ひさかたの天の原より生(あ)れ来(きた)る神の命(みこと)奥山の賢木(さかき)の枝(えだ)に白香(しらか)付け木綿(ゆふ)取り付けて斎瓮(いはひへ)を斎(いは)ひ掘り据ゑ竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫(ぬ)き垂れ鹿(しし)じもの膝折り伏して手弱女(たわやめ)の襲衣(おすい)取り懸けかくだにもわれは祈(こ)ひなむ(大伴坂上郎女) は、 神を祭る歌、 とあり、 白香(しらか)、 は、 祭祀用の純白の幣帛か、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 木綿(ゆふ)、 は、 楮(こうぞ)の繊維を白くさらした幣帛、 斎瓮(いはひへ)、 は、 神事に用いる土器、神酒を盛る、 とある(仝上)。 斎(いは)ひ掘り据ゑ、 は、 土を掘って清め据え。土間などを掘って据える、 とあり(仝上)、 手弱女(たわやめ)の襲衣(おすい)取り懸け、 は、 たおやめである私が襲を肩懸けの意か、 とあり(仝上)、 襲、 は、未詳とし、 祭祀用の浄衣か、 とある(仝上)。 竹玉、 は、 たかたま、 と訓ませ、 祭具の一つ。竹の輪切りに似た小円筒状の管玉(くだたま)という、 とある(仝上)。 緒に通した、 とあり(広辞苑)、 たかだま、 とも訓ませる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。 たか、 は、 「たけ」の古形、 で(岩波古語辞典)、 たか、 と訓ませて、 たかむら、 たかはら、 竹取(たかとり)の翁、 のように、 他の語の上に付いて熟語をつくる(仝上)とある。 たかたま(竹玉)、 は、 上述の通り、 細い竹を管玉くだたまのように輪切りにして、ひもで継ぎ合わせたもの、 をいい(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、 神に奉りしものと云ふ、 とある(大言海)ので、神事に用いるが、一説に、 竹につけた玉、 ともある(仝上)。冒頭の歌のように、 竹が呪具=祭器に用いられた、 のは、 そこに神霊が宿ると信じられた、 からともある(世界大百科事典)なお、 タケ(竹)、 については触れた。 「竹」(漢音・呉音チク、唐音シツ)は、 象形。タケの枝二本を描いたもの。周囲を囲む意を含む、 とある(漢字源)。なお、他も、 象形。たけの葉が垂れ下がっているものを象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AB%B9)、 象形。たけが並び生えているさまにかたどり、「たけ」の意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「たけ」の象形から、「たけ」を意味する「竹」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji68.html)、 象形。竹の葉に象る。〔説文〕五上に「冬生の艸なり。象形。下垂する者は箁箬(ほうじやく)なり」とあり、箁箬とは竹苞をいう。字形は竹葉を示すものとみてよい(字通) と、象形文字としている。なお、和名類聚抄(931〜38年)に、 竹 草なり。一に云ふ、草に非ず、木に非ずと。多介(たけ)、 とある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 我がやどに韓藍(からあゐ)蒔(ま)き生(お)ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ(山部赤人) の、 韓藍(からあゐ)、 は、 けいとう、 のことで、 移し染めに用いられた、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、ここでは、 愛する女性の喩、 とある(仝上)。 『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、 韓藍草、加良阿為、 とあるように、 韓藍、 は、 「けいとう(鶏頭・鶏冠花)」の古名、 である(精選版日本国語大辞典・大言海)が、その由来は、 外来の藍の意。その紅色の花汁をうつし染めに用いたところから(精選版日本国語大辞典)、 赤藍(あからあゐ)の上略、葉、藍に似て、花、赤き意なるべし(大言海)、 もともと韓の地から渡って来たので、韓藍の義(東雅・尾崎雅嘉随筆・槻の落葉信濃漫録・万葉集の恋歌=折口信夫)、 韓渡来の藍の意で。呉の藍すなわちクレナヰに対する(時代別国語大辞典−上代編) 葉の形状が、強い辛味のある蓼に似るので、辛藍(アラアヰ)というか(東雅)、 等々諸説あるが、単純に、外来なので、 韓(から渡来の)藍、 でいいのではないか。なお、異説として、 鴨頭草(つきくさ)(=露草(つゆくさ))とする説、 呉藍(くれない)(=紅花(べにばな) )とする説、 などがあるが、上代の用例による、種子をまいて、秋に紅色の花が咲き、うつし染めにするという条件には、露草、紅花ともに合致しない、 とする(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。 韓藍、 は、のちに、 わが恋はやまとにはあらぬからあゐのやしほの衣深く染めてき(続古今和歌集)、 立田川山とにはあれどからあひの色そめ渡る春の青柳(壬二集)、 と、 美しい藍色、 の意でも使うようになる(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。 鶏頭、 は、 ヒユ科の一年草。熱帯アジア原産で、中国を経て、古くに渡来。古くから観賞用に庭園などで栽培されている。鶏冠(とさか)状、球状、羽毛状などの帯化した花序をつけ、茎は直立して条線があり、赤みを帯び、高さ五〇〜九〇センチメートルになる。葉は互生し、卵形あるいは披針形で長さ五〜一〇センチメートルで先はとがる。秋、茎頂に赤、紅、黄、白などの花色の小花を密集してつけ帯化する。高さは、三〇〜九〇センチ、 とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。漢名は、 鶏冠、 からあい(韓藍)、 のほか、 とさかけいとう(鶏冠鶏頭)、 けいとうか(鶏頭花)、 けいかんか(鶏冠花) けいとうげ(鶏頭花)、 などともいう(仝上)。 鶏頭、 の由来は、 形がとさかに似ているところから(俚言集覧・重丁本草綱目啓蒙)、 漢名「鶏冠」を「鶏頭」と誤って言ったもの(中華名物考=青木正児)、 とあるが、ここは形状の類似でいいのではあるまいか。 「韓」(漢音カン、呉音ガン)の異字体は、 㙔(俗字)、韩(簡体字)、𡋶(草書体)、𩏑(本字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%93)。 字源は、 会意兼形声。「韋(なめしがわ)+音符幹(カン かわいて丈夫な板、強い、大きい)の略体」、 とある(漢字源)。 韓藍、 の他、 韓紅(からくれない 唐紅)、 韓衣(からころも 唐衣)、 等々とも使う。ただ、字源は、 形声。「韋」+音符「倝 /*KAN/」。「いげた」を意味する漢語{韓 /*gaan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%93)、 形声。韋と、音符倝(カン、ケン)(𠦝は省略形)とから成る。もと、国名を表した(角川新字源) と、形声文字とする説、 会意。正字は倝(かん)に従い、倝+韋(い)。〔説文〕五下に「井垣なり」といげたの意とし、韋は「其の帀(めぐ)ることを取るなり」というが、韋は韋皮。金文の〔羌鐘(ひゆうきようしよう)〕に韓の字がみえ、その字は韋に従わず、旗竿の象。その旗竿に韋皮を巻くことがあり、韓の字が作られたのであろう。〔段注〕に〔説文〕の文を「井橋なり」とするが、それならば桔槔(きっこう)の意となる(字通)、 と、会意文字とする説に別れる。 「藍」(ラン)は、 形声。「艸+音符監」(漢字源)、 形声。「艸」+音符「監 /*RAM/」。「あい」を意味する漢語{藍 /*raam/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%97%8D)、 形声。艸と、音符監(カム)→(ラム)とから成る(角川新字源)。 形声。声符は監(かん)。監に濫・覽(覧)(らん)の声がある。〔説文〕一下に「を染むる艸なり」とあり、染料として用いる。〔詩、小雅、采緑〕に「終朝に藍を采る」の句があり、〔周礼、地官、掌染草〕の職は、春秋に藍を収めて染人に頒(わか)つことを職掌とした。〔荀子、勧学〕に「出藍」の語がある(字通)、 と、多く形声文字とするが、 会意兼形声文字です(艸+監)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「しっかり見開いた目の象形とたらいをのぞきこむ人の象形と水の入ったたらいの象形」(人が水の入ったたらいをのぞきこむ様(さま)から「鏡に写して見る」、「鏡」、「手本」の意味)から、染料に使用する美しい草「あい」、「あい色」を意味する「藍」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2195.html)、 と、会意兼形声文字とする説がある。。 「鶏(鷄)」(漢音ケイ、呉音ケ)の異字体は、 雞(繁体字)、鷄(旧字体)、鸡(簡体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B6%8F)。 「鶏(鷄)」の字源は、ニワトリで触れたように、 会意兼形声。奚(ケイ)は「爪(手)+糸(ひも)」の会意文字で、系(ひもでつなぐ)の異字体。鶏は「鳥+音符奚」で、ひもでつないで飼った鳥のこと。また、たんなる形声文字と解して、けいけいと鳴く声を真似た擬声語と考えることもできる、 とある(漢字源)。同趣旨で、 会意兼形声文字です(奚+鳥)。「手を下に向けてつかむ象形とより糸の象形と人の象形」(「つながれた人、召し使い」の意味)と「鳥」の象形から、家畜としてつなぎとめておく鳥「にわとり」を意味する「鶏」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji326.html)、 ともあるが、 形声。「鳥」+音符「奚 /*KE/」。「にわとり」を意味する漢語{雞 /*kee/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B7%84)、 形声。鳥と、音符奚(ケイ)とから成る。「にわとり」の意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、 形声。声符は奚(けい)。正字は雞に作り、鷄はその籀文。常用漢字は、その籀文によって鶏を用いる。卜文の字形は鳥に従い、卜文において鳥形を用いるものはおおむね聖鳥とされるものであった。その形は高冠脩尾、鳳(風神)に近い形にしるされている。〔説文〕四上に「雞は時を知る畜なり」とあり、〔周礼、春官、雞人〕はその職を掌る。殷・周の祭器を彝器(いき)といい、銘末に「寶●彝(はうそんい)を作る」というのが例であるが、彝は鶏を羽交いじめにして血を取る形。その牲血を以て器を清めた。奚はその鳴く声。わが国では「かけ」という(字通)、 と、他は形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) いにしへに梁(やな)打つ人のなかりせばここにもあらまし柘(つみ)の枝(えだ)はも(若宮年魚麻呂) の、 柘の枝、 は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 仙柘枝(やまびめのつみのえ)の歌三首、 とあるうちの三首目で、他は、一首目が、 霰(あられ)降り吉志美(きしび)が岳(たけ)をさがしみと草取りかなわ妹が手を取る 二首目が、 この夕(ゆうへ)柘(つみ)のさ枝(えだ)の流れ来(こ)ば梁(やな)は打たずて取らずかもあらむ で、その最後の歌になる。 すべて宴席歌であろう、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』) 仙柘枝(やまびめのつみのえ)の歌、 は、 吉野の漁夫味稲(うましね)が谷川で山桑を拾った、桑の枝は仙女と化して味稲の妻となったという話が伝わる(懐風藻他)。その仙女に関する歌、 とある(仝上)。 柘枝伝説(つみのえでんせつ)、 は、日本の、 神婚伝説、 の一つ、 柘枝仙媛(つみのえやまびめ)と吉野の漁師味稲(うましね)との神婚譚、 で、 柘枝伝、 という書物もあったらしいが、今に伝わらない。上述の万葉集の三首の他、、懐風藻の詩や続日本後紀の歌などの断片的な言及から、およそのプロットは、 大和国吉野川で漁を業とする味稲(うましね)という男が、ある日梁にかかった柘(山桑)の枝を拾い取ったところ美女に変じ、相愛(め)でて結婚した。天女と結婚したことが理由であろうか、その後とがめを受け、ともに毗礼衣(ひれごろも 領巾(ひれ)のついた衣)を身につけて昇天した、 というものである(世界大百科事典)。 また、上述の三首の一首目の歌、 霰(あられ)降り吉志美(きしび)が岳(たけ)をさがしみと草取りかなわ妹が手を取る、 には、 或いは「吉野の人味稲、柘枝仙媛に与ふる歌」といふ。ただし、柘枝伝を見るに、この歌あることなし、 と付記があるが、この歌は、 味稲という漁師が詠んだ歌、 という体裁である。この歌は、逸文肥前国風土記の杵島山の条に春秋に歌垣があり、その歌に、 あられふる杵島が岳を峻(さが)しみと草採りかねて妹が手を取る、 と見え、これは、 杵島曲(きしまぶり)、 という民謡とされ、歌の内容はほぼ類同する。また、『古事記』仁徳天皇条の、速総別(はやぶさわけ)王と女鳥(めどり)王の物語中にも、 梯立(はした)ての倉椅(くらはし)山を嶮(さが)しみと岩かきかねて我が手取らすも、 という類歌がある。これも歌垣の誘い歌系統の笑わせ歌であったと思われ、九州の、 杵島曲、 という歌曲が、歌垣の基本曲として広く流伝していたことが知られる(仝上)とある。 柘(つみ)、 は、後世、 づみ、 といったらしい(精選版日本国語大辞典)が、 やまぐわ(山桑)の古名、 とされ(仝上)、和名類聚抄(931〜38年)に、 柘桑、豆美、 字鏡(平安後期頃)に、 柘、豆美乃木、 とあり、 食(つみ)の義、蠶(蚕)の其葉を食ふものの意という、 とある(大言海)。 山桑(ヤマグワ)、 は、 クワ科の落葉高木。桑の野生種。山地に自生し、広く養蚕用などに栽植される最もふつうなクワの一種。高さ10〜15メートルに達するものもあるが、ふつうは刈り取られて低木状となる。雌葉は卵形で多く三〜五裂し、先端は尾状にとがる。雄異株または同株。春、単性花を穂状につける。果実は楕円形で黒く熟し食べられる、 とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。この別名とされる、 やまぼうし(山法師)、 は、 ミズキ科(APG分類:ミズキ科)の落葉高木。高さ10メートルに達する。幹は灰褐色。葉は対生し、楕円(だえん)形または卵円形で長さ4〜12センチメートル、全縁。花は6〜7月に開き、淡黄色で小さく、多数が球状に集合し、大形の花弁状で白色の総包片が4枚ある。総包片のない大形の散房花序をつける同属のミズキより進化した植物と考えられている。果実は球形で径1〜1.5センチメートル、赤く熟し、食べられる。山地に普通に生え、名は、頭状花序を僧兵の頭に見立て、また白い総包片を頭巾(ずきん)に見立てたもの、 とある(日本大百科全書)。果実が食用となるため、 山に生える桑、 という意味からヤマグワともいわれるが、同名の、 クワ科のヤマグワ、 とはまったくの別種である(仝上)。近縁種に、 ハナミズキ(別名アメリカヤマボウシ)、 がある。 「柘」(シャ)は、 形声。「木+音符石」、 とあり(漢字源)、他も、 形声。「木」+音符「石 /*TAK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%98)、 形声。声符は石(せき)。石に斫(しやく)の声がある。〔説文〕六上に「柘桑なり」とあり、山桑をいう。燧火(すいか)をとるのに用いる(字通)。 形声。木と、音符石(セキ、シヤク)→(シヤ)とから成る(角川新字源)、 とするが、 会意兼形声文字です(木+石)。「大地を覆う木」の象形と「崖の下に落ちている、石」の象形(「石のようにかたいもの」の意味)から、「石のようにかたい木、やまぐわ」を意味する「柘」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2502.html)、 と、会意兼形声文字とするものもある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 倉野憲司訳注『古事記』(岩波文庫) 淡路島磯隠(いそがく)り居ていつしかもこの夜の明けむとさもらふに寐(い)の寝(ね)かてねば(万葉集) の、 いつしかも、 は、 早く夜が明けてほしいというこころ、 とあり、 さもらふ、 は、 容子を窺って寝るに寝られずにいると、 と注釈がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 「さうらふ」で触れたように、 さうらふ(候)、 は、 さもらふ、さむらふ、さぶらふの転、 とされる(大言海)。 さうらふ、 に転訛した、 さぶらふ、 は、 候ふ、 侍ふ、 とあてるが、 さもらふの転。じっとそばで見守り待機する意。類義語ハベルは、身を低くして貴人などのそばにすわる意、 で(岩波古語辞典)、 さもらふ、 は、 「様子を伺い見る」が古い意味である。……主人の側に仕えて、絶えず主人の意向を見守っていたことに発する語である。それが「さぶらふ」となって、貴人の命を伺い待つ意として使われ、やがて、広く丁寧の意を表すのに用いられるようになった、 とある(仝上)。 「居り」「有り」の謙譲語。また丁寧にいう語としても使われた、 が(広辞苑)、丁寧語としては、 奈良・平安時代にはバベル(侍)が使われていたが、次第にサブラフがとって代わった、 とあり(岩波古語辞典)、 鎌倉・室町時代には、男性は「さうらふ」、女性は「さぶらふ」「さむらふ」と使うという区別があった、 (平曲指南抄・ロドリゲス大文典)とある(仝上・広辞苑)。 「さぶらふ」に転訛した さもらふ、 は、 候ふ、 侍ふ、 と当て、 サは接頭語、モラフは、見守る意の動詞モ(守)ルに反復・継続の接尾語フが付いた形、 とある(岩波古語辞典)。そしてこの接尾語「フ」は、 四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す。例えば、「散る」「呼ぶ」といえば普通一回だけ散り、呼ぶ意を表すが、「散らふ」「呼ばふ」といえば、何回も繰り返して散り、呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形のあとに加わって成立したもの。その際の動詞語尾の母音の変形に三種ある。@[a]となるもの。例えば、ワタル(渡)がウタラフとなる。watariafu→watarafu。A[o]となるもの。例えば、ウツル(移)がウツロフとなる。uturiafu→uturofu。B[ö]となるもの。例えば、モトホル(廻)がモトホロフとなる。mötöföriafu→mötöföröfu。これらの相異は語幹の部分の母音、a、u、öが、末尾の母音を同化する結果として生じた、 とある(仝上)。とすると、「モル(守)に反復・継続の接尾語フのついた形」の 「もる+あふ」 つまり、「もらふ」である。で、 守り続ける、 じっと見守る、 というのが原義ということになる(日本語源大辞典)。これに、接頭語「さ(sa)」を付けると、 samöriafu→samörafu→samurafu→saburafu→saurafu、 といった転訛になろうか。ただ、大言海は、この、 さ、 は、 万葉集の歌に、佐守布(サモラフ)とあり(遣る、やらふ)、或いはまもらふ(守)と通ずるか(惑す、まどはす)。サは、側の約か(多蠅(ははばへ)、サバヘ)。側にいて、目を離さず候(ウカガ)ひ居る意なり、 と、 「そば」の意、 とする。「もる」は、 守る、 と当て、 固定的に或る場所をじっと見る意。独立した動詞としては平安時代にすでに古語となり、多く歌に使われ、一般には、これの上にマ(目)を加えたマモルが用いられるようになった、 とある(岩波古語辞典)。つまり、「もる」には、 見守る、 意はあるが、「そば」と特定する意味はない。とすれば、「さ」は、単なる接頭語とはいえず、 さもらふ、 の、 さ、 は、大言海の言うように、 側、 の意があったと考えるべきではあるまいか。