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コトバ辞典


くれくれ


常(つね)知らぬ道の長手(ながて)をくれくれといかにか行かむ糧(かりて)はなしに(山上憶良)

の、

くれくれと、

は、

とぼどほと暗い気持ちで、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

糧(かりて)、

は、

かて(糧・粮)、

に同じ、

とある(広辞苑)。奈良時代、清音の、

くれくれと、

は、後に、

くれぐれと、

と、濁音化するが、冒頭の歌のように、

思案にくれるさま、
心細く頼りないさま、
暗い気持ちで、

の意や、文字通り、

そのままくれぐれにつひに空しくなり果てつる(謡曲「摂津」)、

と、

日が暮れていくように、消え入るような死の形容、

に使う(広辞苑・岩波古語辞典)。

くれぐれと、

は、

暮れ暮れと、
暗れ暗れと、

と当て、

暗(く)るの連用形を重ぬ、

とあり(大言海)、文字通り、

萩の花色くれぐれまでもありつるが月出でてみるになきがはかなさ(金槐和歌集)、

と、

日の暮れようとする頃、
暮れ方、

の意である(仝上・岩波古語辞典)。

暗る、

は、

暮る、

とも当て、

晝の日影暗(く)るる意、

とので(仝上)、

くれぐれ、

は、上述の歌、

萩の花くれぐれまでもありつるが月出で見るになきがはかなさ(「金槐和歌集(1213)」)、

は、

暮れ暮れ、

ともあて、文字通り、

日の暮れようとするころ、
暮れ方、
夕方、

の意になる(仝上・精選版日本国語大辞典)。同じ意味合いで、

暗暗、

とあて、

急ぎ立ちて行く程に、くらぐらにぞ家に行き着きたる(今昔物語)、

と、

薄暗い時刻、
日暮れ方、

の意や、多く「と」を伴って用い、

白雲に跡くらぐらと行くかずもとひもやすると思ひけるかな(公任集)、

と、

暗くて物がよく見えないさま、ぼんやり、

の意で使う、

くらぐら、

がある(仝上)。

くれくれ、

の、

くれ、

は、

暗れ、
暮れ、

とあて、

豊国の企救(きく)の長浜行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ(万葉集)

と、

日の暮れること、
暗くなる、
太陽が沈むころ、
夕暮れ、

といった意味になり(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、

それをメタファに、

秋の暮れ、
年暮れて、

と、

ある期間、特に季節の終わり、

の意や、

年の終わり、年末、歳末、

の意で使う(仝上)。この、

くれ、

は、

暗しと同根(岩波古語辞典)、
クロ(黒)の義(日本釈名)、
クラ(暗・昏)の義(東雅・言元梯・名言通)、
日没のあとをいうことから、クはクラキ、レはカクレ(和句解)、
ク-ウ(得)レの約、クは付止るの意で、クレは付止るところを得るの義(国語本義)、
黄昏時の義の「曛」の消音kuにラ行音を添えた語(日本語原考=与謝野寛)、

等々の語原説があるが、一説に、

古代日本では、固有の色名としては、アカ、クロ、シロ、アオがあるのみで、それは、明・暗・顕・漠を原義とする、

とされ(広辞苑)、

くろ、

は、

クラ(暗)と同源、
または、
クリ(涅 水中の黒い土)と同源、

とあり(広辞苑)、

暗、

K、

とは同義であるので、このあたりが、語源なのではあるまいか。ちなみに、

アカ、アオ、クロ、シロ、

については、それぞれ、

あか
あを
くろ
しろ

で触れた。ついでに、

暮れ、

を使う言い回しを、ひろってみると(精選版日本国語大辞・デジタル大辞泉他)、

日の暮暮(ひのくれぐれ) ひ(日)の暮
暮合・暮相(くれあい) 日が暮れようとするころ。夕暮れ時。入相、日没後の暮れ六つに寺などでつく鐘、
暮方・晩方(くれがた) 暮れかかるころ。一日の終わり(⇔明け方)。年、年代、季節などの終わり、
暮方(くれつかた) 日の暮れるころ。夕方。くれがた。年や季節などの終わりに近いころ、
暮泥(くれなづむ) 日が暮れそうで、なかなか暮れないでいる、
暮れ六つ(くれむつ) 暮れ方の六つ時(午後6時ごろ)。酉(とり)の刻。また、その時刻に鳴らす鐘(⇔明け六つ)、
うそうそ暮 夕暮れ、
暮れ落ちる(くれおちる) 日が暮れてすっかり夕闇になる、
暮れ初む(くれそむ) 暮れはじめる、
夕間暮れ(ゆうまぐれ)(「まぐれ」は「目ま暗ぐれ」の意。「間暮」は当て字) 夕方の薄暗いこと。また、その時分、
暮紛(くれまぎれ) 暮れ方の暗さに紛れること。また、そのような時刻、
薄暮(うすぐれ) 日没から暗くなるまでの間、はくぼ(薄暮)、
掻暮(かいくれ)(動詞「かきくれる(掻暗)」の連用形から) すっかり日が暮れること、〘副詞として、(打消の語を伴って用いる。「に」を伴うこともある)全くわからない、また、見えないさまにいう。さっぱり。かいもく、暗くなって見えないところから行方がわからない意味の述語にかかる事が多い、
大暮(おおぐれ) 年の暮。おおみそか、季節の終わり、
暮夙(くれまだき) 暮れるにはまだ少し間のある時分、日没前のひととき、
雪暗・雪暮(ゆきぐれ) 雪が降り出しそうであたりの暗いこと。また、雪が降り続いたまま日が暮れること、
仄暮(ほのぐれ) わずかに暮れかかった頃、夕暮れどき、
暮天に(くれてんに) (暗くなって物が見えなくなるところからいう。下に否定語を伴って)全然。まったく、
日暮(ひぐれ・ひくれ) 日の暮れようとする時。夕暮れ。夕方。天文学で、日没後太陽の中心が地平線の下七度二一分四秒の角度の時の時刻、
暮れ残る(くれのこる) 日が沈んだあとに、しばらく明るさが残る、
日暮方(ひぐれがた・ひくれがた) の暮れかかる頃。夕方。日暮れさま。衣服などの古びていること、
片夕暮(かたゆうぐれ) 夕方になろうとする時刻、
初夕暮(はつゆうぐれ) ある季節の初めの夕暮、
生夕暮(なまゆうぐれ)(「なま」は接頭語) 夕暮になりかけた頃。薄暮(はくぼ)、
夕暮方(ゆうぐれがた) 夕方、
日の暮方(ひのくれがた) 日が暮れようとするころ。ひぐれがた。ひのくれかかり、
暮れ過ぐ(くれすぐ) 日がすっかり暮れてしまう。次第に、歳月・時節・日が移りかわってゆく、
行き暮れ(ゆきくれ) 目的地に行く途中で日が暮れること、
暮の月(くれのつき) 日暮れどきに空にかかっている月。一二月の異称、

なお、

暮れ、

の意をメタファとした使い方には、

とくれこくれ(暮暮) (「と暮れ、かう暮れ」の変化した語) あれこれ月日が経つこと。副詞的に用いて、かれこれ日を送っているうちに。とにもかくにも。とくれかくれ、
暮れぬ先の提灯(くれぬさきのちょうちん) 手まわしのよいことのたとえ。また、手まわしがよすぎて、かえって間がぬけていることのたとえ、
東西暮れる(とうざいくれる) 東も西もわからなくなる。まったく途方にくれる。どうしてよいかわからなくなる。東西を失う、
闇に暮る(やみにくる) 日が暮れて暗い夜となる、悲しみなどのために、分別がつかなくなる、
日暮(ひぐらし、古くは「ひくらし」) 一日を過ごすこと。一日中。終日。ひねもす。また、副詞的に用いて、朝から晩まで。その日その日の収入で、やっと暮らして行くこと。その日暮らし。
明け暮れ(あけくれ) 夜明けと夕暮れ。朝晩。転じて、日々。毎日。始終。副詞的にも用いる、
思案に暮れる(しあんにくれる) 迷って考えが定まらない、
日暮の門(ひぐらしのもん) 建築の美しさに日の暮れるのも忘れて見とれる門の意。室町時代以後諸大名が権勢にまかせて華美を誇った御成門につけられたものが多く、伏見城のものは名高い。ほかに江戸時代は日光の陽明門、江戸小石川の水戸屋敷表門などをいった

等々がある。なお、

くれくれ、

には、後世の、

くらくら、

の意で、

是にて、こころくれくれとならぬものは、たとひなかよくても、とられぬなり(評判記・秘伝書(1655頃)中なをりの一座の事)、

と、「と」を伴って用いることもある、

目まいがするさまを表わす、

くれくれ、

があり、両者の区別は、文脈で読み分けることはできるはずである。

「暮」(漢億ボ、呉音モ・ム)は、

会意兼形声。暮は「日+音符莫」、莫(マク・バク)は「四本の草+日」の会意文字で、草原のくさむらに太陽が没するさま。莫が「ない」「見えない」との意の否定詞で専用されるようになったので、日印を加えて「暮」の字で、莫の原義を表すようになった。

とある(漢字源)。同じく、

会意形声。日と、莫(ボ、モ)(日ぐれ)とから成る。日ぐれの意に用いる。「莫」の後にできた字(角川新字源)、

会意兼形声文字です(莫+日)。「草むらの象形と太陽の象形」(太陽が草原に沈むさまから「日暮れ」の意味)と「太陽」の象形から、「日暮れ」を意味する「暮」という漢字が成り立ちました(「莫」が原字でしたが、禁止の助詞として使われるようになった為、「日」を付し、区別しました)https://okjiten.jp/kanji1065.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

形声。「日」+音符「莫 /*MAK/」。「よる」を意味する漢語{暮 /*maak/}を表す字。もと「莫」が{暮}を表す字であったが、「日」を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%AE

形声。声符は莫(ぼ)。莫は草間に日の入る形で、暮の初文。〔説文〕一下に「莫は日且(まさ)に冥(く)れんとするなり。日の艸+艸 (ばう)中に在るに從ふ。艸+艸は亦聲なり」(小徐本)という。のち莫が多く否定詞に用いられ、暮夜の字として暮が作られた(字通)、

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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なほざり


なほざりに折りつるものを梅(むめ)の花こき香に我や衣そめてむ(閑院左大臣)

の、

なほざりに、

は、

いい加減な気持ちで、

と訳されている(水垣久訳注『後撰和歌集』)。また、

そめてむ、

の、

てむ、

は、

完了の助動詞「つ」の未然形「て」に推量の助動詞「む」が付いたもの、

で、

きっと… してしまうだろう、

の意とある(仝上)。

なほざり、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

等閑、なほざり、

とあるように、

等閑、

と当て、

なほざりに秋の山べを越えくればおらぬ錦を着ぬ人ぞなき(後撰和歌集)

と、

特別な関心を払わずに何かをし、また時を過ごすこと、
あまり注意を払わないさま、
いい加減にするさま、
かりそめ、
おろそか、
ゆるがせ、

などの意で使い(広辞苑・岩波古語辞典)、

(散り紅葉を)心にも留めず、

と訳される(水垣久訳注『後撰和歌集』)。そうした状態表現から、

なほざりのすさびとはじめより心とどめぬひとだに(源氏物語)

などと、

本気でないこと、
いい加減、
おろそか、
きまぐれ、

の意や、

よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり(徒然草)、

と、

ほどほどで、あっさりしていること、

の意といった価値表現の意でも使う(仝上・デジタル大辞泉)。

なほざり、

は、中古では「源氏物語」に多く見え、

用法としては主に男性の女性に対する性情や行動への評価として現われている、

とある(精選版日本国語大辞典)。この語源については、

ナホ(直)とサリ(去)との複合か(岩波古語辞典)、
直(ナホ ただ)ぞありの約と云ふ、等は待也、閑は離也、隙也(大言海)、
ナホ(直)ゾ-アリ(有)の義(和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、
ナホゾアル(猶在)の義(名言通)、
ナホアリの連母音o-aの間にsが介入したもの(小学館古語大辞典)、
ナホサリ(直去)の義(言元梯)、
ナヲサリ(猶避)の義か(名語記)、
ナホサリ(猶去)の義(国語本義)、

等々諸説あるが、音からの語呂合わせにしか見えない。

なお、類義語に、

学業をなおざり(ないがしろ)にする、

のように、

いいかげんにする、

意では相通じて用いられる、

ないがしろ、

があるが、両者の違いは、

なおざり、

は、

なおざりに聞き流す、
とか、
なおざりにできない問題、

というように、

手を抜いていいかげんにするさまや、すべきことをしないさまをいうのに対して、

ないがしろ、

は、

親をないがしろにする、

のように、

大切にすべきものを粗略に扱う、また無視するさまをいう、

のに用いる。また、似た言い回しに、

ゆるがせ、
おざなり、

があるが、

ゆるがせ、

一刻もゆるがせにできない、

のように、

「なおざり」と同じく、手を抜いておろそかにするさま、

に用い、

おざなり、

は、

おざなりな答弁、

というように、

その場だけの間に合わせですませるさま、

に用いる(デジタル大辞泉)とある。

等閑、

を、

とうかん、

と訓ませると、

瀟湘何事等閑囘(銭起詩)

と、漢語で、

官情惟等閨i孟郊詩)、

と、

等間、

とも当て、

等頭、

ともいい、

なおざり、

の意である(字源)。

「等」(漢音呉音トウ・タイ)の異体字は、

㩐、㫭、䒭、䓁、戥、𡬝、𡬦、𢌭(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AD%89。字源は、

形声。「竹+音符寺」で、もと竹の節、または、竹簡の長さがひとしくそろったこと。転じて、同じものをそろえて順序を整える意となった。寺の意味(役所)とは直接関係がない、

とある(漢字源)。他も、

形声。「竹」+音符「寺 /*TƏ/」。「ひとしい」「おなじ」を意味する漢語{等 /*təəʔ/}を表す字。「竹」は竹簡の一枚一枚が揃っていることからの連想によるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AD%89

形声。竹と、音符寺(シ)→(トウ)とから成る。竹の札をそろえる、ひいて「ひとしい」、転じて、順序・等級の意を表す(角川新字源)、

形声文字です(竹+寺)。「竹」の象形(「竹簡-竹で出来た札」の意味)と植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味)と親指で脈を測る右手の象形」(役人がとどまる「役所」の意味)から、役人が書籍を整理するを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ひとしい」を意味する「等」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji532.html

形声。声符は寺(じ)。寺に待(たい)・特(とく)の声がある。〔説文〕五上に「齊(ひと)しき𥳑なり。竹に從ひ、寺に從ふ。寺は宮曹の等平なり」と官寺の意を含むとするが、形声とみてよい。〔孟子、公孫丑上〕「百世の後よりして、百世の王を等(はか)るに、之れに能(よ)く違ふ莫(な)きなり」、〔周礼、夏官、司勲〕「以て其の功を等(はか)る」のように、差等をはかる意。もと木簡の大小を整える意であろう。「まつ」の意は、待と通用の義である(字通)、

と、解釈に異同はふるが、いずれも形声文字としている。

「閑」(漢音カン、呉音ゲン)は、

会意文字。「門+木」で、牛馬の小屋の入り口(門)にかまえて、かってに出入りするのをふせぎとめるかんぬきの棒。ひまの意にもちいるのは、「間(すきま、あきま)」にあてた仮借的な用法だが、のちにはむしろ閑を使うことが多い、

とある(漢字源)。他も、

会意。「門」+「木」、門に木をわたしたさまを象る[字源 1]。「かんぬき」を意味する漢語{闌 /*raan/}を表す字。のち仮借して「ひま」を意味する漢語{閑 /*green/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%96%91

会意。門と、木(き)とから成り、門を閉じる木、ひいて「しきり」の意を表す。借りて「しずか」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(門+木)。「左右両開きになる戸」の象形と「大地を覆う木」の象形から、「他からの侵入を防ぐ、しきり」を意味する「閑」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1418.html

会意。門+木。〔説文〕十二上に「闌なり」、闌字条に「門の遮なり」とあり、門にしきりをすることをいう。ゆえに、ふせぐ意となる。また閨i間)と通じて、間静の意に用いる(字通)、

と、解釈に違いはあるが、いずれも会意文字としている。

参考文献;か
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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かかふ


綿もなき布肩衣(ぬのかたぎぬ)の海松(みる)のごとわわけさがれるかかふのみ肩にうち掛け伏廬(ふせいほ)の曲廬(まげいほ)の内に直土(ひたつち)に藁解き敷きて(貧窮(ひんぐう)問答)

の、

わわけさがれる、

の、

わわく、

は、

破れる、

意(伊藤博訳注『新版万葉集』)とあるが、

け/け/く/くる/くれ/けよ、

の、自動詞カ行下二段活用で、

ぼろぼろになる、

意である(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

海松(みる)、

は、

みるめ

で触れたように、

ミルメ(海松布)の略、分岐して生えているところからマル(散)と同義か(日本語源=賀茂百樹)、
ムルの転。ムルはマツラクの反、松に似ているところから(名語記)、
海に居て形が松に似ているから(https://www.flower-db.com/ja/flowers/codium-fragile)
「水松」を「うみまつ」と読ませ、「俗にいう海松」と説明している(和漢三才図絵)。

とあり、

海松色
海松模様、

とも言われるが、

ミルメ(海松布)の略、

かと思われる。

かかふ、

は、

ぼろ布、

の意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

かかふ(かかう)、

は、

襤褸、
㡜、

と当て、

ぼろきれ、

とある(広辞苑)。新撰字鏡(平安前期)に、

㡜、残帛也、也不礼加々不(やぶれかかふ)、

字鏡(平安後期頃)にも、

㡜、残帛也、也不禮加加不、

とある。

かかふ、

は、

ぼろ布、

ではあるが、

残帛、

とあてるように、

絹布の破れて廃物となれるもの、
帛(きぬ)の襤褸、

を言い(大言海)、平安末期の歌学書『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』に、

世俗ニ、きりぎりすはツヅリサセ、かかハ拾ハムト鳴クト云ヘリ、カカハとは、きぬ布ノ、破(ヤ)レテ、何ニモスベクモナキヲ云フナリ、ソレラハ、草鞋(ワラウヅ)作ルニ加ヘテ作リタレバ、強キナリ、かかわらうづト云フ、

とあるように、

かかは(かかわ)、
やぶれかかふ、

ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。

かかはわらうづ(かかわわろうず)、

は、上述の袖中抄にあるように、

㡜草鞋、

とあて、

絹のぼろきれを加えて編んだ、わらの履物、

である(精選版日本国語大辞典)。また、袖中抄には、

其さいてのはしを縄の様になひて、火を付て、其庇の口を温むるをば、かかは火打と云也、

とある、

絹のぼろを燃やした火、

の意の、

㡜火(かかわび)、

という言い方もある。

昔、足などを踏み切ったとき、その傷を温めるために用いたりした、

という(仝上)。

襤褸、

とあてる、

ぼろ、

は、

ぼろきれの略

とある(大言海)が、

擬態語「ぼろぼろ」から出た語(デジタル大辞泉)、

ともあり、どちらかというと、

ぼろぼろ、

由来なのではないかという気がする。

襤褸、

を、

らんる、

と訓ませると、漢語で、

南楚凡人貧、衣被醜弊、或謂之襤褸(揚子方言)、

と、

濫縷、
藍樓、

とも当て、

ぼろ、
つづれ、

の意である(字源・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、

つづれ、

綴れ、

とあて、

破れた部分をつぎ合わせた衣服、
つぎはぎの衣服、

の意だが、転じて、

ぼろの着物、
つづれごろも、
ぼろ、

の意である(精選版日本国語大辞典)。

「㡜」(漢音セツ、呉音セチ)は、

形声。「巾+音符祭」、

で、

破れた絹、
ぼろぎれ、

の意で、

衣を裂いて花を作る、

という動詞でもある(漢字源)。

「襤」(ラン)の異体字は、

繿、

で(漢字源)、

会意兼形声。「衣+音符監(=濫 はみでる)」。中身や裏が外にはみ出るぼろ衣、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「衣」+音符「監 /*RAM/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A5%A4

形声。声符は監(かん)。監に濫・藍(らん)の声がある。〔説文〕八上に「(たう)、之れを襤褸(らんる)と謂ふ。襤は縁(へり)無きの衣なり」(段注本)という。裯ははだぎの類、粗末なふだん着をいう(字通)、

と、形声文字としている。

「褸」(@漢音呉音ル、A漢音ロウ、呉音ル)は、

会意兼形声。「衣+音符婁(ル 細くつながる)」、

とあり(漢字源)、「襤褸」の意の場合、@の音、衣服のえりの意の場合、Aの音とある(仝上)。しかし、他は、

形声。「衣」+音符「婁 /*RO/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A4%B8

形声。声符は婁(ろう)。婁は婦人の髪をたばね重ねた形。〔説文〕十三上に「綫(いと)なり」とあり、〔孟子、尽心下〕に「布縷(ふる)の征(税)」という語がみえ、布や糸などの生産品に課税した。長い糸であるから、縷言・縷述のようにいう(字通)、

と形声文字としている。

「婁」(@漢音呉音ル、A漢音ロウ、呉音ル)の異体字は、

娄(簡体字)、𡇔(古字)、𡜰、𡜸、𡝤、𡝨、𡞔、𡡋(籀文)、𡡼、𣫻、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A9%81。字源は、

会意文字。「母+中+女」で、母も女も女性であって、女性を捕らえて、じゅずつなぎにしてひっぱるさまであろう。縷(ロウ ずるずると連なる紐)・樓(=楼 幾重にも上へと連なった家)・瘻(つらなるおでき)などの原字、

とあり(漢字源)、「ひく」「ずるずると引っ張る」意の場合、@の音、二十八宿のひとつを指す場合、Aの音となる(仝上)。しかし、他は、

象形。女性を引き上げるさまを象り、金文で音符「角 /*ROK/」を加える。「ひく」「ひっぱる」を意味する漢語{摟 /*ro/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A9%81

象形。婦人の髪を高く巻きあげた形。高く重ねる、すかすなどの意がある。〔説文〕十二下に「空なり。毌(くわん)に從ひ、中女に從ふ。婁空の意なり」(段注本)という。婁空とは髪を軽く巻き重ねて、透かしのある意であろう。目の明らかなことを離婁といい、まどの高く明るいことを麗瘻(れいろう)という。すべて重層のものをいい、建物には樓(楼)、裾(すそ)の長い衣には「摟(ひ)く」という。〔詩、唐風、山有枢〕「子に衣裳有るも 曳(ひ)かず婁(ひ)かず」とあるのは摟の意。糸には縷といい、婁は女の髪、これをうって乱すを「數數(さくさく)」という。〔繁伝〕に「一に曰く、婁務は愚なり」とあって畳韻の語であるが、用例をみない語である(字通)、

と、象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

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幸(さき)はふ


そらみつ大和の国は皇神(すめなみ)の厳(いつく)しき国、言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ(山上憶良)

の、

幸はふ、

は、

幸いをもたらす、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

福(さき)はひおおきなりと為さむか(山上憶良)、
福(さき)はひなきことの至りて、甚だしき(仝上)、

と、

福(さき)はふ、

とも当てる(仝上)。

幸はふ、

は、

サク(咲)・サカユ(栄)・さかる(盛)同根、生長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く意、ハフはニギハヒのハヒに同じ(岩波古語辞典)、
幸(サキ)の動く意なり、幸(さち)はふ、饒(にぎ)はふももこれなり。さいはふともいふは、音便なり(幸神(さちのかみ)、さいのかみ)(大言海)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、

などとあり、江戸中期の国語辞典『和訓栞(谷川士清)』は、

(「さきはふくに」と)萬葉集に見えたり、幸延國の義なるべし、

としていて、

生命力の活動が活発に行われる、

意から、

ゆたかに栄える、
幸福に栄える、

意で使い(精選版日本国語大辞典)、中世では、

女性が男性の愛情を受けて、幸福な結婚をしていることにいう場合が多い、

ともある(仝上)。

幸(さき)はふ

は、転訛して、

其外御娘八人おはしき。皆とりどりに幸(サイハイ)給へり(平家物語)、

さい(幸)はふ、

ともいい、

峰(を)の上(うへ)を君に見すれば男神(ひこかみ)も許したまひ女神(ひめかみ)もちはひたまひて時となく雲居(くもゐ)雨降る(萬葉集)、

と、

ちはふ(幸ふ・護ふ)、

という言い方もし、

「ち」は霊力、

の意で、

神が霊力を発揮して守ってくださる。

意である(デジタル大辞泉)。

幸(さき)、

は、

サク(咲)・サカユ(栄)・サカリ(盛)同根、植物の生長によって得る繁栄・幸福の意、類義語サチは狩猟の獲物の豊富から受ける幸福(岩波古語辞典)、
和訓栞、さき「幸、又、福を訓むも、先の字に通へり」、第一と云ふ意なるか、尚、考ふべし、幸(さき)はふ、さきはひ、ともなる(大言海)、

とあり、

さち、
と、
さき、

を由来が異なるとする説もあって、意味は似ていても、

さき→さち、

といった音韻変化とは異なるのかもしれない。

幸、

を、

さつ、

と訓む、

幸、

については、

さつや

で触れたように、

さつ、

は、

さち(幸)と同源(広辞苑)、
サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、
サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、

などとあるが、

「さち」の母音交替形「さつ(幸)」に「矢」がついたもの(精選版日本国語大辞典)、

とする説、

(「さちや」の「サチ」は、)サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、

とする説とに分かれ、

矢を意味する古代朝鮮語(sal)に求める(あるいはこれに霊威を表わす「ち」が付いたものとする)説がある。ただし「さつ矢」の他、「さつ弓」という語もあり、「さつ(ないし「さ」)」がただちに「矢」を意味する語であったとするには疑問が残る、

とあり(精選版日本国語大辞典)、はっきりしないが、いずれにせよ、

猟矢、
幸矢、

などと当て(仝上・デジタル大辞泉)、

猟に用いる矢(大言海・広辞苑)、
威力ある矢、縄文時代からあった石の矢じりの矢に対して、朝鮮から渡来した金属の矢じりの、強力有効な矢の意(岩波古語辞典)、
サチ(幸)を得るための狩猟用の矢(日本語源大辞典)、

