とから成る。ゆりうごかす、ひいて「ゆれる」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)
形声。声符は䍃(よう)。䍃は缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。〔説文〕十二上に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。〔詩、王風、黍離(しより)〕「中心搖搖たり」の〔伝〕に「憂ふるも、愬(うつた)ふる所無きなり」とみえる。〔爾雅、釈訓〕に字を「忄+䍃、忄+䍃」に作り、「憂ふるも告ぐる無きなり」とあって、声義の通ずる字である(字通)
と、形声文字としている。なお、
撓、
は、
とゐ波、
で触れた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
玉櫛笥(たまくしげ)少し開くに白雲(しらくも)の箱より出でて常世辺(とこよへ)にたなびきぬれば立ち走り叫び袖振り臥(こ)いまろび足ずりしつつたちまちに心消失せぬ(万葉集)
の、
臥(こ)いまろび、
は、
ころげ廻り地団駄踏んで、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
臥(こ)いまろぶ、
で触れたように、
臥(こ)いまろび、
の、
臥い、
は、
臥ゆの連用形、
で、
臥い転ぶ(こいまろぶ)、
は、
ころげまわる、
もだえころがる、
意、
臥(こ)いまろぶ、
は、
今云ふ、こけまろぶ也、
ともある(和訓栞)。
のたうちまわる、
意とほぼ重なるのではないか。
臥(こ)ゆ、
は、
い/い/ゆ/ゆる/ゆれ/いよ、
と、自動詞ヤ行上二段活用で、
寝ころぶ、
横になる、
意である(学研全訳古語辞典)。似た言い方に、
女御の君、こゑも惜しみ給はず、ふしまろび泣き給ふ(宇津保物語)、
とある、
ふしまろぶ(臥し転ぶ)、
がある。
ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ、
の、自動詞バ行四段活用で、
身を投げだしてあちこちにころぶ、
悲しみや喜びをおさえきれずにころげ回る、
意であるが、
ふしころぶ(臥し転ぶ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。
あしずり、
は、
足摺り、
足摩り、
とあて(広辞苑)、
足を地にすって、激しく悲しみ嘆くこと(岩波古語辞典)、
怒りまたは悲しみのあまり、足で大地を踏みつけること(広辞苑)、
とあるが、これ自体は、
地にすりつけるように足踏みをすること、
じだんだを踏むこと、
を意味し、それを、
激しい悲しみや怒りを表す動作、
の意として使うということのようである(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。さらにいえば、
とりかえしのつかないことを悔やむときの動作(デジタル大辞泉)、
ということなのだろう。本来は、
倒れた状態で足をすりあわせて泣き嘆くことをいった、
ともある(デジタル大辞泉)が、「あしずり」の動作の実態については、一般に、
じだんだ、
と解されている。これに対して、
倒れた状態で泣きながら足をこすり合わせる、子供などの動作を表わす、
という説があり、また、
「あしずり」の「摺」の動作に着目し、足と足とを摺り合わせたり、足を地面などに摺り合わせ、こいまろぶ動作や倒れ伏す動作を表わす、
とする見方もある(精選版日本国語大辞典)。冒頭の、万葉集の用例から見ると、
立ち走り叫び、
袖振り、
臥(こ)いまろび、
足ずりし、
とあるので、
いたたまれないような、悲しみ、怒りなどの取り返しのつかないことを悔やむ、動作、
として使われ、それが、
じたんだ、
の意に収斂したとみていいのではないか。類聚名義抄(11〜12世紀)には、
跎、タフル・マロフ・タカヒニ・ヒサマツク・アシスリ、
とあり、その意がシフトして、
踏みそこなひて進み得ず(大言海・広辞苑)、
つまずくこと(広辞苑)、
と、
足がもつれる、
意になっていく。『大言海』は、
蹉跎、
と同義としている。天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)には、
躑䠱、猶豫之貌、不進也、又、不退而愼之貌、又踟䠱也、立豆万豆久(たつまづく)、又足須留(あしずる)、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
蹉跎、アシズル、
とある(「たつまづく」の「「た」は、接頭語。「た易い」「た謀(ばか)る」「たやすい」「たゆらに」等々)。
蹉跎(さた・さだ)、
は、楚辞に、
驥垂両耳兮、中坂蹉跎(註「蹉跎、失足也」)、
とあり、
つまずく、
意である。なお、
じだんだ、
は、
地団駄、
地団太、
と当て、
ジタタラ(地蹈鞴)の転、
とか、
「じたたら(地蹈鞴)」の音変化、
とある(広辞苑、デジタル大辞泉)。
じたんだ、
は、
足で地を何回も踏みつける、
という状態表現だが、
悔しがって足を踏み鳴らす様子、
あるいは、
怒りもがいて激しく地面を踏む、
という価値表現の意でも使う。室町末期の日葡辞書にも載る。
地蹈鞴を踏む、
の転訛で、
地団駄を踏む、
となったものらしい。
地蹈鞴、
とは、
じたたら、
じだたら、
じただら、
などと訓ます。
蹈鞴(たたら)、
と同じ意味である。
激しく地面を踏み鳴らすさまが、蹈鞴を踏む仕草に似ていることから「地蹈鞴(じだたら)」と言うようになり、「地団駄(じだんだ)」に転じた。「じんだらを踏む」「じんだらをこねる(地団駄を踏んで反抗する・駄々をこねる)」など、各地に「じんだら」という方言が点在するのも、「地蹈鞴(じだたら)」が変化したことによる(語源由来辞典)
ヂタタラの音便訛(大言海・語簏)、
その様子が蹈鞴(たたら)を踏んでいるようであることから、チタタラ(地鞴)の転(東牖子)、
尻餅をつき、両足を投げ出してばたばたさせることをいう関東方言のヂンダラと同系の語か(妖怪談義=柳田國男)、
等々、
じたんだ、
を、
蹈鞴、
由来とする説が大勢である。
蹈鞴、
は、
蹈鞴製鉄、
の意で、
たたら、
という文字は、
『古事記』(712年)に「富登多々良伊須々岐比売命ほとたたらいすすきひめのみこと」、『日本書紀』(720年)では「姫蹈鞴五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと」と出てくる、
のが初見とされる(http://tetsunomichi.gr.jp/history-and-tradition/tatara-outline/part-1/)ほど、
日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89%E8%A3%BD%E9%89%84)。
「摺」(@漢音呉音ショウ、A漢音呉音ロウ)は、「摺る」で触れたように、
会意兼形声。習は、羽を重ねること。摺は「手+音符習」で、折り重ねること、
とあり(漢字源)、「たたむ」意は@、ひしぐ意はAの発音である。別に、
会意兼形声文字です(扌(手)+習)。「5本指のある手」の象形と「重なりあう羽の象形と口と呼気(息)の象形」(「繰り返し口にして学ぶ」、「重ねる」の意味)から「(手で)折りたたむ」を意味する「摺」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2469.html)が、
形声。手と、音符(シフ)→(セフ)(角川新字源)、
と、形声文字ともある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
若くありし肌も皺(しわ)みぬ黒くありし髪も白(しら)けぬゆなゆなは息さへ絶えて後(のち)つひに命(いのち)死にける(万葉集)
の、
ゆなゆな、
は、
あげくのはてには、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ゆなゆな、
は、万葉仮名で、
由奈由奈(ユナユナ)、
とあてている(精選版日本国語大辞典)が、
ユは「ゆり(後)」のユ、ナは「朝(あさ)な朝な」「朝な夕な」のナと同じ接尾語でのちのちの意(岩波古語辞典)、
後々(のちのち)の意か。「のちのち」の意とするのは、「ゆり(後)」の「ゆ」に「朝な朝な」「夜な夜な」などの「な」の付いたものとすることによる(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
のちのち、
の意のほか、
はて、
終、
の意とある(広辞苑)。
我妹子が家(いへ)の垣内(かきつ)のさ百合花(さゆりばな)ゆりと言へるはいなと言ふに似る(紀豊河)
で、
のちに、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)する、
ゆり、
は、
後、
とあて(広辞苑)。
後(のち)、
今後、
後刻、
後日、
の意(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)で、
緩(ゆり)の義、
とあり、
しばらくしてのち、
ゆるりとすること、
ともある(大言海)が、格助詞、
ゆり、
の源となった語(岩波古語辞典)とされる。格助詞、
ゆり、
は、
ヨリの母音交替形(岩波古語辞典)、
とされ、
時や動作の起点・経過点をあらわす(岩波古語辞典)、
名詞・活用語の連体形に付く。動作・作用の起点を表す(デジタル大辞泉)、
体言または体言に準ずるものを受け、時間的、空間的起点を示す(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
かしこきや命(みこと)被(かがふ)り明日(あす)ゆりや草(かえ)が共(むた)寝む妹(いむ)なしにして(万葉集)、
と、
……から、
の意である(仝上・岩波古語辞典)。この、
ゆり、
は、上述した、「後」の意味の名詞、
ゆり(後)、
が転じたものする説があり(仝上)、
ゆり、
と、同じ格助詞の、
ゆ、
よ、
より、
が、ほぼ同じ意味である。上代には、共通の用法をもつ格助詞として、
ゆ、
ゆり、
よ、
より、
の四語があった(精選版日本国語大辞典)が、
より、
は用法が最も多く、中古以降も使われ(精選版日本国語大辞典)、中古に入ると、
ゆり、
よ、
ゆ、
は、「より」に統一されていく(学研全訳古語辞典)。
「髪」(漢音ハツ、呉音ホチ)の異体字は、
发(簡体字)、髮(旧字体/繁体字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%AA)、
「髮」(漢音ハツ、呉音ホチ)の異体字は、
发(簡体字)、髪(新字体)、𨱳(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%AE)。字源は、
会意兼形声。「髟(かみの毛)+音符犮(ハツ はねる、ばらばらにひらく)」で、発散するようにひらくかみの毛、
とあり(漢字源)、同じく、
会意兼形声文字です。「長髪の人」の象形と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形と「犬をはりつけにした」象形(犬をはりつけにして、いけにえを神に捧げ、災害を「取り除く」の意味)から、長くなったらはさみで取り除かなければならない「かみ」、「草木」を意味する「髪」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji293.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「髟」+音符「犮 /*POT/」。「かみ」を意味する漢語{髮 /*pot/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%AE)、
旧字は、形声。髟と、音符犮(ハツ)とから成る。「かみ」の意を表す。常用漢字は俗字による(角川新字源)、
形声。声符は(はつ)。〔説文〕九上に「根なり」、〔慧琳音義〕に引く〔説文〕に「頂上の毛なり」とみえる。また重文二を録し、その第一字は金文にもみえ、犬牲を示す犬と首との会意字で、もと祓禳を意味するものであったと思われる。髮はその形声字と考えられる(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
しなでる片足羽川(かたしはがわ)のさ丹塗(にぬ)りの大橋の上(うへ)ゆ紅(くれなゐ)の赤裳(あかも)裾引(すそび)き山藍(やまあゐ)もち摺れる衣(きぬ)着てただひとりい渡らす子は(万葉集)
の、
しなでる、
は、
「片足羽川」(かたしはがわ)の枕詞。葉が層を成して照る葛(かた)の意、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
片足羽川、
は、
大和川が龍田から河内へ流れ出たあたりの名か、
とある(仝上)。
大和川、
は、かつては、
生駒山系を抜けて現在の柏原市付近で石川と合流すると、その流れに乗るように北へ流れ、河内平野に大きな湖(草香江(くさかえ)、または河内湖)をつくって古い時代の淀川を合わせ、上町台地の北で海へと出る流路を為していた。河内湖は次第に土砂により埋まり、河内平野へと変わっていった、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%B7%9D)。
しなでる、
は、
しなてる、
ともいい、
級照る(デジタル大辞泉・大言海)、
階照る(岩波古語辞典)、
と当て、
「しな」は坂の意、かた(片)にかかる(広辞苑・岩波古語辞典)、
級立(しなた)てるの約にて、級の立てる物は、片はへなる故に云ふとぞ(大言海)、
「しな(階・坂)て(照)る」の意で、山の片面などが段層状になって日が当たっている意からかかるか(精選版日本国語大辞典)、
などとあるが、
語義未詳、
とされ(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、語源についても、
諸説があり、定説をみない、
とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、
「しな」を含む枕詞は、他に「しなざかる」、「しなたつ」、「しなだゆふ」があり、いずれも土地の名と共に用いられているため、「しな」が土地の様相を示す語であることは確かであろう。しかし、例えば、「奈良」に冠する「あをによし」、「難波」に冠する「おしてる」のように、ひとつの地名と密接な繋がりをもってはいない、
としている(仝上)。で、
しなでる、
しなてる、
は、
かかり方未詳、
ながら(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
「片足羽川」「片岡山」にかかる(デジタル大辞泉)、
「かた(片)」にかかる(精選版日本国語大辞典)、
「片」にかかる(岩波古語辞典)、
などとあり、
「しなてる」が間投助詞「や」を伴って五音化した、
とされる(精選版日本国語大辞典)、
しなてるや、
も、
しなてるや片岡山に飯(いひ)にうゑてふせる旅人あはれ親なし(拾遺和歌集)、
しなてるや鳰(にほ)のみづうみに漕ぐ舟のまほならねども逢ひ見しものを(源氏物語)、
と、
「片」「鳰(にほ)の海」「鳰(にお)の湖(みずうみ)」にかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
しなてる、
の解釈については、
燭明抄(江戸初期の和歌注釈書『枕詞燭明抄(まくらことばしょくみょうしょう)』)には、
しなてるは級照也。級は階(はし)のきざみなり。照はほめたる詞なり。宮殿のきざはしはてりかゞやく心なり。
只階のきざみの片さがりなるにつけて片とつゞけむためなるべし、
冠辞考(江戸中期の歌学書)には、
こは級立(しなたて)る物は斜に片はへなる意にて、片とはつづくならん、
古義(江戸後期の「万葉集」の注釈・研究書)は、
斯那(しな)は、嫋(しな)の意、提流(てる)は、佐比豆流(さひづる)など云豆流(づる)と同言にて、然ある形容(さま)をいふとき、附ていふ言なるべし、さて片(かた)とつづくは、肩(かた)の義にて、弱々(なよなよ)と嫋(しな)やぐ肩といふ意に、いひ係たるなるべし、人の肩は屈伸(のびかゞみの縦由(こころまま)なるもの故、嫋(しな)やぐよしもて、古語に嫋肩(よわかた)とも云るを、併思ふべし、
とあり、万葉集研究者の井手至(『類似の枕詞』)は、
「しなたつ筑摩(つくま)佐野方(さのかた)(13/3323)」があり、佐野方は、10/1928からかづらと同じ蔓草であり、「かた」は、14/3412など蔓、条(すぢ)の意や、蔓草の意に用いられた。そこで「かた」は、「かづ(葛)」と語源は同じ。「しな」は新撰字鏡「層 志奈」、陛「升也階陛志奈又波志」、名義抄「層・階、シナ」、かた(葛、蔓草)のつるが起伏して延び、その葉の階をなして重なり日に照るさまを「しなてる」と云ひ、「さのかた」のつるが、上に向かって延ひのぼり、葉が重なって階をなしているさまを「しなたつ」と表現した、
としている(https://www.c-able.ne.jp/~y_mura/manyou/man009.html)。
「級」(漢音キュウ、呉音コウ)は、
会意兼形声。及(キュウ)は「人+又(手)」の会意文字で、逃げる人のあとから手でつかまえようとして、手の届いたさまをあらわす。あとからあとからとおいかけてつぎ足す意を含む。級は「糸+音符及」で、糸が切れると、あとから、一段また一段とつぎ足すこと。転じて、一段一段と順序をなす意、
とある(漢字源)。ちなみに、
及(漢音キュウ、呉音ゴウ)、
は、
会意文字。「人+手」で、逃げる人の背に追う火との手が届いたさまを示す。その場、その時にちょうど届くの意を含む、
とある(仝上)。同じく、
会意兼形声文字です(糸+及)。「より糸の象形」と「人の象形と手の象形」(人に手が触れて「追いつく」の意味)から、前の糸に続いて、次の糸が追いつくを意味し、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「順序・くらい」を意味する「級」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji430.html)、
と、会意兼形声文字ともあるが、他は、
形声。糸と、音符及(キフ)とから成る。機(はた)織りがつぎつぎにくり出す糸の意を表す。転じて、順序あるもののひとつずつ、ひいて、順序の意に用いる(角川新字源)
形声。「糸」+音符「及 /*KƏP/」。「くらい」を意味する漢語{級 /*krəp/}を表す字。「糸」は階級を表す帯からの連想による(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%9A)、
形声。声符は及(きゅう)。及に後ろより相及ぶ意がある。〔説文〕十三上に「絲の次第なり」とあり、機織の糸を次第することをいう。転じて段階・階級の意となる。〔礼記、曲礼上〕「級を拾(わた)り足を聚む」とは、一段ずつ足をそろえて登ることで、いま神職の作法として残されている(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
大橋の上(うへ)ゆ紅(くれなゐ)の赤裳裾引(あかもすそび)き山藍(やまあゐ)もち摺れる衣(きぬ)着てただひとりい渡らす児は若草の夫(つま)かあるらむ橿(かし)の実のひとりか寝(ぬ)らむ問はまくの欲(ほ)しき我妹(わぎも)が家の知らなく(万葉集)
の、
紅(くれなゐ)の、
は、
紅色に染めた、
の意、
山藍(やまあゐ)、
は、
トウダイグサ科の多年草。青の染料。外来の藍より淡い色、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
若草の、
は、
夫の枕詞、
橿(かし)の実の、
は、
一人の枕詞、
問はまく、
の、
まく、
は、
問はむ、
の、
む、
のク語法、
とある(仝上)。
山藍(やまあゐ)、
は、
山地の樹林下に生える。高さ三〇センチメートルぐらい。葉は長柄をもち対生。葉身は長楕円形で縁に鈍い鋸歯(きょし)がある。春、葉腋から淡黄緑色の単性花を穂状につけた花序を出す。果実は球形で径約六ミリメートル、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
冬の初、梢に細茎を出して、浅黄色の三弁細花を開く、花落ちて小青実を結ぶ、大きさ山椒の如く、熟して尚青し、生根は藍色なり、
とある(大言海)。
山ゐもてすれる衣の赤紐の長くぞわれは神につかへん(紀貫之)、
と、山藍(やまあい)を約めて、
やまゐ、
といい(仝上)、和歌では、多く「山井」に掛けて用いる(精選版日本国語大辞典)。漢名に、
山靛、
をあてる(仝上)とある。古え、
此生葉の緑汁を以て青色を染む。新嘗会の小忌衣(をみごろも)の青摺これなり、
とあり(大言海)、藍染料に用いた(精選版日本国語大辞典)。日本における最古の染料植物といわれ、生葉をつき砕いて出た汁により青磁色に染まるが、これを、
山藍摺(ずり)、
とよぶ。この青色色素はインジゴではなく、シアノヘルミジンで、水洗すると落ち、赤く変色しやすい。中国からアイ(タデアイ)が伝来するとすたれたが、皇室の神事に用いられる小忌衣(おみごろも)の染色には、現在でも京都の石清水(いわしみず)八幡宮から採られたものが用いられる(世界大百科事典)とある。枕草子には、
草は、さうぶ、こも。あふひ、いとをかし。祭のをり神代よりしてさるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。(中略)やへむぐら、やますげ、やまゐ、ひかげ、はまゆふ、あし。くずの、風に吹きかへされて裏のいとしろく見ゆるをかし、
とある。
なお、
小忌衣、
で触れたように、
山藍摺(やまあゐずり)、
は、
青摺(あをずり)、
ともいい、
萩又は露草の花にて衣に色を摺り出す、
という、
宮城野の野守が庵に打つ衣萩が花摺露や染むらむ(壬生集)、
の、
花摺(はなすり)、
に対する語(大言海)とされ、上代は、
服著紅紐青摺衣(古事記)、
百官人等、悉給著紅紐之青摺衣服(仝上)、
と、
朝服として、右肩に紅紐(あかひも)を着けた、
とある(仝上)。「朝服」については、
衣冠束帯、
で触れた。後には、
近衛の官人、臨時祭の舞人などの服にせり、
とあり、但し舞人は赤紐を左肩につく(大言海)という。
小忌衣、
は、
をみのころも、
をみ、
ともいい、
小忌人(をみびと)が神事に奉仕するため、装束の上から着る一重の衣、
で、
形は狩衣に似ており、束帯(そくたい)の袍(ほう)の上、または女房装束の唐衣(からぎぬ)の上に着装する白の麻布製で、身頃(みごろ)には春草、梅、柳、鳥、領(えり)に蝶(ちょう)、鳥などを山藍摺(やまあいずり 青摺)で表す。右肩には赤黒二筋の紐を垂らす。冠には日陰蔓をつける、
とある(岩波古語辞典・日本大百科全書)。「肩衣」については、
法被と半纏、
で、「袍」については、
衣冠束帯、
で、「日陰蔓(ひかげのかずら)」については、
さがりごけ、
で触れた。
小忌人(をみびと)、
は、
小忌人の木綿(ゆふ)かたかけて行く道を同じ心に誰ながむらむ(公任集)、
と、
小忌の役をする人、
で、
小忌、
とは、
大嘗会(だいじやうゑ)、新嘗祭(しんじやうゑ)などの大祀のとき、とくに厳重に行う斎戒(ものいみ)、
をいい、小忌の役を務める、
をみびと、
も、「をみびと」の着る、
衣、
も、
小忌、
といい(岩波古語辞典)、で、
山藍摺(青摺)、
は、
小忌摺(おみずり)、
ともいう。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しくひとり行く子にやど貸さましを(万葉集)
の、
ま悲しく、
は、
見た目に悲しそうに、
の意とし、
「ま愛(かな)し」の意こもるか、
と解して、
わびしげに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
頭、
の字を当てて、
つめ、
と訓ませているのは、
たもと、
の意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。似た意で、
馬に乗て行くに、既に橋爪に行懸る程(今昔物語集)、
と、
橋のつきる所、
橋のたもと、
橋際(はしぎわ)。
橋畔(きょうはん)、
といった意の、
橋詰め(はしづめ)、
という言い方もある(精選版日本国語大辞典)。
頭(つめ)、
は、
端、
詰、
とも当て(大言海)、
蔵、
とも当て(岩波古語辞典)、
め/め/む/むる/むれ/めよ、
と、自動詞マ行下二段活用の、
あるいは、
め/め/む/むる/むれ/めよ、
と、他動詞マ行下二段活用の、動詞、
つむ (詰む)、
の(学研全訳古語辞典)、
連用形の名詞化、
で(精選版日本国語大辞典)、本来、
一定の枠の中に物を入れて、隙間・ゆるみをなくす、
意で(岩波古語辞典)、
潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ(万葉集)、
と、
ぎっしりと入れて満たす、
いっぱいに貯える、
意(仝上)だが、それをメタファに、
打橋の都梅(ツメ)の遊びに出でませ子(日本書紀)、
宇治橋のつめにぞおしよせたる(平家物語)、
などと、
物の端、
いちばん端、
または、
いちばん奥のところ、
きわ、
橋のたもと、
の意や、その意の延長で、
さやうに御のべあらんには、いづくにつめがさうばこそ(幸若・笈さかし)、
と、
最後、
結局、
結末、
しきり、
の意や、
ことさらふぜいをもちたるつめをたしなみて、かくべし(風姿花伝)、
と、
急所、
やま、
の意、さらには、
ならはせ給はぬ御ありさまに、御かうぶりのひたひもつむる心ちせさせ給(今鏡)、
と、
せまる、
前方がつまる、
行きづまる、
また、
窮する、
身動きがとれなくなる、
といった意や、
御要害の詰(ツ)め詰めを、落もなく目を付くるは(歌舞伎・狭間軍記鳴海録)、
と、
きまった場所に控える、
出仕する、
出勤する、
意などで使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)、
橋詰、
に、
橋爪、
とあてているように、
爪、
と、
詰め、
は縁が深いように思える。
つめ、
は、
古形ツマ(爪)の転、
であり、
つまようじ、
で触れたように、この、
つま、
は、
爪先、
爪弾き、
爪立つ、
等々、他の語に冠して複合語としてのみ残るが、
ツマ(爪)は、端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ、
とある(岩波古語辞典)。で、
端、
は、
物の本体の脇の方、はしの意。ツマ(妻・夫)、ツマ(褄)、ツマ(爪)と同じ、
で(仝上)、
つま(妻・夫)、
は、
結婚にあたって、本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意、
とある(仝上)。つまりは、
妻、
も、
端、
につながり、
つま(褄)、
も、
着物のツマ(端)、
の意(仝上)で、
つま(端)、
につながる(仝上)とみられる。ただ、異説もあり、
つま(端)、
は、
詰間(つめま)の略。間は家なり、家の詰の意、
で、
間、
とは、
家の柱と柱との中間(アヒダ)、
の意味がある(大言海)とし、さらに、
つま(妻・夫)、
も、
連身(つれみ)の略転、物二つ相並ぶに云ふ、
とあり(仝上)、さらに、
つま(褄)、
も、
二つ相対するものに云ふ、
とし、
つま(妻・夫)の語意に同じ、
とする(大言海)。つまり、「つま」には、
はし(端)説、
と
あいだ説、
があるのである。その意味では、「つまようし」の「つま」を、「爪」としていいかどうかは疑問である。
妻楊枝、
と当てているものもあるが、これも「つま」の由来から考えると、間違いではない。つまようじの「つま」には、「端」の意味に、(歯の)「間」という意味が陰翳のように付きまとっている感じである。とすると、
橋のつめ、
つまり、
橋のつま、
も、
端、
の意と同時に、ただの端ではなく、
橋詰、
の意にある、
橋のつきる所、
つまり、
橋の両端の一方、
という含意があるのかもしれない。
念のため、それぞれの語原説を列挙しておく、
爪、
の語原説は、
ツマ(端)の転(日本語源広辞典)、
ツマ(端)の意(箋注和名抄・俚言集覧・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
指の端にあるところから、妻の意(和句解)、
動詞ツム(摘)・ツム(積)と同源、上に先に伸びる意のツム(積)と伸びる先を摘むツム(摘)とは同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
ツノメ(角芽)の義(玄同放言)、
ツマリ(結)の義か(名言通)、
物をつみつかむところから、ツミ得の約(本朝辞源=宇田甘冥)、
ツカムの略転(日本釈名)、
ツマ(爪)の転(岩波古語辞典)、
端(ツマ)、
の語源説は、
ツマメ(詰間)の略(大言海)、
物の一端(日本語源広辞典)、
爪のように出ているところから(和名抄・類聚名物考)
つづまりつみ狭まった極みの意(日本語源=賀茂百樹)、
連続物が一個になる処で個目の意(国語溯原=大矢徹)、
物の本体のわきの方、はしの意、ツマ(妻・夫)・ツマ(褄)・ツマ(爪)と同じ(岩波古語辞典)、
褄(ツマ)の語原説は、
二つ相対するものに云ふ。妻の語意(ツレミ(連身)の略転、物二つ相竝ぶに云ふ)に同じ
着物のツマ(端)の意(岩波古語辞典・小学館古語大辞典)、
端にあるから、ツメ(爪)の義(名言通・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、
ハツモ(果衣)の義(言元梯)、
ト(鋭)の派生語で、尖端の義から(日本古語大辞典=松岡静雄)、
妻・夫(ツマ)、
の語原説は、
「ツマ(物の一端)」が語源で、端、縁、軒端、の意です(日本語源広辞典)、
「ツレ(連)+マ(身)」で、後世のツレアイです。お互いの配偶者を呼びます。男女いずれにも使います。上代には、夫も妻も、ツマと言っています(日本語源広辞典)、
ツレミ(連身)の略転、物二つ相竝ぶに云ふ(大言海)、
結婚にあたって、本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意(岩波古語辞典)、
ツは、ツラ(連)の語幹、マはミ(身)の転(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ツは連・番などのツ、マは左右に二つ並ぶものの義(日本語源=賀茂百樹)、
ツヅキマトハルの義(仙覚抄・詞林采葉抄)、
ツレマツハルの略か(燕石雑記)、
ツラナリマトフの略(国語蟹心鈔)、
ツキマトフの義(本朝辞源=宇田甘冥)、
ツラナリテマコトヲナスの義(日本声母伝)、
ツレメまたはツレヲナミ(連女)の義(日本語原学=林甕臣)、
ヲトメの転(東雅)、
新たに設けられたツマヤに住む人妻のもとに夫が通う風習から(話の大辞典=日置昌一)、
ムツマジの略(和句解・日本釈名・名言通・和訓栞・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、
衣は左右のツマを合わせて着ることからか(萍(うきくさ)の跡)、
ツマ(交)の義か(万葉代匠記)、
ツは粘着の義、マはミ(身)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
ツム(着身)の義(言元梯)、
ともに向かい合う意で、トモムカの約轉(和訓集説)、
タマ(玉)またはトモ(友)の転(和語私臆鈔)、
トモ(友)と同源か(角川古語大辞典)、
とある。論者の偏見がもろに出ていて、おもしろいが、この、
妻・夫(ツマ)、
については、
つま、
で触れたように、
上代対等であった、
夫
と
妻
が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、
つま(端)
語源になったように思われる。三浦佑之氏は、
あちこちに女を持つヤチホコ神に対して、「后(きさき)」であるスセリビメは、次のように歌う。
やちほこの 神の命(みこと)や 吾(あ)が大国主
汝(な)こそは 男(を)に坐(いま)せば
うちみる 島の崎々(さきざき)
かきみる 磯の崎落ちず
若草の つま(都麻)持たせらめ
吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば
汝(な)を除(き)て 男(を)は無し
汝(な)を除(き)て つま(都麻)は無し、
と紹介する。どうも、ツマは、
対(つい)、
と通じるのではないか、という気がする。「対」は、中国語由来で、
二つそろって一組をなすもの、
である。
つゐ(対)、
は、
むかひてそろふこと、
とある(大言海)。
刺身につま、
というときは、
具、
とも当てるが、その「つま」について、
刺身にあしらわれてる千切り大根の事を「つま」そう思ってなさる方が多い。あれは「つま(妻)」ではありません。「けん」と言います。
けん、つま、辛み、この三種の「あしらい」を総称して「つま」という事もありますが、「つま」とは、端やふち、へり、を意味します。刺身に寄り添うかたちですね。ですから【妻】という字の代わりに【褄】と書いてもよいのです、
とある(http://temaeitamae.jp/top/t6/b/japanfood3.06.html)。対等の一対から、端へとおとされた「つま」が、「妻」に限定されていくように、「つま(具)」も、添え物のイメージへと変化していったようだ。
「詰」(漢音キツ、呉音キチ)は、
会意兼形声。吉(キツ)は、口印(容器の口)の上にかたく蓋をしたさまを描いた象形文字で、固く締めるの意を含む。結(ひもでかたくくびる)が吉の原義をあらわしている。詰は「言+音符吉」で、いいのがれする余地を与えないように締め付けながら、問いただすこと。また、中にものをいっぱいつめ込んで入口を閉じること、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「言」 + 音符「吉 /*KIT/」。「なじる」を意味する漢語{詰 /*kʰit/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A9%B0)、
形声文字です(言+吉)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「斧などの刃物の象形と口の象形」(刃物をまじないとして置いてめでたい事を祈る事から、「めでたい」の意味だが、ここでは、「緊」に通じ(「緊」と同じ意味を持つようになって)、「ひきしめる」の意味)から、「問いつめる」を意味する「詰」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1236.html)、
形声。言と、音符吉(キツ)とから成る。事細かに尋ねる意を表す(角川新字源)、
形声。声符は吉(きつ)。吉は聖器としての鉞頭(士)を、祝詞を収めた器(ᗨ(さい))の上においてこれを封じ、その呪能を守る意で、詰めこむ意がある。それによって吉善を責め求めるので、詰問の意となる。〔説文〕三上に「問ふなり」とあり、致詰の意とする(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
うちはへてかげとぞたのむ峯の松色どる秋の風にうつるな(後撰和歌集)
の、
うちはへて、
は、
長く続けて、
の意で、
いつまでも、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
うちはへて思ひし小野は間近きその里人さどひとの標結(しめゆ)ふと聞きてし日より立てらくのたづきも知らず居(を)らくの奥処(おくか)も知らに(万葉集)
では、
うちはへて、
の、
はふ、
は、
延ばす、
で、
うちはへて、
は、
ずっと気にかけてきた、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かげ、
は、
日射しや雨風から守ってくれる庇護、
とし、
うつるな、
は、
色を変えて衰え散るな、
の意とする(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
うちはへて、
は、
打ち延えて、
とあて、
動詞「うちはふ(打延)」の連用形に助詞「て」の付いたもの、
で、
副詞的な用法が多く、
さきそめし時より後(のち)はうちはへて世は春なれや色のつねなる(古今和歌集)、
と、
時間的に、ずっといつまでも続いて、
長期にわたって、
久しく、
の意で、この場合、後述する、
うちはへ、
と同義になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。さらに、空間的な意でも、
たなばたにかしつる糸のうちはへて年の緒(を)ながく恋ひやわたらん(古今和歌集)、
と、
ずっとどこまでも延びて、
の意や(この場合、「時間的な意味」に掛ける)、
うちはへて庭おもしろき初霜に同じ色なる玉の村菊(栄花物語)、
と、
あたり一面に、
見わたすかぎり、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この、
うちはへて、
と同義で、助詞「て」のない、動詞「うちはふ(打延)」の連用形から、
うちはへ、
も、
雨のうちはへ降るころ、けふも降るに、御使にて、式部の丞信経参りたり(枕草子)、
と、
ずっと長く、引き続いて、
の意で使うが、転じて、
腹葦毛なる馬……打はへ長(たきたか)きが(今昔物語集)、
と、ぬきんでているさまを表わす語として、
きわだって、
特に、
の意でも使う(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
うちはふ(打ち延ふ)、
は、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
と、他動詞ハ行下二段活用の、
はふ (延ふ)、
に、接頭語
うち(打)、
のついた形で、
はふ (延ふ)、
は、
這ふ、
とも当て、
(「這ふ」は)延に通ず、
(「延ふ」は)這ひ経るの意、這ふに通ず、
とある(大言海)。
延ふ、
は、
谷狭(せば)み嶺に延(はひ)たる玉葛(たまかづら)絶(た)えむの心わが思(も)はなくに(万葉集)、
と、
一面にのび広がる、
張り渡す、
意で、特に、
植物の根や蔦(つた)の類が地面や木などにまつわりついてのびる、
意の、
物に絡みついて伝わっていく、
意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
這ふ、
は、
年九十ばかりにて、雪をいただきたるやうなる女・翁、はいにはいきて(宇津保物語)、
と、
人がうつぶせに伏した状態になる、
また、その状態で手足をつかって動きまわる、
意や、
伊勢の海の 大石(おひし)に這ひもとほろふ細螺(志多陀美 シタダミ)のい這ひもとほり撃ちてし止まん(古事記)、
と、
獣・虫・貝など動物が地面などに体をすりつけるようにして、伝うように移動する、
意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
延ふ(をメタファに)→這ふ、
なのか、
這ふ(をメタファに)→延ふ、
なのか、
いずれが先か、先後は不明ながら、両者の意味が重なったことは確かだが、両者を区別していたからこそ、漢字を当て別けたのではないか、と想像する。
打ち延ふ、
は、多く、連用形に「て」を伴った、上述の、
うちはえて、
の形で副詞的に用いる(精選版日本国語大辞典)とあり、
うちはへて、
と同様に、
ある物事、状態が時間的、空間的に長く延びる、引き続く、
意で使い、
栲縄(たくなは)の、千尋縄(ちひろなは)打延(うちはへ)て釣為る海人の口大(くちおほ)の尾翼(をはた)鱸(鱸を訓みて須受岐(すずき)と云ふ)(古事記)、
と、
細長いものを長く引き延ばす、
意や、それをメタファに、
もののふの八十伴(やそとも)の男(を)のうちはへて思へりしくは(万葉集)、
と、
ずっと続けて、
の意を、
心を対象まで延ばし近づける、
心を寄せる、
意で使う(精選版日本国語大辞典・伊藤博訳注『新版万葉集』)。確かに、
打ち延ふ、
は、
延ふと云ふに同じ(大言海)、
ではあるが、
うちはへて、
の、
うち、
は、
うつちけに、
うつたへに、
うちひさす、
でも触れたが、
打ち、
は、接頭語として、動詞に冠して、
打ち興ずる、
打ち続く、
のように、
その意を強め、またはその音調を整える、
ほかに、
打ち見る、
のように、
瞬間的な動作であることを示す、
使い方をする(広辞苑)。
打ち延ふ、、
は、前者になるが、後者は、
うちつけに、
のように、
平安時代ごろまでは、打つ動作が勢いよく、瞬間的であるという意味が生きていて、副詞的に、さっと、はっと、ぱっと、ちょっと、ふと、何心なく、ぱったり、軽く、少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では、単に語調を整えるためだけに使ったものもあり、中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない、
とあり(岩波古語辞典)、
さっと(打ちいそぎ、打ちふき、打ちおほい、打ち霧らしなど)、
はっと、ふと(打ちおどろきなど)、
ぱっと(打ち赤み、打ち成しなど)、
ちょっと(打ち見、打ち聞き、打ちささやきなど)、
何心なく(打ち遊び、打ち有りなど)、
ぱったり(打ち絶えなど)、
といった意味でつかわれる。動詞、
うち(つ)、
は、
打つ、
撃つ、
とあて、
相手・対象の表面に対して、何かを瞬間的に勢い込めてぶつける意。類義語タタキは比較的広い面を連続して打つ意、
とある(岩波古語辞典)。、
あるものを他の物に瞬間的に強く当てる(打・撃)、
(釘や杭、針を)たたきこむ、差し込む(打)、
傷つけ倒す(撃・討)、
(網などを)遠くへ投げる意から(打・射)、
(門・幕などを)設ける(打)、
(もも・筵などを)編む(打)、
(転じて)あること(芝居などを)行うこと(打)、
等々(広辞苑)と、「うつ」の意味には幅があり、接頭語、
うつ、
にも、この意味の何がしかは反映しているはずだ。
「打ち殺す」「打ち鳴らす」のように、打つの意味が残っている複合語の場合は、「打ち」は接頭語ではない、
としている(学研全訳古語辞典)ものもあるが、別に接頭語かどうかを意識して使っているのではなく、ただ、
壊す、
のではなく、
打ち壊す、
と「打ち」をつけて、主体の意思を強く言い表す必要があるからに違いない。その意味では、接頭語にも、「打つ」の含意は強く残っているはずだ。ただ、
見る、
のではなく、
打ち見る、
には、強い意志が見える気がする。
「うつ」の語源は、
手の力で、強く打撃する、
とし(日本語源広辞典)、
基本的な二音節語とみます。アテル、ウツ、ブツ(方言)などの、ア、ウ、の語根と関連するようです、
とある。(仝上)。
うたげ、
で触れたように、
うたげ、
は、
うちあげ、
の縮約で、
うちあげ(打ち上げ)、
には、手を打つという含意を残しているし、それがなくても、ただ語調というには、止まらないのではないか。これが訛って、
ぶつ、
ぶち、
ぶん、
となることもある。
Uti→buti→bunn、
である。
打ち壊す→ぶっ壊す、
打ち投げる→ぶん投げる、
打ちのめす→ぶちのめす、
と、
打ち込む、
には、ただ入れ込んでいる状態よりは、主体の意思が強まるように思える。それが、
ぶち込む、
ぶっ込む、
となると、より意志が強まるように見える。
なお、「はふ」については、
ふりはへて、
をりはへ、
でも触れた。
「打」(唐音ダ、漢音テイ、呉音チョウ)は、「うちつけに」で触れたように、
会意兼形声。丁は、もと釘の頭を示す□印であった。直角にうちつける意を含む。打は「手+音符丁」で、とんとうつ動作を表す、
とある(漢字源)が、他は、いずれも、
形声。「手」+音符「丁 /*TENG/」。「うつ」を意味する漢語{打 /*teengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93)、
形声。手と、音符丁(テイ)→(タ)とから成る。手で強く「うつ」意を表す(角川新字源)、
形声。声符は丁(てい)。丁は釘の頭の形。釘の頭をうちつける意。〔説文新附〕十二上に「擊つなり」とする。のち動詞の上につけて打聴・打量のように用いる。わが国の「うち聞く」「うち興ずる」というのに近い(字通)
と、形声文字とする。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
いく木ともえこそ見わかね秋山のもみぢの錦よそにたてれば(忠岑)
の、
いく木、
は、
幾寸(き)、
を掛ける。
寸(き)、
は、
古代の長さの単位で、寸(すん)に相当する、
とし(水垣久訳注『後撰和歌集』)、
幾本の木とも(また幾寸の織物とも)、とても見分けることができない、
と訳す(仝上)。
寸(き)、
は、
古代の長さの単位、
で、
切るの語根(万葉集「玉刻春(たまきはる)」「真割持(まきもたる)」)、食指(ひとさしゆび)の中程の二節の閧ノて度(はか)りたる語なるべし、
とあり(大言海)、ほぼ、いまの、
寸(すん)、
に相当する(広辞苑)。
寸、
は、「令義解(718)」に、
凡度。十分為寸。十寸為尺。十尺為丈、
とあり、尺貫法で長さの単位。一尺の十分の一。一分の十倍。一寸は、明治八年(一八七五)以来の、折衷尺を基準とする、
曲尺(かねじゃく)では、約三・〇三センチメートル、
くじら尺では、約三・七九センチメートル、
にあたる(精選版日本国語大辞典)。また、色葉字類抄(1177〜81)に、
寸、キ、馬長也、
とあるように、
此語、高麗尺、唐尺、渡りてより、寸(すん)の義となりて、馬の丈(たけ)を度(はか)るのみに遺れり(銭の半文をキナカと云ふは、一文の五分にて、寸半(きなか)の義、是は、量の名となる)、
とあり(大言海)、
馬は、四尺を馬長(うまたけ)と云ひ、以上を一寸(ひとき)、二寸(ふたき)、七寸(ななき)、八寸(やき)などと云ひ、これを超にゆるを、長(たけ)に剰(あま)ると云ふ、
とあり(仝上)、室町後期の類書『塵添壒嚢抄(じんてんあいのうしょう)』に、これにつづけて、
四尺に足らぬを、駒と云ふ、是曲尺(かねしゃく)の尺也、
とある。また、
三尺九寸は「かえり一寸」、
といい、一説に、
四寸から七寸までに限っていった、
ともある(精選版日本国語大辞典)。太古、
尺度(ものさし)なき時は、すべて、指、又は、手にて、物の長さを度(はか)れり、
とあり(大言海)、
寸(き)、
のほか、
あた(咫)、
さか(尺)、
つか(握)、
ひろ(尋)、
等々あり、たとえば、
あた(咫)、
は、
食指(ひとさしゆび)と中指とを開きたる広さなるべく、後に云ふ、二寸ほどならむ、
とある(仝上)が、
親指と中指とを広げた長さ、
ともある(精選版日本国語大辞典)。
握、
は、
八束、
で触れたように、
指四本の幅、
さか(尺)、
は、
サはシャの直音化、カは「尺」の末尾の音のkを母音終わりにしたもの、
とあり(岩波古語辞典)、
八坂瓊(やサカに)の曲玉(まがたま)を(日本書紀)、
と、
一杖(つえ)(=約三メートル)の十分の一、
をいい(精選版日本国語大辞典)、色葉字類抄(平安末期)に、
尺、シャク、十寸為尺、
とある。
ひろ(尋)、
は、
「広」(ひろ)の意、
で、
両手を左右に広げたときの両手先の間の距離、
をいい(広辞苑)、
凡そ、六尺、
とある(大言海)。
「寸」(漢音ソン、呉音ソン)は、「ずたずた」で触れたように、
会意。寸は「手のかたち+一印」で、手の指一本の幅のこと。一尺は手尺の一幅で、22.5センチ。指十本の幅がちょうど一尺にあたる。また漢字を組み立てる時には、手、手をちょっとおく、手をつけるなどの意味をあらわす、
とあり(漢字源)、別に、
会意。又(ゆう)+一。又は手指の形、指一本の幅を寸という。拇指と中指をひろげて、手首をそえた形は尺。寸はその十分の一にあたる。〔大戴礼、主言〕に「指を布きて寸を知り、手を布きて尺を知る」という。〔説文〕三下に「十分なり。人の手、一寸を卻(しりぞ)くところの動衇、之れを寸口と謂ふ」とするが、寸口は脈の大候の存するところで、医術上の用語。尺字条八下に「周の制、寸・尺・咫(し)・尋・常・仞の諸度量は、皆人の體を以て法と爲す」とあり、尋は左右の手を広げた長さ、常は尋を折り返した織物の長さである。わが国では手指四本をならべた長さは「つか」、「ひろ」は左右の手を伸ばした長さ。尋とひろは同じ長さであるから尋を「ひろ」と訓するが、寸にあたる国語はない(字通)、
も、会意文字とするが、他は、
象形文字。手を当てて物の長短を測る様を象る。手で測れるほど長くないという短さから「みじかい」という意味になった。「尊」の略体。のち仮借して{寸 /*tshuuns/}に用いる、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%B8)あるが、他は、
指事。手の象形文字(=又。て)の下部に一点を加えて、手首の脈搏(みやくはく)をはかる意を表す。また、手のひらの付け根から手首の脈までの間を基準にして、長さの単位の一寸とす(角川新字源)る、
指事文字です。「右手の手首に親指をあて、脈をはかる事を示す文字」から、脈を「はかる」を意味する「寸」という漢字が成り立ちました。また、親指ほどの長さ、「一尺の十分の一の単位」も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji950.html)、
と、指事文字とする。しかし、会意文字、指事文字の解釈の違いはあるが、上記の説を、
手を当てて物の長短を測る様を象る象形文字などと解釈する説があるが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である。
