
コトバ辞典
ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは秋風吹くとかりにつげこせ(業平)
の、
こせ、
は、
「… してくれる」意の助動詞「こす」の命令形と普通説明される、
とし、
つげこせ、
は、
告げてくれ、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
こす、
でふれたように、
こせ、
は、
… してくれの意の補助動詞コスの未然形、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。初出は、
うれたくも鳴くなる鳥かこの鳥も打ち止め許世(コセ)ね(古事記)、
とあり、
こす、
は、上代語で、動詞の連用形に付いて、
相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、
を表わし(精選版日本国語大辞典)、
……してくれ、
……してほしい、
という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(仝上・広辞苑)。活用は、
未然形「こせ」・終止形「こす」・命令形「こせ」、
だけとされる(広辞苑)が、
助動詞下二段型、こせ/○/こす/○/○/こせ・こそ、
の活用で、相手に望む願望の終助詞「こそ」を、
「こす」の命令形、
とする説があり((学研全訳古語辞典))、また、
命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法、
とする説もある(精選版日本国語大辞典)。
また活用についても、下二段型とする説の他、
サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞、
とする説がある(精選版日本国語大辞典)。未然形「こせ」についても、
「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、終止形「こす」は、「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられる。命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、これを独立させて終助詞とする説もある(仝上)、
と、平安時代以降、命令形に、
こせ、
の形が見られるようになる(仝上)とある。
吉野川逝く瀬の早みしましくも淀むことなく有り巨勢濃香問(コセヌかモ)(万葉集)、
の、
こせぬかも、
は、
助動詞「こす」の未然形「こせ」に打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」、詠嘆の助詞「かも」の付いたもの、
で、相手の動作・状態に対する希望を詠嘆的に表わし、
…であってくれないかなあ、
の意で、
我が背子(せこ)は千年五百年(ちとせいほとせ)ありこせぬかも(万葉集)、
と、
ありこせぬかも、
の形で用いることが多い(精選版日本国語大辞典)。この、
ぬかも、
は、
ぬかも、
で触れたように、
ぬ-かも、
と、
ぬか-も、
があり、この歌は、
ぬか-も、
の可能性があることについては触れた。
こす、
は、その由来について、
動詞「コス(遣す)の古い命令形という。呉れる、寄こす意のオコスのオが直前の母音と融合して脱落した形、希求の助詞コソと同根も他の動詞の連用形と連なった形で現れる。接尾語とする説もある(岩波古語辞典)、
オコス(送來)と同意、オコスは、此語に、オの添はりたるものなるべし、オの略せらるるは、おこおこし、おここし
(厳)。思ふ、もふなどあり(大言海)、
「おこ(遣)す」の音変化、カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いたとみるなど、諸説がある(デジタル大辞泉)、
語源に関しては、( イ )寄こす意の下二段動詞「おこす」のオが脱落した、( ロ
)カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いた、( ハ
)「く(来)」の他動詞形、などの説がある。また、命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法とする説もある(精選版日本国語大辞典)、
未然形の「こせ」と終止形の「こす」は、主に上代に用いられ、時に中古の和歌に見られる。相手に望む願望の終助詞「こそ」を、この「こす」の命令形とする説がある(学研全訳古語辞典)、
萬葉集に乞の字を讀めり(霊(たま)ぢはふ神も我(わ)れをば打棄(うつ)てこそ(乞)しゑや命(いのち)の惜しけくもなし)、字の如く、乞ひ願ふ辞(和訓栞)、
などとある。因みに、
おこす、
は、
遣す、
致す、
と当て、
せ/せ/す/する/すれ/せよ、
の、他動詞サ行下二段活用で、
白玉の五百箇集(いほつつどひ)を手に結びおこせむ海人(あま)はむがしくもあるか(万葉集)、
と、
よこす、
届けてくる、
意だが、
空合はせ(=夢判断)にあらず、いひおこせたる僧の疑はしきなり(かげろふ日記)、
月の出(い)でたらむ夜は、見おこせ給(たま)へ(竹取物語)、
と、動詞の連用形に付いて、
せ/せ/す/する/すれ/せよ、
の、補助動詞サ行下二段活用で、
その動作が自分の方へ及ぶことを表す、
とし、
こちらへ…する、
…してくる、
こちらを…する、
意で使う(デジタル大辞泉、学研全訳古語辞典)とあり、これが、
こす、
へ転じたと見るのが、一番納得できる。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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かささぎの峯とびこえて鳴きゆけば夏の夜わたる月ぞかくるる(よみ人しらず)
の、
かささぎ、
は、
烏に似た鳥で、腹部と肩羽のみが白い。その白い部分を月に見立てたか、
とあり(水垣久訳注『後撰和歌集』)、
月明星稀烏鵲南飛(月明らかにして星稀に烏鵲南に飛ぶ)(魏・武帝「短歌行」)、
に拠ったとも、
鵲飛山月曙(鵲飛びて山の月曙なり)(全唐詩「入朝洛堤歩月」)、
に拠ったかともいう(水垣久訳注『後撰和歌集』)とある。
鵲(かささぎ)の橋、
で触れたが、
カササギ、
は、
鵲、
とあて、漢語で、
月明星稀、烏鵲南飛(魏・武帝「短歌行」)、
と、
烏鵲(うじゃく)、
とも、
喜鵲(きじゃく)、
客鵲、
飛駁鳥、
乾鵲、
などの呼び名もあり、日本では、
ちょうせんがらす、
とうがらす、
ともいい、和名類聚抄(平安中期)に、
鵲、加佐佐木、
とあり、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
鵲、カササギ・カラス、
とある。
カラス科の鳥。全長約四五センチメートルで、カラスより小さい。腹面および肩羽は白色で、ほかは金属光沢を帯びた黒色。尾羽は長く、二六センチメートルにも達する。村落近くにすみ、雑食性で、樹上に大きな巣をつくる。中国、朝鮮に多く分布するが、日本では佐賀平野を中心に九州北西部にだけみられ(朝鮮出兵の際九州の大名らが朝鮮半島から持ち帰り繁殖したものとする説がある)、天然記念物に指定されている、
とある(精選版日本国語大辞典・大辞泉)。鳴き声がカチカチと聞こえるので、
カチガラス、
ともいい(仝上)、
高麗鴉、
朝鮮鴉、
唐鴉、
という別名を持ち、筑後に多いので、
筑後鴉、
の名もある(大言海)。古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったらしく、「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」とあり、後漢末の応劭著『風俗通』(『風俗通義(ふうぞくつうぎ)』)に、
織女七夕、当渡河、使鵲為橋、
とあることから、
七夕(たなばた)の夜、天の川にかけられるという鵲(かささぎ)の橋、
として伝わり、
七夕の架け橋を作る伝説の鳥、
として、カササギの存在は日本に知られることとなり、奈良時代、
鵲の渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける(小倉百人一首)、
と詠われるに至ったと見られる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%AE)。
鵲、
の由来は、
朝鮮より渡り來る山鳥なり。カサは朝鮮の古名カス、又は、カシの転と云ふ(今はカアチ)、サギは鵲(サク)の音、韓、漢、雙擧の語なり、同地にて、火をフルハアと云ふ、フルは、其国語にて、ハアは火(フア)の字音と合して云ふ、此例の多し(大言海)、
朝鮮語にkat∫iという鳴き声からの命名か(岩波古語辞典)、
カサはこの鳥の朝鮮の方言、サギは鷺の意(名言通)、
カサは、鵲をいう朝鮮の方言カシの転、サギはサワギ(噪)から(東雅)、
カサ(朝鮮語)+サギ(白い鳥・鷺)(日本語源広辞典)、
等々あるが、基本、日本では認識されていなかった鳥なので、
朝鮮由来、
ということはあるかもしれない。また漢字「鵲」自体が、擬声語なので、鳴声由来はありえそうである。
日本書紀に、
難波吉士磐金(きしのいわかね)、新羅より至(まゐ)りて、鵲(カササキ)二隻(ふたつ)を献る(日本書紀・推古紀)、
とあり、二羽の鵲を持ち帰ったが、この「鵲」には万葉仮名が振られておらず、「かささぎ」という読みが初めて登場するのは、上述した和名類聚抄(平安中期)である。
なお、
サギ(鷺)、
たなばた、
については触れた。
「鵲」(慣用ジャク、漢音シャク、呉音サク)は、
形声。「鳥+音符昔」。ちゃっちゃっと鳴く声をまねた擬声語、
とある(漢字源)。他も、
形声。声符は昔(せき)。〔説文〕四上に舄(せき)を正字とし、「舄は鵲なり。象形」とするが、舄は礼装用の飾りのある履(くつ)の形。鵲が烏鵲の字である(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子)
の、
石走(いはばし)る垂水(たるみ)、
は、
岩にぶつかってしぶきをあげる滝、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
さわらび、
は、
早蕨、
とあて、冒頭の、
岩走る垂水の上の左和良妣(サワラビ)のもえ出づる春になりにけるかも
と、
芽を出したばかりのワラビ、
つまり、
若芽のワラビ、
をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、主な旬は4月から6月とされ、
まだ葉が開く前の若芽を、下から手でしごきながら折り取るように摘んで採取する。若芽の先端の葉が開きかけたものはかたいため、葉が開かずに丸まっているものがよい、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93)。ただ、
ワラビは雪解け水がしたたるような場所には生えないことから、この歌の「さわらび」はワラビではなくシダ類一般を指した言葉ではないか、
という指摘もある(仝上)。また、
ワラビは山菜の中でも特に灰汁が強く、食べるためには灰汁抜きが必要で、下処理せずに生食すると毒性があるともいわれている、
とある(仝上)。この、
若葉がまだ開かず先がこぶしのように巻いている、
さわらび、
を、
わらびで(蕨手)、
といい、また、その、
頭部が鉤の手のように曲がった蕨の芽、
を、
かぎわらび(鉤蕨)、
ともいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。いずれも、その形状からきている。また、
その春初めてはえ出た蕨、
を、
君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬはつわらびなり(源氏物語)、
と、
初蕨(はつわらび)、
という(仝上)。なお、
さわらび、
は、
襲(かさね)の色目の一種としては、
表:紫、裏:青、
の組み合わせで、
春の山野に生えた蕨、表地の紫が巻いた部分、裏地の青がその他の部分を表している。着用時期は春、3月、
とある(https://whatsinaname.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%AD%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE)。なお、
襲の色目
では、
匂ひ、
で触れたように、
女房装束の袿の重ね(五衣)に用いられた襲色目の一覧、
をいい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%B2%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE)、
小袿、
で触れたことだが、
正式の女房装束はこの上に「表着」や「小袿」、さらに「唐衣」を着用しますから、表面に表れる面積では「五衣」は少ないのですが、袖などに表れるこの部分の美しさを女房たちは競いました、
とある(http://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm)。平安時代は、グラデーションを好んだようで、その配色の方法で、
匂ひ(同系色のグラデーション)
薄様(うすよう グラデーションで淡色になり、ついには白にまでなる配色)
村濃(むらご ところどころに濃淡がある配色です。「村」は「斑」のこと)
単重(ひとえ)がさね 夏物の、裏地のない衣の重ねです。下の色が透けるので微妙な色合いになる)、
等々がある(仝上)。また、
卯の花、
で触れたように、
色目、
は、
十二単などにおける色の組み合わせ、
をいい、襲(かさね)装束における色づかいについていわれることが多いので、
かさね色目、
などともいい(http://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm)、
衣を表裏に重ねるもの(合わせ色目、表裏の色目)、
複数の衣を重ねるもの(襲色目)、
経糸と緯糸の違いによるもの(織り色目)、
の三種類ある(http://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm・日本大百科全書)。
ワラビ、
は、
シダ類ウラボシ科の落葉多年草。各地の山野の向陽地に生える。早春、先端が拳状に巻いた新葉を出す。成葉は二〜四回羽状複葉で長柄をもつ。葉身は卵状三角形で長さ八〇センチメートルに達し、小葉はさらに羽裂する。胞子嚢(ほうしのう)群は裏側にまいた葉の縁につく。若葉は早蕨(さわらび)と呼び食用。根から蕨粉をとって餠や糊の原料とする、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
煙たちもゆとも見えぬ草の葉をたれかわらびと名づけそめけん(古今和歌集)、
から、
狗脊(ぜんまい)の塵にゑらるるわらびかな(俳諧「猿蓑」嵐雪)、
早蕨(さわらび)の握り拳こぶしを振り上げて山の横面よこつらはる風ぞ吹く(四方赤良)、
まで種々に詠われているが、上代以来、
和歌では早春の景物とする。中古の歌では「わらび(藁火)」と掛けた上で、「萌え」と掛けた「燃え」や「煙」「たく(焼)」などと縁語にしたりする、
とある(精選版日本国語大辞典)。
ワラビ、
については触れたが、漢字、
蕨、
は、後述するように、
若芽がちぢんでまるくまがったわらび、
を表す、
艸+音符厥(ケツ ちぢんで曲がる)、
で構成され、
早春、地中の根茎からこぶし状に巻いた新芽をだす、
を意味している(漢字源)が、これを、わが国では、
さわらび(早蕨)、
といった。和名類聚抄(931〜38年)、本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)、字鏡(平安後期頃)には、いずれも、
和良比、
とあるが、古名は、
ヤマネグサ、
イワネグサ、
イワシロ、
ホドロ、
とあり(たべもの語源辞典)、異名に、
ムラサキノリ、
ワラ(女房ことば)、
紫の塵、
等々、地域でさまざまに呼び名がある(仝上)。漢名は、
蕨萁菜・米蕨草・龍頭菜・山菜・烏昧(うまい)・月爾(げつじ)・莽芽(もろが)・金桜芽(きんおうが)・拳頭菜(けんとうさい)・小児拳・倒掛草(とうけいそう)・拳菜・龜脚菜、
等々(仝上)とある。
わらび、
は、上述のように、
