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コトバ辞典


こせ

 

ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは秋風吹くとかりにつげこせ(業平)

の、

こせ、

は、

「… してくれる」意の助動詞「こす」の命令形と普通説明される、

とし、

つげこせ、

は、

告げてくれ、

と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

こす

でふれたように、

こせ、

は、

… してくれの意の補助動詞コスの未然形、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。初出は、

うれたくも鳴くなる鳥かこの鳥も打ち止め許世(コセ)ね(古事記)、

とあり、

こす、

は、上代語で、動詞の連用形に付いて、

相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、

を表わし(精選版日本国語大辞典)、

……してくれ、
……してほしい、

という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(仝上・広辞苑)。活用は、

未然形「こせ」・終止形「こす」・命令形「こせ」、

だけとされる(広辞苑)が、

助動詞下二段型、こせ/○/こす/○/○/こせ・こそ、

の活用で、相手に望む願望の終助詞「こそ」を、

「こす」の命令形、

とする説があり((学研全訳古語辞典))、また、

命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法、

とする説もある(精選版日本国語大辞典)。

また活用についても、下二段型とする説の他、

サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞、

とする説がある(精選版日本国語大辞典)。未然形「こせ」についても、

「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、終止形「こす」は、「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられる。命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、これを独立させて終助詞とする説もある(仝上)、

と、平安時代以降、命令形に、

こせ、

の形が見られるようになる(仝上)とある。

吉野川逝く瀬の早みしましくも淀むことなく有り巨勢濃香問(コセヌかモ)(万葉集)、

の、

こせぬかも、

は、

助動詞「こす」の未然形「こせ」に打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」、詠嘆の助詞「かも」の付いたもの、

で、相手の動作・状態に対する希望を詠嘆的に表わし、

…であってくれないかなあ、

の意で、

我が背子(せこ)は千年五百年(ちとせいほとせ)ありこせぬかも(万葉集)、

と、

ありこせぬかも、

の形で用いることが多い(精選版日本国語大辞典)。この、

ぬかも、

は、

ぬかも

で触れたように、

ぬ-かも、
と、
ぬか-も、

があり、この歌は、

ぬか-も、

の可能性があることについては触れた。

こす、

は、その由来について、

動詞「コス(遣す)の古い命令形という。呉れる、寄こす意のオコスのオが直前の母音と融合して脱落した形、希求の助詞コソと同根も他の動詞の連用形と連なった形で現れる。接尾語とする説もある(岩波古語辞典)、
オコス(送來)と同意、オコスは、此語に、オの添はりたるものなるべし、オの略せらるるは、おこおこし、おここし (厳)。思ふ、もふなどあり(大言海)、
「おこ(遣)す」の音変化、カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いたとみるなど、諸説がある(デジタル大辞泉)、
語源に関しては、( イ )寄こす意の下二段動詞「おこす」のオが脱落した、( ロ )カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いた、( ハ )「く(来)」の他動詞形、などの説がある。また、命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法とする説もある(精選版日本国語大辞典)、
未然形の「こせ」と終止形の「こす」は、主に上代に用いられ、時に中古の和歌に見られる。相手に望む願望の終助詞「こそ」を、この「こす」の命令形とする説がある(学研全訳古語辞典)、
萬葉集に乞の字を讀めり(霊(たま)ぢはふ神も我(わ)れをば打棄(うつ)てこそ(乞)しゑや命(いのち)の惜しけくもなし)、字の如く、乞ひ願ふ辞(和訓栞)、

などとある。因みに、

おこす、

は、

遣す、
致す、

と当て、

せ/せ/す/する/すれ/せよ、

の、他動詞サ行下二段活用で、

白玉の五百箇集(いほつつどひ)を手に結びおこせむ海人(あま)はむがしくもあるか(万葉集)、

と、

よこす、
届けてくる、

意だが、

空合はせ(=夢判断)にあらず、いひおこせたる僧の疑はしきなり(かげろふ日記)、
月の出(い)でたらむ夜は、見おこせ給(たま)へ(竹取物語)、

と、動詞の連用形に付いて、

せ/せ/す/する/すれ/せよ、

の、補助動詞サ行下二段活用で、

その動作が自分の方へ及ぶことを表す、

とし、

こちらへ…する、
…してくる、
こちらを…する、

意で使う(デジタル大辞泉、学研全訳古語辞典)とあり、これが、

こす、

へ転じたと見るのが、一番納得できる。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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かささぎ

 

かささぎの峯とびこえて鳴きゆけば夏の夜わたる月ぞかくるる(よみ人しらず)

の、

かささぎ、

は、

烏に似た鳥で、腹部と肩羽のみが白い。その白い部分を月に見立てたか、

とあり(水垣久訳注『後撰和歌集』)、

月明星稀烏鵲南飛(月明らかにして星稀に烏鵲南に飛ぶ)(魏・武帝「短歌行」)、

に拠ったとも、

鵲飛山月曙(鵲飛びて山の月曙なり)(全唐詩「入朝洛堤歩月」)、

に拠ったかともいう(水垣久訳注『後撰和歌集』)とある。

鵲(かささぎ)の橋

で触れたが、

カササギ、

は、

鵲、

とあて、漢語で、

月明星稀、烏鵲南飛(魏・武帝「短歌行」)、

と、

烏鵲(うじゃく)、

とも、

喜鵲(きじゃく)、
客鵲、
飛駁鳥、
乾鵲、

などの呼び名もあり、日本では、

ちょうせんがらす、
とうがらす、

ともいい、和名類聚抄(平安中期)に、

鵲、加佐佐木、

とあり、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

鵲、カササギ・カラス、

とある。

カラス科の鳥。全長約四五センチメートルで、カラスより小さい。腹面および肩羽は白色で、ほかは金属光沢を帯びた黒色。尾羽は長く、二六センチメートルにも達する。村落近くにすみ、雑食性で、樹上に大きな巣をつくる。中国、朝鮮に多く分布するが、日本では佐賀平野を中心に九州北西部にだけみられ(朝鮮出兵の際九州の大名らが朝鮮半島から持ち帰り繁殖したものとする説がある)、天然記念物に指定されている、

とある(精選版日本国語大辞典・大辞泉)。鳴き声がカチカチと聞こえるので、

カチガラス、

ともいい(仝上)、

高麗鴉、
朝鮮鴉、
唐鴉、

という別名を持ち、筑後に多いので、

筑後鴉、

の名もある(大言海)。古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったらしく、「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」とあり、後漢末の応劭著『風俗通』(『風俗通義(ふうぞくつうぎ)』)に、

織女七夕、当渡河、使鵲為橋、

とあることから、

七夕(たなばた)の夜、天の川にかけられるという鵲(かささぎ)の橋、

として伝わり、

七夕の架け橋を作る伝説の鳥、

として、カササギの存在は日本に知られることとなり、奈良時代、

鵲の渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける(小倉百人一首)、

と詠われるに至ったと見られるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%AE

鵲、

の由来は、

朝鮮より渡り來る山鳥なり。カサは朝鮮の古名カス、又は、カシの転と云ふ(今はカアチ)、サギは鵲(サク)の音、韓、漢、雙擧の語なり、同地にて、火をフルハアと云ふ、フルは、其国語にて、ハアは火(フア)の字音と合して云ふ、此例の多し(大言海)、
朝鮮語にkat∫iという鳴き声からの命名か(岩波古語辞典)、
カサはこの鳥の朝鮮の方言、サギは鷺の意(名言通)、
カサは、鵲をいう朝鮮の方言カシの転、サギはサワギ(噪)から(東雅)、
カサ(朝鮮語)+サギ(白い鳥・鷺)(日本語源広辞典)、

等々あるが、基本、日本では認識されていなかった鳥なので、

朝鮮由来、

ということはあるかもしれない。また漢字「鵲」自体が、擬声語なので、鳴声由来はありえそうである。

日本書紀に、

難波吉士磐金(きしのいわかね)、新羅より至(まゐ)りて、鵲(カササキ)二隻(ふたつ)を献る(日本書紀・推古紀)、

とあり、二羽の鵲を持ち帰ったが、この「鵲」には万葉仮名が振られておらず、「かささぎ」という読みが初めて登場するのは、上述した和名類聚抄(平安中期)である。

なお、

サギ(鷺)

たなばた

については触れた。

「鵲」(慣用ジャク、漢音シャク、呉音サク)は、

形声。「鳥+音符昔」。ちゃっちゃっと鳴く声をまねた擬声語、

とある(漢字源)。他も、

形声。声符は昔(せき)。〔説文〕四上に舄(せき)を正字とし、「舄は鵲なり。象形」とするが、舄は礼装用の飾りのある履(くつ)の形。鵲が烏鵲の字である(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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さわらび

 

石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子)

の、

石走(いはばし)る垂水(たるみ)、

は、

岩にぶつかってしぶきをあげる滝、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

さわらび、

は、

早蕨、

とあて、冒頭の、

岩走る垂水の上の左和良妣(サワラビ)のもえ出づる春になりにけるかも

と、

芽を出したばかりのワラビ、

つまり、

若芽のワラビ、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、主な旬は4月から6月とされ、

まだ葉が開く前の若芽を、下から手でしごきながら折り取るように摘んで採取する。若芽の先端の葉が開きかけたものはかたいため、葉が開かずに丸まっているものがよい、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93。ただ、

ワラビは雪解け水がしたたるような場所には生えないことから、この歌の「さわらび」はワラビではなくシダ類一般を指した言葉ではないか、

という指摘もある(仝上)。また、

ワラビは山菜の中でも特に灰汁が強く、食べるためには灰汁抜きが必要で、下処理せずに生食すると毒性があるともいわれている、

とある(仝上)。この、

若葉がまだ開かず先がこぶしのように巻いている、

さわらび、

を、

わらびで(蕨手)、

といい、また、その、

頭部が鉤の手のように曲がった蕨の芽、

を、

かぎわらび(鉤蕨)、

ともいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。いずれも、その形状からきている。また、

その春初めてはえ出た蕨、

を、

君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬはつわらびなり(源氏物語)、

と、

初蕨(はつわらび)、

という(仝上)。なお、

さわらび、

は、

襲(かさね)の色目の一種としては、

表:紫、裏:青、

の組み合わせで、

春の山野に生えた蕨、表地の紫が巻いた部分、裏地の青がその他の部分を表している。着用時期は春、3月、

とあるhttps://whatsinaname.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%AD%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE。なお、

襲の色目

では、

匂ひ

で触れたように、

女房装束の袿の重ね(五衣)に用いられた襲色目の一覧、

をいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%B2%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE

小袿

で触れたことだが、

正式の女房装束はこの上に「表着」や「小袿」、さらに「唐衣」を着用しますから、表面に表れる面積では「五衣」は少ないのですが、袖などに表れるこの部分の美しさを女房たちは競いました、

とあるhttp://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm。平安時代は、グラデーションを好んだようで、その配色の方法で、

匂ひ(同系色のグラデーション)
薄様(うすよう グラデーションで淡色になり、ついには白にまでなる配色)
村濃(むらご ところどころに濃淡がある配色です。「村」は「斑」のこと)
単重(ひとえ)がさね 夏物の、裏地のない衣の重ねです。下の色が透けるので微妙な色合いになる)、

等々がある(仝上)。また、

卯の花

で触れたように、

色目、

は、

十二単などにおける色の組み合わせ、

をいい、襲(かさね)装束における色づかいについていわれることが多いので、

かさね色目、

などともいいhttp://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm

衣を表裏に重ねるもの(合わせ色目、表裏の色目)、
複数の衣を重ねるもの(襲色目)、
経糸と緯糸の違いによるもの(織り色目)、

の三種類ある(http://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm・日本大百科全書)。

ワラビ

は、

シダ類ウラボシ科の落葉多年草。各地の山野の向陽地に生える。早春、先端が拳状に巻いた新葉を出す。成葉は二〜四回羽状複葉で長柄をもつ。葉身は卵状三角形で長さ八〇センチメートルに達し、小葉はさらに羽裂する。胞子嚢(ほうしのう)群は裏側にまいた葉の縁につく。若葉は早蕨(さわらび)と呼び食用。根から蕨粉をとって餠や糊の原料とする、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

煙たちもゆとも見えぬ草の葉をたれかわらびと名づけそめけん(古今和歌集)、

から、

狗脊(ぜんまい)の塵にゑらるるわらびかな(俳諧「猿蓑」嵐雪)、
早蕨(さわらび)の握り拳こぶしを振り上げて山の横面よこつらはる風ぞ吹く(四方赤良)、

まで種々に詠われているが、上代以来、

和歌では早春の景物とする。中古の歌では「わらび(藁火)」と掛けた上で、「萌え」と掛けた「燃え」や「煙」「たく(焼)」などと縁語にしたりする、

とある(精選版日本国語大辞典)。

ワラビ

については触れたが、漢字、

蕨、

は、後述するように、

若芽がちぢんでまるくまがったわらび、

を表す、

艸+音符厥(ケツ ちぢんで曲がる)、

で構成され、

早春、地中の根茎からこぶし状に巻いた新芽をだす、

を意味している(漢字源)が、これを、わが国では、

さわらび(早蕨)、

といった。和名類聚抄(931〜38年)、本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)、字鏡(平安後期頃)には、いずれも、

和良比、

とあるが、古名は、

ヤマネグサ、
イワネグサ、
イワシロ、
ホドロ、

とあり(たべもの語源辞典)、異名に、

ムラサキノリ、
ワラ(女房ことば)、
紫の塵、

等々、地域でさまざまに呼び名がある(仝上)。漢名は、

蕨萁菜・米蕨草・龍頭菜・山菜・烏昧(うまい)・月爾(げつじ)・莽芽(もろが)・金桜芽(きんおうが)・拳頭菜(けんとうさい)・小児拳・倒掛草(とうけいそう)・拳菜・龜脚菜、

等々(仝上)とある。

わらび、

は、上述のように、

シダ類の代表的な名として流用され、たとえばイヌワラビ、クマワラビ、コウヤワラビなどがある。また、アイヌ語でもワラビを「ワランビ」「ワルンベ」などと呼称しており、日本語由来の言葉と考えられている、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93、その語源には、さまざまな説がある。

ハルミ(春味)の転(和語私臆鈔)、
色が焼いたワラビ(藁火)に似ているから(和句解)・日本語源広辞典、
ワラノヒ(曲平伸)の略で、形がワラ(藁火)に似ているところから(柴門和語類集・日本語源広辞典)、
ワラハテフリ(童手振)の義(名言通)、
ネネリヤカメグキ(撓々芽茎)の義(日本語原学=林甕臣)、
ワ(曲)ラ(接辞)ヒ(秀)という語構成の語(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
ワラ(茎)メ(芽)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
童+ビ(拳)。握りこぶしに似ているので(日本語源広辞典)、
早春の芽出しの早いことをワラヒ(笑)とみて、それが訛ったもの、
ワラビの芽の部分が三本に分裂して、その一本は茎となって伸びたのち、さらに三本の芽に分かれと、分裂を繰り返すので、ワカレメ(別れ芽)草と呼ばれていたから、ワカの縮約形のワレメはレの転訛でワラメ、さらにメの転訛でワラミ、ワラビと転訛した(日本語の語源)、
ワラビのワラを散(わら)と考えて、ワラビがその芽の散(わら)くるから、
散芽(わらめ)の転、
散風(わらぶる)の転、
ワラビのワラはカラ(茎)に通ずるので、カラ(茎)メ(芽)から転じた、
蕨の字と蹶(ケイ、ケツ)の字と似ていることからワラビの芽生えの形が鼈(すっぼん)の足ににているから、

等々(日本語源大辞典、たべもの語源辞典)。

「ワラビ」の「ビ」は、ビ→ミ、と転じて、

実、

とし(ミからビ=前川文夫)、

あちこちに散らばって出るから散(わら)という、

とし、

ワラミ→ワラビ、

ではないかとするのは『たべもの語源辞典』であるが、『日本語の語源』は、

芽の部分が三本に分裂しており、その中の一本は茎となって伸びたのち、さらに三本の芽に分かれ、再三、分裂を繰り返してゆくので、ワカレメ(別れ芽)草と呼ばれていたと推測される。ワカ[w(ak)a]の縮約形のワレメは、レの母交(母韻交替)[ea]でワラメになり、さらにメの母交(母音交替)[ei]でワラミ・ワラビと転訛した、

とする、

ワカレメ→ワラメ→ワラミ→ワラビ、

と転訛するとする説は、たべもの語源辞典は「いかがか」と疑問を呈したが、

あちこちに散らばって出るから散(わら)、

という説よりは、僕には生態的にも、感覚的にもよくわかる気がする。ちなみに、

わら(蕨)、

という言い方は、

蕨はわら。葱はうつほ。如此異名を被付(「海人藻芥(1420)」)、

と、

蕨(わらび)の女房詞、

である(精選版日本国語大辞典)。

「蕨」(漢音ケツ、呉音コチ)は、

会意兼形声。「艸+音符厥(ケツ ちぢんで曲がる)」。若芽がちぢんでまるくまがったわらび、

を指す(漢字源)とあり、同じく、

会意兼形声文字です(艸+厥)。「並び生えた草」の象形と「崖の象形と逆さまにした人の象形(「逆らう」の意味)と人が口を開けている象形(「人が大きな口を開けて咳込む」の意味)」(削り取られた崖に、大きな口を開けるように石を「掘る」の意味)から土を掘り割って芽を出す草「わらび」を意味する「蕨」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2709.html

と、会意兼形声゛とするものもあるが、

形声。艸と、音符厥(クヱツ)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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はだれ

 

沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何の花ぞも(駿河采女)

の、

はだれ、

は、

うっすらと積る状態、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

はだれ、

は、

はだら、

ともいい、

ほどろ

で触れたように、

夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影に見ゆ(大伴家持)、

と、

ほどろ、

ともいい、

うっすらと地面に降り積もる、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、

我が背子を今か今かと出てみれば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに(万葉集)、

と、

(雪などが)はらはらと散るさま、

という意と、また、

夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり一云庭も保杼呂尓(ホドロニ)雪そ降りたる(万葉集)、

と、

雪などがまだらに降り積もるさま、

の意とがある(精選版日本国語大辞典)。

はだれ、

は、

斑、

とあて、

まだら、
まばら、

の意だが、

はだれ、

は、

ハダラの転、

であり(岩波古語辞典)、

はだら、

は、上述のように、

夜を寒(さむ)み朝戸(あさと)を開き出(い)で見れば庭も薄太良(ハダラ)にみ雪降りたり、

には、万葉集に、

一には、庭もほどろに雪ぞ降りたる、

とあるように、

ホドロの母音交替形、

とある(岩波古語辞典)ので、

はだれ、

は、

はだれに降れる雪を略して名詞としたる語、

とする(大言海)説もあるが、

ホドロ→ハダラ→ハダレ、

と転訛してきたものである。

はだれ、

は、だから、

沫雪(あわゆき)か薄太礼(ハダレ)に降ると見るまでに流らへ散るは何の花そも(万葉集)、

と、

雪がはらはらと降るさま、

の意と、

笹の葉にはだれ降り覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ(万葉集)、

と、

うっすらと置いた雪、

の意とがある(岩波古語辞典)。

我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散る波太礼(ハダレ)のいまだ残りたるかも(万葉集)、

の、

はだれ、

は、

はだれゆき(雪)の略、

で、

まだらに降り積もる雪、

の意だが、当然、

今年いたう荒るることなくて、はだら雪ふたたびばかりぞ降りつる(蜻蛉日記)、

と、

はだら雪、

ともいう(岩波古語辞典)。また、

蹈ちらす人のこびんよはつれ雪(俳諧「犬子集(1633)」)、

と、

はつれ雪、

という言い方もするようだ(精選版日本国語大辞典)。また、

天雲(あまくも)の外(よそ)に雁(かり)が音(ね)聞きしより薄垂霜(はだれしも)降り寒しこの夜は(万葉集)

と、

はらはらと、うっすら見える霜、

の意で、

はだれ霜、

という言い方もする(岩波古語辞典)。

はだれ雪、

は、今風に言えば、

まだらゆき(斑雪)、

で、やはり、

まだらに降り積もった雪、
また、
まだらに消え残る雪、

の意になる(デジタル大辞泉)。また、

霰まじる帷子雪はこもんかな(芭蕉)、

の、

帷子雪(かたびらゆき)

も、

薄くふりつもった雪、

をいう(広辞苑)。

今は残雪半ば村消(むらぎ)えて、疋馬(ひつば)地を踏むに、蹄を労せざる時分によくなりぬ(太平記)、

の、

村消(むらぎ)え

は、

斑消え、

とも当て、

(雪などが)あちこちとまばらに消え残っている、

意である(広辞苑・岩波古語辞典)。また、

降り方が激しかったり、弱くなったりする雨、

をいう、

村雨(むらさめ)

の、

むら、

でもある。

斑(むら)、

は、

色の濃淡・物の厚薄があって一様でないこと、

つまり、

まだら、

の意である(仝上)。

すそご

で触れた、縅(おどし)や染色に、

同じ色で、所々に濃い所と薄い所のあるもの、

を、

村濃(むらご)、

というが、これも、

斑濃、

とも当て、

ここかしこに叢(むら)をなすこと(大言海)、

つまり、

色の濃淡、物の厚薄などがあって、不揃い、

の意である(広辞苑)。

まだら(斑)、

は、

其の面身(むくろ)、皆斑白(マタら)なり(日本書紀)、

と、

色や濃淡がまじっているさま、

の意で、また、

まだら、

は、

み狩するかきのねずりの衣手に乱れもどろにしめる我が恋(「経信集(1097頃)」)、

と、

マダラの母音交替形で、

もどろ、

ともいう(岩波古語辞典)。

「斑」(漢音ハン、呉音ヘン)は、「ほどろ」で触れたように、

会意文字。玨は、玉を二つにわけたさま。班(二つに分ける)と同系。斑は「玨(分ける)+文」で、分かれて散らばる意を含む、

とある(漢字源)。また、同じく、

会意文字です(辡+文)。「入れ墨をする為の針」の象形×2と「人の胸を開いて、入れ墨の模様を書く」象形から、模様に分かれ目がある事を意味し、そこから、「まだら」を意味する「斑」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2120.html

会意。玨(かく)+文。玨は両玉。その色の相雑わるをいう。〔説文〕九上に字を辡+文に作り「駁(まだら)なる文なり」と訓し、辡(べん)声の字とするが、辡は辯(弁)の初文で、獄訟のことをいう字である。斑を正字とすべく、斑とは二玉相雑わる玉色をいう(字通)、

と、会意文字とするが、

形声。「文」+音符「班 /*PEN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%91

形声。文と、音符辡(ハン、ベン)(玨は変わった形)とから成る。まだらもようの意を表す(角川新字源)

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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女郎花合

 

をるからに我が名は立ちぬをみなへしいざおなじくは花々に見む(藤原興風)

の詞書(和歌や俳句の前書き)に、

おなじ御時の女郎花合(をみなへしあはせ)に、

とある。

女郎花合、

は、

女郎花の花を持ち寄り、歌を添えて優劣を競った遊び、

である。歌中の、

花々に、

は、

他例なく難解、

とし、

「あだあだしくはなやかに」とも(新抄(江戸後期の注釈書)の一解)、

とある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

女郎花合(おみなえしあわせ)、

は、

物合(ものあわせ)の一つ、

で、

左右に分かれ、オミナエシの花に歌を添えたものを出し合って比べ、優劣を競う遊び、

である(精選版日本国語大辞典)。

菊合(きくあわせ)

で触れたように、

女郎花合、

は、

物を合わせて優劣を競う遊戯、

である、

物合(ものあわせ)、

には、この他、

菊合
貝合、
前栽(ぜんざい)合、
根合、
草合、
艶書合、
今様合、
草子合、
扇合、
絵合、
歌合
花合、
蟲合、
香合(薫物合)、

等々がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)。紫式部日記に、

御前のありさま、絵にかきたる物合の處にぞ、いとよう似て侍りし、

とあり、枕草子にも、うれしきものに、

物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ、

とある。古今集の、

小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経(へ)にけむ秋を知る人ぞなき(紀貫之)、

には、

朱雀院の女郎花合の時に、をみなへしといふ五文字(いつもじ)を、句のかしらにおきてよめる、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。朱雀院にて行われた「亭子院(ていじのゐん 宇多天皇の院号)女郎花合」(898年)に詠んだものである。

菊合(きくあわせ)

で触れたことだが、

物合(ものあわせ)、

は、

左方、右方に分かれ、たがいに物を出し合って優劣を競い、判者(はんじや)が勝敗の審判を行い、その総計によって左右いずれかの勝負を決める遊戯の総称、

で(広辞苑・世界大百科事典)、多く歌を伴い、平安貴族の間で流行した。

物合、

は、

菊合
歌合
相撲(すまひ)
競馬(くらべうま)
賭射(のりゆみ)

などとともに、

競べもの、

の一種であるが、歌合、詩合などをも含む広範囲に及ぶ各種の、

合わせもの、

を一括していうことも多い(仝上)とある。近世まで含めると、植物では、

草合、根合(ショウブの根)、花合(主として桜)、紅梅合、瞿麦(なでしこ)合、女郎花(おみなえし)合、菊合、紅葉合、前栽(せんざい)合、

等々、動物では、

鶏(とり)合、小鳥合、鶯合、鵯(ひよどり)合、鶉(うずら)合、鳩合、虫合、蜘蛛合、犬合、牛合、

等々、文学では、

歌合、詩合、物語合、絵合、扇紙(扇絵)合、今様(いまよう)合、懸想文(けそうぶみ)合、連歌合、狂歌合、発句合、

等々、文具・器物では、

草紙合、扇合、小筥(こばこ)合、琵琶合、貝合、石合、

等々、武技・遊芸では、

小弓合、乱碁合、謎謎合、薫物(たきもの)合、名香(みようごう)合、

等々、衣類では、

小袖合、手拭合、

等々が行われている(仝上)という。競技の際には、

比べる物にちなんで詠まれた和歌が添えられて、出し物とあわせて判定の対象、

となったが、平安後期以降の、

歌合、

の盛行とともに、その和歌の占める比重が漸次大きくなり、物合は一種の文芸的な遊戯の色合いを濃くしていった(日本大百科全書)とある。なお、

内裏菊合(888〜891)、
亭子院女郎花合(898)、
円融院扇合(973、実際には扇に添えられた歌を内容とする)、
斎宮良子内親王貝合(1040)、
正子内親王絵合(1050)、
郁芳門院根合(1093)、
篤子内親王(あつこないしんのう)花合(1105)、
後白河法皇今様合(1174)、

