
コトバ辞典
射目(いめ)立てて跡見(とみ)の岡辺(おかへ)のなでしこの花 ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため(紀鹿人)
の、
ふさ手折り、
は、
ふさふさと折りとって、
の意とし、
射目(いめ)
は、
「跡見」の枕詞、
で、
鳥獣を射るために隠れる場所、
で、
射目を設けて獣の足跡を見る、
意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
射目、
は、
とゐ波、
で触れたように、
是の時、射目(いめ)を立てし処は即ち射目前(いめさき)と号(なづ)け(播磨風土記)、
と、
メは、そこから獲物をうかがって射る所の意(岩波古語辞典)、
射部(いべ)の転(大言海)、
とあり、
獲物を狙って、射手が身を隠すための設備(広辞苑)
狩りで獲物を待ちぶせて射るために、身を隠しておく所。身を隠すための設備をもいう(精選版日本国語大辞典)、
狩りの時、鳥獣を射る手(人)の部(むれ)、射目人とも云ふ(大言海)、
とされる。また、
共同狩猟のときの射手の配置、
を、
射目配(いめくばり)、
といい、その後ろで勢子(せこ)が獣を追う(精選版日本国語大辞典)。
射目人(いめひと)、
は、
品太天皇(ほむだのすめらみこと)射目人(いめひと)を餝磨(しかま)の射目の前(さき)に立ててみ狩したまひき(播磨風土記)、
と、
射目にいて獲物を待ち受けて射取る役の人、
をいい、
巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見が田居(たゐ)に雁渡るらし(万葉集)
と、
射目人の、
で、射目で待ち構える人が伏してみるところから、地名、
伏見、
にかかる枕詞として使われる。
射目立て、
は、冒頭の、
射目立而(いめたてて)跡見(とみ)の岡辺(をかへ)のなでしこが花ふさ手折(たを)り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため(万葉集)、
の、
射目を立てて、狙う獲物の足跡を調べること、
を、
跡見(とみ)、
というので、同音の地名、
跡見、
にかかる枕詞として使われる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
「射」(@漢音シャ・呉音ジャ、A呉音漢音ヤ、B漢音エキ・呉音ヤク)の異体字は、
䠶、𡬤、𢎤(本字)、𨈡、𨉛、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%84)。「射雉」(イチ)、「照射」(ショウシャ)、「射幸心」の、「射る」意の場合、@の音、左僕射、右僕射の、官名「僕射」(ボクヤ)は、Aの音、「無射」(ムエキ)と、「厭う」意の場合は、Bの音となる(漢字源)。字源は、
会意文字。原字は、弓に矢をつがえている姿。のち寸(て)を添えたものとなる。張った弓の弦を放して、緊張を解くこと、
とある(仝上)。同趣旨で、
会意。初形は弓+矢+又(ゆう)(手)。弓に矢をつがえてこれを射る形。のち弓矢の形を身と誤り、金文にすでにその形に近いものがある。〔説文〕五下に「弓弩(きゆうど)、身より發して、遠きに中(あた)るなり。矢に從ひ、身に從ふ」とするのは、のちの篆文の字形によって説くもので、身の部分は弓の形である。射は重要な儀礼の際に、修祓の呪儀として行われたもので、盟誓のときには「卯+合射(くわいしや 会射)」して、たがいに誓う定めであった。字にまた釋(釈)(せき)・斁(えき)の音があり、その字義にも用いる(字通)、
ともあるが、しかし、この元になっている中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)で、
「身」+「寸」と説明されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、「身」とは関係が無い(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%84)、
とし、
象形。弓から矢を射るさまを象る。「いる」を意味する漢語{射 /*mlaks/}を表す字、
としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%84)。で、他は、甲骨文字と説文解字の説明を併せて、載せている。
甲骨・金文は、象形。矢をつがえた弓を手に持つ形にかたどる。篆文は、会意で、矢(または寸)と身とから成る。矢をいる意を表す(角川新字源)、
甲骨文は「弓に矢をつがえている」象形。篆文は、会意文字。「弓矢の変形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)」から、「弓をいる」を意味する「射」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1022.html)、
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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我がやどの尾花(をばな)が上の白露(しらつゆ)を消(け)たずて玉に貫(ぬ)くものにもが(大伴家持)
の、
もが、
は、
手段への願望、
とあり、
貫(ぬ)くものにもが、
は、
糸に通せたらよいのに、そしたらあの子にそのまま贈ることができように、
と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
もが、
は、
係助詞「も」に終助詞「か」がついたものの転、願望を表す。奈良時代に用いられた、……がほしい、……でありたい(広辞苑)、
体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く、願望。…があったらなあ、…があればなあ(学研全訳古語辞典)、
係助詞「も」に終助詞「か」の付いた「もか」の音変化。上代語。名詞、形容詞および助動詞「なり」の連用形、副詞、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す。…があればいいなあ。…であってほしいなあ(デジタル大辞泉)、
係助詞「も」に終助詞「が」の付いたもの。文末において、体言・副詞・形容詞および助動詞「なり」の連用形、副助詞「さへ」などを受けて、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、
感動詞モに、同じガの添はりたるもの、希ふ意(大言海)、
体言・形容詞連用形・副詞および助詞「に」を承け、得たい、そうありたいと思う気持ちを表す(岩波古語辞典)、
等々とあり、この由来は、
終助詞モによって未練執着を表し、カによって疑問を表し、その複合によって願望を示すのが古形で、それがモガと音韻変化したものか、
とあり(岩波古語辞典)、
都辺(みやこへ)に行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふ言告(ことつ)げ遣らむ(万葉集)
では、
都の方へ行く船でもあったらなあ、
と(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
……が欲しい、
意(岩波古語辞典)、また、
我(あ)が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ(万葉集)、
では、
いっそ玉でありたい、
と(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
……でありたい、
……であってほしい、
意で使う(岩波古語辞典)。上代には、多く、
川(かは)の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて(万葉集)、
と、
もがも、
の形で用いられ、上代にも、
もが、
が単独の形は、
もがも、
に比して少ないとされ、
もが、
をさらに強調した、
もが・も、
が多用されたようだ。中古以降は、
ありはてぬ命待つ間のほどばかりうき事繁く思はずもがな(古今和歌集)、
と、
もがな、
の形が圧倒的になる(精選版日本国語大辞典)。ただ、後世にも源実朝や橘曙覧など万葉調歌人の歌にはしばしば用いられたようである。
もがも、
で触れたように、上代にすでに、
も‐がも、
という分析意識があった(精選版日本国語大辞典)とされ、
もがな、
で触れたように、平安時代、終助詞の、
モ、
が、
ナ、
に代えられて使われ、
末において体言・形容詞や打消および断定の助動詞の連用形・格助詞「へ」などを受け、その受ける語句が話し手の願望の対象であること、
を表わし(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
かくしつつとにもかくにも永らへて君が八千代にあふよしもがな(古今和歌集)、
と、
……が欲しい、
意や、
世の中にさらぬ別れのなくもがな千代(ちよ)もと祈る人の子のため(古今和歌集)、
と、
……でありたい、
意で使い(岩波古語辞典)、
願望を表わす「もが」に感動を表わす「な」の付いたもの、
とするが、中古、
もがな、
が、
も哉、
とも表記されたこと、また、
をがな、
の形、さらには、
がな、
の形も用いられていることなどから、当時、
も‐がな、
の分析意識があったと推測される(精選版日本国語大辞典)とある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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秋の雨に濡れつつ居(を)ればいやしけど我妹がやどし思ほゆるかも(大伴利上)
の、
いやし、
は、
むさくるしいけれど、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いやし、
は、
卑し、
賤し、
鄙し、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、現代語の、
いやしい(卑しい・賤しい)、
にあたり(広辞苑・学研全訳古語辞典)、
類義語「あやし」が不思議と思われる異常なものに対する感情であるのに対して、蔑視または卑下すべきものに対する感情を表す、
とある(広辞苑)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
賤、伊也志、位、賤し、
とあるように、
是を以て、賤(イヤシキ)賊(あた)の陋(いや)しき口を以て尊号(みな)を奉らむ(日本書紀)、
と、
貴(あて)、
の対で、
身分や地位が低い、
という意の、状態表現であったが、
葎(むぐら)はふ伊也之伎(イヤシキ)屋戸(やど)も大君の座(ま)さむと知らば玉敷かましを(万葉集)
と、
貧しい、
みすぼらしい、
と、価値表現へと転じ、
朕は惟虚薄(イヤシ)。何を以てか斯を享けむ(日本書紀)、
と、
卑下すべきである、
とるに足りない、
