
コトバ辞典
あぢ群(むら)のとをよる海に舟浮(う)けて白玉採(と)ると人に知らゆな(万葉集)
の、
とをよる海、
は、
揺れ動く海、
の意で、
口さがない世間の譬え、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
白玉、
は、
美女の譬え、
とする(仝上)。
あぢ、
は、
あじ鴨、
の意とする(仝上)。
とをよる、
は、
撓寄る、
とあて、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
トヲはタワの母音交替形(岩波古語辞典)、
トヲはタワの転(大言海)、
「とを」は、「とをを」「とをむ」の「とを」と同じく、「たわわ」「たわむ」の「たわ」とア列とオ列乙類の母音交替の関係にある。「よる」は「寄る」とする説もあるが、むしろ「下とよみなゐが与釐(より)来ば」(日本書紀)の「よる」で「揺れる」の意にとるべきであろう(精選版日本国語大辞典)、
とあり、文字通り、
しなやかにたわむ、
意(学研全訳古語辞典)だが、
秋山のしたへる妹(いも)なよ竹の騰遠依(トヲよる)子らはいかさまに思ひをれか(万葉集)、
と、
撓(しな)い寄り添う(しなやかな姿態で寄り添う)、
たおやか、
の意で、
若い女性や皇子の形容、
としたり、冒頭の、
あぢ群の十依(とをよる)海に船浮けて白玉採ると人に知らゆな(万葉集)、
のように、
弓なりの列をなして、寄ってゆく、
波のように揺れ動く、
意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。
䳑群(あぢむら)、
は、
アジガモの群れ、
の謂いで、
䳑群の、
で、
アジガモが群がって鳴き騒ぐ、
意から、枕詞として、
朝なぎに楫(かぢ)引き上(のぼ)り夕潮(ゆふしほ)に棹さし下りあぢ群(むら)の騒ぎ競(きほ)ひて浜に出でて海原見れば(万葉集)、
と、
アジガモが群がって鳴き騒ぐ、
意から、
かよふ、
さわく、
にかかる(デジタル大辞泉)。
あぢ、
は、
あぢさはふ、
で触れたように、
䳑、
と当て(広辞苑)、
あぢがも(味鴨)、
ともいい、
ともえがも(巴鴨)、
の別名とされ、
カモ科の鳥。全長約四〇センチメートルの小形の美しいカモ。雄の背面は灰褐色で、顔に緑、黄褐色、黒からなる巴形の斑紋がある。雌はコガモの雌に似ているが、くちばしの基部の両側に白斑がある。湖、川、湿原などで草の実や小動物を食べる。雄はコロコロと鳴く。シベリア中東部で繁殖し、日本には秋に本州以南の各地に渡来するが数は少ない、
とある(精選版日本国語大辞典)。また、カモ類の中では最も美味であるとされ、そのため古くは、
アジガモ(味鴨)、
アジ(䳑)、
と呼称された。そのアジガモが転じて鴨が多く越冬する滋賀県塩津あたりのことを指す枕詞、
あじかま、
が出来た(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A2%E3%82%A8%E3%82%AC%E3%83%A2)とある。
「䳑」(漢音ユウ、呉音ウ)は、「あぢさはふ」で触れたように、
形声。「鳥+音符有」、
で、
翼の白い記事の一種、白鷴(はっかん キジ目キジ科コシアカキジ属に属する鳥)、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B7%B4)が、わが国では、
あぢ、
つまり、
ともえがも、
に当てる(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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橡(つるはみ)の衣(ころも)は人皆事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ(万葉集)
の、
橡(つるはみ)の衣(ころも)、
は、
くぬぎ染めの衣、
をいい、
身分の低い人が着る、
とし、
賤しい女の譬え、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
つるはみ、
は、
どんぐりの古称(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)、
とも、
くぬぎの古称(広辞苑)、
ともある。
くぬぎ、
でふれたように、
くぬぎ、
は、
櫟、
橡、
櫪、
椚、
椢、
等々と当て(日本国語大辞典)、
ブナ科コナラ属の落葉高木、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%82%AE)、
樹皮からしみ出す樹液にはカブトムシなどの昆虫がよく集まり、実はドングリとよばれ、材は耐朽性が強く杭(くい)や神社の鳥居にも使われ、椚の字はここから由来する。木炭としては火もちがよく、シイタケ栽培の原木にもつかわれる(仝上・日本大百科全書)とある。古名は、冒頭の、
橡(つるばみ)の衣(ころも)は人(ひと)皆(みな)事(こと)なしと言ひし時より着(き)欲しく思ほゆ(万葉集)、
や、
橡(つるばみ)の解(と)き洗ひ衣(きぬ)のあやしくもことに着欲しきこの夕(ゆふへ)かも(仝上)、
と、
ツルバミ(橡)、
といい、実の煎汁(せんじゅう)を衣服の染色に用いた(仝上)という。
つるばみ、
は、古くは、
つるはみ、
と清音、
橡、
とあて、その実である、今の、
どんぐり、
をも指し、和名類聚抄(931〜38年)に、
橡、都流波美、櫟實也、
字鏡(平安後期頃)に、
橡 カヘ・トチ・ツルバミ・クリ、
新字鏡集(鎌倉時代)に、
橡、止知(とち)
類聚名義抄(11〜12世紀)
橡、ツルバミ・ツルバム・トチ、橡實、トチヒ、
等々とある。ちなみに、
橡、
を、
トチノキ、
とも訓ませるが、トチノキの中国名は、
七葉樹、
日本語におけるトチの漢字表記は、
栃
ないし、
橡、
であるが、
橡、
は、
クヌギ、
を指すこともあり、その場合は、
ツルバミ、
と訓まれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD)とある。念のため、
橡(クヌギ)、
は、
ブナ科コナラ属の落葉樹、
で、上述したように、
櫟、
椚、
とも当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%82%AE)。
橡(トチノキ)、
は、
トチノキ科トチノキ属の落葉樹、
で、
栃、
栃の木、
杼、
栩、
などとも当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD)。
つるばみ、
は、
恐ろしげなるもの つるばみのかさ。焼けたる所。水ふぶき。菱。髪おほかる男の洗ひてほすほど(枕草子)、
と、
どんぐりの古称、
でもあるが、由来は、
ツブラマミ(円真実)の義(大言海)、
ツブラミ(粒実)からの変化(語源辞典・植物篇=吉田金彦)
鶴実の義か(和訓栞)、
鶴食の義か(日本語源=賀茂百樹)、
その房が鶴に似ているところから、鶴羽実の義(名言通)、
ツレハミ(連葉子)の義(言元梯)、
と、諸説ある。ただ、
つぶら、
で触れたように、
つぶら、
は、
粒、
と同根(岩波古語辞典)、
まどか、
で触れたことだが、本来、
まろ(丸)、
は、球状、
まどか(円)、
は、平面の円形と、使い分けていたが、「まどか」の使用が減り、「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた(日本語源大辞典)。
つぶ、
は、
丸、
粒、
とあて(『岩波古語辞典』)、
つぶら(圓)の義(大言海)、
ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根(岩波古語辞典)、
とある。
くるぶし、
は、和名類聚抄(931〜38年)に、
踝、豆不奈岐(つぶなぎ)、俗云豆布布之(つぶふし)、
とあるように、
つぶふし、
といい、
ツブ(粒)フシ(節)の意
である(岩波古語辞典)。
くるぶし、
というのは、「粒」という外見ではなく、回転する「くるる」(樞)の機能に着目した名づけに転じて、「くるぶし」となった。
つぶら、
の、
ツフ、
は、
ツブラ(円)の義、
とされる(大言海)。こうみると、
つるばみ、
は、
つぶ→つる、
と、
粒、
と関わるとみた方がいい気がする(なお、「まる(円・丸)」についてはは触れた)。
どんぐり、
は、
団栗、
とあて、狭義には、
クヌギの果実、
を指すが、広く、
ブナ科のカシ、クヌギ、ナラ、カシワなど、ナラ属の果実、
の総称である。
褐色の堅い果皮をもつ堅果で、下半部は椀状の殻斗(かくと クヌギ、カシ、ナラなど、ブナ科植物の果実をつつむ、コップ状、あるいは、球形の器官。雌花の苞葉(ほうよう)が融合して形成されたもの。どんぐりのおわん、クリのいがなど)に包まれている、
とある(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
殻斗、
は、
果実の基部の1/3〜1/2を包んでいて、完熟した果実は落下時または後に殻斗と離れる。殻斗の表面の模様は種類の特徴をよくあらわしていて、大きく分けると、
鱗片が配列するもの(コナラ属コナラ亜属やマテバシイ)、
同心円状の輪があるもの(コナラ属アカガシ亜属)、
とがある(世界大百科事典)。実の澱粉質に富むが一般には渋味が強くそのままでは食べられない。
暖温帯の常緑のカシ類は天日で乾燥した後、砕いて流水によくさらして、渋抜きをし、熱を通して食用とし、冷温帯の落葉樹であるナラ類やクヌギなどは、さらに木灰や熱湯を利用した複雑な工程の渋抜きが行われた、
とある(仝上)。この、
ドングリ、
の由来は、
トチグリ(橡栗)の音便と云ふ(大言海)、
ダングリ(団栗)の義(言元梯・名言通)、
独楽(こま)にして遊んだところから、独楽の古名ツムグリから(方言覚書=柳田國男)、
とあるが、
トチグリ(橡栗)、
は、もっともらしいが、上述した、
粒、
との関連からいうと、
ツムグリ、
は捨てがたい。
独楽、
で触れたように、
こまつぶり、
といい、この転訛が、
コマツグリ、
で、和名類聚抄(931〜38年)に、
独楽、古末都玖利、
とある。
こま、
は、
高麗(こま)、
である。また、
つるばみ、
は、
団栗の梂(かさ)を煮た汁で染めた色、
の意でもあり、その色の衣の意でもある(精選版日本国語大辞典)。媒染液によって色相が異なり、
白橡、
赤橡、
青橡、
黒橡、
などがある(仝上)とされ、
つるばみ染め、
は、たとえば、
実の煮汁をそのまま使うと黄褐色、
が得られ、
灰汁を媒染剤とすると黄色、
が強くなる。これを、
ツルバミ(橡)色、
と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%82%AE)。さらに、媒染材に、
鉄を加える、
と、染め上がりは黒から紺色になる(仝上)とある、
その色は、古代では、
衣服令義解(りょうのぎげ 833年、養老令の官撰注釈書)に、
家人奴婢橡K衣(謂橡、櫟木實也、、以橡染潤iきぬ)、俗云橡衣)、
とあるように、
紅はうつろふものそ都流波美(ツルハミ)のなれにし衣(きぬ)になほしかめやも(万葉集)、
と、
身分の卑しい人の着る衣服の色、
を言い、平安中期頃からは、
つるはみの衣の色はかはらねど一重になればめづらしき哉(「堀河百首(1105〜06頃)」)、
と、
相似たればつるばみといふ、
とあり(大言海)、
四位以上の人が着用する袍(ほう)の色、
となり(「袍」とは「うへのきぬ」のことで、「衣冠束帯」などでも触れた)、
やがて、
衣の色、いと濃くて、つるはみのきぬ一かさね、小袿(こうちき)着たり(源氏物語)、
と、
藤衣(ふじごろも)の色、
つまり、後の、
喪服の色、
墨染めの色、
の意へと変じていく(精選版日本国語大辞典・大言海)。
つるばみ色、
と称するものには、いくつかあり、たとえば、
白橡(しろつるばみ/しらつるばみ)、
は、
白っぽい、つるばみ色、鈍色にびいろ(鈍色)の薄いもの、
をいい、
赤白橡、
と
青白橡、
の2種がある(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
赤白橡(あかしろつるばみ)、
は、
茜(あかね)と櫨(はじ)とで染めた、赤に黄みが加わった色、
で、禁色(きんじき 令制で、位階によって着用する袍(ほう)の色の規定があり、そのきまりの色以外のものを着用することが禁じられ、その色をいう)ので、
赤色(あかいろ)、
ともいう(デジタル大辞泉)、また、襲(かさね)の色目として、
表が蘇芳(すおう 暗い紫みの赤)で裏が縹(はなだ 藍染めの紺に近い色)と藍との中間くらいの濃さの色)のもの、
をもいう(仝上)。
青白橡(あおしろつるばみ)、
は、
紫根(しこん)と刈安(かりやす)を染料として染めた灰色がかった黄緑色。織り色では、縦糸を青、横糸を黄として織った色、
をいう(デジタル大辞泉)。また、襲(かさね)の色目として、
表は青色、裏は黄色のもの、
をいう(仝上)。
黒橡(くろつるばみ)、
は、
黒に近い濃いねずみ色、
で、
濃き鈍(にび)色の御衣(おんぞ)一襲(かさね)、くろつるばみの御小袿(こうちぎ)うち出でて(宇津保物語)、
と、
喪服に用いる(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)
黄橡(きつるばみ)、
は、
黄赤の黒ずんだ色、
で、
木蘭色(もくらんじき)、
ともいう(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
衣服令(りょう)の服色の高低順では、
黄橡は紅の次、纁(そい 薄い赤色)の上の上級の者用、
橡(つるばみ)、
は、上述したように、
家人(けにん)・奴婢(ぬひ)用、
とされる(日本大百科全書)。
「橡」(漢音ショウ、呉音ゾウ)は、
形声。「木+音符象」、
とある(漢字源)。他も、
形声。「木」+音符「象 /*LANG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%A1)、
形声。声符は象(しよう)。とち、くぬぎ。今、ゴムの木をいう(字通)、
とあり、字は、
様、
にも作る(字通)とある。
「様 」(ヨウ)の異体字は、
样(簡体字)、樣(旧字体/繁体字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A7%98)、「様」は、
「樣」の略体、
とある(仝上)。
「樣」(ヨウ)の異体字は、
样(簡体字)、様(新字体)、
で(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%A3)、
形声。羕は、「永(水が長く流れる)+音符羊」の形声文字で、漾(ヨウ ただよう)の原字。樣はそれをたんなる音符として添えた字で、もと橡(ショウ)と同じく、くぬぎの木のこと。のち、もっぱら象(すがた)の意に転用された、
とある(漢字源)。他も、
旧字は、形声。木と、音符羕(ヤウ→シヤウ)とから成る。木の名。もと、橡(シヤウ)の異体字。借りて、かたち、ようすの意に用いる。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、
形声。旧字は樣に作り、羕(よう)声。〔説文〕六上に「栩(くぬぎ)の實なり」という。字はまた橡に作る。像とも通用するので、模様・様式の意に用いる。「さま」は国語の用法で、経過を含めた状態の意。また敬称に用いる(字通)、
と、形声文字とするが、
会意兼形声文字です。「大地を覆う木の象形」と「羊の首の象形と支流を引き込む長い川の象形」(「相」に通じ、「姿・ありさま」の意味または、「長い羊の角」の意味)から、木や羊の角が目立つ姿をしている事から「ありさま」を意味する「様」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji424.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
なお、「とち」にあてる、
栃、
の字は、国字である。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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大海(おほうみ)をさもらふ港(みなと)事しあらばいづへゆ君は我を率(ゐ)しのがむ(万葉集)
の、
さもらふ、
は、
大海の風向きを気にする、
意で、
さもらふ港、
で、
大海の風向きを気にする港に、
と訳し、
「大海」は世間の、「港」は二人の結ばれた関係の譬え、
と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
率(ゐ)しのがむ、
は、
連れて行って難をしのいでくれますか、
と訳す(仝上)。
ゐ(率)、
は、動詞、
ゐ(率)る、
の未然形・連用形である(学研全訳古語辞典)。類聚名義抄(11〜12世紀)には、
率、ミチビク・ヒク・ヒキヰル・モトホル・ヰル・イサナフ、
等々とある。
率(ゐ)ゐ、
は、
将る、
とも当て、
他動詞ワ行上一段活用、
で、
語幹・活用語尾が同一、
とあり(学研全訳古語辞典)、
「引き」+「率る」(学研全訳古語辞典)、
行く意の、マヰル(参)のヰルで、主に連れ伴う義として用いられた(国語の語根とその分類=大島正健)、
ヰはワキの反(名語記)、
等々の由来があるが、ワ行上一段活用の動詞は、
率る、
のほかには、
居る、
率(ひき)ゐる、
用ゐる、
があるだけで、このうち「率(ゐ)る」は、
「引き」+「率る」、
「用ゐる」は、
「持ち」+「率る」、
によって成立した語である(学研全訳古語辞典)とあるので、
「引き」+「率る」、
でいいのではないか。で、
事情に通じている者や力の強い者が、先に立って引き連れていく、
意であり(岩波古語辞典)、
山川に鴛鴦(をし)二つ居て偶(たぐひ)よく偶へる妹を誰か威(ヰ)にけむ(日本書紀)、
と、
他の物、人を連れて行く、
ひきつれる、
ともなう、
ひきいる、
意や、それをメタファに、
内侍所(ないしどころ)・神璽(しんし)・宝剣ばかりをぞ、忍びてゐてわたさせ給(たま)ふ(増鏡)、
と、
物を自分の身に添えて持つ、
身につけて行く、
携帯する、
携える、
意で使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。しかし、
率る、
は、平安時代以降は、単独で用いられず、常に接続助詞「て」を伴った「ゐて」の形で、連用修飾語となったり、「奉る」を下接して用いられる(精選版日本国語大辞典)とあり、たとえば、
右大弁の子のやうに思はせて、ゐてたてまつるに(源氏物語)、
と、動詞「いる(率)」に助詞「て」を介して付き、
率てたてまつる、
の形で、
お連れ申しあげる、
の意を表わす(精選版日本国語大辞典)。
「率」(@漢音リツ・呉音リチ、A漢音ソツ・呉音ソチ・シュチ、Bスイ)。字源は、「率(あども)ふ」で触れたように、
会意文字。「幺または玄(細いひも)+はみ出た部分を左右に払いとることをあらわす八印+十(まとめる)」で、はみでないように、中心線に引き締めてまとめること、
とあり(漢字源)、「確率」「比率」の、「全体のバランスからわりだした部分部分の割合」の意の場合は、@の音。この意の時は、律(きちんと整えた割合)と同系。「引率」「率先」の、「ひきいる」「はみ出ないようにまとめて引き締める」意、「率直」の、そのままにまかせる意、「卒然」「軽率」の、「はっと急に引き締まる」意の場合、Aの音、「将率(将帥)」の、率いる人の場合、Bの音になる(仝上)とする。ただ、他は、
象形。鳥をとるあみの形にかたどる。捕鳥あみの意を表す。借りて「おおむね」「わりあい」の意に用い、また、「ひきいる」、「したがう」意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「洗った糸の水をしぼる」象形から、1ヵ所にひきしめる事を意味し、そこから、「ひきいる」、「まとめる」を意味する「率」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji748.html)、
象形。糸束をしぼる形。糸束の上下に小さな横木を通し、これを拗(ね)じて水をしぼる形。〔説文〕十三上に「鳥を捕る畢(あみ)なり。絲罔(しまう)(網)に象る。上下は其の竿柄なり」と鳥網(とあみ)の形とするが、その義に用いた例がない。糸束をひき絞る形で、卜文・金文には左右に水点を加えている。金文に「率(ことごと)く」「率(したが)ふ」の義に用いる。しぼり尽くすので、率尽・率従の意となる(字通)、
と、何れも、象形文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「もみじ」は,
紅葉,
黄葉,
と当てられる。いずれも,漢語からの当て字のようである。『広辞苑』には,
「上代には,モミチと清音。上代は『黄葉』,平安時代以後『紅葉』と書く例が多い」
とある。秋に,木の葉が赤や黄色に色づくことやその葉を指す。カエデの別称でもあるが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89
に,
「秋に一斉に紅葉する様は観光の対象ともされる。カエデ科の数種を特にモミジと呼ぶことが多いが、実際に紅葉が鮮やかな木の代表種である。狭義には、赤色に変わるのを『紅葉(こうよう)』、黄色に変わるのを『黄葉(こうよう、おうよう)』、褐色に変わるのを『褐葉(かつよう)』と呼ぶが、これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い。」
とする。『デジタル大辞泉』には,
「動詞『もみ(紅葉)ず』の連用形から。上代は『もみち』」
とある。『岩波古語辞典』には「もみぢ(紅葉づ・黄葉づ)」の項で,
「奈良時代にはモミチと清音で四段活用。平安時代に入って濁音化し,上二段活用」
とある。紅や黄色に色づくという意の動詞である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89
には,
「もみじ(旧仮名遣い、もみぢ)は、上代語の『紅葉・黄葉する』という意味の『もみつ(ち)』(自動詞・四段活用)が、平安時代以降濁音化し上二段活用に転じて『もみづ(ず)」となり、現代はその『もみづ(ず)』の連用形である『もみぢ(じ)』が定着となった言葉である。
上代 - もみつ例
『子持山 若かへるての 毛美都(もみつ)まで 寝もと吾は思ふ 汝は何どか思ふ (万葉集)』
『言とはぬ 木すら春咲き 秋づけば 毛美知(もみち)散らくは 常を無みこそ (万葉集)』
『我が衣 色取り染めむ 味酒 三室の山は 黄葉(もみち)しにけり (万葉集)』
平安時代以降 - もみづ例
『雪降りて 年の暮れぬる 時にこそ つひにもみぢぬ 松も見えけれ (古今和歌集)』
『かくばかり もみづる色の 濃ければや 錦たつたの 山といふらむ (後撰和歌集)』
『奥山に 紅葉(もみぢ)踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき(古今和歌集)』
秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づくため、『揉み出るもの』の意味(『揉み出づ』の転訛『もみづ』の名詞形)であるという解釈もある。」
と詳しい。いずれにしても,秋の葉の色づくのを言ったものらしい。その「もみぢ」の語源について,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/mo/momiji.html
は,
「元々は『もみち』と呼ばれていた。
秋に草木が赤や黄に変わることを『もみつ(紅葉つ・黄葉つ)』や『もみづ』ちいい,その連用形で名詞化したのが『もみち』であった。平安時代に入り,『もみち』は『もみぢ』と濁音化され『もみじ』へと変化した。古くは『黄葉』と表記されることが多く,『紅葉』や『赤葉』の表記は少ない。」
色づく意とする。しかし,『大言海』は,
「色は揉みて出すもの,又,揉み出づるもの,されば,露,霜のためにモミイダさるるなり」
と,「モミイヅ→モミヂ」を採る。『日本語源広辞典』も,
「『モミ(揉み)+ツ(出づ)』の連用形名詞化モミヂ」
を採る。しかし,古形が,「もみち(つ)」だとするなら,ちょっと辻褄が合わない。『日本語源大辞典』をみると,しかし,その説を採るのが多い。
色を揉み出すところから,モミジ(揉出)の義。またモミイヅ(揉出)の略(和字正濫鈔・日本声母伝・南嶺遺稿・類聚名物考・槙のいた屋・大言海),
しかし,その他,
モミヂ(紅出)の義。モミ(紅)の色に似ているところから(和句解・冠辞考・万葉考・和訓栞),
モユ(燃)ミチの反(名語記),
モミテ(絳紅手)の義(言元梯),
モミチ(炷見血)の義(柴門和語類集),
マソメイタシの約(和句解),
秋の田のモミ(籾)が赤くなるところからか。チは田地の義(日本釈名),
と載るが,そもそも色づくことを,「モミチ」と言った謂れは分からない。
なお,
http://mobility-8074.at.webry.info/201510/article_43.html
に,
「紅葉 (もみじ) とは,秋に木の葉が赤や黄色に色づくことです。語源としては,〈色づく〉 という意味から『揉み出
(い) づ』 が音韻変化して『もみぢ』になったと言われています。
ここで大事なことは,植物学の上では『もみじ』という樹木名はありません。『もみじ』とは,あくまで〈葉が色づくこと〉であり,まあ,その延長として〈色づいた葉〉のこともいいますが,樹木を具体的に限定したことばではありません。
ただ,秋に赤や黄色に色づく樹木の中で,『楓
(かえで)』の葉が最もきれいに色づくということから,〈色づく〉という意味での『紅葉
(もみじ)』の代表格である『楓』のことを『もみじ』と呼ぶようになってしまったということです。
なお,『楓 (かえで) 』の語源は,〈葉が蛙の手に似ている〉ことから『蛙手
(かえるで)』と呼ばれていたものが縮まって『かえで』になったとされています。
『椛』『栬』も『もみじ』と読む漢字ですが,本来の『もみじ』を表しているように思えます。」
とあるのが,妥当なのかもしれない。結局,色づく意味で「もみち」と言った,その謂れは分からなかった,ということだろう。
ただ,「椛」の字は,木が花のように色づくという意で造られた和製漢字である。また「栬」の字は,くいを指し,「もみじ」の意とするのは,我が国だけのようである。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%87
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かも川の水底(みなそこ)すみて照る月を行きて見むとや夏ばらへする(後撰和歌集)
の詞書(和歌や俳句の前書き)に、
みな月ばらへしに河原にまかりいでて、月のあかきを見て、
とあり、
夏ばらへ、
は、
みな月ばらへ、
の謂いで、
六月祓(みなつきばらえ)は六月晦日にする大祓(おおはらえ)を指すことも多いが、ここは月を見たというので、晦日以外にした祓えであろうか、
と訳注がある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。但し、
暦の上の月日と月齢とは必ずしも一致せず、月末に二十八日月などが見える場合もある。新月直前の細い月である、
としている(仝上)。
みそぎ、
で触れたが、
六月祓(みなづきばらへ)、
は、
夏越(なごし)の祓(はらへ)、
の謂いで、
六月の晦日、茅(ち)の輪をくぐったり、身体を撫でた人形(ひとかた)を川へ流したりして、身をきよめた、
とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。これは、
大祓(おおはらえ)、
といわれ、年に2度行われ、6月の大祓は、旧暦6月30日の、
夏越(なごし)の祓、
また、
輪越の神事、
六月祓(みなづきばらえ)、
夏祓(なつはらえ)、
などともいい、12月の大祓は、旧暦12月31日の、
年越の祓、
と呼ばれる(https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/ooharae/・精選版日本国語大辞典)。大祓は、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらい)を起源とする神事、
で、701年には宮中の年中行事として定められていた(https://boxil.jp/beyond/a5539/)とある。
大祓、
では、
大祓詞(おおはらへことば)を唱え、人形(ひとがた)と呼ばれる人の形に切った白紙などを用いて、身についた半年間の穢れ、
を祓い、神社によっては、無病息災を祈るため茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立て、これを3回くぐって穢れや災い、罪を祓い清める。特に、
夏越の大祓、
では、
水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり、
と唱え、
年越の祓、
は、
中臣(なかとみ)の祓え、
ともいい、
新たな年を迎えるために心身を清める祓い、
とある(https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/ooharae/)。初見は《古事記》の仲哀天皇の段で、
更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、生剝(いきはぎ)、逆剝(さかはぎ)、阿離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚(うまたはけ)、牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて、国の大祓して、
とある(世界大百科事典)。これら祓うべきものたちを、
天つ罪、
国つ罪、
といい、