等々が名高い(世界大百科事典)とある。

物合(ものあわせ)の遊び方は、下記のようであったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E5%90%88

左方・右方のチームメンバーを決める(左右の競技者を方人(かたうどl)という)。

各チームのスポンサーとなる大貴族が、親類縁者・家臣など関係者の中からその道に優れた人を抜擢する。歌合などでは、小貴族であっても和歌の腕がよければ選ばれて光栄に浴することも出来た。

左方のチームカラーは暖色系統(当時は紫から橙色まで)で、大きな催しなどではアシスタントの女童たちの衣装や品物を包む料紙なども赤紫から紅の色合いで意匠を統一する。右方のチームカラーは寒色系統(当時は黄色から青紫まで)で、同じく凝った意匠を競った。

審判(判者)の選定はもっとも神経を使うもので、審美眼はもちろん判定書に必要な書道や文章・和歌の道に優れた老練の人が選ばれる。他に、数回戦を競うため各チーム勝ち負けの数を串で記録する記録係「数刺し」がいた。

また、両チームにはチーム代表で解説や進行を担当する「頭」や、応援担当の「念人」が選出されることもある。

なお、

方人

でふれたように、典型的な歌合の人の構成は、

方人(かたうど 左右の競技者)、
念人(おもいびと 左右の応援者)、
方人の頭(とう 左右の指導者)、
読師(とくし 左右に属し、各番の歌を順次講師に渡す者)、
講師(こうじ 左右に属し、各番の歌を朗読する者)、
員刺(かずさし 左右に属し、勝点を数える少年)、
歌人(うたよみ 和歌の作者)、
判者(はんじや 左右の歌の優劣を判定する者。当代歌壇の権威者または地位の高い者が任じる)、

などのほか、

主催者、
和歌の清書人、
歌題の撰者、

などが含まれる(世界大百科事典)。なお、

おみなえし

については触れた。

「女」(漢音ジョ、呉音ニョ、慣用ニョウ)は、

象形、なよなよしたからだつきの女性を描いたもの、

とある(漢字源)が、

象形。手を前に組み合わせてひざまずく人の形にかたどり、「おんな」の意を表す、

とあり(角川新字源)、同趣旨で、

象形文字です。「両手をしなやかに重ね、ひざまずく女性」の象形から、「おんな」を意味する「女」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji32.html

象形。手を据えてひざまずいた人を象る。「おんな」「女性」を意味する漢語{女 /*nraʔ/}及び「はは」を意味する漢語{母 /*məʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B3

女子が跪(ひざまず)いて坐する形。〔説文〕十二下に「婦人なり。象形」とあり、手を前に交え、裾をおさえるように跪く形。動詞として妻とすること、また代名詞として二人称に用いる。代名詞には、のち汝を用いる(字通)、

とある。甲骨文字から見ると、後者のように感じる。

「郎」(ロウ)の異体字は、

カ(旧字体)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%83%9E。字源は、

会意兼形声。良は粮の原字で、清らかにした米。郎は「邑(まち)+音符良」で、もとは春秋時代の地名であったが、のち、良にあて、男子の美称に用いる、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(良+阝(邑))。「穀物の中から特に良いものだけを選びだす為の器具」の象形(「良い」の意味)と「特定の場所を示す文字と座りくつろぐ人の象形」(人が群がりくつろぎ住む「村」の意味)から、良い村を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「良い男」を意味する「郎」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1482.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「邑」+音符「良 /*RANG/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%83%8E

形声。邑と、音符良(ラウ)とから成る。もと、地名を表した。借りて、わかものの意に用いる。常用漢字は俗字による(角川新字源)、

形声。声符は良(りよう)。〔説文〕六下に魯の地名とし、〔段注〕に「郎を以て男子の稱、及び官名と爲す者は、皆良の假借なり」とする。良は風箱留実、筒の中に風を通して、穀の良否をよりわけるもので、それより良善の意となる。〔詩、秦風、黄鳥〕「彼の蒼(さう)たる者は天 我が良人を殱(つく)す」の良人は良士、郎は廊廡(ろうぶ)にあって事を執ることよりの称であるらしく、漢代に郎官の制が定まり、石二十以上を郎といった。のち官僚、男子の称となり、族中の排行(生年の順)によって九郎・十二郎のようにいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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あだなり

 

女郎花はなの心のあだなれば秋にのみこそあひわたりけれ(後撰和歌集)

の、

あだなり、

は、

浮気(あだ)なので、

と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

あだなり、

は、

古今集、後撰集、拾遺集の三代集に用例が比較的多く、後拾遺集以後になると、相対的に少なくなっている傾向がみられる、

との指摘もあり(file:///C:/Users/sugit/Downloads/A525_Dissertation_%E5%85%A8%E6%96%87%20(1).pdf)、あまり辞書に載らないが(広辞苑・岩波古語辞典には載らない)が、

なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ、

の、形容動詞ナリ活用で、

会はでやみにし憂(う)さを思ひ、あだなる契りをかこち(徒然草)、

と、

はかない、
もろい、

の意、

そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍(はべ)らむ(紫式部日記)、

と、

誠実でない、
浮気だ、

の意、

確かに御枕上(まくらがみ)に参らすべき祝ひの物にて侍(はべ)る。あなかしこ、あだにな(源氏物語)

と、

疎略だ、

の意、

蝶(てふ)になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや(虫めづる姫君)、

と、

無駄だ、
無用だ、

の意などで使う(学研全訳古語辞典)。

あだし心

で触れたように、

世は皆夢の幻(うつつ)とこそ思ひ捨つる事なるに、こはそも何事のあだし心ぞや(太平記)、

の、

あだし心、

は、

徒し心、

と当て(岩波古語辞典)、

浮ついた心、

と訳す(兵藤裕己校注『太平記』)ので、冒頭の、

あだなり、

と意味は重なる。ただ、

あだし、

は、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ

の、形容詞シク活用だが、

徒し、

のほか、

空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、

等々とも当て、意味を異にする。いずれも、古くは、

あたし、

であった(広辞苑・岩波古語辞典)。

君に逢へる夜霍公鳥(ほととぎす)他(あたし)時ゆ今こそ鳴かめ(万葉集)、

と、

他し、
異し、

と当てる、

あだし、

の意は、

異なっている、
別である、

になる。類聚名義抄(11〜12世紀)には、

他、アタシ、

とある(広辞苑・岩波古語辞典)。

殿の御前の御聲は、あまたにまじらせたまはず、徒しう聞こえたり(栄花物語)、

の、

徒し、
空し、

と当てる、

あだし、

の意は、

花が実を結ばないこと、
実意・誠意がないこと、
いいかげんなこと、
無用、無駄、
空しい、

などになり(仝上)、

徒を活用せしむ語(眞(まこと)しき、大人(おとな)しき)、あだし契、あだし世、などと云ふは、終止形を名詞に接しむる用法にて、厳(いか)し矛(ほこ)、空し車、同例なり、

とあり(大言海)、

意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、

とある(岩波古語辞典)。「あだし心」はその典型例になる。

王は外道に党(かたちは)へり(味方した)。それ敵(あだ)すべけむや(大唐西域記)、

と、

仇し、
敵し、

と当てる

あだし、

の意は、

敵対する、
はむかう、

になり(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

敵、アタル、カタキ、アタ、

とある。だから、

アタは仇、

とある(仝上)。

あだ

で触れたことだが、

徒し、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、

とあてる「あだし」の語幹「あだ」は、いずれも古くは、

あた、

と、清音だが、

あだな

で触れたように、これも、

他・異、
徒・空、
仇・敵、

の三通りがある。

あだ(他・異)、

は、

あたし(他し)、

から来ている。

他のものである、

という意味である(岩波古語辞典)。後世濁って、

あだし(他し)、

となるが、『大言海』は、

他、
異、

を当て、

徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、

とし、

あだ(徒・空)、

は、上述したように、

徒(あだ)を活用せしむ(眞〔まこと〕しき、大人(おとな)しき)。アダシ契、アダシ世、などと云ふは、終止形を、名詞に接続せしむる用法にて、厳(いか)し矛、空し車、同じ年などと同例なり、

として、

あだ(他・異)、

あだ(徒・空)、

とを関連づけている。

あだ(仇・敵)、

は、『大言海』は、

仇(あた)に同じ、

として(仇(あた) 當(あた)るの語根、類聚名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名「仇、ウタは、當る也、、我れと相當る也、敵當の意なり」)、

憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、

としているが、『岩波古語辞典』は、

びたりと向き合って敵対するものの意、

とし、

敵、
自分に害をなすもの、
害、
うらみ、

としており、敵という状態表現から、害そのもの、さらにうらみへと価値表現へと広がっている、とする。

「徒」は、字鏡(平安後期頃)に、

譋、伊豆波利己止、阿太己止、

とあり、

無用の意を言うアヒダ(閨jの約(大言海・名言通)、
アダシ(他し)の語根(大言海)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍(うきくさ)の跡)、
イタヅラの転(類聚名物考)、

など諸説あるが、「他」との関係について、上述したように、

徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、

と、

他(異)し、

徒(空)し、

を繋げている(大言海)。有名な、

君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(古今集)、

を、

徒し、

ではなく、

他し、

と当てている(岩波古語辞典)のを、上述したように、

(あだ(徒)しは)意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、

とする(仝上)のは、意味の近さからではないか。

他し心、

は、

他に心を移している、

意であり、

徒し心、

は、それゆえの、

不実な心、

ということになる。もともと「あだし心」は、

異なる、他のものに心を移す、

という状態表現にすぎなかったが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、

徒し心、

へとシフトしたのかもしれない。

仇し、

については、

あだ

で触れたように、

仇(あだ)、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

寇、アタ、カタキ、
怨、アタ、

とあり、その、

語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓、中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており、江戸中期の文献あたりでは、いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので、江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる、

とあり(日本語源大辞典)、

當(あた)るの語根、名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名(元禄)「アタは、當る也、我と相當る也、敵當の意なり」(大言海)、
アタルの語根(和句解・日本釈名・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
アヒテ(相手)の約轉(名言通)、
アザ(他)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍[うきくさ]の跡・言元梯)、
無用の意をいうアヒダ(間)の約(名言通・)
「アタ(当たるの語幹)の変化」です。アタンスル(寇にする)が方言に残っています。アダと濁音になったのは憎む意の加わったものです(日本語源広辞典)、
アタはアタナヒ(寇)・アタヒ(能)・アタヒ(価)・あたへ(与)・アタラ(可惜)・アタラシ(可惜)・アタリ(当)などに共通の語根(岩波古語辞典)、

と諸説あるもののはっきりしないが、「仇(あた)に同じ」として、

憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、

と、その意味から濁点化したとみている(大言海)。もともと、

びたりと向き合って敵対するものの意、

と(岩波古語辞典)いう状態表現であったものが、「憎む」価値表現を加味したということかもしれない。で、

他・異、
 ↓
徒・空、
 ↓
仇・敵、

と、漢字を当て別けていったのではないか。ここからは、臆説だが、そもそもは、

あた、

は、

異なる、他のもの、

と、自分とは別のものという状態表現にすぎなかったが、それが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、敵対を意味する、

あた(仇)、

となり、さらに、『大言海』の言う通り、空しい意味の、

あだ(徒)、

へとシフトしていったのではないか。

あたし→あだし、

と濁ることで、意味の変化との重なりが起きたということもあるのかもしれない。しかし漢字を当てない限り、

あた→あだ、

にすぎない。

あだなり、

も、

徒なり、

とあてるだけに、以上みた、

徒し、

の意と、

徒、

の意の持つ、

むなしい、
はかない、
変わりやすい、

意の外延に、

はかない→浮気だ(変わりやすい)→粗略(実のない)→無用だ(いたずらに)、

という意味を広げているのが見て取れる。

「徒」(漢音ト、呉音ズ・ド)は、

形声。「止(あし)+彳(いく)+音符土」で、陸地を一歩一歩とあゆむことで、ポーズをおいて、一つ一つ進む意を含む、

とあり(漢字源)、他も、

形声。「辵」+音符「土 /*TA/」。「あるく」を意味する漢語{徒 /*daa/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%92

形声。意符辵(ちやく)(あるく。は変わった形)と、音符土(ト)とから成る。歩く意を表す(角川新字源)、

形声。初形は辶+土に作り、土(と)声。辵(ちやく)の形をかえて徒となる。〔説文〕二下「辶+土は、歩して行くなり」とあり、車乗に対して歩行することをいう。装備のない従者・歩卒をいう。装備のないことから、徒手・徒跣のように用いる。副詞の「ただ」「ひとり」の意がある(字通)、

と形声文字としているが、

会意兼形声文字です(彳+土+止)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「立ち止まる足」の象形(「足」の意味から、道を行く時に乗物に乗らず、土を踏んで「あるく」を意味する「徒」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji593.html

と、会意兼形声文字とするものもある。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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いさ

 

人はいさことぞともなきながめにぞ我は露けき秋も知らるる(後撰和歌集)

の、

人、

は、

暗に相手の男を指す、

とし、

いさ、

は、

「さあどうか」といった意の感嘆詞・副詞、

で(水垣久訳注『後撰和歌集』)、普通、

ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)

と、「知らず」を伴って使われる(広辞苑)が、ここは、

「知らず」を略したと読む、

とし、

ながめ、

は、

物思いに耽って景色などを眺めること、

で、

「長雨」の意が掛かり、「露けき」に恋の涙を暗示し、「秋」に「飽き」が掛かる、

として、

人はさあ(どうか知りませんが)、どうといったこともない、長雨にする物思いに、私は今が露っぽい、秋であることも気づかされるのです(あなたに飽きられたと感じて、涙多く過ごしてい ます)、

と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

いさ知らず、

は、

なぞなぞ合(あはせ)、「さば、いさしらず。な頼まれそ」などむつかりければ(枕草子)、

と、副詞、

いさ、

に、

知らず、

の付いたもので、

まったくわからない、
何も知らない、

の意(精選版日本国語大辞典)で、

知らず、

を略して、

いさ、

とのみも用いて、なお、

知らず、

の意となる(大言海)とある。もともと、

いさ、

は、

不知、
否、

とあてる感動詞で、

イサカヒ・イサチ・イサヒ・イサメ(禁)・イサヨヒなどと同根。相手に対する拒否・抑制の気持ちを表す語(岩波古語辞典)、
和訓栞、いさ「イナと通へり、否の義なりと云へり」、萬葉集「(「み薦(こも)刈る信濃の真弓我(わ)が引かば貴人(うまひと)さびていなと言はむかも」の)「不言(イナ)と言はむかも」、古写本に、不知に作れりと云ふ、同(「いなと言へど強(し)ふる志斐(しひ)のが強(し)ひ語りこのころ聞かずて我(あ)れ恋ひにけり」の)「不聴(いな)と言へど」(不聴許の意)、この語は清音にて、……いさ知らずと熟語となるべき語なり、さるに、常に然(しか)言馴れては、終に下略して、イサとのみも云ふ。因りて、不知(フチ)の字を、直ちに、イサ、に用ゐるに至れり、足引きの山、ぬばたまの夜、なるを、足引の(山の)木閨iこのま)、ぬばたまの(夜の)月、と云ふが如し(大言海)、
相手の質問に対する答えがわからないとき、あるいは相手の言うことに否定的な気持ちで軽く受け流そうとするときの、応答の語(広辞苑)、

で、

「さあねえ」「ええと」(学研全訳古語辞典)、
「さあ」「いやなに」(広辞苑)、
「いや」「いやなに」「ええと」などと、相手をはぐらかしたりするのに使う語(岩波古語辞典)、
「さあ、どうだか」「いや、でも」(デジタル大辞泉)、

等々、文脈に応じて、微妙に含意は異なるが、たとえば、

犬上(いぬかみ)の鳥籠(とこ)の山なる不知也河(いさやがは)不知(いさ)とを聞こせ我(わ)が名告(の)らすな(万葉集)、

では、

よくわからないこと、答えかねることをたずねられた時に、返事をあいまいにするための、さしあたっての応答のことば、

として、

さあ、
ええと、
いやなに、
どうだか、

の意で使い、本来は、こうした、

相手の発言をさえぎる、

といった含意で使ったと思われる(精選版日本国語大辞典)が、

人々、いと、かたはら痛し、と思ひて、あなかま、ときこゆ。いさ、見しかば心地のあしさなぐさみき、と宣ひしかばぞかし(源氏物語)、

のような、「いな」に近い応答詞となり、

肯定しがたく承服しがたいことを言われた時に、相手の発言を否定するための応答のことば、

として、

「いさとよ」という形をとることの方が多い、

とされる(仝上)が、

いいえ、
でも、
だって、

の意となる(仝上)。それがさらに発展して、副詞として、

相手のことばに対して、「さあ……知らない」「さあ……分からない」と否定的な応答をするときの語、

として使い、たとえば、上述したように、下に「知らず」の意の語を伴って、

人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしのかににほひける(古今和歌集)、

と、

さて(わからない)、
どうだか(知らない)、

の意や、下に否定的な表現を伴って、

なき名のみたつの市とは騒げどもいさまた人をうる由もなし(拾遺和歌集)、

と、

どうも(…できない)、
とても(…しがたい)、
どうせ(…したところで)、

の意で用いるが、冒頭の歌のように、

人はいさ我はなき名の惜しければ昔も今も知らずとを言はむ(古今和歌集)、

と、「いさ」のみで、「知らず」を用いずに、「知らず」の意味を含ませて、

さあどうだか知らない、
わからない、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。この、

いさ、

は、上代、

いにしへささきし我やはしきやし今日(けふ)やも子らに五十狭邇(いさニ)とや思はえてある(万葉集)、

と、

感動詞「いさ」に副詞を作る接尾語「に」の付いた、

いさに、

の形で用い、

判断がつかない気持、ためらう気持を表わし、

さあどうだろうか、

意を表した。(精選版日本国語大辞典)。ところで、

「いさ」に助詞「や」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
イサはイサ(不知)、ヤは質問の助詞(岩波古語辞典)、

である、

いさや、

という言い方があるが、この、

いさや、

は、感動詞として、

三宮の「昔より数にも侍らぬ身なれば、誰かはさ思ひ侍らん」大宮「などかはさおぼさるる」女御の君「いさや、この御心にぞ見給へわびぬる」(宇津保物語)、

と、

さあ、どうだか、

の意で使い、感動詞としての、

いさ、

の、よくわからないこと、答えかねることをたずねられた時に、返事をあいまいにするための、さしあたっての応答の、

さあ、
ええと、
いやなに、
どうだか、

の意と重なり、さらに、

呉竹植ゑんとて乞ひしを、このごろ、奉らんといへば、いさや、ありもとぐまじう思ひにたる世の中に、心なげなるわざをやしおかん(蜻蛉日記)、

の、

いさや、

は、

いいえ、
でも、

の意で、肯定しがたく承服しがたいことを言われた時に、相手の発言を否定するための応答のことば。「いさとよ」という形をとることの方が多い、

いさ、

の、

いいえ、
でも、
だって、

の意と重なるし、副詞として使う、

いさや、

も、

淵瀬ともいさやしら波立ち騒ぐわが身一つはよるかたもなし(後撰和歌集)、

の、

さて(わからない)、
どうだか(知らない)、

の意は、副詞として使う、

いさ、

の、下に「知らず」の意の語を伴って用いる、

さて(わからない)、
どうだか(知らない)、

の意と重なるし、

桂に見るべきこと侍るを、いさや心にもあらで、ほど経にけり(源氏物語)、

の、

いさや、

の、

どうも(…できない)、
とても(…しがたい)、

の意は、

いさ、

の、下に否定的な表現を伴って用いる、

どうも(…できない)、
とても(…しがたい)、
どうせ(…したところで)、

の意と重なり、さらに、

秋の色も露をもいさやをみなへし木隠れにのみおくとこそみれ(宇津保物語)、

の、

いさや、

の、

さあどうだか知らない、
わからない、

の意は、「知らず」を用いず、「知らず」の意味を含ませて用いる、

いさ、

の、

さあどうだか知らない、
わからない、

意と重なる(精選版日本国語大辞典)。

今日、通常、

いさ知らず、

は、

昔はいざ知らず、現在こんな事を信じる者はいない、

というように、

いざ知らず、

の形で用いるが、この用例は、近世以降の誤用で、

「いさ知らず」の「いさ」と感動詞「いざ」との混同によってできたもの、

で、

一つの事をあげて、それについてはよくわからないがの意で、後述するもう一つの事を強調する表現、

として、

…についてはよくわからないが、
…はともかくとして、

の意で用いる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。ここで誤用された、

いざ、

は、

「いざなふ」と同根(精選版日本国語大辞典)、
イは発語、サは誘う声の、ささ(さあさあ)の、サなり。イザイザと重ねても云ふ(伊彌(いや)、いや。伊莫(いな)、否)、発語を冠するに因りて濁る、伊弉諾(いざなぎの)尊、誘(いざな)ふのイザ、是なり。率の字は、ひきゐるにて、誘引する意。開化天皇の春日率川宮(かすがのいざかはのみや)も、古事記には、伊邪川宮(いざがわのみや)となり、帰去来(キキョライ)の字を、「かへんなむいざ」と訓ますは、帰りなむいざの音便(仮名(かな)、かんな)、ナムは、完了の助動詞、來(ライ)は、助語にて、助語審象に「來者(ライトハ)、誘而啓之之辞」など見ゆ(字典に「來、呼(ヨブ)也」、周禮、春宮「大祝來(よぶ)瞽、キタレの義より、イザの意となる)、帰去来(キキョライ)という熟語の訓点なれば、イザが語の下にあるなり、史記、帰去来辞、など、夙(はや)くより教科書なれば、此訓語、普遍なりしと見えて、古くより上略して、去来(キョライ)の二字を、イザに充て用ゐられたり(大言海)、
いさみ勇むときの掛け声(本朝辞源=宇田甘冥)、

ともあり、

いざ鎌倉、
いざ知らず、
いざさせ給え(いざ給え)、
いざさらば、

というように、

人を誘い、または思い立って事をし始めようとするときに言う語(広辞苑)、
相手を誘って一緒に事を始めるときや思いきって行動しようとするときに発する語(デジタル大辞泉)、

で、

さあ、
どれ、
いで、

の意だから、文脈が異なるが、後世になるほど、

清音→濁音化、

の傾向があるだけに、濁音化した、

いさ、

と、

いざ、

が混同されたものと思われる。ちなみに、

いざ、

の用例は、

相手を誘うとき、自分と共に行動を起こそうと誘いかけるときなどに呼びかける語、

として、

いざ、いと心やすき所にてのどかに聞(きこ)えん、など語らひ給へば(源氏物語)、
ぬばたまの今夜(こよひ)の雪に率(いざ)ぬれな明けむ朝(あした)に消(け)なば惜しけむ(万葉集)、

と、

さあ、

と、呼びかけたり、

ある行動を思い立って実行に移そうという時に発する声、

として、

名にし負はばいざ事問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(伊勢物語)、

と、

さあ、どれ、

という意や、

玉守(たまもり)に玉は授けてかつがつも枕とわれは率(いざ)二人寝む(万葉集)、

と、

予期された事態や突発的な事態が急に起こった状態や、意気込んでものを始めようという状態、

を、

いよいよ、

の意で用い、今日では、

いざというとき、

というように、「いざと…」の形で用いられる(精選版日本国語大辞典)。この用例の「率」という字を当てていることについては、上述の『大言海』の説明と重なるが、

「書紀‐開化元年一〇月」の訓注に「率川、此云伊社箇波」、また「書紀‐履中即位前」に「去来 此云伊弉」とある。「率」は「いざなう・ひきいる」という字義から「いざ」とよまれたもの。「去来」はもと、陶淵明の「帰去来辞」中の「帰去来兮」が「かえりなん、いざ」と訓ぜられ、本来は「帰去」が動詞で「来」が語助の辞であるのを、「帰」と「去来」とに分けて、「去来」を「いざ」と理解したものとされる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

帰去来

については触れた。

「否」(@慣用ヒ・漢音フウ・呉音フ、A慣用ヒ、呉音ビ)は、

形声。不は、ふくらんだつぼみを描いた象形文字で、後世の菩(ホウ つぼみ)の原字。その音を借りてふっと強く拒否する否定詞にあてる。否は「口+音符不」。口を添えて言語行為であることを示した字で、否定をあらわすことば、

とある(漢字源)。なお、「いな」、「しからず」の意の場合は@の音、「可否」のように、ある性質の逆の面を意味する言葉の場合はAの音になる(仝上)。同じく、

形声。音符「不 /*PƏ/」+羨符「口」(区別のための記号)。「いなむ」ことや、「いや」の副詞{否 /*pəʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%A6

と、形声文字とするものもあるが、

会意形声。口と、不(フ)(否定する)とから成り、口で否定する意を表す(角川新字源)、会意兼形声文字です(不+口)。「花のめしべの子房」の象形(「しない」の意味)と「口」の象形から、「言葉で否定する」、「いいえ」、「そうではない」を意味する「否」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1019.html