意や、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
鄙、野也、伊也志、
とあるように、
ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらん(枕草子)、
と、
下品である、
劣っている、
意や、
いかにいやしくもの惜しみせさせ給ふ宮とて(枕草子)、
と、
吝嗇(りんしょく)である、
けちである、
意、さらに、後世には、
いやしい、
という表現に代わるが、
卑(イヤ)しい子供だ。阿母さんが何う為た(落語・真田小僧)、
と、特に飲食物や金銭などに対して、人前でも欲望を隠そうとせず、
慎みがない、
意地きたない、
意や、
又其人人の生れにして、いやしくて事の弁(わきま)へもなきにこそ有らめ(談義本「労四狂(1747)」)、
と、
無教養である、
無学である、
意にまで、価値表現が広がる。本来、
身分的・経済的な低さを表わし、人格とはかかわらない、
意で、
上代では、
あて、
と対義語の関係にあると考えられ、
あて、
が、
「中心」の価値を示す、
のに対して、
いやし、
は
「周縁」の価値を示すもの、
と位置づけられる(精選版日本国語大辞典)。だから、
鄙、
の字があてられたものと思われるが、やがて、貴賤とは直接かかわらない、
人格や美意識面での価値、
をも表わすようになる(精選版日本国語大辞典)。
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
卑、イヤシ・ミジカシ・ツタナシ、
賤、イヤシ・ミジカシ・ヤスシ、
鄙、イヤシ・ウレフ・ハヂ・ヰナカ・ヒナ・アシ、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
賤、イヤシ・ヤスシ・スクナシ・ミジカシ・アタヒスクナシ
等々とあり、状態表現が価値表現へ、意味がシフトしていくのがよくわかる。
「賤」(漢音セン、呉音ゼン)の異体字は、
賎(俗字)、贱(簡体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B3%A4)。字源は、
会意兼形声。戔は、戈(ほこ)を二つ重ねた会意文字で、物を刃物で小さく切る意をあらわす。殘(残 小さい切れはし)の原字で、少ない、小さいの意を含む。賤は「貝+音符戔」で、財貨が少ないこと、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「貝」+音符「戔 /*TSAN/」。「いやしい」を意味する漢語{賤 /*dzans/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B3%A4)、
形声。声符は戔(せん)。戔に薄小なるものの意がある。〔説文〕六下に「賈(あたひ)少なきなり」とあり、貴に対して、財貨の薄小・粗悪なものをいう。貴は貝を両手で奉ずる形である(字通)、
と、形声文字としている。
「卑」(ヒ)の旧字は、
卑
である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%91)。字源は、
会意文字。たけの低い平らなしゃもじを手に持つさまを示すもので、椑(ヒ 平たい薄いしゃもじ)の原字。薄べたく厚さがとぼしい意を含む。薄いものは背が低いので、転じて、身分の低い小者の意となる、
とある(漢字源)。同じく、
会意上部は杯形の器の形。下部はその柄をもつ形。椑(ひ)の初文。柄のある匕杓(ひしやく)の類で、酒などを酌む形である。〔説文〕三下に「賤(いや)しきなり。事を執る者。ナ(さ)甲に從ふ」とし、〔段注〕に「甲は人の頭に象る」という。手で頭を抑える形と解するのであろう。卑の大なるものを卓といい、スプーンのような器。その大小高卑によって、卓を卓然といい、卑を卑小の意とする(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、他は、
旧字は、象形。平たい形の酒器を左手に持つ形にかたどる。酒をつぐ役職を表し、転じて、身分が低い意を表す。「俾(ヒ)」の原字。常用漢字は俗字による(角川新字源)
象形文字です。「取っ手のある丸い酒だるに手をかけている」象形から、日常用の「たる」の意味から、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「(祭器に比べ)いやしい」を意味する「卑」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1723.html)、
と、象形文字としている。ただ、
象形だが何を象ったものかは不明。柄付きの酒器、槌、柄の付いた工具、竹籠など多数の説があるがいずれも憶測の域を出ず、定説はない。仮借して「ひくい」を意味する漢語{卑
/*pe/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%91)、
とあり、何を象ったかは不明としている。
「鄙」(ヒ)は、
会意兼形声。啚(ヒ)は、米倉・納屋を描いた象形文字。鄙は「邑+音符啚」、米倉や納屋のある農村、いなかをあらわす、
とある(漢字源)。他も、
原字の「啚」は「囗」(土地、領域)+「㐭」(倉庫)から構成される会意文字で、それに「邑」を加えて「鄙」の字体となる。「いなか」を意味する漢語{鄙 /*prəʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%84%99)、
とあるが、
形声。声符は啚(ひ)。啚は鄙の初文。〔説文〕六下に「五酇(ごさん)を鄙と爲す」と〔周礼、地官、遂人〕の制によって説く。一酇は百家、五百家を鄙とする。啚の下部は廩倉(りんそう)の象、上部の囗(い)は邑の従うところと同じく、その地域・区画を示す。もと農耕地の耕地と廩倉とをいう。金文に「都啚(とひ)」とあり、都と鄙と対文。啚に邑を加えて鄙となる。その鄙を、地域の全体の関係において示すものを圖(図)という。すなわち経営的な農地で、圖に地図の意と図謀・企図の意とがある(字通)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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雲の上(うへ)に鳴くなる雁(かり)の遠けども君に逢はむとた廻(もとほ)り来(き)つ(万葉集)
の、
た廻(もとほ)り来(き)つ、
は、
遠路はるばるやってきた、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
匍(は)ひた廻(もとほ)る、
で触れたように、
た廻(もとほ)る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
徘徊る、
と当てるが、
た、
は、
接頭辞(精選版日本国語大辞典)、
接頭語(岩波古語辞典)、
発語(大言海)、
とあり、
たわらは、
たゆたに、
たやすし、
たばかる、
た靡く、
等々の用例があり、
誰か多佐例(タされ)放(あら)ちし吉備なる妹を相見つるもの(日本書紀)、
と、
名詞・副詞・動詞・形容詞の上に付いて、語調を整え、意味を強める(学研全訳古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞の上に添えて、語調を整え強める(広辞苑)、
動詞・形容詞・副詞などに付いて、語調を整える(デジタル大辞泉)、
動詞・形容詞・副詞などの上に付けて、語調をととのえる(精選版日本国語大辞典)、
動詞形容詞に冠する接頭語、意無し(大言海)、
動詞・形容詞の上につく、意味は不明(岩波古語辞典)、
としている。
やすし、
と
たやすし、
はかる、
と
た謀る、
では語調が強まるのは確かだが、本来は、何か意味があったのではないかという気がするが。原義は探りようがない。
た廻(もとほ)る、
は、
みどり子の匍(は)ひ多毛登保里(タモトホリ)朝夕(あさよひ)に哭(ね)のみそ我(あ)が泣く君無しにして(万葉集)、
と、
同じ場所をぐるぐる回る、往ったり来たりする、
ちこちと歩きまわる、めぐる、
といった意で(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、その外延で、冒頭の歌もそうだが、
春霞井の上ゆ直(ただ)に道はあれど君に逢はむとた廻(もとほ)り來(く)も(万葉集)、
と、
回り道する、
遠回りする、
意でも使い(伊藤博訳注『新版万葉集』・岩波古語辞典)、
た廻(もとほ)り行箕(ゆきみ)の里に妹を置きて心空にあり土は踏めども(万葉集)、
と、めぐって行き廻る意から、
行箕(ゆきみ)、
にかかる枕詞としても使う(仝上)。
た廻(もとほ)る、
とは別に、
木(こ)の間より移ろふ月の影を惜(を)しみ徘徊(たちもとほる)にさ夜更けにけり(万葉集)、
と、
立ち廻(もとほ)る(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
徘徊(たちもとほる)(精選版日本国語大辞典)、
とあてたりする、
たち廻(もとほ)る、
という言い方があり、後世にも、
あなたこなたへ、たちもとをりて、ねんごろに、菊をながむる也(「華若木詩抄(1520頃)」)、
と使うが、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
徘徊・留連・彷徨、タチモトホル、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)には、
望、太知毛止保留、
偭冗、人之徒轉不定之皃、太知毛止保留、
とあり、
徘徊、
とも当て、
ある場所に立って、その近辺を歩きまわる、
行きつ戻りつする、
彷徨する、
意である(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
略して、たもとほる、
ともあり(大言海)、
もとほる(徘徊)、
と同じ(仝上)とする。とすると、
たちもとほる→たもとほる、
とする『大言海』説が正しければ、
たもとほる、
の、
た、
は、
たち、
の略ということになる。この、
たち、
は、おそらく、
立ち、
とあてる、
たち、
で、
立ちあざる、
でふれたように、
立つ、
は、
動詞に冠して語勢を強める語(広辞苑)、
動詞に付いて、その意味を強めたり、やや改まった感じを表したりする。「立ちまさる」「立ち向かう」(デジタル大辞泉)、
とされるが、どうもそれだけではあるまい。
もともと坐っている状態が常態だったのだから、
立つ、
ということはそれだけで目立つことだったのに違いない。そこに、ただ、
立ち上がる、
という意味以上に、
隠れていたものが表面に出る、
むっくり持ち上がる、
と同時に、それが周りを驚かし、
変化をもたらす、
に違いない。
立つ、
には特別な意味が、やはりある。
引き立つ、
思い立つ、
気が立つ、
心が立つ、
感情が立つ、
あるいは、
忠義立て
隠し立て
心立て
という使い方もある。伊達も「取り立て」のタテから来ているという説もある。そう思って、振り返ると、
腹が立つ、
というように、立つが後ろに付くだけではなく、前につけて、