とあり、意見が分かれるが、

さつ、
と、
さち、

は、狩猟関連で、

さつや→さちや、

と転訛し、

狩猟用の矢、

の意である(岩波古語辞典)ので、

さつ→さち、

と転訛したとみることができる。で、

さち、

の由来は、

サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、
サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、
サキトリ(先取)の義(名言通)、
山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、
サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典)
矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、
サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、
サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、

等々諸説あるが、

さち、

は、

火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、

と、

獲物を取る道具(広辞苑)、
狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、
獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力、漁や狩りの獲物の多いこと(精選版日本国語大辞典)、
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、

とされる。しかし、

威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、

霊力、

を、

さち、

といい、さらに、その、

矢の獲物、

さらに、転じて、

幸福、

をも言うようになった(広辞苑)という意味の転化が納得がいく。だから、本来、

情態性(心の様子)を表わす「さき(幸)」とは、関係ない語であった、

とあり、

音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に「幸いであること」「したわせ」の意味が与えられるようになったと推定される、

と、

上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる「幸せ」の意味の確例は見られない、

とある(精選版日本国語大辞典)。あえて言えば、

さき、

は、

サク(咲)・サカユ(栄)・サカリ(盛)同根、植物の生長によって得る繁栄・幸福の意(岩波古語辞典)、

から見て、

農耕系、

の、

収穫・繁栄→幸福、

を指していたのかもしれない

サキ、

サツ→サチ、

は、別系統からきているが、意味が似ているために、

サキ→サチ、
サツ→サチ、

と、両者が、

幸、

の字を当てたために、どこかで、

サチ、

へと混同されるに至ったとみていい。さて、で、

幸はふ、

の、

はふ、

であるが、これも、

いはふ(祝ふ・斎ふ)、

わざわひ

で触れたことだが、

はふ、

イハフ(祝・斎)サキハヒ(幸)・ニギハヒ(賑)・ケハヒ(気配)のハヒ・ハフに同じ、

で(大言海・岩波古語辞典)、接尾語として、

辺りに這うように広がる意を添えて動詞をつくる、

とされ(岩波古語辞典)、

這ふ、
延ふ、

と当て、

這い経るの意、

とある(大言海)。

這ふ⇔延ぶ、

と、

這ふは、延ふに通じ、延ふは這ふに通ず、

とあり(仝上)

蔓草や綱などが物に絡みついて伝わっていく、

意で(岩波古語辞典)、「ハヒ」は、この、

「はふ」の連用形です。 「はふ」 は 「延ふ」で〈蔓が延びていくように、物事が進む、広まる、行きわたる〉というような意味、

とするのが大勢の解釈となるhttps://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_18.html。だから、

「にぎはひ」の「ハヒ」、

も、

「さきはひ」の「ハヒ」、

も、

「けはひ」の「ハヒ」、

も、

這ふ、
延ふ、



ハヒ、

で、「にぎはひ」は、

和やかな状態が打ち続き盛んになる意、人々が寄り集まり、和やかに繫盛する意(日本語源広辞典)、

となり、「さきはひ」は、上述したように、

サク(咲)・サカユ(栄)・サカル(盛)と同根、生長の働きが頂点に達して、外に形を開く意(岩波古語辞典)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、
「幸、又福を訓むも、先の字に通えり」(和訓栞)、万葉集に見える幸延國の義なるべし、幸(サキ)の動く意なり(大言海)、

となり、「けはひ」(「気配」は後世の当て字)は、

ケ(気)+ハヒ(事のひろがり)。何となく感じられるさま(日本語源広辞典)、
ケは気、ハヒは延の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
ケ(気)ハヒ(延)の義。ハヒは、辺り一面に広がること、何となく、辺りにスー感じられる空気(岩波古語辞典)、

となり、「ハヒ」を、

延ふ、
這ふ、

から来た、

広がる、
延びる、

という状態表現の言葉と見る。しかし、

ハヒ、

を、

ハフ、

とつなげるのは音韻の類似性から来た付会なのではないか、という気がする。だから、異説がある。

サチイハフ(幸祝ふ)は「イ」を脱落してサチハフ(幸ふ)になった。〈サチハヘ給はば〉(祝詞)。サチハフ(幸ふ)も子交(子音交替)[tk]をとげてサキハフ(幸ふ)になった。「栄える。幸運にあう」という意である。〈しきしまのやまとの国は言霊のサキハフ国ぞ〉(万葉集)。(中略)サキハフ(幸ふ)は、キハ[k(ih)a]の縮約でサカフ[fu](栄ふ)になり、さらにサカウ(kawu)を経てサカユ[ju](栄ゆ)に転音した。……サキハフ(幸ふ)の連用形サキハヒ(幸ひ)は子音[k]を脱落してサイハヒ(幸)になった、

とある(日本語の語源)。

この説に従うなら、「ハヒ」=「ハフ(這・延)は成立しない。

「サキハヒ」が、

サチイハヒ(幸祝ひ)、

なら、「ワザハヒ」は、

ワザイハイ(業祝ひ)、

と、神意を承けて祝う意となり、「ニギハヒ」は、

ニギイハイ(和祝ひ)、

とになるが、そもそも、

和(にぎ)を活用す、和(なぎ)に通ず、荒るるに対す(大言海)、

とするなら、

にぎはふ、

は一語であり、「にきはふ」の「にぎ」は、「荒(あら)」の対である、

やわらぐ、

意の、

にぎ(和)、

を活用したものなのだとすると、「ハヒ」説は適用できない。「ニギ」を活用した動詞には、四段活用の、

にぎはふ(賑)、

の他に、

にぎぶ(賑 上二段活用)、
にぎははす(賑 他動詞)
にぎほほす(賑 形容詞)、

等々があり(大言海)、「ニギ」と「ハヒ」を分ける説自体が成り立たないかもしれない。

「ケハひ」も、また、

キイハヒ(気祝ひ)、

といえなくもない。「け(気)」は、

霧・煙・香・炎・かげろうなど、手には取れないが、たちのぼり、ゆらぎのでその存在が見え、また感じ取れるもの、

である(岩波古語辞典)。

「いはふ」は、

祝ふ、
斎ふ、

と当て、原義は、

吉事・安全・幸福を求めて、吉言を述べ、吉(よ)い行いや呪(まじない)をする、

意である。「わざわひ」の場合、ことに、

隠された神意に呪(まじない)する、

意の、

わざ+いはい、

はあり得る気がする。そして、憶説ながら、

サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、

とした転訛に倣うなら、

ワザイハフ(業祝ふ)→ワザハフ→ワザハヒ→ワザワイ、

という転訛もあり得るのかもしれない。もちろん、憶説に過ぎないが。ちなみに、

はふ(延)、

は、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、他動詞ハ行下二段活用で、

張り渡す、

意、

はふ(這)、

は、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、

はう、
腹ばいで前進する、

意である(学研全訳古語辞典)。

「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、異体字が、

𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8、「さつや」で触れたように、

象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、

とある(漢字源)。同趣旨で、

象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji43.html

象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、

ともあるが、別に、

会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、

と会意文字とするものもある。しかし、手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、

としhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8、また、

『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、

ともあり(仝上)、

「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、

としている(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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やくやく

 

初め痾(やまひ)に沈みしより已来(このかた)、年月やくやくにおおし(山上憶良)

の、

やくやく、

は、

漸漸、

と当て、

ヤウヤクの古形、

で、

ようやく、
次第に、
徐々に、

の意である(広辞苑)。

みちのくの梓の真弓我がひかばやくやく寄り來(こ)忍び忍びに(神楽歌)、

に、

徐々く、
稍く、

とあてるとする(岩波古語辞典)ものもある。

やくやく、

は、

ヤウヤクの約(岩波古語辞典)、
「ようやく」の古形(デジタル大辞泉)、
「ようやく(漸)」の古形(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

やうやく→やくやく、

というよりは、

やくやく→やうやく、

なのではあるまいか。

やくやく、

にあてた、

漸漸、

を、

ぜんぜん、

と訓ませると、

南國郷音漸漸稀(楊允孚)

と、

徐々に進む貌、

の意や、

漸漸之石、維其高矣(小雅)、

と、

山の石の高く嶮しき貌、

の意や、

涕漸漸兮(楚辞)、

と、

涙の流れる貌、

の意や、

麦の秀でる貌、

等々の意で用いる(字源)が、和語でも、「に」を伴って、

漸(ゼン)漸にかたきを滅して天下を治する事を得たりき(平家物語)、

と、副詞として、

順次に、段々と、徐々に、

の意や、

漸漸たり、

と、形容動詞ナリ活用として、

団扇(だんせん)天に隠れて、夕陽の影の裏(うち)に漸々(ゼンゼン)として消え去りぬ(太平記)、

と、

次第に進みいくさま、順をおってなされるさま、

の意で使う。


漢音セン、呉音ゼン、A慣用ゼン、漢音呉音セン)

は、

会意兼形声。斬(ザン)は「車+斤(おの)」の会意文字で、車におのの刃をくいこませて切ること。割れ目にくいこむ意を含む。漸は「水+音符斬」で、水分がじわじわと裂け目にしみこむこと、

とあり(漢字源)、「漸進(ゼンシン)」「東漸」「漸水(ゼンスイ)」などの場合は、@の音、「漸漬(ゼンシ)」のように、ひたす、じわじわとしみこむ意の場合は、Aの音となる(仝上)。同じく、

会意兼形声文字です(氵(水)+斬)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「車の象形と曲がった柄の先に刃をつけた斧の象形」(「刀できる」の意味)から、水の流れを切って徐々に導き通す事を意味し、そこから、「だんだん」、「次第に」を意味する「漸」という漢字が成り立ちました
https://okjiten.jp/kanji1661.html

と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、

形声。「水」+音符「斬 /*TSAM/」
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BC%B8

形声。水と、音符斬(サム)→(セム)とから成る。もと、川の名。借りて、少しずつ進む、ひいて「ようやく」の意に用いる(角川新字源)、


形声。声符は斬(ざん)。〔説文〕十一上に水名とするが、字の本義は〔書、顧命〕「疾(やまひ)大いに漸(すす)む」のように、水にひたり、次第に浸潤することをいう。〔詩、衛風、氓〕「車の帷裳(ゐしやう)を漸(ひた)す」のように、水につかって濡れることが原義。それで「ようやく」の意となる(字通)

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)

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祈(こ)ふ

 

天つ~仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み國つ~伏して額(ぬか)つきかからずもかかるも神のまにまにと立ちあざり我(あ)れ祈(こ)ひ禱(の)めど(山上憶良)

の、

天つ~仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み國つ~伏して額(ぬか)つき、

は、

仰いで天の神に祈り、伏して地の神を拝み、

とし、

かからずもかかるも、

は、

治してくださるもせめてこのままで生かして下さるのも、

として、

たちあざる、

は、

うろうろ取り乱して、

の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)

こふ、

は、

禱ふ、

とも当て(大言海)、普通、

乞ふ、
請ふ、

とあてる、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、他動詞ハ行四段活用で、

神仏・主君・親・夫などに対して、人・臣下・子・妻などが祈り、または願って何かを求める意(岩波古語辞典)、
神に冥助を請ふ意より移る(大言海)、

とあり、

恋(こ)ふ、

とは、同音ながら、

語源が別、

とある(仝上)。で、

敬びて雨を祈(コハ)しむへし(日本書紀)、
天地(あめつち)の神を許比(コヒ)つつ吾(あれ)待たむ早来ませ君待たば苦しも(万葉集)、

と、

望みがかなうように神仏に求める、

意、つまり、

祈る、

意で、そこから、広く、

木綿(ゆふ)畳(たたみ)手に取り持ちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも(万葉集)、
前妻(こなみ)が 肴(な)許波(コハ)さば立柧棱(たちそば)の実の無けくを扱(こ)きしひゑね(古事記)、

と、

他者に、物を与えてくれるよう求める、

意、いわゆる、

乞う、

意や、

請(コ)フ、姉(なねのみこと)、天国(あまつくに)を照(てら)し臨(のそ)みたまはんこと(日本書紀)、

と、

ある事の実現を他人に願い求める、願い望む、

意、いわゆる、

請う、

意で使う。この、

こふ、

は、字鏡(平安後期頃)に、

禱ふ、

は、

禱百霊也、新也、己不、又、伊乃留、

とある。

請ふ、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

請、コフ・ウク・ネガフ・ススム・ウケタマハル・ナル、

字鏡(平安後期頃)に、

請、コフ・トフ・ススム・モトム・ナル・ウケタマハル・トラフ・ネガフ・ウク、

乞ふ、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

乞、コフ・アタフ・メグム

とある。この、

こふ、

の由来は、

コフ(來経)義か(和訓栞)、
恋フを活用させたもの(和訓栞・国語本義)、
コトホル(言欲)の義(名語記・名言通)、
好み言ふの義(日本語原学=林甕臣)、
コはコヱ(声)のコと関係があり、コフは声を立てて求める意か(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々とあるが、

神に冥助を請ふ意より移る、

とする、

祈る、

との関係が全く見えない。

いのり

で触れたように、

動詞「の(宣)る」に接頭語「い(斎)」が付いてできた語(デジタル大辞泉)、
「い」は神聖、斎の意。「のる」は宣るの意(精選版日本国語大辞典)、
い(斎・いみ・神聖)+のる(宣)(日本語源広辞典)、
イはイミ(斎・忌)・イクシ(斎串)などのイとおなじく、神聖なものの意。ノリはノリ(法)・ノリ(告)などと同根か。妄りに口に出すべきでない言葉を口に出す意(岩波古語辞典)、

といった由来から、

神や仏に請い願う。神仏に祈願する、
心から望む。願う、

という意味であり、

みだりに口に出すべきでない言葉、

からの延長線上で、

呪う

の、

「祈る(ノル)」+「ふ」、

につながる。そうした、

祈る、

とつながる由来が全く見えない。むしろ、語源を異にするとされ、

恋ヒはkofïの音、乞ヒはköfiの音で別音だった(岩波古語辞典)、
「恋ふ」の「こ」が上代甲類音、「乞ふ」の「こ」が乙類音(日本語源大辞典)、

ということで、

「乞ふ」と「恋ふ」とを関連づける説は成り立たない、

とされる、

乞(請)ふ、

恋ふ、

の関連が、

(恋ふは)乞ふに通ず、他の意中を求むる意(大言海)、
(禱ふは)恋フを活用させたもの(和訓栞・国語本義)、

とする説もあり、かえって気になる。

恋(こ)ふ、

は、

ひ/ひ/ふ/ふる/ふれ/ひよ、

の、他動詞ハ行上二段活用で、

本来、上二段動詞、室町期頃から四段にも活用、現代語では朱に終止形が用いられ、また上一段の用例もみられる(広辞苑)、
特殊な活用の例として、「中華若木詩抄‐中」の「天下を中興せんと思た風を恋ふこと」、「歌謡・松の葉‐三・のんやほぶし」の「千々のあはれは妻こふ鹿の音」などのように、四段活用型の連体形の用例も散見する。現代では、まれに「改正増補和英語林集成」の「オンナヲ koiru(コイル)」や「小鳥の巣〈鈴木三重吉〉上」の「自分がこの祖母を恋ひる事を忘れて出てゐる間に」のように、上一段活用化した用例が見られる(精選版日本国語大辞典)、

という用例もあるが、その意味は、

ある、ひとりの異性に気持ちも身も引かれる意。「君に恋ひ」のように助詞ニをうけるのが奈良時代の普通の語法。これは古代人が「恋」を、「異性を求める」ことではなく、「異性にひかれる」受身のことと見ていたことを示す。平安時代からは「人を恋ふとて」「恋をし恋ひば」のように助詞ヲうけるのが一般。心の中で相手を求める点に意味の中心が移っていったために、語法も変わったものと思われる(岩波古語辞典)、
上代では、ふつう「に」を上に伴う。「を」を伴うようになるのは中古からである(精選版日本国語大辞典)、

とある(岩波古語辞典)。

音韻上無理があるのは承知だが、

(恋ふは)乞ふに通ず、他の意中を求むる意(大言海)、
コヒモトムル(乞求)の義(和訓栞・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、
コヒはコヒ(乞)、またはコヒ(心火)の義(言元梯)、

と、「乞ふ」と関連付ける説は多い。それに反して、

コフの原義は対者の魂を自分の方へ招致しようとすることで、この呪術をタマゴヒ(招魂法)といい、男女間の恋愛呪術の名にもっぱら使われるようになり、さらにその動機と恋愛心情をコヒというようになった(抒情詩の展開=折口信夫)、
心コリて来ヨと思フ意から(本朝辞源=宇田甘冥)、
コは細微の義、小に止まるの義で、一人に止まってその一人の為に細かに思いの進むをコフという(国語本義)、
コトホス(言欲)の反(名語記)、
コノミホシ(好欲)の義(名言通)、
コは心、ヒはヤマヒ(病)の義か(和句解)、
媾の字音koにハ行音の語尾を添えたもの(日本語原考=与謝野寛)、

と、他は、語呂合わせの域を出ない。音韻上の差異よりも、

乞(請)ふ、

恋ふ、

の、

意味の近接、

のほうが正しいのではないか、という気がしてならない。ちなみに、

祈ふ、

に似た用例で、

不得免(まぬかるましきこと)を知(し)りて、叩頭(ノミ)て曰はく「我君(あかきみ)」といふ……〈叩頭(たたくかうへ)此をば迺務(ノム)と云ふ〉(日本書紀)、

と、

祈(の)む、

という言い方があるが、

「祈る」と同義ではあるが、頭を下げる、ひれ伏すなどの動作を主体とした語であると考えられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「祈」(漢音キ、呉音ゲ・ギ)の異体字は、

𣄨、𧘻、

とある(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%88)。字源は、

会意兼形声。斤は、物におのの刃を近づけたさまを描いた象形文字で、すれすれに近づく意を含む。近の原字。祈は「示(祭壇)+音符斤(キン・キ)」で、めざす所にちかづこうとして神にいのること、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「示」+音符「斤 /*KƏJ/」。「いのる」を意味する漢語{祈 /*ɡəj/}を表す字(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%88)、

形声。示と、音符斤(キン)→(キ)とから成る。神に福を願い求める意を表す(角川新字源)、

形声文字です(ネ(示)+斤)。「神にいけにえをささげる台」の象形(「先祖神」の意味)と「曲がった柄の先に刃をつけた斧」の象形(「斧」の意味だが、ここでは、「近(キン)」に通じ(同じ読みを持つ「近」と同じ意味を持つようになって)、「ちかづく」の意味)から、幸福に近づく事を願う事を意味し、そこから、「いのる」、「いのりを意味する「祈」という漢字が成り立ちました(
https://okjiten.jp/kanji1156.html)、

形声。声符は斤(きん)。斤に圻・沂(き)の声がある。〔説文〕一上に「福を求むるなり」とあり、前条の祓に「惡を除く祭なり」とあるのと合わせて、祭にはこの二義があった。金文に𣄨字をに作り、後期の器銘には𬀍・旂などの字を用いる。みな軍行に当たって、あるいは遠行に際して無事を祈願したものであろう。金文にまた勹+亡・介・乞・害などの字を祈求の義に用いる。みな声の近い字である(字通)、

と、形声文字としている。

「禱(祷)」(トウ)の異体字は、

祷(簡体字/簡易慣用字体)、

とある(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%B1)。字源は、

会意兼形声。壽の原字は「長い線+口二つ」の会意文字で、長々と告げること。音は、トウ。祷の本字は、それを音符とし、示(祭壇)を加えた字で、長々と神に訴えていのること、

とある(漢字源)。別に、同じく、

会意兼形声文字です(示(ネ)+壽)。「神にいけにえをささげる台」の象形(「祖先の神」の意味)と「つえをつく老人の象形と長くつらなる道の象形」(「年老いるまで生命が長くつらなる」、「寿命が長い」の意味)から長生きできる事を「いのる」を意味する「禱」という漢字が成り立ちました(
https://okjiten.jp/kanji2622.html)、

と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「示」+音符「壽 /*TU/」。「いのる」を意味する漢語{禱 /*tuuʔ/}を表す字(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%B1)

形声。示と、音符壽(シウ)→(タウ)とから成る。神にいのる意を表す(角川新字源)、

「請」(@漢音セイ、呉音シン、Aカクンオンセイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。青(セイ)とは「生草(あお草)+丼(井戸の清水)」をあわせた恠異文字で、青く澄んでいること。請は「言+音符青」で、澄んだ目をまともに向けて、応対すること。心から相手に対するの意から、まじめに頼む意となった、

とあり(漢字源)、「懇請」「請託」「請示」など、「こう」意や、「請安(こころからご機嫌をうかがう)」「召請(招いて大切にもてなす)」など、接待する意や、「普請」など寄付を請う意の場合、@の音、「勧請」のようにもせいうける意の場合、Aの音となる(仝上)。他にも、

会意兼形声文字です(言+青())。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「草・木が地上に生じきた象形と井げた(井の字の形)の象形」(「青い草色の染料・青く澄み切る」の意味)から、「澄み切った心で言う」、「こい願う」を意味する「請」という漢字が成り立ちました(
https://okjiten.jp/kanji1434.html)、

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「言」+音符「青 /*TSEŊ/」(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%8B)、

形声。言と、音符(セイ)とから成る。君主にまみえてその命令をこう意を表す。転じて「こう」意に用いる(角川新字源)、

形声。声符は青(せい)。〔説文〕三上に「謁するなり」とあり、入謁することをいう。情と通用することがあり、〔荀子、成相〕「其の請(情)を明らかにす」、また〔史記、礼書〕「請(情)文俱(とも)に盡す」の例がある(字通)。

と、形声文字としている。

「乞」(漢音キツ、呉音コツ・コチ)は、

「气」の異体字、

とあり(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%9E)、

「气」の正字(繁体字)は、

氣、

とあり(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%94)、

氣、

の異体字は、

㫓、䊠、暣、气(本字/簡体字)、氕(標準漢字表簡易字体)、気(新字体)、氘、氭、氯、炁、餼、𣅠、𣱖、𣱛、𤽍、

とある(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%A3)。

乞、

の字源は、

象形、ふたをおしのけてつかえた息が漏れ出るさまを描いたもの。氣(気 いき)の原字。のどをつまらせて哀れな声を漏らすの意から、物ごいする意となった(漢字源)、

もと、气(キ)の変化したもの。借りて「こう」意に用いる。また、气と区別して、乞の字形にした(角川新字源)、

象形文字です。もと、「雲の動き」の象形から、「気体」の意味を表しましたが、「祈(キ)」に通じ(同じ読みを持つ「祈」と同じ意味を持つようになって)、「こう(求める、願う)」を意味する「乞」という漢字が成り立ちました(
https://okjiten.jp/kanji2106.html)、

象形。雲気の流れる形。氣(気)の初文は气、その初形は乞。〔説文〕一上に「气は雲气なり。象形」とあり、乞字を収めない。乞はもと雲気を望んで祈る儀礼を意味し、乞求の意がある。金文に「用(もっ)て眉壽を乞(もと)む」のように、神霊に祈ることをいう(字通)、

と、象形文字としている。

「气」(漢音キ、呉音ケ)、

の字源は、

象形。乙形に屈曲しつつ、いきや雲気の上ってくるさまを描いたもの。氣(気 コメをふかして出る蒸気)や汽(ふかして出る蒸気)の原字。また語尾がつまれば、乞(キツ 喉を屈曲させて切ない息を出す)ということばとなる(漢字源)、

象形。空気の流れるさまを象る。「いき」「ガス」を意味する漢語{氣 /*kʰət-s/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%94

象形文字です。「湧き上がる雲」の象形から「水蒸気」、「雲」を意味する「气」という漢字が成り立ちました。「气」は「気/氣」の原字ですhttps://okjiten.jp/kanji2872.html

象形。雲気が空に流れ、その一方が垂れている形。〔説文〕一上に「雲气なり」とあり、氣(気)の初文とされる字である。卜文に乞に作り、祈求・勹+亡求(かいきゆう)の意に用いるのは、古く雲気を望んで、それに祈ったからである(字通)、

といずれも象形文字である。


「氣(気)」(漢音キ、呉音ケ)は、「気色ばむ」で触れたように、

会意兼形声。气(キ)は、いきが屈折しながら出てくるさま。氣は「米+音符气」で、米をふかす時に出る蒸気のこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(米+气)。「湧き上がる雲」の象形(「湧き上がる上昇気流」の意味)と「穀物の穂の枝の部分とその実」の象形(「米粒のように小さい物」の意味)から「蒸気・水蒸気」を意味する「気」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji98.htmlが、他は、

形声。「米」+音符「气 /*KƏT/」。「食べ物を贈る」を意味する漢語{餼 /*hət-s/}を表す字。のち仮借して「ガス」を意味する漢語{氣 /*kʰət-s/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%A3

形声。意符米(こめ)と、音符气(キ)とから成る。食物・まぐさなどを他人に贈る意を表す。「餼(キ)」の原字。転じて、气の意に用いられる(角川新字源)、

形声。旧字は氣に作り、气(き)声。〔説文〕七上に「客に饋(おく)る芻米なり」とあり、〔左伝、桓六年〕「齊人、來(きた)りて諸侯に氣(おく)る」の文を引く。いま氣を餼に作る。气が氣の初文、また氣は餼の初文。いま气の意に気を用いる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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立ちあざる

 

天つ~仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み國つ~伏して額(ぬか)つきかからずもかかるも神のまにまにと立ちあざり我(あ)れ祈(こ)ひ禱(の)めど(山上憶良)

