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コトバ辞典
射目(いめ)立てて跡見(とみ)の岡辺(おかへ)のなでしこの花 ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため(紀鹿人)
の、
ふさ手折り、
は、
ふさふさと折りとって、
の意とし、
射目(いめ)
は、
「跡見」の枕詞、
で、
鳥獣を射るために隠れる場所、
で、
射目を設けて獣の足跡を見る、
意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
射目、
は、
とゐ波、
で触れたように、
是の時、射目(いめ)を立てし処は即ち射目前(いめさき)と号(なづ)け(播磨風土記)、
と、
メは、そこから獲物をうかがって射る所の意(岩波古語辞典)、
射部(いべ)の転(大言海)、
とあり、
獲物を狙って、射手が身を隠すための設備(広辞苑)
狩りで獲物を待ちぶせて射るために、身を隠しておく所。身を隠すための設備をもいう(精選版日本国語大辞典)、
狩りの時、鳥獣を射る手(人)の部(むれ)、射目人とも云ふ(大言海)、
とされる。また、
共同狩猟のときの射手の配置、
を、
射目配(いめくばり)、
といい、その後ろで勢子(せこ)が獣を追う(精選版日本国語大辞典)。
射目人(いめひと)、
は、
品太天皇(ほむだのすめらみこと)射目人(いめひと)を餝磨(しかま)の射目の前(さき)に立ててみ狩したまひき(播磨風土記)、
と、
射目にいて獲物を待ち受けて射取る役の人、
をいい、
巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見が田居(たゐ)に雁渡るらし(万葉集)
と、
射目人の、
で、射目で待ち構える人が伏してみるところから、地名、
伏見、
にかかる枕詞として使われる。
射目立て、
は、冒頭の、
射目立而(いめたてて)跡見(とみ)の岡辺(をかへ)のなでしこが花ふさ手折(たを)り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため(万葉集)、
の、
射目を立てて、狙う獲物の足跡を調べること、
を、
跡見(とみ)、
というので、同音の地名、
跡見、
にかかる枕詞として使われる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
「射」(@漢音シャ・呉音ジャ、A呉音漢音ヤ、B漢音エキ・呉音ヤク)の異体字は、
䠶、𡬤、𢎤(本字)、𨈡、𨉛、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%84)。「射雉」(イチ)、「照射」(ショウシャ)、「射幸心」の、「射る」意の場合、@の音、左僕射、右僕射の、官名「僕射」(ボクヤ)は、Aの音、「無射」(ムエキ)と、「厭う」意の場合は、Bの音となる(漢字源)。字源は、
会意文字。原字は、弓に矢をつがえている姿。のち寸(て)を添えたものとなる。張った弓の弦を放して、緊張を解くこと、
とある(仝上)。同趣旨で、
会意。初形は弓+矢+又(ゆう)(手)。弓に矢をつがえてこれを射る形。のち弓矢の形を身と誤り、金文にすでにその形に近いものがある。〔説文〕五下に「弓弩(きゆうど)、身より發して、遠きに中(あた)るなり。矢に從ひ、身に從ふ」とするのは、のちの篆文の字形によって説くもので、身の部分は弓の形である。射は重要な儀礼の際に、修祓の呪儀として行われたもので、盟誓のときには「卯+合射(くわいしや 会射)」して、たがいに誓う定めであった。字にまた釋(釈)(せき)・斁(えき)の音があり、その字義にも用いる(字通)、
ともあるが、しかし、この元になっている中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)で、
「身」+「寸」と説明されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、「身」とは関係が無い(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%84)、
とし、
象形。弓から矢を射るさまを象る。「いる」を意味する漢語{射 /*mlaks/}を表す字、
としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%84)。で、他は、甲骨文字と説文解字の説明を併せて、載せている。
甲骨・金文は、象形。矢をつがえた弓を手に持つ形にかたどる。篆文は、会意で、矢(または寸)と身とから成る。矢をいる意を表す(角川新字源)、
甲骨文は「弓に矢をつがえている」象形。篆文は、会意文字。「弓矢の変形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)」から、「弓をいる」を意味する「射」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1022.html)、
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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我がやどの尾花(をばな)が上の白露(しらつゆ)を消(け)たずて玉に貫(ぬ)くものにもが(大伴家持)
の、
もが、
は、
手段への願望、
とあり、
貫(ぬ)くものにもが、
は、
糸に通せたらよいのに、そしたらあの子にそのまま贈ることができように、
と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
もが、
は、
係助詞「も」に終助詞「か」がついたものの転、願望を表す。奈良時代に用いられた、……がほしい、……でありたい(広辞苑)、
体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く、願望。…があったらなあ、…があればなあ(学研全訳古語辞典)、
係助詞「も」に終助詞「か」の付いた「もか」の音変化。上代語。名詞、形容詞および助動詞「なり」の連用形、副詞、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す。…があればいいなあ。…であってほしいなあ(デジタル大辞泉)、
係助詞「も」に終助詞「が」の付いたもの。文末において、体言・副詞・形容詞および助動詞「なり」の連用形、副助詞「さへ」などを受けて、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、
感動詞モに、同じガの添はりたるもの、希ふ意(大言海)、
体言・形容詞連用形・副詞および助詞「に」を承け、得たい、そうありたいと思う気持ちを表す(岩波古語辞典)、
等々とあり、この由来は、
終助詞モによって未練執着を表し、カによって疑問を表し、その複合によって願望を示すのが古形で、それがモガと音韻変化したものか、
とあり(岩波古語辞典)、
都辺(みやこへ)に行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふ言告(ことつ)げ遣らむ(万葉集)
では、
都の方へ行く船でもあったらなあ、
と(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
……が欲しい、
意(岩波古語辞典)、また、
我(あ)が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ(万葉集)、
では、
いっそ玉でありたい、
と(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
……でありたい、
……であってほしい、
意で使う(岩波古語辞典)。上代には、多く、
川(かは)の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて(万葉集)、
と、
もがも、
の形で用いられ、上代にも、
もが、
が単独の形は、
もがも、
に比して少ないとされ、
もが、
をさらに強調した、
もが・も、
が多用されたようだ。中古以降は、
ありはてぬ命待つ間のほどばかりうき事繁く思はずもがな(古今和歌集)、
と、
もがな、
の形が圧倒的になる(精選版日本国語大辞典)。ただ、後世にも源実朝や橘曙覧など万葉調歌人の歌にはしばしば用いられたようである。
もがも、
で触れたように、上代にすでに、
も‐がも、
という分析意識があった(精選版日本国語大辞典)とされ、
もがな、
で触れたように、平安時代、終助詞の、
モ、
が、
ナ、
に代えられて使われ、
末において体言・形容詞や打消および断定の助動詞の連用形・格助詞「へ」などを受け、その受ける語句が話し手の願望の対象であること、
を表わし(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
かくしつつとにもかくにも永らへて君が八千代にあふよしもがな(古今和歌集)、
と、
……が欲しい、
意や、
世の中にさらぬ別れのなくもがな千代(ちよ)もと祈る人の子のため(古今和歌集)、
と、
……でありたい、
意で使い(岩波古語辞典)、
願望を表わす「もが」に感動を表わす「な」の付いたもの、
とするが、中古、
もがな、
が、
も哉、
とも表記されたこと、また、
をがな、
の形、さらには、
がな、
の形も用いられていることなどから、当時、
も‐がな、
の分析意識があったと推測される(精選版日本国語大辞典)とある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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秋の雨に濡れつつ居(を)ればいやしけど我妹がやどし思ほゆるかも(大伴利上)
の、
いやし、
は、
むさくるしいけれど、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いやし、
は、
卑し、
賤し、
鄙し、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、現代語の、
いやしい(卑しい・賤しい)、
にあたり(広辞苑・学研全訳古語辞典)、
類義語「あやし」が不思議と思われる異常なものに対する感情であるのに対して、蔑視または卑下すべきものに対する感情を表す、
とある(広辞苑)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
賤、伊也志、位、賤し、
とあるように、
是を以て、賤(イヤシキ)賊(あた)の陋(いや)しき口を以て尊号(みな)を奉らむ(日本書紀)、
と、
貴(あて)、
の対で、
身分や地位が低い、
という意の、状態表現であったが、
葎(むぐら)はふ伊也之伎(イヤシキ)屋戸(やど)も大君の座(ま)さむと知らば玉敷かましを(万葉集)
と、
貧しい、
みすぼらしい、
と、価値表現へと転じ、
朕は惟虚薄(イヤシ)。何を以てか斯を享けむ(日本書紀)、
と、
卑下すべきである、
とるに足りない、
意や、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
鄙、野也、伊也志、
とあるように、
ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらん(枕草子)、
と、
下品である、
劣っている、
意や、
いかにいやしくもの惜しみせさせ給ふ宮とて(枕草子)、
と、
吝嗇(りんしょく)である、
けちである、
意、さらに、後世には、
いやしい、
という表現に代わるが、
卑(イヤ)しい子供だ。阿母さんが何う為た(落語・真田小僧)、
と、特に飲食物や金銭などに対して、人前でも欲望を隠そうとせず、
慎みがない、
意地きたない、
意や、
又其人人の生れにして、いやしくて事の弁(わきま)へもなきにこそ有らめ(談義本「労四狂(1747)」)、
と、
無教養である、
無学である、
意にまで、価値表現が広がる。本来、
身分的・経済的な低さを表わし、人格とはかかわらない、
意で、
上代では、
あて、
と対義語の関係にあると考えられ、
あて、
が、
「中心」の価値を示す、
のに対して、
いやし、
は
「周縁」の価値を示すもの、
と位置づけられる(精選版日本国語大辞典)。だから、
鄙、
の字があてられたものと思われるが、やがて、貴賤とは直接かかわらない、
人格や美意識面での価値、
をも表わすようになる(精選版日本国語大辞典)。
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
卑、イヤシ・ミジカシ・ツタナシ、
賤、イヤシ・ミジカシ・ヤスシ、
鄙、イヤシ・ウレフ・ハヂ・ヰナカ・ヒナ・アシ、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
賤、イヤシ・ヤスシ・スクナシ・ミジカシ・アタヒスクナシ
等々とあり、状態表現が価値表現へ、意味がシフトしていくのがよくわかる。
「賤」(漢音セン、呉音ゼン)の異体字は、
賎(俗字)、贱(簡体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B3%A4)。字源は、
会意兼形声。戔は、戈(ほこ)を二つ重ねた会意文字で、物を刃物で小さく切る意をあらわす。殘(残 小さい切れはし)の原字で、少ない、小さいの意を含む。賤は「貝+音符戔」で、財貨が少ないこと、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「貝」+音符「戔 /*TSAN/」。「いやしい」を意味する漢語{賤 /*dzans/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B3%A4)、
形声。声符は戔(せん)。戔に薄小なるものの意がある。〔説文〕六下に「賈(あたひ)少なきなり」とあり、貴に対して、財貨の薄小・粗悪なものをいう。貴は貝を両手で奉ずる形である(字通)、
と、形声文字としている。
「卑」(ヒ)の旧字は、
卑
である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%91)。字源は、
会意文字。たけの低い平らなしゃもじを手に持つさまを示すもので、椑(ヒ 平たい薄いしゃもじ)の原字。薄べたく厚さがとぼしい意を含む。薄いものは背が低いので、転じて、身分の低い小者の意となる、
とある(漢字源)。同じく、
会意上部は杯形の器の形。下部はその柄をもつ形。椑(ひ)の初文。柄のある匕杓(ひしやく)の類で、酒などを酌む形である。〔説文〕三下に「賤(いや)しきなり。事を執る者。ナ(さ)甲に從ふ」とし、〔段注〕に「甲は人の頭に象る」という。手で頭を抑える形と解するのであろう。卑の大なるものを卓といい、スプーンのような器。その大小高卑によって、卓を卓然といい、卑を卑小の意とする(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、他は、
旧字は、象形。平たい形の酒器を左手に持つ形にかたどる。酒をつぐ役職を表し、転じて、身分が低い意を表す。「俾(ヒ)」の原字。常用漢字は俗字による(角川新字源)
象形文字です。「取っ手のある丸い酒だるに手をかけている」象形から、日常用の「たる」の意味から、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「(祭器に比べ)いやしい」を意味する「卑」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1723.html)、
と、象形文字としている。ただ、
象形だが何を象ったものかは不明。柄付きの酒器、槌、柄の付いた工具、竹籠など多数の説があるがいずれも憶測の域を出ず、定説はない。仮借して「ひくい」を意味する漢語{卑
/*pe/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%91)、
とあり、何を象ったかは不明としている。
「鄙」(ヒ)は、
会意兼形声。啚(ヒ)は、米倉・納屋を描いた象形文字。鄙は「邑+音符啚」、米倉や納屋のある農村、いなかをあらわす、
とある(漢字源)。他も、
原字の「啚」は「囗」(土地、領域)+「㐭」(倉庫)から構成される会意文字で、それに「邑」を加えて「鄙」の字体となる。「いなか」を意味する漢語{鄙 /*prəʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%84%99)、
とあるが、
形声。声符は啚(ひ)。啚は鄙の初文。〔説文〕六下に「五酇(ごさん)を鄙と爲す」と〔周礼、地官、遂人〕の制によって説く。一酇は百家、五百家を鄙とする。啚の下部は廩倉(りんそう)の象、上部の囗(い)は邑の従うところと同じく、その地域・区画を示す。もと農耕地の耕地と廩倉とをいう。金文に「都啚(とひ)」とあり、都と鄙と対文。啚に邑を加えて鄙となる。その鄙を、地域の全体の関係において示すものを圖(図)という。すなわち経営的な農地で、圖に地図の意と図謀・企図の意とがある(字通)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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雲の上(うへ)に鳴くなる雁(かり)の遠けども君に逢はむとた廻(もとほ)り来(き)つ(万葉集)
の、
た廻(もとほ)り来(き)つ、
は、
遠路はるばるやってきた、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
匍(は)ひた廻(もとほ)る、
で触れたように、
た廻(もとほ)る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
徘徊る、
と当てるが、
た、
は、
接頭辞(精選版日本国語大辞典)、
接頭語(岩波古語辞典)、
発語(大言海)、
とあり、
たわらは、
たゆたに、
たやすし、
たばかる、
た靡く、
等々の用例があり、
誰か多佐例(タされ)放(あら)ちし吉備なる妹を相見つるもの(日本書紀)、
と、
名詞・副詞・動詞・形容詞の上に付いて、語調を整え、意味を強める(学研全訳古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞の上に添えて、語調を整え強める(広辞苑)、
動詞・形容詞・副詞などに付いて、語調を整える(デジタル大辞泉)、
動詞・形容詞・副詞などの上に付けて、語調をととのえる(精選版日本国語大辞典)、
動詞形容詞に冠する接頭語、意無し(大言海)、
動詞・形容詞の上につく、意味は不明(岩波古語辞典)、
としている。
やすし、
と
たやすし、
はかる、
と
た謀る、
では語調が強まるのは確かだが、本来は、何か意味があったのではないかという気がするが。原義は探りようがない。
た廻(もとほ)る、
は、
みどり子の匍(は)ひ多毛登保里(タモトホリ)朝夕(あさよひ)に哭(ね)のみそ我(あ)が泣く君無しにして(万葉集)、
と、
同じ場所をぐるぐる回る、往ったり来たりする、
ちこちと歩きまわる、めぐる、
といった意で(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、その外延で、冒頭の歌もそうだが、
春霞井の上ゆ直(ただ)に道はあれど君に逢はむとた廻(もとほ)り來(く)も(万葉集)、
と、
回り道する、
遠回りする、
意でも使い(伊藤博訳注『新版万葉集』・岩波古語辞典)、
た廻(もとほ)り行箕(ゆきみ)の里に妹を置きて心空にあり土は踏めども(万葉集)、
と、めぐって行き廻る意から、
行箕(ゆきみ)、
にかかる枕詞としても使う(仝上)。
た廻(もとほ)る、
とは別に、
木(こ)の間より移ろふ月の影を惜(を)しみ徘徊(たちもとほる)にさ夜更けにけり(万葉集)、
と、
立ち廻(もとほ)る(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
徘徊(たちもとほる)(精選版日本国語大辞典)、
とあてたりする、
たち廻(もとほ)る、
という言い方があり、後世にも、
あなたこなたへ、たちもとをりて、ねんごろに、菊をながむる也(「華若木詩抄(1520頃)」)、
と使うが、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
徘徊・留連・彷徨、タチモトホル、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)には、
望、太知毛止保留、
偭冗、人之徒轉不定之皃、太知毛止保留、
とあり、
徘徊、
とも当て、
ある場所に立って、その近辺を歩きまわる、
行きつ戻りつする、
彷徨する、
意である(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
略して、たもとほる、
ともあり(大言海)、
もとほる(徘徊)、
と同じ(仝上)とする。とすると、
たちもとほる→たもとほる、
とする『大言海』説が正しければ、
たもとほる、
の、
た、
は、
たち、
の略ということになる。この、
たち、
は、おそらく、
立ち、
とあてる、
たち、
で、
立ちあざる、
でふれたように、
立つ、
は、
動詞に冠して語勢を強める語(広辞苑)、
動詞に付いて、その意味を強めたり、やや改まった感じを表したりする。「立ちまさる」「立ち向かう」(デジタル大辞泉)、
とされるが、どうもそれだけではあるまい。
もともと坐っている状態が常態だったのだから、
立つ、
ということはそれだけで目立つことだったのに違いない。そこに、ただ、
立ち上がる、
という意味以上に、
隠れていたものが表面に出る、
むっくり持ち上がる、
と同時に、それが周りを驚かし、
変化をもたらす、
に違いない。
立つ、
には特別な意味が、やはりある。
引き立つ、
思い立つ、
気が立つ、
心が立つ、
感情が立つ、
あるいは、
忠義立て
隠し立て
心立て
という使い方もある。伊達も「取り立て」のタテから来ているという説もある。そう思って、振り返ると、
腹が立つ、
というように、立つが後ろに付くだけではなく、前につけて、
立ち会い、立ち至る、立ち売り、立ち往生、立ち返る立ち並ぶ立ち枯れ、立ち遅れ、立ち働く、立ち腐れ、立ち遅れ、立ち竦む、立ち騒ぐ、立ち直る、立ち退き、立ち通す、立ち回り、立ち向かう、立ち行く、立ち入り、立ち戻る、立ち切る、立ち居振る舞い、立ち代り、立ち消え、立ち聞き、立ち稽古、立ち込み、立ち姿、立ちどころに、立ち退き、立ちはだかる、立て替え、建て替え、立ち水、立ち塞がる、立待の月、立て板、立て付け、立て直し……、
等々、すごい数になる。こうみると、
「立つ」ことが目立つ、ある特別のことだ、
というニュアンスが、接頭語としての「立ち」に波及しているのではないか。しかも、
立場、立木、立つ瀬、建前、立て方、立ち衆、立行司、立て唄、立女形、立て作者、立ち役……、
と並べて見ると、
立つ、
には、特別な意味がある。「立つ」ことが、際立って重要で、
満座が坐っている中で、立つことがどれほどの勇気がいることで、目立つことか、
と思い描くなら、「立つ」には、いい意味でも、悪い意味でも、
目立つ、
中心に立つ、
という意味が込められている。
立つ、
の用例から見ると、
立(たち)てゐて思ひそわがする逢はぬ児ゆゑに(万葉集)、
と、
横になったり、すわったりしていた人が身を起こす、
立ち上がる、
意だけではなく、
項(うな)かぶし汝(な)が泣かさまく朝雨の霧に多多(タタ)むぞ(古事記)、
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立(たつ)見えてかへりみすれば月かたぶきぬ(万葉集)、
と、
雲、霧、煙などが現われ出る、
風、波などが起こり動く、
等々、
物、人などが、目だった運動を起こす、
意や、
堀江漕ぐ伊豆手(いづて)の船の楫(かぢ)つくめ音しば多知(タチ)ぬ水脈(みを)早みかも(万葉集)、
わが名はも千名(ちな)の五百名(いほな)に立(たち)ぬとも君が名立(たた)ば惜しみこそ泣け(万葉集)、
と、
音や声が高くひびく、
人に知れわたる、
目に見えるようにはっきり示され、
等々、
作用、状態などが目立ってあらわれる、
意や、
さねさし相摸の小野に燃ゆる火の火中に多知(タチ)て問ひし君はも(古事記)、
ちはやひと宇治の渡りに渡瀬に多弖(タテ)る梓弓(古事記)、
と、
足などでまっすぐに支えられる、
草木などが地から生える、
等々、
物や人が、たてにまっすぐな状態になる、また、ある位置や地位を占める、
意や、
なんの用にかたたせ給ふべき(平家物語)、
盗みをしたと言はれては立(たた)ぬ(歌舞伎・傾城壬生大念仏)、
と、
使ったり、仕事をさせたりすることができる、
等々、
ある状態が保たれる、また、物事が成り立つ、
意等々、
目に立つ、
目立つ、
という含意がある。
立ちもとほる、
の、
立ち、
にも、
ただ動き回る、
という意味を強調した以上に、
目立った振る舞い、
あるいは、
立つ、
に含意される、
(おのれが)やる、
といった意味があるのではあるまいか。もともとの、
もとほる、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、多く、
立つ、
行く、
這(は)ふ、
などの連用形に付いて、
匍(は)ひた廻(もとほ)る、
たちもとほる、
(い)ゆきもとほる(行廻)、
等々と使い(学研全訳古語辞典)、
廻る、
回る、
徘徊る、
繞る、
とあて(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
繚、モトヲル、
繞、旋、
新撰字鏡(平安前期)、
繵・邅、毛止保留、
類聚名義抄(11〜12世紀)、
紆、マツハル・モトホル、
等々とあり、名詞の、
もとほり、
も、和名類聚抄(931〜38年)に、
旋子、毛度保利、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
旋子、モトホリ、
とあるのは、
原義からの派生で、鷹の脚に着ける紐の金具を、「もとほり」指している(大言海)。
新撰字鏡(平安前期)に、
縁、毛止保利、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
縁、餝也、縫也、毛止保利、
とあるのは、
めぐり、の意から派生して、ふち、へり、の意になっているためである(仝上)。で、
もとほる、
は、
神風の伊勢の海の大石に這ひ廻(もとほ)ろふ細螺(しただみ)のい這ひ母登富理(モトホリ)撃ちてし止まむ(古事記)、
と、
まわる、
めぐる、
徘徊する、
意、
忿と恨とを先と為、追ひ触ればひ、暴(し)ひ熱(あつ)かひ、很(ひすかし)まに戻(モトホル)を以て性と為(「成唯識論寛仁四年点(1020)」)、
と、曲がる意から、それをメタファに、
まっすぐでない行ないをする、
曲がったことをする、
意、
人躰衆にふにふにて、もとをらす、のひのひにて口惜迄候(「上杉家文書(1582)」)、
と、やはり、気が回る意から、メタファで、
思うようにはこぶ、
思うように自在に動く、
意などで使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この、
もとほる、
の由来は、
元へ還る意(国語の語根とその分類=大島正健)、
モト(本)の語から(国語溯原=大矢徹)、
モトホル(本欲)の義(国語本義)、
モトヘリ(本所反)の義、また、マトヘリ(絡縁)の義(言元梯)、
と、諸説あるが、どれもはっきりしない。意味的には、
本へ還る、
だろうが、
元を通る、
の意でもある。
「廻」(漢音カイ、呉音エ)の異体字は、
廽(俗字)、迴(別体)、𢌞(別体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%BB)。字源は、