なお、「肘」や「守」に含まれる「寸」は異なる起源を持つ(肘#字源の項目を参照)。また、「寺」「專」「辱」など(「尊」も含む)、字の下側に位置する「寸」の多くは、それぞれの甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、「又」に羨筆(無意味に足された筆画)が付加されて形成されたものである、
と、
手を当てて物の長短を測る様を象る象形文字、
とする説を一蹴し、
「尊」の略体。のち仮借して、長さの単位を指す漢語{寸 /*tshuuns/}に用いる、
としており(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%B8)、「尊」の字源は、
象形。手(寸)で持った酒の容器(酉)を差し出す様子。「そなえる」「配置する」の意味を表す漢語{尊 /*tsuun/}を表す字。のち仮借して「うやまう」「とうとぶ」の意味を表す漢語{尊
/*tsuun/}に用いる、
としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%8A)。ちなみに、「肘」の字源は、
形声。「肉」+音符「寸 /*TU/」。「ひじ」を意味する漢語{肘 /*truʔ/}を表す字。「寸」の部分は腕の肘の部分に印をつけた指事文字で、現在の「寸」とは別の字。もとこの字が単独で{肘}を表す字であったが、肉月を加えた、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%98)、「守」の字源は、
形声。「宀(家・建物)」+音符「寸(肘) /*TU/」。「まもる」「たもつ」を意味する漢語{守 /*stuʔ/}を表す字。『説文解字』では会意文字と誤った解釈がなされているが、金文を見ればわかるように、「肘」の原字を音符にもつ形声文字である、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%88)、「寺」の字源は、
形声。「又」+音符「之 /*TƏ/」。「もつ」「にぎる」を意味する漢語{持 /*drə/}を表す字。のち仮借して「官舎」「役所」を意味する漢語{寺
/*s-də-s/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%BA)、
「專」の字源は、
象形。紡錘(叀)を手(又 > 寸)で扱うさまを象る。「紡錘」を意味する漢語{塼 /*don/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%88)、
「辱」の字源は、
会意。「辰(除草に用いる石器)」+「又(石器を持つ手)」、農地を除草する様子。「除草する」「たがやす」を意味する漢語{耨
/*nooks/}を表す字。のち仮借して「はじる」「はずかしめる」を意味する漢語{辱 /*nok/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BE%B1)、
としている。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨ぞ翼霧(はねき)るおのが尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし(万葉集)
の、
翼霧る、
は、
羽ばたきしてしぶきを散らす、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
あらし、
は、
有らし、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
動詞「あり」に推量の助動詞「らし」の付いた「あるらし」の音変化、
で、
あるらしい、
あるにちがいない、
の意(仝上・デジタル大辞泉)である。ただ、一説に、
ラ変動詞「あり」の形容詞化、
ともいう(仝上)とある。
翼霧(はねき)る、
は、
羽霧る、
羽切る、
とも当て(広辞苑)、
水鳥が翼を強く振ってしぶきをたてる、
意で(岩波古語辞典)、
羽ばたきしてしぶきを立てる(広辞苑)、
はばたきをして水しぶきをあげる(デジタル大辞泉)、
と、大同小異の意味になるが、転じて、
三の君にみせたてまつらん……と北の方はねぎりをる(落窪物語)
と、
忙しく飛び回る、
はしゃぐ、
意とする説もある(広辞苑)が、原文を見ると、
「明日の臨時の祭に、三の君に見せ奉らむ、蔵人の少将の渡り給ふを」と北の方は念じをるを、あこき聞きて、
とするものもあり、文脈から見ると、後者のような気がする。
霧る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
風しも吹けば余波(なごり)しも立てれば水底(みなぞこ)支利(キリ)てはれその珠見えず(催馬楽)、
霞(かすみ)立ち春日(はるひ)の霧れるももしきの大宮所(おほみやどころ)見れば悲しも(万葉集)、
と、
霧が立つ、
かすむ、
曇る、
意で、それをメタファに、
御髪(ぐし)かき撫でつくろひ、おろし奉り給ひしをおぼし出づるに、目もきりていみじ(源氏物語)、
と、
涙で目が曇る、
涙で目がかすんではっきり見えなくなる、
といった意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
霧る、
は、
霧ふかき籬の花はうすぎりて岡べの杉に月ぞかたぶく(風雅和歌集)、
と、
薄霧る(うすぎる)、
と使ったり、
梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば(古今和歌集)、
と、
天霧る、
と使ったりする(精選版日本国語大辞典)。
「翼」(漢音ヨク、呉音イキ)の異体字は、
𰭝(二簡字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BF%BC)、字源は、
会意兼形声。原字は、つばさを描いた象形文字。のちそれに立をそえて、つばさを立てることを示す。翊(ヨク つばさ)は、その系統を引く字。翼は「羽+音符異(イ)」で、一つのほかにもう一つ別のがあるつばさ、
とある(漢字源)。なお、『漢字源』は、
𦐂(ヨク・イキ つばさ)、
を異体字としている。同じく、
会意兼形声文字です(羽(秩j+異)。「鳥の両翼」の象形と「人が鬼払いにかぶる面をつけて両手をあげている」象形(「敬い助ける」の意味)から、「両翼・つばさ」を意味する「翼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1455.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声文字、「羽」+ 音符「異」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BF%BC)、
形声。窒ニ、音符異(イ)→(ヨク)とから成る。鳥のつばさの意を表す。借りて「たすける」意に用いる(角川新字源)、
形声。〔説文〕十一下に正字を飛+異に作り、異(よく)声。「翅(はね)なり」と訓し、また羽部四上に「翅(し)は翼なり」とあって互訓。金文に翼戴・輔翼の字をみな異に作り、「異臨(よくりん)」「休異(きうよく)」のようにいう。異は翼の初文。異は鬼形の神の象で、敬翼の意があり、また輔翼・翼蔽の意がある(字通)、
と、形声文字としている。なお、
「霧」(漢音ブ、呉音ム)
は、「天霧る」で触れた
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
君が見むその日までには山おろしの風な吹きそと打ち越えて名に負へる社(もり)に風祭(かざまつり)せな(万葉集)
の、
名に負へる社、
は、
風の神として聞える竜田の社、
の意、
風祭(かざまつり・かぜまつり)、
は、
風の災いを防ぐための祭り、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
龍田大社は、
奈良県生駒郡三郷町立野に鎮座、
し、祭神は、天御柱命、国御柱命、
右殿に、天御柱命(あめのみはしらのみこと)、
左殿に、国御柱命(くにのみはしらのみこと)、
で、
龍田の風神、
と総称され、広瀬の水神(広瀬神社、主祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、龍田大社の龍田風神とも関係があるとされる)と並び称された(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%94%B0%E5%A4%A7%E7%A4%BE)。延喜式には、
竜田坐天御柱国御柱神社、
とあり、「延喜式」の祝詞によると、
崇神天皇のとき、凶作が続いたので天皇が悩み、夢にこの神をまつると豊作になるとのお告げがあって、〈吾を朝日の日向ふ処、夕日の日隠る処の竜田の立野の小野にいつきまつれ〉との神告によって、その場所に神殿を造り建てたのが本社の起源である、
と伝えている。675年(天武4)、美濃王、佐伯連広足を遣わして、
風神、
をこの地にまつったのが風神祭(かぜのかみまつり)の始まりで、広瀬神社の大忌祭(おおいみのまつり)とともに国家的な大祭として後世に伝えられ、4月4日の例祭(滝祭)、6月28日〜7月4日の風鎮祭が有名である(世界大百科事典)とある。
風祭(かざまつり)、
は、
風吹かざらむことを、神に祈ること、
とある(大言海)ように、
稲作に被害が生じないよう風神に祈る風鎮めの祭り、
である。立春から数えて210日目の「二百十日」と、220日目の「二百二十日」。昔から強い風が吹くまたは天気が荒れる日とされ、(稲の花が咲き身をつけるころである)8月1日の八朔も含めて三大厄日とされている(https://weathernews.jp/s/topics/201807/310145/)という。
二十四節気の「処暑」(八月二十三日から九月六日頃)のうち、七十二候「禾乃登」(こくものすなわちみのる)の頃(九月二日から六日頃)が、稲が実り、穂を垂らす頃なので、この日を中心にして風の害を防ぐための風鎮めが広く行われた。古く、万葉集にも、冒頭の歌のように、
山嵐(おろし)の風な吹きそ打越へて名に負へる杜(=龍田神社)に風祭せな、
と詠われる。
風の神祭、
風鎮祭(ふうちんさい)、
とも、また神社やお堂にお籠りする、
風日(かざひ)待ち、
風籠り、
等々とも言う(風と雲のことば辞典)が、
富山で行われる、
おわら風の盆、
(上記歌の「杜」である)奈良県龍田大社で行われる、
風鎮大祭、
伊勢の、
風の宮、
長野県の、
とうせんぼう祭り、
長野県諏訪神社の、
薙鎌を立てての風祭、
熊本県阿蘇神社の、
風鎮祭、
新潟県の弥彦神社の二百二十日の、
風祭、
兵庫県の伊和神社の二百十日の7日前の、
風鎮祭、
等々も「風祭」である(世界大百科事典・日本大百科全書)。
風三斗、
という諺があり、
お風が吹くと稲の収穫が一反歩当たり、三斗も減る、
といったり、
ひと吹き百万石、
といい、
台風が一度上陸すると、稲が強風や冠水に見舞われて、百万石減産となる、
といわれる。出穂直後の柔らかい稲穂は特に強風に弱いのだという(風と雲のことば辞典)。
上総國望陀郡大谷村では、
風除(よ)け、
といい、風除けを行う日は特に決まっていなかったらしいが、数日前から名主、組頭らが風除け準備の御神酒手配をしている。その数が、
酒壱本代金三分弐朱 十駄十八両弐分銀三匁、
と、途方もない数である。家数五十六戸、二三九人の人口の村である。で、
安政五年(1858)の場合には六月十七日に風除けを行い、二百十日は七月二十四日であった。元治元年(1864)の場合、風除けは七月二十六日に行われ、二百十日は七月晦日であった。元治元年(1864)の風除けは、……若者中の(村内)三社に神楽奉納が行われたが、このほかに持明院で宝楽亀頭が行われている。七月晦日には名主八郎兵衛が村役人や勘定人を呼び寄せ風除け御神酒を振舞い、持明院にも酒食を渡している、
とある(山本光正『幕末農民生活誌』)が、
風籠り、風日待などといって、神社やお堂に忌籠(いみごも)り精進(しょうじん)する形が最も一般的で、各戸から1人ずつ出て飲食しながら祈願したり、念仏を称えたり、100万遍の数珠繰りをする、
とか(ブリタニカ国際大百科事典)、
獅子舞(ししまい)や囃子(はやし)を奉納して無事を祈ること、大注連縄(おおしめなわ)を村の入口に張り渡して風の悪霊の入来を防ぐこと、大声で騒ぎたてたり、藁人形に悪神を負わせて辻や村境に送り出そうとする、
とか、
社寺からの風除(よ)けの神札を田畑に立てることや、草刈鎌を庭先高く掲げて吹く風を切り払おうとする呪術、
とか(日本大百科全書)、あるいは、
関東から東北にかけては、風穴ふたぎといって団子をつくって家々の神棚に供える(ブリタニカ国際大百科事典)、
等々を行う。
風神は、古くは、神代紀に、
唯有朝霧而薫満之哉、乃吹撥之気化為神、號曰級長邊命、亦曰級長津彦命、是風神也、
とあるように、
伊弉諾尊・伊弉冉尊の子、級長津彦(しなつひこ)尊、
が、
風の神、
とされる(『古事記』は志那都比古神(しなつひこのかみ)、『日本書紀』は級長津彦命(しなつひこのみこと)と表記、神社の祭神として志那戸辨命、志那都比売神、志那都彦神等々とも)。
龍田大社(奈良県生駒郡)の祭神は、上述のように、天御柱命・国御柱命であるが、社伝や祝詞では天御柱命は志那都比古神、国御柱命は志那都比売神(しなつひめのかみ)のこととしている。志那都比古神は男神、志那都比売神は女神である。伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、どちらも級長津彦命と級長戸辺命((しなとべのみこと))を祀っている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%92%E3%82%B3)。後世は、
風神雷神、
と、雷神と対になし、
風袋を担いで天空を駆ける姿、
をイメージされるようになる(風と雲のことば辞典)。また、風の神様を、
風の三郎、
風の又三郎、
とも言い、新発田近辺の阿賀北地域では、子供たちが、
「風の三郎さん 風吹いてくりやんな くりやんな」
と唱和して地域を練り歩いた風習もみられた(https://www.heri.co.jp/01mon/pdf/ni-gaku/1709-ni-gaku.pdf)、とあり、風祭の一種である。地域によっては、
富山県には風の神を祀る「ふかぬ堂」という風神堂が十数か所あるし、新潟県には風の三郎なるものを祀る小祠、
がある(日本大百科全書)し、
風袋を背負っている風神の石像、
も少なくない(仝上)、とある。
なお、龍田大社の摂社である龍田比古社と龍田比売社には、それぞれ
龍田比古命、
と
龍田比売命、
が夫婦神として祀られている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C%E7%94%B0%E5%A7%AB)が、
竜田姫、
で触れたように、
竜(龍)田姫、
は、
秋を支配する女神、
であり、
龍田山は奈良の京の西に当たり、方角を四季に配当すると西は秋に当たるのでいう、
とある(岩波古語辞典)。
大和の平群(今は生駒郡)に座す女神
で、同じ平群に座す男神は、
竜(龍)田彦、
で、
わが行きは七日は過ぎじ竜田彦ゆめ此の花を風にな散らし(万葉集)、
と、
風を司る神、
とされ(大言海)、
竜(龍)田神社の祭神、
とある(岩波古語辞典)。「竜田姫」「竜田彦」ともに、『延喜式』にみえ、竜田坐天御柱国御柱神社二座とともに、
竜田比古竜田比女神社二座、
と記され、
前者の天御柱国御柱も後者の竜田比古、竜田比女も、みな風難を避けるために祭られる神、
であった(朝日日本歴史人物事典)とある。
「竜田姫」は、春の、
佐保姫の対、
とあり、「佐保姫」は、
佐保姫の糸そめかくる青柳を吹きな乱りそ春の山嵐(詞花和歌集)、
と、
佐保山は平城京の東北方にあり、東は季節に配当すると春に当たるのでいう、
とあり(仝上)、イロハ引き国語辞書『匠材集(1597)』には、
佐保姫、春を守る神也、
とある(岩波古語辞典)。なお「竜田姫」は、
竜田山を神格化した秋の女神の名、
としても用いられるが、それは、
佐保山を神格化した春の女神佐保姫、
に対するためともある(朝日日本歴史人物事典)。
ちなみに、奈良県生駒郡斑鳩町龍田にある、
龍田神社(たつたじんじゃ)、
は、『延喜式』神名帳における祭神の記載は、
龍田比古龍田比女神社二座、
と記載され、元々の祭神は龍田比古神・龍田比女神の2柱であったが、龍田大社から天御柱命・国御柱命の2神が勧請され、元々の祭神は忘れられたとされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE)。江戸幕府の地誌『大和志』では、龍田大社(三郷町立野)の本宮に対して当社を「龍田新宮」としている(仝上)。
まなお、
風、
については、触れた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
山本光正『幕末農民生活誌』(同成社)
倉嶋厚監修『風と雲のことば字典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
男神(ひこかみ)も許したまひ女神(ひめかみ)もちはひたまひて時となく雲居(くもゐ)雨降る筑波嶺(つくはね)をさやに照らしていふかりし国のまほらをつばらかに示したまへば(万葉集)
の、
ちはひたまひて、
は、
霊力を現わしてくださって、
とし、
時となく雲居(くもゐ)雨降る筑波嶺(つくはね)を、
は、
いつもは時を定めず雲がかかり雨の降るこの筑波嶺なのに、
と訳し、
いふかりし、
は、
どう見えるか気がかりであった、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
国のまほら、
の、
まほら、
は、
真秀ら、
で、ラは接尾語、
最もすぐれた所、
の意とする(仝上)。
ちはふ、
は、
幸ふ、
とあて、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、
「ち」は「霊力」の意(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)、
チは霊力、ハフはそれの働く意(岩波古語辞典)、
サチハフの略、イチハヤブル、チハヤブルの例(大言海)、
とあり、天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、
影護、知波不(チハフ)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
朋、チハフ、カタチハフ、タスク、
援、チハフ、タスク、
とあり、その意味は、
威力で助ける、加護する(岩波古語辞典)、
霊力を現して加護する(学研全訳古語辞典)、
霊力を現わす。また、神が霊力を発揮して加護を垂れる(精選版日本国語大辞典)、
幸を與ふ(大言海)、
と、
霊力、
に力点を置くか、
加護、
に力点を置くかに、微妙に差がある。
ちはやぶる、
は、
千早振る、
と当て(広辞苑)、その由来は、
チは風、ハヤは速、ブルは様子をする意(岩波古語辞典・広辞苑)、
動詞「ちはやぶ」の連体形に基づく(大辞林)、
「いちはやぶ(千早ぶ)」の変化。また、「ち」は「霊(ち)」で、「霊威あるさまである」の意とも(日本国語大辞典)、
「ち」は雷(いかづち)の「ち」と同じで「激しい雷光のような威力」を、「はや」は「速し」で「敏捷」を、接尾語の「ぶる」は「振る舞う」を意味する(https://zatsuneta.com/archives/005742.html)、
最速(イチハヤブル)の約、勢鋭き意。神にも人にも、尊卑善惡ともに用ゐる。倭姫命世紀に、伊豆速布留神とあり、宇治に續くは、崎嶇(ウヂハヤシ)、迍邅(ウヂハヤシ)、うぢはやきと云ふに因る(大言海)、
イトハヤシ(甚早し)はイチハヤシ(逸早し)に転音し、さらに「敏速に振る舞う」という意でイチハヤブル(逸速振る)といったのが、チハヤブル(千早振る)に転音して「神」の枕詞になった。ふたたびこれを強調したイタモチハヤフル(甚も千早振る)はタモチハフ・タマチハフ(魂幸ふ)に転音して、「神」の枕詞になった、〈タマチハフ神もわれをば打棄(うつ)てこそ(万葉集)〉(日本語の語源)、
等々諸説あるが、意味からいうと、枕詞にも、
千磐破(ちはやぶる)人を和(やは)せとまつろわぬ国を治めと(万葉集)、
強暴な、
荒々しい、
という意から、
地名「宇治」にかかる。かかり方は、勢い激しく荒荒しい氏(うじ)の意で、「氏」と同音によるか。一説に、「いつ(稜威)」との類音による、
ものと、
ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かましを(万葉集)、
と、
勢いの強力で恐ろしい神、
の意で、「神」およびこれに類する語にかかり、
「神」また、「神」を含む「神世」「神無月」「現人神」などにかかる。「神」に縁の深いものを表す語、「斎垣」「天の岩戸」「玉の簾」などにかかる、
ものと、また、
特定の神の名、神社のある場所、
などにもかかるものがあり、さらに、
稜威(いつ)の、
意から、それと類音の地名「伊豆」にかかる、
ものがある(日本国語大辞典)とされる。もし「ちはやぶる」の由来が異なるのなら、上記の、
チハヤブル(千早振る)、
と
タマチハフ(魂幸ふ)、
説(日本語の語源)となるのだろうが、やはり、
ち、
を、
靈、
ないし、
霊力、
と見るのが妥当なのだろう。このことは、たとえば、
さつや(幸矢)、
の、
さつ、
は、
さち(幸)と同源(広辞苑)、
サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、
サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
などとあり、
幸(ちは)ふ、
にあてる、
幸(さち)、
自体に、その由来が、
サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、
サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、
サキトリ(先取)の義(名言通)、
山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、
サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典)
矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、
サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、
サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、
等々諸説あり、
さち、
は、
火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、
と、
獲物を取る道具(広辞苑)、
狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、
獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力(精選版日本国語大辞典)、
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、
とされる。しかし、
威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、
霊力、
を、
さち、
といい、さらに、その、
矢の獲物、
さらに、転じて、
幸福、
をも言うようになった(広辞苑)。こうみる、
ち、
にも、
さち、
にも、
霊力、
がつきまとう。
ちはふ、
に、
幸、
を当てた所以なのだろう。
はふ、
は、
いはふ(祝ふ・斎ふ)、
わざわひ、
幸(さき)はふ、
で触れたことだが、
イハフ(祝・斎)サキハヒ(幸)・ニギハヒ(賑)・ケハヒ(気配)のハヒ・ハフに同じ、
で(大言海・岩波古語辞典)、接尾語として、
辺りに這うように広がる意を添えて動詞をつくる、
とされ(岩波古語辞典)、
這ふ、
延ふ、
と当て、
這い経るの意、
とある(大言海)。
這ふ⇔延ぶ、
と、
這ふは、延ふに通じ、延ふは這ふに通ず、
とあり(仝上)
蔓草や綱などが物に絡みついて伝わっていく、
意で(岩波古語辞典)、「ハヒ」は、この、
「はふ」の連用形です。「はふ」は「延ふ」で〈蔓が延びていくように、物事が進む、広まる、行きわたる〉というような意味、
とするのが大勢の解釈となる(https://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_18.html)。だから、
「にぎはひ」の「ハヒ」、
も、
「さきはひ」の「ハヒ」、
も、