の、

天つ~仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み國つ~伏して額(ぬか)つき、

は、

仰いで天の神に祈り、伏して地の神を拝み、

とし、

かからずもかかるも、

は、

治してくださるもせめてこのままで生かして下さるのも、

として、

たちあざる、

は、

うろうろ取り乱して、

の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、

たちあざる、

語義未詳、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

立ち騒ぐ意か、

また、

立ってうろうろ歩きまわる意か、

とある(仝上)。

あざる、

には、

狂る、
戯る、

とあてる、

あざる、

鯘る、

とあてる、

あざる、

のほかに、冒頭の歌の、

たちあざる、

の、

あざる、

がある。この、

あざる、

は、

荒る、

とあて(大言海)、藤裏葉(ふじのうらば)(『源氏物語』第33巻)で、

おほやけざまは、少し戯(たは)れて、あざれたるかたなりし、

とあるのを、室町時代の源氏物語注釈書『細流抄』(「公条(きんえだ)聞書」「三条西家抄」では、

あざれたる、しどけなき状なり、

と注釈しているが、この語は、

一説に、ア(足)サル(移動する)の複合した形で、動き回る意という(広辞苑)、
語義未詳。「あざる(戯)」との関係から、とり乱し騒ぐの意か。一説に、「あ(足)」「さる(移動する)」で、うろうろ歩きまわる意かとする(精選版日本国語大辞典)、
鯘る、戯ると同根の語、古くは四段活用なりしにか(大言海)、

として、

さわぎくるう、
荒(すさ)ぶ、
取り乱す、

意とする(広辞苑・大言海)。この「あざる」と関連するらしい、

狂る、
戯る、

とあてる、

あざる、

は、天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

戯、阿佐禮和佐須(あされわざす)、

とあり、

ら/り/る/る/れ/れ、

と、自動詞ラ行四段活用から、後に、

れ/れ/る/るる/るれ/れよ、

の、自動詞ラ行下二段活用になるが、、

ア戯(ざ)るの義、(「鯘(あざ)る」の)アは、発語、あ曝(さ)るの義(あ戯(ざる、あ迫(せ)ね(躁急)))(大言海)、
ア(接頭語・強め)+ザル(戯る・じゃれる)です。戯れるの意の古語です(日本語源広辞典)、
鯘(あざ)るの転(岩波古語辞典)、
あざる(鯘・餒)の意味変化した語(日本語源大辞典)、
アは発語ではなく「嗟(ああ)」で、ザルはザル(進)(日本語源=賀茂百樹)、

などとあり、どうやら、

鯘る、

からの転化のようである。この、

戯る、

は、

かみなかしも、酔ひあきて、いとあやしく、潮海(しほうみ)のほとりにて、あざれあへり(土佐日記)、

と、

ふざける、
たわむれる、
ざれる、

意や、

しどけなくうちふくだみ給へる鬢茎(びむくき)、あざれたる袿(うちき)姿にて(源氏物語)、

と、

うちとける、
くつろぐ、
儀式ばらないでくだける、

意や、

返しはつかうまつりけがさじ、あざれたり(枕草子)、

と、

しゃれる、
風流である、
気転がきく、

で使い、自動詞 ラ行下二段活用となって、

たとへば、我身にちがひなどあるとき、そのおりのしゅびを、すこしもかくさず、いちいちあざりていふ類也(評判記「難波物語(1655)」)、

と、

ふざける、
たわむれる、

意となる(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)。この、

戯る、

に転訛した、もとの、

鯘る、

は、論語(郷党篇)には、

魚、鯘(あざれ)而肉敗、不食、

とあるのと同じで、

新和名類聚抄(931〜38年)に、

鯘、魚肉爛也、阿佐留、

新撰字鏡(平安前期)に、

肉+習、魚肉爛也、阿佐礼太利、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

鯘、アザル、

とあり、後の、日葡辞書(1603〜04)にも、

ニクガ azareta(アザレタ)、

とある。この、

鯘る、

は、後に、

れ/れ/る/るる/るれ/れよ、

と、自動詞ラ行下二段活用の、

鮾(あざ)れる、

と転訛するが、

是に海人(あま)の苞苴(おほむへ)、往還(かよふあひだ)に鮾(アサレ)ぬ(日本書紀)、

と、

(魚肉などが)腐る、

意で使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。

鯘る(鯘れる)、

の由来は、

アは、発語、あ曝(さ)るの義(あ戯(ざる、あ迫(せ)ね(躁急)))(大言海)、
アはウハの反。ウハクサリ(表腐)の義(和訓栞)、
アは感動詞、ザルはザラザラになる意(本朝辞源=宇田甘冥)、
アザル(荒進)の意から(日本語源=賀茂百樹)、
アザ(虚)になる意から(日本古語大辞典=松岡静雄)、
アザはアダ(徒)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々とあるが、どうも語呂合わせが過ぎる。

「あざ(痣)」「あざける」「あざわらふ」などの「あざ」を動詞に活用させたもので、色が目立って変化するところから、魚肉などが腐ることを言った、

とする(日本語源大辞典)のが適切だろう。

あざむく

でふれたが、「あざむく」の、

あざ、

は、

アザ(痣)・アザヤカ・アザケルのアザと同根(岩波古語辞典)、
アザケルやアザワラフのアザ(時代別国語大辞典-上代編)、

で、このアザは、

あざやか、

に当てる、

鮮、

ではなく、

痣、

である。この、

あざ(痣)、

は、

あばた、ほくろ、瘤、

なども含めており、和名抄には、

痣、師説阿佐(あざ)、

とあり、文明本節用集には、

瘤、アザ、肉起、

とある。

アザアザ・アザワラフ・アザケル・アザムク・アザヤカと同根、

とある(岩波古語辞典)ように、この、

あざ、

は、

痣、

由来であり、

あざやか、
あざける、
あざわらふ、

に共通する「あざ」のようである。

立ちあざる、

の、

立ち、

については、

立つ

でふれたように、

動詞に冠して語勢を強める語(広辞苑)、
接頭]動詞に付いて、その意味を強めたり、やや改まった感じを表したりする。「立ちまさる」「立ち向かう」(デジタル大辞泉)

とされるが、どうもそれだけではあるまい。

もともと坐っている状態が常態だったのだから、

立つ、

ということはそれだけで目立つことだったのに違いない。そこに、ただ、

立ち上がる、

という意味以上に、

隠れていたものが表面に出る、

むっくり持ち上がる、

と同時に、それが周りを驚かし、

変化をもたらす、

に違いない。

立つ、

には特別な意味が、やはりある。

引き立つ、
思い立つ、
気が立つ、
心が立つ、
感情が立つ、

あるいは、

忠義立て
隠し立て
心立て

という使い方もある。伊達も「取り立て」のタテから来ているという説もある。そう思って、振り返ると、腹が立つ、というように、立つが後ろに付くだけではなく、前につけて、

立ち会い、立ち至る、立ち売り、立ち往生、立ち返る立ち並ぶ立ち枯れ、立ち遅れ、立ち働く、立ち腐れ、立ち遅れ、立ち竦む、立ち騒ぐ、立ち直る、立ち退き、立ち通す、立ち回り、立ち向かう、立ち行く、立ち入り、立ち戻る、立ち切る、立ち居振る舞い、立ち代り、立ち消え、立ち聞き、立ち稽古、立ち込み、立ち姿、立ちどころに、立ち退き、立ちはだかる、立て替え、建て替え、立ち水、立ち塞がる、立待の月、立て板、立て付け、立て直し…。

等々、すごい数になる。こうみると、

「立つ」ことが目立つ、ある特別のことだ、

というニュアンスが、接頭語としての「立ち」に波及しているのではないか。しかも、

立場、立木、立つ瀬、建前、立て方、立ち衆、立行司、立て唄、立女形、立て作者、立ち役…、

と並べて見ると、

立つ、

には、特別な意味がある。「立つ」ことが、際立って重要で、

満座が坐っている中で、立つことがどれほどの勇気がいることで、目立つことか、

と思い描くなら、「立つ」には、いい意味でも、悪い意味でも、目立つ、中心に立つ、という意味が込められている。

立つ、

の用例から見ると、

立(たち)てゐて 思ひそわがする逢はぬ児ゆゑに(万葉集)、

と、

横になったり、すわったりしていた人が身を起こす、
立ち上がる、

意だけではなく、

項(うな)かぶし汝(な)が泣かさまく朝雨の霧に多多(タタ)むぞ(古事記)、
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立(たつ)見えてかへりみすれば月かたぶきぬ(万葉集)、

と、

雲、霧、煙などが現われ出る、
風、波などが起こり動く、

等々、

物、人などが、目だった運動を起こす、

意や、

堀江漕ぐ伊豆手(いづて)の船の楫(かぢ)つくめ音しば多知(タチ)ぬ水脈(みを)早みかも(万葉集)、
わが名はも千名(ちな)の五百名(いほな)に立(たち)ぬとも君が名立(たた)ば惜しみこそ泣け(万葉集)、

と、

音や声が高くひびく、
人に知れわたる、
目に見えるようにはっきり示され、

等々、

作用、状態などが目立ってあらわれる、

意や、

さねさし相摸の小野に燃ゆる火の火中に多知(タチ)て問ひし君はも(古事記)、
ちはやひと宇治の渡りに渡瀬に多弖(タテ)る梓弓(古事記)、

と、

足などでまっすぐに支えられる、
草木などが地から生える、

等々、

物や人が、たてにまっすぐな状態になる、また、ある位置や地位を占める、

意や、

なんの用にかたたせ給ふべき(平家物語)、
盗みをしたと言はれては立(たた)ぬ(歌舞伎・傾城壬生大念仏)、

と、

使ったり、仕事をさせたりすることができる、

等々、

ある状態が保たれる、また、物事が成り立つ、

意等々、

目に立つ、
目立つ、

という含意がある。

立つあざる、

の、

立ち、

にも、

ただ動き回る、

という意味を強調した以上に、

目立った振る舞い、

という含意があるような気がしてならない。

「鯘」(漢音ダイ、呉音ナイ)の異体字は、

餒(同字)、鮾(同字)

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AF%98

「餒」は同字、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AF%98

会意兼形声。「魚+音符妥(ぐったり垂れる)」、

とある(漢字源)。魚が腐って肉がだれる、意である(仝上)。

「戯」(@慣用ギ・ゲ、木漢音キ、呉音ケ、A漢音呉音キ、B漢音コ、呉音ク)の異体字は、

戏(簡体字)、戱(俗字)、戲(旧字体/繁体字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%AF

「戲」の異体字は、

㪭、戏(簡体字)、戯(新字体)、戱(俗字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B2。「戯言」等々、たわむれ、ふざける意や、「戯曲」の場合@の音、「戯下の騎」のように、大将の旗の意の場合、Aの音、「於戯(ああ)」と、ため息の意の場合はBの音、となる(仝上)。字源は、

形声文字。「戈(ほこ)+音符虚(コ)」。説文解字は、ある種の武器で我(ぎざぎざの刃のあるほこ)と似たものと解する。その原義は忘れられ、もっぱら「はあはあ」と声を立てて、おどけ笑う意に用いる、

とある(仝上)。他も、解釈は異なるが、

形声文字です(虚+戈)。「虎(とら)の頭の象形と頭がふくらみ脚が長い食器、たかつきの象形」(「虚(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「虚」と同じ意味を持つようになって)、「むなしい」の意味)と「にぎりのついた柄の先端に刃のついた矛」の象形から、むなしい矛、すなわち、実践用ではなく「おもちゃの矛」を意味する「戯」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1321.html

形声。戈と、音符䖒(キ)とから成る。出陣前に軍舞をすること、借りて「たわむれる」意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

とするが、

会意。旧字は戲に作り、䖒(き)+戈(か)。䖒は〔説文〕五上に「古陶器なり」とするが、その器制も明らかでない。䖒は虎頭のものが豆形の台座に腰かけている形。それに戈で撃ちかかる軍戯を示す字であろう。金文の〔師虎皀+殳(しこき)〕に「嫡として左右戲の繁荊を官𤔔+司(司)せしむ」とあり、「左右戲」とは軍の偏隊の名であろう。〔左伝〕に「東偏」「西偏」の名があり、〔説文〕十二下に「戲は三軍の偏なり。一に曰く、兵なり」とし、字を䖒声とする。「左右戲」の用法が字の初義。麾・旗と通用し、麾下をまた戯下という。戯弄の意は、虎頭のものを撃つ軍戯としての模擬儀礼から、その義に転化したのであろう。敵に開戦を通告するときに、〔左伝、僖二十八年〕「請ふ、君の士と戲れん」のようにいうのが例であった。嶷・巍と通ずる字で、〔玉篇〕に「山+戲は嶮山+戲、巓危きなり」とあり、山巓の険しいさまをいう(字通)、

と、会意文字とするものもある。

「狂」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。王は二線の間に立つ大きな人を示す会意文字、または末広がりの大きなおのの形を描いた象形文字。狂は「犬+音符王」で、大げさにむやみと走りまわる犬。ある枠をはずれて広がる意を含む、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「犬」+音符「㞷 /*WANG/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8B%82

形声。犬と、音符王(ワウ→クヰヤウ)とから成る。手に負えないあれ犬の意を表す。転じて「くるう」意に用いる(角川新字源)

形声文字です(犭(犬)+王)。「耳を立てた犬」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかりの象形」(「王」の意味だが、ここでは、「枉(おう)」に通じ(同じ読みを持つ「枉」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、獣のように精神が曲がる事を意味し、そこから、「くるう」を意味する「狂」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1163.html

形声。正字は㞷に従い、㞷(こう)声。㞷は〔説文〕六下に「艸木妄生するなり」とするが、卜文・金文の字形は、鉞頭の形である王の上に、山+⊥(止(あし))を加えた形。おそらく出行にあたって行われる呪儀で、魂振りの意があり、神の力が与えられるのであろう。秘匿のところでその礼を行うことを匡といい、神意を以て邪悪を匡(ただ)すことを匡正という。その霊力が獣性のもので、誤って作用し、制御しがたいものとなることを狂という。〔説文〕十上に「狾犬(せきけん)なり」と噛(か)み癖のある犬の名とするが、発狂・狂痴の状態をいう語である。〔書、微子〕「我は其れ狂を發出せん」、〔論語、公冶長〕「吾が黨の小子狂簡、斐然(ひぜん)として章を成す」、〔論語、子路〕「子曰く、中行を得て之れと與(とも)にせざるときは、必ずや狂狷(きやうけん)か」のように、古くから理性と対立する逸脱の精神として理解された。清狂・風狂なども、日常性の否定に連なる一種の詩的狂気を示す語であった(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ゑぐ

 

君がため山田の沢にゑぐつむとぬれにし袖は今もかわかず(よみ人しらはず)

の、

ゑぐ、

は、

芹の異称(八雲御抄)、

というが、

黒慈姑(くろくわい)の異名、

ともいう(水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版))とある。

ゑぐ、

は、

あくが強い意の「えぐし(蘞)」から出た語、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

カヤツリ科の多年草、浅い水中に生え、食用にする(岩波古語辞典)、
葉は藺に似て小さく、根に、白く小さき芋意ありて、味少しくゑぐし(大言海)、

とあり、

くろぐわゐ(黒慈姑)の類(大言海)、
黒慈姑(くろぐわい)の古名(広辞苑)、
「くろぐわい(黒慈姑)」の異名(精選版日本国語大辞典)、

などとあるが、また、或いは、

水邊に在りて、芹に似たるもの(大言海)、
一説に「せり(芹)」をさすとも(精選版日本国語大辞典)、

と、

芹、

とする説もある。ちなみに、

ゑぐし、

は、現代語でいう、

えぐい、
とか、
えぐみ、

で、

蘞、
刳、
醶、
薟、

等々とあて(大言海・精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

ゑごし、

ともいい(仝上)、

ゑぐる(抉・刔)意かという(大言海)、
植物のゑぐと同根(岩波古語辞典)、

とあり、和名類聚抄(931〜38年)に、

醶、恵久之、

類聚名義抄(11〜12世紀)にも、

醶、ゑくし、

とある、

あくが強くてのどを刺激するような味や感じがしている、
えがらい、
いがらっぽい、

意である(精選版日本国語大辞典・大言海)。即ち、

芋茎の生なるが如き味あり、

とする(大言海)。

クロクワイ、

は、

青森県亀ヶ岡の泥炭層から三つの壺にいっぱいつまったクロクワイが発見された、

とある(たべもの語源辞典)ように、縄文土器時代の日本人も食用にしていたほど、古くから知られていた。いわゆる、

くわゐ(慈姑)、

は、中国原産で、平安初期に渡来し、塊茎が白いものと青いものがあるが、

クロクワヰ、

と区別して、これを、

シロクワヰ、

と呼ぶ(仝上)。

クロクワヰ、

は、

K慈姑、

とあて、

クログワヰ、

ともいい、本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

烏芋、久呂久和為、

とあてるように、

烏芋、

とも表記し、

くわいずる、
いご、
ごや、
あぶらすげ、

といった呼び名もある(精選版日本国語大辞典)。

カヤツリグサ科の多年草。関東、北陸以西の池や溝中に生える。稈は叢生し、中空で高さ四〇〜七〇センチメートルになる。地下にクワイに似ているがやや小さな黒い皮に包まれた塊茎がある。葉は退化して茎に鞘(さや)状になってつく。秋、茎頂に緑褐色の鱗片を密生した長さ約三センチメートルの筆の穂状の小穂をつける(精選版日本国語大辞典)、

池澤中に生ず、葉は、ふとゐ(太藺・莞)に似て、細く小さく、長さ二三尺、多く叢生す、質柔らかにして、内空し、夏葉の上に、一寸許りの穂を生ず、黒くして、白き蘂あり、すげの穂に似たり、冬、春、根に塊あり、くわゐの如くにして、六七分、皮黒く、肉白し生、熟共に食ふべし(大言海)、

とあり、また、また近縁の、中国、台湾で栽培し大形の塊茎を食用にする、

オオクログワイ、

をいうこともある(精選版日本国語大辞典)。この、

オオクログワイ、

にも、

烏芋、

を当てる(動植物名よみかた辞典)。

オオクログワイ、

は、やはり、

カヤツリグサ科の多年草。中国の揚子江(ようすこう)流域原産で、シナクログワイと称し、湿地や浅水の泥中で栽培もされる。泥中を横走する地下茎から地上に茎を出して株をつくり、大群落となる。茎は中空で高さ40〜70センチメートル、葉は退化して筒状の鞘(さや)となって茎を包む。初秋に花茎が50センチメートルほど伸び、先端に茎とほぼ同じ太さの淡緑色の花穂がつく。晩秋に地下茎の先端が肥大して直径2〜4センチメートルになる。外皮は黒褐色、内部は純白で、煮るとさくさくした歯ざわりで特有の甘味がある。正月料理や中国料理に用いるが、日本での栽培はまれで、中国から缶詰で輸入している、

とある(日本大百科全書)。なお、



は、前に触れたことがあるが、

根白草、
つみまし草、
シリバ、
エグ、
エグナ、
カワナグサ、

とも言い(たべもの語源辞典)、

芹、
芹子、
水芹、

と当てる(広辞苑)。

水中に生じるものを水芹、川にある物を川芹、田に植えるものを田芹、根の賞すべきを根芹、陸に生ずるものを畠芹または野芹、水田にある茎葉ともに赤みを帯びたものを赤芹と称し、茎の白いものを白芹という。赤芹(田芹)が香りもよい、

とある(たべもの語源辞典、大言海)。「セリ」の漢名は、

水芹、
水斳、
苦斳、
水芹菜、
水菜、
水英、
芹菜、
紫芹、
楚葵(ソキ)、

とある(仝上)。

中国薬物名としては6 -7月ころに刈り取って乾燥した全草を水芹(すいきん)と称している、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AA

なお、

クワイ

については、触れた。

「慈」(漢音シ、呉音ジ)の異体字は、

𩉋(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%85%88。字源は、

会意兼形声。茲は、草の芽と細い糸とをあわせて、小さいものが成長し増えることを示す会意文字。慈は「心+音符茲」で、小さい子を育てる親心のこと、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(茲+心)。「並び生えた草の象形と2つの糸の象形」(「草・木が増える」の意味)と「心臓」の象形から、子を増やして育てる心を意味し、そこから、「いつくしむ」を意味する「慈」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1501.html

と、会意文字とするものもあるが、他は、

形声。「心」+音符「茲 /*TSƏ/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%85%88

形声。心と、音符茲(シ)とから成る。愛情をかける、「いつくしむ」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、

形声。声符は茲(じ)。茲に茲+子生・茲+子育の意があり、その情を慈という。〔説文〕十下に「愛なり」とみえる。古くは子をその意に用い、金文の〔大盂鼎(だいうてい)〕に「故に天、異(翼)臨(よくりん)し、子(いつくし)みて先王を灋(法)保したまへり」、また〔也皀+殳(やき)〕に「懿父(いほ)は廼(すなは)ち子まん」のように用いる(字通)、

と、形声文字としている。

「姑」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。「女+音符古」。年老いて古びた女性の意から、しゅうとめやおばの称となった、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「女」+音符「古 /*KA/」。「義理の母親」を意味する漢語{姑 /*kaa/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A7%91)

形声。声符は古(こ)。〔説文〕十二下に「夫の母なり」とあり、しゅうとめ。親族称呼としては、おばをもいう。卜辞に、先王の妣が新婦に祟(たたり)することを卜する例があり、婦姑の間には、氏族霊を異にするものとして、宗教上の問題があるとされたようである。金文に、姑のために婦人が祭器を作ることをしるしたものがある(字通)、

と、形声文字としている。

「芹」(漢音キン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。「艸+音符斤(刃を近づける、刃物でかる)」、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(艸+斤)。 「並び生えた草」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形(「斧で木を切る」、「細かく刻む」の意味)から小刻みな葉を持つ「せり」を意味する「芹」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2677.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「艸」+音符「斤 /*KƏN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8A%B9

形声。艸と、音符斤(キン)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は斤(きん)。〔説文〕一下に「楚葵(そき)なり」とあり、また艹+近(きん)字条に「周禮に艹+近菹(きんそ)(芹の漬物)有り」とみえ、同じものである。芹は水中の草で、祭事に用いる。人に物を献ずるときには「献芹」という(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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神から

 

み吉野の秋津(あきづ)の宮は神(かむ)からか貴(たふと)くあらむ國からか見(み)が欲(ほ)しくあらむ(笠金村)、

の、

神から、
國から、

の、

から、

は、

素性、
本質、

とあり、

國つ神の~々しさのせいかまことに尊い、国柄が立派なせいか誰もが見たいと心引かれる、

と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

神から、

は、

神柄、

とあて、

かむから、

とも、

そらみつ大和の国は、可未可良(カミカラ)し尊(たふと)くあるらし、この舞見れば(続日本紀)、

と、

かみから、

とも訓ませ(デジタル大辞泉)、

「から」は、その物に備わっている本来の性格、本性、また、そのものの由来するところ、故(ゆえ)、などの意(精選版日本国語大辞典)、
カラは、素姓・血筋・品格・性質の意(岩波古語辞典)、

とあり、

神の性格、
神の品格、
神の本性。

の意(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)で、多く、副詞的に、

神の性格のせいで、
神の品格がすぐれているために、

の意に用いられる(仝上)。

玉もよし讚岐の国は国柄(くにから)か見れども飽かぬ神からかここだ貴(たふと)き(万葉集)

の、

国柄、

は、

くにから、

後に、

くにがら、

と訓ませ、やはり、

「から」は本来その物に備わっている性格の意(精選版日本国語大辞典)、
カラは血族の意のカラと同じ、品格・性質の意(岩波古語辞典)、

とあり、

国が本来備えている(立派な)性質、品格、

の意で(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

み吉野の吉野の宮は山可良(やまカラ)し貴(たふと)くあるらし川柄し清(さや)けくあるらし(万葉集)

の、

山柄(やまから)、
川柄(かはから)、

の、

カラ、

も、

素姓・血筋・生まれつき・質の意(岩波古語辞典)、

で、

山(や川)が本来そなえている性質、
山(や川)の様子、
その山(や川)の風格、

の意である(仝上・デジタル大辞泉)。この、

から、
あるいは、
がら、

は、後世、名詞として、独立して用いられ、

身体(ガラ)の小さい女蟹ばかり多くなったので(「蟹工船(1929)」)、

と、大小という面からいう場合に用いて、

体つき、
なり、

の意、

ただおしたての位を専とす、一番の柄(ガラ)をよく、物やさしく舞を本とす(「承応神事能評判(1653)」)、

と、

その人に本来そなわっている、また、その人の身なりや態度から感じられる品や性格、

の意で用い、現代では多く、

柄にもない、

というように、

その人の現在の身分、地位、生活態度などにふさわしいかどうかという面からいわれる、

とある(精選版日本国語大辞典)。この使い方は、

ひん(品)、

に似ているが、

品、

は、

品がある、
品がない、

というように、

その人の内面的に備わっているもの、

をいい、

がら、

は、

柄が良い、
柄が悪い、

外に表われた印象からいうもの、

をいう(精選版日本国語大辞典)としている。こうした、

から、

は、

万葉集に助詞「が」「の」に付いた例があり、語源は体言、

と推定でき、

「国柄」「人柄」の「柄(から)」と同源、
「うから」「やから」「はらから」などの「から(柄・族)」と同源、

とみなされ(広辞苑)、

うから、
やから、
ともがら、
はらから、

の、

から

は、

族、
柄、

とあて(広辞苑)、

満州語・蒙古語のkala、xala(族)と同系の語。上代では「はらから」「やから」など複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的に出発点・成行き・原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転、

とされ(岩波古語辞典)、

この語は現在も満州族。蒙古族では社会生活上の重要な概念であるが、日本の古代社会には、ウヂ(氏)よりも一層古く入ったらしく、奈良時代以後、ウヂほどには社会組織の上で重要な役割を果たしていない。なお朝鮮語ではkyöröi(族)の形になっている、

とし(仝上)、この語から派生した、助詞、

から、

についても、

語源は名詞「から」と考えられる。「国から」「山から」「川から」「神から」などの「から」である。この「から」は、国や山や川や神の本来の性質を意味するとともに、それらの社会的な格をも意味する。「やから」「はらから」なども血筋のつながりを共有する社会的な一つの集りをいう。この血族・血筋の意から、自然のつながり、自然の成り行きの意に発展し、そこから、原因・理由を表し、動作の出発点・経由地、動作の直接続く意、ある動作にすぐ続いていま一つの動作作用が生起する意、手段の意を表すに至ったと思われる(仝上)、