シダ類の代表的な名として流用され、たとえばイヌワラビ、クマワラビ、コウヤワラビなどがある。また、アイヌ語でもワラビを「ワランビ」「ワルンベ」などと呼称しており、日本語由来の言葉と考えられている、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%93)、その語源には、さまざまな説がある。
ハルミ(春味)の転(和語私臆鈔)、
色が焼いたワラビ(藁火)に似ているから(和句解)・日本語源広辞典、
ワラノヒ(曲平伸)の略で、形がワラ(藁火)に似ているところから(柴門和語類集・日本語源広辞典)、
ワラハテフリ(童手振)の義(名言通)、
ネネリヤカメグキ(撓々芽茎)の義(日本語原学=林甕臣)、
ワ(曲)ラ(接辞)ヒ(秀)という語構成の語(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
ワラ(茎)メ(芽)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
童+ビ(拳)。握りこぶしに似ているので(日本語源広辞典)、
早春の芽出しの早いことをワラヒ(笑)とみて、それが訛ったもの、
ワラビの芽の部分が三本に分裂して、その一本は茎となって伸びたのち、さらに三本の芽に分かれと、分裂を繰り返すので、ワカレメ(別れ芽)草と呼ばれていたから、ワカの縮約形のワレメはレの転訛でワラメ、さらにメの転訛でワラミ、ワラビと転訛した(日本語の語源)、
ワラビのワラを散(わら)と考えて、ワラビがその芽の散(わら)くるから、
散芽(わらめ)の転、
散風(わらぶる)の転、
ワラビのワラはカラ(茎)に通ずるので、カラ(茎)メ(芽)から転じた、
蕨の字と蹶(ケイ、ケツ)の字と似ていることからワラビの芽生えの形が鼈(すっぼん)の足ににているから、
等々(日本語源大辞典、たべもの語源辞典)。
「ワラビ」の「ビ」は、ビ→ミ、と転じて、
実、
とし(ミからビ=前川文夫)、
あちこちに散らばって出るから散(わら)という、
とし、
ワラミ→ワラビ、
ではないかとするのは『たべもの語源辞典』であるが、『日本語の語源』は、
芽の部分が三本に分裂しており、その中の一本は茎となって伸びたのち、さらに三本の芽に分かれ、再三、分裂を繰り返してゆくので、ワカレメ(別れ芽)草と呼ばれていたと推測される。ワカ[w(ak)a]の縮約形のワレメは、レの母交(母韻交替)[ea]でワラメになり、さらにメの母交(母音交替)[ei]でワラミ・ワラビと転訛した、
とする、
ワカレメ→ワラメ→ワラミ→ワラビ、
と転訛するとする説は、たべもの語源辞典は「いかがか」と疑問を呈したが、
あちこちに散らばって出るから散(わら)、
という説よりは、僕には生態的にも、感覚的にもよくわかる気がする。ちなみに、
わら(蕨)、
という言い方は、
蕨はわら。葱はうつほ。如此異名を被付(「海人藻芥(1420)」)、
と、
蕨(わらび)の女房詞、
である(精選版日本国語大辞典)。
「蕨」(漢音ケツ、呉音コチ)は、
会意兼形声。「艸+音符厥(ケツ ちぢんで曲がる)」。若芽がちぢんでまるくまがったわらび、
を指す(漢字源)とあり、同じく、
会意兼形声文字です(艸+厥)。「並び生えた草」の象形と「崖の象形と逆さまにした人の象形(「逆らう」の意味)と人が口を開けている象形(「人が大きな口を開けて咳込む」の意味)」(削り取られた崖に、大きな口を開けるように石を「掘る」の意味)から土を掘り割って芽を出す草「わらび」を意味する「蕨」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2709.html)、
と、会意兼形声゛とするものもあるが、
形声。艸と、音符厥(クヱツ)とから成る(角川新字源)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何の花ぞも(駿河采女)
の、
はだれ、
は、
うっすらと積る状態、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
はだれ、
は、
はだら、
ともいい、
ほどろ、
で触れたように、
夜(よ)のほどろ我(わ)が出(い)でて来れば我妹子(わぎもこ)が思へりしくし面影に見ゆ(大伴家持)、
と、
ほどろ、
ともいい、
うっすらと地面に降り積もる、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、
我が背子を今か今かと出てみれば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに(万葉集)、
と、
(雪などが)はらはらと散るさま、
という意と、また、
夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり一云庭も保杼呂尓(ホドロニ)雪そ降りたる(万葉集)、
と、
雪などがまだらに降り積もるさま、
の意とがある(精選版日本国語大辞典)。
はだれ、
は、
斑、
とあて、
まだら、
まばら、
の意だが、
はだれ、
は、
ハダラの転、
であり(岩波古語辞典)、
はだら、
は、上述のように、
夜を寒(さむ)み朝戸(あさと)を開き出(い)で見れば庭も薄太良(ハダラ)にみ雪降りたり、
には、万葉集に、
一には、庭もほどろに雪ぞ降りたる、
とあるように、
ホドロの母音交替形、
とある(岩波古語辞典)ので、
はだれ、
は、
はだれに降れる雪を略して名詞としたる語、
とする(大言海)説もあるが、
ホドロ→ハダラ→ハダレ、
と転訛してきたものである。
はだれ、
は、だから、
沫雪(あわゆき)か薄太礼(ハダレ)に降ると見るまでに流らへ散るは何の花そも(万葉集)、
と、
雪がはらはらと降るさま、
の意と、
笹の葉にはだれ降り覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ(万葉集)、
と、
うっすらと置いた雪、
の意とがある(岩波古語辞典)。
我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散る波太礼(ハダレ)のいまだ残りたるかも(万葉集)、
の、
はだれ、
は、
はだれゆき(雪)の略、
で、
まだらに降り積もる雪、
の意だが、当然、
今年いたう荒るることなくて、はだら雪ふたたびばかりぞ降りつる(蜻蛉日記)、
と、
はだら雪、
ともいう(岩波古語辞典)。また、
蹈ちらす人のこびんよはつれ雪(俳諧「犬子集(1633)」)、
と、
はつれ雪、
という言い方もするようだ(精選版日本国語大辞典)。また、
天雲(あまくも)の外(よそ)に雁(かり)が音(ね)聞きしより薄垂霜(はだれしも)降り寒しこの夜は(万葉集)
と、
はらはらと、うっすら見える霜、
の意で、
はだれ霜、
という言い方もする(岩波古語辞典)。
はだれ雪、
は、今風に言えば、
まだらゆき(斑雪)、
で、やはり、
まだらに降り積もった雪、
また、
まだらに消え残る雪、
の意になる(デジタル大辞泉)。また、
霰まじる帷子雪はこもんかな(芭蕉)、
の、
帷子雪(かたびらゆき)、
も、
薄くふりつもった雪、
をいう(広辞苑)。
今は残雪半ば村消(むらぎ)えて、疋馬(ひつば)地を踏むに、蹄を労せざる時分によくなりぬ(太平記)、
の、
村消(むらぎ)え、
は、
斑消え、
とも当て、
(雪などが)あちこちとまばらに消え残っている、
意である(広辞苑・岩波古語辞典)。また、
降り方が激しかったり、弱くなったりする雨、
をいう、
村雨(むらさめ)、
の、
むら、
でもある。
斑(むら)、
は、
色の濃淡・物の厚薄があって一様でないこと、
つまり、
まだら、
の意である(仝上)。
すそご、
で触れた、縅(おどし)や染色に、
同じ色で、所々に濃い所と薄い所のあるもの、
を、
村濃(むらご)、
というが、これも、
斑濃、
とも当て、
ここかしこに叢(むら)をなすこと(大言海)、
つまり、
色の濃淡、物の厚薄などがあって、不揃い、
の意である(広辞苑)。
まだら(斑)、
は、
其の面身(むくろ)、皆斑白(マタら)なり(日本書紀)、
と、
色や濃淡がまじっているさま、
の意で、また、
まだら、
は、
み狩するかきのねずりの衣手に乱れもどろにしめる我が恋(「経信集(1097頃)」)、
と、
マダラの母音交替形で、
もどろ、
ともいう(岩波古語辞典)。
「斑」(漢音ハン、呉音ヘン)は、「ほどろ」で触れたように、
会意文字。玨は、玉を二つにわけたさま。班(二つに分ける)と同系。斑は「玨(分ける)+文」で、分かれて散らばる意を含む、
とある(漢字源)。また、同じく、
会意文字です(辡+文)。「入れ墨をする為の針」の象形×2と「人の胸を開いて、入れ墨の模様を書く」象形から、模様に分かれ目がある事を意味し、そこから、「まだら」を意味する「斑」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2120.html)、
会意。玨(かく)+文。玨は両玉。その色の相雑わるをいう。〔説文〕九上に字を辡+文に作り「駁(まだら)なる文なり」と訓し、辡(べん)声の字とするが、辡は辯(弁)の初文で、獄訟のことをいう字である。斑を正字とすべく、斑とは二玉相雑わる玉色をいう(字通)、
と、会意文字とするが、
形声。「文」+音符「班 /*PEN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%91)、
形声。文と、音符辡(ハン、ベン)(玨は変わった形)とから成る。まだらもようの意を表す(角川新字源)
と、形声文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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をるからに我が名は立ちぬをみなへしいざおなじくは花々に見む(藤原興風)
の詞書(和歌や俳句の前書き)に、
おなじ御時の女郎花合(をみなへしあはせ)に、
とある。
女郎花合、
は、
女郎花の花を持ち寄り、歌を添えて優劣を競った遊び、
である。歌中の、
花々に、
は、
他例なく難解、
とし、
「あだあだしくはなやかに」とも(新抄(江戸後期の注釈書)の一解)、
とある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
女郎花合(おみなえしあわせ)、
は、
物合(ものあわせ)の一つ、
で、
左右に分かれ、オミナエシの花に歌を添えたものを出し合って比べ、優劣を競う遊び、
である(精選版日本国語大辞典)。
菊合(きくあわせ)、
で触れたように、
女郎花合、
は、
物を合わせて優劣を競う遊戯、
である、
物合(ものあわせ)、
には、この他、
菊合、
貝合、
前栽(ぜんざい)合、
根合、
草合、
艶書合、
今様合、
草子合、
扇合、
絵合、
歌合、
花合、
蟲合、
香合(薫物合)、
等々がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)。紫式部日記に、
御前のありさま、絵にかきたる物合の處にぞ、いとよう似て侍りし、
とあり、枕草子にも、うれしきものに、
物合、なにくれといどむことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ、
とある。古今集の、
小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経(へ)にけむ秋を知る人ぞなき(紀貫之)、
には、
朱雀院の女郎花合の時に、をみなへしといふ五文字(いつもじ)を、句のかしらにおきてよめる、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。朱雀院にて行われた「亭子院(ていじのゐん 宇多天皇の院号)女郎花合」(898年)に詠んだものである。
菊合(きくあわせ)、
で触れたことだが、
物合(ものあわせ)、
は、
左方、右方に分かれ、たがいに物を出し合って優劣を競い、判者(はんじや)が勝敗の審判を行い、その総計によって左右いずれかの勝負を決める遊戯の総称、
で(広辞苑・世界大百科事典)、多く歌を伴い、平安貴族の間で流行した。
物合、
は、
菊合、
歌合、
相撲(すまひ)、
競馬(くらべうま)、
賭射(のりゆみ)、
などとともに、
競べもの、
の一種であるが、歌合、詩合などをも含む広範囲に及ぶ各種の、
合わせもの、
を一括していうことも多い(仝上)とある。近世まで含めると、植物では、
草合、根合(ショウブの根)、花合(主として桜)、紅梅合、瞿麦(なでしこ)合、女郎花(おみなえし)合、菊合、紅葉合、前栽(せんざい)合、
等々、動物では、
鶏(とり)合、小鳥合、鶯合、鵯(ひよどり)合、鶉(うずら)合、鳩合、虫合、蜘蛛合、犬合、牛合、
等々、文学では、
歌合、詩合、物語合、絵合、扇紙(扇絵)合、今様(いまよう)合、懸想文(けそうぶみ)合、連歌合、狂歌合、発句合、
等々、文具・器物では、
草紙合、扇合、小筥(こばこ)合、琵琶合、貝合、石合、
等々、武技・遊芸では、
小弓合、乱碁合、謎謎合、薫物(たきもの)合、名香(みようごう)合、
等々、衣類では、
小袖合、手拭合、
等々が行われている(仝上)という。競技の際には、
比べる物にちなんで詠まれた和歌が添えられて、出し物とあわせて判定の対象、
となったが、平安後期以降の、
歌合、
の盛行とともに、その和歌の占める比重が漸次大きくなり、物合は一種の文芸的な遊戯の色合いを濃くしていった(日本大百科全書)とある。なお、
内裏菊合(888〜891)、
亭子院女郎花合(898)、
円融院扇合(973、実際には扇に添えられた歌を内容とする)、
斎宮良子内親王貝合(1040)、
正子内親王絵合(1050)、
郁芳門院根合(1093)、
篤子内親王(あつこないしんのう)花合(1105)、
後白河法皇今様合(1174)、
等々が名高い(世界大百科事典)とある。
物合(ものあわせ)の遊び方は、下記のようであった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E5%90%88)。
左方・右方のチームメンバーを決める(左右の競技者を方人(かたうどl)という)。
↓
各チームのスポンサーとなる大貴族が、親類縁者・家臣など関係者の中からその道に優れた人を抜擢する。歌合などでは、小貴族であっても和歌の腕がよければ選ばれて光栄に浴することも出来た。
↓
左方のチームカラーは暖色系統(当時は紫から橙色まで)で、大きな催しなどではアシスタントの女童たちの衣装や品物を包む料紙なども赤紫から紅の色合いで意匠を統一する。右方のチームカラーは寒色系統(当時は黄色から青紫まで)で、同じく凝った意匠を競った。
↓
審判(判者)の選定はもっとも神経を使うもので、審美眼はもちろん判定書に必要な書道や文章・和歌の道に優れた老練の人が選ばれる。他に、数回戦を競うため各チーム勝ち負けの数を串で記録する記録係「数刺し」がいた。
↓
また、両チームにはチーム代表で解説や進行を担当する「頭」や、応援担当の「念人」が選出されることもある。
なお、
方人、
でふれたように、典型的な歌合の人の構成は、
方人(かたうど 左右の競技者)、
念人(おもいびと 左右の応援者)、
方人の頭(とう 左右の指導者)、
読師(とくし 左右に属し、各番の歌を順次講師に渡す者)、
講師(こうじ 左右に属し、各番の歌を朗読する者)、
員刺(かずさし 左右に属し、勝点を数える少年)、
歌人(うたよみ 和歌の作者)、
判者(はんじや 左右の歌の優劣を判定する者。当代歌壇の権威者または地位の高い者が任じる)、
などのほか、
主催者、
和歌の清書人、
歌題の撰者、
などが含まれる(世界大百科事典)。なお、
おみなえし、
については触れた。
「女」(漢音ジョ、呉音ニョ、慣用ニョウ)は、
象形、なよなよしたからだつきの女性を描いたもの、
とある(漢字源)が、
象形。手を前に組み合わせてひざまずく人の形にかたどり、「おんな」の意を表す、
とあり(角川新字源)、同趣旨で、
象形文字です。「両手をしなやかに重ね、ひざまずく女性」の象形から、「おんな」を意味する「女」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji32.html)、
象形。手を据えてひざまずいた人を象る。「おんな」「女性」を意味する漢語{女 /*nraʔ/}及び「はは」を意味する漢語{母
/*məʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B3)、
女子が跪(ひざまず)いて坐する形。〔説文〕十二下に「婦人なり。象形」とあり、手を前に交え、裾をおさえるように跪く形。動詞として妻とすること、また代名詞として二人称に用いる。代名詞には、のち汝を用いる(字通)、