世俗的な罪とは異なり、祓い清めるには普通の祓式で用いる短文の祓詞(はらへことば、のりと)ではなく、長文の大祓詞(おほはらへのことば)を奏上、あるいは宣(の)り下して浄化する、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93)。
律令制の確立後は、毎年六月と一二月のみそかに、親王、大臣以下百官の男女を朱雀門(すざくもん)前の広場に集め、中臣が祝詞を読んで祭事を行っていたとされ(精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)、臨時には、大嘗祭(だいじょうさい)、大神宮奉幣、斎王卜定(ぼくてい)などの事ある時にも行なわれた(仝上)。
大祓詞の内容は、元々は6月と12月で内容が異なっていたが、『延喜式』に、
六月晦大祓、十二月此准、
とあり、6月のものが残ったとされる(https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/ooharae/)。
神祇令(じんぎりょう 養老令で、神祇信仰に基づく公的儀礼の大要を定めた。第6篇、20からなる)には、
凡六月、十二月の晦日の大祓には、中臣は御祓麻を上(たてまつ)れ。東西文部(やまとかふちのふひとべ)は、祓(はらへ)の刀(たち)を上(たてまつ)り、祓詞(はらへことば・はらへごと)を読め。訖(おわ)りなば、百官男女を祓所(はらへど)に聚め集へて、中臣は祓詞を宣り、卜部(うらべ)は解除をせよ、
と規定し、東西文部の祝詞は漢風で、中臣の読む祝詞がいわゆる「大祓詞」(おほはらへのことば)であって、ともに《延喜式》に収められている。また、
祓所(はらへど)は宮城の正門である朱雀門に設けられた。儀式は諸司官人の参入着座ののち贖物(あがもの)、祓物(はらへもの)を持ち出し、祓馬を引き立てる。神祇官人が切麻(きりぬさ)をわかち、祝師(はふりし)は祝詞を読み、大麻(おおぬさ)を各官人の前に引き、祓物を撤してこの儀を終わる、
とある(世界大百科事典)。また、伊勢神宮では、6月、12月の恒例の大祓のほか、祈年、月次、神嘗、新嘗の各大祭前月の晦日にも行う(仝上)。
六月祓(水無月祓 みなづきばらへ)、
は、上述したように、
夏越(なごし)の祓い、
夏越のみそぎ、
水無月祓へ。
夏祓え、
輪越(わごし)祭り、
荒和祓(あらにごのはらへ/あらにこのはらへ)、
等々ともいい、
名越、
とも書き(日本大百科全書)、
茅(ち)の輪くぐり、
といい、
菅(すげ)や浅茅(あさじ)で輪形を作り、参詣人にくぐらせ、茅麻の幣で身を祓い清めたり、また、
撫物(なでもの)、
という人形(ひとがた)を作り、身体を撫でたのを川原に持ち出して、水辺に斎串(いぐし)を立て、祝詞をとなえて祓えを行なったりする(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。また、
牛馬を洗ったり、水神を祭ったりする、
例もある(日本大百科全書)。宮廷廷においても故実として清涼殿で行われた(「御湯殿上日記(おゆどののうえにっき)」)し、民間では、神社から氏子の家に紙人形(かみひとがた)を配布し、それに氏名・年齢を記してお宮に持参して祓ってもらったりする(仝上)。この時期は農家にとって稲作や麦作などに虫害・風害などを警戒する大事なときであったので、
藁(わら)人形をつくり太刀(たち)を持たせて水に流す、
小麦饅頭(まんじゅう)や団子をつくって農仕事は休む、
海辺の地方では海に入って身を清め、牛馬をも海に入れて休ませる(中国地方、北九州)、
イミといって斎忌を厳重に守る(壱岐)、
等々祓いの行事がいろいろと行われている(仝上)。現在、この行事は、
一つは、各地の神社で行われている茅輪(ちのわ)くぐりの行事である。鳥居のところに大きな茅で輪をつくり、そこをくぐると罪穢(つみけがれ)が祓われ、無事暑い夏が越せるというものである。また神社から授与された人形(ひとがた)で身体をなでたりして罪穢を祓うというものもある。
また、中国地方などでは、夏越には牛馬を水辺につれていって水浴させる行事を行う所が多く、井戸さらえや川の神の祭りをする所もある、
と、内容的・形式的に2方向に区分できる(世界大百科事典)とあり、ともに禊(みそぎ)や祓を主題にした行事である。
茅の輪、
は、
浅茅の輪、
浅茅の縄、
左縄(ふつう、縄は右縒りとするが、注連縄(しめなわ)など、吉凶の祭事に用いる左縒(よ)りにした縄)、
ともいい、これは、
婆利采女(ばりさいにょ・はりさいじょ・はりさいにょ)、
牛王、
祇園、
などで触れたように、
蘇民将来に除疫の茅輪(ちのわ)を与えし故事による、
とされる(大言海)。
流行病をひろめる神、
厄病神、
である、
行疫神(ぎょうえきしん)、
の、
牛頭天王(ごずてんのう)に対する信仰、
である、
祇園信仰、
で、
災厄や疫病をもたらす御霊(ごりよう)を慰め遷(ウツ)して平安を祈願するもので、主として都市部で盛んに信仰された。祇園祭・天王(てんのう)祭・蘇民(そみん)祭などの名で各地で祭りが行われる(大辞林)が、
牛頭天王(ごずてんのう)は、もともと、
祇園精舎(しょうじゃ)の守護神、
であったが、
蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地、
ともされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B)、
武塔天神(むとうてんじん)、
あるいは、京都八坂(やさか)神社(祇園(ぎおん)社)の祭神として、
祇園天神、
ともいう(日本大百科全書)。「ごづ」は、
牛頭(ぎゅうとう)の呉音、此の神の梵名は、Gavagriva(瞿摩掲利婆)なり、瞿摩は、牛と訳し、掲利婆は、頭と訳す、圖する所の像、頂に牛頭を戴けり、
とあり(大言海)、
忿怒鬼神の類、
とし、
縛撃癘鬼禳除疫難(『天刑星秘密気儀軌』)、
とある(大言海)。これが、
素戔嗚を垂迹、
とされることになったが、その謂れは、鎌倉時代後半の『釈日本紀』(卜部兼方)に引用された『備後国風土記』逸文にある、
蘇民将来に除疫の茅輪(ちのわ)を与えし故事による、
という(仝上)。すなわち、
備後國風土記曰、疫隅國社、昔北海坐志(マシシ)武塔神、南海神之女子乎(ムスメヲ)、與波比爾(ニ)出坐爾(ニ)、日暮多利(タリ)、彼所爾(ニ)、蘇民将来、巨旦将来二人在支(アリキ)、兄蘇民将来甚貧窮、弟巨旦将来富饒、屋倉一百在支、爰仁(ココニ)武塔神借宿處、惜而不借、兄蘇民将来借奉留(ル)、即以粟柄為座、以粟飯等饗奉留(ル)、饗奉既畢、出坐後爾(ニ)、経年率八柱子、還来天(テ)詔久(ク)、我将奉之為報答、曰、汝子孫其家爾(ニ)在哉止(ト)問給、蘇民将来答申久(マヲサク)、己女子與斯婦侍止(サモラフト)申須(ス)、即詔久(ク)、以茅輪令着於腰上、随詔令着、即夜爾(ソノヨルニ)、蘇民與女人二人乎(ヲ)置天(テ)、皆悉許呂志保呂保志天伎(コロシホロボシテキ)、即時仁(ソノトキニ)詔久(ツク)、吾者、連須佐能雄神也、後世仁(ノチノヨニ)疫気在者、汝蘇民将来之子孫(ウミノコ)止云天(トイヒテ)、以茅輪着腰上、随詔令、即家在人者将免止(ト)詔伎(キ)、
とある(釈日本紀)。要は、
北海の武塔天神が南海の女のもとに出かける途中で宿を求めたとき、兄弟のうち、豊かであった弟の巨旦将来(こたんしょうらい)はこれを拒み、貧しかった兄蘇民将来(そみんしょうらい)は髪を厚遇した。のちに武塔天神が八柱の子をともなって再訪したとき、蘇民将来の妻と娘には恩返しとして、腰に茅の輪を着けさせた。その夜、巨旦将来の一族はすべて疫病で死んだ。神は、ハヤスサノオと名のり、後世に疫病が流行ったときは、蘇民将来の子孫と称して茅の輪を腰につけると、災厄を免れると約束した、
というものである(日本伝奇伝説大辞典)。これが、
茅の輪、
の所以で、
其の輪を潜る人は、左足を踏み入れて「水無月の和儺(なごし)の祓、する人は、千とせのよはい、延ぶと云ふなり」(この歌、三度繰り返し云ふを例とす)と称へて、右足を踏み入れるものとす。これより、神官の持ちたる茅麻(ぬさ)の祓にて、総身を清むると云ふ、
とあり(大言海)、古えは、
これを小さく作り、腰にもつけ、また、首にも懸けた、
とある(仝上)。
「祓」(漢音フツ、呉音ホチ)は、
会意兼形声。「示+音符犮(バツ はらう、はらいのける)」
とある(漢字源)が、他は、
形声。「示」+音符「犮 /*POT/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%93)、
形声。声符は犮(ふつ)。犮は犬を犠牲として殺す形。犬牲によって祓うことをいう。〔説文〕一上に「惡を除く祭なり」とみえ、〔周礼、春官、女巫〕「歳時の祓除●浴(きんよく)を掌る」の〔鄭注〕に、「歳時の祓除とは、今の三月上巳、水上に如(ゆ)くの類の如し」という。●は灌鬯(かんちよう)の酒をそそぐこと、浴は〔論語、先進〕「沂(き)(水)に浴し、舞雩(ぶう)(雨乞い、地名)に風す」という修禊の俗をいう。祓・拂(払)は声の通じる字である(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋とつげつる風のわびしさ(後撰和歌集)
の、
いとどし、
は、
ただでさえひどく、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
いとどし、
は、
深甚、
甚速、
とあてるとするものもある(大言海)が、
副詞「いとど」の形容詞化(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
イトドの形容詞形、ある状態に同じ状態が加わって、程度が倍増する意(岩波古語辞典)、
いとどを活用す(あはれ、あはれし)(大言海)、
であり、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
と、形容詞シク活用であり(学研全訳古語辞典)、
たますだれうちとかくるはいととしくかげを見せじとおもふなりけり(大和物語)、
めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし(源氏物語)、
などと、
その上さらに甚だしい、
一層度合いが強い、
ということで、
ますますはなはだしい、
という意(仝上・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)や
いとどしく虫の音(ね)しげき浅茅生(あさぢふ)に露おきそふる雲の上人(うへびと)(源氏物語)、
と、
ただでさえ…なのに、いっそう…である、
という意(仝上)や、連用形を副詞的に用いて、
いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる波かな(伊勢物語)、
と、
そうでなくても……なのに、
の意で使う(仝上)。
いとど、
は、
深甚、
とあて(大言海)、
副詞「いと」の重なった「いといと」の音変化という(デジタル大辞泉)、
いといと(最最)の約(いよいよ、いよよ。しとしと、しとど)(大言海)、
副詞「いと」の重なった「いといと」が変化したもの(精選版日本国語大辞典)、
であり、
年をへてすみこしさとをいでていなばいとど深草野とやなりなむ(古今和歌集)、
と、
程度が更にはなはだしいさま、
で、
ますます、
いよいよ、
ひとしお、
一段と、
の意や、
これは四十(よそ)たりの子にて、いとど五月(さつき)にさへ生れて、むつかしきなり(大鏡)
と、
事態がいっそうひどいことへの否定的な感情を表わす語、
で、
その上さらに(……のような事さえ加わり)、
ただでさえ……なのにさらに、
さもなくても……なのに、
の意で使う(仝上)。中世以降は、
だに、
さへ、
などの添加を示す助詞を伴なった用法が見られるようになる(精選版日本国語大辞典)とある。
いと、
を重ねた、
いといと、
は、
最いと、
とあて、
又しゃうの御ことたまひてひかせ給ふ。いづれもいといとめでたし(宇津保物語)、
と、「いと」を強め、
程度のきわめてはなはだしいさま、
をいい、
非常に、
まったく、
ほんとうに、
の意となる(仝上)。
いといと、
が、一般に形容詞や形容動詞を修飾するのに対して、
いとど、
は動詞を修飾する機能を持つ(精選版日本国語大辞典)とあり、
いとど、
は、中古の和歌に用例が多く見られ、雅語的な性格を有するが、
いといと、
は和歌には用いられない(仝上)とある。
いと、
は、
甚、
最、
などとあて(大言海・岩波古語辞典)、
極限・頂点を意味するイタ(甚)の母音交替形(岩波古語辞典)、
イタハシ・イタシなどの語幹イタの転語で、イチ、イツと同根(俚言集覧・和訓栞)、
イは接頭語、トは利の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イシキ(美)のイにトを添えて賞美の意に用いた(国語の語根とその分類=大島正健)、
などとあるが、
イタの母音交替形、
とみていい。で、
三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居た(竹取物語)
と、
非常に、
たいへん、
きわめて、
の意や、
忘れ草種(たね)とらましを逢ふことのいとかく難きものと知りせば(古今和歌集)、
と、
ほんとうに、
まったく、
の意のほか、
いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが(源氏物語)、
天の川いと河波(かはなみ)は立たねどもさもらひがたし近きこの瀬を(万葉集)、
と、あとに打消しの語を伴って、
あまり、
それほど、
たいして、
の意で使う(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。この、
いと、
は、現在も、
いとも簡単にやってのけた、
という形で使う(仝上)。このもとになった、
いた、
は、
甚、
痛、
とあて(広辞苑・大言海)、
極限・頂点の意。イタシ(致)イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)は、これの母音交替形(岩波古語辞典)、
イタル(到)、イタス(致)、イタム(痛)などの語根。物のイタリ(至)極まったさまをいう(日本語源=賀茂百樹)、
ヒタ(直)の語頭子音hが脱落したもの(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
甚(いた)くの語根(大言海)、
という由来で、
いた泣かば人知りぬべみ(古事記)、
と、
甚だしく、
ひどく、
激しく、
の意である。こうみると、
いた→いと→いといと→いとど、
と、より強めるために、変形していったことがわかる。
なお、
いとど、
というと、
八月……いとと こうろぎ かまきり(「毛吹草(1638)」)、
と、
昆虫「かまどうま(竈馬)」の異名、
でもある。
カマドウマ(竈馬)、
は、
バッタ目カマドウマ科に属す昆虫の総称。狭義にはその一種。体長15mm内外。姿や体色、飛び跳ねるさまが馬を連想させ、古い日本家屋では竈の周辺などによく見られたことからこの名前が付いた、。
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%89%E3%82%A6%E3%83%9E・世界大百科事典)。江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安)、
竈馬、竈雞、古云、伊止止、今云、伊止之、按竈雞似促織(コウロギ)而小、色亦淡、身團而長、秋夜鳴、聲似蚯蚓(ミミズ)而細小、最寂寥、
江戸中期の方言辞書『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』に、
竈馬、いとど、京にて、クロロ、伊勢及四国にて、カマゴ、尾張にて、カマギリス、遠江にて、カンナゴ、西国にて、クロツヅ、又、イヒゴ、近江にて、クロと云ふ。これ古へのコホロギと云ひし物也、今云ふコホロギの種類にて、小なる物也、、竈のあたりにすむ、
とある。
「甚」(@漢音シン・呉音ジン、A唐音ソモ)の異体字は、
𠯕(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9A)。字源は、
会意文字。匹とは、ぺあをなしてくっつく意で、男女の性交を示す。甚は「甘(うまい物)+匹(色ごと)」で、食道楽や色ごとに深入りすること、
とある(漢字源)。なお、形容詞で「甚だしい」意の場合@の音、副詞で「なに」「どんな」の俗語ではAの音、となる(仝上)。同趣旨で、
会意。甘(楽しみ)と、匹(夫婦)とから成り、夫婦の楽しみ、ひいて「はなはだ」の意を表す(角川新字源)、
と、会意文字とするもの、
象形文字です。「かまどの上に水をいっぱいに入れた器を載せ、下で火をたく」象形から、「おきかまど」の意味を示しましたが、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「耽(たん)」に通じ(「耽」と同じ意味を持つようになって)、「はなはだしい(度を越えている・ひどい)」、「はなはだ(非常に・ひどく)」を意味する「甚」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1607.html)、
象形。竈(かまど)の上に烹炊の器をかけている形で、烹飪(ほうじん)の意。〔説文〕五上に「尤も安樂するなり。甘匹に從ふ。匹は耦なり」と甘匹の会意とし、男女相女+甚(たの)しむ意とする。女+甚の意を以て解するが、古文の字形は竈に鍋をかけた形。斗を以てこれをくむを斟酌(しんしやく)という。〔左伝〕にみえる裨ェ(ひじん)は、裨竈(ひそう)と同一人であるらしく、甚・竈対待の名字をもつ人であろう。煮すぎることを過甚という(字通)、
と、象形文字とするものとに分かれるが、以上の根拠となる、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、
「甘」+「匹」、
との説明は、
金文の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9A)、
とし、字源は、
不詳、
としている(仝上)。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋とつげつる風のわびしさ(後撰和歌集)
の、
荻、
は、
イネ科の多年草。夏から秋にかけて上葉を高く伸ばし、秋風にいちはやく反応する葉擦れの音は、秋の到来を告げる風物とされた、
とし、
「秋」に「飽き」を掛け、男の来訪がないことを暗示する、
と注釈する(後撰和歌集)。
伊勢の浜荻、
で触れたように、
荻(オギ)、
は、和名類聚抄(931〜38年)に、
荻、乎木(おぎ)、
とあり、
イネ科の多年草。各地の池辺、河岸などの湿地に群生して生える。稈(かん)は中空で、高さ一〜二・五メートルになり、ススキによく似ているが、長く縦横にはう地下茎のあることなどが異なる。葉は長さ四〇〜八〇センチメートル、幅一〜三センチメートルになり、ススキより幅広く、細長い線形で、下部は長いさやとなって稈を包む、秋、黄褐色の大きな花穂をつける、
とある(精選版日本国語大辞典)。
おぎよし、
ねざめぐさ(寝覚草)、
めざましぐさ(目覚し草)、
かぜききぐさ(風聞草)、
風持草、
文見草、
等々の異名がある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
ススキ、
によく似ているが、
オギは地下茎で広がるために株立ちにならない(ススキは束状に生えて株立ちになる)、
ため、
茎を1本ずつ立てる、
し、ススキと違いは、
オギには芒(のぎ)がない、
うえ、
ススキが生えることのできる乾燥した場所には生育しないが、ヨシよりは乾燥した場所を好む。穂はススキよりも柔らかい、
という違いがある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AE)。
芒(のぎ)、
は、コメ、ムギなどイネ科の植物の小穂を構成する鱗片(穎)の先端にある棘状の突起のこと、
をいい、
のげ、
ぼう、
はしか、
とも言う。ススキのことを芒とも書くが、オギ(荻)には芒がない(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%92)。
をぎ(荻)、
の由来は、
霊魂を招き寄せるということから、ヲグ(招)の意(花の話=折口信夫)、
招草の意、風になびく形が似ているところから(古今要覧稿)、
風に吹かれてアフグところから、アフギの約(本朝辞源=宇田甘冥)、
オは大、キはノギ(芒)のある意(東雅)、
ヲキ(尾草)の義(言元梯)、
ヲギ(尾生)の義(名言通)、
ヲソクキ(遅黄)パムの略語(滑稽雑誌所引和訓義解)、
等々とある。
すすき(薄、芒)、
については、由来も含めて、
尾花、
で触れたが、「すすき」の語源説は、
ススは、スクスクと生立つ意、キは、木と同じく草の體を云ふ、ハギ(萩)、ヲギ(荻)と同趣。接尾語「キ」(草)は、芽萌(きざ)すのキにて、宿根より芽を生ずる義ならむ。萩に芽子(ガシ)の字を用ゐる。ヲギ(荻)、ハギ(萩)、
ヨモギ(艾)、フフキ(蕗)、アマキ(甘草)、ちょろぎ(草石蠶)、等々(大言海・日本語源広辞典)、
「スス」は「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ささ(笹)」の変形、キは葉が峰刃のようで人を傷つけるから(東雅・語源由来辞典)、
スス(細かい・細い)+キ(草)、細かい草の意(日本語源広辞典)、
スは細い意で、それが叢生するところからススと重ねたもの、キは草をいう(箋注和名抄)、
ススキ(進草)の義(言元梯)、
スス(進)+クの名詞化、花穂がぬきんでて動く(すすく)意、つまり風にそよぐ草の意(日本語源広辞典)、
煤生の訓(関秘録)、
スはススケル意、キはキザスの略か(和句解)、
スクスククキ(直々茎)の義(名語記・日本語原学=林甕臣)、
茎に紅く血の付いたような部分があるところから、血ツキの轉(滑稽雑誌所引和訓義解)、
秋のスズシイときに花穂をつけるところから、スズシイの略(日本釈名)、
サヤサヤキ(清々生)の義(名言通)、
中空の筒状のツツクキ(筒茎)といい、ツの子交[ts]、茎[k(uk)i]の縮約の結果、ススキ(薄)になった(日本語の語源)、
等々多いが、理屈ばったもの、語呂合わせを棄てると、
すすき、
の、
すす、
は、
「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ささ(笹)」の変形、
で、「き」は、
草、
と当てる接尾語、
ヲギ(荻)、ハギ(萩)、ヨモギ(艾)、フフキ(蕗)、アマキ(甘草)、
等々の「き」「ぎ」に使われているものと同じ、と見るのが妥当かもしれない。とみると、
をぎ(荻)、
の、
き、
も同様と考えれば、
を、
は、
おほ(大)の対の「を」(小)、
を(尾)、
を(緒)、
のいずれかだろう(岩波古語辞典)が、ま、
尾、
とするのが無難な気がする。
「荻」(漢音テキ、呉音ジャク)は、「伊勢の浜荻」で触れたように、
会意兼形声。「艸+音符狄(低く刈りたおす、低くふせる)」、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(艸+狄)。「並び生えた草」の象形と「耳を立てた犬の象形と人の両脇に点を加えた文字(「脇、脇の下」の意味)」(「漢民族のわきに住む異民族(価値の低い民族)」の意味)から、稲と違って価値の低い草「おぎ」を意味する「荻」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2686.html)が、
形声。艸と、音符狄(テキ)とから成る(角川新字源)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍(うねび)の山に我(わ)れ標(しめ)結(ゆ)ひつ(万葉集)
の、
思ひあまり、
は、
思い余ったあげく、
とあり、
いたもすべなみ、
は、
何とも致し方がなくて、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
すべなみ、
は、
すべをなみ、
で触れたように、
どうにもしようがないので、
しかたがなくて、
しかたのなさに、
の意で(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
なみ、
は、
形容詞「なし」の語幹に接尾語「み」のついたもの、
で、
なさに、
ないままに、
ないゆえに、
の意である(広辞苑)。
なみする、
で触れたことだが、「なみ」は、
無み、
と当て、
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる(万葉集)、
と、
……ないので、
……ないままに、
……ないために、
といった意味で使う(明解古語辞典)。
いたも、
の、
いた、
は、形容詞、
いたし、
の語幹、
いた、
に、係助詞、
も、
のついたものである(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・広辞苑)。
いたも、
は、
痛も(精選版日本国語大辞典)、
甚も(が験・岩波古語辞典・広辞苑)、
とあて、
程度のはなはだしいさまを表わす語、
で、
君に恋ひ痛毛(いたモ)すべ無み葦鶴(あしたづ)の哭(ね)のみし泣かゆ朝夕(あさよひ)にして(万葉集)、
と、
甚だしくも、
ひどくも、
とても、
非常に、
まったく、
といった意で使う。上代、特に「万葉集」に集中し、冒頭のように、
いたもすべなみ、
という表現で使われる。この、
いた、
は、
いとどし、
で触れたように、いたの母音交替形、
いと、
は、
甚、
最、
などとあて(大言海・岩波古語辞典)、
極限・頂点を意味するイタ(甚)の母音交替形(岩波古語辞典)、
イタハシ・イタシなどの語幹イタの転語で、イチ、イツと同根(俚言集覧・和訓栞)、
イは接頭語、トは利の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イシキ(美)のイにトを添えて賞美の意に用いた(国語の語根とその分類=大島正健)、
などとあるように、その原型である、
いた、
も、
イタル(到)、イタス(致)、イタム(痛)などの語根。物のイタリ(至)極まったさまをいう(日本語源=賀茂百樹)、
ヒタ(直)の語頭子音hが脱落したもの(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
と、同じ語原になる。ただ、
いた、
の用例に、上記の、
甚だしい、
意の他に、
あな、いたのやつばらや。まだしらぬか(宇治拾遺物語)、
と、
世話のやける相手を見下げあざける感情、
を表わし、
ひどいこと、
やっかいなこと、
の意や、
あないたとよ、これもててはかなしがりてか(「たまきはる(1219))」)、
と、
肉体的または精神的に苦痛なさま、
を表し、
痛い、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。ここから見ると、
いたい、
いたみ、
で触れたように、『大言海』は、「いたし」を、
いたし(痛)、
いたし(痛切甚)、
いたし(傷)、
の三項立て、
いたし(痛)、
は、
至るの語根を活用せしむ(涼む、すずし。憎む、にくし)。切に肉身に感ずる意。…身に痛む感じありて、悩まし(痒しに対す)、
とし、
いたし(痛切甚)、
は、
(前者の)転意、事情の甚だしきなり、字彙補「痛、甚也、漢書、食貨志、市場痛騰躍」(痛快、痛飲)、
とし、
いたし(傷)、
は、「いたし(傷)」の、身体の痛覚が転じて、
切に心に悩むなり。爾雅、釋訓「傷、憂思也」、
とし、
痛覚を出自とし、それが、転じて、程度の甚だしさになった、
とする。
身体の痛覚→心の痛み、
への転意は、よくわかるが、
身体の痛覚→程度の甚だしさ、
つまり、
痛し→甚(いた)し、
という、具体性から抽象性へという転化は、確かに蓋然性が高い。しかし、『日本語源広辞典』は、
イタイ(程度が甚だしい)、
を語源とし、激しい程度の意を先とするし、『日本語源大辞典』も、
「痛む」と同根の、程度の甚だしさを意味するイタから派生した形容詞、
と、
甚(いた)し→痛し、
とする。どちらとも言い兼ねるが、必ずしも、具体的な痛みを指していたのではなく、
ひどい、
はげしい、
はなはだしい、
という状態全部を指していた状態表現から、「傷み」や「悼み」が分化してきた、ということになる。『岩波古語辞典』の「いた」は、
極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)はこれの母音交替形、
とし、『大言海』の「至る」と重なる。先後はわからないが、
甚し、
と、
痛し、
が深くつながることだけは確かである。なお、
「痛」(漢音トウ、呉音ツウ)は、「言痛(こちた)み」で触れたが、
会意兼形声。「疒+音符甬(ヨウ・ツウ つきぬける、つきとおる)」
とあり(漢字源)、同趣旨で、
会意兼形声文字です(疒+甬)。「人が病気で寝台にもたれる」象形(「病気」の意味)と「甬鐘(ようしょう)という筒形の柄のついた鐘」の象形(「筒のように中が空洞である、つきぬける」の意味)から、「身体をつきぬけるようないたみ」を意味する「痛」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1025.html)、
ともあるが、他は、
形声。「疒」+音符「甬 /*LONG/」。「いたむ」を意味する漢語{痛 /*hloongs/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%97%9B)、
形声。疒と、音符甬(ヨウ)→(トウ)とから成る。「いたみ」「いたむ」意を表す(角川新字源)、
形声。声符は甬(よう)。甬に通(つう)の声がある。〔説文〕七下に「病なり」とあり、疾痛の甚だしいことをいう。それで痛罵・痛飲など、徹底してことをする意にも用いる(字通)、
