南無阿弥陀ほとけの御手に懸くる糸のをはり乱れぬ心ともがな(新古今和歌集)、 の詞書に、 臨終正念ならむことを思いてよめる、 とある、 臨終正念、 は、 死に臨んで心静かに佛を念ずること、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)が、「正念に往生す」で触れたように、 臨終のときに心が乱れることなく、執着心に苛まれることのない状態のこと、 である。 願わくは弟子等、命終の時に臨んで心顚倒せず、心錯乱(しゃくらん)せず、心失念せず、身心に諸の苦痛なく、身心快楽(けらく)にして禅定に入るが如く、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて阿弥陀仏国に上品往生せしめたまえ、 とある(善導『往生礼讃』発願文)のが、 臨終正念のありさまを示したもの、 とされる(仝上)。これは、 臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明(あきらか)なり、 とある(法然『逆修説法』)ことや、 念仏もうさんごとに、つみをほろぼさんと信ぜば、すでに、われとつみをけして、往生せんとはげむにてこそそうろうなれ。もししからば、一生のあいだ、おもいとおもうこと、みな生死のきずなにあらざることなければ、いのちつきんまで念仏退転せずして往生すべし。ただし業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあい、また病悩苦痛せめて、正念に住せずしておわらん。念仏もうすことかたし、 という(歎異抄)の、 他力本願、 からいえば、 念仏申す毎に罪を滅ぼして下さると信じて「念仏」申すのは、自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、 となり、 一心に阿弥陀如来を頼むこと、 に通じていく(http://www.vows.jp/tanni/tanni29.htm)。 「正念」は、「正念場」で触れたように、 四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいること、 と(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93)とある。 意識が常に注がれている状態、 である。しかし、他力本願では、 自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、 ではなく、 一心に阿弥陀如来を頼み、命の終わる最後まで、怠ることなく念仏し続けること、 を指すと思われる。この、 正念、 と、 正念場・性念場、 との関係については、「正念場」で触れた。 御手に懸くる糸のをはり乱れぬ心ともがな、 は、 阿弥陀如来の御手に懸ける五色の糸の端が乱れないように、乱れることのない心で死を迎えたいなあ、 と注釈されている(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。この、 糸、 は、 青黄赤白黒の五色の糸、 で、 臨終を迎える人はその端を握って往生を祈る、 とある(仝上)。この色は、今日的には、 青は緑、黒は紫を指す、 という(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2%E3%81%AE%E7%B3%B8)。この糸を、 念仏者の臨終の際に、阿彌陀の手から自己の手にかけ渡し、引接(いんじょう)を願ったもの、 ともある(広辞苑)。 引接、 は、 引摂、 とも当て、 仏・菩薩(ぼさつ)が衆生をその手に救い取り、悟りに導くこと、 の意だが、特に、 臨終のとき、阿弥陀仏が来迎(らいごう)して極楽浄土に導くこと。 をいう(仝上・デジタル大辞泉)。なお、密教では、 五智(ごち)を表わし灌頂(かんじょう)に用いられる青、黄、赤、白、黒の五色の糸、 をさす(精選版日本国語大辞典)ともある。これだけだとわかりにくいが、『今昔物語』に、 枕上に阿弥陀仏を安置して、其の御手に五色の糸を付け奉りて、其れを引て、念仏を唱うる事、四五十遍計して、寝入るが如くいて絶入ぬ、 とあるように、 極楽往生を願う者が臨終において横たわりながらも自らの手で引くために、仏像や仏画の尊像の手に付した糸のこと、 とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2%E3%81%AE%E7%B3%B8)。