「から(柄)」と同語源で、名詞の下に付いて、その物事の本来持っている性質、品格、身分などの意、また、それらの性質、品格、身分などにふさわしいこと、また、その状態の意などを表わす。「人柄」「家柄」「身柄」「続柄」「国柄」「場所柄」「声柄」「時節柄」などと用いられる(精選版日本国語大辞典)、

などとある。この、

から、

が、上述したように、

「うから(族)」「やから(族)」「はらから(同法)」というように、同じ血のつながりをもつこと、血縁関係にあること、

という意から、

「神柄(かむから)」「国柄(くにから)」「山柄(やまから)」というように、その物に本来備わっている異質、性格、本性、またそのものの由来するところ、

の意へと広がった(日本語源大辞典)と思われる。さらに、助詞、

から、

が、

只今(たでへま)主(にし)が、下司下臈の手にかかって、名告(なのる)でもねへと思ふも無理ぢゃアござらぬ。カラ私(わし)が、しちくどく身分を明すさ(滑稽本「大千世界楽屋探(1817)」)、

と、接続詞に転用され、

先行の事柄の当然の結果として、後行の事柄が起こることを示す、

意で、

だから、
そこで、

の意に用いられた例もある(精選版日本国語大辞典)。

から、

の由来については、

から

で触れた。


「柄」(漢音ヘイ、呉音ヒョウ)は、

会意兼形声。「木+音符丙(ぴんと張る)」で、ぴんと張りだす意味を含む、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(木+丙)。「大地を覆う木」の象形と「脚の張り出た台」の象形(「張り出す」の意味)から、「道具の張り出した所、取っ手」を意味する「柄」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1426.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声文字、「木」+ 音符「丙」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%84

形声。木と、音符丙(ヘイ)とから成る。手にとる木、「え」の意を表す(角川新字源)、

形声。声符は丙󠄁(丙)(へい)。丙󠄁は石づきの形。字はまた棅に作り、〔周礼〕には枋に作る。秉にまた把握の意がある。柄によって器を動かすので威権の意となり、政治や賞罰の大権を権柄という。〔国語、斉語〕に「國を治むるに、其の柄を失はず」のように用いる。〔説文〕六上に「柯なり」とあるのは、斧柯の意である(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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かたみ

 

桜花いろはひとしき枝なれどかたみに見ればなぐさまなくに(よみ人しらず)
恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり(山部赤亼)

の、

かたみ(形見)、

は、

ある人を思い出すよすがになる品物、

をいい、また、

その人の代わりになるもの、

の意でもある。今では、

死者について言われることが多いが、昔はしばらく会わずにいる人についても遣った語、

とある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

追念、加太彌、

とあり、

遊仙窟(唐初の短編小説)には、

記念(かたみ)、

長恨歌(中唐、白居易)では、

信(かたみ)、

と訓ます(大言海)とする。

形見、

は、

会はむ日の可多美(カタミ)にせよと手弱女(たわやめ)の思ひ乱れて縫へる衣そ(万葉集)、
すこしかたみとて、脱ぎおく衣(きぬ)につつまむとすれば、ある天人つつませず(竹取物語)、

と、今日の、

死んだ人の遺品や遺児、

という意味よりは、

別れた人を思い出すよりどころとなるもの、残した品、

の意が強く、

むめがかを袖にうつしてとどめてば春はすぐともかたみならまし(新古今和歌集)、

と、

過ぎ去ったものを思い出す種となるもの、
思い出のよすが、
記念、
なごり、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。で、

我が形見見つつ偲はせ荒玉の年の緒長く我も偲はむ(笠郎女)、

では、

差し上げた我が形見、

の意、

我が衣形見に奉(ま)つる敷栲(しきたへ)の枕を放(さ)けず巻きてさ寝ませ(湯原王)、

では、

私の身代わりに差し上げた我が衣、

の意、

我が背子が形見の衣妻どひに我(あ)が身は離(さ)けじ言(こと)とはずとも(娘子)

では、

身代わりの着物、

の意、

我妹子が形見の衣下に着て直(ただ)に逢ふまでは我(わ)れ脱(ぬ)かめやも(家持)、

では、

相手が形見にくれた衣(これを脱がなけるればまた逢えるとされた)、

の意で使われる。しかし、

かたみ、

の原意は、

一に云はく、大神、形見と為(し)て、御杖を此の村に植(た)てたまひき(「播磨風土記(715頃)」)、

と、

本物の代わりとなるもの、

つまり、

形代(かたしろ)、

の意だったのではあるまいか。その由来をみると、

その人の形を見るということから(関秘録・大言海)、
形(亡くなった人の形、面影)+見(思い出す)です(日本語源広辞典)、
ミカタ(身形)の逆語序で、身代わり、身のカタの意(日琉語族論=折口信夫)、

等々、一層その感を強くする。ちなみに、

よりまし

で触れたように、

かたしろ(形代)、

は、

人形(ひとがた)、

ともいい(日本大百科全書)、

神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種。人間の霊を宿す場合は人形を用いるなど、神霊が依り憑き易いように形を整えた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E4%BB%A3。なお、

通(とほ)るべく雨はな降りそ我妹子が形見の衣我(あ)れ下に着(け)り(万葉集)

と、

形見の衣、

という言い方があるが、

形見の袖、

ともいい、これも、

旅に出るときなどに、男女が安全を祈り再開を期して交換した肌着、

とあり、

着(け)り、

は、

着あり、

の約、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。当然、

吾妹子(わぎもこ)が可多美能許呂母(カタミノコロモ)なかりせば何物もてか命継がまし(万葉集)、

と、

死んだ人の遺品、

の意もあり、のちには、

皆御服あるべし……あはれなる御かたみのころもは所分かずなん(栄花物語)、

と、

喪服、

の意へとスライドする。また、

恋ひわびて我とながめし夕暮もなるれば人のかたみがほなる(「六百番歌合(1193頃)」)、

の、

形見顔(かたみがお)、

は、

別れた人を思い出させるような様子、
別れた人に似かよう、すがたかたち、

意で、

君にやるかたみのくしは別れぢの神にまかせて祈れとぞ思ふ(「夫木和歌抄(1310頃)」)、

の、

形見の櫛(くし)、

では、

斎宮(いつきのみや)が伊勢に下るとき、天皇がみずから斎宮のひたいに櫛をあて、別離の情を表わすこと、また、そのくし、

を言い、

別れのくし、

ともいう。

なでしこの花咲きにけりなき人の恋しき時のよきかたみ草(「夫木和歌抄(1310頃)」)、

の、

かたみ草、

は、

なでしこ(撫子)」の異名、

とされるが、

形見と見られる草、

の意で、

思いでの種となるもの、

意で、

なつごろもたちきるけふははなざくらかたみのいろもぬぎやかふらむ(「天徳四年内裏歌合(960)」)、

の、

形見の色、

は、

過ぎ去ったものを思い出すよすがとなる色、

の意で、さらに、

女房なども、かの御形見の色かへぬもあり(源氏物語)、

では、

形見の衣、

つまり、

喪服に用いられる薄墨色の色合い、

の意で、さらに、

喪服のこと、

の意で使い(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、後になるほど、だんだん、亡き人のほうへとシフトしていくようで、

形見の雲、

というと、

なき人のかたみの雲やしをるらん夕べの雨に色はみえねど(新古今和歌集)、

と、

火葬の煙が空にたなびくのを雲に見たてていう、

へまでシフトしていく(仝上)。

「形」(漢音ケイ、呉音ギョウ)の異体字は、

𠀦、𢒈(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%A2。字源は、

会意兼形声。井印は四角いかたを示す象形文字。形は「彡(模様)+音符井(ケイ)」で、いろいろな模様をなす枠取りや型のこと、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(开(幵)+彡)。「上が平らな2本のさおの象形」(「かた、わく」の意味)と「つややかな髪の象形」(「模様」の意味)から「かたちづくる・かたち」を意味する「形」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji358.html

と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「彡」+音符「井 /*KENG/」。「かたち」を意味する漢語{形 /*ɡeeng/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%A2

形声。彡と、音符幵(ケン)→(ケイ)(开は省略形)とから成る。もののかたちをかたどる意を表す。また、「かたち」の意に用いる(角川新字源)、

と形声文字とするもの、

会意开(けい)(幵)+彡(さん)。开の初形は井。鋳型の外枠を締めた形。その土笵を型という。彡は色彩や光沢のあることを示す符号。形とは完成された型の美をいう。〔説文〕九上に「象なり」とあり、形象の意とする。内にあるものが、外に形としてあらわれることをいう(字通)、

と、会意文字とするものに分かれる。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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時しもあれ


時しもあれ花のさかりにつらければ思はぬ山に入りやしなまし(藤原朝忠)

の、

時しもあれ、

は、

時もあろうに、

と訳される(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

時しもあれ、

は、

名詞「とき」+副助詞「しも」+ラ変動詞「あり」の已然形、

で(学研全訳古語辞典)、

あれ、

は、

動詞「有り」の已然形で、逆接条件を表わす、

とあり、

時がそんな(意想外の、望外の)時であるのに、
適当な時期は外にもあろうに、どうして
他に時もあろうに、まさにこの時、
ふさわしい時期がほかにあるだろうに、
時もあろうに折悪しく、
折も折とて、
折あしく、

等々といった意で使う(岩波古語辞典・広辞苑・瀬精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)が、

時もこそあれ、

ともいい、

略して、

ときし稀けふにしあへるもちがゆは松の千年に君もによとか(「順集(983頃)」)、

と、

ときしまれ、

ともいう(仝上)。

時しもあれ、

は、

已然形で終わる句で条件句を構成した上代の語法の踏襲であろう、

とあり(岩波古語辞典)、類似の表現に、

をりしもあれ、対面にきこえつべきほどにもあらざりければ(蜻蛉日記)、

折しもあれ、

があり、これも、

「あれ」は、ラ変動詞「あり」の已然形で逆接条件を表わす、

とし、

他に折もあろうに、
時もあろうに、
よりによって、
ちょうどそのとき、

の意で、

折しまれ、
折しもこそあれ、

ともいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。また、

今日という今日、
今という今、

という意で、

今日しもあれ、
今しもあれ、

という言い方もあり、

森の下草老いぬればなど書きすさびたるを、ことしもあれ、うたての心ばへやと笑まれながら(源氏物語⦆、

と、

こともあろうに、
よりによって、

の意で、

事しもあれ、

という言い方もあり、

ことこそあれ、あやしくも、いひつるかな(源氏物語)、

と、

ことこそあれ、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

時しもあれ、

の、

時しも、

は、

名詞「とき」+副助詞「しも」、

で(学研全訳古語辞典)、

しも、

は、

強め副助詞「し」に係助詞「も」の重なったもの、

で、

名詞、副詞、活用語の連用形および連体形、助詞などを受けてそれを特示強調する副助詞として働く。この下にさらに重なる助詞は係助詞のみである。「も」助詞の意味により、わずかの差ながら用法を分つことができる、

とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。たとえば、

下(し)づ枝の枝の末葉(うらば)は……瑞玉盞(うき)に浮きし脂落ちなづさひ水(みな)こをろこをろに是(こ)斯母(シモ)あやに畏し(古事記)、

と、体言・体言と同資格の語句・活用語の連用形・助詞・副詞等を受け、受ける語句を特定強調する、

それこそ……も、
……もまあ、

といった意の使い方や、

人の能(よ)けむと念ひて定むるも、必ず能(よ)く之毛(シモ)あらず(続日本紀)、

と、主として、

「必ずしも・ずしも・としも・にしも」等の形をとり、下に打消の語を伴って、部分否定の表現となる。下に打消を伴う場合の多くはこの用法である、

という使い方や、ここでの用例の、中古に現われた、

時しもあれ、

のように、

しも(こそ)あれ、

の形で、強調表現となる使い方があり、

時しもあれ、
折しもあれ、

の用例が最も多く、

折も折、
(他に)時もあろうに、

といった意を表わす。

年しもあれ、

の、

あれ、

は、

ラ変動詞「あり」の已然形で逆接条件を表わす(精選版日本国語大辞典)、

が、

今しもあれ、

の、

あれ、

は、

動詞「あり(有)」の命令形の特殊な用法(仝上)、

ともある、

ある、

は、

有る、
在る、

とあて、

ら→り→り→る→れ→れ

の、自動詞ラ行変挌活用で、

空間的・時間的に存在する、あるいは他から存在が認識される、

という意味で、

(そこに)存在する、いる、

意や、

……である、
……している、

と、陳述を表したり、

補助動詞として、断定の助動詞「なり」「たり」「だ」の連用形「に」「と」「で」に付いて、

にあり、
とあり、
であり、

等々指定の意を表わたり、他の動詞の代行として、

と……言う、
……なさる、

等々といった意で多様な使い方をするが、上述のとおり、

アリは、奈良・平安時代には、ラ行変格活用をしていたが、鎌倉時代以降四段活用と同じとなった、

とある(岩波古語辞典)。この、

ある、

は、語形上、

アル(生)・アラハル(現)などと関係があり、それらと共通なarという語幹をもつ。arは出生・出現を意味する語根。日本人の物の考え方では物の存在することを、成り出る、出現するという意味で把える傾向が古代にさかのぼるほど強いので、アリの語根も、そのarであろうと考えられ、朝鮮語のal(卵)という語と関係があるかと思われる、

とする説もある(仝上)。似た説は、

ナル(生)に通づ(大言海)、
アラ(新)と通じる。この身の新たになること(雅言考)、

もある。この、

ある、

は、鎌倉時代以前には、

人か物事かに関わらず、存在を表わすために「あり」が用いられた。敬語形としては、尊敬語の「おはす」「いますがり」「ござる」、謙譲語の「はべり」「候」等が用いられ、時代・文献によって変遷がある、

とし、江戸時代以後、

特定の時間・場所を占める存在の意味ではもっぱら「いる」が用いられるようになった。しかし現代語でも抽象的な存在を表わす場合や漠然と有無を問題にする場合には、人間を主語とする場合でも、

相手のあることだけに、
兄弟が三人ある、

など、「ある」が用いられる(精選版日本国語大辞典)とある。

なお、

今しもあれ、

の、

もあれ、

は、上述のように、

係助詞「も」に動詞「あり」の命令形の付いたもの、

ともされるが、

若しは持戒にモあれ、若しは破戒にモあれ、……害を加ふる有らむ者をば当に死罪を以て刑罰せむ(「地蔵十輪経元慶七年点(883)」)、

とあり、この、

もあれ、

は、

……(で)あろうとも、
でもあれ、

と、仮定的放任の意を表わし、中世は多く、

でもあれ、

の形をとる。また、この変化した形に、

まれ、

があり(精選版日本国語大辞典)、

きみといへば見まれ見ずまれ富士の峯のめづらしげなく燃ゆる我恋(古今和歌集)、

と、多く、

……(に)まれ……(に)まれ、

の形で用いられ、

……(で)あろうと、
……でも、

の意で使われる(仝上)。

中陰」で触れたように、「有」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

会意兼形声。又(ユウ)は、手で枠を構えたさま。有は「肉+音符又」で、わくを構えた手に肉をかかえこむさま。空間中に一定の形を画することから、事物が形をなしていることや、わくの中に抱え込むことを意味する、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。肉と、又(イウ ナは変わった形。すすめる)とから成り、ごちそうをすすめる意を表す。「侑」(イウ)の原字。転じて、又(イウ ある、もつ、また)の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(月(肉)+又)。「右手」の象形と「肉」の象形から肉を「もつ」、「ある」を意味する「有」という漢字が成り立ちました。甲骨文では「右手」だけでしたが、金文になり、「肉」がつきました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji545.html、「有」に「月(肉)」が加わった由来がわかる。しかし、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89

形声。「肉」+音符「又 /*WƏ/」。「(肴や酒を)すすめる」を意味する漢語{侑 /*wəs/}を表す字。のち仮借して「ある」「もつ」を意味する漢語{有 /*wəʔ/}に用いる(仝上)、

と、形声文字としている。他に、

会意。又(ゆう)+肉。肉を持って、神に侑薦する意。〔説文〕七上に「宜しく有るべからざるなり」とし、「春秋傳に曰く、日月(月の字は衍文)之れを食する有り」の文を引いて、有とは異変のある意とし、字は「月に從ひ、又聲」とするが、月に従う字ではない。卜文には有無の字に又を用い、金文に有を用いる。〔玉篇〕に「不無なり、果なり、得なり、取なり、質なり、宷(しん)なり」の訓がある(字通)、

と、会意文字とするものもある。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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埴生

 

白波の千重(ちへ)に來寄(きよ)する住吉の岸の埴生(はにふ)ににほひて行かな(車持千年)

の、

埴生、

は、

岸の赤や黄の粘土、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

埴生(はにふ・はにゅう)、

は、

埴(はに)の生(ふ)の意(岩波古語辞典)、
ふは園生、芝生(しばふ)と同義(大言海)、
「生(ふ)」は一面にそれを産する場所(精選版日本国語大辞典)、

等々とあるように、

埴(はに)のある土地(広辞苑・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉・大言海)、
粘土のある所、赤土の地(岩波古語辞典)、

の意である。

埴生、

は、

旅の空なれぬはにふのよるのとこわびしきまでにもる時雨かな(金槐和歌集)、

と、

埴生の小屋、

の意でも使うが、

埴生の小屋(はにふのこや・はにふのをや)、

というと、文字通り、

赤土のところの家、

になるが、

彼方(をちかた)の赤土少屋(はにふのをや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)さへ濡れぬ身に添へ我妹(わぎも)(万葉集)、

と、

土間の土の上に筵(むしろ)などを敷いただけの小さい家、

あるいは、

赤土を塗ってつくった小屋(デジタル大辞泉)、
土もて塗りこめ、黄土(はに)もて築上げて作る家(大言海)、

をいい、転じて、

賤(しず)が屋の状に云ふ語(大言海)、

として、

みすぼらしい粗末な家、
賤(しず)が伏屋(ふせや)、

の意で使い、また、

自分の家をへりくだっていうのにも用いる

とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。江戸中期の『書言字考節用集』には、

黄土小屋、ハニフノコヤ、又作赤土、賤民所居也、

とある。

埴生の宿、

ともいう。

埴(はに)、

は、

質の緻密な黄赤色の粘土。昔はこれで瓦・陶器をつくり、また衣に摺りつけて模様を表し、丹摺(にずり)の衣を作った、

とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

埴土(はにつち)、
赤土(あかつち)、
黄土、
ねばつち、
粘土(ねんど)、
へなつち(粘土・埴)、
へな、
はね、

ともいう(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。また、

是に、兄、着犢鼻(たうさきし)て赭(ソホニ 別訓、そふに)を以て掌(たなうら)に塗り、面に塗りて(日本書紀)、

と、

そほに(そおに 赭土・赭)、

という言い方もある(大言海)。

そほ(赭・朱)、

は、

ま金(かね)吹く丹生(にふ)のま朱(そほ)の色に出て言はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは(万葉集)

は、

色の赤き土、また、その色、

をいい、

顔料や水銀の原料として用いられた、

とある(精選版日本国語大辞典)。江戸中期の『根無草』(平賀源内)に、

赭(ソボニ)とて赤き土を、手にぬり㒵に塗て勤られしかども、

とあるように、近世になると、

ソボニ、

ともよまれるようになった(仝上)ともある。

埴、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

埴、土黄而細密曰埴、波爾、

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

埴、黏土也、波爾、

字鏡(平安後期頃)に、

埴、秥余(秥余は黏の誤り)土也、波爾、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

埴、ハニ・ニハ・ホル・ツチ・ウヅム・ツチクレ、

などとあり、

黄赤の彩あれば、映土(はえに)の約かと云ふ、或は云ふ、掘初むる上の方の土を初土(はつに)と云ふ、其の略かと。古事記(応神)「波都邇は、膚赤ラケ、終土(しはに)は、土K(にぐろ)き故」とあり(大言海)、
色美しくにおう意で、ハエニ(光映土)の義か(古事記伝)、
ハエニ(映土)の約か(国語の語根とその分類=大島正健)、
ハツニ(初土)の義(箋注和名抄)、

が主たる語原論で、他にも、

ハリネバツチ(墾粘土)の義(日本語原学=林甕臣)、
ニはネヤ(黏)するの義(東雅)、
ネバニ(粘土)の義(言元梯・和訓栞)、
ハリネリ(墾黏)の義(名言通)、
ハは容器の義のヘの転、ヘにする土の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々あるが、どうもはっきりしない。しいて挙げれば、

映土(はえに)の約、

といったところだろうが。ちなみに、

はに(埴)、

の、

に、

にあてる字は、

土、
丹、

で、

土・丹の意をなす「な」の転(広辞苑)、
に(丹)はニ(土)と同根(岩波古語辞典)、
ニ(丹)は赤土(アカニ)に起こる(大言海)、

とあり、両者の関係は深いが、

土(に)、

は、

櫟井(いちひゐ)の丸邇坂(わにさ)の邇(ニ)を端土(はつに)は膚赤らけみ底土(しはに)はに黒きゆゑ三栗のの中つ邇(ニ)を(古事記)、

と、

土、特に赤い色の土、

また、

取り佩ける大刀の手上に丹(に)画き著け(古事記)、

と、

辰砂(しんしゃ)あるいは、赤色の顔料、

つまり、

あかに、

を言い(日本語源大辞典)、

丹(に)、

は、

海は即ち青波浩行(ただよ)ひ、陸は是れ丹(に)の霞空朦(たなび)けり(常陸風土記)、

と、

赤い色(日本語源大辞典)、

あるいは、

朱色の砂土、顔料にした(岩波古語辞典)、

を言うので、

赤色の土→赤色→顔料、

という流れが通底しているのだとは思う。で、

土(に)、

の語源は、

ハニ(埴)の義(類聚名物考・言元梯・名言通)、
粘液ある物であるところから(日本語源=賀茂百樹)、

とし、

丹(に)、

の語源は、

アカニ(赤土)から(国語本義・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
朝日がニイと出た時の色は赤いところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
ニホフの語根ラの名詞化で、映ある物を示す(国語の語根とその分類=大島正健)、

と、由来を分けているが、

丹、

の色から、

土、
丹、

と、漢字を当て別けただけで、

赤土=に(丹・土)、

として使っていたのに違いない。

なお、

「まことに辷って歩きにくいの」「さうよ、へな混りだからつるつるする」(歌舞伎「敵討噂古市(1857)」)、

と、

埴、

を、

へな、

と訓ませ、

粘土、

とも当てると、

ねばりけのある泥土、

つまり、

粘土、

の意で、

へなつち、

ともいい、これを、

はに(埴)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

「埴」(漢音ショク、呉音ジキ)は、

会意兼形声。「土+音符直(まっすぐたてる)」で、草木の苗を植えてふやすのに用いる水持ちのよい粘土、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(土+直)。「土の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)と「上におまじないの印の十をつけた目の象形」(「まっすぐ見つめる」、「まっすぐである」の意味)から、ねばって伸びる土「はに(黄赤色の粘土)」を意味する「埴」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2408.html

ともあるが、他は、

形声。「土」+音符「直 /*TƏK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9F%B4)

形声。人と、音符直(チヨク)→(シヨク)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は直(ちよく)。直に植・殖(しよく)の声がある。〔説文〕十三下に「黏土(ねんど)なり」とあり、陶土として用いる。〔書、禹貢〕に「厥(そ)の土は赤埴」とあり、赤い陶土を産することをいう。〔周礼、考工記〕に「摶埴(たんしよく)の工」があり、明器・祭器の類を作った。埴を〔鄭玄本〕に戠(しよく)に作る。戠は熾・織のように用いて赤の意があり、埴とは「はに」をいう。わが国では埴輪(はにわ)を作った(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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しきる


行き廻(めぐ)り見とも飽(あ)かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白波(笠金村)

の、

しきる白波、

は、

後から後から寄せる白波、

と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

しきる、

は、

頻る、

とあて、

ら/り/る/る/れ/れ、

の、自動詞ラ行四段活用の動詞で(学研全訳古語辞典)、

頻(し)くの名詞形なる、頻(し)きを活用す(大言海)、
動詞「し(頻)く」と同語源(デジタル大辞泉)、
シク(頻)と同根(岩波古語辞典)、
シキイル(重入)の義(国語本義)、

等々とあり、基本は、冒頭の歌の用例のように、

あとからあとから続く、
何度も繰り返す、

意である(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)が、

中宮はひまなくしきらせ給ふばかりにて、御産もとみに成やらず(平家物語)、

と、

産気づいて痛みがたび重なる、
陣(しきり)がくる、

意で使うが、名詞、

頻り、

で、

かの卵をしきりが来ては産み落とし(俳句・両吟一日千句)、

と、

出産間際の痛み、

いわゆる、

陣痛、

意になる。また、

しきる、

は、今日でも、

雨がふりしきる、

というように、動詞の連用形に付いて補助動詞的に用いて、

さかんに……する、
しばしば続く、
しげくなる、

意で使う。これと同根とされる。

しく(頻く)、

は、

しくしく

で触れたが、

か/き/く/く/け/け、

の、自動詞カ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、

茂く、

とも当て(岩波古語辞典)、

しく(及・敷)と同根(岩波古語辞典)、

とある。

しく

でふれたように、

しく、

は、

及ぶものはない、

の意で、

如くは無し、

と使い、また、

百聞は一見に如かず、

の「しか」は至り及ぶ意の「しく」の未然形に打消しの助動詞ズをつけて、

(それに比べて)及ばない、
(それに)まさるものはない、

の意で使う(岩波古語辞典)。「しく」は、

如く、

と当てるが、和語「しく」は、

及、

の意で、

距離を隔てたものの後を追って対等に並ぶ意(広辞苑)、
追って行って、先行するものに追いつく意(岩波古語辞典)、

とあり、

追いつく、
及ぶ、肩を並べる、
匹敵する、

意味である。

シク(敷・頻)と同根、

とあり(岩波古語辞典)、

しく(敷・領)、

は、

一面に物や力を広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす意、シク(及・頻)と同根、

とあり、

曲廬(まげいほ)の内に直土(ひたつち)に藁解き敷き父母は枕の方(かた)に妻子(めこ)どもは足(あし)の方(かた)に囲み居て憂へ吟(さまよ)ひ(貧窮問答歌)