とある。甲骨文字から見ると、後者のように感じる。
「郎」(ロウ)の異体字は、
カ(旧字体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%83%9E)。字源は、
会意兼形声。良は粮の原字で、清らかにした米。郎は「邑(まち)+音符良」で、もとは春秋時代の地名であったが、のち、良にあて、男子の美称に用いる、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(良+阝(邑))。「穀物の中から特に良いものだけを選びだす為の器具」の象形(「良い」の意味)と「特定の場所を示す文字と座りくつろぐ人の象形」(人が群がりくつろぎ住む「村」の意味)から、良い村を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「良い男」を意味する「郎」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1482.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「邑」+音符「良 /*RANG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%83%8E)、
形声。邑と、音符良(ラウ)とから成る。もと、地名を表した。借りて、わかものの意に用いる。常用漢字は俗字による(角川新字源)、
形声。声符は良(りよう)。〔説文〕六下に魯の地名とし、〔段注〕に「郎を以て男子の稱、及び官名と爲す者は、皆良の假借なり」とする。良は風箱留実、筒の中に風を通して、穀の良否をよりわけるもので、それより良善の意となる。〔詩、秦風、黄鳥〕「彼の蒼(さう)たる者は天 我が良人を殱(つく)す」の良人は良士、郎は廊廡(ろうぶ)にあって事を執ることよりの称であるらしく、漢代に郎官の制が定まり、石二十以上を郎といった。のち官僚、男子の称となり、族中の排行(生年の順)によって九郎・十二郎のようにいう(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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女郎花はなの心のあだなれば秋にのみこそあひわたりけれ(後撰和歌集)
の、
あだなり、
は、
浮気(あだ)なので、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
あだなり、
は、
古今集、後撰集、拾遺集の三代集に用例が比較的多く、後拾遺集以後になると、相対的に少なくなっている傾向がみられる、
との指摘もあり(file:///C:/Users/sugit/Downloads/A525_Dissertation_%E5%85%A8%E6%96%87%20(1).pdf)、あまり辞書に載らないが(広辞苑・岩波古語辞典には載らない)が、
なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ、
の、形容動詞ナリ活用で、
会はでやみにし憂(う)さを思ひ、あだなる契りをかこち(徒然草)、
と、
はかない、
もろい、
の意、
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍(はべ)らむ(紫式部日記)、
と、
誠実でない、
浮気だ、
の意、
確かに御枕上(まくらがみ)に参らすべき祝ひの物にて侍(はべ)る。あなかしこ、あだにな(源氏物語)
と、
疎略だ、
の意、
蝶(てふ)になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや(虫めづる姫君)、
と、
無駄だ、
無用だ、
の意などで使う(学研全訳古語辞典)。
あだし心、
で触れたように、
世は皆夢の幻(うつつ)とこそ思ひ捨つる事なるに、こはそも何事のあだし心ぞや(太平記)、
の、
あだし心、
は、
徒し心、
と当て(岩波古語辞典)、
浮ついた心、
と訳す(兵藤裕己校注『太平記』)ので、冒頭の、
あだなり、
と意味は重なる。ただ、
あだし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ
の、形容詞シク活用だが、
徒し、
のほか、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、
等々とも当て、意味を異にする。いずれも、古くは、
あたし、
であった(広辞苑・岩波古語辞典)。
君に逢へる夜霍公鳥(ほととぎす)他(あたし)時ゆ今こそ鳴かめ(万葉集)、
と、
他し、
異し、
と当てる、
あだし、
の意は、
異なっている、
別である、
になる。類聚名義抄(11〜12世紀)には、
他、アタシ、
とある(広辞苑・岩波古語辞典)。
殿の御前の御聲は、あまたにまじらせたまはず、徒しう聞こえたり(栄花物語)、
の、
徒し、
空し、
と当てる、
あだし、
の意は、
花が実を結ばないこと、
実意・誠意がないこと、
いいかげんなこと、
無用、無駄、
空しい、
などになり(仝上)、
徒を活用せしむ語(眞(まこと)しき、大人(おとな)しき)、あだし契、あだし世、などと云ふは、終止形を名詞に接しむる用法にて、厳(いか)し矛(ほこ)、空し車、同例なり、
とあり(大言海)、
意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、
とある(岩波古語辞典)。「あだし心」はその典型例になる。
王は外道に党(かたちは)へり(味方した)。それ敵(あだ)すべけむや(大唐西域記)、
と、
仇し、
敵し、
と当てる
あだし、
の意は、
敵対する、
はむかう、
になり(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
敵、アタル、カタキ、アタ、
とある。だから、
アタは仇、
とある(仝上)。
あだ、
で触れたことだが、
徒し、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、
とあてる「あだし」の語幹「あだ」は、いずれも古くは、
あた、
と、清音だが、
あだな、
で触れたように、これも、
他・異、
徒・空、
仇・敵、
の三通りがある。
あだ(他・異)、
は、
あたし(他し)、
から来ている。
他のものである、
という意味である(岩波古語辞典)。後世濁って、
あだし(他し)、
となるが、『大言海』は、
他、
異、
を当て、
徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、
とし、
あだ(徒・空)、
は、上述したように、
徒(あだ)を活用せしむ(眞〔まこと〕しき、大人(おとな)しき)。アダシ契、アダシ世、などと云ふは、終止形を、名詞に接続せしむる用法にて、厳(いか)し矛、空し車、同じ年などと同例なり、
として、
あだ(他・異)、
と
あだ(徒・空)、
とを関連づけている。
あだ(仇・敵)、
は、『大言海』は、
仇(あた)に同じ、
として(仇(あた) 當(あた)るの語根、類聚名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名「仇、ウタは、當る也、、我れと相當る也、敵當の意なり」)、
憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、
としているが、『岩波古語辞典』は、
びたりと向き合って敵対するものの意、
とし、
敵、
自分に害をなすもの、
害、
うらみ、
としており、敵という状態表現から、害そのもの、さらにうらみへと価値表現へと広がっている、とする。
「徒」は、字鏡(平安後期頃)に、
譋、伊豆波利己止、阿太己止、
とあり、
無用の意を言うアヒダ(閨jの約(大言海・名言通)、
アダシ(他し)の語根(大言海)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍(うきくさ)の跡)、
イタヅラの転(類聚名物考)、
など諸説あるが、「他」との関係について、上述したように、
徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、
と、
他(異)し、
と
徒(空)し、
を繋げている(大言海)。有名な、
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(古今集)、
を、
徒し、
ではなく、
他し、
と当てている(岩波古語辞典)のを、上述したように、
(あだ(徒)しは)意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、
とする(仝上)のは、意味の近さからではないか。
他し心、
は、
他に心を移している、
意であり、
徒し心、
は、それゆえの、
不実な心、
ということになる。もともと「あだし心」は、
異なる、他のものに心を移す、
という状態表現にすぎなかったが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、
徒し心、
へとシフトしたのかもしれない。
仇し、
については、
あだ、
で触れたように、
仇(あだ)、
は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
寇、アタ、カタキ、
怨、アタ、
とあり、その、
語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓、中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており、江戸中期の文献あたりでは、いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので、江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる、
とあり(日本語源大辞典)、
當(あた)るの語根、名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名(元禄)「アタは、當る也、我と相當る也、敵當の意なり」(大言海)、
アタルの語根(和句解・日本釈名・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
アヒテ(相手)の約轉(名言通)、
アザ(他)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍[うきくさ]の跡・言元梯)、
無用の意をいうアヒダ(間)の約(名言通・)
「アタ(当たるの語幹)の変化」です。アタンスル(寇にする)が方言に残っています。アダと濁音になったのは憎む意の加わったものです(日本語源広辞典)、
アタはアタナヒ(寇)・アタヒ(能)・アタヒ(価)・あたへ(与)・アタラ(可惜)・アタラシ(可惜)・アタリ(当)などに共通の語根(岩波古語辞典)、
と諸説あるもののはっきりしないが、「仇(あた)に同じ」として、
憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、
と、その意味から濁点化したとみている(大言海)。もともと、
びたりと向き合って敵対するものの意、
と(岩波古語辞典)いう状態表現であったものが、「憎む」価値表現を加味したということかもしれない。で、
他・異、
↓
徒・空、
↓
仇・敵、
と、漢字を当て別けていったのではないか。ここからは、臆説だが、そもそもは、
あた、
は、
異なる、他のもの、
と、自分とは別のものという状態表現にすぎなかったが、それが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、敵対を意味する、
あた(仇)、
となり、さらに、『大言海』の言う通り、空しい意味の、
あだ(徒)、
へとシフトしていったのではないか。
あたし→あだし、
と濁ることで、意味の変化との重なりが起きたということもあるのかもしれない。しかし漢字を当てない限り、
あた→あだ、
にすぎない。
あだなり、
も、
徒なり、
とあてるだけに、以上みた、
徒し、
の意と、
徒、
の意の持つ、
むなしい、
はかない、
変わりやすい、
意の外延に、
はかない→浮気だ(変わりやすい)→粗略(実のない)→無用だ(いたずらに)、
という意味を広げているのが見て取れる。
「徒」(漢音ト、呉音ズ・ド)は、
形声。「止(あし)+彳(いく)+音符土」で、陸地を一歩一歩とあゆむことで、ポーズをおいて、一つ一つ進む意を含む、
とあり(漢字源)、他も、
形声。「辵」+音符「土 /*TA/」。「あるく」を意味する漢語{徒 /*daa/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%92)、
形声。意符辵(ちやく)(あるく。は変わった形)と、音符土(ト)とから成る。歩く意を表す(角川新字源)、
形声。初形は辶+土に作り、土(と)声。辵(ちやく)の形をかえて徒となる。〔説文〕二下「辶+土は、歩して行くなり」とあり、車乗に対して歩行することをいう。装備のない従者・歩卒をいう。装備のないことから、徒手・徒跣のように用いる。副詞の「ただ」「ひとり」の意がある(字通)、
と形声文字としているが、
会意兼形声文字です(彳+土+止)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「立ち止まる足」の象形(「足」の意味から、道を行く時に乗物に乗らず、土を踏んで「あるく」を意味する「徒」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji593.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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人はいさことぞともなきながめにぞ我は露けき秋も知らるる(後撰和歌集)
の、
人、
は、
暗に相手の男を指す、
とし、
いさ、
は、
「さあどうか」といった意の感嘆詞・副詞、
で(水垣久訳注『後撰和歌集』)、普通、
ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)
と、「知らず」を伴って使われる(広辞苑)が、ここは、
「知らず」を略したと読む、
とし、
ながめ、
は、
物思いに耽って景色などを眺めること、
で、
「長雨」の意が掛かり、「露けき」に恋の涙を暗示し、「秋」に「飽き」が掛かる、
として、
人はさあ(どうか知りませんが)、どうといったこともない、長雨にする物思いに、私は今が露っぽい、秋であることも気づかされるのです(あなたに飽きられたと感じて、涙多く過ごしてい
ます)、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
いさ知らず、
は、
なぞなぞ合(あはせ)、「さば、いさしらず。な頼まれそ」などむつかりければ(枕草子)、
と、副詞、
いさ、
に、
知らず、
の付いたもので、
まったくわからない、
何も知らない、
の意(精選版日本国語大辞典)で、
知らず、
を略して、
いさ、
とのみも用いて、なお、
知らず、
の意となる(大言海)とある。もともと、
いさ、
は、
不知、
否、
とあてる感動詞で、
イサカヒ・イサチ・イサヒ・イサメ(禁)・イサヨヒなどと同根。相手に対する拒否・抑制の気持ちを表す語(岩波古語辞典)、
和訓栞、いさ「イナと通へり、否の義なりと云へり」、萬葉集「(「み薦(こも)刈る信濃の真弓我(わ)が引かば貴人(うまひと)さびていなと言はむかも」の)「不言(イナ)と言はむかも」、古写本に、不知に作れりと云ふ、同(「いなと言へど強(し)ふる志斐(しひ)のが強(し)ひ語りこのころ聞かずて我(あ)れ恋ひにけり」の)「不聴(いな)と言へど」(不聴許の意)、この語は清音にて、……いさ知らずと熟語となるべき語なり、さるに、常に然(しか)言馴れては、終に下略して、イサとのみも云ふ。因りて、不知(フチ)の字を、直ちに、イサ、に用ゐるに至れり、足引きの山、ぬばたまの夜、なるを、足引の(山の)木閨iこのま)、ぬばたまの(夜の)月、と云ふが如し(大言海)、
相手の質問に対する答えがわからないとき、あるいは相手の言うことに否定的な気持ちで軽く受け流そうとするときの、応答の語(広辞苑)、
で、
「さあねえ」「ええと」(学研全訳古語辞典)、