「けはひ」の「ハヒ」、
も、
這ふ、
延ふ、
の
ハヒ、
で、「にぎはひ」は、
和やかな状態が打ち続き盛んになる意、人々が寄り集まり、和やかに繫盛する意(日本語源広辞典)、
となり、「さきはひ」は、上述したように、
サク(咲)・サカユ(栄)・サカル(盛)と同根、生長の働きが頂点に達して、外に形を開く意(岩波古語辞典)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、
「幸、又福を訓むも、先の字に通えり」(和訓栞)、万葉集に見える幸延國の義なるべし、幸(サキ)の動く意なり(大言海)、
となり、「けはひ」(「気配」は後世の当て字)は、
ケ(気)+ハヒ(事のひろがり)。何となく感じられるさま(日本語源広辞典)、
ケは気、ハヒは延の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
ケ(気)ハヒ(延)の義。ハヒは、辺り一面に広がること、何となく、辺りにスー感じられる空気(岩波古語辞典)、
となり、「ハヒ」を、
延ふ、
這ふ、
から来た、
広がる、
延びる、
という状態表現の言葉と見る。しかし、
ハヒ、
を、
ハフ、
とつなげるのは音韻の類似性から来た付会なのではないか、という気がする。だから、異説がある。
サチイハフ(幸祝ふ)は「イ」を脱落してサチハフ(幸ふ)になった。〈サチハヘ給はば〉(祝詞)。サチハフ(幸ふ)も子交(子音交替)[tk]をとげてサキハフ(幸ふ)になった。「栄える。幸運にあう」という意である。〈しきしまのやまとの国は言霊のサキハフ国ぞ〉(万葉集)。(中略)サキハフ(幸ふ)は、キハ[k(ih)a]の縮約でサカフ[fu](栄ふ)になり、さらにサカウ(kawu)を経てサカユ[ju](栄ゆ)に転音した。……サキハフ(幸ふ)の連用形サキハヒ(幸ひ)は子音[k]を脱落してサイハヒ(幸)になった、
とある(日本語の語源)。
この説に従うなら、「ハヒ」=「ハフ(這・延)は成立しない。
「サキハヒ」が、
サチイハヒ(幸祝ひ)、
なら、「ワザハヒ」は、
ワザイハイ(業祝ひ)、
と、神意を承けて祝う意となり、「ニギハヒ」は、
ニギイハイ(和祝ひ)、
とになるが、そもそも、
和(にぎ)を活用す、和(なぎ)に通ず、荒るるに対す(大言海)、
とするなら、
にぎはふ、
は一語であり、「にきはふ」の「にぎ」は、「荒(あら)」の対である、
やわらぐ、
意の、
にぎ(和)、
を活用したものなのだとすると、「ハヒ」説は適用できない。「ニギ」を活用した動詞には、四段活用の、
にぎはふ(賑)、
の他に、
にぎぶ(賑 上二段活用)、
にぎははす(賑 他動詞)
にぎほほす(賑 形容詞)、
等々があり(大言海)、「ニギ」と「ハヒ」を分ける説自体が成り立たないかもしれない。
「ケハひ」も、また、
キイハヒ(気祝ひ)、
といえなくもない。「け(気)」は、
霧・煙・香・炎・かげろうなど、手には取れないが、たちのぼり、ゆらぎのでその存在が見え、また感じ取れるもの、
である(岩波古語辞典)。
「いはふ」は、
祝ふ、
斎ふ、
と当て、原義は、
吉事・安全・幸福を求めて、吉言を述べ、吉(よ)い行いや呪(まじない)をする、
意である。「わざわひ」の場合、ことに、
隠された神意に呪(まじない)する、
意の、
わざ+いはい、
はあり得る気がする。そして、憶説ながら、
サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、
とした転訛に倣うなら、
ワザイハフ(業祝ふ)→ワザハフ→ワザハヒ→ワザワイ、
という転訛もあり得るのかもしれない。もちろん、憶説に過ぎないが。ちなみに、
はふ(延)、
は、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、他動詞ハ行下二段活用で、
張り渡す、
意、
はふ(這)、
は、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、
はう、
腹ばいで前進する、
意である(学研全訳古語辞典)。
ちはふ、
も、
チ(霊)ハフ(延ふ)、
なら、
霊力が広く及ぶ、
という意だが、
チ(霊)イハフ(祝ふ)、
なら、
神の加護に感謝する、
意となる。上述で、
ちはふ、
の意味の解釈に、
霊力、
に力点を置くか、
加護、
に力点を置くかに、微妙に差がある、
とした所以なのかもしれない。ま、
霊力→(の結果)→神の加護、
となるので、
前か後か、
ということになるだけなのだが。ちなみに、
幸ふ、
を、
さきはふ、
と訓むと、
幸(さき)はふ、
で触れたように、
福(さき)はふ、
とも当て、
サク(咲)・サカユ(栄)・さかる(盛)同根、生長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く意、ハフはニギハヒのハヒに同じ(岩波古語辞典)、
幸(サキ)の動く意なり、幸(さち)はふ、饒(にぎ)はふももこれなり。さいはふともいふは、音便なり(幸神(さちのかみ)、さいのかみ)(大言海)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、
などとあり、江戸中期の国語辞典『和訓栞(谷川士清)』は、
(「さきはふくに」と)萬葉集に見えたり、幸延國の義なるべし、
としていて、
生命力の活動が活発に行われる、
意から、
ゆたかに栄える、
幸福に栄える、
意で使い(精選版日本国語大辞典)、中世では、
女性が男性の愛情を受けて、幸福な結婚をしていることにいう場合が多い、
ともある(仝上)。しかし、これも、
幸(サキ)ハフ(延ふ)、
なら、
幸いが広く及ぶ、
という意だが、
幸(サキ)(霊)イハフ(祝ふ)、
なら、
幸いに感謝する、
意になる。そして、憶説ながら、後者なら、
サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、
と転訛したことになる。
「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、異体字が、
𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、字源は、「さつや」で触れたように、
象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、
とある(漢字源)。同趣旨で、
象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji43.html)、
象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、
ともあるが、別に、
会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、
と会意文字とするものもある。しかし、手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、また、
『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、
ともあり(仝上)、
「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
かき霧らし雨の降る夜をほととぎす鳴きて行くなりあはれその鳥(万葉集)
の、
かき霧らす、
は、
神が急に空をかき曇らせて雨の降る夜であるのに、
という含意で、
空かき曇って、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かき霧らす、
は、
掻き霧らす、
とあて、
かき(掻き)、
は接頭語、
一面に曇らせる、
意である(精選版日本国語大辞典)。
霧らす、
は、
「霧る」の他動詞形(照る、てらす。鳴る、鳴らす)、
で(大言海)、
さ/し/す/す/せ/せ、
の、他動詞サ行四段活用(学研全訳古語辞典)、
うち霧之(きらシ)雪は降りつつしかすがに我家(わぎへ)の園に鶯鳴くも(万葉集)、
と、
空一面をかき曇らせて、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、
空を曇らせる、
雪や雨が降ったり、霧や霞(かすみ)がかかって視界をさえぎる、
意で(精選版日本国語大辞典)、後述の、
霧る、
と同様、それをメタファに
あかねさす光は空に曇らぬをなどてみ雪に目をきらしむ(源氏物語)、
と、
(目を)くもらせる、
意でも使う(岩波古語辞典)。
霧る、
は、
翼霧(はねき)る、
で触れたように、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
風しも吹けば余波(なごり)しも立てれば水底(みなぞこ)支利(キリ)てはれその珠見えず(催馬楽)、
霞(かすみ)立ち春日(はるひ)の霧れるももしきの大宮所(おほみやどころ)見れば悲しも(万葉集)、
と、
霧が立つ、
かすむ、
曇る、
意で、それをメタファに、
御髪(ぐし)かき撫でつくろひ、おろし奉り給ひしをおぼし出づるに、目もきりていみじ(源氏物語)、
と、
涙で目が曇る、
涙で目がかすんではっきり見えなくなる、
といった意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
霧る、
は、
霧ふかき籬の花はうすぎりて岡べの杉に月ぞかたぶく(風雅和歌集)、
と、
薄霧る(うすぎる)、
と使ったり、
梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば(古今和歌集)、
と、
天霧る、
と使ったりする(精選版日本国語大辞典)。
掻き、
は、接頭語で、
霧らすに同じ、
とある(大言海)。確かに、
掻き、
は、
動詞に付いて、意味を強めたり語調を整えたりする、
用法で、
掻き曇る、
掻き消す、
掻き上げ、
掻き回す、
掻き曇る、
掻き口説く、
掻き集む、
掻き鳴らす、
掻き混ぜる、
掻き壊す、
等々多くの用例がある。
掻く、
は、
か/き/く/く/け/け、
の、他動詞カ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
で、
爪を立て物の表面に食い込ませて引っかいたり、絃に爪の先を引っ掛けて引いたりする意。「懸く」と起源的に同一。動作の類似から、後に「書く」の意に用いる(岩波古語辞典)、
爪や手など先の尖った物を用いて何かの表面を強くひっかく意味が原義で、そのような動作をすることを広くいう(精選版日本国語大辞典)、
とあり、起源的に、
カはカリカリという音から(国語溯原=大矢徹)、
爪にカクル(掛)意(名言通)、
カケク(掛來)の義(日本語原学=林甕臣)、
カズクル(員転)の約轉(言元梯)、
と、
掛く
懸く
とつながるようであるが、
書く、
も、
掻く、
も、
懸く、
も
掛く、
も、
舁く、
も、
すべて、
かく、
であったことは、
か(書)く、
で触れた。
「搔く」の連用形「搔き」と、接頭語「搔き」とを混同しないこと、
とある(学研全訳古語辞典)が、ただ、
消す、
のと、
掻き消す、
とでは、含意が異なる。ただ、
回す、
のと、
掻き回す、
でも、
壊す、
と、
掻き壊す、
でも、
捜す、
と、
掻き捜す、
でも、
撫でる、
と、
掻き撫でる、
でも、
澄ます、
と、
掻き澄ます、
でも、
登る、
と、
掻き登る、
でも、
払う、
と、
掻き払う、
でも、
寄せる、
と、
掻き寄せる、
でも、やはり、含意が異なる。ただ、強調というよりは、
主体的な動作として、
あるいは、
主体の意志として、
の含意が強められているのではないか、という気がする。
「加岐(カキ)ひく」(古事記‐下・歌謡)、「訶岐(カキ)苅り」(古事記‐下・歌謡)など、「掻く」動作の意を表わして複合語を作ることも多く、「掻き口説く」「掻き廻(み)る」など原義を残さず接頭語として使われるに至った(精選版日本国語大辞典)、
とあるところを見ると、もともと、
動作の強調であった、
と見ていい、単なる、接頭語となっても、その翳は強く残っている気がする。
掻き、
の音変化で、
掻い、
という接頭語も、やはり、
動詞に付いて意味を強め、語調を整える、
用い方で、
掻いくぐる、
掻いつくろう、
掻い探る、
掻い添ふ、
掻い取る、
掻い撫でる、
掻い引く、
掻い伏す、
掻い澄む、
掻い負う、
掻い付く、
掻い振る、
掻い取る、
掻い放つ、
掻い回る、
掻い殴る、
掻い蹲う、
掻い繕ふ、
等々、「掻き」と同様の用例も多い。やはり、単なる、強調という以上の含意を感じる。
「搔」(ソウ)の異体字は、、
掻(簡易慣用字体)、
である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%90%94)。字源は、
会意兼形声。叉(ソウ)は、爪(ソウ)と同じく爪の形。蚤(ソウ)は、それに虫を加えた字で、つめでかくほどに痒くするのみ。掻は「手+音符蚤」で、手の爪でかくこと、
とある(漢字源)が、別に、
形声。「手」+音符「蚤 /*TSU/」。「かく」を意味する漢語{搔 /*suu/}を表す字。もと「蚤」が{搔}を表す字であったが、手偏を加えた。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%90%94)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
鷲の棲む筑波の山の裳羽服津(もはきつ)のその津の上(うへ)に率(あども)ひて娘子(をとめ)壮士(をとこ)行き集(つど)ひかがふ嬥歌(かがひ)に(万葉集)
の、
率(あども)ひて、
は、
声掛け誘い合わせて、
の意(「率(あども)ふ」は触れた)、
嬥歌(かがひ)、
は、この歌の詞書(和歌や俳句の前書き)に、
筑波嶺に登りて嬥歌会(かがひ)を為(す)る日に作る歌、
と、
嬥歌会(かがひ)、
とも当てている。
歌垣、
で触れたように、
歌垣、
は、
上代、東国で、
嬥歌之會、俗曰宇太我岐、叉曰加我毘(常陸風土記)
と、
かがひ(嬥歌)、
といい、この歌の注記にも、
嬥歌は、東の俗語(くにひとのことば)には「かがひ」といふ
とある。この由来も、
カキ(懸)カヒ(合)の約。男女で互いにかけあいで歌を歌う意、嬥歌は、おどり歌う意(岩波古語辞典)、
かけあふの約、韓詩外伝「嬥歌、蠻人歌也」(大言海)、
カケアヒ(掛合)の義(雅言考・和訓栞)、
妻よばいの意のカグレアヒの約(古事記傳)、
カガヒ(嚇呼)の義、カガは大声をあげて歌う意(松屋筆記)、
カガヒ(燿火)の意から(日本民族の起源=岡正雄)、
と、
歌垣、
の由来、
歌懸きの意、異性に歌を歌いかけて、求婚すること。懸くは古く四段活用の動詞、「歌垣」は、奈良時代の当て字(岩波古語辞典)、
人々が垣のように円陣を作って歌ったところから、または、「歌懸き」すなわち歌の掛け合いからきた語という(デジタル大辞泉)、
「うたかき(歌掛)」の連濁による語で、この場合の「かく(掛)」も古くは四段活用であったか。近年まで与論島に「ウタカキアスビ」「ウタヌカキアイ」などという例(山田実「南東方言与論語彙」)が見られた(精選版日本国語大辞典)、
歌嬥歌(うたかがひ)の急呼と云ふ、うまかひ(馬飼)、うまき(牧)(大言海)、
歌掛合ひの義(雅言考)、
カガヒはカグレアヒか(古事記傳)、
歌垣諍ヒなどの下略(文学以前=高崎正秀)、
ウタの原義は歓楽で、歌垣は、ウタを詠みかわして楽しむ場の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
と同様、
かけあう、
という意とみてよく、
なぞかけ、
の、
カケ、
と同意で、
歌の掛合い、
は、
歌のことばの呪的信仰に立つ男女の唱和、歌争い、
で、これが原義のようである(世界大百科事典)。
嬥歌(かが)ふ、
は、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、
男女が集まって飲食し、踊り歌う、
という、
春秋の二季に、特定の山上や水辺などに近隣の男女が集まり、飲食、歌舞、交歓した行事、
である、
嬥歌(かがひ)をする、
意であり(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典・広辞苑)、
嬥歌(かが)ふ、
は、
カキ(懸)アフ(合)の約(岩波古語辞典)、
かけあふの約(大言海)、
で、この連用形の名詞化が、
嬥歌(かがひ)、
である(精選版日本国語大辞典)。なお、
嬥歌、
を、
ちょうか、
と訓ませると、中国・六朝時代の梁の昭明太子編の詩文集『文選(もんぜん)』「魏都賦」に見える、
中国の巴(は 四川省)地方の民謡で、人々が集まり、歌いかつ踊るもの、
の意である(仝上)。それを当てた。
「嬥」(漢音チョウ、呉音じょう)は、
会意兼形声。「女+音符翟(高くあがる)」、
とあり(漢字源)、「女性がすらりと高くて美しい」意の他に、上述四川省の歌舞の意がある(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
この山をうしはく神の昔より禁(いさ)めぬわざぞ今日(けぬ)のみはめぐしもな見そ事もとがむな(万葉集)
の、
うしはく神、
は、
支配する神、
めぐし、
は、
いとおしくかわいいものだ、
の意、
めぐしもな見そ、
で、
女に対して哀れとみるな、
と訳し、
事もとがむな、
を、
男に対して目くじらを立てるな、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
うしはく、
は、
領く、
とあて、転じて、
吾が地と宇須波伎(ウスハキ)坐(いま)せと進る幣帛(みてぐら)は(延喜式(927)祝詞)、
と、
うすはく、
ともいい(岩波古語辞典・大言海)、
か/き/く/く/け/け、
の、他動詞カ行四段活用で、由来は、
ウシは主人、ハキは佩く意(岩波古語辞典)、
「主(うし)」として領有する意から(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)
其の地に主人(ウシ)となりて佩(ハ)く義と云ふ。或は、食(ヲ)し佩くの転にはあらぬか、をつつ、うつつ(現)。をめく、うめく(叫喚)(大言海)、
等々で、
汝(いまし)が宇志波祁(ウシハケ)る葦原の中つ国は我が御子の知らす国ぞ(古事記)、
と、
領す、
領知す、
の意で、これは、冒頭のように、
この山をうしはく神の昔より禁(いさ)めぬわざぞ今日のみは(万葉集)、
と、
神のみに云ふ、
としている(大言海)が、転じて、
山川の清(さやけ)き地(ところ)に遷り出でまして、我が地宇須波伎座(いま)せと(古事記)、
と、
(土地などを)あるじとして持っている、
領する、
支配する、
意で使う(岩波古語辞典・大言海)。
「領」(漢音レイ、呉音リョウ)は、「領布(ひれ)」で触れたように、
会意兼形声。令(レイ・リョウ)は、すっきりと清らかなお告げ。領は「頁(あたま、くび)+音符令」で、すっきりときわだったくびすじ、えりもとをあらわす。清らかな意を含む、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(令+頁)。「頭上の冠の象形とひざまずく人の象形」(「人が神の神意を聞く」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「頭」の意味)から、「うなじ(首の後ろの部分)」を意味する「領」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji833.html)が、
形声。「頁」+音符「令 /*RENG/」。「えりくび」を意味する漢語{領 /*rengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%98)、
形声。頁と、音符令(レイ、リヤウ)とから成る。「うなじ」の意を表す。借りて「おさめる」意に用いる(角川新字源)、
形声。声符は令(れい)。〔説文〕九上に「項(うなじ)なり」とする。〔段注〕に「頸(くび)なり」の誤りとするが、〔広雅、釈親〕に「項なり」、〔釈名、釈衣服〕には「領は頸なり」とあり、要するにえりくびをいう字である。〔詩、衛風、碩人〕に「領(くび)は蝤蠐(しうせい)(すくもむし)の如し」とみえる。要(腰)と領とは、人体の枢要のところであるから、最も重要なところを要領という。統領・支配の意よりして領略・領悟の意となる。衣服では領袖が大事な部分とされた(字通)、
も、形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
この山をうしはく神の昔より禁(いさ)めぬわざぞ今日のみはめぐしもな見そ事もとがむな(万葉集)
の、
うしはく神、
は、
支配する神、
めぐし、
は、
いとおしくかわいいものだ、
の意、
めぐしもな見そ、
で、
女に対して哀れとみるな、
と訳し、
事もとがむな、
を、
男に対して目くじらを立てるな、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。また、
人もなき古(ふ)りにし里にある人をめぐくや君が恋に死なする(万葉集)
の、
めぐし、
は、
いとおしい、
の意で、
かわいそうに、あなたは恋死にさせようとするのですか、
と訳す(仝上)。
めぐし、
は、
愛し、
愍し、
とあて(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
の、形容詞ク活用で、その由来は、
メは目、グシはこころぐしのグシで、苦しい意(岩波古語辞典・小学館古語大辞典・角川古語大辞典辞典)、
目+苦しい、見る目に苦しい意、胸が苦しいほど可愛くいとおしいという気持ちです(日本語源広辞典)、
「め」(目)と「心ぐし」の「ぐし」(苦しい)から成り、目に見て苦しい、気掛かりであるが本義であり、ここから胸が痛むほどかわいい、いとしいの意も派生したと思われる(精選版日本国語大辞典)、
メクム(竈)の義(言元梯)、
メグム(恵)の語根から(万葉集辞典=折口信夫)、
マクハシの約(万葉考)、
ムゴシ(酷)と通音(音幻論=幸田露伴)、
目を懸くべきの意から(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々諸説あるが、
「め」(目)と「心ぐし」の「ぐし」(苦し)から成り、目に見て苦しい、気掛かりであるが本義であり、ここから胸が痛むほどかわいい、いとしいの意も派生したと思われる、
とする(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)のが通説のようである。しかし、
めぐし、
の意味は、上述の、
人も無き古(ふ)りにし里にある人を愍久(めぐク)や君が恋に死なせむ(万葉集)、
の、
愍久(めぐク)や君が恋に死なせむ、
では、
かわいそうに、あなたは恋死にさせようとするのですか、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、ここでは、
めぐし、
は、
気の毒にも、
いたわしい、
かわいそうだ、
見るにたえない、
といった意と、
父母を 見れば貴(たふと)し妻子(めこ)見れば米具之(メグシ)愛(うつく)し世の中はかくぞことわり(万葉集)、
と、
いとおしくてかわいい、
と訳し(仝上)、
見るも切ないほどかわいい、
いとおしい、
かわいらしい、
の意とで使うが、前述の、
「め」(目)と「心ぐし」の「ぐし」(苦しい)から成り、目に見て苦しい、気掛かりであるが本義であり、ここから胸が痛むほどかわいい、いとしいの意も派生したと思われる、
という、
目に見て苦しい、気掛かりである→胸が痛むほどかわいい、
の変化は、少し付会すぎるのではないか、という疑念がなくもなく、『大言海』は、
愍然、
とあて、
目を痛まする意、
の、
めぐし、
と、
恤(めぐ)む(あはれ、あはれむ、いとほし、いとほしむなどと同趣)と同根の語と云ふ、
とする、
めぐし、
を別項を立て、前者は、
妹も我も心は同じ類(たぐ)へどもいや懐かしく相見れば常初花(とこはつはな)に心ぐし、眼具之(めぐし)もなしにはしけやし(万葉集)、
と、
見る目の痛々しさもなくて、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
目苦し、
心苦し、
こころぐし(今、惨然(むご)と、と云ふは此の転なりと云ふ)、
の意、後者は、前述のように、
父母を見れば貴(たふと)し妻子(めこ)見れば米具之(メグシ)愛(うつく)し世の中はかくぞことわり(万葉集)、
と、
いとほし、
かわゆらし、
の意としている。ただ、後者は、
前者より出て、愍(あわれ)むべくいとほしいき意か、
と付言をして、通説とつなげてはいるが。なお、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
優、メグシ、
とある。また、
心苦(ぐ)し、
心ぐし、
については触れた。
愛し、
は、
めぐし、
のほか、