と、

物を平らに延べ広げて隅まで一杯にする、

意だが、「しく」に「領」を当てると、

すめろぎの神の命(みこと)の敷きいます国のことごと湯はしもさわにあれども(万葉集)、

と、

辺り一面に隅々まで力を及ぼす、一帯を治める、

意となり、「しく」に「頻」「茂」を当てると、

シク(敷・及)と同根、

で、

住吉の岸の浦廻(うらみ)にしく波のしくしく妹(いも)を見むよしもがも(万葉集)、

というように、

痕から後から追いついて前のものに重なる、

意で使われる。で、

しくしく

は、

及く及く、

で、

波が寄せてくるように後から後から絶えないで、

という意味で、要は、

絶え間なく、

の意である。

しくしく

と、

しく(頻)

とはつながり、

しく(頻)、

と、

しく(及)、

とは、

後から追いつく、

という含意で、ほぼ意味が重なる。とすると、「しく」は、

物を平らに延べ敷く、
あるいは、
力が目一杯広がった、

結果、

追いついた、という意味に、意味の外延が広がった、と見ることができるのではないか。

で、

しく(頻)、

は、

動作がしばしば繰り返される、
たび重なる、
しきりに……する、

つまり、

しきる、

と同義で、

英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ち之伎(シキ)寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも(万葉集)、

と、

ひっきりなしに……する、

また、

一面に……する、

という意で、多く、補助動詞のように用いる(精選版日本国語大辞典)し、

住吉(すみのえ)の岸の浦回(うらみ)に布(しく)浪(なみ)のしくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、

と、

波があとからあとから寄せる、

意や、

やすみしし吾が大君高照らす日の皇子茂(しき)座(いま)す大殿の上(うへ)に(万葉集)、

と、

草木が繁茂する、
また、
開花する、

意でも使い、この、

しく、

は、

茂、

を当てる(精選版日本国語大辞典)。

「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)の異体字は、

频(簡体字)、𩕘(古体)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB

瀕の略体、

とある(仝上)。字源は、「しくしく」で触れたように、

会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、みずぎわぎりぎりに迫ること、

とある(漢字源)。他も、

「瀕」の略体。のち仮借して「しきりに」を意味する漢語{頻 /*bin/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB

会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました。「頻」は「頻」の旧字(以前に使われていた字)ですhttps://okjiten.jp/kanji1877.html

と、会意文字としている。「頻」の本字である、

「瀕」(ヒン)は、

会意兼形声。歩は、右足と左足であるくことをあらわす会意文字。頻は「歩+水+頁(かお)」の会意文字で、歩いて水際すれすれまで行くことを示す。頁印を加えて、顔のしわをすれすれにくっつけてしかめること(頻蹙(ひんしゅく)の頻)をも示す。瀕は「水+音符頻(ヒン)」で、水際すれすれに接すること、

とある(漢字源)。同じく、

会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(渉+頁)。「流れる水」の象形と「左右の足跡」の象形と「人の頭部を強調した」象形から川を渡る時の波のように顔にしわをよせる⇒「しわのように波のよる、みぎわ」を意味する「瀕」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2568.html

会意。步(歩)+頁(けつ)。〔説文〕十一下に瀕を正字とし、「水(すいがい)なり。人の賓附(ひんぷ)する(近づく)所なり。顰戚(ひんしゆく)して前(すす)まずして止まる。頁に從ひ、涉(せふ)に從ふ」(段注本)とするが、その説くところは、形義ともに明らかでない。金文に「順子」の順を涉(渉)に従って瀕の字形にしるすことがあり、おそらく水辺における弔葬の礼に関する字であろう。〔玉篇〕に別に頻字を録し「詩に云ふ、國歩斯(ここ)に頻(あやふ)し。頻は急なり」とし、次に〔説文〕の文を引く。〔広雅、釈詁三〕に「比なり」と訓するのは「しきりに」の意。〔説文〕に「顰戚」の語を以て解するのは、あるいは瀕がもと弔葬に関する字であったことと、関連があることかもしれない。頁は儀礼の際の儀容。水に臨んでその儀容を用いるのは弔葬のことであるらしく、孝順の順が金文に瀕の形にしるされるのも、そのためであろうと思われる。渉は水渉り。聖俗のことに関する民俗として、古く行われることが多かった(字通)、

と、会意文字としているが、これは中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に拠っている。『説文解字』では、

「頁」+「涉」と分析されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「涉」とは関係がない、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%80%95

原字は「水」+「步」から構成される会意文字で、水際を歩くさまを象る。西周時代に「頁」を加えて「瀕」の字体となる。「水辺」を意味する漢語{瀕 /*pin/}を表す字、

としている(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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下笑(したゑ)まし

 

明石潟(あかしがた)潮干(しほひ)の道を明日(あす)よりは下笑(したゑ)ましけむ家近づけば(山部赤人)

の、

潮干(しほひ)の道を、

は、

道を通って、

下笑ましけ、

は、

形容詞「下笑まし」の未然形、

で、

こころもはずむことだろう、

と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

下笑(したゑ)まし、

は、動詞、

したえむ(下笑)、

の形容詞化したもの(精選版日本国語大辞典)で、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

の、形容詞シク活用(学研全訳古語辞典)。

シタ、

は、

人に隠した心、

の意で(岩波古語辞典)、

心の中に喜びが満ちあふれるさまである、
心ひそかににこにこしたくなる、

の意で使う(仝上・精選版日本国語大辞典)。

ゑ(笑)まし、

は、動詞「えむ(笑)」の形容詞化で、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

の、形容詞シク活用の、

見るにゑましく、世の中忘るる心地(ここち)ぞし給(たま)ふ(源氏物語)、

と、

心がなごやかになって思わずほほえみを浮かべたくなる気持である、
ほほえましい、

意である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。この派生語に、

油火(あぶらび)の光に見ゆるわがかづらさ百合の花の恵麻波之伎(ヱマハシキ)かも(万葉集)、

と、動詞「えむ(笑)」の形容詞化した、

ゑ(笑)まはし、

という言い方があり、これも、

ほほえましい、

という意になる(精選版日本国語大辞典)。

下笑(咲)む、

は、

ま/み/む/む/め/め、

の、自動詞マ行四段活用で、

「した」は見えないところ、心中の意(精選版日本国語大辞典)、
シタは人に隠した心(岩波古語辞典)、
「した」は心の意(デジタル大辞泉)、

の意で、

まま母はし得たる心地して、むくつけ女も二人したゑみにゑみ合へる(住吉物語)、

と、

心の中でうれしく思う。胸中でにこにこする。
心中でにこにこするくらいうれしく思う、

意となる(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。

わらう

は、

笑う、
嗤う、
哂う、
咲う、
哄う、
莞う、
咍う、

等々と当て(大言海・岩波古語辞典)、

割る、
破る、
散る、

という眼前の、

破顔、

つまり表情の崩れから来た言葉であった。

笑う、

が、

愉快さ・面白さに顔の緊張が破れ、声を立てる意、

に対して、

え(笑・笑)む

は、

微笑する意、

である(岩波古語辞典)が、

笑う

が、比喩的に、

つぼみが開く、
膝が笑う、

と使うように、

えむ

も、

にこにこする、
ほほえむ、

の意の他に、

蕾がほころびる、
栗のイガが割れる、

という意もある。

えむ

ほくそえむ

笑う

については触れた。

「笑」(ショウ)の異体字は、

咲(本字/日本では別字扱い)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AC%91。字源は、

会意文字。夭(ヨウ)は、細くしなやかな人。笑は「竹+夭(ほそい)」で、もと細い竹のこと。正字は「口+音符笑」の会意兼形声文字で、口を細くすぼめて、ほほとわらうこと。それを誤って咲(わらう→さく)と書き、また略して笑を用いる、

とある(漢字源)が、他は、

形声。竹と、音符夭(エウ)→(セウ)とから成り、「わらう」意を表す。もと、本字の(セウ 咲)の字形が、のちに誤り伝えられたもの(角川新字源)、

と形声文字とするもの、

象形文字です。「髪を長くした若いみこの象形」から「わらう」を意味する「笑」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji383.html

象形。巫女が手をあげ、首を傾けて舞う形。若も巫女が両手をかざして舞う形で、その前に祝詞の器であるᗨ(さい)をおく。両字の構造は近く、艸・竹は両手の形である。字はもと八+天・(咲)に作り、〔漢書、叙伝〕に「談八+天」とあり、八+天は笑の初文。〔説文新附〕五上に笑を録し、竹と犬とに従うとする旧説や、竹と夭(よう)とに従うとする李陽冰の説をしるしている。夭は夭屈して巫女が舞う形。上部はかざした手の形。神意をやわらげるために、「笑いえらぐ」動作をすることをいう(字通)、

の、象形文字とするものに分かれるが、上記の、

「竹」+「夭」、

説を、

『説文解字』は「竹」+「夭」と説明しているが、これは誤った分析である。秦代以前の文字の形を見ればわかるように、「竹」とも「夭」とも関係がない、

と否定し、

「艸」+「犬」、

としているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AC%91

「咲」(ショウ)の異体字は、

笑(正字/日本では別字扱い)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%B2。字源は、

会意兼形声。夭(ヨウ)は、細い姿の人を描いた象形文字。笑は「竹+夭(ほそい)」で、もと細い竹のこと。細い意を含む。咲はもと、「口+音符笑」の会意兼形声文字で、口を細くすぼめて、ほほとわらうこと。咲は、それが変形した俗字。日本では、「鳥なき花笑う」という慣用句から、花がさく意に転用された。「わらう」意には笑の字を用い、この字(咲)を用いない、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です。「口」の象形と「髪を長くした若い巫女(みこ)」の象形から、「わらう」、「(花が)さく」を意味する「咲」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1207.html

会意形声。口と、(セウ)(わらう)とから成り、「わらう」意を表す。もと、笑(セウ)の本字。日本では、花が開く意に用いる(角川新字源)、

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

象形。巫女が手をあげ、首を傾けて舞う形。若も巫女が両手をかざして舞う形で、その前に祝詞の器であるᗨ(さい)をおく。両字の構造は近く、艸・竹は両手の形である。字はもと八+天・咲に作り、〔漢書、叙伝〕に「談八+天」とあり、八+天は笑の初文。〔説文新附〕五上に笑を録し、竹と犬とに従うとする旧説や、竹と夭(よう)とに従うとする李陽冰の説をしるしている。夭は夭屈して巫女が舞う形。上部はかざした手の形。神意をやわらげるために、「笑いえらぐ」動作をすることをいう(字通)、

と、象形文字とするもの、

形声。「口」+声符「笑」。「笑」の異体字。「笑」の最も古い形は戦国楚文字の「艸(艹)」+「犬」からなるが、北魏楷書までに義符「口」が添加され「艹+犬」が「关」に変化したものが「咲」字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%B2

形声。「口」+音符「笑」。「㗛」の略体https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%B2

と、形声文字とするものにわかれる。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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桜皮(かには)

 

あぢさはふ妹が目離(か)れて敷栲(しきたへ)の枕もまかず桜皮(かには)巻き作れる船に真楫(まかぢ)貫(ぬ)き我が漕ぎ来れば(山部赤人)

の、

あぢさはふ、

は、

目の枕詞、

敷栲の、

は、

枕の枕詞、

真楫、

は、

舟の両舷の櫂、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、

真楫(まかじ)、

は、

真梶、

とも当て、

ま、

は接頭語(学研全訳古語辞典)で、

二つ揃っていて完全である意(広辞苑)、

なので

舟の左右にそろった艪(ろ)、

というが、一説に、

艪の美称、

ともある(精選版日本国語大辞典)。ここでは、後者なのではないか。

あぢさはふ

の、

さはふ、

は、

障ふ、

の未然形に接尾辞「ふ」がついたもの、

で、

あぢ、

は、

巴鴨(ともえがも)、

の別名、

巴鴨を夜昼遮りつづけている網の目という意から(広辞苑)、

では、よく意味が分からないが、

アヂガモが夜昼網の目にかかる意から(岩波古語辞典)、
「さわう」はさえぎる意とし、水鳥をさえぎる網の目の意から「目」にかかり、また網は昼夜を分かたず張るので「夜昼」にかかる (デジタル大辞泉)、

として、

「め(目)」「妹が目」「よるひる(夜昼)知らず」にかかる枕詞、

とされる(岩波古語辞典・広辞苑)。

桜皮(かには)、

は、

樺、

とも当て、

シラカバの古名か、一説に、ウワミズザクラの古名、また、その樹皮(広辞苑)、
カバノキ科のシラカバか、一説、バラ科のカニワザクラか(岩波古語辞典)、
シラカバの古名か(デジタル大辞泉)、
上溝桜(ウワミズザクラ バラ科サクラ属)・鵜松明樺(ウダイカンバ カバノキ科カバノキ属)。)の古名(動植物名よみかた辞典)、

などとあり、

かにはざくら(樺桜)、

は、

かばざくら(樺桜・蒲桜)に同じで、一説に、ウワズミザクラの古名(広辞苑)、
うわみずざくら(上溝桜)の古名(精選版日本国語大辞典)、

ともある。『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、

櫻桃、朱櫻、加爾波佐久良、

とある。

樺桜(蒲桜)、

は、

ヒガンザクラに似て青芽、花は白色単弁、シラカバの異称でもある(広辞苑)、
多くは略してカニハとのみ言い、更に略してかカバと云ふ(大言海)、
カバノキ類に木肌が似ている桜の木。また、ウワミズザクラのことという。ははか。かにわざくら(デジタル大辞泉)、

とあり、

かには(桜皮)、

は、

かにはざくら(樺桜)、

で、

かにはざくら(樺桜)、

は、

かばざくら(樺桜・蒲桜)、

のことであり、

うわみずざくら(上溝桜)、

か、

ウダイカンバ(鵜松明樺)、

の古名ということになる。

かには(桜皮・樺)、

は、

樹皮を刀や弓の柄に巻いたり、舟や器物に巻いて補強するために用いる、

とあり(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、

皮粘(かはねば)の略にもあるか(略して、カバと云ふ、はたばり、幅(はば))、皮にて物を巻くに強し(大言海)、
アイヌ語karin-pa(巻く意)による語という(岩波古語辞典)、
神社の境内などに多く生えたところからカニハ(神庭)の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、

といった説があるが、はっきりしない。和名類聚抄(931〜38年)に、

樺、迦邇波(かには)、今櫻皮に之れ有り。木名、皮は以て炬と爲すべきなり、

とあり、

樺、

とつながると推測される。

樺、

は、

古名、カニハの転なる、かんばの約(なにと、なんど、など)(大言海・古今要覧稿)、
カニハザクラ(皮櫻)の濁ったもの(名言通)、
アカハザクラ(赤葉櫻)の略、または、カハザクラ(皮櫻)の意か(言元梯)、
かんば、樺(かば)に同じ、「かには」の音変化(デジタル大辞泉)
「かにわ(樺)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、

等々とあり、結局、

かにはざくら、
かばざくら、

のことであり、

古名、かにはざくら、略して、かには、又、かばざくら、

と、

かには、

に戻ってくる(大言海)。和名類聚抄(931〜38年)には、

樺、加波、又云、加仁波、

とあり、どうも、

樹皮、

の、

かは(皮)、

とつながっているのだろう。元来は、

樹皮をさしていったのであろうが、転じて植物名ともなったらしく、ウワミズザクラ、ウダイカンバである可能性が強い(「色葉字類抄(1177〜81)」)、

とある(精選版日本国語大辞典)。いまは、

カバノキ科カバノキ属の植物、

を総称していい、

ダケカンバ、シラカバ、ウダイカンバ、

等々を指し、古くは、特に、

ウダイカンバ、

をさしていった(仝上)とあり、

かばのき(樺の木)、
カンバ(樺)、

ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%8E%E3%82%AD%E5%B1%9E・仝上)。ただ、木材としては、

カバザクラ(樺桜)、
サクラ(桜)、

と呼び、

樺細工が実際には桜皮を用い、水平方向の皮目を生じる共通点があり古くからサクラとカバの混同が見られることや、サクラの方がイメージが良いのと、カバがバカに聞こえるから、カバザクラと材木商が言い出したのが始まりとされる(仝上)。

なお、古代の卜占に、

太占(ふとまに、太兆、布斗麻邇)、

というのがあり、主に鹿の骨を用いることから、

鹿占(しかうら)、

とも称される、

獣骨に傷を付けて火で焼き、亀裂の入り方で吉凶などを判断する卜占(ぼくせん)の一種であるが、このやり方は、

牡鹿(おじか)の肩甲骨を波波迦(ははか)の樹皮を炭火にしたもので熱し、その町形(まちがた、骨の表面の割れ目の模様)によって占う(古事記)、

とされるが、ここで使う、樹皮が、

波波迦(ははか)、

といい、

カニワザクラ、カバザクラ、カンバなど上溝桜(うわみずざくら)の古名、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%8D%A0

ウワミズザクラ(上溝桜)、

は、いま言ったように、

材が古代の占いに使われた上面に溝が彫られた板に使われたことから「上溝」、葉がサクラに似ることから「桜」が組み合わされ、「ウワミゾサクラ」と呼ばれていたのが、訛って「ウワミズザクラ」となった、

とあるhttps://zukan.nagai-park.jp/official/20231205153736/

バラ科ウワミズザクラ属の落葉高木。各地の山野に生える。高さ一〇〜一五メートルに達する。樹皮は紫褐色。小枝の多くは落葉後に落ちる。葉は長さ六〜九センチメートル、幅三〜五センチメートルの楕円形で先が急に細くなり、縁には鋸歯(きょし)がある。四〜五月ごろ、長さ一〇センチメートルぐらいの穂に白い五弁の花が密集して咲く。実は長さ一センチメートルほどの卵形で黄色に熟し、のち、黒くなる。未熟の実は塩づけにして食用とする、

とあり(仝上・精選版日本国語大辞典)、

金剛桜、
ははか、
かにわざくら、
めずら、
うわみぞざくら、

とも呼ぶが、

和名に「サクラ」とつくが、これは樹皮や葉の形態から取られた名前であり、花はサクラには似ない。小型の花が穂のように多数並んで咲く。北陸では、若い蕾を塩漬けにしたものを「杏仁香(あんにんご)」と称し、焼き物の前付けや酒の肴にされる。杏仁香は不老不死の妙薬とされ、三蔵法師は仏教の経典と共にこれを求めて旅に出たという説もある、

とある(仝上)。

ウダイカンバ(鵜松明樺)、

は、

カバノキ科カバノキ属。日本の中部地方以北から北海道、千島列島にかけて生育する落葉高木。樹高は30メートル、胸高直径1 mに達する。樹皮は灰白色で横に長い筋が目立つ。5月〜6月頃に開花し、木枝から下垂する。葉は互生し、ハート型で先端が尖る。大きい葉でカバノキの仲間では最大。秋に黄葉が見られる。樹皮に横長の皮目がある。緻密で美しい材は広く住宅建材、家具、楽器などに用いられる。樹皮は少々濡れても燃えることから鵜飼いの松明に用いられたのが和名の由来、

とあるhttp://dankaijin.la.coocan.jp/season-full/season-plant/trees2/note/udaikanba/index.html

「樺」(漢音カ、呉音ゲ)の異体字は、

桦(簡体字)、椛(略字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%BA。字源は、

会意兼形声。「木+音符華(下に垂れる花)」、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(木+華)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「並び生えた草の象形と木の花や葉が長く垂れ下がる象形と弓のそりを正す道具の象形」(「花、華やか、美しい」の意味)から、美しい木「かば(寒地に自生する落葉高木)」、「かばいろ(赤みのある黄色)」を意味する「樺」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2214.html

と、会意兼形声文字とするが、他は、

形声。木と、音符華(クワ)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は華(か)。〔玉篇〕に「木皮は以て燭と爲すべし」とみえる。蠟を巻いて用いた。わが国では「かには」といい、〔万葉集〕に「櫻皮(かには)まき」という語があり、〔日葡辞書〕にも「櫻の樹皮」と解している。のち白樺をいう(字通)、

と、形声文字としている。

「櫻(桜)」(漢音オウ、呉音ヨウ)の異体字は、

桜(新字体)、樱(簡体字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AB%BB、字源は、「櫻麻(さくらあさ)」で触れたように、

会意兼形声。嬰(エイ)は「貝二つ+女」の会意文字で、貝印を並べて首に巻く貝の首飾りをあらわし、とりまく意を含む。櫻は「木+音符嬰」で、花が気をとりまいて咲く木、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(木+嬰)。「大地を覆う木」の象形と「子安貝・両手を重ねひざまずく女性」の象形(女性が「首飾りをめぐらす」の意味)から、首飾りの玉のような実を身につける「ゆすらうめ」を意味する「桜」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji305.htmlが、

形声。木と、音符嬰(エイ)→(アウ)とから成る。木の名。日本では、「さくら」の意に用いる(角川新字源)、

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫 Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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なめし

 

大和道(やまとぢ)は雲隠(くもがく)りたりしかれども我(わ)が振る袖をなめしと思(も)ふな(万葉集)

の、

しかれども、

は、

しかし遠く行ってしまわれる悲しみに堪えきれずに、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

なめしと思(も)ふな、

は、

無礼だとは思わないでください、

と訳す(仝上)。

なめし、

は、

無礼し、

と当て、

なめ(無礼)、

は、

形容詞「なめし」の語幹、

ともある(精選版日本国語大辞典)が、逆に、

なめし、

が、

なめ(無礼)の形容詞化、

ともあり(岩波古語辞典)、先後はわからないが、

なめし、

の由来は、

一説に、「なめらか」「なめす」の「なめ」と同源、原義は、ぬるぬると滑る感じをいい、転じて、相手をないがしろにした態度にいう(広辞苑)、
滑(なめ)の義にして、怠る意か、或は、竝(なめ)の義にして、貴賤を押竝にする意かと云う、いかがか(大言海)

等々とあり、

相手を軽んじたり、あなどったりして、無礼であるさま、
失礼であるさま、
無作法である、

意である。類聚名義抄(11〜12世紀)には、

慢、なめし、

とある。

老いなみ

で触れたように、

松の木(け)の並みたる見れば家人(いはびと)の我れを見送ると立たりしもころ(万葉集)、

と、

並(な)む、

は、

ま/み/む/む/め/め、

の、自動詞マ行四段活用で、

並ぶ。
連なる、
一列に並べる、

といった意なので、強いて言えば、たとえば、

並べ据える、

意の、

並(な)め据う、

という言い方があり、意味が重なるといえなくもないが、どうだろう。

なめす、

は、

鞣す、

とあて、

皮革から毛と脂肪を取り去って滑らかにする、

意だが(広辞苑・日本語源大辞典)、

ナメ(滑)にする義(大言海)、
ナメス(和為)義(日本語源=賀茂百樹)、
ナメはナミエの約、ナミは並の義、スは為の義(国語本義)、

と、

滑、
並、

とあて別ける、

なみ、

とつながってくる。

なめし皮、

は、

滑し皮、

とも当てる(岩波古語辞典)ので、

なめ(滑)、

に通じていくようである。この、

なめ、

は、

見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまたかへり見む(万葉集)、

で、

常滑、

と使われるが、これは、

川底や川岸の、苔など生えてつるつるした所、

の意である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。意味が、つかみきれないが、語感敵には、現代語でいう、

相手を嘗める、

の、

なめる、

なのではないか、という気がする。

嘗める、

は、

舐める、

とも当て、

舌先でなでたり、その上でとかしたりして味わう、
ねぶる、

意だが、転じて、比喩的にも用い、

やうありかくなりと申せど、なまじいに、立合節(たちあいぶし)をなめたる者の書きたる也(「申楽談儀(1430)」)、
この隣へ近頃来た相借屋の烏帽子折り、この井戸がへも立ち合はず、あんまりなめた奴ぢゃないか(浄瑠璃「妹背山婦女庭訓(1771)」)、

など、

相手、または事を、頭から馬鹿にしてかかる、
みくびる、
あまくみる、

といった意で使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。ただこの用例の、

なめる、

は、

嘗める、
舐める、

ではなく、

なめ(無礼)の動詞化、

とされ(広辞苑)、

嘗める、
舐める、

の比喩的な用法の範囲に含まれる、

ともみなせるが、

形容詞「なめし(無礼)」の語幹が活用するようになったもの、あるいは形容詞「なめし」の語尾「し」が助動詞と混同されて、「なめ」が動詞化し、それまでの「なめる(嘗める・舐める)」の用法の中に混入してきたもの、

とも考えられる(精選版日本国語大辞典)とある。

無礼、

とあてる、

なめ、

は、

形容詞「なめし」の語幹、

で(広辞苑・仝上)、

なめなりといふことにて(増鏡)、

と、

無礼であること、

意だが、

「コリャ命取め」としなだれかかれば、「オオなめ、そんな事は嫌ひでござんす」(浄瑠璃「祇園女御九重錦(1760)」)、

と、感動表現に用いる(仝上)。ちなみに、

無礼、

を、

あやまって殿下へ無礼(ブレイ)の由を申さばやとこそおもへ(平家物語)、

ぶれい、

と訓まし、古くは、

然る方ざまとは知ずして大く無礼(ブライ)を仕りぬ(読本「近世説美少年録(1829)」)、

と、

ぶらい、

とも、また、

むらいの罪はゆるされなむや(源氏物語)、

で、

むらい、

とも訓ませ、また、

如此之服、大成無礼(ムライ)(「続日本紀(712)」)、

でも、

むらい、

とも訓ませている(「む」「らい」はそれぞれ「無」「礼」の呉音)が、

礼儀にはずれること、また、そのさま、
ぶしつけ、
失礼、

の意で使う。文明本節用集(室町中)、

には、

不礼、フライ、

ともある。

「禮(礼)」(漢音レイ、呉音ライ)の異体字は、

礼(新字体/簡体字)、𠃞(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%AE。字源は、

会意兼形声。豊(レイ 豐(ホウ)ではない)は、たかつき(豆)に形よくお供え物を盛ったさま。禮は「示(祭壇)+音符豊」で、形よく整えた祭礼を示す。「説文解字」や「禮記」祭義篇では、禮は履(ふみ行う)と同系のことばと説く。礼はもと、古文の字体で、今日の略時に採用された、