「サモラフ」の原義は、 相手の様子をじっと窺うという意味であったが、奈良時代には既に貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つという意味でも使用されていた、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)。「さ」がついて、はじめて「傍らに」の意味が出てくるのではあるまいか。 さもらふ、 から、 さもらふ ↓ さむらふ ↓ さぶらふ ↓ さうらふ、 ↓ さうろ、 ↓ そろ、 と音がつまるようになり、活用形が欠けて来て用いにくくなり、室町時代からは「まゐらする」が「候ふ」に代わって次第に広く使われ始め、「候ふ」は、文章語、書簡体のための用語となった、 ということになる(岩波古語辞典)。 「サムライ」で触れたが、「さむらい(侍・士)」は、 サブラフの転、 であり、 主君のそば近くに仕える、 意から(岩波古語辞典)、その人を指した。 平安時代、親王・摂関・公卿家に仕え家務を執行した者、多く五位、六位に叙せられた、 つまり、 地下人、 である。因みに、 地下人、 とは、本来は 殿上人、 の対語で、 昇殿を許されない官人をさし、通常六位以下の者、 をいうが、平安時代以後、家格の固定化により公家の、 堂上(とうしよう)、 に対して 農民を中心として武家を含む、公家以外の人びと、 の称呼となった(旺文社日本史事典)とある。 主君のそば近くに仕える、 つまり、 サブラフ、 意から、さらに、 武器をもって貴族まったく警固に任じた者。平安中期、禁裏滝口、院の北面、東宮の帯刀などの武士の称、 へ、いわゆる、 サムラヒ、 へと特定されていく。とすると、 samöriafu→samörafu→samurafu→saburafu→samurafi といった転訛であろうか。「サムライ」は16世紀になって登場した比較的新しい語形であり、 鎌倉時代から室町時代にかけては、 サブライ、 平安時代には、 サブラヒ、 とそれぞれ発音されていた。 サブラヒ、 は動詞「サブラフ」の連用形が名詞化したものであるとあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)、 サブラフ、 は、 「侍」の訓としても使用されている、 のであり、 平安時代にはもっぱら貴人の側にお仕えするという意味で使用されていた。「侍」という漢字には、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味があるが、武士に類する武芸を家芸とする技能官人を意味するのは日本だけである、 とある(仝上)。つまりは、 サモラフ→サムラフ→サブラフ→サブラヒ→サムラヒ、 と、途中から、「さうらふ」とは別れて、転訛していったことになる(日本語源広辞典)。 『初心仮名遣』には、「ふ」の表記を「む」と読むことの例の一つとして「さぶらひ(侍)」が示されており、室町期ころから、「さふらひ」と記してもサムライと発音していたらしい。一般的に「さむらひ」と表記するようになるのは、江戸中期以降である、 という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。ちなみに、活用ば、いずれも同じで、 さもらふ(候ふ・侍ふ)、 は、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、 の自動詞ハ行四段活用、 さぶらふ (侍ふ・候ふ)、 さむらふ(候ふ・侍ふ)、 は、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、 の自動詞ハ行四段活用、 さうらふ(候ふ)、 は、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ の自動詞ハ行四段活用で(学研全訳古語辞典)。 「候」(漢音コウ、呉音グ)は、「さうらふ」で触れたように、 会意兼形声。侯の右側は、たれた的(まと)と、その的に向かう矢との会意文字で、的をねらいうかがう意を含む。侯は、弓矢で警護する武士。転じて、爵位の名となる。候は「人+音符侯」で、うかがいのぞく意味をあらわし、転じて身分の高い人の機嫌や動静をうかがう意となる、 とあり(漢字源)、「斥候」の「うかがう」意であり、「候門」のように「待つ」意であり、「時候」のように「きざし」の意であるが、身分の高い人の傍近くに仕えて機嫌をうかがう意の「さぶらふ」意でもある(仝上)。別に、 会意形声。人と、矦(コウ)(は変わった形。うかがう、まと)とから成り、「うかがう」意を表す。「侯」の後にできた字(角川新字源)、 会意兼形声文字です(人+矦)。「横から見た人」の象形と「まとをうかがい矢を放つ」象形(「うかがう」の意味)から、人が「うかがう」を意味する「候」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji619.html)、 と、会意兼形声文字とするものもあるが、 形声。「人」+音符「侯 /*KO/」。「まつ」を意味する漢語{候 /*g(r)oos/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%80%99)、 形声。声符は矦(こう)。矦は候の初文。矦の初形は𥎦に作り、矢を放って儀礼の場を祓うことを意味した。すなわち侯禳(こうじよう)の意で、辺境を祓禳するものを侯という。侯が五等の爵号となるに及んで、新たに動詞として候が作られた。〔説文〕八上に「伺望するなり」とあって、候望の意。ときをまつ意より、時候・気候の意となる(字通)、 と形声文字とするものもある。なお。 異体字は、 𠊱(同字)、𠋫(同字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%80%99)。 「侍」(漢音シ、呉音ジ)は、 会意兼形声。寺は「寸(手)+音符之(シ 足)」の会意兼形声文字で、手足を動かして雑用を弁じるの意。身分の高い人の身辺を世話する人を古く寺人と称したが、のち寺人の寺は、役所や仏寺に転用されたため、侍の字がその原義を表すようになった。侍は「人+音符寺」、 とある(漢字源)が、他は、 形声。「人」+音符「寺 /*TƏ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%8D)、 形声。人と、音符寺(シ、ジ)とから成る(角川新字源)、 形声文字です(人+寺)。「横から見た人」の象形と「植物の芽生えの象形(「止(シ)」に通じ(同じ読みを持つ「止」と同じ意味を持つようになって)、「とどまる」の意味)と手の象形」(「役所」の意味だが、ここでは、「止(シ)」に通じ、「立ち止まる」の意味)から、「目上の人の近くにとどまって奉仕する人」を意味する「侍」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1668.html)、 形声。声符は寺(じ)。寺に侍の意がある。〔説文〕八上に「承くるなり」とあり、尊長の人に仕えて、その意を承けることをいう。金文には「大室に彳+止(じ)す」のように彳+止を用い、神に侍する意。〔論語、先進〕「閔子(びんし)(孔子の弟子)側に侍す」、〔礼記、曲礼上〕「先生に侍坐す」のように近侍すること。侍講・侍従のように、宮中の諸職に用いることが多い(字通)、 と、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 鳥総(とぶさ)立て足柄山に船木伐(ふなぎき)り木に伐り行きつあたら船木を(万葉集) の、 舟木、 は、 評判の美女の譬え、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 木に伐り行きつ、 は、 ただの木として男が切っていった、 のは、 人妻になったことの譬え、 と注釈する(仝上)。上述の、 鳥総(とぶさ)、 は、 山の神を祭るために鳥総(梢の枝葉のついた部分)を切株の上に立てる、 とある(仝上)。 鳥総、 は、 朶、 とも当て、 朶立(とぶさたて)にて、材を割り裂く器の名かと云ふ、 とあり(大言海)、 鐇(たつき)、 ともいう(大言海)とある。「たつき」で触れたように、 鐇、 は、 たつぎ、 とも訓ませ、 立削(タツゲ)の転にて、竪に我が方へ削る意かと云ふ、 として、 杣人の用いる手斧の、刃の広き大なるもの、 をいい、 木材を竪に切るもの、 で、横に斬るのを、 よき(斧)、 といい、 横切(よこきり)の約、 で、 をの(斧)の別称、やや小さきもの、 をいう(大言海・広辞苑)。和名類聚抄(931〜38年)に、 斧、與岐、 鐇、多都岐、廣刃斧也、 とある。 木を切る用具から来たとの説もある、 鳥総、 は、 木のこずえや、枝葉の茂った先の部分、 をいい、 昔、樵人が木を切ったあとに、山神を祭るためにその株などに、切った梢を立てた、 とある(広辞苑・デジタル大辞泉・大言海)。その流からか、 鳥総松(とぶさまつ)、 というと、 新年の門松を取り去った後の穴に、その松の一枝を立てておくもの、 をもいう(デジタル大辞泉)。なお、 鳥総立(とぶさたつ)、 で、 霞わけねにゆく鳥もとぶさたつあしがら山をこへぞくれぬる(「壬二集(1237〜45)」)、 と、「足柄山」にかかる枕詞として使うが、これは、冒頭の、 「とぶさ立て足柄山に船木伐り」の歌の意味がわからなくなって、枕詞と誤認して用いたもの、 とある(精選版日本国語大辞典)。 「朶」(慣用ダ、漢音呉音タ)の異体字は、 朵(簡体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%B6)。字源は、 象形。木の枝のたれたさまを描いたもの、 とある(漢字源)が、「万朶花(まんだのはな)」「五朶雲(ごだのくも)」と、花や雲の固まりを数えたり、「耳朶」と耳たぶの意でも使う(仝上)。他も、 象形。先端が垂れ下がった稲穂を象る。「垂れる」を意味する漢語{朶(𥠄) /*toojʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%B6)、 象形。枝先の花が垂れて動く形。〔説文〕六上に「樹木垂るること朵朵たり。木に從ひ、象形。此れ(すい)と同なり」とあり、は穂の秀でる形。朶の上部は秀の下部と同じく花房の形で、秀は穀類の花をいう。その垂れ動くさまが、獣が食を求めて顎(あご)を動かすのに似ているので、食べたいようすをすることを朶頤(だい)という(字通)、 と、象形文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに(市原王) の、 いなだきにきすめる玉、 は、 王の髻(もとどり)の中にだけあるという玉、 と訳注があり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 きすめる、 は、 蔵している、 とも訳され(岩波古語辞典)、 きすむ、 は、 蔵む、 と当て、 ま/み/む/む/め/め、 の、 他動詞マ行四段活用、 で、 縫へる衣を櫃の底にきすみたるが如し。故、伎須美野(きすみの)と曰ふ(播磨風土記)、 と、 大切に物をしまう(岩波古語辞典)、 大切に納める、秘蔵する、隠す(学研全訳古語辞典)、 意である。 いなだき、 は、 イタダキの子音交替形、イハツナ・イハツタの類、 とあり(岩波古語辞典)、 へだたり、へなたり、 の例もあり(大言海)、 いただき、 てっぺん、 の意だが、 便ち八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつ)の御統〈御統、此をば美須磨婁と云ふ〉を以て其の髻鬘(みイナタキ)及び腕(たぶさ)に纏(まき)け(日本書紀)、 と、特に、 頭頂の結髪、 をさす(精選版日本国語大辞典)。 いただき、 は、 動詞「いただく(戴)」の連用形の名詞化、 で、 頂、 戴、 とあてる。 頭(かしら)の上にあり、戴餅(いただきもちひ)など云ふあり。イナダキと云ふは、音通なり(經(わだ)く、わなく。隔(へだた)る、へなる)。頭にいただくより、結髪をも云ふなるべし。説文解字「頂、顚也」、揚子方言「顚、長上也」、爾雅、釋言「顚」疏「謂頂上也」、 とあり(大言海)、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)、和名類聚抄(931〜38年)に、 顚、頂、伊太太支、 とあり、本来、動詞、 戴く、 が、 頭上に載せる、 意であったところから、 かみさへいただきに落(おち)かかるやうなるは(竹取物語)、 と、 頭(かうべ)の上、 頭頂、 また、 頭、 を指した。で、上述のように、 頂上の結髪、 をも指したが、それをメタファに、転じて、字鏡(平安後期頃)に、 山頭、伊太太支、 和名類聚抄(931〜38年)に、 巓、山頂也、以太太木、 とあるように、 彼の菟田(ウダ)の高倉山の巓(イタタキ)に陟(のぼりまし)て(日本書紀)、 駿河の国にあなる山のいただきに(竹取物語)、 と、 山のいちばん高い所、 頂上、 山頂、 の意で用い、さらに、 芝草(しさう)を貢れり。其の状菌(たけ)に以たり。莖長一尺、其の蓋(イタタキ)二囲(いたき)(日本書紀)、 と、 物事のいちばん上の部分、 てっぺん、 や、 欲にはいたたきない者ぞ(玉塵抄)、 と、 物事の限度、 これ以上ないという最高の度合、 極点、 の意でも使う(大言海・精選版日本国語大辞典)。このもとになった、 いただく、 は、 語原、難解也、、先輩の二三の説あれど、採るべくもあらず、 とし(大言海)、強ひて、試みに、牽強説として、 イは発語、タダクは手手上(たたあ)くの約、別く、別くるなど、共に他動にて、二活用あるもあり、濁音の順転もあり、 とした上で、 我ながら失笑す、 と述べている(大言海)。他には、 イタはイタリ(至)・イタシ(致)のイタと同根。極限・頂点の意。ダキは「綰(た)く」で、腕を使って仕事をする意。頭のてっぺんを両手であれこれする意(岩波古語辞典)、 ヒタダク(額抱)の義(日本釈名)、 イタリテイタダクの義(和句解)、 ウナダク(頂抱)に通ず(国語の語根とその分類=大島正健)、 イタダキ(頭上)という所へささぐるところから(俗語考)、 イトタカアゲク(最高出来)の義(日本語原学=林甕臣)、 等々あるが、確かに付会の気味で、どれとも言い難い。ただ、本来、 いただく、 は、 頭上に載せる、 意の普通語であったが、上位者から物をもらう時、同様の動作をしたところから、中世以降、もらう意の謙譲用法が確立した。また、上位者からもらった物を飲食するところから、飲食する意の謙譲用法が生じ、さらに、丁寧用法も派生した、 とある(日本語源大辞典)。 「戴」(タイ)は、 形声。異を除いた、𢦏は、在(ザイ 切りとめる)の原字で、切り止めること。戴はそれに異を音符として添えた字で、じっと頭の頂上に止めておくこと。異の古い音は、タイの音を表すことができた、 とある(漢字源)。他も、 形声。原字(「共」の部分)は物を高く挙げるさま。「いただく」を意味する漢語{戴 /*təəks/}を表す字。周代に音符「戠 /*TƏK/」を加えて「戴」となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%B4)、 形声。意符異(大きな面を頭にのせる)と、音符𢦏(サイ)→(タイ)とから成る。頭にものをのせる、ひいて、あがめたっとぶ意を表す(角川新字源)、 形声文字です。「川の氾濫をせき止める為に建てられた良質の木の象形と握りのついた柄の先端に刃のついた矛の象形」(「災害を断ち切る器具」の意味だが、ここでは、「載(サイ)」に通じ(同じ読みを持つ「載」と同じ意味を持つようになって)、「載せる」の意味)と「人が鬼やらいにかぶる面をつけて両手を挙げている」象形から、人が鬼やらいにかぶる面を頭にのせるように「のせる」、「頂く」を意味する「戴」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2189.html)、 形声。音符は𢦏(さい)。𢦏は古くdz tzの声であった。〔説文〕三上に「物を分ちて増益を得るを戴と曰ふ」とあって、頂戴加上の意である。異に分異の意を認める字説であるが、異は鬼頭神異のもので、これを翼戴することを戴という。𢦏には、呪飾を加えて聖化する意がある(字通)、 と、解釈は異にするが、いずれも形声文字とする。 「頂」(漢音テイ、呉音チョウ)は、 会意兼形声。「頁(あたま)+音符丁(直線がてっぺんにつかえる、てっぺん)」。胴体の直線が直角につかえる脳天、 とある(漢字源)。同じく、 会意兼形声文字です(丁+頁)。「上からみた釘(のちに横から見た釘の象形に変化)」の象形と「人の頭部を強調した」象形から、「頭の最上部」、「いただき」を意味する「頂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1014.html)、 と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、 形声。「頁」+音符「丁 /*TENG/」。「あたま」を意味する漢語{頂 /*teengʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%82)、 形声。頁と、音符丁(テイ)とから成る。頭の上、ひいて、頭の意を表す(角川新字源)、 形声。声符は丁(ちよう)。丁は釘の平頭のところ。すべて頭頂の平らかな部分をいう。〔説文〕九上に「顚(てん)なり」とするが、顚は顚倒の字。山頂を巓(てん)というので、その意とするのであろう。頂戴は仏教の語である(字通)、 と、形声文字とする。 「蔵」(ゾウ)の異体字は、 䒙(二簡字)、蔵(新字体)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%97%8F)。字源は、 形声。艸は、収蔵する作物を示す。臧(ゾウ)は、「臣+戈(ほこ)+音符爿(ソウ・しょう)」からなり、武器をもった壮士ふうの臣下。藏は「艸+音符臧」で、臧の原義とは関係がない、 とあり(漢字源)、他も、 形声。「艸」+音符「臧 /*TSANG/」。「かくす」「しまう」を意味する漢語{藏 /*dzaang/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%97%8F)、 形声。艸と、音符臧(サウ)とから成る。草でおおいかくす、転じて、しまっておく所の意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、 形声文字です(艸+臧)。「並び生えた草」の象形と「矛(ほこ)の象形としっかり見開いた目の象形」(「倉(ソウ)」に通じ(同じ読みを持つ「倉」と同じ意味を持つようになって)、「かくしてしまう」の意味)から、「かくす・かくしてしまう場所」、「くら」を意味する「蔵」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji965.html)、 形声。旧字は藏に作り、臧(ぞう)声。〔説文新附〕一下に「匿(かく)すなり」と訓する。徐鉉の案語に「漢書に通じて臧を用ふ。艸に從ふは、後人の加ふる所なり」という。〔礼記、檀弓上〕に「葬なる者は藏なり。藏なる者は、人の見るを得ざることを欲するなり」と、葬の義を以て説く。俘囚を祓うときには、死葬の礼を加えることがあるので、臧獲(ぞうかく)の臧の字説として、参考することができよう。藏には古い字形がなく、その艸に従う意を確かめがたい。倉と声義の関係があるようである(字通) と、解釈は異にするが、いずれも形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 大君の和魂(にきたま)あへ(会)や豊国の鏡の山を宮と定むる(手持女王) の、 和魂(にきたま)、 は、後世、 にぎたま、 と濁音化するが、 にぎみたまは王身(みついで)にしたがひて寿命(みいのち)をまもらむ(日本書紀)、 と、 にきみたま(和魂)、 とも訓ませ(岩波古語辞典)、同じとする(デジタル大辞泉)が、 にぎみたま、 は、 和御魂、 とも当て、 温和な徳を備えた神霊、 の意で(岩波古語辞典)、前述の日本書紀の神功皇后のくだりは、 あらみたまは先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ(日本書紀) と続き、 和魂、 は、 荒魂(あらみたま)、 と対で、 物事に対して激しく活動する神霊、 をいう。 みたま、 は、 御霊、 と当て、 神、人の霊を敬いて云ふ語、 で、和名類聚抄(931〜38年)に、 霊、美太萬、一云美加介(みかげ)又用魂魄二字、 とあり、 吾(あ)が主(ぬし)の美多麻(みたま)賜ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げたまはね(万葉集)、 と、 お蔭、 御恩、 といった意味でも使う(大言海)。 