ただ、源信『横川首楞厳院(よかわしゅりょうごんいん)二十五三昧起請』や良忠『看病用心鈔』などでは、「糸」ではなく五色の、 幡(ばん)、 を用いるとしている(仝上)。 幡、 は、 幡(はた)、 ともいい、 旛、 とも書く、サンスクリット語の、 patākāの漢訳、 で、 荘厳のために堂内の柱・天蓋などに懸けるほか、大会のときには庭に立て掛ける。戦場で用いられた戦勝幡が、仏・菩薩の降魔の威徳を示す標識として道場を荘厳する具となった。幡のもつ降魔の威力により、福徳を得て延寿と浄土住生を得ると理解された、 とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%B9%A1)。 五色幡(ごしきばた)、 は、 上から青(緑)・黄・赤・白・黒(紺)の順に重ねた五色を配した幡、 をいい、 六手四足という形で布または紙で作る。幡は仏菩薩の降魔の威徳・象徴として道場を荘厳する具となり、幡のもつ降魔の威力が福徳・延寿を生ぜしめるものと解された。四天王幡・五如来幡などに用いることがある。地鎮式などのときには、式場の四隅に「持国天王」などと記した幡を掛けて結界する、 とある(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2%E5%B9%A1)。 仏教でいう、 青(しょう)・黄(おう)・赤(しゃく)・白(びゃく)・黒(こく)、 の、 五色(ごしき)、 は、 五正色(しょうじき)、 五大色、 ともいい(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2)、 五正色、 は、 東・中央・南・西・北の五方、 に配し、 五間色(緋・紅・紫・緑・碧)、 に対していう(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2)とある。インドでは袈裟に用いてはならない華美な色であったが、中国では五色の観念が五行説に関連づけられ(仝上)、五色を、 信(しん)・精進(しょうじん)(勤(ごん))・念(ねん)・定(じょう)・慧(え)、 の、 五根(ごこん)、 にあてて、 白を信色、赤を精進色、黄を念色、青を定色、黒を慧色、 とする(日本大百科全書)し、密教では、 五智(ごち)、 五仏、 五字、 などに配したりする(仝上・精選版日本国語大辞典)。また、 五大色、 は、 地水火風空の五元素のもつ固有の色、 をいい、 地大は黄、水大は白、火大は赤、風大は黒、空大は青、 としている(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E8%89%B2)。で、 五色の雲、 は、 聖衆来迎の瑞相とされる瑞雲、 をいい、 五色の糸、 は、上述のように、 臨終のときに阿弥陀仏の手から念仏者の手に渡して引接を願う、 ために用いた(仝上)。 善光寺のご開帳のときは、一光三尊阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸が五色の糸にかわり、白い善の綱として本堂の前の回向柱に結ばれている。また、五色のなかの黒を紺などに変えて、施餓鬼会の五輪幡はじめ五色幡で用いられている、 ともある(仝上)。この、 五色、 は、 単なる色彩の話ではありません。これらの色は、宇宙と自然界の深い理解、そして人間の精神の調和に対する深遠な洞察を表しています、 とあり(https://tokuzoji.or.jp/goshiki/)、 それぞれの色が象徴する意味は、宇宙の基本的な要素と深く結びついており、それぞれが特定の方角、自然の力、さらには人間の心理状態とも関連しています、 とある(仝上)。で、 青は東方、空、治癒の力、 黄色は中央、大地、安定、 赤色は南方、生命力、力、 白は西方、純粋さ、清浄、 黒は北方、神秘、深遠、 を表し(仝上)、 仏教徒にとって宇宙の調和と自己の内面の平穏を理解する手段、 だとしている(仝上)。 「五」(ゴ)は、「五蘊」で触れたように、 指事。×は交差をあらわすしるし。五は「上下二線+×」で、二線が交差することを示す。片手の指で十を数えるとき、→の方向に数えて、五の数で←の方向に戻る。その転回点にあたる数を示す。また語(ゴ 話をかわす)、悟(ゴ 感覚が交差してはっと思い当たる)に含まれる、 とある。(漢字源)。互と同系(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%94)ともある。別に、 指事文字です。