「さあ」「いやなに」(広辞苑)、
「いや」「いやなに」「ええと」などと、相手をはぐらかしたりするのに使う語(岩波古語辞典)、
「さあ、どうだか」「いや、でも」(デジタル大辞泉)、
等々、文脈に応じて、微妙に含意は異なるが、たとえば、
犬上(いぬかみ)の鳥籠(とこ)の山なる不知也河(いさやがは)不知(いさ)とを聞こせ我(わ)が名告(の)らすな(万葉集)、
では、
よくわからないこと、答えかねることをたずねられた時に、返事をあいまいにするための、さしあたっての応答のことば、
として、
さあ、
ええと、
いやなに、
どうだか、
の意で使い、本来は、こうした、
相手の発言をさえぎる、
といった含意で使ったと思われる(精選版日本国語大辞典)が、
人々、いと、かたはら痛し、と思ひて、あなかま、ときこゆ。いさ、見しかば心地のあしさなぐさみき、と宣ひしかばぞかし(源氏物語)、
のような、「いな」に近い応答詞となり、
肯定しがたく承服しがたいことを言われた時に、相手の発言を否定するための応答のことば、
として、
「いさとよ」という形をとることの方が多い、
とされる(仝上)が、
いいえ、
でも、
だって、
の意となる(仝上)。それがさらに発展して、副詞として、
相手のことばに対して、「さあ……知らない」「さあ……分からない」と否定的な応答をするときの語、
として使い、たとえば、上述したように、下に「知らず」の意の語を伴って、
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしのかににほひける(古今和歌集)、
と、
さて(わからない)、
どうだか(知らない)、
の意や、下に否定的な表現を伴って、
なき名のみたつの市とは騒げどもいさまた人をうる由もなし(拾遺和歌集)、
と、
どうも(…できない)、
とても(…しがたい)、
どうせ(…したところで)、
の意で用いるが、冒頭の歌のように、
人はいさ我はなき名の惜しければ昔も今も知らずとを言はむ(古今和歌集)、
と、「いさ」のみで、「知らず」を用いずに、「知らず」の意味を含ませて、
さあどうだか知らない、
わからない、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。この、
いさ、
は、上代、
いにしへささきし我やはしきやし今日(けふ)やも子らに五十狭邇(いさニ)とや思はえてある(万葉集)、
と、
感動詞「いさ」に副詞を作る接尾語「に」の付いた、
いさに、
の形で用い、
判断がつかない気持、ためらう気持を表わし、
さあどうだろうか、
意を表した。(精選版日本国語大辞典)。ところで、
「いさ」に助詞「や」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
イサはイサ(不知)、ヤは質問の助詞(岩波古語辞典)、
である、
いさや、
という言い方があるが、この、
いさや、
は、感動詞として、
三宮の「昔より数にも侍らぬ身なれば、誰かはさ思ひ侍らん」大宮「などかはさおぼさるる」女御の君「いさや、この御心にぞ見給へわびぬる」(宇津保物語)、
と、
さあ、どうだか、
の意で使い、感動詞としての、
いさ、
の、よくわからないこと、答えかねることをたずねられた時に、返事をあいまいにするための、さしあたっての応答の、
さあ、
ええと、
いやなに、
どうだか、
の意と重なり、さらに、
呉竹植ゑんとて乞ひしを、このごろ、奉らんといへば、いさや、ありもとぐまじう思ひにたる世の中に、心なげなるわざをやしおかん(蜻蛉日記)、
の、
いさや、
は、
いいえ、
でも、
の意で、肯定しがたく承服しがたいことを言われた時に、相手の発言を否定するための応答のことば。「いさとよ」という形をとることの方が多い、
いさ、
の、
いいえ、
でも、
だって、
の意と重なるし、副詞として使う、
いさや、
も、
淵瀬ともいさやしら波立ち騒ぐわが身一つはよるかたもなし(後撰和歌集)、
の、
さて(わからない)、
どうだか(知らない)、
の意は、副詞として使う、
いさ、
の、下に「知らず」の意の語を伴って用いる、
さて(わからない)、
どうだか(知らない)、
の意と重なるし、
桂に見るべきこと侍るを、いさや心にもあらで、ほど経にけり(源氏物語)、
の、
いさや、
の、
どうも(…できない)、
とても(…しがたい)、
の意は、
いさ、
の、下に否定的な表現を伴って用いる、
どうも(…できない)、
とても(…しがたい)、
どうせ(…したところで)、
の意と重なり、さらに、
秋の色も露をもいさやをみなへし木隠れにのみおくとこそみれ(宇津保物語)、
の、
いさや、
の、
さあどうだか知らない、
わからない、
の意は、「知らず」を用いず、「知らず」の意味を含ませて用いる、
いさ、
の、
さあどうだか知らない、
わからない、
意と重なる(精選版日本国語大辞典)。
今日、通常、
いさ知らず、
は、
昔はいざ知らず、現在こんな事を信じる者はいない、
というように、
いざ知らず、
の形で用いるが、この用例は、近世以降の誤用で、
「いさ知らず」の「いさ」と感動詞「いざ」との混同によってできたもの、
で、
一つの事をあげて、それについてはよくわからないがの意で、後述するもう一つの事を強調する表現、
として、
…についてはよくわからないが、
…はともかくとして、
の意で用いる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。ここで誤用された、
いざ、
は、
「いざなふ」と同根(精選版日本国語大辞典)、
イは発語、サは誘う声の、ささ(さあさあ)の、サなり。イザイザと重ねても云ふ(伊彌(いや)、いや。伊莫(いな)、否)、発語を冠するに因りて濁る、伊弉諾(いざなぎの)尊、誘(いざな)ふのイザ、是なり。率の字は、ひきゐるにて、誘引する意。開化天皇の春日率川宮(かすがのいざかはのみや)も、古事記には、伊邪川宮(いざがわのみや)となり、帰去来(キキョライ)の字を、「かへんなむいざ」と訓ますは、帰りなむいざの音便(仮名(かな)、かんな)、ナムは、完了の助動詞、來(ライ)は、助語にて、助語審象に「來者(ライトハ)、誘而啓之之辞」など見ゆ(字典に「來、呼(ヨブ)也」、周禮、春宮「大祝來(よぶ)瞽、キタレの義より、イザの意となる)、帰去来(キキョライ)という熟語の訓点なれば、イザが語の下にあるなり、史記、帰去来辞、など、夙(はや)くより教科書なれば、此訓語、普遍なりしと見えて、古くより上略して、去来(キョライ)の二字を、イザに充て用ゐられたり(大言海)、
いさみ勇むときの掛け声(本朝辞源=宇田甘冥)、
ともあり、
いざ鎌倉、
いざ知らず、
いざさせ給え(いざ給え)、
いざさらば、
というように、
人を誘い、または思い立って事をし始めようとするときに言う語(広辞苑)、
相手を誘って一緒に事を始めるときや思いきって行動しようとするときに発する語(デジタル大辞泉)、
で、
さあ、
どれ、
いで、
の意だから、文脈が異なるが、後世になるほど、
清音→濁音化、
の傾向があるだけに、濁音化した、
いさ、
と、
いざ、
が混同されたものと思われる。ちなみに、
いざ、
の用例は、
相手を誘うとき、自分と共に行動を起こそうと誘いかけるときなどに呼びかける語、
として、
いざ、いと心やすき所にてのどかに聞(きこ)えん、など語らひ給へば(源氏物語)、
ぬばたまの今夜(こよひ)の雪に率(いざ)ぬれな明けむ朝(あした)に消(け)なば惜しけむ(万葉集)、
と、
さあ、
と、呼びかけたり、
ある行動を思い立って実行に移そうという時に発する声、
として、
名にし負はばいざ事問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(伊勢物語)、
と、
さあ、どれ、
という意や、
玉守(たまもり)に玉は授けてかつがつも枕とわれは率(いざ)二人寝む(万葉集)、
と、
予期された事態や突発的な事態が急に起こった状態や、意気込んでものを始めようという状態、
を、
いよいよ、
の意で用い、今日では、
いざというとき、
というように、「いざと…」の形で用いられる(精選版日本国語大辞典)。この用例の「率」という字を当てていることについては、上述の『大言海』の説明と重なるが、
「書紀‐開化元年一〇月」の訓注に「率川、此云伊社箇波」、また「書紀‐履中即位前」に「去来
此云伊弉」とある。「率」は「いざなう・ひきいる」という字義から「いざ」とよまれたもの。「去来」はもと、陶淵明の「帰去来辞」中の「帰去来兮」が「かえりなん、いざ」と訓ぜられ、本来は「帰去」が動詞で「来」が語助の辞であるのを、「帰」と「去来」とに分けて、「去来」を「いざ」と理解したものとされる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
帰去来、
については触れた。
「否」(@慣用ヒ・漢音フウ・呉音フ、A慣用ヒ、呉音ビ)は、
形声。不は、ふくらんだつぼみを描いた象形文字で、後世の菩(ホウ つぼみ)の原字。その音を借りてふっと強く拒否する否定詞にあてる。否は「口+音符不」。口を添えて言語行為であることを示した字で、否定をあらわすことば、
とある(漢字源)。なお、「いな」、「しからず」の意の場合は@の音、「可否」のように、ある性質の逆の面を意味する言葉の場合はAの音になる(仝上)。同じく、
形声。音符「不 /*PƏ/」+羨符「口」(区別のための記号)。「いなむ」ことや、「いや」の副詞{否 /*pəʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%A6)、
と、形声文字とするものもあるが、
会意形声。口と、不(フ)(否定する)とから成り、口で否定する意を表す(角川新字源)、会意兼形声文字です(不+口)。「花のめしべの子房」の象形(「しない」の意味)と「口」の象形から、「言葉で否定する」、「いいえ」、「そうではない」を意味する「否」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1019.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、
会意。不+口。口はꇴ(さい)、祝詞を収める器の形。その上を蓋うことによってこれを拒否し、妨げる意をあらわす。〔説文〕二上に「不(しか)らざるなり。口に從ひ、不に從ふ」とし、口を口舌の形と解する。金文の〔毛公鼎〕に「上下の否」という語があり、上下神の諾否、すなわち神意を意味する。(若)は巫女が舞い祈る形で、神が応諾することをも若といった。また否には別に不・丕(ひ)・否・咅(ほう)という系列に属するものがあり、不は萼不(がくふ)、その花蔕(かたい)が成熟する過程を丕・否・咅といい、実のはじけ割れることを剖判(ほうはん)という。金文に「不不+不(ひひ)」というほめことばがあり、字はまた「不否+否(ひひ)」に作る。諾否・否定の否と、不・丕系列の字と、もと別系であろうが、いま否にその両義がある(字通)、
と、会意文字とするものに分かれる。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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去年(こぞ)の春いこじて植ゑし我がやどの若木(わかき)の梅は花咲きにけり(安倍広庭)
の、
いこず、
は、
掘り起して、
の意で、
イは接頭語、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いこず、
は、
い掘ず、
とあて、
い、
は、
接頭語(辞)で、
根こそぎ掘り抜く、
意だが、
連用形の用例しかないので、活用は上二段か四段か不明だが、ザ行上二段か(精選版日本国語大辞典)
連用形の用例のみで、上二段とするのは推定(広辞苑)、
活用の種類は不明(岩波古語辞典)、
とあり、『大言海』は、
則ち磯津(しつ)の山の賢木(さかき)を抜(ネコシと)り(日本書紀)、
の、
根掘(ねこ)ず、
の、
木を根のついたまま掘り取る、
意と同義とする。これも、
用例は連用形だけで、活用は上二段か四段か不明(精選版日本国語大辞典)、
活用は上に弾呵四段か不明(岩波古語辞典)、
とされる。この、
ねこず、
の意をメタファに、
この頃はねこじたるいりほが多く侍る(鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)抄)、
と、
深く突っ込んでほじくり返す、
つまり、
穿鑿する、
意でも使う(岩波古語辞典)。
天離(さか)る鄙(ひな)つ女(め)の以(イ)渡らす迫門(せと)石川片淵(いしかはかたふち)に網張り渡し(日本書紀)、
の、
い、
は、
主として動詞に冠し、語調を整え、意味を強める、
とある(広辞苑)が、
「い隠る」「い通ふ」「い寄る」「い渡る」「い漕ぐ」「い隠る」「い行く」「い及(し)く」「い這ふ」
等々の用例は、
奈良時代の例から推しても、すでに意味不明、
とある(岩波古語辞典)。
い掘ず(いこず)、
の、
こ(掘)ず、
は、
天の香山の五百津真賢木を根こじに許士(コジ)て(古事記)、
と、
根の付いたまま引き抜く、
根こぎにする、
意だが、やはり、
用例は連用形だけで、活用は上二段か四段か不明、
とある(精選版日本国語大辞典)。
「掘」(漢音クツ、呉音ゴチ)は、
会意兼形声。屈は「尸(しり→うしろ)+出」からなり、後ろに出ること。つまりくぼむ意を示す会意文字。掘は「手+音符屈」で、穴をあけてくぼみをつくること、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(扌(手)+屈)。「5本の指のある手」の象形と「獣のしりが変形したものと毛のはえている象形とくぼみの象形が変形したもの」(くぼみに尾をいれるさまを表し、「かがめる」の意味)から、腰をかがめて穴を「ほる」を意味する「掘」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1193.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、すべて、
形声。「手」+音符「屈 /*KUT/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8E%98)、
形声。手と、音符屈(クツ)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は屈(くつ)。屈は獣尾を屈する形。その匿(かく)れ棲むところを窟といい、土を掘り崩して窟とすることを掘という。〔説文〕十二上に「搰(うが)つなり」、〔爾雅、釈詁〕に「穿つなり」とみえる。穿とは、獣牙を以て掘ることをいう(字通)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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山吹の咲きたる野辺(のへ)のつほすみれこの春の雨に盛(さか)りなりけり(高田女王)
の、
つほすみれ、
は、
花の形が壺に似るためにいうか、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ツボスミレ、
は、
坪菫、
菫菜、
壺菫、
とあて、上代は、
つほすみれ、
後世、
つぼずみれ、
と濁音化した(精選版日本国語大辞典)。
スミレ科の多年草、
タチツボスミレ(立壺菫)、
のこと(精選版日本国語大辞典)も言うらしいが、正確には、後述するように、
タチツボスミレ、
と、
ツボスミレ、
は別である。
ツボスミレ、
は、
コマノツメ、
ニョイスミレ(如意菫)、
という別名をもつ(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)が、正確には、
ツボスミレ、
と、
コマノツメ、
は、また別である。
菫と云ふに同じ、
とある(大言海)ので、
スミレ、
の代名詞になっている。
ニョイスミレ(如意菫)、
の名は、
柱頭の形が僧侶のもつ如意に似ている、
からで、これは、
ツボスミレの名が別種のタチツボスミレの別名でもあることから混同を避けるためである、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。
ツボスミレ、
は、
コマノツメあるいはスミレを花の形からよんだももの
とある(岩波古語辞典)ので、スミレの代表として呼ばれているような気がする。
ツボスミレ、
は、
壺墨入(ツボスミレ)の義、花の形、つぼやかなる木匠の墨斗(すみつぼ)の墨芯(竹+心 すみさし)に似たれば云ふと(大言海)、