あらみたま、 は、 神の御霊の徳用(はたらき)に就いて云ふ語、御霊の時として荒びて外に現し、強暴なるものを打伏せむとしたまふが、即ち、荒御霊なり。御霊が、内に和(にぎ)びて鎮まりましてあるを、和御魂(にぎみたま)と云ふ。又、和御霊の徳用に、二様あり、人の身を守りて幸(さき)くあらしめたまふを、幸御霊(さきみたま)、又幸魂(さきたま)と云ひ、奇(く)しき徳用を以て、事業を成さしめたまふを、奇御霊(くしみたま)と云ふ、 とある(大言海)。つまり、 古く日本人は神の霊魂の作用および徳用を異なる作用を持つ霊魂の複合による、 と考え、 和魂、 は、主として、 神霊の静的な通常の状態における穏和な作用、徳用、 をさし、これに対して、 荒魂、 は、 活動的で勇猛、剛健な作用、 をさしていう(世界大百科事典)。 その作用をおこさせる原動力は個別に存在するものと考えられ、神霊も平常のときには一つの神格に統一され別個のはたらきは見せないが、時と場合に応じて分離し、単独に一個の神格としてはたらくものと信じられたのである。そこで、神をまつるにあたっても、和魂だけをまつる場合も、荒魂だけをまつる場合もある、 とあり(仝上)、上述の、神功皇后は、出兵に際して、 にぎみたまは王身(みついで)にしたがひて寿命(みいのち)をまもらむ、あらみたまは先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ(日本書紀)、 と、 あらみたま、 にぎみたま、 を列記しているし、その、 神功(じんぐう)皇后の〈三韓征伐〉に際して功績があったとされる住吉(すみのえ)神(底筒男命、中筒男命、表筒男命3神の総称)は、和魂が摂津(大阪府)の住吉大社に、荒魂が長門(山口県)の住吉神社にまつられている、 とある(仝上)。また、 あらみたま、 は、 死者と死霊の中間にあり、たたりの可能性があるとされる新霊にも通じる、 とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、これは、 疫神(ヤクジン)の神霊、又は、死者の怨霊(ヲンリヤウ)(疫神となりたる)の敬称、 である、 をごりょう、 と訓ませる、 御霊、 につながる。この、 御霊、 については、「御霊会」で触れた。因みに、 和魂、 をわこん、 と訓ませると、 やまとだましい、 の意となる(精選版日本国語大辞典)。 「和」(にぎ)で触れたように、 和魂(にぎみたま)、 の、 にぎ、 は、 和、 熟、 と当て、 にき、 と訓んだが、中世以降、 にぎ、 と訓む。 和魂(にぎたま)、 の、 にき、 は、 ニコと同根、 として(広辞苑)、 「おだやかな」「やわらかな」「こまやかな」「精熟した」などの意を表す、 とする(仝上)。 荒(あら)、 が対で、動詞化すると、 にき(和)び、 で、 和らぐ、慣れ親しむ、 という意味になる。対は、 あら(荒)ぶ、 になる。因みに、 にきび(面皰)、 は、かつて「にきみ」といったが、 ニキはニキ(和)と同根、 とある(岩波古語辞典)。 にきたえ(へ)、 は、 和妙、 和栲、 和幣、 と当てるが、 古く折目の精緻な布の総称、また、うって柔らかく曝した布、 の意で、対は、 荒妙(荒栲)、 になる。 神に供える麻布をぎたへ(和栲)といったのが、たへ(t[ah]e)の縮約で、にぎて(和幣)になった、 とある(日本語の語源)。因みに、 にこ、 は、 和、 柔、 と当て、「にき」と同じく、 荒(あら)、 と対で、 体言に冠して「やわらかい」「こまかい」の意を表す、 穏やかに笑うさま、 とある(広辞苑)。 前者の「やわらかい」「こまかい」の意の「にこ」は、 にこ毛、にこ草、 等々と使う。後者の、「穏やかに笑う」意の「にこ」は、 にこと笑う、 の「にこ」である(仝上)。 大言海は、「にぎ」の項として、 和(なぎ)に通ず。荒(あら)の反、 とし、 柔飯(にぎいひ)、 塾蝦夷(にぎえみし)、 和稻(にぎしね)、 和炭(にぎずみ)、 等々と並べるが、 和稻(にぎしね)、 とは、 籾をすりさった米、 の意で、 抜穂の荒稻(あらしね)、 が対である。因みに、 にぎはひ、 は、 賑はひ、 と当てるが、語源は、 ニギ(和)+ハフ(延ふ)、 で、 和やかな状態が打ち続き、盛んになる、 意であり、 にぎやか、 も、 賑やか、 と当てるが、語源は、 ニギ(和)+やか(形容動詞化)、 で、 和やかで、豊かで活気がある状態の形容動詞、 である(日本語源広辞典)。 にき・にこ(和)の反対の、 荒(あら)、 は、 アラカネ(鉄)・アラタマ(璞)・アラト(磺)などのアラで、物が生硬で剛堅で、烈しい意を表す、 とある(岩波古語辞典)。また、 荒(あら)、 は、 粗、 とも当てるが、その場合は、 こまか(濃・密)の対。アラアラ(粗・略)・アラケ(散)・アライミ(粗忌)・アラキ(粗棺)などのアラ。物が、バラバラで、粗略・粗大である意を表す。母音交替によってオロに転じ、オロカ・オロソカのカタチでも使われる、 とあり(仝上)、こう注記がある。 (粗と荒は)起源的に別であったと思われるが、後に混用され、次第に「荒」の一字で両方の意味を表すようになった、 と。しかし、そうではないのではないか。元々和語では、 あら、 という表現しかなく、漢字によって、荒と粗を区別することを知ったが、意味に無理があり、混淆した、と見るべきではないか。だから、「あら」と言っている限り、 粗いの「あら」 も、 荒っぽいの「あら」、 も区別がつかない。前述した、 にきたえ(へ)(和妙、和栲)、 の反対は、 荒妙(荒栲)、 つまり、この場合、荒々しいではなく、粗いを指す。両者の区別はとうについていない。このあたりは、 あらたま、 で触れたことと重なるが、 和名類聚抄(平安中期)には、 璞、阿良太万(あらたま)、玉未理也、 とある。この場合の、 あら、 は、 粗、 荒、 と当てる、 あら、 で、 柔き、 和(にご・にき)、 に対し(大言海・岩波古語辞典)、 アラカネ(鉄)・アラタマ(璞)アラト(硫)などのアラ、 で、 物が生硬・剛堅で、烈しい意、 を表すので、 剛(こわ)き、 意で、 毛の荒物、毛の和物(ニゴモノ)、 荒炭、和炭(ニゴスミ)、 と対比して使ったり、烈しい意で、 荒御霊(アラミタマ)、和御霊(ニギミタマ)、 と対比して使い、さらには、そこから広げて、 荒波、荒海、 等々と使う(仝上)。しかし、 あら、 には、いまひとつ、 こまか(濃・密)、 に対し(岩波古語辞典)、 アラアラ(粗・略)・アラケ(散)・アライミ(粗忌)・アラキ(粗棺)などのアラ、 で、 物がばらばらで、粗略・粗大である意を表す、 あら、 があり、この「あら」は、 母音交替で「オロ」と転じ、「オロカ」「ワオロソカ」の形で使われる(岩波古語辞典)、 とある。 「荒」のあら、 と、 「粗」のあら、 は、 起源的に別であったかと思われるが、後に混用され、次第に「荒」一字で両方の意味を示すようになった(仝上)、 のは前術したとおりであるある。この、 あら、 が、 あらたま、 として、 「年」「月」「日」「夜」「春」、 にかかり、 あらたまの年、 で、 新年、 新春、 の意で使われる。これは、 枕詞「あらたまの」が、「年」「春」等々に冠せられ、「あらたまの年」「あらたまの春」ともちいられているうちに、「あらたま」だけで、「春」や「年」の意を表すに至った、 ものとされる(岩波古語辞典)。しかし、この、 あらたま、 の、 あら、 は、上述の、 荒、 粗、 の、 あら、 とは、意味が違い過ぎる。あるいは、由来を異にするのではないか。 (江戸中期)『万葉代匠記』(契沖著、『万葉集』の注釈・研究書)、総釋枕詞、あらたまの「あらたまるなり」(谷(はさま)も、挟(はさま)るなるべし)、此語原説、殊に平易なるをおぼゆ、然れども、語原を枕詞としたる例もなきやうなれば、強ひて、云ひがたし。尚、考ふべし。新閨iアラタマ)と云ふ説もあれど、間と云ふ意、落ち着かず。此外にも諸説あれど、皆理屈に落つ、 とある(大言海)ものの、 あらたまる、 は捨てがたい。 あらたま、 に、 新玉、 と当てるのは、 新しい、 意の、 あらた(新)、 からきている。 「あたら」で触れたように、 あらたし、 は、 あらた(新)の形容詞形、 つまり、 あらたを活用した、 もので、 平安時代以後、アタラシ(可惜)と混同を起こしたらしく、アタラシという形に変わった。ただし、可惜の意のアタラシと新の意のアタラシとのアクセントば別で、アタラシ(新)の第一アクセントは、アラタ(新)の第一アクセントと一致していた、 とある(岩波古語辞典)。つまり、状況依存の、口語では、 あたらし(可惜)、 と あたらし(新)、 とは区別されていたが、書き言葉の中では区別がつかなくなっていった、ということなのだろうか。日本語源大辞典は、 アラタシからアタラシへの変化は、音韻転倒の典型的な例として引かれることが多いが、変化の説明はなお考慮すべき点がある。まず、アクセントのうえでは区別できるものの、「惜しい」の意の形容詞「アタラシ」と同形となり、一種の同音衝突となる点をどのように考えるかが問題となる。さらに、同根の類語アラタナリ・アラタムとの類似が薄まるために起こりにくくなるはずの変化が、どうして起こり得たかを明確にする必要がある、 と、述べている。確かに、 あらた(新)なり、 あら(新)た、 はそのまま生きているのである。憶説にすぎないが、この、 あら(新)、 と、 あら(荒)、 とが混用されてしまったのではあるまいか。意味からいえば、 あら(新)、 が、 あらたま(新玉)、 とつながる方が自然なのではないかという気がしてならない。なお、 たま(魂・魄)、 魂魄、 については触れた。 「和」(漢音カ、呉音ワ、唐音オ)の異体字は、 秩A龢 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8C)。字源は、 会意兼形声。禾は粟の穂のまるくしなやかに垂れたさまを描いた象形文字。窩(カ まるい穴)とも縁が近く、かどだたない意を含む。和は「口+禾(カ)」、 とある(漢字源)が、 会意。禾(か)+口。禾は軍門の象。口はꇴ(さい)、盟誓など、載書といわれる文書を収める器。軍門の前で盟約し、講和を行う意。和平を原義とする字である。〔説文〕二上に「相ひ應(こた)ふるなり」(段注本)と相和する意とするが、その義の字は龢(わ)、龠(やく)(吹管)に従って、音の和することをいう。〔周礼、夏官、大司馬〕「旌を以て左右和(くわ)(禾)の門と爲す」の〔鄭注〕に「軍門を和と曰ふ。今、之れを壘門(るいもん)と謂ふ。兩旌を立てて以て之れを爲す」とあって、のち旌を立てたが、もとは禾形の大きな標木を立てた。のち華表といわれるものの原形をなすもので、華表はのち聖所の門に用いられる。金文の図象に、左右に両禾相背く形のものがある。〔戦国策、魏三〕「乃ち西和門を開きて、〜使を魏に通ず」、〔斉一〕「交和(かうくわ)して舍す」のようにいう。のち桓(かん)の字を用い、〔漢書、酷吏、尹賞伝〕「寺門の桓東に瘞(うづ)む」の〔注〕に引く「如淳説」に、その制を説いて、「舊亭傳(駅)は四角の面百歩に、土を四方に築き、上に屋有り。屋上に柱の出づる有り。高さ丈餘。大板(版)有り、柱を貫きて四出す。名づけて桓表(くわんへう)と曰ふ。縣の治する所、兩邊を夾(はさ)みて各一桓あり。陳・宋の俗言に、桓の聲は和(くわ)の如し。今猶ほ之れを和表(くわへう)と謂ふ」とみえ、両禾軍門の遺制を伝えるものであろう。調和の意は、龢字の義であるが、いま和字をその義に用いる(字通)、 と、会意文字とする説もある。ただ、 会意文字とする説があるが、これは誤った分析である、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%92%8C)、他は、 形声。「口」+音符「禾 /*KOJ/」[字源 1]、「龢」の偏を入れ替えた異体字。「調和する」を意味する漢語{和 /*gooj/}を表す字(仝上)、 形声。口と、音符禾(クワ)とから成る。人の声に合わせ応じる、ひいて、心を合わせて「やわらぐ」意を表す(角川新字源)、 形声文字です。「口」の象形と「穂先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味だが、ここでは、「會(か)に通じ、「会う」の意味)から、人の声と声が調和する「なごむ」を意味する「和」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji45.html)、 と、形声文字とする。 「魂」(漢音コン、無呉音ゴン)の異体字は、 䰟、䲰、𠇌、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AD%82)。字源は、たま(魂・魄)で触れたように、 会意兼形声。「鬼+音符云(雲。もやもや)」、 とあり(漢字源)、雲と同系で、「もやもやとこもる」意を含む、渾(コン もやもやとまとまる)と、非常に縁が近い(仝上)ともある。「たましい」、「人の生命のもととなる、もやもやとして、決まった形のないもの、死ぬと、肉体から離れて天にのぼる、と考えられていた」の意とある(仝上)。 とある(漢字源)。なお、 「魂」は陽、「魄」は陰で、「魂」は精神の働き、「魄」は肉体的生命を司る活力人が死ねば魂は遊離して天上にのぼるが、なおしばらくは魄は地上に残ると考えられていた、 ともある(仝上)。同じく、 会意兼形声文字です(云+鬼)。「雲が立ち上る」象形(「(雲が)めぐる」の意味)と「グロテスクな頭部を持つ人」の象形(「死者のたましい」の意味)から、休まずにめぐる「たましい」を意味する「魂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1545.html)、 ともあるが、他は、 形声。「鬼」+音符「云 /*WƏN/」。「たましい」を意味する漢語{魂 /*wəən/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AD%82)、 形声。鬼と、音符云(ウン)→(コン)とから成る。「たましい」の意を表す(角川新字源)、 と、形声文字とする説、 会意。云(うん)+鬼(き)。云は雲の初文で、雲気の象。人の魂は雲気となって浮遊すると考えられた。〔説文〕九上に「陽气なり」とあるのは、次条の魄字条に「陰~なり」とあるのに対するもので、白とは生色のない頭顱(とうろ)(されこうべ)の形。〔荘子、馬蹄〕に~(神)・魂・云・根を韻しており、云・魂は畳韻の語であった(字通)、 と、会意文字とする説がある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) いにしへにありけむ人の倭文機(しつはた)の帯解き交(か)へて伏屋(ふせや)立て妻どひしけむ勝鹿(かつしか)の真間(まま)の手児名(てごな)が奥つ城(き)をこことは聞けど真木(まき)の葉や茂りたるらむ松が根や遠く久しき言(こと)のみも名のみも我れは忘らゆましじ(山部赤人)、 は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 勝鹿の真間娘子(ままのをとめ)が墓を過ぐる時に、 とあり、東の俗語には、 「かづしかのままのてご」といふ、 と付記がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 倭文機(しつはた)、 は、 日本古来の単純な模様の織物、 と注記がある(仝上)。 倭文(しづ)、 は、「倭文機」や「倭文の苧環」で触れたように、 日本古来の織物の一つで、模様を織り出したもの、 で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。奈良時代は、 ちはやぶる神のやしろに照る鏡しつに取り添へ乞ひ禱(の)みて我(あ)が待つ時に娘子(おとめ)らが夢(いめ)に告(つ)ぐらく(万葉集)、 と、 しつ、 と清音で、後にも、新古今和歌集でも、 それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしつのをだまき、 と、 しつ、 と、 詠われる。 倭文、 は、 古代の織物の一つ、 で、 穀(かじ)・麻などの緯(よこいと)を青・赤などで染め、乱れ模様に織ったもの(広辞苑)、 梶木(かじのき)、麻などの緯(よこいと)を青、赤などに染め、乱れ模様に織ったもの(精選版日本国語大辞典)、 栲(たへ)、麻、苧(からむし)等、其緯(ヌキ 横糸)を、青、赤などに染めて、乱れたるやうの文(あや)に織りなすものといふ(大言海)、 カジノキや麻などを赤や青の色に染め、縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物(デジタル大辞泉)、 等々とあり、多少の差はあるが、 上代、唐から輸入された織物ではなく、それ以前に行われていた織物、 を指している(岩波古語辞典)。で、 異国の文様、 に対する意で、 倭文、 の字を当てた(デジタル大辞泉)といい、 あやぬの(文布・綾布)、 しづはた(機)、 しづり(しつり)、 しづの、 しづぬの、 しとり(しどり)、 しづおり、 等々とも言う。 伏屋、 は、 竪穴住居のような掘立小屋、 の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)で、 伏屋(ふせや)立て、 で、 二人の寝屋を設けて、 の意となる(仝上)。また、 言(こと)のみも、 は、 上に、「その跡はわからないが」を補う、 と注記がある(仝上)。 真野手児名、 は、 真間手児奈、 とも当て、 ままのてこな、 ままのてごな、 とも訓み、 勝鹿(かつしかの)真間娘子(おとめ)、 ともいいう、 下総(しもうさ)国葛飾(かづしか 千葉県市川市真間)に住んでいたという伝説上の少女、 で、万葉集巻三に、冒頭の山部赤人の歌、また巻九に、 鶏が鳴く東(あづま)の国に古(いにしへ)にありけることと今までに絶えず言ひくる勝鹿(かつしか)の真間(まま)の手児名(てこな)が麻衣(あさぎぬ)に青衿着(あをくびつ)けひたさ麻(を)を裳(も)には織り着て髪だにも掻きは梳(けづ)らず沓をだにはかず行けども錦綾(にしきあや)の中に包(つつ)める斎(いは)ひ児も妹(いも)に及(し)かめや望月(もちづき)の足(た)れる面(おも)わに花のごと笑(ゑ)みて立てれば夏虫の火に入るがごと湊入(みなとい)りに船漕ぐごとく行きかぐれ人の言ふ時いくばくも生(い)けらじものを何すとか身をたな知りて波の音のさわく湊の奥つ城(き)に妹が臥(こ)やせる遠き代(よ)にありけることを昨日(きのふ)しも見けむがごとも思ほゆるかも(高橋虫麻呂) と、高橋虫麻呂の歌、巻十四東歌(あずまうた)に、さらに下総の国の歌四首のうちに、 葛飾(かづしか)の真間の手児名をまことかも我れに寄すとふ真間の手児名を 葛飾(かづしか)の真間(まま)の手児名(てごな)がありしかば真間(まま)のおすひ(磯辺)に波(なみ)もとどろに の二首が、手児奈を詠っている。 真間、 は、現在の千葉県市川市真間町に比定され、 真間川沿い、 に位置し(日本大百科全書)、 テコは娘子の方言、ナは愛称の接尾辞(朝日日本歴史人物事典)、 「な」は接尾語、「てこ(手児)」を親しんでいう語(精選版日本国語大辞典)、 とされ、虫麻呂の伝説歌に依ると、 粗末な麻衣に青い襟(えり)をつけ、髪もけずらず沓(くつ)も履かずという貧しい少女だったらしいが、多くの男たちに求婚され、なんとわが身を分別したものか、花の盛りを入江に入水して果てた、 といい、 美少女・男たちの求婚・投身・娘子墓、 という4点で、 菟原処女(うないおとめ)伝説、 と共通点がある(世界大百科事典)とある。 菟原処女(うないおとめ)、 は、 摂津菟原(うはら)郡(兵庫県)の六甲山南麓にすむ菟原処女(うないおとめ)をめぐって血沼壮士(ちぬおとこ)と菟原壮士(うないおとこ)があらそい、処女はふたりの争いをなげいて自殺し、男たちも後を追ったという、 伝説で、高橋虫麻呂、田辺福麻呂(さきまろ)、大伴家持の歌があり(http://viewmanyou.web.fc2.com/091810_otomezuka.html)、真間の手児名、葦原の菟原処女(うないおとめ)などの、 何人かの男性に求婚され、求婚者を避けて自殺したおとめを葬ったと伝える塚、 が、 乙女塚、 処女塚、 として、古くから広く伝えられている(精選版日本国語大辞典)。市川市には、手児奈が水をくんだという、 真間の井、 つぎ橋、 などの伝承地が残されているし、手児奈をまつった、 手児奈霊堂、 もあり、 安産の神さまとして信仰されている(https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1111000020.html)。 