「上」・「下」の棒は天・地を指し、「×」は天・地に作用する5つの元素(火・水・木・金・土)を示します。この5つの元素から、「いつつ」を意味する「五」という漢字が成り立ちました、 との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji127.html)。 「色ふ」で触れたように、「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、 象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、 とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、 象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、 とも、 会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2)、 とも、 会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji143.html)、 ともある。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 濁りなき亀井の水をむすびあげて心の塵をすすぎつるかな(新古今和歌集)、 の、 亀井の水、 は、 四天王寺境内の亀井堂にある井泉、 で、 劫を経て救ふ心の深ければ亀井の水は絶ゆる世もあらじ(赤染衛門)、 と、 石の亀の像の下から霊水が湧き出る、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 心の塵、 は、仏教でいう、 六塵の樂欲(ぎょうよく)、 の、 色・声・香・味・触・法、 をいい、 「塵」は「濁り」の縁語、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 樂欲(ぎょうよく)、 の、 楽、 は、 好む、 意で、 願い求めること、 欲望、 の意である。徒然草に、 まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる、 とある。 六塵、 は、 六境(ろっきょう)、 のことで、 色境(色や形)、 声境(しょうきょう=言語や音声)、 香境(香り)、 味境(味)、 触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、 法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、 をいい、これが、人身に入って本来清らかな心を汚すことから、 塵、 という。 六根五内、 で触れたように、 根、 は(「根機」で触れた)、 能力や知覚をもった器官、 を指し(日本大百科全書)、 サンスクリット語のインドリヤindriya、 の漢訳で、原語は、 能力、機能、器官、 などの意。 植物の根が、成長発展せしめる能力をもっていて枝、幹などを生じるところから根の字が当てられた、 とあり(仝上)、外界の対象をとらえて、心の中に認識作用をおこさせる感覚器官としての、 目、耳、鼻、舌、身、 また、煩悩(ぼんのう)を伏し、悟りに向かわせるすぐれたはたらきを有する能力、 の、 信(しん)根、勤(ごん)根(精進(しょうじん)根)、念(ねん)根(記憶)、定(じょう)根(精神統一)、慧(え)根(知恵)、 をも、 五根(ごこん)、 という(広辞苑・仝上)が、 目、耳、鼻、舌、身、 に、 意根(心)を加えると、 六根、 となる(精選版日本国語大辞典)。仏語で、 六識(ろくしき)、 は、 六根をよりどころとする六種の認識の作用、 すなわち、 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識、 の総称で、この認識のはたらきの六つの対象となる、 六境(ろっきょう)、 即ち、 色境(色や形)、 声境(しょうきょう=言語や音声)、 香境(香り)、 味境(味)、 触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、 法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、 といい、 六塵(ろくじん)、 ともいう対象に対して、認識作用のはたらきをする場合、その拠り所となる、 六つの認識器官、 である。