とあり、その形から名がついたようだ。
スミレ科の多年草。各地のやや湿った山野に生える。根茎は短く、地上茎は高さ一〇〜二〇センチメートルで、斜上するか這う。根出葉には長柄があり、葉身はほぼ腎臓状円形。茎葉には毛がなく、卵状心臓形で縁に低鋸歯がある。托葉は長楕円形で小さく一対ある。春、葉腋から長柄を出し、袋状の短い距(きょ)をもち、白地に紫色の筋のはいった花が咲く。果実は刮ハで長楕円形、毛がない。漢名、菫菜、
とある(精選版日本国語大辞典)。別名、
にょいすみれ(如意菫)、
だが、形態の変異に富み、いくつかの変種がある。
葉身が半月形になる型があり、そのなかで大きくて茎が立つものを変種アギスミレといい、主として東北地方に分布し、小形で茎が横にはい、節から根が出るものを変種ヒメアギスミレという。さらに小形で葉の幅が普通は約5ミリメートルの変種が屋久島(やくしま)にあり、コケスミレという、
とある(日本大百科全書)。なお、
つぼすみれ、
にも、
襲(かさね)の色目、
にその名があり、
表は紫、裏は薄青。春に着用する、
とある(精選版日本国語大辞典)。
キバナノコマノツメ(黄花の駒の爪)、
は、
スミレ科スミレ属の多年生植物。和名にスミレが付かない、数少ないスミレの種である。和名の由来は、
黄色の花で葉の形状が馬の蹄(駒の爪)に似ている、
ことによる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%84%E3%83%A1)。
北極を中心とする環状に分布、北半球冷温帯の広範囲に広がる。日本国内では、北海道、本州の中部以北、四国山地、屋久島の亜高山帯から高山帯の湿った草地や沢沿いの林縁などに生育する。高さは5-20
cm程、高山帯では10 cm程のものが多い。花期は6-8月。直径1.5-2
cmの花弁は黄色の花を一つ付ける。唇弁は大きく褐紫色の筋が入り、上弁と側弁がそり返る。花柱はY字形で無毛。葉は2-4
cmの腎円形ないし腎心形で、柔らかく短毛があり光沢が無い。縁は波状の鋸葉である、
とある(仝上)。
タチツボスミレ(立坪菫)、
は、
スミレ科の多年草。各地の山野に普通に生える。茎は斜上、数本が根葉とともに束生。花時には短いが花後伸びて、三〇センチメートルまでに達する。根葉は長柄をもち心形で縁に浅い鋸歯(きょし)がある。托葉は広披針形、縁は細い裂片に深裂。春、長い花梗の先に淡紫色の花を横向きにつける。夏、茎上部の葉腋から閉鎖花を次々と出し、刮ハを結ぶ。日本では最も一般的なスミレ、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
つぼすみれ、
やぶすみれ(藪菫)、
の別名をもつ(仝上)。各地で変異が非常に多く、茎や花に毛の多いケタチツボスミレ、枝が走出枝状になって伸びるツルタチツボスミレなど変種や品種が多く認められている。変種コタチツボスミレは葉の長さと幅が約1センチメートル、近縁のニオイタチツボスミレは、花は紅紫色でかおりがある、
とされる(ブリタニカ国際大百科事典・マイペディア)。
スミレは日本に約60種が自生し、その変種も多く存在します。スミレを見分けるポイントは、
@有茎種(地上茎が伸び、花の下に葉が互生する) タチツボスミレ・ツボスミレなど、
A無茎種(葉や花茎が、地上に別々に出ているように見える) ヒナスミレ・サクラスミレ・エイザンスミレなど、
とある(https://uk-club.jp/revision/plantsAnimals/fl_violet.html)。詳細は、スミレ科(http://plantidentifier.ec-net.jp/ss_sumire-index.html)に詳しい。
なお、
ツボスミレ、
と
タチツボスミレ、
は、それぞれ、
タチツボスミレ 葉は心形で基部は深く湾入し、托葉は櫛の歯状に深裂し、花は淡紫色が多く、距は細長い。地上茎:有、花色:淡紫色、葉:心形、距:細く上向き、托葉:櫛状、花柱:棒状、
ツボスミレ 葉は偏心形で裏面は紫色を帯び、托葉は披針形で、
小さくて白い唇形の花をつけ、紫色の筋があり、距は短くて丸い地上茎:有、花色:白、葉:偏心形、距:半球、托葉:披針形、花柱:頭状、
という違いがある(http://plantidentifier.ec-net.jp/ss_sumire-index.html)。
「菫」(@漢音キン・呉音コン、A漢音キン、呉音キセン)は、
会意兼形声。「艸+音符僅(キン 小さい)の略体」で、小さい野菜のこと、
とある(漢字源)。なお、野草の「すみれ」、木の名「むくげ」、「菫菜(きんさい)」(セロリ)は@の音、「とりかぶと」の意の場合はAの音、となる(仝上)。他は、すべて、
形声。艸と、音符堇(キン)(は省略形)とから成る(角川新字源)、
形声文字です(艸+堇)。「並び生えた草」の象形と「腰に玉を帯びた人(腰に帯びた玉の色から黄色の意味)と土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「黄色の粘土」の意味だが、ここでは「僅(キン)」に通じ(同じ読みを持つ「僅」と同じ意味を持つようになって)、「小さい」の意味)から、小さい草「すみれ」を意味する「菫」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2688.html)、
形声。声符は堇(きん)。〔説文〕一下に「艸なり。根は薺(なづな)の如く、葉細柳の如し。蒸して之れを食らへば甘し」という。〔広雅、釈草〕に「藋(そくず)なり」とし、〔詩、大雅、緜〕「菫荼(きんと)飴の如し」の菫は、とりかぶとをいう(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひにおのがあたりを人に知れつつ(大伴家持)
の、
きぎし、
は、
きじ、
である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
きぎし、
は、
雉、
雉子、
とあて、
きじの古名、
とあり(広辞苑)、
きぎす、
ともいう(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。和名類聚抄(931〜38年)には、
雉、野なり、木木須、一云、木之(歧々須(きぎす)、一に云ふ、歧之(きじ))、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
雉、キギス・キジ・タフル、
とある。古くは、万葉集では、
あしひきの八(や)つ峰(を)の雉(きぎし)鳴き響(とよ)む朝明(あさけ)の霞見ればかなしも、
杉(すぎ)の野にさ躍(をど)る雉(きぎし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(つま)かも、
などと、
きぎし、
と呼ばれていたが、それが、
ききず、
に転じた。ただ、
「きぎし」から「きぎす」に移行した時期は不明、
とある(日本語源大辞典)。
きぎし、
の由来は、
鳴き声による名か(岩波古語辞典)、
キギは鳴く聲。キキン、今はケンケンと云ふ、シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ)、エビス)、今は約めてキジとなる(大言海)、
きんきんと鳴くところから(嚶々筆語)、
などとあり、
きぎし、
の、
し、
が転訛した、
す、
の由来は、何度も触れたことだが、
ウグイス、
カラス、
ホトトギス、
等々で触れたように、接尾語、
ス、
は、
カケス、キギス、ウグイス、ホトトギス、
等々鳥の名を表し、
ウグイス、
が、
ウクイ(うーぐい)という鳴く聲、スは鳥の接尾語、
カラス、
が、
鳴き声「ころ」「から」+ス、
ホトトギス、
が、
「ホトホト」という鳴き声+「ス」、
と、同系と見ることができるので、
きぎす、
は、
キギ(金属的な鳴声)+ス(鳥の意味の接尾語)、
とみることができる(日本語源広辞典)。
キジ、
で触れたように、これが、
キギシ→キギス→キジ、
と転訛していく。「古今六帖(古今和歌六帖)」(976〜987年)頃)では、すでに、
「きじ」が項目名となっている、
とある(日本語源大辞典)。いまは、
ケン・ケーン、
と聞くが、かつては、
キキン、
キンキン、
と聞えたということだろう。江戸時代中頃から、キジの雄鶏の鳴き声を、
けんけん、
と写すようになった(擬音語・擬態語辞典)とある。
「雉」(漢音チ、呉音ジ)は、
会意兼形声。「隹+音符矢(シ・チ)」で、まっすぐ矢のように飛ぶ鳥の意。転じて、まっすぐな直線をはかる単位に用いる(一雉は、高さ一丈、長さ三尺)、
とある(漢字源)が、他は、
形声。「隹」+音符「矢 /*LI/」。「きじ」を意味する漢語{雉 /*l(r)iʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%89)、
形声。声符は矢(し)。矢に彘(てい)の声がある。〔説文〕四上に「雉に十四種有り」として各地の名をあげ、中に「東方を甾(し)と曰ふ。北方を稀と曰ふ」など、東西南北の雉の異名をあげている。卜辞にみえる四方風神が、すべて鳥形とされる神話と関係があり、鷫(しゆく)字条にもその類の記載がある。〔周礼、秋官、雉氏〕は草を殺すことを掌る。おそらく薙(ち)の意であろう。雉を陳列の意に用いるのは矢陳、また城郭の長さを雉を単位として数えるのは、堵・墀(ち)と同系の語として用いるものであろう。〔説文〕に収める重文の字形は、弟に従うものとされているが、卜文に矢に繳(いぐるみ)を加えた形のものがあり、その譌形であろうかと思われる(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む(大伴家持)
の、
なでしこ、
は、
撫でし子の意を強く匂わす、
とあり、
なそへ、
の、
なそふ、
は、
なぞらえる、
の意、
花そのものを(坂上)大嬢(家持正妻)として見る意、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いつしかも、
は、
早く咲いてほしいという願望、
で、
大嬢の成長への期待、
が含意としてある(仝上)とし、
いつになったら花として咲き出るのであろうか、
と訳す(仝上)。また、
いつしかもこの夜の明けむうぐいすの木伝(こづた)い散らす梅の花みむ(万葉集)
では、
明けむ、
の、
「む」と呼応して、……したい、……してほしいの意を表す、
とあり(仝上)、
いつになったら、この夜はあけるのだろうか、
と訳す(仝上)。
いつしかも、
は、
何時しかも、
とあて、
副詞「いつしか」に、係助詞「も」のついたもの、
で(精選版日本国語大辞典)、下に、
願望の表現を伴って、
伊都之可母(イツシカモ)見むと思ひし安波島(あはしま)をよそにや恋ひむ行くよしをなみ(万葉集)、
いつしかも人々しくなり、おもだたしきめをも見給へと(宇津保物語)、
早く(……したい)、
今すぐにも(……したい)、
意となる(学研全訳古語辞典)。
いつしか、
は、
何時しか、
とあて、
「し」は強めの助詞、「か」は疑問の助詞(広辞苑)、
シは強意の助詞(岩波古語辞典)、
代名詞「いつ」に、強めの副助詞「し」、疑問の係助詞「か」の付いたもの(デジタル大辞泉)、
代名詞「いつ」に、間投助詞「し」および係助詞「か」が付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
何時(いつ)し歟(か)の意。シは強く指す意の辞(大言海)、
などとある副詞で、
いつしかと待つらむ妹(いも)に玉梓(たまづさ)の言(こと)だに告(つ)げず去(い)にし君かも(万葉集)、
と、「いつしかと」の形で用いることが多く、
「いつ…する(できる)だろうか」という気持から、ある物事の実現を待ち望む気持、
を表わし、
いつかいつかと、
すぐにでも、
早く、
の意や、
いつしか雛(ひいな)をしすゑて、そそきゐたまへる(源氏物語)、
おもふよりいつしかぬるるたもとかな涙ぞ恋のしるべなりける(千載和歌集)、
と、
ある物事が気づかないうちに、または予想以上に早く実現したさま、時の経過の不明なこと、
を表わし、
いつのまにか、
早くも、
の意や、
いつしかまゐりつる神のやしろも、今年は(喪中で)かなはぬことなれば(「問はず語り」(鎌倉後期))、
と、
過去および未来の事がらに関して、その事のあった、または、ある時が特定できないこと、
を表わし、
いつであったか、
そのうちいつか、
の意や、さらに近世になると、
それを両方から、あからさまにいふてゐましては、いつしか話しになるためしはござりませぬよって(咄本「諺臍の宿替」(19C中))、
と、下に打消を伴って、
いつまでたっても、
いつになっても、
という意で使うに至る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
何時しかも、
の、
かも、
は、さまざまの用例があり、その解釈には、種々あるが、
御諸(みもろ)の厳白檮(いつかし)が本(もと)白檮(かし)が本(もと)忌々(ゆゆ)しき加母(カモ)白檮原
(かしはら)嬢子(をとめ)(古事記)
天の原ふりさけ見れば春日(かすが)なるみかさの山に出でし月かも(古今和歌集)、
と、
詠嘆を表わし、
疑問の「か」に詠嘆の「も」を添えたもの(広辞苑)、
名詞、活用語の連体形、まれに形容詞シク活用の終止形に付く(デジタル大辞泉)、
係助詞の「か」と「も」が重なったもの(精選版日本国語大辞典)、
「か」の下に「も」を添えた助詞、複合係助詞および終助詞、疑問視を承ける。従って体言または活用語の連体形を承ける(岩波古語辞典)、
とあるが、
連語「かも」の文末用法より転じたもの。「か」を終助詞、「も」を終助詞あるいは間投助詞とする説もある、
とあり(デジタル大辞泉)、
連語「かも」、
は、
係助詞「か」+係助詞「も」、
で、上代、
あしひきの山かも高き巻向(まきむく)の岸の小松にみ雪降り来る(万葉集)、
と、種々の語に付き、「かも」がかかる文末の活用語は連体形をとり、
感動を込めた疑問、
の意を表し、
……かなあ、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。
かも、
は、中古以降、おおむね、
かな、
に代わる(デジタル大辞泉)。また、
朝ごとにわが見る屋戸(やど)の瞿麦(なでしこ)の花にも君はありこせぬ香裳(かも)(万葉集)、
と、
ぬかも、
の形で、願望を表わすが、
「ぬ」と「か」との複合が願望を表すことを承けたもので、「ぬか」に「も」が加わった形である、
とあり(岩波古語辞典)、
ぬかも、
で触れたように、
ぬかも、
は、上代語で、
連語「ぬか」+終助詞「も」、
で、
…くれないかなあ、
…てほしいなあ、
と願望をあらわす(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。連語、
ぬか、
は、
打消しの助動詞ズの連体形ヌに疑問の助詞カのついたもの、
で、
……ないものかなあ、
……ほしい、
と、
願望の意を表す、
とある(岩波古語辞典)。で、
ぬかも、
は、
打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」+詠嘆の終助詞「かも」、
で、
否定的な事態の詠嘆、
を表わし、
………ないなあ、
……ないことよ、
と、
詠嘆の意を表し、
……くれないかなあ、
……ないものかなあ、
……てほしいなあ、
……ないなあ、
といった意となり、
ぬか、
よりも強い願望の意を表す、
とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。しかし、
ぬかも、
は、
ぬか‐も、
とみると、
吉野川行く瀬のはやみしましくも淀むことなくありこせ濃香問(ヌカモ)、
は、
願望の終助詞「ぬか」に詠嘆の助詞「も」の付いたもの、
とみなし、
先行する助詞「も」と呼応して、ある事態の生ずることを願う意、
を表わし、
………てでもくれないかなあ、
………であってほしい、
という意になり、
ぬ‐かも、
と見なすと、
さ寝床もあたは怒介茂(ヌカモ)よ浜つ千鳥よ(日本書紀)
あをによし奈良の都にたなびける天(あま)の白雲見れど飽かぬかも(万葉集)
と、
打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」に係助詞「か」、詠嘆の助詞「も」の付いたもの、
として、
否定的な事態の詠嘆を表わす、
……ないなあ、
……ないことよ、
という意になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)として、