会意兼形声。「辵+音符回(まわる)」、
とあり(漢字源)、同じく、
会意形声。廴と、回(クワイ)(めぐる)とから成る。もと、迴(クワイ)の俗字(角川新字源)、
会意兼形声文字です(廴+回)。「十字路の左半分を取り出して、さらにそれを延ばした」象形(「長く延びた道を行く」の意味)と「物が回転する」象形(「回る、巡る」の意味)から、「巡り行く」を意味する「廻」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2265.html)、
と、会意兼形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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我がやどの萩(はぎ)花咲けり見に来ませいま二日だみあらば散りなむ(巫部(かむなぎべの)麻蘇娘子(まそをとめ))
の、
二日だみ、
の、
だみ、
は、
二日ばかり、
二日だみあらば、
は、
二日ほどしたら、
と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
だみ、
は、
たむ(廻)の名詞形、「そのめぐり」「一帯」の意から、「ばかり」「ほど」「以内」の意で使う(広辞苑)、
副助詞。動詞「たむ(回)」の名詞形から変化したものであろうといわれる。そこから、あたり・周辺の意を表わして、時間的には「ばかり」の意となる、という。また、「をち」が遠方の意から、以上の意を表わすのと対称的に、「たみ」から以内・内の意が生ずるとも説かれる(精選版日本国語大辞典)、
接尾語。タム(廻)と同根の語か。手前へめぐる意から「以内」の意。ヲチが遠方の意から「以上」の意に転用されているのと対になる(岩波古語辞典)、
などとあり、品詞自体も、
接尾語(岩波古語辞典)、
とも、
副助詞(精選版日本国語大辞典)、
あり、はっきりしない。
近くあらばいま二日太未(ダミ)遠くあらば七日のをちは過ぎめやも(万葉集)、
では、
だみ、
と、
をち、
が対で使われており、
ダミは程度を表す副助詞、ばかり、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
ヲチは、それより向こう、
の意(仝上)とし、
早ければもう二日ほど、遅くても七日の向こうにはなりますまい、
と訳しているが、
二日以内、
七日以上、
の含意のように見える。ちなみに、
をち、
は、
彼方、
遠、
とあて、音韻変化で、
おと、
ともいうが、
「こち」「そち」の対、「をととし」の「をと」と同源か、一説に、海の意を表すワタの母音交替によってできたとする(広辞苑)、
隔路(ヘヂ)の義(大言海)、
元来、遠く隔たった向こうの意。代名詞的に、「かなた」「あちら」の意にも用いる。現代語の「おととし(一昨年)」「おととい一昨日)」の「おと」も(「をち」の変化の「おと」の)語にもとづき、時間的に遠いことの意を表す(デジタル大辞泉)、
上代においては、方向を表わす代名詞は、指示代名詞に「ち」を付けて、「こち」「そち」等の言い方をするが、遠称にはこのような言い方がなく、「をち」「かなた」がこれを代用している(精選版日本国語大辞典)、
等々を由来とし、
白雲の八重に重なるをちにても思はん人に心へだつな(古今和歌集)、
と、
遠く隔たっている場所を指す(遠称)、また、ある範囲にはいらない場所をもいう、
とし(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、空間から時間にシフトし、
このころは恋ひつつもあらむ玉匣(たまくしげ)明けて乎知(ヲチ)よりすべなかるべし(万葉集)、
と、
あっち、向こうの意の方向指示語、
とあるが(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
一夜明けた明日からは、
と訳す(仝上)。ここでは、
以後、
と、未来を表すが、後には、
昨日よりをちをばしらず百年(ももとせ)の春の始めは今日にぞ有りける(拾遺和歌集)、
と、
以前、
と、中古では、過去を表わしている(仝上)。
たむ、
には、
回む、
廻む、
迂む、
とある、
たむ、
のほか、
訛む、
迂む、
とあてる、
たむ、
がある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海・日本語源大辞典)。類聚名義抄(11〜12世紀)に、
迂、タミタリ・マガル・メグル、
色葉字類抄(平安末期)に、
訛、タミタリ、
とある。
回む、
廻む、
迂む、
とあてる、
たむ、
は、
み/み/む/むる/むれ/みよ、
の、自動詞マ行上二段活用で、
い回(た)む、
漕回(こぎた)む、
等々と使い、
連用形「たみ」のミが乙類音であるところから活用は上二段と認められる。曲がりめぐる意の上一段動詞「みる」は、より古くは上二段活用であったと推定されるが、その終止形「む」に接頭語「た」が付いたものと考えられる、
とある(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
撓(たわ)むの意と云ふ(大言海・和訓栞)、
タマ(丸)と同源(日本古語大辞典=松岡静雄)、
とあるが、はっきりしない。
沖つ鳥鴨といふ船は也良(やら)の崎多未(タミ)て漕(こ)ぎ来(く)と聞え來(こ)ぬかも(万葉集)、
と、
まわる、
迂回(うかい)する、
意や、
岡(をか)の崎(さき)廻(た)みたる道をな通ひそありつるも君が來まさむ避(よ)き道にせむ(万葉集)
と、
折れまがる、
意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
訛む、
迂む、
とあてる、
たむ、
は、後には、
だむ、
と濁り(学研全訳古語辞典)、
ま/み/む/む/め/め、
の、自動詞マ行四段活用、
とある(学研全訳古語辞典)が、
マ行上二段活用か、
ともあり(日本語源大辞典)、
語源は「たむ(回)」で、ここから、文などの屈折する意、さらにことばがなまる意が生じたものか。とすれば、活用は本来上二段だっただろうと思われる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
ダム(撓)の義(言元梯)、
タワム(撓)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
舌たむの略、故に濁る(大言海)、
タルミアルの義(名言通)、
とあるが、
たむ(回)、
から、
言葉の屈折→なまる、
と意味を転化させていったものとみられる。で、
迂む、
とあてる、
たむ、
は、
ことば、文字などがまわりくどいさま、
をいい、
其の迂(タミタル)辞、瑋(あやし)き説は、多く翦弃に従かへり(「大唐三蔵玄奘法師表啓平安初期点(850頃))」)、
と、
屈折する、
意から、
吾妻にて養はれたる人の子は舌だみてこそ物はいひけれ(拾遺和歌集)、
と、
ことばがなまる、
また、
音声がにごる、
意となる(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
たむ、
は、
だむ、
となり、さらに、
鶯はゐなかの谷の巣なれどもだびたる音をば鳴かぬなりけり(山家集)、
と、
だぶ、
と転訛する(仝上)。
「回」(漢音カイ、呉音エ)の異体字は、
佪、囘(古字)、囬(俗字)、廻(の代用字)、徊、迴(繁体字)、逥、𠚃、𡇌(同字)、𢌞、𩶠、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9E)。字源は、
象形。回転するさま。または、小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いたもの、
とある(漢字源)。他も、
象形。物を囲みで取り囲むさまを象る。また一説に「圍」の略体。「かこむ」を意味する漢語{圍 /*wəi/}を表す字。のち仮借して「まわる」「めぐる」を意味する漢語{回
/*wˤəi/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%9E)、
象形。水がうずまいているさまにかたどる。「まわる」「まわす」意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「ものの回転する」象形から「まわる」を意味する「回」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji275.html)、
象形。水の回流する形。〔説文〕六下に「轉ずるなり」とするが、淵字条十一上に「回水なり」とあり、孔門の顔回、字は子淵。いわゆる名字対待。水のめぐる意より、すべて旋回することをいう(字通)、
と、象形文字としている。
「迂」(ウ)は、
会意兼形声。「辵+音符于(つかえて曲がる)」、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(辶(辵)+于)。「十字路の象形と立ち止まる足の象形」(「行く」の意味)と「弓のそりを正す道具」の象形(「弓なりに曲がる」の意味)から、「まわり道をする」を意味する「迂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2230.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「辵」+音符「于 /*WA/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BF%82)、
形声。辵と、音符于(ウ)とから成る(角川新字源)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし(大伴田村大嬢)
の、
かへるて、
は、
かえで、
のこと、
葉が蛙の手に似る、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かへるて、
は、
蝦手、
蛙手、
鶏冠木、
とあて、後に、
かへるで、
と濁るが、
カエデの古名、
である(広辞苑)。
葉の深くきれこんださまが蛙の手に似るところからいう(精選版日本国語大辞典)、
葉の形がカエルの手に似るからいう(広辞苑・岩波古語辞典・日本語源広辞典)、
がその理由で、この、
蛙+手、
が、
と転訛して、
かえで、
となったとされる(広辞苑・日本語源広辞典・和句解・日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・大言海・和訓栞)。
kaferude→kaferde→kafende→kafede、
とある(岩波古語辞典)ので、
かへるて→かへるで→かへて→かへで、
といった変化であろうか。
野の北に、櫟(いちひ)、柴(くぬぎ)、鶏頭樹(かへるでのき)、比之木(ひのき)、往々(よりより)森々(いよよか)に自から山林(はやし)を成せり(常陸風土記)、
と、
かへるでのき、
ともいい、
蝦手木、
蛙手木、
鶏冠木、
とあて(精選版日本国語大辞典)、
略して、かへるで、
とある(大言海)ので、転訛は、
かへるでのき→かへるて→かへるで→かへて→かへで、
ということなのかもしれない。転じて、
かいで、
ともいう(大言海)。運歩色葉集(1548)には、
雞冠樹、カイデノキ、
とある。
かへで、
は、
楓、
鶏冠木、
槭樹、
とあて(広辞苑・大言海・精選版日本国語大辞典)、新撰字鏡(平安前期)に、
楓、香樹なり、加豆良(かつら)、
和名類聚抄(931〜38年)に、
楓、乎加豆良(をかつら)、雞冠木 楊氏漢語抄に云ふ、雞冠木、加倍天乃岐(かへでのき)。辨色立成に云ふ、雞頭樹、加比流提乃岐(かひるでのき)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
楓、カツラ・ヲカツラ・カヘデ、
とある。また、和名類聚抄(931〜38年)には、
鶏頭樹、加比留提乃木(かへるでのき)、
ともあり、『大言海』は、
比は閉(へ)の音に用ゐたるなり、
と注記している。字鏡(平安後期頃)にも、
鶏冠、加戸天(かへで)、
とある。
鶏冠木(けいかんぼく)、
ともいうのは、
葉の形、鶏冠(とさか)に似たればなるべし、
とある(大言海)。
かえで、
は、
ムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属の落葉高木の総称、
で、
モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、葉の切れ込みが深いものを「モミジ」、葉の切れ込みが浅いものを「カエデ」と呼んでいる、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%87)、
葉は対生し多くは単葉の掌形で長柄をそなえ、先端に鋸歯(きょし)がある。霜がおりると黄葉や紅葉する。四、五月ごろ小枝の先に四〜五弁の小花をつける。果実は竹とんぼに似て翼があり、左右二室に分かれている、
とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。日本には約二五種が野生し、
イロハカエデ(別名イロハモミジ)・イタヤカエデ・ハナノキ・ウリハダカエデ・チドリノキ(別名ヤマシバカエデ)・トウカエデ・ミツデカエデ・アサノハカエデ・オニモミジ・ハウチワカエデ、
等々がある(仝上・世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)。材は、建築、家具、彫刻、楽器材などに用いる(仝上)。
なお、襲(かさね)の色目にも、
かえで、
があり、
表裏ともに萌葱(もえぎ)のものをいう、
とされる(仝上)。なお、
楓、
の字は、上述したように、
「本草和名」「新撰字鏡」にカツラと読み、「和名抄」にはヲカツラとしている。これらによって、「万葉集」の「楓」もカツラと訓読されている。のちに、「楓」がカエデに用いられるようになったが、中国で「楓」というのは、マンサク科のフウであり、カエデとは別のものである、
とある(精選版日本国語大辞典)。
もみづ、
でふれたことだが、
もみづ、
は、
我が宿(やど)の萩(はぎ)の下葉(したば)は秋風(あきかぜ)もいまだ吹かねばかくぞもみてる(万葉集)
とある、四段活用動詞の、
もみつ、
が平安初期以後上二段化し、語尾が濁音化したもの、
とあり(岩波古語辞典・日本国語大辞典)、
もみつ、
は、
紅葉つ、
黄葉つ、
と当てる(広辞苑)。その、
もみづ、
の連用形の名詞化が、
もみぢ(紅葉。黄葉)、
である。
もみち(もみぢ)、
の由来は、
色を揉み出すところから、もみじ(揉出)の義、またモミイヅ(揉出)の略(日本語源広辞典・和字正濫鈔・日本声母伝・南嶺遺稿・類聚名物考・牧の板屋)、
紅(もみ)を活用す(大言海)、
モミヂ(紅出)の義、モミ(紅)の色に似ているところから(和句解・冠辞考・万葉考・和訓栞)、
モユ(燃)ミチの反(名語記)、
モミテ(絳紅手)の義(言元梯)、
等々あるが、
もみ(紅)の活用、
には意味がある。これは、
色は揉みて出すもの、紅(クレナヰ)を染むるに、染めて後、水に浸し、手にて揉みて色を出す、
とあり(大言海)、
もみ、
は、
ほんもみ、
ともいう(精選版日本国語大辞典)ので、結果的には、
もみじ(揉出)、
モミイヅ(揉出)の略、
とする語源説と似てくるが。
もみ、
は、
紅、
紅絹、
本紅絹、
と当て(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)、
紅花を揉んで染めるところから、
この名があり、江戸時代には、
紅花染を紅染(もみぞめ)、職人を、
紅師(もみし)、
といったことされる(仝上)。
緋紅色に染めた平絹、
をそう呼び、
平絹、羽二重に鬱金(うこん)で黄に下染めした上へ紅をかけて、いわゆるもみじ色の緋(ひ)色に染め上げた、
とあり、
和服の袖裏や胴裏などに使う、
とある(仝上)。日本では、古くから、
紅で染めたものを肌着や裏地に用いる習慣がある。これはおそらく紅の薬物的な効力に対する信憑(しんぴょう)感から出たものであろう、
とある(日本大百科全書)。なお、
もみじ、
は、
紅葉、
黄葉、
と当てられるが、いずれも、漢語からの当て字のようで、
上代には、モミチと清音。上代は「黄葉」、平安時代以後「紅葉」と書く例が多い、
とあり(広辞苑)、秋に、木の葉が赤や黄色に色づくことやその葉を指し、歌には、カヘデ、カヘルデの語形は少ない、とある(精選版日本国語大辞典)。
モミヂ、
は、紅葉する樹木の代表的なものである、
かえで、
をさし、
カエデの別称、
ともされるが、
カエデ科の数種を特にモミジと呼ぶことが多いが、実際に紅葉が鮮やかな木の代表種である。狭義には、赤色に変わるのを「紅葉(こうよう)」、黄色に変わるのを「黄葉(こうよう、おうよう)」、褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼ぶが、これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89)。なお、
もみづ、
もみじ、
については触れた。また、蛙については、
かはづ、
で触れた。ちなみに、
もみじ、
とつくものには、
ニワトリの足先を食用にするとき、3つに分かれている形状からモミジという、
ダイコンに穴を開けて唐辛子を詰め、一緒にすりおろしたものをもみじおろしという、
等々がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%87)。
「楓」(漢音ホウ、呉音フウ)は、
会意兼形声。「木+音符風」で、実に薄い翼がついて、風のまにまに飛ぶ、
とあり(漢字源)、
中国に自生するマンサク科の落葉高木。葉は三裂し、秋に少し紅葉する。果実に翼がある。わが国では、カエデににあてている(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(木+風)。「大地を覆う木」の象形と「風を受ける帆の象形と風雲に乗る辰の象形」(「風」の意味)から、風を媒介にして種子が飛ぶ:「フウの木」、「カエデ(もみじ)」を意味する「楓」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji322.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%93)、
形声。「木」+音符「風 /*PƏM/」(仝上)、
形声。木と、音符風(フウ)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は風(ふう)。〔説文〕六上に「楓木なり」(段注本)とあり、厚葉弱枝にしてよく風に動き、葉ずれの音がする木であるという。北方の楓と南方の楓とまた異なり、南方の楓の実は栗房に似て、これを焚(や)けば香気を発する木とされるから、わが国のかえでとは異なる木である(字通)、
と、他は形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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あしひきの山鳥(やまどり)こそば峰向ひに妻どひすといへうつせみの人なる我れや何(なに)すとか一日一夜(ひとひひとよ)も離(さか)り居て嘆き恋ふらむ(大伴家持)
の、
山鳥、
は、
キジ科の一種、
をいい、
雌雄別居し雄は峰を越えて妻問うとされたらしい、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
山鳥、
は、
山にすむ鳥の総称、
の意もあるが、
和名類聚抄(931〜38年)に、
山鶏、夜萬土利、
とあり、
山鶏、
山雉、
H、
鶡、
鸐雉、
などとも当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA・大言海)、
鳥綱キジ目キジ科ヤマドリ属の鳥、
で(仝上)、
日本の特産種、
をいい、本州・四国・九州の山間の森林にすみ、
全長、雄は125cm、雌は55cm前後になる。尾羽が長くキジに似ているが羽色が異なる。雄の背面は光沢のある赤銅色で、背や腰の各羽のふちは白い。尾羽は黒や褐色の横帯があって竹の節状をなし、長さは90cmにもなる。眼の周囲は裸出して赤く、眼下に一白斑がある。雌は雄より地味で、尾羽も短い、
とある(精選版日本国語大辞典)。
目立つ冠羽はないが、興奮すると頭頂の羽毛が逆立ち冠状に見えることもある。顔面にキジ同様赤い皮膚の裸出部がある。雄の尾は相対的にキジよりも長く、黒、白、褐色の鮮やかな模様がある。雄は脚に蹴爪を持つ。雌の羽色は褐色でキジの雌に似るが、キジの雌より相対的に尾が短い、
ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA)。和名の、
ヤマドリ、
は、
山地に生息することに由来し、主に標高1500メートル以下の山地の森林や藪地(灌木叢林)などに生息、渓流の周辺にあるスギやヒノキからなる針葉樹林や、下生えがシダ植物で繁茂した環境を好む。冬季には群れを形成する、
とある(仝上)。繁殖期には、
雄は翼で胸を打ち、「どどど」と音を出し、これを、
母衣(ほろ)をうつ、
という(広辞苑)。
翼を激しく羽ばたかせ、非常に大きな音を出す(ドラミング、〈ほろ〉打ち)ことで縄張りを宣言するとともに、雌の気を引く。また、ドラミング(ほろ打ち)の多くは近づくものに対する威嚇であるともされる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA)。なお、「母衣」については、「保呂乱す」で触れた。冒頭の歌にあるように、
昼は雌雄一処におり、よるは峰を隔てて寝る、
という言い伝えがあった(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)とされ、
山鳥の、
で、枕詞として、
ひとり寝することをいう語、
として
秋風の吹きよるごとに山鳥のひとりし寝(ぬ)ればものぞ悲しき(古今和歌六帖)、
と、
一人寝(ぬ)、
にかかり、
山どりのすゑをの里もふしわびぬ竹の葉しだり長き夜の霜(壬二集)、
と、
山鳥の尾の意で、「尾」と同音を含む「尾上(をのへ)」や、類音を含む「おのづから」「おのれ」や、地名「すゑを」、
にかかったり、
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂)、
と、
その尾が長いことから、「山鳥の尾の」とつづけて「長し」「尾」などを起こす「序詞」として用いたり(上記歌では「山鳥の尾のしだり尾の」までが「ながながし」を導く序詞)、
白雲のへだつるかたややまどりのをの上に咲ける櫻なるらむ(続千載和歌集)、
と、
山鳥の尾と同音の「峰(を)」、
にかかる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。ただ、繁殖期につがいが一緒にいるのは、伝説ではなく、
繁殖期は番いか一夫多妻で生活しており、非繁殖期には雌雄別々の群れでいることが多い。暗い林内を好み、早朝と夕方に主に植物の種子や芽を地上付近で採食する、
とある(https://www.pref.gifu.lg.jp/page/4589.html)。
なお、
山鳥、
は、
えぞらいちょう(蝦夷雷鳥)」の異名、
ともされる(精選版日本国語大辞典)。
えぞらいちょう(蝦夷雷鳥)、
は、
えぞやまどり(蝦夷山鳥)、
ともいい、
キジ科ライチョウ亜科の鳥。全長約三六センチメートル。背面は、灰地に黒褐色と赤褐色のまだらがあり、腹面は白地に縦紋がある。冬も白変しない。欧亜大陸北部から北海道にかけて分布し、森林の地上で生活する、
とある(精選版日本国語大辞典)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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石橋(いしばし)の間々(まま)に生(お)ひたるかほ花(ばな)の花にしありけりありつつ見れば(万葉集)
の、
石橋、
は、いわゆる、
川の中の踏み石、
石(いし)並み、
飛び石、
あるいは、
澤飛(さはとび)、
磯飛(いそとび)、
のことで(精選版日本国語大辞典・大言海)、
石橋の間々(まま)に、
の、
川の飛石の間々に、
の意で、
上三句は序、「花にしありけり」を起こす、
とあり、
かほ花、
は、
未詳とし、
花にしありけり、
は、
実のならぬあだ花であった、
と解し、
ありつつ見れば、
は、
ずっとあなたの様子を見ていると、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かほばな、
は、
顔花、
容花、
貌花、
とあて、文字通り、
美しい花、
の意(広辞苑・デジタル大辞泉)だが、
ヒルガオのこと(広辞苑・精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典・岩波古語辞典)、
とあり、また、
アサガオ、
カキツバタ、
ムクゲ、
オモダカ、
ともする(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
美しい花、
の意では、
顔佳花、
容佳花、
貌佳花、
とあてる、
かほよばな、
という言い方がある。この場合は、
カキツバタの別名(広辞苑・デジタル大辞泉)、
かきつばた(燕子花)の古名(精選版日本国語大辞典)、
とするが、
オモダカ、
ヒルガオ、
などとする説もある(精選版日本国語大辞典)。で、
かおよばな、
は、
かおばな、
ともいう(仝上)。
かほよばな、
に似た言い方に、
かほよぐさ(顔佳草)、
があり、この場合、
かきつばた(燕子花)、しゃくやく(芍薬)の古名、
とされる(仝上)。
貌鳥(かほどり)、
でふれたように、
かほどり、
は、
かほよどり、
ともいい、やはり、
古くは清音、カホと鳴く鳥の意から、カッコウのことという。一説に、美しい春の鳥(広辞苑)、
今のカッコウとも、春鳴く美しい鳥ともいう(大辞林)
古くは「かおとり」、カッコウその他諸説があるが、実体不明(大辞泉)、
カホと鳴く声から出た名かという、後に誤ってカワセミをさすという(岩波古語辞典)、
かわせみ(翡翠)のことでヒスイ、ショウビンともよばれる(https://manyuraku.exblog.jp/10737173/)、
等々諸説ある。『大言海』は、で、
かほどり、
を、
美しき鳥の称、
とし、
容好鳥(かほよどり)、
の意とし、
かほばな、
も、
カホとは容姿(すがた)の義、すがたの美しき花の義、容(かほ)が花とも云ふ(容好花(かほよばな)とも云ふ)、美麗なる人を、容人(カタチビト)と云ふが如し、容鳥(かほどり)も同じ、
とする(大言海)。確かに、
「天(あめ)の下のかほよし」と呼ぶ(宇治拾遺物語)、
とあるように、
顔の美しいこと、また、その人、
の意の、
顔佳(かおよし)、
という言い方があり、後世、
女君は国のとなりまでも聞え給ふ美人(カホヨビト)なるが(雨月物語)、
と、
美人、
美しい女性、
の意で、
顔佳人(かおよびと)、
という言い方に転じていく。
顔佳(かおよし)、
は、
容姿(すがた)の義、すがたの美しき、
をいう(大言海)というところに原義があり、
かほばな、
かほよばな、
も、
それに合致する(と思う)花の数だけ、対象が増えていくということではあるまいか。
かお、
は、
貌鳥(かほどり)、
で触れたことだが、
表面に表し、外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を主にした言い方、
とあり(岩波古語辞典)、
カ(気)+ホ(表面)(日本語源広辞典)、
気表(ケホ)の転、人の気の表(ホ)に出でて見ゆる意と云ふ(大言海)、
カホ(形秀)の義(和訓栞)、
カは外、ホはあらわるる事につける語(和句解)、
カは上の儀、ホカ(外)で、表面の意(国語の語根とその分類=大島正健)、