と、会意兼形声文字とするもの、

会意。不+口。口はꇴ(さい)、祝詞を収める器の形。その上を蓋うことによってこれを拒否し、妨げる意をあらわす。〔説文〕二上に「不(しか)らざるなり。口に從ひ、不に從ふ」とし、口を口舌の形と解する。金文の〔毛公鼎〕に「上下の否」という語があり、上下神の諾否、すなわち神意を意味する。(若)は巫女が舞い祈る形で、神が応諾することをも若といった。また否には別に不・丕(ひ)・否・咅(ほう)という系列に属するものがあり、不は萼不(がくふ)、その花蔕(かたい)が成熟する過程を丕・否・咅といい、実のはじけ割れることを剖判(ほうはん)という。金文に「不不+不(ひひ)」というほめことばがあり、字はまた「不否+否(ひひ)」に作る。諾否・否定の否と、不・丕系列の字と、もと別系であろうが、いま否にその両義がある(字通)、

と、会意文字とするものに分かれる。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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いこ(掘)ず

 

去年(こぞ)の春いこじて植ゑし我がやどの若木(わかき)の梅は花咲きにけり(安倍広庭)

の、

いこず、

は、

掘り起して、

の意で、

イは接頭語、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

いこず、

は、

い掘ず、

とあて、

い、

は、

接頭語(辞)で、

根こそぎ掘り抜く、

意だが、

連用形の用例しかないので、活用は上二段か四段か不明だが、ザ行上二段か(精選版日本国語大辞典)
連用形の用例のみで、上二段とするのは推定(広辞苑)、
活用の種類は不明(岩波古語辞典)、

とあり、『大言海』は、

則ち磯津(しつ)の山の賢木(さかき)を抜(ネコシと)り(日本書紀)、

の、

根掘(ねこ)ず、

の、

木を根のついたまま掘り取る、

意と同義とする。これも、

用例は連用形だけで、活用は上二段か四段か不明(精選版日本国語大辞典)、
活用は上に弾呵四段か不明(岩波古語辞典)、

とされる。この、

ねこず、

の意をメタファに、

この頃はねこじたるいりほが多く侍る(鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)抄)、

と、

深く突っ込んでほじくり返す、

つまり、

穿鑿する、

意でも使う(岩波古語辞典)。

天離(さか)る鄙(ひな)つ女(め)の以(イ)渡らす迫門(せと)石川片淵(いしかはかたふち)に網張り渡し(日本書紀)、

の、

い、

は、

主として動詞に冠し、語調を整え、意味を強める、

とある(広辞苑)が、

「い隠る」「い通ふ」「い寄る」「い渡る」「い漕ぐ」「い隠る」「い行く」「い及(し)く」「い這ふ」

等々の用例は、

奈良時代の例から推しても、すでに意味不明、

とある(岩波古語辞典)。

い掘ず(いこず)、

の、

こ(掘)ず、


は、

天の香山の五百津真賢木を根こじに許士(コジ)て(古事記)、

と、

根の付いたまま引き抜く、
根こぎにする、

意だが、やはり、

用例は連用形だけで、活用は上二段か四段か不明、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「掘」(漢音クツ、呉音ゴチ)は、

会意兼形声。屈は「尸(しり→うしろ)+出」からなり、後ろに出ること。つまりくぼむ意を示す会意文字。掘は「手+音符屈」で、穴をあけてくぼみをつくること、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(扌(手)+屈)。「5本の指のある手」の象形と「獣のしりが変形したものと毛のはえている象形とくぼみの象形が変形したもの」(くぼみに尾をいれるさまを表し、「かがめる」の意味)から、腰をかがめて穴を「ほる」を意味する「掘」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1193.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、すべて、

形声。「手」+音符「屈 /*KUT/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8E%98

形声。手と、音符屈(クツ)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は屈(くつ)。屈は獣尾を屈する形。その匿(かく)れ棲むところを窟といい、土を掘り崩して窟とすることを掘という。〔説文〕十二上に「搰(うが)つなり」、〔爾雅、釈詁〕に「穿つなり」とみえる。穿とは、獣牙を以て掘ることをいう(字通)

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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つほすみれ

 

山吹の咲きたる野辺(のへ)のつほすみれこの春の雨に盛(さか)りなりけり(高田女王)

の、

つほすみれ、

は、

花の形が壺に似るためにいうか、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

ツボスミレ、

は、

坪菫、
菫菜、
壺菫、

とあて、上代は、

つほすみれ、

後世、

つぼずみれ、

と濁音化した(精選版日本国語大辞典)。

スミレ科の多年草、

タチツボスミレ(立壺菫)、

のこと(精選版日本国語大辞典)も言うらしいが、正確には、後述するように、

タチツボスミレ、

と、

ツボスミレ、

は別である。

ツボスミレ、

は、

コマノツメ、
ニョイスミレ(如意菫)、

という別名をもつ(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)が、正確には、

ツボスミレ、

と、

コマノツメ、

は、また別である。

菫と云ふに同じ、

とある(大言海)ので、

スミレ、

の代名詞になっている。

ニョイスミレ(如意菫)、

の名は、

柱頭の形が僧侶のもつ如意に似ている、

からで、これは、

ツボスミレの名が別種のタチツボスミレの別名でもあることから混同を避けるためである、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

ツボスミレ、

は、

コマノツメあるいはスミレを花の形からよんだももの

とある(岩波古語辞典)ので、スミレの代表として呼ばれているような気がする。

ツボスミレ、

は、

壺墨入(ツボスミレ)の義、花の形、つぼやかなる木匠の墨斗(すみつぼ)の墨芯(竹+心 すみさし)に似たれば云ふと(大言海)、

とあり、その形から名がついたようだ。

スミレ科の多年草。各地のやや湿った山野に生える。根茎は短く、地上茎は高さ一〇〜二〇センチメートルで、斜上するか這う。根出葉には長柄があり、葉身はほぼ腎臓状円形。茎葉には毛がなく、卵状心臓形で縁に低鋸歯がある。托葉は長楕円形で小さく一対ある。春、葉腋から長柄を出し、袋状の短い距(きょ)をもち、白地に紫色の筋のはいった花が咲く。果実は刮ハで長楕円形、毛がない。漢名、菫菜、

とある(精選版日本国語大辞典)。別名、

にょいすみれ(如意菫)、

だが、形態の変異に富み、いくつかの変種がある。

葉身が半月形になる型があり、そのなかで大きくて茎が立つものを変種アギスミレといい、主として東北地方に分布し、小形で茎が横にはい、節から根が出るものを変種ヒメアギスミレという。さらに小形で葉の幅が普通は約5ミリメートルの変種が屋久島(やくしま)にあり、コケスミレという、

とある(日本大百科全書)。なお、

つぼすみれ、

にも、

襲(かさね)の色目、

にその名があり、

表は紫、裏は薄青。春に着用する、

とある(精選版日本国語大辞典)。

キバナノコマノツメ(黄花の駒の爪)、

は、

スミレ科スミレ属の多年生植物。和名にスミレが付かない、数少ないスミレの種である。和名の由来は、

黄色の花で葉の形状が馬の蹄(駒の爪)に似ている、

ことによるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%84%E3%83%A1

北極を中心とする環状に分布、北半球冷温帯の広範囲に広がる。日本国内では、北海道、本州の中部以北、四国山地、屋久島の亜高山帯から高山帯の湿った草地や沢沿いの林縁などに生育する。高さは5-20 cm程、高山帯では10 cm程のものが多い。花期は6-8月。直径1.5-2 cmの花弁は黄色の花を一つ付ける。唇弁は大きく褐紫色の筋が入り、上弁と側弁がそり返る。花柱はY字形で無毛。葉は2-4 cmの腎円形ないし腎心形で、柔らかく短毛があり光沢が無い。縁は波状の鋸葉である、

とある(仝上)。

タチツボスミレ(立坪菫)、

は、

スミレ科の多年草。各地の山野に普通に生える。茎は斜上、数本が根葉とともに束生。花時には短いが花後伸びて、三〇センチメートルまでに達する。根葉は長柄をもち心形で縁に浅い鋸歯(きょし)がある。托葉は広披針形、縁は細い裂片に深裂。春、長い花梗の先に淡紫色の花を横向きにつける。夏、茎上部の葉腋から閉鎖花を次々と出し、刮ハを結ぶ。日本では最も一般的なスミレ、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

つぼすみれ、
やぶすみれ(藪菫)、

の別名をもつ(仝上)。各地で変異が非常に多く、茎や花に毛の多いケタチツボスミレ、枝が走出枝状になって伸びるツルタチツボスミレなど変種や品種が多く認められている。変種コタチツボスミレは葉の長さと幅が約1センチメートル、近縁のニオイタチツボスミレは、花は紅紫色でかおりがある、

とされる(ブリタニカ国際大百科事典・マイペディア)。

スミレは日本に約60種が自生し、その変種も多く存在します。スミレを見分けるポイントは、

@有茎種(地上茎が伸び、花の下に葉が互生する) タチツボスミレ・ツボスミレなど、
A無茎種(葉や花茎が、地上に別々に出ているように見える) ヒナスミレ・サクラスミレ・エイザンスミレなど、

とあるhttps://uk-club.jp/revision/plantsAnimals/fl_violet.html。詳細は、スミレ科http://plantidentifier.ec-net.jp/ss_sumire-index.htmlに詳しい。

なお、

ツボスミレ、

タチツボスミレ、

は、それぞれ、

タチツボスミレ 葉は心形で基部は深く湾入し、托葉は櫛の歯状に深裂し、花は淡紫色が多く、距は細長い。地上茎:有、花色:淡紫色、葉:心形、距:細く上向き、托葉:櫛状、花柱:棒状、

ツボスミレ 葉は偏心形で裏面は紫色を帯び、托葉は披針形で、 小さくて白い唇形の花をつけ、紫色の筋があり、距は短くて丸い地上茎:有、花色:白、葉:偏心形、距:半球、托葉:披針形、花柱:頭状、

という違いがあるhttp://plantidentifier.ec-net.jp/ss_sumire-index.html

「菫」(@漢音キン・呉音コン、A漢音キン、呉音キセン)は、

会意兼形声。「艸+音符僅(キン 小さい)の略体」で、小さい野菜のこと、

とある(漢字源)。なお、野草の「すみれ」、木の名「むくげ」、「菫菜(きんさい)」(セロリ)は@の音、「とりかぶと」の意の場合はAの音、となる(仝上)。他は、すべて、

形声。艸と、音符堇(キン)(は省略形)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(艸+堇)。「並び生えた草」の象形と「腰に玉を帯びた人(腰に帯びた玉の色から黄色の意味)と土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「黄色の粘土」の意味だが、ここでは「僅(キン)」に通じ(同じ読みを持つ「僅」と同じ意味を持つようになって)、「小さい」の意味)から、小さい草「すみれ」を意味する「菫」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2688.html

形声。声符は堇(きん)。〔説文〕一下に「艸なり。根は薺(なづな)の如く、葉細柳の如し。蒸して之れを食らへば甘し」という。〔広雅、釈草〕に「藋(そくず)なり」とし、〔詩、大雅、緜〕「菫荼(きんと)飴の如し」の菫は、とりかぶとをいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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きぎし

 

春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひにおのがあたりを人に知れつつ(大伴家持)

の、

きぎし、

は、

きじ、

である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

きぎし、

は、

雉、
雉子、

とあて、

きじの古名、

とあり(広辞苑)、

きぎす、

ともいう(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。和名類聚抄(931〜38年)には、

雉、野なり、木木須、一云、木之(歧々須(きぎす)、一に云ふ、歧之(きじ))、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

雉、キギス・キジ・タフル、

とある。古くは、万葉集では、

あしひきの八(や)つ峰(を)の雉(きぎし)鳴き響(とよ)む朝明(あさけ)の霞見ればかなしも、

杉(すぎ)の野にさ躍(をど)る雉(きぎし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(つま)かも、

などと、

きぎし、

と呼ばれていたが、それが、

ききず、

に転じた。ただ、

「きぎし」から「きぎす」に移行した時期は不明、

とある(日本語源大辞典)。

きぎし、

の由来は、

鳴き声による名か(岩波古語辞典)、
キギは鳴く聲。キキン、今はケンケンと云ふ、シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ)、エビス)、今は約めてキジとなる(大言海)、
きんきんと鳴くところから(嚶々筆語)、

などとあり、

きぎし、

の、

し、

が転訛した、

す、

の由来は、何度も触れたことだが、

ウグイス

カラス

ホトトギス

等々で触れたように、接尾語、

ス、

は、

カケス、キギス、ウグイス、ホトトギス、

等々鳥の名を表し、

ウグイス、

が、

ウクイ(うーぐい)という鳴く聲、スは鳥の接尾語、

カラス、

が、

鳴き声「ころ」「から」+ス、

ホトトギス、

が、

「ホトホト」という鳴き声+「ス」、

と、同系と見ることができるので、

きぎす、

は、

キギ(金属的な鳴声)+ス(鳥の意味の接尾語)、

とみることができる(日本語源広辞典)。

キジ

で触れたように、これが、

キギシ→キギス→キジ、

と転訛していく。「古今六帖(古今和歌六帖)」(976〜987年)頃)では、すでに、

「きじ」が項目名となっている、

とある(日本語源大辞典)。いまは、

ケン・ケーン、

と聞くが、かつては、

キキン、
キンキン、

と聞えたということだろう。江戸時代中頃から、キジの雄鶏の鳴き声を、

けんけん、

と写すようになった(擬音語・擬態語辞典)とある。

「雉」(漢音チ、呉音ジ)は、

会意兼形声。「隹+音符矢(シ・チ)」で、まっすぐ矢のように飛ぶ鳥の意。転じて、まっすぐな直線をはかる単位に用いる(一雉は、高さ一丈、長さ三尺)、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「隹」+音符「矢 /*LI/」。「きじ」を意味する漢語{雉 /*l(r)iʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%89

形声。声符は矢(し)。矢に彘(てい)の声がある。〔説文〕四上に「雉に十四種有り」として各地の名をあげ、中に「東方を甾(し)と曰ふ。北方を稀と曰ふ」など、東西南北の雉の異名をあげている。卜辞にみえる四方風神が、すべて鳥形とされる神話と関係があり、鷫(しゆく)字条にもその類の記載がある。〔周礼、秋官、雉氏〕は草を殺すことを掌る。おそらく薙(ち)の意であろう。雉を陳列の意に用いるのは矢陳、また城郭の長さを雉を単位として数えるのは、堵・墀(ち)と同系の語として用いるものであろう。〔説文〕に収める重文の字形は、弟に従うものとされているが、卜文に矢に繳(いぐるみ)を加えた形のものがあり、その譌形であろうかと思われる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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いつしかも

 

我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む(大伴家持)

の、

なでしこ

は、

撫でし子の意を強く匂わす、

とあり、

なそへ、

の、

なそふ、

は、

なぞらえる

の意、

花そのものを(坂上)大嬢(家持正妻)として見る意、

とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

いつしかも、

は、

早く咲いてほしいという願望、

で、

大嬢の成長への期待、

が含意としてある(仝上)とし、

いつになったら花として咲き出るのであろうか、

と訳す(仝上)。また、

いつしかもこの夜の明けむうぐいすの木伝(こづた)い散らす梅の花みむ(万葉集)

では、

明けむ、

の、

「む」と呼応して、……したい、……してほしいの意を表す、

とあり(仝上)、

いつになったら、この夜はあけるのだろうか、

と訳す(仝上)。

いつしかも、

は、

何時しかも、

とあて、

副詞「いつしか」に、係助詞「も」のついたもの、

で(精選版日本国語大辞典)、下に、

願望の表現を伴って、

伊都之可母(イツシカモ)見むと思ひし安波島(あはしま)をよそにや恋ひむ行くよしをなみ(万葉集)、
いつしかも人々しくなり、おもだたしきめをも見給へと(宇津保物語)、

早く(……したい)、
今すぐにも(……したい)、

意となる(学研全訳古語辞典)。

いつしか、

は、

何時しか、

とあて、

「し」は強めの助詞、「か」は疑問の助詞(広辞苑)、
シは強意の助詞(岩波古語辞典)、
代名詞「いつ」に、強めの副助詞「し」、疑問の係助詞「か」の付いたもの(デジタル大辞泉)、
代名詞「いつ」に、間投助詞「し」および係助詞「か」が付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
何時(いつ)し歟(か)の意。シは強く指す意の辞(大言海)、

などとある副詞で、

いつしかと待つらむ妹(いも)に玉梓(たまづさ)の言(こと)だに告(つ)げず去(い)にし君かも(万葉集)、

と、「いつしかと」の形で用いることが多く、

「いつ…する(できる)だろうか」という気持から、ある物事の実現を待ち望む気持、

を表わし、

いつかいつかと、
すぐにでも、
早く、

の意や、

いつしか雛(ひいな)をしすゑて、そそきゐたまへる(源氏物語)、
おもふよりいつしかぬるるたもとかな涙ぞ恋のしるべなりける(千載和歌集)、

と、

ある物事が気づかないうちに、または予想以上に早く実現したさま、時の経過の不明なこと、

を表わし、

いつのまにか、
早くも、

の意や、

いつしかまゐりつる神のやしろも、今年は(喪中で)かなはぬことなれば(「問はず語り」(鎌倉後期))、

と、

過去および未来の事がらに関して、その事のあった、または、ある時が特定できないこと、

を表わし、

いつであったか、
そのうちいつか、

の意や、さらに近世になると、

それを両方から、あからさまにいふてゐましては、いつしか話しになるためしはござりませぬよって(咄本「諺臍の宿替」(19C中))、

と、下に打消を伴って、

いつまでたっても、
いつになっても、

という意で使うに至る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

何時しかも、

の、

かも、

は、さまざまの用例があり、その解釈には、種々あるが、

御諸(みもろ)の厳白檮(いつかし)が本(もと)白檮(かし)が本(もと)忌々(ゆゆ)しき加母(カモ)白檮原
(かしはら)嬢子(をとめ)(古事記)
天の原ふりさけ見れば春日(かすが)なるみかさの山に出でし月かも(古今和歌集)、

と、

詠嘆を表わし、

疑問の「か」に詠嘆の「も」を添えたもの(広辞苑)、
名詞、活用語の連体形、まれに形容詞シク活用の終止形に付く(デジタル大辞泉)、
係助詞の「か」と「も」が重なったもの(精選版日本国語大辞典)、
「か」の下に「も」を添えた助詞、複合係助詞および終助詞、疑問視を承ける。従って体言または活用語の連体形を承ける(岩波古語辞典)、

とあるが、

連語「かも」の文末用法より転じたもの。「か」を終助詞、「も」を終助詞あるいは間投助詞とする説もある、

とあり(デジタル大辞泉)、

連語「かも」、

は、

係助詞「か」+係助詞「も」、

で、上代、

あしひきの山かも高き巻向(まきむく)の岸の小松にみ雪降り来る(万葉集)、

と、種々の語に付き、「かも」がかかる文末の活用語は連体形をとり、

感動を込めた疑問、

の意を表し、

……かなあ、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

かも、

は、中古以降、おおむね、

かな、

に代わる(デジタル大辞泉)。また、

朝ごとにわが見る屋戸(やど)の瞿麦(なでしこ)の花にも君はありこせぬ香裳(かも)(万葉集)、

と、

ぬかも、

の形で、願望を表わすが、

「ぬ」と「か」との複合が願望を表すことを承けたもので、「ぬか」に「も」が加わった形である、

とあり(岩波古語辞典)、

ぬかも

で触れたように、

ぬかも、

は、上代語で、

連語「ぬか」+終助詞「も」、

で、

…くれないかなあ、
…てほしいなあ、

と願望をあらわす(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。連語、

ぬか、

は、

打消しの助動詞ズの連体形ヌに疑問の助詞カのついたもの、

で、

……ないものかなあ、
……ほしい、

と、

願望の意を表す、

とある(岩波古語辞典)。で、

ぬかも、

は、

打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」+詠嘆の終助詞「かも」、

で、

否定的な事態の詠嘆、

を表わし、

………ないなあ、
……ないことよ、

と、

詠嘆の意を表し、

……くれないかなあ、
……ないものかなあ、
……てほしいなあ、
……ないなあ、

といった意となり、

ぬか、

よりも強い願望の意を表す、

とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。しかし、

ぬかも、

は、

ぬか‐も、

とみると、

吉野川行く瀬のはやみしましくも淀むことなくありこせ濃香問(ヌカモ)、

は、

願望の終助詞「ぬか」に詠嘆の助詞「も」の付いたもの、

とみなし、

先行する助詞「も」と呼応して、ある事態の生ずることを願う意、

を表わし、

………てでもくれないかなあ、
………であってほしい、

という意になり、

ぬ‐かも、

と見なすと、

さ寝床もあたは怒介茂(ヌカモ)よ浜つ千鳥よ(日本書紀)
あをによし奈良の都にたなびける天(あま)の白雲見れど飽かぬかも(万葉集)

と、

打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」に係助詞「か」、詠嘆の助詞「も」の付いたもの、

として、

否定的な事態の詠嘆を表わす、

……ないなあ、
……ないことよ、

という意になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)として、

ぬか‐も、

ぬ‐かも、

を別項を立てている。前者は、

……であってほしい、

となり、後者は、

……ないなあ、

となり、前者が、「ない」から、

……ほしい、

という願望なのに対して、後者は、

……ないなあ、

と、

「ない」ことを詠嘆する、

意になる。なお、

も、

は、係助詞として、種々の語につくが、ここでは、

活用語の終止形(係結びでは結びの形)、ク語法について、詠嘆の意を表す、体言には「かも」「はも」などの形で用いる。なお「かも」は平安時代には「かな」に代わる(広辞苑)、

用法が該当し、

沖つ鳥胸(むな)見る時羽叩(はたた)ぎ母(モ)これはふさはず(古事記)、

と、

主題を詠嘆的に提示する、

が、

「も」möは推量の助動詞「む」muと子音mを共有している。möが不確定なこととして提示するのに対して、muも不確実なことについての推量判断を表わすので、両者はm音を共有する点で意味上も起源的な関係をもつものと推測することができる、

ともある(岩波古語辞典)。ちなみに、

いつしかもこの夜の明けむうぐいすの木伝(こづた)い散らす梅の花みむ(万葉集)

の、

明けむ、

の、

む、

は、

(ま)|○|む(ん)|む(ん)|め|○、活用語の未然形に付く(デジタル大辞泉)、
活用は「ま・◯・む・む・め・◯」。四段型活用(精選版日本国語大辞典)、

とあるが、

動詞・助動詞の未然形を承ける語で。む・む・め、と活用する。「ま」という活用語があるように見えるが、それは、「行かまく」「見まく」など、「まく」の形の場合であり、これはいわゆるク語法(用言の語尾に「く」を伴って名詞化する文法。)による語形変化で、未然形ではない(岩波古語辞典)、
未然形「ま」は、上代のいわゆるク語法の「まく」の形に現われるものだけである(精選版日本国語大辞典)、

とある、

推量の助動詞、

で、

現実に存在しない事態に対する不確実な予測、

を表わす(精選版日本国語大辞典)が、

一人称の動作につけば、

秋風の寒きこのころ下に着む妹が形見とかつも偲はむ(万葉集)、

と、

……(し)よう、
……(し)たいね
……するつもりだ、

と話し手の意志や希望を表し(仝上・岩波古語辞典)、

二人称の動作につけば、

い及(し)けい及(し)け 吾(あ)が愛(は)し妻にい及(し)き逢(あ)は牟(ム)かも(古事記)
などかくはいそぎ給ふ。花を見てこそ帰り給はめ(宇津保物語)、

と、

……してくれ、
……してもらいたい、

と、

相手や他人の行為を勧誘し、期待する意を表わす。遠まわしの命令の意ともなる。また、

三人称の動作につけば、

推量の意、

を表わし(仝上)、たとえば、

山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき)項傾(うなかぶ)し汝が泣かさ麻(マ)く朝雨の霧に立た牟(ム)ぞ(古事記)、
端にこそたつべけれ。おくのうしろめたからんよ(枕草子)、

と、目前にないこと、まだ実現していないことについて想像し、予想する意を表わし、

…だろう、

の意、

かくの如名に負は牟(ム)とそらみつ大和の国を蜻蛉(あきづ)島とふ(古事記)、
をとここと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて(伊勢物語)、

と、原因や事情などを推測する場合に用い、

……だろう、
……なのであろう、

の意、

命(いのち)の全(また)け牟(ム)人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉を髻華(うず)にさせその子(古事記)、
大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして(徒然草)、

と、

(連体法に立って)断定を婉曲にし、仮定であること、直接経験でないことを表わし、

……であるような、
……といわれる、
……らしい、

の意で使う(仝上)。この、

む、

は、古くは、

ム、

と発音されたが、平安時代中期には、muの発音が m となり、さらに n に変わったので、

ん、

に転じ、また m は ũ から u に転じて、鎌倉時代には、

う、

を生み、やがて u の発音は前の語の末の母音と同化して長音化するようになった(仝上)。

mu→m→n→u、

と転訛し、今日の、

う、

に続いている(仝上)。

「何」(漢音カ、呉音ガ)は、「何せむに」で触れたように、

象形。人が肩に荷を担ぐさまを描いたもので、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通、一喝するの喝と同系の言葉に当て、のどをかすらせてあっとどなって、いく人を押し止めるの意に用いる。「誰何(スイカ)する」という用例が原義に近い。転じて、広く相手に尋問する意になった、

とあり(漢字源)、同じく、

象形。戈を担いだ人を象る。「になう」「かつぐ」を意味する漢語{荷 /*ɡˤajʔ/}を表す字。のち仮借して疑問詞の{何 /*ɡˤaj/}に用いる。のち疑問を表す符号として振り返る頭を加えて「⿰旡丂」の字形となり、羨符「口」を加えて「𣄰」の字形となり、筆画中の「旡」が「人」に、「可」が音符「可 /*KAJ/」に訛変し「何」の字形となるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95