だから、 眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根、 といい、 六情、 ともいう(仝上)。 六つの認識器官(能力)の、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の、 六根、 六つの認識対象の、色境・声境・香境・味境・触境・法境の、 六境、 六塵、 六つの認識作用の、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の、 六識、 の、 六根と六境を合わせて十二処、 さらに、 六識を加えて、 十八界、 と(https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AD%E6%A0%B9%E3%83%BB%E5%85%AD%E5%A2%83%E3%83%BB%E5%85%AD%E8%AD%98)いわれる。仏教で説くさまざまな法(梵語dharma)は、これら一八に集約することができる。それはつまり、我々の経験しうる世界が、これら一八の要素から成立していることを意味する(仝上)とある。 「塵」(漢音チン、呉音ジン)は、 𪋻、 が同字とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%F0%AA%8B%BB)、字源は、 会意文字。「鹿+土」で、鹿の群れの走り去ったあとに土ぼこりがたつことを示す。したにたまるごく小さい土の粉のこと(漢字源)、 会意。正字は𪋻 (そ)+土。群鹿の奔るときの土烟をいう。〔説文〕十上に「鹿行きて土を揚(あ)ぐるなり」という。のち塵埃の意に用い、俗事を塵事、世外を塵外という(字通)、 と、会意文字とされる。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 万世(よろづよを)を松の尾山の蔭茂み君をぞ祈るときはかきはに(新古今和歌集)、 の、 ときはかきはに、 は、 永久不変に、 の意とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 ときはかきはに(ときわかきわに)、 は、 常磐堅磐に、 と当て、 とこしえに、 永久不変に、 の意とある(広辞苑・大言海)。 常磐、 は、 トコ(常)イワ(磐)の約、 とあり(仝上・岩波古語辞典)、 常磐(ときわ)なすかくしもがもと思へども世の事(こと)なれば留(とど)みかねつも(万葉集)、 と、 永遠に、しっかりと同一の性状を保つ岩、 の意で、それをメタファに、 大皇(おほきみ)は常磐(ときは)に座(ま)さむ橘の殿(との)の橘ひた照りにして(万葉集)、 と、 永久不変、 の意で使い(仝上)、さらに、 八千種(くさ)の花はうつろふ等伎波(トキハ)なる松のさ枝をわれは結ばな(万葉集)、 と、 松、杉などの常緑樹の葉が、年中その色を変えないこと、 つまり、 常緑、 の意でも使い、 常磐木(ときわぎ)、 ともいい、この場合、 常葉(とこわ)、 という言い方もする(仝上・精選版日本国語大辞典)。 かきは、 は、 かたきいはの略約(大言海)、 カタ(堅)イハ(岩)の約(岩波古語辞典)、 かたしは(堅磐)(精選版日本国語大辞典)、 とあり、 天の安河(やすのかは)の河上の天の堅石(かたしは)を取り、天の金山の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に科(おほ)せて鏡を作らしめ(古事記) と、 かたい岩、 の意で、 常磐と重ねて、堅く永久に変わらないことを祝う語、 として使う(岩波古語辞典)。本来は、 カタイハの約で、カチハとあるべき語、「ときは」のキに引かれて誤ったもの、 とある(仝上)。九条家本祝詞に、堅磐の傍訓として、 カチハ、 とあり、 カキハと訓むのは、トキハから類推した院政期以降の誤り、 という(仝上)。 「磐」(漢音ハン、呉音バン)は、 会意兼形声。「石+音符般(平らに広げる)」、 とある(漢字源)。また、 会意兼形声文字です(般+石)。「渡し舟の象形と手に木のつえを持つ象形」(「大きな舟を動かす」、「大きい」の意味)と「崖の下に落ちている、いし」の象形から、大きい石「いわ」を意味する「磐」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2618.html)、 ともあるが、他は、 形声文字。音符「般」と「石」を合わせた字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A3%90)、 形声。