と、何れも、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫 Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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我がやどに生(お)ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣(きぬ)に摺(す)らゆな(万葉集)
の、
つちはり、
は、
つくばね草か、
とあり、
我が娘の譬え、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
つちはり、
は、
土針、
とあて(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
土孫、
とあてるとするものもある(大言海)。和名類聚抄(931〜38年)に、
王孫、沼波利久佐、豆知波利、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
王孫、奴波利久佐、乃波利、
字鏡(平安後期頃)に、
藥、豆知波利、
とあり、それを宛てるものとして、
草の名、メハジキ、シソ科の二年草で、葉が緑色染料になる。一説にツクバネソウ(岩波古語辞典)、
ツクバネソウの異称、一説、メハジキのこと(広辞苑)、
植物の名。メハジキとも、ツクバネソウとも、エンレイソウともいわれる(デジタル大辞泉)、
シソ科の植物メハジキ、または、ウツボグサのことか。一説にユリ科のツクバネソウやエンレイソウにあてる(精選版日本国語大辞典)、
榛(はり)の木は、染料となる、此の草も染料となるなどにて、土榛(つちはり)の意かと云ふ、野榛(すはり)も同じ(大言海)、
と、諸説あるが、
メハジキ、
とする説が有力のようであるが、後世になるが、俳諧書『毛吹草』(1638年)には、
五月に「土針(ツチバリ)の花 うつぼ草共」、七月に「益母草(ヤクモサウ)めはじき共、花当月なり」、
とある(精選版日本国語大辞典)。
メハジキ、
は、
目弾き、
とあて、別名、
茺蔚(じゅうい)、
ヤクモソウ(益母草)、
といい、
シソ科メハジキ属の一年草または越年草。原野に生え、高さ約1メートル。茎は四角柱で、全体に白い毛を密生する。根際の葉は心臓形で大きいが、上部の葉は深い切れ込みがある。7〜9月、茎の上部に淡紅紫色の唇形の花を数段つける。果実は四個の分果からなり黒い、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8F%E3%82%B8%E3%82%AD・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、漢方では全草を干したものを益母(やくも)草・茺蔚(じゅうい)といい産前・産後の諸症に用い、果実を茺蔚子(じゅういし)といい利尿・解熱薬に使う(仝上)。
和名メハジキの由来は、
「目弾き」の意で、茎に弾力があり、昔は子どもたちが短く切った茎の切れ端を、瞼につっかえ棒にして張って、目を大きく開かせて遊んだことによる、
とある(仝上)。
衝羽根草(ツクバネソウ)、
は、
ユリ科の多年草。各地の落葉広葉樹林内に生える。高さ約三〇センチメートル。細い地下茎が横にはう。葉はふつう長さ四〜一〇センチメートルの先の尖った広楕円形で茎の上部に四個輪生し、網状脈がある。初夏、淡緑色の花がただ一個咲く。花は外花被が四個で、内花被がない。雄しべは八本。果実は液果で紫黒色に熟す、
とあり(精選版日本国語大辞典)、葉のつきかたが羽根つきの羽根に似ているところからこの名がある(仝上)。
延齢草(えんれいそう)、
は、
たちあおい、
えんめいそう、
ともいい、
ユリ科の多年草。各地の山野の木陰に生える。高さ一五〜三〇センチメートル。茎の上端に柄のない大形の葉を三枚輪生する。五月頃、葉の間から一本の柄を出して三数性の紫色の花をつけ、夏に紫黒色の実を結ぶ、
とあり(精選版日本国語大辞典)、地下茎を陰干して煎じ健胃剤、吐剤とする(仝上)。
うつぼぐさ(靫草・空穂草)、
は、
シソ科ウツボグサ属の多年生。茎は直立して高さ10〜30センチメートル、基部から横たわるように若枝を出す。葉は対生し、茎の下部につくものは柄があり、卵状長楕円(ちょうだえん)形で長さ2〜5センチメートル、切れ込みの浅い鋸歯(きょし)が少数ある。6〜8月、茎の先に短い花穂(かすい)をつくり、密に花をつける。包葉は扁心(へんしん)形、萼(がく)は上が平らな二唇形。花冠は紫色で筒部は上向きとなり、上唇は兜(かぶと)状。下唇は大きく3裂し、前に突き出て鋸歯がある。側片は小さく、外に曲がる、
とある(日本大百科全書)。和名ウツボグサは、
円筒形の花穂の形、もしくは花穂につく小花の形が、武士が弓矢を入れて背中に背負った道具である靫(うつぼ)に似ていることに由来する、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%82%B5・仝上)。漢方でも使われる薬用植物で、別名をカコソウ(夏枯草)、セルフヒールといって、利尿や消炎に用いられる(仝上)。
ちなみに、
つち、
は、
土、
地、
とあて、
天(あめ)に対して大地、
の意だが、由来は、
つつひじ(続泥)の約か(大言海)、
ツヅキ(続)の約(名言通・蓴菜(ぬなわの)草紙・十数(じっすう)伝・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、
ツモリチリ(積塵)、またはオチツキヰ(落着居)の義(日本語原学=林甕臣)、
ツムチリ(積塵)の反(名語記)、
万物栄えるのは必ず落ちて土になるところからツはツクル(置)、チはオチル(落)の義(和句解)、
ツツウとチヂマ(縮)って土になるところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
タツツキ(立著)の約(和訓集説)、
ツラヒチ(連土)の義(言元梯)、
ツは粘り気のあるものを掲揚する語(国語の語根とその分類=大島正健)、
トチ(杜地)の転か(和語私臆鈔)、
ツはイカツチ(雷)・ノヅチ(野椎)などのツと同じで格助詞、チは霊物をいうチ(霊)か(古典と民俗学=高崎正秀)
トチ(土地)の音韻変化(日本語源広辞典)、
などと諸説あるがはっきりしない。漢語、
土地(トチ)、
の音韻変化というのはもっともらしいが、古くから、
阿米都知(アメツチ)の共に久しく言ひ継げとこの奇御魂(くしみたま)敷かしけらしも(万葉集)、
と、
天と地、
の意や、
いざ子どもたはわざなせそ天地(あめつち)の固めし国そやまと島根は(万葉集)、
と、
天神地祇(てんしんちぎ 天つ神と國つ神)
の意等々、
あめつち、
という言い方をしてきており、ちょっとありえない気がする。そうみると、
ツはイカツチ(雷)・ノヅチ(野椎)などのツと同じで格助詞、チは霊物をいうチ(霊)か、
とする説も、
厳(いか)つち(霊)(雷)、
野つ霊(のつち)(野の精霊)、
水つ霊(みづち)(水の神)、
尾(峰)呂霊(をろち)(大蛇)、
息の霊(いのち)(命)、
と並べてみると、捨てがたく、
〇つち(霊)、
の、「〇」部分が脱落したとみることもできる。もちろん、憶説に過ぎないが。
「土」(慣用ド、漢音ト、呉音ツ、)の異体字は、
圡、𡈽(通用体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%9F)。字源は、
象形。土を盛った姿を描いたもの。古代人は土に万物を生み出す充実した力があると認めて土をまつった。このことから、土は充実した意を含む。また土の字は、社の原字であり、やがて土地の神や氏神の意となる。のち、各地の代表的な樹木を形代(かたしろ)として土盛に代えた。説文解字には「土は地の万物を吐生するものなり」とある、
とする(漢字源)。他も、
象形。地面に盛られた土を象る。「つち」を意味する漢語{土 /*tʰˤaʔ/}を表す字。古典的字源では、『説文解字』によると「土、地之吐生物者也。二象地之下、地之中物出形也、土は、地中にあって〔植物や虫などを〕生え生じさせるもの。二は地面の下にあるさまに象る。地中のものが生え出ずるのである」という。「吐」は、類音による注釈。『説文』は土中から何かが生え生じるさまの象形字と考えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%9F)、
象形。土地の神を祭るために設けたつち盛りの形にかたどり、つちの神、ひいて「つち」の意を表す。「社(シヤ)(社)」の原字。俗字は、漢代の石碑で、「士」との混同を避けるために点を付けたもの(角川新字源)、
象形文字です。「土の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形から「つち」を意味する「土」という漢字が成り立ちました。古来から日本人は、土に神が宿っていると信じ、信仰の(崇める)対象としてきました。現在でも「家」を建てる前には、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得る為に地鎮祭が行われています(https://okjiten.jp/kanji80.html)、
象形。土主の形。土を饅頭形にたて長にまるめて台上におき、社神とする。卜文にはこれに灌鬯(かんちよう)する形のものがあり、社の初文として用いる。〔説文〕十三下に「地の萬物を吐生する者なり」(小徐本)とし、二は地、h(こん)は物の出る形であるとするが、土主を台上におく形である。のち土地一般の意となり、示を加えて社となった。卜文・金文は土を社の意に用い、社は中山王諸器に至ってみえる。古い社の形態は、モンゴルのオボの形態に近く、中山王器の社の字には土の上に木を加えている。〔説文〕には土を吐(と)の音を以て説くが、〔周礼、考工記、玉人、注〕には「度(はか)るなり」と度(ど)の音を以て説き、〔広雅、釈言〕に「瀉(そそ)ぐなり」と瀉(しや)の音を以て説く。土は社神のあるところ、地も古くは墜に作り、神梯(𨸏(ふ))の前に犠牲をおき、社神を祀るところであった。土地一般をいうのは、後起の義である(字通)、
と、象形文字としている。
「鍼」(シン)の異体字は、
针(簡体字)、h(初文)、鍼、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%9D)、
針、
は、
鍼、
の俗字(『一切経音義』)とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%9D)。字源は、「針目」で触れたように、
会意文字。「金+咸(感 強いショック)」で、皮膚に強い刺激をあたえるはりのこと。針とまったく同じ、
とあり(漢字源)、「針」(シン)は、
形声、「金+音符十」。十の語尾pがmに転じて、シムの音をらわす、
とあり(仝上)、
十(シフ→シム はりの形)、
とある(角川新字源)。字通も、
形声。正字は鍼に作り、咸(かん)声。咸に箴(しん)の声があり、〔説文〕に箴を咸声とするが、あるいは鍼の省声かもしれない。針は十に従うが、十は辛(しん)(はり)の小なるもので、象形。〔説文〕十四上に「縫ふ所以(ゆゑん)なり」とし、竹部五上の箴に「衣を綴(ぬ)ふ箴(はり)なり」という。いま針を縫針、箴を箴戒、鍼を鍼灸の字に用いる。
形声文字としているが、別に、
会意兼形声文字です(金+十)。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土中に含まれる「金属」の意味)と「針」の象形から、「はり」を意味する「針」という漢字が成り立ちました(「十」は「針」の原字です)、
とある( https://okjiten.jp/kanji948.html)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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真鳥(まとり)棲む雲梯(うなて)の社の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも(万葉集)
の、
雲梯(うなて)の社、
は、
橿原市雲梯町の神社、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、『万葉集』では、
卯名手、
と記され、和名類聚抄(931〜38年)の、
高市郡雲梯郷、
に比定される(日本大百科全書)とある。
真鳥、
は、
鷲、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。ただ、
鷲の異称、
ではあるが、また、
梟(ふくろう)・木菟(みみずく)のような夜鳥ともいい、また、鶴・鵜・雉をもいう、
とある(広辞苑)
真鳥、
の、
マ(真)、
は、
片(かた)の対、
で、
名詞・動詞・形容詞について、揃っている、完全である、優れている、などの意を表す(岩波古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞・形容動詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞などに冠し、それそのものである、真実である、正確であるなどの意を表す(広辞苑)、
等々とあり、
ま袖、
真楫(かじ)、
真屋、
では、
二つ揃っていて完全である、
意を表し、
ま心、
ま人間、
ま袖、
ま鉏(さい)、
ま旅、
等々では、
完全に揃っている、本格的である、まじめである、
などの意を添え、
ま白、
ま青、
ま新しい、
ま水、
ま潮、
ま冬、
等々では、
純粋にそれだけで、まじりもののない、全くその状態である、
などの意を添え、
ま東、
ま上、
ま四角、
まあおのき、
真向、
等々では、
正確にその状態にある、
意を添え、
ま玉、
ま杭(ぐい)、
ま麻(そ)、
ま葛(くず)、
等々では、
立派である、美しいなどの意を込めて、ほめことば、
として用い、
真弓、
真澄の鏡、
等々では、
立派な機能を備えている、
意を表し、
真名、
では、
仮(かり)のもの(仮名・平仮名・片仮名)でも、略式でもなく、正式・本式であること、
を表す(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)。
真鴨、
真葛、
真魚、
真木、
ま竹、
まいわし、
等々では、
動植物の名に付けて、その種の中での標準的なものである、その中でも特に優れている、
意を表す(岩波古語辞典)ので、
真鳥、
もその類ではないか。とすると、鎌倉中期の『仙覚抄』に、
真鳥は鷲也、
とあるように、
鷲、
とみるのが妥当なのではあるまいか。ただ、
見事な鳥、
立派な鳥、
の意なので、時には、
鵜(う)、
にもいい、また、鷹(たか)狩では、
雉(きじ)、
を、矢羽では、
鷲、
をいい、その他、
鶴、
や、夜鳥の、
梟(ふくろう)、
木菟(みみずく)、
などをもいうことがある(精選版日本国語大辞典)。なお、冒頭の、
真鳥(まとり)住む卯名手(うなで)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(ころも)にかきつけ着せむ児もがも、
の、
真鳥住む、
は、鷲わしが棲すんでいたところから、枕詞として、
うなでの杜、
にかかる(精選版日本国語大辞典)。
うなでの杜、
は、上述したように、
橿原市雲梯(うなて)町の神社、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。また、
真鳥羽(まとりば)、
というと、
真羽(まば)、
ともいい、
鷲(わし)のはね、
を指し、
中間に黒い斑(まだら)がある白羽で、矢羽を作るときにいう、
とある(精選版日本国語大辞典)。
鷲、
は、和名類聚抄(931〜38年)に、
G鷲(ワシ)、鷲(一本、和志)、G、於保和之、鷲、古和志、
新撰字鏡(平安前期)に、
鷲、和志(わし)、
鶁、和志、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
鷲、ワシ・コワシ、
G、ワシ、オホワシ、
などとあり、
鷲、
は、
タカ目タカ科に属する鳥のうち、オオワシ、オジロワシ、イヌワシ、ハクトウワシなど、比較的大きめのものを指す通称である。タカ科にて、比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカ(鷹)と呼ぶが、明確な区別はなく、慣習に従って呼び分けているにすぎない(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2・精選版日本国語大辞典)、
とあるが、
タカに比べて、翼が幅広く、くちばしが大きく、からだに縦斑や横斑がない、
とある(精選版日本国語大辞典)。
禽獣には、則ち、鷲(わし 字を或はGに作る)、隼、山雞、鳩、雉、猪、鹿、猿、飛鼯あり(出雲風土記)、
とあり、日本には、
オオワシ・イヌワシ・オジロワシ・カンムリワシ、
等々がすむ(仝上)。
鷲、
の由来は、
ワスギ(輪過)の義(名言通)、
車輪の如く飛ぶことを、ワシ(輪如)といったか(東雅)、
天空を走る意で、ワシル(走る)の連用形(日本語源広辞典)、
悪い鳥であるとし、アシ(悪)の義(日本釈名)、
動作が敏捷であるところから、ハシ(捷)の義(日本語源=賀茂百樹)、
自分の羽のすばらしさを知っているところから、ワサシリの反。ワサは姿、シリは知るの意(名語記)、
ウヱハミハシ(飢喰嘴)の義(日本語原学=林甕臣)、
動物は皆強いものに殺されるが、鷲は敵なしであるところから、ワシ(我死)か(和句解)、
ヲソロシ(恐)の略転(柴門和語類集)、
大空に大きく輪を描いて飛ぶことから、「ワ(輪)」「シ(其・指)」(語源由来辞典)、
等々あるが、どれもこれも、語呂合わせで、結局わからない。
「鷲」(漢音シュウ、呉音ジュ)は、
会意兼形声。「鳥+音符就(目標を目指して近寄る、くっついている)」、
とあり(漢字源)、同じく、
会意兼形声文字です(就+鳥)。「丘の上に建つ家の象形と犬の象形」(高貴な人の家に飼われた番犬のさまから、「つき従う」の意味)と「鳥」の象形から、つき従う鳥「わし」を意味する「鷲」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji327.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
形声。「鳥」+音符「就 /*TSUK/」。{鷲 /*dzuks/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B7%B2)、
形声。鳥と、音符就(シウ)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は就(しゆう)。〔説文〕四上に「K色にして多子なり」とし、「南方に鳥有り、名づけて羌鷲と曰ふ。黄頭赤目、五色皆備はる」とする「師曠説」を引く。〔玄応音義〕に「西域に此の鳥多し。倉黄にして目赤く、死屍を食ふ」とあり、いまもその地に鳥葬の俗がある(字通)、
と、他は形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野の榛原(はりはら)手折(たを)りて行かむ(高市黒人)
白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原心ゆも思はぬ我(わ)れし衣(ころも)に摺りつ(よみ人知らず)
の、
白菅、
は、
菅の一種、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
真野の代表的景物を枕詞のように使った、
とする(仝上)。
前者の、
いざ子ども、
は、
宴席の者に呼びかける慣用語、
とし、
後者は、
意に染まぬ男と契ったことを悔む、
と注釈する(仝上)。
白菅(シラスゲ)、
は、
カヤツリグサ科の多年草。各地の林下の水湿地などに生える。根茎は長く地中をはって先端から新株を生じ、稈(かん 中空になっている茎)は高さ五〇〜七〇センチメートル。葉は淡緑色で幅五〜一〇ミリメートルの線形で先はとがり、柔らかく裏面は白色を帯びる。初夏、稈の先端に雄花穂を一個、その下に数個の雌花穂を側生する、
とある(精選版日本国語大辞典)。
道端にもごく普通に見られる。この種のように雑草的に出現するスゲは少ない、
ともあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B2)、地下に細い匍匐茎を出し、まばらに集まった群落を作る(仝上)。
なお、冒頭の、
いざ児ども大和へ早く白菅乃(しらすげノ)真野の榛原(はりはら)手折りて行かむ(万葉集)、
と、
白菅の、
で、白菅が多く生えていたことから、
地名「真野(まの)」、
にかかる枕詞として使われるが、一説に、
菅の節と節との間(ま)の意から、
とも、
白菅を真菅ともいうから、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
シラスゲ、
は、
ヒゴクサ、
にごく近い種類で、全体がやや大きく、葉の裏側が白いなどの区別点がある(ブリタニカ国際大百科事典)とある。
ヒゴクサ、
は、
肥後草、
とも当て、また細い茎を竹ひごに見立てたためか、
籤草、
とも書く、
カヤツリグサ科の多年草。短い走出枝を伸ばし、群生。高さ20〜40センチメートル。葉は多少ざらつき、幅2〜4ミリメートル。5月ころ小穂を数個つける。頂小穂は雄性、残りは雌性。雌小穂は短い柄がある。花柱は花期後も長く残る、
とある(日本大百科全書)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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真木柱(まきはしら)作る杣人(そまびと)いささめに仮廬(かりいほ)のためと作りけめやも(万葉集)
の、
真木柱(まきはしら)作る杣人、
は、
杉や檜の柱を造る木樵、
をいい(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
正式に結婚を申し込もうとする男の譬え、
とある(仝上)。
真木、
で触れたように、
真木、
の、
ま、
は、
美称の接続詞、
で(日本語源大辞典)、
立派な木(広辞苑)、
すぐれた木(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
の意である。
真木、
は、
槙、
艨A
とも当て(大言海・岩波古語辞典)、
檜・杉・松・槇など、堅いので建築に適する材、
をいい(岩波古語辞典)、
常緑の針葉樹の総称、
とされる(学研全訳古語辞典)が、
特に、檜にいう(動植物名よみかた辞典)、
多くは、檜の美称(広辞苑)、
杉の古名(広辞苑)、
艪ヘ杉の一名、古書のマキは杉なり、槙は真木の俗用(大言海)、
檜の異名、檜を褒めて云ふ語(大言海)、
とあり、様々な、用途やら材質やらで、対象が異なるようだが、新撰字鏡(898〜901)には、
槙、万木、
とあり、和名類聚抄(931〜38年)には、
艨A木名、作柱埋之、能不腐者也、末木、……又杉一名也、
とある。冒頭の歌のように、
真木柱(まきばしら)、
というと、
杉や檜などの材で作った柱、
をいう(精選版日本国語大辞典)ので、
杉、
や、
檜、
など、建築材としてのすぐれた材をいったものだと思われる。
いささめに、
は、
かりそめに、
の意で、
いい加減な気持で口説いたのではない、
と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いささめに、
は、
率爾、
とも当て(大言海)、古く、
いさざめ、
ともいい(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、多く、
いささめに、
の形で用いられる(仝上)。冒頭の歌のように、
真木柱作るそま人伊左佐目(イササめ)にかりほのためと作りけめやも(万葉集)、
と、
一時的であるさま。また、ほんの少しであるさま。かりそめ。ちょっと(精選版日本国語大辞典)、
かりそめに。いささかに。卒爾に。ちょっと(大言海)、
かりそめに。一時的に。いささか(広辞苑)、
といった意の他に、後世には、
明白、
明明地、
白地、
等々とも表記して、
この婚縁は明々地(イササメ)にとり結(むすべ)るにあらねども(南総里見八犬伝)、
と、
他にはっきりわかるように行なうさま、
の意で、
公然、
あからさまに、
あきらかに、
の意で使うに至るが、おもに近世以降の用法であり、用字などから考えて、あるいは、
いささめに、
の、
意味変化したもの、
とも、
別語、
とも見られる(精選版日本国語大辞典)とある。
いささめに、
は、その由来を、
イササはイササカと同根(岩波古語辞典)、
「いささか」などと同根(精選版日本国語大辞典)、
イササカの語幹、メは時の意(万葉集辞典=折口信夫)、
イササカからか(和訓集説)、
イササメは、細小閨iイササマ)の転か(雨(あめ)、あま。かりさま、かりそめ)(大言海)、
イは発語、ササメは葦草であろう(万葉集類林)、
イは接頭語、ササメはササメ(些目)の意で、わずかに見えること(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々とするが、
いささかと同根、
とする説が大勢である(日本語源大辞典)。
いささか、
は、
聊か、
些か、
とあて、
平安初期までは多く「いささかに」の形で使った。量や程度の少なさを強調する語、
とあり、『大言海』は、
いささか、
は、
いささかにの下略(何(なに)ぞ、なぞ)、
とし、
少し意を変じたり、和訓栞、いささか「素冠詩辞注に、聊、不敢博大之の辞と注す」、
として、
格子のあがりたれば、御簾のそばをいささかひきあげて見るに、おきていぬらむ人もをかしう(枕草子)、
と、
わずかばかり、
些少(すこし)、
の意とし、
いささかに、
は、
伊佐佐可爾(いささかに)思ひて來(こ)しを多祜の浦に咲ける藤見て一夜(ひとよ)経(へ)ぬべし(万葉集)
と、
かりそめに、
そつじに、
ついちょっと、
の意とする。後述するように、他は「いささかに」と「いささか」をあまり区別しているように見えないが、『大言海』の説は、
いささかに、
の意が、
いささか、
で、量的な意に限定されたという見方なのかもしれない。
いささか、
は、
「か」は接尾語(精選版日本国語大辞典)、
細小(いささ)に、副詞を形作る接尾語の、カニの添はりたる語(あたたかに、したたかに)。博雅「聊、苟且(かりそめ)也」(大言海)、
イトサヤカの意(日本釈名・燕石雑志)、
イは発語、ササヤカの義(和訓栞)、
イは発語、ササはササ(小)。カは形状(古言類韻=堀秀成・日本語源=賀茂百樹)、
イササは細小の義、カは形状をいう語(俚言集覧)、
という由来があるが、
細小、
細少、
とあて、
ほんの小さな、
という意の接頭語の、
いささ、
という言葉がある(岩波古語辞典)。
手にむすぶいささせがはのまし水に袂涼しく夕風ぞ吹く(古今著聞集)、
と、
いささおがわ、
いささおざさ、
いささがわ、
いささみず、
等々、体言の上に付いて、
いささかの、
すこしばかりの、
の意や、
ここにいささの疑ひ候ことは、五逆罪をおかしたらむだに、さばかりの十念に罪のほろぶべきことかは(法華修法)、
と、名詞として、
いささかのこと、
わずかなこと、
の意で使う。この、
いささ、
に、
のどか、
ゆたか、
なたげらか、
あざやか、
等々のように、
物の状態・性質を表す擬態語などの下につき、それが目に見える状態であることを示す接尾語、
である、
か、
をつけたものとみることができる(岩波古語辞典)。この、
か、
は、
後に母韻変化を起こし、
あきらけし、
さやけし、
等々の、
け、
となり、さらに、
さむげ、
と、
げ、
に転ずる(仝上)、この、
か、
を添えて副詞として使っているとみることができる。この、
いささか、
の類義語は、
ささやか、
すくなし、
がある(岩波古語辞典)が、やはり、古くは、前に挙げたように、
伊佐左可爾(イササカニ)思ひて来しを多祜の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし(万葉集)、
と、
かりそめであるさま、
ほんのちょっと、
という意で、これが、
心地もいささか悪しければ、これをやこの国に見捨ててまどはむとすらむと思ふ(更級日記)、
いささかなる功徳を翁つくりけるによりて(竹取物語)、
と、程度の少ないさまをいい、
少しばかり、
わずか、
ほんのちょっと、
少し、
となり、さらに、下に打消のことばを伴って 、
ただ名のる名をいささかつつましげならずいふは、いとかたはなるを(枕草子)、
と、
少しも、
ちっとも、
と、
いささかも、
と同義になり、後には、
聊(いささか)心ある者と聞きて知る人になる(奥の細道)、
と、
かなり、
なかなか、
と、当初の、
かりそめ、
とは、真逆の意味で使われるに至る。しかし、今日、
いささかたくわえがある、
いささかなりともお役に立ちたい、
と、
数量・程度の少ないさま、
の意で、
ほんの少し、
わずか、
の意では使っている。
「爾(尓)」(漢音ジ、呉音ニ)異体字は、
厼(略字)、尒、尓(俗字)、尔(簡体字)、薾、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BE)。字源は、「しか」で触れたように、
象形。柄にひも飾りのついた大きいはんこを描いたもの。璽(はんこ)の原字であり、下地にひたとくっつけて印を押すことから、二(ふたつくっつく)と同系のことば。またそばにくっついて存在する人や物をさす指示詞に用い、それ、なんじの意を表す、
とある(漢字源)。同趣旨だが、
象形。(例えば漢委奴国王印のような形の)柄に紐を通した大きな印を描いたもの(あるいは花の咲く象形とも)。音が仮借され代名詞・助辞などに用いられるようになったため、印には「璽」が用いられる、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BE)。近くにいる相手を指す二人称の「なんじ」の意と、近くにある事物や前に述べた事物・事柄を示す「それ」「そのような」の意でもある。字通は、