立ち会い、立ち至る、立ち売り、立ち往生、立ち返る立ち並ぶ立ち枯れ、立ち遅れ、立ち働く、立ち腐れ、立ち遅れ、立ち竦む、立ち騒ぐ、立ち直る、立ち退き、立ち通す、立ち回り、立ち向かう、立ち行く、立ち入り、立ち戻る、立ち切る、立ち居振る舞い、立ち代り、立ち消え、立ち聞き、立ち稽古、立ち込み、立ち姿、立ちどころに、立ち退き、立ちはだかる、立て替え、建て替え、立ち水、立ち塞がる、立待の月、立て板、立て付け、立て直し……、
等々、すごい数になる。こうみると、
「立つ」ことが目立つ、ある特別のことだ、
というニュアンスが、接頭語としての「立ち」に波及しているのではないか。しかも、
立場、立木、立つ瀬、建前、立て方、立ち衆、立行司、立て唄、立女形、立て作者、立ち役……、
と並べて見ると、
立つ、
には、特別な意味がある。「立つ」ことが、際立って重要で、
満座が坐っている中で、立つことがどれほどの勇気がいることで、目立つことか、
と思い描くなら、「立つ」には、いい意味でも、悪い意味でも、
目立つ、
中心に立つ、
という意味が込められている。
立つ、
の用例から見ると、
立(たち)てゐて思ひそわがする逢はぬ児ゆゑに(万葉集)、
と、
横になったり、すわったりしていた人が身を起こす、
立ち上がる、
意だけではなく、
項(うな)かぶし汝(な)が泣かさまく朝雨の霧に多多(タタ)むぞ(古事記)、
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立(たつ)見えてかへりみすれば月かたぶきぬ(万葉集)、
と、
雲、霧、煙などが現われ出る、
風、波などが起こり動く、
等々、
物、人などが、目だった運動を起こす、
意や、
堀江漕ぐ伊豆手(いづて)の船の楫(かぢ)つくめ音しば多知(タチ)ぬ水脈(みを)早みかも(万葉集)、
わが名はも千名(ちな)の五百名(いほな)に立(たち)ぬとも君が名立(たた)ば惜しみこそ泣け(万葉集)、
と、
音や声が高くひびく、
人に知れわたる、
目に見えるようにはっきり示され、
等々、
作用、状態などが目立ってあらわれる、
意や、
さねさし相摸の小野に燃ゆる火の火中に多知(タチ)て問ひし君はも(古事記)、
ちはやひと宇治の渡りに渡瀬に多弖(タテ)る梓弓(古事記)、
と、
足などでまっすぐに支えられる、
草木などが地から生える、
等々、
物や人が、たてにまっすぐな状態になる、また、ある位置や地位を占める、
意や、
なんの用にかたたせ給ふべき(平家物語)、
盗みをしたと言はれては立(たた)ぬ(歌舞伎・傾城壬生大念仏)、
と、
使ったり、仕事をさせたりすることができる、
等々、
ある状態が保たれる、また、物事が成り立つ、
意等々、
目に立つ、
目立つ、
という含意がある。
立ちもとほる、
の、
立ち、
にも、
ただ動き回る、
という意味を強調した以上に、
目立った振る舞い、
あるいは、
立つ、
に含意される、
(おのれが)やる、
といった意味があるのではあるまいか。もともとの、
もとほる、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、多く、
立つ、
行く、
這(は)ふ、
などの連用形に付いて、
匍(は)ひた廻(もとほ)る、
たちもとほる、
(い)ゆきもとほる(行廻)、
等々と使い(学研全訳古語辞典)、
廻る、
回る、
徘徊る、
繞る、
とあて(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
繚、モトヲル、
繞、旋、
新撰字鏡(平安前期)、
繵・邅、毛止保留、
類聚名義抄(11〜12世紀)、
紆、マツハル・モトホル、
等々とあり、名詞の、
もとほり、
も、和名類聚抄(931〜38年)に、
旋子、毛度保利、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
旋子、モトホリ、
とあるのは、
原義からの派生で、鷹の脚に着ける紐の金具を、「もとほり」指している(大言海)。
新撰字鏡(平安前期)に、
縁、毛止保利、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
縁、餝也、縫也、毛止保利、
とあるのは、
めぐり、の意から派生して、ふち、へり、の意になっているためである(仝上)。で、
もとほる、
は、
神風の伊勢の海の大石に這ひ廻(もとほ)ろふ細螺(しただみ)のい這ひ母登富理(モトホリ)撃ちてし止まむ(古事記)、
と、
まわる、
めぐる、
徘徊する、
意、
忿と恨とを先と為、追ひ触ればひ、暴(し)ひ熱(あつ)かひ、很(ひすかし)まに戻(モトホル)を以て性と為(「成唯識論寛仁四年点(1020)」)、
と、曲がる意から、それをメタファに、
まっすぐでない行ないをする、
曲がったことをする、
意、
人躰衆にふにふにて、もとをらす、のひのひにて口惜迄候(「上杉家文書(1582)」)、
と、やはり、気が回る意から、メタファで、
思うようにはこぶ、
思うように自在に動く、
意などで使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この、
もとほる、
の由来は、
元へ還る意(国語の語根とその分類=大島正健)、
モト(本)の語から(国語溯原=大矢徹)、
モトホル(本欲)の義(国語本義)、
モトヘリ(本所反)の義、また、マトヘリ(絡縁)の義(言元梯)、
と、諸説あるが、どれもはっきりしない。意味的には、
本へ還る、
だろうが、
元を通る、
の意でもある。
「廻」(漢音カイ、呉音エ)の異体字は、
廽(俗字)、迴(別体)、𢌞(別体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%BB)。字源は、
会意兼形声。「辵+音符回(まわる)」、
とあり(漢字源)、同じく、
会意形声。廴と、回(クワイ)(めぐる)とから成る。もと、迴(クワイ)の俗字(角川新字源)、
会意兼形声文字です(廴+回)。「十字路の左半分を取り出して、さらにそれを延ばした」象形(「長く延びた道を行く」の意味)と「物が回転する」象形(「回る、巡る」の意味)から、「巡り行く」を意味する「廻」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2265.html)、
と、会意兼形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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我がやどの萩(はぎ)花咲けり見に来ませいま二日だみあらば散りなむ(巫部(かむなぎべの)麻蘇娘子(まそをとめ))
の、
二日だみ、
の、
だみ、
は、
二日ばかり、
二日だみあらば、
は、
二日ほどしたら、
と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
だみ、
は、
たむ(廻)の名詞形、「そのめぐり」「一帯」の意から、「ばかり」「ほど」「以内」の意で使う(広辞苑)、
副助詞。動詞「たむ(回)」の名詞形から変化したものであろうといわれる。そこから、あたり・周辺の意を表わして、時間的には「ばかり」の意となる、という。また、「をち」が遠方の意から、以上の意を表わすのと対称的に、「たみ」から以内・内の意が生ずるとも説かれる(精選版日本国語大辞典)、
接尾語。タム(廻)と同根の語か。手前へめぐる意から「以内」の意。ヲチが遠方の意から「以上」の意に転用されているのと対になる(岩波古語辞典)、
などとあり、品詞自体も、
接尾語(岩波古語辞典)、
とも、
副助詞(精選版日本国語大辞典)、
あり、はっきりしない。
近くあらばいま二日太未(ダミ)遠くあらば七日のをちは過ぎめやも(万葉集)、
では、
だみ、
と、
をち、
が対で使われており、
ダミは程度を表す副助詞、ばかり、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
ヲチは、それより向こう、
の意(仝上)とし、
早ければもう二日ほど、遅くても七日の向こうにはなりますまい、
と訳しているが、
二日以内、
七日以上、
の含意のように見える。ちなみに、
をち、
は、
彼方、
遠、
とあて、音韻変化で、
おと、
ともいうが、
「こち」「そち」の対、「をととし」の「をと」と同源か、一説に、海の意を表すワタの母音交替によってできたとする(広辞苑)、
隔路(ヘヂ)の義(大言海)、
元来、遠く隔たった向こうの意。代名詞的に、「かなた」「あちら」の意にも用いる。現代語の「おととし(一昨年)」「おととい一昨日)」の「おと」も(「をち」の変化の「おと」の)語にもとづき、時間的に遠いことの意を表す(デジタル大辞泉)、
上代においては、方向を表わす代名詞は、指示代名詞に「ち」を付けて、「こち」「そち」等の言い方をするが、遠称にはこのような言い方がなく、「をち」「かなた」がこれを代用している(精選版日本国語大辞典)、
等々を由来とし、
白雲の八重に重なるをちにても思はん人に心へだつな(古今和歌集)、
と、
遠く隔たっている場所を指す(遠称)、また、ある範囲にはいらない場所をもいう、
とし(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、空間から時間にシフトし、
このころは恋ひつつもあらむ玉匣(たまくしげ)明けて乎知(ヲチ)よりすべなかるべし(万葉集)、
と、
あっち、向こうの意の方向指示語、
とあるが(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
一夜明けた明日からは、
と訳す(仝上)。ここでは、
以後、
と、未来を表すが、後には、
昨日よりをちをばしらず百年(ももとせ)の春の始めは今日にぞ有りける(拾遺和歌集)、
と、
以前、
と、中古では、過去を表わしている(仝上)。
たむ、
には、
回む、
廻む、
迂む、
とある、
たむ、
のほか、
訛む、
迂む、
とあてる、
たむ、
がある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海・日本語源大辞典)。類聚名義抄(11〜12世紀)に、
迂、タミタリ・マガル・メグル、
色葉字類抄(平安末期)に、
訛、タミタリ、
とある。
回む、
廻む、
迂む、
とあてる、
たむ、
は、
み/み/む/むる/むれ/みよ、
の、自動詞マ行上二段活用で、
い回(た)む、
漕回(こぎた)む、
等々と使い、
連用形「たみ」のミが乙類音であるところから活用は上二段と認められる。曲がりめぐる意の上一段動詞「みる」は、より古くは上二段活用であったと推定されるが、その終止形「む」に接頭語「た」が付いたものと考えられる、
とある(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
撓(たわ)むの意と云ふ(大言海・和訓栞)、
タマ(丸)と同源(日本古語大辞典=松岡静雄)、
とあるが、はっきりしない。
沖つ鳥鴨といふ船は也良(やら)の崎多未(タミ)て漕(こ)ぎ来(く)と聞え來(こ)ぬかも(万葉集)、
と、
まわる、
迂回(うかい)する、
意や、
岡(をか)の崎(さき)廻(た)みたる道をな通ひそありつるも君が來まさむ避(よ)き道にせむ(万葉集)