み吉野の玉松が枝(え)ははししきかも君が御言(みこと)を持ちて通(かよ)はく(万葉集)、
と、
はし、
とも訓ませ、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
いとしい、
愛すべきである、
かわいらしい、
愛らしい、
慕わしい、
といった意で使い(デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)、また、
いとし、
とも訓ませ、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
いとほし、
から変化した語で、比較的新しく、
いとしうもなひ物、いとおしいといへどなう、ああ勝事か(「閑吟集(1518))」)、
と、
かわいい、
意と、
散々に申しておい出て御ざるが、いとしひ事を致た(狂言「鈍太郎(室町末)」)、
と、
気の毒だ、
哀れだ、
痛わしい、
の意で使い(仝上)、用法としては、
古くは親から子に対するものが多かった。のち男女間に、近世には子・従者から親・主人にも用いられるようになる、
とある(精選版日本国語大辞典)。さらに、
愛し、
は、
うるはし、
とも訓ませ(「麗し」「美し」とも当てる)、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
大和(やまと)は国の真秀(まほ)ろば畳(たた)なづく青垣山籠れる大和し宇留波斯(ウルハシ)(古事記)、
宇流波斯(ウルハシ)とさ寝(ね)しさ寝(ね)てば刈薦(かりこも)の乱れば乱れさ寝しさ寝てば(仝上)、
うるはしうものし給ふ人にて、あるべき事はたがへ給はず(源氏物語)、
などと、
端正である、立派である、
(色彩が)見事である、整っていて美しい、きれいである、
行儀が良い、礼儀正しい、きちんとしている、
といった意で、
奈良時代には「宇流波志(うるはし)」であったものが、平安初期には「宇留和志(うるわし)」となった。事物が乱れたところがなく完全にととのっている状態をあらわす(広辞苑)、
奈良時代に、相手を立派だ、端麗だと賞讃する気持から発して、平安時代以後の和文脈では。きちんと整っている、礼儀正しいという意味を濃く保っていた語。漢文訓読体では、「美」「彩」「綺麗」「婉」などの傍訓に使われ、多く仏などの端麗・華麗な美しさをいう。平安女流文学では、ウツクシ(親子・夫婦の情愛をいい、対象を可愛く思う気持)とは異なる意味を表した。今日のウルワシは漢文訓読体での意味の流れをひいている(岩波古語辞典)、
などとしている。また、
愛し、
は、
うつくし、
とも訓ませ(「美し」とも当てる)、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、ふるくは、
于都倶之枳(ウツクシキ)吾(あ)が若き子を置きてか行かむ(日本書紀)、
と、
妻、子、孫、老母などの肉親に対するいつくしみをこめた愛情についていったが、次第に意味が広がって、一般に慈愛の心についていう(精選版日本国語大辞典)、
にいたり、
西京のそこそこなるいへに、いろこくさきたる木のやうたいうつくしきが侍りしを(大鏡)、
と、
美一般を表わし、自然物などにもいう、
ようになり、室町期の「いつくし」に近い、
美麗である、
きれいだ、
みごとである、
といった意味に広がる(仝上)が、
上代で優位の立場から目下に抱く肉親的ないし肉体的な愛情であった原義は一貫して残り、平安時代でも身近に愛撫できるような人や物を対象とし、中世でも当初は女性や美女にたとえられる花といった匂いやかな美に限定されており、目上への敬愛やきらびやかで異国的な美をいう「うるはし」とは対照的であった。やがて中世の末頃には、人間以外の自然美や人工美、きらびやかな美にも用いるようになり、明治には抽象的な美、そして美一般を表わすようになった(精選版日本国語大辞典)、
親が子を、また、夫婦が互いに、かわいく思い、情愛をそそぐ心持をいうのが、最も古い意味。平安時代には、小さいものをかわいいと眺める気持ちへと移り、梅の花などのように小さくてかわいく、美であるものの形容。中世に入って、美しい・奇麗だの意に転じ、中世末から近世にかけて、さっぱりとしてこだわりを残さない意も表した。類義語ウルハシは端正で立派であると相手を賞美する気持。イツクシは神威が霊妙に働き、犯しがたい威厳のある意。ただし、中世以降、ウツクシミはイツクシミと混同した。平安時代、かわいいの意のラウタシがあるが、これは相手をいたわりかわいがってやりたい意(岩波古語辞典)、
などとあり、ちなみに、
うるわし、
は、上述したように、
奈良時代に、相手を立派だ、端麗だと賞讃する気持から発して、平安時代以後の和文脈では。きちんと整っている、礼儀正しいという意味を濃く保っていた語。漢文訓読体では、「美」「彩」「綺麗」「婉」などの傍訓に使われ、多く仏などの端麗・華麗な美しさをいう。平安女流文学では、ウツクシ(親子・夫婦の情愛をいい、対象を可愛く思う気持)とは異なる意味を表した。今日のウルワシは漢文訓読体での意味の流れをひいている(岩波古語辞典)、
とあり、結果として、「うつくし」が、相手への感情表現から、相手の価値表現へシフトし、「うるわし」が、相手の状態表現から、相手の価値表現へとシフトし、価値表現そのものへと転換したということになるが、
うつくし、
と、
うるわし、
の違いは、
「うつくし(い)」は、かわいい、愛すべきだ、の意を表し、「うるわし(い)」は、整った、端正な美を表した。「うつくし(い)」が「きれいだ」となるのに対し、「うるわし(い)」は「りっぱだ」に近づく(デジタル大辞泉)、
「うつくし」が愛すべきものをいうのに対し、「うるはし」は整った美しさをいう。上代には、立派なものとして賞揚する場合に多く用いられ、中古に至ると外見的な立派さ、しかつめらしい、儀式ばった感じに用いられた。「容貌や容姿などについて、新鮮な美しさ、うるおいのある美しさ」という、魅力的なあでやかさを含む美しさを表わすようになったのは、中世末期ごろからか。現在では「うるわしい友情」のように「心」に関して用いられることが多い(精選版日本国語大辞典)、
などとある。さらに、
愛し、
は、
かなし、
とも訓ませ(「悲」「哀」とも当てる)、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
限りなくかなしと思ひて、河内(かふち)へも行かずなりにけり(伊勢物語)、
と、
しみじみとかわいい、
いとしい、
意と、
世の中は常にもがもな渚(なぎさ)漕(こ)ぐ海人(あま)の小舟(をぶね)の綱手(つなで)かなしも(新勅撰集)
と、
身にしみておもしろい、
すばらしい、
心が引かれる、
といった意で使う(学研全訳古語辞典・広辞苑)。
うれし、
の対で、
対象への真情が痛切にせまってはげしく心が揺さぶられるさまを広く表現する。悲哀にも愛憐にもいう(精選版日本国語大辞典)、
自分の力ではとても及ばないと感じる切なさをいう語。悲哀にも哀憐にも感情のせつないことをいう(広辞苑)、
自分の力ではとても及ばないと感じる切なさをいう語。助動詞のカネと同根であろう。カネ・カナシの関係は、ウレヘ(憂)・ウルハシの類(岩波古語辞典)、
などとあり、「万葉集」には、
死、離別、旅や孤独の悲哀を表わす用例とともに、愛情の表現としても用いられているが、東歌や防人歌ではほとんど後者の意に限られる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、中世から近世にかけて、「たのし」が富裕の意を持つのに対応して、「かなし」に、「貧しい」という意味が生じた、
ともある(仝上)。
「愍」(漢音ビン、呉音ミン)は、
形声。「心」+音符「敃(ビン)」、
とあり(漢字源)、他も、
形声。「心」+音符「敃(<音「民」)」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%84%8D)、
形声。声符は敃(びん)。敃につとめる意がある。〔説文〕十下に「痛むなり」とあり、哀痛の意。〔広雅、釈詁一〕に「愛(いつく)しむなり」「憂ふるなり」、〔釈詁二〕に「痛むなり」「傷むなり」、〔釈詁三〕に「亂るるなり」の諸訓を加える(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
秋萩の妻をまかむと朝月夜(あさづくよ)明けまく惜しみあしひきの山彦響(とよ)め呼び立て鳴くも(万葉集)
の、
秋萩、
は、
萩の花、
のことで、
秋に花が咲くのでいう、
とある(精選版日本国語大辞典)が、
萩の初花を妻問うために。萩は鹿の妻とされた、
とも、
共寝の時に萩の花をしとねとすることから、萩は雄鹿の妻とされる、
ともあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、ここでは、
秋萩の妻をまかむと、
は、
秋萩の花妻と手枕を交わそうと、
と訳し(仝上)、
あしひきの山彦響(とよ)め呼び立て鳴くも、
を、
山彦をとどろかせ、雄鹿がしきりに呼び立てて鳴いている、
と訳す(仝上)。
花妻(はなづま)、
は、
はなつつま、
とも訓ませ、
なでしこが其の波奈豆末(ハナヅマ)にさゆり花後(ゆり)もあはむと慰むる(万葉集)、
と、文字通り、
花のように美しい妻、
の意で、一説に、
間もなく結婚する男女が、結婚前の一定期間会わずに離れて過ごすという、その期間の、触れることのできない妻、
という意もある(精選版日本国語大辞典)が、また、
吾が岡にさ男鹿来鳴く初萩(はつはぎ)の花嬬(はなづま)問ひに来鳴くさ男鹿(万葉集)、
と、
萩は鹿の起き伏しして親しむものであるところから、萩を鹿の妻に見立てた語(精選版日本国語大辞典)、
萩の初花を妻問うために。萩は鹿の妻とされた(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
等々、つまり、萩の花を、
鹿の妻、
にみなしていう(仝上・広辞苑)とある。
朝月夜、
は、
あさづきよ、
とも訓ませ、
夕月夜(ゆふづくよ)、
と対で、
月が残っている明け方。また、そのときの月(学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉)、
明け方に月の残っている下旬の夜、またその月(岩波古語辞典)、
で、冒頭の、
秋萩の妻を枕(ま)かむと朝月夜(あさづくよ)明けまく惜しみあしひきの山彦響(とよ)め呼び立て鳴くも、
は、
月が残っている明け方、
の意だが、
わが寝(ね)たる衣(ころも)の上ゆ朝月夜(あさづくよ)さやかに見れば栲(たへ)の穂に夜の霜降り(万葉集)、
では、
「月夜」は、月の意(精選版日本国語大辞典)、
唯、朝の月なり、夜と云ふ語に意なし(大言海)、
で、
朝まで残る月、
つまり、
有明の月、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。
月夜、
は、
つくよ、
つきよ、
と訓ませるが、
闇夜、
に対し、
月の光明る夜、
の意である(大言海)。なお、
陰暦10日頃までの夕方の時刻に、空に出ている上弦の月、
を指す、
夕月夜、
については触れた。
「朝」(@漢音・呉音チョウ、A漢音チョウ、呉音ジョウ)は、「後朝(きぬぎぬ)」で触れたように、
会意→形声。もと「艸+日+水」の会意文字で、草の間から太陽がのぼり、潮がみちてくる時をしめす。のち「幹(はたが上るように日がのぼる)+音符舟」からなる形声文字となり、東方から太陽の抜け出るあさ、
とある(漢字源)。@は、「太陽の出てくるとき」の意の「あさ」に、Aは「来朝」のように、「宮中に参内して、天子や身分の高い人のおめにかかる」意の時の音となる(仝上)。同趣旨で、
形声。意符倝(かん 日がのぼるさま。𠦝は省略形)と、音符舟(シウ)→(テウ)(は変わった形)とから成る。日の出時、早朝の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です。「草原に上がる太陽(日)」の象形から「あさ」を意味する「朝」という漢字が成り立ちました。潮流が岸に至る象形は後で付された物です、
とも(https://okjiten.jp/kanji152.html)、
会意。艸(そう)+日+月。艸は上下に分書、その艸間に日があらわれ、右になお月影の残るさまで、早朝の意。〔説文〕に字を倝(かん)部七上に収め、「旦なり。倝(旗)に從ひ、舟(しう)聲」とするのは、篆文の字形によって説くもので、字の初形でない。金文には右に水に従う形が多く、潮の干満、すなわち潮汐(ちようせき)による字形があり、その水の形が、のち舟と誤られたものであろう。左も倝の形ではなく、倝は旗竿に旗印や吹き流しをそえた形で、朝とは関係がない。殷には朝日の礼があり、そのとき重要な政務を決したので、朝政といい、そのところを朝廷という。朝は朝夕の意のほかに、政務に関する語として用いる。暮の初文である莫(ぼ)も、上下の艸間に日の沈む形である、
とも(字通)あるが、
「朝」には今日伝わっている文字とは別に、甲骨文字にも便宜的に「朝」と隷定される文字が存在する、
として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9D)、
会意文字。「艸」(草)+「日」(太陽)+「月」から構成され、月がまだ出ている間に太陽が昇る明け方の様子を象る。「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}を表す字。この文字は西周の時代に使われなくなり、後世には伝わっていない、
とは別に、
形声。「川」(または「水」)+音符「𠦝 /*TAW/」。「しお」を意味する漢語{潮 /*draw/}を表す字。のち仮借して「あさ」を意味する漢語{朝 /*traw/}に用いる。今日使われている「朝」という漢字はこちらに由来する、
とし、
『説文解字』では「倝」+音符「舟」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように、「倝」とも「舟」とも関係が無い、
とある(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
豊国(とよくに)の香春(かはる)は我家(わぎへ)紐児(ひものこ)にいつがり居れば香春は我家(抜毛大首)
の、
香春、
は、
福岡県田川郡香春(かわら)町、
とあり、
我家(わぎへ)、
は、
旅先の地を家(家郷)ということで愛情を誇張したもの、
と注釈し、
いつがり、
は、
「い」は接頭語。「つがる」は「継ぐ」と同根でつながる意か、
とし、
「紐」の縁語、
で、
かわいい紐児にいつもくっついていられるのだもの、香春は我が家だ、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
紐児(ひものこ)、
は、
遊行女婦の名か、
とあり、冒頭の歌をはじめとして、
抜気大首(ぬきのけだのおびと)が筑紫(つくし)に赴任し、紐児をめとってつくった歌、
が、
石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)の穂には出(い)でず心のうちに恋ふるこのころ、
かくのみし恋ひしわたればたまきはる命(いのち)も我(わ)れは惜しけくもなし、
の、三首のっている(伊藤博訳注『新版万葉集』・デジタル大辞泉)。
いつがる、
は、
い繫る、
とあて(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
イは接頭語(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
「い」は接頭語。「つがる」は「継ぐ」と同根でつながる意か(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
イは接頭語、ツガルはツガヒ(番)・ツグ(次・継)と同根(岩波古語辞典)、
イは発語、連繋(つが)るに同じ(大言海)、
と、
つながる、
自然につながり合う、
意である。和名類聚抄(931〜38年)に、
鏁(鎖の異体字)、日本紀私記に云ふ、加奈都賀利(かなつがり)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
鎖・鏁、カナヅカリ・クサリ・クサル・ツラヌク・カカル・ツミカカリ・カナクサリ、
などとあり、
「和名抄」に「鏁」、「名義抄」に「鎖」の字を、カナヅカリと読んでいるので、これと関係づけて、鎖のようにつながる意と考えられている、
とある(精選版日本国語大辞典)。
つがる、
は、
連る、
鎖る、
繋る、
綴る、
連繋、
聯綴、
などとあて(大言海・精選版日本国語大辞典)、
番(つが)ふと通ずと云ふ、或は云ふ、連続(つなが)るの略かと(大言海)、
とあり、自動詞ラ行四段活用で、
つながり続く、
つらなる、
まといつく、
意(精選版日本国語大辞典)、あるいは、
つづる、
相繋がり連なる、
鎖(くさ)る、
意(大言海)、他動詞 ラ行四段活用で、
着袴の際の時、下より組糸をもって、これをつがる。股立ちの程に至りて、これを止む(平戸記)
と、
つらね続けるようにする、
つなげる、
まといつける、
意となる(精選版日本国語大辞典)。
「繋」(漢音ケイ、呉音ゲ・ケ)の異体字は、
系(簡体字)、縘、繫(正字/印刷標準字体/繁体字)、𣪠、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%8B)、正字は、
繫、
である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%AB)。「繫」の字源は、
形声。𣪠が音を表す、
とあり(漢字源)、系(つなぐ)、係・継(つぐ、つながる)と同系とある(仝上)。他も、
形声。「糸」+音符「𣪠 /*KEK/」。「つなぐ」を意味する漢語{繫 /*geeks/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%AB)、
形声。糸と、音符𣪠(ケキ)→(ケイ)とから成る。「つなぐ」意を表す(角川新字源)、
とあるが、
会意兼形声文字です。「車の象形と手に木のつえを持つ象形」(「車がぶつかりあう」の意味)と「より糸」の象形(「糸」の意味)から「つなぐ」、「つながる」を意味する「繋」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2657.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
牡牛(ことひうし)の三宅の潟(かた)にさし向ふ鹿島の崎(さき)にさ丹(に)塗りの小舟(をぶね)を設(ま)け(万葉集)
の、
牡牛(ことひうし)、
は、
三宅(銚子市三宅町)の枕詞、
とあり、
力の強い雄牛で貢物を運ぶ屯倉(みやけ)の意、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
牡牛が租米を負うて屯倉(みやけ)に運んだことから、
牡牛の、
で、
みやけ(三宅)にかかる枕詞として使われている(広辞苑)。
ことひ(い)うし、
は、多く、
特牛、
とあて、古くは、
ことひ(い)うじ、
ともいった(精選版日本国語大辞典)が、
ことひ→こっとい→こってい、
と転訛し、
ことひ(の)うし、
こっというし、
こっていうし、
こっていうし、
ことひ(い)、
こって、
こってい、
などともいう(仝上)。
山城の鳥羽の荷車を引く大牛を、こってひうし、と云ふ。又、地方に因りて、こっとひ、こって、こて、土佐にて、ごって、
とある(大言海)。
特牛、
は、
頭が大きく、強健で、重荷を負うことのできる大きな牡牛、
をいい、また、単に、
牡牛、
のこともいい(仝上・デジタル大辞泉)、
ことひ、
に、冒頭のように、
牡牛、
とも当てる(岩波古語辞典)。この由来は、
コト(殊)オヒ(負)の約(岩波古語辞典)、
許多負牛(ココタオヒウシ)の約略(『万葉集古義』(万葉集の注釈・研究書、鹿持雅澄(かもちまさずみ)著、1844年(弘化元)完成)の説)(大言海)、
牡牛の、租米を負ひて、屯倉(みやけ)に運ぶ意なるべし(和訓栞)、
ココタオヒウシ(若干負牛)の義(言元梯)、
ココダモノオヒウシ(許多物負牛)の約(万葉集枕詞解)、
コトオヒウシ(殊負牛)の縮約か(和字正濫鈔・古事記伝・和訓栞)、
コトヒは交種(カツヒ)の転で、交配のための牛のこと、カツは動詞カツ(交)、ヒはオトヒ(弟)、ヒコ(孫・曽孫)のヒと同じでタネ(胤)の意(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
と諸説あるが、
コト(殊)オヒ(負)、
か、
許多負牛(ココタオヒウシ)、
か、
負ふ、
と関わるのだろう。で、
ことひうし、
は、
特負、
とも当てる(岩波古語辞典)。万葉集の、
我妹子が額に生ふる双六(すごろく)の特負(ことひ)の牛の鞍の上の瘡(かさ)、
では、
特負(ことひ)の牛、
に、
事負乃牛(コトヒノウシ)、
とあてている(大言海)。天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)には、
特牛、己止比(玉篇(六朝時代の梁の字書)「特、牡牛也」)、
和名類聚抄(931〜38年)には、
特牛、古度比、
特、辨色立成(べんしきりつせい 奈良時代の辞書)に云ふ、特牛、頭の大なる牛なり。俗語に古止比(ことひ)と云ふ、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
特、コトニ・タダ・マコト・ヒトシ・ヒトリ・タグヒ・オコナフ/特牛、コトヒ、
とある。なお、
特牛(ことひうし)の、
で、上述したように、
牡牛乃(ことひうしノ)三宅の潟(かた)にさし向かふ鹿島の崎(さき)にさ丹(に)塗りの小舟(をぶね)を設(ま)け(万葉集)、
と、
特牛が租米を屯倉みやけに運ぶところから、「屯倉(みやけ)」と同音の地名「三宅(みやけ)」「三宅(みやけ)の潟(かた)」にかかる枕詞、
として使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。なお、漢語、
特牛(とくぎゅう)、
は、
諸侯は擧(あ)ぐるに特牛を以てし、祀るに太牢を以てす。卿は擧ぐるに少牢を以てし、祀るに特牛を以てす(国語)、
と、
犠牲の牛一頭(字通)、
一匹のいけにへのうし(字源)、
である。
「特」(漢音トク、呉音ドク)の異体字は、
犆、𤙫、𤙰、𤛀(同字)、𭷅(俗字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%B9)。字源は、
会意兼形声。寺は「寸(て)+音符之(シ あし)」の会意兼形声文字で、待(じっとまつ)・峙(じっとたつ)・直(まっすぐにたつ)などと同系。特は「牛+音符寺」。群れの中でじっと直立して目立つ種牛。とくに、それだけ特出する意を含む、
とある(漢字源)。しかし、他は、すべて、字解は異にするものの、
形声。「牛」+音符「寺 /*TƏ/」。「雄牛」を意味する漢語{特 /*dəək/}を表す字。かつてこの単語には「牛」+音符「戠
/*TƏK/」という構造の文字が使われていた。「特」は「牛」+「戠」という文字の音符を「戠」から「寺」に変更して作られた文字である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%B9)、
形声。牛と、音符寺(シ)→(トク)とから成る。ひときわ大きな「おうし」、ひいて、とりわけの意を表す(角川新字源)、
形声文字です(牜(牛)+寺)。「角のある牛」の象形と「植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味⦆と親指で脈を測る右手の象形」(法を持って役人がとどまる所の意味だが、ここでは「すぐれている」の意味)から
「おすの牛」・「すぐれている」を意味する「特」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji590.html)、
形声。声符は寺(じ)。寺に待(たい)・等(とう)の声があり、特はその入声の音。〔説文〕二上に「朴特(ぼくとく)、牛父なり」とあり、牡牛をいう。〔詩、魏風、伐檀〕「胡(なん)ぞ爾(なんぢ)のに懸特(けんとく)有るを瞻(み)る」の〔伝〕に「獸三歳なるを特と曰ふ」とあって、成獣をいう。人に及ぼして人の傑出した者をいい、〔詩、秦風、黄鳥〕に「百夫の特なり」の句がある。副詞として、ただ、ひとりのように用いるのは、独と通用の義である(字通)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
松反(まつがへ)りしひてあれやは三栗(みつぐり)の中上(なかのぼ)り来(こ)ぬ麻呂といふ奴(やっこ)(柿本人麻呂)
の、
松反(まつがへ)り、
は、
「しひて」の枕詞、
で、
鷹が手許に帰らず松の木に帰る意か、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