とある(漢字源)。同じく、

旧字は、会意形声。示と、豊(レイ)(豐(ほう)の新字体とは別。神を祭るための祭器)とから成り、祭器に供え物をして神を祭る意を表す。ひいて、礼法の意に用いる。教育用漢字は古字の変形による(角川新字源)

会意兼形声文字です(ネ(示)+乚(豊))。「神にいにしえを捧げる台の象形」と「甘酒を盛る為のたかつき」の象形(「甘酒」の意味)から甘酒を神に捧げて幸福を祈る、「儀式・礼儀」を意味する「礼」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji427.html

と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「示」+音符「豊 /*RI/」。「儀式」「作法」を意味する漢語{禮 /*riiʔ/}を表す字。もと「豊」が{禮}を表す字であったが、示偏を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%AE

形声。旧字は禮に作り、豊(れい)声。豊は醴(れい)。その醴酒を用いて行うなどの饗醲儀礼をいう。〔説文〕一上に「履(り)なり」と畳韻の字を以て訓し、「神に事(つか)へて福を致す所以なり」とし、豊の亦声とする。卜文・金文の字形には、豊の上部を王+王(かく)の形、また二丰(ほう)の形に従うものがあり、玉や禾穀の類を豆に加えて薦めた。古文として礼の字をあげており、漢碑にもその字がみえている。〔中庸、二十七〕に「禮儀三百、威儀三千」とあり、中国の古代文化は礼教的文化であった(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ねぐ

 

天皇(すめら)我(わ)れうづの御手(みて)もちかき撫でぞねぎたまふうち撫でぞねぎたまふ(聖武天皇)

の、

うづの御手(みて)もち

は、

私の高貴なる手で、

と訳注があり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

うづ、

は、

珍、

と当て、

吾、御寓(あめのしたしら)すべき珍(ウヅ)の子(みこ)を生まむと欲(おも)ふ(珍、此をば于図と云ふ)(日本書紀)、

と、

尊く立派であること、
尊厳なこと、
高貴なこと、
珍貴なもの、

の意で(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)、

神や天皇に関して用いる、

とある(広辞苑)。

ねぎたまふ、

の、

ねぐ、

は、

労ぐ、
犒ぐ、
祈ぐ、
請ぐ、

などとあてる(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、

労ぐ、
犒ぐ、

とあてる、

ねぐ、

と、

祈ぐ、
請ぐ、

とあてる、

ねぐ、

とは別項を立てるものもある(学研全訳古語辞典)。前者は、

何とかも汝の兄、朝夕の大御食に参出来ぬ。専ら汝泥疑(ネギ)教覚(をし)へよ〈泥疑二字音を以ゐる〉(古事記)、

と、

ぎ/ぎ/ぐ/ぐる/ぐれ/ぎよ、

の、他動詞ガ行上二段活用で、

ねぎらう、
いたわる、

意、後者は、

和魂を請(ネキ)て王(み)船の鎮(しつめ)としたまふ(日本書紀)、
福(さきはひ)祈(ね)ぎ給(たま)ひき(摂津風土記)、

と、

が/ぎ/ぐ/ぐ/げ/げ、

の、他動詞ガ行四段活用で、

いのる、
の(祈)む、
請う、
願う、

意である(仝上・岩波古語辞典・大言海)。後者の意は、通常、

「ねぐ(祈)」に含めて考えられているが、「他の心を慰めいたわる意を原義とし、上位に対するとき願う意に、下位に対するときねぎらう意になるとする」説(時代別国語大辞典−上代編)に従う、

としている(精選版日本国語大辞典)。また、「続日本紀」に、

「禰宜」の表記のある、神職の「ねぎ」も、この上二段活用動詞(前者)の連用形の名詞化とすれば、「宜」が乙類の文字であるのとよく合う、

としまた、前者の、

連用形語尾の「疑・宜」が乙類の文字であるから、四段活用ではなく上二段活用と認められる、

ともする(仝上)。この説に従えば、

ねぐ(祈)→ねぐ(労)、

でも、

ねぐ(労)→ねぐ(祈)、

でもなく、

上位に対するとき願う意、下位に対するときねぎらう意、

と、二重の意味を持っていたことになる。しかし、

ねぐ(祈)、

は、

ねぐ(労)の意の変化か、

と、

ねぐ(労)→ねぐ(祈)、

とみる見方もある(精選版日本国語大辞典)。類聚名義抄(11〜12世紀)には、

唁、トブラフ、ネグ、

とある。

唁(ゲン・ゴン)、

は、

とむらう、
不幸な目に遭った人を見舞う、

意で、

生者をとむらうことを「唁」、
死者をとむらうことを「弔」、

というhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiy/13350とある。

労ぐ、

と同義の、

ねぎらふ

は、

犒ふ、

とも当て、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

犒、ネギラフ、

とあり、

骨折りを慰める、
労を謝する、
苦労したことに対して感謝する、

といった意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)だが、

竟に和解(ネキラフこと)無くて加羅を擾乱(さわかし)つ(日本書紀)、

と、他動詞ワ行五段活用だが、古くは、

賓を娯しはしめ士を犒(ネキラヘ)て、監軍を宴す(「白氏文集天永四年点(1113)」)、

と、他動詞ハ行下二段活用にも用いた(仝上)とある。

ねぎらう、

は、

ねがふ

で触れたことと重なるが、

ネギはネグ(祈・労)と同じ、

とあるように(岩波古語辞典)、

ネ(祈)グと通ず(大言海)、
ネギ(祈願・労う)+らう(動詞化)(日本語源広辞典)、
ネ(祈)グから(国語の語根とその分類=大島正健)、
奈良時代の上二段動詞「ねぐ(労ぐ)」で、神の心を和らげて加護を祈る意。また相手の労苦をいたわる意(由来・語源辞典)、

等々と、

ねぐ(祈・労)、
と、
ねがふ、

とは重なる。

ねぐ(労)の連用形の名詞化、

が、

禰宜

とする説(日本語源大辞典)、また、

ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化、

が、

禰宜

となったとする説(日本語の語源)などがあり、

願ふ、

は、

祈(ね)ぐの延(大言海)、
ネギ(労)と同根、神などの心を慰め和らげることによって、自分の望むことが達成されるような取り計らいを期待する意(岩波古語辞典)、
ネグと同根。ネグは「禰宜」、「ねぎらふ」のネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、

とされるなど、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、ほぼ重なるのである。別に、音韻変化からみた場合、

神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が「禰宜」である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した(日本語の語源)、

あるいは、逆に、

ネ(祈)グの未然形ネガに接尾語フのついた語(広辞苑・日本語源広辞典)、
ネグ(祈)の延(大言海)、
ネギラフのネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、

との両説があり、

ネガフ(願ふ)→ネグ(祈ぐ)、

に転訛したのか、あるいは、

ネグ(祈ぐ)→ネガフ(願ふ)、

に転嫁したのかは、はっきりしないが、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

の、

neg、

は、音韻的にも同源のようなのである。普通に考えると、

神とのかかわり、

から、

人へ転化した、

と見たいところではある。

「犒」(コウ)は、「ねぎらう」で触れたように、

形声。「牛+音符高」、

で、

飲食物を贈って、陣中の将兵をなぐさめる、またその飲食物、

の意とある(漢字源)が、他は、

形声。「牛」+音符「高 /*KAW/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8A%92

形声。声符は高(こう)。高に軍門の象と、また屍骨の象との二系があり、犒の従うところはおそらく軍門の象、すなわち京に近いアーチ状の軍門であろう。〔左伝、僖二十六年〕「師を犒(ねぎら)はしむ」、〔周礼、地官、牛人〕「軍事には其の犒牛を共(供)す」とあり、軍に食牛を供する意。用例はいずれも軍事に関している。〔広雅、釈詁一〕に「勞(ねぎら)ふなり」とみえ、もと軍を迎えて労うことをいう字であろう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ささらえをとこ

 

山の端(は)のささら愛壮士(えをとこ)天の原門(と)渡る光見らくしよしも(大伴坂上郎女)

の、

ささら愛壮士、

は、

月の異名、

とあり、

ささら、

は、

天上の地名、

愛、

は、

かわいい、

の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)とあるが、

ささらえをとこ、

は、

細愛男(精選版日本国語大辞典)、
細好男(広辞苑)、
ささらえ壮士(岩波古語辞典)、
細愛壮子(デジタル大辞泉)、

等々とあて、

「ささら」は小さい、「え」は愛すべきの意(精選版日本国語大辞典)、
ササは細小の意、ラは接尾語(岩波古語辞典)、
エヲトコとは、美好男(エヲトコ)の意、月中に男子の形見ゆ、と云ふ(大言海)
ササラは美称、エヲトコは愛すべき男の意(小学館古語大辞典)、
ササは神聖の義、ラは接尾語、エはエ(枝)の義、月世界に霊木があるとするシナ伝説(広寒清虚府の故事)などによるものか(日本古語大辞典=松岡静雄)、
「ささら」の本義は、細小のものが群がっている状態の形容(日本語源大辞典)、

等々とあり、文字通り、

(小さく)愛すべき若い男、

の意だが、

月の異称(精選版日本国語大辞典)、
月を擬人化した称(広辞苑)、

であり、同じく月を擬人化して、

つくよみをとこ(月読男)、

あるいは、

夕月も通ふ天道(あまぢ)をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士(つきひとをとこ)(万葉集)、

と、

つきひとをとこ(月人男)、
つきひとをとこ(月人壮士)、

ともいう(岩波古語辞典)。

月の桂

は、

月に生えている伝説上の木、

で、

桂を折る(文章生(もんじょうしょう)、試験、対策に応)、
桂男(かつらおとこ・かつらを 月で巨大な桂を永遠に切り続けている男の伝説)、
桂の眉(かつらのまゆ 三日月のように細く美しい眉)、
桂の影(かつらのかげ 月の光)、
桂の黛(かつらのまゆずみ 三日月のように細く美しく引いた眉墨)、

等々と使われる、

桂、

のことで、

月の桂、

から、

月の異称、

として使われるようになった。

桂を折る

で触れたように、

月の桂、

は、「酉陽雑俎‐天咫」(唐末860年頃)に、

舊言月中有桂、有蟾蜍、故異書言月桂高五百丈、下有一人常斫之、樹創隨合。人姓吳名剛、西河人、學仙有過、謫令伐樹、

とあり、中国において、「月桂」は、

想像の説に、月の中に生ひてありと云ふ、月面に婆娑たる(揺れ動く)影を認めて云ふなるべし、手には取られぬものに喩ふ、

とある(大言海)。「懐風藻」に、

金漢星楡冷、銀河月桂秋(山田三方「七夕」)、

は、

月の中にあるという桂の木、

の意で、

玉俎風蘋薦。金罍月桂浮(藤原万里「仲秋釈奠」)、

では、

月影(光)、

の意で使われている(精選版日本国語大辞典)。

桂男(かつらおとこ・かつらを)、

は、上述の「酉陽雑俎‐天咫」にある、

呉剛伐桂、

ともいわれる、

呉剛、

のことで、

月の中に高さ五〇〇丈(1500メートル)の桂があり、その下で仙道を学んだ呉剛という男が、罪をおかした罰としていつも斧をふるって切り付けているが、切るそばからその切り口がふさがる、

という伝説(精選版日本国語大辞典)をいう。この伝説には、ひとつには、

炎帝の怒りを買って月に配流された呉剛不死の樹「月桂」を伐採する、

という説と、いまひとつは、

舊言月中有桂、有蟾蜍、故異書言月桂高五百丈、下有一人常斫之、樹創隨合。人姓吳名剛、西河人、學仙有過、謫令伐樹(酉陽雑俎)、

と、

仙術を学んでいたが過ち犯し配流された呉剛が樹を切らされている、

という説とがある(仝上)、という。

以上のことから、

月の桂、

は、

月の異称、

とされ、略して、

かつら、

ともいい、月の影を、

かつらの影、

といったり、三日月を、

かつらのまゆ、

などという(大言海)。また

桂男、

は、

桂の人、

などともいう。

ささら、

は、

細ら、

とあて、

ササは細小の意、ラは接尾語(岩波古語辞典)、
「ささ」に接尾語「ら」の付いたもの。後世は「さざら」とも(精選版日本国語大辞典)、
ササは細小(ささ)の義、ラは、添えたる辞(大言海)、

などとあり、

ささら、

の本義は、

細小のものが群がっている状態の形容(日本語源大辞典)、

とする説があり、これによれば、

夜空に群がる星の呼称として成立したものが、後にその代表として月をを指すようになったと考えられる、

とある(仝上)。冒頭で、

ささら、

は、

天上の地名、

と注釈した(伊藤博訳注『新版万葉集』)のは、上述の伝説や、「ささら」の由来を念頭に置いて解釈したものかもしない。

さざれ石

の、

さざれ、

は、

細、

と当て、

さざらの転、

で、

さざれ(細)波、
さざれ(細)水、
さざれ(細)石、
さざれ(細)砂、

と、名詞に付いて、

「わずかな」「小さい」「こまかい」などの意、

を添える(日本国語大辞典)。

さざら、

の、

ささ、

も、

細、

とあて、

細かい、
小さい、

意の、

ささら形(がた)、
ささら波、
ささら荻、

等々と使う接頭語で、

ら、

は、

賢(さか)しら、
きよら、
やはら、

等々、

擬態語、形容詞の語幹などに付いて、その状態であることを表す、

接尾語である(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。

えをとこ(好男)、
えをとめ(好女)、

は、古事記に、

あなにやし(ホントニマア)、愛袁登古(エヲトコ)を(ヨ)、
あなにやし、愛袁登売(エヲトメ)を、

とあり、

よい男、愛らしい男、
よい女、かわいい少女、

といった意味で、

え、

は、

あ行の「え」、

で、

いとしい、

の意で(精選版日本国語大辞典)、

名詞について愛すべき箆意を表す、

接頭語である(岩波古語辞典)。

「細」(漢音サイ、呉音セイ)は、

会意兼形声。囟は、小児の頭にある小さなすきまの泉門を描いた象形文字。細は「糸(ほそい)+音符囟(シン・セイ)」で、小さくこまかく分離していること、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です。糸+田(囟)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と、「乳児の脳の蓋(ふた)の骨が、まだつかない状態」の象形(「ひよめき(乳児の頭のはちの、ぴくぴく動く所)」の意味)から、ひよめきのように微か、糸のように「ほそい」を意味する「細」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji165.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%B0

として、他は、

形声。「糸」+音符「囟 /*TSIŊ/」。「ほそい」を意味する漢語{細 /*sˤe-s/}を表す字(仝上)、

形声。糸と、音符囟(シン、シ)→(サイ)(田は誤り変わった形)とから成る。ほそい糸、ひいて「ほそい」「こまかい」意を表す(角川新字源)、

形声。正字は囟(し)に従い、囟声。のち略して田となった。〔説文〕十三上に「𢼸(び)なり」(段注本)と訓し、囟声とする。囟は細かい網目の形。もと織り目の細かいことをいう字であったが、のち細微・微賤の意となる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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初月


月立ちてただ三日月(みかづき)の眉根(まよね)掻き日(け)長く恋ひし君に逢へるかも(万葉集)

の詞書(和歌や俳句の前書き)に、

坂上郎女が初月(みかづき)の歌一首、

とあり、

月立ちて、

は、

月が替わって、

で、

眉根(まよね)掻き、

は、

まだ三日目の三日月のような眉を掻きながら、

と注釈し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

三日月を詠題とする宴歌故の趣向であろう、

とする。また、

三日月の眉根、

は、漢語、

眉月、

を踏まえる(仝上)とある。

眉月(びげつ)、

は、

眉月晩生神女浦(白居易)、

と、

三日月である。

初月(しょげつ)、

も、

繊繊乎似初月之出天涯(書譜)、

と、

三日月、

の意であるが、

新月、
彎月、
初魄、

ともいい(字源)、

北周・庚信〔詠懐に擬す〕詩 殘月は初月の如く 新秋は舊秋に似たり 露泣きて連珠下り 螢飄(ひるがへ)つて碎火流る、

とある(字通)、陰暦で、

その月に初めて出る月、

をいい(デジタル大辞泉)、

新月、
みかづき、

ともいうが、特に、

陰暦八月初めの月、

を指し(精選版日本国語大辞典)、

初月、

を、

はつづき、

とも訓ませる(仝上)。

初月、

は、また、

一年の最初の月、

の意から、

一月の異称、

でもあり(仝上)、

はつつき、

とも訓ませる(岩波古語辞典)。

初月、

を、冒頭のように、

みかづき、

とも訓ませるが、

三日月、

は、陰暦で、

毎月の第三日の夜に出る月、
その月になって三日めごろに出る細い月、

をいい、で、

新月、
眉月(まゆづき)、

ともいうが、また、広く、

一般的に陰暦の月末と月初め頃に出る細い月、

をも指す。ただ、特に、

陰暦八月三日の夜の月、

を、

三日月、

と呼んだ(精選版日本国語大辞典)。

新月、

と呼ぶのは、

月は一般に朔(新月)を含む前後3日間は見えず、旧暦3日にはじめて見えることが多い(世界大百科事典)、

ためで、

日没後の西の空低くにかかる鎌のように細い月、

である。

「初」(漢音ショ、呉音ソ)の異体字は、

䃼、䥚、𠁉、𠜆、𠫎(古字)、𡔈、𢀯、𢀰(則天文字)、𣦂、𥘉、𥘨(訛字)、𥝢、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%9D。字源は、「はつはつに」で触れたように、

会意文字。「刀+衣」で、衣料に対して最初にはさみを入れて切ることを示す。また、最初に素材に切れめを入れることが、人工の開始であることから、はじめの意に転じた。創(ソウ 切る→創作・創造する)の場合と、その転義の仕方は同じである、

とある(漢字源)。他も、

会意。衤(衣)+刀を合わせて、布を切る事で衣の製作の「はじまり」を表すhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%9D

会意。刀と、衣(ころも)とから成り、衣を作るはじめの裁断、転じて、物事の「はじめ」の意を表す(角川新字源)、

会意文字です(衤(衣)+刀)。「衣服のえりもと」の象形(「衣服」の意味)と「刀」の象形から、刀で衣服を裁断する事を意味し、裁断する作業が衣服を作る手始めの作業である事から、「はじめ」を意味する「初」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji696.html

会意。衣+刀。衣を裁(た)ちそめる意。〔説文〕四下に「始なり。刀に從ひ、衣に從ふ。裁衣の始めなり」という。〔爾雅、釈詁〕に初・哉・肇・基など、「始なり」と訓する字を列するが、それらはいずれも、ことはじめとしての儀礼的な意味を背景にもつ字である。初・裁は神衣・祭衣を裁(た)つ意の字であろう。金文の「初見」「初見事」は君臣の礼。最初の意は引伸の義である(字通)、

と、何れも会意文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
簡野道明『字源』(角川書店)

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たけそか

 

玉敷きて待たましよりは多鶏蘇香仁(タケソカニ)来たる今宵し楽しく思ほゆ(榎井王)

の、

たけそかに、

は、

未詳、

とあり、

だしぬけの意か、

とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

ソカはオロソカ・オゴソカのソカに同じか、

とあり(岩波古語辞典)、やはり、

語義未詳、

としつつ、

おもいがけないさま、不意、一説に、たまさかと同じ意(広辞苑)、
不意にの意か、一説、「たまさか」と同じ意(岩波古語辞典)、
不意に、突然の意、または、たまたま、偶然などの意か(精選版日本国語大辞典)。

とある。

おろそか

は、

疎か、

とあて(広辞苑・岩波古語辞典)、

おろ、

は、

「おろか」「おろおろ」などと同じく「不完全・不十分」の意(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、
オロは、疎(おろか)の語根、ソカは、副詞の接尾語、おごそか、あはそか、などもあり(大言海)、
オロはアラ(粗)の母音交換形。物事が密でないこと。隙間が多いこと。粗略なこと。ソカはオゴソカのソカと同じ(岩波古語辞典)、
オロ(ウロ・空虚)+ソカ(接尾語ようす)」です。心を空虚にする、つまり、心をこめないで行動する意(日本語源広辞典)、
オロはオホロ(大)の縮約形、ソカは接尾語(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)
等々とあり、

隙間が多いさま、の意から出て、粗末なさまに、中古には、おざなりであるさま、の意が生じ、「おろ(疎)か」の意と重なり、中世以後、「おろか」は「愚か」に、「おろそか」は「粗略」に分化してゆき、近代にいたる、

とある(日本語源大辞典・岩波古語辞典)。ちなみに、同じく、

そか、

とつく、

おごそか、

は、

厳(嚴)か

とあて、

威厳があるさま、

の意だが、

オゴはオゴル(傲)のオゴと同根、みずからを高いものとして人に対すること、ソカはオロソカ(疎)・アハソカ(淡)のソカと同じ、状態表現を表す接尾語(岩波古語辞典)、
オオ(大)+ゴ(厳)+ソカ(状態)で、大いなることが起こった緊張状態を言う言葉です(日本語源広辞典)、
オゴは、大(おほ)ごるなりと云ふ意の約か(ひろごる、ほどこる)、ソカは、副詞の語尾、おろそか、あはそか、あり(大言海)、

等々とある。

そか、

のつく言葉には、他に、

軽率、

の意の、

淡そか、

とあてる、

あはそか、

があり、

アハは淡の意、ソカはオゴソカ・タケソカなどのソカ、状態を示す接尾語(岩波古語辞典)、
ウハは淡、ソカは副詞を形作る接尾語、おろそか、おごそか、もあり(大言海)、

などとある。また、

間どおなさま、
じゅうぶんに心をうちこまないさま、

の意の、

おほそか、

もある(精選版日本国語大辞典)。

いずれの、

そか、

も、

状態を表わす接尾語(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)
状態を示す接尾語(岩波古語辞典)

とみていいだろうが、もっと踏み込むと、いずれの場合も、たとえば、

おろそか、

が、

隙間が多い→粗末なさま→おざなり、

と、

状態表現→価値表現、

と転じていくのが見て取れる。

たけそか、

も、

たけ、

の語義ははっきりしないけれども、

おもいがけないさま→不意に→たまさか、

と、やはり、

状態表現→価値表現、

へと変じてきたものと思われる。

ここからは、御説だが、

たけ、

にあたる言葉には、




の、

たけ、



の、

たけ、

岳、
嶽、

の、

たけ、

茸、
菌、
蕈、

の、

たけ

があるが、

たけなわ

で触れたように、

たけなわ、

は、

酣、
闌、

と当て、

物事の一番の盛り、真っ最中、
少し盛りを過ぎたさま、

といった意味になる。

たけなは[酣]形状言。たけなわ。物事の(主に酒宴の)最中、あるいは盛りを過ぎた状態。「酒酣(たけなは)之後、吾則起歌」(神武前紀)「夜深酒酣(たけなはニシテ)、次第儛訖」(顕宗前紀)「酣タケナハニ・闌タケナハタリ」(名義抄)【考】「酣」は、酒を楽しむ・酒宴最中・盛んなの意。第三例名義抄にみえる「闌」は「言希也、謂、飲酒者、半罷半在、謂之闌」(漢書高帝紀顔師古注)とあるように、盛りを過ぎたさまを表わす。真最中から盛り過ぎという意味の幅は、このような語に自然なものかと思われる。タケナハのタケは日(ヒ)長(タ)クなどのタク(下二段)であろうが、その日長クにも、真昼(朝おそく)をさす場合から、日の傾く夕方を指す場合までがあるようで、タケナハもその例外ではあるまい(時代別国語大辞典上代編)

とあり、「たけなわ」の持つ、盛りと、盛りの陰りとの含意がある。で、その由来は、

タケは、長(た)る意、ナハは、オソナハル(ナハルは、延びゆく意と思はる、畳(たた)なはる、糾(ただ)なはるなどもあり)の類(大言海)
タケはタケ(丈・長・闌)・タケシのたけ。高まる意(岩波古語辞典)、
身の丈などのタケも、タカ(高・竹)と同じ語源。長く(タク)は、高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも、根元は同じではないかと思います。春がタケルも、同じです。わざ、技量などいっぱいになる意で、剣道にタケルなどともいいます。(日本語源広辞典)、
タケは、丈の長くなることをいうタケルから。ナハは遅ナハルなどのナハと同じ〈本朝辞源=宇田甘冥〉、
タケシ(長)の意から〈国語の語根とその分類=大島正健〉、
タケはタク(長・闌)・タケブ・タケルと同根〈小学館古語大辞典〉、
ウタゲナカバの約〈古事記伝〉、

で、

たけ、

は、

タケ(長)の義、

タカキ(高)の義、

の二系統に分かれる(日本語源大辞典)。

「たけ(長・丈)」の由来は、

動詞「たく(長く)」と同源(広辞苑)、
高背(タカセ)の約。長(タケ)の義(大言海)、
(たけ(長け・闌け)は)たか(高)の動詞化、くなる意。フカ(深)・フケ(更)・アサ(浅)・アセ(褪)の類(岩波古語辞典)、
(「たく(長)」は)高(タカ)の活用、深(ふか)のフクルの類(大言海)、

などとあり、

たけなわ、

が、こうした、

高さがいっぱいになること→時間的にいっぱいになること、

と、

長さや高さという空間的な表現を時間に転用している、

とみることができる。

ある行為・催事・季節などがもっともさかんに行われている時。また、それらしくなっている状態。やや盛りを過ぎて、衰えかけているさまにもいう、

と(日本語源大辞典)、

長さと高まりとが重なり合うイメージ、

になっており、

長さとピークになっていく盛り上がりの頂点、

という意味では、

たけなわ、

には、

長さ、

み、

の二重の意味がダブっている。

また、

タケ(竹)