象形。人の正面形の上半部と、その胸部に爻+爻(り)形の文様を加えた形。爻+爻を独立した字と解すれば会意となるが、全体象形と解してよい字である。爻+爻はその文身の模様。両乳を中心として加えるもので、爽(そう)・奭(せき)などは女子の文身を示す。爽の上半身の形が爾にあたる。みな爽明・靡麗(びれい)の意のある字である。〔説文〕三下に「麗爾なり。猶ほ靡麗のごときなり」とし、その字形は冂(けい)と爻+爻とに従い「其の孔(あな)爻+爻(うるは)し。入+小(じ)聲」と形声に解し、窓飾りの格子の美しいさまであるという。爻+爻を二爻(こう)、疏窓の形とするものであるが、爽の字形からも知られるように、両乳の部分に文身を加えた形。通過儀礼の際に呪禁として加えるもので、おそらく死喪のとき、朱を以て絵身を施したものであろう。ゆえにまた靡麗の意となる。二人称に用い、また状態詞の語末、接続の語などに用いるのはみな仮借。〔詩、小雅、采薇〕「彼の爾(でい)たるは維(こ)れ何ぞ」の爾は薾の仮借。薾は文身の美を、花に移していうものであろう(字通)
と解釈している。
なお、「然」「爾」は、「しこうして」の意の「而」とともに接続詞として使われるが、三者の違いはこう比較されている(字源)。
「而」は、て、にて、して、しかるに、しかも、などと訓み、「承上起下之辞」と註す。されば而の字を句中に置くときは、かならず上下二義あり、上下の二義、折るることあり、「哀而不傷」の如し、折れざることあり、左傳に「有威而可畏、之謂威」の如し。折るる場合には、しかもと訓むべし、
「然」は、而と同用にして、意重し、しかれどもと訓むときは、雖然(すいぜん けれども)の義にして、語緊(かた)し、
「爾」は、如是(にょぜ 如此)の義にて、然と同じ。卓然を卓爾、卒然を卒爾などと云ふにて知るべし。但し、然の字よりは意軽し、……爾時は然りし時の義にて、其の当時をさして云ふ。故に、爾の字を一に指辞とも解す、
要は、意味の差ではなく、意の重さを言うだけのようである。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
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たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願へば衣(きぬ)に着るといふものを(万葉集)
の、
業(な)る、
は、
生業(なりわい)として育てている、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
業(な)る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
生業とする、
生産する、
営む、
といった意味である(学研全訳古語辞典)。類聚名義抄(11〜12世紀)に、
業、ナリハヒ・ナル、家業、ナリハヒ、
とある。
「なる(成)」と同語源か、
とある(精選版日本国語大辞典)ように、
なる、
は、
成る、
為る、
生る、
ともあて、
現象や物事が自然に変化していき、そのものの完成された姿をあらわす(広辞苑)、
ナル(自然にできあがる)、成る、生る、為るは同語原(日本語源広辞典)、
植物の実が「なる」ように時が自然に経過してゆくうちに、いつの間にか、状態・事態が推移して、ある別の状態・事態が現れでる意(岩波古語辞典)、
と、その原意はほぼ共通している。
業る、
とおなじく、
生る、
成る、
為る、
とあてる、
なる、
も、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用になるが、大雑把に分けて、まず、
生る、
とあてる、
なる、
は、
なかったものが、新たに形をとって現われ出る(精選版日本国語大辞典)、
何もなかったところに、自然に何がが形をなして現れる(岩波古語辞典)、
という意味で、
親無しに汝(なれ)奈理(ナリ)けめや(日本書紀)、
と、
(この世に)存在するようになる、
生れ出る、
意や、
橘はおのが枝々那例(ナレ)れども(日本書紀)、
と、
みのる、
実を結ぶ、
意で使い、次に、
成る、
為る、
とあてる、あるいは、
化る、
ともあてる(大言海)、
なる、
は、
ある状態が自然に変化していき別の状態に至る(岩波古語辞典)、
あるものやある状態から、他のものや他の状態に変わる(精選版日本国語大辞典)、
という意味で、
世の中は恋繁(しげ)しゑや斯(か)くしあらば梅の花にも奈良(ナラ)ましものを(万葉集)、
と、
あるものから他のものに変化する、
意や、
梅の花咲きたる園の青柳(あおやぎ)はかづらにすべく奈利(ナリ)にけらずや(万葉集)、
と、
ある状態から他の状態に移り変わる、また、ある状態に達する、
意や、
君が行き日(け)長く那理(ナリ)ぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ(古事記)、
と、
その時刻や時期に達する、その時に至る、また、時が経過する、
意や、
四位にもなるべき年にあたりければ(大和物語)、
と、
官職に任ぜられる、任命される、
意、逆に、
入道かたぶけうどするやつがなれるすがたよ(平家物語)、
と、
みじめな状態になる、おちぶれる、
意、こうした意の変形で、
せめられわびて、さしてむとおもひなりぬ(大和物語)、
と、動詞の連用形に付けて、補助動詞のように用い、
……するに至る、
意で使う。さらに、
成る、
とあてる、
なる、
は、
行為の結果が現われる(精選版日本国語大辞典)、
ものごとが成長発展して、そのものとして完成された形になる(岩波古語辞典)、
という意味で、
室草(むろがや)の都留(つる)の堤の那利(ナリ)ぬがに児ろは言へどもいまだ寝(ね)なくに(万葉集)、
と、
物事ができあがる、
やっていたことがしあがる、
意や、
思ふことならで、世中に生きて何かせん(竹取物語)、
と、
望んでいたことが実現する、思いがかなう、
意や、
防人に発(た)たむ騒(さわ)きに家の妹が業(な)るべきことを言はず來(き)ぬかも(万葉集)、
と、
生活が営んでいける、
意だが、ここでは、
農事に関する諸注意、
をさし、
農事の手立て、
をいう(伊藤博訳注『新版万葉集』)。また、特に、
此鬼も酒が一つ成るいやい(狂言・伯母が酒)、
と、
酒が飲める、いける、
意でも使う。最後に、
事柄が自然に成就すると表現することによって、高貴の人の行為を表す(岩波古語辞典)、
意味で、
殿なむ参り給ふ、御とのゐなるなど(紫式部日記)、
と、
おでましになる、……あそばす、
という意で使い、その延長で、補助動詞として使い、
動詞の連用形や動作性の漢語名詞を、「お書きになる」「ご見物になる」等々、「お…になる」「ご…になる」の形ではさみ、動作主に対する尊敬を表わす。
という使い方もする(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、動詞、
業る、
の連用形の名詞化、
なり(業)、
は、
ひさかたの天路(あまぢ)は遠しなほなほに家に帰りて奈利(ナリ)を為(し)まさに(万葉集)、
と、
生活のための仕事、
生業、
家業、
の意で(伊藤博訳注『新版万葉集』・精選版日本国語大辞典)、この、
なり、
を使った、
なりはひ、
は、
生業、
家業、
とあて(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、和名類聚抄(931〜38年)に、
農、奈利波比、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
稼、ナリハヒ、
穡(農業)、ナリハヒ、
業、ナリハヒ、
書言字考節用集(幕末)に、
活業、活計、穡、ナリハヒ、
等々とあり、その語源としては、
ナリは植物が成ること、転じて生産の意。ハヒはサキハヒのハヒと同じ(岩波古語辞典)、
「ナリ(成り)+ハヒ(状態)」、農業、農作物、生活を立てるための仕事、転じて、職業(日本語源広辞典)、
ハヒは助辞、種(くさ)はひの如し(大言海)、
ナリは五穀ガナリ(生)出るの義(俗語考・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、
等々があるが、
ナリは生成の意のナルの連用形、ハヒはサキハヒのハヒと同じで、広がる意を持つ動詞化接尾語のハフの連用形の名詞化、
とし(日本語源大辞典)、漢語、
生計、
に対応する和語である(仝上)とする。したがって、
なりはひ、
の原意は、
万調(よろづつき)奉る官(つかさ)と作りたるその奈里波比(ナリハヒ)を雨降らず日の重(かさな)れば植ゑし田も蒔きし畠も朝ごとに凋(しぼ)み枯れ行く(万葉集)、
と、
五穀が実るようにつとめること、
つまり、
田畑を耕作すること、農耕、農業、
の意、また、
その作物、
をいう(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。それが敷衍され、
あはれ、いと寒しや、今年こそ、なりはひにも、頼む所すくなく(源氏物語)、
と、
生活していくための仕事、世わたりの仕事、
つまり、
職業、家業、よすぎ、
の意となる(仝上)。だから、
生業、
を、
せいぎょう、
と訓めば、漢語だが、
すぎはい、
とも訓ませ、訛って、
すぎあひ、
とも訓ませる(仝上)。
幸はふ、
いはふ(祝ふ・斎ふ)、
わざわひ、
で触れたように、、
はふ、
は、
イハフ(祝・斎)サキハヒ(幸)・ニギハヒ(賑)・ケハヒ(気配)のハヒ・ハフに同じ、
で(大言海・岩波古語辞典)、接尾語として、
辺りに這うように広がる意を添えて動詞をつくる、
とされ(岩波古語辞典)、
這ふ、
延ふ、
と当て、
這い経るの意、
とある(大言海)。
這ふ⇔延ぶ、
と、
這ふは、延ふに通じ、延ふは這ふに通ず、
とあり(仝上)
蔓草や綱などが物に絡みついて伝わっていく、
意で(岩波古語辞典)、「ハヒ」は、この、
「はふ」の連用形です。
「はふ」は「延ふ」で〈蔓が延びていくように、物事が進む、広まる、行きわたる〉というような意味、
とするのが大勢の解釈となる(https://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_18.html)。だから、
「にぎはひ」の「ハヒ」、
も、
「さきはひ」の「ハヒ」、
も、
「けはひ」の「ハヒ」、
も、
這ふ、
延ふ、
の
ハヒ、
で、
にぎはひ、
は、
和やかな状態が打ち続き盛んになる意、人々が寄り集まり、和やかに繫盛する意(日本語源広辞典)、
となり、
さきはひ、
は、
サク(咲)・サカユ(栄)・サカル(盛)と同根、生長の働きが頂点に達して、外に形を開く意(岩波古語辞典)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、
「幸、又福を訓むも、先の字に通えり」(和訓栞)、万葉集に見える幸延國の義なるべし、幸(サキ)の動く意なり(大言海)、
となり、
けはひ(「気配」は後世の当て字)、
は、
ケ(気)+ハヒ(事のひろがり)。何となく感じられるさま(日本語源広辞典)、
ケは気、ハヒは延の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
ケ(気)ハヒ(延)の義。ハヒは、辺り一面に広がること、何となく、辺りにスー感じられる空気(岩波古語辞典)、
となり、「ハヒ」を、
延ふ、
這ふ、
から来た、
広がる、
延びる、
という状態表現の言葉と見る。しかし、
ハヒ、
を、
ハフ、
とつなげるのは音韻の類似性から来た付会なのではないか、という気がする。だから、異説がある。
サチイハフ(幸祝ふ)は「イ」を脱落してサチハフ(幸ふ)になった。〈サチハヘ給はば〉(祝詞)。サチハフ(幸ふ)も子交(子音交替)[tk]をとげてサキハフ(幸ふ)になった。「栄える。幸運にあう」という意である。〈しきしまのやまとの国は言霊のサキハフ国ぞ〉(万葉集)。(中略)サキハフ(幸ふ)は、キハ[k(ih)a]の縮約でサカフ[fu](栄ふ)になり、さらにサカウ(kawu)を経てサカユ[ju](栄ゆ)に転音した。……サキハフ(幸ふ)の連用形サキハヒ(幸ひ)は子音[k]を脱落してサイハヒ(幸)になった、
とある(日本語の語源)。
この説に従うなら、「ハヒ」=「ハフ(這・延)」は成立しない。
「サキハヒ」が、
サチイハヒ(幸祝ひ)、
なら、「ワザハヒ」(災い・禍・殃)は、
ワザイハイ(業祝ひ)、
と、神意を承けて祝う意(ワザは鬼神のなす業(わざ)、ハヒはその状(さま)をあらわす)となり、「ニギハヒ」は、
ニギイハイ(和祝ひ)、
とになり、
なりはひ、
も、
ナリイハヒ(業(なり)祝ひ)、
となるが、そもそも、
和(にぎ)を活用す、和(なぎ)に通ず、荒るるに対す(大言海)、
とするなら、
にぎはふ、
は一語であり、「にきはふ」の「にぎ」は、「荒(あら)」の対である、
やわらぐ、
意の、
にぎ(和)、
を活用したものなのだとすると、「ハヒ」説は適用できない。「ニギ」を活用した動詞には、四段活用の、
にぎはふ(賑)、
の他に、
にぎぶ(賑 上二段活用)、
にぎははす(賑 他動詞)
にぎほほす(賑 形容詞)、
等々があり(大言海)、「ニギ」と「ハヒ」を分ける説自体が成り立たないかもしれない。
けはひ、
も、また、
キイハヒ(気祝ひ)、
といえなくもない。「け(気)」は、
霧・煙・香・炎・かげろうなど、手には取れないが、たちのぼり、ゆらぎのでその存在が見え、また感じ取れるもの、
である(岩波古語辞典)。
いはふ、
は、
祝ふ、
斎ふ、
と当て、原義は、
吉事・安全・幸福を求めて、吉言を述べ、吉(よ)い行いや呪(まじない)をする、
意である。
わざわひ、
の場合、ことに、
隠された神意に呪(まじない)する、
意の、
わざ+いはい、
はあり得る気がする。そして、憶説ながら、
サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、
とした転訛に倣うなら、
ワザイハフ(業祝ふ)→ワザハフ→ワザハヒ→ワザワイ、
という転訛もあり得るし、
ナリイハヒ(業祝ひ)→ナリハフ→ナリハヒ→ナリワイ、
という転訛かもしれない。もちろん、憶説に過ぎないが。
「業」(漢音ギョウ、呉音ゴウ)は、「一業所感」で触れたように、
象形。ぎざぎざのとめ木のついた台を描いたもの。でこぼこがあってつかえる意を含み、すらりとはいかない仕事の意となる。厳(ガン いかつい)・岩(ごつごつしたいわ)などと縁が近い、
とある(漢字源)が、別に、
象形。楽器などをかけるぎざぎざのついた台を象る。「楽器を架ける横板」を意味する漢語{業 /*ng(r)ap/}を表す字。のち仮借して「わざ」を意味する漢語{業
/*ng(r)ap/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%AD)、
象形。かざりを付けた、楽器を掛けるための大きな台の形にかたどる。ひいて、文字を書く板、転じて、学びのわざ、仕事の意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板」の象形から「わざ・しごと・いた」を意味する「業」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji474.html)、
象形。上部は鑿歯(さくし)(ぎざぎざ)の形。下に長い柄があり、これで地を撲(う)って固めた。撲はもと業と廾(きよう)とに従い、業を両手でもつ形である。〔説文〕三上に「大版なり。鐘鼓を飾縣する所以なり。捷業(せふげふ)(楽器かけ)は鋸齒の如し。白を以て之れを畫く。其の鉏ム(そご)相ひ承くるに象るなり」という。〔詩、周頌、有瞽〕に「業を設け虡を設く」、その〔毛伝〕に業を「大板なり。栒(しゆん)を飾りて縣を爲す所以なり」とみえる。版築において土を撲つのに用いるものと、楽器を懸ける栒虡(しゆんきよ)に用いるものと、その形が似ているので、同じ名でよばれているのであろう。事業の意は、版築によって城壁を造営することから出ており、当時としては大事業であったので、〔詩、大雅、常武〕「赫赫業業として 嚴たる天子有り」のように、形況の語に用いる。〔爾雅、釈詁〕に「業は事なり」とあり、版築のことが字の本義である(字通)、
ともあり、
ぎざぎざのとめ木のついた台、
が、
のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板、
と特定されたものだということがわかる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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息の緒に思へる我れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ(万葉集)
の、
山ぢさの花にか、
を、
しぼみやすいえごの木の花のように、
と注釈し、
山ぢさのあだ花になってしぼんでしまったのでしょうか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
息の緒(いきのお)、
は、
息が長く続くのを緒にたとえた表現、
で、万葉集では、
息の緒に、
の形で、
命のかぎり、
命がけで、
の意で用いる(仝上)。
山ぢさ、
は、
山萵苣、
とあて、
山に生えているチシャノキ、
をいい、
ムラサキ科の落葉高木、
であるが、
エゴノキの別名、
ともされ(広辞苑)、一説に、
イワタバコ、
ともされる(岩波古語辞典)。
チシャノキ、
は、
ムラサキ科チシャノキ属の落葉高木、
で、和名は、
若葉の味がチシャに似ている、
また、
樹皮や葉がカキノキに似ている、
ことから、
カキノキダマシ、
ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8E%E3%82%AD_(%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%82%AD%E7%A7%91))とある。
本州の中国地方、四国、九州の浅い山地に生え、高さ約五メートル。樹皮は紫色を帯び、葉は長さ五〜一五センチメートルの楕円状倒卵形で縁に鋸歯(きょし)がある。初夏、枝の先に白色で先端の五裂した小さな花の密集した円錐状の花序を出す。果実は径約五ミリメートルの球形で橙黄色に熟す。材は家具・細工物に、古くは樹皮を染料に使った、
とある(精選版日本国語大辞典)。また、
樹皮にタンニン、アラントイン、蔗糖(スクロース)を含み、アラントインは地下部に多く、上に行くに従って減少し、葉には含まれない、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8E%E3%82%AD_(%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%82%AD%E7%A7%91))。江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安)には、
売子木(チサノキ)按売子木今謂知佐乃木者与此形状大異、
とあり、
ちさのき、
とも訛り、
ちさ、
かきのきだまし、
また、
とうびわ、
ともいう(仝上)が、
エゴノキの別名
ともある(大和本草)。
エゴノキ、
は、
斎墩果、
とあて(動植物名よみかた辞典)、
エゴノキ科 エゴノキ属の落葉小高木、
で、和名エゴノキは、
果皮は有毒でのどを刺激してえごいためであろう、
とある(https://www.ffpri.affrc.go.jp/kys/business/jumokuen/jumoku/zukan/egonoki.html)。最大樹高、
15メートル前後、樹高のわりに余り幹は太くならず最大胸高直径は50cm程度である、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%8E%E3%82%AD)、
樹皮は暗灰色にして平滑であるが、老樹では外皮に浅い縦裂を生ずる。枝はジグザグに屈曲し、帯紫褐色をなし、外皮は細長い線状となって剥げる。葉は有柄で互生し、狭長卵形で先端は尖り、上面は緑色をなし、下面は淡緑色をなす。短枝上端および上部の葉腋に短い花序を出し、1〜4個の花を開き下垂する。果実は球形または卵形で、熟すると果皮が裂け、中から褐色で堅い1種子を出す、
とあり(https://www.ffpri.affrc.go.jp/kys/business/jumokuen/jumoku/zukan/egonoki.html)、
材は、建築材、器具材、土木用材などに使用し、果皮は、長さ10 - 13
mmの卵球形で灰白色をしており、大きい種子を1個含む。熟すと果皮は不規則に破れて種子が露出する。花期は初夏、果実は同年秋に熟す、
といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%8E%E3%82%AD)、
果実は、有毒でこれをすりつぶして、川に流し魚をとる用に供する、
とある(https://www.ffpri.affrc.go.jp/kys/business/jumokuen/jumoku/zukan/egonoki.html)。
イワタバコ、
は、
岩煙草、
とあて、
イワタバコ科の多年草、
で、日本の山地の湿った岩上に生える。この名は、
葉の形や花の感じがタバコに似て岩の上に生える、
のでこの名がある。
葉は軟らかく、少数(1〜3枚)が褐色の毛を有する根茎から出て、岩壁では垂下している。形は楕円形から長楕円形、先はとがり、辺縁には不整のまばらな鋸歯があり、葉身基部は葉柄に流れ翼状となる。花期は夏、10cm前後の花茎を垂らし、数個から20個近い花を散状につける。淡紫色の花は径2cmほど、花冠は放射状に5深裂し、5本のおしべと1本のめしべを有する。果実は細長く、多数の微細な種子をいれる刮ハ(さくか)。越冬芽はちりめん状の葉を有していて特異である。若葉は苦みがあるが軟らかく粘り気があって食用にされ、胃腸薬として民間で利用されることがある、
とある(世界大百科事典)。この別名が、
岩萵苣(いわじさ)、
である(動植物名よみかた辞典)。ちなみに、和名、
チシャ(萵苣)、
古名を、
ちさ、
といい、これは、
チは茎葉を断つときは、乳汁の如きもの出づる、
より(大言海)、
乳草(ちちくさ)の略、
とされる(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%82%B9)、
キク科の一年草または二年草、
の、レタス、サラダ菜、カキチシャ、タチヂシャなどに大別される代表的な蔬菜、
をいい(精選版日本国語大辞典)、
全体に白粉を帯び、切ると白い乳液が出る。根生葉は楕円形で大きく、茎葉は茎を抱く。夏、枝先に舌状花だけからなる淡黄色の花が咲く、
とあり(仝上)、ヨーロッパ原産で、古くから栽培されている。日本名のレタスは、
英名lettuce、
から取られたもので、語源はラテン語で、「牛乳」という意の語、
Lac、
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%82%B9)。和名で、
乳草、
というのも、レタスの切り口から出る白い液体の見た目に基づき付けられた呼び名である(仝上)。和名類聚抄(931〜38年)に、
苣、知散、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
白苣、知佐、
字鏡(平安後期頃)に、
苣、知佐、
萵、知左、
とある。なお、
球萵苣(タマヂシャ)
というと、
レタスの別名、
で、結球性のレタスをいい、結球のゆるいものをサラダ菜ということもある(デジタル大辞泉)とある。
ちしゃ、
ちさ、
の呼び方については、「観智院本名義抄」に、
「チサ」「チシャ」の両表記が見られ、中世以降の辞書類には「チシャ」と附訓されている。これは仮名文字が作られた頃のサ行音は〔 ʃ
〕という拗音性の音価で、これを仮名一文字で表記したが、後に他の行の表記にあわせて、「サ=〔 sa 〕」から「シャ=〔 ʃa
〕」へと表記が変わったことによるものである、
とある(精選版日本国語大辞典)。ついでながら、この、
萵苣、
の別名は、
エゴノキ、
である(レ精選版日本国語大辞典)。また、
野萵苣(のぢしゃ)、
というと、
スイカズラ科ノヂシャ属、
で、江戸時代に長崎で栽培されていたものが野生化したといわれ、本州や九州の道端などにみられる帰化植物。
枝先に2mm程度の淡青色の漏斗状の小さな花が、びっしり咲きます。花は、先端が5裂していて、雄蕊が3個あります。花の下部には丸い子房があります。茎が何度も二又に分岐し細く伸びるのが特徴です。分岐した部分の下に、長さ2-4cm程度の長倒卵形〜長楕円形の葉が対生します。果実は、大きさ2mm強程度でほぼ円形です。中に2mm程度の種子が1個あり、硬く、形は舟形で凹みがあります。葉は柔らかくサラダに使用されます、
とある(https://sekainotabinikki.web.fc2.com/syokubutu/hana/nodisya.html)。
瑠璃萵苣(ルリヂシャ)、
というと、
ボリジの和名、
で、
ムラサキ科の一年草、
で、原産地は南ヨーロッパ、古くから薬用植物として利用され、
草丈は50センチメートル内外。茎にも葉にも粗毛が多い。葉は長さ10〜20センチメートルの楕円(だえん)形で、白いうぶ毛に覆われ、ふちには粗い鋸歯(きょし)と剛毛がある。6〜8月に葉のつけ根からさそり形花序を出し、直径2〜3センチメートルの瑠璃(るり)色で星形の花を下向きに開く。開花が始まると、つぼみが次々にできて、1か月くらい咲き続ける。花には、甘味と酸味がある。葉はキュウリに似た香りがあり、サラダに入れる。花もサラダの彩りや砂糖菓子として楽しめる、
とある(日本大百科全書)。
赤萵苣(アカジジャ)、
というと、
クスノキ科の落葉低木、
で、
薬用植物の、
シロモジの別称、
である(動植物名よみかた辞典)。
白文字、
とあて、
クスノキ科の落葉低木で高さ6メートルに達する。幹は灰褐色、小形で円い皮目があり、年を経た枝は暗灰褐色。葉は互生し、倒卵形で長さ8〜12センチメートル、普通は三つに中裂し、3脈が目だつ。雌雄異株。花は4月、小形の散形花序につき、淡黄色、葉と同時に開く。果実は球形で径約1センチメートルで黄緑色に熟す幹が白みを帯びるため、クロモジに対してこの名がある。材を杖(つえ)などに利用する、
とある(日本大百科全書)。
沢萵苣(さわぢしゃ)、
というと、
さわおぐるま(沢小車)」の異名、
で、
多年草.草丈50〜80
cm.茎は太くて柔らかく、葉とともに白いくも毛がある.根出葉はロゼット状、楕円形〜長楕円形あるいは披針形、長さ12〜25 cm、幅1.5〜7
cm、有柄.茎葉は卵状披針形、基部は広く茎を抱く.頭花は6〜30個の散房状または散状に付き、径3.5〜5 cm、
とあり(https://www.pharm.kumamoto-u.ac.jp/yakusodb/detail/005752.php)、利尿作用があるとされ、
全草を煎じて冷めないうちに服用するか、頭花に熱湯を注いで服用する、
とある。
川萵苣(カワヂシャ)、
というと、
で、
オオバコ科クワガタソウ属の越年草、
溝の縁や田に生える。茎は直立または斜上して高さ10〜100cm、葉とともに無毛である。葉は狭卵形または長楕円状狭卵形で先はややとがり、基部は円形で柄がなく茎をやや包み、縁にはややとがる鋸歯があり、長さ2.5〜8cm、幅0.5〜2.5cm。葉腋に長さ5〜15cm、幅1〜1.5cmの細い花序を出し、50〜120個の花をつける。花柄は長さ3〜5mm、腺毛を散生し、果期にまっすぐに斜上する。萼裂片は狭卵形でとがる。花冠は白色から白紫色で淡紫色の脈があり、皿状に広く開き、径4〜6mm。さく果は球形で先がわずかにへこみ、長さ幅とも2.5〜3.2mm、先端に長さ1〜1.5mmの花柱がある。種子は板状の楕円形で長さ0.5mm、幅0.4mm。
花期は5〜6月。、
とあり(https://matsue-hana.com/hana/kawadisya.html)、
葉はチシャに似る、
のでこの名がある(デジタル大辞泉)。若葉は食用にする(精選版日本国語大辞典)。
ぎばそう、
さんらいそう、
さんれいそう、
の別名がある(仝上)。
菊萵苣(キクヂシャ)、
というと、
キク科の一〜二年草。野菜としてヨーロッパで広く栽培され、日本には江戸初期に渡来した。茎は高さ約一メートルになり、若い茎、葉には白い細毛を疎生する。根葉は長楕円形で波状のしわがある。茎葉は三角形で互生し、長さ約一〇センチメートルの縁は鋸歯(きょし)状。基部は茎を抱く。五〜六月、葉腋(ようえき)に径三〜四センチの紫色の頭花を開く。サラダなどに用いる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
きくぢさ、
はなぢしゃ、
オランダちさ、
エンダイブ、
などともよぶ(仝上)。
「萵」(ワ)は、
会意兼形声。「艸+音符咼(カ まるい、まるい穴)」。葉が内側に曲がって、真ん中がマルクくぼんだやさい、
とあり(漢字源)、「ちさ」「レタス」を指し、「萵菜(ワサイ)」「萵苣(ワキョ)」と使う。別に、
形声。「艸」+音符「咼」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%B5)、
とある。
「苣」(漢音キョ、呉音ゴ)は、
会意兼形声。「艸+音符巨(キョ 間をへだてる)、
とある(漢字源)。
「炬」に同じ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A3)、
とあり、「たいまつ」の意である。野菜の名「萵苣(かきょ)」に用いられる(https://kanji.jitenon.jp/kanjik/5329)とある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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春日野(かすがの)に咲きたる萩は片枝(かたえだ)はいまだふふめり言(こと)な絶えそね(万葉集)
の、
片枝(かたえだ)はいまだふふめり、
は、
末娘が未婚のままでいる、