松反り(まつがへり)、
は、
感覚などが麻痺する意の「しひ」にかかる、
とされるが、
かかりかた未詳、
とあり(精選版日本国語大辞典)、一説に、
姿を隠していた鷹がもとの場所に帰ることを意味する鷹狩り用語で、「しひ(しび)」と結びついて手元や鳥屋に帰り渋る意という、
とあり、さらに、
鷹の羽が晩夏から初冬にかけて山や鳥屋で抜けかわるのを「山がへり」「鳥屋がへり」と言うところから、松を塒(ねぐら)とする鷹のそれと解する、
という説もある(仝上)とある。
しふ、
は、
心身に障害のある意、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
しひてあれや、
は、
耄碌したわけでもあるまいに、
と訳す(仝上)。
三栗(みつぐり)、
は、
「中」の枕詞、
中上(なかのぼ)り来(こ)ぬ、
の、
中上り、
は、
地方官が任期中に報告に上京すること、
で、
中上(なかのぼ)り来(こ)ぬ、
は、
機嫌伺いに中上りもして来ない、
と訳す(仝上)。
中上り、
は、平安時代、
国司が在任の途中で京へのぼること、
をいうが、江戸時代には、
はや中のぼりもすみ、よほどたちあがって番頭より三ばんぐらゐゆへになり(洒落本「京伝予誌(1790)」)、
と、
京坂地方から江戸へ修業・奉公のため下っているものが、勤めの期間の中途で一時帰郷すること、
をいい、さらに、
長老を望む中のぼりの出家も只は道中をとをらじと云ふ(「浮世草子・色里三所世帯(1688)」)、
と、
関東に修行に下った僧が、京都の本山に帰ること、
をも言う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
しふ、
は、
癈ふ、
痺ふ、
とあて(岩波古語辞典・広辞苑)、日葡辞書(1603〜04)に、
ミミシヒル、
字鏡(平安後期頃)に、
瞎、カタメシヒ・シヒチチタリ、
とあるように、
目シヒ・耳シヒ・シヒネ(瘤 シヒ(する)ネ(根)・シヒナ(粃 シヒ(癈)イナ(稻)の約 唐ばかりで実のない籾)のシヒ、しびる(痺)と同根(岩波古語辞典)、
死(し)を活用せしめたる語(大言海)、
とあり、
身体の器官のはたらきがなくなること、ぼける(広辞苑)、
感覚・機能を失う(岩波古語辞典)、
目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる(学研全訳古語辞典)、
からだの器官の感覚や機能を失う(デジタル大辞泉)、
意で、身体の機能障害だけでなく、脳の機能障害の意も含む。
死の活用、
というよりは、
痺(しび)る、
の方が妥当ではないか、
痺(しび)る、
は、
渋るに通ず、
とある(大言海)。意味的にはこちらのほうがふさわしい気がする。
しふ、
は、
冒頭の歌のように、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用であるが、
身に重き病を受けて、たちまちに二つの耳しひぬ(今昔物語集)
と、
ひ/ひ/ふ/ふる/ふれ/ひよ、
の、自動詞ハ行上二段活用もあり、意味は、ともに同じである(学研全訳古語辞典)。
動詞「しふ(癈)」の連用形の名詞化 、
が、
しひ(癈)、
で、
感覚を失うこと。器官のはたらきを失うこと、
の意で、
松反(がへ)り之比(シヒ)にてあれかもさ山田の翁(をぢ)が其の日に求め逢はずけむ(万葉集)
と、ここでは、
おいぼれてしまったのか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
しひ(癈)、
は、前述したように、
あきじい(精盲)、しいね(瘤)、みみしい(聾)、めしい(盲)など、複合した形でも用いられる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
「癈」(漢音ハイ、呉音ホ)の異体字は、
㾱(拡張新字体)、废(簡体字「廢(廃)」の簡体字に集約)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%88)。字源は、
会意兼形声。「疒+音符發(やぶれる)」、
とある(漢字源)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%88)、
形声。「疒」+音符「發 /*PAT/」(仝上)、
形声。声符は發(発)(はつ)。〔説文〕七下に「固病なり」とあり、痼疾をいう。癈は廢(廃)(はい)の声義を用いるもので、廢は廃屋。宮廟が廃棄されて、廃滅することをいう。これを人の身に及ぼして、その機能の廃損することを癈という。〔礼記、礼運〕に、天下の窮民として、矜(鰥)寡(かんか)孤独とともに、癈疾の人を加えている(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
うつせみの世の人なれば大君の命畏(みことかしこみ)み敷島の大和の国の石上(いそのかみ)布留(ふる)の里に紐(ひも)解(と)かず丸寝(まろね)をすれば(万葉集)
の、
丸寝、
は、
着物を着たまま寝ること、
で、
旅の寝姿、
を指し、
なれぬ、
は、
よれよれになってしまった、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
丸寝(まろね)、
は、
マロは全の義、着たまま寝ること(大言海)、
とあり、
帯びも解かず、着たままで仮寝すること(岩波古語辞典)、
で、帯、紐解かぬことより、転じて、
独り寝すること、(大言海)
の意や、
旅寝、
などをさすこともある(仝上・学研全訳古語辞典)とし、
ごろ寝、
ころび寝、
とも、
こよひは、さらにまどろむ閧セになかりつる草の枕のまろぶしなれば(東関紀行)、
待わびて今宵ばかりのまろふしに幾度我れは寝覚しつらん歟(「永久百首(1116)」)、
と、
丸臥(まろぶ)し、
ともいい、
訛って、
草枕旅ゆく背なが麻流禰(マルネ)せば家(いは)なるわれは紐解かず寝む(万葉集)、
と、
まるね(丸寝)、
ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。当然、
我妹子し我(あ)を偲(しの)ふらし草枕旅之丸寝(たびのまろね)に下紐(したびも)解けぬ(万葉集)、
と、
旅中の仮寝(かりね)、
の意で、
旅行中に着物を解かないで着のみ着のままで寝る、
意味で、
旅の丸寝(たびのまろね・まるね)、
という言い方もする(精選版日本国語大辞典)し、
かかるよもぎのまろねにならひ給はぬ心ちもをかしくもありけり(源氏物語)、
と、
蓬の丸寝(よもぎのまろね)、
という言い方もあり、
よもぎの宿、
つまり、
荒れた宿、
あばらや、
で、
着物を着たままでごろ寝する、
意である(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
ごろね、
は、
転寝、
とあて、
ころびね、
まろびね、
ともいい、
寝るとはなしに寝ること。寝床に入らないで、思わず知らずうとうと眠ること、
をいい、中古では、
うたたねに恋しき人をみてしよりゆめてふ物はたのみそめてき(古今和歌集)、
と、
多く恋の物思いのためにするものとされ、
かりね、
うたたねむり、
とも言った(精選版日本国語大辞典)。なお、
転寝、
は、
うたたね、
とも訓み、
眠るつもりもないまま、うとうとと眠ること、
である。ちなみに、
紐解く、
は、
か/き/く/く/け/け、
の、自動詞カ行四段活用で、
草枕(くさまくら)旅行く背(せ)なが丸寝(まるね)せば家(いは)なるわれはひもとかず寝む、
と、
衣服の紐をほどく、
意だが、特に、
衣服の下紐をほどく、
つまり、
男女が共寝することにいう、
とある(学研全訳古語辞典)。古く、
男女が共寝の準備をすることにいった。が、一方、男女が共寝して別れるときに、互いに相手の下紐を結び合い、再び会うまでは解かないことを誓う習慣があったが、その禁を破って心変わりすることにもいう、
とある(精選版日本国語大辞典)。それをメタファに、
ももくさの花のひもとく秋ののに思ひたはれむ人なとがめそ(古今和歌集)、
と、
蕾(つぼみ)が開く、
蕾がほころびる、
意でも使う。また、
か/き/く/く/け/け、
の、他動詞カ行四段活用の場合、
しなじなにひもとく法の教にて今ぞさとりの花は開くる(玉葉和歌集)、
と、
書物の帙(ちつ)の紐を解く、
意で、
書物を開く、
また、
本を読む、
意でも使い、その場合、
繙く、
とも当てる(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。なお、
冒頭の長歌の反歌の一つに、
我妹子が結(ゆ)ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直(ただ)に逢ふまでに、
の、
紐を解かめやも、
は、
解いたりするものか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、これは、
紐を解かないでいれば無事逢えるという俗説に基づく表現、
とある(仝上)。で、
下紐(したひも)解く、
で、
解く、
が
け/け/く/くる/くれ/けよ、
と、自動詞カ行下二段活用の場合、上述の、
吾妹子(わぎもこ)し我(あ)を偲(しの)ふらし草枕旅の丸寝(まろね)に下紐解(したびもとけぬ)(万葉集)、
のように、相手に思われていると自分の下紐が自然に解けるという俗信から、
下紐が解ける、
意、また、結ばれたものが解けるというところから、
花のひらくたとえにもいう、
とあり(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)、
解く、
が、
か/き/く/く/け/け、
と、他動詞カ行四段活用の場合、下紐を解いて衣服をぬぐ意から、
われならでしたひもとくな朝がほのゆふかげ待たぬ花にはありとも(伊勢物語)、
と、
男女が共寝をする、
意、特に、
女性が男性に肌身を許す、
身をまかせる、
意となり、
下紐を許す、
ともいう(仝上)。
「丸」(漢音ガン、呉音カン)の異体字は、
𠁽(本字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B8)。字源は、
会意文字。「曲がった線+人がからだをまるめてしゃがむさま」で、まるいことをあらわす。臥(ガ からだをまるめてふせる)・元(ガン 頑の原字、まるい頭)と同系、
とある(漢字源)。同じく、字解は異なるものの、
会意文字です(乙+匕)。「短刀の象形」と「両端に刃のある彫刻刀の象形」からいろいろな刃物でまるくした「たま、まるい」を意味する「丸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji361.html)、
と、会意文字とするものもあるが、他は、
象形。弓弦にまるい弾をあてている形。これを弾いてうつので弾丸という。〔説文〕九下に「圜なり。傾側(けいそく)して轉ずる者。反仄に從ふ」とし、字を仄の反文とするが、その形ではない。卜文に象形の字があり、弦上にを加えている。〔左伝、宣二年〕に、晋の霊公が台上より外を通行する人を弾ち、その丸を避けるさまを見て楽しんだことがみえる。すべてまるく小さなものをいい、薬にも丸薬がある(字通)、
象形。屈んだ人を象る[字源 1]。「かがむ」を意味する漢語{宛 /*ʔonʔ/}を表す字。のち仮借して「まる」を意味する漢語{丸
/*wˤan/}に用いる。『説文解字』では「仄」を反転させた文字と説明されているが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「仄」とは関係がない。なお、「巩」・「孰」などのつくりは、「丮(跪いた人が両手を出した姿)」に由来し、本項の文字とは異なる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B8)、
と、象形文字とし、別に、
指事。「仄(そく)(かたむく)」を左右逆にした形。かたむいたものは、きちんと立たないことから、まるくて回転するもの、ひいて「まるい」意を表す(角川新字源)、
と、指事文字とするものもある。
「寢(寝)」(シン)の異体字 は、
㝲、㾛、寑、寢(旧字体/繁体字)、寝(新字体/簡体字)、𡨞、𡨦、𡪢、𡪷、𡫒、𡬓、𥨊、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%9D)。字源は、「寝(い)を寝(ぬ)」で触れたように、
会意兼形声。侵は、次第に奥深く入る意を含む。寝は、それに宀(いえ)を加えた字の略体を音符とし、爿(しんだい)を加えた字で、寝床で奥深い眠りに入ること、
とある。同趣旨で、
会意兼形声文字です(宀+爿+侵の省略形)。「屋根・家屋」の象形と「寝台を立てて横にした」象形と「ほうき」の象形(「侵」の略字で、人がほうきを手にして、次第にはき進む事から、「入り込む」の意味)から、家の奥にあるベッドのある部屋を意味し、そこから、「部屋でねる」を意味する「寝」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1262.html)が、別に、
形声。意符㝱(ぼう、む 夢の本字。ゆめ。𪧇は省略形)と、音符𡩠(シム 𠬶は省略形)とから成る。清浄な神殿・神室の意を表したが、古代には貴人の病者は神室に寝たことから、ねやの意に転じた。常用漢字は省略形による(角川新字源)、
形声。「𪧇」+音符「𠬶 /*TSIM/」。「ねる」を意味する漢語{寢 /*tsʰimʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%A2)、
と、形声文字とするもの、
会意。正字は㝲に作り、夢の省文+寢(しん)。夢は夢魔。夢魔によって死ぬことを薨という。㝲は寝臥中に夢魔に襲われることをいう。〔説文〕七下に「病みて臥するなり」とし、㝱の省に従い、菷(しん)の省声に従う字であるという。㝱は前条に「寐(い)ねて覺むること有るなり」とみえ、夢みてめざめる意。㝲はその夢魔におびやかされる意で、「寝廟」の寢とは同字でない。寝廟の寢の初文菷は。帚は箒の形で、これに酒を灌(そそ)いで祼鬯(かんちよう)し、霊廟を清める意で、寝廟の意となる。寢は寝臥、㝲は夢魔の象を加えた字。夢は媚蠱(びこ)(まじない)のなすところで、の上部は媚女の象である(字通)、
と、会意文字とするものもある。ついでに、「寝」の字とつながる「夢」の字源を見ておく。
「夢」(漢音ボウ、呉音ム)の異体字は、
㒱(俗字)、㙹、㝱、夣、梦(簡体字/俗字)、瞢、𡪎、𡬌、𦴋、𧁌、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A2)。字源は、
会意文字。上部は蔑(ベツ 細目)の字の上部と同じで、羊の赤くただれた目。よく見えないことを表す。夢は、それと冖(おおい)および夕(月)を併せた字で、夜のやみにおおわれて、物がみえないこと、
とある(漢字源)。同じく、字解は異にするが、
会意。莧(かん)+夕(せき)。莧は媚蠱(びこ)などの呪儀を行う巫女の形。目の上に媚飾を施している。その呪霊は、人の睡眠中に夢魔となって心をみだすもので、夢はそのような呪霊のなすわざとされた。〔説文〕は夕部七上に夢を録して「明らかならざるなり」と夢夢の意を以て解し、また㝱部七下に㝱を録して「寐(い)ねて覺むること有るなり」という。夢夢の義は瞢(ぼう)、〔説文〕四上に「目明らかならざるなり」とあるものがその字義にあたる。〔周礼〕に夢に㝱の字を用い、〔春官、占夢〕に「六㝱の吉凶を占ふ」として、その法をしるしている。㝱は神霊の啓示として睡眠中にあらわれるもので、媚女がその呪霊を駆使した。それで字は莧に従う。莧の廟中にある姿を寛という。しどけなき姿をしていたのであろう。歳終に堂贈(どうそう)という大儺(たいだ)の礼を行い、夢送りの行事をして年間の悪夢を祓(はら)った。夢魔に逢って、にわかに没することを薨(こう)という。貴人にその死にざまが多かったのであろう(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、他は、
甲骨文字の形は人が寝台(「爿」)の上で寝ている様を象る象形文字で、「爿」の代わりに「夕」を加えて「夢」の字体となる。「ゆめ」を意味する漢語{夢 /*məngs/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A2)、
本字は、象形。角(つの)のある人が寝台に寝ている形にかたどり、悪夢の意を表す。夢は、その省略形。ひいて「ゆめ」の意に用いる(角川新字源)、
と、象形文字としている。別に、
会意兼形声文字です(瞢の省略形+夕)。「並び生えた草の象形と人の目の象形」(「目がはっきりしない」の意味)と「月」の象形(「夜」の意味)から、「ゆめ」、「暗い」を意味する「夢」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji172.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
丸寝(まろね)をすれば我が着たる衣はなれぬ見るごとに恋はまされど色に出でば人知りぬべみ(万葉集)
の、
なれぬ、
は、
よれよれになってしまった、
と訳し、
見るごとに、
は、
妻と交わしたこの衣を見るにつけ、
と注釈し、
色に出でば、
は、
そぶりに出したら、
と注記する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
なる、
は、
馴る、
慣る、
穢る、
狎る、
熟る、
とあて(岩波古語辞典・広辞苑)、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞ラ行下二段活用で(学研全訳古語辞典)、
ナラス(均)・ナラフ(習)のナラと同根、物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、
とある(岩波古語辞典)。新撰字鏡(平安前期)に、
馴、奈豆久(なつく)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
馴、ナル・ナレタリ・ナツク・ムツビ・ヒトシ・シタガフ、
字鏡(平安後期頃)に、
馴、ナツク・ムツル・ナル・ノブ・ヒトシ・ツナグ・ヨル・シタガフ、
等々とある。で、
見てもまたまたも見まくの欲しければなるるを人はいとふべらなり(古今和歌集)
年ごろ、常のあつしさになり給へれば、御目なれて、猶しばし心みよと、のみの給はするに、日々におもり給ひて(源氏物語)、
と、
あるものや事態にたびたび出会ったり経験したりしたために常のこととなる、
度々の経験によって、疎遠な感じをもたなくなる、
珍しくなくなる、
意で(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、だから、
苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺り奈流留(ナルル)まにまにあぜか愛(かな)しけ)(万葉集)、
では、
着慣れる、
意をメタファに、
女に馴れ親しむ、
意で使っている(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、
春やあらぬ月は見し夜の空ながらなれし昔の影ぞ恋しき(金槐和歌集)、
と、
親しむ、
近付きになって、気持の上でも親しくなる、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。それを敷衍して、
中納言殿は、いとささやかになれたる人の、らうらうじきなり(宇津保物語)、
と、
たびたび行なってそのことに熟達する、
習熟する、
意や、さらに、
よく気がきく、
巧みである、
などの意としても用いる(精選版日本国語大辞典)。行き過ぎれば、
はばかりもなく聞ゆ。心やすく、若くおはすれば、なれ聞えたるなめり(源氏物語)、
と、
あまりにもなれなれしくふるまう、
意になる(仝上)。なお、
紐解かず丸寐(まろね)をすれば我(あ)が着たる衣は奈礼(ナレ)ぬ(万葉集)、
は、
よれよれになってしまった、
という意(伊藤博訳注『新版万葉集』)で、
おほろかに我(わ)れし思はば下に着てなれにし衣(きぬ)を取りて着めやも(万葉集)
と、
着物がふるびてよれよれになる、
意(古語大辞典)だが、
古馴染みの女の譬え、
として使って(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
衣類などがからだになじむ、
着なれて、ふだん着のように気楽に着こなせるさまについていう、
とある(精選版日本国語大辞典)。この場合、
狎る、
とあてていい(大言海)。似た意味だが、
御調度どもを、いと古体になれたるが、昔様にてうるはしきを(源氏物語)、
と、
長く使って、古くなる、
みすぼらしくなる、
やつれる、
意の場合、
穢(な)る、
褻る、
とあてていいのかもしれない。なお、
一夜ずしの仕様……一夜にしてなれ申し候(「料理物語(1643)」)、
と、
すしなど、ほどよく時間がたって、味加減がよくなる。熟成する、熟す(精選版日本国語大辞典)、
まじりあってよい味になる。味がこなれる(岩波古語辞典)、
意の場合、
熟る、
当てる(仝上)。それが過ぎると、
はやくこそ六角町のうり魚のなれぬ先よりかはりはてけれ(「七十一番職人歌合(1500頃)」)、
と、
食べ物などが新鮮でなくなる、
腐る、
意で(精選版日本国語大辞典)、
穢る、
の字があう。ちなみに、
ならす(均)、
は、
馴す、
平す、
とも当て、
ナル(慣)・ナラフ(習)と同根、
ナラバス(並)の義(名言通)、
ナラビス(並為)の義(日本語原学=林甕臣)、
ナラシはナラハシ(習)の中略か(志不可起)、
ならふ、
は、
習う、
慣う、
倣う、
馴う、
とあて(日本語源大辞典・岩波古語辞典)、
ナラはナラス(均・馴)と同根、物事に繰り返しよく接する意(岩波古語辞典)、
ナレアフ(馴合)の義(日本語原学=林甕臣)、
ナライはナレアヒ(馴合)の約(菊池俗語考)、
ナラシフ(馴歴)の義(名言通)、
ナラブ(並)の義(和訓栞)、
ナラヒウル(並得)の義(柴門和語類集)、
ナラフ(並羽)の転(和語私臆鈔)、
とあり、
並ぶ、
均す、
習う、
倣う、
との近縁性がうかがえ、上述の、
物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる、
の意味がよくわかる。なお、
四尺の屏風の中馴たる立てたり(今昔物語集)、
の、
中馴る(なかなる)、
は、
中くらいに古びている、
ちょうどよい程度に古びる、
ほどよく古くなり使いなれる、
意、
鈴鹿山伊勢をの海士(あま)の捨て衣しほなれたりと人や見るらむ(後撰和歌集)、
の、
潮馴る(しほなる)、
は、
海水や潮気に湿る、
海辺の生活にそまる、
意、転じて、
あかじみてよごれる、
潮じむ、
意、
冬すぎばなげおかれなむ物ゆゑに君が手にはたたなるべらなり(「躬恒集(924頃)」)、
の、
手馴る(たなる)、
は、
手になれる、
なつく、
意、
おのがさまざま妻(ツマ)なるるも笑しくて(「好色一代男(1682)」)、
の、
つまなる(妻馴・夫馴)、
は、
男女、または、雌雄が互いに馴れ親しむ、
意(精選版日本国語大辞典)、
局どもの前わたるいみじう、たちなれたらむ心地もさわぎぬべしかし(枕草子)、
の、
立ち馴る(たちなる)、
は、
いつもその場所にいてなれ親しむ、
意(デジタル大辞泉)、
よそにのみきかまし物を音羽川わたるとなしにみなれそめけん(古今和歌集)、
の、
みなる(水馴る)、
は、
水に浸りなれる、
意で、多く「見馴る」にかけて用いる。
人に又つまなれにけることなればうき例(ためし)にはひくとしらずや(「続詞花和歌集(1165頃)」)、
の、
爪馴る(つまなる)、
は、
琴爪で何度も掻き弾いて、弾くのになれる、
弾きやすくなる、
意、
おもふにはたけのあみかきふしなれぬたまの台(うてな)よさもあらばあれ(「教長集(1178〜80頃)」)、
の、
臥し馴る(ふしなる)、
は、
ある場所で寝ることに馴れる、
何度も寝るうちに、その場所に体がなじむ、
意、
さま変り給へらむ装束など、まだたちなれぬほどはとぶらふべきを(源氏物語)、
の、
裁ち馴る(たちなる)、
は、
布を裁つことになれる、
衣服を仕立てなれる、
意、
年ごろあひなれたる妻(め)、やうやう床離れて、つひに尼になりて(伊勢物語)、
の、
相馴る(あいなる)、
は、「あい」は接頭語、
なれ親しみ合う、
夫婦になる、
意、
まつわかも此きみに、ひごろそひなれたてまつり、読み覚えたることなれば(浄瑠璃「中将(1624〜30頃)」)、
の、
添い馴る(そいなる)、
は、
そば近くにいて親しむ、
添うことが習慣となる、
意、
この君は、いとかしこう、さりげなくてきこえなれ給ひにためり(源氏物語)、
の、
聞こえ慣(馴)る(きこえなる)、
は、「いいなれる(言慣)」の謙譲語で、
お話し申しあげて親しくなる、
親しくご交際申しあげる、