で触れた、

竹、

の由来も、

長(たけ)生(お)ふる義、成長の早きにつきて名あるか。又、高(たか)生(は)えの約と云ふ(大言海)、
説1は、「高い草」語源説です。説2は、「中国音tikuがtake音韻変化した語」だという説です。タカイの語源がタカシですから、これをたどって、文字のない時代まで遡ると、タケが、タカ(高)から、生まれたことがうなずけます。また大陸からの原人の中国音が影響したかともかんがえられます(日本語源広辞典)、
主な説は「高(たか)」「丈(たけ)」と同源で高く伸びるものの意味。タケノコの旺盛な成長力から、「タケオフ(長生)」の意味からとする説。「タカハエ(高生)」の約とする説。朝鮮語で「竹」を意味する「tai(タイ)」からとする説がある。「高」や「丈」と「竹」はアクセントが異なるため難しい(岩波古語辞典)との見方もあるが、区別するためにアクセントが変わった可能性もある(語源由来辞典)、
新井白石の『東雅』には、『万葉集抄』にタは高いことだとあって、ケとは古語に木をケというようであり、タケとは、生じて高くなる木という意味でつけられて名である、と説いている。タカムナという筍の異名からタカムは高くなることで、ナは「菜」でたべものを意味するという説もある(たべもの語源辞典)、
タカ(高)の轉(日本釈名・日本声母伝・円珠庵雑記・言元梯・菊池俗語考)、
タケ(丈)が高いところから(古今要覧稿・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹)、
動詞タク(高)の連用形名詞法(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

などと、

タカ(高)、
タケ(丈)、

と関わらせるし、さらに、

たけ

で触れたように、

岳、
嶽、

とあてる、

たけ、

も、

たけ(長・丈)、

とともに、

形容詞「たかし(高)」の語幹「たか」と同根で、下二段動詞「たく(長)」とも関連づけられる。高い山岳を意味し、特に方言では、薪や茸などを採る生活圏内のヤマに対して、しばしば信仰の対象となる生活圏外のものをさす。中世の辞書類にはダケが挙げられることが多く、「日葡辞書」にも「本来の語はdaqe(だけ)である」とあるなど、濁音形ダケが単独で用いられることもあったが、第一音は本来清音である、

とあり(日本語源大辞典)、その由来も、

タカネ(高嶺)の約(万葉考・名言通・日本語原学=林甕臣・大言海)、
タカ(高)の転(日本釈名・言元梯・和訓栞)、
タケ(長)の義(東雅・箋注和名抄)、
動詞タク(高)の連用形名詞法(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

と、

タカ(高)、

と関わらせるし、また、

茸、
菌、
蕈、

の、

たけ、

も、

タケ(長)と同根高く成るものの意(岩波古語辞典)、
丈、竹、嶽と同義で直立の義(箋注和名抄)、
動詞のタク(高)の連用形名詞法(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
笠のようにたけたつところから、タケ(長)タルの義(拠字造語抄)、
気味のタケキ(猛)の義(和訓栞)、
タケ(陀化)の義(言元梯)、
タケル(長ける・時が過ぎ、開いたキノコ)のタケ(日本語源広辞典)、

と、やはり、

長さ、

み、

が重なっている。そうみると、





の、

たけ、



の、

たけ、

岳、
嶽、

の、

たけ、

茸、
菌、
蕈、

の、

たけ

のすべてが同一語源とつながり、

タケ(茸)

で触れた、

タケル(長ける・時が過ぎ、開いたキノコ)のタケ、

との説明(日本語源大辞典)がいい、

タケ、

は、

長け、丈、

であり、

タケナワの、

タケ、

である。

春タケナワ、

の「タケ」にある、時間経過が過ぎると、カサが開くい意ではないか。そうみると、

たけそか、

の、

たけ、

の、

だしぬけ、
思いがけない、

の意にも反映しているとみたが、どうであろうか。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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たぶさ

 

折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる(僧正遍昭)

の、

たぶさ、

は、

手に同じ、

とある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。この、

たぶさ、

は、

箭(や)を頭髪(タフサ)に蔵(かくし)、刀を衣中(ふところ)に佩ふ(日本書紀)、

と、

髻、

と当て、

「たきふさ(頭髻)」の変化したもの(精選版日本国語大辞典)、
古語、たきぶさ(頭髪)の略(大言海)
タバ(束)+フサ(房)の変化したもの、髪の毛を頭の上で結んだところの意、もとどりとも(日本語源広辞典)、
タバネフサ(束房)の義(日本語原学=林甕臣)、

等々とされる、

髪の毛を頭上に集めて束ねたところ、

つまり、

もとどり、

の意のそれではない。

たぶさ、

は、

手房、
腕、

と当て、

腕(タブサ)、

と訓があり(金剛頂瑜伽中略出念経)、

手首、
腕、

の意である(広辞苑)。

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

捥、太不佐、

和名類聚抄(931〜38年)に、

腕、太々无歧(ただむき)。俗に云ふ、宇天(うで)、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

腕、タフサ、ウデ、タダムキ、

字鏡集(鎌倉時代)に、

腕、タダムキ・タブサ・タマキ・ウデ、

等々とある。

たぶさ、

は、

タブシ(手節)はタブサ(腕。手首)になった(日本語の語源)
タブシの転か、或は云ふ、手総(タブサ)、

等々とされる。

八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)を以て……其(そ)の髻鬘(みいなだき)及び腕(タフサ)に纏(まきつ)け(日本書紀)、

と、

ここでは、

腕、

の意だが、

手節、

を由来とすると、

てくび、
うでくび(腕首 手首)、

が原義で、それが、広く、

腕、

の意になったとみられる。

たぶさ、

と同義とされる、

ただむき

は、和名類聚抄(平安中期)に、

腕、太々无岐(ただむき)、一云宇天(うで)、

とあるように、

腕、

とも当て(広辞苑・岩波古語辞典)、

肘から手首までの間、

を指し、

肩から肘までの、

かいな、

に対する(日本語源大辞典)。

かいな、

は、また、

二の腕

ともいう。

一の腕、

を、

手首から肘まで、

つまり、

ただむき、

を言ったのに対して、

二の腕、

といったものらしい(日本語源広辞典)。

ひじで折れ曲がるので、これを2部に分け、上半を上腕upper arm、下半を前腕forearmといい、上腕は俗に「二の腕〉といわれる。腕は脚に相当する部分であるが、人間では脚より小さく、運動の自由度は大きい、

とある(世界大百科事典)ので、手首側から、一の腕、二の腕と数えたということだろう。

ただむき、肱(カヒナ)、臂上也、肘、臂節也」、日本釈名「腕、宛也」、宛は屈すべきものにて、ウデクビなれど、通ずるなるべし(大言海)

とあるほか、

手手向(たたむき)の義、両掌に合はすれば、両臂相向ふ、股(もも)を向股(ムカモモ)と云ふが如し。説文「臂、手上也、
左右が向かい合っているところから、タタムキ(手手向)の義(柴門和語類集・日本語源=賀茂百樹)、
テテムカヒ(手手向)の義(名言通)、
手向の義(和訓栞)、
タマフシ(手間節)の義(言元梯)、

等々とあるが、

タはテの古形(岩波古語辞典)、

なので、ほぼ同趣旨とみていい。上述したことと重なるが、和名類聚抄(931〜38年)は、

腕、太太无岐、一云宇天、

字鏡(平安後期頃)に、

臂、太太牟支、

類聚名義抄(11〜12世紀)は、

腕、ウデ、タダムキ、臂、タダムキ、

華厳経私記音義(12世紀末)は、

臂、手上也、多多牟岐、

等々とある。漢字、

腕(ワン)、

は、

中国では主に手首のつけね。まるく曲がるところなので、ワンという、

とあり(漢字源)、

てくび、
臂の下端、掌の付け根の所、

を指し(字源)、

腕骨(わんこつ)、

は、「手首の骨」をさす(仝上)。

腕は、(日本)釈名に「腕宛也、言可、宛曲なり」、急就篇注に、「腕、手臂之節也」とありて、今云ふ、ウデクビなり、されば、ウデは、元来、折手(ヲデ)の転(現(うつつ)、うつ、叫喚(うめ)く、をめく)。折れ揺く意にて(腕(たぶさ)も手節(たぶし)なり)、ウデクビなるが、臂(ただむき)と混じたるなるべし、

とある(大言海)ように、

てくび、

を、

ただむき、

と混同、つまり、

肘、

と混同したため位置が動き、本来、「うで」は、

肘と手首の間、

を指し、

かいな、

は、

肩から肘までの間、

であったが、後に、

うで、

と混用され(岩波古語辞典)、一の腕、二の腕を含めて、

腕、

と呼び、肘から上を、

上腕、

肘から下を、

前腕、

と称するようになったとみられる(日本語源大辞典)。こうした、

肩から手首、

を、

腕、

とするのは、上述したように、わが国独自の用法になる(漢字源)。

こうした経緯から、「腕(うで)」の語源を見ると、

ウテ(上手)の義(類聚名物考・和訓栞・国語の語幹とその分類=大島正健)、
ウテ(打手)の義(日本釈名・和句解)、
ヲテ(小手)の転(言元梯)、
ヲデ(折手)の転(名語記・大言海)、
「腕」の別音WutがWuteと転じた(日本語原学=与謝野寛)、

と、位置がばらばら、「腕」が今日、

二の腕

で触れたように、

肘と手首の間、
肩口から手首まで、

と、多義的に使われている訳である。

二の腕

で触れたことだが、

かいな、

は、

腕、
肱、

とあて、

抱(かか)への根(ね)の約転か。胛をカイガネと云ふも舁(かき)が根の音便なるべし。説文「臂(ただむき)、手ノ上也。肱(かひな)、臂ノ上也」(大言海)、
カイ(支ひ)+ナ(もの)(日本語源広辞典)、
カヒネ(胛)の転(言元梯)、
カヒは抱き上げるという意のカカフルのカを一つ省いたカフルの変化したもの(国語の語幹とその分類=大島正健)、
女の臂のカヨワイことから(俗語考)、
カヒナギ(腕木)の意(雅言考・俗語考)、
カタヒジナカ(肩肘中)の略(柴門和語類集)、
カキナギ(掻長)の義(名言通)、

等々諸説あるが、「抱える」と関わることが、いちばん説得力があるような気がする。ちなみに、

小手(こて)、

は、

手首、
あるいは、
肘と手首の間、

を指すが、

手の腕頸より先。小手先。「小手返し」「小手調べ」「小手投げ」。これに対して、腕・肱を、高手(たかて)と云ふ。人を、高手小手(たかてこて)に縛ると云ふは、後ろ手にして、高手、小手、頸に、縄をかけて、縛りあぐるなり、

とあり(大言海)、いわゆる鎧や防具にいう、

籠手、

は、この「小手」から来ていて、

肘、臂の全体をおおうもの、

であり、「腕頸」とは、

手首、

の意で、

たぶし、
たぶさ(手房)、
こうで(小腕)、

ともいい、

腕と肘との関節、曲り揺く所、

とある(仝上)が、これもけっこう曖昧で、

手首をさす語として、上代より、タブサという語が使用されていたが、語義が不安定であったため、中世より、ウデクビが使われだした。その後、一四、五世紀あたりに、テクビという語が成立し、中世後期からは、テクビの方が優勢となる、

とあり、

たぶさ→うでうび→てくび、

と転化したようだ(精選版日本国語大辞典)。なお、



については触れた。

「腕」(ワン)は、

会意兼形声。宛(エン)の字は、宀(屋根)の下に、二人の人がまるくかがむさま。腕は「肉+音符宛」で、まるく曲がる手首、

とある(漢字源)。中国では主に手首のつけね。まるく曲がるところなので、

てくび、
臂の下端、掌の付け根の所、

を指し(字源)、

腕骨(わんこつ)、

は、「手首の骨」をさす(仝上)。「肩から手首」、またうでのように本体から伸び出た部分を「腕」とするのは、わが国独自の用法である(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(月(肉)+宛)。「切った肉」の象形と「屋根・家屋の象形と月の半ば見える象形とひざまずく人の象形」(屋内で身をくつろぎ曲げ休む事から「曲げる」の意味)から、自由に曲げる事の肉体の部分、「うで」を意味する「腕」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji288.html

と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、

形声。「肉」+音符「宛 /*ɁON/」。「うで」を意味する漢語{腕 /*ʔoons/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%85%95

形声。肉と、音符宛(ヱン)→(ワン)とから成る。手を曲げて動かす部分、「うで」の意を表す(角川新字源)、

形声。声符は宛(えん)。〔説文〕十二上に正字を目+叉+手に作り、「手の目+叉+手(うでくび)なり」とし、「揚雄説」として「握る」の訓を加えている。〔釈名、釈形体〕に「腕は宛(ゑん)なり。宛屈すべきを言ふなり」とみえる。字はなお目+叉+手を正体としていたらしく、〔玉篇〕にも目+叉+手を正字とし、宛・夗(えん)声の字を異文として録する。目+叉(わつ)は目部四上に「目を扌+官(えぐ)るなり」とあり、目+叉+手は会意。扌+官は腕と同声。宛は廟中に人の坐する形で、宛然として坐して祈る姿。膝をまげて坐するふくよかな姿で婉曲の意もあり、腕はその声義をとる。目+叉+手は〔墨子、大取〕〔儀礼、士喪礼〕〔呂覧、本味〕などに用例がみえ、腕も〔墨子、大取〕にみえるが、のち腕が通用の字となった。〔段注〕に目+叉+手は手上臂下、臂は手上の部分とし、〔説文通訓定声〕に、掌より次第に上に及んで、腕・肘・肱・肩とよぶとする(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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千引の石


我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸けむも神のまにまに(大伴家持)

の、

神のまにまに、

は、

あらがえぬ神の定めのままに、

と注記があり、

千引(ちびき)の石(いし)、

は、普通、

千引の石(いは)、

と訓ませ、

千人がかりで引く石、

で、古事記、日本書紀で、

伊邪那岐、伊邪那美の二神が絶妻(ことど)の誓いを交す場面に見える語、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。古事記には、そのくだりは、

最後(いやはて)にその妹伊邪那美の命、身自(みづか)ら追ひ来ましき。ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(さ)へて、その石(いは)を中に置き、各(おのおの)對(むか)ひ立(た)ちて、事戸(ことど)を度(わた)す時に、伊邪那美の命の言ひしく、「愛(うつく)しき我(あ)が汝夫(なせ)の命(みこと)、かく爲(せ)ば、汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺さむ」といひき、

とある。

千引の石、

は、

千人もかかって引くほどの大きな岩、

を言うが、

岩石は悪霊邪気の侵入を防ぐものと信じられていた、

ともある(倉野憲司訳注『古事記』)。

千引の石、

の、

石、

の訓み方については、和名類聚抄(931〜38年)、類聚名義抄(11〜12世紀)、には、

チビキノイシ、

とあり、従来の、

チビキノイハ、

の訓みも再検討する必要がある(精選版日本国語大辞典)とある。なお、

千引の石、

の、

引、

を、長さの単位とみなし、

直径「千引」の大きな岩、

とする説もある(仝上)。

黄泉比良坂(よもつひらさか)、

は、

黄泉の国と現実の世界との境界、

をいう(仝上)。ちなみに、

事戸(ことど)を度(わた)す

の、

ことど、

は、

配偶者と縁を切るための呪言の意、

とあり(仝上・岩波古語辞典)、

絶妻之誓、

などと表記し、

コトは異、別になる意、ドは、ノリト(祝詞)のトと同じ、神聖な言葉、誓いの言葉などの意、

とあり(岩波古語辞典)、本居宣長も、

夫婦(めを)の交(むつひ)を絶(た)つ證(しるし)の事と思はるるなり、

と言っている。

黄泉比良坂(よもつひらさか)、

は、『日本書紀』では

泉津平坂(よもつひらさか)、

『出雲国風土記』では、

黄泉之坂、

と表記される(宇治谷猛訳注『日本書紀』)。

黄泉比良坂、

は、『古事記』には、

その謂(い)はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜(いふや)坂と謂ふ、

とあり、

島根県松江市東出雲町揖屋には、……「千引きの磐座」と呼ばれる岩がある。近くには、イザナミを祀る揖夜神社もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B3%89

が、『出雲国風土記』出雲郡宇賀郷の条に、

即(すなは)ち、北の海浜(うみべた)に磯(いそ)あり。脳(なづき)の磯と名づく。高さ一丈(つゑ)ばかりなり。上に松生(お)ひ、芸(しげ)りて磯に至る。里人の朝夕(あしたゆふべ)に往来(ゆきかよ)へるが如く、又、木の枝は人の攀(よ)ぢ引けるが如し。磯より西の方(かた)に窟戸(いはやど)あり。高さと広さと各(おのもおのも)六尺(さか)ばかりなり。窟(いはや)の内に穴あり。人、入(い)ることを得ず。深き浅きを知らざるなり。夢に此の磯の窟の辺(ほとり)に至れば必ず死ぬ。故(かれ)、俗人(くにひと)、古(いにしへ)より今に至るまで、黄泉(よみ)の坂・黄泉(よみ)の穴と号(なづ)く、

とあり(仝上・倉野憲司訳注『古事記』)、この洞窟は、

島根半島の出雲市猪目町にある「猪目洞窟」に比定される、

のが通説とある(仝上)。なお、

黄泉比良坂、

のイメージは、

黄泉國、

を、

地下世界であるとする説(本居宣長『古事記伝)、

以外に、

四方つひら坂、

として、

根の国や海原にも通ずる、四方に開かれた坂、

とみて、

水平方向にある別の世界とみる説(森田喜久雄・益田勝実)、

もあり、

ひら坂、

の、

「ひら」は断崖絶壁のような「崖」を意味する、
「ひら」は縁(へり)であり境界を意味する、

等々もあり、「坂」も、

斜面上の坂を意味するという説、

以外に、

「境」の意味であるとする説、

等々もあり、現実の、平(たいら)の、

ひら、

や、坂道の、

さか、

ではなく、象徴的な意味とみる見方もある(仝上)。

ひら、

には、

ヒラク(開)の義(和訓栞)、
ヒロ(広)の転(和語私臆鈔)、
ハルから出た語幹ハラの転(国語の中に於ける漢語の研究=山田孝雄)、
ヒはハ(葉)の転(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々の由来があり、もともと

平、

のイメージではないようではある。

「千」(セン)の異体字は、

仟、阡(大字)、韆(繁体字)、

とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%83)、字源は、「千木」でも触れたが、

仮借(その語を表す字がないため、既存の同音あるいは類似音をもつ字を借りて表記すること)。原字は人と同形だが、センということばはニンと縁がない。たぶん人の前進するさまから、進・晋(シン すすむ)の音を表し、その音を借りて1000という数詞に当てた仮借字であろう。それに一印を加え、「一千」を表したのが、千という字形となった。あるいは、どんどん数え進んだ数の意か、

とある(漢字源)。

1000の意味を持つ音「人」(nien)と一の合字で1*1000を意味する、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%83のはその意味だろう。「一+人」とみれば会意文字というのはありえるので、

会意文字です(亼)。「横から見た人」の象形(「人民、多くのもの」の意味)と「1本の横線」(「ひとつ」の意味)から、数の「せん」を意味する「千」という漢字が成り立ちました、

という説もありえるhttps://okjiten.jp/kanji134.html。別に、

形声。声符は人(じん)。卜文・金文は、人の下部に肥点を加えて、人と区別する。〔説文〕十部三上に「十百なり。十に從ひ、人に從ふ」と会意に解するが、〔繁伝〕には人声とする。金文に「萬年」を「萬人」としるす例があって、人を年の意に用いる。人にその声もあったのであろう。卜文に二千・三千を、人の下部に二横画・三横画を加えてしるす例があるので、千が人声に従う字であったことは疑いがない(字通)、

ともある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫 Kindle版)
倉野憲司訳注『古事記』(岩波文庫)
宇治谷猛訳注『日本書紀』(講談社学術文庫)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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高敷く

 

やすみしし我が大君の高敷かす大和の国はすめろきの神の御代より敷きませる国にしあれば(万葉集)、

の、

やすみしし

は、

八隅知し(八隅知之)、
安見知し(安見知之)、
安美知し(安美知之)、

などと当て(大言海・広辞苑)、

八隅を治める、また、心安く天の下をしろしめす(広辞苑)、
万葉集に「八隅知之」と書かれているのは八方を統べ治める意によるという(岩波古語辞典)、

という意で、

わが大君、
わご大君、

にかかる枕詞として使われる(仝上)。

高敷く、

は、

立派に統治される、

意で、

高知る、
太敷く

に同じ(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。

高敷く、

は、

か/き/く/く/け/け、

と活用する他動詞カ行四段活用で、

やすみししわが大君(おほきみ)のたかしかす大和の国は、

は、

わが天皇が立派にお治めになる大和の国は、

の意となる(学研全訳古語辞典)。

高敷く、

は、

高知る、

と同じで(広辞苑)、

やすみししわご大君神ながら神さびせすと吉野川激(たぎ)つ河内に高殿(たかとの)を高知りまして登り立ち國見をせせば(柿本人麻呂)、

と、

立派に造る、

意から、

やすみしし我が大王の神(かむ)ながら高知(たかしらせ)る印南野(いなみの)の邑美(おふび)の原の荒栲(あらたへ)の(山家赤人)、

と、

立派に治める、しろしめす、

意へと転じている(仝上)。

高敷く、

の、

タカは美称、シクは、シル(領)と同根(岩波古語辞典)、
「たか」は高大の意でほめ詞、「しく」は治めるの意(精選版日本国語大辞典)、
タカは尊ぶ意、太敷く、に対す(大言海)、

とある。

タカ、

は、

形容詞タカシの語幹、

で(岩波古語辞典)、

他の語に冠して、

高い、

意を表し(仝上)、

高城(き)、
高嶺(ね)、
高殿、
高値、
高照らす、
高敷く、
高知る、

等々、

形や位置が高いこと、

の意だが、古代語では、

実際の高さを示す意が薄らいで、ほめことばとして用いられる場合もある、

とする(精選版日本国語大辞典)。この用法は、

高笑い、
高話、
高鳴る、
声高、
音高、

等々、現代では、

音声が大きいこと、

に用いている(仝上)。

太敷く

で触れたことだが、

しる、

は、

知る、
領る、

と当て、

物事をすっかり自分のものにする、

意(精選版日本国語大辞典)で、ここでは、

統治する、
支配する、

という意になる。同義語の、

高知る、

も、

タカは美称、シルはシク(敷・領)と同根(岩波古語辞典)、
「たか」は高大の意でほめことば(精選版日本国語大辞典)、

で、やはり、

高天原に氷木(ひぎ)多迦斯理(タカシリ 此の四字は音を以ゐる)て居れ(古事記)、

と、

立派につくり構える、

意や

瓦+長(みか)のへ高知(タカシリ)瓦+長(みか)の腹満(み)て双(なら)べて(延喜式)、

と、

高く盛りあげる

意などから、

やすみしし我が大君(おほきみ)の神(かむ)ながら高所知(たかしらせ)る印南野(いなみの)の(万葉集)、

と、

立派におさめる、
立派に統治する。

意で使う(精選版日本国語大辞典)。なお、

高知也(たかしるヤ)天(あめ)の御蔭(みかげ)天(あめ)しるや日の御蔭の水こそば(万葉集)、

と、

高知や、

と、枕詞で使うと、

「や」は助詞、

で、

天高くそびえる高殿が天日を覆って影をつくる、

という意から、

天(あめ)の御蔭(みかげ)、

にかかる(仝上)。

太敷く

の、

ふと(太)、

は、

形容詞「ふとし」の語幹相当部分、

で(精選版日本国語大辞典)、

物の直径が大きい意、接頭語的に使う、

とあり(岩波古語辞典)、

績麻(うみを)なす長柄(ながら)の宮に真木柱太高敷(ふとたかしき)て食国(をすくに)を治めたまへば(万葉集)

と、

直径が大であること、

の意、そこから転じて、

あきづ島大和の国の橿原(かしはら)の畝傍(うねび)の宮に宮柱(みやばしら)太(ふと)知り立てて天(あめ)下知らしめしける(万葉集)、

と、

(柱などの直径が大きい意から)建物などがどっしりと壮大であること、
また、
しっかりしていること、

の意となり、それをメタファーに、

中臣の太祝詞(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へ安賀布(あかふ)命(いのち)も誰(た)がために汝(なれ)(万葉集)、

と、

荘重で立派なこと、

の謂いで使う(岩波古語辞典)。で、

ふとのりと、
ふとたすき、
ふとしる、

など、

神や天皇などに関する名詞・動詞などの上に付けて、壮大である、立派に、などの意を添え、これを賛美する意を表わす、

のに使う(精選版日本国語大辞典)。

「高」(コウ)の異体字は、

䯩、昂(の代用字)、(俗字)、𠆪(同字)、𠇃、𦕺

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%98、字源は、「登高」で触れたように、

象形。台地にたてたたかい建物を描いたもの。また槁(コウ 乾いた枯れ木)に通じて、かわいた意をも含む、

とある(漢字源)。別に、

象形。原字は「京」と同じ形で、高い建物(望楼、物見櫓の類)を象る。区別のために羨符「口」を増し加えて「高」となる。「たかい」を意味する漢語{高 /*kaaw/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AB%98)

象形。たかい楼閣の形にかたどり、「たかい」、ひいて、とうとい意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「高大な門の上の高い建物」の象形から「たかい」を意味する「高」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji158.html

と、何れも象形文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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朝さらず

 

鹿瀬(かせ)の山木立(こだち)を茂み朝さらず来(き)鳴く響(とよ)もすうぐひすの声(万葉集)