頬と同じく、語原は穂(玄同放言)、
カミオモ(上面)の義(名言通)、
「頬」の別音kapがkapoとなり、kahoと転じた語(日本語原考=与謝野寛)、
等々と、いわゆる、
顔面、
顔つき、
表面、
ではなく、
表面にあって見えるもの、
を指す。大言海は、それが転じて、
容(かほ)の転、身体の表示には、顔が第一なれば、移れるか、
とする。つまり、
表面、
という意のメタファで顔と使われた、という感じになる。ちなみに、
かんばせ、
は、
顔・容、
と当て、
カオバセの転、
とされる(広辞苑)が、
顔つき、容貌、
という状態表現の意から、
体面、面目、
という価値表現へと転じている。
こころばせ、
が、
心馳の義。心の動きの状を云ふ。こころざしに同じ。類推して、顔様(かんばせ)、腰支(こしばせ)など云ふ語あり。かほつき、こしつきにて、こころばせも、こころつきなり、
とあるように、
心の向かうこと、心ばえ、こころざし、
という意味になる。
心ばえ、
の、
映え、
が、もと、
「延へ」で、外に伸ばすこと、
つまり、心のはたらきを外におしおよぼしていくこと。そこから、ある対象を気づかう「思いやり」や、性格が外に表れた「気立て」の意となる。特に、心の持ち方が良い場合だけにいう、という意味であった。
は(馳)せ、
は、
心+馳せ(日本語源広辞典)、
で、「心の動き」を言う状態表現から、
心のゆきとどくこと、たしなみのあること、
といった価値表現へと転ずる。日本語源大辞典は、
性格や性質にもとづいた心の働き、人格を示すような心の動き、才覚、気転の程を示すような心の動き、
と意味を載せる。
心が先へと走る、
という心の状態、働きが、
先へ先へと気(配慮)が回る、
と、そのもたらす効果というか、価値を指すように転じたというのがよく見て取れる。「心ばえ」は、
その性格がおのずと外へ出る、
と言っているのに対して、「心ばせ」は、
その振る舞いが外へ出ている、
ということだろうか。
かんばせ、
は、そういう様子だと言っていることになる。その意味でいうと、
かほ(顔)、
は、
姿形、
と当てる、
なりすがた、
の意と、
顔、
と当てて、
顔面、
の意とに分けている。「顔」で提喩的に、その人全体を表現する、という意味になる。もともと「顔」自体に、「顔面」の意以外に、
体面、
という意味を持っているが、「かんばせ」と言ったとき、「顔」で何かの代表を提喩するように、
そのひとそのものの、
でもある使い方になっているのではあるまいか。その意味で、
かほばな、
には、
単に外面の美しさだけではない、内から映えるような、
というような価値を表現をしていたのではないか、という気がする。
何れ菖蒲、
で触れたように、
カキツバタ、
は、
燕子花、
杜若、
と当て、アヤメ科アヤメ属である。借りた漢字、「燕子花」はキンポウゲ科ヒエンソウ属、「杜若」はツユクサ科のヤブミョウガを指す。ヤブミョウガは漢名(「とじゃく」と読む)であったが、カキツバタと混同されたものらしい(仝上、語源由来辞典、日本語源大辞典)。ふるく奈良時代は、
かきつはた、
と清音であった、とされる(岩波古語辞典)
カキツバタ、
は、
書付花(掻付花 かきつけばな)の変化したもので、昔は、その汁で布を染めたところからいう、
とするのが通説らしい。「汁を布に下書きするのに使った」(日本語源広辞典)ところからきているが、「音変化が考えにくい」(語源由来辞典、日本語源大辞典)と異論もあるが。万葉集は、
垣津幡、
と当てている。
垣下に咲く花(東雅)、
カキツバタ(垣端)の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
も的外れではないかもしれない。
「カキツバタ」は、江戸時代の前半にはすでに多くの品種が成立していたが、江戸時代後半にはハナショウブが非常に発展して、カキツバタはあまり注目されなくなったらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%BF)。なお、
アサガオ、
ムクゲ、
については触れたが、
アサガオ、
を、大言海は、六項目に分ける。
「朝顔」の第一は、
朝、寝起きの顔、
の意で、
朝容(アサガタチ)、
と当てる。この意は、
麩焼(ふやき)の異名(後水尾院年中行事)、
ともある。
焼きたる面の、清らかならぬを、女の朝顔の、つくろはぬに喩えて云ふ、
とある。つまり、ということは、「朝顔」は、
女性の寝起きの顔、
の意である。その意の転化として、「朝顔」の第二は、
朝の容花(かほばな)の意、
つまり、
朝に美しく咲く花、
の意を持つ。
容花(かほばな)、
は、
貌花、
とも当て(大言海)、
かほがはな、
ともいう(岩波古語辞典)。「朝顔」の第三項は、
朝の美しき花、
が一つに絞られていく。
朝に咲くが美しいもの、
として、
あさがほ、
は、さらに、第四、第五として、
ききょう、
むくげ、
にも当てられたが、更に。第六として、漢方の、
牽牛子(けんぎゅうし・けにごし・けんごし 漢方、朝顔の種)、
もいうが、
木槿も牽牛子(けんぎゅうし・けにごし・けんごし 漢方、朝顔の種)も後の外来ものなれば、万葉集に詠まるべきなし、
とし、
桔梗、
の意であった、とする(大言海)。なお、
オモダカ、
は、
沢瀉、
澤瀉、
面高、
等々とあて(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%80%E3%82%AB)、
オモダカ科オモダカ属の水生植物で、
ハナグワイ、
サンカクグサ、
イモグサ、
オトゲナシ、
ナマイ、
ゴワイ、
等々多くの別名をもち(仝上・精選版日本国語大辞典)、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
澤瀉、奈末為、一名於毛多加、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
沢瀉、オモタカ、
とあり、
各地の水田、池、沼などに生える。高さ三〇〜六〇センチメートル。葉は鏃(やじり)形で長い柄をもつ。夏、花茎を伸ばし、その上部に白い三弁の花を輪生する。上部のものは雄花で、下部は雌花となる。秋、株の間から地下枝を出し、先端に小形の芽をつける。塊茎は利尿剤などの薬効があり、大きなものは食用にする、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%80%E3%82%AB)。その語源には、
人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」とされた(仝上)、
中国語で湿地を意味する涵澤(オムダク)からとられた(仝上)、
オモダカ(面高)の義、葉面に紋脈が隆起していることから(名言通・大言海・岩波古語辞典)、
オモタカ(表高)の義、水の面を抜けて高い草のこと(柴門和語類集)、
茎葉がクワイに似ているので、食用にしようとして採取すると、根が細小で食用にならない。オモヒタガヒの省呼(古今要覧稿)、
等々あるが、はっきりしない。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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戯奴(変して「わけ」といふ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ(紀郎女)、
手もすまに植ゑし萩にやかへりては見れども飽かず心尽さむ(読人知らず)
の、
手もすまに、
の、
「すま」は休む意か。ニは打消、
として、
我が手も休めずに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
手もすまに、
は、
手も繁(しば)にの転かと云ふ(大言海)、
「すまに」は休めずの意(精選版日本国語大辞典)、
とあり(ただ、「すま」を「すみやか(速)」「すむやけし(速)」の「すみ」「すむ」と同源として、「手も早く」の意と解する説(仝上)もある)、
手も屢(しま)に(大言海)、
という言い方もあり(「屢」は、しきりに、たびたび、の意)、
手も休めずに、
手の絶え間をおかず、
せっせと、
一生懸命になって、
手を働かせて、
等々の意とされる(大言海・学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
すまに、
は、
スマは屢(しば)に通ず、
とする(大言海)が、
未詳、休めずに、一所懸命に働かせての意か、
ともあり(岩波古語辞典)、上代には、
手もすまに、
の形しか見えない(精選版日本国語大辞典)とあり、拾遺和歌集に、
手もたゆく植ゑしもしるく女郎花色ゆゑ君がやどりぬるかな、
とあるのが、
手もすまに、
の言い換えであると見ると、その当時語義を、
手を休めず、
に近い意に理解していたと考えられる(仝上)としている。後世には、
山吹の汀もすまに咲きぬれば洗ふさ波もいとなかりけり(散木奇歌集)、
と、
すきまなく、
の意と、
時間的意味→空間的意味、
へとシフトして使われているが、ここからも、
時間の隙間なく、
つまり、
暇なく、
の意で使われていたことを、推測させる。なお、
すまに、
は、日本霊異記に、
興福寺本訓釈 寝スミヌル、
日本書紀の古訓(鴨脚本訓)にも、
「留息焉」の「息」の字の右に「スミタマフ」とある、
等々から、
すむ、
を、
休息する、
意とし、
「すむ」の未然形「すま」に打消の助動詞「ず」の古い連用形「に」の付いたもの、
と解する説が一般的である(精選版日本国語大辞典)が、
あしも足掻(あが)かに、
のような、
「…モ…ニ」型の副詞的派生形の場合、「に」は打消の「に」とは考えにくい、
と考えられることが難点とある(仝上)。ちなみに、この
足掻に、
は、
足も阿賀迦邇(アガカニ)嫉妬(ねた)みたまひき(古事記)、
と、
「足掻(あが)くという状態で」の意、
の、副詞で、
いらだって足をばたつかせるほど、
地団駄踏むほど、
の意(精選版日本国語大辞典)とある。
「繁」(@漢音ハン、呉音ボン、A漢音ハン、呉音バン)の、異体字は、
䋣(本字)、緐(別体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)。字源は、「しみみに」で触れたように、
会意兼形声。毎は子を産むように、草のどんどんふえること。繁の字の音符は「糸+毎(ふえて多い)」の会意文字で、ふさふさとした紐飾り。繁はそれに支(動詞の記号)を加えた字で、どんどんふえること、
とあり(漢字源)、「繁茂」「繁盛」「繁文縟礼」「頻繁」などは@の音、馬のたてがみにつけるふさふさとした飾りの意の時は、Aの音とある(仝上)。他に、
会意兼形声文字です(毎(每)+攵(攴)+糸)。「髪飾りをつけて結髪する婦人」の象形(「髪がしげる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手でボクッと打つ」の意味)と「より糸」の象形から、「しげる」を意味する「繁」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1353.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、また、
会意、糸と每(たくさんあるさま)とから成る。多くの糸をつけることから、馬のたてがみのかざりの意を表す。転じて、「しげる」、さかんの意に用いる。旧字は、形声で、糸と、音符敏(ビン)→(ハン)とから成る。常用漢字はその省略形による(角川新字源)、
会意。敏(敏)(びん)+糸。敏は婦人が祭事にあたって髪に盛飾を加える形で、祭事に奔走することを敏捷という。疌(しよう)はその側身形に足を加えた形。髪に糸飾りをつけて繁という。繁は繁飾の意。〔説文〕十三上に緐を正字とし「馬の髦飾(ばうしよく)なり。糸毎に從ふ」(段注本)とし、〔左伝、哀二十三年〕「以て旌緐(せいはん)に稱(かな)ふべけんや」の文を引くが、馬飾の字は樊(はん)に作り、樊纓(はんえい)といい、繁とは別の字である。樊纓は馬の「むながい」。紐を縦横にかけたもので、樊がその義にあたる。婦人の盛飾を每(毎)といい、その甚だしいものを毒といい、祭事にいそしむを敏捷といい、その髪飾りの多いことを繁という(字通)、
と、会意文字とする説もあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)、
形声。「攴」+音符「緐 /*PAN/」。「しげる」を意味する漢語{繁 /*ban/}を表す字(仝上)、
と、形声文字としている。
「速」(ソク)は、
会意兼形声。束は、木の枝を〇印のわくでたばねたさまを示す会意文字。ぐっと縮めて間をあけない意を含む。速は「辶(足の動作)+音符束」で、間のびしないよう、間をつめていくこと、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(辶(辵)+束)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「たきぎを束ねたの象形」から、道を行く時間を束ねるように縮める、すなわち「はやい」を意味する「速」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji440.html)、
と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、
形声。辵と、音符束(ソク)とから成る。いそぐ、「はやい」意を表す(角川新字源)
形声。声符は束(そく)。〔説文〕二下に「疾(すみ)やかなり」とあり、重文として遬など二字を加える。金文に言+速の字があり、人名に用いる。また〔叔家父簠(しゆくかほほ)〕に「以て諸兄を速(まね)く」、〔詩、小雅、伐木〕「以て諸父を速く」、〔詩、召南、行露〕「何を以てか我を獄に速く」など、祭事や獄訟に招く意に用いる。また〔大盂鼎(だいうてい)〕に「罰訟を敏(いそ)しみ敕(つつし)む」とあり、束声に束ねて緊束する意がある(字通)、
と、形声文字とし、しかも、同じく形声文字としつつも、
音符の字は「束 /*TOK/」(たば)とは異なる(甲骨文字の「束*」は横になった「束」の上に「木」または「屮」が付いている形)。「欶/*sˤok-s/」の声符「束*」も同様(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%9F)、
として、
形声。「辵」+音符「束* /*SOK/」。「はやい」を意味する漢語{速 /*sˤok/}を表す字、
としているものもある(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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衣手に水渋(みしぶ)付くまで植ゑし田を引板(ひきた)我が延(は)へまもれるくるし(万葉集)
の、
詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、
尼、頭句を作り、併せて大伴宿禰家持、尼に誂(あとら)へて末句を継ぎ、等しく和(こたふ)る歌一首、
とある。
水渋、
は、
水の垢、
引板延へ、
は、
鳴子の綱を長く引き渡して、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
引板日本オオカミ.avif、
は、
「ひきいた(引板)」の変化した語、
で(精選版日本国語大辞典)、
ヒキイタ→ヒキタ→ヒイタ→ヒタ、
と転訛し、
ヒキタの音便ヒイタの約(広辞苑)、
で、
ひた、
とも訓ませる。
引板(ひきた)我が延(は)へまもれるくるし、
は、
養育する娘を監視する立場で、わがものにできない苦しみ、
と解する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
題詞(だいし)にいう、
頭句、
は、
上三句、
末句、
は、
下二句、
で、
等しく和(こたふ)る、
は、冒頭の歌の前に、
手もすまに植ゑし萩にやかへりては見れども飽かず心尽さむ、
があり、合わせた、この、
二首に対し二人(家持と尼)一緒で答える歌、
の意で、
短連歌の最も早い例、
とされ(仝上)、二人の合作は、
佐保川の水堰(みずせき)上げて植ゑし田を(尼作る)刈れる初飯(はついひ)はひとりなるべく(家持続く)
となる。題詞(だいし)にある、
尼に誂(あとら)へて
の、
あとらへて、
は、
頼まれて、
の意とある(仝上)。この、
あとらふ、
は、
誂ふ、
とあて、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、他動詞ハ行下二段活用、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
誂、アトラフ・アツラフ・コシラフ、
字鏡(平安後期頃)に、
誂、アツラフ・コシラフ・ヨブ、
とあり、
アトフに同じか、ナゾフとナゾラフの類(岩波古語辞典)、
誂(あど)ふの延なり(準(なぞ)ふ、なぞらふ)(大言海)、
ということから、
相手に、誘いかける。頼んで自分の思うようにさせようとする(精選版日本国語大辞典)、
頼んで自分の思いどおりにさせる、誘う(デジタル大辞泉)、
と、今日の、
あつらえる、
意とは少しニュアンスを異にする(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
誂(あと)ふ、
は、
聘ふ、
とも当て、
黒媛を妃(みめ)とせむと欲(をほ)して、あとふること既にをはりて(日本書紀)、
と、
結婚を申し込む、
妻として迎える、
意や、
武彦を廬城(いほき)の河に誘(アトヘ)率(たし)ひて、偽(あさむ)きて使鸕鷀没水補魚(うかはするまね)して、因て其不意(ゆくりもなく)して打ち殺しつ(日本書紀)、
と、
誘う、
意や、
瑞歯別皇子(みずはわけのみこ)陰(ひそか)に刺領巾(さしひれ)を喚して之に誂(アトヘ)て曰はく「我が為に皇子を殺せ。吾必ず敦(あつ)く汝に報ん」といふ(日本書紀)、
と、
あとらふ、
に似た、
頼む、
注文する、
あつらえる、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。今日の、
あつらえる、
の文語形は、
あとらふ、
から転じた(大言海・岩波古語辞典)、
あつらふ、
で、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
勸、アツラフ、
色葉字類抄(1177〜81)に、
誂、囑、アツラフ、
とある、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、他動詞ハ行下二段活用で、
或いは其の門に詣りて、己が訟を謁(アツラフ)(日本書紀)、
またあつらへたる様(やう)に、かしこの人の集まりたるは(落窪物語)、
と、
頼んで自分の思うとおりのものや行動を人に求める、
意や、
仮名暦(かなごよみ)あつらへたる事(宇治拾遺物語)、
注文して物を作らせる、
依頼して物を作らせる、
と、今日の意に近い使い方をする(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。このハ行下二段動詞、
あつらふ、
は、転訛して、室町時代頃から、
祭文を書記にあつらゆるぞ(「百丈清規抄(1462)」)、
と、
誂ゆ(あつらゆ)、
の形で用いられ、多く終止形は、
あつらゆる、
となる(精選版日本国語大辞典)。
「誂」(漢音チョウ、呉音ジョウ)の異体字は、
𠻩(同字)、𧨙(同字)、𫍥(類推簡化字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AA%82)。字源は、
会意兼形声。兆(チョウ)は、昔、亀の甲で占いをしたときに、その甲がさけてひびが入った形を描いた象形文字。二つのものにつける、二つのものが離れるという基本義をもつ。挑(チョウ)は、木や針の先に物をっかけて、ぴんとはねあげ、物を二つに離すこと。転じて引っ掛ける意味。誂は「言+音符兆」で、ことばで相手をひっかけて、こちらに応じるようしむけること、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「言」+音符「兆 /*LEW/」。「からかう」を意味する漢語{誂 /*leewʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AA%82)、
形声。声符は兆(ちょう)。兆は卜兆。灼(や)かれてはげしく裂ける形で、外に強く刺激する意がある。〔説文〕三上に「相ひ言+乎(よ)びて誘ふなり」とあり、挑と声義が近い。また調とも通じて、調戯の意がある。わが国では「あつらう」と訓み、のち人に物を依頼する意となった(字通)、
と、形声文字としている。
「兆」(漢音チョウ、呉音ジョウ)を、上記のように、
占いのときの亀の甲の割れ目の形、
と解釈するのは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)であるが、
甲骨文字の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%86)、
象形。洪水から逃げる人のさまを象る。「にげる」を意味する漢語{逃 /*laaw/}を表す字。のち仮借して「きざし」を意味する漢語{兆
/*lrawʔ/}に用いる、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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大口(おほくち)の真神(まかみ)の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに(舎人娘子)
の、
大口の、
は、
「真神」の枕詞、
で、
真神(狼)の口が大きい、
意からである(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
真神の原、
は、
明日香村飛鳥寺一帯の原、
を指す(仝上)。
真神、
を、
オオカミ、
とするのは、冒頭の歌から、
地名の「真神原」に「大口の」が掛かっているところから狼の意と推定される、
とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、
真神、
の、
真、
については、
真鳥、
で触れたように、
真鳥、
の、
マ(真)、
は、
片(かた)の対、
で、
名詞・動詞・形容詞について、揃っている、完全である、優れている、などの意を表す(岩波古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞・形容動詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞などに冠し、それそのものである、真実である、正確であるなどの意を表す(広辞苑)、
等々とあり、
ま袖、
真楫(かじ)、
真屋、
では、
二つ揃っていて完全である、
意を表し、
ま心、
ま人間、
ま袖、
ま鉏(さい)、
ま旅、
等々では、
完全に揃っている、本格的である、まじめである、
などの意を添え、
ま白、
ま青、
ま新しい、
ま水、
ま潮、
ま冬、
等々では、
純粋にそれだけで、まじりもののない、全くその状態である、
などの意を添え、
ま東、
ま上、
ま四角、
まあおのき、
真向、
等々では、
正確にその状態にある、
意を添え、
ま玉、
ま杭(ぐい)、
ま麻(そ)、
ま葛(くず)、
等々では、
立派である、美しいなどの意を込めて、ほめことば、
として用い、
真弓、
真澄の鏡、
等々では、
立派な機能を備えている、
意を表し、
真名、
では、
仮(かり)のもの(仮名・平仮名・片仮名)でも、略式でもなく、正式・本式であること、
を表す(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)。
真鴨、
真葛、
真魚、
真木、
ま竹、
まいわし、
等々では、
動植物の名に付けて、その種の中での標準的なものである、その中でも特に優れている、
意を表す(岩波古語辞典)。
オオカミの異名、
とされる、
真神、
の場合は、
古へは、狼のみならず、虎、大蛇なども、神といへり、
とあり(大言海)、
獣の中の第一であるところから(蒹葭堂雜録)、
マケモ(猛獣)の義(言元梯)、
というよりは、
オオカミ、
の由来に、
大神(おそろしいもの)、
とする説がある(日本語源広辞典)ように、
オホは俗に対する聖の意、また立派なもの、
の意(岩波古語辞典)なので、
狼を畏怖して真の神、
と呼んだものだろう(日本語源大辞典)。昔から、
山神の使い、
として敬われた(精選版日本国語大辞典)ともあり、
埼玉県三峰神社、静岡県山住神社など各地の神社に像があり、「御犬」と呼ばれる姿を描いた守札が出されている。この守札を門口に貼っておくと、盗難・災難よけになり、田畑に竹などに差しておくと鳥獣が荒さないという、
とある(仝上)。なお、
まかみ、
は、
まがみ、
とも訓ませる(デジタル大辞泉)。
オオカミ、
は、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
豺皮、於保加美、
和名類聚抄(931〜38年)に、
狼、於保加美、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
豺狼、ノオホカミ、
字鏡(平安後期頃)に、
狼、オホカミ・メオホカミ、
とある。
オオカミ、
は、
おほかみ、
と表記するが、訛って、中世から、
おほかめ、
と呼ばれることも多かったとある(精選版日本国語大辞典)。この語源は、
大神の義、恐れて尊称するなり、欽明即位前紀、秦大津父(オホツヂ)が狼に向ひて祈請して曰く「汝是貴神(カシコキカミ)而樂麁行(アラキワザヲコノム)……」(大言海)、
大神の義(岩波古語辞典・名語記・和字正濫鈔・東雅・燕石雑記・俚言集覧)、
大神(おそろしいもの)(日本語源広辞典)、
オホカミ(大噛)の義(和句解・和字正濫鈔・日本釈名・俚言集覧・名言通)、
カミは犬の別音kamから(日本語原考=与謝野寛)、
とあるが、
大神、
の転訛でいいのだと思う。
大神、
は、上述したように、
オホは俗に対する聖の意。また、立派なものの意、
とあり(岩波古語辞典)、
そらみつやまとの国は水の上(うへ)は地(つち)行くごとく船の上は床(とこ)に居(を)るごと大神(おほかみ)の斎(いは)へる国ぞ(万葉集)、
と、
神を敬っていう語、
で(精選版日本国語大辞典)、
おほがみ、
とも訓み、また
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
と、
おほみかみ、
とも訓ませ、
大御神、
ともあて、
寺々の女餓鬼(めがき)申(まを)さく大神(おほみわ)の男餓鬼(をがき)を賜(たば)りてその子産(う)まはむ(万葉集)、
と、
おほみわ、
とも訓む(仝上)。
真神、
の、
真、
の持つ意味と重なる。また、
オオカミ、
は、
オオカメ、
オイヌ、
オオイヌ、
等々とも呼ばれ、
真神、
のように、神という意味合いを込められているとされるほか、
大きな犬、
を指した呼称でもあるとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F)。
狼、
つまり、
ニホンオオカミ、
は、日本固有種で、
本州・四国・九州に分布していた、
が、
1905年(明治38年)に奈良県東吉野村鷲家口(わしかぐち)にて捕獲された若いオスの個体を最後に目撃例がなく、絶滅したと見られる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F)。
脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。体長95〜114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている。他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻(ふん 口あるいはその周辺が前方へ突出している部分)は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ毛色は白茶けており、夏と冬で毛色が変化し、周囲の環境に溶け込んだ、
とある(仝上)。
オオカミ中最小で、ハイイロオオカミの亜種とされることもあるが、口先が短く幅広く、肢も耳も短小であるほか、頭骨にもユーラシアと北アメリカのタイリクオオカミとは明らかに異なる特徴があるため、独立種と考えられる、
ともある(世界大百科事典)。
ニホンオオカミ、
の異名に、
ヤマイヌ(豺、山犬)、
という呼び方がある。かつては、
ニホンオオカミの標準和名、
とされていたが、現在は使われない。なお、江戸時代の、
山犬、
にはオオカミと野生化したイヌの両方が含まれていた(日本大百科全書)とある。ただ、
ヤマイヌ、
と、
オオカミ、
は、同じものとされることもあったが、江戸時代頃から別であると明記された文献も現れ、
ヤマイヌは小さくオオカミ(オホカミ)は大きい、
オオカミには「水かき」があって泳ぐ、
オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、
などの違いがあった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F)とある。
なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール(アカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった(仝上)とあるが、漢字では、
狼、オオカミ、
豺、ヤマイヌ、
とあり(字源)、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
豺、
は、
「狼の屬、狗の聲なり」とあり、〔爾雅、釈獣〕に「豺は狗足なり」とする。〔礼記、王制〕に「獺(だつ)(かわうそ)、魚を祭る」に対して「豺、獸を祭る」という語があり、しかるのち田猟のことが行われた(字通)、
とあり、
狼、
は、後述するように、
「犬に似て鋭頭白頰(はくけふ)、高前廣後なり」という。その鳴く声は小児に似ているが、暴虐の甚だしいものとして恐れられた。〔左伝、宣四年〕「是の子や、熊虎(ゆうこ)の状、豺狼の聲なり。殺さずんば必ず若敖(じやくがう)氏を滅ぼさん」とみえる。狼藉(ろうぜき)・狼狽(ろうばい)はいずれも狼とは関係がなく、仮借の語。良は風箱で穀の良否をよりわける器。反覆してはげしく動かすものであるから、繆戻(びゆうれい)の意を含む語に用いることがある。狼戻(ろうれい)は双声の連語。〔広雅、釈詁三〕に「很(こん)なり」、〔釈詁四〕に「盭(れい)なり」とあり、繆戻の意に用いる(字通)、
とある。
「狼」(ロウ)は、
会意兼形声。「犬+音符良(冷たくすみきった)」。冷酷な動物の意、
とある(漢字源)が、
「会意形声文字」と解釈する説があるが、誤った分析である、
とされる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8B%BC)ため、他は、
形声。「犬」+音符「良 /*RANG/」。「おおかみ」を意味する漢語{狼 /*raang/}を表す字(仝上)。
形声。犬と、音符良(ラウ)とから成る(角川新字源)
形声文字です(犭(犬)+良)。「耳をたてた犬」の象形(「犬」の意味)と「穀物の中から特に良いものだけを選び出す為の器具」の象形(「よい」の意味だが、ここでは「浪(ロウ)」に通じ(「浪」と同じ意味を持つようになって)、「なみ」の意味)から、押し寄せるなみのように群れをなしておそう「おおかみ」を意味する「狼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2586.html)、
形声。声符は良(りよう)。〔説文〕十上に「犬に似て鋭頭白頰(はくけふ)、高前廣後なり」という。その鳴く声は小児に似ているが、暴虐の甚だしいものとして恐れられた。〔左伝、宣四年〕「是の子や、熊虎(ゆうこ)の状、豺狼の聲なり。殺さずんば必ず若敖(じやくがう)氏を滅ぼさん」とみえる。狼藉(ろうぜき)・狼狽(ろうばい)はいずれも狼とは関係がなく、仮借の語。良は風箱で穀の良否をよりわける器。反覆してはげしく動かすものであるから、繆戻(びゆうれい)の意を含む語に用いることがある。狼戻(ろうれい)は双声の連語。〔広雅、釈詁三〕に「很(こん)なり」、〔釈詁四〕に「盭(れい)なり」とあり、繆戻の意に用いる(字通)、
と、すべて形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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はだすすき尾花逆葺(さかふ)き黒木もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに(元正天皇)
の、
はだすすき、
は、
穂の出ないすすき、
をいい、
穂の出たすすき、
を、
尾花、
という(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。
逆葺(さかふ)き、
は、
すすきの先を下に向けて葺くことをいう。普通は根を下に向ける、
とあり(仝上)、
黒木、
は、
皮がついたままの材木、
をいう(仝上)。万葉集の注釈・研究書『万葉集古義』(鹿持雅澄(かもちまさずみ)著、1844年(弘化元)完成)に、冒頭の歌の注釈に、
尾花の穂の方を下にして葺くを云ふ、
とあるように、
ふつうとは逆に、茅(かや)の穂先を下に向けて屋根をふくこと、
また、
そのようにしてふいた屋根、
をいう(精選版日本国語大辞典)。
ススキ、
は、
尾花、
で触れたように、
薄、
芒、
と当て、
群がって生える草の総称、
であったものが、
尾花、
に特定しても使う(広辞苑)ようになる。また屋根を葺くのに使う。
茅・萱(かや)、
の主要な一種ともなっている(仝上)。かつては、
茅(かや)、
と呼ばれ、農家で茅葺(かやぶき)屋根の材料に用いたり、家畜の餌として利用することが多かった。そのため集落の近くに定期的に刈り入れをするススキ草原があり、これを茅場(かやば)と呼んでいた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%82%AD)。
平安中期の倭名抄(廿巻)には、
薄、波奈須須岐、
とあり、安政六年(1859)頃成立の『雅俗随筆』には、
今は尾花を、すすきと云へど、古くは、群がり繁る草を、すべて、すすきと称ひ、爾雅、露草に、草聚生曰薄と云ふに従ひ、薄の字をすすきと訓ませたり、和名抄、廿巻草名、見可し、
とある。
かや、
は、
刈萱(かるかや)、
で触れたように、
萱、
茅、
草、
と当て(岩波古語辞典)、古くから、
屋根材や飼肥料などに利用されてきたイネ科、カヤツリクサ科の大型草本の草本の総称、
で(日本語源大辞典)、
ススキ、
スゲ、
チガヤ、
等々を指す(仝上)。その意味で、
草、
葺草、
を当てて、
刈りて屋根を葺く物の意、
の、
かや、
と、
茅、
萱、
と当てて、
屋根を葺くに最良なれば、カヤの名を専らにす、
ために、和名類聚抄(931〜38年)に、
萱、加夜
とあるように、
その草の名とした、
かや、
とを区別している『大言海』は卓見というべきである。なお、「チガヤ」については、「浅茅生」で、触れた。
かや、
は、
ネやムギなどの茎(藁)は水を吸ってしまうのに対し、茅の茎は油分があるので水をはじき、耐水性が高い。
この特徴から茅の茎は屋根を葺くのに好適な材料、
であった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A4_(%E8%8D%89))ので、屋根を葺くために刈り取った茅をとくに、
刈茅(かるかや)、
と呼び、これを用いて葺いた屋根を、
茅葺(かやぶき)屋根、
と呼んだ(仝上)。
以前の日本では最も重要な屋根材として用いられた。
浅茅生(あさぢふ)、
で触れたように、
茅、
を、
かや、
と訓ませると、
萱、
とも当て、
チガヤ・ススキ・スゲ等々、屋根を葺く箆に用いる草本の総称、
を言う(広辞苑)。これは、
「茅」は、「ち」で、「ちがや」をさすが、「ちがや」は、屋根を葺く草の代表的なものなので、「かや」に当てられた、
とある(日本語源大辞典)。ただ、
萱、
の字は、本来、
萱草、
で触れたように、
ユリ科の植物カンゾウ(萱草)、一名ワスレグサで、「かや」の意に用いるのは誤り、
とある(仝上)。
倭名抄、名義抄などの「かや」には「萓」を当てており、字形が似ているため後世誤ったもの、
ともある(仝上)。
ちがや、
は、
茅、
とあて、
古名は、
茅(ち)、
で、和名類聚抄(931〜38年)には、
茅、智、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)には、
茅根、知之禰、
天治字鏡(平安中期)には、
茅、知、
とあり、
イネ科の多年草、
日当たりのよい空き地に一面にはえ、細い葉を一面に立てた群落を作り、白い穂を出す、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4)。春、葉より先に柔らかい銀毛のある花穂をつける。この花穂を、
茅花、
とあてて、
つばな、
ちばな、
といい、強壮剤とし、古くは成熟した穂で火口(ほぐち)をつくった。茎葉は屋根などを葺いた(広辞苑)。
万葉集に、春の蕾の時は、
戯奴(わけ)がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥えませ(紀女郎)、
とあるように、甘みがあって食べられる(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/tigaya.html)。以上のように、
カヤ(茅または萱)で屋根を葺くこと、
を、
かや葺き、
というが、
カヤはチガヤ、スゲ、ススキ、アシなどの異称、
とされ、いずれも屋根葺き材料として使用できるので、藁葺きを除くすべてを、
草葺き、
と考えてよい(日本大百科全書)。『顕宗(けんそう)紀即位前紀』にみえるいわゆる「室寿(むろほぎ)の歌」には、
草葉、
と記して「かや」と訓じ、『古事記』で、
訓葺草、云加夜、
と記している(仝上)。
なお、日本建築の屋根を葺き材で分けると、
本瓦葺き、
桟瓦(さんがわら)葺き、
檜皮葺き(ひわだぶき)、
杉皮葺き、
茅葺き、
こけら(柿)・栃・長板などの板葺き、
銅瓦葺き、
銅板葺き、
鉄板葺き、
スレート葺き、
等々があり(世界大百科事典)、古くは、
寺院は瓦葺き、
神社は茅葺き。
が本来の姿で、今日でも伊勢神宮は茅葺きの伝統を伝えている。
檜皮葺き、
はヒノキの樹皮を、
柿(こけら)葺き、
は薄く割った木片を葺いたもので(こけらについては触れた)、柿葺きは厚さ2mmくらいの薄板のものをいい、4〜7mmのものを、
木賊(とくさ)葺き、
9〜30mmの厚いものを、
栩(とち)葺き、
などという(世界大百科事典)。瓦作りの技術は、中国から朝鮮を経て、寺院建築とともに日本に伝えられたが、それは、
本瓦葺き、
で、飛鳥時代に中国、朝鮮から伝来した寺院建築によってもたらされたもので、以来、宮殿、城郭建築、民家などに広く用いられてきた。瓦といえば、今日では一般に桟瓦を連想するが、古くは丸瓦と平瓦を組み合わせて葺き上げていく方法、すなわち本瓦葺きが基本的な葺き方であった、
とある(仝上)。ちなみに、
本瓦葺き、
は、
本葺き、
ともいい、
平瓦と丸瓦とを交互に組み合わせて屋根をふくこと。また、その屋根、
をいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
桟瓦(さんがわら)、
は、
横断面が波状をした瓦。一枚で、本瓦ぶきの平瓦・丸瓦の両方を兼ねるもの、
をいい、江戸中期に作られ、以後、一般住居に用いられるふつうの瓦である。
「逆」(漢音ゲキ、呉音ギャク)は、
会意兼形声。屰(ギャク)は、大の字型の人をさかさにしたさま。逆は「辵+音符屰」。逆さの方向にすすむこと、
とある(漢字源)。同じく、
会意形声。辵と、屰(ゲキ、ギヤク)(上下をさかさまにした人の形)とから成り、向こうからやってくる人を「むかえる」の意を表す。また、「さからう」意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(辶(辵)+屰)。「立ち止まる足の象形と十字路の右半分象形」(「行く」の意味)と「さかさまにした人」の象形から「さからう」・「さかさま」を意味する「逆」という漢字が成り立ちました。また、「迎」に通じ(「迎」と同じ意味を持つようになって)、「迎える」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji734.html)、
と、会意兼形声文字とするものと、
形声。「辵」+音符「屰 /*NGRAK/」。「むかえる」を意味する漢語{逆 /*ngrak/}を表す字。のち仮借して「さからう」を意味する漢語{逆
/*ngrak/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%86)、
形声。声符は屰(ぎゃく)。屰は向こうから人の来る形。人の正面形である大の倒形。これを道に迎えることを「逆(むか)う」という。〔説文〕二下に「迎ふるなり」とあり、卬(こう)は人の左右相対する形。周初の金文〔令𣪘〕に「用(もっ)て王の逆造(げきざう)に饗す」とあり、逆造は出入・送迎のことをいう。屰は倒逆の形であるから、また順逆の意となる(字通)、
と、形声文字とするものとに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(むろ)は座(ま)せど飽(あ)かぬかも(元正天皇)
の詞書(ことばがき 和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、
左大臣長屋王(ながやのおほきみ)が佐保の宅(いへ)に御在(いま)して肆宴(とよのあかり)したまふときの御製、
とある、
肆宴(とよのあかり)、
は、
天皇の饗宴、
とあり、
ここは室寿(むろほ)ぎ。室寿ぎは冬に行なわれるのが習い、
と注記がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
豊のあかり、
は、
豊の明かり、
豊明、
等々と当て、
宴会、
酒宴、
をいい、主として、
朝廷で儀式のあとなどに行われる宴会、
を指す(デジタル大辞泉)。
豊のあかり、
五節の舞、
で触れたように、
豊は称辞なり、あかりは、御酒(みき)にて顔の照り赤らぶ義と云ふ(大言海)、
トヨは美称、アカリは顔の赤らむ意(広辞苑)、
夜を日をついてせ酒宴するところから(和訓栞)、
タユノアケリ(寛上)またはタヨナアケリ(手弥鳴挙)の義か(言元梯)、
アカリは供宴に酔いしれて顔がほてっている様子から、トヨはそれを賛美する語(国文学=折口信夫)、
とあるが、素直に、
御酒(みき)にて顔の照り赤らぶ義、
ということだろう。
昨日神ニ手向奉リシ胙(ひもろぎ 神に供える肉)ヲ、君モ聞食(きこしを)シ、臣ニモ賜ハン為ニ、節会ヲ行ハルルナリ(室町時代「塵添壒嚢鈔(じんてんあいのうしょう)」)、
と、
祭祀の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼)、
である、
直会(なおらい 神社における祭祀の最後に、神事に参加したもの一同で神酒をいただき神饌を食する行事)、
の性格があり、
大嘗祭の祝詞の、
千秋五百秋(ちあきのながいほあき)に平らけく安らけく聞食(きこしを)して、豊明に明り坐(ま)さむ、
や、中臣神寿詞の、
赤丹(あかに)の穂に聞食して、豊明に明り御坐(おは)しまして、
などの例を引き、
豊明に明り坐(いま)す、
という慣用句が、宴会の呼称として固定したものであり、
豊は例の称辞、明はもと大御酒を食て、大御顔色の赤らみ坐すを申せる言、
と説く本居宣長『古事記伝』の解釈が最も妥当とみられる(国史大辞典)とある。だから、
豊のあかり、
は、意味としては、上述の、
赤丹(あかに)の穂に聞食して、豊明に明り御坐(おは)しまして(中臣の寿詞)、
と、
酒に酔って顔の赤らむ、
ことだから、
宴会、
饗宴、
を意味する(広辞苑)が、特に、
天皇聞看豊明之日(古事記)、
あをによし奈良の都に万代に国知らさむとやすみしし我が大君の神ながら思(おも)ほしめして豊の宴見(め)す今日の日は(万葉集)、
と、
泛(ひろ)く、朝廷の御宴会の称、
で、
豊穣(ゆたか)なる酒宴、
大宴会、
節会、
をいう(大言海・広辞苑)が、また、限定して、
豊明節会(とよあかりのせちえ)の略、
の意としても使う。
豊明節会(とよあかりのせちえ)、
は、古え、
新嘗祭の翌日(陰暦十一月、中の辰の日、大嘗祭の時は午(うま)の日)、天皇新穀を召しあがり、群臣にも賜ふ儀式、
をいい、
吉野の国栖(くず)、御贄(みにえ)を供し、歌笛を奏し、治部省雅楽寮の工人は立歌を奏し、大歌所の別当は、歌人を率ゐて五節の歌を奏し、舞姫、参入して五節の舞を演ず、
とある(大言海・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
新嘗祭、
は、
にいなめ、
で触れたように、
にひなへ、
にはなひ、
ともいい(仝上・岩波古語辞典)、また、「新嘗」を、
シンジョウ、
とも訓ますが、
宮中にて行はせらるる神事、古へは陰暦十一月、下の卯の日(三卯のあるときは中の卯の日 今は陽暦、十一月二十三日)に、其年の新稲を始めて神に奉らせたまひ、主上、御躬(みずから)も聞し召す、
とあり(大言海・精選版日本国語大辞典)、宮中神嘉殿(しんかでん 平安大内裏の中和院(ちゅうかいん)の正殿の称。天皇が神をまつるところ)にて行われるこの儀式を、
新嘗祭(にいなめさい・にいなめまつり・しんじょうさい・しんじょうえ)、
といい、
當年の新稲を以て酒撰を作り、天照大神を始め奉り、普く天神地祇に饗(あ)へ給ひ、天皇御躬らも聞し食し、諸臣にも賜る式典、
で(大言海)、
稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する祭儀、
である(仝上)。なお、天皇の即位の年、一代一度行うのを、
大嘗祭(だいじょうさい・おおにえまつり・おおなめまつり・おおんべのまつり)、
といい、
天皇は新しく造られた大嘗宮の悠紀殿ついで主基殿(東(左)を悠紀(ゆき)、西(右)を主基(すき)という)、
で行う(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。一世一度の新嘗であるから、
大新嘗(おおにいなめ)、
ともいう(仝上)。
にいなめ、
は、
古へは、朝家のみならず、民間にもせし饗(あへ)なり、いたく斎み謹みて、神に祭るを主(むね)として、其餘の人にも饗へ、自らも食したるなり。後世、九月日待と云ひ、村村にて鎮守の神の縁日に祝ひ饗することあるは、其遺風なり、
とある(大言海)。
新粟(にひしね 新米)の初嘗(なへ)して、家内諱忌(ものいみ)せり(常陸風土記)、
とあり、
新粟嘗(にひなへ)、
と訓ます(仝上)。
大嘗祭、
は、
御嘗(おほんべ)、
で触れたように、
践祚大嘗祭、
つまり、
天皇即位の年、
に行うが、
七月以前即位、当年行事、八月以後、明年行事、
とあり(太政官式)、
受禅即位が七月以前ならばその年の、八月以後ならば翌年の、諒闇登極(りょうあんとうきょく 服喪期間の即位)の場合は諒闇後の、一一月の下の卯の日(三卯ある時は中の卯の日)より始まり、辰の日の悠紀節会、巳の日の主基節会、午の日の豊明節会にいたる四日間にわたって行なわれる。辰の日以後は諸臣と饗膳を共にする節会である、
という(精選版日本国語大辞典)、で、
佳日は、陰暦十一月中卯日にて、場所は、朝堂の庭上、後には、紫宸殿の南庭にて行はせらる。初、龜卜を以て、豫め京都より東西の地方に、悠紀(ゆき)、主基(すき)の國郡を定め給ひ、斎田を立てて稲を作らしめ御饌(みけ)とし、又、白酒(しろき)、黒酒(くろき)を醸さしむ。次に、大嘗宮を設け、柴垣にて四方に神門を建て、其内に、東に悠紀(ゆき)殿、西に主基(すき)殿を建てらる(南北五閨A東西三閨j。すべて黒木茅葺作りなり(壁床は、近江筵(むしろ)なり)。此内にて祭をせらる。初夜は悠紀、後夜は主基にて行はせらる。北に廻立殿あり、此は、御浴御更衣の處とす。次に、斎田より奉れる新稲を天照大神、及天神地祇に饗(そな)へたまひ、天皇御親らも聞こしめし、臣下にも賜へり。中臣氏、天神(あまつかみ)の壽詞(よごと)を奏し、悠紀、主基(すき)の国司、其国の風俗歌を奏し、標(しるし)の山を殿庭に引きわたす。翌日節会あり、五節舞を奏す、
といい(大言海)、
大嘗宮、
は、
祭に先つこと七日始めて工を起し五日にして造り畢る、東西廿一丈南北十五丈、之を中分して東を悠紀殿とし西を主基殿とする、外は囲らすに柴垣を以てし、内に屏籬を以て隔て東西南北に各小門を設け別に廻立殿(天皇沐浴斎服著御の所)膳屋(神饌調進の所)あり、当日天皇廻立殿に行幸、御沐浴斎服著御の上悠紀の正殿に御す、やがて吉野の国栖古風を奏し、悠紀の国司歌人を率ゐて国風を奏し、隼人司は隼人を率ゐて風俗の歌舞を奏し、次に天皇親ら神饌清酒を神祇に供し、亦御親ら召させ給ふ。次に廻立殿に還御、更に沐浴斎服を改め主基の正殿に御し国栖以下の奏及び薦享の式悠紀に同じである、
とある(東洋画題綜覧)。大嘗宮は黒木(皮つきの丸木)で新造された悠紀・主基の両殿から成るが、
それぞれに同じく〈神座(かみくら)〉〈御衾(おぶすま)〉〈坂枕(さかまくら)〉などが設けられて、悠紀殿ついで主基殿の順で天子による深更・徹宵の秘儀が行われた、
が、秘儀だけにその詳細は知りがたいが、内部の調度より推定すれば、
天子はそこに来臨している皇祖神、天照大神(あまてらすおおかみ)と初穂を共食し、かつ祖霊と合体して再生する所作を行ったらしい。聖別された稲を食することで天子は国土に豊饒を保証する穀霊と化し、さらに天照大神の子としての誕生によって天皇の新たな資格を身につけた、
ものと考えられる(世界大百科事典)とある。なお、
直会(なおらい)、
は、
おほなほび、
で触れたように、
動詞直(なほ)るに反復・継続の接続詞ヒのついたナホラフの体言形(岩波古語辞典)、
ナオリアイの約。斎(いみ)が直って平常にかえる意(広辞苑)
ナホリアヒ(直合)の義(大言海)、
平常に直る意(日本語源=賀茂百樹)、
直毘の神の威力を生じさせる行事の意(上世日本の文学=折口信夫・金太郎誕生譚=高崎正秀)、
等々諸説あるが、
神事(異常なこと)が終わった後、平常に復するしるしにお供物を下げて飲食すること、またその神酒(岩波古語辞典)、
神事が終わって後、神酒、神饌をおろしていただく酒宴、またその神酒(広辞苑)、
という意味である。
「肆」(シ)の異体字は、
𢑨、𢑩、𦘨(古字)、𨽸、𨽽、𩬶、𩭞、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%86)。字源は、
会意文字。もと「長(ながい)+隶(手でもつ)」。物を手にとってながく横にひろげて並べることをあらわす。のち肆(長+聿)と誤って書く、
とあり(漢字源)、字通も、
会意。正字は镸+隶に作り、镸(ほう)+隶(たい)。镸は髟、長髪のものをいう。镸+隶はその獣尾をもつ形。獣尾をとらえることを逮という。隶は手が尾に及ぶ意。字の構造は隷と似ており、隷は呪霊のある獣を用いて、禍殃を他のものに転移する呪儀。これによって禍殃を他に移すことを「隷(つ)く」といい、転移されたものを隷といい、隷属・奴隷の意となる。肆はおそらくこれによって人に死をもたらすもので、〔説文〕九下に「極陳なり」と訓し、隶声とする。極は殛、極陳とは殺して肆陳することをいう。〔周礼、秋官、掌戮〕に「凡そ人を殺す者は、諸(こ)れを市に踣(たふ)し、之れを肆(さら)すこと三日」とあり、それが字の原義。それより肆陳・放肆の意となり、肆赦の意となる。〔左伝、昭十二年〕「昔、穆王其の心を肆(ほしいまま)にせんと欲す」とは放肆、〔書、舜典〕「眚災(せいさい)は肆赦す」は赦免の意である。金文にこの字を〔毛公鼎〕「肆(ゆゑ)に皇天日+矢(いと)ふこと亡(な)し」のように接続の語に用い、〔詩、大雅、抑〕「肆に皇天尚(つね)とせず」というのと語法同じ。人を肆殺することが字の原義。他は引伸・仮借の義である、
とするが、これら、
会意文字と解釈する説があるが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
と否定し(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%86)、
形声。「長」+音符「𢑩」の略体、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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沫雪(あわゆき)の保杼呂保杼呂尓(ホドロホドロニ)に降り敷けば奈良の都し思ほゆるかも(大伴旅人)、
の、
沫雪(あわゆき)、
は、
白く細かい泡のような雪、
の意で、
ほどろほどろに、
は、
雪などが薄く降り積もるさま、
をいい、
ほどろ、
は、
はだら、
はだれ、
ともいう(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。
沫雪、
は、
泡雪、
とも当て、
泡のようにやわらかく溶けやすい雪、
をいい(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
栲綱(たくづの)の白き腕(ただむき)阿和由岐能(アワユキノ)若やる胸をそだたきただきまながり(古事記)
沫雪之(あわゆきの)消(け)ぬべきものを今までにながらへぬるは妹に逢はむとそ(万葉集)、
などと、枕詞として、
沫雪がやわらかいところから「若やる」、
また、
消えやすいところから「消(け)ぬ」、
にかかる(精選版日本国語大辞典)。なお、
「万葉集」から「後拾遺集」までは多く冬の景物であったのが、「源氏物語・若菜」では女三宮が「はかなくて上の空にぞ消えぬべき風にただよふ春のあは雪」と、不安定な我身を今にも消えそうなはかない春の淡雪にたとえ、「新古今集」では春の景物に変わっている、
とあり、その分岐点は「堀河百首」のころで、
沫雪、
から、
淡雪、
へと転じ、語義内容を膨らませながら季も変化を遂げたらしい(仝上)とある。『大言海』は、
淡雪、
の項で、
沫雪(あわゆき)と意は同じけれど、別に此の語あるなり。誤りてはあらず、『雅言集覧(がげんしゅうらん)』(石川雅望著、幕末の国語辞書)、あはゆき「春の雪の淡々しきを、後世に云へり」、
とある。
ほどろほどろに、
は、
斑斑、
とあて(大言海)、
「ほどろ」を重ねて強調した語、
で(精選版日本国語大辞典)、
はだれ、
で触れたように、
ほどろ、
は、
雪などがうっすらと降り積もるさま、
をいい、
はだら、
はだれ、
ともいい、
うっすらと地面に降り積もる、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ほどろ、
は、
我が背子を今か今かと出てみれば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに(万葉集)、
と、
(雪などが)はらはらと散るさま、
また、
雪などがまだらに降り積もるさま、
の意で、
夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり一云庭も保杼呂尓(ホドロニ)雪そ降りたる(万葉集)、
と、
はだら、
と、
まだら、
と同義で使ったり、
夜の穂杼呂(ほドロ)吾が出でて来れば吾妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影に見ゆ(万葉集)、