象形文字です。「人が肩に物を持って運ぶ象形」から「になう」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「なに」を意味する「何」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji276.html

と、象形文字とするものもあるが、

形声。人と、音符可(カ)とから成る。背に荷物を負う意を表す。もと、「荷(カ)(になう)」の原字。借りて、疑問詞「なに」の意に用いる(角川新字源)、

形声。声符は可(か)。〔説文〕八上に「擔(にな)ふなり」とあり、荷担する意。〔詩、商頌、玄鳥〕「百祿を是れ何(にな)ふ」、〔詩、商頌、長発〕「天の休(たまもの)を何(にな)ふ」とあり、古くは何をその義に用いた。卜文の字形は戈(ほこ)を荷(にな)うて呵する形に作り、呵・荷の初文。金文に旡+可に作る形があり、顧みて誰何(すいか)する形。のち、両字が混じてひとつとなったものであろう(字通)

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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茅花(つばな)

 

茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)が原のつほすみれ今盛(さか)りなり我(あ)が恋ふらくは(大伴の田村の家の大嬢)

の、

茅花(つばな)

は、

茅萱の花、

で、

抜いて食用とした、

とあり、

上三句は序。「今盛りなり」を起す、

とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。なお、上代、

つほすみれ、

後世、

つぼずみれ、

といった、

つほすみれ

については触れた。

つばな、

は、

ちばな(茅花)の転、

である(大言海)が、

ツ、

は、

チ(茅)の古形、

ともある(岩波古語辞典)ように、

つばな、

は、

ちばな(茅花)、

で、

チガヤの花穂、

をいう(精選版日本国語大辞典)。万葉集に、春の蕾の時は、

戯奴(わけ)がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥えませ(紀女郎)、

とあるように、甘みがあって食べられる(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/tigaya.html・岩波古語辞典)。その後、白い綿毛の密集する長い穂になるが、のちに、

茅(ず)の称、

となる(大言海)のは、

茅針

とあてて、

つばな、

と訓ませ、

チガヤの別称、

とされるからである(動植物名よみかた辞典)。

つばら

で触れたように、

浅茅原(あさぢはら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも(帥大伴卿)、

の、

浅茅原(あさぢはら)、

は、

つばらつばらの枕詞、

で(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

「茅」は古く「つ」ともいったところから「つはら(茅原)」と類音の「つばらつばら」にかかる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

浅茅焼

で触れたが、

野山や道端に生えるイネ科の多年草で、丈の低いのを、

アサヂ、

大きくなったのを、

チガヤ、

という(岩波古語辞典)。

浅は、低しの意、

とある(大言海)。

深しの対、

とあり(岩波古語辞典)、

アス(褪)と同根。深さが少ない、薄い、低いの意、

とある(岩波古語辞典)。

チガヤ、

の、

カヤ、

は、

屋根などを葺く箆に使う草、

の意である(岩波古語辞典)。

浅茅生

で触れたように、新撰字鏡(平安前期)に、

茅、知(ち)、

和名類聚抄(931〜38年)に、

茅、智(ち)、

とある。

茅(ちがや)、

の古名は、

茅(ち)、

で、和名類聚抄(931〜38年)には、

茅、智、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)には、

茅根、知之禰、

天治字鏡(平安中期)には、

茅、知、

とある、和名、

ちがや、

は、

チ(茅)カヤ(草)の義、チ(茅)は千の義。叢生するより云ふか(大言海)、
チヒガヤ(小萱)の義(日本語原学=林甕臣)、
根が赤いところから、チカヤ(血茅)の義(柴門和語類集)、

等々とあるが、

ちがや、

の、

ち(茅)、

は、

数多く集まって生えるところから、チ(千)の義(大言海・言葉の根しらべ=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)、

とあるところから、

ちがや、

も、

「チ」は千を表し、多く群がって生える様子から、千なる茅(カヤ)の意味https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4
千(ち)の義にて、叢生するより云ふかと云ふ(大言海・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)、
チ(千・群生)+カヤ(茅・萱・スゲ・ススキの相称)。群がって生えるカヤ(日本語源広辞典)、
「千(チ)」のカヤの意で、叢生するさまから(精選版日本国語大辞典)、

名付けられたというのが妥当なのだろう。

浅茅生

浅茅焼

で触れたように、

ちがや、

は、

茅、
茅萱、
白茅、
千萱、

とあてるイネ科の多年草、

各地の草地や荒地に群生する。高さ約六〇センチメートル。葉は線形で先がとがる。晩春、葉に先だって白い絹状毛を密生した長さ一〇〜二〇センチメートルの円柱形の花穂を出す、

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4・精選版日本国語大辞典)。この花穂、

つばな、
ちばな、

は、古くは火口(ほくち)に用い、穂は、完熟する前に採取して日干ししたものを、

茅花(ちばな)、

と通称していて、花穂の絹糸状の毛を切り傷などの患部につけて止血に役立てられる(仝上)とある。漢名は、

白茅、

である(仝上)。

ちがや、

は、

小児、好みて食ふ、

とある(大言海)のは、

ちがや、

が、

分類学的にサトウキビとも近縁で、根茎や茎などの植物体に糖分を蓄える性質がある。外に顔を出す前の若い穂はツバナといって、噛むとかすかな甘みがあって、昔は野で遊ぶ子供たちがおやつ代わりに噛んでいた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4ところからだろう。また、晩秋、

地上部が枯れてから、細根と節についていた鱗片葉を除いた根茎を掘り起こして、日干しまたは陰干したものは茅根(ぼうこん)と呼ばれる生薬で、利尿、消炎、浄血、止血に効用がある薬草として使われる、

とある(仝上)。漢方では、

根茎を利尿目的で処方に配剤したり、花穂は止血の効力があるとして、外傷の止血剤に用いている、

ともある(仝上)。

ちがや、

に、

血茅、

の字をあてる(日本大百科全書)のはそうしたことからかもしれない。

茅、

を、

かや、

と訓ませると、

萱、

とも当て、

チガヤ・ススキ・スゲ等々、屋根を葺く箆に用いる草本の総称、

を言う(広辞苑)。これは、

「茅」は、「ち」で、「ちがや」をさすが、「ちがや」は、屋根を葺く草の代表的なものなので、「かや」に当てられた、

とある(日本語源大辞典)。ただ、

萱、

の字は、本来、

ユリ科の植物カンゾウ(萱草)、一名ワスレグサで、「かや」の意に用いるのは誤り、

とある(仝上)。

倭名抄、名義抄などの「かや」には「萓」を当てており、字形がにているため後世誤ったもの、

ともある(仝上)。

かや、

は、

茅、
萱、

とあて、

屋根を葺(ふ)くのに用いるイネ科、カヤツリグサ科の大形草本の総称、

をいい、主として、

ススキ、チガヤ、スゲなどが用いられ、

茅根、
茅草、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。だから、

かや、

は、また、

すすき(薄)の異名、

ともされる(仝上)が、

ちがや、

も、

屋根をふく草の代表的なもの、

なので、「かや」にあてられた(仝上)ようである。

「茅」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、「浅茅生」で触れたが、

会意兼形声。「艸+音符矛(ボウ 先の細いほこ)」

であり、尖った葉が垂直に立っている様子から、矛に見立てたものであり、「ちがや」「かや」の意である、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(艸+矛)。「並び生えた草」の象形と「長い柄の頭に鋭い刃をつけた武器」の象形(「矛」の意味)から、矛のように突き出た草「かや」を意味する「茅」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2682.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。艸と、音符矛(ボウ)→(バウ)とから成る。「かや」の意を表す(角川新字源)、

形声。声符は矛(ぼう)。〔説文〕一下に「菅なり」、次条の菅に「茅なり」とあって互訓。〔左伝、僖四年〕「爾(なんぢ)の貢する苞茅(はうばう)入らず、以て酒を縮(した)む無し」とあり、祭祀の酒をこすのに用いた。〔周礼、天官、甸師〕はその蕭茅を供することを掌る。また〔詩、召南、野有死麕(やゆうしきん)〕「白茅もて之れを包む」は、犠牲を包むこと、〔詩、豳(ひん)風、七月〕「晝は爾(なんぢ)于(ここ)に茅(かや)かれ」は、屋根を葺くのに用いる(字通)

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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心苦(ぐ)し

 

心ぐきものにぞありける春霞(はるきかすみ)たなびく時に恋の繁(しげ)きは(大伴坂上郎女)

の、

心ぐし、

は、

心が鬱々として晴れない、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

心ぐし

は、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

の、

形容詞ク活用、

で、

気分がはっきりしない、
心が晴れずうっとうしい、
心がせつなく苦しい、

といった意味になる(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。前に触れたように、

心ぐし、

に、

心苦し、

とあて、

心ぐるしの略と云ふ(見苦(めぐる)し、めぐし。蝦手(かへるで)、楓(かへで)。帰るさ、かへさ)、

とする説(大言海)もある。しかし、この、

心ぐし、

の、

ぐし、

は、

くさくさ、
くしゃくしゃ、
むしゃくしゃ、

といった、

憂鬱な状態、
心が沈んでふさぎこんでいる状態、

を言い表す擬態語と関係があるのではないかと憶説を立てた。

くしゃくしゃ、

は、

くさくさ、

の音韻変化だが、この、

くさくさ、

は、

憂鬱になる、

意の、

腐る、

を畳語にして強調した語(仝上)とある。

心くし、

は、この、

くさくさ、

の、

腐る、

と通じるのではないか、という気がする、とした。しかし別の可能性もあることに気づいた。

心ぐし、

の、

ぐし、

は、

姫君、例の心細くてくし給へり(源氏物語)、

の、

屈(く)す、

の、連用形で、

心がふさぐ、
気が滅入る、

意ではないか。

くす、

は、

クッシの促音ツを表記しない形(岩波古語辞典・広辞苑)、
「くっす」の促音の無表記(精選版日本国語大辞典)、
クスとなるは、約(つづ)まれるなり(鬱金(うつこん)、うこん。一向(いっかう)、いこう)、くんず、くんじとなるは、その音便なり(蒟蒻(くにやく)、こんにゃく。無(な)くば、なくんば)(大言海)、

とある。

少しうれしと思ふぞ、ここちのくしすぎたるにや(落窪物語)、

と、

心が沈みすぎる、
気持が過度に暗くなる、

意の、

くしすぐ(屈し過ぐ)、

という言い方(自動詞 ガ上二段活用)もあり、また、

ちぎりおきしうづきはいかにほととぎすわがみのうきにかけはなれつつ、いかにしはべらまし、くしいたくこそ、くれにを(蜻蛉日記)、

と、

ひどく気がふさいでいる、
すっかり沈みこんでいる、

意の、

くしいたし(屈し甚し)、

という言い方(形容詞ク活用)もある。この場合も、

「くっしいたし」の促音無表記、

なので、

くんじいたし、

とも訛り、後には、

胸のみふたがりて物なども見入れられず、くつしいたくて文も読までながめ臥し給へるを(源氏物語)、

と、

くっしいたし(屈し甚し)、

とも使う(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。この、

くっしいたし、

の派生語として、形容動詞ナリ活用の、

くしいたげ、

名詞の、

くしいたさ、

もある。この、形容詞ク活用の、

くし、

と考えると、

心ぐし、

は、

意味的にも合致するのではないか。ちなみに、動詞、

屈(く)す、

は、

せ/し/す/する/すれ/せよ、

の、自動詞サ行変格活用で、

あれまくは君をぞ惜しむ菅原や伏見の里のあまたなければ、身こそよそなれとかいふ。おもほしくせざらめ(宇津保物語)、

と、

心を暗くするようなことがあって、気持が沈み込む、
めいる、
気がふさぐ、

意、

少しうれしと思ふぞ、心ちのくし過ぎたるにや(落窪物語)、

と、

不幸、不遇な境涯に、いじけて卑屈になる、
心理的に屈服する、

意、

「何の名ぞ、落窪は」……「人の名にいかにつけたるぞ。論なうくしたる人の名ならん」(落窪物語)、

と、

気分的にのびのびとした感じを受けない、
不景気な感じである、

意で使う(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。

「屈」(@漢音クツ・後゛音クチ、A漢音クツ・呉音ゴチ)は、

会意文字。「尸(しり)+出」で、体を曲げてしりをうしろに突き出すことを示す。しりをだせば、体全体はくぼんでまがることから、かがんで小さくなる、の意となる。出を音符と考える説もあるがと従いがたい、

とある(漢字源)。なお、「屈伸」の、「かがむ」「まげる」の意は@の音、「屈強」の、「ずんぐりとごつい」意はAの音、となる(仝上)。同じく、

会意文字です(尸(尾)+出)。「獣のしりが変形したもの」と「毛がはえている」象形と「くぼみの象形が変形したもの」から、くぼみに尾を入れるさまを表し、そこから、「かがむ」、「かがめる」を意味する「屈」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1192.html

と会意文字とする説もあるが、他は、

形声。「尾」+音符「出 /*KUT/」。「みじかい」を意味する漢語{屈 /*khut/}を表す字。のち仮借して「かがむ」を意味する漢語{屈 /*khut/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%88

形声。意符尾(しっぽ。尸は省略形)と、音符出(シユツ)→(クツ)とから成る。短いしっぽ、転じて、くじく意を表す(角川新字源)、

と、形声文字とする説、

象形。尸(し)は獣の上体の形。出の部分は、尾毛を屈している形。金文および篆文の形は、ともに尾の形に従う。〔説文〕八下に「尾無きなり。尾に從ひ、出(しゆつ)聲」とするが、声も合わず、出は屈尾の形である。尾を屈することは屈服の意思表示であるので、屈服・屈従の意となる(字通)、

と、象形文字とする説とに分かれる。


参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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うべ

 

闇(やみ)ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出(い)でまさじとや(紀郎女)

の、

うべも来まさじ、

は、

来まさぬもうべならむ、

の意とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

出(い)でまさじとや、

の、

とや、

は、

相手の意中を推測する語法、

とし、

お出ましにならないというのですか、

の意(仝上)となり、

闇(やみ)ならばうべも来まさじ、

を、

闇夜ならばおいでにならないのもごもっともなことです、

と訳す(仝上)。

うべ、

は、

宜、
諾、

とあて、

平安時代以降は「むべ」と表記されることが多い(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
平安時代にmbeと発音されたので、「むべ」と書く例が多い(岩波古語辞典)、

とあり、

あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする(日本語源大辞典)、
承知する意。事情を受け入れ、納得・肯定する意。類義語ゲニは、所説の真実性を現実に照らして見つめる意(岩波古語辞典)、

を表し、

なるほど、
まことに、
道理で、
本当に、

といった意で使う(広辞苑・前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館))。

うべ、

の由来は、

ウは承諾の意のウに同じ。ベはアフ(合)の転か(岩波古語辞典)、
得可(ウベ)の義、肯(うけ)得べき道理(ことわり)の意、為可(すべ 手段)と同趣(大言海)、
ウは語根で、答えるときの間投詞(古事記伝・本朝辞源=宇田甘冥)、
大の意のウを動詞ベシ(可)の語幹ベにのせたもので、大いに然りという意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウヘ(承諾)の義か(和訓栞)、
ウバの転。ウバはもと形容詞のウマンの語幹ウマ(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

等々あるが、

う、

は、

感動詞、

で、

京のうちに否ともうとも言ひ果てよ人頼めなる事なせられそ(信明集)、

と、

承諾の意を表す声(岩波古語辞典)、

とある(岩波古語辞典)が、

う、

は、

宜(うべ)の語根なり、ムともなり、ウンともなる、ヲの転なり。

ともあり(大言海)、もともとは、

を、

で、

を、

は、

筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛(かな)しき子ろが布(にの)乾(ほ)さるかも(万葉集)

の、

いなをかも、

は、

否乎かも、

とあて、

否と諾の意、

で、

いや違うかな、
いやどうだかな、

などと訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、別に、

いなもをも欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我(われ)も寄りなむ(万葉集)

の、

いなもをも、

は、

否も諾(を)も、

とあて、

否と言っても応と言っても、

と訳す(仝上)。さらに、

を、

は、

諾(ウ)に通ず、

として、

諾、

とあて(デジタル大辞泉)、

心にもいるひの弓は山ならぬ花のあたりにをとぞ答ふる(忠見集)、
近江の君、こなたにを、と召せば、をといとけざやかに聞えて出で来たり(源氏物語)、

と、

諾(うべな)ふ声(大言海)、
(女の)応答・応諾の声(岩波古語辞典)、
人に答えて承諾の意を表わす語(精選版日本国語大辞典)、

の意味ともある。

む、

も、感動詞で、

卑下なる声にて、むといらへて立ちぬ、……もてなしすさまじからぬやうにせよ、と云ひければ、むと申して、さまざまに沙汰し設けたり(宇治拾遺物語)、

と、

応(いら)ふる声、今、うん、と云う(大言海)、
承諾または応答の声(岩波古語辞典)、

とあり、

そうみると、

を(ou)→う(u)→うん、
む(mu)→う(u)→うん、

といった転訛になるのだろうか。なお、

諾、

を、

せ、

と訓ませても、

否(いな)せとも言ひ放(はな)たれず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり(後撰和歌集)、

と、承諾の意を表す応答の語として、

はい、
うん、

の意で使う(デジタル大辞泉)。なお、

「うべ」を重ねて形容詞化した、

うべうべし(宜宜)

は、表記は、

むべむべし、

が普通であったが、

消息文にも、仮名(かんな)といふものを書きまぜず、むべむべしく言ひまはし侍るに(源氏物語)、

と、当然であると思われる状態を表わし、

もっともらしい、
格式ばっている、
しかつめらしい、

意で使い(精選版日本国語大辞典)、

副詞「うべ」に接尾語「な」の付いたものの畳語、

である、

うべなうべな(宜宜)、

は、

宇倍那宇倍那(ウベナウベナ)君待ちがたに我が着(け)せる 襲(おすひ)の裾に月立たなむよ(古事記)、

と、同意肯定する意を強く表わし、

なるほどなるほど、
ほんとにほんとに、
まったくまったく、

の意となる(仝上)。

「宜」(ギ)は、

会意文字。「宀(やね)+多(肉を盛ったさま)」で、肉をたくさん盛って、形よくお供えするさまを示す。転じて、形がよい、適切であるなどの意となる、

とある(漢字源)。同じく、

会意。宀と、且(しよ)(=俎(しよ)。まないた)とから成り、家の中で肉を供えることから、転じて「よろしい」の意を表す(角川新字源)、

会意文字です(宀+且)。「屋根・家屋」の象形と「まないたの上に肉片をのせた」象形から、出陣にあたり、屋内で行われる儀礼にかなった調理を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「よろしい」を意味する「宜」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1366.html

会意。宀(べん)+且(そ)。卜文・金文の字形は、且(俎)の上に多(多肉)をおく形で象形。のち廟屋の形である宀に従う。その形は会意。〔説文〕七下に「安んずる所なり。宀の下、一の上に從ふ。多の省聲なり」とするのは、後の字形によって説くもので、もとは俎肉をいう。肉を以て祀ることをいい、卜辞に「己未、義京(軍門の名)に羌三人を宜(ころ)し、十牛を卯(さ)かんか」とあって、宜とは肉を殺(そ)いで俎上に載せ、これを以て祀ることで、その祭儀をいう。のち祖霊に饗し、人を饗する意に用い、金文に「阝+酋+廾宜(そんぎ)」という。〔詩、大雅、鳧鷖〕「尸(こうし)來(ここ)に燕し來(ここ)に宜す」とあるのも同じ。〔詩、鄭風、女曰雞鳴〕「子と之れを宜(さかな)とせん」は燕食の意。神が供薦を受けることを「宜し」といい、適可の意となる(字通)、

と、会意文字としているが、

象形(OC /*ŋ(r)ai/)。小さな台(まな板)に祭祀さいし用の肉(多)が載っている形。肉を俎上そじょうに載せることを意味する語で、のち祭祀に関する語に用いられ、仮借して{宜/*ŋ(r)ai/よろしい}を表す。まな板の下部を除いた輪郭りんかくが「宀」に相当し、まな板の下部と祭祀用の肉(多)が「且」に相当する(「」の字源とは微妙に異なる)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%9C

と、象形文字とするものもある。

「諾」(漢音ダク、呉音ナク)は、

形声。若(ジャク)は、それ、その、の意を表す指示詞で、是(これ)や然(それ、その)を返事に用いるように、そうと承認する返事に用いる。諾は「言+音符若」で、やや間をおいて、考えて答えることを表す。言語行為なので言印をつけた、

とある(漢字源)。同じく、

形声。「言」+音符「若 /*NAK/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%BE

形声。声符は若(じゃく)。若は諾の初文で、のち諾の声義が分岐した。〔説文〕三上に「𧭭(こた)ふるなり」とあり、次条に「𧭭(おう)は言を以て對(こた)ふるなり」とみえる。𧭭は應(応)と同源の字で、心部の應は𧭭と同じく疒+亻+隹(よう)に従う。疒+亻+隹(よう)は䧹の初文。鷹の初文も疒+亻+隹(よう)に従い、疒+亻+隹(よう)は鷹を抱く形。鷹狩りは古く「誓(うけ)ひ狩り」として行われたもので、これによって神意の反応を確かめるものであった。疒+亻+隹(よう)に従う字は、みなその儀礼に関する字である。若は若い巫女が両手をかざし、歌舞してエクスタシーの状態に入り、神意を承ける意。神の応諾するところを諾という。甲骨文に若を諾の意に用いる。応諾はいずれも神意を問い、確かめる行為をいう。〔礼記、玉藻〕に「父命じて呼ぶときは、唯(ゐ)して諾せず」とあり、唯という返事は速やかにして恭、諾は緩やかにして慢。すべて逆らわずに意のままに従うことを「唯々諾々」という(字通)、

も形声文字とする。

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

と、会意兼形声文字説は否定されているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%BEが、

会意形声。言と、(ジヤク→ダク したがう)とから成る。うけあう、ひきうける意を表す。「若」の後にできた字(角川新字源)、

会意兼形声文字です(言+若)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「髪をふりみだし我を忘れて神意をききとる巫女」の象形(「神意に従う」の意味)から、「言葉でこたえる」、「承知する」を意味する「諾」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1435.html

と、会意兼形声文字説をとるものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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戯奴(わけ)

 

戯奴(変して「わけ」といふ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ(紀郎女)

の、

変して、

は、

訓じて、

の意で、

わけ、

と訓ませる、

戯奴、

は、

「若」と同根、

とあり、

下僕などを呼ぶ語。ここは戯れて言ったもの、

とし、

そなたのために、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

我が手もすまに、

は、

「すま」は休む意か、ニは打消、

として、

我が手も休めずに、

と訳し、

茅花(つばな)

には、

茅花を美人の贈り物とし、女性の思いの表象とする毛詩邶風「静女」の詩に基づく表現と見る説がある、

と注記がある(仝上)。

戯奴、

は、

若と同根か(岩波古語辞典)、
「わけ」は「若(わか)」と同語源で、未熟者、幼稚な者の意が原義かといわれる(精選版日本国語大辞典)、

とあり、用例は、

いずれも諧謔味をもったものである、

とある(精選版日本国語大辞典)が、

若い、
幼い、

の意の、

若、

とのつながりがよく見えない。憶測だが、

若者、
若芽、
若武者、
年若、
若返る、

等々、名詞や動詞と熟合して、若い、幼いの意を加えて、複合名詞や複合動詞などをつくる例よりも、

若輩、
若年、

という言い方にある、

未熟、

の意を含意した、自分を、

謙遜、
卑下、

する言い方、あるいは、相手を、

見下す、
あなどる、

言い方とつながるのではないか。で、

戯奴、

にも、

我が君は和気(ワケ)をば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二(ふた)走るらむ(万葉集)、

と、一人称として、自己を卑下して用いる、

わたくしめ、

の意と、

黒木取り草(かや)も刈りつつ仕(つか)へめど勤(いそ)しき和気(ワケ)と誉めむともあらず(万葉集)、

と、二人称として、目下の相手に対して、ののしって呼びかける表現をとりながら、親しみの情を含ませて用いる、

と、

おまえ、
そち、

という意とがある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

「奴」(漢音ド、呉音ヌ)は、

会意兼形声。「又(て)+音符女」。手で労働する女の奴隷。努と同じで、激しい力仕事をする意から、粘り強い意を含む、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(女+又)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「手」の象形から、捕らえられた女奴隷を意味し、そこから、「奴隷」、「召使い」を意味する「奴」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1166.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「⿰丶又 /*NA/」+「女 /*NA/」。「もつ」「手にとる」「つかまえる」を意味する漢語{拿 /*nraa/}を表す字。のち仮借して「めしつかい」を意味する漢語{奴 /*naa/}に用いる。「⿰丶又」は物を掴む様を象る象形文字で、もと「⿰丶又」が漢語{拿}を表していたが、声符「女」を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B4

と、形声文字とするもの、

会意。女と、又(ゆう)(手でつかまえる)とから成り、捕虜となった女、転じて、しもべの意を表す(角川新字源)

会意。女+又(ゆう)。又は手。女子を捕らえて奴婢とする意。〔説文〕十二下に「奴婢、皆古の辠(罪)人(ざいにん)なり」とし、「周禮に曰く、其の奴、男子は辠隷(ざいれい)に入れ、女子は舂藳(しようかう)に入る」と〔周礼、秋官、司氏lの文を引く。舂藳は女囚を属するところ。〔周礼、秋官〕に罪隷百二十人、蛮隷百二十人、閩隷百二十人、夷隷百二十人、貉隷百二十人などがあり、犯罪者のほかはおおむね外蕃である。古くは異族の虜囚などを聖所に属して、使役したものであろう。これらを神の徒隷とすることに、宗教的な意味があったものと思われる(字通)、