真間の手児奈、 には、 人間の男に嫁ぐことのできない巫女のイメージが暗示されている(朝日日本歴史人物事典) 手児名は質素な身なりで井戸で水をくんだり、藻を刈る様子がうたわれることから、手児名は神に仕える女性であると考えられる。そうしたことからみれば、男性からの求婚を受け入れることができないのは神の嫁という性格を示し、同時に神の立場に立つものからみれば、妻問いを受け入れるということになる(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32311)、 と、 巫女、 のイメージがあるようである。ただ、別の説では、 手児奈は舒明天皇の時代の国造の娘で、近隣の国へ嫁いだが、勝鹿の国府と嫁ぎ先の国との間に争いが起こった為に逆恨みされ、苦難の末、再び真間へ戻った。しかし、嫁ぎ先より帰った運命を恥じて実家に戻れぬままとなり、我が子を育てつつ静かに暮らした。だが、男達は手児奈を巡り再び争いを起こし、これを厭って真間の入り江に入水したと伝えられている、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%85%90%E5%A5%88)。この古くから語られていた伝説が、この地に国府がおかれた後、都にも伝播し、万葉集の歌人たちの想像力をかきたてたとされている(仝上)。なお、 真間手児名、 は、後世、 継子(ままこ)いじめ譚と化したらしく、太宰春台《継橋記》には、結婚に反対する継母のせっかんを受けて投身した橋を継橋(ままはし)、井を継井(ままのい)と名づけて継母の悪を懲らしめる記念とした、 とある(世界大百科事典)。 手児名、 は、 手古奈、 とも表記する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%85%90%E5%A5%88)が、 てこな、 てごな、 と訓ませ、 勝鹿の真間の井見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児名し思ほゆ(万葉集)、 と、 愛らしいおとめ、 の意だ(デジタル大辞泉)が、上述したように、 な、 は接尾語、「てこ(手児)」を親しんでいう語(精選版日本国語大辞典)、 手児、 は、 てこ、 てご、 と訓み、 父母の手に抱かれ養い育てられる児。現在でも、山形県庄内地方で幼児の愛称に用いる(精選版日本国語大辞典)、 上代東国方言、いとしい児の意。手に抱かれている児の意からか(岩波古語辞典)、 タヘコ(妙児)の約か(万葉考・大言海)、 テリコ(照子)の略か(大言海)、 母の手の中で育てる意(天野政徳随筆)、 手に抱くほどの義(日本語源=賀茂百樹)、 チコ(霊子)の義で、カムコ(神子)、御子(ミコ)と同じく神裔の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、 カワカホナ(柔美女)の約轉(松屋筆記)、 ハテノコ(果子)の略(万葉考・俚言集覧)、 朝鮮古語で人の意のクナから(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、 娘の意の関東・東北方言から(万葉集辞典=折口信夫)、 と諸説あるが、 手に抱かれている児(岩波古語辞典)、 母に抱かれるばかりの子(大言海)、 母の手の中で育てる意(天野政徳随筆)、 父母の手に抱かれ養い育てられる児 (精選版日本国語大辞典)、 が、原義なのではあるまいか。用例は、 剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹(いも)を取り見がね音(ね)をぞ泣きつる手児(てご)にあらなくに(万葉集)、 では、 幼児、 の意だし、 人皆(ひとみな)の言は絶ゆとも埴科(はにしな)の石井(いしゐ)の手児(てご)が言(こと)な絶えそね(万葉集)、 では、 真野手児奈、 と同じく、 伝説上の美女、 をイメージしている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 おそらく、 母に抱かれるばかりの子、 つまり、 たわらは(た童)、 の意 (「た」は接頭語)、つまり、 幼い子ども、 の意から、 少女、 おとめ、 の意に転じたのではあるまいか。 「児」(@漢音ジ、呉音ニ、A漢音ゲイ、呉音ゲ)の異体字は、 儿(簡体字)、兒(繁体字/旧字体)、児(新字体)、𠒆(古字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%90、https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%92)。字源は、 象形。上部に頭蓋の上部がまだあわさらない幼児の頭を描き、下に人体の形を添えたもの。兒(ゲイ)は、小さく細かいの意を含み、睨(ゲイ 目を細めてにらむ)・倪(ゲイ 小さい子ども)・霓(ゲイ 細いにじ)などの音符として含まれる。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に「孺子」(ジュシ おさなご)なり」とある、 とある(漢字源)。Aの音は、姓をいう時で、「児童」「小児」等々、幼い子の場合は、@の音となる(仝上)。他も、 象形。「兒」の新字体。「兒」は、頭蓋が閉じきっていない頭を持った子供。又は、幼児の髪形を象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%90)、 象形。髪を総角(あげまき)(両側に角(つの)の形を作った髪型)に結った子供の形にかたどる。教育用漢字は省略形による(角川新字源) 象形文字です。「総角(あげまき)という子供の髪型をゆっている幼児」の象形から「男の子」を意味する「児」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji632.html)、 象形。幼児の髪形を加えた形。〔説文〕八下に「孺子(じゅし)なり。儿(じん)に從ふ。小兒の頭の囟(しん)未だ合はざるに象る」とする。囟は頭骨の縫合部の象形。その縫合部がまだ堅まらない形とするが、金文の字形によれば、「みづら」のような、左右に結んだ髪形を示す字である。〔礼記、内則〕に、生まれて三月後に、日を択んで男角(あげまき)・女羈(じょき)(たてよこ結び)をすることをしるしている(字通)、 と、象形文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 鞆の浦を過ぐる日に作歌、 と、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある三首、 我妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき(大伴旅人) 鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも(仝上) 磯の上に根延(ねば)ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか(仝上) の、 鞆の浦、 は、 広島県福山市鞆町の海岸、 であるが、 むろの木、 は、 ねずの木か、霊木とされた、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 和名類聚抄(931〜38年)、字鏡(平安後期頃)に、 檉、無呂乃岐、 本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、 赤檉、無呂乃岐、 とある。 むろのき、 は、 室の木、 榁木、 とあてるが、 ねずみさし(鼠刺)、 ともいう、 杜松、 と当てる、 ねず、 の古名とされる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、万葉集では、 むろのき、 は、他にも、 磯の上に立てるむろの木ねもころに何しか深め思ひそめけむ、 しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離(はな)れてあるらむ、 玉掃(たまばはき)刈り来(こ)鎌麻呂(かままろ)むろの木と棗(なつめ)が本(もと)とかき掃かむため、 等々あるが、 むろのき、 には、 天木香樹、 と表記されているので、今もこの地方で、 モロギ、 と呼ばれる、 仙酔島(せんすいとう)・後山一帯に自生している常緑針葉樹のネズ(ネズミサシ)であろう、 とする説が有力で(https://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=864)、 マツ科の常緑樹である杜松(ねず)の古名、 とされ、 備後地方では寿命を司る霊木とされていた、 というが、 『福山志料』は「この木よき香あり」と記し、『鞆浦志』には、むろの木が「関町浜辺にありしといひ伝えたり、三かかえほどありて梢は向江島に横たわり、反橋の掛たるやうに見ゆる木」と記している、 など(https://www.noh-oshima.com/tomonomuronoki/tabitotomuronoki.html)、大木のイメージがあるので、高木にはならないネズではなく同じヒノキ科の、 ヒノキ科ネズミサシ属イブキ(伊吹 別名ビャクシン、シンパク)、 とする説(https://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=864)、 ネズを中心に同じヒノキ科の植物も含める、 説(精選版日本国語大辞典)、 ギョリュウ科ギョリュウ属ギョリュウ(御柳 タマリスク)、 に当てる説(仝上)、 等々があるが、古辞書類に挙げる「檉・赤檉」などの漢字がギョリュウをさすところから、(ギョリュウは)ネズとは別語として別項とする辞書が多い(仝上)とある。 ねずみさし(鼠刺)、 は、 ねず(杜松)、 ともいい、 ヒノキ科の常緑低木または高木。本州、四国、九州の丘陵などの日当たりのよい所に生え、大きいものは高さ一五メートル、径三〇センチメートルに達する。樹皮は灰赤黒色。葉は針形で横断面は三角形、先は鋭くとがり、小枝の節ごとに三本ずつ輪生する。雌雄異株。春、葉腋に小さな単性花をつける。果実は径一センチメートルたらずの球形で紫黒色に熟し、漢方では杜松子(としょうし)といい利尿薬に用いる。材は建築・器具・彫刻用、 とある(精選版日本国語大辞典)。和名の、 ねず、 は、 ねずみさしの略、 で、 杉の葉に似た葉が細く鋭く、鼠を刺して防ぐということによる(仝上)、 鼠の出づる穴に、この木の葉をさして置けば、鼠、嫌ひて出でずと云ふ故に名づく(大言海)、 とされる。 「杜」(漢音ト、呉音ズ)は、 会意兼形声。「木+音符土(ぎっしはりつまる)」、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(木+土)。「大地を覆う木」の象形と「土の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)から「山野に自生する木、やまなし」、「森林」を意味する「杜」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2496.html)が、他は、 形声。「木」+音符「土 /*TA/」。ある種の樹木を意味する漢語{杜 /*daaʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%9C)、 形声。木と、音符土(ト)とから成る(角川新字源)、 形声。声符は土(と)。〔説文〕六上に「甘棠(かんだう)なり」とあり、赤棠(せきとう)をいう。また杜塞・杜絶の意に用いる。わが国では「もり」とよんで、社のある茂みをいう(字通) と、形声文字としている。 「松」(漢音ショウ、呉音ジュ)の異字体は、 㮤(同字)、庺(古字)、枀(別体)、枩(俗字)、柗(俗字)、梥(古字)、鬆(繁体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%BE)。字源は、 会意兼形声。「木+音符公(つつぬけ)」。葉が細くて、葉の間がすけて通るまつ、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(木+公)。「大地を覆う木」の象形と「通路の象形と場所を示す文字」(みなが共にする広場のさまから「おおやけ」の意味)から、人の長寿、繁栄などの象徴の木「まつ」を意味する「松」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji576.html)、 ともあるが、他は、 形声。「木」+音符「公 /*KONG/」。「まつの木」を意味する漢語{松 /*skong/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%BE)、 形声。木と、音符公(コウ)→(シヨウ)とから成る。「まつ」の意を表す(角川新字源)、 形声。声符は公󠄁(公)(こう)。公󠄁に頌󠄁(頌)・訟󠄁(訟)(しよう)の声がある。〔説文〕六上に「木なり」とし、重文として㮤を録する。常緑の木で多節、偃蹇(えんけん)としておごり高ぶる姿が愛されて、古くから祝頌の詩に用いられ、〔詩、小雅、斯干〕に「松の茂るが如く」、また〔詩、小雅、天保〕に「松柏の茂るが如く」のように歌われている(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) みどり子(こ)の匍(は)ひた廻(もとほ)り朝夕(あさよひ)に哭(ね)のみぞ我(あ)が泣く君なしにして(余明軍) は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 天平三年辛未(かのとひつじ)の秋の七月に、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首、 とあるうちの、資人(しじん 官位・職分に応じて朝廷から賜う従者)余明軍の五首のうちの一首、 みどり子の、 は、 匍(は)ひた廻(もとほ)りの枕詞、 で、 匍(は)ひた廻(もとほ)り、 は、 古い匍匐礼に由来する表現、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 匍(は)ひた廻(もとほ)る、 は、 這徘徊る、 と当て(精選版日本国語大辞典)、 はいまわる、 意で(仝上)、 匍(は)ひた廻(もとほ)る の、 た廻(もとほ)る、 は、 徘徊る、 と当てるが、 た、 は、 接頭辞(精選版日本国語大辞典)、 あるいは、 接頭語(岩波古語辞典、 あるいは、 発語(大言海) と、多少解釈の差はあるが、 た廻(もとほ)る、 は、 同じ場所をぐるぐる回る、 往ったり来たりする、 意で、 ほとほ(廻)る、 と意味は同じである(広辞苑・岩波古語辞典)。だから、 匍(は)ひ這徘徊(たもとほ)る、 は、 匍(は)ひ廻(もとほ)る、 と同じ意味になる。 みどり子、 は、 一〜三歳の子供、 とある(仝上)。 匍(は)ひた廻(もとほ)る、 は、古事記では、倭健命の薨去のくだりの、大御葬歌(おおみはふりのうた) で、 ここに倭に坐(いま)す后等(きさきたち)また御子(みこ)等(たち)、諸(もろもろ)下り到りて、御陵(みはか)を作り、すなわち其地(そこ)のなづき田に匍匐(は)ひ廻(もとほ)りて、哭(な)きまして歌ひたまひしく、 なづき田の稲幹(にながら)に稲幹に匍(は)ひ廻(もとほ)ろふ野老蔓(ところづら) とうたひたまひき。ここに八尋白智鳥(やひろしろちどり)に化(な)りて、天(あめ)に翔(かけ)りて濱に向きて飛び行(い)でまき、 と、 匍(は)ひ廻(もとほ)る、 とある。この、 匍ひ廻る、 という行為について、国文学者の西郷信綱は、歌にある、 野老蔓、 は、 ヤマイモの蔓、 だが(倉野憲司訳注『古事記』)、 体をくねらせつつ死体のあたりをはい回る、 所作の比喩である(『古代人の夢』)とし、この 匍匐(は)ふ、 は、 殯宮における招魂儀礼の一部、 としている。つまり、 女性や子供たちの這い回る行為、うつぶせになって動く行為は、少なくとも『古事記』では哀哭とセットになっていた、 とし、 匍匐は哀哭と同時に、死者の魂を求める行為、 だとして、 「古事記のこの段のトコロヅラも、這いまわることと追い求めることとの両義にわたるものと解すべきである。というより、哭きつつ匍匐することがすなわち何かを追い求める劇的なものまね(mimic)に他ならないという関係になっていると思う。いくら狂乱に近いなかでの所作とはいえ、それは無意味な本能的なばたばたではなく、その意味が儀礼的形式として理解される一種の演出であったはずだ。死のもたらす深い衝撃や悲しみも、こうした形式を通して初めて社会的チャンネルを与えられ、解放される」(前掲書) と(shugoarts.com/wpdir/wp-content/uploads/2020/10/Ikemura_Hosaka-Kenjiro.pdf)。因みに、 もとほ(廻)る(もとおる)、 は、 ら/り/る/る/れ/れ、 とラ行四段活用の自動詞で、 多く「立つ」「行く」「這(は)ふ」などの連用形に付いて、 巡る、 回る、 廻る、 意となる(学研全訳古語辞典・日本語源大辞典)。この由来は、 元へ還る意(国語の語根とその分類=大島正健)、 モト(本)の語から(国語溯原=大矢徹)、 モトホル(本欲)の義(国語本義)、 モトヘリ(元所反)の義。またマトヘリ(絡縁)の義(言元梯)、 とあるが、何れも、語呂合わせに見える。なお、 もがり(殯)、 大殯(おほあらき)、 については触れた。 みどりご、 は、 嬰児、 緑児、 と当てる。 新芽のように若々しい児、 の意(広辞苑・岩波古語辞典)なので、 三歳くらいまでの幼児(広辞苑)、 四五歳くらいまでの幼児にもいう(岩波古語辞典)、 三歳ぐらいまでの子ども、赤児、幼児(精選版日本国語大辞典)、 生まれたばかりの赤ん坊。また、3歳くらいまでの幼児(デジタル大辞泉)、 などと幅があるが、万葉集に、 彌騰里児(ミドリこ)の乳乞ふがごとく天つ水仰ぎてそ待つ、 とあるので、どちらかというと、 乳飲み子、 で、 生まれたばかりの子供、 あかんぼう、 ちのみご、 の(大辞林)方が近いのかもしれない。 近世初期まではミドリコと清音、 である(広辞苑・岩波古語辞典)。 孩児(かいじ)、 とも言う。大宝2年(西暦702年)の大宝令では、 三歳以下の男子を緑児、女子を緑女、 とし、奈良時代の戸籍には、 伍保上政戸石作部小麻呂戸口廿四、正丁四、次丁一、緑児四(正倉院文書・大宝二年(702)御野国味蜂間郡春部里戸籍)、 と、 男児を緑児、 と記している(精選版日本国語大辞典)。で、 緑児、 を、 りょくじ、 とも訓ませる。大宝令での籍帳の記載例は、 緑子・緑児・緑女、 とあるが、養老令(718年)では唐制にならって、 黄と改められた(精選版日本国語大辞典)とある。 ただ「みどりこ」の意味には多少幅があり、和名類聚抄(931〜38年)に、 嬰児、孩児、美止利古、始生小児也、 字鏡(平安後期頃)に、 阿孩児、彌止利子、 とあるが、 和訓栞「萬葉集に緑子と書り、稺弱(ちじゃく)にして松の蕋(みどり)などの如きを云ふなるべし」と嫩葉(わかば)の擬語、 としており、 小児の四五歳までの者の称、 とする(大言海)。因みに、 孩児(かいじ)、 は、 (「孩」は、いとけないの意)おさなご。みどりご。嬰児。孩子、 とあり、 孩童(かいどう)、 童孩(どうがい)、 は、 おさなご。子ども。童幼。児童、 孩嬰(がいえい)、 は、 (「孩」は子供の笑い声、「嬰」は乳飲み子の意)二、三歳の子供。みどりご。孩児(がいじ)、 幼孩(ようがい)、 は、 おさない子ども。あかご。みどりご。嬰児、 といい、何れの言葉も、かなりの幅の幼児を指していることがわかる。なお、 みどりご、 に、 、 を当てるについては、 ミドが語根で、「瑞々し」のミヅと関係あるか(広辞苑) 元来、新芽の意で、そこから色名に転じたといわれる(デジタル大辞泉) 本来色の名であるよりも、新芽の意が色名に転じたものか(岩波古語辞典) 生まれたばかりの子供は、新芽や若葉のように生命力にあふれていることから喩えられたもので(語源由来辞典)、 松の若葉にたとえた語(和訓栞)、 草木の新緑に比して、寿ぐ語(俗語考)、 小児の上が深い黒で、緑色を帯びているようであるところから(箋注和名抄)、 みどり(緑)+子(日本語源広辞典) と、どうやら、 緑色、 と深くつながり、 新緑の緑のように瑞々しの未熟な子、 の意味があって、大宝令で「緑」と規定したではあるまいか。しかし、もっと踏み込めば、古くは、 みどり、 は、 あを、 に含められていた。