ぬか‐も、
と
ぬ‐かも、
を別項を立てている。前者は、
……であってほしい、
となり、後者は、
……ないなあ、
となり、前者が、「ない」から、
……ほしい、
という願望なのに対して、後者は、
……ないなあ、
と、
「ない」ことを詠嘆する、
意になる。なお、
も、
は、係助詞として、種々の語につくが、ここでは、
活用語の終止形(係結びでは結びの形)、ク語法について、詠嘆の意を表す、体言には「かも」「はも」などの形で用いる。なお「かも」は平安時代には「かな」に代わる(広辞苑)、
用法が該当し、
沖つ鳥胸(むな)見る時羽叩(はたた)ぎ母(モ)これはふさはず(古事記)、
と、
主題を詠嘆的に提示する、
が、
「も」möは推量の助動詞「む」muと子音mを共有している。möが不確定なこととして提示するのに対して、muも不確実なことについての推量判断を表わすので、両者はm音を共有する点で意味上も起源的な関係をもつものと推測することができる、
ともある(岩波古語辞典)。ちなみに、
いつしかもこの夜の明けむうぐいすの木伝(こづた)い散らす梅の花みむ(万葉集)
の、
明けむ、
の、
む、
は、
(ま)|○|む(ん)|む(ん)|め|○、活用語の未然形に付く(デジタル大辞泉)、
活用は「ま・◯・む・む・め・◯」。四段型活用(精選版日本国語大辞典)、
とあるが、
動詞・助動詞の未然形を承ける語で。む・む・め、と活用する。「ま」という活用語があるように見えるが、それは、「行かまく」「見まく」など、「まく」の形の場合であり、これはいわゆるク語法(用言の語尾に「く」を伴って名詞化する文法。)による語形変化で、未然形ではない(岩波古語辞典)、
未然形「ま」は、上代のいわゆるク語法の「まく」の形に現われるものだけである(精選版日本国語大辞典)、
とある、
推量の助動詞、
で、
現実に存在しない事態に対する不確実な予測、
を表わす(精選版日本国語大辞典)が、
一人称の動作につけば、
秋風の寒きこのころ下に着む妹が形見とかつも偲はむ(万葉集)、
と、
……(し)よう、
……(し)たいね
……するつもりだ、
と話し手の意志や希望を表し(仝上・岩波古語辞典)、
二人称の動作につけば、
い及(し)けい及(し)け 吾(あ)が愛(は)し妻にい及(し)き逢(あ)は牟(ム)かも(古事記)
などかくはいそぎ給ふ。花を見てこそ帰り給はめ(宇津保物語)、
と、
……してくれ、
……してもらいたい、
と、
相手や他人の行為を勧誘し、期待する意を表わす。遠まわしの命令の意ともなる。また、
三人称の動作につけば、
推量の意、
を表わし(仝上)、たとえば、
山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき)項傾(うなかぶ)し汝が泣かさ麻(マ)く朝雨の霧に立た牟(ム)ぞ(古事記)、
端にこそたつべけれ。おくのうしろめたからんよ(枕草子)、
と、目前にないこと、まだ実現していないことについて想像し、予想する意を表わし、
…だろう、
の意、
かくの如名に負は牟(ム)とそらみつ大和の国を蜻蛉(あきづ)島とふ(古事記)、
をとここと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて(伊勢物語)、
と、原因や事情などを推測する場合に用い、
……だろう、
……なのであろう、
の意、
命(いのち)の全(また)け牟(ム)人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉を髻華(うず)にさせその子(古事記)、
大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして(徒然草)、
と、
(連体法に立って)断定を婉曲にし、仮定であること、直接経験でないことを表わし、
……であるような、
……といわれる、
……らしい、
の意で使う(仝上)。この、
む、
は、古くは、
ム、
と発音されたが、平安時代中期には、muの発音が m となり、さらに n に変わったので、
ん、
に転じ、また m は ũ から u に転じて、鎌倉時代には、
う、
を生み、やがて u の発音は前の語の末の母音と同化して長音化するようになった(仝上)。
mu→m→n→u、
と転訛し、今日の、
う、
に続いている(仝上)。
「何」(漢音カ、呉音ガ)は、「何せむに」で触れたように、
象形。人が肩に荷を担ぐさまを描いたもので、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通、一喝するの喝と同系の言葉に当て、のどをかすらせてあっとどなって、いく人を押し止めるの意に用いる。「誰何(スイカ)する」という用例が原義に近い。転じて、広く相手に尋問する意になった、
とあり(漢字源)、同じく、
象形。戈を担いだ人を象る。「になう」「かつぐ」を意味する漢語{荷 /*ɡˤajʔ/}を表す字。のち仮借して疑問詞の{何
/*ɡˤaj/}に用いる。のち疑問を表す符号として振り返る頭を加えて「⿰旡丂」の字形となり、羨符「口」を加えて「𣄰」の字形となり、筆画中の「旡」が「人」に、「可」が音符「可
/*KAJ/」に訛変し「何」の字形となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95)、
象形文字です。「人が肩に物を持って運ぶ象形」から「になう」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「なに」を意味する「何」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji276.html)、
と、象形文字とするものもあるが、
形声。人と、音符可(カ)とから成る。背に荷物を負う意を表す。もと、「荷(カ)(になう)」の原字。借りて、疑問詞「なに」の意に用いる(角川新字源)、
形声。声符は可(か)。〔説文〕八上に「擔(にな)ふなり」とあり、荷担する意。〔詩、商頌、玄鳥〕「百祿を是れ何(にな)ふ」、〔詩、商頌、長発〕「天の休(たまもの)を何(にな)ふ」とあり、古くは何をその義に用いた。卜文の字形は戈(ほこ)を荷(にな)うて呵する形に作り、呵・荷の初文。金文に旡+可に作る形があり、顧みて誰何(すいか)する形。のち、両字が混じてひとつとなったものであろう(字通)
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)が原のつほすみれ今盛(さか)りなり我(あ)が恋ふらくは(大伴の田村の家の大嬢)
の、
茅花(つばな)
は、
茅萱の花、
で、
抜いて食用とした、
とあり、
上三句は序。「今盛りなり」を起す、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。なお、上代、
つほすみれ、
後世、
つぼずみれ、
といった、
つほすみれ、
については触れた。
つばな、
は、
ちばな(茅花)の転、
である(大言海)が、
ツ、
は、
チ(茅)の古形、
ともある(岩波古語辞典)ように、
つばな、
は、
ちばな(茅花)、
で、
チガヤの花穂、
をいう(精選版日本国語大辞典)。万葉集に、春の蕾の時は、
戯奴(わけ)がため吾が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥えませ(紀女郎)、
とあるように、甘みがあって食べられる(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/tigaya.html・岩波古語辞典)。その後、白い綿毛の密集する長い穂になるが、のちに、
茅(ず)の称、
となる(大言海)のは、
茅針
とあてて、
つばな、
と訓ませ、
チガヤの別称、
とされるからである(動植物名よみかた辞典)。
つばら、
で触れたように、
浅茅原(あさぢはら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも(帥大伴卿)、
の、
浅茅原(あさぢはら)、
は、
つばらつばらの枕詞、
で(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
「茅」は古く「つ」ともいったところから「つはら(茅原)」と類音の「つばらつばら」にかかる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
浅茅焼、
で触れたが、
野山や道端に生えるイネ科の多年草で、丈の低いのを、
アサヂ、
大きくなったのを、
チガヤ、
という(岩波古語辞典)。
浅は、低しの意、
とある(大言海)。
深しの対、
とあり(岩波古語辞典)、
アス(褪)と同根。深さが少ない、薄い、低いの意、
とある(岩波古語辞典)。
チガヤ、
の、
カヤ、
は、
屋根などを葺く箆に使う草、
の意である(岩波古語辞典)。
浅茅生、
で触れたように、新撰字鏡(平安前期)に、
茅、知(ち)、
和名類聚抄(931〜38年)に、
茅、智(ち)、
とある。
茅(ちがや)、
の古名は、
茅(ち)、
で、和名類聚抄(931〜38年)には、
茅、智、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)には、
茅根、知之禰、
天治字鏡(平安中期)には、
茅、知、
とある、和名、
ちがや、
は、
チ(茅)カヤ(草)の義、チ(茅)は千の義。叢生するより云ふか(大言海)、
チヒガヤ(小萱)の義(日本語原学=林甕臣)、
根が赤いところから、チカヤ(血茅)の義(柴門和語類集)、
等々とあるが、
ちがや、
の、
ち(茅)、
は、
数多く集まって生えるところから、チ(千)の義(大言海・言葉の根しらべ=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)、
とあるところから、
ちがや、
も、
「チ」は千を表し、多く群がって生える様子から、千なる茅(カヤ)の意味(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4)、
千(ち)の義にて、叢生するより云ふかと云ふ(大言海・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)、
チ(千・群生)+カヤ(茅・萱・スゲ・ススキの相称)。群がって生えるカヤ(日本語源広辞典)、
「千(チ)」のカヤの意で、叢生するさまから(精選版日本国語大辞典)、
名付けられたというのが妥当なのだろう。
浅茅生、
浅茅焼、
で触れたように、
ちがや、
は、
茅、
茅萱、
白茅、
千萱、
とあてるイネ科の多年草、
各地の草地や荒地に群生する。高さ約六〇センチメートル。葉は線形で先がとがる。晩春、葉に先だって白い絹状毛を密生した長さ一〇〜二〇センチメートルの円柱形の花穂を出す、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4・精選版日本国語大辞典)。この花穂、
つばな、
ちばな、
は、古くは火口(ほくち)に用い、穂は、完熟する前に採取して日干ししたものを、
茅花(ちばな)、
と通称していて、花穂の絹糸状の毛を切り傷などの患部につけて止血に役立てられる(仝上)とある。漢名は、
白茅、
である(仝上)。
ちがや、
は、
小児、好みて食ふ、
とある(大言海)のは、
ちがや、
が、
分類学的にサトウキビとも近縁で、根茎や茎などの植物体に糖分を蓄える性質がある。外に顔を出す前の若い穂はツバナといって、噛むとかすかな甘みがあって、昔は野で遊ぶ子供たちがおやつ代わりに噛んでいた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AC%E3%83%A4)ところからだろう。また、晩秋、
地上部が枯れてから、細根と節についていた鱗片葉を除いた根茎を掘り起こして、日干しまたは陰干したものは茅根(ぼうこん)と呼ばれる生薬で、利尿、消炎、浄血、止血に効用がある薬草として使われる、
とある(仝上)。漢方では、
根茎を利尿目的で処方に配剤したり、花穂は止血の効力があるとして、外傷の止血剤に用いている、
ともある(仝上)。
ちがや、
に、
血茅、
の字をあてる(日本大百科全書)のはそうしたことからかもしれない。
茅、
を、
かや、
と訓ませると、
萱、
とも当て、
チガヤ・ススキ・スゲ等々、屋根を葺く箆に用いる草本の総称、
を言う(広辞苑)。これは、
「茅」は、「ち」で、「ちがや」をさすが、「ちがや」は、屋根を葺く草の代表的なものなので、「かや」に当てられた、
とある(日本語源大辞典)。ただ、
萱、
の字は、本来、
ユリ科の植物カンゾウ(萱草)、一名ワスレグサで、「かや」の意に用いるのは誤り、
とある(仝上)。
倭名抄、名義抄などの「かや」には「萓」を当てており、字形がにているため後世誤ったもの、
ともある(仝上)。
かや、
は、
茅、
萱、
とあて、
屋根を葺(ふ)くのに用いるイネ科、カヤツリグサ科の大形草本の総称、
をいい、主として、
ススキ、チガヤ、スゲなどが用いられ、
茅根、
茅草、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。だから、
かや、
は、また、
すすき(薄)の異名、
ともされる(仝上)が、
ちがや、
も、
屋根をふく草の代表的なもの、
なので、「かや」にあてられた(仝上)ようである。
「茅」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、「浅茅生」で触れたが、
会意兼形声。「艸+音符矛(ボウ 先の細いほこ)」
であり、尖った葉が垂直に立っている様子から、矛に見立てたものであり、「ちがや」「かや」の意である、
とあり(漢字源)、同じく、
会意兼形声文字です(艸+矛)。「並び生えた草」の象形と「長い柄の頭に鋭い刃をつけた武器」の象形(「矛」の意味)から、矛のように突き出た草「かや」を意味する「茅」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2682.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。艸と、音符矛(ボウ)→(バウ)とから成る。「かや」の意を表す(角川新字源)、
形声。声符は矛(ぼう)。〔説文〕一下に「菅なり」、次条の菅に「茅なり」とあって互訓。〔左伝、僖四年〕「爾(なんぢ)の貢する苞茅(はうばう)入らず、以て酒を縮(した)む無し」とあり、祭祀の酒をこすのに用いた。〔周礼、天官、甸師〕はその蕭茅を供することを掌る。また〔詩、召南、野有死麕(やゆうしきん)〕「白茅もて之れを包む」は、犠牲を包むこと、〔詩、豳(ひん)風、七月〕「晝は爾(なんぢ)于(ここ)に茅(かや)かれ」は、屋根を葺くのに用いる(字通)
と、形声文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
心ぐきものにぞありける春霞(はるきかすみ)たなびく時に恋の繁(しげ)きは(大伴坂上郎女)
の、
心ぐし、
は、
心が鬱々として晴れない、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
心ぐし、
は、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
の、
形容詞ク活用、
で、
気分がはっきりしない、
心が晴れずうっとうしい、
心がせつなく苦しい、
といった意味になる(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。前に触れたように、
心ぐし、
に、
心苦し、
とあて、
心ぐるしの略と云ふ(見苦(めぐる)し、めぐし。蝦手(かへるで)、楓(かへで)。帰るさ、かへさ)、
とする説(大言海)もある。しかし、この、
心ぐし、
の、
ぐし、
は、
くさくさ、
くしゃくしゃ、
むしゃくしゃ、
といった、
憂鬱な状態、
心が沈んでふさぎこんでいる状態、
を言い表す擬態語と関係があるのではないかと憶説を立てた。
くしゃくしゃ、
は、
くさくさ、
の音韻変化だが、この、
くさくさ、
は、
憂鬱になる、
意の、
腐る、
を畳語にして強調した語(仝上)とある。
心くし、
は、この、
くさくさ、
の、
腐る、
と通じるのではないか、という気がする、とした。しかし別の可能性もあることに気づいた。
心ぐし、
の、
ぐし、
は、
姫君、例の心細くてくし給へり(源氏物語)、
の、
屈(く)す、
の、連用形で、
心がふさぐ、
気が滅入る、
意ではないか。
くす、
は、