石と、音符般(ハン)とから成る。(角川新字源)、 形声。声符は般(はん)。般は盤の初文。平らかで円く大きな器で、そのような形状の岩石を磐という。〔文選、海の賦、李善注〕に引く〔声類〕に「大磐石なり」とみえ、〔易、漸、注〕に「山石の安きなり」という。古い字書にはみえない字である。盤と通用する(字通)、 と、形声文字とする。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 相生(あひおひの)の小塩(をしほ)の山の小松原今より千代の蔭を待たなむ(新古今和歌集)、 の詞書に、 後冷泉院幼くおはしましける時、卯杖の松を人の子に賜はせけるに、よみ侍る、 とある、 卯杖の松、 の、 卯杖、 とは、 邪気を払う杖、 をいい、 正月初卯の日、諸衛府、大舎人寮から皇室に献上された、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 卯杖の松、 は、 松の卯杖、 ということになる。 魔除けの具、 となる、 卯杖(うづゑ)、 は、 御杖(みづゑ)、 ともいい、 正月甲寅朔、乙卯、大学寮、獻杖八十枚(持統紀)、 とあるように、 正月上の卯の日に、大学寮から、後には諸衛府・大舎人寮から、天皇・中宮・東宮などに献上した。ヒイラギ・ナツメ・桃・梅・椿・柳などを五尺三寸(約1.6メートル)に切り、五色の絲を巻く、 とあり(岩波古語辞典)、 これを御帳の四隅に立てた、 という(ブリタニカ国際大百科事典)。平安時代には、この宮中の行事が個々の貴族に広がり、互いに「卯杖」を贈り合っている。この卯杖を贈る風習は、神社などの行事にもとり入れられ、 伊勢神宮では内・外宮に奉納し、賀茂神社では社家の間に配り、和歌山市の伊太祁曾(いだきそ)神社では毎年正月15日に卯杖祭を行う(マイペディア)、 とか、 太宰府天満宮で正月7日の追儺祭 (ついなのまつり) にこれで鬼面を打ったり、和歌山県伊太祁曾神社で正月 14日夕方神前に卯杖を供える(ブリタニカ国際大百科事典)、 とかの例がある。なお、 御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなるうづちふたつを、卯杖のさまに頭などをつつみて(枕草子)、 とある、 卯槌、 は、用途は「卯杖」と同じだが、形態が、 槌、 になっている。 卯槌、 は、 正月初の卯の日に糸所(いとどころ)および六衛府から、内裏に邪気払いとして奉った槌、 をいい、 卯杖の変形したもの、 で、 普通桃の木を用い、長さ三寸(約一〇センチメートル)、幅一寸(約三センチメートル)四方の直方体を作り、縦に穴をあけ、一〇本ないし一五本の五色の組糸を五尺(約一・五メートル)ばかり垂らしたもの、 で、円形のものもあり、 内裏では昼御座(ひのおまし)の西南の角の柱にかける、 という(精選版日本国語大辞典)。なお、「五色」については、「五色の糸」で触れた。 卯槌の行事を神事にするところもあり、 江戸亀戸(かめいど)天神境内の妙義社では卯杖に卯槌をつけて売った、 という(仝上)。 卯杖、 また、その変形である、 卯槌、 は、 支那の剛卯(ガウバウ)に拠る名(大言海)、 年木(としき・としぎ)の信仰に中国の剛卯杖(ごううづえ)の風習が重なってできたもの(精選版日本国語大辞典)、 卯杖は漢の王莽の故事による剛卯杖の影響を受けており、また、年木、粥杖などとの関連も考えられる(ブリタニカ国際大百科事典)、 等々の由来とされる。 剛卯(ごうぼう)、 は、 正月以桃枝作、剛卯杖厭鬼也(漢官儀)、 とあり、漢書・王莽伝に、 夫(そ)れ劉(漢の姓)の字爲(た)る、卯・金・刀なり。正剛卯、金刀の利(銘の語)皆行ふを得ず、 とあるように、 剛はつよし、卯は國姓の劉の字を折(ワカ)てば卯金刀となるによる、 とあり(字源)、 漢の官吏が佩びたる飾りの具、 で(仝上)、 邪気を避けるために佩びた呪飾で、四字押韻の文を刻する とある(字通)。 年木、 は、 たかしまの杣(そま)山川のいかたし(筏師)はいそく年木をつみやそふらん(夫木集)、 と、 新春を迎える用意に、冬のうちに伐(き)っておく柴や薪、 をいい、さらに、 元旦を祝い、年神をまつるための飾り木。また、正月初めに、門松のかげに、疵のないものをとり、末に葉をのこし、門によせかけて置く木、 をもいい(精選版日本国語大辞典)、主に椎とか榎を用い、 魔除けの呪物、 とされ(仝上)、 鬼木(おにぎ)、 御新木(おにゅうぎ)、 年薪(としたきぎ)、 節木(せちぎ)、 若木、 幸い木(さいわいぎ)、 などともいう(仝上・デジタル大辞泉)。