「あを」で触れたように、一説に、古代日本では、固有の色名としては、 アカ、クロ、シロ、アオ、 があるのみで、それは、 明・暗・顕・漠、 を原義(広辞苑)とし、 アヲ、 は、本来は、灰色がかった白色を言うらしいのだが、 アヲ、 の示す色相は広く、 青、緑・紫、さらに黒・白・灰色も含んだ。古くは、シロ(顕)⇔アヲ(漠)と対立し、ほのかな光の感覚を示し、「白雲・青雲」の対など無彩色(灰色)を表現するのはそのためである、 とあり(日本語源大辞典)、また、 アカ(熟)⇔アヲ(未熟)、 と対立し、 青侍、 青二才 等々と、 名詞の上につけて未熟・幼少を示すことがあるのは、若葉などの色を指すことからの転義ではなく、その状態自体をアヲで表現したものと考えられる、 とある(日本語源大辞典)。この「あを」のもつ、 未熟・幼少を示す、 という含意の翳に「みどり」も覆われていると見ることができる。 あか、 くろ、 しろ、 については、ふれた。 「匍」(漢音ホ、呉音ブ)は、 会意兼形声。「勹(つつむ)+音符甫(ホ・フ うすい、へばりつく)」。腹面をぴたりと地面にくっつけ、からだで地を包むような姿をすること、 とある(漢字源)が、他は、 形声。「勹」+音符「甫 /*PA/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%8D)、 形声。声符は甫(ほ)。〔説文〕九上に「手もて行くなり」とあり、はらばいに行くことを匍匐(ほふく)という。〔詩、邶風、谷風〕に「凡そ民に喪(さう)有るときは 匍匐して之れを救ふ」とあり、身を以て守りたすける意に用いる。金文に「匍有」といい、〔書〕に「敷佑」、〔左伝〕に「撫有」とあるのは、同系の語(字通)、 と、形声文字とする。 「匐」(漢音フク、呉音ブク)は、 形声。「勹(つつむ)+音符畐」(漢字源)、 形声。「勹」+音符「畐 /*PƏK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%90)、 と、形声文字とある。 「緑」(漢音リョク、呉音ロク)の字は、「みどり」で触れたように、 会意兼形声。彔(ロク)は、竹や木の皮をはいで、皮が点々と散るさま。剥(ハク 皮をはぐ)・菉(リョク 皮がはげて、きれいなみどりの肌の出た竹)の原字で、昔はplblなどの複子音をもっていたことば。緑は「糸+音符彔」で、皮をはいだ青竹のようなみどり色に染めた糸を示す、 とあり(漢字源)、「竹や草の色で、青と黄の中間色」とある(仝上)。同じく、 会意兼形声文字です(糸+彔)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「つるべで組み上げた水」の象形(「みどり色」の意味)から、「みどり色の糸」を意味する「緑」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji142.html)、 と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、 形声。「糸」+音符「彔 /*ROK/」。「みどり」を意味する漢語{緑 /*rok/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B7%91)、 形声。糸と、音符彔(ロク)→(リヨク)とから成る。みどり色の絹の意を表す。ひいて「みどり」の意に用いる(角川新字源)、 形声。旧字は高ノ作り、彔(ろく・りよく)声。〔説文〕十三上に「帛(はく)の黃色なるものなり」とあり、〔詩、邶風、緑衣〕に「高竏゚や 壕゚黃裳」とあり、それが正装に用いる色である(字通)、 と、形声文字としている。 「嬰」(漢音エイ、呉音ヨウ)の異字体は、 婴(簡体字)、孆、孾、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AC%B0)。字源は、 会意。嬰は「女+貝二つ(貝をならべた首飾り)」。首飾りをつけた女の子のこと。また、えんえんとなくあかごのなき声をあらわす擬声語とも考えられる、 とあり(漢字源)、同じく、 会意兼形声文字です(賏+女)。「子安貝(貨幣)」の象形×2(「首飾り」の意味)と「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形から、「女の首飾り」を意味し、そこから、「めぐらす」、「まとう」を意味する「嬰」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1898.html)、 と、会意兼形声文字とするが、他は、 形声。「貝」+声符「⿱口女{癭}」。金文の字形によると、声符「⿱口女」は女性の首に瘤こぶが出来ている形で{癭/*ʔeŋʔ/}の初文[字源 1][字源 2]。のち秦文字で「貝」2つに従う「嬰」字に訛変。首飾りを意味する漢語{瓔/*ʔeŋ/}を表す字。貝の首飾りをしている女性を表す会意字ではなく形声字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AC%B0)、 と、形声文字とする説、 会意。貝+貝(えい)+女。貝+貝は纓(えい)の初文で、貝の首飾り。呪具として新生の女子の首に加えた。その子を嬰児という。〔説文〕十二下に「頸なり」とするが、その字には纓を用いる、 と、会意文字とする説に別れる。 「孩」(漢音ガイ、呉音カイ)は、 会意兼形声。亥(ガイ)は、ぶたの骨組を描いた象形文字で、骸(ガイ 骨組)の原字。孩は「子+音符亥」で、赤子の骨組みができて、人らしい形になること、 とある(漢字源)が、他は、 会意文字です(子+系)。「頭部が大きく、手・足のなよやかな乳児」の象形(「子供」の意味)と「糸」の象形から「ひとすじに繋がる糸」すなわち、「子の子へと一筋に繋がる、まご」を意味する「孫」という 漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji26.html)、 と、会意文字とする説、 形声。「子」+音符「亥 /*KƏ/」。「ちのみご」を意味する漢語{孩 /*gəə/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%A9)、 と、形声文字とする説に別れる。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 倉野憲司訳注『古事記』(岩波文庫) 保坂健二朗「なぜ彼女たちは匍匐するのか(『古事記』とエコロジーを手掛かりに)」(shugoarts.com/wpdir/wp-content/uploads/2020/10/Ikemura_Hosaka-Kenjiro.pdf) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 大君の敷きます国にうち日さす都しみみに里家はさはにあれどもいかさまに思ひけめかも(大伴坂上郎女) の、 しみみに、 の、 は、 しみしみの約、 とある(広辞苑・岩波古語辞典)。 しみしみ、 は、 繁繁(しみしみ)、 と当てる(大言海)ように、 茂っているさま、 の意と思われる。 しみみに、 は、 繁みに、 茂みに、 と当て、 密集する意で、 しみに、 しみら、 と同語源(精選版日本国語大辞典)で、 見まく欲りわが待ち恋ひし秋萩は枝もしみみに花咲きにけり(万葉集)、 と、 限られた場所にぎっしりいっぱい詰まって、 の意である(岩波古語辞典)。 梅の花み山としみにありともやかくのみ君はみれど飽(あ)かにせむ(万葉集)、 と、 しみに、 も、 茂に、 繁に、 と当て、 よく茂って、 の意で、 あかねさす昼はしみらにぬばたまの夜はすがらに眠(い)も寝ずに妹に恋ふるに生(い)くるすべなし(万葉集)、 と、 しみらに、 も、 すき間なくぎっしりと、 と、同じ意味になる(仝上)。 の意である。 「茂」(漢音ボウ、呉音モ・ム)は、 形声。「艸+音符戊(ボウ)」で、葉がおおいかぶさること。戊(ボウ ほこ)とは直接の関係はない、 とあり(漢字源)、他も、 形声。艸と、音符戊(ボウ)とから成る。草が生いしげる意を表す(角川新字源)、形声文字です(艸+戊)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「斧のような刃のついた矛」の象形(「つちのえ(土の兄)」の意味だが、ここでは、「冃(ボウ)」に通じ(同じ読みを持つ「冃」と同じ意味を持つようになって)、「おおう」の意味)から、「草が覆いしげる」を意味する「茂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1430.html)、 形声。声符は戊(ぼ)。〔説文〕一下に「艸、豐盛なるなり」とあり、楙(ぼう)と声義同じ。〔詩〕に茂とあるものを、〔漢書〕にはときに引いて楙に作る。〔爾雅、釈詁〕に「勉むるなり」とあり、懋(つと)める意がある(字通)、 と、解釈は異にするが、いずれも、形声文字とする。 「繁」(@漢音ハン、呉音ボン、A漢音ハン、呉音バン)の、異体字は、 䋣(本字)、緐(別体)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)。字源は、 会意兼形声。毎は子を産むように、草のどんどんふえること。繁の字の音符は「糸+毎(ふえて多い)」の会意文字で、ふさふさとした紐飾り。繁はそれに支(動詞の記号)を加えた字で、どんどんふえること、 とあり(漢字源)、「繁茂」「繁盛」「繁文縟礼」「頻繁」などは@の音、馬のたてがみにつけるふさふさとした飾りの意の時は、Aの音とある(仝上)。他に、 会意兼形声文字です(毎(每)+攵(攴)+糸)。「髪飾りをつけて結髪する婦人」の象形(「髪がしげる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手でボクッと打つ」の意味)と「より糸」の象形から、「しげる」を意味する「繁」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1353.html)、 と、会意兼形声文字とするもの、また、 会意、糸と每(たくさんあるさま)とから成る。多くの糸をつけることから、馬のたてがみのかざりの意を表す。転じて、「しげる」、さかんの意に用いる。旧字は、形声で、糸と、音符敏(ビン)→(ハン)とから成る。常用漢字はその省略形による(角川新字源)、 会意。敏(敏)(びん)+糸。敏は婦人が祭事にあたって髪に盛飾を加える形で、祭事に奔走することを敏捷という。疌(しよう)はその側身形に足を加えた形。髪に糸飾りをつけて繁という。繁は繁飾の意。〔説文〕十三上に緐を正字とし「馬の髦飾(ばうしよく)なり。糸毎に從ふ」(段注本)とし、〔左伝、哀二十三年〕「以て旌緐(せいはん)に稱(かな)ふべけんや」の文を引くが、馬飾の字は樊(はん)に作り、樊纓(はんえい)といい、繁とは別の字である。樊纓は馬の「むながい」。紐を縦横にかけたもので、樊がその義にあたる。婦人の盛飾を每(毎)といい、その甚だしいものを毒といい、祭事にいそしむを敏捷といい、その髪飾りの多いことを繁という(字通)、 と、会意文字とする説もあるが、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)、 形声。「攴」+音符「緐 /*PAN/」。「しげる」を意味する漢語{繁 /*ban/}を表す字(仝上)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 我がやどに花ぞ咲きたるそを見れど心もゆかずはしきやし妹がありせば水鴨(みかも)なすふたり並び居手(た)折りても見せましものを(大伴家持) の、 ゆく、 は、 行く、 と当てるが、ここでは、 心が満たされる、 意である(広辞苑)。 はしきやし、 は、 愛しきやし、 と当て、 「愛(は)し」の連体形に間投助詞「や」および強めの副助詞「し」の付いた(広辞苑)、 ヨシ、ヤシは間投助詞(岩波古語辞典)、 形容詞「はし(愛)」の連体形「はしき」に助詞「や」「し」が付いたもの(精選版日本国語大辞典)、 「や」「よ」は感動詞、「シ」は助辞(大言海)、 で、 はしやけや吾家(わぎえ)の方よ雲居起ち来(く)も(古事記)、 と、 は(愛)しけやし、 あるいは、 はしきよしかくのみからに慕ひ来(こ)し妹が心のすべもすべなさ(万葉集)、 と、 は(愛)しきよし、 ともいい、 愛すべきである、 いとおしい、 意だが、 愛哉、 とも当て(大言海)、 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある(仝上)、 「ああ」という嘆息の語とほとんど同義になる例が多い。亡くなったものを哀惜しまた自己に対して嘆息する意に多く使う(岩波古語辞典)、 などとあるので、 ああ、いとおしい、 ああ、なつかしい、 ああ、いたわしい、 といった(学研全訳古語辞典)語感であろうか。 はしきやし、 はしきよし、 はしけやし、 の中では、 はしけやし、 が最も古くから用いられている(学研全訳古語辞典)が、 ハシキヤシが古くハシキヨシに変化したともいわれており、そこでヨシは「吉シ」を連想していたとも考えられよう、 とある(精選版日本国語大辞典)。いずれも、 はしきやし我家(わぎへ)の毛桃(けもも)本茂(もとしげ)く花のみ咲きてならずあらめやも(万葉集) 山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ(仝上) はしけやし妻も子どもも高々(たかだか)に待つらむ君や島隠れぬる(仝上) と、我家、妻、妹などにかかる連語で枕詞に近い(仝上)が、 ハシキヤシ、 ハシケヤシ、 は、 挽歌のような悲痛な感情を表現する場合、 に用いられ、 ハシキヨシ、 は、 祝宴の歌に用例を見る、 等々、意味の分化があるという説がある(精選版日本国語大辞典)ともある。 雪の上(へ)に照れる月夜(つくよ)に梅の花折りて送らむはしき子もがも(大伴宿禰) と、 は(愛)し。 は、 (しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、 と活用する形容詞シク活用で(学研全訳古語辞典)、 欲(ほ)しに通ず、 とあり(大言海) 愛らしい、 いとおしい、 慕わしい、 可憐だ、 といった意である(仝上・岩波古語辞典)。
「愛」(漢音アイ、呉音オ・アイ)の異体字は、 白栲(しろたへ)に舎人よそひて和束山(わづかやま)御輿(みこし)立たしてひさかたの天(あめ)知らしぬれ臥(こ)いまろびひづち泣けども為(せ)むすべもなし(大伴家持) の、 白栲、 は、ここでは、 白い喪服、 をいう(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 臥(こ)いまろび、 の、 臥い、 は、 臥ゆの連用形、 で、 伏し悶え泣き濡れる、 の意(仝上)。 ひづち、 は、 た/ち/つ/つ/て/て、 と活用する、自動詞タ行四段活用の、 漬つ で、 ヒヂ(泥)ウツの約、 で、 泥によごれる、 また、 濡れる、 意で(広辞苑)、 漬ち泣く(ひづちなく)、 で、 涙で袖がぬれるほど泣く、 泣きぬれる、 意になる(精選版日本国語大辞典)。 臥い転ぶ(こいまろぶ)、 は、 ころげまわる、 もだえころがる、 意なので、 臥(こ)いまろびひづち泣く、 で、 もだえころげまわり、泣き濡れる、 という悲嘆にくれる有様の表現になる。 立ち走り叫び袖振り臥(こ)いまろび足ずりしつつたちまちに心消失せぬ(万葉集)、 では、 臥(こ)いまろび足ずりしつつ、 と、 転げまわり地団駄踏む、 有様が描かれている。 臥(こ)いまろぶ、 は、 今云ふ、こけまろぶ也、 ともある(和訓栞)。 のたうちまわる、 意とほぼ重なるのではないか。 臥(こ)ゆ、 は、 い/い/ゆ/ゆる/ゆれ/いよ、 と、自動詞ヤ行上二段活用で、 寝ころぶ、 横になる、 意である(学研全訳古語辞典)。由来は、 老い、老ゆ。悔い、悔ゆと同じ活用なり、此語、活用は違へど、崩(く)ゆ(下二段)に通ずと云ふ(蹴(く)ゆ、蹴(こ)ゆ)、崩(く)え横たわる意なり、一転して、こや(臥)る、くやるともなる(映(はゆ)、栄(はえ)る)、同義にして自動なり、崩(く)ゆも、くやすとなる、他動なれど、同じ趣きなり(臥ゆ、も、臥(こ)やすともなれど、是れは、敬語なり)(大言海)、 コヒ(臥)はコロビ(転)の転義(言元梯)、 とあるが、はっきりしない。ただ、 臥ゆ、 は、 「こい伏す」「こいまろぶ」など、連用形で複合動詞を作った形で用いられ、単独では用いられない、 とある(日本語源大辞典・学研全訳古語辞典)。 まろぶ (転ぶ)、 は、 ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ、 と、自動詞バ行四段活用で、 ころがる、 ころぶ、 意で、 マル(丸)と同根、コロブとほぼ同義だか、コロブが使われるのは鎌倉時代以後(岩波古語辞典)、 圓(マロ)を活用(大言海)、 とされる。 まろぶ、 は、 おつる・くづるる・やぶるる・まるぶなど申すは、強き響きなれば、ふりも強かるべし(風姿花伝)、 と、 まるぶ(転)、 とも転訛する(精選版日本国語大辞典)。それに対して、 ころぶ(転ぶ)、 は、 轉(コロ)を活用背させたる語(哀(あはれ)、あはれぶ。比(コロ)、ころふ)(大言海)、 コは所の意。ロはその所をひろくさす語。ブは進む意(国語本義)、 とされ、由来を異にするようである(日本語源大辞典・大言海)。なお、 「まる(丸・圓)」については触れた。 「臥」(ガ)の異字体は、 卧(簡体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%A5)。字源は、 会意文字。臣は、下にふせてうつむいた目を描いた象形文字で、臥は「臣(ふせる)+人」で、からだをまるくかがめてうつぶせになること、 とある(漢字源)。他も、 会意文字です(臣+人)。「下の方を向く目」の象形と「横から見た人」の象形から人が目を下の方に向けて「横になって休む」を意味する「臥」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2675.html)、 会意。臣と、人(ひと)とから成る。人が目を下に向けているさまにより、うつむく、ひいて、ふせる意を表す(角川新字源)、 会意。臣+人。臣は眼の形。人が臥して下方を見る形で、臨・監はその形に従う。〔説文〕八上に「休するなり。人・臣に從ふは、其の伏するを取るなり」とあり、休は伏の誤りであろう。臣伏の意とするが、伏視を原義とする(字通) と、会意文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) もののふの八十伴(やそとも)の男(を)を召し集(つど)へ率(あども)ひたまひ朝狩(あさがり)に鹿猪(しし)踏み起し夕狩(ゆふがり)に鶉雉(とり)踏み立て大御馬(おほみま)の口抑(おさ)へとめ御心を見し明(あき)らめし(大伴家持) 八十伴(やそとも)の男(を)、 は、 多くの部族の男たち、 で、 率(あども)ふ(あどもう)、 は、 アドは「あどをうつ」のアドと同源、 とあり、 掛け声をかけて軍勢などを引率する、 意とある(広辞苑)。 あどを打つ、 は、 あどうつ、 ともいい(精選版日本国語大辞典)、 迎合を打つ、 と当て(広辞苑)、 殿のめづらしう興ありげにおぼしてあとをよくうたせ給ふにはやされたてまつりて(大鏡)、 と、 人の話に調子を合わせて応答する、 意で(精選版日本国語大辞典)、 あど、 は、字鏡(平安後期頃)に、 誼議、此彼之心相知貌、阿止、 とあり、 迎合、 と当て(広辞苑・大言海)、 人のいろかほ、気もつかず、あどにのっては過言のみ(仮名草子「悔草(1647)」)、 と、 相手に調子を合わせて受け答えをし、あいづちをうつこと、 だが、ここから派生して、 アド、 と書くことが多いが、 あどはさきへいる、してはほうろくうちはりいり候(虎明本狂言「鍋八撥(室町末〜近世初)」)、 と、 主役であるオモあるいはシテの相手をする役、 なので、 能狂言で、狂言の脇師(わきし)、 をいい、更に広く、 中居たいこのわきまへもなきものをあどにして、れんがの会にててがらをとり(洒落本「彌味草紙(1759)」)、 と、 芸事などをともにするときの相手方、 をいう(精選版日本国語大辞典)。この、 あど、 が、 あども(率)ふ、 の、 あど、 なのだが、 相人(アヒウド)、あひと、あどと転じた語ならむか(紙縒(かみより)、こより。結(ゆひはだ)、ゆはた(夾纈))、オモと云ふは、主(おも)の意なるべし(古くは、仕手(して)を、オモと云ひき)(大言海)、 シテの跡を踏むの意か(演劇百科大辞典)、 などとするのは、和訓栞(江戸後期の国語辞書)にも、 伎人の相手を云ふ、宗鏡禄に、如楞加経偈云、心為工伎皃、意如和伎者と見えたり、今も、あどうつと云へり、 とあるが、 あど、 が、 能・狂言にて脇師(わきし)、 の意に転じて後のことなので、先後が逆なのではあるまいか。 