と、
折れまがる、
意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
訛む、
迂む、
とあてる、
たむ、
は、後には、
だむ、
と濁り(学研全訳古語辞典)、
ま/み/む/む/め/め、
の、自動詞マ行四段活用、
とある(学研全訳古語辞典)が、
マ行上二段活用か、
ともあり(日本語源大辞典)、
語源は「たむ(回)」で、ここから、文などの屈折する意、さらにことばがなまる意が生じたものか。とすれば、活用は本来上二段だっただろうと思われる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
ダム(撓)の義(言元梯)、
タワム(撓)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
舌たむの略、故に濁る(大言海)、
タルミアルの義(名言通)、
とあるが、
たむ(回)、
から、
言葉の屈折→なまる、
と意味を転化させていったものとみられる。で、
迂む、
とあてる、
たむ、
は、
ことば、文字などがまわりくどいさま、
をいい、
其の迂(タミタル)辞、瑋(あやし)き説は、多く翦弃に従かへり(「大唐三蔵玄奘法師表啓平安初期点(850頃))」)、
と、
屈折する、
意から、
吾妻にて養はれたる人の子は舌だみてこそ物はいひけれ(拾遺和歌集)、
と、
ことばがなまる、
また、
音声がにごる、
意となる(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
たむ、
は、
だむ、
となり、さらに、
鶯はゐなかの谷の巣なれどもだびたる音をば鳴かぬなりけり(山家集)、
と、
だぶ、
と転訛する(仝上)。
「回」(漢音カイ、呉音エ)の異体字は、
佪、囘(古字)、囬(俗字)、廻(の代用字)、徊、迴(繁体字)、逥、𠚃、𡇌(同字)、𢌞、𩶠、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9E)。字源は、
象形。回転するさま。または、小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いたもの、
とある(漢字源)。他も、
象形。物を囲みで取り囲むさまを象る。また一説に「圍」の略体。「かこむ」を意味する漢語{圍 /*wəi/}を表す字。のち仮借して「まわる」「めぐる」を意味する漢語{回
/*wˤəi/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9E)、
象形。水がうずまいているさまにかたどる。「まわる」「まわす」意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「ものの回転する」象形から「まわる」を意味する「回」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji275.html)、
象形。水の回流する形。〔説文〕六下に「轉ずるなり」とするが、淵字条十一上に「回水なり」とあり、孔門の顔回、字は子淵。いわゆる名字対待。水のめぐる意より、すべて旋回することをいう(字通)、
と、象形文字としている。
「迂」(ウ)は、
会意兼形声。「辵+音符于(つかえて曲がる)」、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(辶(辵)+于)。「十字路の象形と立ち止まる足の象形」(「行く」の意味)と「弓のそりを正す道具」の象形(「弓なりに曲がる」の意味)から、「まわり道をする」を意味する「迂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2230.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「辵」+音符「于 /*WA/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BF%82)、
形声。辵と、音符于(ウ)とから成る(角川新字源)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし(大伴田村大嬢)
の、
かへるて、
は、
かえで、
のこと、
葉が蛙の手に似る、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かへるて、
は、
蝦手、
蛙手、
鶏冠木、
とあて、後に、
かへるで、
と濁るが、
カエデの古名、
である(広辞苑)。
葉の深くきれこんださまが蛙の手に似るところからいう(精選版日本国語大辞典)、
葉の形がカエルの手に似るからいう(広辞苑・岩波古語辞典・日本語源広辞典)、
がその理由で、この、
蛙+手、
が、
と転訛して、
かえで、
となったとされる(広辞苑・日本語源広辞典・和句解・日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・大言海・和訓栞)。
kaferude→kaferde→kafende→kafede、
とある(岩波古語辞典)ので、
かへるて→かへるで→かへて→かへで、
といった変化であろうか。
野の北に、櫟(いちひ)、柴(くぬぎ)、鶏頭樹(かへるでのき)、比之木(ひのき)、往々(よりより)森々(いよよか)に自から山林(はやし)を成せり(常陸風土記)、
と、
かへるでのき、
ともいい、
蝦手木、
蛙手木、
鶏冠木、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
略して、かへるで、
とある(大言海)ので、転訛は、
かへるでのき→かへるて→かへるで→かへて→かへで、
ということなのかもしれない。転じて、
かいで、
ともいう(大言海)。運歩色葉集(1548)には、
雞冠樹、カイデノキ、
とある。
かへで、
は、
楓、
鶏冠木、
槭樹、
とあて(広辞苑・大言海・精選版日本国語大辞典)、新撰字鏡(平安前期)に、
楓、香樹なり、加豆良(かつら)、
和名類聚抄(931〜38年)に、
楓、乎加豆良(をかつら)、雞冠木 楊氏漢語抄に云ふ、雞冠木、加倍天乃岐(かへでのき)。辨色立成に云ふ、雞頭樹、加比流提乃岐(かひるでのき)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
楓、カツラ・ヲカツラ・カヘデ、
とある。また、和名類聚抄(931〜38年)には、
鶏頭樹、加比留提乃木(かへるでのき)、
ともあり、『大言海』は、
比は閉(へ)の音に用ゐたるなり、
と注記している。字鏡(平安後期頃)にも、
鶏冠、加戸天(かへで)、
とある。
鶏冠木(けいかんぼく)、
ともいうのは、
葉の形、鶏冠(とさか)に似たればなるべし、
とある(大言海)。
かえで、
は、
ムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属の落葉高木の総称、
で、
モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、葉の切れ込みが深いものを「モミジ」、葉の切れ込みが浅いものを「カエデ」と呼んでいる、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%87)、
葉は対生し多くは単葉の掌形で長柄をそなえ、先端に鋸歯(きょし)がある。霜がおりると黄葉や紅葉する。四、五月ごろ小枝の先に四〜五弁の小花をつける。果実は竹とんぼに似て翼があり、左右二室に分かれている、
とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。日本には約二五種が野生し、
イロハカエデ(別名イロハモミジ)・イタヤカエデ・ハナノキ・ウリハダカエデ・チドリノキ(別名ヤマシバカエデ)・トウカエデ・ミツデカエデ・アサノハカエデ・オニモミジ・ハウチワカエデ、
等々がある(仝上・世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)。材は、建築、家具、彫刻、楽器材などに用いる(仝上)。
なお、襲(かさね)の色目にも、
かえで、
があり、
表裏ともに萌葱(もえぎ)のものをいう、
とされる(仝上)。なお、
楓、
の字は、上述したように、
「本草和名」「新撰字鏡」にカツラと読み、「和名抄」にはヲカツラとしている。これらによって、「万葉集」の「楓」もカツラと訓読されている。のちに、「楓」がカエデに用いられるようになったが、中国で「楓」というのは、マンサク科のフウであり、カエデとは別のものである、
とある(精選版日本国語大辞典)。
もみづ、
でふれたことだが、
もみづ、
は、
我が宿(やど)の萩(はぎ)の下葉(したば)は秋風(あきかぜ)もいまだ吹かねばかくぞもみてる(万葉集)
とある、四段活用動詞の、
もみつ、
が平安初期以後上二段化し、語尾が濁音化したもの、
とあり(岩波古語辞典・日本国語大辞典)、
もみつ、
は、
紅葉つ、
黄葉つ、
と当てる(広辞苑)。その、
もみづ、
の連用形の名詞化が、
もみぢ(紅葉。黄葉)、
である。
もみち(もみぢ)、
の由来は、
色を揉み出すところから、もみじ(揉出)の義、またモミイヅ(揉出)の略(日本語源広辞典・和字正濫鈔・日本声母伝・南嶺遺稿・類聚名物考・牧の板屋)、
紅(もみ)を活用す(大言海)、
モミヂ(紅出)の義、モミ(紅)の色に似ているところから(和句解・冠辞考・万葉考・和訓栞)、
モユ(燃)ミチの反(名語記)、
モミテ(絳紅手)の義(言元梯)、
等々あるが、
もみ(紅)の活用、
には意味がある。これは、
色は揉みて出すもの、紅(クレナヰ)を染むるに、染めて後、水に浸し、手にて揉みて色を出す、
とあり(大言海)、
もみ、
は、
ほんもみ、
ともいう(精選版日本国語大辞典)ので、結果的には、
もみじ(揉出)、
モミイヅ(揉出)の略、
とする語源説と似てくるが。
もみ、
は、
紅、
紅絹、
本紅絹、
と当て(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)、
紅花を揉んで染めるところから、
この名があり、江戸時代には、
紅花染を紅染(もみぞめ)、職人を、
紅師(もみし)、
といったことされる(仝上)。
緋紅色に染めた平絹、
をそう呼び、
平絹、羽二重に鬱金(うこん)で黄に下染めした上へ紅をかけて、いわゆるもみじ色の緋(ひ)色に染め上げた、
とあり、
和服の袖裏や胴裏などに使う、
とある(仝上)。日本では、古くから、
紅で染めたものを肌着や裏地に用いる習慣がある。これはおそらく紅の薬物的な効力に対する信憑(しんぴょう)感から出たものであろう、
とある(日本大百科全書)。なお、
もみじ、
は、
紅葉、
黄葉、
と当てられるが、いずれも、漢語からの当て字のようで、
上代には、モミチと清音。上代は「黄葉」、平安時代以後「紅葉」と書く例が多い、
とあり(広辞苑)、秋に、木の葉が赤や黄色に色づくことやその葉を指し、歌には、カヘデ、カヘルデの語形は少ない、とある(精選版日本国語大辞典)。
モミヂ、