この木は、 修験者がたく護摩(ごま)木、 ともつながり、土地ごとで、 カツギ(勝木)と称されている木、 や、宮中での、 御竈木(みかまぎ 御薪)の風習、 等々、竜宮の水神に薪を与えるモティーフをもつ〈竜宮童子〉の昔話などからみても、 薪が単なる燃料ではなかった、 ことがわかる(世界大百科事典)とある。 卯杖、 は、また、 小正月の、粥占(かゆうら)・成木(なりき)責め・嫁たたきなどの行事、 に用いる、 祝棒(いわいぼう)、 ともつながる(精選版日本国語大辞典)。この棒は、 ヌルデ、柳、栗などの木を手に持てる長さに切り、一部を削掛けににしたり、火にあぶって、だんだら模様をつけたりと、形状は多様で、男根を模したものもある、 という(世界大百科事典)。 粥をかき混ぜ先端についた粥粒の量で作柄を占う、 果樹をたたいて豊饒(ほうじよう)を誓わせる、 ハラメン棒などといって嫁のしりをたたき多産を願う、 鳥追に用いる、 等々、豊産のまじない、予祝行事などに用いる神聖な木の棒で、 小正月の粥(かゆ)をかき回すために用いるので粥かき棒、 子どもが道行く娘の腰を打つので人こき棒(淡路)、 新嫁の腰を打って多産を望むので孕(はら)めん棒(鹿児島県)、 嫁たたき棒(関東地方)、 鳥追行事に用いるので鳥追棒、 等々といい。 粥杖、 粥木、 福杖、 などともいう(仝上・精選版日本国語大辞典・マイペディア)。因みに、 成木(なりき)責め、 というのは、 まず2人一組になって果樹に向かい、1人が〈成るか成らぬか、成らねば切るぞ〉と唱えながら鎌や斧、なたなどで樹皮に少し傷をつけ、もう1人が果樹になったつもりで〈成り申す、成り申す〉などと答えると、傷の所に小正月の小豆粥が少し塗られる、 というのが一般的な形式で、おとなも子どもも参加する。樹皮を刺激することで豊産の実際的な効果もあるといわれるが、刃物とは別に祝棒や牛王(ごおう)の棒などでたたく所も少なくなく、あくまでも呪術的なものであろう(世界大百科事典)とあり、ヨーロッパにも類似の呪法がある(仝上)という。また、 粥占(かゆうら)、 は、 小正月の1月15日などに、粥に竹筒や茅を入れて炊き、筒の中にはいった飯粒やおもゆの量によってその年の農作物の豊凶や月々の天候を占うこと、 をいい(精選版日本国語大辞典)、 粥杖の先を十文字に割り、粥をかきまわしたときにはさまる粥の量で作柄を占う。粥の中に入れた餅を粥杖でつき、はさめたら豊作とするという方法もある、 とあり(世界大百科事典)、 管粥(くだがゆ)、 筒粥(つつがゆ)、 粥占の神事、 粥だめし、 粥占祭、 などという神事に繋がり、 粥の中に、竹、あるいはカヤ、アシなどの管を入れ、その中にはいった粥の状態で、作物の種類別の作柄や、月ごとの天候を占う、 という(仝上)。また、 嫁たたき、 というのは、 新嫁の尻(しり)を棒でたたき、妊娠・出産を祈る行事、 で、 全国各地で、正月14、15日の小(こ)正月に、子供や青年たちがヌルデやクリ、ヤナギなどの木でさまざまな形の棒をつくり、新嫁のいる家々を訪れてその尻をたたいて回った、 とある(日本大百科全書)。その棒を、 はらめ棒、 嫁突き棒、 嫁たたき棒、 などとよんだ。この種の祝い棒は、 果樹の豊穣(ほうじょう)を願う成木責(なりきぜ)め、 鳥や虫の害を追い払う鳥追い、 など、ほかの小正月行事にも用いられ、いずれも棒に一種の呪力(じゅりょく)が秘められているとしたものである(仝上)。なお、 正月初の卯の日、朝廷に卯杖を奉るとき奏する寿詞(よごと)、 を、 卯杖祝(うづえほがい)、 といい(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、 卯杖のことぶき、御神楽の人長、池の蓮(はちす)の村雨にあひたる。御霊会(ごりやうゑ)の馬長(むまをさ)(枕草子)、 にある、 卯杖のことぶき、 も同義とある(岩波古語辞典)。 「卯」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、異字体に、 戼、 夘、卬、丣、邜、𢨯、𤕰、𦕔、𩇦(同字)、𩇧(同字)、𩇨(古字)、 等々があり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%AF)、 卯、 は、 指事。門を無理に押し開けて中に入り込むさまを示す、 とあり(漢字源)、異字体の、 丣(リュウ 留の原字)、 は、 別字だか、のち字体は混同した(仝上)とある。他に、 象形文字です。「同形のものを左右対称においた」象形から、「同じ価値の物を交換する」の意味を表します。