挨拶答ふるの略言アド(拶答)(狂言不審紙)、 が、字義に近い気がする。 あども(率)ふ、 は、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、 の、他動詞ハ行四段活用で、 大御身(おほみみ)に大刀取り佩(は)かし大御手(おほみて)に弓取り持たし御軍士(いくさ)を安騰毛比(アドモヒ)給ひ(柿本人麻呂)、 と、 ひきいる、 引き連れ立つ、 意で、 鐘の響(橘守部 江戸後期の語学書)に、あともひ「後伴(あとともなひ)の略なり」、按ずるにトモフと云ふ動詞ありしなるべし、辨官を大(おも)トモヒと云ふも、屬僚を統率する意と云ふ(大言海)、 アトモモヒ。アは接頭語、ヒは活用語尾。トモは伴で部隊の古語だから、トモヒは部隊編成の意となる(日本古語大辞典=松岡静雄)、 アトモヨホシ(後催)の義(和訓栞)、 語根はアト(後)か。また、アツムの活用か(万葉集辞典=折口信夫) 「あど」は掛け声の意か(角川古語大辞典)、 とある。 「あど」は掛け声の意か、 の語源説で思い出したのは、後のことだが、 勝鬨(かちどき)、 あるいは、 勝鬨(かちどき)をあげる、 という武家作法がある。 戦いに勝った時、いっせいに上げる鬨(とき)の声、 で、 鬨を作る、 鬨を上げる、 ともいい、 戦初めの時に「鬨を三度」出し、戦後の勝ち鬨に関しては一度、始め強く、終わり細かるべし、 などとあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%A8)、たとえば、「鬨」で触れたことだが、出陣式で、 エイエイオウ、 という掛け声をかけるが、 大将や主だった者が音頭をとって「えいえい」と叫ぶ。間髪をいれず全員で「おーう」と答える。腹の底から全身で叫ぶのでヤマハ賑わうように轟き敵を威嚇するのであるが、士気が沈滞していると反って頼りない音声となり、敵にさとられてしまうので小人数でも大勢いるように怒鳴る。大将の音頭の状態で何度でもあげる。敵も負けじと鬨をあげて威嚇する。鬨は戦直前の恐怖を振り落して気力を充実させるためにも必要のことで、全員が一斉にそろう場合と、部隊の配置によって尾を引くように強まるものと尾を引くように弱まる時とがあり、戦馴れた物師(戦い慣れた武士)にはその調子で敵味方の士気から勝敗の予想をたてるものもある、 とある(武家戦陣資料事典)。 あども(率)ふ、 には、 こういう主従の応答が含意としてあるのではないか。だからこそ、 応答、 の意の、 あど、 が使われているのではあるまいか。 あどもふ、 に、 声を掛け合って、調子、隊伍などを整える、 意とする説もある(精選版日本国語大辞典)というのは、こういう背景を考えると頷ける気がする。 「率」(@漢音リツ・呉音リチ、A漢音ソツ・呉音ソチ・シュチ、Bスイ)の異字体は、 𭅩(俗字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%87)。字源は、 会意文字。「幺または玄(細いひも)+はみ出た部分を左右に払いとることをあらわす八印+十(まとめる)」で、はみでないように、中心線に引き締めてまとめること、 とあり(漢字源)、「確率」「比率」の、「全体のバランスからわりだした部分部分の割合」の意の場合は、@の音。この意の時は、律(きちんと整えた割合)と同系。「引率」「率先」の、「ひきいる」「はみ出ないようにまとめて引き締める」意、「率直」の、そのままにまかせる意、「卒然」「軽率」の、「はっと急に引き締まる」意の場合、Aの音、「将率(将帥)」の、率いる人の場合、Bの音になる(仝上)とする。ただ、他は、 象形。鳥をとるあみの形にかたどる。捕鳥あみの意を表す。借りて「おおむね」「わりあい」の意に用い、また、「ひきいる」、「したがう」意に用いる(角川新字源)、 象形文字です。「洗った糸の水をしぼる」象形から、1ヵ所にひきしめる事を意味し、そこから、「ひきいる」、「まとめる」を意味する「率」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji748.html)、 象形。糸束をしぼる形。糸束の上下に小さな横木を通し、これを拗(ね)じて水をしぼる形。〔説文〕十三上に「鳥を捕る畢(あみ)なり。絲罔(しまう)(網)に象る。上下は其の竿柄なり」と鳥網(とあみ)の形とするが、その義に用いた例がない。糸束をひき絞る形で、卜文・金文には左右に水点を加えている。金文に「率(ことごと)く」「率(したが)ふ」の義に用いる。しぼり尽くすので、率尽・率従の意となる(字通)、 と、何れも、象形文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房) 子の泣くごとに男(をとこ)じもの負ひみ抱(むだ)きみ朝鳥(あさとり)の哭(ね)のみ泣きつつ恋ふれども験(しるし)をなみと言問(ことと)はぬものにはあれど(高橋朝臣) の、 負ひみ抱(むだ)きみ、 は、 負ぶってみたり抱いてみたりしてあやし、 と注釈があり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 ミ、 は、 動詞「見る」から派生した接尾語、 とする(仝上)。で、 負ひみ抱(むだ)きみ、 は、 負(お)ひ見(み)抱(むだき)見(み)、 と当て、 試みる意の「見る」の連用形からという、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 動詞または助動詞「ず」の連用形に付き、その並列によって連用修飾語をつくる。対照的な動作または状態を並列してそれが交互に繰り返される、 意を表わし、 …したり、…したり、 …したり、しなかったりして、 の意になる。 むだく、 は、 か/き/く/く/け/け、 と、他動詞カ行四段活用で、 身(む)だくの意、タクは腕を働かせて事をする意、ムダクは、相手の身体を両手で抱えて締める意(広辞苑・岩波古語辞典)、 「身(む)綰(た)く」の意か。「綰く」は手を使ってある動作をする意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 などとあり、 抱(だ)く、 意である。 むだく、 は、 抱く、 と当て、 うだくの転、 とあり(大言海)、 腕(うで)纏(ま)くの約と云ふ、 とあり(仝上)、転じて、 むだく、 いだく、 となる(仝上)とある。しかし、同意語の、 「むだく」「うだく」「いだく」「だく」の先後関係、 は、 「むだく」が奈良時代から平安初期、 「うだく」が平安初期から鎌倉時代頃、 「いだく」が平安初期から現代、 「だく」が平安中期から現代、 という順になる(精選版日本国語大辞典)とあるので、上述の、大言海の、 むだく、 が、 うだくの転、 とあるのは、先後が逆である。 うだく、 は、 抱く、 と当て、 だく、 意である。なお、 むだく、 うだく、 の、 た(綰)く、 は、 手を活用せる語か、 とあり(大言海)、 腕を働かして事をする意、 で(岩波古語辞典)、 たけばぬれ(ほどけ)たかねば長き妹が髪このころ見ぬに搔き入れつらむか(三方沙弥)、 と、 手を上下左右前後に一定の動作に掻き動かす、 取り上ぐ、 (髪を)束ね掻き上ぐ、 意や、 大船(おほふね)を荒海(あるみ)に漕ぎ出(で)や船たけ我が見し子らがまみはしるしも(万葉集)、 と、 舟を漕ぐ、 意、 心なぐやと秋づけば萩咲きにほふ石瀬野(いはせの)に馬だき行きて(万葉集)、 では、 馬の手綱をあやつる、 意、 手寸(たき)備へ植ゑしくしるく出(い)で見ればやどの初萩(はつはぎ)咲きにけるかも(万葉集)、 では、 掘る、 意と、広く手を使う動作に広く使われている(岩波古語辞典・大言海)。 むだく、 は、上述のように、 むだく(mudaku)、 ↓ うだく(udaku)、 ↓ いだく(idaku) ↓ だく(daku)、 と転訛してきたが、 いだく、 が、和文史料を中心に用例が認められるのに対し、 うだく、 は、漢文訓読資料に偏る。ウダクの確例は中古初期からであり、上代は、 むだく、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 語頭のウ・ムの交替はウバフ・ムバフなど用例が多いが、イも関わるのはイバラ・ウバラ(ムバラ)ぐらいである、 とある(精選版日本国語大辞典)。 うだく、 ↓ いだく ↓ だく、 と、 うだく、 から転訛した、 いだく、 は、 女流文学ではイダクだけが使われた、 とあり(岩波古語辞典)、 か/き/く/く/け/け、 の、他動詞カ行四段活用で、 抱、 懐、 擁、 と当て(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、 大前宿禰、太子を抱(イダキ)まつりて馬に乗せまつれりといふ(日本書紀)、 と、 両手で相手をかかえる、 両腕にかかえて持つ、 意、それをメタファに、 任那を擁(イダキ)守(まも)ること、懈(おこた)り息(やす)むこと無し(日本書紀)、 と、 中に包み込むようにする、 擁する、 意、更に転じて、 慕ふこと異にして、荒れたることを懐(イダ 別訓ウダ)けば(「大唐三蔵玄奘法師表啓平安初期点(850頃)」)、 と、 心の中に、ある考えや感情を持つ、 意へと転じていく(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、うだく、いだくの頭母音が脱落して、 いずれの宮をか先ず抱(だ)き給ふといどみかはしてみるに(宇津保物語)、 と、 だく、 が、意味で勢力を拡大していくのに伴って、 いだく、 は、次第に、 心の中に、ある考えや感情を持つ、 意味に限定されるようになり、現在に至る(精選版日本国語大辞典)とある。 いだく、 から、 イダクの上略(俚言集覧・国語の中に於ける漢語の研究=山田孝雄)、 イダクの上略なり(しいきほふ、きほふ。いきづむ、きづむ)(大言海)、 として、 だく、 へと転じたが、この転訛については、音韻論から、 イダク・ウダクの頭母韻の脱落したもの(広辞苑・岩波古語辞典)、 以外にも、 濁音→入りわたり鼻音のイ表記省略、 といった説もある(日本語源大辞典)。 なお、 むだく、 には、 汝(いまし)らがかく罷(まか)りなば平(たひら)けく我れは遊ばむ手抱(たむだ)きて我れはいまさむ(万葉集)、 と、 たむだ(拱)く、 という言い方がある。 手抱く、 とも当てるように(岩波古語辞典)、 手(た)抱(むだ)くの意(精選版日本国語大辞典)、 タはテ(手)の古形、ダクは身抱くが原義、抱く意(岩波古語辞典)、 と、 両手を組む、 手をこまねいて何もしないでいる、 意で、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 拱、コマヌク、ウダク、タムダク、 とあり、 うだく、 の意とつながる(岩波古語辞典)。 「抱」(漢音ホウ、呉音ボウ)は、 会意兼形声。包は、中に幼児をつつんだ姿を描いた象形文字。抱は「手+音符包」で、手で包むようにしてかかえること、 とある(漢字源)。同じく、 会意兼形声文字です(扌(手)+包)。「5本指のある手」の象形と「人が腕を伸ばしてかかえ込んでいる象形と胎児の象形」(「つつむ」の意味)から、「手でつつむ」、「だく」を意味する「抱」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1116.html)、 ともあるが、他は、 形声。「手」+音符「包 /*PU/」。「だく」を意味する漢語{抱 /*buuʔ/}を表す字。もと「包」が{抱}を表す字であったが[字源 1]、手偏を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8A%B1)、 形声。手と、音符(ハウ)→(ホウ)とから成る。手でかかえる、「いだく」意を表す(角川新字源)、 形声。声符は、勹+巳(包)(ほう)。勹+巳は腹中に胎児のある形。生まれた子を抱くことを扌+勹+巳という。〔説文〕八上に亠+勹+巳+衣を正字とし「褱(いだ)くなり」と訓し、徐鉉の案語に、扌+勹+巳をその俗体とする。〔釈名、釈姿容〕に「扌+勹+巳は保なり」とし、保もまた懐抱の形に作るものがあるが、保は生子儀礼として、受霊・魂振りのために、裾(すそ)に「襲衾(おふふすま)」をそえ、頭上にときに玉を加える形がある。心に思うこと、心に固く執ることをも抱という(字通)、 と、形声文字とする。因みに、 「包」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)は、 象形、からだのできかけた胎児(巳)を子宮膜のなかにつつんでみごもるさまを描いたもの、胞(子宮でつつんだ胎児)の原字(漢字源)、 巳は胎児の象形。音符の勹は、人が腕をのばして、抱えこんでいるいる形にかたどり、つつむの意味。みごもるさまから、一般に、つつむの意味をあらわす(漢語林)、 象形。人が子を身ごもっているさまにかたどる。みごもる、ひいて「つつむ」意を表す(角川新字源)、 象形。人の腹中に胎児のある形。〔説文〕九上に「人の褱妊(くわいにん)するに象る。巳(み)、中に在り。子の未だ成らざる形に象る。元气は子(ね)に起る。子は人の生まるる所なり」とし、なお十二支との関連を説くが、関係のないことである。うちに包蔵する意より、包括・包囲の意となる(字通) とある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 一日(ひとひ)こそ人も待ちよき長き日(け)をかく待たゆれば有りかつましじ(八田皇女)、 の、 日(け)、 は、 上代語、カ(日)の転(広辞苑・岩波古語辞典)、 カ(日)の交替形(角川古語大辞典・小学館古語大辞典)、 「か(日)」と同語源という(デジタル大辞泉) フツカ(二日)・ミッカ(三日)の「カ(日)」が「ケ」に転じた(日本語の語源)、 などとあるのが大勢だが、 「ふつか(二日)」「みか(三日)」などの「か」や「こよみ(暦)」の「こ(甲乙は不明)」と同語源とする説が古くからあるが、「ふつか」「ようか(四日=ヨッカの古形)」「いつか(五日)」「むゆか(六日=ムイカの古形)」「なぬか(七日=ナノカの古形)」「やうか(八日=ヨウカの古形)」「ここぬか(九日=ココノカの古形)」「はつか(二〇日)」などから取り出されるのは「か」ではなくむしろ「うか」であると考えられ、「け」との関連は薄い、 ともあり(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、他には、 キヘ(来歴)の約(万葉集考)、 カはキ(キヘの約)を通わしいうもの(古事記伝)、 等々があるが、 「キヘ(来経)の約」とする説は成り立たない、 とあり(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、何れかは、はっきりしない。 け(日)、 は、 君が行き気(ケ)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ(古事記)、 と、 何日にもわたる期間、 二日以上の日、 日々、 日かず、 の意で(精選版日本国語大辞典)、 「ひ(日)」が一日をいうのに対して、二日以上にわたる期間をまとめていう語、 とされ(岩波古語辞典)、 このように複数だけを表す単語は日本語には他例がない、 とある(仝上)。ただ、この、 「ひ(日)」の複数を表す、 との説については、 日本語には文法範疇としての「複数」が認められないので疑問である、 ともあり(日本語源大辞典)、 け(日)、 の由来がますますわからない。なお、 我が命の全けむかぎり忘れめやいや日異(ひにけに)は思ひ益すとも(万葉集)、 の、 ひにけに(日異)、 の、 け、 は、 異、 の意で、 ke、 の音、 け(日)、 は、 kë、 の音と(岩波古語辞典)、上代、 「け(異)」は甲類音、 「け(日)」は乙類音、 と別であり、 日に日に、 とは別語である(精選版日本国語大辞典)。なお、 け(日)、 には、 青山の嶺の白雲朝に食(け)に常に見れどもめづらし吾(あ)が君(万葉集)、 と、 朝にけに、 の形で用いて、 ―日ごと、 毎日、 の意でも使う(精選版日本国語大辞典)が、これを、 朝、 に対して、 昼間、 という意で解するものもある(広辞苑)。 か(日)、 は、 接尾語、 で、 助数詞、 として、 数を表す和語に付いて、日数を数えるのに用いる語、 で(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 日日(かが)並(な)べて夜には九夜(ここのよ)日には十加(カ)を(古事記)、 と、 昼の数についていう、 場合と、 百(もも)可(カ)しも行かぬ松浦路(まつらぢ)今日(けふ)行きて明日(あす)は来なむを何か避(さや)れる(万葉集)、 と、 一昼夜を単位として数える、 場合があり、この場合、 「五日かかる」「あと十日」のように、日数についてもいい、「三月三日」のように、ある基準の日から数えてその日数に当たる日をさしてもいう、 とある(精選版日本国語大辞典)。 か(日)、 の由来は、 来歴(きへ)の約なる、ケの転。五日(いつか)の日(ひ)などと云ふは、五来歴(いつきへ)の日の義(大言海)、 日を表す名詞ケの交替形か(時代別国語大辞典-上代編)、 カ(箇)から、ふつかのひ、みかのひ、などの「ひ」を略したので日の字の訓になる(南留別志)、 アカの略(非南留別志)、 カズ(數)の義(俚言集覧・名言通)、 カガヤクのカの音より出る(本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健)、 朝鮮語haiと同源(岩波古語辞典・国語学通論=金沢庄三郎) 日数詞の語構成を「個数詞語幹+カ」ではなく、「個数詞語幹+uka」とし、ウカなる語を想定(安田尚道) 等々がある。もし、上述したように、 「みか(三日)」「ようか(四日=ヨッカの古形)」「いつか(五日)」「むゆか(六日=ムイカの古形)」「なぬか(七日=ナノカの古形)」「やうか(八日=ヨウカの古形)」「ここぬか(九日=ココノカの古形)」「はつか(二〇日)」などから取り出されるのは「か」ではなくむしろ「うか」である、 とすると、 か(日)、 の意味は、 昼間、 の用例だけになり、 ケ、 との関連も薄くなる。 ちなみに、 ひ(日)、 は、 陽、 とも当てるように、色葉字類抄(1177〜81)に、 日、ヒ、太陽精不虧也、 とあるように、 太陽をいうのが原義。太陽の出ている明るい時間、日中。太陽が出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という、 とあり(岩波古語辞典)、この、 ヒ(日)、 の、 複数形はヒビ(日々)というが、二日以上の長い期間をひとまとめに把握した場合は、フツカ(二日)・ミカ(三日)のようにカ(日)という、 説については上述した。 この、 ひ(日)、 の由来については、 ケフ(今日)・キノフ(昨日)のフと同語原(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、 ヒ(霊)の義(東雅・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、 ヒカリ(光)のヒから(国語の語根とその分類=大島正健)、 ヒ(火)の義(和句解・言元梯・名言通・日本語原学=林甕臣)、 等々あるが、 火、 は、 fï、 日、 は、 fi、 の音と、上代特殊仮名づかいでは、 「ひ(日)」の「ひ」は甲類、 「ひ(火)」の「ひ」は乙類、 であるところから、「ひ(火)」とは別語になる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 なお、 ひ(日)、 ひ(火)、 については触れた。 「日」(呉音ニチ、漢音ヅツ)の異字体は、「ひ」で触れたように、 冃(「冃」の同字)、囸、𡆠(則天文字)、𡆸、𡇁(古字)、𡈎、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5)。字源は、 象形文字。太陽の姿を描いたもの、 とある(漢字源)。他も、 象形。太陽を象る。「たいよう」を意味する漢語{日/*nik/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5)、 なお、『中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によれば、 「日、實也、太陽之精不虧―日とは実(じつ)である。太陽の精髄は、満ち欠けがないということである。