意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
言(こと)な絶えそね、
は、親の立場から、
花の状態に対する言問いを絶やさないでほしい、
意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ふふむ、
は、
含む、
とあて、
花や葉がふくらんで、まだ開かないでいる、つぼみのままである、
意である(広辞苑)。
言問ひ、
は、
こととひ、
ことどひ、
ともいい、文字通り、
たずねとうこと、
の意だが、
言葉を言い交わすこと、
さらに、
(求婚の)言葉をかける、
睦(むつ)まじくことばをかわすこと、
で、
娘子(をとめ)壮士(をとこ)行き集(つど)ひかがふ嬥歌(かがひ)に人妻(ひとづま)に我(わ)も交(まじ)はらむ我が妻に人も言とへ(万葉集)
では、
言い寄る、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。ちなみに、
問ひ言(とひごと)、
というと、
昔、忘れぬなめりととひことしける女のもとに(伊勢物語)、
と、
問いかけることば、
また、
その事柄、
の意になる(精選版日本国語大辞典)。
言問ひ、
の動詞が、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
と、自動詞ハ行四段活用の、
言問ふ、
で(学研全訳古語辞典)、
言とはぬ木すら妹(いも)と兄(せ)ありといふをただ独り子にあるが苦しさ(万葉集)
と、
ものを言う、
意、
名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(伊勢物語)、
と、
尋ねる、
意、
わづかにこととふ者とては、峰に木(こ)づたふ猿の声(平家物語)、
と、
訪れる、
意で使う(仝上・岩波古語辞典)。
言痛み、
で触れたように、
こと、
は、
事、
と、
言、
を当て、
こと、
で触れたように、和語では、「こと(事)」と「こと(言)」は同源である。
古代社会では口に出したコト(言)は、そのままコト(事実・事柄)を意味したし、コト(出来事・行為)は、そのままコト(言)として表現されると信じられていた。それで、言と事とは未分化で、両方ともコトという一つの単語で把握された。従って奈良・平安時代のコトの中にも、事の意か言の意か、よく区別できないものがある。しかし、言と事とが観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると、コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり、コト(事)と別になった。コト(事)は、人と人、人と物とのかかわり合いによって、時間的に展開・進行する出来事・事件などをいう。時間的に不変な存在をモノという。後世モノとコトは、形式的に使われるようになって混同する場合も生じてきた、
とある(岩波古語辞典)。モノは空間的、コト(言)は時間的であり、コト(事)はモノに時間が加わる、という感じであろうか。
古く、「こと」は「言」をも「事」をも表すとされるが、これは一語に両義があるということではなく、「事」は「言」に表われたとき初めて知覚されるという古代人的発想に基づくもの、時代とともに「言」と「事」の分化がすすみ、平安時代以降、「言」の意には、「ことのは」「ことば」が多く用いられるようになる、
とある(日本語源大辞典)。しかし、本当に、「こと」は「事」と「言」が未分化だったのだろうか。文脈依存の、文字を持たない祖先にとって、その当事者には、「こと」と言いつつ、「言」と「事」の区別はついていたのではないか。確かに、
言霊、
で触れたように、
「事」と「言」は同じ語だったというのが通説、
である。しかし、正確な言い方をすると、
こと、
というやまとことばには、もともと区別されていたから、
言、
と
事、
の漢字が、あてはめ分けられた、ということではないか。当然区別の意識があったから、当て嵌め別けた。ただ、
古代の文献に見える「こと」の用例には、「言」と「事」のどちらにも解釈できるものが少なくなく、それらは両義が未分化の状態のものだとみることができる、
という(佐佐木隆『言霊とは何か』)。それは、まず、
こと、
という大和言葉があったということではないのか。「言」と「事」は、その「こと」に分けて、当てはめられただけだ。それを前提に考えなくてはならない。あくまで、その当てはめが、
未分化だったと、後世からは見える、
ということにすぎないのではないか。『大言海』は、
こと(事)、
と
こと(言)、
は項を別にしている。「こと(言)」は、
小音(こおと)の約にもあるか(檝(カヂ)の音、かぢのと)、
とし、「こと(事)」は、
和訓栞、こと「事と、言と、訓同じ、相須(ま)って用をなせば也」。事は皆、言に起こる、
とする。それは、「こと(言)」と「こと(事)」が、語源を異にする、ということを意味する。古代人は、「事」と「言」を区別していたが、文字をも持たず、その文脈を共有する者にのみ、了解されていたということなのだろう。
『日本語源大辞典』も、「こと(事)」と「こと(言)」の語源を、それぞれ別に載せている。「こと(言・詞・辞)」は、
コオト(小音)の約か(大言海・名言通)、
コトバの略(名語記・言元梯)、
コトトク(事解)の略(柴門和語類集)、
コはコエのコと同じく音声の意で、コチ、コツと活用する動詞の転形か(国語の語根とその分類=大島正健)、
コはコエ(声)のコと同語で、ク(口の原語)から出たものであろう。トは事物を意味する接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コはクチのクの転。トはオト(音)の約ト(日本語原学=与謝野寛)、
等々がある。「おと(音)」と「ね(音)」は区別されていた。
オト(音)、
は、
離れていてもはっきり聞こえてくる、物の響きや人の声。転じて、噂や便り、
類義語、
ネ(音)、
は、
意味あるように聞く心に訴えてくる声や音、
とある(岩波古語辞典)。「おと」の転訛として、
oto→koto、
があるのかどうか。「こと(事)」は、
トは事物を意味する接尾語で、コはコ(此)の意か(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コト(言)と同義語(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、
コト(言)から。コト(事)は皆コト(言)から起こることから(名言通)、
コト(別)の義(言元梯)、
コト(是止)の義。ト(止)は取りたもつ業をいう(柴門和語類集)、
コレアト(是跡)の義(日本語原学=林甕臣)、
コトゴトク(尽)の略か。または、コは小、トはトドコホル意か(和句解)、
等々とある。確かに、こうみると、
「こと(事)」と「コト(言)」は同義語、
といっただけでは、なにも説明できていないに等しい。「こと(言)」の語源を説明して、初めて同源と説明が付ようだ。
ぼくは、「コト(言)」は、声か口から来ていると思うが、「口」(古形はクツ)は、「食う」に通じる気がするので、やはり、声と関わるのではないか、という気がする。いずれにせよ、
言、
と、
事、
が、同一視されるに至ったことが、
こととひ、
に、
事問ひ、
言問ひ、
と両使いされていることに通じるのだが、それは後世の見解で、あるいは、
言問ひ、
と、
事問ひ、
は、微妙に使い分けられていたのかもしれないが、いまとなっては区別がつかない。
問う、
については取り上げたことがあるが、
問ふ、
は、
訪ふ、
とも当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
わからないことを明らかにするために相手に聞く、
意と、
人を訪れ見舞う、
意とがある(広辞苑)。もともと、
問ふ、
には、
何・何故・如何に・何時・何処・誰などの疑問・不明の点について、相手に直接ただしてことめる意、従って、道をきき、占いの結果をたずね、相手を見舞い、訪問する意の場合も、その基本には、どんな状態かを問いただす気持ちがある。類義語タヅヌ(尋)は物事や人を追い求めるのが原義。トブラフ(訪)は、相手を慰めようと見舞い、物を贈る意。オトヅル(訪)はつづけて便りをし、見舞う意、
とある(岩波古語辞典)。で、その由来は、
外言(トイ)フの約かと云ふ(大言海)、
トイフ(外言)の略(和訓栞)、
「ト(問)+フ」。訪問した家の戸口に立って、人の安否を尋ねる意。質問と訪問、罪を問う、問題を問う、世に問うなどいずれも同源(日本語源広辞典)、
トイヒフ(戸言経)の義(日本語原学=林甕臣)、
トイフ(戸言)の義(和句解・日本語原学=林甕臣)、
戸歴の義(名言通)、
戸口で問うところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
ト(音)を活用した語(日本語源=賀茂百樹)、
聞き止めようとして訊ねるところから(国語本義・本朝辞源=宇田甘冥)、
トフラフ(訪)の義から(言元梯・国語の語根とその分類=大島正健)、
コトカフ(言請)の略か(和語私臆鈔)、
トモハル(友晴)、またトモフル(友融)の反(名語記)、
質問する意のト(甲類音)フの他に、音(オト)をたてる意のト(乙類音)フがあり、これが訪問の意味を持つに至る(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々諸説あるが、上代では、
とふ、
の、
と、
は、
質問する、
意の場合は、
さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて斗比(トヒ)し君はも(古事記)、
道斗閇(トヘ)ば直(ただ)には告(の)らず当芸麻道(たぎまち)を告る(古事記)、
などと、
甲類音(「万葉集」では乙類も)、
であるが、
訪問する、
意の場合は、
天皇崩(かむあが)りまして後、天の下治(し)らす可き王(みこ)無(ましま)さず。是に日継(ひつぎ)知らす王を問(とふ)に(問日繼所知之王)(古事記)、
と、
乙類音、
で(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
本来同語であったものが意味分化したとする説もあるが、「質問する」意味の場合は甲類、「訪問する」意味の場合は乙類と、本来は意味の違いにより別語として区別されていたものが音と意義の類似から混用されるようになったものか、
とある(仝上)。その意味では、上記の語原説は、
質問する意のト(甲類音)フの他に、音(オト)をたてる意のト(乙類音)フがあり、これが訪問の意味を持つに至る(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
以外は、一緒くたにしていて、採るに堪え得ない。
なお、漢字「言」と「事」については、
人言、
で触れた。
「問」(漢音ブン、呉音モン)の異体字は、
䠺、䦒、蔄、问(簡体字)、𠳅、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%95%8F)。字源は、
会意兼形声。門は、二枚の扉を閉じて中を隠す姿を描いた象形文字。隠してわからない意や、わからないところを知るために出入りする入口などの意を含む。問は「口+音符門」で、わからないことを口で探り出す意、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(門+口)。「左右両開きの戸の象形」と「くちの象形」から人の家の門の前で物事について「たずねる・とう」を意味する「問」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji351.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「口」+音符「門 /*MƏN/」。「たずねる」を意味する漢語{問 /*muns/}を表す字。東周時代に *-wən
と *-un の二つの発音が接近したことにより、「門」が音符として充当された(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%95%8F)、
形声。口と、音符門(モン)→(ブン)とから成る。口で聞きただす意を表す(角川新字源)、
と、形声文字とするもの、
会意。門(もん)+口。門は家廟の廟門。口は祝禱を収める器の形でᗨ(さい)。祈って神意を問う。〔説文〕二上に「訊(と)ふなり」とあり、言部三上に「訊は問ふなり」とあるのと互訓。訊の初形は口+允+糸(じん)に作り、罪人や俘虜を糾問する意であるから、訊と問とは大いに字義が異なる。問は神意に諮(はか)り問う意。〔書、呂刑〕「皇帝、下民に清問す」、〔詩、大雅、緜〕「亦た厥(そ)の問(ぶん)を隕(おと)さず」とは、みな神意に関していう。のち問答や、人に問遺する意などに用いる(字通)、
と、会意文字とするものに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
佐佐木隆『言霊とは何か』(中公新書)
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はなはだも降らぬ雨故(あめゆゑ)にはたつみいたくな行きそ人の知るべく(万葉集)
の、
はなはだも降らぬ雨、
は、
それほど足繁く通ったわけでもないのに、
の意を譬える(伊藤博訳注『新版万葉集』)とあり、
にはたつみ、
は、
庭の水溜まり、
の意で、
男の譬え、
とし、
そうたいして降らぬ雨なのに、庭の水溜まりよ、勢いよく流れて行かないでおくれ、
と訳す(仝上)。普通、
にはたつみ、
は、
にはたづみ、
とも濁るが、冒頭の、
はなはだも降らぬ雨ゆゑ庭立水(にはたつみ)いたくな行きそ人の知るべく、
で、
庭立水、
とあてているところから、
にはたつみ、
という清音もあったとされる(精選版日本国語大辞典)。
にはたづみ、
は、
潦、
行潦、
庭潦、
庭水、
などとあて(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(931〜38年)に、
潦、爾八太豆美(にはたづみ)、雨水也、、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
潦、ニハタヅミ・アマミヅ、
字鏡(平安後期頃)に、
潦、ススグ・イタム・アマリミヅ・ウツクシビ・アマミヅ・コミノミヅ・ナミ・ニハタヅミ・ユルブ、
とあり、冒頭の、
はなはだも降らぬ雨ゆゑ庭立水(にはたつみ)いたくな行きそ人の知るべく、
のように、
雨が降ったりして、地上にたまった水、または、あふれ流れる水、
水たまり、
の意の他に、
庭中に跪(ひざまづ)きし時、にはたづみ腰に至りき(古事記)、
と、
急にひどく降る雨、
急にひどく降ってあふれ流れる水、
の意もある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。また、
行く水の止らぬ如く常も無く移ろふ見れば爾波多豆美(ニハタヅミ)流るる涙止めかねつも(万葉集)、
と、地上にたまった水が流れるようすから、
「流る」「川」「行く」「すまぬ」「行方しらぬ」にかかる枕詞、
としても使われる(仝上・デジタル大辞泉)。この、
にはたづみ、
の由来は、
ニハはニハカ(俄)同根(岩波古語辞典)、
「には」は俄か、「たづ」は夕立ちの「たち」、「み」は水の意というが、平安時代には「庭只海」とりかいされていたらしい(広辞苑)、
俄泉の意と云ふ、或は云ふ、場立水(ニハタツミズ)の義と(大言海)、
ニハカ(俄)ツ-ミ(水)の転で、ツは語助(東雅)、
俄立水(万葉集類林・日本語源=賀茂百樹)、
ニハタツミヅ(場立水・庭立水)の義(万葉集類林・日本語源=賀茂百樹)、
庭+タズミ(淵)、雨が降って地上に流れ溜まった水のこと(日本語源広辞典)、
ニハタマリミヅ(庭溜水)の義(日本語原学=林甕臣)、
ニハツイヅミ(庭津水)の義(冠辞考続貂)、
ニハカイテミツ(俄出水)の義(名言通)、
俄泉の転(冠辞考・類聚名物考・言元梯)、
タツミはチカタルウミの反(名語記)、
等々、諸説あるが、
「には」は「にはか(俄)」とする説もあるが、その文字表記や、「書陵部本名義抄」に記されているアクセントなどから「庭」と関連づける説が有力、
とされる(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。存外、冒頭の歌の原文、
甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知
で、
庭立水、
とあてた万葉仮名が、正鵠を射ているのかもしれない。
「潦」(ロウ)は、
会意兼形声。「水+音符ォ(リョウ・ロウ ま長く続く)」
とある(漢字源)。「長雨」、「路上や庭にたまった水」の意である(仝上)。ただ、他は、
形声。「水」+音符「ォ /*REW/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BD%A6)、
形声。声符はォ(りよう)。〔説文〕十一上に「雨水の大いなる皃なり」とあり、行潦をいう。溢流する水で「にわたずみ」の意。〔詩、召南、采蘋〕「于(ここ)に以て藻を采る 彼の行潦に」は、谷川のささやかな流れをたとえていう。その水藻は「澗溪(かんけい)沼沚(せうし)の毛(水草)」として、神饌とした。潦倒は人のうらぶれた、しどけない姿をいう。落托と似た語である(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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大和の宇陀の真赤土(まはに)のさ丹付(につ)かばそこもか人の我(わ)を言(こと)なさむ(万葉集)
の、
真赤土、
の、
真、
は、
完全を示す接頭語、
赤土、
は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)の、
埴(はに)に寄す
の、
埴、
と同じで、
顔料に用いる赭土、粘土、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
埴(はに)、
は、
埴生、
で触れたように、
質の緻密な黄赤色の粘土、昔はこれで瓦・陶器をつくり、また、衣に摺りつけて模様を表した、
とある(広辞苑)。
埴土(はにつち)、
赤土(あかつち)、
黄土、
ねばつち、
粘土(ねんど)、
へなつち(粘土・埴)、
へな、
はね、
ともいう(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、
土黄而細密曰埴、波爾、
とある。
さ丹付(につ)かば、
は、
さ丹付(につ)く、
で、
赤面することの譬、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
さ丹、
は、
サは接頭語、
で、
丹、
は、
赤い色、
の意、
丹着く、
丹付く、
の、
つく、
は、
接尾語、
で、
「がたつく」「ぶらつく」「ふらつく」などのように、擬声語・擬態語などについてこれを四段活用の動詞化し、そういう動作をする状態、そのような状態になってくる意を表わす、
とみる(精選版日本国語大辞典)こともできるが、
つく、
で触れたように、
付く、
着く、
とあて、
「ツク(付着する)」です。離れない状態となる意です、
という意(日本語源広辞典)で、
二つの物が離れない状態になる(ぴったり一緒になる、しるしが残る、書き入れる、そまる、沿う、注意を引く)、
という意味になり、ここでは、
丹に染まる、
意と見ていいだろう。たとえば、
ま櫛もち ここにかき垂れ 取り束ね 上げても巻きみ 解き乱(みだ)り 童(わらは)髪になしみ さ丹つかふ 色になつける 紫の 大綾(おほあや)の衣(きぬ)(万葉集)、
の(「童(わらは)髪」はざんばらがみの意)、
さ丹つかふ、
では、
サは接頭語、
で、
丹つかふ、
は、
丹着くに反復継続の接尾語フのついた形、
で、
赤味ががる、
意となり、
フ、
は、
四段活用の動詞を作り、「呼ぶ」「散る」ならば普通一回だけ呼ぶ、散る意を表すが、「散らふ」「呼ばふ」といえば、何回も繰り返して、呼ぶ、散る戸をはっきりと表現する。元来は、四段活用の動詞「アフ(合)」で、これが動詞連用形の後に加わって成立したもの、
とあり(岩波古語辞典)、
さ丹つかふ 色になつける、
は、
ほの赤い頰によく似合った。
と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。また、
何かと問はば 答へ遣(や)る たづきを知らに さ丹つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ(万葉集)、
での、
さ丹つらふ、
は、
凛々しく立派な、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、
サ、
は、接頭語、
赤い頬をした、
の意で(岩波古語辞典)、
紅顔の意から、「君」「妹」、赤い色の意から、「もみぢ」「紐」「色」にかかる枕詞、
とする(仝上)説のほか、
(後世「さにづらう」とも)赤く照り輝いて美しいの意。「色」「君」「我が大君」「妹」「紐」「紅葉(もみじ)」を形容することばとして用いられる。「つらう」は、一説に、「移らふ」の意とする、
ととする説(精選版日本国語大辞典)もある。ただ、
「万葉集」に九例あるが、すべて連体修飾語として用いられており、枕詞とする説もある。中古、中世には用例がほとんど見られないが、近世に至って国学者達によって再び用いられるようになる、
と付説してもいる(仝上)。
埴生、
で触れたように、
はに(埴)、
の、
に、
にあてる字は、
土、
丹、
で、
土・丹の意をなす「な」の転(広辞苑)、
に(丹)はニ(土)と同根(岩波古語辞典)、
ニ(丹)は赤土(アカニ)に起こる(大言海)、
とあり、
土、
と
丹、
の両者の関係は深いが、
土(に)、
は、
櫟井(いちひゐ)の丸邇坂(わにさ)の邇(ニ)を端土(はつに)は膚赤らけみ底土(しはに)はに黒きゆゑ三栗のの中つ邇(ニ)を(古事記)、
と、
土、特に赤い色の土、
また、
取り佩ける大刀の手上に丹(に)画き著け(古事記)、
と、
辰砂(しんしゃ)あるいは、赤色の顔料、
つまり、
あかに、
を言い(日本語源大辞典)、
丹(に)、
は、
海は即ち青波浩行(ただよ)ひ、陸は是れ丹(に)の霞空朦(たなび)けり(常陸風土記)、
と、
赤い色(日本語源大辞典)、
あるいは、
朱色の砂土、顔料にした(岩波古語辞典)、
を言うので、
赤色の土→赤色→顔料、
という流れが通底しているのだとは思う。で、
土(に)、
の語源は、
ハニ(埴)の義(類聚名物考・言元梯・名言通)、
粘液ある物であるところから(日本語源=賀茂百樹)、
とし、
丹(に)、
の語源は、
アカニ(赤土)から(国語本義・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
朝日がニイと出た時の色は赤いところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
ニホフの語根ラの名詞化で、映ある物を示す(国語の語根とその分類=大島正健)、
と、由来を分けているが、
丹、
の色から、
土、
丹、
と、漢字を当て別けただけで、
赤土=に(丹・土)、
として使っていたのに違いない。
「丹」(タン)の異体字は、
㐤、㣋、𠁿(古字)、𠂁、𠕑(古字)、𢒈、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9)。字源は、「あをによし」で触れたように、
会意文字。土中に掘った井型のわくの中から、赤い丹砂が現れ出るさまを示すもので、あかい物があらわれ出ることをあらわす。旃(セン 赤い旗)の音符となる、
とある(漢字源)が、
会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9)、
と、会意文字ともあり、また、
象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1213.html)、
象形。丹井(たんせい)に丹(に)のある形。丹は朱砂の状態で出土し、深い井戸を掘って採取する。〔説文〕五下に「巴越の赤石なり。丹井にるに象る。丶は丹の形に象る」という。〔史記、貨殖伝〕に、蜀の寡婦の清が、丹穴を得て豪富をえたことをしるしている。〔書、禹貢〕に、荊州に丹を産することがみえる。金文の〔庚贏卣(こうえいゆう)〕に「丹一木+厈(かん)」を賜うことがみえ、聖器に塗るのに用いた。甲骨文の大版のものには、その刻字の中に丹朱を加えており、今も鮮明な色が残されている。〔抱朴子、仙薬〕には、丹を仙薬とする法をしるしている。丹には腐敗を防ぐ力があり、古く葬具にも用いられ、殷墓からは、器が腐敗し、その朱色が土に残された花土の類が出土する(字通)、
は、象形文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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真鉋(まかな)持ち弓削(ゆげ)の川原の埋(うも)れ木のあらはるましじきことにあらなくに(万葉集)
の、
真鉋、
は、
「弓削」の枕詞、
で、
かんなで弓材を削る意、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、
鉋(かんな)で弓材を削るところから、同音の地名「弓削(ゆげ)」にかかる、
意である(精選版日本国語大辞典)。
埋もれ木、
は、
泥に埋れていて化石状になった木、
の意だが、
人に秘した交際の譬え、
として使われている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
真鉋、
の、
ま、
は、
接頭語、
鉋、
の美称で、
かな、
は、大言海は、
鐁、
鏟、
とあて、
掻(か)く、薙(な)ぐの語根、弓削(ゆみけづり)、弓削(ゆげ)と同趣、
とし、音便に、
かんな、
というとした上で、
古へのカナは、今のヤリガンナなり、
としている。天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)には、
鏟、平木鐵也、加奈、
和名類聚抄(931〜38年)には、
鐁、平木器也、賀奈、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
鉇、カンナ・ケズル、
とある。ちなみに、
鉇、
は、
やりがんな、
と訓ませている(山川日本史小辞典)、
槍鉋、
とも当て、
釿(ちょうな)などで荒削りしたものを仕上げるのに使う、
とある(仝上)。なお、
かな、
と
かんな、
については、「新撰字鏡」(平安前期)や「十巻本和名抄」(931〜38年)、「色葉字類抄」(1177〜81)には、
カナ、
「観智院本名義抄」(11〜12世紀)には、
カンナ、
カナ、
両形がみえ、節用集類にも両形がみえるが「カンナ」の方が多い。「日葡辞書」(1603〜04)では、
Cannat(カンナ)、
を掲出するが、複合語には両形が用いられている(精選版日本国語大辞典)とあるので、後世になるほど、大言海のいう、
音便化、
によって、
カンナ、
となっていったとみることができる。
マカナ(真鉋)、
の、
ま、
は、
発語(大言海)、
鉋(かんな)の美称(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)
マは接頭辞(広辞苑)、
とあるが、接頭語
ま(真)、
は、
名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
真鳥、
で触れたように、
片(かた)の対、
で、
名詞・動詞・形容詞について、揃っている、完全である、優れている、などの意を表す(岩波古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞・形容動詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる(精選版日本国語大辞典)、
体言・形容詞などに冠し、それそのものである、真実である、正確であるなどの意を表す(広辞苑)、
等々とあり、
ま袖、真楫(かじ)、真屋、
では、
二つ揃っていて完全である、
意を表し、
「ま心」「ま人間」「ま袖」「ま鉏(さい)」「ま旅」、
等々では、
完全に揃っている、本格的である、まじめである、
などの意を添え、
「ま白」「ま青」「ま新しい」「ま水」「ま潮」「ま冬」、
等々では、
純粋にそれだけで、まじりもののない、全くその状態である、
などの意を添え、
「ま東」「ま上」「ま四角」「まあおのき」「真向」、
等々では、
正確にその状態にある、
意を添え、
「ま玉」「ま杭(ぐい)」「ま麻(そ)」「ま葛(くず)」、
等々では、
立派である、美しいなどの意を込めて、ほめことば、
として用い、
真弓、真澄の鏡、まそ鏡、
等々では、
立派な機能を備えている、
意を表し、
真名、
では、
仮(かり)のもの(仮名・平仮名・片仮名)でも、略式でもなく、正式・本式であること、
を表し、
真鴨、真葛、真魚、真木、ま竹、まいわし、
では、
動植物の名に付けて、その種の中での標準的なものである、その中でも特に優れている、
意を表す(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)ので、ここでは、単なる、
美称、
ではなく、
真弓、真澄の鏡、まそ鏡、
と同じく、
立派な機能を備えている、
意を表している。
かな、
は、上述のとおり、
カは掻(か)くの語根、ナは薙(な)ぐの語根、
が由来と思われるが、この、
かな、
は、室町以前は、槍の穂先のそったような、
やりがんな、
を指していた(日本語源大辞典)。上述したように、
鉇、
槍鉋、
鑓鉋、
とあてる(山川日本史小辞典・精選版日本国語大辞典)。
やり、
ともいい、
竿がんな、
ともいう(精選版日本国語大辞典・大言海)。
やりがんな、
は、形状は、