意、
われとこそながめなれにしやまのはにそれもかたみのありあけの月(「秋篠月清集(1204頃)」)、
の、
眺め慣る(ながめなる)、
は、
物思いに沈んではたびたびそのものを見やる、
また、
繰り返しながめて、親しくなる、
意、
若くてよき男の、下衆女の名くちなれて言ひたるこそにくけれ(「前田本枕(10C終)」)、
口慣る(くちなる)、
は、
言いなれる、
口癖になる、
意、
軍馴(いくさならし)、
は、
軍事の練習、
筆馴(ふでならし)、
は、
書くことをならすこと、
だが、また、
新しい筆を、使いならす、
意でもある(精選版日本国語大辞典)。
「馴」(漢音シュン、呉音ジュン)は、「水馴木(みなれぎ)」で触れたように、
会意兼形声。「馬+音符川」で、川が一定のすじ道に従ってながれるように、馬が従いなれること、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(馬+川)。「馬」の象形と「流れる水」の象形(「川」の意味)から、川が一定の道筋に従って流れるように、「馬が人に従う」、「なれる」を意味する「馴」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2790.html)、
と、会意兼形声文字とあるが、他は、
形声。「馬」+音符「川 /*LUN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%B4)、
形声。馬と、音符川(セン)→(シユン)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は川(せん)。〔説文〕十上に「馬順ふなり」とあり、馴狎(じゆんこう)の意。馴(な)らすことを調馴(ちようじゆん)、次第に馴れて目的に従わせることを馴致という(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
丸寝(まろね)をすれば我が着たる衣はなれぬ見るごとに恋はまされど色に出でば人知りぬべみ(万葉集)
の、
ぬべみ、
は、
「ぬ」は完了の助動詞、「べみ」は「べし」の語幹相当部分に接尾語「み」の付いたもの、
で、
…してしまうだろうから、
きっと…だろうから、
の意(精選版日本国語大辞典)、
面に出せば、周りの人に気づかれてしまうので、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
嘆きせば人知りぬべみ山川(やまがは)のたぎつ心を塞(せ)かへてあるかも(万葉集)、
では、
人に気づかれてしまいそうなので、
と訳し(仝上)、
見まく欲(ほ)しけどやまず行かば人目を多み数多(まね)く行かば人知りぬべみ(柿本人麻呂)
では、
人に知られてしまうので、
と訳し(仝上)、
時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月(さつき)を待たば久しくあるべみ(万葉集)、
では、
いつのことかわからぬので、
と訳し、
べみはべしのミ語法、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
べみ、
は、
べは推量の助動詞ベシの語幹ミは理由を表す助詞、……だろうから(岩波古語辞典)、
この「ぬべみ」の「べみ」は、「〜だろうから」という推量と理由を表す古語で、「ぬ(完了)+べし(推量)+み(理由)」の複合です。つまり「人に知られてしまうだろうから(恋しさを顔に出すことはできない)」という切なさが込められています(copilot)、
推量の助動詞「べし」の語幹「べ」+接尾語「み」、…しそうなので。…はずであろうから。多く「ぬべみ」の形で用いる(デジタル大辞泉)、
多く「ぬべみ」の形で使われ、推量の助動詞「べし」の語形変化しない部分「べ」+原因・理由を表す接尾語「み」、…しそうなので、…に違いないので(学研全訳古語辞典)、
推量の助動詞「べし」の語幹相当部分「べ」に、「み」がついたもの )
…してしまいそうなので。…であろうと思って。多く上代に見られ、中古には歌語としてのみ例がある(精選版日本国語大辞典)、
べくある故に、べきによりて(大言海)、
等々とあり、
……だろうから
……しそうなので、
といった意になる。
面(おも)なみ、
で触れたことだが、
接尾語「み」、
は、一つには、
春の野の繁み飛び潜(く)くうぐいすの声だに聞かず(万葉集)、
というように、
形容詞の語幹について体言を作る、
とあり、ふたつには、
黒み、白み、青み、赤み(ロドリゲス大文典)、
と、
色合いを表し、三つには、
甘み、苦み(仝上)、
と、味わいを表すとある(岩波古語辞典)が、その他に、
采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集)、
と、
形容詞及び形容動詞型活用の助動詞の語幹につき、多くは上に間投助詞「を」を伴って、
のゆえに、
によって、
なので、
と、
原因・理由を表す(広辞苑・明解古語辞典)、
という用法があり、冒頭の歌であげた「べみ」は、これが該当し、
周りの人に気づかれてしまうので、
という訳になる(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ミ語法(ミごほう)、
は、
采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠み(乎遠見)いたづらに吹く(万葉集)、
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ(乎無美)葦辺(あしへ)をさして鶴鳴き渡る(万葉集)、
と、
形容詞の語幹に語尾「み」を接続した語形、
で、多く、形容詞の語幹の前に名詞に後接する、
を、
が付き、
……が……なので、
と、
原因や理由を表す、
用法で(https://sites.google.com/view/ojp-pumyinonori/・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E8%AA%9E%E6%B3%95)、現存する文献に残る用例の大部分は万葉集である(仝上)。たしかに、
べみ、
は、
ミ語法、
の用例にはなるが、
ぬべみ、
という使い方は、その用法からは外れているような気がする。なお、
み、
の解釈は議論があり、
マ行四段活用動詞の連用形、
とする説、
形容詞の活用語尾とする説、
とする説がある(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
冬の夜の明かしも得ぬを寐(い)も寝(ね)ずに我れはぞ恋ふる妹が直香(ただか)に(万葉集)
の、
冬の夜の明かしも得ぬを、
は、
冬の夜の寒くて明かしかねる長い夜を、
と訳し、
直香(ただか)、
は、
直接感じられる雰囲気、
とし、
まんじりともせずに私は恋い焦がれるばかりだ、家のあの人そのものに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ただか、
は、
直処、
直香、
とあて(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
語義未詳、
とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)が、
「ただ」は直接の意、「か」は「ありか(在処)」の「か」または「か(香)」か(広辞苑)、
「ただ」は、まさしく、ほかならないの意。「か」は、「処(か)」の意か、一説にそのものの精粋の意、「か」は「ありか・すみか」などの場所を示す「処」とする説や、神事に用いる「白香」の「香」と同じで、そのものの本性を指すとみる考えもある(精選版日本国語大辞典)、
タダは直接の意、カはアリカ(在処)のカに同じ(岩波古語辞典)、
とあり、
まさしくその人自身、また、そのありさま(広辞苑)
その人自身。また、その人のようす(学研全訳古語辞典)、
その人自身、そのもの自体の意か。一説に、その人のけはいやようすの意ともいう(デジタル大辞泉)、
まさしく、その人自身の意か(精選版日本国語大辞典)、
その人自身、または、その様子(岩波古語辞典)、
の意とする。これだと、わかりにくいが、『大言海』は、
ありさま、起居、消息、
の意とし、
他處にある人のありさまを、取りもなほさず、直(ただち)に此方にて云ふ言なり、又、かなたにある人の上のことを、こなたにて、おもひやりて云ふ語、
とする。
遠くにある人のありさま、雰囲気を、身近に、直に感じ取る、
といった意味だろうか、
直-処、
直-香、
とあてた含意がよくわかる。
直接感じられる雰囲気(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
という注解が的を射ている。
「直」(漢音チョク、呉音ジキ)の異体字は、
𡇛(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4)。字源は、「おほなほび」で触れたように、
会意文字。原字は「h(まっすぐ)+目」で、まっすぐ目を向けることを示す、
とある(漢字源)。他にも、
会意。目と、十(とお。多い)と、乚(いん=隠。かくれる)とから成る。多くの目でかくれているものを見ることから、目でまっすぐに見る、ひいて、まっすぐ、「ただちに」の意を表す(角川新字源)、
会意。省(せい)+乚(いん)。省は目に呪飾を加え、巡察することをいう。いわゆる省察である。乚は隔てる意であろうと思われる。〔説文〕十二下に「正しく見るなり。十目に從ふ」とする。〔大学章句、六〕の「十目の視る所、十手の指す所、其れ嚴かなる乎(かな)」の語によって解するものであろうが、目の上は省・徳の字と同じく、呪飾とみるべきである。心部十下に「悳(とく)は外には人に得、内には己に得るなり」とあり、その重文の字は、本条の古文の字と似ている。悳は金文に徳の字として用いる。直は目の呪力を示すもので、「値(あ)う」意となり、価値の意となる。但と声近く、ただの意に用いる(字通)、
と、会意文字とする説があるが、
象形文字です。「上におまじないの印の十をつけた目の象形」から「まっすぐ見つめる」、「まっすぐである」を意味する「直」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji373.html)、
と、象形文字とするものもある。ただ、会意文字説、象形文字説と別れるものの、いずれの説も、字解は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、
『説文解字』では「十」+「目」+「𠃊」から構成される会意文字と説明されているが、これは誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4)、会意文字説ではあるものの、その字解は、
会意。「|」(直線)+「目」から構成され、まっすぐな視線を象る。「まっすぐな」を意味する漢語{直 /*drək/}を表す字、
としている(仝上)。
「香」(漢音キョウ、呉音コウ)の異体字は、
㿝(古字)、𩠼(同字)、𪏰(本字)、𪏽(本字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%99)。字源は、「百和香(はくわこう)」で触れたように、
会意文字。もとは、「黍(きび)+甘(うまい)」で、きびを煮たときに空気に乗ってただよいくるよいにおいをあらわす。空気の動きに乗って伝わる意を含む、
とあり(漢字源)、同趣旨で、
会意文字です(黍+甘)。「穂先が茎の先端にたれかかる穀物の象形と、流れる水の象形(「酒」の意味)」(酒の材料に適した「黍(きび)」の意味)と「口中に一線を引いて食物をはさむさまを表した文字」(「あまい・うまい」の意味)から、黍などから生じる「甘いかおり」を意味する「香」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1180.html)、
会意。黍(しよ 禾は省略形。きび)と、甘(日は変わった形。うまい)とから成り、きびのうまそうなかおり、「かおり」の意を表す(角川新字源)、
会意。正字は黍に従い、黍(しよ)+曰(えつ)。〔説文〕七上に「芳なり」とあり、黍と甘との会意字とする。甘はもと甘美の字でなく、嵌入の形であるから、甘美の意を以て会意に用いることはない。字の初形がなくて確かめがたいが、黍をすすめて祈る意で、曰は祝詞の象であろう。黍は芳香のあるものとされ、〔左伝、僖五年〕「黍稷(しよしよく)馨(かんば)しきに非ず。明徳惟(こ)れ馨し」「明徳以て馨香(けいかう)を薦む」とは、黍稷の馨香を以て神に薦めるもので、甘美の意ではない。〔詩、周頌、載芟(さいさん)〕に「飶(ひつ)たる其の香有り」というように、廟祭に供えるものは、馨香を以て第一とした(字通)、
ともあるが、この解釈のもとになっている、
『説文解字』では「黍」+「甘」と解釈されているが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「甘」とは関係がない、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%99)、
会意。「黍」(芳しい物の代表)+羨符「口」(区別のための記号、楷書では「日」と書かれる)。「かおり」を意味する漢語{香 /*hang/}を表す字、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
草枕旅にし行けば竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ斎瓮(いはひへ)に木綿(ゆふ)取り垂(し)でて斎(いは)ひつつ我が思ふ我が子ま幸(さき)くありこそ(万葉集)
の、
竹玉(たかたま)、
は、
竹を切った形の管玉(くだたま)か、
とあり、
竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂れ斎瓮(いはひへ)に木綿(ゆふ)取り垂(し)でて斎(いは)ひつつ、
は、
神を祭る時の習俗、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。似たフレーズは、
たかたま、
で触れたように、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、
神を祭る歌、
とある、
奥山の賢木(さかき)の枝(えだ)に白香(しらか)付け木綿(ゆふ)取り付けて斎瓮(いはひへ)を斎(いは)ひ掘り据ゑ竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂れ鹿(しし)じもの膝折り伏して手弱女(たわやめ)の襲衣(おすい)取り懸けかくだにもわれは祈(こ)ひなむ(大伴坂上郎女)、
とあり、
白香(しらか)、
は、
祭祀用の純白の幣帛か、
とある(仝上)。
木綿(ゆふ)、
は、
楮(こうぞ)の繊維を白くさらした幣帛、
斎瓮(いはひへ)、
は、
神事に用いる土器、神酒を盛る、
とある(仝上)。
斎(いは)ひ掘り据ゑ、
は、
土を掘って清め据え。土間などを掘って据える、
とある(仝上)。さて、
垂づ、
は、
垂らす、
意だが、
神祭りの木綿や和幣(にきて)についてのみいう、
とある。
にきて、
は、
ぬさ、
で触れたように、
和幣、
幣帛、
幣、
とあて、
平安以降ニギテと濁音、
となり(岩波古語辞典)、
にぎて、
となるが、それ以前は、
下枝(しずえ)に白丹寸手(しろにきて)、青丹寸手(あをにきて)を取り垂(し)でて(古事記)、
と、
にきて、
と清音、その由来は、
にきたへ(和栲・和布・和妙)の約(広辞苑・大言海・和訓栞・神遊考)、
テは接尾語で、手で添える物の意、あるいはタヘ(栲)の転か(岩波古語辞典)、
ニキは和の意。テはアサテ・ヒラデ・クボデなどのテと同じく「……なるもの」の意(小学館古語大辞典)、
ニキは和の義、テは、是を執って神に見せる義(東雅)、
ニギは和、テは手の義(日本語源=賀茂百樹)、
とある。この由来になる、
にきたへ(和栲)、
は、
片手には木綿(ゆふ)取り持ち、片手には和栲(にきたへ)まつり平(たひら)けくま幸(さき)くいませと天地(あめつち)の神を祈(こ)ひ祷(の)みまつり(万葉集)、
と、
「荒栲(あらたへ)」の対、
で、平安時代以後はニギタヘと濁音となり、
打って柔らかくした布、神に手向ける、
意である(岩波古語辞典)が
たへ→て、
の音韻変化は考えにくく、
「くぼて」「ながて」の「て」と同様に「……なるもの」の意、
と見るべきとされ(日本語源大辞典)、「にき」は、
和魂(にきたま)、
の、
やわらかい、
おだやか、
という意になる(広辞苑)。斎部(いんべ)氏の由緒記『古語拾遺』(807)に、
和幣、古語、爾伎底、
神衣、所謂和衣、古語、爾伎多倍、
と別けて記している(大言海)。
にぎて、
は、
木綿(ゆふ)の布、麻の布を神に供ふる時の称、後に、絹、又、後に布の代わりに紙を用ゐる、
とあり(仝上・岩波古語辞典)、
白和幣(しらにぎて 白幣)は木綿の糸似て作り、色白ければ云ひ、青和幣(あをにぎて 青幣)は麻の糸にて作り、稍、青みれば云ふ、古語拾遺に穀(カヂ)を植えて白和幣を造り、麻を植えて青和幣を作る、
とある(仝上)。
にきて、
は、神代紀に、
枝下懸青和幣、
とある注に、
和幣此云、尼枳底、
とあるように、
榊の枝などに取り懸けて神をまつるしるしとする、
とあり(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
棒につけたものを用いるようになる、
と「ぬさ」と変わらなくなる。上述したように、
ぬさ、
は、
麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つもの、
の意で、
みてぐら、
にぎて、
ともいい、共に、
幣、
とも当てる。「ぬさ」は、
祈總(ねぎふさ)の約略なれと云ふ、總は麻なり、或は云ふ、抜麻(ぬきそ)の略轉かと(大言海)、
とあり、「ねぎふさ」に、
祈總(ねぎふさ)を当てるもの(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、
と
抜麻(ねぎふさ)を当てるもの(雅言考)、
があり、「抜麻」を、
抜麻(ねぎあさ)と訓ませるもの(日本語源広辞典・河海抄・槻の落葉信濃漫録・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、
があり、その他、
ヌはなよらかに垂れる物の意。サはソ(麻)に通じる(神遊考)、
抜き出してささげる物の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
ユウアサ(結麻)の略(関秘録)、
等々、その由来から、「ぬさ」が、元々、
神に祈る時に捧げる供え物、
の意であり、また、
祓(ハラエ)の料とするもの、
の意、古くは、
麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、
とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉他)、
旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、
ともある(精選版日本国語大辞典)。後世、
紙を切って棒につけたものを用いるようになる、
とある(仝上)。この経緯は、
ぬさ、
で触れた。
垂(し)づ、
は、
で/で/づ/づる/づれ/でよ、
の、他動詞ダ行下二段活用で、
垂らす、
垂れ下がらす、
意で、
シヅル(垂)・シズム(沈)のシヅと同根、シダル(垂)の他動詞形、
とある(岩波古語辞典)。
しだる(し垂る・垂る)、
は、
しづ(垂)の自動詞形、
で、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
垂、此をば之娜婁といふ(日本書紀)、
其の樹の様は上より下まで等しくして葉しだりて枝に垂敷けり(今昔物語集)、
と、
細かい枝状に分かれて、長く下方に下がる。長く、垂れ下がる(岩波古語辞典)、
(下に)垂れる。垂れ下がる(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典、)、
といった意、
シヅル(垂)、
は、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞 ラ行下二段活用で、
朝まだき松のうは葉の雪は見ん日影さしこばしつれもぞする(「丹後守為忠百首(1134頃)」)、
嘆きよりしづる涙の露けきにかごめに物を思はずもがな(聞書集)、
と、
木の枝などから、積もっていた雪がしたり落ちる、
したたり落ちる、
意(仝上・精選版日本国語大辞典)で、
シツはシズム(沈)・シヅカ(静)のシヅと同根(岩波古語辞典)、
垂(しだ)ると通ず(大言海)
とあり、
しづむ(沈)、
は、
ま/み/む/む/め/め、
の、自動詞マ行四段活用で、
難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)なありそね沈(しづみ)にし妹が姿を見まく苦しも(万葉集)、
と、
人や物が、水面より下に行く。水中に没する。また、水底につく、
意で、
浮く、
と対(大言海・精選版日本国語大辞典)だが、
シヅはシヅカ(静)のシヅと同根、下に落ちで動かない、
意である(岩波古語辞典)。ついでに、
しづか(静)、
は、
「しずむ(沈)」と同語源の語か(精選版日本国語大辞典)、
シヅはシヅム(沈)・シヅク(雫)のシヅと同根、下に沈んであんていしているさま(岩波古語辞典)
とあり、
是を以て幽宮(かくれみや)を淡路之洲(あはちのくに)に構(つく)りて寂然(シツカ)に長隠(なかくかくれ)ましき(日本書紀)、
と、
止まって動かないさま、
の意で、それをメタファに、
是に、男大迹天皇(をほどのすめらみこと)晏然(シツカニ)自若(つねのことくし)て胡床(あくら)に踞坐(ましま)す(日本書紀)、
と、
落ち着いているさま、あわてないさま、
等々に使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。ついでに、
しづく(雫)、
も、
シヅム(沈)・シヅカ(静)と同根(岩波古語辞典)、
シヅム意(大言海)、
で、
我(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山の四附(シづく)に成らましものを(万葉集)、
と、
水のしたたり、
の意である(仝上・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
垂、タル・ホトリ・セムトス・トス・イマニ・イタル・イマシ・スミ・クダル・サカヒ・イマ・クマ・ノゾム・ホトホト・オヨブ、
とある。
「垂」(漢音スイ、呉音ズイ)異体字は、
埀(俗字)、𠂹(古字)、𠄒(古字)、𠣔(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9E%82)。字源は、「たらちし」でふれたように、
会意文字。垂は「穂の垂れた形+土」で、↓型にたれる意をもつ。本来はその上半分だけでたれる意を表した。土を添えた垂の字は、陲(スイ)や埵(スイ)と同じく、辺埵の地(遠くたれた地の果て)のことであったが、動詞の意味は垂で代表するのが習慣となった、
とある(漢字源)。字源の解釈は似ているが、
会意。𠂹 (すい)+土。𠂹は〔説文〕六下に「艸木の華葉𠂹
(た)る。象形」とあり、その垂れて土に達するを垂という。〔説文〕十三下に「遠邊なり」とするが、その字には陲を用いる。垂下の意より垂示・垂教、また、まさに達せんとする状態を垂老・垂死のようにいう(字通)、
と、同じく、会意文字とするものの他、
会意兼形声文字です。「草・木の花や葉の長く垂れ下がる」象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形から、「大地の果ての遠くに垂れ下がった辺地(都会から離れた土地)」を意味する「垂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1042.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、
形声。「土」+音符「𠂹 /*TOJ/」。「辺境」を意味する漢語{陲 /*doj/}を表す字。のち仮借して「たれる」「たらす」を意味する漢語{垂
/*doj/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9E%82)、
形声。土と、音符𠂹(スイ)とから成る。大地の果ての意を表す。垂はその省略形。「陲(スイ)」の原字(角川新字源)、
と、形声文字とするものに分かれる。なお、「垂」の古字とされる、
𠂹、
の字源については、
「𠂹」と隷定される字には二種類の字が存在する、