類音の「実」による注釈。月と異なり、常に欠けることがないことが、太陽の本質であると説く。「実」の中古音は zyit(Baxter 表記)であるが、語源的関連はない、 とされている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5)、 象形。太陽の形にかたどる。太陽・日光・一日などの意を表す(角川新字源) 象形文字です。「太陽」の象形から「太陽のひ」を意味する「日」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji87.html)、 象形。太陽の形。中に小点を加えて、その実体があることを示す。三日月の形に小点を加えて、夕とするのと同じ。〔説文〕七上に「實(み)てるものなり。太陽の精は虧(か)けず」とするのは、〔釈名、釈天〕の「日は實なり。〜月は缺なり」とするのによるもので、音義説である。日と實、月と缺とは、今の音ははるかに異なるが、古音は近く、わが国の漢字音にはなおその古音が残されている(字通)、 と、象形文字である。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家(いへ)の妹に物言はず来(き)にて思ひかねつも(柿本人麻呂) の、 玉衣、 は、 さゐさゐの枕詞、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、 玉衣(たまぎぬ)、 は、 珠衣、 とも当て、 「たま」は美称、 なので、 玉を飾ったような美しい衣服、 りっぱな衣服、 をいい、 雲はれぬさ月きぬらしたま衣むつかしきまで雨じめりせり(「永久四年六月四日参議実行歌合(1116)」)、 と、 たまごろも、 とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。 さゐさゐしづみ、 は、 旅立ちの物せわしい騒めきが鎮まり、 と注記がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 さゐさゐしづみ、 は、 あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家(いへ)の妹(いも)に物言はず来(き)にて思ひ苦(ぐる)しも(柿本人麻呂) と、 さゑさゑしづみ、 ともいう(岩波古語辞典)。 さゐさゐしづみ、 は、連語だが、 未詳、 とされ、 ざわざわとする落ち着かなさをおししずめての意か、 とある(仝上)。 さゐさゐ、 は、上述のように、 さゑさゑ、 ともいうが、いずれも、 騒騒、 と当て(精選版日本国語大辞典)、 物の動揺しさわぐさま(広辞苑)、 物が揺れ動き、さわさわと鳴るさまを表わす語。さわさわと音をたてるさま(精選版日本国語大辞典)、 物が揺れ動いてさわさわと音を立てるさま(デジタル大辞泉)、 とあり、要は、 さわさわ、 の意である(精選版日本国語大辞典)。 さゐさゐし、 は、 さゐさゐ(狭藍左謂)し、 か、 さひさひ(佐比佐比)し、 か、 未詳、 とあり(広辞苑)、 ざわざわと鳴るさま(仝上)、 ざわざわと音をたてるさま(岩波古語辞典)、 である。この、 さいさいし、 は、 サワサワ(騒々)の転サイサイを活用した語(大言海)、 サヰサヰはサワサワ・サヱサヱなどと同類の擬声語(角川古語大辞典)、 とあるように、 しほさゐ(潮騒)の「さゐ」、 さわく(騒)の「さわ」、 佐和佐和(サワサワ)にの「さわ」、 などと同類で、 ざわめきを表す擬声語から出た語、 とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。 さわさわ、 は、今日、微風によって葉が揺れる時の音のように、 軽いものが比較的緩やかに触れ合う音、 の意で使うが、古くは、 口大(くちおほ)の尾翼鱸(をはたすずき)を佐和佐和邇(さわさわに)控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げてて(古事記)、 の、 佐和佐和邇(さわさわに)控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げてて、 は、 ざわざわとさわいで引き上げて、 の意で、 騒々しい音のするさま、物などが触れ合って音をたてるさまを表わす語、 つまり、今日の、 ざわざわ、 の意や、 落ち着かないさま、軽率なさまをいう語、 つまり、今日の、 そわそわ、 の意で使う(擬音語・擬態語辞典・精選版日本国語大辞典)。 さわ、 は、 音を云ふ語なり(喧喧(さやさや)と同趣)、サワを活用して、サワグとなる。さゐさゐ(潮さゐ)、さゑさゑとも云ふは音転なり、 とあり(大言海)、この、 さわ、 が、 さわぐ、 と同じことは、 さわぐ、 で触れた。 さわぐ、 は、奈良時代には、 サワク、 と清音。 サワは擬態語。クはそれを動詞化する接尾語、 とあり(岩波古語辞典)、 騒がしく音を立てるさま、 者などが軽く触れて鳴る音、 不安なさま、落ち着かないさま、 である。 「騷(騒)」(ソウ)は、 会意兼形声。蚤(ソウ)は「虫+つめ」からなり、のみにさされてつめでいらいらと掻くことをあらわす。騷は「馬+音符蚤」で、馬が阿学にいら立つことをあらわす、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(馬+蚤)。「馬」の象形と「上からおおう手、または爪の象形と頭が大きくグロテスクなまむしの象形(「虫」の意味)」(飛び跳ねる虫を上から押さえ爪でつぶすさまから、「のみ」の意味を表すが、ここでは、「飛び跳ねる」の意味)から、飛び跳ねる馬を意味し、そこから、「さわぐ」、「さわがしい」を意味する「騒」という漢字が成り立ちました。また、「愁」に通じ(「愁」と同じ意味を持つようになって)、うれえる(嘆き悲しんで訴え出る)の意味も表します(https://okjiten.jp/kanji1231.html)、 ともあるが、他は、 形声。馬と、音符蚤(サウ)とから成る。馬がさわぐ、ひいて「さわぐ」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、 形声。騷に作り、蚤(そう)声。〔説文〕十上に「擾(みだ)るるなり。一に曰く、馬を摩(か)くなり」とあり、搔の字義をとる。〔楚辞、離騒〕の「離騷」は「騷(うれ)へに離(あ)ふ」の意。離は罹、騷は慅の通用義である(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 朝なぎに水手(かこ)の声呼び夕なぎに楫(かぢ)の音(おと)しつつ波の上(うへ)をい行きさぐくみ岩の間をい行き廻(もとほ)り稲日都麻(いなびつま)浦みを過ぎて鳥じものなづさひ行けば(丹比真人笠麻呂)、 の、 稲日都麻(いなびつま)、 は、 加古川河口の三角洲、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。「水手」については触れた。 い行きさぐくむ、 は、 波を押し分けて進み、 の意、 イは接頭語(仝上)、 さぐくみ、 は、 大鳥の羽がひの山に我が恋ふる妹はいますと人の言へば岩根さくみてなづみ来し(柿本人麻呂)、 とある、 さくみ、 と同源の語であろう(仝上)とある。 なづさふ、 には、 三重の子が挙(ささ)がせる美豆多麻宇岐(瑞玉盞 ミヅタマウキ)に浮きし脂落ちなづさひ(古事記)、 と、 水に浸り、もまれる 水に浮かびただよう、 意と、 懐む、 と当てたりして(大言海)、 幣にならましものをすべ神の御手に取られて奈津佐波(ナツサハ)ましを奈津佐波(ナヅサハ)ましを(「神楽歌(9C後)」)、 と、 (水にひたるように)相手に馴れまつわる、 なつく、 なじむ、 意とがある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)が、ここでは、 水鳥のようにもまれながら漂い行く、 と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 さぐくむ、 は、 韋衰u嶇、 と当て(大言海)、 間を縫ってすすむ、押し分ける(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、 高低を上がりつ下がりつ、經わたる、難處を労(いたづ)きつつ行く、また、さくむ(大言海)、 の意で、 サは発語、グクムは屈(くぐ)むにて、清濁を顚倒するなり(発語の下に、連声(れんじゃう)にて、清濁顚倒するなり、手約(てつづ)、てづつ。口約(くちつづ)、くちづつ。屈(くぐ)む、さぐくむ。被(かぶ)る、かがふる、のサもカも、発語なれば、此の如し。ほぞ(臍)、とぼそ(戸臍、樞)。隅違(すみちがひ、すぢかひ(筋違)も同列なり)、サクムと云ふは中略なり(憤(イクク)む、いくふ)(大言海)、 サク(裂)の延言(和訓栞)、 サククはサカ(嶮)の転サクの疊語(日本古語大辞典=松岡静雄)、サは接頭語で、ククムはクク(漏=間を抜け出る)を再活用した語か(小学館古語大辞典)、 とあるが、 「裂く」「咲く」などと同根の語をマ行に再活用させたものといわれる、 とあり(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、 我が恋ふる妹はいますと人の言へば石根(いはね)さくみ(左久見)てなづみ来しよけくもぞなき(万葉集)、 の、 さくむ、 と、 語形も意味も似ており、同源かという、 とし(仝上)、 「さくむ」が「岩根」「山」などについて用いられる、 のに対し、 「さぐくむ」は、 「波」についてのみ用いられる、 とし、大言海は、 さくむ、 は、 さぐくむの略、 としている。しかし、広辞苑、岩波古語辞典は、 さぐくむ、 と、 さくむ、 は別語とし、 山川(やまかは)を岩根さくみて踏み通り国求(ま)ぎしつつちはやぶる神を言向(ことむ)けまつろはぬ人をも和(やは)し掃き清め、 の、 さくむ、 は、 踏み分ける、 意としている。いずれとも決められないが、ほぼ同義で、 山川(やまかは)を岩根さくみて、 では、山にも水にも、区別せず使っているように見える。因みに、 さぐくむ、 は、 ま/み/む/む/め/め、 の、他動詞マ行四段活用、 さくむ、 も、 ま/み/む/む/め/め、 の、他動詞マ行四段活用である。 もし、山と波とで使い分けていたのだとしても、 さぐくむ、 ↓ さくむ、 と転訛することで、 押し分ける、 に、両用されるに至ったと見ることもできる。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 秋の田の穂田(ほだ)の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我(わ)を言(こと)成さむ(草嬢) の、 刈りばか、 は、 稲刈りの分担範囲、 をいい、 刈りばかか寄りあはば、 を、 稲刈りの分担範囲のその場で、ついこんなに近寄ったら、 と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 刈りばか、 の、 ばか、 は、 量(はか)、 の意とされ、 稲、草などを刈り取るべき分担範囲(区域)、 一人の刈るべき持ち分、 の意、あるいは、その、 刈り取る分担量、 仕事量、 の意とされ(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、一説に、、 刈り取る時分、 ともされる(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。 刈りばか、 の由来は、 ハカリ・ハカドル・ハカナシなどのハカ(岩波古語辞典)、 「はか」「はかがゆく」「はかどる」の「はか」で、分量や範囲の意(小学館古語大辞典)、 稲刈に、田に区分を分割して、刈り取ることを云ふ(萬葉集「秋の田の穂田の刈婆加(かりばか)か寄りあはばそこもか人の吾(あ)を言成(ことな)さむ」)。刈量(かりはか)の義ならむ。…功程(はか)のゆく、ゆかぬという語、是なるべし。然して、それがやがて、稻、茅の刈取という意となりしとおぼし(大言海)、 鎌がはいる所をいうカリハカ(刈刃処)の義、カリハ(刈刃)の略語が鎌(槻の落葉信濃漫録)、 バは地区の意のマの転呼、カも所の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、 等々とあるが、もともと はか、 で触れたように、 計、 量、 果、 捗、 と当てる、 はか、 には、 稲を植えたり刈ったりする時、まくた茅(かや)を刈るときなどの範囲や量、 また稲を植えた列と列の間、 をいう意があり(岩波古語辞典・広辞苑)。 稻を植え、又は刈り、或いは茅(かや)を刈るなどに、其地を分かつに云ふ語。田なれば、一面の田を、数区に分ち、一はか、二(ふた)はか、三(み)はかなどと立てて、男女打雑り、一はかより植え始め、又刈り始めて、二はか、三はか、と終はる。又稲を植えたる列と列との間をも云ふ。即ち、稲株と稲株との間を、一はか、二はかと称す(大言海)、 とあり、大言海は、この意に、 計、 を当て、これとは別に、 量(はかり)の約、 として、 量(はかり)の略。田を割りて、一はか二はかと云ふ。農業の進むより一般の事に転ず、 とし、 仕事の捗る、 という意味を載せる。和訓栞が、 はか、はかのゆくゆかぬと云ふ俗語は、計略の行なはるるをいふなるべし、 とするのは、意味の転じて後のこととか思われる。この意の場合、 捗、 と当て、 はかどる、 ともいう(広辞苑)。また、 はか、 には、当然そうした進捗の意味の外延に、 わが宿は雪ふる野べに道もなしいづこはかとか人のとめ来む(「班子女王(はんしじょおう)歌合(893頃)」)、 と見かう見、見けれど、いづこをはか(り)ともおぼえざりければ(伊勢物語)、 と、 目あて、あてど、 の意でも使われる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 はか、 の由来は、 ハカリ(計)の略(類聚名物考)、 量(はかり)の略、田の区画をいうハカの転義(大言海)、 ハテカ(終処)の義(槻の落葉信濃漫録)、 ハテ(終)城の義(雅言考)、 ハク、ハクルから出た語で行程の義(国語の語根とその分類=大島正健)、 等々あるが、上述したように、原義は、 計量に用いる基準、 の意で、そこから、 目標、 の意が生じ、さらに、 最終目標、終局の果てとしてのはか(墓)、 をも派生した(小学館古語大辞典)とする説もある。動詞、 はかる(計る・量る・測る・図る・謀る・諮る)、 は、 はかの動詞化、 はかり(計・量・測)、 は、その名詞化で、その派生語に、 はかどる(捗)、 があることは、上述した。この、 はか、 が、「はか」で触れたことだが、 はかない、 そこはか、 の「はか」に通じる。 はかなし、 は、 果無し、 果敢無し(無果敢)、 儚し、 の字を当て(大言海・岩波古語辞典)、 ハカは、仕上げようと予定した作業の目標量。それが手に入れられない、所期の結実のない意、 で、 これといった内容がない、とりとめがない、 てごたえがない、 物事の進捗などがわずかである、 うっけない、むなしい、特に人の死についていう、 等の意になる(広辞苑)。 はかがいかない、 という意味の、果てに、 とりとめがない、 むなしい、 と行きついたということになる。 「刈」(漢音ガイ、呉音ゲ)の異字体は、 乂、苅(俗字)、𠛄(古字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%88)。字源は、 会意兼形声。乂は、はさみを交差させることを示す。刈は「刀+音符乂」で、はさみでかって形を整えること、 とある(漢字源)。 会意形声。刀と、乂(ガイ)(草をかる)とから成る(角川新字源)、 会意兼形声文字です(メ+刂(刀)。「草かりようのはさみ」の象形と「刀」の象形から、「草をかる」を意味する「刈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1148.html)、 と会意兼形声文字とするが、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%88)、 形声。「刀」+音符「乂 /*NGAT/」。「かる」を意味する漢語{刈 /*ngats/}を表す字。もと「乂」が{刈}を表す字であったが、「刀」を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%88)、 形声。声符は乂(がい)。乂は鋏の象形。〔説文〕十二下に「乂は艸を芟(か)るなり」とし、重文として刈を加えるが、刈を乂治の意に用いることはなく、別の字として扱うべきである(字通)、 と、形声文字とする。 「量」(漢音リョウ、呉音ロウ)の異体字は、 倆(被代用字)、𨤥(古字)、𨤦(古字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8F)。字源は、 会意文字。「穀物のしるし+重」で、穀物の重さを天秤ではかることを示す。穀物や砂状のものは、はかりとますのどちらでもはかる。のち、分量の意となる、 とあり(漢字源)、 象形。流し口のある大きなふくろの形にかたどる。ふくろの中の物をますで「はかる」意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「穀物を入れる袋の上にじょうご(口の狭い容器に液体を注ぎ込む用具)をつけた」象形から「はかる」を意味する「量」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji665.html)、 象形。流し口のある大きな槖(ふくろ)の形。下部に土の形の錘(おもり)をそえている。〔説文〕八上に「輕重を稱(はか)るなり。重の省に從ひ、曏(きやう)の省聲」とするが、形も異なり、声も合わない。東は槖の初形のその象形。その上に流し口の形の曰を加え、下に錘(おもり)の土を加えた形で全体象形の字。これによって穀量をはかる。ゆえに量計・量知の意となる。一定量を糧という(字通)、 と、象形文字とするものが大勢であるが、 甲骨文字の形は四角形と「東」(袋)から構成され、のち「土」を加えて「量」の字体となる。字形の由来には多数の説が存在するが、いずれも憶測の域を出ず、定説はない、『説文解字』では「重」+「曏」と解釈されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「曏」とは関係がない、 として、 不詳、 としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8F)。 「計」(漢音ケイ、呉音ケ)は、 会意文字。「言+十(多くを一本に集める)」で、多くの物事や数を一本に集めて考えること、 とある(漢字源)。他も、 会意文字です(言+十)。「とってのある刃物の象形」と「くちの象形」と「針の象形」(「数字10」の意味)から数字を(つつしんで)口にする、すなわち「かぞえる」を意味する「計」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji356.html)、 会意。言と、十(まとまった数)とから成り、物の数を口で「かぞえる」、ひいて「はかる」意を表す(角川新字源)、 会意。言+十。〔説文〕三上に「會なり。筭(さん)なり」とあり、年間の総括計算、要会の意とする。〔周礼、天官、大宰〕に「歳終には〜其の會を受けしむ」とある会の意で、〔周礼、天官、小宰〕には「要會」という。また〔周礼、春官、占人〕に「歳終には則ち其の占の中否を計(かぞ)ふ」とあって、そのことは卟(けい)といった。計・卟はもと同じ語で、のちに分化した字であろう。計は言に従い、もと祝禱に関する語であったと思われる(字通)、 と、会意文字とするが、 会意文字と解釈する説があるが、これは誤った分析である、 として、 形声。「言」+音符「十 /*KƏP/」。「はかる」を意味する漢語{計 /*kiips/}を表す字、 と、形声文字としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%88)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大原のこのいち柴のいつしかと我が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも(志貴皇子)
我が持てる三相(みつあひ)に搓(よ)れる糸もちて付(つ)けてましもの今ぞ悔(くや)しき(安倍郎女)