やや上に反った剣先状にとがらせた両刃の刃先を長さ40センチメートルくらいから1.5メートルくらいの棒状の柄に取り付けたもので、先端が三角形になり、その両縁に刃をつけて、釿(ちょうな)で斫(はつ)った(削った)面を仕上げる。ちょうなで斫った面は、その刃幅の境目が凸凹になっており、凸部分をやりがんなで削り取って表面を平らにする、
というもので、台がなく、槍の穂先に似ているのでこの名があり、少しそりをもたせてある。突くようにして木材を削り、平面に仕上げる(デジタル大辞泉・ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書)。
やりがんな、
は、
古墳時代から古代、中世にかけての鉋(かんな)で、法隆寺、唐招提寺、平等院、東大寺南大門などは、やりがんなで仕上げられている。正倉院にも伝存し、中国から朝鮮半島を経由してもたらされたものの一つである。室町時代なかばに、
台鉋(だいがんな)、
が伝来して、姿を消した(日本大百科全書)。ちなみに、
ちょうな、
は、
手斧、
釿、
とあて、「ておの」の音変化したもので、
直角に曲がった大きな平鑿(ひらのみ)に木製の柄をつけた鍬形の斧。木材を荒削りしたのち平らにするのに用いる、
とある(デジタル大辞泉)。
台鉋(だいがんな)、
は、
樫(かし)の台木に、刃を適当に傾けてはめこんだ鉋、
をいい、現在普通に用いられる鉋のこと。室町時代に作られ、それ以前の突き鉋・槍鉋に対していう(デジタル大辞泉)。ここにある、
突鉋(つきがんな)、
は、
おけかんな、
ともいい、
刃が広くて、その両端に柄をつけ、それを両手にもって、前へ突き出すようにして物をけずるもの。桶などの製作に用いる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
かんな、
は、
古語かなの音便(大言海)、
「かな(鉋)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
とするが、
掻き+ナ(刃)で、カキナ、カイナ、カンナと変化した(日本語源広辞典)、
カキナ(掻刃)の転(言元梯・国語の語根とその分類=大島正健)、
カキナデ(掻撫)の義(名言通)、
カキナグル(燕石雑記・守貞謾稿)、
と、
掻く、
という行為から由来しているとする説が多い。普通に考えると、しかし、同じく、
掻く、
を由来とするのだし、かつて、
加奈(かな)、
または、
加牟奈(かんな)
とあてていた(世界大百科事典)ことを考えると、
かな→かんな、
でいいのではないか。なお、
鉋、
にあたる漢字に、
鐁
鏟
錑、
等々があるが、
錑、
は、わが国では、
もじり、
にあて、
先が螺旋らせん状をし、丁字形の柄をまわしながら穴をあける錐、
の意で使う(字源・精選版日本国語大辞典)。
鐁、
は、
やりがんな、
と訓ませる(精選版日本国語大辞典)。
鏟(さん・せん)、
は、中国漢代には、除草・中耕用の農具の鋤、唐代には大型の鑿(のみ)状工貝をいったものらしいが、現在ではものを削平にする道具をいい、日本では、鍛冶屋の地金透(す)き工具で、和名類聚抄(931〜38年)に、
鏟、奈良之(ならし)、
とあり、
木を平らに削る工具でもあるとしている(世界大百科事典)。
両手使いで、鍛冶用は押して、木工用は引いて削る。中国明代の『正字通』に、
鉋は鏟を木筐中に銜(ふく)む、
とあり、台鉋(だいがんな)のことを意味すると考えられる。現代は銑の字があてられるが、
鏟(銑)、
は、
桶屋、杮(こけら)屋、下駄屋などが用いる、
とある(仝上)。
「鐁」(シ)は、
会意兼形声。「金+音符斯(ばらばらに裂く)」、
とあり(漢字源)、かんな、の意である。
「鏟」(漢音サン、呉音セン)の異体字は、
铲(簡体字)、𨪑、𨲨(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8F%9F)。字源は、
会意兼形声。「金+音符産(胎児かけ母胎から切れて離れる)」、
とある(漢字源)。「かんな」とある(字源)が、「木や石を削って平らにする鉄製の道具」をいい、転じて、くわ、シャベルの意となる(漢字源)ともある。別に、
形声文字、「金」+ 音符「産」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8F%9F)、
ともあり、「かんな」の意とともに、「ショベル」、「スコップ」の意もある(仝上)。
「鉋」(漢音ホウ、呉音ビョウ)は、
会意兼形声。「金+音符包(外側をつつむ、都側をこする)」
とあるが(漢字源)、
形声。声符は包(ほう)。鉄刃で木を平らかに削るもの。かんな(字通)、
ともある。
「錑」(ライ)は、
会意兼形声。「金+音符戻(もつれる、よじる)」。もれて散るように木の皮をけずるかんな、
とある(漢字源)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫き漕(こ)ぎ出(で)なば沖は深けむ潮は干(ひ)ぬとも(万葉集)
の、
漕(こ)ぎ出(で)なば、
は、
交際に踏み切ることの譬え、
とし(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
沖は深けむ、
は、
将来二人の仲は深まろう、
の意(仝上)、
干ぬ、
は周囲の情勢が悪化することの譬え、
と注釈する(仝上)。
しじ貫く、
は、万葉仮名で、
真梶之自奴伎(シジヌキ)、
と、
真楫(まかぢ)しじ貫き、
の形で用いられ、
左右の楫を舷側から、ぎっしり突き出す、
意である(広辞苑)。
しじぬく、
は、
繁貫く、
とあて、
か/き/く/く/け/け、
の、他動詞カ行四段活用で、
シジはシジ(縮・緊)と同根、ぎっしりとあるさま(岩波古語辞典)、
「しじ」は繁く、「ぬく」はつき通すの意(精選版日本国語大辞典)、
とあり、文字通り、
繁(しげ)く貫く(大言海)、
多く貫く、ぎっしりとすきまなく貫く(精選版日本国語大辞典)、
意だが、
(船のかいなどを)たくさん取り付ける(学研全訳古語辞典)、
舟の楫(かじ)・櫂(かい)を数多く取り付ける(岩波古語辞典)、
(左右の楫を舷側から)ぎっしり突き出す(広辞苑)、
艪ろや櫂かいなどをすきまなく突き通して並べる(デジタル大辞泉)、
等々、特に、
かいを船ばたにたくさんとりつける、
意で使うようだ(精選版日本国語大辞典)。上代語で、近世和歌における擬古例を除いては「万葉集」等の上代の用例に限られる(精選版日本国語大辞典)とあり、
大船に真梶シジヌキ、
という慣用用法が圧倒的に多く、全例がその上に三音節語の「真梶(まかぢ)」「真櫂(まかい)」「小梶(をかぢ)」を承接している(仝上)。で、
しじにぬく、
の縮約形と考えられている(仝上)とある。
しじに、
は、
繁に、
とあてるが、その、
しじ、
の、
繁、
は、
シジミ(縮)・シジニ(繁)・シジマ(黙)・シジラ(縬)・シジミ(蹙)などの語根、
とあり(岩波古語辞典)、
美濃山に之之(シジ)に生ひたる玉柏豊の明(あかり)に会ふが愉しさや会ふが愉しさや(催馬楽)、
と、
こんもりと、
ぎっしり、
の意で、
木の生い茂っているさまを表わす語、
としてや、
竹珠(たかたま)を密(しじに)貫き垂れ斎瓮(いはひへ)に木綿(ゆふ)取りしでて斎(いは)ひつつ(万葉集)、
と、
物の目がつんでいてすきまのないさま、
ぎっしりつまって密集しているさま、
ぎっしりと、
ぎっしりいっぱいに、
と、
数量の多いさまを表わす語、
として使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、
口などをきっと閉じて無言であるさま、
などもあらわす(岩波古語辞典)ともある。
「貫」(カン)は、
会意文字。もと、丸い貝を二つひもでつらぬき通した姿を描いた象形文字。のち、「毌(抜き通す)+貝(貨幣)」、
とある(漢字源)。同じく、
会意形声。貝と、毌(クワン)(つらぬく)とから成り、ひもに差し通した銭の意を表す。ひいて「つらぬく」意に用いる(角川新字源)
会意兼形声文字です(毌+貝)。「物に穴をあけ貫き通す」象形と「子安貝(貨幣)」の象形から、「貫き通した銭」、「つらぬく」を意味する「貫」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1610.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、
会意。貝+毌(かん)。毌は貝を貫く形。〔説文〕七上に「錢貝の貫なり」とあって、ぜにさしをいう。金文の図象に、貝を二つ連ねて綴るものがあり、前後二系を合わせて一朋という。朋はもと貝を綴った形。ものを貫くことから、継続慣行の意となる(字通)、
と、会意文字とするもの、いずれも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、
「毌」+「貝」、
という分析によっているが、これは、
金文などの資料とは一致しない誤った分析である。また、「毌」なる字の実在は確認されていない、
と否定し(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%AB)、
象形。縦棒が二つの貝を貫通した形を象る。「つらぬく」「うがつ」を意味する漢語{貫 /*koons/}を表す字、
としている(仝上)。
「繁」(@漢音ハン、呉音ボン、A漢音ハン、呉音バン)の、異体字は、
䋣(本字)、緐(別体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)。字源は、「しみみに」で触れたように、
会意兼形声。毎は子を産むように、草のどんどんふえること。繁の字の音符は「糸+毎(ふえて多い)」の会意文字で、ふさふさとした紐飾り。繁はそれに支(動詞の記号)を加えた字で、どんどんふえること、
とあり(漢字源)、「繁茂」「繁盛」「繁文縟礼」「頻繁」などは@の音、馬のたてがみにつけるふさふさとした飾りの意の時は、Aの音とある(仝上)。他に、
会意兼形声文字です(毎(每)+攵(攴)+糸)。「髪飾りをつけて結髪する婦人」の象形(「髪がしげる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手でボクッと打つ」の意味)と「より糸」の象形から、「しげる」を意味する「繁」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1353.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、また、
会意、糸と每(たくさんあるさま)とから成る。多くの糸をつけることから、馬のたてがみのかざりの意を表す。転じて、「しげる」、さかんの意に用いる。旧字は、形声で、糸と、音符敏(ビン)→(ハン)とから成る。常用漢字はその省略形による(角川新字源)、
会意。敏(敏)(びん)+糸。敏は婦人が祭事にあたって髪に盛飾を加える形で、祭事に奔走することを敏捷という。疌(しよう)はその側身形に足を加えた形。髪に糸飾りをつけて繁という。繁は繁飾の意。〔説文〕十三上に緐を正字とし「馬の髦飾(ばうしよく)なり。糸毎に從ふ」(段注本)とし、〔左伝、哀二十三年〕「以て旌緐(せいはん)に稱(かな)ふべけんや」の文を引くが、馬飾の字は樊(はん)に作り、樊纓(はんえい)といい、繁とは別の字である。樊纓は馬の「むながい」。紐を縦横にかけたもので、樊がその義にあたる。婦人の盛飾を每(毎)といい、その甚だしいものを毒といい、祭事にいそしむを敏捷といい、その髪飾りの多いことを繁という(字通)、
と、会意文字とする説もあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)、
形声。「攴」+音符「緐 /*PAN/」。「しげる」を意味する漢語{繁 /*ban/}を表す字(仝上)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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伏越(ふしこえ)ゆ行かましものをまもらふにうち濡らさえぬ波数(よ)まずして(万葉集)
の、
伏越、
は、
這って越えるような難所の意か、
として、
険しい通い路の譬え、
とし(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
まもらふ、
は、
波の様子を見守っているうちに、
の意だが、
ぐずぐずしているうちに人に知られた、
の含意、
波数(よ)まずして、
は、
波の間合いをはからなかったので、訪れる頃合いを誤ったことをいう、
としている(仝上)。
数(よむ)、
は、
よむ、
読む、
で触れたが、
ヨムという我々の動詞は算(かぞ)えること、また暗誦することをも意味していた(柳田國男「口承文芸史考」)、
とあるように、
読む、
は、
一つずつ順次数えあげていくのが原義。類義語カゾフは指を折って計算する意、
とあり(岩波古語辞典)、
ぬばたまの夜渡る月を幾夜経(ふ)とよみつつ妹は吾を待つらむぞ(万葉集)、
と、
一定の時間をもって起こる現象を、一つ一つ数え上げていく、
意の
數(よ)む、
から、
人の世となりて素戔嗚尊よりぞ、みそもじあまりひともじはよみける(古今和歌集・序)、
と、
一つ一つの音節を数えながら和歌を作り出す、
意の、
詠(よ)む、
あるいは、
維摩詰(ゆいまつき)のかたちをあらわして維摩経をよめば即ちやみぬ(三宝絵)、
と、
書かれた文字を一字ずつ聲立てて唱えてゆく、
唱えて相手に聞かせる、
意の、
誦(よ)む、
さらには、
春の日と書いてかすがとよめば、法相擁護の春日大明神(平家物語)、
と、
訓読する、
意の、
訓(よ)む、
となり、
よむ、
の、
数える、
意は、
錢をよむという事(世間胸算用)、
に生きている(仝上)し、そこから、
志学垂統と私かに題せる冊子に録せり。後の人々これをよんで知るべし(蘭学事始)、
と、
古典をよむ、
というような、
文書を見て、意味をといて行く、
意や、そうした意味をメタファにして、
腹をよむ、
暗号をよむ、
と、
了解する意、
や、
顔色をよむ、
敵の作戦をよむ、
消費者動向をよむ
と、
推測する、
意や、囲碁・将棋などで、
先の手を考える
意でも使う(広辞苑)。
まもらふ、
は、
守らふ、
とあて、
「まもる」に接尾語「ふ」のついた語(広辞苑)、
動詞「まもる」の未然形+上代の反復継続の助動詞「ふ」から(デジタル大辞泉)、
動詞「まもる(守)」の未然形に、反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
マモルに反復・継続の接尾語フのついた形(岩波古語辞典)、
とあり、
見守り続ける、
じっと見つめている、
という意になる。
フ、
は、動詞の未然形の下に付いて、
は|ひ|ふ|ふ|へ|(へ)、
の、
四段活用の動詞を作り、「呼ぶ」「散る」ならば普通一回だけ呼ぶ、散る意を表すが、「散らふ」「呼ばふ」といえば、何回も繰り返して、呼ぶ、散る意をはっきりと表現する。元来は、四段活用の動詞「アフ(合)」で、これが動詞連用形の後に加わって成立したもの(岩波古語辞典)、
語源は、動詞「ふ(経)」と関連づける説もあるが、動詞「あふ(相・合)」で、本来、動詞の連用形に接したものとすべきであろう。「万葉集」などでは「相・合」の字を用いていることも多く、また、動詞「あふ」との複合した形と区別できかねるものもある(精選版日本国語大辞典)、
とあり、この「ふ」は、
奈良時代特有の語で、まれに、
「流らふ」「伝たふ」「寄そふ」など、下二段活用動詞「流る」「伝(つ)つ」「寄す」に付いた「ふ」があり、これらは下二段型活用として用いられ(精選版日本国語大辞典)、
また、
「捕らふ」「押さふ」などにも下二段型活用をする「ふ」があるが、これらは、語源を下二段動詞「敢(あ)ふ」に求めることもできる(仝上)、
とあり、また、
主にラ行動詞に付くときは、「移ろふ」「誇ろふ」のように未然形語尾のア列音がオ列音に変わることがある(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
とある。この「ふ」が助動詞として用いられたのは上代であり、中古になると、
「語らふ」「住まふ」「慣らふ」「願ふ」「交じらふ」「守らふ」「はからふ」「向かふ」「呼ばふ」など、特定の動詞の活用語尾に残るだけとなり、接尾語化した。したがって、中古以降は「ふ」を伴ったものを一語の動詞と見なすのが常である(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
とされる。この、
ふ、
は、現代語でも、、
「住まう」「語らう」などの「う」にその痕跡が見られる(デジタル大辞泉)。
フ、
の反復・継続の用例は、
をとめの寝(な)すや板戸を押そぶら比(ヒ)我が立たせれば(古事記)、
秋萩の散ら敝(ヘ)る野辺の初尾花仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて雲離(くもばな)れ(万葉集)、
では、その動作が反復して行なわれる意を表わし、
しきりに…する、
何回も繰り返して…する、
意で、
楯並めていなさの山の木の間よもい行き目守(まも)ら比(ヒ)戦へば(古事記)、
では、その動作が継続して行なわれる意を表わし、
…し続ける、
ずっと…する、
意で、
常なりし笑(ゑ)まひふるまひいや日(ひ)異(け)に 変はら経(ふ)見れば 悲しきろかも(万葉集)、
では、その変化がずっと進行していく意を表わし、
次第に…する、
どんどん…していく、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。で、
まもらふ、
は、
守らふ、
とあて、冒頭の、
伏越(ふしこえ)ゆ行かましものをまもらふにうち濡らさえぬ波数(よ)まずして(万葉集)
の、
見守りつづける、
じっと見つめている、
と、動詞「もる(守)」の未然形に反復・継続を表わす助動詞「ふ」が付いて一語化した、ハ行四段活用以外に、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
と、他動詞ハ行下二段活用の、
まもらふ、
があり、
目を放ち給はず、まもらへておはする(宇津保物語)、
と、
見守る、
じっと見つめる、
意と、
宜しうなりぬる男の、かく、まがふ方なく、一つ所をまもらへて(源氏物語)、
と、
大切に守る、
保護する、
大事にする、
意でも使う(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。なお、
前にふせて、つねまぼらへてぞある(宇津保物語)、
と、
まぼ(守)らふ、
という言い方があり、これは、
動詞「まぼる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」、
の、
他動詞ハ行下二段活用で、
室町時代はヤ行にも活用した、
とある(仝上)。また、
烏常に啄み効ひて、日毎に来り候(モラ)ふ〈真福寺本訓釈 候 毛良不〉(日本霊異記)、
と、
守る、
を、
もらふ、
と訓ませると、
候ふ、
とも当て、やはり、
動詞「もる(守)」の未然形に反復・継続を表わす助動詞「ふ」が付いて一語化したもの、
で、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
と、ハ行四段活用の、
見守り続ける、
じっと見つめている、
意となる(精選版日本国語大辞典)。
「守」(漢音シュウ、呉音シュ・ス)の異体字は、
㝊、䢘、垨、𡧕、𡬮、𡬴、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%88)。字源は、
会意文字。「宀(やね)+寸(て)」で、手で屋根の下に囲い込んでまもるさまを示す、
とある(漢字源)。同じく、
会意。宀と、寸(右手)とから成り、家の中で事をつかさどる、ひいて「まもる」意を表す(角川新字源)、
会意。宀(べん)+寸。宀は廟屋。廟屋の中で、ことを執ることをいう。〔説文〕七下に「守官なり」とし、宀を寺府、寸を法度の意とするが、金文には又(ゆう)に従う形もあり、また干又に従う字もあり、扞衛を主とする字である。のち官守のことをいい、また「道を守る」「拙を守る」のように、抱持・操守の意に用いる(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、
形声。「宀(家・建物)」+音符「寸(肘) /*TU/」。「まもる」「たもつ」を意味する漢語{守 /*stuʔ/}を表す字。
『説文解字』では会意文字と誤った解釈がなされているが、金文を見ればわかるように、「肘」の原字を音符にもつ形声文字である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%88)、
と、会意文字を否定している。なお、別に、同じ字解ながら、
会意兼形声文字です(宀+寸)。「屋根・家屋」の象形と「右手の手首に親指を当て脈をはかる」象形(「手」の意味)から家屋を手で「まもる」を意味する「守」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji457.html)、
と、会意兼形声文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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御幣(みぬさ)取り三輪の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ(万葉集)
の、
三輪の祝、
の、
祝(はふり)、
は、
三輪の社の神職、
の意だが、
女の夫の譬え、
とし(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
斎(いは)ふ杉原、
は、
妻の譬え、
としているが、
上三句は親が大切にする深窓の女性の譬え、
とも解せる(仝上)とする。
薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧取らえぬ、
は、
大切な手斧をとりあげられるところだった、
の意だが、
手を出してひどい目にあいかけた、
の意を譬える(仝上)とする。
伐(こ)る、
については、
樵(こる)、
で触れたように、
樵る、
伐る、
と当て、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
伐、キル・コル、
とあり、
枝を切ること、
また、
株を残して立木を切る、
意とある(岩波古語辞典)。
ほとほとし、
は、
殆し、
幾し、
とあて、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、冒頭の、
御幣帛(みぬさ)取り神の祝(はふり)がいはふ杉原薪(たきぎ)伐(こ)り殆之国(ほとほとシくに)手斧(てをの)取らえぬ(万葉集)
の、
ほとんどそうしそうである、
もうすこしでそうなるところである、
の意だが、そのほかに、
乱り心地いと堪へがたうて、まかでむ空もほとほとしうこそ侍りぬべけれ(源氏物語)、
と、
危険が非常にさし迫っている、
きわめてあやうい、
無事でいられそうにない、
意や、更に特定して、
ほとほとしき病者(びやうざ)を(宇津保物語)、
久しうここちわづらひてほとほとしくなん有りつる(後撰和歌集)、
と、
すんでのところで死にそうである、
生命があぶない、
危篤である、
といった意で使う(デジタル大辞泉・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
ほとほとし、
のもとになっているのは、副詞、
ほとほと、
で、色葉字類抄(1177〜81)には、
殆、ほとほと、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
殆、ホトホト・ホトホド、
幾、ホトホト、
字鏡(平安後期頃)には、
殆、ホトホト、
幾、ホ(ト)ホ(ト)シ、ホトホト、
とあり、
事の進みがぎりぎりのところまで、立ち至っている状態にいう、
とあり(岩波古語辞典)、由来は、
邊邊(ほとり)の意という(大言海)
ハツハツ(端々)の義(国語溯原=大矢徹)、
ハタハタ(端々)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ホトはハト(端処)の転(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々諸説あるが、
辺や側を示す「ほとり」の語基「ほと」の畳語で、「境界をなす部分(周縁)において」を原義とする、
とある(日本語源大辞典)。なお、ホトリのホトをハタ(端)の母音交替形とする説に従えば、
ハツハツ(端々)の義(国語溯原=大矢徹)、
ハタハタ(端々)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
とする説もあり得る(仝上)。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、ホトホド(類聚名義抄)・ホトヲト(色葉字類抄・名語記)などと発音され、室町中期以降「ほとんど」(文明本節用集)の形をとり、今日に至る。
とある(岩波古語辞典・日本語源大辞典)。ただ、上代には、後述するように、
「に」を伴う用法が主であったが、中古以降「に」を伴わない用法が優勢となる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、で、
幾(ホトほと)に人を失ひつる哉(かな)(日本書紀)、
では、すっかりそうなるわけではないが、事態が進んでそれに非常に近い状況になるさまを表わして、
もう少しのところで、
すんでのことに、
あやうく(…するところだ)、
意や、
法文の事をいふに、智海ほとほと云まはされけり(宇治拾遺物語)、
と、まったくというわけではないが、比率的に見て大体そういう状態であるさまを表わし、
大方、
ほとんど、
の意、さらに、後には、
イヤもう何が不景気で、ほとほと致します(滑稽本「人間万事虚誕計(1813)」)、
と、切実であるさまを表わす語。苦しい事態や悪い状況が続いて、困惑したり、うんざりしたりする場合にいうことが多い使い方で、
ほんとうに、
まったく、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。
「殆」(漢音タイ、呉音ダイ)は、
会意兼形声。台(タイ・イ)は「㠯(すき)+口」よりなり、すきを用いて働いたり、口でものをいったりして、人間が動作することを示す。以(作為を加える)・治(人工でみずをおさめる)などと同系。殆は「歹(死ぬ)+音符台」で、これ以上作為すれば死に至ること、動けば危ないさまをあらわす、
とある(漢字源)。しかし、他は、
形声。「歹」(「死」)+音符「台 /*LƏ/」。「あやうい」を意味する漢語{殆 /*ləəʔ/}を表す字。のち仮借して「ほとんど」を意味する副詞の{殆
/*ləəʔ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%86)、
形声。歹と、音符台(タイ)とから成る。危険がせまる、「あやうい」、転じて「ほとんど」の意を表す(角川新字源)、
形声文字です(歹+台)。「肉の削りとられた人の白骨死体」の象形と「農具:すきの象形と口の象形」(大地にすきを入れてやわらかくするさまから、「心がやわらぐ・よろこぶ」の意味だが、ここでは、「始・胎」に通じ(「始・胎」と同じ意味を持つようになって)、「きざし(物事が起こる前の小さな変化)」の意味)から、死のきざし、すなわち「あぶない」を意味する「殆」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2547.html)、
形声。声符は台(たい)。歺(がつ)は残骨の形。〔説文〕四下に「危きなり」とあり、危殆の意。危害に殆(ちか)づく意で、また「殆(ほとん)ど」という副詞によむ。幾にも「幾(ちか)し」「幾(ほとん)ど」という訓がある。いずれも、古い呪儀を示す字と思われる(字通)、
と、すべて形声文字としている。
「幾」(漢音キ、呉音ケ)は、
会意文字。幺二つは、細かくかすかな糸を示す。戈は、ほこ。幾は「糸ふたつ(わずか)+戈(ほこ)+人」で、人の首にもうわずかで、戈の刃が届くさまを示す。もう少し、ちかいなどの意を含む。わずかの幅を伴う意からはしたの数(いくつ)を意味するようなった、
とある(漢字源)。他も、
会意。𢆶(ゆう)(かすか)と、戍(じゆ)(まもり)とから成る。軽微な防備から、あやうい意を表す(角川新字源)
会意文字です。「細かい糸」の象形と「矛(ほこ)の象形と人の象形」(「守る」の意味)から、戦争の際、守備兵が抱く細かな気づかいを意味し、そこから、「かすか」を意味する「幾」という漢字が成り立ちました。また、「近」に通じ(「近」と同じ意味を持つようになって)、「ちかい」、「祈」に通じ、「ねがう」、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「いくつ」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji1288.html)、
会意。𢆶 (し)+戈(か)。〔説文〕四下に「微なり。殆(あやふ)きなり。𢆶
(いう)に從ひ、戍(じゅ)に從ふ。戍は兵守なり。(幽)にして兵守する者は危きなり」という。𢆶を幽、幽微の意より危殆の意を導くものであるが、𢆶は絲(糸)の初文。戈に呪飾として著け、これを用いて譏察のことを行ったのであろう。〔周礼、天官、宮正〕「王宮の戒令糾禁を掌り、〜其の出入を幾す」、〔周礼、地官、司門〕「管鍵を授けて、〜出入する不物の者を幾す」など、みな譏呵・譏察の意に用いる。ことを未発のうちに察するので幾微の意となり、幾近・幾殆の意となる(字通)。
と、会意文字とするが、
象形。原字は「戌」(斧の象形)と「𰏯」(奴隷の象形)から構成され、奴隷を殺すさまを象る。「たちきる」を意味する漢語{刏 /*kəi/}を表す字。のち仮借して「いくら」「いくつ」を意味する漢語{幾