は、紅葉する樹木の代表的なものである、
かえで、
をさし、
カエデの別称、
ともされるが、
カエデ科の数種を特にモミジと呼ぶことが多いが、実際に紅葉が鮮やかな木の代表種である。狭義には、赤色に変わるのを「紅葉(こうよう)」、黄色に変わるのを「黄葉(こうよう、おうよう)」、褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼ぶが、これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89)。なお、
もみづ、
もみじ、
については触れた。また、蛙については、
かはづ、
で触れた。ちなみに、
もみじ、
とつくものには、
ニワトリの足先を食用にするとき、3つに分かれている形状からモミジという、
ダイコンに穴を開けて唐辛子を詰め、一緒にすりおろしたものをもみじおろしという、
等々がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%87)。
「楓」(漢音ホウ、呉音フウ)は、
会意兼形声。「木+音符風」で、実に薄い翼がついて、風のまにまに飛ぶ、
とあり(漢字源)、
中国に自生するマンサク科の落葉高木。葉は三裂し、秋に少し紅葉する。果実に翼がある。わが国では、カエデににあてている(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(木+風)。「大地を覆う木」の象形と「風を受ける帆の象形と風雲に乗る辰の象形」(「風」の意味)から、風を媒介にして種子が飛ぶ:「フウの木」、「カエデ(もみじ)」を意味する「楓」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji322.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%93)、
形声。「木」+音符「風 /*PƏM/」(仝上)、
形声。木と、音符風(フウ)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は風(ふう)。〔説文〕六上に「楓木なり」(段注本)とあり、厚葉弱枝にしてよく風に動き、葉ずれの音がする木であるという。北方の楓と南方の楓とまた異なり、南方の楓の実は栗房に似て、これを焚(や)けば香気を発する木とされるから、わが国のかえでとは異なる木である(字通)、
と、他は形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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あしひきの山鳥(やまどり)こそば峰向ひに妻どひすといへうつせみの人なる我れや何(なに)すとか一日一夜(ひとひひとよ)も離(さか)り居て嘆き恋ふらむ(大伴家持)
の、
山鳥、
は、
キジ科の一種、
をいい、
雌雄別居し雄は峰を越えて妻問うとされたらしい、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
山鳥、
は、
山にすむ鳥の総称、
の意もあるが、
和名類聚抄(931〜38年)に、
山鶏、夜萬土利、
とあり、
山鶏、
山雉、
H、
鶡、
鸐雉、
などとも当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA・大言海)、
鳥綱キジ目キジ科ヤマドリ属の鳥、
で(仝上)、
日本の特産種、
をいい、本州・四国・九州の山間の森林にすみ、
全長、雄は125cm、雌は55cm前後になる。尾羽が長くキジに似ているが羽色が異なる。雄の背面は光沢のある赤銅色で、背や腰の各羽のふちは白い。尾羽は黒や褐色の横帯があって竹の節状をなし、長さは90cmにもなる。眼の周囲は裸出して赤く、眼下に一白斑がある。雌は雄より地味で、尾羽も短い、
とある(精選版日本国語大辞典)。
目立つ冠羽はないが、興奮すると頭頂の羽毛が逆立ち冠状に見えることもある。顔面にキジ同様赤い皮膚の裸出部がある。雄の尾は相対的にキジよりも長く、黒、白、褐色の鮮やかな模様がある。雄は脚に蹴爪を持つ。雌の羽色は褐色でキジの雌に似るが、キジの雌より相対的に尾が短い、
ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA)。和名の、
ヤマドリ、
は、
山地に生息することに由来し、主に標高1500メートル以下の山地の森林や藪地(灌木叢林)などに生息、渓流の周辺にあるスギやヒノキからなる針葉樹林や、下生えがシダ植物で繁茂した環境を好む。冬季には群れを形成する、
とある(仝上)。繁殖期には、
雄は翼で胸を打ち、「どどど」と音を出し、これを、
母衣(ほろ)をうつ、
という(広辞苑)。
翼を激しく羽ばたかせ、非常に大きな音を出す(ドラミング、〈ほろ〉打ち)ことで縄張りを宣言するとともに、雌の気を引く。また、ドラミング(ほろ打ち)の多くは近づくものに対する威嚇であるともされる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA)。なお、「母衣」については、「保呂乱す」で触れた。冒頭の歌にあるように、
昼は雌雄一処におり、よるは峰を隔てて寝る、
という言い伝えがあった(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)とされ、
山鳥の、
で、枕詞として、
ひとり寝することをいう語、
として
秋風の吹きよるごとに山鳥のひとりし寝(ぬ)ればものぞ悲しき(古今和歌六帖)、
と、
一人寝(ぬ)、
にかかり、
山どりのすゑをの里もふしわびぬ竹の葉しだり長き夜の霜(壬二集)、
と、
山鳥の尾の意で、「尾」と同音を含む「尾上(をのへ)」や、類音を含む「おのづから」「おのれ」や、地名「すゑを」、
にかかったり、
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂)、
と、
その尾が長いことから、「山鳥の尾の」とつづけて「長し」「尾」などを起こす「序詞」として用いたり(上記歌では「山鳥の尾のしだり尾の」までが「ながながし」を導く序詞)、
白雲のへだつるかたややまどりのをの上に咲ける櫻なるらむ(続千載和歌集)、
と、
山鳥の尾と同音の「峰(を)」、
にかかる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。ただ、繁殖期につがいが一緒にいるのは、伝説ではなく、
繁殖期は番いか一夫多妻で生活しており、非繁殖期には雌雄別々の群れでいることが多い。暗い林内を好み、早朝と夕方に主に植物の種子や芽を地上付近で採食する、
とある(https://www.pref.gifu.lg.jp/page/4589.html)。
なお、
山鳥、
は、
えぞらいちょう(蝦夷雷鳥)」の異名、
ともされる(精選版日本国語大辞典)。
えぞらいちょう(蝦夷雷鳥)、
は、
えぞやまどり(蝦夷山鳥)、
ともいい、
キジ科ライチョウ亜科の鳥。全長約三六センチメートル。背面は、灰地に黒褐色と赤褐色のまだらがあり、腹面は白地に縦紋がある。冬も白変しない。欧亜大陸北部から北海道にかけて分布し、森林の地上で生活する、
とある(精選版日本国語大辞典)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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石橋(いしばし)の間々(まま)に生(お)ひたるかほ花(ばな)の花にしありけりありつつ見れば(万葉集)
の、
石橋、
は、いわゆる、
川の中の踏み石、
石(いし)並み、
飛び石、
あるいは、
澤飛(さはとび)、
磯飛(いそとび)、
のことで(精選版日本国語大辞典・大言海)、
石橋の間々(まま)に、
の、
川の飛石の間々に、
の意で、
上三句は序、「花にしありけり」を起こす、
とあり、
かほ花、
は、
未詳とし、
花にしありけり、
は、
実のならぬあだ花であった、
と解し、
ありつつ見れば、
は、
ずっとあなたの様子を見ていると、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かほばな、
は、
顔花、
容花、
貌花、
とあて、文字通り、
美しい花、
の意(広辞苑・デジタル大辞泉)だが、
ヒルガオのこと(広辞苑・精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典・岩波古語辞典)、
とあり、また、
アサガオ、
カキツバタ、
ムクゲ、
オモダカ、
ともする(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
美しい花、
の意では、
顔佳花、
容佳花、
貌佳花、
とあてる、
かほよばな、
という言い方がある。この場合は、
カキツバタの別名(広辞苑・デジタル大辞泉)、
かきつばた(燕子花)の古名(精選版日本国語大辞典)、
とするが、
オモダカ、
ヒルガオ、
などとする説もある(精選版日本国語大辞典)。で、
かおよばな、
は、
かおばな、
ともいう(仝上)。
かほよばな、
に似た言い方に、
かほよぐさ(顔佳草)、
があり、この場合、
かきつばた(燕子花)、しゃくやく(芍薬)の古名、
とされる(仝上)。
貌鳥(かほどり)、
でふれたように、
かほどり、
は、
かほよどり、
ともいい、やはり、
古くは清音、カホと鳴く鳥の意から、カッコウのことという。一説に、美しい春の鳥(広辞苑)、
今のカッコウとも、春鳴く美しい鳥ともいう(大辞林)
古くは「かおとり」、カッコウその他諸説があるが、実体不明(大辞泉)、
カホと鳴く声から出た名かという、後に誤ってカワセミをさすという(岩波古語辞典)、
かわせみ(翡翠)のことでヒスイ、ショウビンともよばれる(https://manyuraku.exblog.jp/10737173/)、
等々諸説ある。『大言海』は、で、
かほどり、
を、
美しき鳥の称、
とし、
容好鳥(かほよどり)、
の意とし、
かほばな、
も、
カホとは容姿(すがた)の義、すがたの美しき花の義、容(かほ)が花とも云ふ(容好花(かほよばな)とも云ふ)、美麗なる人を、容人(カタチビト)と云ふが如し、容鳥(かほどり)も同じ、
とする(大言海)。確かに、
「天(あめ)の下のかほよし」と呼ぶ(宇治拾遺物語)、
とあるように、
顔の美しいこと、また、その人、
の意の、
顔佳(かおよし)、
という言い方があり、後世、
女君は国のとなりまでも聞え給ふ美人(カホヨビト)なるが(雨月物語)、
と、
美人、
美しい女性、
の意で、
顔佳人(かおよびと)、
という言い方に転じていく。
顔佳(かおよし)、
は、
容姿(すがた)の義、すがたの美しき、
をいう(大言海)というところに原義があり、
かほばな、
かほよばな、
も、
それに合致する(と思う)花の数だけ、対象が増えていくということではあるまいか。
かお、
は、
貌鳥(かほどり)、
で触れたことだが、
表面に表し、外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を主にした言い方、