クッシの促音ツを表記しない形(岩波古語辞典・広辞苑)、
「くっす」の促音の無表記(精選版日本国語大辞典)、
クスとなるは、約(つづ)まれるなり(鬱金(うつこん)、うこん。一向(いっかう)、いこう)、くんず、くんじとなるは、その音便なり(蒟蒻(くにやく)、こんにゃく。無(な)くば、なくんば)(大言海)、
とある。
少しうれしと思ふぞ、ここちのくしすぎたるにや(落窪物語)、
と、
心が沈みすぎる、
気持が過度に暗くなる、
意の、
くしすぐ(屈し過ぐ)、
という言い方(自動詞 ガ上二段活用)もあり、また、
ちぎりおきしうづきはいかにほととぎすわがみのうきにかけはなれつつ、いかにしはべらまし、くしいたくこそ、くれにを(蜻蛉日記)、
と、
ひどく気がふさいでいる、
すっかり沈みこんでいる、
意の、
くしいたし(屈し甚し)、
という言い方(形容詞ク活用)もある。この場合も、
「くっしいたし」の促音無表記、
なので、
くんじいたし、
とも訛り、後には、
胸のみふたがりて物なども見入れられず、くつしいたくて文も読までながめ臥し給へるを(源氏物語)、
と、
くっしいたし(屈し甚し)、
とも使う(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。この、
くっしいたし、
の派生語として、形容動詞ナリ活用の、
くしいたげ、
名詞の、
くしいたさ、
もある。この、形容詞ク活用の、
くし、
と考えると、
心ぐし、
は、
意味的にも合致するのではないか。ちなみに、動詞、
屈(く)す、
は、
せ/し/す/する/すれ/せよ、
の、自動詞サ行変格活用で、
あれまくは君をぞ惜しむ菅原や伏見の里のあまたなければ、身こそよそなれとかいふ。おもほしくせざらめ(宇津保物語)、
と、
心を暗くするようなことがあって、気持が沈み込む、
めいる、
気がふさぐ、
意、
少しうれしと思ふぞ、心ちのくし過ぎたるにや(落窪物語)、
と、
不幸、不遇な境涯に、いじけて卑屈になる、
心理的に屈服する、
意、
「何の名ぞ、落窪は」……「人の名にいかにつけたるぞ。論なうくしたる人の名ならん」(落窪物語)、
と、
気分的にのびのびとした感じを受けない、
不景気な感じである、
意で使う(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
「屈」(@漢音クツ・後゛音クチ、A漢音クツ・呉音ゴチ)は、
会意文字。「尸(しり)+出」で、体を曲げてしりをうしろに突き出すことを示す。しりをだせば、体全体はくぼんでまがることから、かがんで小さくなる、の意となる。出を音符と考える説もあるがと従いがたい、
とある(漢字源)。なお、「屈伸」の、「かがむ」「まげる」の意は@の音、「屈強」の、「ずんぐりとごつい」意はAの音、となる(仝上)。同じく、
会意文字です(尸(尾)+出)。「獣のしりが変形したもの」と「毛がはえている」象形と「くぼみの象形が変形したもの」から、くぼみに尾を入れるさまを表し、そこから、「かがむ」、「かがめる」を意味する「屈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1192.html)、
と会意文字とする説もあるが、他は、
形声。「尾」+音符「出 /*KUT/」。「みじかい」を意味する漢語{屈 /*khut/}を表す字。のち仮借して「かがむ」を意味する漢語{屈
/*khut/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%88)、
形声。意符尾(しっぽ。尸は省略形)と、音符出(シユツ)→(クツ)とから成る。短いしっぽ、転じて、くじく意を表す(角川新字源)、
と、形声文字とする説、
象形。尸(し)は獣の上体の形。出の部分は、尾毛を屈している形。金文および篆文の形は、ともに尾の形に従う。〔説文〕八下に「尾無きなり。尾に從ひ、出(しゆつ)聲」とするが、声も合わず、出は屈尾の形である。尾を屈することは屈服の意思表示であるので、屈服・屈従の意となる(字通)、
と、象形文字とする説とに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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闇(やみ)ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出(い)でまさじとや(紀郎女)
の、
うべも来まさじ、
は、
来まさぬもうべならむ、
の意とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
出(い)でまさじとや、
の、
とや、
は、
相手の意中を推測する語法、
とし、
お出ましにならないというのですか、
の意(仝上)となり、
闇(やみ)ならばうべも来まさじ、
を、
闇夜ならばおいでにならないのもごもっともなことです、
と訳す(仝上)。
うべ、
は、
宜、
諾、
とあて、
平安時代以降は「むべ」と表記されることが多い(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
平安時代にmbeと発音されたので、「むべ」と書く例が多い(岩波古語辞典)、
とあり、
あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする(日本語源大辞典)、
承知する意。事情を受け入れ、納得・肯定する意。類義語ゲニは、所説の真実性を現実に照らして見つめる意(岩波古語辞典)、
を表し、
なるほど、
まことに、
道理で、
本当に、
といった意で使う(広辞苑・前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館))。
うべ、
の由来は、
ウは承諾の意のウに同じ。ベはアフ(合)の転か(岩波古語辞典)、
得可(ウベ)の義、肯(うけ)得べき道理(ことわり)の意、為可(すべ 手段)と同趣(大言海)、
ウは語根で、答えるときの間投詞(古事記伝・本朝辞源=宇田甘冥)、
大の意のウを動詞ベシ(可)の語幹ベにのせたもので、大いに然りという意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウヘ(承諾)の義か(和訓栞)、
ウバの転。ウバはもと形容詞のウマンの語幹ウマ(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々あるが、
う、
は、
感動詞、
で、
京のうちに否ともうとも言ひ果てよ人頼めなる事なせられそ(信明集)、
と、
承諾の意を表す声(岩波古語辞典)、
とある(岩波古語辞典)が、
う、
は、
宜(うべ)の語根なり、ムともなり、ウンともなる、ヲの転なり。
ともあり(大言海)、もともとは、
を、
で、
を、
は、
筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛(かな)しき子ろが布(にの)乾(ほ)さるかも(万葉集)
の、
いなをかも、
は、
否乎かも、
とあて、
否と諾の意、
で、
いや違うかな、
いやどうだかな、
などと訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、別に、
いなもをも欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我(われ)も寄りなむ(万葉集)
の、
いなもをも、
は、
否も諾(を)も、
とあて、
否と言っても応と言っても、
と訳す(仝上)。さらに、
を、
は、
諾(ウ)に通ず、
として、
諾、
とあて(デジタル大辞泉)、
心にもいるひの弓は山ならぬ花のあたりにをとぞ答ふる(忠見集)、
近江の君、こなたにを、と召せば、をといとけざやかに聞えて出で来たり(源氏物語)、
と、
諾(うべな)ふ声(大言海)、
(女の)応答・応諾の声(岩波古語辞典)、
人に答えて承諾の意を表わす語(精選版日本国語大辞典)、
の意味ともある。
む、
も、感動詞で、
卑下なる声にて、むといらへて立ちぬ、……もてなしすさまじからぬやうにせよ、と云ひければ、むと申して、さまざまに沙汰し設けたり(宇治拾遺物語)、
と、
応(いら)ふる声、今、うん、と云う(大言海)、
承諾または応答の声(岩波古語辞典)、
とあり、
そうみると、
を(ou)→う(u)→うん、
む(mu)→う(u)→うん、
といった転訛になるのだろうか。なお、
諾、
を、
せ、
と訓ませても、
否(いな)せとも言ひ放(はな)たれず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり(後撰和歌集)、
と、承諾の意を表す応答の語として、
はい、
うん、
の意で使う(デジタル大辞泉)。なお、
「うべ」を重ねて形容詞化した、
うべうべし(宜宜)
は、表記は、
むべむべし、
が普通であったが、
消息文にも、仮名(かんな)といふものを書きまぜず、むべむべしく言ひまはし侍るに(源氏物語)、
と、当然であると思われる状態を表わし、
もっともらしい、
格式ばっている、
しかつめらしい、
意で使い(精選版日本国語大辞典)、
副詞「うべ」に接尾語「な」の付いたものの畳語、
である、
うべなうべな(宜宜)、
は、
宇倍那宇倍那(ウベナウベナ)君待ちがたに我が着(け)せる 襲(おすひ)の裾に月立たなむよ(古事記)、
と、同意肯定する意を強く表わし、
なるほどなるほど、
ほんとにほんとに、
まったくまったく、
の意となる(仝上)。
「宜」(ギ)は、
会意文字。「宀(やね)+多(肉を盛ったさま)」で、肉をたくさん盛って、形よくお供えするさまを示す。転じて、形がよい、適切であるなどの意となる、
とある(漢字源)。同じく、
会意。宀と、且(しよ)(=俎(しよ)。まないた)とから成り、家の中で肉を供えることから、転じて「よろしい」の意を表す(角川新字源)、
会意文字です(宀+且)。「屋根・家屋」の象形と「まないたの上に肉片をのせた」象形から、出陣にあたり、屋内で行われる儀礼にかなった調理を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「よろしい」を意味する「宜」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1366.html)、
会意。宀(べん)+且(そ)。卜文・金文の字形は、且(俎)の上に多(多肉)をおく形で象形。のち廟屋の形である宀に従う。その形は会意。〔説文〕七下に「安んずる所なり。宀の下、一の上に從ふ。多の省聲なり」とするのは、後の字形によって説くもので、もとは俎肉をいう。肉を以て祀ることをいい、卜辞に「己未、義京(軍門の名)に羌三人を宜(ころ)し、十牛を卯(さ)かんか」とあって、宜とは肉を殺(そ)いで俎上に載せ、これを以て祀ることで、その祭儀をいう。のち祖霊に饗し、人を饗する意に用い、金文に「阝+酋+廾宜(そんぎ)」という。〔詩、大雅、鳧鷖〕「尸(こうし)來(ここ)に燕し來(ここ)に宜す」とあるのも同じ。〔詩、鄭風、女曰雞鳴〕「子と之れを宜(さかな)とせん」は燕食の意。神が供薦を受けることを「宜し」といい、適可の意となる(字通)、
と、会意文字としているが、
象形(OC /*ŋ(r)ai/)。小さな台(まな板)に祭祀さいし用の肉(多)が載っている形。肉を俎上そじょうに載せることを意味する語で、のち祭祀に関する語に用いられ、仮借して{宜/*ŋ(r)ai/よろしい}を表す。まな板の下部を除いた輪郭りんかくが「宀」に相当し、まな板の下部と祭祀用の肉(多)が「且」に相当する(「且」の字源とは微妙に異なる)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%9C)
と、象形文字とするものもある。
「諾」(漢音ダク、呉音ナク)は、
形声。若(ジャク)は、それ、その、の意を表す指示詞で、是(これ)や然(それ、その)を返事に用いるように、そうと承認する返事に用いる。諾は「言+音符若」で、やや間をおいて、考えて答えることを表す。言語行為なので言印をつけた、
とある(漢字源)。同じく、
形声。「言」+音符「若 /*NAK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%BE)、
形声。声符は若(じゃく)。若は諾の初文で、のち諾の声義が分岐した。〔説文〕三上に「𧭭(こた)ふるなり」とあり、次条に「𧭭(おう)は言を以て對(こた)ふるなり」とみえる。𧭭は應(応)と同源の字で、心部の應は𧭭と同じく疒+亻+隹(よう)に従う。疒+亻+隹(よう)は䧹の初文。鷹の初文も疒+亻+隹(よう)に従い、疒+亻+隹(よう)は鷹を抱く形。鷹狩りは古く「誓(うけ)ひ狩り」として行われたもので、これによって神意の反応を確かめるものであった。疒+亻+隹(よう)に従う字は、みなその儀礼に関する字である。若は若い巫女が両手をかざし、歌舞してエクスタシーの状態に入り、神意を承ける意。神の応諾するところを諾という。甲骨文に若を諾の意に用いる。応諾はいずれも神意を問い、確かめる行為をいう。〔礼記、玉藻〕に「父命じて呼ぶときは、唯(ゐ)して諾せず」とあり、唯という返事は速やかにして恭、諾は緩やかにして慢。すべて逆らわずに意のままに従うことを「唯々諾々」という(字通)、
も形声文字とする。
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
と、会意兼形声文字説は否定されている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%BE)が、
会意形声。言と、(ジヤク→ダク したがう)とから成る。うけあう、ひきうける意を表す。「若」の後にできた字(角川新字源)、
会意兼形声文字です(言+若)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「髪をふりみだし我を忘れて神意をききとる巫女」の象形(「神意に従う」の意味)から、「言葉でこたえる」、「承知する」を意味する「諾」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1435.html)、
と、会意兼形声文字説をとるものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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戯奴(変して「わけ」といふ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ(紀郎女)
の、
変して、
は、
訓じて、
の意で、
わけ、
と訓ませる、
戯奴、
は、
「若」と同根、
とあり、
下僕などを呼ぶ語。ここは戯れて言ったもの、
とし、
そなたのために、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
我が手もすまに、
は、
「すま」は休む意か、ニは打消、
として、
我が手も休めずに、
と訳し、
茅花(つばな)、
には、
茅花を美人の贈り物とし、女性の思いの表象とする毛詩邶風「静女」の詩に基づく表現と見る説がある、
と注記がある(仝上)。
戯奴、
は、
若と同根か(岩波古語辞典)、
「わけ」は「若(わか)」と同語源で、未熟者、幼稚な者の意が原義かといわれる(精選版日本国語大辞典)、
とあり、用例は、
いずれも諧謔味をもったものである、
とある(精選版日本国語大辞典)が、
若い、
幼い、
の意の、
若、
とのつながりがよく見えない。憶測だが、
若者、
若芽、
若武者、
年若、
若返る、
等々、名詞や動詞と熟合して、若い、幼いの意を加えて、複合名詞や複合動詞などをつくる例よりも、
若輩、
若年、
という言い方にある、
未熟、
の意を含意した、自分を、
謙遜、
卑下、
する言い方、あるいは、相手を、
見下す、
あなどる、
言い方とつながるのではないか。で、
戯奴、
にも、
我が君は和気(ワケ)をば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二(ふた)走るらむ(万葉集)、
と、一人称として、自己を卑下して用いる、
わたくしめ、
の意と、
黒木取り草(かや)も刈りつつ仕(つか)へめど勤(いそ)しき和気(ワケ)と誉めむともあらず(万葉集)、
と、二人称として、目下の相手に対して、ののしって呼びかける表現をとりながら、親しみの情を含ませて用いる、
と、
おまえ、
そち、
という意とがある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