/*kəiʔ/}や「ほとんど」を意味する漢語{幾 /*ɡəi/}、「きざし」を意味する漢語{機 /*kəi/}や「こいねがう」を意味する漢語{冀 /*krəi-s/}などに用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%BE)、
と、象形文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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秋の夜の心もしるくたなばたのあへる今夜(こよひ)は明けずもあらなむ(後撰和歌集)
の、
心もしるく、
は、
「心」は長いという秋の夜の持つ意味であり、また思いやり・情けでもあろう、
と解し、
長いという真意もはっきりあらわれて、
と訳されている(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
しるし、
は、
著し、
とあて、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
の、形容詞ク活用で、
シルシ(徴・標)と同根、ありありと見え、聞こえ、また感じ取られて、他とまがう余地が無い状態(岩波古語辞典)、
知るの活用、シルシ(効・験)と通ず、明白の義(大言海)、
シルス(記)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
白シの義(和訓栞)、
明白の義(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源=賀茂百樹)、
と、その由来を見ると、
知る、
記(しる)す、
しるし(徴・標)、
しるし(効・験)、
白し、
と、その音の一致だけでなく、意味の幅からも、この言葉の奥行きがわかる。例えば、
著、
については、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
著、キル・ツク・ハク・アラハス・シルス・クル・ワタイル、
字鏡(平安後期頃)に、
著、ケガル・アラハス・アキラカナリ・ツラヌク・アツマル・シルシオケリ・ノブ・ツクル・シルス・クルフ・キル・トドマル・ハシ・ハク・キタル・ハウ・ツク・ワタイル、
とあり、
白、
については、類聚名義抄に、
白、シロシ・キヨシ・マウス・スサマジ・サカヅキ・スナホニ・イチジロシ・カタチ・カタラフ・モノガタリ・トトノフ・カナフ、
字鏡に、
白、ヒル・スサマジ・アキラカ・サカヅキ・トトノフ・キヨシ・スナホニ・モノカタリ・カナフ・シロシ・イチジロシ・マウス・スナホナリ、
印、
については、類聚名義抄に、
印、オシテ・シルシ、
字鏡に、
印、ヲシテ・シルシ・マコト、
徴、
については、類聚名義抄に、
徴、シルス・シルシ・ヤム・ハタル・アラハス・メス・モトム・ナス・ナル・タダス・トドム・モヨホス・シキス・セム・イマシム・タフトシ・トガ・カス、
字鏡に、
徴、トドム・シキル・ハタス・コラス・タダス・モヨホス・アラハス・ケヤシ・シルシ・モトム・トガ・ヨシ・ナル・メス・ヤム・セム・タフトシ・アキラカ・イマシム・スク・カス・サス、
記、
については、類聚名義抄に、
記、シルス・オモヒハカル・アヤシフ・ノリ・オモフ・トシ・マツリ、
効、
については、類聚名義抄に、
效、ナラフ・マナブ・シルス・シルシ・アラハス・コノム・キル・コトコトク・イタル・イタス・ツトム・ホシイママ・カムガフ・ススム・マヌガル・ホタル・キラフ、
字鏡に、
效、ホシイママ・キラフ・ススム・カムカフ・ホダス・マナブ・シルス・ムカフ・ナラフ・マヌガル・イタス・コノム・ツトム・ユルス・ナラス・イタル・ハゲマス・アラハス・キル・コトコトク、
験、
については、類聚名義抄に、
驗、シルシ・ミルニ・カムガフ、
字鏡に、
驗、カムガフ・ウツツ・シルシ・アキラカニ・ミルニ・セム、
標、
については、類聚名義抄に、
標、スヱ・コズヱ・サカヒ・ハシラ・オツ・オツルモノ、
字鏡に、
標、スヱ・コズヱ・ケタ・ウツル・サカヒ・ハシラ・ヲツ、
等々とある。で、
しるし、
は、
我が背子が来べき宵なりささがねの蜘蛛のおこなひこよひ辞流辞(シルシ)も(日本書紀)、
と、前兆としてはっきり表れているという意味で、
はっきりしている、
他からきわだっている、
明白である、
いちじるしい、
意や、
秋の野の尾花が末(うれ)を押しなべて來(こ)しくもしるく逢へる君かも(万葉集)、
と、
効験がはっきり現れている、
その甲斐がある、
意、
げにかの弟子の言ひしもしるく、いちしるき事どもありて(源氏物語)、
と、
予言通りに結果が現れている、
意、
人漕がずあらくもしるし潜(かづき)する鴛鴦(をし)とたかべと船の上(うへ)に棲む(万葉集)、
と、
証拠歴然たるものがある、
意、
大伴の遠(とほ)つ神祖(かむおや)の奥城(おくつき)はしるく標(しめ)立て人の知るべく(万葉集)、
と、
明瞭でまぎれることがない、
意、
三月になり給へば、いとしるき程にて人々見たてまつりとがむるに(源氏物語)、
では、特に、
妊娠の徴候がいちじるしい、
意、
さる事はありなんやと思ふもしるく(落窪物語)、
では、
あらかじめ言った事や思った事の通りの結果がはっきりあらわれる、
意、
標(し)めはやしいつき祝ひし之留久(シルク)時にあへるかもや時にあへるかもや(催馬楽)、
では、
努力したかいが明らかに現われる、
意等々と使われる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
しるし(著)、
は、
いちじるしい、
で触れたように、
天霧(あまぎ)らし雪も降らぬかいちしろくこのいつ柴に降らまくを見む(万葉集)、
の、
しろし、
に、
勢いのはげしい意の接頭語(デジタル大辞泉)、
勢いの盛んな意(精選版日本国語大辞典)、
イチはイツ(稜威)の転(岩波古語辞典)、
最(イト)(大言海)、
と、解釈は異なる、
いち、
を冠した、
いちしろし、
は、
いちしるし、
の古形で、
しるし、
は、
はっきりしている意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
はっきりしている、かくれもない(岩波古語辞典)、
の意で、室町時代まで清音で、後に、
いちじるし、
と転訛する。つまり、
イチシロシ→イチシルシ→イチジルシ、
と転訛したとする(岩波古語辞典)。この、
しろ(著)し、
は、
しろし(白)、
と同源とされる、この、
しろし(著)、
は、
「しる(著)し」に同じ、
とはあるが、
しろ(著)し、
と、
しる(著)し、
とは、
しろ(著)し、
が、
春はあけぼの、やうやうしろく成り行く山際少し明かりて(枕草子)、
と、
明るくはっきりしている、
意、
またしろく院方へ参るよしを言ひて思ひ切りて討死やする(保元物語)、
と、
明確だ、
の意と、微妙に、意味が違い、
はっきりしている、
意にシフトしている気がして、『大言海』が、
いちじるし、
あきらかなり、
の意としているのは、的を射ている気がする。憶説だが、
しろし(白)、
の意味と重複していったせいではないかという気がする。その、
しろし(白)、
は、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
の、形容詞ク活用で、
栲綱(たくづの)の斯路岐(シロキ)腕(ただむき)(古事記)、
と、
色が白い、
意で、それをメタファに、
あて宮の御産屋の設けて……大人、童みなしろき装束をし(宇津保物語)、
と、
衣服、紙などで、どの色にも染めてない地のままの白である、また、何も書いてない、
意、
御火志呂久焼け(神楽歌)、
と、
明るい、かがやいている、あざやかである、
意、さらに、「しろし(著)」と通じて、
素(シロ)くいはんはいかがとて哥に(浮世草子「新吉原常々」)、
と、
明白である、あからさまである、はっきりしている、
意で使う。
しろし(白)、
の語源は、
シルシ(著)と通ず(大言海)
シルト(著)と同根、
シルシ(著)の義(和句解・和訓栞)、
シルシキ(知如)の義(名言通)、
シロシ(知志・清呂志)の義(柴門和語類集)、
「知る」の形容詞化(日本語の語源)、
等々とあり、
知る、
も、
占領する意のシル(領)から(日本語の年輪=大野晋)、
という説もあるが、
シロ(明)の義(言元梯)、
明白の意で、シロ(白)の義から派生した語(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々、
しるし(著)、
とのつながりが深い。
しろ、
で触れたように、
しろ(白)、
の語源も、
著(しる)き色の義(大言海)、
シルキ(著)色の義(日本釈名・南留別志)、
シロシ(著)の義(日本語源広辞典)、
シロ(明)の義(言元梯)、
等々、
明、
とつながり、その、
明、
は、
古代日本では、固有の色名としては、アカ、クロ、シロ、アオがあるのみで、それは、明・暗・顕・漠を原義とする(岩波古語辞典)、
ということとつながる。なお、
あか、
あを、
くろ、
については触れた。
しるし(著)、
と同源とされる、
しるす(徴・標・記・銘・証)、
は、
さ/し/す/す/せ/せ、
の、他動詞サ行四段活用で、
新しき年の初めに豊(とよ)の年(とし)しるすとならし雪の降れるは(万葉集)、
と、
徴す、
とあて、
前兆を示す、きざしを見せる、
意、
おそろしげなる者ども、その辺の在家をしるしけるに、我が家をしるし除きければ、たづぬる処に(宇治拾遺物語)、
と、
標す、
とあて、
目印をつける、目印とする、
意、
このころの我(あ)が恋力(こひぢから)記(しる)し集め功(くう)に申(まを)さば五位(ごゐ)の冠(かがふり)(万葉集)、
と、
記す、
誌す、
とあて、
書き付ける、記録する、
意となる(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。この名詞形、
しるし、
は、
標、
徴、
籤、
符、
契、
証、
等々とあて、
ありありと現れ出て、他とまがう余地のないもの、
という意で(岩波古語辞典)、
記すの活用、記(しる)しの義(大言海)、
という由来の、
しるし、
は、
人つく牛をば角を切り、人くふ馬をば耳を切りて、そのしるしとす(徒然草)、
と、
めじるし、
の意、
その派生で、
印、
璽、
とあて、
シルシ(信)の義(名言通)、
シロ(思慮)の転か(和語私臆鈔)、
という由来の、
しるし、
は、
内侍所(ないしどころ)・しるしの御箱、太政官(だいじやうぐわん)の庁へ入らせ給ふ(平家物語)
し、
神璽、
の意と、
効、
験、
証、
とあて、
著(しるし)に通ず(大言海・続上代特殊仮名音義=森重敏)、
しるしべ(知知辺)の義か(和句解)、
という由来の、
しるし、
は、
しるしなき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし(万葉集)、
と、
効果、霊験、
の意、
と、いずれも、
しるし(著)、
と通底していることがわかる。
「著」(@チョ、A漢音チャク、呉音ジャク)は、
会意兼形声。者(シャ)は、柴(しば)を燃やして火熱をひと所に集中するさま。著は「艸+音符者」で、ひと所にくっつくの意を含む。箸(チョ 物をくっつけてもつはし)の原字。チャクの音の場合は、俗字の着で代用する。著はのち、著者の著の意味に専用され、チャクの意に使う時は、着を使うようになった、
とある(漢字源)。なお、「顕著」「著作」「著明」など「あらわす」「かきつける」「いちじるしい」などの意の場合は@の音、「著用(着用)」「定著(着)」「土著(着)」「到(著)着」など「きる」「つく」などの意の場合はAの音となる(仝上)。他は、
会意兼形声文字です(艸+者(者))。「並び生えた草」の象形と「台上にしばを集め積んで火をたく」象形(「多くのものを集める」の意味)から、草の繊維でつくられた衣服を集め、身に付ける、「きる」の意味と、多くのものを集め、はっきりした形に「あらわす」、「あきらかにする」を意味する「著」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1004.html)、
と、会意兼形声もじとするもの、
旧字は、形声。艸と、音符者(シヤ→チヤク、チヨ)とから成る。「つく」意を表す。もと、箸(チヤク はし)の俗字。借りて「あらわす」「いちじるしい」などの意に用いる。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、
と、形声文字とするものに分かれるが、その字解である、
「艸」+「者」という分析は誤りである。漢代に書かれた字を見ればわかるように「艸」とは関係がない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%97)、
とされ、
「箸」の「竹」が略されて「艹」となった異体字。仮借して「あらわす」を意味する漢語{著 /*trak/}に用いる、
とする(仝上)。また、
形声。声符は者(者)(しや)。者は堵(と)・書の字の従うところで、堵は呪符としての書を埋めて、邪霊の侵入を防ぐ堵垣、その呪符の文を書という。その書によって、呪的な力をそこに附著させるので、「著(つ)く」の意となる。その呪力が著明であることから顕著の意となり、著作の意となる。着と同字であるが、その慣用を異にするので、いま着(ちやく)と項目を別にして扱う。〔説文〕には未収。〔広雅、釈詁四〕に「明らかなり」、〔玉篇〕に草の名とする。著作の字に箸を用いることがあるが、それは匙箸(しちよ)の字。秦・漢の碑銘に著の字がみえている(字通)、
との解釈もある。
「白」(漢音ハク、呉音ビャク)の異体字は、
𦣺、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD)。「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、「白毫」で触れたように
象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、
とある(漢字源)が、
象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実(どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます)」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji140.html)、
象形。頭顱(とうろ)の形で、その白骨化したもの、されこうべ。雨露にさらされて白くなるので、白色の意となる。偉大な指導者や強敵の首は、髑髏(どくろ)として保管された。覇者を示す霸(覇)はもと雨+革に作り、雨にさらされた獣皮の意。白・伯と通用する。〔説文〕七下に「西方の色なり。陰、事を用ふるとき、物色白し。入に從ひて二を合はす。二は陰の數なり」と五行説によって説くが、字は二入を合わせた形ではない。郭沫若は、拇指(おやゆび)の爪の部分で、親指で覇者を示したとするが、俗説とすべく、白の従う敫(きよう)・徼(きよう)・竅(きよう)・檄(げき)・邀(きよう)はすべて祭梟(さいきよう)(首祭)の俗に関する字である。殷の甲骨文に、頭骨に朱刻を加えたものがあり、異族の伯の名をしるしている。のちには酒杯や便器に、その頭顱を用いることがあった(字通)
等々とあり、同じ象形説でも、
親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、
「頭の白い骨」とも、「日光」とも、「どんぐりの実」とも言われる象形から(https://okjiten.jp/kanji140.html)、
等々とわかれ、さらに、
陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、
とする会意説もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD)。また、『説文解字』では、
「入」+「二」、
と説明しているが、
これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、「入」とも「二」とも関係がない、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD)、さらに、
漢語{拇 /*məʔ/}との音声的類似を根拠として、親指を象る文字、
という説もかつてあったが、これも、
声・韻の違いが示すようにこの説も誤りである、
として(仝上)、
象形文字だが由来は不明。容器、人の頭など多数の説が存在するが、いずれも憶測に過ぎず、定説は無い。仮借して「しろ」を意味する漢語{白 /*brˤak/}に用いる、
としている(仝上)。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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契りけむ言の葉今はかへしてむ年のわたりによりぬるものを(後撰和歌集)
の、
年のわたり、
は、
年に一度の来訪、
をいい、
年に一度も逢いに来ないとして、(七夕の)二星に誓った愛の言葉をお返ししよう、
という意味と注釈する(水垣久訳注『後撰和歌集』)。
年のわたり、
は、
年の渡り、
とあて、
玉葛(たまかづら)絶えぬものからさ寝(ぬ)らくは年之度(としのわたり)にただ一夜(ひとよ)のみ(万葉集)、
と、
一年が経過すること、
一年の間、
の意だが、冒頭の、
契りけむ言の葉今はかへしてむ年のわたりによりぬるものを、
のように、
年に一度、彦星が天の川を渡って織女と会うこと、
つまり、
(牽牛・織女が)一年に一度、天の川を渡ること、
をいう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)
たなばた、
で触れたように、
棚機(たなばた)、
とは、
棚すなわち横板のついた織機(はた)、
の意(広辞苑・岩波古語辞典)で、また、
たなばたつめ(棚機津女)、
の略でもある。だから、
棚機津女(たなばたつめ)、
とは、
はたを織る女、
の意だが、万葉集に、
我(あ)が爲と織女(たなばたつめ)のその屋戸(やど)に織る白栲(しろたへ)は織りてけむかも(万葉集)、
棚機(たなばた)の五百機(いほはた)立てて織る布の秋去り衣(ころも)誰(た)れか取り見む(仝上)、
という、
織女(棚機津女 たなばたつめ)、
の意の他に、
牽牛(ひこぼし)は織女(たなばたつめ)と今宵遭ふ天の河戸に波たつなゆめ(万葉集)、
と、
棚機津女、
を、
織女、
とつなげた歌がある。
棚機津女、
の由来ははっきりしない。たとえば、
棚機津女として選ばれた女性は7月6日に水辺の機屋(はたや)に入り、機を織りながら神の訪れを待ちます。そのとき織り上がった織物は神が着る衣であり、その夜、女性は神の妻となって身ごもり女性自身も神になります、
等々(https://matome.naver.jp/odai/2143995744843228801)に類似した説明がなされるが、これでは何のことかわからない。正確には、どうやら、
古来盆と暮れの二期をもって“魂迎え”の時期と信じ、この時期に海または山の彼方から来臨する常世の神ないし祖霊を迎えるべく、村はずれの海や川、湖沼の入りこんだようなところの水辺にさしかけ造りにした、古く棚と呼ばれた祭壇を設け、そこで神の衣を機織る神の嫁としてのおとめが、「棚機津女」と呼ばれた“水の女”たちなのであった、
ということらしい(日本伝奇伝説大辞典)。また、
「たな」は水の上にかけだした棚の意とする説が有力。折口信夫は『たなばた供養』の中で、「古代には、遠来のまれびと神を迎へ申すとて、海岸に棚作りして、特に択ばれた処女が、機を織り乍ら待って居るのが、祭りに先立つ儀礼だったのである。此風広くまた久しく行はれた後、殆、忘れはてたであらうが、長い習慣のなごりは、伝説となって残って行った。其が、外来の七夕の星神の信仰と結びついたのである」と述べ、『古事記』に見える「おとたちばな」にそのなごりを認めている、
とある(日本語源大辞典)。この、
棚機津女、
は、当然ながら、今日の、
七夕(たなばた)、
との関係は直接にはない。今日の、
七夕(たなばた/しちせき)、
は、中国語で、
乞巧節(きっこうせつ)、
とも呼ばれ、
中国神話に登場する牛郎と織女の逢瀬を祝う中国の祭り、
であり、中国の旧暦7月7日に行われる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95)。この中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の、
棚機津女(たなばたつめ)の伝説、
と合わさって生まれた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95)とされる。七夕の行事は、
中国から伝来し奈良時代に広まった「牽牛星(けんぎゅうせい)」と「織女星(
しょくじょ)」の伝説と、手芸や芸能の上達を祈願する中国の習俗「乞巧奠(きつこうでん)」が結び付けられ、日本固有の行事になった、
ともある(語源由来辞典)。織女と牽牛の伝説は、まず、『文選』の中の漢の時代に編纂された『古詩十九首』が文献として初出とされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95)が、7月7日との関わりは明らかではないとされる。古詩十九首とは、
古詩十九首之十、迢迢牽牛星(無名氏)、
で、
迢迢牽牛星 皎皎河漢女
繊繊擢素手 札札弄機杼
終日不成章 泣涕零如雨
河漢清且浅 相去復幾許
盈盈一水間 脈脈不得語
とある(https://syulan.hatenadiary.org/entry/20070707/p1)、
盈盈(えいえい)として一水が間(へだ)てれば、脈脈として語るを得ず、
と両者が河を挟んで離れているというだけのことしかない。次いで、『西京雑記』には、
前漢の采女が七月七日に七針に糸を通すという乞巧奠の風習、
が記されている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95#cite_note-2)。
乞巧奠(きこうでん)、
は、
きっこうでん、
ともいい、中国における七夕行事を指す。
乞巧とは牽牛・織女の2星に裁縫技芸の上達を祈り、奠とは物を供えて祭る意、
で(仝上)、唐代では飾りたてたやぐらを庭に立て、
乞巧楼、
といったとある(百科事典マイペディア)、これが七夕祭の原型である。そして、隋の統一前の南北朝時代(439〜589年)の『荊楚歳時記』(中国南方の荊楚地方(長江中流域)の年中行事を記す)には、
七月七日,為牽牛織女聚會之夜。是夕,人家婦女結采縷,穿七孔針,或陳幾筵酒脯瓜果於庭中以乞巧。有喜子網於瓜上。則以為符應(月七日、牽牛・織女、聚會の夜と爲す。是の夕、人家の婦女、綵縷(さいる)を結び、七孔の針を穿ち、……几筵(きえん)・酒脯(しゆほ)・瓜果を庭中に陳(つら)ね、以て巧を乞ふ。喜子(きし 小型の蜘蛛)瓜上に網すること有らば、則ち以て符應と爲す)、
と、
7月7日、牽牛と織姫が会合する夜である、
と明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行われた乞巧奠(きこうでん)と織女・牽牛伝説が関連づけられている、
とある(仝上)。ここで、乞巧奠(きこうでん)と織女・牽牛伝説がつながる。現在の七夕説話の原型は、
天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す(「天河之東有織女
天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文)、
とあり、六朝・梁代(502〜557年)の殷芸(いんうん)の『小説』である(仝上)。これが中国から伝わり、棚機(たなばた)津女の信仰と結合して、女子が機織(はたおり)など手芸上達を願う祭になった、とされる。これが、
持統(じとう)天皇(在位686〜697)のころから行われたことは明らかである。平安時代には、宮中をはじめ貴族の家でも行われた。宮中では清涼殿の庭に机を置き、灯明を立てて供物を供え、終夜香をたき、天皇は庭の倚子(いし)に出御し、二星会合を祈ったという。貴族の邸(やしき)では、二星会合と裁縫や詩歌、染織など、技芸が巧みになるようにとの願いを梶(かじ)の葉に書きとどめたことなども『平家物語』にみえる、
ともある(日本大百科全書)。しかし、
『万葉集』では大伴一族などこの日の晩酒宴を催し、天の川を挟んで輝く夫婦星を眺めながら和歌を詠み合い、また平安期では清少納言も、「七月七日は、曇りくらして、夕方は晴れたる空に、月いと明く星の数も見えたる」と『枕草子』に書きしるしている。これら万葉びとや、王朝貴族たちの七夕祭りは、中国伝来の「乞巧奠」(裁縫谷染色等々の手わざを巧といい、その上達を祈る祭り)という星祭りの伝説に倣うものであった、
とある(日本伝奇伝説大辞典)。この段階では、ただ輸入した「乞巧奠」を真似ていただけになる。一方、
民間における七夕の祭りは、中国式の七夕伝説とは異なり、必ずしも星祭とか、手わざを祈るばかりの行事ではなかった、
といい(仝上)、
たなばた雨、
という言葉が残り、
わらでつくった「七夕人形」や、あるいは七夕竹を立て、提灯を吊るし、注連縄を張った飾り物を乗せた「七夕舟」を歌を海に流す、それも前日の夜に立てて、七日の早朝に流す(仝上)、
などというように、
わが国本来のたなばた祭りとは、夏と秋との季節の行き合う時期に行なわれる季節祭りなのであり、(中略)夏が終わって秋が始まろうとする季節の交差期に、禊をして身に付いた罪穢れを洗い流して新しい生活に入ろうとする信仰にもとづいており、(中略)ことに七夕の場合は盆という大きな祖霊祭を控えての、重要な禊ぎ祓えの行事でもあった。それも上弦の月の出る七日の夕べは、望月十五夜の祖霊祭の行なわれる潔斎の最初の日でもあったわけである、
とする(仝上)。
たなばた、
を、
七月七日の夜を意味する「七夕」の字をもって“たなばた”としたのは、我が国固有の「棚機津女」の信仰に基づくものであった、
とされ(仝上)、「棚機津女」の流れとつながっていることは明らかである。
日本語源広辞典は、「たなばた」の語源を三説にまとめる。
説1は、「田+な+端」。水田付近での、水祭り、盆の精霊送りの意、
説2は、折口信夫の、海岸に「神を迎える棚を作って、特に選ばれた処女が機を織って待った」民俗伝承起源、
説3は、「苗代の種播(タネバタ)」説、
やはり、上述の「棚機津女」の経緯からみても、古さから言っても、季節の交差期の禊と祓いからいっても、折口信夫説が説得力がある。
五節句の一、
として、7月7日の行事として行われた、
乞巧奠(きっこうでん)
は、
宮中の人々は桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、薄鮑(うすあわび)などを清涼殿の東庭に供え、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星を祀(まつ)って、星をながめ、香をたいて、楽を奏で、詩歌を楽しみました。サトイモの葉にたまった夜つゆを「天の川のしずく」と考えて、それで墨を溶かし梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていました。梶は古くから神聖な木とされ、祭具として多くの場面で使われてきました。『延喜式(えんぎしき)』には織部司(おりべのつかさ)の行事として7月7日に織女祭が行われた、
とあり(http://www.iwaiseika.com/column/77.html・日本大百科全書)、
蹴鞠(けまり)から始まり、雅楽の演奏、和歌に節をつけ歌う披講(ひこう)と続く。最後は「流れの座」といい、天の川に見立てた白い布をはさんで向かい合った男女が、恋の歌をとりかわす。「貴族たちにとって七夕は、恋人同士でともに過ごす特別な夜だった」(京都産業大学教授小林一彦)、
とされ(https://www.asahi.com/reizei/topics/20100524.html)、奈良時代から宮中で年中行事となったが、当初は、前述したとおり、
この星に女性が技芸の上達を祈ればかなえられる、
として、中国伝来の、星祭りをした(デジタル大辞泉)。
平安時代からは、
詩歌・管弦、書道、裁縫など諸技芸の上達を祈る行事、
として宮中を中心に広く定着。、
雅楽器、筆硯、五色布、七夕馬などを飾り、7月7日の朝には天皇が芋の葉についた朝露で墨をすり、梶の葉に御歌を書かれ、これが短冊の始まりとなったといい、7月7日夕には「七夕の神遊び(技芸上達祈願祭)」が社殿で斎行され、神門前に設えられた梶の葉と七夕人形に五色の吹き流しや五色の布を垂した「平成の七夕・乞巧飾り」を左右左と三度くぐる「乞巧潜り神事」、
が行われた(https://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/hachimangu/original)とある。なお、冷泉家の『乞巧奠』は、https://wakadayori.jp/event/1726に詳しい。
江戸時代になると、武家の年中行事としても定着し、五節供の一つに定められ、笹竹(ささたけ)に五色の紙や糸を七夕は庶民の間にも広まり、全国的に行われ、
人々は野菜や果物をそなえて、詩歌や習いごとの上達を願いました。梶の葉のかわりに五つの色の短冊に色々な願い事を書いて笹竹につるし、星に祈るお祭りと変わっていきました、
とある(http://www.iwaiseika.com/column/77.html・日本大百科全書)。
七夕飾りの笹七夕飾りをなぜ笹に飾るのかは、はっきりしないが、
笹には冬場でも青々としている事から生命力が高く邪気を払う植物として向かしから大事にされてきたし、また虫などをよける効果もあり、当時の稲作のときには笹をつかて虫除けをしていたことや、天に向かってまっすぐ伸びる笹は願い事を空のおりひめ、彦星に届けてくれる、
と考えられていたのではないか(仝上)とある。
七夕飾りの種類、
については、