とあり(岩波古語辞典)、
カ(気)+ホ(表面)(日本語源広辞典)、
気表(ケホ)の転、人の気の表(ホ)に出でて見ゆる意と云ふ(大言海)、
カホ(形秀)の義(和訓栞)、
カは外、ホはあらわるる事につける語(和句解)、
カは上の儀、ホカ(外)で、表面の意(国語の語根とその分類=大島正健)、
頬と同じく、語原は穂(玄同放言)、
カミオモ(上面)の義(名言通)、
「頬」の別音kapがkapoとなり、kahoと転じた語(日本語原考=与謝野寛)、
等々と、いわゆる、
顔面、
顔つき、
表面、
ではなく、
表面にあって見えるもの、
を指す。大言海は、それが転じて、
容(かほ)の転、身体の表示には、顔が第一なれば、移れるか、
とする。つまり、
表面、
という意のメタファで顔と使われた、という感じになる。ちなみに、
かんばせ、
は、
顔・容、
と当て、
カオバセの転、
とされる(広辞苑)が、
顔つき、容貌、
という状態表現の意から、
体面、面目、
という価値表現へと転じている。
こころばせ、
が、
心馳の義。心の動きの状を云ふ。こころざしに同じ。類推して、顔様(かんばせ)、腰支(こしばせ)など云ふ語あり。かほつき、こしつきにて、こころばせも、こころつきなり、
とあるように、
心の向かうこと、心ばえ、こころざし、
という意味になる。
心ばえ、
の、
映え、
が、もと、
「延へ」で、外に伸ばすこと、
つまり、心のはたらきを外におしおよぼしていくこと。そこから、ある対象を気づかう「思いやり」や、性格が外に表れた「気立て」の意となる。特に、心の持ち方が良い場合だけにいう、という意味であった。
は(馳)せ、
は、
心+馳せ(日本語源広辞典)、
で、「心の動き」を言う状態表現から、
心のゆきとどくこと、たしなみのあること、
といった価値表現へと転ずる。日本語源大辞典は、
性格や性質にもとづいた心の働き、人格を示すような心の動き、才覚、気転の程を示すような心の動き、
と意味を載せる。
心が先へと走る、
という心の状態、働きが、
先へ先へと気(配慮)が回る、
と、そのもたらす効果というか、価値を指すように転じたというのがよく見て取れる。「心ばえ」は、
その性格がおのずと外へ出る、
と言っているのに対して、「心ばせ」は、
その振る舞いが外へ出ている、
ということだろうか。
かんばせ、
は、そういう様子だと言っていることになる。その意味でいうと、
かほ(顔)、
は、
姿形、
と当てる、
なりすがた、
の意と、
顔、
と当てて、
顔面、
の意とに分けている。「顔」で提喩的に、その人全体を表現する、という意味になる。もともと「顔」自体に、「顔面」の意以外に、
体面、
という意味を持っているが、「かんばせ」と言ったとき、「顔」で何かの代表を提喩するように、
そのひとそのものの、
でもある使い方になっているのではあるまいか。その意味で、
かほばな、
には、
単に外面の美しさだけではない、内から映えるような、
というような価値を表現をしていたのではないか、という気がする。
何れ菖蒲、
で触れたように、
カキツバタ、
は、
燕子花、
杜若、
と当て、アヤメ科アヤメ属である。借りた漢字、「燕子花」はキンポウゲ科ヒエンソウ属、「杜若」はツユクサ科のヤブミョウガを指す。ヤブミョウガは漢名(「とじゃく」と読む)であったが、カキツバタと混同されたものらしい(仝上、語源由来辞典、日本語源大辞典)。ふるく奈良時代は、
かきつはた、
と清音であった、とされる(岩波古語辞典)
カキツバタ、
は、
書付花(掻付花 かきつけばな)の変化したもので、昔は、その汁で布を染めたところからいう、
とするのが通説らしい。「汁を布に下書きするのに使った」(日本語源広辞典)ところからきているが、「音変化が考えにくい」(語源由来辞典、日本語源大辞典)と異論もあるが。万葉集は、
垣津幡、
と当てている。
垣下に咲く花(東雅)、
カキツバタ(垣端)の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
も的外れではないかもしれない。
「カキツバタ」は、江戸時代の前半にはすでに多くの品種が成立していたが、江戸時代後半にはハナショウブが非常に発展して、カキツバタはあまり注目されなくなったらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%BF)。なお、
アサガオ、
ムクゲ、
については触れたが、
アサガオ、
を、大言海は、六項目に分ける。
「朝顔」の第一は、
朝、寝起きの顔、
の意で、
朝容(アサガタチ)、
と当てる。この意は、
麩焼(ふやき)の異名(後水尾院年中行事)、
ともある。
焼きたる面の、清らかならぬを、女の朝顔の、つくろはぬに喩えて云ふ、
とある。つまり、ということは、「朝顔」は、
女性の寝起きの顔、
の意である。その意の転化として、「朝顔」の第二は、
朝の容花(かほばな)の意、
つまり、
朝に美しく咲く花、
の意を持つ。
容花(かほばな)、
は、
貌花、
とも当て(大言海)、
かほがはな、
ともいう(岩波古語辞典)。「朝顔」の第三項は、
朝の美しき花、
が一つに絞られていく。
朝に咲くが美しいもの、
として、
あさがほ、
は、さらに、第四、第五として、
ききょう、
むくげ、
にも当てられたが、更に。第六として、漢方の、
牽牛子(けんぎゅうし・けにごし・けんごし 漢方、朝顔の種)、
もいうが、
木槿も牽牛子(けんぎゅうし・けにごし・けんごし 漢方、朝顔の種)も後の外来ものなれば、万葉集に詠まるべきなし、
とし、
桔梗、
の意であった、とする(大言海)。なお、
オモダカ、
は、
沢瀉、
澤瀉、
面高、
等々とあて(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%80%E3%82%AB)、
オモダカ科オモダカ属の水生植物で、
ハナグワイ、
サンカクグサ、
イモグサ、
オトゲナシ、
ナマイ、
ゴワイ、
等々多くの別名をもち(仝上・精選版日本国語大辞典)、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
澤瀉、奈末為、一名於毛多加、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
沢瀉、オモタカ、
とあり、
各地の水田、池、沼などに生える。高さ三〇〜六〇センチメートル。葉は鏃(やじり)形で長い柄をもつ。夏、花茎を伸ばし、その上部に白い三弁の花を輪生する。上部のものは雄花で、下部は雌花となる。秋、株の間から地下枝を出し、先端に小形の芽をつける。塊茎は利尿剤などの薬効があり、大きなものは食用にする、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%80%E3%82%AB)。その語源には、
人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」とされた(仝上)、
中国語で湿地を意味する涵澤(オムダク)からとられた(仝上)、
オモダカ(面高)の義、葉面に紋脈が隆起していることから(名言通・大言海・岩波古語辞典)、
オモタカ(表高)の義、水の面を抜けて高い草のこと(柴門和語類集)、
茎葉がクワイに似ているので、食用にしようとして採取すると、根が細小で食用にならない。オモヒタガヒの省呼(古今要覧稿)、
等々あるが、はっきりしない。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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戯奴(変して「わけ」といふ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ(紀郎女)、
手もすまに植ゑし萩にやかへりては見れども飽かず心尽さむ(読人知らず)
の、
手もすまに、
の、
「すま」は休む意か。ニは打消、
として、
我が手も休めずに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
手もすまに、
は、
手も繁(しば)にの転かと云ふ(大言海)、
「すまに」は休めずの意(精選版日本国語大辞典)、
とあり(ただ、「すま」を「すみやか(速)」「すむやけし(速)」の「すみ」「すむ」と同源として、「手も早く」の意と解する説(仝上)もある)、
手も屢(しま)に(大言海)、
という言い方もあり(「屢」は、しきりに、たびたび、の意)、
手も休めずに、
手の絶え間をおかず、
せっせと、
一生懸命になって、
手を働かせて、
等々の意とされる(大言海・学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
すまに、
は、
スマは屢(しば)に通ず、
とする(大言海)が、
未詳、休めずに、一所懸命に働かせての意か、
ともあり(岩波古語辞典)、上代には、
手もすまに、
の形しか見えない(精選版日本国語大辞典)とあり、拾遺和歌集に、
手もたゆく植ゑしもしるく女郎花色ゆゑ君がやどりぬるかな、
とあるのが、
手もすまに、
の言い換えであると見ると、その当時語義を、
手を休めず、
に近い意に理解していたと考えられる(仝上)としている。後世には、
山吹の汀もすまに咲きぬれば洗ふさ波もいとなかりけり(散木奇歌集)、
と、
すきまなく、
の意と、
時間的意味→空間的意味、
へとシフトして使われているが、ここからも、
時間の隙間なく、
つまり、
暇なく、
の意で使われていたことを、推測させる。なお、
すまに、
は、日本霊異記に、
興福寺本訓釈 寝スミヌル、
日本書紀の古訓(鴨脚本訓)にも、
「留息焉」の「息」の字の右に「スミタマフ」とある、
等々から、
すむ、
を、
休息する、
意とし、
「すむ」の未然形「すま」に打消の助動詞「ず」の古い連用形「に」の付いたもの、
と解する説が一般的である(精選版日本国語大辞典)が、
あしも足掻(あが)かに、
のような、
「…モ…ニ」型の副詞的派生形の場合、「に」は打消の「に」とは考えにくい、
と考えられることが難点とある(仝上)。ちなみに、この
足掻に、
は、
足も阿賀迦邇(アガカニ)嫉妬(ねた)みたまひき(古事記)、
と、
「足掻(あが)くという状態で」の意、
の、副詞で、
いらだって足をばたつかせるほど、
地団駄踏むほど、
の意(精選版日本国語大辞典)とある。
「繁」(@漢音ハン、呉音ボン、A漢音ハン、呉音バン)の、異体字は、
䋣(本字)、緐(別体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)。字源は、「しみみに」で触れたように、
会意兼形声。毎は子を産むように、草のどんどんふえること。繁の字の音符は「糸+毎(ふえて多い)」の会意文字で、ふさふさとした紐飾り。繁はそれに支(動詞の記号)を加えた字で、どんどんふえること、
とあり(漢字源)、「繁茂」「繁盛」「繁文縟礼」「頻繁」などは@の音、馬のたてがみにつけるふさふさとした飾りの意の時は、Aの音とある(仝上)。他に、