の、

朝さらず、

は、

朝ごとに、
毎朝、
毎朝欠かさず、

の意とあり、

夕さらず、

の対である(広辞苑)。

来鳴き響す(きなきとよもす)、

は、

寸鳴響為(きなきとよもす)、

と表記されていて、

鳥が来て鳴き声をひびかせる、

意である(精選版日本国語大辞典)。

朝去(さ)らず、

と、

夕去(さ)らず、

は対で、

朝去らず、

の、

サルは移動してなくなってしまう意、ズは打ち消し(岩波古語辞典)、
「避る」の未然形に打消しの助動詞「ず」のついたもの(広辞苑)、

で、

朝を離れない(精選版日本国語大辞典)、
朝を去らず、朝を離れず(大言海)、

の意から、

毎朝、
朝ごとに、

の意、

夕(ゆふ)去(さ)らず、

も、

サルは移動してなくなってしまう意、ズは打ち消しの助動詞、

で(岩波古語辞典)、

夕方を離れない(精選版日本国語大辞典)、
夕べを去らず、夕べを離れず(大言海)、

の意から、

夕べごとに、
夕方はいつも、
夕方になるたびに、
毎夕、

の意となる(仝上・広辞苑・デジタル大辞泉)。で、

朝去る、

は、

夕去る、

と対で、

サルは移動する意(岩波古語辞典)、
「去る」は時間的な移動の意(精選版日本国語大辞典)、

なので、

朝去る、

は、

朝去れば妹が手に巻く鏡なす御津(みつ)の浜びに大船(おほふね)に真楫(まかぢ)しじ貫き(万葉集)

と、

朝になる、

意、

夕去る、

は、

雨のいたう降りければ、夕さるまで侍りてまかり出でける折に(古今和歌集)、

と、

夕方になる、

意である(岩波古語辞典)。この、

夕さる、

の、名詞化した、

あめのいたうふりければ、ゆふさりまで侍りて、まかりいでけるをりに(古今和歌集)、

と、

夕さり(ゆふさり)、

という言い方は、字鏡(平安後期頃)に、

晡、申時、由不佐利、

とあり、

「さり」は来る、近づくの意を表わす動詞「さる(去)」の連用形の名詞化、

になる(精選版日本国語大辞典)が、その、

夕さり、

の音韻変化で、

ゆふされの閨のつまづま眺むれば手づからのみぞ蜘蛛の書きる(蜻蛉日記)、

と、

夕(ゆふ)され、

という言葉があり、訛って、

ゆさり、

ともいい(大言海)、

夕方、

の意で、

人の、花山に詣できて、ゆふさりつかた帰りなんとしける時に(古今和歌集)、

という、

夕去りつ方、

も、

「つ」は「の」の意の古い格助詞、

で(精選版日本国語大辞典)、

夕さりのころ、

つまり、

夕方ごろ、

の意となる(岩波古語辞典)。

朝去りつ方、

という言い方はないようだが、

夜になった頃、

の意味で、

夜去方(よさりつかた)、

それが転訛して、

ようさりつかた(夜去方)、

物事の終わりになる頃、

の意で、

終方(おわりつかた)、

秋の頃、

の意で、

秋方(あきつかた)、

と言ったりする(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。なお、上代で使われていた、

夕(ゆふ)さる、

という動詞形は、中古には、その名詞形、

夕さり、

で、夕方という時間帯を表わすようになった(精選版日本国語大辞典)とある。この時期、類義の、

夜(よ)さり、

も使われているが、その動詞形、

夜さる、

は、上代には見られないので、この、

夜さり、



「夕さり」の影響、または変化によって成立したものと思われる(精選版日本国語大辞典)とある。

さる(去・避)、

は、

ら/り/る/る/れ/れ、

の、自動詞ラ行四段活用で(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、

常時そこに存在するものが、ともに存在するものの意思・感情にかかわりなく、移動する、古くは、遠ざかるにも近づくにもいう(広辞苑)、
本来は移動する意で、古くは、遠ざかる意にも近づく意にもいう(デジタル大辞泉)、
移動する意で、古くは近づく場合にも遠ざかる場合にもいう(精選版日本国語大辞典)、
こちらの気持ちにかかわりなく、移動して来たり、移動して行ったりする意、古くは、時や色などの変化に言うことが多い(岩波古語辞典)、
去るは来(きた)るの義。去の字は借字(あてじ)にて、春さればと云ふは、春になればの意、春しあればの約(つづま)れるにて、シは強く指して云ふ辞なり、と云ふが、舊来、普通の説なり、萬葉集の「春之在者(ハルサレバ)」は、春之在者(ハルシアレバ)と訓ずべきか、萬葉集「阿里佐利底(アリサリテ)」(ありしありて)、萬葉集「大君の御言爾作例波(ミコトニサレバ)」(御言にしあれば)、春去來者(ハルサリクレバ)、春去往(ハルサリユク)、春去(はるさり)にけり、など、春しありくれば、春しありゆく、春しありにけりとては、妥(おだやか)ならぬやうなれど、サリを、ナリの意に言馴れて、語原は忘れられて言へるにか、又、成は、しなればの約なりとの説もあり(坂(さか)も級處(しなか)の約)、又、或は、になればの約、ナレバとなりて、サレバと顛じたるか、との説もあり、(否(いな)、不知(いさ))、萬葉集「春奈例婆(はるなれば)宜(うべ)も咲きたる梅の花」、然るに山彦冊子(橘守部)には「去ると書けるば、正字にて、來るを、去るとも云ひしなり、萬葉集「打靡く春去往(さりゆく)と山の上に霞たなびき」、来たり至るなり、萬葉集「時之往者(ときしゆけば)、京師(みやこ)となりぬ」時の来ればなり(説文)とも云へり、類聚名物考にもこの説あり、これに據れば、來(く)を行くの意にも用ゐたりしが、時間の経過に移りたるものか、尚考ふべし(大言海)、

と、諸説あるが、『大言海』は、

朝さる、

の、

さる、

は、他の辞書が一項目にまとめているのに対して、

日神(ひのかみ)曰、吾弟……欲奪我之國者歟、吾雖婦女、何當避乎(ナンゾサラムヤ)(神代紀)

と、

避ける、

意の、

避(さ)る、

天皇恨(うら)みて、欲捨捨於(サリタマハムト)、國位(クニヲ)(孝徳紀)、

と、

立ち退く、
立ち去る、

意の、

去る、

とは、別項を立て、由来が異なる、との見識を示し、

來る、
到る、

意とし、

熟語に用ゐられて、

……に成りゆく、

の意となるとし、

春されば、
春佐良ば、

は、

春になれば、
はるにならば、

の意、

秋去れば、
秋佐良ば、
夕去れば、
夕去らば、

等々というのも同じである(仝上)とする説を挙げている。是非の判断はできないが、一つの見識ではないかと思う。

「去」(漢音キョ、呉音コ)の異体字は、

厺(古体)、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8E%BB)。字源は、

象形。ふたつきのくぼんだ容器を描いたもの。くぼむ、引っこむの意を含み、却と最も近い。転じて、現場から退却する、姿を隠す意となる、

とある(漢字源)。他は、

会意文字です(大+ム)。「両手両足を伸びやかにした人」の象形(「人」の意味)と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)から「祈って人のけがれを除去する、さる」を意味する「去」という漢字が成り立ちました。「厺」は「去」の旧字(以前に使われていた字)です(https://okjiten.jp/kanji54.html)

会意。大+凵(きょ)。大は人の正面形。凵は、盟誓の器の蓋を外し無効としたもの。獄訟に敗れた人(大)を、その自己盟誓の器(凵)とともに廃棄する意。水に流棄するを法、羊神判に用いた獬廌(かいたい)の廌をも加えたものは氵+廌+去で、法の初文。みな「祛(はら)う」ことを本義とする。廃棄の意より、場所的にそこを離れることをいう。〔説文〕五上に「人相ひ違(さ)るなり。大に從ひ、凵聲」とするが、字は氵+廌+去(法)との関連において解すべきである(字通)、

と会意文字とする説、更に解釈は同趣ながら、

形声。意符大(土は変わった形。人が両手・両足を広げて立ったさま)と、音符凵(カン)→(キヨ)(厶は変わった形)とから成る。人がたがいに遠ざかる意。転じて「さる」意に用いる(角川新字源)、

と、形声文字とする説もあるが、

「去」には二種類の字が存在する(別字衝突)。甲骨文字では異なる形をしていたが、のち同形になった、

とし、

@会意。「大」+「口」「口を開く」を意味する漢語{呿 /*kh(r)as/}を表す字。のち仮借して「さる」を意味する漢語{去 /*kh(r)as/}に用いる。
「呿」「袪」「阹」「麮」などの /*KA/ 系列の音を持つ形声文字の音符になる、
A「盍」「蓋」の原字。器に蓋をしたさまを象る象形文字。盍の字源は、後述。「劫」「怯」「㧁」「鉣」などの /*KAP/ 系列の音を持つ形声文字の音符になる、

の二説を挙げhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8E%BB、さらに、

「却」「脚」において「去」と書かれる部分は「𧮫」に由来し、上記のどちらとも関係がない、

と、漢字源説を否定し、また、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)では、

「去」が「大」+音符「𠙴」と分析されているが、「𠙴」なる文字の存在は確認されておらず、信頼できない記述である、

と、会意文字とする二説、形声文字とする説の解釈も否定しているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8E%BB

「盍」(漢音コウ、呉音ゴウ)は、

会意文字。去はふたつきのくぼんだ容器を描いた象形文字。盍は、「去+皿」で、皿にがぷりとふたをかぶせたさまを示す、

とある(漢字源)。別に、

「盍」の上部の「去」と書かれる部分が原字で、器に蓋をしたさまを象る象形文字。これに「皿」を加えて「盍」の字体となる。「ふた」を意味する漢語{蓋 /*kaaps/}を表す字。のち仮借して疑問詞の{盍 /*gaap/}に用いる。
「さる」の「去」とは関係がない(別字衝突)。『説文解字』では「血」+音符「大」と分析されているが、これは誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%8D

と、象形文字とし、同じく、

象形。器の上に蓋(ふた)をする形。〔説文〕五上に「覆(おほ)ふなり」と訓し、「血に從ひ、大(だい)聲なり」とするが声が合わず、器蓋全体の象形である。〔段注〕に「覆ふものは必ず下より大なり」と説くが、臆説にすぎない。去の上部は蓋の鈕(ちゆう)(つまみ)の形。「なんぞ」は盍を何不(かふ)の二音によみ、反語とするもので、下に動詞の語を伴う(字通)、

も象形文字としている。

「蓋」(@慣用ガイ・漢音呉音カイ、A漢音コウ、呉音ゴウ)の異字体は、

乢、廅、盖(簡体字/俗字)、篕、葐、葢(同字)、𢅤、𤇁、𤇙、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%93%8B。「覆蓋(フクガイ)」、「遮蓋(シャガイ)」のように、「覆う」意、また「天蓋」のように「ふた」「かさ」の意の場合は、@の音、草ぶきの屋根の意や、なんぞ……せざるという用法の場合はAの音となる(漢字源)。字源は、「けだしくも」で触れたように、

会意兼形声。盍(コウ)は「去+皿(さら)の会意文字で、皿にふたをかぶせたさま。かぶせること。蓋は「艸+音符盍」で、むしろや草ぶきの屋根をかぶせること、

とある(漢字源)。同じく、

会意形声。艸と、盍(カフ)→(カイ)(ふたをする)とから成る。草のふた、ひいて「おおう」意を表す。「盍」の後にできた字。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(艸+盍)。「並び生えた草」の象形と「覆いの象形と食物を盛る皿の象形」(「覆う」の意味)から、「草を編んで作った覆い」、「覆う」、「かぶせる」、「ふた」、「覆い」を意味する「蓋」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2099.html

ともあるが、

形声。「艸」+音符「盍 /*KAP/」。「ふた」を意味する漢語{蓋 /*kaaps/}を表す字。もと「盍」が{蓋}を表す字であったが、「艸」を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%93%8B

形声。声符は盍(こう)。盍は器物に蓋をする形。その声義を承ける。〔説文〕一下に「(とま)なり」とあり、ちがやの類。屋根を蓋うのに用いる(字通)、

と、他は形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ひづつ

 

我妹子(わぎもこ)が赤裳(あかも)の裾のひづつらむ今日(けふ)の小雨(こさめ)に我(わ)れさへ濡れな(万葉集)

の、

ひづつ、

は、

泥がかかる意、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

ひづつ、

は、

漬つ、
泥つ、
沾つ、

とあて(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典・大言海)、

た/ち/つ/つ/て/て、

の、自動詞タ行四段活用で、

泥でよごれる、
泥にまみれる、

という意である(仝上)が、

漬つ、
沾つ

とあて、

びっしょり濡れる、

意の、

ひつ(ひづ)、

と同義ともあり(大言海)、

水ににつかる、
ぬれる、

意もある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。たとえば、

玉垂(たまだれ)の越智(をち)の大野(おほの)の朝露に玉裳(たまも)はひづち夕霧に衣は濡れて草枕(萬葉集)、

と、

埿打(ひづち)、

と表記しているように、

ヒヂ(泥)ウツ(打)の約(岩波古語辞典)、
一説に、「泥(ひじ)」と「打つ」の複合語で、泥でよごれる(精選版日本国語大辞典)、

で、

ひづつ、

に、

泥打つ、

とも当てる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)が、この和歌の意は、

泥にまみれる、

というより、

濡れる、

意で使われている。

ひつ

は、

漬つ、
沾つ、

と当て(広辞苑)、

室町時代まではヒツと清音、

で(岩波古語辞典)、江戸期には、

朝露うちこぼるるに、袖湿(ヒヂ)てしぼるばかりなり(雨月物語)、

と、

ひづ、

と濁音化した(デジタル大辞泉)。

奈良時代から平安時代初期は、

相思はぬ人をやもとな白たへの袖(そで)漬(ひつ)までに哭(ね)のみし泣かも(万葉集)、

と、

四段活用、

であった(岩波古語辞典)が、平安中期に、

袖ひつる時をだにこそなげきしか身さへしぐれのふりもゆくかな(蜻蛉日記)、

と、四段活用から、

上二段活用、

になった(大言海・精選版日本国語大辞典・仝上)とされる。この他動詞、

ひつ、

は、

手をひてて寒さもしらぬいづみにぞくむとはなしにひごろへにける(土佐日記)、

と、

下二段活用、

で、

水につける、
ひたす、
ぬらす、

意である(仝上)。なお、

ひたす(漬・沾・浸)、

については触れた。

ひぢ、

は、

和名類聚抄(931〜38年)に、

泥、比知利己(ひぢりこ)、一に云ふ、古比知(こひぢ)、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

泥、ヒヂ、ヒヂリコ、コヒヂ、

華厳経私記音義(12世紀末)に、

泥、比地乃古、

等々とあるように、

どろ、

の意で、


埿、

とあて(デジタル大辞泉)、

漬土(ひぢつち)の略か、

とある(大言海)ように、

水がまじってやわらかくなった土、

をいい、

粒子は砂よりも細かく、大きさによりシルトと粘土とに分ける、

とある(デジタル大辞泉)。で、

埿土、此をば于毗尼(うひぢ)といふ(日本書紀)、

の、

ウヒヂ(泥土)、

は、

埿泥(ウキヒヂ)の略、

数ならぬみくり(=水草ノ名)や何の筋なればうきにしもかく根をとどめけむ(源氏物語)、

の、

ウキ(埿)、

は、

水に浮(うき)の意にもあるか、

とある(大言海)ように、

埿、
浮、

とも当て(精選版日本国語大辞典)、

水分を多く含んだ泥深き地、

つまり、

埿泥(ウキヒヂ)、

即ち、

ウヒヂ(泥土)、

のことである(大言海)。

あやめ草人にもたゆと思ひしは我身のうきに思ふ成りけり(「小町集(9C後)」)、

と、歌では、多く、

憂き、

掛けて用いられる(精選版日本国語大辞典)。

袖濡るるこひぢと且は知りながら下(お)り立つ田子のみづからぞ憂き(源氏物語)、

と、

コヒヂ(泥)、

は、

「こ」は接頭語(精選版日本国語大辞典)、

という説もあるが、

濃泥(こひぢ)の義(大言海)、

の説もあり、やはり、

どろ、

の意で、和名類聚抄(931〜38年)に、

泥、古比千(こひぢ)、

とあり、多く、歌では、

恋路、

にかけて使われる(岩波古語辞典・大言海)。

たたぜ足をひぢりこにする思ひのみあり(海道紀)、
馬能く抜けて埿(ヒチリコ)を出づ(日本書紀)、

などとある、

ヒヂリコ(泥)、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

泥、土和水也、比知利古、一云古比千、

とあり、

どろ、

の意である。なお、日本書紀の、

埿土煑尊(ういじにのみこと)、

というと、

沙土煑尊(すいじにのみこと)、

とともに、

天地が泥や砂のまじった混沌とした状態のときにとともに生まれた神、

だが(『古事記』では、宇比地邇神、須比智邇神)、それぞれ、

砂、

泥、

の意で、泥や砂が神格化されたものとみられる(デジタル大辞泉)。

「泥」(漢音デイ、呉音ナイ)は、

会意兼形声。尼(ニ)は、人と人とが体を寄せてくっついたさまを示す会意文字。泥は「水+音符尼」で、ねちねちとくっつくどろ、

とあり、

埿、

は、泥の異体字とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(氵(水)+尼)。「流れる水」の象形と「人の象形と人の象形」(「人と人とが近づき親しむ」の意味)から、「ねばりつくどろ」を意味する「泥」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1992.html

と会意文字とするものもあるが、他は、

形声。水と、音符尼(ヂ)→(デイ)とから成る。どろ水・どろ土の意を表す(角川新字源)

形声。声符は尼(じ)。〔説文〕十一上に川の名とするが、字は汚泥の意。〔釈名、釈宮室〕に「泥は邇(ちか)きなり。邇近なり。水を以て土に沃(そそ)ぎ、相ひ黏近(でんきん)せしむるなり」とあり、邇近・黏近の意があるという。尼は人の後ろより接する形で、親昵(しんじつ)する意があり、泥の黏着する性質よりして、尼声を用いるのであろう(字通)、

と、形声文字としてといる。

「埿」(漢音デイ、呉音ナイ)は、

泥、

の異体字で、

ハン、

とも訓ます(漢字源)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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みもろ

 

みもろのその山なみに子らが手を巻向(まきむく)山の継ぎのよろしも(柿本人麻呂)

の、

みもろ、

は、

神の降臨する、土地の盛り上がったところ、

をいい、ここは三輪山なのである(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。また、

みもろつく三輪山見ればこもりくの泊瀬の檜原(ひはら)思ほゆるかも(万葉集)、

の、

みもろつく、

は、

三輪の枕詞、

みもろつく、

の、

つく、

は、

築く意、

とある(仝上)。

みもろ、

は、

御諸、
三諸、

とあて(広辞苑)、

みむろ、

ともいい(学研全訳古語辞典)、

神の鎮座するところ、
神木、神山、神社(広辞苑)、
鏡や木綿をかけて神をまつる神座(かみくら)、戸外にも家の中にもつくる(岩波古語辞典)、
神籬(ヒモロギ)に同じ、神の坐す處と祀る森、或は榊などを立てて祀る。後に、御室(みむろ)として神社とす。家にて神を祭る地に、小柴をたてたりなどしたるもの(大言海)、
神が降臨して宿る神聖な所。
磐座(いわくら)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社(学研全訳古語辞典)、
神の降臨する場所(デジタル大辞泉)、
「み」は接頭語、神が降臨して依り付くところ。鏡や木綿(ゆう)をかけて神をまつる神座や、木・山・神社など(精選版日本国語大辞典)、

の意で、いわば、

神の降臨する場所、

をいい、

木綿(ゆふ)懸けて祭るみもろの神さびて斎(い)むにはあらず人目多みこそ(萬葉集)、

と、

屋外のものだけでなく、室内に設えたりするものもいう。この、

みもろ、

の由来は、

ミは接頭語、モロはモリ(杜)と同根、神の降下してくる所(岩波古語辞典)、
ヒモロギの略転、ひそか、みそかの類。大和の三輪を云ひ、又、飛鳥、龍田をも云ふ、
かんなびのミモロは、神(カン)の杜(もり)の御杜(みもり)なり、御杜木はヒモロギを云ふ。此のヒモロギが、後にミムロと転じたるなり、かかれば後世、建物出来て、神社の奥殿を室(むろ)是れなり(大言海)、

等々とある。なお、

三輪山、

は、

三諸山(みもろやま)、

ともいい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1、三輪山の西麓にある、大物主大神を祀る、

大神神社(おおみわじんじゃ)、

は、

三輪山を神体山として扱っており、山を神体として信仰の対象とするため、本殿がない形態となっている。こうした形態は、自然そのものを崇拝するという特徴を持つ古神道の流れに大神神社が属していることを示すとともに、神社がかなり古い時代から存在したことをほのめかしている、

とある(仝上)。

ひもろぎ(神籬)

は、古くは、

ひもろき、

と清音、和名抄に、

神籬、比保路岐、

とある。

神霊が宿っていると考えた山・森・老木などの周囲に常盤木(ときわぎ)を植えめぐらし、玉垣で囲んで心性を保ったところ、後には、室内・庭上に常盤木を立て、これを神の宿るところとして神籬と呼んだ。現在、普通の形式は、下に荒薦(あらむしろ)を敷き、八脚案(やつあしのつくえ)を置き、さらに枠を組んで中央に榊の枝を立て、木綿(ゆう)と垂(しで)とを取り付ける、

とあり(広辞苑)、

神の降下を待つところとして作るもの(岩波古語辞典)、

つまり、

神祭りをするにあたり、神霊を招くための憑坐(よりまし)、依代(よりしろ)、

なのである。また、

古代祭祀、また現在でも地鎮祭などでは社殿がなく、その神祭りの場合のみ神霊の降臨を願うとき、神霊の宿り坐(ま)す神聖な場、またそのしるしが必要となるが、それのこと。『日本書紀』天孫降臨の条に、天児屋命(あめのこやねのみこと)・太玉(ふとだま)命に天津(あまつ)神籬を持ち降臨、皇孫のため奉斎せよと勅されたとあり、同じく垂仁天皇の条に、新羅の王子天日槍(あめのひぼこ)が持ちきたった神宝のなかに熊(くまの)神籬一具とあるのをみると、神祭りをするための祭具をさして称することがすでに古くあったかとみられる、

とあり(日本大百科全書)、日本書紀に、

吾(高皇産霊尊)は則ち天津神籬及天津磐境(いわさか)を起樹(おこした)てて、当に吾孫の為に斎ひ奉らむ、

ともある。ただ、古代、

神をめぐる空間の構造、

を、

磐座(いわくら)

神籬(ひもろぎ)

磐境(いわさか)、

と区別されていて、日本書紀では、

天孫の座を磐座と呼び、神体・依代(よりしろ)・神座の意に、神籬は柴垣・神垣の意に、磐境は結界・神境の意に用いている、

ともある(世界大百科事典)。これによれば、

磐座(いわくら)→神籬(ひもろぎ)→磐境(いわさか)、

と、

磐座を中心とした祭祀場で、「いわくら」を囲む、

神籬、

さらに、そこを神聖清浄な場所として保存する「神域」を限る、

磐境(いわさか)、

がある。

さか、

とは、

神域との境であり、禁足地の根拠は「神域」や「常世と現世」との端境を示している。つまり磐境は、石を環状に配置した古代の遺跡であるストーンサークル(環状列石)と同じもので、そこを神聖清浄な場所として保存するための境界石を人工的に組んで結界を形成して「神域」を示している、

のではないか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E5%BA%A7。古代、

神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時はその時々に神を招いて執り行った。その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、古くはその場所が神籬と呼ばれた、

とある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%AC。「神籬」と当てた時、「籬」は竹や柴で作られた垣根を意味するので、書紀の時代には、「場所」を指していた意味が、「場所」を限る「垣」に意味が変わっている可能性がある。こうみれば、ほぼ、

ひもろぎ、

が、

みもろ、

と重なるとみていい。

みもろ(御諸)つく、

は、枕詞として、

三輪山(みわやま)、
鹿背山(かせやま)、

にかかるが、そのいわれは、

「つく」は「築く」。一説に「斎いつく」、その山に神を祭る意から、(デジタル大辞泉)、
「御諸」を築く意で、神をまつった場所の名、「鹿背(かせ)山」および「三輪(みわ)山」にかかる。一説に「御諸斎(いつ)く」で、御諸を斎き奉る所の意からかかる(精選版日本国語大辞典)、
ツクは築く意か。一説、イツク(斎)の約、「三輪山」「鹿背(かせ)山」にかかる「(広辞苑・岩波古語辞典)、
(「みもろづく」の)ヅクは、秋づく、老づくなどのヅクと同趣。ツクは、就く、と為(す)る、為初(なら)そむる、めくの意。老就く、秋就く、夕づく、朝づく、皆同じ、明(あけ)立つ、朝立つ、夕たつ、相似たり(大言海)、

等々とある。一見、大勢の、

築く、

が理屈としてあっているようだが、わざわざそんなことを付加する必要はなく、

就く、

の、

……めく、

の方が語感としても、重複感がなく、妥当に思える。

「諸」(ショ)の異体字は、

诸(簡体字)、𧭷(同字)

とある
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%B8。字源は、

会意兼形声。者(シャ)はこんろに薪をいっぱいつめこんで火気を充満させているさまを描いた象形文字で、その原義は暑・煮などにあらわれている。諸は「言+音符者」で、ひと所に多くのものが集まること。転じて、多くの、さまざまな、の意を示す、

とあり(漢字源)、者、諸の音を借りて「これ」という近称の指示詞をあらわすのは当て字(仝上)とある。同じく、

会意兼形声文字です(言+者(者))。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「台上にしばを集め火をたく象形」(「集まって多い」の意味)から、「もろもろ(多くの)」を意味する「諸」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「これ」の意味も表すようになりました
https://okjiten.jp/kanji920.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「言」+音符「者 /*TA/」。「もろもろの」を意味する漢語{諸 /*ta/}を表す字
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AB%B8

形声。言と、音符者(シヤ)→(シヨ)とから成る。ことば数が多い、ひいて、「もろもろ」の意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

形声。声符は者(しや)。〔説文〕三上に「辯なり」とあり、〔爾雅、釈訓〕「諸諸・便便は辯なり」の訓をとる。「あまねし」の意である。〔段注〕に「辨(わか)つなり」の誤りとし、分別より諸多の意となったという。金文に「者侯」「士」など、者を諸の意に用いる。者は、邑落をめぐらした堵中に、呪禁として埋めた書をいう。その祝禱の辞が種々の呪禁に及ぶので、それを諸というのであろう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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