と、
密なるものが次第に粗になるさま、
で、
夜のほどろ、
というように、
夜が徐々に、ほのかに明け始めるころ、
の意でも使う(仝上)。この場合は、
夜の闇がくずれ散る、
という含意になる。この、
ほどろ、
の、
ほど、
が、のちに、
ほど(程)、
の意に誤解されたことで、
翁(おきな)かく夜のほどろに参りて(宇津保物語)、
と、もっぱら、
夜のほどろ、
の形で、
ころ、
時分、
の意で使われるに至る(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
「泡」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)は、
会意兼形声。包は、胎児を丸く包んだ形を描いた象形文字。胞(ホウ 胎児を包む子宮膜、えな)の原字。泡は「水+音符包」で、丸くふくれる、包むの意を含む、
とあり(漢字源)、同じく、
会意兼形声文字です(氵(水)+包)。「流れる水」の象形と「人が手を伸ばして抱え込んでいる象形と胎児の象形」(「包む」の意味)から、空気を中に包んでできた「あわ」を意味する「泡」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2033.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。水と、音符包(ハウ)とから成る。「あわ」の意を表す(角川新字源)、
形声。「水」+音符「包 /*PU/」。{泡 /*phruu/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%A1)、
形声。声符は包(ほう)。包に包みこまれたものの意がある。〔説文〕十一上は水名とするが、〔方言、二〕や〔広雅、釈詁二〕に「盛んなり」とあり、泡立つような水の状態をいう。〔漢書、芸文志、注〕に「水上の浮漚(ふおう)なり」とあり、泡沫の意(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
地大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代(しろ)にそへてだに見む(安倍奥道)
の、
そへてだに見む、
の、
そふ、
は、
よそふ、
に同じで、
準える、
とし、
(梅の花が咲かない代わりに)せめてそれを梅の花とでも思って見ように、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、
よそふ、
で触れたように、
物の本質や根本に近寄せ、関係づけるものの意、つまり、口実・かこつけ・手がかり・伝聞した事情・体裁などの意。類義語ユエ(故)は、物事の本質的・根本的な深い原因・理由・事情・由来の意、
とあり(岩波古語辞典)、
言寄せる、
事寄せる、
という言い方の、
寄せる、
と同じく、
何かに託す、
という含意で、
準える、
が、
直接的にそれを比較するのに対して、
なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも、音にも、よそうべき方ぞなき(源氏物語)、
と、
指すことをあらはに言はず、他事に託す、寄せ比ぶ、
という意味になる(大言海)。で、
梅の花咲かぬがしろに擬(そ)へてだに見む、
と、
擬(そ)ふ、
とあてているものもある(学研全訳古語辞典)。ちなみに、
しろ(代)、
は、
かわりとなるもの、
代用、
の意である(精選版日本国語大辞典)。
たな霧らふ、
は、
すっかりかき曇って、
の意で、
空一面にかき曇って、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
たな霧らふ、
は、
棚霧らふ、
とあて、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ
の、自動詞ハ行四段活用で、
タナはタナ(棚)と同根、横になびく意、キラフは霧るに反復・継続の接尾語フのついた形(岩波古語辞典)、
動詞「たなぎる」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」が付いて一語化したもの(学研全訳古語辞典)、
動詞「たなぎる(棚霧)」の未然形に、反復・継続の助動詞「ふ」の付いたもの(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
棚霧合(たなぎりあひ)の義。日本釈名「曀、翳也、言掩翳日光使不明也(大言海)、
等々として、
雲が空全体に広がる、
霧が一面にかかる、
霧、霞が一面にたちこめる、
一面にかき曇る、
といった意になる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。
たな、
は、接頭語で、
棚と同根(岩波古語辞典)、
動詞に付いて、
たな曇(ぐも)る、
たな知る、
たな引(び)く、
等々のように、
すっかり、
まったく、
十分に、
一面に、
しっかり、
たしかに、
などの意を添える(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。
棚霧る、
は、接頭語
たな、
をつけて、
一面に曇る、
霧が一面にかかる、
意になる(精選版日本国語大辞典)が、その、
霧(き)る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
霞(かすみ)立ち春日(はるひ)の霧れるももしきの大宮所(おほみやどころ)見れば悲しも(万葉集)、
と、
霧や霞がたちこめる、
曇る、
かすむ、
意で、それをメタファに、
御髪(ぐし)かき撫でつくろひ、おろし奉り給ひしをおぼし出づるに、目もきりていみじ(源氏物語)、
と、
涙で目が曇る、
目がかすんではっきり見えない、
意でも使う(仝上・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。なお、
ふ、
は、
さもらふ、
さひづらふ、
で触れたように、
四段活用の動詞を作り、反復・継続、
の意を表し(岩波古語辞典)、
糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろひてしはぶかひ(貧窮問答)
では、
繰り返し……する、
何度も……する、
と、反復の意で、
三輪山(みわやま)をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(万葉集)、
では、
……し続ける、
ずっと……している、
と、継続の意で使われている。
例えば、「散る」「呼ぶ」と言えば普通一回だけ、散る、呼ぶ意を表すが、「散らふ」「呼ばふ」といえば、何回も繰り返して散る、呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は、四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形のあとに加わって成立したもの、
とあり(岩波古語辞典)、その際の動詞語尾の母音の変形に三種あり、
[a]となるもの ワタルがワタラフとなる、
[o]となるもの ウツルがウツロフとなる、
[Ö]となるもの モトホル(廻)がモトホロフとなる、
例があるが、これは、
末尾の母音を同化する結果生じた、
とする(仝上)。この接尾語とされる、
ふ、
は、上代、
助動詞として用いられた、
とされ(学研全訳古語辞典)、中古になると、
語らふ、
住まふ、
慣らふ、
願ふ、
交じらふ、
守らふ、
呼ばふ、
等々、特定の動詞の活用語尾に残るだけとなり、接尾語化した(仝上)とされ、。中古以降は一語の動詞の一部分と化した。
たなぎらふ、
に似た、
天をかき曇らせる、
意の、
天霧る、
については触れた。また、
水霧相(みなぎらふ)沖つ小島(こじま)に風をいたみ舟よせかねつ心は思へど(万葉集)
と、
水霧(みなぎ)らふ、
という言い方もあり、この場合は、
水しぶきが立ち続ける、
意となる。なお、
霧が立ちこめる、
意の、
キ(霧)ル、
の、
キ、
は、
上代には乙類である、
のに対し、
漲(みなぎら)ふ、
の、
ギ、
は甲類なので別語(精選版日本国語大辞典)とある。
「霧」(漢音ブ、呉音ム)は、「天霧る」で触れたように、
会意兼形声。務は、手探りして求める意を含む。霧は「雨+音符務」で、水気がたちこめて手探りして進むことを表す、
とある(漢字源)。ただ、他は、
形声。「雨」+音符「務 /*MO/」。「きり」を意味する漢語{霧 /*m(r)os/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%A7)、
形声。雨と、音符敄(ブ、ム)(または、務(ブ、ム))とから成る。「きり」の意を表す(角川新字源)、
形声文字です(雨+務)。「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形と「矛(ほこ)の象形とボクッという音を表す擬声語と右手の象形と力強い腕の象形」(「矛で打ちかかる⇒務(つと)める(精一杯、仕事を行う)」の意味だが、ここでは、「冃(ボウ)」に通じ、「覆う」の意味)から、天と地の間にたちこめて(一面に広がって)覆う「きり」を意味する「霧」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji339.html)、
形声。正字は雨+矛+攵に作り、矛+攵(ぼう)声。矛+攵に矛+攵+目(くら)い意がある。〔説文〕十一下に「地气發して、天應ぜざるを雨+矛+攵と曰ふ」(段注本)とし、また籀文(ちゆうぶん)として雨+矛の字を録する。〔釈名、釈天〕に「冒(おほ)ふなり。气、蒙亂して、物を覆冒するなり」と冒の声義を以て説く。矛+攵声に冥昧の義があり、冥・蒙・夢と声義が近い(字通)、
と、形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
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たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代(しろ)にそへてだに見む(安倍奥道)
の、
たな霧らふ、
は、
すっかりかき曇って、
の意で、
空一面にかき曇って、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
そへてだに見む、
の、
そふ、
は、
よそふ、
に同じで、
準える、
とし、
(梅の花が咲かない代わりに)せめてそれを梅の花とでも思って見ように、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、
咲かぬが代(しろ)に、
の、
代(しろ)、
は、
本物に代わって、本物と同じ機能を果たすもの、
の意(岩波古語辞典)、
で、
塩代の田(塩ノ代リニ献上スル田)(播磨風土記)、
と、
かわりとなるもの、
代用。
の意で(仝上・精選版日本国語大辞典)、そこから、
食のならば、我が家に死たる魚多かり。其を此の蟹の代に与へむ(今昔物語集)、
と、
かわりとして支払う、または、受けとる金銭や物品、
の意で、
代金、
代価、
代物(だいもつ)。
値段、
抵当、
かた、
などの意や、
壁代、
というように、
その用となる、もとの物、
もと、
材料、
の意や、
早乙女の山田のしろに下り立ちて急げや早苗室のはや早稲(栄花物語)、
と、
田代(たしろ)、
苗代(なわしろ)、
というように、
田、
田地、
の、
水田として開かれた湿地、
を言ったり、それとの関連で、
しろかき(代掻き)、
と、
田に水を入れた状態で、土の塊を細かく砕く作業。田面に散布した肥料を混和するとともに、表面の土を柔らかくして田面を均平にし、また水田の漏水を抑える、
意で使う(仝上・日本大百科全書)が、これは、古代、
令制前における田地の面積の単位、
として使われ、
古記曰。慶雲三年九月十日格云。……令前租法。熟田百代。租稲三束(「令集解(706)」)
と、一代は、
段の五〇分の一、
で、
大化の改新の詔(645年)・大宝令(たいほうりょう)制(701年)・和銅六年(713年)の制などの七歩二分、大化・大宝の中間の制での五歩にあたる、
とある(精選版日本国語大辞典)のと関わる。令制下では、
町・段・歩制が用いられたが、「代」の単位も残存し、中世末期まで田地目録などに見える。ただし、中世では、「代」に「たい」の読みをあてていたものと思われる。日本書紀の古訓では「頃」の字に「しろ」をあてたものがある、
という(仝上)。こうみると、
しろ(代)、
の由来は、
代用、
の意味と、
田代、
と、田にかかわるものとは、別由来の可能性がある。『大言海』は、前者を、
標(しるし)の、シリと約まり、シロと転じたるか、
とし、後者は、
敷廣(シキヒロ)の意、
と区分し、
田を作るべく、墾(は)りし土地、
田作りの料の地、
上古、高麗尺の、方六尺を歩とし、五歩を代(しろ)とす、
の意としている。平安時代の法制書『政治要略』(惟宗允亮(これむねまさすけ)編)に、
令前租法、熟田五十代、租稻一束五把、以大方六尺為歩、歩内得米一升(此大升也)二百五十歩為五十代(五十代、即ち、和銅歩法の一段也)、
とある。
前者の由来には、
他に、
シル(領)の義(言元梯)、
シルシ(著)、シルス(記)、シルシ(印・標・験)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
があり、後者には、他に、
百姓の身のシロ(代)を出す所であるところから(古今要覧稿)、
がある。しかし、
シロ(相当するもの・場所)です。縫代(ぬいしろ)、糊代(のりしろ)、苗代(なわしろ)等々、また、例年、松茸の良く出る場所をシロというのも、同源と思われる(日本語源広辞典)、
とする説が一番説得力がある。そして、この、
シロ(相当するもの・場所)、
は、
標(しめ)、
と通じるのではないか。
しめ、
は、
標、
注連、
と当て、由来については、
占むの連用形の名詞化から(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
シリクメナハの約なる、シメナハの略(大言海・東雅)、
シメ(閉)の義(大言海)、
シメ(締)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
自分が占めたことを標す義(国語溯原=大矢徹)、
これを張って出入をイマシメルところから(和句解・日本釈名・柴門和語類集)、
シヘ(後隔)の義(言元梯)、
等々の諸説あるが、意図はほぼ同じとみていい。なお、
注連縄、
で触れたように、
しめくりなは、
は、
注連縄、
尻久米縄、
端出縄、
などと当て、
「しめなは」の古語、
であり(広辞苑)、
布刀玉(ふとだま)の命、尻久米(クメ 此の二字は音を以ゐよ)縄を其の御後方(みしりえ)に控(ひ)き度(わた)して白言(まを)ししく(古事記)、
と、
端(しり)を切りそろえず、組みっぱなしにした縄、
の意である(仝上)
占む、
標む、
と当てる動詞があり、
物の所有や土地への立ち入り禁止が、社会的に承認されるように、物に何かを結いつけたり、木の枝をその土地に刺したりする意、
とある(岩波古語辞典)。だから、
占有のしるしをつける、
占有する、
という意味で、
閉める、
締める、
ともつながる。
標、
は、
後(おく)れ居て恋ひつつあらずは追ひ及(し)かむ道の阿囘(くまわ)に標(しめ)結へ吾が兄(せ)(万葉集)、
と、
山道などに、先づ行く人の、柴などを折りて牓示(しるし)とするもの、又は、牓示として、立つるもの、
で、もと、
縄を結び付けて、標(しるし)とせし故に(即ち、しめなは)、結ふという、
とあり(大言海)、それが、
如是(かか)らむと豫(か)ねて知りせば大御船泊(は)てし泊りに標(しめ)結はましを(万葉集)、
と、
占むること、
の意に転じ、
物事に限りを立て、入るを禁ずる、僚友の標に付け置くもの、
の意に絞られ(仝上)、
かくしてやなほやなりなむ大荒城(おほあらき)の浮田(うきた)の杜(もり)の標(しめ)にあらなくに(万葉集)、
と、さらに限定して、
神の居る地域、また、特定の人間の領有する土地であるため、立入りを禁ずることを示すしるし。木を立てたり、縄を張ったり、草を結んだりする、
意となり、
恋の相手を独占する気持や、恋の相手が手のとどかないところにいることなどを、比喩的に表現するのにも用いる、
とある(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)には、
五月五日、競馬立標、標、讀、師米(結縄法 縄を締めて標となす)、
とあり、平安後期の有職故実書『江家次第(ごうけしだい)』には、
木工寮、四面曳標、四角立標(人を入らせじとてなり)、
とある。こうなると、
標、
は、
注連縄、
の略となる。そうみると、
しろ(代)、
には、一貫して、
代わりになるもの、
の含意があると思えてならない。基本的に、
代用、
の意味と、
田代、
と、田にかかわるものとは、どちらが先か、先後ははっきりしないが、両者は同じ由来とみていいようである。ところで、
目代、
で触れたことだが、
目代、
は、
めしろ(目代・眼代)、
とも言い、
眼代(がんだい)、
ともいう(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。もともと「目代」は、
日本の古代末・中世において、地方官たる国守の代官として任国に下向(げこう)し、在庁官人を指揮して国務を行う人、
を指す(日本大百科全書)とあり、
本来は国守が私的に設けた政務補助者の総称であり、11世紀前半までは人数も1人とは限らず、
分配(ぶはい)目代、
公文(くもん)目代、
等々と称して国務を分掌していた。それが、11世紀後半に各国に留守所(るすどころ)ができ、その国の在地の領主である在庁官人が実質的に国務を切り回し、国守が遙任(ようにん)と称して任国に下向しなくなると、留守所の統轄者たる庁目代だけが目代といわれるようになる(仝上)とある。だから、平安・鎌倉時代の、
国守の代理人。任国に下向しない国守の代わりに在国して執務する私的な代官(精選版日本国語大辞典)
地方官の代理人。遥任(ようにん)や知行国の制が盛んになると、国司・知行国主はその子弟や家人(けにん)を目代として任国に派遣、国務を代行させた。目代は在庁官人を率い地方で実権を振るった(百科事典マイペディア)、
等々と説明され、
鎌倉時代以降、国司制度の衰退とともに消滅した、
とある(旺文社日本史事典)。鎌倉時代の法制解説書『沙汰未練書』に、
目代トハ、国司代官也、
とある。つまり、「目代」は元来、国司の四等官の、
守(かみ)、介(すけ)、掾(じよう)、目(さかん)、
のうち第四等官の目の代官の意味ともいわれる。また、
色代、
で触れたように、
色代、
は、
色体、
式体、
とも当て、
しきだい、
と訓むが、
しきたい、
とも訓ませる。
力なく面々に暇を請ひ、色代して、科の浜より引き分けて(太平記)、
と、
あいさつ、
会釈、
の意である。もともとは、
諸国年来間申請色代、望仏神事期給下文、以色代献之、公用間致事煩(御堂関白記・長和五年(1016)五月二二日)、
と、
他の品物でその代わりとする、
意で(広辞苑)、色代のことはすでに、
永保元年(1081)の若狭守藤原通宗解にみえ、その中で通宗は調絹1疋を代米1石あるいは1石5斗で納入したいと述べている。色代納はこののち室町時代に至るまで行われるが、米穀の代りとして雑穀や絹布またはその他の品を出す場合が多かった。色代納は、納入すべき品目が不足したため行われる場合もあったが、徴収する側あるいは納入する側が本来の品目と代納物との交換比率の高低を利用し利益を得ようとして行われる場合もあった、
とある(世界大百科事典)。
色代錢(しきたいぜに)、
というと、
平安時代、絹布などの物納の代わりに錢で納めさせたもの、
の意であり(仝上)、
色代納(しきたいのう・しきだいのう)、
というと、
中世に、年貢を米で納める代わりに、藁・粟・大豆・小豆・油・綿・布などで納める、
意で、
代納、
ともいい、これを、
いろだいおさめ、
と訓ませると、
江戸時代、米や錢を納めがたい時、藁・筵・糠・粟・綿・竹などいろいろなもので代納すること、中世の色代納(しきだいのう)の転じたもの、
とある(仝上)。
代、
は、
シロ→タイ→ダイ、
となっても、
代わり、
の意味は通底しているようだ。
「代」(漢音タイ、呉音ダイ)は、
形声。弋(ヨク)は、くいの形を描いた象形文字で、杙(ヨク 棒ぐい)の原字。代は「人+音符弋(ヨク)」で、同じポストにはいるべき者が互いに入れ替わること、
とある(漢字源)。「代理」「交替」と、一定のポストに人や物が入れ替わる意である(仝上)。他も、
形声。「人」+音符「弋 /*LƏK/」。「かわる」を意味する漢語{代 /*ləəks/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A3)、
形声。人と、音符弋(ヨク)→(タイ)とから成る。かわりの人、ひいて「かわる」意を表す(角川新字源)、
形声。声符は弋(よく)。代に古く忒(とく)の声があり、職部の韻に入ることが多い。〔説文〕八上に「更(かは)るなり」と更代の意とし、心部の忒字条十下に「更るなり」とあって同訓。代・忒の字の従う弋は、おそらくもと尗(しゆく)に作る字で、尗は戚(まさかり)の初文。その尗(戚)を呪器として、更改の呪儀を行うことを代といい、忒というのであろう。ゆえにともに更改の意がある。更改の意をもつ更・改・變(変)は、すべてその呪的な方法を示す字で、みな攴(ぼく)に従い、その呪器を殴(う)つ意を示す。㱾改のような呪儀も同じ。代は尗(戚)による呪儀で、これによって禍殃を改め、他に転移させることができた。そのように代替することから、代理・更代の意となる。世代の義も、更代からの引伸義であろう(字通)、
と、形声文字としているが、別に、
会意兼形声文字です(人+弋)。「横から見た人の象形」と「2本の木を交差させて作ったくいの象形」から人がたがいちがいになる、すなわち「かわる」を意味する「代」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji387.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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女郎花(をみなへし)はなの名ならぬ物ならば何かは君がかざしにもせむ(三条定方)
の詞書(ことばがき 和歌や俳句の前書き)で、
相撲(すまひ)の還饗(かへりあるじ)の暮つかた、女郎花を折りて敦慶(あつよし)の親王のかざしにさすとて、
とある、
相撲(すまひ)の還饗(かへりあるじ)、
は、
相撲の節会(陰暦七月下旬におこなわ れた宮中の年中行事)で、勝った方の大将が自邸で味方に対し催す饗宴、
とある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。この歌は、
その夕暮れ時、定方が女郎花の花を折って、敦慶親王の挿頭(かざし)に挿すというので詠んだ歌、
とあり、
敦慶親王が定方の家の娘と求愛の手紙を交わしていたが、娘のためには軽率だとて定方が結婚を許さなかった間のことであった、
される(仝上)とある。なお、
敦慶親王は宇多天皇の皇子で醍醐天皇の同母弟、
である(仝上)。
すまひのかへりあるじの暮れつかた、女郎花を折りて、あつよしのみこのかざしにさすとて、
の、
すまい(相撲)の還饗(かえりあるじ)、
は、上述のように、
宮中で相撲の節(せち)が行なわれたあとの饗宴が終わり、帰宅後、勝方の近衛大将が相撲人(すまいびと)たちを饗応する、
のをいい、
すまいのあるじ、
ともいうが、
賭弓(のりゆみ)のあと、勝者の大将が配下の射手を招いて催した宴、
は、
こののりゆみのあるじに、垣間見ての後は、伏し沈み、病になりてありしを(宇津保物語)、
と、
賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)、
といい、
賭弓の還立(かえりだち)、
とも、
賭弓の還立の饗(あるじ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、冒頭の歌にある、
かざし、
は、
挿頭、
挿頭華、
と当て、
秋萩は盛り過ぐるをいたづらにかざしに挿さず帰りなむとや(万葉集)、
と、上代、
草木の花や枝などを髪に挿したこと、また、挿した花や枝、
をいい、平安時代以後は、冠に挿すことにもいい、多く造花を用いた(デジタル大辞泉)とあり、
幸いを願う呪術的行為が、のち飾りになったもの、
とある(仝上)。古墳時代には、これを、
髻華(うず)、
といい、飛鳥時代には、髪に挿すばかりではなく、冠に金属製の造花や鳥の尾、豹(ひょう)の尾を挿して飾りとし、平安時代になって、冠に挿す季節の花の折り枝や造花を、
挿頭華(かざし)、
とよぶようになった。造花には絹糸でつくった糸花のほか金や銀製のものがあった。その挿し方は、
冠の巾子(こじ)の根元につけられている上緒(あげお)に挿すが、官位、儀式により用いる花の種類が相違し、大嘗会(だいじょうえ)には、
天皇菊花、
親王紅梅、
大臣藤花、
納言(なごん)桜花、
参議山吹、
と決められた(日本大百科全書)とある。
菊合、
で触れたように、
相撲(すまい)、
賭射(のりゆみ)、
は、
菊合、
歌合、
相撲(すまい)、
競馬(くらべうま)、
賭射(のりゆみ)、
など、
左方、右方に分かれ、たがいに物を出し合って優劣を競い、判者(はんじや)が勝敗の審判を行い、その総計によって左右いずれかの勝負を決める遊戯の総称、
である(広辞苑・世界大百科事典)、
競べもの、
の一種である(仝上)。
賭射(のりゆみ)、
は、
引折(ひきをり)、
で触れたように、平安時代の宮中年中行事の一つで、
錢を賭物(のりもの)にして、射中てたるもの、
とあり(大言海)、
射礼(じゃらい)、
の翌日、一般に正月十八日、
天皇が弓場殿(ゆばどの)で、左右の近衛府・兵衛府の舎人らが弓を射る競技を観覧した。勝った方には、
大将、射手に還饗(かへりあるじ 饗応)あり、
とあり、負けた方には、
罰杯(罰酒)を課した、
という(仝上・広辞苑)。なお、
射礼(じゃらい・しゃらい)、
は(「らい」は「礼」の呉音)、
引折(ひきをり)、
でも触れたが、
大射(たいしゃ)、
ともいい、
其の年中行事と申は、先づ正月には、……十六日は踏歌の節会、……射礼(ジャレイ)、賭弓、年始の帳(太平記)、
とあるように、主に平安時代に宮中で行われた年中行事の、
朝廷で群臣が弓を射る儀式、
をいい、
年初の行事として一月一七日に、豊楽院(ぶらくいん)または建礼門の前に射場を設け、天皇臨席のもとに、親王以下、五位以上および六衛府の官人が参加して射技を披露したもの、
をいい、終了後には宴が開かれ、禄を賜った(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
還饗(かへりあるじ)、
は、
賭弓(のりゆみ)または相撲(すまい)の節会(せちえ)の行事の後で、勝った方の近衛の大将が自分の邸にもどって、わが方の人々をもてなすこと、
をいい、
かへりだち(還立)、
かへりだちのあるじ(還立饗)、
かへりのあるじ(還饗)、
かへりあるじ(還饗)、
等々ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
還立(かへりだち)、
は、
神事・儀式の終はりて、禁中に還り、賜宴あること、
などにいい(大言海)、ふつうは、
賀茂の臨時の祭は、かへりだちの御神楽などにこそなぐさめらるれ(枕草子)、
と、
賀茂、石清水の臨時祭、春日祭などが終了したのち、そこへ遣わされた奉幣使の一行(祭の使いや舞人、楽人たち)が宮中へもどって清涼殿の東庭にならび立って神楽を演じ、宴を賜い、祿をいただくこと、