と、会意文字とするものに分かれる。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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五月(さつき)の玉

 

ほととぎすいたくな鳴きそ汝(な)が声を五月(さつき)の玉にあへ貫(ぬ)くまでに(藤原夫人)

の、

五月の玉、

は、

五月五日の節句に飾る薬玉、

をいい(伊藤博訳注『新版万葉集』)、薬玉は、

麝香・沈香などを袋に入れ、菖蒲・橘の実などを付け五色の糸を垂らしたもの、

とある(仝上)。

あへ貫くまでに、

の、

あへ、

は、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

と、自動詞ハ行四段活用の、

合ふ

で、

一つになる、

といった意(学研全訳古語辞典)で、

合わせて通すまでは、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

五月の玉、

は、

五月の珠、

とも当て(デジタル大辞泉)、

橘の実、

の意味があり、

緒に貫いて輪とし、(かづら)などにしたもの、

とある(岩波古語辞典・広辞苑)。

橘の実、

だと大きすぎて、ちょっと異和感があるが、これは、

古へ、橘の実の、五月の頃に、大豆の大きさほどになれるが、落ちたるを取り上げて、糸に貫きて輪とし、鬘(かづら)とし、頸に懸けなどして、玩とせしものなるべし、

とある(大言海)。

足玉も手玉(ただま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫(ぬ)ひもあへむかも(万葉集)

とあるような、

上古の頸玉、手玉、足玉の遺風ならむと云ふ、

とあり、賀茂真淵は、

薬玉などにては無し、

と、薬玉説を否定している(『万葉考』)が、一説には、

薬玉、

とする(仝上)。冒頭の歌は、訳注者は、

薬玉、

と取ったようだが、

橘の実、

の意味でも、すんなり意が通るのではないか。

橘、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

橘、太知波奈、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

橘、タチバナ、

とある。

山橘(やまたちばな)

で触れたが、

たちばな(橘)、

は、ふるく、

たちはな、

ともいい(岩波古語辞典)、

やまとたちばな、
にほんたちばな、

ともいう、

ミカン科の常緑低木、

で、

日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三〜四メートル。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三〜六センチメートルの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯(きょし)がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二〜三センチメートルの偏球形で一一月下旬〜一二月に黄熟する。肉は苦く酸味が強いので生食できない、

とある(精選版日本国語大辞典)。日本では、

実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A
葉が常に立って青く、枯れることのない神木とされた(たべもの語源辞典)、
古くから「トキジクノカクノコノミ」と、その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えるから、長寿瑞祥の樹として珍重されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%BF%91%E6%A9%98

と、

永遠の繁栄や長寿の象徴とされてきた。ただ、

漢字橘(キツ)は、古へに、タチバナと云ひ、今は、かうじ(こうじ)と云ふ、柑(カン)は、古へ、かうじと云ひ、今はみかん類の総名とす、惑ひ易し、

とある(大言海)。



には、古事記、日本書紀に載る、

タチバナの古伝説、

がある。

垂仁天皇の40年春二月天皇が病気になられて時ならぬ果物を求められたので、田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わした。田道間守は十年を費やして果物を持ち帰ったが、天皇はその前年に崩御されてしまった。田道間守は菅原伏見、山陵(みささぎ)に詣でて帰国が遅れたことを詫び、その果実の半分を陵前に供え、残る半分を食べて、その場を去らず絶食してなくなった、

というものである(たべもの語源辞典)。その持ち帰った果物は、

非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)、
非時香木実(時じくの香の木の実)、

と呼ばれる、

不老不死の力を持った霊薬、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A、古事記は、

其の登岐士玖能(ときじくの)迦玖能(かくの)木の実は、是れ今の橘(たちはな)ぞ、

と、

非時香菓、



是今橘也(これ今の橘なり)、

とし、この由来から京都御所紫宸殿では、

右近橘(うこんのたちばな)、左近桜、

として橘が植えられている(仝上・精選版日本国語大辞典)。ただし、それが、現在のタチバナと同じがどうかは不明で、

柑子(こうじ)・小蜜柑、あるいは橙(だいだい)、

ともいわれる(たべもの語源辞典)。

右近橘、

も、

シュウミカンやコウジに類する、

とある(精選版日本国語大辞典)。

こんな由来から、

橘、

は、

タヂマモリ(田道間守)が常世から求めてきた花であるところから、タチマバナ(田道間花)の約轉か(大言海・古事記伝・和訓集説・本朝辞源=宇田甘冥・音幻論=幸田露伴)、
タチハナ(田道花)の義(言元梯・名言通・和訓栞)、
立花の義(俚言集覧)、
厳寒の中に立って色象を発するところからタチハナの義(柴門和語類集)、
民家にはない花であるところからタチノハナ(館花)の義か、また針があるところからカラタチノノハナの義か、カラタチは柑類の総称(和句解)、
香の高く立つ花であるところから(本朝辞源=宇田甘冥・日本語源広辞典)、
葉が常に立ち青み、枯れることのない神木であるところから(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
タマツリハナナカ(玉釣花中)の転訛(たべもの語源辞典)、

等々諸説あるが、どれとも定めがたい。なお、タチバナの花については、ホトトギスと取り合わせ、その芳香を愛で、蘰(かづら)にするなど詠み、

五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今和歌集)、

の歌以後、橘は懐旧の情、特に昔の恋人への心情と結び付けて詠まれることになる、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A、タチバナの実は、平安時代の物語などでは、

酒肴(伊勢物語)、
病人食(宇津保物語)、
妊婦食(篁物語)、

にしている(精選版日本国語大辞典)。

上述したように、賀茂真淵は、

薬玉などにては無し、

と、薬玉説を否定している(『万葉考』)が、一説に、

五月の玉、

を、

薬玉、

とする説もあり、

薬玉

で触れたように、

くすだま、

は、

クスリダマの転、

で(岩波古語辞典)、

麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、丁子(ちょうじ)、白檀、甘松等々種々の香料を網の玉に入れ、糸で飾り、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などの造花を結び付けて、五色の糸の八尺許りなるを垂らしたもの、

である(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)。丁子については、「丁子染」で触れた。入れる薬は、

麝香1両、沈香1両、丁子 50粒、甘松1両、竜脳半両を入れ、薬玉1連 12、閏月のある年には 13、袋は錦を用いるのを定法とした、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

長命縷、
続命縷(しょくめいる)、
くすりのたま、
五色縷、
久寿玉、

等々とも言い、

五月五日の端午の節供に、邪気を払い、不浄を避けるものとして柱や簾(すだれ)にかけた、

とされる(仝上)。

中国から伝わり、平安時代に盛んに贈答に用いた(広辞苑)とある。初見は、

五月五日に薬玉(くすだま)を佩きて酒を飲む人は、命長く、福ありとなも聞食(きこしめ)す、故、是を以て、薬玉を賜ひ、御酒賜はくと宣る(続日本後紀嘉祥二年(849)五月五日)、

とある。中古、宮中では5月5日に薬玉を下賜するならわしがあり、

中宮などには縫殿(ぬひどの)より御くす玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちよう)立てたる母屋の柱の、左右につけたり。九月九日の菊をあやとすずしの絹につつみて参らせたるを同じ柱にゆひつけて月頃あるくす玉にとりかへて(枕草子)、

と、

各人はそれをひじにかけて長命のまじないとした。また薬玉は御帳(みちよう)の東の方の柱にかけておき、9月9日重陽(ちょうよう)の節供(菊の節供)に菊花を絹に包んだものと取り替える風習があった、

とある(世界大百科事典・日本大百科全書)。また、

玉に五彩の糸のみ添へて、身にも繋ぐ、

とあり(大言海)、後の、

掛香(かけかう)、

とある(仝上)。

掛香、

は、

懸香、

とも当て、

香嚢(こうのう)、

ともいい(和名抄)、

練香を絹袋に入れたもの、

で(大言海)、

悪臭を防ぐため、室内に掛け、また紐をつけて首に掛けたり、懐中したりする、

とあり(広辞苑)、後の、

匂袋(においぶくろ)、
匂の玉、

である(仝上・大言海)。『雍州府志』(貞享元年(1684)山城一国の地理・沿革・寺社・古跡・陵墓・風俗行事・特産物などを漢文で記述した地誌)には、

嚢(絹嚢)左右、著緒繋項、懐其袋、故、元称掛香、

とある。古くは、

はじめショウブとヨモギの葉などを編んで玉のようにまるくこしらえ、これに5色の糸をつらぬき、またこれに、ショウブやヨモギなどの花をさしそえて飾りとした、

ようだが、室町時代より後は、

薬玉を飾る花は造花となり、サツキ、ショウブその他四季の花が用いられ、また中に麝香(じやこう)、沈香、丁子(ちようじ)、竜脳などの薫薬(くんやく)を入れたため、薬玉はにおい入りの玉となった、

とあり(世界大百科事典)。糸も、室町時代には6色となり、長く垂れることとなった(仝上)という。江戸時代に、

民間で5月5日に女児の玩具(がんぐ)として新しく流行した。京には薬玉売りも現れ、端午の節供には女児がいろいろの造花を紙に張って細工したものを背中にかけたり、肘に下げたりした、

とされるのも、薬玉の古い習俗の名残(なごり)である(日本大百科全書)。

「玉」(漢億ギョク、呉音コク)の異体字は、

玊、軉、𨉗(軉の類推簡化字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89。字源は、

象形。細長い大理石の彫刻をえがいたもので、かたくて質の充実した宝石のこと。三つの玉石をつないだ姿とみてもよい。楷書では王と区別してヽ印をつける、

とある(漢字源)。他も、

象形。複数の玉を紐で連ねたさまを象る。「たま」を意味する漢語{玉 /*ŋ(r)ok/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89

象形。たまをいくつもひもで通した、かざりだまの形にかたどる。「たま」の意。楷書では、王(おう)とのまぎらわしさを避けるため、点を加えて玉と書く(角川新字源)、

象形文字です。「3つの美しいたまを縦に紐(ひも)で通した」象形から「たま」を意味する「玉/⺩」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji190.html

象形。玉を紐で貫いた形。佩玉の類をいう。〔説文〕一上に「石の美なるもの、五徳有る者なり」とし、「潤澤にして以てなるは仁の方なり」など、仁義智勇汲フ五徳を説く。そのことは〔荀子、法行〕〔管子、水地〕にみえる。玉は魂振りとして身に佩びるほか、呪具として用いられたもので、殷の武丁の妃とされる婦好墓からは、多くの精巧な玉器が発見されている。玉の旧字は王。王は完全な玉。玉は〔説文〕一上に「朽玉なり。王に從うて點有り。讀みて畜牧(きうぼく)の畜の若(ごと)くす」(段注本)とあり、瑕(きず)のある玉をいう。〔詩、大雅、民労〕「王、女(なんぢ)を玉にせんと欲す」の玉は、おそらくその畜の音でよみ、「好(よみ)す」の意に解すべきであろう(字通)、

と、象形文字としている。なお、

「珠」(漢音シュ、呉音ス)、

については、「二乗の人」で触れた。

「橘」(漢音キツ、呉音キチ)は、

会意兼形声。「木+音符矞(キツ 丸井穴をあける、まるい)」で、まるい実のなる木、

とあり(漢字源)、「たちばな」ないし「こうじ」「みかん」類の総称とある(仝上)。同じく、

会意兼形声文字です(木+矞)。「大地を覆う木」の象形と「台座にたてた矛の象形」(「突き刺す」、「おどかす」の意味)から「人をおどかすようなとげのある、たちばな」を意味する「橘」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2535.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。木と、音符矞(クヰツ)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は矞(いつ)。矞に譎(けつ)・走+矞(きつ)の声がある。〔説文〕六上に「橘果なり。江南に出づ」とあり、わが国の蜜柑にあたる。〔楚辞、九章、橘頌〕にその樹徳を頌しているのは、そのような賦誦の文学が、魂振り的な機能をもつものとされたからであろう。〔周礼、考工記、序官〕に「橘、淮(わい)を踰(こ)えて北するときは枳(からたち)と爲る」とあり、〔菟玖波集、雑三〕に「難波の葦は伊勢の濱荻」というのと同じ。橘はわが国では花橘をいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ま(設)く

 

夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか(大伴家持)

の、

夏まけて、

は、

夏を待ちうけて、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、

夏になる、

という意味にもなる(精選版日本国語大辞典)。

まく、

は、

設く、

とあて、

け/け/く/くる/くれ/けよ、

の、他動詞カ行下二段活用、

で、

さし向ふ鹿島の崎(そき)にさ丹塗(にぬり)の小船(をぶね)を儲(まけ)玉巻の小楫(をかぢ)繁(しじ)貫き(万葉集)、
夕さらば屋戸(やど)開け設(ま)けて我(あ)れ待たむ夢(いめ)にあひ見に來(こ)むといふ人を(仝上)、

と、

場所や物などを前もって用意する、
準備して待つ、
もうける、

意や(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

近江(あふみ)の海沖つ島山(しまやま)奥(おく)まけて我(あ)が思ふ妹を言の繁(しげ)けく(万葉集)、

は、

心構えして待ちうける
心の準備をして待つ、

という意(仝上)だが、

奥まけて、

を、

将来をかけて、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

奥まけてわが思ふ妹(いも)が言(こと)の繁(しげ)けく、

を、

将来まで前もって考えてわたしの思うあの娘にうわさが多いことよ、

と、

前もって考えておく、

意と解釈するもの(学研全訳古語辞典)もある。ちなみに、

奥、

は、

しゑや

で触れたように、

「外(ト)」「端(はし)」「口(くち)」の対、「沖(おき)」と同源(岩波古語辞典)、
「沖」「遅る」などと同語源か、入り口や表などから遠くはいった所をさしていう(精選版日本国語大辞典)、
トホク(遠)の上略か(言元梯)、
数の果てという義でオク(億)か(和句解)、
オク(置)の義、物を蔵し置くをいう(名言通)、
オはすぼまった象、クはクライ象(槙のいた屋)、

等々、語呂合わせを除くと、

「外(ト)」「端(はし)」「口(くち)」の対、「沖(おき)」「遅る」と同源、

とみられ、

空間的には、入口から深く入ったところで、人に見せず大事にする所をいうのが原義、そこに届くには多くの時間が経過するので、時間の意に転ずると、晩(おそ)いこと、また、最後、行く先、将来の意、

とする(岩波古語辞典)のが妥当に思え、

空間的に、表・入口から深く入ったほう、

時間的に、現在から遠い先のこと(過去には用いない)、

抽象的に奥深いこと、内部、内面などをさしていう(心の底、芸の秘奥)、

といった流れになる(日本語源大辞典)。ここでは、

未来、

の意となる。さらに、

まく、

の意には、冒頭のように、

夏儲(まけ)て咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか、

と、

その時節を待ちうける、
また、
待ちうけた時節になる、

意があり(デジタル大辞泉)、この場合、特に、

季節や時の来るのを心待ちに待つ。待ち受ける。待ち受けた結果、その時になるの気持をこめて用いることが多い、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

予期していた時になる、

という意味になる(岩波古語辞典)。本来は、

前もって用意する、

という心構えが、心理的な、

心構えして待ちうける、

意や、その時間軸が、その時まで伸びて、

予期した時になる、

意へと、変化していくという風に見える。

磯の間ゆたぎつ山川(やまがは)絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて(万葉集)、

と、

片設(かたま)く、

という言い方がある。

け/け/く/くる/くれ/けよ、

の、自動詞カ行下二段活用で、

カタはわずかの意、マクは予期した時になる、

とあり(岩波古語辞典)、

季節や時が来るのが待たれる、
心から待ち受ける気持になる、
また、
時が移ってある時期になる、
ある時節が近づく、

意で使い、そこから、それをメタファに、

夏麻(なつそ)引く命方貯(かたまけ)刈薦(かりこも)の心もしのに人知れずもとなそ恋ふる気(いき)の緒(を)にして(万葉集)、

と、

ある事にいちずに心を寄せる、
傾注する、

意でも使う(仝上・精選版日本国語大辞典)。

片、

は、

マ(真・双)の対、

で(仝上)、名詞や動詞の上に付いて、片方の、かたよった、などの意を表わし、たとえば、名詞の上について、

片恋、
片手、
片われ、

のように、

対のものの一方、
一組になっているものの一部、

の意や、名詞の上に付いて、

片山、
片岡、
片時、
片生(かたおい)、
片垸(かたもひ)

のように、」

不完全な、
整っていない、
少しの、

等々の意や、名詞の上に付いて、

片田舎、
片淵、
片淵、
片添へ、

のように、

一方に偏した、
かたよった、

の意や、

片角(かど)、
片まけ、

のように、

少ない、

意や、

片敷き、
片聞き、

のように、

ひとり、

の意、主として動詞の上に付いて、

片待つ、

のように、

しきりに、
ひたすら、

の意を表わす(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。ちなみに、

まく、

の多動詞は、

まうく(設・儲)、

で、他動詞 カ行下二段活用となり、今日の、

もうける(設)、

につながる。なお、

巻く、捲く、

とあてる、

ま(巻)く

負く、任く、罷く、設く、

とあてる、

ま(負)く

については触れた。

「設」(漢音セツ、呉音セチ)は、

会意文字。もと「▽(のみ)+棒+又(手)」の会意文字で、のみをたたいて何かをすえつけることをしめす。のち、▽印がかわって言になり、「言+殳(工作する)」となった、

とある(漢字源)。他も、

会意。言と、殳(しゆ 手でうつ)とから成る。人を使って何かを陳列させる意を表す。ひいて、建物・場所などを「もうける」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(言+殳)。「取っ手のある刃物・口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味⦆と「手に木のつえを持つ」象形(「木のつえを手にして殴る」の意味)から、腕力や言葉を「並べる」、「もうける」を意味する「設」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji877.html

会意。言+殳(しゆ)。〔説文〕三上に「施陳するなり」と礼器などを陳設する意とし、「言に從ひ、殳に從ふ。殳は人を使ふなり」とする。殳は羽旞(うすい 羽で作った呪飾)をもつ形で、誓約や祈禱を示す言に、その呪飾をそえる意とみられ、祭祀の場を設定することを示す字であろう。〔詩、大雅、行葦〕「筵を肆(つら)ね席を設く」のように用いる。のち設色・設心・設言など、すべてことを用意することをいう(字通)、

と、会意文字としているが、上記の、

「言」+「殳」、

とする字解は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、『説文解字』では、

「言」+「殳」と説明されているが、これは誤った分析である、

としhttp://xn--ja-9k0g.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%AD

形声。「言」+音符「(⿰𡉣攴) /*NGET/」(「埶」の異体字)の略体、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ゆり(後)

 

我妹子が家(いへ)の垣内(かきつ)のさ百合花(さゆりばな)ゆりと言へるはいなと言ふに似る(紀豊河)

の、

ゆり、

は、

のちに、

の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。

ゆり、

は、

後、

とあて(広辞苑)。

後(のち)、
今後、
後刻、
後日、

の意(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)で、

緩(ゆり)の義、

とあり、

しばらくしてのち、
ゆるりとすること、

ともある(大言海)が、格助詞、

ゆり、

の源となった語(岩波古語辞典)とされる。その、

ゆり、

は、

ヨリの母音交替形(岩波古語辞典)、

とされ、

時や動作の起点・経過点をあらわす(岩波古語辞典)、
名詞・活用語の連体形に付く。動作・作用の起点を表す(デジタル大辞泉)、
体言または体言に準ずるものを受け、時間的、空間的起点を示す(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

かしこきや命(みこと)被(かがふ)り明日(あす)ゆりや草(かえ)が共(むた)寝む妹(いむ)なしにして(万葉集)、

と、

……から、

の意である(仝上・岩波古語辞典)。この、

ゆり、

は、上述したように、

「後」の意味の名詞「ゆり(後)」が転じたもの、

する説があり(仝上)、

ゆり、

と、同じ格助詞の、

ゆ、
よ、
より、

が、ほぼ同じ意味である。上代には、共通の用法をもつ格助詞として、

ゆ、
ゆり、
よ、
より、

の四語があった(精選版日本国語大辞典)が、

より、

は用法が最も多く、中古以降も使われ(精選版日本国語大辞典)、中古に入ると、

ゆり、
よ、
ゆ、

は、「より」に統一されていく(学研全訳古語辞典)。

ゆ、
ゆり、
よ、
より、

の語源については、

接尾語的な「り」が落ちたり、「ゆ」が「よ」に転じたりして成立したもの、

とみると、四語のなかで、「ゆり」の勢力が弱いのは、

ゆり、

が、最も古いからであると考えられる(精選版日本国語大辞典)。他方、

よ、

は、

よりの古形、

とある(岩波古語辞典)ように、

ゆ、
よ、

がまずあって、それに接尾語的な「り」がついて、

ゆり、
より、

が派生したと見る説もある(精選版日本国語大辞典)。ただ、

ゆ、
よ、

は、後述するように、古い用例しかなく、それに、「り」がついて、

より、
ゆり(「より」の母音交替形)、

と見た方がいいような気がする。

よ、
ゆ、

は、用例は「書紀‐歌謡」「古事記‐歌謡」と「万葉集」に見られるだけであり、

より、

と、その母音交替形、

ゆり、

が残り、最後に、

より、

だけになっった、ということだろうか。

ゆ、

は、「書紀‐歌謡」と「万葉集」に用例が見られるのみで、上代にのみ使われており(精選版日本国語大辞典)、

名詞に付く(デジタル大辞泉)、
体言、活用語の連体形に付く(学研全訳古語辞典)、
体言または体言に準ずるものを受けて「より」と同様に用いられる上代語(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

はしきよし我家の方由(ユ)雲居立ち来(く)も(日本書紀)、
朝に日(け)に見まく欲(ほ)りするその玉をいかにせばかも手ゆ離(か)れずあらむ(万葉集)、

と、時や動作の起点を表し、

……より、
……から、

の意、

巻向(まきむく)の穴師(あなし)の川ゆゆく水の絶ゆることなくまたかへり見む(万葉集)、

と、動作の行なわれる場所・経由地・経過点を示し、時間的・空間的・抽象的な用法があり、

……を、
……を通って、

の意、

小筑波のしげき木の間よ立つ鳥の目由(ユ)か汝(な)を見むさ寝(ね)ざらなくに(万葉集)、

と、動作の手段を示し、

……で、
……によって、

の意、

たまきはる命に向かひ恋ひむゆは君がみ舟の楫柄(かぢから)にもが(万葉集)、

と、比較の基準を示し、

……よりも、

の意などで使う(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

よ、

も、用例は「古事記‐歌謡」と「万葉集」に見られるだけで、

体言、活用語の連体形に付く(学研全訳古語辞典)、
名詞、活用語の連体形に付く(デジタル大辞泉)、
体言または体言に準ずる語を受けて「より」と同様に用いられる上代語(精選版日本国語大辞典)、

とあり、用例は、

ゆ、

と、ほぼ重なり、

ゆ、

とどう使い分けているのかはよくわからないが、

狭井河用(ヨ)雲立ち渡り畝火山木の葉さやぎぬ風吹かむとす(古事記)」、
天地の遠き始め欲(ヨ)世の中は常無きものと語り継ぎながらへ来れ(万葉集)、

と、時や動作の出発点をしめし、

……から、

の意、

己が命(を)を盗み死せむと後(しり)つ戸用(ヨ)い行き違ひ前つ戸用(ヨ)い行き違ひ窺はく知らにと(古事記)、
旅にして妹に恋ふれば霍公鳥(ほととぎす)わが住む里に此(こ)欲(ヨ)鳴き渡る(万葉集)、

と、動作・作用の行なわれる場所・経由地・経過点を示し空間的・抽象的な場合があり、

……を通って、
……を、

の意、

浅小竹原(あさじのはら)腰泥(なづ)む空は行かず足用(ヨ)行くな(古事記)、
鈴が音の駅家(はゆまうまや)の堤井(つつみゐ)の水を給へな妹が直(ただ)手よ(万葉集)、

と、動作の手段を示し、

……で、
……によって、

の意、

雲に飛ぶ薬はむ用(ヨ)は都見ばいやしき我(あ)が身また変若(を)ちぬべし(万葉集)、

と、比較の基準を示し、

……よりも、
……より、

の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。

より、

は、

体言または体言に準ずるものを受ける(精選版日本国語大辞典)、
体言や体言に準ずる語に付く(学研全訳古語辞典)、
名詞、活用語の連体形、副詞、一部の助詞などに付く(デジタル大辞泉)、
体言たはそれと同じ資格の語を承ける(岩波古語辞典)、

とあり、

置目もや淡海の置目明日用理(ヨリ)はみ山隠りて見えずかもあらむ(古事記)、
昔より言ひ來(け)ることの韓国(からくに)のからくもここに別れするかも(万葉集)