紙衣、女子の裁縫の腕が上がるように
巾着、お金が貯まりますように
投網、豊漁になりますように
屑籠、整理、整頓、物を粗末にしないように
吹き流し、織姫のように機織が上手になりますように
千羽鶴、家族が長生きしますように
短冊、願い事がかない、字が上手になりますように
と、その意味を想定している(仝上)。なお、
五節句、
の、
節句、
は、
節句(せちく)の転、節日に供ふる食物に起こる、
とあり(大言海)、
人日(じんじつ)(正月七日)、
上巳(じょうし)(三月三日)、
端午(たんご)(五月五日)、
七夕(しちせき)(七月七日)、
重陽(ちょうよう)(九月九日)、
の、
節日の称、
であり、
人日(じんじつ)に、七草粥、
上巳(じょうし)に、草餅、白酒、
端午(たんご)に、粽(ちまき)、柏餅、
七夕(しちせき)に、索餅(さくべい)、
重陽(ちょうよう)に、栗飯、菊酒、
を、飲食して此の日を祝す(大言海)とある。ちなみに、
索餅(さくべい)、
は、
菓子、
で触れたが、
唐菓子の一種、
で、
小麦粉と米の粉とを練り、合わせて、なわの形にねじり、油で揚げた菓子、
をいい、
むぎなわ、
ともいい、
中古、陰暦七月七日の七夕の節供に、宮中で病気、特に熱病よけのまじないとして内膳司(ないぜんし)から御前に奉ったもの。のちに民間にも広まった、なお、
餅、
七草粥、
草餅、
柏餅、
粽(ちまき)、
白酒、
菊、
については触れた。そもそも、
五節句、
の由来は、
陰陽五行説、
においては、
一・三・五・七・九、
の奇数を陽とする思想があり、それに基づいて、月日ともに奇数となる、
一月一日、
三月三日、
五月五日、
七月七日、
九月九日、
を、それぞれ、
人日(じんじつ)、
上巳(じょうし)、
端午(たんご)、
七夕(しちせき)、
重陽(ちょうよう)、
と称して、嘉祝の日とする俗信に拠っている(日本語源大辞典)。本来は3月初めの巳(み)の日で、5月5日の端午も5月初めの午(うま)の日であったが、のちにそれぞれ3日、5日と固定されるようになった。で、
一月一日は、安楽の相で宜しく長久を祈り七草粥、通俗には七種(ななくさ 七草)の節供といい、
三月三日は、病患を除くことを念じ、桃花、桃の節供といい、
五月五日は、毒虫・悪鬼の攘却、菖蒲、菖蒲(しょうぶ)の節供といい、
七月七日は、瘧鬼(ぎゃっき)を払い、麦餅、七夕祭といい、
九月九日は、延命長寿を願い、菊酒、、菊の節供、
という(日本語源大辞典)。東方朔(とうぼうさく)の占書には、
人日、
で触れたように、
正月元日を鶏の日、
二日を狗(いぬ)の日、
三日を豚の日、
四日を羊の日、
五日を牛の日、
六日を馬の日、
七日を人の日、
とし、それぞれ該当するものの一年中の豊凶を占う。人日には七種の菜を羹(あつもの)にして食べたり(七草粥のもとであろう)、布や金箔で人形を切り抜いて飾ったり、親しい間で宴会をひらき、贈物をするなどの行事があった、
とされる(前野直彬注解『唐詩選』)。
「夕」(漢音セキ、呉音ジャク)は、「夕月夜」で触れたように、
象形。三日月を描いたもの。夜(ヤ)と同系で、月の出る夜のこと、
とある(漢字源)が、
象形。「月」と同様、三日月を象る。「つき」を意味する漢語{月 /*ngwat/}、および「くれ」「よる」を意味する漢語{夕
/*slak/}を表す字。もともと「月」と「夕」の両字は区別されていなかったが、西周以降「月」を{月}に用いて、「夕」を{夕}に用いるようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%95)、
象形。月の形にかたどり、月のかがやくよるの意を表したが、のち、ゆうがたの意となり、よるの意には夜の字ができた(角川新字源)、
象形文字です。「月の半ば見える」象形から「日暮れ」を意味する「夕」という漢字が成り立ちました。(甲骨文は「月」の象形でした(https://okjiten.jp/kanji154.html)、
象形。夕の月の形。〔説文〕七上に「莫(くれ)なり。月の半ば見ゆるに從ふ」と半月の象とする。卜辞に「卜夕」とよばれるものがあり、王のために毎夕「今夕、囗+꜔
(とが)亡(な)きか」と卜しており、わが国平安期の毎日招魂の礼に近い。殷周期には古く朝夕の礼があり、金文に「夙夕(しゆくせき)を敬(つつし)む」という語がみえ、夙夕に政務が行われた。また大采・小采といい、そのとき会食し、同時に政務をとった。その大采の礼を朝といい、朝政という。〔国語、魯語下〕にも「少采に月に夕す」とあって、その古儀を伝えている(字通)、
と、「月」との関係に着目する説が多い。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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たはことかおよづれことかこもりくの泊瀬の山に廬(いほ)りせりといふ(万葉集)
の、
たはことかおよづれことか、
は、
狂言なのか惑わし言なのか、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
たはこと、
は、
戯言、
とあて、古くは清音で、後に、
たはごと、
と、濁音化、
たわけたことば、
妄語、
の意で、
およづれ、
は、
妖、
とあて、
およづれごと、
に同じ(広辞苑)とある。
およづれごと、
は、
妖言、
逆言、
とあて、
他を惑わすことば、
いつわりごと、
とある(広辞苑・岩波古語辞典)。
およづれびと(妖人)、
というと、
妖言で人を惑わす人、
という意味になる(仝上)。
戯言、
とあてる、
たはごと、
は、
たわけた言葉、
ばかばかしい話、
また、
ふざけた話、
の意で、
ざれごと(戯れ言)、
じょうだん(冗談)、
と同義だから、
妄語、
狂言、
とも当てる(大言海)。字鏡(平安後期頃)に、
誆、太波己止、久留比天毛乃云、訛、偽也、謂詐偽也、太波己止、
戲、ツハモノ・メス・ホトコス・ハタ(タハ)ブル・オヨク・モテアソブ・ヲヒク
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
戲、タハブル・タハブレ・オヨク・モテアソブ・メス、
とある。だが、
たはごと、
戯事
とあてると、
いといとまめなりと見るものを、なむどたはごとは多くしつる(宇津保物語)、
と、
正気を失った行為、
たわけたしわざ、
たわむれごと、
と、行為に焦点が当たる。もちろん、
言痛み、
こと、
で触れたように、
和語では、「こと(事)」と「こと(言)」は同源である。
古代社会では口に出したコト(言)は、そのままコト(事実・事柄)を意味したし、コト(出来事・行為)は、そのままコト(言)として表現されると信じられていた。それで、言と事とは未分化で、両方ともコトという一つの単語で把握された。従って奈良・平安時代のコトの中にも、事の意か言の意か、よく区別できないものがある。しかし、言と事とが観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると、コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり、コト(事)と別になった。コト(事)は、人と人、人と物とのかかわり合いによって、時間的に展開・進行する出来事・事件などをいう。時間的に不変な存在をモノという。後世モノとコトは、形式的に使われるようになって混同する場合も生じてきた、
とある(岩波古語辞典)。モノは空間的、コト(言)は時間的であり、コト(事)はモノに時間が加わる、という感じであろうか。
古く、「こと」は「言」をも「事」をも表すとされるが、これは一語に両義があるということではなく、「事」は「言」に表われたとき初めて知覚されるという古代人的発想に基づくもの、時代とともに「言」と「事」の分化がすすみ、平安時代以降、「言」の意には、「ことのは」「ことば」が多く用いられるようになる、
とある(日本語源大辞典)。しかし、本当に、「こと」は「事」と「言」が未分化だったのだろうか。文脈依存の、文字を持たない祖先にとって、その当事者には、「こと」と言いつつ、「言」と「事」の区別はついていたのではないか。確かに、
言霊、
で触れたように、
「事」と「言」は同じ語だったというのが通説、
である。しかし、正確な言い方をすると、
こと、
というやまとことばには、もともと区別されていたから、
言、
と
事、
の漢字が、あてはめ分けられた、ということではないか。当然区別の意識があったから、当て嵌め別けた。ただ、
古代の文献に見える「こと」の用例には、「言」と「事」のどちらにも解釈できるものが少なくなく、それらは両義が未分化の状態のものだとみることができる、
という(佐佐木隆『言霊とは何か』)。それは、まず、
こと、
という大和言葉があったということではないのか。「言」と「事」は、その「こと」に分けて、当てはめられただけだ。それを前提に考えなくてはならない。あくまで、その当てはめが、
未分化だったと、後世からは見える、
ということにすぎないのではないか。『大言海』は、
こと(事)、
と
こと(言)、
は項を別にしている。「こと(言)」は、
小音(こおと)の約にもあるか(檝(カヂ)の音、かぢのと)、
とし、「こと(事)」は、
和訓栞、こと「事と、言と、訓同じ、相須(ま)って用をなせば也」。事は皆、言に起こる、
とする。それは、「こと(言)」と「こと(事)」が、語源を異にする、ということを意味する。古代人は、「事」と「言」を区別していたが、文字をも持たず、その文脈を共有する者にのみ、了解されていたということなのだろう。
『日本語源大辞典』も、「こと(事)」と「こと(言)」の語源を、それぞれ別に載せている。「こと(言・詞・辞)」は、
コオト(小音)の約か(大言海・名言通)、
コトバの略(名語記・言元梯)、
コトトク(事解)の略(柴門和語類集)、
コはコエのコと同じく音声の意で、コチ、コツと活用する動詞の転形か(国語の語根とその分類=大島正健)、
コはコエ(声)のコと同語で、ク(口の原語)から出たものであろう。トは事物を意味する接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コはクチのクの転。トはオト(音)の約ト(日本語原学=与謝野寛)、
等々がある。「おと(音)」と「ね(音)」は区別されていた。
オト(音)、
は、
離れていてもはっきり聞こえてくる、物の響きや人の声。転じて、噂や便り、
類義語、
ネ(音)、
は、
意味あるように聞く心に訴えてくる声や音、
とある(岩波古語辞典)。「おと」の転訛として、
oto→koto、
があるのかどうか。「こと(事)」は、
トは事物を意味する接尾語で、コはコ(此)の意か(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コト(言)と同義語(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、
コト(言)から。コト(事)は皆コト(言)から起こることから(名言通)、
コト(別)の義(言元梯)、
コト(是止)の義。ト(止)は取りたもつ業をいう(柴門和語類集)、
コレアト(是跡)の義(日本語原学=林甕臣)、
コトゴトク(尽)の略か。または、コは小、トはトドコホル意か(和句解)、
等々とある。確かに、こうみると、
「コト(言)と同義語」といっただけでは、なにも説明できていない。「こと(言)」の語源を説明して、初めて同源と説明が付く。ぼくは、「コト(言)」は、声か口から来ていると思うが、「口」(古形はクツ)は、「食う」に通じる気がするので、やはり、声と関わるのではないか、という気がする。
ま、いずれにせよ、
言、
と、
事、
が、同一視されるに至ったことで、
戯言、
と、
戯事、
とは、同じ意味で使われているので、
たはごと、
は、
タハケ・タハレ(戯)と同根、常軌を逸したことをする、ふざけた気持ちで人に応接する意、
とされる(岩波古語辞典)から、
復、誣妄(タハコト)・妖偽(およつれこと)を禁(いさ)ひ断(や)む(日本書紀)、
の、
正気を失っていうような、ふつうでないことば、
たわけたことば、
ふざけたことば、
の意にも、上に挙げた、
いといとまめなりと見るものを、なむどたはごとは多くしつる(宇津保物語)、
の、
正気を失った行為、
ばかげた行為、
の意にも、
飢ゑ疲れて物のおもほえす、既に太者事に云へるならむ、我が遷し心に知れる事にも有らじ(「観智院本三宝絵(984)」)、
の、
うわごと、
の意にも、
戯言、
と、
戯事、
のいずれも当てる(精選版日本国語大辞典)。だから、
戯言、
戯事、
を、
たはぶれごと、
と訓ませると、
大臣戯言(タハフレこと)に、陽進(いつは)りて曰く(日本書紀)、
ミモナキ tauamuregotoniua(タワムレゴトニワ)ミミヲカタムケ(「天草本伊曾保(1593)」)、
いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書す(笈の小文)、
等々、
たわむれてすること。いたずら、たわぶれわざ、
と、
たわむれて言うことば、ふざけて言うことば、
の両義となる。だから、行為にシフトした言い方をしようとすると、
はかなかりしたはぶれわざを、いとほしうことごとしうこそ(紫式部日記)、
と、
たはぶれわざ(戯事)、
となり、なまって、
いざ子ども多波和射(タハワザ)なせそ天地の固めし国そ大和島根は(万葉集)、
と、
たはわざ(戯事)
となる(仝上)。なお、
戯言、
を、
ぎげん、
と訓ませると、
史佚曰、天子無戯言(史記)、
と漢語で、
たわむれのことば、
の意(字源)となる。
たわごと、
の由来として、だから、
タハケ・タハレ(戯)と同根(岩波古語辞典)、
タワ(たわけるの語幹)+言(日本語源広辞典)。
意外に、
タハブレゴト(戯言)の略(菊池俗語考)、
とする説も出てくる(日本語源大辞典)わけである。
上述したように、
復、誣妄(タハコト)・妖偽(およつれこと)を禁(いさ)ひ断(や)む(日本書紀)、
と、
たはごと、
と並び使われる(大言海)、
およづれごと、
は、
たはごと、
と似ているが、
冗談、
や
ざれごと、
ではなく、
人まどわしのことば(岩波古語辞典)、
不祥(さがなき)根無言(ねなしごと)を、人々の閧ノ言ひ触らすこと(大言海)、
根拠のない、人を迷わせる言葉やうわさ(デジタル大辞泉)、
あやしい言説、悪いことが起こるというような、人をまどわせる流言、不吉で奇怪な予言(精選版日本国語大辞典)、
と、意図のある流言飛語(蜚語)の類である。で、
造言、
蜚語、
と同義になる(大言海)。略して、
およづれ、
ともいう(仝上)が、
およづれ、
は、
妖、
とあて、
及連言(およづれごと)の義と云ふ、口口に言ひ伝ふる意(大言海)、
オヨはオホヨ(凡)の約、ツレはツレ(連)、ことが確実でないことを言う(日本古語大辞典=松岡静雄)、
オヨはアヤツル(操)のアヤの転(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
と諸説あるが、はっきりしない。新撰字鏡(平安前期)には、
妖、加美奈(かみなぎ)、
とあるが、
かみなぎ、
は、
巫、
とあて、
かむなぎ、
で、
かんなぎ、
で触れたように、
巫、
覡、
と当て、
かむなぎ、
かみなぎ、
かうなぎ、
等々とも訓ませ(デジタル大辞泉・広辞苑)、古くは、
かむなき、
とある(仝上)。
巫女(みこ)、
の謂いだが、
(「かみなぎ」は)女子の、神に奉仕し、神楽に舞ひなどする者、多くは少女なり、又、かみおろしなどするものあり、専ら音便に、かんなぎと云ふ。…官に仕ふる者を、御神(ミカン)の子と云う、
とあり(大言海)、
カムは神、ナギは、なごめる意、神の心を音楽や舞でなごやかにして、神意を求める人(岩波古語辞典)、
神の祈(ネギ)の転、禰宜(ネギ)と同意か、(大言海)、
神和(かんなぎ)の義(桑家漢語抄・東雅・円珠庵雑記・箋注和名抄・名言通・和訓栞・大言海)、
カミノネギ(神祈)の転(東雅)、
かむ(神)+なぎ(なごめる)から(漢字源)、
とされ、「なぎ」は、
神の心を安め和らげて、その加護を祈る、
意の、
ねぐ(祈ぐ・労ぐ)、
の転訛とみる(「禰宜」は、「ねぐ」の名詞形)か、
ナゴヤカ(和)のナゴと同根、
の、
やわらぐ、おだやかになる、
意の、
なぐ(凪ぐ・和ぐ)、
かの二説があるが、常識的には、
神の心を慰め和らげ祈請の事にあたる者、
の意である「禰宜」とつながる、
ねぐの転訛、
ではあるまいか。しかし、「なぐ(和)」も、「ねぐ(祈)」に通じる気がする。つまり、
およづれ、
は、本来、
巫女の託宣、
であったのではないか。それが、神が妖怪に堕するように、
妄言、
に転じたということなのかもしれない。なお、
妖言、
を、
よう(えう)げん、
と訓ませると、漢語で、
あやしくして正しからざる言、
の意(字源)で、
今、法に誹謗妖言の罪有り。是れ衆臣をして敢て情を盡さざらしめ、上をして過失を聞くに由(よし)無(なか)らしむるなり。將(は)た何を以て遠方の賢良を來さん(史記)、
とある(字通)。
「妖」(ヨウ)は、
会意兼形声。夭(ヨウ)は、細く体を曲げた姿。妖は「女+音符夭」で、なまめかしくからだをくねらせた女の姿を示す、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(女+夭)。「両手をしなやかに重ね、ひざまずく女性」の象形(「女」の意味)と「若い巫女がしなやかに身をくねらせて神を招く舞いをする」象形(「みずみずしく若い」の意味)から、「なまめく(みずみずしくて美しい)」、「あでやか(美しくて華やかなさま)」を意味する「妖」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2181.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%96)、
形声。「女」+音符「夭 /*ɁAW/」。「なまめかしい」を意味する漢語{妖 /*ʔ(r)aw/}を表す字(仝上)、
形声。女と、音符芺(エウ)(夭は省略形)とから成る(角川新字源)
形声。正字は女+芺に作り、芺(よう)声、「妖」は笑の初文。〔説文〕十二下に「巧なり。一に曰く、女子の笑ふ皃なり」とし、「詩に曰く、桃の女+芺女+芺たる」と〔詩、周南、桃夭〕の句を引く。今本は「夭夭」に作る。「巧なり」も「巧笑なり」の誤りであろう。芺(笑)は手をあげて舞う巫女の形。その姿態を夭という。巫が神がかりの状態にあって神託をのべることを若といい、これをまがごととすることもあって、示部一上の示+芺に「地、物に反するを示+芺と爲すなり」とあり、神怪のことをいう。字はまた訞(よう)と通用する。人の妖艶なるものも、衒媚のおそれがあるというので、また妖という(字通)、
と、形声文字としている。
「戯」(@慣用ギ・ゲ、漢音キ、呉音ケ、A漢音呉音キ、B漢音ゴ、呉音ク)の異体字は、
戏(簡体字)、戱(俗字)、戲(旧字体/繁体字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%AF)、旧字体、
「戲」の異体字は、
㪭、戏(簡体字)、戯(新字体)、戱(俗字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B2)。字源は、
形声。「戈(ほこ)+音符虛(コ)」。「説文解字」は、ある種の武器で、我(ぎざぎざの刃のあるほこ)と似たものと解する。その原義は、忘れられ、もっぱら「はあはあ」と声を立てて、おどけ笑う意に用いる、
とある(漢字源)。「戯言」(冗談)、「戯曲」は@の音、大将の旗(麾にあてた用法)の意の場合Aの音、「於戯(ああ 嗚呼)」の意の場合、Bの音となる(漢字源)。他も、
形声文字です(虚+戈)。「虎(とら)の頭の象形と頭がふくらみ脚が長い食器、たかつきの象形」(「虚(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「虚」と同じ意味を持つようになって)、「むなしい」の意味)と「にぎりのついた柄の先端に刃のついた矛」の象形から、むなしい矛、すなわち、実践用ではなく「おもちゃの矛」を意味する「戯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1321.html)、
形声。戈と、音符䖒(キ)とから成る。出陣前に軍舞をすること、借りて「たわむれる」意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、
形声。「𫻺」+音符「𣅋 /*ŊAI/」。「たわむれる」を意味する漢語{戲 /*ŋ̊ai-s/}を表す字。「𣅋」は一種の陶器を象る象形文字で、一種の陶器を意味する漢語{䖒
/*ŋ̊ai/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B2)、
と、形声文字とする。別に、
会意。旧字は戲に作り、䖒(き)+戈(か)。䖒は〔説文〕五上に「古陶器なり」とするが、その器制も明らかでない。䖒は虎頭のものが豆形の台座に腰かけている形。それに戈で撃ちかかる軍戯を示す字であろう。金文の〔師虎𣪘(しこき)〕に「嫡として左右戲の繁荊を官𤔔+司(司)せしむ」とあり、「左右戲」とは軍の偏隊の名であろう。〔左伝〕に「東偏」「西偏」の名があり、〔説文〕十二下に「戲は三軍の偏なり。一に曰く、兵なり」とし、字を䖒声とする。「左右戲」の用法が字の初義。麾・旗と通用し、麾下をまた戯下という。戯弄の意は、虎頭のものを撃つ軍戯としての模擬儀礼から、その義に転化したのであろう。敵に開戦を通告するときに、〔左伝、僖二十八年〕「請ふ、君の士と戲れん」のようにいうのが例であった。嶷・巍と通ずる字で、〔玉篇〕に「山+戲は嶮山+戲、巓危きなり」とあり、山巓の険しいさまをいう(字通)、
と、会意文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
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庭つ鳥(とり)鶏(かけ)の垂(た)り尾(を)の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも(万葉集)
の、
庭つ鳥、
は、
鶏(かけ)の枕詞、
長き心、
は、
のんびりとゆったりした心、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
庭鳥(庭津鳥 にはつとり)、
は、
庭にいる鳥、
の意で、
庭で飼う鳥、
つまり、
物思(も)ふと寝(い)ねず起きたる朝開(あさけ)にはわびて鳴くなり庭つ鳥(にはつとり)さへ(万葉集)、
と、
鶏(にはとり)、
をさしていい、
家つ鳥(家津鳥 いへつとり)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)、
ニワトリの古名、
でもある(デジタル大辞泉)が、冒頭の歌もそうだが、
さ野つ鳥雉(きぎし)は響(とよ)む爾波都登理(ニハツトリ)鶏(かけ)は鳴く(古事記)、
と、
庭で飼う鳥、
の意で、
鶏(かけ)、
にかかる枕詞としても使う(仝上・デジタル大辞泉)。
かけ(鶏)
は、もと、
雞(にわとり)の鳴き声の擬音語、
とある(広辞苑・岩波古語辞典)。その鳴き声は、
庭つ鳥はかけろ(加介呂)と鳴きぬなり、起きよ起きよ(神楽歌)、
と、
かけろ、
と表記する(岩波古語辞典)。鶏の鳴き声を表わす、
こけっこう、
こけこっこう、
の表記で、そこから、
あゆみこうじて雪の深山に彳(たたずむ)と見れば、かげろ鳴ておどろ(き)ぬ(菅江真澄遊覧記)、
と、
「にわとり(鶏)」の異名、
ともなる(精選版日本国語大辞典)。『擬音語・擬態語辞典』によると、今日、鶏の鳴き声は、
コケコッコー、
と聞こえるが、室町時代までは、
かけろ、
室町時代から江戸時代にかけて、
とーてんこー(東天光・東天紅)、
とある。
ニワトリ、
で触れたことだが、
にはとり、
は、
鶏、
雞、
とあて、
庭鳥(にはつとり)、
の意だが、それは、冒頭の歌のように、
鷄(かけ)にかかる枕詞ニハツトリ(庭つ鳥)を、直に鳥の名とす、
とある(大言海)ように、古くは、
かけ、
がその名である。他にも、
くたかけ、
ながなきどり、
ときつげどり、
あけつげどり、
ゆうつげどり、
うすべどり、
ねざめどり、
はたたとり、
木綿(ゆふ)付け鳥、
等々の異名をもつ(大言海)。
木綿(ゆふ)付け鳥、
は、
ゆふつけどり、
で触れたように、
木綿をつけた鶏、
また、
鶏の異称、
とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。12世紀初頭の作歌の手引書「俊頼髄脳」(源俊頼)では、
ゆふつけどりとは鶏の名なり。鶏に木綿をつけて山に放つまつりのあるなり、
とあるが、12世紀半ばの歌学書「奥義抄」(藤原清輔)は、それを、
疫病流行の際に朝廷が四方の関で行う四境祭の儀式である、
と説き、「袖中抄」「顕昭古今集注」もこれを継承した。上記諸説はこれにもとづいている。また、1221年までに成った、従来の歌学書を編集・集大成した「八雲御抄」(順徳天皇)では、
ゆふつけどり、付木綿相坂ニ祓故也、
とある。
相坂(おうさか)、
とは、古代の近江国の関、
逢坂関、
のことで、
四境の関所、
の一つである。四堺(しさかい)は、
平安京のある山城国の四維(北西、南西、南東、北東の隅)にあたる大枝・山崎・逢坂・和邇の4つの地点、
をいい、四境の関所は、
大枝―現在の京都府亀岡市の老ノ坂峠。山陰道の入り口で丹波国との国境、
山崎―現在の京都府大山崎町大山崎・大阪府島本町山崎。山陽道の入り口で摂津国との国境、
逢坂―現在の滋賀県大津市の逢坂山(逢坂関で知られる)。東海道及び東山道の入り口で近江国との国境、
和邇―現在の滋賀県大津市和邇。北国街道(及び愛発関経由で北陸道)の入り口で近江国との国境、
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A0%BA)。由来はともかく、四境で、祓いを行っていた名残りのようである。
夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる(伊勢物語)」、
とある、
くたかけ、
は、
くだかけ、
ともいい、
クタはクチ(朽)・クタシ(腐)などと同根、カケは鶏(岩波古語辞典)、
とあるように、
朝早く鳴く鶏をののしって言う語(岩波古語辞典)、
憎み罵りて呼ぶ語(大言海)、
とされるが、後に、その由来が忘れられ、
くだかけ、家鶏と書く、にはとりの事なり(和漢新撰下学集)、
と、
鶏の雅語、
と解されるようになる(岩波古語辞典)。今日は、
ニワトリ、
だが、どうやら、
カケロ→カケ→(カケの枕詞)庭つ鳥→ニハツトリ→ニハトリ→ニワトリ、
と転訛していったと思われる。『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)には、すでに、
鷄、爾波止利、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
鷄、ニハトリ、
とある。
「雞」(漢音ケイ、呉音ケ)の異体字は、
鷄(正字)、鸡(簡体字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%9E)、
鶏、
は、
「鷄」の行書に由来する略体、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B6%8F)。字源は、
会意兼形声。奚(ケイ)は「爪(手)+糸(ひも)」の会意文字で、系(ひもでつなぐ)の異体字。鷄は「鳥+音符奚」で、ひもでつないで飼った鳥のこと。また単なる形声文字と解して、けいけいと鳴く声をまねた擬声語と考えることもできる、
としている(漢字源)。同趣旨で、
会意兼形声文字です(奚+鳥)。「手を下に向けてつかむ象形とより糸の象形と人の象形」(「つながれた人、召し使い」の意味)と「鳥」の象形から、家畜としてつなぎとめておく鳥「にわとり」を意味する「鶏」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji326.html)、
と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、
形声。「隹」+音符「奚 /*KE/」。「にわとり」を意味する漢語{雞 /*kee/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%9E)、
旧字は、形声。鳥と、音符奚(ケイ)とから成る。「にわとり」の意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、
形声。声符は奚(けい)。正字は雞に作り、鷄はその籀文。常用漢字は、その籀文によって鶏を用いる。卜文の字形は鳥に従い、卜文において鳥形を用いるものはおおむね聖鳥とされるものであった。その形は高冠脩尾、鳳(風神)に近い形にしるされている。〔説文〕四上に「雞は時を知る畜なり」とあり、〔周礼、春官、雞人〕はその職を掌る。殷・周の祭器を彝器(いき)といい、銘末に「寶⻖+奠彝(はうそんい)を作る」というのが例であるが、彝は鶏を羽交いじめにして血を取る形。その牲血を以て器を清めた。奚はその鳴く声。わが国では「かけ」という(字通)、
と形声文字としている。しかし、
「鶏(鷄、雞)」という漢字は、甲骨文字に見られるニワトリを象った象形文字に由来する。これに音を表す「奚」を加えた後、ニワトリを象っていた部分が通常の「鳥」(または「隹」)と同じように書かれるようになり、「鶏」の字体となった。なお、かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
として(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA)、会意兼形声文字説を否定している。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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