をいい、
かえりあそび(還遊)、
かえりあるじ(還饗)、
かえりだちのあるじ(還立饗)、
ともいい、それに併せて、
賀茂願今日果、如石清水等願賽、出立饗間……帰饗伊与守(貞信公記・天慶九年(946)10月25日))、
と、
貴人が、賀茂、石清水、春日社等へ参詣し、または参詣の使いを立てた時、帰ってから使いや供人、舞人などをねぎらうために行なう宴、
をも言うが、ここでは、
兵部卿の宮、左の大臣殿の賭弓(のりゆみ)のかへりたち、相撲(すまひ)の饗応(あるじ)などには(源氏物語)、
と、上述の、賭射、相撲の後の、
かえりあるじ(還饗)、
をいう(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
あるじ、
は、
主、
とあて、
主人、
の意で、
客人(まらうど)の対、
だが、
饗、
とあてると、
あるじもうけ(饗設け)の略、
とあり(広辞苑)、
主人となって客をもてなす、
意となる(岩波古語辞典)。
あるじ、
の由来は、
客人(まらうど)に対して云ふがもとなり、饗応を主設(あるじまうけ)と云ふ、是なり、和訓栞、あるじ「家にあるぬしの約也」、或は又、吾大人(あれうし)の約にもあらむか、ジを濁るは、宮主(みやじ)、刀自(とじ)の例あり、アロジとも云ふは、音転なり(遥遥(はるばる)、はろばろ。着物(きるもの)、ころも)(大言海)、
アロジの母音交替形(岩波古語辞典)、
家にアルヌシの約(和訓栞・和訓考・古語類韻=堀秀成)、
アルシ(有主)の義、シは、ミヤシ(宮主)、トシ(戸主)、ウシ(大人)のシ(日本語源=賀茂百樹)、
「アレ(吾)+ウシ(大人)」で、アレウシ、アルシ、アルジと変化、我が主人の意(日本語源広辞典)、
「アロ(家門)+ウシ(大人)」で、アロウシ、アロジ、アルジの変化、家門の主人、一家の主人、持ち主の意(仝上)、
アロジの転呼、アロは家門を意味するイロから、ジはチ(主)又はウシ(大人)と同語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アルジは本来饗応の意であり、客を迎えてアルジすることから主人を表す(国文学の発生=折口信夫)、
等々あるが、音韻的には、
大人(ウシ)、
との関わりが、意味的には、
饗応の主設(あるじまうけ)、
の意が気になるが、はっきりしない。
あるじ(饗)、
に、
この人の家、喜べるやうにて、あるじしたり(土佐日記)、
と、
「す」が付いて、自動詞(サ行変格活用)になり、
客を招いてもてなすこと、
ごちそう、
の意となり、
あるじまうけ、
と同義になる(学研全訳古語辞典)。ちなみに、
節会(せちゑ・せつゑ)、
は、
朝廷で行われる節日・公事(くじ)の日の宴会、
をいい、『令義解(りょうのぎげ)』雑令に、
正月一日、七日、一六日、三月三日、五月五日、七月七日、一一月大嘗(だいじょう)日を皆節日と為(なす)、
とあり(日本大百科全書)、これらを節の日と定めている。この日は、
天皇が出御し、饗宴(きょうえん)があり、延喜式(えんぎしき)に、
元日(朝賀、元日節会)、即位の儀を大儀、
とし、
元日宴会、七日、新嘗会(にいなめのえ)を中儀、
とし、
踏歌節会(とうかのせちえ)、九月九日(重陽節会(ちょうようのせちえ))などを小儀、
とする、
とあり、大儀に参会する群臣は礼服を着るべき規定も書かれている(仝上)。奈良時代以後、それぞれ、
元日節会、
白馬節会(あおうまのせちえ)、
踏歌の節会(とうかのせちえ)、
曲水の宴、
端午節会(端午)、
相撲節会(すまいのせちえ)、
新嘗会(豊明節会(とよのあかりのせちえ)、
として天皇が群臣に饌(の膳)を賜る宴をいうようになり、豊楽院、紫宸殿、武徳殿などで行われた(世界大百科事典)。平安時代には、
元日、
白馬、
踏歌、
端午、
豊明、
が、
五節会、
として重んじられたが、臨時の立后、任大臣節会などもあった(仝上)とある。恒例のものは、
元日・白馬(あおうま)・踏歌・端午・相撲・重陽・豊明(とよのあかり=新嘗会)、
臨時のものが、
豊明(大嘗会)・立后・立太子・任大臣など、
があり(精選版日本国語大辞典)、五位以上の者の召される小節(元日・踏歌など)と、六位以上の者の召される大節(白馬・豊明など)の別があった(仝上)とある。江戸幕府の定めた五節供(ごせっく)は、
人日(じんじつ)(正月7日)、
上巳(じょうし)(3月3日)、
端午(たんご)(5月5日)、
七夕(たなばた)(7月7日)、
重陽(9月9日)、
の5日(日本大百科全書)とある。
会意兼形声。卿(ケイ)は、ごちそう(皀)両側に人がひざまずいて向かい合ったさまを示す会意文字で、饗の原字。郷は「邑+音符卿の略体」の会意兼形声文字で、向かい合ったむらざと。饗は「食+音符郷」で、向かい合って食事をすること、
とある(漢字源)。他に、
会意形声。と、ク(キヤウ むかう、もてなす)とから成り、何人かが向かいあって食べる食事の意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(郷+食)。「ごちそうを真ん中にして二人が向き合う」象形(「向き合う」の意味)と「食器に食べ物を盛り、それに蓋(ふた)をした」象形(「食べ物」の意味)から、食べ物に向き合う「宴会」、「供え物」を意味する「饗」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2788.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
形声。「食」+音符「鄉 /*KANG/」。「ごちそう」「もてなす」を意味する漢語{饗 /*hangʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A5%97)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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沫雪(あわゆき)の消(け)ぬべきものを今までに流らへぬるは妹に逢はむとぞ(大伴田村大嬢)
の、
流らへぬる、
の、
流らふ、
は、
「流る」の継続態、
とあり、
雪の縁語である、
とし、
生き長らえて来たのは、
の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ながらふ、
は、
流らふ、
とあて、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、自動詞ハ行下二段活用で、
下二段動詞の「流る」に反復・継続の意を表す上代の助動詞「ふ」の付いたもの、
とされるが、
ふ、
は、
まもらふ、
で触れたように、ふつう、
四段動詞に付いて四段に活用する、
ので、
下二段動詞に付いて下二段に活用するのは異例のことである(学研全訳古語辞典)とある。で、
沫雪(あわゆき)かはだれに零(ふ)ると見るまでに流倍(ながらヘ)散るは何の花ぞも(万葉集)、
うらさぶる心さまねしひさかたの天(あめ)の時雨(しぐれ)のながらふ見れば(仝上)、
と、
流れ続ける、
静かに降り続ける、
流れるようにそれが続く、
意で使い、別に、
永らふ、
長らふ、
存らふ、
などとも当てて、時間が経過する意を表わし、
天地(あめつち)の遠き始めよ世の中は常無きものと語り継ぎ奈我良倍(ナガラヘ)来(きた)れ(万葉集)、
では、
語り継ぎ言い伝えてきた、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
同じ状態が続く、
長い時間を経る、
意や、冒頭の歌のように、
沫雪の消(け)ぬべきものを今までに流経(ながらへ)ぬるは妹にあはむとそ、
と、
生命が存続する、
長生きする、
生きながらえる、
意や、
ある世にかはらむ御ありさまのうしろめたさによりてこそながらふれ(源氏物語)、
と、
長つづきする、
居続ける、
意で使う。確かに、
流らふ、
と
長らふ、
とは、
流れ続ける→継続する→永らえる→長生きする、
と、意味の外延と見て、転訛したとみることができ、後に、
「なが」を長の意と考え、永・存などの字をあてるようになったものか、
とみる(精選版日本国語大辞典)こともできるが、両者を、
別語とみる、
というのもありえる(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。現に、『大言海』『岩波古語辞典』は、両者を別項としている。
流らふ、
とあてる、
ながらふ、
は、
流るに反復・継続の接尾語フのついた形(岩波古語辞典)、
流るの延、古語に、降るを、流ると云ふ(大言海)、
とし(上述の、「うらさぶる心さまねしひさかたの天(あめ)の時雨(しぐれ)のながらふ見れば」の「ながらふ」に「流れ合ふ」と解している例(伊藤博訳注『新版万葉集』)もある)、
長らふ、
永らふ、
存らふ、
とあてる、
ながらふ、
は、
ナガシ(長)のナガに状態の接尾語ラのつしいたナガラに、動詞へ(経)の複合した語か。長い時間にわたってものごとが経過し、継続していく意、ナガ(流)ラフとは別語(岩波古語辞典)、
長歴(ナガラフ)の義(大言海)、
としている。これに拠れば、後者の、
ふ、
は、
流らふ、
の、
ふ、
とは別物ということになる。
長らふ、
の、
ふ、
は、確かに、意味から考えると、
経る、
歴る、
の文語系、
ふ(経・歴)、
と見るのは一つの考えかと思う。
ふ(経・歴)、
は、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、自動詞ハ行下二段活用で(学研全訳古語辞典)、
高光る日の御子やすみしし我が大君あらたまの年が来布礼(フレ)ばあらたまの月は来閇(ヘ)往く(古事記)、
と、
時が来てまた、去っていく、
時間が過ぎていく、
年月が過ぎる、
経過する、
意で(仝上・精選版日本国語大辞典)、その時間的な経過を、空間に転換して、
くろさきのまつばらをへてゆく(土左日記)、
と、
そこを通って他の所へ行く、
通り過ぎる、
通過する、
という意や、それをメタファに、
同二年に太政大臣に上る。左右を経(へ)ずしてこの位に至る事(源平盛衰記)、
と、
ある段階を通る、
ある地位や段階を経験する、
意で使ったりする(仝上)。その意味で、
長らふ、
の、
ふ、
に、意味的には重なる気がする。なお、
流らふ、
の、
ふ、
については、
まもらふ、
でも触れたように、四段活用の動詞の未然形の下に付いて、ふつうは、
は|ひ|ふ|ふ|へ|(へ)、
の、
四段活用の動詞を作り、「呼ぶ」「散る」ならば普通一回だけ呼ぶ、散る意を表すが、「散らふ」「呼ばふ」といえば、何回も繰り返して、呼ぶ、散る意をはっきりと表現する。元来は、四段活用の動詞「アフ(合)」で、これが動詞連用形の後に加わって成立したもの(岩波古語辞典)、
語源は、動詞「ふ(経)」と関連づける説もあるが、動詞「あふ(相・合)」で、本来、動詞の連用形に接したものとすべきであろう。「万葉集」などでは「相・合」の字を用いていることも多く、また、動詞「あふ」との複合した形と区別できかねるものもある(精選版日本国語大辞典)、
とあり、この「ふ」は、
奈良時代特有の語で、まれに、
「流らふ」「伝たふ」「寄そふ」など、下二段活用動詞「流る」「伝(つ)つ」「寄す」に付いた「ふ」があり、これらは下二段型活用として用いられ(精選版日本国語大辞典)、
また、
「捕らふ」「押さふ」などにも下二段型活用をする「ふ」があるが、これらは、語源を下二段動詞「敢(あ)ふ」に求めることもできる(仝上)、
とあり、また、
主にラ行動詞に付くときは、「移ろふ」「誇ろふ」のように未然形語尾のア列音がオ列音に変わることがある(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
とある。この「ふ」が助動詞として用いられたのは上代であり、中古になると、
「語らふ」「住まふ」「慣らふ」「願ふ」「交じらふ」「守らふ」「はからふ」「向かふ」「呼ばふ」など、特定の動詞の活用語尾に残るだけとなり、接尾語化した。したがって、中古以降は「ふ」を伴ったものを一語の動詞と見なすのが常である(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
とされる。この、
ふ、
は、現代語でも、、
「住まう」「語らう」などの「う」にその痕跡が見られる(デジタル大辞泉)。
フ、
の反復・継続の用例は、
をとめの寝(な)すや板戸を押そぶら比(ヒ)我が立たせれば(古事記)、
秋萩の散ら敝(ヘ)る野辺の初尾花仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて雲離(くもばな)れ(万葉集)、
では、その動作が反復して行なわれる意を表わし、
しきりに…する、
何回も繰り返して…する、
意で、
楯並めていなさの山の木の間よもい行き目守(まも)ら比(ヒ)戦へば(古事記)、
では、その動作が継続して行なわれる意を表わし、
…し続ける、
ずっと…する、
意で、
常なりし笑(ゑ)まひふるまひいや日(ひ)異(け)に変はら経(ふ)見れば 悲しきろかも(万葉集)、
では、その変化がずっと進行していく意を表わし、
次第に…する、
どんどん…していく、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。
「流」(漢音リュウ、呉音ル)は、
会意兼形声。㐬は「子の逆形+水」の会意文字で、出産のさい羊水の流れ出るさま。流はそれを音符とし、水を加えた字で、その原義をさらに明白にしたもの。分散して長くのび広がる意を含む、
とある(漢字源)が、他は、
会意。水と、㐬(とつ)(育の原形。頭髪のある子供を上下逆さにした形)とから成る。古代には生まれたばかりの子供の無事を祈って水にながす風習があったことから、水が「ながれる」意を表す(角川新字源)
会意文字です。「流れる水の象形」と「子が羊水と共に急に生まれ出る象形」(「ながれる」の意味)から、「水がながれる」を意味する「流」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji409.html)、
と、会意文字とするもの、
象形。原字は「𣹭」で、子どもが川に流されるさまを象る。のち筆画中の「𠫓」と水滴が声符「毓 /*LUK/」の略体である「㐬」に、「川」が「水」に訛変し現在の字形となる。「ながれる」を意味する漢語{流
/*ru/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%81)、
と、象形文字とするものにわかれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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とこしへに夏冬行けや裘(かはごろも)扇(あふき)放たぬ山に住む人(万葉集)
の、
裘、
は、
毛皮で作った防寒用の衣、
をいい、
かわぎぬ、
けごろも、
ともいう。
別に、
悉多達多(シッタルタ)すなわち釈尊が入山の時、鹿皮の衣を着た、
という故事に基づき、
かは衣山ふかくおこなふ道のかは衣よものかせぎもきてなれにけり(「藻塩草(1513頃)」)、
と、
僧衣、
を言い、転じて、
僧の異称、
でもある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
かわごろも、
は、
皮衣、
とも当てるが、これを、
かはきぬを見れば金青(こんじょう)の色なり(竹取物語)、
と、
かはきぬ、
とも訓ませ、
毛皮で作った防寒用の衣、
で、
裘代(かわしろ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、
裘、加波古路毛(かはごろも)、俗云、加波岐沼(かはぎぬ)、皮衣也、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
裘、カハコロモ・カハギヌ、
とある。枕草子には、
むつかしげなるもの ぬひ物の裏。ねずみの子の毛もまだ生ひぬを、巣の中よりまろばし出でたる。裏まだつけぬ裘の縫ひ目。猫の耳の中。ことにきげならぬ所の暗き、
とある。後述のように、漢字の、
裘(きゅう)、
も、
獣の毛皮で作った衣服、
つまり、
皮ごろも、
の意で、
裘葛(きゅうかつ 皮ごろもと、葛(くず)の布。冬の衣と夏の衣)、
狐裘(こきゅう 狐の腋(わき)の下の白毛皮でつくった皮衣。古来上等なものとして珍重、貴人の朝服などに用いた。狐白裘(こはくきゅう)ともいう)、
鹿裘(ろくきゅう 鹿皮の衣)、
軽裘(けいきゅう 軽く暖かい皮ごろも)、
恙裘(こうきゅう 子羊の裘、緇衣(シイ)には(黒い着物を着た時には)恙(こう)の裘(子羊のかわごろもを下に着る)論語・郷党篇)、
等々と使う(精選版日本国語大辞典・字源)。
「裘」(漢音キュウ、呉音グ)の異体字 は、
𣰐(同字)、𧚍(本字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%98)。字源は、
会意兼形声。求は、裘の原字で、頭・両足・尾のついたままのかわごろもの姿を描いた象形文字。裘は「衣+音符求」。求がぐっと引き締める→もとめる、の意に使われるようになったため、かわごろもの意には、裘が使われるようになった。帯でぐっと引き締めてからだにまとう、かわごろも、
とある(漢字源)。他は、
形声。「衣」+音符「求 /*KU/」。「かわごろも」を意味する漢語{裘 /*ɡwə/}を表す字。甲骨文字の字形は象形文字で、発音が変化した後に音符「求」が加わった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%98)、
と、形声文字とするもの、
会意求+衣。篆文の字形は衣中に求を加える。求は獣皮の象。〔説文〕八上に「皮衣なり」とし、求(きゆう)声とするが、求は裘の初文。また「一に曰く、象形。衰と同意なり」という。衰(さい)は衣に麻絰(まてつ)を加えた服喪の衣で、裘とは何の関係もない(字通)
と、会意文字とするものとに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
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あり衣(きぬ)のへつきて漕(こ)がに杏人(からたち)の浜を過ぐれば恋(こひ)しくありなり(万葉集)
の、
あり衣の、
は、
「へつきて」の枕詞、
で、
高級な絹の着物が身にまといつく意、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
あり衣、
は、
絹の衣、
としている(仝上)。
漕(こ)がに、
の、
に、
は、
希求の終助詞、
で、
漕ぐの未然形「漕が」に、「に」がついて、
岸辺にぴったりくっついて漕いでくれ、
と訳す(仝上・精選版日本国語大辞典)。
ありぎぬ、
は、
蚕衣、
とも当て(岩波古語辞典)、
アリは蚕の蛾、、
とある(仝上)。で、
あり衣、
は、
語義未詳。絹布の衣の意か、
とする(精選版日本国語大辞典)所以である。歌学書『袖中抄(1185〜87頃)』(しゅうちゅうしょう 顕昭著)には、
ありきぬは、おりぎぬと云ふ歟。おとあと同音なり……ありきぬは、あり色などいふ様にあるきぬと云ふ歟、
とあり(精選版日本国語大辞典)、『大言海』は、
ありぎぬ、
を、
おりぎぬの音転、
とし、
皮衣(かはごろも)に対して云ふ語なりとぞ(織氈(おりがも)、ありがも。於母(おも)、阿母(あも)。朸(あふこ)も負子(おふこ)なるべし)、袖中抄「ありぎぬは、おりぎぬと云ふか、オトあと同音なり」、絹布のことなり、されば衣摩(きずれ)の音、さわさわ、さゑさゑとするなり、此語に、尚、種々の語源説あれど、皆、当たらず、
と言い切る(大言海)。で、
ありぎぬ、
を、
織衣、
とあてている(仝上)。なお、
ありぎぬの、
は、
衣は重ねて着るより、三重につづき、絹布を賞美するより、寶につづく、珠衣(たまぎぬ)とも云へリ、亦、賞美の語なり、
とあり(仝上)、衣を重ねて着る意で
阿理岐奴能(アリキヌノ)三重の子が捧(ささ)がせる瑞玉盞(みづたまうき)に(古事記)、
と、「三重(みへ)」にかかり、大切なものとして、
打麻(うちそ)やし麻続(をみ)の子ら蟻衣之(ありきぬの)財(たから)の子らが打ちし栲(たへ)延(は)ヘて織る布日ざらしの(万葉集)、
と、「財」にかかり、さらに、衣ずれの音を「さゑさゑ」と聞くところから、
安利伎奴乃(アリキヌノ)さゑさゑ沈み家の妹に物言はず来(き)にて思ひ苦(ぐる)しも(万葉集)、
と、「さゑさゑ沈み」にかかり、同音の繰り返しで、
命(いのち)をし全(まった)くしあらばあり衣のありて後(のち)にも逢はざらめやも(万葉集)
と、「あり」にかかる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。なお、
漕(こ)がに、
の、
に、
は、終助詞で、
ひさかたの天路は遠しなほなほに家に帰りて業(なり)をしまさ爾(ニ)(万葉集)、
と、
文末にあって動詞・助動詞の未然形をうけ、他者の行動の実現を希望する意を表わす上代語、
で、
……てほしい、
意で、この希望の助詞「に」に詠嘆の助詞「も」が付いて、
我(あ)れのみ聞けば寂(さぶ)しもほととぎす丹生(にふ)の山辺(やまへ)にい行き鳴か爾毛(ニモ)(万葉集)、
と、他人の行為についての希望を表わす、
にも、
の形もある(精選版日本国語大辞典)。なお、
蚕(蠶)、
については触れた。
「衣」(漢音イ、呉音エ)は、
象形。うしろのえりをたて、前のえりもとをあわせて、肌を隠した着物の襟の部分を描いたもの、
とある(漢字源)。別に、
象形。胸元を合わせた上衣を象る。「ころも」を意味する漢語{衣 /*ʔ(r)əj/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%A3)、
象形。衣服のえりもとの形にかたどり、「ころも」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「身体に着る衣服のえりもと」の象形から「ころも」を意味する「衣」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji616.html)、
象形。衣の襟もとを合わせた形。〔説文〕八上に「二人を覆ふ形に象る」とするが、襟もとの形。また「依るなり。上を衣と曰ひ、下を裳と曰ふ」という。〔白虎通、衣裳〕に「隱(よ)るなり」とあり、依・隱(隠)は声の近い字によって解する。依は衣による受霊、「襲衾(おふふすま)」の観念を含むものと思われる(字通)、
とあり、「えり」を示していたことは共通している。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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栲領巾(たくひれ)の鷺坂山(さぎさかやま)の白(しら)つつじ我れににほはに妹(いも)に示さむ(万葉集)
の、
栲領巾(たくひれ)、
は、
鷺坂山の枕詞、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
我れににほはに、
は、
私に染めつけておくれ、
と訳す(仝上)。
栲領巾(たくひれ)、
は、
楮(こうぞ)などの繊維で織った栲布(たくぬの)で作った領巾(ひれ)。女子の肩にかける飾り布(精選版日本国語大辞典)、
栲布(たくぬの)で作ったひれ(デジタル大辞泉)、
楮(こうぞ)の繊維で作った領布(ひれ)、それを首から肩にかける(岩波古語辞典)、
などとある。で、
栲領巾の、
で、枕詞として、栲領巾を首にかける意で、
栲領巾乃(たくひれノ)かけまく欲しき妹の名を此の背(せ)の山にかけばいかにあらむ(万葉集)、
と、「懸(か)く」にかかり、栲領巾が白いところから、
栲領巾乃(たくひれノ)白浜波の寄りもあへず荒ぶる妹に恋ひつつそ居る(万葉集)、
と、「白」と同音を含む「白浜波」にかかり、羽の色の白い鳥の意から、冒頭の、
細比礼乃(たくヒレノ)鷺坂(さぎさか)山の白つつじ我ににほはね妹に示さむ(万葉集)、
と、鷺(さぎ)と同音を含む地名「鷺坂山」にかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。ただ、この、
「鷺坂山」にかかるかかり方については、さぎの頭に細長い毛が立ち上がっていて、領巾をかけたように見えるからだという説もある、
とあり、この、
細比礼乃(たくヒレノ)鷺坂(さぎさか)山の白つつじ我ににほはね妹に示さむ(万葉集)、
の、原文、
細比礼乃(たくヒレノ)、
を、後世、
細領巾の(ほそひれの)、
と、誤訓して、
ほそひれのさきさかやまのしらつつじ我ににほはせいもにしめさん(古今和歌集)、
と訓み、
鷺(さぎ)の頭部に立ち上がった長い毛のあるのを、領巾(ひれ)に見立てたもの、
として、
細領巾の、
を、
地名「鷺坂山」にかかる枕詞、
と解している(精選版日本国語大辞典)。
荒栲(あらたへ)、
白栲(しろたへ)、
しきたへ、
で触れたが、
栲(たへ)、
は、
たく縄、
で触れたように、
たく、
ともいい(大言海)、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
柠(こうぞ)實、一名、然則穀實、
とあり、
楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、
梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、
木綿(ユフ)にて作れる縄、綱などを云ふ語、穀(カヂ)に同じ。其樹の皮にてつくるもの、穀の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、
古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、
等々とあり、
コウゾの古名(デジタル大辞泉)、
「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、
ともあるのは、
カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
純白で光沢がある、
ため(仝上)、
色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる
とあり(大言海)、
白栲(しろたへ)、
和栲(にぎたへ)、
栲(たへ)の袴、
栲衾(たくぶすま)、
などという(仝上・字源)。
栲、
は、
ハタヘ(皮隔)の義(言元梯)、
たへ(手綜)の義(日本古語大辞典=松岡静雄・続上代特殊仮名音義=森重敏)、
と、「織る」ことと関わらせる説もある(「綜(ふ)」については触れた)が、
堪(た)へにて、切れずの義か、又、妙なる意か、
とある(大言海)ように、
妙、
と同根とされる(岩波古語辞典)。また、
御服(みそ)は明る妙(タヘ)・照る妙(タヘ)・和(にき)妙(タヘ)・荒妙(あらたへ)に称辞竟(たたへごとを)ヘまつらむ(「延喜式(927)祝詞(九条家本訓)」)、
とあるように、
布類の総称、
として、
妙、
を当てている(精選版日本国語大辞典)例もある。なお、
領布(ひれ)、
は、
比礼、
肩巾、
とも記し(精選版日本国語大辞典)、
ももしきの大宮人は宇豆良登理(鶉鳥 ウヅラトリ)比礼(ヒレ)取り掛けて鶺鴒(まなばしら)尾行き合へ(古事記)、
と、上代から平安時代にかけての
婦人の服したる白き帛、
で、和名類聚抄(931〜38年)に、
領布、比禮、婦人項上餝(飾ノ俗字)也、
とあるように、
項より肩に掛けて、左右の前へ垂れたるもの、生絹、紗、羅などを用ゐる、
とある(大言海・岩波古語辞典)。
5尺から2尺5寸の羅や紗などを、一幅(ひとの)または二幅(ふたの)に合わせてつくった、
とされ(世界大百科事典)、「古事記」に、