と、動作・作用の起点を示し、

……から、
以来、

の意、

堀江欲里(ヨリ)水脈(みを)引きしつつ御船(みふね)さす賤男(しづを)の徒(とも)は川の瀬申せ(万葉集)、

と、動作の行なわれる場所・経由地を示し、

……を通って、
……を、

の意、

つぎねふ山城道(やましろぢ)を人夫(ひとづま)の馬従(より)ゆくに己夫(おのづま)し歩(かち)従(より)ゆけば(万葉集)、

と、動作や作用の手段・方法を示し、

……によって、
……で、

の意、

ひと余里(ヨリ)は妹ぞも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ(万葉集)、

と、比較の基準を示し、

……より、

の意、事柄や範囲を限定する意を示し、

枕よりまた知る人もなき恋を涙せきあへずもらしつるかな(古今和歌集)、

と、下に「ほか」「のち」などを伴って、

……より、
……以外、

の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、この用例は比較的新しい。

より、
ゆ、
よ、

にある、

動作の行なわれる場所・経由地を示す、
動作や作用の手段・方法を示す、
比較の基準を示す、

という用法は、

ゆり、

にはない(精選版日本国語大辞典)ので、あるいは、

ゆり、

が最も古い、とする説は妥当なのかもしれない。そうみると、

ゆり→ゆ→(母音交替形)→よ→より、

ということが考えられる。だとすると、

ゆり、

が、

よりの母音交替形、

ではなく、

より、

が、

ゆりの母音交替形、

というべきなのかもしれない。もちろん、憶説だが。

今日でも、

より、

は使うが、

あいつより上、

とか、

昨日より今日、

など、

比較の基準を示す、

用例が大半で(仝上)、その他の用法は、中世末ごろから、

から、
にて、
で、

などに譲っている(デジタル大辞泉)。

「後」(慣用ゴ、漢音コウ、呉音グ)の異体字は、

后(簡体字/別字衝突)、𢔏、𨒥(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%8C。字源は、

会意文字。「幺(わずか)+夂(あしをひきずる)+彳(いく)」で、足をひいてわずかしか進めず、あとにおくれるさまを表す。のち、后(コウ・ゴ うしろ、尻の穴)と通じて用いられる、

とある(漢字源)。他も、

会意文字です(彳+幺+夂(夊))。「十字路の左半分」の象形と「糸の先端」の象形と「下向きの足」の象形から道を行く時に糸が足にからまって歩みが「おくれる」、「あと」を意味する「後」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji222.html

会意。彳と、夂(ち)(あし)と、幺(よう)(つなぐ)とから成り、足をつながれて前へ進めないことから、「おくれる」、ひいて「あと」「うしろ」の意を表す(角川新字源)

会意。彳(てき)+幺(よう)+夊(すい)。〔説文〕二下に「遲きなり」と訓し、〔段注〕に幺は幼少、小足のゆえに歩行におくれる意とする。金文の字形は幺の下に夊をつけ、また各の字形を加えるものがある。各は祝詞を奏して神霊が降格する意であるから、この字も進退に関する呪儀を示すものであろう。幺は御の古い字形にも含まれるもので、御の初文には幺を拝する形に作るものがある。後は、あるいは敵の後退を祈る呪儀を示す字であろう(字通)、

と、会意文字とするものが多いが、

原字は「幺」と「夊」から構成されるが造字本義は不明で、「彳」を加えて「後」の字体となる。「あと」「うしろ」を意味する漢語{後 /*ɡ(r)ˤoʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%8C

とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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くだち

 

望(もち)ぐたち清き月夜(つくよ)に我妹子に見せむと思ひしやどの橘(大伴家持)

の、

望(もち)ぐたち、

は、

十五夜過ぎの、

の意、

くたち、

は、

盛りを過ぎること、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

今夜(こよひ)の暁(あかとき)くだち鳴く鶴(たづ)の思ひは過ぎず恋こそまされ(万葉集)

の、

暁(あかとき)くだち、

の、

くだち、

は、最盛期が過ぎる意の動詞、

くたつ、

の名詞形で、

暁すぎ、

と訳し、

上三句は、「思ひすぎず」を起こす、

として、

今夜のこの暁過ぎに鳴いている鶴のように、わが胸の思いはいっこう晴れずに、

と訳す(仝上)。

くたち、

は、

降、
斜、

とあて、動詞、

くたつ(降)、

の連用形の名詞化で、

くだち、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

ある事柄や状態が終わりに近づくこと、
衰えること、
傾くこと、

をいう(仝上)ので、具体的には、

六月の晦(つごもり)の日、夕日のくたちの大祓へに(祝詞大祓詞)、

と、

日の傾くころ、

あるいは、

末となるころ、

の意や、

夜(よ)具多知(グタチ)に寝覚めて居(を)れば河瀬(かはせ)尋(と)め心もしのに鳴く千鳥かも(万葉集)、

と、

夜中過ぎ、

あるいは、

夜明けに近い頃、

の意となる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)。で、

朝露に咲きすさびたる月草(つきくさ)の日くたつなへに消(け)ぬべく思ほゆ(万葉集)、

と、

日降ち(日斜ち ひくだち)、

というと、

日が没すること、
日が暮れること、

夕日之降(クタチ)の大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を(延喜式祝詞)、

と、

夕日の降(ゆうひのくたち)、

というと、

夕方、日が傾くこと、また、その時、

冒頭の、

望降(もちぐたち)清き月夜(つくよ)に我妹子に見せむと思ひしやどの橘、

と、

望降(もちくたち)、

は、

十五夜が過ぎる

意とも、

十五夜が更ける、

意ともされる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。動詞、

くたつ、

は、

た/ち/つ/つ/て/て、

の、自動詞タ行四段活用で、

降(くだ)ると同意、あやまる、あやまつ(大言海)、
クツ(朽)・クタス(腐・朽)と同根。人力でとどめ得ない自然の成り行きによって、盛りの状態が推移して終わりに近づき、変質して行く意(岩波古語辞典)、
ある状態が下降的に時とともに変化する(精選版日本国語大辞典)、
くつ(朽・腐)」と同語源。「くたつ」は「くたす」と自他の対立をなし、「くだる・くだす(下)」とも関係があるか(精選版日本国語大辞典)、

とあり、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

降、クダス、クダル、
日斜、ヒクダチ

平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

斜、クダク、

色葉字類抄(平安末期)に、

斜、日斜、クダツ、ヒクタチ

とある。原義は、

我(わ)が盛りいたく久多知(クタチ)ぬ雲に飛ぶ薬はむともまたをちめやも(万葉集)、

と、

時が経過して朽ちていく、
おとろえる、

意で、それをメタファに、

日(ひ)晏(クタツ)まで坐(いま)し朝(まつりこときこ)しめして(日本書紀)、

と、

日の傾くころ、

山のはにいさよふ月の出でむかと待ちつつ居るに夜そくたちける(万葉集)

と、

夜がふける、

意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「降」(@漢音呉音コウ、A漢音コウ・呉音ゴウ)の異体字は、

夅(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%8D。「昇降」「以降」「降雨と、「おりる」「下る」「ふる」意は@の音、「投降」と、「くだす」「くだる」意は、Aの音、となる(漢字源)。字源は、

会意兼形声。夅(コウ)は、下向きの左足と右足を描いた象形文字で、下へくだることを示す。降は、それを音符として、阜(おか)を添えた字で、丘を下ることを明示したもの、

とある(漢字源)。同じく、

会意形声。阜と、夅(カウ)(下に向かって歩く)とから成り、高い所からおりてくる意を表す。ひいて「おろす」、したがえる意に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(阝+夅)。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「下向きの足の象形×2」(「くだる」の意味)から、丘を「くだる」を意味する「降」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji988.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

会意。「阜」+「夂」×2、高いところから人の足が降りてくるさまを象る。「くだる」「おりる」を意味する漢語{降 /*kruungs/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%8D

会意。𨸏(ふ)+夅(こう)。𨸏は神の陟降する神梯の象。〔説文〕十四下に「下るなり」とするが、神の降下することをいう。〔書、多士〕「惟(こ)れ帝、降格す」とみえる。卜辞に「帝囗+┣(とが)を降(くだ)さざるか」「帝は大𦰩(かん 暵)を降さざるか」「疾を降すこと勿(な)きか」のように、これらはすべて上帝の意思によって下民に降されるものとされた。降雨も同じ。また「祖丁を降さんか」のように、祖霊の降下することを卜する例がある。神聖の命を以て与えられるものをすべて降といい、降命という。春秋期以後、降服の意にも用いる(字通)、

と、字解は同趣しながら、会意文字とするものがある。

「斜」(@漢音シャ・呉音ジャ、A漢音呉音ヤ)は、

直に対する「ななめ」の意、「くむ」意、坂の意の場合は、@の音、陝西省の褒斜谷(ホウヤコク)の場合は、Aの音、となる(漢字源)。字源は、

会意兼形声。余の原字は、土や雪を押しやるスコップを描いた象形文字。余は、それに八印(横に分ける)を加えた字で、ゆるめて横に伸ばす意を含む。斜は「斗(ひしゃく)+音符余」で、ひしゃくを傾けて中の液体を横に伸ばし流すことをしめす。のち、横にそれる意に用いられるようになった、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(余+斗)。「先の鋭い除草具」の象形(「自由にのびる」の意味)と「物の量をはかる為の柄のある、ひしゃく」の象形から、「手を伸ばし、ひしゃくで汲む」を意味する「斜」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1360.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「斗」+音符「余 /*LA/」。「くみとる」を意味する漢語{斜 /*sla/}を表す字。のち仮借して「ななめ」を意味する漢語{斜 /*sla/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%9C

形声。斗と、音符余(ヨ)→(シヤ)とから成る。くみだす意を表す。借りて「ななめ」の意に用いる(角川新字源)、

形声。声符は余(よ)。余に徐・除(じよ)の声がある。〔説文〕十四上に「抒(く)むなり」(段注本)とあり、斗を以てものを挹むことをいう。斗柄を斜めにして用いるので傾斜の意となり、また邪と通用することがある(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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もみち

 

今朝(けさ)の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)聞きつ春日山(かすがやま)もみちにけらし我が心痛し(穂積皇子)

の、

朝明(あさけ)、

は、

あさあけ、

の約、

夜明け、
明け方、

の意(広辞苑)、多く、

歌語として用いられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

もみちにけらし、

の、

もみち、

は、動詞、

もみつ、

の連用形、

もみじしたにちがいない、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

もみつ、

は、

た/ち/つ/つ/て/て、

の、自動詞タ行四段活用で、

紅葉つ、
黄葉つ、

と当て(広辞苑)、平安初期以後、

ぢ/ぢ/づ/づる/づれ/ぢよ、

の、自動詞ダ行上二段活用化し、語尾が、

もみづ

と濁音化するが、その連用形の名詞化が、

もみぢ(紅葉。黄葉)、

である。

もみち(もみぢ)、

は、

色を揉み出すところから、もみじ(揉出)の義、またモミイヅ(揉出)の略(日本語源広辞典・和字正濫鈔・日本声母伝・南嶺遺稿・類聚名物考・牧の板屋)、
紅(もみ)を活用す(大言海)、
モミヂ(紅出)の義、モミ(紅)の色に似ているところから(和句解・冠辞考・万葉考・和訓栞)、
モユ(燃)ミチの反(名語記)、
モミテ(絳紅手)の義(言元梯)、

等々あるが、もともとの、

もみつ、

からの語源説明でないと、意味がないのではない。その点では、

もみ(紅)の活用、

は意味がある。これは、

色は揉みて出すもの、紅(クレナヰ)を染むるに、染めて後、水に浸し、手にて揉みて色を出す、

とあり(大言海)、

もみ、

は、

ほんもみ、

ともいう(精選版日本国語大辞典)ので、結果的には、

もみじ(揉出)、
モミイヅ(揉出)の略、

とする語源説と似てくるが。

もみ、

は、

紅、
紅絹、
本紅絹、

と当て(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)、

紅花を揉んで染めるところから、

この名があり、江戸時代には、紅花染を、

紅染(もみぞめ)、

職人を、

紅師(もみし)、

といったことされる(仝上)。

緋紅色に染めた平絹、

をそう呼び、

平絹、羽二重に鬱金(うこん)で黄に下染めした上へ紅をかけて、いわゆるもみじ色の緋(ひ)色に染め上げた、

とあり、

和服の袖裏や胴裏などに使う、

とある(仝上)。日本では、古くから、

紅で染めたものを肌着や裏地に用いる習慣がある。これはおそらく紅の薬物的な効力に対する信憑(しんぴょう)感から出たものであろう、

とある(日本大百科全書)。なお、

紅葉狩

については触れた。

「紅」(@漢音コウ・呉音グ・慣用ク、A漢音コウ・呉音ク)は、

「深紅」「紅蓮」とくれない色、「紅顔」と、あでやかな色、「紅粉」「紅脂」と、べに、の場合は@の音、「女紅(女功)」と、工(さいく)、功(手仕事)にあてた場合は、Aの音、

となる(漢字源)。字源は、

形声。「糸+音符工」、

とある(仝上)。他も、

形声。「糸」+音符「工 /*KONG/」。「あか」を意味する漢語{紅 /*ɡoong/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%85

形声。糸と、音符工(コウ)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(糸+工)。「より糸」の象形と「工具(のみ又はさしがね)の象形」(「作る」意味だが、ここでは「烘(コウ)」に通じ(同じ読みを持つ「烘」と同じ意味を持つようになって)、「赤いかがり火」の意味)から、「あかい」、「べに」を意味する「紅」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji927.html

形声。声符は工(こう)。〔説文〕十三上に「帛(はく)の赤白色なるものなり」とあり、桃紅色に近いものであろう。先秦の文献にほとんどみえず、古くは絳を用いる。絳はいわゆる大赤、濃紅色。「くれない」は「呉藍(くれあい)」の意である(字通)、

と、形声文字としている。

「黄(黃)」(漢音コウ、呉音オウ)の異体字は、

黃(旧字体/繁体字)、𡕛(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BB%83。字源は、

象形。火矢の形を描いたもの。上は、廿+火(光)の略体。下は、中央にふくらみのある矢の形で、油をしみこませ、火をつけて飛ばす火矢。火矢のきいろい光をあらわす、

とある(漢字源)。他も、それぞれ字解は、異なるが、

象形。障害により上半身がふくれた人を象る。「障害がある人」を意味する漢語{尪 /*ʔwˤaŋ/}を表す字。のち仮借して「黄色」を意味する漢語{黃 /*wˤaŋ/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BB%83

象形。人が佩玉(はいぎよく)(腰に着ける玉器)を着けているさまにかたどる。佩玉の色から、きいろの意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

象形文字です。「人が腰に帯びた黄色い玉」の象形から「きいろ」を意味する「黄」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji138.html

象形。卜文の字形は火矢の形かと思われ、金文の字形は佩玉の形にみえる。いずれも黃の声義を含みうる字である。〔説文〕十三下に「地の色なり」とし、字は田と光とに従うもので、光の声をとるというが、卜文・金文の字形は光を含む形ではない。金文に長寿を「黃耇(くわうこう)」といい、黄は黄髪の意。〔詩、周南、巻耳〕「我が馬玄黃たり」、また〔詩、小雅、何草不黄〕「何の草か黃ばまざる」「何の草か玄(くろ)まざる」の玄黄は、ともに衰老の色である。黄を土色、中央の色とするのは五行説によるもので、その説の起こった斉の田斉(田・陳)氏の器に、黄帝を高祖とする文がある(字通)、

と、象形文字としている。

「葉」(@漢音呉音ヨウ、A漢音呉音ショウ)の異体字は、

叶(簡体字/別字衝突)、𦯧、𦯲、𦰧、𦹁、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%89。草木の「は」、「はなびら」の意、「一葉」と紙など薄いものを数える単位、「中葉」「末葉」と時代の意、の場合は@の音、春秋時代の楚にあった町の名は、Aの音、となる(漢字源)。字源は、

会意兼形声。枼は、三枚の葉が木の上にある姿を描いた象形文字。葉は「艸+音符枼(ヨウ)」で、薄く平らな葉っぱのこと、薄っぺらなの意を含む、

とある(漢字源)。同じく、

会意形声。艸と、枼(エフ)(木にはがしげるさま)とから成る。草木の「は」の意を表す。借りて、よ(世)の意に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(艸+枼)。「並び生えた草」の象形と「木の葉」の象形から木の「は」を意味する「葉」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji334.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

形声。「艸」+音符「枼 /*LAP/」。「は」「はっぱ」を意味する漢語{葉 /*lap/}を表す字。もと「枼」が{葉}を表す字であったが、草冠を加えた。「枼」は葉のついた樹木の象形文字。『説文解字』では「世」+「木」と誤って分析されているが、「世」は「枼」の略字であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%89

形声。声符は枼(よう)。枼は新しい枝の出た形、その枝上のものを葉という。〔説文〕一下に「艸木の葉なり」とあり、葉のようにうすいものは、葉を以て数える。金文に百世を「百葉」としるし、〔詩、商頌、長発〕「在昔中葉」の〔伝〕に「世なり」とあり、金文に世・枼・葉をすべて世の意に用いる(字通)、

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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けらし

 

今朝(けさ)の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)聞きつ春日山(かすがやま)もみちにけらし我が心痛し(穂積皇子)

の、

もみちにけらし、

の、

もみち、

は、動詞、

もみつ、

の連用形、

もみじしたにちがいない、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

愛(うつく)しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば(万葉集)

の、

結びし紐の解くらく、

は、

紐が解けるのは相手が思っていてくれている兆しとされた、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

解らく、

は、下二段活用動詞、

「とく(解)」のク語法、

で、

解けること、

の意(精選版日本国語大辞典)、

愛(うつく)しと思へりけらし、

は、

いとしいと思ってくださっているらしい、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

けらし、

は、

過去の助動詞「けり」の連体形「ける」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の変化した語(学研全訳古語辞典)、
過去の助動詞「けり」の連体形に推量の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の音変化(デジタル大辞泉・広辞苑)、
回想の助動詞ケリの連体形ケルに推量の助動詞ラシのついたケルラシの約(岩波古語辞典)、
ケル、ラシの約(大言海)、
助動詞「けり」に助動詞「らし」の付いた「けるらし」の変化したもの(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

けるらし→けらし、

と約まったものであるとされるが、

けりの形容詞化(広辞苑)、
「けり」が形容詞的に活用したもの(精選版日本国語大辞典)、

とする説もある。

けらし、

は、

我妹子は常世の国に住み家良思(ケラシ)昔見しよりをちましにけり(万葉集)、

と、ある兆候の存在からその根拠となる事態の存在に気づき、その存在の可能性を推量し、

……だったのだろう、

の意、

万代(よろづよ)に語り継げとしこの岳(たけ)に領布(ひれ)振り家良之(ケラシ)松浦佐用比売(万葉集)、
狭莚(さむしろ)はむべさえけらし隠れ沼(ぬ)の葦まの氷一重(しとへ)しにけり(後拾遺和歌集)、

と、こういう条件があれば、そうなるのが道理であるという筋道を見いだして、その筋道の存在の可能性を推量し、

そういう訳で……たのだろう、

の意で使う(精選版日本国語大辞典)。後者の用法は、平安時代以降は、あまり見られなくなる(仝上)とある。また、

けらし、けり(に同意)(鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇))、
けらしとは、ケリと云ふ事(江戸前期の女訓書「不断重宝記」)、

等々にあるように、

けらし、

は、

けり、

の意味だとされ、

神明の加護かならず恙なかるべしと云捨て出つつ、哀さしばらくやまざりけらし(奥の細道)、

と、近世になって多くみられるようになる(仝上)。

「けり」を詠嘆的に余情をこめて表現する、

場合に使い、

……だなあ、
……たのだなあ、
……であることよ、

といった意味になる。この、

けらし、

に、完了の助動詞「ぬ」の連用形をつけて、

桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しほひ)二家良之(ニケラシ)鶴鳴き渡る(万葉集)、

と、

にけらし、

という使い方があるが、これは、完了している事態についての推量を表わし、

……してしまったようだ、
……してしまったらしい、

という意になる(精選版日本国語大辞典)。

けり

と、同義に使われているが、

しく

で触れたように、動詞・助動詞の連用形を承ける、過去の助動詞、

けり、

は、

「き(来)」に「あり」が結合したもの、

とも、

過去の助動詞「き」に「あり」が結合したもの、

ともいわれ(精選版日本国語大辞典)、

けら・○・けり・ける・けれ・◯、

と活用し(精選版日本国語大辞典)、

事態の成り行きがここまできていると、今の時点で認識する、

という意味が基本であり、

この花の一節(ひとよ)のうちは百種(ももくさ)の言持ちかねて折らえけらずや(万葉集)、

と、

そういう事態なんだと気づいた、

という意味で、

……ていたのだな、
……たのだな、

と、

気づいていないこと、記憶にないことが目前に現れたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現することが少なくない、

とあり(岩波古語辞典)、

けり、

が、

詠嘆の助動詞、

とされる所以である。ただ、

世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり(万葉集)、

と、

見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにしたとき、

や、

遠き代にありけることを昨日(きのふ)しも見けむがごとも思ほゆるかも(万葉集)、

と、

真偽は問わず、知らなかった話、伝説・伝承を、伝聞として表現するとき、

にも用いる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。だから、

けり、

の場合は、

気づいた事態や筋道は目の前に存在したり、ありありと意識されたりすることを表わす、

が、

けらし、

の場合、それらは、

直接には確かめることができないので、存在する可能性が述べられるに止まっている、

という違いがある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、同じ過去の助動詞

き、

は、基本、

人言(ひとごと)を繁(しげ)みこちたみ逢はずありき心あるごとな思ひわが背子(万葉集)、

と、

「き」の承ける事柄が、確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは、自己の体験であるから、「き」は、
「……だった」と自己の体験の記憶を表明する場合が多い、

とある(仝上)。しかし、自分の経験しえない、また目撃していない事柄についても、

音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領布(ひれ)振りきとふ君松浦山(きみまつらやま)(万葉集)、

と、

みずから目撃していない伝聞でも、自己の記憶にしっかり刻み込まれているような場合には、「き」を用いて、「……だったそうだ」の意を表現した、

とある(仝上)。

らし、

は、語源としては、

「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある(デジタル大辞泉)、
「あり」を形容詞化した「あらし」とする説、「あるらし」「けるらし」「なるらし」の縮約形とする説などがあるが、未詳(精選版日本国語大辞典)、

とされ、

〇・〇・らし・らし・らし・〇、

と活用する推量の助動詞、基本、

動詞・助動詞の終止形を承ける(岩波古語辞典)、

が、

ラ変動詞・形容詞(カリ活用)・形容動詞およびラ変型の活用をする助動詞には連体形を承ける、

とされ(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、上代では、

上一段活用の動詞については、連用形を承ける、

ともある(岩波古語辞典)。原則、語形変化をしないが、

「ぞ」「こそ」の結びとしての用法があるのでそれぞれ連体形・已然形も「らし」とする、

とある(精選版日本国語大辞典)。上代では、

やすみしし我が大君の夕されば召し給ふらし(連体形)明けくれば問ひ給ふらし(連体形)(万葉集)、

と、「こそ」の係りの結びには「らしき」を用いた例もある(岩波古語辞典)が、

普通にはこれを形容詞の形に照らして、連体形とする、

とある(精選版日本国語大辞典)。これは、

「らし」がシク活用の形容詞と同型の活用をする結果で、シク活用の形容詞は、「うまし國」「遠々し越の国」のように、体言にかかる場合に、終止形そのままを用いる場合がある。それと同様に、「らし」がそのまま連体形として使われた、

ともある(岩波古語辞典)。

らし、

は、

確定的な事実に対する推量を表わすが、思いをめぐらして想像するといったものではなく、事実に対する志向作用を表わす。そこで「らし」の表わす推量を特に「推定」と呼ぶことが多い(精選版日本国語大辞典)、
「らし」が用いられるときには、常に、推定の根拠が示されるので、その根拠を的確にとらえることである(学研全訳古語辞典)、
上代では、確定的な事実に対する推量であるが、「疑」字を「らし」と読む場合もある。中古には、疑問表現を受ける例も現われ、確定的な事実ばかりでなく、未定の事実も対象とするようになった。中古半ばには、すでに古語(歌語)であり、現代語の助動詞「らしい」は、近世以後成立した別語である。しかし、意味の上ではかなり近い(精選版日本国語大辞典)、

とあり、用法は、具体的には、

根拠を示し、現実の状況を推定する意を表わす場合、

は、

浅茅原小谷を過ぎて百(もも)伝ふ鐸(ぬて)ゆらくも置目(おきめ)来(く)良斯(ラシ)も(古事記)、

と、根拠と事実とを二文または条件句などを用いて示したり、

縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島こぎみる舟は釣しす良下(ラしも)(万葉集)、

と、根拠と事実とを係助詞「は」などを介して一文で表わしたりする。また、

汝(な)が御子や遂に知らむ雁は卵産(こむ)良斯(ラシ)(古事記)、

と、

確定的な事実の原因・理由を推定する意を表わしたり、

古(いにしへ)の七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせしものは酒にしある良師(ラシ)(万葉集)、

と、

原因や根拠などにかかわらず、ある事柄について推定する意を表わしたりする(精選版日本国語大辞典)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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そら

 

彦星(ひこぼし)は織女(たなばたつめ)と天地(あめつち)別れし時ゆいなむしろ川に向き立ち思ふそら安けなくに嘆くそら安けなくに青波(あをなみ)に望(のぞみ)は絶えぬ白雲に涙(なみた)は尽きぬ(山上憶良)