会意兼形声文字です(毎(每)+攵(攴)+糸)。「髪飾りをつけて結髪する婦人」の象形(「髪がしげる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手でボクッと打つ」の意味)と「より糸」の象形から、「しげる」を意味する「繁」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1353.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、また、
会意、糸と每(たくさんあるさま)とから成る。多くの糸をつけることから、馬のたてがみのかざりの意を表す。転じて、「しげる」、さかんの意に用いる。旧字は、形声で、糸と、音符敏(ビン)→(ハン)とから成る。常用漢字はその省略形による(角川新字源)、
会意。敏(敏)(びん)+糸。敏は婦人が祭事にあたって髪に盛飾を加える形で、祭事に奔走することを敏捷という。疌(しよう)はその側身形に足を加えた形。髪に糸飾りをつけて繁という。繁は繁飾の意。〔説文〕十三上に緐を正字とし「馬の髦飾(ばうしよく)なり。糸毎に從ふ」(段注本)とし、〔左伝、哀二十三年〕「以て旌緐(せいはん)に稱(かな)ふべけんや」の文を引くが、馬飾の字は樊(はん)に作り、樊纓(はんえい)といい、繁とは別の字である。樊纓は馬の「むながい」。紐を縦横にかけたもので、樊がその義にあたる。婦人の盛飾を每(毎)といい、その甚だしいものを毒といい、祭事にいそしむを敏捷といい、その髪飾りの多いことを繁という(字通)、
と、会意文字とする説もあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)、
形声。「攴」+音符「緐 /*PAN/」。「しげる」を意味する漢語{繁 /*ban/}を表す字(仝上)、
と、形声文字としている。
「速」(ソク)は、
会意兼形声。束は、木の枝を〇印のわくでたばねたさまを示す会意文字。ぐっと縮めて間をあけない意を含む。速は「辶(足の動作)+音符束」で、間のびしないよう、間をつめていくこと、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(辶(辵)+束)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「たきぎを束ねたの象形」から、道を行く時間を束ねるように縮める、すなわち「はやい」を意味する「速」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji440.html)、
と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、
形声。辵と、音符束(ソク)とから成る。いそぐ、「はやい」意を表す(角川新字源)
形声。声符は束(そく)。〔説文〕二下に「疾(すみ)やかなり」とあり、重文として遬など二字を加える。金文に言+速の字があり、人名に用いる。また〔叔家父簠(しゆくかほほ)〕に「以て諸兄を速(まね)く」、〔詩、小雅、伐木〕「以て諸父を速く」、〔詩、召南、行露〕「何を以てか我を獄に速く」など、祭事や獄訟に招く意に用いる。また〔大盂鼎(だいうてい)〕に「罰訟を敏(いそ)しみ敕(つつし)む」とあり、束声に束ねて緊束する意がある(字通)、
と、形声文字とし、しかも、同じく形声文字としつつも、
音符の字は「束 /*TOK/」(たば)とは異なる(甲骨文字の「束*」は横になった「束」の上に「木」または「屮」が付いている形)。「欶/*sˤok-s/」の声符「束*」も同様(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%9F)、
として、
形声。「辵」+音符「束* /*SOK/」。「はやい」を意味する漢語{速 /*sˤok/}を表す字、
としているものもある(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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衣手に水渋(みしぶ)付くまで植ゑし田を引板(ひきた)我が延(は)へまもれるくるし(万葉集)
の、
詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、
尼、頭句を作り、併せて大伴宿禰家持、尼に誂(あとら)へて末句を継ぎ、等しく和(こたふ)る歌一首、
とある。
水渋、
は、
水の垢、
引板延へ、
は、
鳴子の綱を長く引き渡して、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
引板日本オオカミ.avif、
は、
「ひきいた(引板)」の変化した語、
で(精選版日本国語大辞典)、
ヒキイタ→ヒキタ→ヒイタ→ヒタ、
と転訛し、
ヒキタの音便ヒイタの約(広辞苑)、
で、
ひた、
とも訓ませる。
引板(ひきた)我が延(は)へまもれるくるし、
は、
養育する娘を監視する立場で、わがものにできない苦しみ、
と解する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
題詞(だいし)にいう、
頭句、
は、
上三句、
末句、
は、
下二句、
で、
等しく和(こたふ)る、
は、冒頭の歌の前に、
手もすまに植ゑし萩にやかへりては見れども飽かず心尽さむ、
があり、合わせた、この、
二首に対し二人(家持と尼)一緒で答える歌、
の意で、
短連歌の最も早い例、
とされ(仝上)、二人の合作は、
佐保川の水堰(みずせき)上げて植ゑし田を(尼作る)刈れる初飯(はついひ)はひとりなるべく(家持続く)
となる。題詞(だいし)にある、
尼に誂(あとら)へて
の、
あとらへて、
は、
頼まれて、
の意とある(仝上)。この、
あとらふ、
は、
誂ふ、
とあて、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、他動詞ハ行下二段活用、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
誂、アトラフ・アツラフ・コシラフ、
字鏡(平安後期頃)に、
誂、アツラフ・コシラフ・ヨブ、
とあり、
アトフに同じか、ナゾフとナゾラフの類(岩波古語辞典)、
誂(あど)ふの延なり(準(なぞ)ふ、なぞらふ)(大言海)、
ということから、
相手に、誘いかける。頼んで自分の思うようにさせようとする(精選版日本国語大辞典)、
頼んで自分の思いどおりにさせる、誘う(デジタル大辞泉)、
と、今日の、
あつらえる、
意とは少しニュアンスを異にする(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
誂(あと)ふ、
は、
聘ふ、
とも当て、
黒媛を妃(みめ)とせむと欲(をほ)して、あとふること既にをはりて(日本書紀)、
と、
結婚を申し込む、
妻として迎える、
意や、
武彦を廬城(いほき)の河に誘(アトヘ)率(たし)ひて、偽(あさむ)きて使鸕鷀没水補魚(うかはするまね)して、因て其不意(ゆくりもなく)して打ち殺しつ(日本書紀)、
と、
誘う、
意や、
瑞歯別皇子(みずはわけのみこ)陰(ひそか)に刺領巾(さしひれ)を喚して之に誂(アトヘ)て曰はく「我が為に皇子を殺せ。吾必ず敦(あつ)く汝に報ん」といふ(日本書紀)、
と、
あとらふ、
に似た、
頼む、
注文する、
あつらえる、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。今日の、
あつらえる、
の文語形は、
あとらふ、
から転じた(大言海・岩波古語辞典)、
あつらふ、
で、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
勸、アツラフ、
色葉字類抄(1177〜81)に、
誂、囑、アツラフ、
とある、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、他動詞ハ行下二段活用で、
或いは其の門に詣りて、己が訟を謁(アツラフ)(日本書紀)、
またあつらへたる様(やう)に、かしこの人の集まりたるは(落窪物語)、
と、
頼んで自分の思うとおりのものや行動を人に求める、
意や、
仮名暦(かなごよみ)あつらへたる事(宇治拾遺物語)、
注文して物を作らせる、
依頼して物を作らせる、
と、今日の意に近い使い方をする(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。このハ行下二段動詞、
あつらふ、
は、転訛して、室町時代頃から、
祭文を書記にあつらゆるぞ(「百丈清規抄(1462)」)、
と、
誂ゆ(あつらゆ)、
の形で用いられ、多く終止形は、
あつらゆる、
となる(精選版日本国語大辞典)。
「誂」(漢音チョウ、呉音ジョウ)の異体字は、
𠻩(同字)、𧨙(同字)、𫍥(類推簡化字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AA%82)。字源は、
会意兼形声。兆(チョウ)は、昔、亀の甲で占いをしたときに、その甲がさけてひびが入った形を描いた象形文字。二つのものにつける、二つのものが離れるという基本義をもつ。挑(チョウ)は、木や針の先に物をっかけて、ぴんとはねあげ、物を二つに離すこと。転じて引っ掛ける意味。誂は「言+音符兆」で、ことばで相手をひっかけて、こちらに応じるようしむけること、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「言」+音符「兆 /*LEW/」。「からかう」を意味する漢語{誂 /*leewʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AA%82)、
形声。声符は兆(ちょう)。兆は卜兆。灼(や)かれてはげしく裂ける形で、外に強く刺激する意がある。〔説文〕三上に「相ひ言+乎(よ)びて誘ふなり」とあり、挑と声義が近い。また調とも通じて、調戯の意がある。わが国では「あつらう」と訓み、のち人に物を依頼する意となった(字通)、
と、形声文字としている。
「兆」(漢音チョウ、呉音ジョウ)を、上記のように、
占いのときの亀の甲の割れ目の形、
と解釈するのは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)であるが、
甲骨文字の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%86)、
象形。洪水から逃げる人のさまを象る。「にげる」を意味する漢語{逃 /*laaw/}を表す字。のち仮借して「きざし」を意味する漢語{兆
/*lrawʔ/}に用いる、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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大口(おほくち)の真神(まかみ)の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに(舎人娘子)
の、
大口の、
は、
「真神」の枕詞、
で、
真神(狼)の口が大きい、