天日矛(あめのひぼこ)招来の宝物として、振浪比礼(なみふるひれ)、切浪比礼(なみきるひれ)、風振比礼(かぜふるひれ)、風切比礼(かぜきるひれ)、
とか、
須佐之男命が、須勢理毘売(すせりびめ)から蛇比礼(へびのひれ)、呉公蜂比礼(むかではちのひれ)を得てこれを振り、蛇やムカデ、ハチの難を逃れた、
話が見える等々、比礼を振ることに呪術的意味があり、
風や波を起こしたり鎮めたり、害虫、毒蛇などを駆除する呪力を持つ、
と信じられ、
望夫石(ぼうふせき)、
で触れたように、万葉集に、
山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(へ)に領布(ひれ)を振りけむ、
万代(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領布(ひれ)振りけらし松浦佐用姫、
海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領布(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫、
行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫、
とある如く、
別れなどに振った、
とされる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
本来は呪力をもつものとして用いられ、のちにその意識が薄れて装飾用に用いられたと思われる、
とある(仝上)。古くは男女ともに着用したものらしく、
比礼掛る伴の男(祝詞大祓詞)、
とあり、「延喜式」には元日や即位の儀に、
隼人(はやと)が緋帛五尺の肩巾(ひれ)を着用して臨む、
とある(世界大百科事典)。
領布、
は、
朝服、
で定められた衣服であったが、『日本書紀』天武天皇11年(682)の条に、
膳夫(かしわで)、采女(うねめ)等の手繦(たすき)、肩巾(ひれ)は並び莫服(なせそ)、
と、
廃止され、『延喜式』縫殿寮の巻の年中御服の条中宮の項に、
鎮魂祭の項その他に領巾が掲げられ、ふたたび用いられた、
とあり(日本大百科全書)、平安時代の宮廷女子の正装に裙帯(くたい・くんたい 裙はロングスカートで、もともと裙(くん 裳裾)をはいた腰のところに締めて前に長く垂らす帯)とともに着用されたという。
「栲」(こう)は、「荒栲(あらたへ)」で触れたように、
会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、
とある(漢字源)。別に、
形声。声符は考(こう)。〔説文〕六上に𣐊に作り「山樗(さんちよ)なり」とし、「讀みて糗(きう)の若(ごと)くす」という。〔爾雅、釈木、注〕に「樗に似て色小(すこ)しく白く、山中に生ず。〜亦た漆樹に類す」とあって、相似た木で、一類として扱われる(字通)、
と、形声文字とする説もある。
「栲」の異体字は、
𣐊、𣑥、𣛖、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B2)。「字通」にあるように、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
紵字或从緒省、作糸+耂+宁、柠亦應作紵、又省宀従木、作𣑥也、
と、
紵緒の旁(つくり)を省き、合して木篇としたるもの、
とあり(大言海)、「栲」は、
樗(アフチ 「楝(あふち)」に似たる一種の喬木、
で、
栲栳量金買斷春(盧延譲詩)、
と、
栲栳(カウラウ)、
は、柳條をまげて作り、物を盛る器、
とある(字源・漢字源)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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あぶり干す人もあれやも家人(いへびと)の春雨すらを間使(まつかひ)にする(万葉集)
の、
間使、
は、
二人の間を往復する使い、
を言い、
春雨すらを間使(まつかひ)にする、
は、
春雨まで使いによこして監視するとは何事か、
の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
間使(まつかひ)、
は、
なのりそのおのが名惜しみ間使(まつかひ)も遣らずて我(わ)れは生けりともなし(万葉集)、
と、
時々消息すること(大言海)、
というのが原義なのだろうか。それが、
消息などを伝えるために、人と人との間を行き来する使者(学研全訳古語辞典)、
人と人との間をゆきかう使い。消息を持って往来する使い(精選版日本国語大辞典)、
二人の間を行き来して言葉を伝える使(岩波古語辞典)、
と、
使い、
の意に転じたとみることができる。あるいは、逆に、
二人の間を行き来して言葉を伝える使い→消息、
の意に転じたとも見える。いずれとも決めがたいが、具象→抽象への転化のほうがあり得る気がする。ところで、
間使、
を、
かんし、
と訓ますると、
手首にあるツボ、
の意で、
腸の働きを整えるとされ、便秘やガスのたまりによる不快感を和らげる、
とされるが、
間(かん)」とは空間、または“狭間”。「使(し)」は“伝令”や“役人”の意味を持つ。つまり「間(心と体の狭間)を行き交う使い、
と解釈して、牽強付会気味だが、
思考と感情、精神と肉体。そのどちらにも偏りすぎず、バランスを回復させる“中立の使者”である、
と見ている説もある(https://www.jyuraku.org/acupuncturemeridianpericardiumpc05.html)が、
大陵(だいりょう、手関節前面横紋の中央に取る。「陵」=高くそびえる丘。月状骨の隆起の上方、橈骨との接合部にある)穴から曲沢(きょくたく、肘窩横紋上で、上腕二頭筋腱の尺側に取る。「曲」=屈曲する、「沢」=潤すこと。つまり、肘部で、気血が筋肉や関節を潤すという意味)穴に向かい上3寸に取る。「間」=隙間。「使」=命令を受けて使いをすること、
とあり(https://www.ou-hari.com/keiraku-sinboke.html)、手関節障害、手掌熱、心痛、動悸、不眠、ヒステリー、胃痛、嘔吐、精神病に効能がある、とか(仝上)。
「閨v(漢音カン、呉音ケン)の異体字は、
間(常用漢字/繁体字)、间(簡体字)、𨳡(古字)、𨳢(古字)、𨳿、𫔮、𬮈、𰿚、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%96%92)。字源は、
会意文字。間は俗字で、本来は、閧ニ書く。門の扉の隙間から月の見えることを表すもので、二つに分ける意を含む。間の本来の意味の他に、「閑」の意にも用いられる、
とある(漢字源)。同じく、
旧字は、会意。門と、月(つき)とから成り、夜に、門のすきまから月が見えることから、すきまの意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、
会意文字です(門+月(日))。「欠けた月」の象形と「左右両開きになる戸」の象形から門を閉じても月の光が漏れる、すなわち「すきま」を意味する「間」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji273.html)、
会意。旧字は閧ノ作る。門+月。〔説文〕十二上に「隙なり。門と月とに從ふ」とし、古文として𨳢を録する。月は月光と解されているが、金文の字形によって考えると、廟門に肉をおいて祈る儀礼を示す字であるらしく、そこから離隔・安静の意が生ずるのであろう。〔左伝、定四年〕「管(叔)蔡(叔)商を(ひら)啓きて王室を惎(きかん)す」とあり、その呪詛的方法を示す字と考えられる(字通)、
と、会意文字とするものが多数派だが、
象形。門の間から月が見えるさまを象る。「あいだ」を意味する漢語{ /*kˤren/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%96%92)、
と、象形文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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雲隠(くもがく)り雁鳴く時は秋山の黄葉(もみぢ)片待(きかたま)つ時は過ぐとも(万葉集)
の、
片待つ、
は、
「片」は心が一方に寄る、
意で、
ひたすら待ち遠しい、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
時は過ぐとも、
は、
雁の季節は過ぎ去っても、
意で、
雁以上に黄葉を期待する心、
とある(仝上)。また、
倉橋の山を高みか夜隠(よごも)りに出で来る月の片待ちかたき(万葉集)
の、
夜隠(よごも)り、
は、
夜遅い時刻、
の意、
片待ちかたき、
は、
待っても待ちきれない、
とする(仝上)。
夜隠り、
は、
夜籠り、
とも当て、
夜が深いこと、
まだ夜が明けきらないこと、
を言い、また、
その時刻、
深夜、
夜ふけ、
の意だが、後に、
社寺に参拝して、一晩中こもって祈ること、
の意に転じて使われる(精選版日本国語大辞典)。
片待つ、
は、
た/ち/つ/つ/て/て、
の、他動詞タ行四段活用で、
ひたすら待つ(学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉・広辞苑)、
一方の者がその相手を待つ意から、ひたすら待つ、一心に待つ(精選版日本国語大辞典)、
片寄り待つ、偏に待つ(大言海)、
とあるが、
うぐひすは今は鳴かむと片待てば霞たなびき月は経(へ)につつ(万葉集)、
を引いて、
ひたすら待つ、
とする訳もある(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、
心のどこかで待つ、待つともなく待つ、
の意(岩波古語辞典)ともあり、ずいぶん含意が異なる。
カタ(片)、
は、
名詞や動詞につく接頭語、
で、
カタは不完全、マ(真・双)の対(岩波古語辞典)、
一対のもの、二つで一組のものの一方。片方。片一方(デジタル大辞泉)、
片方の、かたよった、などの意を表わす(精選版日本国語大辞典)、
諸(もろ)の反(大言海)、
とあり、その由来は、
半分の意の、蒙古語kaltas、ツングース語kaltakaと同源、側、片方の意、日本に受け入れられたときには既にカタであった(日本語の起源=大野晋・日本語源広辞典)、
アルタイ諸語のkalta(片)と同源(岩波古語辞典)、
対偶がなくて一つある物の称kat(介)の転音(日本語原考=与謝野寛)、
介(人+八)分ける意katから、片方の意(日本語源広辞典)、
カタカタ(偏)から(和句解・名言通)、
一方(ひとかた)の意か(大言海)、
等々あるが、わざわざアルタイ諸語由来と考えるまでもなく、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
片、カタハシ・ハシ・カタハラ・カタツカタ・カタオモテ、
字鏡(平安後期頃)には、
片、カタオモテ・シリソク・カタハラ・ハシアハス・カタハシ・サク・カタカタ・カタ・ヲフ・カタヘ・ハシ・サス、
とあるのを見れば、
マ(真・双)の対(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)、
とみなせば、
一方(ひとかた)、
の意と見るのが一番妥当に思える。
片、
の対である、
マ(真)、
は、
真鳥、
で触れたように、
名詞・動詞・形容詞について、揃っている、完全である、優れている、などの意を表す(岩波古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞・形容動詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞などに冠し、それそのものである、真実である、正確であるなどの意を表す(広辞苑)、
等々とあり、
ま袖、
真楫(かじ)、
真屋、
では、
二つ揃っていて完全である、
意を表し、
ま心、
ま人間、
ま袖、
ま鉏(さい)、
ま旅、
等々では、
完全に揃っている、本格的である、まじめである、
などの意を添え、
ま白、
ま青、
ま新しい、
ま水、
ま潮、
ま冬、
等々では、
純粋にそれだけで、まじりもののない、全くその状態である、
などの意を添え、
ま東、
ま上、
ま四角、
まあおのき、
真向、
等々では、
正確にその状態にある、
意を添え、
ま玉、
ま杭(ぐい)、
ま麻(そ)、
ま葛(くず)、
等々では、
立派である、美しいなどの意を込めて、ほめことば、
として用い、
真弓、
真澄の鏡(まそ鏡)、
真鉋(まかな)、
等々では、
立派な機能を備えている、
意を表し、
真名、
では、
仮(かり)のもの(仮名・平仮名・片仮名)でも、略式でもなく、正式・本式であること、
を表す(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)。
真鴨、
真葛、
真魚、
真木、
ま竹、
まいわし、
真鳥、
等々では、
動植物の名に付けて、その種の中での標準的なものである、その中でも特に優れている、
意を表す(岩波古語辞典)。とすれば、
片、
も、名詞の上に付いて、
片恋、
片手、
片われ、
と、
一対のものの一方、一組になっているものの一部、
などの意を表わし(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、
片山、
片岡、
片親、
片生(かたおい 十分生長しないさま、かたなり)、
片泣き、
片かんな、
片思い、
片言(こと)、
片仮名、
と、名詞の上に付いて、
不完全な、整っていない、少しの、
などの意を表わし(仝上)、
片田舎、
片淵、
片添へ、
と、名詞の上に付いて、
一方に偏した、かたよった、
の意を表わし(仝上)、
片時(かたとき わずかな間)、
片手間、
片かど、
片まけ、
と、
わずかな、少ない、
の意を表し(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)、
片聞き、
片敷き、
と、
ひとり、
の意を表し(岩波古語辞典)、
片待つ、
と、主として動詞の上に付いて、
しきりに、
ひたすら、
の意を表わす(精選版日本国語大辞典)。この使い方からすると、
片、
を、
一方に偏る→一途に、
と、心のシフトと考えると、
待つとはなく待つ、
というよりは、
ひたすら、
が、意味として妥当のような気がする。ちなみに、
諸(もろ)、
は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
諸、モロモロ・オホヨソ・ツミ・ワキマフ・ススム・モモホシ・ソレ・コレ・ミナ・ウトシ・カタヘ、
色葉字類抄(平安末期)に、
諸、モロモロ、非一也、衆、師、庶、同、
とあり、多く名詞の上に付いて用いられるが、
真、
とは少し含意を異にし、
いくつかある同種のもの、すべて、
の意を表わす(精選版日本国語大辞典)。で、
もろ手、
もろ袖、
もろ肌、
もろ刃、
など、
両、
双、
とも書き、
二つ一組になっている物の、両方、双方、
の意を表わし(仝上)、
もろ人、
もろ心、
もろ穂、
もろ神、
などと、
すべてのもの、多くのもの、
の意を表わし(仝上)、
もろ声、
もろ寝、
もろ持ち、
もろ涙、
などと、
複数の人がいっしょにその動作をする、共にする、
意を表わす(仝上)。
字源は、「かたしき」で触れたように、
象形。片は、爿(ショウ 寝台の長細い板)の逆の形であるともいい、また木の字を半分に切ったその右側の部分であるとも言う。いずれにせよ、木のきれはしを描いたもの。薄く平らなきれはしのこと、
とある(漢字源)。他に、
象形。枝を含めた木の片割れを象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%87)、
象形。木を二つ割りにした右半分の形にかたどり、板のかたほう、また、割る意を表す(角川新字源)、
象形。城壁などを築くときの、版築に用いるあて木の形。片を両辺に立て、中に土を盛り、これを擣(つ)き堅めて土壁とする。その方法を版築という。〔説文〕七上に「判木なり。半木に從ふ」とあり、自然木の枝のついたままのものを両半したものと解するが、片の旁出するものはあて木として立てるためのもので、これを平面におけば牀となる。片方の意よりして、ものの一偏をいい、僅少・一部分の意となる。片雲・雪片・花片のように形あるもののほか、片言・片志のように形のないものにもいう(字通)、
など象形文字としているが、同趣旨まながら、
指事文字です。「大地を覆う木の象形の右半分」で、「木の切れはし」、「平たく薄い物体」を意味する「片」という漢字が成り立ちました、
と(https://okjiten.jp/kanji951.html)、指示文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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御食(みけ)向ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる(万葉集)
の、
はだれ、
は、
(雪などが)うっすらと積る状態、
をいい、
御食向ふ、
は、
南淵山の枕詞、
で、
貴人の御食に向う蜷(みな)の意か、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
あじさはふ、
で触れたように、
御食向ふ、
の、
みけ、
は、
神や天皇の食事、食膳、
の意、
向う、
は、
食膳で種々の食物が向かい合っている、
意で(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
一説に、
主食に対するおかず、
の意ともあり(精選版日本国語大辞典)、食事の料としての物の名から、同音を含む地名にかかる枕詞として、
(食膳で向かい合っている食物)の中に、葱(き ねぎ)・粟(あわ)・蜷(みな・にな))・䳑(あぢ)などがあることからか、「城(き)の上(へ)」「淡路(あわじ)」「南淵(みなぶち)」「味生(あじふ)などにかかる(広辞苑)、
食膳の食物が向かい合っていて、その中に、あぢ(トモエガモ)・栗・葱(キ)・蜷(ミナ)などがあることから、同音をもつ地名「味原(あぢふ)」「淡路」「城上(きのへ)」「南淵(みなぶち)」などにかかる(岩波古語辞典)、
食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むこと(学研全訳古語辞典)、
御食の時の、キ(木・酒・葱)、アヂと云ふより、き(木・酒・葱)、あはぢ(淡路)、あぢふ(味原)などにかかる(大言海)、
食膳で向かい合っている食物の中に粟・葱(き)・蜷(みな)があること(デジタル大辞泉)、
等々とあり、たとえば、
御食向(みけむかふ)城の上の宮(きのへのみや)を常宮(とこみや)と定め給ひて(万葉集)、
では、「葱(き)」と同音を含む「城上宮(きのへのみや)」にかかり、
御食向(みけむかふ)淡路の島にただ向ふ敏馬(みぬめ)の浦の(万葉集)、
では、「粟(あは)」と同音を含む「淡路(あはじ)」にかかり、
聞く人の見まく欲(ほ)りする御食向(みけむかふ)味原(あぢふ)の宮は見れど飽かぬかも(万葉集)、
では、鳥の名「䳑(あぢ)」と同音を含む「味原(あぢふ)」にかかる(精選版日本国語大辞典)。
御食、
は、
御饌、
御膳、
とも当て(精選版日本国語大辞典)、
ケは食物(岩波古語辞典)、
ミケツモノの義、みつぎもの、おもの、と同趣(大言海)、
「み」は接頭語(精選版日本国語大辞典)、
ミケツ(御食)の下略(柴門和語類集)、
等々とあり、本来、
御食事の料、
供御(くご)、
供物(くもつ)、
の意(大言海)なので、
神饌、
つまり、
神に供える食物、
を言ったと思われるが、転じて、
天皇の食膳に奉る食物(精選版日本国語大辞典)、
天皇の食事の料、供御(広辞苑・岩波古語辞典)、
をも言うようになったものと思われる。で、
饌(ミケツモノ)(別訓 おほもの)を覆(こほ)しつ(日本書紀)、
と、
みけつもの(御食つ物)、
というと、
神への供え物、
とも、
天皇の食膳に奉る食物、
の意ともなる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)が、
青葉の山を餝(かざ)りて其の河下に立てて、大御食(おほみけ)献らむとする時に(古事記)、
と、
おほみけ(大御食)、
というと、
おおみあえ、
ともいい、
(「おおみ」は接頭語)天皇の召し上がる物、
の意となる(仝上)。
朝凪に楫の音聞こゆ三食津国(みけつくに)野島の海人の船にしあるらし(万葉集)、
と、
みけつくに(御食つ国・御食都国)、
というと、
天皇の食料を献上する国、
の意で、
朝御餼(あさのみけ)の勘養(かむかひ)、夕御餼(ゆふのみけ)の勘養に(出雲風土記)、
と、
あさ(朝)の御食(みけ)、
を、
朝御食(あさみけ)、
ゆう(夕)の御食、
を、
夕御食(ゆふみけ)、
といった(仝上)。また、
遺(のこ)りをば皇御孫(すめみま)の命の朝御食(みけ)・夕御食のかむかひに、長御食(ながみけ)の遠御食(とほみけ)と(延喜式(927)祝詞)、
とある、
遠御食(とおみけ)、
は、
(「とお」は、久しいの意)食物をたたえていう語、
で、多く、
天皇、皇后などの食物である供御(くご)にいう、
とある(精選版日本国語大辞典)。なお、
御食、
みをし、
と訓ませると、
先に御食(ミヲシ)したまふ時(古事記)、
と、
(「み」は接頭語)飲食なさること。また、飲食物、
をいう。ちなみに、
翠鳥(そに)を御食人(みけびと)と為、雀を碓女(うすめ)と為、……如此(かく)行ひ定めて、日八日夜八夜を遊びき(古事記)、
とある、
御食人(みけびと)
は、
死者に供える食物を調理する役目の人、
をいう(仝上)。もともとの、
御食(みけ)、
の意味が反映していると見える。なお、
御食つ國、
の、
御食つ(みけつ)、
の、
つ、
は、
「の」の意の格助詞、
で、
天皇の食料の、
御飲食物の、
の意で、
御食つ神(みけつかみ)、
は、
御食津神、
御饌津神、
とあて、
食物をつかさどる神、
で、
大宜都比売神(おおげつひめのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)・若宇迦乃売命(わかうかのめのみこと)、
等々をいい、また、
素盞烏尊子宇賀之御魂神。亦名専女(たうめ)。三狐神(さんこしん)(「伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記(1270〜85頃)」)、
と、
宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)、すなわち稲荷神の異称、
とされるが、俗に、
みけつかみ(御食津神)、
の、
みけつ、
に、
三狐、
とあてたので、
狐にこじつけられた、
とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
三狐神(さんこしん)、
は、
訛って、
さぐじ、
とも訓ませるが、
農家で祭る田畑の守り神、
をいい、上述の由来から、
みけつかみ。
ともいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
「御」(漢音ギョ、呉音ゴ)の異体字は、
禦(の代用字/繁体字)、馭(の代用字)、𠉳(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%A1)。字源は、
会意兼形声。原字は「午(きね)+卩(ひと)」の会意文字で、堅い物をきねでついて柔らかくするさま。御はそれに止(あし)と彳(いく)を加えた字で、馬を穏やかにならして行かせることを示す。つきならす意から、でこぼこや阻害する部分を調整して、うまくおさめる意となる、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(辵+午+卩)。「十字路の左半分の象形と立ち止まる足の象形」(「行く」の意味)と「きねの形をした神体」の象形と「ひざまずく人」の象形から、「神の前に進み出てひざまずき、神を迎える」を意味する「御」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1246.html)、
と、会意兼形声文字とし、
会意。彳と、卸(しや 車を止めて馬を車からはずす)とから成る。馬をあやつる人の意(角川新字源)、
と、字解は類似ながら、会意文字とするものがあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
と、否定し(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%A1)、
形声。「辵」+音符「𰆍 /*NGA/」(仝上)、
形声。声符は卸(しや)。卸は御の初文。卜辞や金文には多く卸の形を用いる。字はもと午と卩(せつ)とに従い、午は杵形の呪器。これを拝(卩)して神を降ろし迎え、邪悪を防いだ。ゆえに「むかう」「ふせぐ」が字の初義。卜辞に「茲(こ)れを御(もち)ひよ」、金文に「事(まつり)に御(もち)ふ」「厥(そ)の辟(きみ)に御(つか)ふ」のようにいう。神聖を迎え、神聖につかえる意であったので、のちにもすべて尊貴の人に関して用いる語となった。〔説文〕二下に「馬を使ふなり。彳に從ひ、卸に從ふ」として古文の馭の字をあげるが、御と馭とは別の字である。〔説文〕はまた卸字条九上に「車を舍(す)てて馬を解くなり。卩・止・午に從ふ」とし、馬より下りる意とするが、初形は午と卩、杵を拝跪する形、すなわち神降ろしの形である。のち卸と御とは別の字となった(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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かりがねの鳴きつるなへに唐衣(からころも)立田の山はもみぢしにけり(後撰和歌集)
の、
なへに、
は、奥義抄(1135〜44頃)に、
なへ、からになと云ふ心也、
とある。この「からに」は、
「と」「たちまち」、
などの意をいうものであろう(精選版日本国語大辞典)とある。
なへに、
は、
接続助詞「なへ」に格助詞「に」の付いたもの、
で、
今朝の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)寒く聞きし奈倍(ナヘ)野辺の浅茅そ色付きにける(万葉集)、
と、
なへ、
でも使い、
ナは連体助詞、ヘはウヘ(上)のウの脱落形、ウヘにはものに直接接触する意があるので、ナヘは、「……の上」の意から時間的に同時・連続の意を表すようになった、
と(岩波古語辞典)、
活用語の連体形を受け、ある事態と同時に、他の事態の存することを示す上代語、
で(精選版日本国語大辞典)、
…とともに、
…にあわせて、
…するちょうどその時に、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。ここでは、
鳴いたのにつれて、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
唐衣、
は、
韓衣、
とも当て(大辞林)、
からころも、
と訓ませ、近世以降、
からごろも、
とも訓み、
袖が大きく、裾はくるぶしまでとどき、日本の衣服のように褄前を重ねないで、上前、下前を深く合わせて着る、
という、
中国風の衣服、
の意で、転じて、
めずらしく美しい衣服をいうこともある、
とある(広辞苑)が、
雁が音の来鳴(きな)きしなへに韓衣(からころも)立田の山は黄葉(もみ)ち初めたり(万葉集)
のように、
着(き)る、裁(た)つ、袖(そで)、裾(すそ)、紐(ひも)など、すべて衣服に関する語や、それらと同音または同音をもつ語、
にかかる枕詞として使われる(広辞苑)。ここでは、
(衣を)裁つ、
ということから、
「竜田」の枕詞としたもの(水垣久訳注『後撰和歌集』)とあり、