として、
象形。植物の垂れるさまを象る。「たれる」を意味する漢語{垂 /*doj/}を表す字。
象形。花のついた草を象る。「はな」を意味する漢語{華 /*hwraa/}を表す字
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%F0%A0%82%B9)。ちなみに、
隷定、
とは、
中国漢代以後、異なる時代の通行の漢字書体(隷書や楷書)が古漢字(甲骨文字、金文、戦国文字、小篆など)の構造(あるいは音義)を転写する方法である。隷定は漢字の書写・漢字学研究・古文献整理において常用される。古漢字を字形に基づいて隷定したものが即ち隷定字であり、歴史上、次第に進化発展して異なる演変字ができる場合があり、それによって異体字が生み出される、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%B7%E5%AE%9A)、
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽(は)ぐくめ天(あめ)の鶴群(たづむら)(万葉集)
の、
宿りせむ、
は、
船旅でも陸に上って宿るのが習い、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
鶴群(たづむら)、
は、
鶴(つる)の群(むれ)、むらがりつどう鶴、
の意(精選版日本国語大辞典)、
羽(は)ぐくむ、
は、
羽で包む、
意であり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
どうか我が子を羽で包んでやっておくれ、天翔けりゆく鶴の群れよ、
と訳す(仝上)。
はぐくむ、
で触れたように、
はぐくむ(育)、
の語源が、
親鳥が羽の下に雛を入れて育てることをハククム(羽含む)といったのがハグクム(育む)になった。ククム(含む)はフクム(含む)を経てフフム(含む)になり、花がつぼんでまだ開かないことをいう(日本語の語源)、
「羽(は)含(くく)む」の意(デジタル大辞林)
ハ(羽)ククミ(含)の意(岩波古語辞典)、
羽含(はふく)むの意か(大言海)、
「羽包(くく)む」の意(広辞苑)、
「ハ(羽)ククム(包む・くるむ)」です。親鳥が雛鳥を羽で包んで育てる意です。転じて、子供をだいじに育てる意を表し、さらに文化をハグクム意などにも使います(日本語源広辞典)
ハフクム(羽含)の義、鳥が子を育てるから(万葉代匠記・万葉集類林・類聚名物考・俚言集覧・名言通・和訓栞)、
ハククミ(羽褁(裹))の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々とあり、総じて、
くくむ、
を、
包む、
ではなく、
含む、
をとる。
くくむ、
は、
ま/み/む/む/め/め、
の、他動詞マ行四段活用で、
含む、
銜む、
とあて(広辞苑・学研全訳古語辞典)、
口の中に含む、
(物)の中に包む。くるむ、
意味で、
フクムの古形か。対象をまるこど本体の一部に取り入れる意。類義語ツツムは物全体を別のものですっぽりおおう意、
とあり(岩波古語辞典)、
ふくむ、
と、
つつむ、
は別のように見える。しかし、『大言海』は、
くくむ、
を、
裹、
包、
とあてる「くくむ」と、
銜、
含、
とあてる「くくむ」と、
哺、
とあてる「くくむ」と、三項別に立てている。
裹(包)(くく)む、
は、
くるむ、つつむ、
という意で、「括(くく)る」と同義で、「括(くく)る」には、
轉轉(くるくる)を約めて活用せさせたる語か(きらきら、きらら。きりきり、きりり)。括(くく)す、裹(くく)むと云ふも同じかるべし、
とある。
銜(含)(くく)む、
は、
裹(くく)むと通ず、
とあり、
口の中に持つ、含む、
意、
哺(くく)む、
は、
銜(くく)ましむ、口に含めて食わす、
とある。哺育の「哺」であり、「含哺」の「哺」である。つまり「くくむ」には、
包む、
意と、
含む、
意と、
口に含んだ餌を与える、
意とを含んでいるらしいのである。だから、
羽で包む、
意と、
餌を含む、
意と、
その餌を口移しに与える、
意と、
を含み、
はぐくむ、
には、その意味のすべてを含意している。だから、
くくむ、
に、
含む、
包む、
のいずれをとっても、「くくむ」の意味の外延に過ぎない。つまり区別は、漢字を輸入して後に付けた、といういつもの例である。その意味では、
語形上は、ハ(羽)ククム(包)に遡るが、語義上は、(ハフクム(羽含)の義とする)説でよい、
とする(日本語源大辞典)のは、意味が分からない。なお、
上代・中古にはバグクムが一般に用いられていたが、中世になるとハゴコムの勢力が強くなり、ハグクムは歌論・注釈書などに用いられるのみになった。これは、語原が忘れられ、オ段とウ段の交替現象が生じたことによる。しかし、江戸時代になって語源が再認識され、ハグクムの形が次第に勢力を伸ばし、近代には、日常語として復活した、
とある(仝上)。
はぐくむ(育)、
は、
ま/み/む/む/め/め、
の、他動詞マ行四段活用
はごくむ(育)、
も、
他動詞マ行四段活用、
である(学研全訳古語辞典)。
「羽」(ウ)の異体字は、
𦏲、秩i古字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%BD)、字源は、「はねかづら」で触れたように、
象形。二枚のはねをならべたもので、鳥のからだにおおいかぶさるはね、
とある(漢字源)。他も、
象形。羽毛を象る。「はね」を意味する漢語{羽 /*wraʔ/}及び「つばさ」を意味する漢語{翼 /*wrəp/}を表す字。仮借して「あした」を意味する漢語{翌
/*wrəp/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%BD)、
象形。鳥の両翼の形にかたどり、「はね」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「鳥の両翼」の象形から「はね」を意味する「羽」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji227.html)、
象形。鳥の羽の形。〔説文〕四上に窒「鳥の長毛なり」とし、ノ+乙(しゆ)三下を短羽の象とする(字通)、
と、象形文字としている。
「育」(イク)の異体字は、
毓(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%B2)。字源は、
会意文字。「頭を下にした正常な姿でやすらかに生まれた子+肉」で、生まれた子が肥だちよく、肉がついて太ることをあらわす、
とある(漢字源)。同じく、
会意。肉(古くは、女に作る)と、𠫓(とつ)(子が逆さになって生まれる形)とから成り、子をうむ、転じて「そだつ」意を表す(角川新字源)、
会意。𠫓(とつ)+月(肉)。𠫓は生子の倒形。生まれるときのさま。月(肉)は限定符的に加えたものか、或いは肉を供して養育の意を示したものであろう。〔説文〕十四下に「子を養ひて、善を作(な)さしむるなり」とし、字を肉声とするが、形声の字ではない。また重文として毓をあげる。毎は婦人の姿。㐬は生まれた子の頭髪のある形。育・毓はいずれも子の生まれる形を含む字で、養育の意。毓は卜文にもみえ、育の初文で、その象形の字である(字通)
と、会意文字としているが、
もと「冑」の異体字で、上の部分が省略されたもの。仮借して「そだてる」を意味する漢語{育 /*luk/}に用いる。
かつては「𠫓」(「子」を上下逆に書いた文字で「毓」の略体)+「肉」と分析する説が流行していた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%B2)、
と、上記字解には批判的である。なお、別に、
象形文字です。「女性が子を産む象形」から、「うむ・はぐくむ・そだてる」を意味する漢字が成り立ちました。のちに、「子の象形と切った肉の象形」に変化し、「育」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji445.html)、
と、象形文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
白玉の人のその名をなかなかに言(こと)を下延(したは)へ逢はぬ日の数多(まね)く過ぐれば恋ふる日の重(かさ)なり行けば思ひ遣るたどきを知らに(田辺福麻呂)
の、
白玉の人のその名、
は、
白玉のように清らかなその人の名、
の意、
なかなかに、
は、
なまじっか、中途半端なさま、
とあり、
言を下延(したは)へ、
は、
言葉に出さず心に思い続け、
とし、
たどきをしらに、
は、
てだてもわからず、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
下延ふ、
は、
したはふ、
のほか、
したばふ、
とも訓ませ、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、自動詞ハ行下二段活用で、文字通り、
下に延ふ、
意(大言海)だが、
シタは人に隠した心、ハフは延び広がらせる意(岩波古語辞典)、
「した」は心の意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
で、
心、其の方へむく(大言海)、
人知れず思いをいだく(岩波古語辞典)、
ひそかに恋い慕う(学研全訳古語辞典)、
心の中でひそかに思う(デジタル大辞泉)、
人知れず思う。心のうちに恋しく思う(精選版日本国語大辞典)、
と、
心の中で思いを募らせる、
意である。
ふりはへて、
で触れたことだが、
はふ、
は、
心ばえ、
の、
心延え、
つまり、
(心の動きを)敷きのばす、
意味と同じで(大言海・岩波古語辞典)、
心延え、
は、
心映え、
とも書くが、
映え、
はもと、
延へ、
で、
延ふ、
は、
這ふ、
の他動詞形、
外に伸ばすこと、
つまり、
心のはたらきを外におしおよぼしていくこと、
になる(岩波古語辞典)。『大言海』に、
したはへ、
を、
したばふること、
つまり、
心の向くこと、
としている。その心映えが、
広がる、
意となる。
心の中の思いが募り、大きくなる、
といった含意になる。
ししくしろ黄泉(よみ)に待たむと、隠沼(こもりぬ)の下延へ置きてうち嘆き(高橋虫麻呂)
では、
本心を言葉の中に秘めておいて、
の意で、
本心を心の中に秘めたまま、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。なお、
たどき、
も、
ふりはへて、
でふれたように、
たつき、
の転訛で、
たつき、
は、
方便、
と当て、
たづき、
ともいい、
たつき、
の、
タはテ(手)の古形、
なので(岩波古語辞典)、
「手付き」か。中世以降、タツキとも(広辞苑)、
「手(た)付(つ)き」の意。古くは「たづき」。中世以降「たづき」「たつき」。現代では「たつき」が普通(大辞林)、
(「たづき」は)タ(手)とツキ(付)との複合。取りつく手がかりの意。古くは「知らず」「なし」など否定の語を伴う例だけが残っている。中世、タヅキ・タツキとも(岩波古語辞典)、
手着の義(大言海)、
とあり、
(事をし始めたり、また何かを知るための)手がかり、
生活の手段、生計、
の意である。ただ、
たずき(づき)(方便・活計)、
たつき(方便・活計)、
たどき(方便)、
ほう(はう)べん(方便)、
と当て別けている(大辞林)例もある。で、
たどき、
は、
たづき、
の転訛なので、
たづき→たどき、
の転訛と、
たづき→たずき、
たづき→たつき、
の転訛とが、並行しているのかもしれない。
語形はタヅキが古い形であろうが、母音が交替した形であるタドキも併存した。万葉集の、
大野らにたづきも知らず標(しめ)結ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは、
には「跡状(たどき)」と表記した例があり、これは様子や状態の意を表わしたものであろう、
とある(精選版日本国語大辞典)。しかし、今日、
たつき、
と
ほうべん、
は、意味はともかく、かけ離れてしまっているように見える。
方便(ほうべん)、
は、梵語、
upāya、
の意訳で、
方法使用、
の訳(大言海)で、
方、法也、便、用也(天台四教儀集注)、
とあり、
凡虚妄者、非善言善、非悪言悪、欲賊前人是名虚妄、如来雖復非三面三、只欲利物、可言方便、何是虚妄(法華義疏)、
と、
下根(げこん)の衆生を真の教えに導くために用いる便宜的な手段。また、その手段を用いること、
つまり、
法便、
の意である(精選版日本国語大辞典)。
初地、
で触れたように、
方便、
は、
法華経に説く七喩、
の一つ、「法華義疏」に、
第三従道師多諸方便以下。名為設化城譬、
とある、
大乗の究極のさとりを宝所にたとえて、そこに達する途中の、遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を化作して人々を休ませ、疲労の去った後、さらに目的の真実の宝所に導いたというたとえ、
で、
大乗の涅槃(ねはん)に達する前段階としての小乗方便の涅槃、
をいう。「妙法蓮華経」化城喩品第七に、
譬えば五百由旬の険難悪道の曠かに絶えて人なき怖畏の処あらん。若し多くの衆あって、此の道を過ぎて珍宝の処に至らんと欲せんに、一りの導師あり。聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり(導師の譬)。
衆人を将導して此の難を過ぎんと欲す。所将の人衆中路に懈怠して、導師に白して言さく、我等疲極にして復怖畏す、復進むこと能わず。前路猶お遠し、今退き還らんと欲すと。導師諸の方便多くして、是の念を作さく、此れ等愍むべし。云何ぞ大珍宝を捨てて退き還らんと欲する。是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし。若し是の城に入りなば快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば亦去ることを得べし。是の時に疲極の衆、心大に歓喜して未曾有なりと歎ず。我等今者斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ。是に衆人前んで化城に入って、已度の想を生じ安穏の想を生ず。
爾の時に導師、此の人衆の既に止息することを得て復疲倦無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等去来宝処は近きに在り。向の大城は我が化作する所なり、止息せんが為のみと言わんが如し(将導の譬)
とある(https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/3/07.htm)、
方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、汝等怖るることなかれ、退き還ること得ることなかれ。今此の大城、中に於て止って意の所作に随うべし、
のことである。「諧聲品字箋」(清)に、
釋氏有方便法門者、随方便人之傍門也、正法之門荘厳高廣、行不易到、如一大城之四門焉、特於四角旁方、随便開門、就近而入、故曰方便、
とある。これが転じて、
何にもして南山より盗出し奉らんと方便(はうべん)廻されけれ共(太平記)、
と、
目的のために利用される一時の手段。また、その手段を用いること、
の意となり、
てだて、
の意で、さらに、
嘘も方便、
というように、
計略、
の意でも使う(大言海・精選版日本国語大辞典)。
たつき、
は、
方便、
活計、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
たづき、
たつぎ、
ともいい、
たどき、
たづか、
とも訛るが、
恋ふといふはえも名づけたり言ふすべの多豆伎(タヅキ)もなきは我(あ)が身なりけり(万葉集)、
と、
手がかり。よるべき手段、方法、
の意、上述の、
大野らにたづきも知らず標(しめ)結ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは(万葉集)、
世の中の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の多附(たづき)知らずも(仝上)、
では、
様子・状態を知る手段、見当、
の意、転じて、
世渡るたづき中々にとめぬ月日の数そへて(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、
と、
生活の手段。生計、
の意となる(仝上)。
「延」(エン)は、「ふりはへて」で触れたように、
会意文字。「止(あし)+廴(ひく)+ノ印(のばす)」で、長く引きのばして進むこと、
とある(漢字源)。別に、会意文字ながら、
会意。「彳(道路)」+「止 (人の足)」で、長い道のりを連想させる。「のびる」を意味する漢語{延 /*lan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B6)、
会意文字です(廴+正)。「十字路の左半分を取り出しさらにそれをのばした」象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(「まっすぐ進む」の意味)から、道がまっすぐ「のびる」を意味する「延」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1012.html)、
と、構成を異にするが、
形声。意符㢟(てん)(原形は𢓊。ゆく、うつる)と、音符𠂆(エイ)→(エン)とから成る。遠くまで歩く、ひいて、「のびる」意を表す(角川新字源)、
と形声文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
肝向(きもむか)ふ心砕けて玉たすき懸けぬ時なくやまず我(あ)が恋ふる子を玉釧(たまくしろ)手に取り持ちてまそ鏡直目(ただめ)に見ねばしたひ山下行く水の上に出でず我が思ふ心安きそらかも(田辺福麻呂)
の、
肝向(きもむか)ふ、
は、
心の枕詞、
玉たすき、
は、
懸く(心にかける)の枕詞、
口やまず、
は、
その名をいつも口にして、
の意、
玉釧、
は、
腕飾り、
で、
手に持つ、
の枕詞(釧(くしろ)については触れた)、
まそ鏡、
は、
直目に見る、
の枕詞、
したひ山、
は、
もみじした山、
で、
したひ山下行く水の、
は、
「上に出でず」を起こす、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
秋山のしたへる妹なよ竹のとをよる子らはいかさまに思ひ居れるか(万葉集)、
では、
したへる妹、
の、
したふ、
を、
赤く色づく意、
として、
もみじのように照り映える娘子、
との意として、
秋山のように美しく照り映えるおとめ、
と訳す(仝上)。
したふ、
は、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用、
フは、上代ではfuの音で、四段活用、シタブと訓んで上二段活用とする(大言海)のは誤り、
とあり(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、
木の葉が赤く色づく、
紅葉する、
意で(仝上)、
「した」は「したてる」「しなう」などの「した・しな」と同源か(精選版日本国語大辞典)、
「した」は赤の意(広辞苑)、
葉、萎(しな)ぶの意にて、やがて紅葉(もみぢ)するを云ふ(大言海)、
などとある。
しなう、
は、
耳に聞き目に見るごとにうち嘆き萎(しな)えうらぶれ偲(しの)ひつつ争ふはしに木(こ)の暗(くれ)の四月(うづき)し立てば(万葉集)、
と、
萎う、
撓う、
とあて、
生気を失ってうちしおれる、
意、
撓ふ(う)、
とあて、
しなやかに曲線を示す意、類義語タワムは、加えられた力をはねかえす力を中に持ちながらも、押されて曲がる意、
の、
たわむ、
意の、
しなふ、
とは別語である(岩波古語辞典)。現代語でいう、
したてる、
は、
したつ、
で、
仕立、
為立、
とあて、
「し」はサ変動詞「する」の連用形(精選版日本国語大辞典)、
シは為(シ)、タツは立派に目立つようにする意(岩波古語辞典)、
で、文字通り、
作り終わる、
拵えはたす、
意となり(大言海)、
御帳、御屏風など、あたりあたりしたてさせ給ふ(源氏物語)、
と、
目的に合った、望ましい状態につくりあげる。仕あげる、
意や、
里人は、車きよげにしたてて見に行く(枕草子)、
と、
美しくこしらえる。飾りたてる、
意などに使う。こうみると、
「した」は「したてる」「しなう」などの「した・しな」と同源か、
とする(精選版日本国語大辞典)、
したてる、
しなう、
との関係は、意味のつながりはともかく、
「した・しな」と同源か、
の意味はよくわからない。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
肝向(きもむか)ふ心砕けて玉たすき懸けぬ時なくやまず我(あ)が恋ふる子を玉釧(たまくしろ)手に取り持ちてまそ鏡直目(ただめ)に見ねばしたひ山下行く水の上に出でず我が思ふ心安きそらかも(田辺福麻呂)
の、
肝向(きもむか)ふ、
は、
心の枕詞、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
肝向ふ、
は、
古代、心は腹中で肝と向かい合っていると信じられていたところから(広辞苑)、
きも(肝臓)は腹の中で心臓に向き合っていると信じられていた(岩波古語辞典)、
臓腑對(きもむか)ふ義と云ふ、集まる意(大言海)、
肝は、心の宿る心臓と向かい合っているところから(精選版日本国語大辞典)、
心は腹中で向かいあっている肝の働きによるとする意から(デジタル大辞泉)、
肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから(学研全訳古語辞典)、
等々から、
「心」にかかる枕詞、
として使われるが、一説に、
内臓がそれぞれ向かい合っている意で、それらの働きの発露としての「心」にかかる、
ともされる(精選版日本国語大辞典)。
むらきも、
で触れたように、
心の枕詞、
には、
むらきも、
がある。
むらきも、
は、
群肝、
村肝、
とあて、
むらぎも、
とも訓ませ、
群がっている肝(精選版日本国語大辞典)、
群がっている臓腑(きも)(岩波古語辞典)、
群がりたる肝の意、また腎肝(ムラトギモ)の略か(大言海)、
の意から、
体内の臓腑(ぞうふ)、
つまり、
五臓六腑(ごぞうろっぷ)、
を言い、転じて、
心の底、
の意で使い、
むらぎもの、
で、
心は内臓の働きと考えていたところから、
村肝之(むらきもの)心くだけてかくばかり我(あ)が恋ふらくを知らずかあるらむ(万葉集)、
と、
「心」にかかる枕詞、
として使う(精選版日本国語大辞典)。
人間の精神活動の内容や動きをいう、
こころ、
という日本語は、古くは、
身体の一部としての内臓(特に心臓)、
をさす場合が多く(世界大百科事典)、《古事記》《日本書紀》《万葉集》には、〈こころ〉の枕詞として、
群肝(むらぎも)の、
のほか、上述の、
肝(きも)むかふ、
が用いられている(仝上)。なお、
きも、
肝煎る、
こころ、
については触れた。
「肝」(カン)は、「むらきも」で触れたように、
会意兼形声。干(カン)は、太い棒を描いた象形文字。幹(カン みき)の原字。肝は「肉+音符干」で、身体の中心となる幹の役目をするかん臓。樹木で、枝と幹があい対するごとく、身体では、肢(シ 枝のようにからだに生えた手や足)と肝があい対する、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「肉」+音符「干 /*KAN/」。「きも」「肝臓」を意味する漢語{肝 /*kaan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%9D)、
形声。肉と、音符干(カン)とから成る(角川新字源)形声文字です(月(肉)+干)。「切った肉」の象形と「先がふたまたになっている武器」の象形(「おかす・ふせぐ」の意味だが、ここでは「幹」に通じ、「みき」の意味)から、肉体の中の幹(みき)に当たる重要な部分、「きも」を意味する「肝」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji291.html)、
形声。声符は干(かん)。〔説文〕四下に「木の藏なり」とあり、肺を金、脾を土のように、五臓を五行にあてる。〔釈名、釈形体〕に「肝は幹なり。五行において木に屬す。故に其の體狀に枝幹有るなり」という。〔素問、六節蔵象〕に「肝は罷極の本、魂の居る所なり」とあり、人の活動力の源泉とされた(字通)、
と、すべて形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
上へ
|