の、

いなむしろ、

は、

川の枕詞、

だが、

語義不明、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。しかし、

いなむしろ

で触れたように、

いねむしろ、

の轉(大言海)で、

稲筵、
稲蓆、

等々と当て、

稲稈(いねわら)で織ったむしろ、

の意で、一説に、

寝筵、

の意という(広辞苑)。

寝筵、

は、

寝る時に布団の上に敷く筵、

の意とある(仝上)。

夫婦寝るに用ゐる、二枚刺しつなぎたる筵(比翼茣蓙 ひよくござ)、

ともある(大言海)。また、

いなむしろ、

は、

田の稲のみのって乱れ臥したさまをむしろに見做していう語、

でもある(仝上)。俊頼髄脳(1111〜14)に、

いなむしろといへる事は、稲の穂の出でととのはりて田に波寄りたるなむ、筵を敷き並べたるに似たると云ふなり、

とある。で、

夫婦寝るに用ゐる、二枚刺しつなぎたる筵(比翼茣蓙 ひよくござ)、因りて敷くに掛かり、二枚刺し交すより、かはにかかる、

とあり(大言海)、

玉桙(たまほこ)の道行き疲れ伊奈武思侶(イナムシロ)しきても君を見むよしもがも(万葉集)、

と、「敷く」の序詞として用いられ、

伊儺武斯盧(イナムシロ)川副楊(かはそひやなぎ)水行けば摩(なび)き起き立ちその根は失せず(日本書紀)、

と、

かわ(川)、

にかかるが、このかかり方については、

(イ)風に吹かれて波打つ稲田のさまを川に見立てて。
(ロ)川面の青やかであるのを稲わらで編んだむしろを敷いたのにたとえて。
(ハ)「いなむしろ」は「いねむしろ(寝莚)」の変化した語で、「いなむしろ」に使う皮の意から「皮」と同音の「川」にかかる、
(ニ)稲の莚は、コモ、スゲなどの莚にくらべて編み目が強(こわ)ばっているところから「こわ」と類音の「川」にかかる、

等々諸説ある(精選版日本国語大辞典)。

思ふそら、
嘆くそら、

の、

そら、

は、

こころ、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

安けなく、

の、

安け、

は、

「安し」の未然形、

ナク、

は打消ヌのク語法(仝上)とある。

そら

は、

そらみつ、

の、

そら、

である。この和語、

そら、

は、

空、

とあてるが、

swara→古代日本語 sora

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%89、古事記に、

腰泥(なづ)む蘇良(ソラ)は行かず足よ行くな、

とあり、

そら、

は、

天と地との間の空漠とした広がり・空間。アマ・アメ(天)が天界をさし、神々の国という意味をこめていたのに対し、何にも属さず、何ものも内に含まない部分の意になり、転じて、虚脱した感情。さらに転じて、実意のない、あてにならぬ、いつわりの意(岩波古語辞典)、

ソラ(天と地との間の、何にも属さず、何も含まぬ部分)、天空、大空以外に、むなしい、あく、から、の意にも使い、また、エソラゴト、ウワノソラ、ソラゴコロ、ソラダノミなどの造語成分にもなります(日本語源広辞典)、

などという意味の幅をもつ。大言海が、

反りて見る義。内(ウチラ)に対して、外(ソラ)か。ラは添えたる辞、

とするのは、

ソトの延長であるところから、ソトのトをラに代えて名としたもの(国語の語根とその分類=大島正健)、

と重なる。

上空が穹窿状をなしてそっていることから、

とする(広辞苑)のは、

のけぞらないと見えない義(和句解)、

の意味だろう。

梵語に、修羅(スラ sura)、訳して、非天。舊譯、阿修羅、新譯、阿蘇羅と云ふ、

とあり(大言海)、梵語説をとるものもある(日本声母伝・嘉良喜随筆)。

ゾウラ(背裏)、またはソハラ(虚原)の義(日本語原学=林甕臣)、
ソラ(虚)の義(言元梯)、
間隙の意のスの転ソに語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、

等々とあるものの、どうも決定打はない。「内」「外」では、ちょっと俯瞰する視点に過ぎる。

天→空→地、

という全体の構図から見れば、内外は、外れるのではないか。それなら、「虚」と重ねた方が感覚的には合うのではないか。漢字では、

空は有の反、
虚は實また盈の反、
曠はひろくしてむなしい、

と使い分ける(字源)。

天と地の間、という意味なら、「虚」だが、それは意味であって、「そら」という語の由来の説明にはならない。ちなみに、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

空、ムナシ・ウツボ・キハム・オホキナリ・ソラ・クハタツ・オホソラ・アナ・ウツケタリ、
漠、ソラ、

と、

虚、

の意味のようである。ここでの、

そら安けなくに嘆くそら安けなくに、

とある、

そら、

は、

心、
心地、
気分、

の意で、多く、

悲しけくここに思ひ出いらなけくそこに思ひ出嘆く蘇良(ソラ)安けなくに思ふ蘇良(ソラ)苦しきものをあしひきの山き隔(へな)りて(万葉集)、

と、

下に否定の表現を伴って、その行為に伴う不安な心境やうつろな心を表わし、

また、

御あり様を見をき奉るに、行べき空も覚えず(平家物語)、

と、

その行為や方角・場所などにむかう漠然とした意志などをさす、

とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。で、

そら、

は、

空、
虚、

とあて、まずは、

空間・場所・位置などの上の方、

をいい、

浅小竹原(あさじのはら)腰泥(なづ)む蘇良(ソラ)は行かず足よ行くな(古事記)、

と、

地上の上方で、神の世界と想像した天より下の空間、
虚空、
中天、

転じて、

地上の上方に広がる空間全体、

をさしていい、古くは、

あめ(天)、

が、

天上の神々の生活する世界を想定しているのに対して、より現実的な空間をいう、

とされる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。さらに、

おほかたの秋のそらだにわびしきに物思ひそふる君にもある哉(後撰和歌集)、

と、その様子、つまり、

空模様、

というように、

天候や、時に寒暖などの気候をあらわすものとして用いる(仝上)、

と考えられる。上という意味で、

屋(や)のそらところどころ朽(く)ちあきたりしかう、月の光にしらてゐ給へりしほどを見つけ給へりしこと(宇津保物語)、

と、ある物の上部、高い所をさしていう。また、

旅のそらに助け給ふべき人もなき所に(竹取物語)、

と、

方角。場所。また、境遇。心境。本拠たるべき地を離れて、異なる境遇に身を置いていることを示すとともに、

北のかた「はやう御手水(てうづ)まゐれ」との給へば、立ちてありくそらもなし(落窪物語)、

と、

その境遇や心境などが不安定で、心配・悲しみ・憂いに満ちたさまであることをも表す(仝上)。

こうした「空」の状態表現をメタファに、価値表現へとシフトして、

た廻(もとほ)り往箕(ゆきみ)の里に妹を置きて心空(そら)なり地(つち)は踏めども(万葉集)、

と、

うわのそら、

と同義の、

心が空虚であること、また、そのさま、

の意で、さらに、多く、助詞「に」を伴って、副詞的に用い、

そらにいでて何処(いづく)ともなく尋ぬれば雲とは花の見ゆる成けり(山家集)、
此を聞て貴しと思ひ成て礼拝し奉る時に、頭(かしら)の髪空に落て羅漢と成ぬ(今昔物語集)、

と、

はっきりした原因や意図のないこと、また、そのさま、

の意で使い、そこから、

虚、

にシフトして、

「お前だっておらと盃事した時にゃ俯向いとったでねえか」「空(ソラ))云ふでねえよ(「人さまざま(1921)」)、

と、

そらを使う、
そら吐(つ)く、

と同義の、

うそ、
いつわり、

の意で使う。ここまでくれは、上述したように、

旅に行く君かも恋ひむ思ふそら安くあらねば(万葉集)、

と、

心、
気分、

の意にほぼ重なっていく。

そら、

を、

虚、

の意味で、主として名詞、その他の語の上に付いて、実体のないことである意などを示す、

ソラ(虚)

を接頭語にした「そら」は、

空だのみ、
空耳、
空似、
空言(そらごと)、
そらね(空音)、
そらだのめ(空頼)、
そらとぼけ(空惚)」、
そらとぼける(空惚)、
そらうた(空歌)、
そらのみこみ(空飲込)、

等々、

何となく、
〜しても効果のない、
偽りの、
真実の関係のない、
かいのないこと、
根拠のないこと、
あてにならないこと、
徒なること、

などと言った意味で使い(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)、動詞の上に付いて、

そらからくる(空絡繰)、
そらうそぶく(空嘯)、
そらっぷく(空吹)、

などと、

むやみに、
やたらに、

の意、形容詞の上に付いて、

そらおそろしい(空恐)、
そらはずかし(空恥)、

など、はっきりした結果、または事情は不明であるが、その気持のはなはだしいことを表わしたりする(仝上)。なお、

空、
虚、
洞、

を、

うつほ、

と訓ませ、

うつぼ、
うつお、

とも訓ませて、

うつろ、
中空、
空洞、

の意や、

空、
虚、

を、

から、

とよませ(「から(殻)」と同語源)、

うつろ、
てぶら、

の意、そこから、手に持たない意の、

から手、

それをメタファに、実質的なものの伴わない意で、

から元気、
から威張り、
から世辞、

等々とも使う。また、

空、
虚、

を、

うつせ、

と訓ませ、

空虚、

の意、

空、
虚、

を、

むな、

と訓ませ、内容のないさま、からっぽであるさま、むなしいさまを表わし、

むなしい、
むな手、
むなごと、
むな車、

等々と使う。なお、

「そらとぼける」意の、

空おほれ

「おおよそに数える」意と推測される、

空かぞふ

「妄(みだ)りに、刀槍などを操り弄ぶ」意の、

空がらくる

「見まちがえる」「見て見ないふりをする」など意の、

空目

「どこからともなく匂ってくるように香をたく」意の、

空薫(そらだき)

「うそ」の意の、「空言」「虚言」、「つくりごと」の意の「空事」「虚事」の、

そらごと

については触れた。

「空」(漢音コウ、呉音クウ)の異体字は、

孔(「孔」の通字)、𢦉、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%BA、字源は、「空がらくる」で触れたように、

会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、

とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(穴+工)。「穴ぐら」の象形(「穴」の意味)と「のみ・さしがね」の象形(「のみなどの工具で貫く」の意味)から「貫いた穴」を意味し、そこから、「むなしい」、「そら」を意味する「空」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji99.htmlが、他は、

形声。「穴」+音符「工 /*KOŊ/」。「あな」を意味する漢語{孔 /*kʰˤoŋʔ/}を表す字。仮借して「から」「そら」などを意味する漢語{空 /*kʰˤoŋ/}や「まずしい」「不足する」などを意味する漢語{空 /*kʰˤoŋ-s/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%BA

形声。穴と、音符工(コウ)とから成る。「むなしい」、転じて「そら」の意を表す(角川新字源)、

形声。声符は工(こう)。工には虹・杠のようにゆるく彎曲する形のものを示すことがあり、穴のその形状のものを空という。〔説文〕七下に「竅(けう)なり」、前条の竅字条に「空なり」とあって、空竅互訓。竅とは肉の落ちた骨骼のように、すき間のある穴。空はのち天空の意に用いる(字通)

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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道行きづと

 

をみなへし秋萩折れれ玉桙(たまほこ)の道行きづとと乞(こ)はむ子がため(石川老夫)

の、

折れれ、

は、

「折れり」の命令形、

で、

折っておきなさい、

の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

道行きづとと、

は、

旅の土産はと言って、

と訳す(仝上)。

みちゆきづと、

は、

道行苞、

とあて、

旅行のみやげ

の意である。

つと

は、

苞、
苞苴、

と当て(「苞苴」は「ほうしょ」とも訓む。意味は同じ)、

わらなどを束ねて物を包んだもの、

で、

藁苞(わらづと)、
荒巻(あらまき 「新巻」とも当てる)、

とも言う(広辞苑)が、「苞」には、

土産、

の意味がある(広辞苑)のは、

歩いて持ってくるのに便利なように包んできたから、

という(たべもの語源辞典)。土産の意では、

家苞(いえづと)、

ともいう(広辞苑)。「苞」は、また、

すぼづと、

ともいう(たべもの語源辞典)が、

スボというのはスボミたる形、

から呼ばれたらしい(仝上)。

苞(つと)、

は、

つつむ

で触れたことだが、

沖行くや赤ら小船(をぶね)に裹(つと)遣(や)らばけだし人見て開き見むかも(万葉集)、

の、

裹(つと)、

は、

ツツム(包)のツツと同根、包んだものの意、

とあり(岩波古語辞典)、

包(ツツ)の転(大言海)、
ツツムの語幹、ツツの変化(日本語源広辞典)、

と、「つつむ」とつながる。

つつむ、

は、

裹(つつ)む

で触れたように、

包む、

とも当てるが、

雨障(あまつつ)み

で触れたように、

愼(つつ)む、
障(つつ)む、
恙(つつ)む、

と繋がり、

裹(包)む、

の、

ツツ、

は、

ツト(苞)と同根、

愼(つつ)む、

は、

ツツ(包)ムと同根、悪いことが外に漏れないように用心する(岩波古語辞典)、
人の感情や表情を内におさえて、外に表われないようにする(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、

障(つつ)む、
恙(つつ)む、

は、

ツツム(包)と同根、こもって謹慎する意、

とある(岩波古語辞典)。

つつむ、

は、

詰め詰むの略、約(つづ)むに通ず(大言海)、

とする(大言海)が、

約(つづ)む、

は、

詰め詰むるの略、ちぢむ(縮)と通ず、

とあり(仝上)、

縮(ちぢ)める、

意なので、

ちぢむ、

は、

しじむ、

の転ずる(岩波古語辞典)。

しじむ、

は、

蹙む、

とも当て、「顰蹙」の「蹙」で、

しかめる、

意である。しかし、「つつむ」を「縮める」とするのは、ちょっとずれている気がする。むしろ、「苞」との関連の方が、「つつむ」の語感にはあうのではないか。

ツツム(包・裹・障)で、隠して見えなくするのが語源です。とりかこむ、おおって入れる、広げた布の中に入れて結ぶなどは、後に派生したか、

とする(日本語源広辞典)のは、語源の説明になっていないが、語感としてはこんな感じである。

tuto→tutu、

あるいは、

tutu→tuto、

の転訛はあり得るのではないか。「苞」の項で、大言海は、

包(つつ)の転、

とする。そして、「つつ」で連想する、

筒(つつ)、

の項で、矛盾するように、

包む意ならむ、

という。とすると、

tutu→tuto、

だけでなく、

tutu→tutumu、

と、「つつ」を活用させたとみることもできる。いずれも、

物をおおって中に入れる、

意(「つつむ」の意味)である。「つつむ」は、「苞(つと)」と同根であり、「筒(つつ)」ともつながるとすれば、「つつむ」は、

苞、

筒、

の動詞化なのではあるまいか。

つと(苞・苞苴)、

は、上述したように、

わらなどを束ねて、その中に魚・果実などの食品を包んだもの、

の意だが、

消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘を都刀(ツト)に摘み来な(万葉集)、

と、

他の場所に携えてゆき、また、旅先や出先などから携えて帰り、人に贈ったりなどするみやげもの、

の意もあり、また、

なむあみだ仏なむあみだ仏と申て候は、決定往生のつととおぼえて候なり(「一言芳談(1297〜1350頃)」)、

と、

旅行に携えてゆく、食糧などを入れた包み物、

の意もあり、

旅苞(たびづと)、

というと、

たびつつみ(旅包)、

と同義で、

旅行中携行するつつみ物、

の意だが、

旅つとにもたるかれひのほろほろと涙ぞおつる都おもへば(「久安百首(1153)」)、

と、

家苞(いえづと)、

と同義で、

旅行先から持ち帰るみやげ、

の意もある。その同じ意味で、冒頭のように、

女郎花(をみなへし)秋萩折れれ玉桙の道去裹(みちゆきづと)と乞はむ児のため(万葉集)、

と、

道行苞(みちゆきづと)、

ともいう。

草苞(くさづと)、

というと、

松か崎是も都の草つとに氷をつつむ夏のやま人(「草根集(1473頃)」)、

と、

草で包んだ土産物、

の意だが、

虚病をかまへ、軍役をかき、武具をも嗜まねば……出頭衆へ草づとを恵(「甲陽軍鑑(17C初)」)、

と、

つかいもの、賄賂、

意もある。

浜苞(はまづと)、

というと、

潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜褁(はまづと)乞はば何を示さむ(万葉集)、

と、

浜のつと、

ともいい、

浜のみやげ、

つまり、

海辺から持ってくる土産物、

の意、

山苞(やまづと)、

というと、

あしひきの山行きしかば山人のわれに得しめし夜麻都刀(ヤマヅト)そこれ(万葉集)、

山から携えてくるみやげ、
山里のみやげ、

の意、

田舎苞(いなかづと)、

というと、

田舎から来た人や田舎へ行っていた人のみやげ、

つまり、

田舎みやげ、

の意、

老苞(おいづと)、

は、

おいづとに何をかせまし此の春の花待ちつけぬ我が身なりせば(「西行家集(12C後)」)、

と、

おいのつと、

ともいい、

老人の持ってくるみやげ、

の意、

黄泉苞(よみづと)、

というと、

あが君や、よみづとにし侍らんずるなり(栄花物語)、

と、

黄泉(よみ)へゆくみやげもの、

つまり、

冥土への土産、

の意等々、

みやげもの、

の意や、転じて、

賄賂、

の意になったりする(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、

火苞(ひづと)、

は、

山野・田畑などで、蚊や蚋(ぶゆ)を防ぐためにくゆらす、藁・草木の根などを束ねた苞、

の謂いである(仝上)。また、

苞豆腐(つとどうふ)

は、

水切りした豆腐をすりつぶし、棒状にして、わらづとなどに入れ、固く締めて蒸したもの、

で(広辞苑)、

菰(こも)豆腐、
しの豆腐、

ともいう(たべもの語源辞典)、なお、

道行(みちゆき)、

は、

若ければ道行(みちゆき)知らじ幣(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負ひて通らせ(万葉集)、

と、文字通り、

道を行くこと、

あるいは、

道の行き方、

の意(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)だが、

玉桙(たまほこ)の道行ぶりに思はぬに妹を相見て恋ふるころかも(万葉集)、

の、

道行ぶり

は、

道行触り、

とあて、

道行く人、

の意(岩波古語辞典)、ここでは、

すれ違い、

の意とし、

往来でのすれ違い、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。で、

道行人、

というと、

道を通る人、
旅する人、

の意になる。この、

道行、

の意をメタファにして、日本文学や芸能では、二つの固有な使い方がされ、

道行文といわれる、旅の途次の地名を次々と詠み込む表現形式、
と、
宗教行事や芸能に関連して、行道(ぎようどう)時に奏する音楽や歌謡を名づけて〈道行○○〉形式、

がある(世界大百科事典)とされる。音楽的道行では、たとえば、雅楽では、

舞の出入りに、破を喚頭より吹き出でて道行とす(「教訓抄」(奈良興福寺の楽人狛近真(こまのちかざね)の撰述した音楽書))、

と、

舞楽の時、舞人が楽屋を出て舞台に上り定位置に着くまで奏でられる楽、

の意、能では、

相生、道行「たかさごの地につきにけり」、是よいふし也(「禅鳳雑談(1513頃)」)、

と、

ワキが見物・参詣などの目的地につくまでの経過を謡うもの、

の意、狂言では、

みちゆきは、前の山ぶしのごとく(虎明本狂言「柿山伏(室町末」)、

と、

原則として名のりの後に独白、また、会話をしながら舞台を一巡し、目的地へ向かうことを示す部分、

の意、軍記物・謡曲・浄瑠璃などでは、

皆人のと曾我の道行をかたり出す(浮世草子「好色五人女(1686))」、

と、

たどり行く道すじの地名や光景・旅情を述べた韻文、

の意、縁語、序詞、掛詞などを用いた技巧的な文章で、七五調が多い。浄瑠璃・歌舞伎などでは、

心うれしく道行をして行き、ここそよき最期場と(「江戸生艶気樺焼」)、

と、

舞踊で表現される相愛の男女の駆け落ち、情死行などの場面、

の意で、それが転じて一般に、

男女が連れ立って歩くこと、

の意となる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。こうした背景から、

道行斗言はず共、入こと斗申せ(浄瑠璃「傾城反魂香(1708頃)」)、

と、

そこに至るまでの経過、
手続、
また、
前おき、

の意でも使う(仝上)。

なお、

道行、

には、

和服用外套の一種、

を指し、防寒とちり除けのため多く旅行者が用いたところからその名がある。形は、

被風(ひふ)に似ているが、衿は細身に、小衿は角形に作ったもの、

とある(精選版日本国語大辞典)が、

婦女の服、

で、

雨衣の類、

ともある(大言海)。

ちなみに、

被風(ひふ)、

は、

披風、
被布、

とも当て、

着物の上に着る、羽織に似た外衣。男女ともに用いる。衽(おくみ 前身頃を十分打ち合わせるために左右の端に縫い付ける別布)が深く、丸襟(まるえり)で、胸のところで左右を深く合わせて組紐くみひもでとめる。江戸時代は茶人・俳人などが着たが、明治時代以後は変形して主に女性の和装用コートとなった、

とある(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。

「道」(漢音トウ、呉音ドウ)の異体字は、

噵、衜(同字)、衟(古字)、辺(二簡字/別字衝突)、𨕥(古字)、𨖁(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93。字源は、「六道四生」で触れたように、

会意形声説。「辵」(足の動きを意味する)+音符「首」(古くは同系統の音とする)で、ある方向を向いた道を表わす(藤堂明保)、

と、

会意説。魔除に他部族の首を刎はね、供えた(白川静)、

と、説がわかれるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93

会意兼形声。「辶(足の動作)+音符首」で、首(あたま)を向けて進みゆくみち。また迪(テキ みち)と同系と考えると、一点から出て延びていくみち(漢字源)、

会意形声。辵と、首(シウ)→(タウ かしら。先導する者)とから成る。目的地までみちびく意を表す。「導(タウ)」の原字。一説に、会意で、邪気をはらうために、生首を持って行進する意を表すという。転じて「みち」の意に用いる(角川新字源)、

は、会意兼形声文字説、

会意。首(しゆ)+辵(ちやく)。古文は首と寸とに従い、首を携える形。異族の首を携えて除道を行う意で、導く意。祓除を終えたところを道という。〔説文〕二下に「行く所の道なり」とし、会意とするが、首に従う意について説くところがない。(途)は余(はり)を刺して除道すること、路は神を降格して除道すること。道路はまた邪霊のゆくところであるから、すべて除道をする。その方法を術という。術は呪霊をもつ獣(朮(じゆつ))によって祓う意で、邑中の道をまた術という。そのような呪法の体系を道術という(字通)

は、会意文字説ながら、字源の解釈は、前者になる。

会意兼形声文字です。(行+首)。「十字路」の象形(「行く、みち」の意味)と「目と髪を強調した頭」の象形(「首」の意味)から、異民族の首を埋めた清められた「みち」を意味する「道」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji216.htmlのは、後者になる。しかし、後者について、

形声。「辵」+音符「首 /*LU/」「みち」を意味する漢語{道 /*luuʔ/}を表す字、

と、形声文字とした上で、後者について、

金文にある「行」+「首」+「又」の字体を根拠にして「異族の首を携えて祓い清めたところ」を指すという説(白川静『新訂 字統』)があるが、「首」を「舀 /*LU/」と入れ替えた異体字の存在や字音が示す通り「首」は形声文字の音符であるため「首」という文字の意味とは関係がなく、さらに「又」は「止 (人の足)」の崩れた形に由来するため「又」という文字の意味とも関係がなく、誤った解釈である(劉サ 『古文字構形学』)、

と、否定しているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%93

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)

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面(おも)なみ

 

宵に逢ひて朝(あした)面(おも)なみ名張野(なばりの)の萩は散りにき黄葉(もみぢ)早(はや)継げ(縁達師)

の、上二句は序、

「名張」を起す、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

宵に枕をともにして、翌朝恥ずかしさに面と向かえず隠るという、その名張の野の……、

と訳す(仝上)。

面(おも)なみ、

の、

なみ、

は、

形容詞「なし」の語幹+接尾語「み」、

で、

面なし

は、

面(おも)な(無)し、

で、

恥じる様子がないさま、
あつかましい、
押しが強く平気である、

意とある(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。

顔の意味の「おも」と形容詞「なし」とが結び付いてできた語、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

臣未だ勅の旨を成さずして、京郷(みやこ)に還(まてこ)ば、労(ねぎら)へられて往きて、虚しくして帰れるなり。慚(はつか)しく悪(オモナイ)こと安(いずく)にか措(お)かむ(「日本書紀(前田本訓)」)、
はしたなかるべきやつれをおもなく御らんじとがめられぬべきさまなれば(源氏物語)、

などと、

(自分自身の事柄に関して)恥ずかしく、人に合わせる顔がない、
面目ない、
おもはゆい、

という意味である。上代では、すべてこの意であったが、中古になると、この意の例はまれになり、一般に第三者の立場からの、

おもなき事をば、はぢを捨つるとは言ひける(竹取物語)、
すこし老いて、物の例知り、おもなきさまなるも、いとつきづきしくめやすし(枕草子)、

と、上述のように、

(他人の言動に関して)恥ずべきさまである、
恥知らずである、
あつかましい、
臆面(おくめん)もない、

また、

物怖じしない、

の意を表わすものとなった(精選版日本国語大辞典)。ただし、

中世、近世の擬古的文章では、再び、

(自分自身の事柄に関して)恥ずかしく、人に合わせる顔がない、

意にも用いられるようにもなっている(仝上)、ともある。つまり、自分自身の、

自責(自己評価)の価値表現、

から、

他責(他者評価)の価値表現、

へと180度転換したことになる。その意味で、上述の引用の「面なし」について、

例えば『今昔物語集』に「はかばかしくもなからむ言を、面無くうち出でたらむは」と使われるように、否定的な語感を拭い切ることはできない。それによる「上手めかしきところ」も、あくまで「めかす」のである。選び取られたこれらの言葉のニュアンスは、実質とは別の押しの強さで己の位置を築いた知康(平知康 北面、左衛門尉)の本質と通底するところである、

と、

押しが強く平気である、

との含意を補足している(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。

この、

(自分自身の事柄に関して)恥ずかしく、人に合わせる顔がない、

の意の、

面なし、

の対になるのは、

面立(おもだた)し、

になる。「おもだたし」は、

おもたたし、

ともいい、

世間に対して顔が立つように感じる、

意とあり(岩波古語辞典)、

面目の意か、目ダタシキと同意(河海抄)、

とも、

面立(オモタテ)しの轉(轉(ウタテ)、うたた)にて、オモテオコシなどとも同意の語なるか、或は、重立つの未然形の、オモダタを活用させたる語か、うらやむ、うらやまし(大言海)、