「奴」(漢音ド、呉音ヌ)は、
会意兼形声。「又(て)+音符女」。手で労働する女の奴隷。努と同じで、激しい力仕事をする意から、粘り強い意を含む、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(女+又)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「手」の象形から、捕らえられた女奴隷を意味し、そこから、「奴隷」、「召使い」を意味する「奴」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1166.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「⿰丶又 /*NA/」+「女 /*NA/」。「もつ」「手にとる」「つかまえる」を意味する漢語{拿 /*nraa/}を表す字。のち仮借して「めしつかい」を意味する漢語{奴
/*naa/}に用いる。「⿰丶又」は物を掴む様を象る象形文字で、もと「⿰丶又」が漢語{拿}を表していたが、声符「女」を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B4)、
と、形声文字とするもの、
会意。女と、又(ゆう)(手でつかまえる)とから成り、捕虜となった女、転じて、しもべの意を表す(角川新字源)
会意。女+又(ゆう)。又は手。女子を捕らえて奴婢とする意。〔説文〕十二下に「奴婢、皆古の辠(罪)人(ざいにん)なり」とし、「周禮に曰く、其の奴、男子は辠隷(ざいれい)に入れ、女子は舂藳(しようかう)に入る」と〔周礼、秋官、司氏lの文を引く。舂藳は女囚を属するところ。〔周礼、秋官〕に罪隷百二十人、蛮隷百二十人、閩隷百二十人、夷隷百二十人、貉隷百二十人などがあり、犯罪者のほかはおおむね外蕃である。古くは異族の虜囚などを聖所に属して、使役したものであろう。これらを神の徒隷とすることに、宗教的な意味があったものと思われる(字通)、
と、会意文字とするものに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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ほととぎすいたくな鳴きそ汝(な)が声を五月(さつき)の玉にあへ貫(ぬ)くまでに(藤原夫人)
の、
五月の玉、
は、
五月五日の節句に飾る薬玉、
をいい(伊藤博訳注『新版万葉集』)、薬玉は、
麝香・沈香などを袋に入れ、菖蒲・橘の実などを付け五色の糸を垂らしたもの、
とある(仝上)。
あへ貫くまでに、
の、
あへ、
は、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
と、自動詞ハ行四段活用の、
合ふ
で、
一つになる、
といった意(学研全訳古語辞典)で、
合わせて通すまでは、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
五月の玉、
は、
五月の珠、
とも当て(デジタル大辞泉)、
橘の実、
の意味があり、
緒に貫いて輪とし、鬘(かづら)などにしたもの、
とある(岩波古語辞典・広辞苑)。
橘の実、
だと大きすぎて、ちょっと異和感があるが、これは、
古へ、橘の実の、五月の頃に、大豆の大きさほどになれるが、落ちたるを取り上げて、糸に貫きて輪とし、鬘(かづら)とし、頸に懸けなどして、玩とせしものなるべし、
とある(大言海)。
足玉も手玉(ただま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫(ぬ)ひもあへむかも(万葉集)
とあるような、
上古の頸玉、手玉、足玉の遺風ならむと云ふ、
とあり、賀茂真淵は、
薬玉などにては無し、
と、薬玉説を否定している(『万葉考』)が、一説には、
薬玉、
とする(仝上)。冒頭の歌は、訳注者は、
薬玉、
と取ったようだが、
橘の実、
の意味でも、すんなり意が通るのではないか。
橘、
は、和名類聚抄(931〜38年)に、
橘、太知波奈、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
橘、タチバナ、
とある。
山橘(やまたちばな)、
で触れたが、
たちばな(橘)、
は、ふるく、
たちはな、
ともいい(岩波古語辞典)、
やまとたちばな、
にほんたちばな、
ともいう、
ミカン科の常緑低木、
で、
日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三〜四メートル。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三〜六センチメートルの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯(きょし)がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二〜三センチメートルの偏球形で一一月下旬〜一二月に黄熟する。肉は苦く酸味が強いので生食できない、
とある(精選版日本国語大辞典)。日本では、
実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A)、
葉が常に立って青く、枯れることのない神木とされた(たべもの語源辞典)、
古くから「トキジクノカクノコノミ」と、その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えるから、長寿瑞祥の樹として珍重された(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E8%BF%91%E6%A9%98)、
と、
永遠の繁栄や長寿の象徴とされてきた。ただ、
漢字橘(キツ)は、古へに、タチバナと云ひ、今は、かうじ(こうじ)と云ふ、柑(カン)は、古へ、かうじと云ひ、今はみかん類の総名とす、惑ひ易し、
とある(大言海)。
橘
には、古事記、日本書紀に載る、
タチバナの古伝説、
がある。
垂仁天皇の40年春二月天皇が病気になられて時ならぬ果物を求められたので、田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わした。田道間守は十年を費やして果物を持ち帰ったが、天皇はその前年に崩御されてしまった。田道間守は菅原伏見、山陵(みささぎ)に詣でて帰国が遅れたことを詫び、その果実の半分を陵前に供え、残る半分を食べて、その場を去らず絶食してなくなった、
というものである(たべもの語源辞典)。その持ち帰った果物は、
非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)、
非時香木実(時じくの香の木の実)、
と呼ばれる、
不老不死の力を持った霊薬、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A)、古事記は、
其の登岐士玖能(ときじくの)迦玖能(かくの)木の実は、是れ今の橘(たちはな)ぞ、
と、
非時香菓、
を
是今橘也(これ今の橘なり)、
とし、この由来から京都御所紫宸殿では、
右近橘(うこんのたちばな)、左近桜、
として橘が植えられている(仝上・精選版日本国語大辞典)。ただし、それが、現在のタチバナと同じがどうかは不明で、
柑子(こうじ)・小蜜柑、あるいは橙(だいだい)、
ともいわれる(たべもの語源辞典)。
右近橘、
も、
シュウミカンやコウジに類する、
とある(精選版日本国語大辞典)。
こんな由来から、
橘、
は、
タヂマモリ(田道間守)が常世から求めてきた花であるところから、タチマバナ(田道間花)の約轉か(大言海・古事記伝・和訓集説・本朝辞源=宇田甘冥・音幻論=幸田露伴)、
タチハナ(田道花)の義(言元梯・名言通・和訓栞)、
立花の義(俚言集覧)、
厳寒の中に立って色象を発するところからタチハナの義(柴門和語類集)、
民家にはない花であるところからタチノハナ(館花)の義か、また針があるところからカラタチノノハナの義か、カラタチは柑類の総称(和句解)、
香の高く立つ花であるところから(本朝辞源=宇田甘冥・日本語源広辞典)、
葉が常に立ち青み、枯れることのない神木であるところから(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
タマツリハナナカ(玉釣花中)の転訛(たべもの語源辞典)、
等々諸説あるが、どれとも定めがたい。なお、タチバナの花については、ホトトギスと取り合わせ、その芳香を愛で、蘰(かづら)にするなど詠み、
五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今和歌集)、
の歌以後、橘は懐旧の情、特に昔の恋人への心情と結び付けて詠まれることになる、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A)、タチバナの実は、平安時代の物語などでは、
酒肴(伊勢物語)、
病人食(宇津保物語)、
妊婦食(篁物語)、
にしている(精選版日本国語大辞典)。
上述したように、賀茂真淵は、
薬玉などにては無し、
と、薬玉説を否定している(『万葉考』)が、一説に、
五月の玉、
を、
薬玉、
とする説もあり、
薬玉、
で触れたように、
くすだま、
は、
クスリダマの転、
で(岩波古語辞典)、
麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、丁子(ちょうじ)、白檀、甘松等々種々の香料を網の玉に入れ、糸で飾り、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などの造花を結び付けて、五色の糸の八尺許りなるを垂らしたもの、
である(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)。丁子については、「丁子染」で触れた。入れる薬は、
麝香1両、沈香1両、丁子 50粒、甘松1両、竜脳半両を入れ、薬玉1連 12、閏月のある年には
13、袋は錦を用いるのを定法とした、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。
長命縷、
続命縷(しょくめいる)、
くすりのたま、
五色縷、
久寿玉、
等々とも言い、
五月五日の端午の節供に、邪気を払い、不浄を避けるものとして柱や簾(すだれ)にかけた、
とされる(仝上)。
中国から伝わり、平安時代に盛んに贈答に用いた(広辞苑)とある。初見は、
五月五日に薬玉(くすだま)を佩きて酒を飲む人は、命長く、福ありとなも聞食(きこしめ)す、故、是を以て、薬玉を賜ひ、御酒賜はくと宣る(続日本後紀嘉祥二年(849)五月五日)、
とある。中古、宮中では5月5日に薬玉を下賜するならわしがあり、
中宮などには縫殿(ぬひどの)より御くす玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちよう)立てたる母屋の柱の、左右につけたり。九月九日の菊をあやとすずしの絹につつみて参らせたるを同じ柱にゆひつけて月頃あるくす玉にとりかへて(枕草子)、
と、
各人はそれをひじにかけて長命のまじないとした。また薬玉は御帳(みちよう)の東の方の柱にかけておき、9月9日重陽(ちょうよう)の節供(菊の節供)に菊花を絹に包んだものと取り替える風習があった、
とある(世界大百科事典・日本大百科全書)。また、
玉に五彩の糸のみ添へて、身にも繋ぐ、
とあり(大言海)、後の、
掛香(かけかう)、
とある(仝上)。
掛香、
は、
懸香、
とも当て、
香嚢(こうのう)、
ともいい(和名抄)、
練香を絹袋に入れたもの、
で(大言海)、
悪臭を防ぐため、室内に掛け、また紐をつけて首に掛けたり、懐中したりする、
とあり(広辞苑)、後の、
匂袋(においぶくろ)、
匂の玉、
である(仝上・大言海)。『雍州府志』(貞享元年(1684)山城一国の地理・沿革・寺社・古跡・陵墓・風俗行事・特産物などを漢文で記述した地誌)には、
嚢(絹嚢)左右、著緒繋項、懐其袋、故、元称掛香、
とある。古くは、
はじめショウブとヨモギの葉などを編んで玉のようにまるくこしらえ、これに5色の糸をつらぬき、またこれに、ショウブやヨモギなどの花をさしそえて飾りとした、
ようだが、室町時代より後は、
薬玉を飾る花は造花となり、サツキ、ショウブその他四季の花が用いられ、また中に麝香(じやこう)、沈香、丁子(ちようじ)、竜脳などの薫薬(くんやく)を入れたため、薬玉はにおい入りの玉となった、
とあり(世界大百科事典)。糸も、室町時代には6色となり、長く垂れることとなった(仝上)という。江戸時代に、
民間で5月5日に女児の玩具(がんぐ)として新しく流行した。京には薬玉売りも現れ、端午の節供には女児がいろいろの造花を紙に張って細工したものを背中にかけたり、肘に下げたりした、
とされるのも、薬玉の古い習俗の名残(なごり)である(日本大百科全書)。
「玉」(漢億ギョク、呉音コク)の異体字は、
玊、軉、𨉗(軉の類推簡化字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89)。字源は、
象形。細長い大理石の彫刻をえがいたもので、かたくて質の充実した宝石のこと。三つの玉石をつないだ姿とみてもよい。楷書では王と区別してヽ印をつける、
とある(漢字源)。他も、
象形。複数の玉を紐で連ねたさまを象る。「たま」を意味する漢語{玉 /*ŋ(r)ok/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89)、
象形。たまをいくつもひもで通した、かざりだまの形にかたどる。「たま」の意。楷書では、王(おう)とのまぎらわしさを避けるため、点を加えて玉と書く(角川新字源)、
象形文字です。「3つの美しいたまを縦に紐(ひも)で通した」象形から「たま」を意味する「玉/⺩」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji190.html)、
象形。玉を紐で貫いた形。佩玉の類をいう。〔説文〕一上に「石の美なるもの、五徳有る者なり」とし、「潤澤にして以てなるは仁の方なり」など、仁義智勇汲フ五徳を説く。そのことは〔荀子、法行〕〔管子、水地〕にみえる。玉は魂振りとして身に佩びるほか、呪具として用いられたもので、殷の武丁の妃とされる婦好墓からは、多くの精巧な玉器が発見されている。玉の旧字は王。王は完全な玉。玉は〔説文〕一上に「朽玉なり。王に從うて點有り。讀みて畜牧(きうぼく)の畜の若(ごと)くす」(段注本)とあり、瑕(きず)のある玉をいう。〔詩、大雅、民労〕「王、女(なんぢ)を玉にせんと欲す」の玉は、おそらくその畜の音でよみ、「好(よみ)す」の意に解すべきであろう(字通)、
と、象形文字としている。なお、
「珠」(漢音シュ、呉音ス)、
については、「二乗の人」で触れた。
「橘」(漢音キツ、呉音キチ)は、
会意兼形声。「木+音符矞(キツ 丸井穴をあける、まるい)」で、まるい実のなる木、
とあり(漢字源)、「たちばな」ないし「こうじ」「みかん」類の総称とある(仝上)。同じく、
会意兼形声文字です(木+矞)。「大地を覆う木」の象形と「台座にたてた矛の象形」(「突き刺す」、「おどかす」の意味)から「人をおどかすようなとげのある、たちばな」を意味する「橘」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2535.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。木と、音符矞(クヰツ)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は矞(いつ)。矞に譎(けつ)・走+矞(きつ)の声がある。〔説文〕六上に「橘果なり。江南に出づ」とあり、わが国の蜜柑にあたる。〔楚辞、九章、橘頌〕にその樹徳を頌しているのは、そのような賦誦の文学が、魂振り的な機能をもつものとされたからであろう。〔周礼、考工記、序官〕に「橘、淮(わい)を踰(こ)えて北するときは枳(からたち)と爲る」とあり、〔菟玖波集、雑三〕に「難波の葦は伊勢の濱荻」というのと同じ。橘はわが国では花橘をいう(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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