意からである(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
真神の原、
は、
明日香村飛鳥寺一帯の原、
を指す(仝上)。
真神、
を、
オオカミ、
とするのは、冒頭の歌から、
地名の「真神原」に「大口の」が掛かっているところから狼の意と推定される、
とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、
真神、
の、
真、
については、
真鳥、
で触れたように、
真鳥、
の、
マ(真)、
は、
片(かた)の対、
で、
名詞・動詞・形容詞について、揃っている、完全である、優れている、などの意を表す(岩波古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞・形容動詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞などに冠し、それそのものである、真実である、正確であるなどの意を表す(広辞苑)、
等々とあり、
ま袖、
真楫(かじ)、
真屋、
では、
二つ揃っていて完全である、
意を表し、
ま心、
ま人間、
ま袖、
ま鉏(さい)、
ま旅、
等々では、
完全に揃っている、本格的である、まじめである、
などの意を添え、
ま白、
ま青、
ま新しい、
ま水、
ま潮、
ま冬、
等々では、
純粋にそれだけで、まじりもののない、全くその状態である、
などの意を添え、
ま東、
ま上、
ま四角、
まあおのき、
真向、
等々では、
正確にその状態にある、
意を添え、
ま玉、
ま杭(ぐい)、
ま麻(そ)、
ま葛(くず)、
等々では、
立派である、美しいなどの意を込めて、ほめことば、
として用い、
真弓、
真澄の鏡、
等々では、
立派な機能を備えている、
意を表し、
真名、
では、
仮(かり)のもの(仮名・平仮名・片仮名)でも、略式でもなく、正式・本式であること、
を表す(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)。
真鴨、
真葛、
真魚、
真木、
ま竹、
まいわし、
等々では、
動植物の名に付けて、その種の中での標準的なものである、その中でも特に優れている、
意を表す(岩波古語辞典)。
オオカミの異名、
とされる、
真神、
の場合は、
古へは、狼のみならず、虎、大蛇なども、神といへり、
とあり(大言海)、
獣の中の第一であるところから(蒹葭堂雜録)、
マケモ(猛獣)の義(言元梯)、
というよりは、
オオカミ、
の由来に、
大神(おそろしいもの)、
とする説がある(日本語源広辞典)ように、
オホは俗に対する聖の意、また立派なもの、
の意(岩波古語辞典)なので、
狼を畏怖して真の神、
と呼んだものだろう(日本語源大辞典)。昔から、
山神の使い、
として敬われた(精選版日本国語大辞典)ともあり、
埼玉県三峰神社、静岡県山住神社など各地の神社に像があり、「御犬」と呼ばれる姿を描いた守札が出されている。この守札を門口に貼っておくと、盗難・災難よけになり、田畑に竹などに差しておくと鳥獣が荒さないという、
とある(仝上)。なお、
まかみ、
は、
まがみ、
とも訓ませる(デジタル大辞泉)。
オオカミ、
は、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
豺皮、於保加美、
和名類聚抄(931〜38年)に、
狼、於保加美、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
豺狼、ノオホカミ、
字鏡(平安後期頃)に、
狼、オホカミ・メオホカミ、
とある。
オオカミ、
は、
おほかみ、
と表記するが、訛って、中世から、
おほかめ、
と呼ばれることも多かったとある(精選版日本国語大辞典)。この語源は、
大神の義、恐れて尊称するなり、欽明即位前紀、秦大津父(オホツヂ)が狼に向ひて祈請して曰く「汝是貴神(カシコキカミ)而樂麁行(アラキワザヲコノム)……」(大言海)、
大神の義(岩波古語辞典・名語記・和字正濫鈔・東雅・燕石雑記・俚言集覧)、
大神(おそろしいもの)(日本語源広辞典)、
オホカミ(大噛)の義(和句解・和字正濫鈔・日本釈名・俚言集覧・名言通)、
カミは犬の別音kamから(日本語原考=与謝野寛)、
とあるが、
大神、
の転訛でいいのだと思う。
大神、
は、上述したように、
オホは俗に対する聖の意。また、立派なものの意、
とあり(岩波古語辞典)、
そらみつやまとの国は水の上(うへ)は地(つち)行くごとく船の上は床(とこ)に居(を)るごと大神(おほかみ)の斎(いは)へる国ぞ(万葉集)、
と、
神を敬っていう語、
で(精選版日本国語大辞典)、
おほがみ、
とも訓み、また
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
と、
おほみかみ、
とも訓ませ、
大御神、
ともあて、
寺々の女餓鬼(めがき)申(まを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)を賜(たば)りてその子産(う)まはむ(万葉集)、
と、
おほみわ、
とも訓む(仝上)。
真神、
の、
真、
の持つ意味と重なる。また、
オオカミ、
は、
オオカメ、
オイヌ、
オオイヌ、
等々とも呼ばれ、
真神、
のように、神という意味合いを込められているとされるほか、
大きな犬、
を指した呼称でもあるとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F)。
狼、
つまり、
ニホンオオカミ、
は、日本固有種で、
本州・四国・九州に分布していた、
が、
1905年(明治38年)に奈良県東吉野村鷲家口(わしかぐち)にて捕獲された若いオスの個体を最後に目撃例がなく、絶滅したと見られる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F)。
脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。体長95〜114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている。他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻(ふん 口あるいはその周辺が前方へ突出している部分)は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ毛色は白茶けており、夏と冬で毛色が変化し、周囲の環境に溶け込んだ、
とある(仝上)。
オオカミ中最小で、ハイイロオオカミの亜種とされることもあるが、口先が短く幅広く、肢も耳も短小であるほか、頭骨にもユーラシアと北アメリカのタイリクオオカミとは明らかに異なる特徴があるため、独立種と考えられる、
ともある(世界大百科事典)。
ニホンオオカミ、
の異名に、
ヤマイヌ(豺、山犬)、
という呼び方がある。かつては、
ニホンオオカミの標準和名、
とされていたが、現在は使われない。なお、江戸時代の、
山犬、
にはオオカミと野生化したイヌの両方が含まれていた(日本大百科全書)とある。ただ、
ヤマイヌ、
と、
オオカミ、
は、同じものとされることもあったが、江戸時代頃から別であると明記された文献も現れ、
ヤマイヌは小さくオオカミ(オホカミ)は大きい、
オオカミには「水かき」があって泳ぐ、
オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、
などの違いがあった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F)とある。
なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール(アカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった(仝上)とあるが、漢字では、
狼、オオカミ、
豺、ヤマイヌ、
とあり(字源)、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
豺、
は、
「狼の屬、狗の聲なり」とあり、〔爾雅、釈獣〕に「豺は狗足なり」とする。〔礼記、王制〕に「獺(だつ)(かわうそ)、魚を祭る」に対して「豺、獸を祭る」という語があり、しかるのち田猟のことが行われた(字通)、
とあり、
狼、
は、後述するように、
「犬に似て鋭頭白頰(はくけふ)、高前廣後なり」という。その鳴く声は小児に似ているが、暴虐の甚だしいものとして恐れられた。〔左伝、宣四年〕「是の子や、熊虎(ゆうこ)の状、豺狼の聲なり。殺さずんば必ず若敖(じやくがう)氏を滅ぼさん」とみえる。狼藉(ろうぜき)・狼狽(ろうばい)はいずれも狼とは関係がなく、仮借の語。良は風箱で穀の良否をよりわける器。反覆してはげしく動かすものであるから、繆戻(びゆうれい)の意を含む語に用いることがある。狼戻(ろうれい)は双声の連語。〔広雅、釈詁三〕に「很(こん)なり」、〔釈詁四〕に「盭(れい)なり」とあり、繆戻の意に用いる(字通)、
とある。
「狼」(ロウ)は、
会意兼形声。「犬+音符良(冷たくすみきった)」。冷酷な動物の意、
とある(漢字源)が、
「会意形声文字」と解釈する説があるが、誤った分析である、
とされる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8B%BC)ため、他は、
形声。「犬」+音符「良 /*RANG/」。「おおかみ」を意味する漢語{狼 /*raang/}を表す字(仝上)。
形声。犬と、音符良(ラウ)とから成る(角川新字源)
形声文字です(犭(犬)+良)。「耳をたてた犬」の象形(「犬」の意味)と「穀物の中から特に良いものだけを選び出す為の器具」の象形(「よい」の意味だが、ここでは「浪(ロウ)」に通じ(「浪」と同じ意味を持つようになって)、「なみ」の意味)から、押し寄せるなみのように群れをなしておそう「おおかみ」を意味する「狼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2586.html)、
形声。声符は良(りよう)。〔説文〕十上に「犬に似て鋭頭白頰(はくけふ)、高前廣後なり」という。その鳴く声は小児に似ているが、暴虐の甚だしいものとして恐れられた。〔左伝、宣四年〕「是の子や、熊虎(ゆうこ)の状、豺狼の聲なり。殺さずんば必ず若敖(じやくがう)氏を滅ぼさん」とみえる。狼藉(ろうぜき)・狼狽(ろうばい)はいずれも狼とは関係がなく、仮借の語。良は風箱で穀の良否をよりわける器。反覆してはげしく動かすものであるから、繆戻(びゆうれい)の意を含む語に用いることがある。狼戻(ろうれい)は双声の連語。〔広雅、釈詁三〕に「很(こん)なり」、〔釈詁四〕に「盭(れい)なり」とあり、繆戻の意に用いる(字通)、
と、すべて形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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