ともあるが、いずれも、主体の、

面目が立つ、

意と重なり、

大す(大衆)にまじらはんに、をもたたしく侍るべきもなく(宇津保物語)、

と、

身の光栄に思う、
面目が立つ、
はれがましい、

意で、主体的感情という意味で、

面なし、

と対になる。さらに、それが、

おもたたしき腹にむすめかしづきてげにきずなからむとおもひやりめでたきがものし給はぬは(源氏物語)、

と、客体評価へと転じていくのも「面なし」の意味変化と似ている。

なみ、

は、

すべをなみ

なみする

の、

形容詞「なし」の語幹に接尾語「み」のついたもの、

で、

なさに、
ないままに、
ないゆえに、

の意である(広辞苑)。

なみする

で触れたことだが、「なみ」は、

無み、

と当て、

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる(万葉集)、

と、

……ないので、
……ないままに、
……ないために、

といった意味で使う(明解古語辞典)。

なみ、

は、

形容詞なしの語幹「な」に接尾語ミのついたもの、

とある(広辞苑・明解古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

接尾語「み」、

は、一つには、

春の野の繁み飛び潜(く)くうぐいすの声だに聞かず(万葉集)、

というように、

形容詞の語幹について体言を作る、

とあり、ふたつには、

黒み、白み、青み、赤み(ロドリゲス大文典)、

と、

色合いを表し、三つには、

甘み、苦み(仝上)、

と、味わいを表すとある(岩波古語辞典)が、どうも、「なみ」は当てはまらない。その他に、

采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集)、

と、

形容詞及び形容動詞型活用の助動詞の語幹につき、多くは上に間投助詞「を」を伴って、

のゆえに、
によって、
なので、

と、

原因・理由を表す(広辞苑・明解古語辞典)、

という接尾語があり、冒頭の歌にも、これが該当し、

恥ずかしさに面と向かえず、

という意訳になる。

「面」(漢音ベン、呉音メン)の異体字は、

靣、麵(繁体字/別字衝突)、麺(新字体/別字衝突)、𠚑、𡇢(本字)、𨉥(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%A2。字源は、「面桶(めんつう)」で触れたように、

会意。「首(あたま)+外側をかこむ線」。頭の外側を線でかこんだその平面を表す、

とあり(漢字源)、

指事。𦣻(しゆ=首。あたま)と、それを包む線とにより、顔の意を表す(角川新字源)、

指事。「首」の顔面の部分に印を加えたもの。「かお」を意味する漢語{面 /*men-s/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%A2

指事文字です。「人の頭部」の象形と「顔の輪郭をあらわす囲い」から、人の「かお・おもて」を意味する「面」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji541.html

も、漢字の造字法は、指事文字としているが、字源の解釈は同趣旨。別に、

仮面から目がのぞいている様を象る(白川静)、

との説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%A2で、字通(白川静)には、

象形。ひら面の形。〔説文〕九上に「顏前なり。𦣻 (しう)に從ひ、人面の形に象る」という。古い字形はないが、金文の〔師遽方彝(しきよほうい)〕にみえる「王+面圭(めんけい)」の王+面の字形から考えると、被る面の形かと思われ、おそらく神事の際などに用いるのであろう。〔詩、小雅、何人斯(かじんし)〕は人を呪詛する詩で「靦(てん)たる面目有り 人を視るに極まり罔(な)し」とは、面でもつけたように、けろりとした恥知らずの男を罵る語である。のち顔面の意となり、面晤(めんご)・面争のようにいう(字通)、

とある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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夜のほどろ

 

秋の田の穂田(ほだ)を雁(かり)がね暗(くら)けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも(聖武天皇)

の、

暗(くら)けくに、

は、

まだ暗いのに、

の意、

夜のほどろ

は、

夜の闇の白み始める頃、

の意とあり、

「ほどろ」は、密なるものが次第に粗になるさま、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

夜のほどろにも鳴き渡るかも、

を、

夜の明けきらないうちから、鳴き渡って行く、

と訳す(仝上)。

ほどろ

は、

「ほど」は、「ほどこる(播 ホドコス(施す)の自動詞形)」の「ほど」と同源で、夜の闇がくずれ散る時分の意という、

とある(精選版日本国語大辞典)が、

ホドク・ホドコスのホドに同じ、散りゆるむ意、ロは状態を表す接尾語、

ともあり(岩波古語辞典)、

ホドク(解く)、

は、

ホドコス(施す)と同根、凝り結ばれているものを、ばらばらにして広げる意、

とあり、

ほどこす(施す)、

は、

ホドク(解く)、ホトバシル(迸る)と同根、もとをゆるめて、広く散らし行き渡らせる意、

とあり、

ほとばしる(迸る)、

には、

ホドク(解く)・ホドコス(施す)のホドに同じ、ハシリは飛び散る意、

とあり(岩波古語辞典)、

ホドク(解く)、
ホドコス(施す)、
ホトバシル(迸る)、

が同根ということになる。

我が背子を今か今かと出てみれば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに(万葉集)、

と、

ほどろ、

は、

(雪などが)はらはらと散るさま、
また、
雪などがまだらに降り積もるさま、

の意で、

夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり 一云 庭も保杼呂尓(ホドロニ)雪そ降りたる(万葉集)、

と、

はだら、

と、

まだら、

と同義で使ったり、冒頭の、

夜の穂杼呂(ほドロ)吾が出でて来れば吾妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影に見ゆ、

と、

夜が徐々に、ほのかに明け始めるころ、

の意で使う。この場合、上述のように、

夜の闇がくずれ散る、

という意味になる。この、

ほどろ、

の、

ほど、

が、のちに、

ほど(程)、

の意に誤解されたことで、

翁(おきな)かく夜のほどろに参りて(宇津保物語)、

と、もっぱら、

夜のほどろ、

の形で、

ころ、
時分、

の意で使われるに至る(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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つくめ

 

妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜ぞ更けにける(市原王)

の、

妹がりと、

は、

妻の許(もと)に行こうと、

と訳され、

つくめ結ぶと、

は、

舟出の準備をするとて、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、

つくめ、

は、

櫓の穴(へそ)をかぶせる舷の突起、

とある(仝上)。

がり

は、

がり、

は、

ガアリ(処在)の約カリの連濁。一説に「り」は方向の意(広辞苑)、
通説ではガアリの約で、アリは名詞形、居所の意とするが、奈良時代にはアリの下に方向を示す助詞をすべてつけないところを見ると、ガリのリは、本来は、コチ・イヅチのチと同じく、方向の意か(岩波古語辞典)、
「かあ(処在)り」の音変化という(デジタル大辞泉)、
「が‐あり」または「か(処)‐あり」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
處在(かあり)の約、在處(ありか)と同意、其人の居る處、許(もと)、他語につくときは連聲(れんじやう)にて、ガリと濁る(大言海)、

とされ、

ガアリ(処在)、

からきており、

許(もと)、

をあてる所以である。多く、

人を表す名詞や代名詞について、または助詞の「の」を介して、その人のいる所への意を表す(広辞苑)、
…のもと(へ)、…の所(へ)、多くは人を表す名詞・代名詞に格助詞「の」が付いた形に続く(学研全訳古語辞典)、
「行く」「通ふ」「遣る」など移動を示す動詞を伴う、(人を表す名詞・代名詞をうけて)……のところへ、(助詞「の」を介して)(……の)所へ(岩波古語辞典)、
代名詞または人を表わす名詞に付き、その人の許(もと)に、その人の所に、の意を表わす。格助詞「に」や「へ」を伴わないで、移動の意を含む動詞に直接に続く。この用法から変化して、人を表わす名詞に、格助詞「の」を介して付き、その人の許(もと)に、その人のいる所に、の意を表わす。形式名詞のように使われるようになったもの(精選版日本国語大辞典)、

という使い方をする。冒頭の歌が、名詞につく形で、

這ひ起きて約束の僧のがりゆきて、物をうち食ひてまかり出でけるほどに(宇治拾遺物語)、

と、助詞「の」がつく形でも用いられる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。これは、

上代では「がり」は接尾語の用法のみであったが、中古になると接尾語から変化した名詞の用法が生じた故、

と考えられる。接尾語とみる説もあるが、格助詞「の」を伴った連体修飾語によって修飾されているところから名詞ととらえる方が自然であろう(学研全訳古語辞典)とある。

つくめ、

は、

付目、

とあて、

語義未詳、

とあるが、

梶を舷に結びつける突起した部分の名か(精選版日本国語大辞典)、
舟の櫓(ろ)の手元の端にある櫓杵(ろづく)という突起部分です。これに、早緒(はやお)と呼ばれる綱を結びつけます(https://art-tags.net/manyo/eight/m1546.html)、
舟の櫓(ろ)の、櫓綱をかけるための突起か(広辞苑)、
舟の櫓の腕に櫓綱をかけるための突起物(岩波古語辞典)、

等々と推定されており、櫓の部位であることは確かのようである。

櫓、

は、

艪、
艣、

とも当て、和名類聚抄(931〜38年)に、

艫、郎古反、與魯同、所以進船也、

とあるように、

船を漕ぎ進める道具の一つ、

で、

奈良時代に中国から導入され、それまでの櫂(かい)に代わって広く普及した。櫓杭(ろぐい)を支点として、押す時も引く時も推進力を生じる方式は、流体力学的にも効率がよく、船の推進具として櫂よりすぐれる。櫓羽には樫の木、櫓腕には椎の木を用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)。『大言海』は、

後の艣にて、艫(とも)、又は、船の傍にあり、一丈許りの長き樫の材にて作る。中程に穴あり、艪臍(ろべそ)に嵌めて、上端を艪縄(ろなは)にて舟底に繋ぎ、押せば、下端にて水を撥し舟を進む。其唐風にて上品なるを、唐艪(からろ)と云ふ、

と記している。櫓の構造は、

原則的に船の後部左舷(さげん)に固定した突起物(櫓杭 ろぐい)を、櫓の側にあるその受け入れ凹部(入子 いれこ)に差し込んで櫓の支点とする。この入子から下部を櫓下(ろした)または櫓べらといい、水中にあって水を切り推進役を担当する。入子から上部が用材を継ぎ足した形となる。この接合部をホ(つがい)または違(たがえ)といい、ここから上部を櫓腕(ろうで)という。その先端部近くに綱(早緒 はやお)によって船体とつなぐための突起(櫓杆 ろづく)または櫓柄(ろづか))があり、漕(こ)ぐために手で握る場所にもなる、

とあり(日本大百科全書)、

櫓脚(ろあし 櫓をこぐとき櫓の水の中につかる部分)、

櫓腕(ろうで 近世以来主用された継櫓の柄の部分)、

からなり、

櫓脚、

には、

入子(いれこ)が、櫓腕には櫓柄(ろづか)がついている。舟側につけた櫓べそに入子をはめ、ここを支点にして櫓を操る。こぎ手は横向きになり櫓腕を前後に動かすが、このとき押すときと引くときで手首をかえし、水の中の櫓脚の角度を右上方に示すようにすると、飛行機の翼と同じ原理で揚力が発生し、その方向は押すときも引くときも前下方へ向く。この揚力の前方への成分が舟の推進力となる。下向きの成分は櫓べそで受ける、

とあり、

櫓腕、

には、

上向きの力がかかるので、櫓柄を綱で舟の床につなぎ、こぎやすいようにしている。櫓脚が水中へ入る角度をあまり小さくすると下向きの力ばかり大きくなり、また角度をあまり大きくすると重くなってこぎにくい。うまく操ることによって旋回することもできる。櫓の長さは、腕が1.5〜2.1m、脚が4.2〜5.5mで幅は13〜15cmである、

となっている(世界大百科事典)。

櫓、

はもともと櫂(かい)を練って前進力を得る練り櫂から変化・発達したもの、

で、

原理的にはスクリュープロペラと同様で、推進効率がよい。初期(平安時代)は1本の木材でつくった棹櫓(さおろ)であったが、江戸時代初期ごろから櫓腕(ろうで 継櫓の柄の部分)と櫓羽(ろば 櫓の下半部の推進力を生ずる部分)をツガイによってつなぎ、「へ」の字に曲げた形の継櫓(つぎろ)または屈櫓(こごみろ)に変わり、漕ぎやすくなった、

とある(日本大百科全書)。なお、

堀江漕ぐ伊豆手(いづて)の船の可治都久米(カヂツクメ)音しば立ちぬ水脈(みを)早みかも(万葉集)、

と、

かじつくめ、

という言葉がある。

櫓のヘソをかぶせる舷(ふなべり)の突起、

としている(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、これも、

語義未詳、

とあり(精選版日本国語大辞典)

梶付く目、

の意で、

梶を舷に結び付ける部分の名か、

としている(仝上)。ただ、語義については、

(イ)梶を船に多くかけ並べることとする説、
(ロ)梶を船にかけてあちこち引き動かすこととする説、
(ハ)「つくむ」は握る意で、梶を握っての意とする説、

等々、所説あり、確かではない(仝上)。なお、

櫓、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

櫓、夜具良(やぐら)、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

櫓、ヤグラ・コシキ・カシ、

とあるように、

やぐら、

とも訓ませるが、

やぐら

については触れた。ちなみに、

艫、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

艫、楊氏曰く、舟の後、櫂をする處、和語に度毛(とも)と云ふ、

類聚名義抄(11〜12世紀)ら、

艫、トモ・ヘ、

とある。

「櫓」(漢音ロ、呉音ル)は、「櫓(やぐら)」で触れたように、

会意兼形声。「木+音符魯(ロ 太い、大きく雑な)」で、太い棒、

とある(漢字源)が、他は、

形声。木と、音符魯(ロ)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(木+魯)。「大地を覆う木」の象形と「魚の象形(「鹵(ロ)」に通じ(「鹵」と同じ意味を持つようになって)、「おろか」の意味)と口の象形」(「考えが足りない言い方」の意味だが、ここでは「露(ロ)」に通じ、「むきだしになる」の意味)から、屋根がなくむきだしになっている「物見やぐら」を意味する「櫓」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2506.html

形声。声符は魯(ろ)。〔説文〕六上に「大きなる盾(たて)なり」とし、重文として木+鹵を録する。〔左伝、襄十年〕「大車の輪を建て、之れに蒙(かうむ)らしむるに甲を以てし、以て櫓と爲す」とあり、大きな楯をいう。天子出行の列を鹵簿(ろぼ)といい、鹵は櫓の意。また艣(ろ)と通用し、櫓櫂(ろとう)の意とする(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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あふさわに

 

さを鹿の萩に貫(ぬ)き置ける露の白玉 あふさわに誰(た)れの人かも手に巻かむちふ(藤原八束)

の、

あふさわに、

は、

たやすく、
軽はずみに、

の意とし(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

萩の枝の露を鹿が妻のために貫いた飾玉と見たもの、

と注釈し(仝上)、

あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ、

を、

それをまあ軽はずみに、どこのどなたが手に巻こうなどと言うのか、

と訳す(仝上)。しかし、

あふさわに、

は、

ふさわしく、相応して(大言海)
すぐに(学研全訳古語辞典)、
会うとすぐに、会うとたちまち、すぐさま、軽率に(岩波古語辞典)、
すぐに。たやすく(精選版日本国語大辞典)、
すぐに。軽率に(デジタル大辞泉)、
あうとすぐ、いきなり(広辞苑)、

と意味に幅がある。

山背(やましろ)の久世(くせ)の若子(わくご)が欲(ほ)しと言ふ我(わ)れ 我を欲しと言ふ山背の久世(万葉集)、

では、

気軽に、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、冒頭の、

さを鹿の萩に貫(ぬ)き置ける露の白玉 あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ(藤原八束)

では、

軽率に、

と訳す(仝上)。どうやら、

あふさわに、

の由来は、

「あふさ」(会う時に)に「あわに」(急に)がついたアフサワニの約(広辞苑)、
アフサ(逢う時)とアワニ(アワテ・アワタダシ)のアワを語幹とする副詞、急にの意。サはカヘルサ(帰)・クサ(來)・ユクサ(行)のサと同じで、進退の方向の意から転じて、……の場合の意(岩波古語辞典)、
一説に、逢う時の意の「あふさ」に、急にの意の「あわに」の付いた「あふさあわに」の音変化で、会うとすぐに、の意という(デジタル大辞泉)
「逢ふさきるさ」の「あふさ」と「あわつ・あわたたし」などの「あわ」を語幹とする「あわに」との複合語で、本来は会うとすぐにの意であるとの説がある(精選版日本国語大辞典)
合ふ様(さま)の転なるか(曲(わ)ぐ、まぐ。磯閨iいそま)、いそわ。車(くるま)も曲輪(くるわ)なるべし(大言海)、

等々とあるので、

会うとすぐに、

という状態表現から、例えば、

たちまち、

たやすく、

気軽に、

軽率に、

といった変化で、意味が、価値表現へとシフトしていったということなのだろう。

さ、

は、

「さ」は、…する時の意を表す接尾語(デジタル大辞泉)、
「さ」は動詞の終止形につく接尾語で、時・折の意(学研全訳古語辞典)、
「さ」は時を表わす接尾語(精選版日本国語大辞典)、
「さ」は動詞の終止形について「……する時」の意をあらわす(岩波古語辞典)、
(「さ」は)時と云ふ意を云ふ接尾語。行きしな、帰りしな、のシナに同じ(大言海)

等々とあり、それは、

時(しだ)の約、朝(あした)、あさ。然(しか)、さ。或いは、ここを瀬とせむなどと云ふ、セに通ずるか(ふせぐ、ふさぐ。狭(さ)し、せし)(大言海)、
移動に関する動詞の終止形に付いて、名詞をつくる。移動の行なわれている時の意。…している途中。…している折。…際。…するとき。「ゆくさ」「くさ」「帰るさ」「入るさ」など、「さだ」「しだ」「しな」などの名詞と関係があろう(精選版日本国語大辞典)、

と考えられ、

行くさには二人我(わ)が見しこの崎をひとり過ぐれば心悲しも(万葉集)、

と、

行さ(ゆくさ)、

では、

行くとき、
行く途中、
ゆきしな、

の意、

白菅(しらすげ)の真野の榛原(はりはら)行くさ来左(くサ)君こそ見らめ真野の榛原(万葉集)、

の、

来さ(くさ)、

では、

来る時、

の意、

可敝流散(カヘルサ)に妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾(ひり)ひて行かな(万葉集)、

の、

帰さ(かへるさ)、

では、

帰るとき、
帰る途中、
帰り道、

の意が、後に、

いつを限りに有明の、つきぬ涙を押へつつ、はや帰るさに成ぬれば(謡曲「蝉丸」)、

と、価値表現が強まり、

帰るべき時刻、

の意、これが転訛して、

帰さ、
還さ、

とあて、

かへさ、

と訓ませ、

そのみわざにまうで給ひて、かへさに(伊勢物語)、

と、

帰りみち、

の意の他に、

またの日かへさ見むと人々の騒ぐにも(かげろふ日記)、

と、特に、

賀茂祭の翌日、斎王(いつきのみこ)が上賀茂から紫野の斎院に帰ること、

を言うが、これについては、

返さの日

で触れた。さらに、後世、

夕月夜入るさの山の木隠れにほのかにも鳴くほととぎすかな(千載和歌集)、

の、

入るさ、

では、

月などのはいる時、または、はいる方角。
いりがた、

の意で使われる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。上述の、

時(しだ)の約(大言海)、

とする、

しだ、

は、

時(とき)の意にて、今、行きしな、帰りしな、起きしななど云ふシナ、これなりといふ(大言海)、
サダと同根、「行きしな」「帰りしな」などのシナの古語(岩波古語辞典)、

で、

時、

の意、

中央の語でないらしく、東国方言と肥前風土記に例がある、

とある(仝上)。

「さだ」「しだ」「しな」などの名詞と関係があろう(精選版日本国語大辞典)、

とされた、

さだ、

は、

シダの母音交替形、

で、やはり、

時機、

の意(仝上)となる。ただ、

さだ、

を、

古語「しだ」の変化したものと説くものもあるが、古代の地方語と近世の語法と直ちに結びつけられるか疑問である、

とする説もある(精選版日本国語大辞典)。

しな、

については、

しな・すがり・すがら

で触れたが、動詞の連用形に付いて、

そのおり、
……しかけ、
ついで、

の意を表す(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

あふさわに、

を構成している、

アフサ+アワニ、

の、

アワニ、

は、それ自体は辞書には載らないが、

あわつ(慌)、
あわたたし(慌たたし)、

の語幹、

あわ、

とされ、

あわつ、

は、

慌つ、
周章つ、

とあて、

て/て/つ/つる/つれ/てよ、

の、自動詞タ行下二段活用で、

是の時に押坂(おしさか)部史毛屎(けくそ)急(アワテ)来て(日本書紀)、
かくや姫……いみじくしづかにおほやけに御文奉り給ふ。あはてぬさま也(竹取物語)、

と、現代語の、

あわてる

で、

不意をつかれて落ち着きを失う、
びっくりしてまごつく、
うろたえる、
狼狽(ろうばい)する、

といった意になり、

アワタツ(泡立)の転用(名言通・菊池俗語考)
和訓栞「日本紀に、急宇、遽宇を訓めり、沫立の意を転用せるなるべし」、……然らば、沫(あわ)を活用せし語か、淡(澆)つと云ふ語もあり、急雨の庭潦(にはたづみ)に、沫の立つが如く、心の躍(おどる)る意なるにや(大言海)、
アワタテ(泡立)の約、アワは溺れそうな人の形容から出た語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
水の泡の湧いたり消えたりするさまが、急ぐ様子に似ているところから(柴門和語類集・南京俚言考)、

等々、

「泡」を活用させた語、

と考えられているが、成立過程は不明(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)とされる。

あわてるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/474808760.html

で触れたように、大言海のいうように、心の中が、

ブクブクと沸き立つ沸騰、

のイメージではあるまいか。

泡を食う、
泡をふかす、

は、そのまま「あわてている」様そのものに「泡」が残っている言葉になる。

あわただしい、

は、江戸時代まで、

あわたたし、

で、「あわただし」は、

あわつ→あわたつ→あわたたし→あわただし、

と、

腹立つ→腹立たし→腹立たし、

と似た造語法で、「あわつ」から派生した(日本語源大辞典)とみられる。ところで、上述の、

あふさきるさ、

は、

逢ふさ来るさ(デジタル大辞泉)、
逢ふさ離るさ(精選版日本国語大辞典)、
合ふさきるさ(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、
逢ふさきるさ(学研全訳古語辞典)

等々とあて、現代表記なら、

おうさきるさ、

となり、

さ、

は、上述したように、

…する時、

の意なので、文字通り、

逢う時(さ)、離れる時(さ)、

の意(大言海・広辞苑)で、

離合来往の意なり、キルは、來(く)るの転(奥(おく)、おき。踵(くびす)、きびす)、ゆくさくさ(往き時(しな)、来(かへ)り時(しな))と云ふ同意の語アリ。また、一転して、ともし、かくもする意となる。俗に、混乱することを、ヤッサモッサと云ふ、遣るさ、もどすさの急呼にて、意、相似たり(大言海)、
サはカヘルサ(帰)・クサ(來)・ユクサのサと同じで、進退の方向の意から転じて、……の場合の意(岩波古語辞典)、
「合ふさ切るさ」が語源とすると、「一方では合ったかと思うと他方では切れ(離れ)て」ということから、「一方が良ければ他方がうまくいかない」の意味になったものと考えられ、「会ふさ来るさ」とする(語源)説は、「来(く)るさ」でなく「来(き)るさ」である点が文法上説明困難だが、「行ったり来たり」の意味が生じる際には、そのような語源意識が働いたと考えられる(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

一方がつく状態だと他方が離れる状態になる、一方がよければ他方が悪い、というように、物事が食い違ったり、どうどうめぐりしたりしてうまく運ばぬ状態、

の意で、たとえば、

そへにとてとすればかかりかくすればあないひしらずあふさきるさに(古今和歌集)、

では、

一方がよければ他方がうまく行かないこと、
物事が食い違うさま、

の意、

心のいとまなく、あふさきるさに思ひみだれ(徒然草)、

では、

あれこれ思うこと、
あれやこれや、
とかくのこと、

意、

はれくもりふりもつづかぬ雪雲のあふさきるさに月ぞ冴えたる(夫木臭)、

では、

行ったり来たりするさま、
行き違うこと、
入り乱れること、

の意、

御内の諚(をきて)世の人聞(ひとぎき)。あふさきるさの心づかひたかひにうき事に思ひ(浮世草子「諸国心中女」)、

では、

会ったり離れたりすること、
離合、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

「逢」(@漢音ホウ・呉音ブ、A漢音ホウ・呉音ブ)は、「あう」意の場合は@の音、太鼓の擬音「逢逢」(ホウホウ)の場合は、Aの音となる(仝上)。字源は、

会意兼形声。丰(ホウ)は、△型の穂先を描いた象形文字。夆(ホウ)はそれに夂(足の形)を加えて、両方から歩いて△型の峠の頂点で出あうことを示す。逢は「辵(すすむ)+音符夆」で、夆の原義をより明白にした形、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(辶(辵)+夆)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「下向きの足の象形と草・木の葉の寄合い茂る象形」(足が一点に寄り合っていく「あう」の意味)から、「(道を行って)出会う」、「偶然であう」を意味する「逢」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2335.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「辵」+音符「夆 /*PONG/」。「会う」「迎える」を意味する漢語{逢 /*b(r)ong/}を表す字。もと「夆」が{逢}を表す字であったが、「辵」を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%A2

形声。辵と、音符夆(ホウ)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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