神木(かむき)にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも(大伴安麻呂) 「神(~)」(漢音シン、呉音ジン)の異体字は、 䘥、䰠、柛、衶、𤕊、𥙍、𥛃、𥛠、𥜩、𥞁、𧴢 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%9E)。「神」の字源は、「神さびる」で触れたように、 会意兼形声。申は、稲妻の伸びる姿を描いた象形文字。神は「示(祭壇)+音符申」で、稲妻のように不可知な自然の力のこと、のち、不思議な力や、目に見えぬ心のはたらきをもいう(漢字源)、 会意形声。示と、申(シン)(いなびかり)とから成り、空中をただよう「かみ」、ひいて、人間わざを超えたはたらきの意を表す(角川新字源)、 会意兼形声文字です(ネ(示)+申)。「神にいにしえを捧げる台の象形」と「かみなりの象形」から、天の「かみ」を意味する「神」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji426.html)、 と、会意兼形声文字とするが、 形声。「示」+音符「申 /*LIN/」。「かみ」「たましい」を意味する漢語{神 /*lin/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%9E)、 と、形声文字とする説もある。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、 会意文字。「示(=神事)」、「申(=のばす)」 としている(漢辞海)が、語系として、 〔説文〕などの訓は伸sjienの声義によるものであろう。~は神威のおそるべきものであるから、電光の現象はむしろ瞋thjienの声義と関係があろう。古代の神には怨霊神が多い(字通)、 とある。 神、 は、 日・月・風・雨・雷など自然界の不思議な力をもつもの、 天のかみ、 で、 祇(ギ 地の神)、 鬼(人の魂)、 に対することば(漢字源)とある。なお、 「申」(シン)、 は、 会意文字。稲妻(電光)を描いた象形文字で、電(=雷)の原字、のち、「臼(両手)+h印(まっすぐ)」のかたちとなり、手でまっすぐのばすこと、伸(のばす)の原字、 とある(仝上)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
神木(かむき)にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも(大伴安麻呂)
雨障(あまつつ)み常する君はひさかたの昨夜(きぞ)の夜(よ)の雨に懲(こ)りにけむかも(大伴郎女)
うちひさす宮に行く子をま悲しみ留(と)むれば苦し遣(や)ればすべなし(大伴宿奈麻呂宿禰) 人言(ひとごと)を繁み言痛(こちた)み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子(高田女王) の、 人言(ひとごと)、 は、 他人の言葉、 世人の言葉、 の意(広辞苑)、 ひとごと、 は、 他人言、 とも当てるように、 ひとごとの頼みがたさはなにはなる蘆の裏葉のうらみつべしな(後撰和歌集)、 と、 他人のいう言葉、 の意だが、そこから広げて、 現世(このよ)には人言(ひとごと)繁し来む世にも逢はむ我が背子今にあらずとも(万葉集)、 と、 人のうわさ、 世間の評判、 の意で使う(デジタル大辞泉)。 人言、 を、 じんげん、 と訓ませると、 内省不疚、何恤人言(後漢書・班超傳)、 と、漢語で、 人のうわさ、 の意で、それを使い、我が国でも、 空堂寂莫人言少、雑樹朦朧暗昏暁」(「経国集(827)」)、 と、 人の話すことば、 人語、 の意や、 治房曰、人言果不可聴也(「日本外史(1827)」)、 世人のうわさ、 取り沙汰、 また、 ある人が口に出したことば、 人の話、 の意で使う(精選版日本国語大辞典)。 ひとごと、 に、 人事、 と当てると、 じんじ、 にんじ、 とも、 ひとごと、 とも訓ませ、 ひとごと、 と訓ませれば、 他人事、 とも当て、 かく世のひとごとのうへを思いて(紫式部日記)、 と、 他人に関すること、 の意や、 人の国にかかる習ひあなりと、これらになきひとごとにて伝へ聞きたらんは(徒然草)、 と、 自分には関係のないこと、 よそごと、 の意で(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、 にんじ、 と訓ませると、仏教で、 坐禅弁道すること三十余年なり。人事たえて見聞せず(正法眼蔵)、 と、 人間界のこと、 また、 人の行なうべき事柄、 人生の諸事、 の意になる(仝上)。 じんじ、 と訓ませれば、漢語で、 人事不省、 人事棺を蓋(おほ)いて定まる、 人事を尽くして天命を待つ、 等々に使われているように、 此地幽閑人事少、唯余風動暮猿悲(「文華秀麗集(818)」)、 と、 (自然、超自然の事柄に対して)人間に関する事柄、人間社会の事件、 今朝人事繁多、寺家公事不及披露而退出也(蔭凉軒日録‐寛正五年(1464)一二月二五日)、 と、 人の行なう、また行なうべき事柄、また、人のなしうる仕事、 此程よりして奥方には、更に人事(ジンジ)も覚えぬ程重態にござりますれば(歌舞伎「関原神葵葉(1887)」)、 と、 人としてはっきりした意識でいること、人としての知覚、感覚、 等々、人に関わることとして使われ、今日でも、 人事部、 人事権、 人事考課、 等々広く使われている。なお、 「ひとごと」の「人事」、「他人事」の「 ひとごと」、については触れた。 「言」(@漢音ゲン・呉音ゴン、A漢音ギン・呉音ゴン)は、 会意文字。「辛(きれめをつける刃物)+口」で、口をふさいでもぐもぐいうことを音(オン)・諳(アン)といい、はっきりかどめをつけて発音することを言という、 とあり(漢字源)、曰(えつ)・謂(い)と同義の、「いふ」意、「遺言」「言行一致」など「口に出す」意、「五言絶句」「一言」など「言葉や文字の数」の意、「言刈其楚」と「ここ」の意、「言言(げんげん)」と「いかめしい」意の場合は、@の音、慎む意の「言言(ぎんぎん)」の場合は、Aの音となる(仝上)とある。他に、 会意。辛(しん)+口。辛は入墨に用いる針の形。口は祝詞を収める器のꇴ(さい)。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟の意をもって、その盟誓の器の上に辛をそえる。その盟誓の辞を言という。〔周礼、秋官、司盟〕に「獄訟有るは、則ち之れをして盟詛(めいそ)せしむ」とみえるものが、それである。〔説文〕三上に「直言を言と曰ひ、論難を語と曰ふ」とし、また字を䇂(けん)声に従うとするが、卜文・金文の字は辛に従う。かつ言語は、本来論議することではなく、〔詩、大雅、公劉〕は都作りのことを歌うもので、「時(ここ)に言言し 時に語語(ぎよぎよ)す」というのは、その地霊をほめはやして所清めをする「ことだま」的な行為をいう。言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった(字通)、 会意文字です(辛+口)。「取っ手のある刃物」の象形と「口」の象形から悪い事をした時は罪に服するという「ちかい・ことば」を意味する「言」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji198.html)、 と、会意文字とするものもあるが、 『説文解字』では「䇂」+「口」と分析されており、「辛」+「口」と解釈する説もあるが、甲骨文字の形とは一致しない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%80)、 とあり、上述の、 辛(しん)+口、 とする説を否定し、 「舌」+「一」。「いう」を意味する漢語{言 /*ngan/}を表す字。もと「舌」が{言}を表す字であった(甲骨文字に用例がある)が、区別のために横画を加えた(仝上)、 としている。それと同趣旨なのは、 象形。口の中から舌がのび出ているさまにかたどる。口からことばを発する意を表す(角川新字源)、 で、象形文字としている。 「事」(漢音シ、呉音ジ、慣用ズ)の異字体は、 亊(俗字)、叓(俗字)、𠁱、𠃍(略字)、𠭏(古字)、𤔇、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%8B)。字源は、 会意文字。「計算に用いる竹のくじ+手」で、役人が竹棒を筒の中にたてるさまを示す。のち人のつかさどる所定の仕事や役目の意に転じた。また、仕(シ そばにたってつかえる)に当てる、 とある(漢字源)。しかし、同じ会意文字でも、 会意。史+吹き流し。史は木の枝に祝詞の器(ꇴ(さい))をつけて捧げる形。廟中の神に告げ祈る意で、史とは古くは内祭をいう語であった。外に使して祭るときには、大きな木の枝にして「偃游(えんゆう)」(吹き流し)をつけて使し、その祭事は大事という。それを王事といい、王事を奉行することは政治的従属、すなわち「事(つか)える」ことを意味した。史・使・事は一系の字。卜辞には「人を河に事(つかひ)せしめんか」「人を嶽に事せしめんか」のようにいい、河岳の祭祀はいわゆる外祭である。金文に使役の形式を「〜史(せ)しむ」のように、史を使役に用いる(字通) と、解釈が異なり、他は、 形声。意符史(記録官)と、音符之(シ)の省略形とから成る。記録官の意を表す。もと、史(シ)・吏(リ)・使(シ)に同じ。一説に、象形で、文書をはさんだ木の枝を手に持つ形にかたどるという(角川新字源)、 象形文字です。「神への祈りの言葉を書きつけ、木の枝に結びつけたふだを手にした」象形から、「祭事にたずさわる人」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「しごと、つかえる」を意味する「事」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji491.html)、 とばらばらで、さらに、 もと「吏」の異体字。秦の時代に使い分けが生じた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%8B)、 と、「吏」の異字体とする説もある(仝上)。 「吏」(リ)は、 もと「史」の異体字で、甲骨文字ではしばしば用法が区別されない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%8F)、 とあり、 「史」(シ)は、 会意。史官を象徴するある種の道具を手に持ったさまを象る(具体的な由来は明らかではなく、さまざまな説があるが定説はない。「書記」を意味する漢語{史 /*srəʔ/}を表す字、 で、もと、 「吏」「事」と同一字、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%B2)、『説文解字』では、 「中」+「又」と分析されているが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「中」とは関係がない、 としている(仝上)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
人言(ひとごと)を繁み言痛(こちた)み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子(高田女王) 常(つね)やまず通ひし君が使(つかひ)来(こ)ず今は逢はじとたゆたひぬらし(高田女王) の、 たゆたふ、 は、 ためらう、 と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 たゆたふ、 は、 揺蕩ふ、 猶予ふ、 と当て、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、 と活用する、自動詞ハ行四段活用で(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、 天雲(あまくも)の多由多比(タユタヒ)来れば九月(ながつき)の黄葉(もみち)の山もうつろひにけり(万葉集) 大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなはら)のたゆたふ波に立てる白雲(しらくも)(仝上) と、 こなたかなたへただよいて、一方へ定まりてはすすまます、ゆたゆた揺れて定まらず(大言海)、 水などに浮いているものや煙などが、あちらこちらとさだめなくゆれ動く、ひと所にとまらないでゆらゆらと動く、ただよう(精選版日本国語大辞典)、 の意で、それをメタファに、冒頭の、 常(つね)止まず通ひし君が使ひ来(こ)ず今は逢はじと絶多比(たゆタヒ)ぬらし、 と、 とやかくやせんと、思ひやすらひて、進まず。思ひて決せず(大言海)、 心が動揺して定まらなくなる、ぐずぐずして決心がつかない状態になる、躊躇(ちゅうちょ)する、ぐずぐずする(精選版日本国語大辞典)、 つまり、 ためらう、 意で使い、 躊躇、 猶餘、 依違(いゐ)、 等々とも当てる(大言海)。 たゆたふ、 の由来は、 タは接頭語、ユタは緩やかでさだまらないさま(岩波古語辞典)、 ユタユタの略タユタの活用語(万葉考)、 タユミ-タタフ(湛)の義(名言通)、 漂う意で、タユタユ(徒動徒動)の義(言元梯)、 タは接頭語、ユタはユタカ(裕)の語幹(日本古語大辞典=松岡静雄)、 等々諸説あるが、現代語で、 ゆったり、 という擬態語がある。これについて、類義語、 ゆっくり、 と対比して、 ゆったり、 は、 状態や心の余裕やゆとりがあることが意味の中心である、 のに対して、 ゆっくり、 は、 動作自体に時間をかけて行うことに意味の中心がある、 としていて(擬音語・擬態語辞典)、 ゆったり、 は、ふるく、 ゆたに、 ゆたふ、 ゆたゆた、 があり、これらの、 ゆた、 や、豊(ゆたか)の、 ゆた、 と関係がある(仝上)と推測している。 ゆたゆた、 は、少し後のことになるが、 絃を引はらず、ゆたゆたとゆるやかにのべて(評判記「色道大鏡(1678)」)、 と、 物がゆるやかにゆれるさま、また、ゆっくりしたさま、 で、 ゆらゆら、 ゆるゆる、 ゆさゆさ、 の意で使われている(大言海・精選版日本国語大辞典)。これは、明らかに、 擬態語、 である。 ゆたのたゆたに、 で触れたことだが、 ゆたのたゆたに、 は、 寛のたゆたに、 と当て、後世、 ゆだのたゆだに、 ともいい(精選版日本国語大辞典)、 ゆらゆらとただよい動いて、 甚だ揺蕩(たゆた)ひて、 といった(仝上・大言海)状態表現の意で、それが、価値表現に敷衍して、 不安定で落ち着かないようす、 を表す(学研全訳古語辞典)。この、 ゆた、 は、 寛、 と当て、 かくばかり恋ひむものそと知らませばその夜(よ)はゆたにあらましものを(万葉集)、 と、 ゆったりしたさま、 余裕のあるさま、 の意で(岩波古語辞典)、さらに、上述の、 ゆたにたゆたに、 のように、 ゆったりして不定のさま、 の意になり(仝上)、 たゆたに、 は、 タは接頭語、 で、 ゆたに、 ともいい、 ゆた、 は、上述のように、 ゆるめやかでさだまらないさま、 の意となり(仝上)、 ゆらゆら、 の状態表現から、 気持の揺れて定まらないさま、 の価値表現としても使う(仝上)、この、 ゆた、 とつながると思われる、動詞の、 ゆたふ、 は、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ と、自動詞ハ行四段活用で、 (太鼓の)中の皮はゆたひたる故、(ばち)緩く当つるなり(教訓抄)、 と、 ゆるくなる、 たるむ、 ゆるむ、 意になる。接頭語、 た、 は、 動詞・形容詞の上につく。意味は不明、 とある(岩波古語辞典)が、 誰か多佐例(タされ)放(あら)ちし吉備なる妹を相見つるもの(日本書紀)、 霜の上に霰たばしりいや増しに我(あ)れは参(ま)ゐ来(こ)む年の緒長く(万葉集)、 と、 た謀る、 た易い、 たばしる、 等々というように、 語調をととのえる、 ともある(仝上・精選版日本国語大辞典)。しかし、 たばしる、 と はしる、 では、 たゆたふ、 と、 ゆたふ、 のように、含意にわずかに違いがあるのではないか、という気がしてならない。 また、かりに、 ゆたふ、 たゆたふ、 の、 ゆた、 が、 ゆたか、 ゆた、 だとすると、 ゆたか、 は、 豊か、 寛か、 饒か、 裕か、 等々と当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、 豊富・富裕なさま、 広々と余裕のあるさま、 不足なく整っているさま、 六尺豊か、というように他の語について、不足のないことを表す、 といった意味の幅がある(岩波古語辞典 大言海は、他の語につくのは、六尺ゆたか、のような接尾語として別項を立てている)が、どうやら、 風雨時に順ひて、五の穀(たなつもの)豊穰(ユタカ)なり。三稔(みとせ)の間、百姓富み寛(ユたか)なり(日本書紀)、 と、 物の豊かさ、 から、それをメタファに、 天皇、壮大(をとこさかり)にして、士(ひと)を愛(め)で賢(さかしき)を礼(ゐやま)ひたまふて、意(みこころ)豁如(ユタカニましま)す」(日本書紀)、 と、 心の余裕、 の意に広がったように見える。 ゆたかの語源は、 「ゆた」+接尾辞「か」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%9F%E3%81%8B)、 「ゆた」+接尾語「か」(精選版日本国語大辞典)、 とされ、「ユタ」は、 擬音語に基づく、 とする説がある(広辞苑)。言葉の幅を考えると、 擬音語、 が先か、 擬態語、 が先かはわからないが、前述の、 ゆったり、 で、 ゆたゆた、 を、 擬態語、 と見なしたことと繋がり、日本語が、いわゆる、 オノマトペ、 つまり、 擬音語、 擬態語、 の多い特異な言語で、昨今の、 あ゛ のように、様々な工夫があることに鑑みると、擬音語・擬態語由来に行き着くのである。これは、「文字」を持たなかった 文脈依存型、 の名残りなのではないか、という気がする。 形容詞シク活用の、 たゆたゆし(揺蕩)、 も、 たゆたふ、 と繋がり、 あちこちにゆれ動いて定まらない状態である、 意から、 さやうのすぢを思ひもよらずたゆたゆしくてのみながらへて(夜の寝覚)、 と、 ぐずぐずしている、 意に使われている(精選版日本国語大辞典)。 「揺」(ヨウ)の異体字は、 搖(旧字体/繁体字)、摇(簡体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8F%BA)。字源は、 会意兼形声。䍃(ヨウ)は「肉+缶(ほとぎ 酒や水を入れた、胴が太く口の小さい土器)」の会意文字で、肉をこねる器。舀(トウ・ヨウ)の異体字。揺は「手+音符䍃」で、ゆらゆらと固定せず動くこと。游(ユウ ゆらゆら)と非常に近い、 とある(漢字源)。同じく、 会意兼形声文字です。「5本の指のある手」の象形と「肉の象形と酒などの飲み物を入れる腹部のふくらんだ土器の象形」(神に肉をそなえ歌うさまから、「声を強めたり、弱めたりして口ずさむ」の意味)から、「手で上下左右に動かす」、「ゆする」を意味する「揺」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1781.html)、 ともあるが、他は、 形声。手と、音符䍃(エウ)とから成る。ゆりうごかす、ひいて「ゆれる」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源) 形声。声符は䍃(よう)。䍃は缶(ほとぎ)の上に肉をおく形。何かを祈るときの行為であるらしい。〔説文〕十二上に「動くなり」とあり、ゆり動かすような、不安定な状態をいう。〔詩、王風、黍離(しより)〕「中心搖搖たり」の〔伝〕に「憂ふるも、愬(うつた)ふる所無きなり」とみえる。〔爾雅、釈訓〕に字を「忄+䍃、忄+䍃」に作り、「憂ふるも告ぐる無きなり」とあって、声義の通ずる字である(字通) と、形声文字としている。 「蕩」(漢音トウ、呉音ドウ)の異体字は、 蘯、盪、 とある(https://kanji.jitenon.jp/kanjif/2799)。字源は、 会意兼形声。「艸+音符湯(ゆれうごく水)」で、大水で草木がゆれうごくこと、 とある(漢字源)。別に、 形声。「艸」+音符「湯 /*LANG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%95%A9)、 と、形声文字とある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
己妻(おのづま)と頼める今夜(こよひ)秋の夜の百夜(ももよ)の長さありこせぬかも(笠金村) |
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