竜田の山、
は、
大和国の歌枕、
で、
紅葉の名所、
とある(仝上)。
かりがね、
は、
雁(かり)之(が)音(ね)の義、音(ね)は声なり(大言海)、
雁+が+音、雁の鳴き声の意です。転じて、雁のことをいいます(日本語源広辞典)
カリガネ(雁之音)の義、雁の声(名語記・南留別志・言元梯・和訓栞・類聚名物考)、
カリガメ(雁之群)の義(万葉考・円珠庵雑記)、
とあるように、
雁(がん)の鳴く音(ね)、
つまり、
今朝の朝け雁之鳴(かりがね)聞きつ春日山もみちにけらし吾が心いたし(万葉集)、
と、
雁の鳴き声、
の意であるが、転じて、
あしひきの山飛びこゆる可里我禰(カリガネ)は都に行かば妹にあひて来ね(万葉集)、
と、
鳥「がん(雁)」の異名、
として使うに至る。
雁の鳴き声は、万葉集では、上記の、
今朝の朝け雁之鳴(かりがね)聞きつ春日山もみちにけらし吾が心いたし、
とあるように、
寂しいもの、聞くと悲しく感じるものと考えられ、平安の恋に寄せる歌の多くは、
人を思ふ心はかりにあらねども雲居にのみもなきわたるかな(古今和歌集)、
と、鳴き声を絡ませている。
「かりがね」が後に雁の異名となったのは、鳴き声が雁を象徴するほどに特徴あるものだったからであろう、
としている(日本語源広辞典・精選版日本国語大辞典)。上記のように、「万葉集」では、
もっぱら飛来する姿や声が詠まれ、秋を告げる鳥、
とされ、平安時代になると、
春霞立つを見捨ててゆくかりは花なき里にすみやならへる(古今和歌集)、
と、北方の故国に旅立つ、
帰雁、
が注目されて春の景物となる(精選版日本国語大辞典)。
雁が音→雁、
は、
鶴(たづ)がねを声にも云ひ、又鶴のことにも云ふ、同趣なり、
とある(大言海)とおりである。和名類聚抄(931〜38年)に、
雁、大曰鴻、小曰雁、加利(鴻は、オホカリなり)、
とあり、字鏡(平安後期頃)に、
鴈、チヒサキカリ・カリ、
とある。
雁、
で触れたように、
上代には「カリ」と呼ばれていたが、室町時代頃から「ガン」が現れた。次第に一般名として扱われるようになり、現代では「ガン」が正式名、「カリ」が異名という扱いをされるようになった、
とある(語源由来辞典)。実際、
雁、
は、
カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、カモより大きくハクチョウより小さい一群の総称、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%81)、
カモに似ているが、ガンの方が大きくて、相対的にくびと脚が長い。羽色は種類によって異なり、雌雄同色で、夏冬ともに同色。飛ぶときは横列またはかぎ形をなすことがある、
とある(精選版日本国語大辞典)。日本では、
マガン、
カリガネ、
ヒシクイ、
等々が生息している(仝上)。なお、
ハイイロガンまたはサカツラガンを原種とする家禽は、ガチョウ(鵞鳥)と呼ばれる。なおノガン(野雁)は、ノガン科の鳥であり同じく「ガン」と呼称するがまったく別の種である、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%81)。
カリガネ(雁金)、
の名をもつ雁は、
鳥綱カモ目カモ科マガン属、
に分類され、
全長53〜66センチメートル。翼長36〜39センチメートル。翼開長128センチメートル。体重1.4〜2.5キログラム。全身は暗褐色。額から頭頂にかけては白い。腹部に不規則な黒い横縞が入る。尾羽基部を被う羽毛(上尾筒、下尾筒)の色彩は白い。翼が長く、翼の先端が尾羽よりも後方に突出する、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%8D)。
野雁(のがん)、
は、
鴇、
とも当て、
ノガン目ノガン科ノガン属に分類され、山七面鳥とも呼ばれる、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%AC%E3%83%B3)、
全長雄一メートル、雌七五センチメートル内外。体は肥大し、くちばしは太くて短く、体形はシチメンチョウとガンの中間。背面は赤褐色の地に黒褐色の斑(ふ)が散在し、くびから上と腹面は白淡灰色。雄ののどには数本の剛毛状の羽毛がはえる。シベリア・中国・朝鮮などに分布し、日本には冬季にまれに渡来する、
とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、
やがん(野雁)、
と訓ませると、
野山にすむ雁、
をいう(精選版日本国語大辞典)。
ちなみに、この、
カリガネ、
を意匠化した雁金紋が家紋として使用されている。
雁、
がんもどき、
らくがん(落雁)、
雁信、
雁股(かりまた)の矢、
については触れた。
「雁」(漢音ガン、呉音ゲン)の異体字は、
鳫(俗字)、鴈(別字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%81)。字源は、「雁股の矢」で触れたように、
鴈(漢音ガン、呉音ゲン)、
は、
会意兼形声。厂(ガン)は、厂型に形の整ったさまを描いた字。鴈は「鳥+人+音符厂」。厂型に整った列を組んで渡っていく鳥。礼儀正しいことから人が例物として用いたので、「人」を添えた。「雁」と同じ、
とあり(漢字源)、
鳫(漢音ガン、呉音ゲン)、
は、
会意兼形声。厂(ガン)は、かぎ形、直角になったことをあらわす。雁は「隹(とり)+人+音符厂」。きちんと直角に並んで飛ぶ鳥で、規則正しいことから、人に会う時に礼物に用いられる、
雁(漢音ガン、呉音ゲン)、
は、
会意兼形声。厂(ガン)は、かぎ形、直角になったことをあらわす。雁は「隹(とり)+人+音符厂」。きちんと直角に並んで飛ぶ鳥で、規則正しいことから、人に会う時に礼物に用いられる、
とある(仝上)。同じく、
会意兼形声文字です(厂+人+隹)。「並び飛ぶ」象形と「横から見た人」の象形と「尾の短いずんぐりした(太っていて背が低い)小鳥」の象形から「かりが並び飛ぶ」事を意味し、そこから、「かり」を意味する「雁」という漢字が成り立ちました。(「横から見た人」の象形は、人が高級食材として贈る事から付けられました。現在、日本ではたくさん捕り過ぎて数が減った為、狩猟は禁止されています)、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2779.html)が、
形声。隹と、人(ひと)と、音符厂(カン)→(ガン)とから成る。人に会う時に礼物として使う鳥の意を表す(角川新字源)、
形声。「隹」+「厂 /*ŊAN/」。「かり」を意味する漢語{雁 /*ŋraans/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%81)、
形声。声符は厂(かん)。〔説文〕四上に「雁鳥なり。隹に從ひ、人に從ふ。厂聲」(段注本)とし、「讀みて鴈の若(ごと)くす」という。字が人に従うものとすれば、それは人にあうときの礼物として、雁を贄(おくりもの)とする俗を示すものかもしれない。〔左伝、荘二十四年〕「男の贄には、大なる者は玉帛、小なる者は禽鳥」とみえる。常時には贄として鵝雁(あひる)の類を用いたようである(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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秋霧の立野(たつの)の駒を引く時は心にのりて君ぞこひしき(藤原忠房)
の詞書(和歌や俳句の前書き)に、
兼輔朝臣左近少将に侍りける時、武蔵の御馬むかへにまかり立つ日、俄にさはる事ありて、……、
とある、
御馬むかへ、
は、
駒迎へ、
のことで、
毎年八月十五日、諸国から献上される馬を逢坂の関まで迎えに行く行事、
をいう(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
逢坂、
は、
山城・近江国境にあった関、
を指す。
秋霧の、
は、
「立ち」にかかる枕詞、
立野の駒、
は、
武蔵国立野産の馬。立野は不明であるが、横浜市中区に同字の町名(立野)がある、
と注記する(仝上)。なお、
心にのりて、
は、
心にかかって、
の意、
「のり」は駒の縁語、
とある(仝上)。
駒迎へ、
は、平安時代以降、毎年八月中旬に、
駒牽(こまひき)の時、諸国から貢進される馬を馬寮(めりょう)の使いが、近江の逢坂の関まで迎えに出たこと、
をいい、近世には、
駒牽全体を指す語として用いられた、
とある(精選版日本国語大辞典)。
駒牽(こまひき)、
は、
駒引、
とも当て、
こまひき、
とも、
こまびき、
とも訓ませるが、文字通り、
馬を引くこと、
また、
その者、
を指すが、平安時代、毎年八月中旬に、
甲斐・武蔵・信濃・上野(こうずけ)の牧場から献上した馬を天皇が紫宸殿(ししんでん)で御覧になる儀式、
をいい、
天皇の御料馬を定め、また、親王、皇族、公卿にも下賜された、
とある。もとは、国によって貢馬(こうば)の日が決まっていたが、のちに一六日となり、諸国からの貢馬(こうば)も鎌倉末期からは信濃の望月の牧の馬だけとなった(仝上)。で、
秋の駒牽、
ともいう。
駒ひきの木曾やいづらん三日の月(去来抄)、
という句もある。また、それとは別に、
毎年四月二八日(小の月は二七日)に、武徳殿で天皇が馬寮(めりょう)の馬を御覧になった儀式、
をも、
駒牽、
といい、五月五日の騎射の準備として、
天皇が前庭を通る馬を御覧になり、その後で楽舞の演奏、饗宴が行なわれた、
ともある(仝上)。
引折(ひきをり)、
で触れたように、天皇が武徳殿に臨幸して衛府の官人の騎射を御覧になるのが例であり、これを、
騎射の節、
ともよぶ(日本大百科全書)。騎射に先だつ4月28日(小の月は27日)には、天皇が櫪飼(いたがい 馬寮(めりょう)の厩(うまや)で飼養)・国飼(諸国の牧から貢進)の馬を武徳殿で閲する、
駒牽(こまひき)の儀、
が行われる(仝上)。ちなみに、
馬寮(めりょう)、
は、
うまつかさ、
とも訓ませ、
令制における官司の一つ。兵衛府の被官で、官牧から貢する官馬の調習・飼養および供御の乗具の調製などをつかさどる役所。左右に分かれ、各寮に頭・助・大少允・大少属の四等官のほか、馬医・馬部・直丁・飼丁などの官人を置く、
とある(精選版日本国語大辞典)。
駒、
は、
瓢箪から駒、
で触れたように、
馬の子、小さい馬、
の意で。和名抄に、
駒、和名、古馬、馬子也、
とある。それが転じて、
馬、特に乗用の馬、
の意となる。
馬と同義になってからは、
足(あ)の音せずゆかむこまもが葛飾の真間(まま)の継橋(つぎはし)やまず通(かよ)はむ(万葉集)、
というように、歌語として使われることが多い、更に、転じて、「駒」は、
双六に用いる具、象牙・水牛角で円形に造り盤上に運行させる、
から、
将棋のコマ、
の意になり、そのメタファでか、
駒をそろえる、
というように、
自分の手中にあって、意志のままに動かせる人や物、
の意で使い、さらに、
三味線などの弦楽器で、弦を支え、その振動を胴に伝えるために、弦と胴の間に挟むもの、
の意となり、
駒をかう、
というように、
物の間にさし入れる小さな木片、
をも指すようになる。和語、
こま、
は、
コウマ(仔馬)の約(日本語の語源・大言海)、
コウマ(子馬)の約(岩波古語辞典)
小+馬の音韻変化(日本語源広辞典)
コマ(子馬・仔馬)の義(和句解・万葉代匠記・万葉考・和訓栞・語簏・大言海)、
と、
子馬、
小馬、
とする説が大勢だが、他に、
コトウマ(特馬)の義(日本語原学=林甕臣)、
カヒウマ(飼馬)の義(言元梯)、
コは黒、マは馬。古くは馬と言えばK馬を連想したらしい(万葉集短歌論講=折口信夫)、
マは原義は畜類で、コマは小獣の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
貢馬のうちで最もすぐれていたコマ(高麗)渡来の馬を称していたのが、一般化したもの(宮廷儀礼の民俗学的考察=折口信夫)、
等々あるが、このうち、「高麗」と関わらせる説、
貢馬のうちで最もはすぐれていたコマ(高麗)渡りの馬を称していたのが一般化したもの(宮廷儀礼の民俗学的考察=折口信夫)、
は、「駒」の「こ」が上代特殊仮名遣いで甲類であるのに対して、「高麗」の「こ」は乙類であるので、誤りとされる(日本語源大辞典)。しかし、
うま、
で触れたことだが、四世紀末から五世紀にかけて、朝鮮半島に出兵した倭国の大軍は、高句麗に大敗する。
短甲(枠に鉄の板を革紐で綴じたり鋲で留めたりした伽耶由来の重い甲(よろい))と太刀で武装した重装歩兵を中心とし、接近戦をその戦法としたものであったのに対し、既に強力な国家を形成していた高句麗が組織的な騎兵を繰り出し、長い柄を付けた矛(ほこ)でこれを蹂躙したことによるものと考えられる。歩兵にしても、高句麗のそれは鉞(まさかり)を持った者や、射程距離にすぐれた強力な彎弓(わんきゅう)を携えた弓隊がいたことが、安竹3号墳の壁画から推定されている。
歩兵と騎兵との戦力差は格段のものがあり(一説には騎兵一人につき歩兵数十人分の戦力であるという)、これまで乗用の馬を飼育していなかった倭国では、これ以降、中期古墳の副葬品に象徴されるように、馬と騎馬用の桂甲(けいこう 鉄や革でできた小札(こざね)を縦横に紐で綴じ合わせた大陸の騎馬民族由来の軽い甲)を積極的に導入していった、
とあり、それまで馬の存在自体を知らなかったと思われる、
とある(倉本一宏『戦争の日本古代史−好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』)。
日本の在来馬については、日本在来馬に詳しいが、
日本在来馬の原郷は、モンゴル高原であるとされる。現存する東アジア在来馬について、血液蛋白を指標とする遺伝学的解析を行った野沢謙によれば、日本在来馬の起源は、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという、
としているので、高句麗大敗頃のことという時代背景は合う。
うま、
の由来は、
「馬」を「うま」と訓じるのは、中国語の「マ」(もしくは「バ」)が転じたものである。つまり和語にはあの動物を表す言葉がなかったのである。ほとんど見たこともなかったのであるから、それも当然である。馬のことを駒というのも、「高麗」つまり高句麗の動物という意味なのである、
としており(仝上)、
駒、
の、「高麗」由来という説は、上述したように、音韻上難があるが、渡来経緯は異なるかもしれないが、
うま、
と、
こま、
を別に扱う必要はないので、いずれも、朝鮮経由の可能性はある。大言海は、
コマ、
に、
小馬、
とあてるが、
古名に、いばふみみのもの(英語に云ふponyなり)、応神天皇の御代に、百済國より大馬(おほま、約めて、うま)の渡りたりしに対して、小馬と呼び、旧名は滅びたりとおぼし、神代紀の駒(コマ)、古事記の御馬(ミマ)の旁訓は、追記なり、
とし、
我が国、神代よりありし、一種の体格、矮小なる馬、果下馬(クワカバ)とも云う、
とする。
果下馬(クワカバ)、
は、いわゆる、
ポニー、
のことで、
朝鮮の済州島にて、カカバと云う、イバフミミノモノ、また小馬、
とする(大言海)。つまり、「こま」とは、
小馬、
であって、
子馬、
ではない、ということを強調している。ただ、
駒、
は、
子馬。小さい馬。牡馬(おすうま)をさしていうこともある、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
子馬、
か
小馬、
か
ははっきりしないが、
オオマ(大馬)→ウマ、
コマ(小馬・仔馬)→コマ、
と、その大小から、二系統の由来、ということになるのだろう。しかし、転じて、
真蘇我よ蘇我の子らは馬ならば日向の古摩(コマ)太刀ならば呉(くれ)の真鋤(まさひ)(日本書紀)、
と、
こま、
は、
馬の総称、
を言うようになったことは確かである。なお、
「万葉集」では、「こま」「うま」の両方が見られるが、「うま」の方が優勢。しかし、平安〜鎌倉時代の八代集では、「こま」が歌語として定着し、「うま」は人名に掛けて用いるといった特別な例外をのぞいて用いられなくなった、
とある(精選版日本国語大辞典)。
うま、
で触れたことだが、
うま、
は、
ウマは古くからmmaと発音されたらしく、古写本では、「むま」と書くものが多い、
として、朝鮮語、満州語に関連する(岩波古語辞典)と想定している。また、新村出説に、
蒙古語mori(muri)、満州語morin、韓語mat(mus)mar、支那語ma(mak)などと同語源。馬自体が大陸から伝わったのとともに、音も伝わった(琅玗記)、
としている(日本語源大辞典)。さらに、
中国語のバイ(梅)・バ(馬)を国語化してウメ(梅)・ウマ(馬)という。「ウ」は語調を整えるための添加音であった。これに子音が添加されてムメ(梅)・ムマ(馬)になった。さらにム[mu]の母韻[u]が落ちて撥音化したため、ンメ(梅)・ンマ(馬)という、
ともある(日本語の語源)。確かに、馬とともに言葉も伝わったのだが、
こま、
も、
うま、
も、いずれも、
マ、
由来に見える。さらに、
平安時代以後は、歌謡には、馬をコマということが多い、
とあり(岩波古語辞典)、駒と馬は、混同されていったようだ。
「駒」(ク)は、
会意兼形声。「馬+音符句(小さく曲がる、ちいさくまとまる)」
で(漢字源)、
身体の小さな馬、二歳馬、
を意味する。漢字の「駒」も、
子馬、
と
古馬、
の意味が区別されていないようである。
駒馬、
という言い方がある。わが国では、馬の総称として、
駒、
を用いるようになって以降、将棋の駒などの意で使うが、これはわが国だけの使い方である(漢字源・字源)。これは、
漢語に棋馬(キバ)、馬子(バシ)と云ふに因る、
とある(大言海)。ただ、「棋」(漢音キ、呉音ゴ・ギ)は、
棊、
とも書き、将棋のこま、の意もあるが、「碁石」の意味もある。
棊局、
棊子、
棊敵、
棊盤、
等々、何れも「碁」を指す。また、三味線などの弦を支えるのに、
駒、
というのは、
弦の乗るもの、
というところから来た(大言海)と見られる。
駒、
の意は、
馬の少壮なるもの、又、二歳の馬、
とあり(字源)、
五尺以上は駒、
六尺以上は馬、
としている(仝上)。なお、字源としては、他に、
会意兼形声文字です(馬+句)。「馬」の象形と「曲がった鍵の引っかかった象形と口の象形」(「言葉を区切る」の意味だが、ここでは、「クルッと曲がる」の意味)から、「クルクルはねまわる子馬、こま」を意味する「駒」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2167.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「馬」+音符「句 /*KO/」。{駒 /*k(r)o/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%92)、
形声。馬と、音符句(ク)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は句(く)。句に、小なるもの、かがまるものの意がある。〔説文〕十上に「馬の二歳なるを駒と曰ふ」とあり、〔詩、周南、漢広〕の〔伝〕に「五尺以上なるを駒と謂ふ」とみえる。もと子馬をいう。犬の子を狗というのと同じ(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
倉本一宏『戦争の日本古代史−好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』(講談社現代新書)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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我(わ)が畳(たたみ)三重の川原の磯の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも(伊保麻呂)
の、
我が疊、
は、
三重の枕詞、
で、
三重敷く意、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
畳を何枚も重ねて用いる意で、地名「三重(みへ)」にかかる、
である(精選版日本国語大辞典)。
かくしもがもと、
は、
いつまでもこうしていたいと、
の意で、
河鹿の声をこのように聞いたもの、
とし、
かくしもがも―いつまでもこうしていられたらな―と、河鹿がしきりに鳴いている、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
かくしもがも、
の、
かくしも、
は、
このように、
の意の、
斯(かく)、
に、
強意の助詞「し」、詠嘆の助詞「も」が付いたもの、
もがも、
は、
係助詞「も」に、願望を表わす終助詞「が」が、さらに詠嘆を表わす助詞「も」が付いたもの、
で、
……であったらいいなあ、
の願望を、二重三重に強調した表現になっている(精選版日本国語大辞典)。
かくしも、
は、
斯しも、
とあて、
万代に訶勾志茂(カクシモ)がも千代にも訶勾志茂(カクシモ)がも(日本書紀)、
いとかくしもあらじと思ふに、真実(しんじち)に絶えいりにければ(伊勢物語)、
などと、
「斯(かく)」に強意の助詞「し」、詠嘆の助詞「も」が付いたもの、
で、
いとかうしもあるはわれをたのまぬなめり(蜻蛉日記)、
と、
こう(斯)しも、
とも訛る。
かくし、
は、
斯し、
とあて、
あらかじめ人言繁し如是(かくし)あらばしゑやわが背子将来(おく)もいかにあらめ(万葉集)、
と、
「かく(斯)」に強意の助詞「し」を加え、強調の意を加え、
このようにも、
こんなふうに、
の意となる(仝上)。その、強調の助詞、
し、
を除いた、
かくも、
は、
斯も、
とあて、ここも、格助詞、
も、
で、「かく(斯)」に強調の意を加え、
年のはに如是裳(かくも)見てしかみ吉野の清き河内(かふち)のたぎつ白浪(万葉集)、
と、
このようにも、
こうも、
の意となる(仝上)。「も」「し」という強調の助詞を除いた、
斯く、
は、
此く、
是く、
と当て(仝上・広辞苑・岩波古語辞典)、
上の語の意を受けて、下に移す語、此の如く、かやうに、音便に、か(こ)う、如此(大言海)、
カは此・彼、クは副詞語尾、目前の状態や、直前に述べたこと、直後に述べることを指していう、こう、このように(岩波古語辞典)、
古くは「か」と対の形でも用いられた(→とかく→とにかく→ともかく→とやかく)(デジタル大辞泉)、
「かく」の「く」は形容詞連用形語尾の「く」と同じであろう。この接尾要素によって、「かく」は「か」よりも副詞として安定した性格を持つもののようである(精選版日本国語大辞典)、
などとあり、古くは、
宇奈比川(うなひかは) 清き瀬ごとに 鵜川(うかは)立ち か行ゆきかく行き 見つれども そこも飽(あ)かにと 布施の海に 船浮(う)け据(す)ゑて 沖辺(おくへ)漕(こ)ぎ(万葉集)、
と、「かく」と対比した形で、
か……かく……、
の形で使う(岩波古語辞典)、
か、
は、代名詞で、
彼、
とあて、
遠いものを指し示す語、
で、
こ(此)の対、
となり、
「あ」の古形、
で、用法も「あ」より広い(仝上)とあり、
か……かく……、
と、上記のように、副詞として使う時、
あのように、
の意となり(仝上)、
か行ゆきかく行き、
は、
あちらへ行きこちらへ行きし、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
上つ瀬に生ふる玉藻は下つ瀬に流れ触らばふ玉藻なすか寄りかく寄り靡(なび)かひし(万葉集)、
では、
か寄りかく寄り、
を
(玉藻さながらに)寄り添う、
と訳す(仝上)。なお、
かくしもがも、
の、
もがも、
は、
終助詞「もが」にさらに終助詞「も」を添えた語、主に奈良時代にもちいられ、平安時代には「もがな」に代わった、
とあり(広辞苑・デジタル大辞泉)、
体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す、
とし、その
事柄の存在・実現を願う、
意を表し、
……があるといいなあ、
……であるといいなあ、
の意で使う(仝上・デジタル大辞泉)。発生的には、
「もが」に「も」が下接したものであるが、「万葉集」で「毛欲得」「母欲得」「毛冀」などと表記されている例もある、
とされ、上代にすでに、
も‐がも、
という分析意識があった(精選版日本国語大辞典)としている。
都へに行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふ言告げやらむ(万葉集)、
あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ(万葉集)、
と、奈良時代に使われた、
もが、
は、
係助詞「も」に終助詞「か」がついた「もか」の転(広辞苑・デジタル大辞泉)、
係助詞「も」に終助詞「が」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、
名詞、形容詞および助動詞「なり」の連用形、副詞、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す(デジタル大辞泉)、
文末において、体言・副詞・形容詞および助動詞「なり」の連用形、副助詞「さへ」などを受けて、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞連用形・副詞および助詞「に」を承け、得たい、そうありたいと思う気持ちを表す(岩波古語辞典)、
等々とあり、
……があればいいなあ、
……であってほしいなあ、
……でありたい、
……がほしい、
といった意味で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
もが、
をさらに強調して、
もが・も、
といったことになる。上代でも、
「もが」単独の形、は「もがも」に比して少なく、中古以後は「もがな」の形が圧倒的になる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
「斯」(シ)は、
会意文字。「其(=箕 穀物のごみなどをよりわける四角いあみかご)+斤(おの)」で、刃物で箕(み)をばらばらにさくことを示す。「爾雅釈言篇に「斯とは離なり」とあり、また「広賀」釈詁篇に「斯とは裂なり」とある、
とする(漢字源)。同じく、
会意文字です(其+斤)。「農具:箕(み)」の象形(「穀物を振り分ける」の意味)と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形から、「斧で切り分ける」を意味する「斯」という漢字が成り立ちました。また、「此(シ)」に通じ(同じ読みを持つ「此」と同じ意味を持つようになって)「これ」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji2478.html)、
会意。其(き)+斤(きん)。〔説文〕十四上に「析(さ)くなり」とし、其声とするが、声が合わず、また其は箕(き)の初文であるから、斤を加うべきものではない。おそらく丌(き 机)の上にものを置き、これを析く意であろう。〔詩、陳風、墓門〕「墓門に棘(きょく)有り 斧(ふ)を以て之れを斯(さ)く」、また〔列子、黄帝〕「齊國を斯(はな)るること幾十萬里なるかを知らず」のように用いる。指示代名詞としては、ものを強く特定する意があり、〔論語〕に「斯文」「斯の人」「斯の民」のようにいう。「斯須」は連語、「すなわち」のように副詞にも用いる(字通)
と会意文字とするものもあるが、
形声。斤と、音符其(キ)→(シ)とから成る。切りはなす意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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