(「貿」の原字)。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「十二支の第四位」として用いられるようになりました。また、「左右に開いた門」の象形とも考えられ、すべてのものが冬の門から飛び出す、「陰暦の2月」、「うさぎ」の意味も表します(https://okjiten.jp/kanji2382.html)、 象形。刀を横に二つ並べたさまにかたどる。殺す意を表す。「劉(リウ)」の原字。借りて、十二支の第四位に用いる。(角川新字源)、 も、象形文字としているが、 不詳、 とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%AF)、 「兜の形」、「物体を二つに割った形」、「洞窟の形」など多様な説があるものの、いずれも憶測の域を出ない、 としている(仝上)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 簡野道明『字源』(角川書店) 神代よりけふのためとや八束穂(やつかほ)に長田(おさだ)の稲のしなひそめけむ(新古今和歌集)、 の、 八束穂、 の、 束、 は、 握、 で、 指四本の幅、 八、 は、 大きな数として言う、 とあり(久保田淳訳注『新古今和歌集』)、 八束穂、 は、 非常に長い穂、 の意となる(仝上)。 やつか、 は、 八束、 八握、 と当て、 つか、 は、 握ったこぶしの小指から人差指までの幅、 をいう(広辞苑)ので、「尺」の、手を広げて物に当てた長さであるとしたのと、類似の語源である。 是の我が燧(き)れる火は、高天の原には、神産巣日御祖命(かみむすひみおやのみこと)の登陀流(とだる)天の新巣(にひす)の凝烟(すす)の、八拳(やつか)垂る摩弖(まで)焼き挙げ(古事記)、 とある、 八束、 は、 束(つか)八つ分ある長さ、 の意だが、 八(やつ・や)、 は、 八つ当たり、 真っ赤な嘘、 八入(やしほ)、 などで触れたように、 ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、 とあり(岩波古語辞典)、 「八」という数、 の意の他に、 無限の数量・程度を表す語(「八雲立つ出雲八重垣」)、 で、 もと、「大八洲(おほやしま)」「八岐大蛇(やまたのおろち)」などと使い、日本民族の神聖数であった、 とする(仝上)が、 此語彌(いや)の約と云ふ人あれど、十の七八と云ふ意にて、「七重の膝を八重に折る」「七浦」「七瀬」「五百代小田」など、皆數多きを云ふ。八が彌ならば、是等の七、五百は、何の略とかせむ、 と(大言海)、「彌」説への反対説がある。しかし、 副詞の「いや」(縮約形の「や」もある)と同源との説も近世には見られるが、荻生徂徠は「随筆・南留別志(なるべし)」において、「ふたつはひとつの音の転ぜるなり、むつはみつの転ぜるなり。やつはよつの転ぜるなる、 としている(日本語源大辞典)ので、 やつ(八)はよつ(四)の語幹母音ot(乙類音)をaと替えることで倍数を表したもの、 といわれ(仝上)、 ひとつ→ふたつ、 みつ→むつ、 よつ→やつ、 と、倍数と見るなら、語源を、 ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、 と見なくてもいいのかもしれない。また、「七」との関係では、 古い伝承においては、好んで用いられる数(聖数)とそうでない数とがあり、日本神話、特に出雲系の神話では、「夜久毛(やくも)立つ出雲夜幣賀岐(ヤヘガキ)妻籠みに 夜幣賀岐作る 其の夜幣賀岐を」(古事記)の「夜(ヤ)」のように「八」がしきりに用いられる。また、五や七も用いられるが、六や九はほとんどみられない、 とあり(日本語源大辞典)、「聖数」としての「八」の意がはっきりしてくる。そう見ると、「八」は、ただ多数という以上の含意が込められているのかもしれない。 正確な回数を示すというのではなく、古代に聖数とされていた八に結びつけて、回数を多く重ねることに重点がある、 とある(岩波古語辞典)のはその意味だろう。で、 八、 には、 束が八つ、 の意の他に、 丈が長い、 という意も持つ(広辞苑・岩波古語辞典)。 八束脛(やつかはぎ)、 は、 (古代伝承に見える)足の長い人、 八束鬚(やつかひげ)、 は、 長いひげ、 八束穂(やつかほ)、 は、 長く実った稲の穂、 の意となる(仝上)。また、 つか(束)、 は、 束の間、 で触れたことだが、 つかのあいだ、 とも言い、 ちょっとの間、 ごく短い時間、 の意味だ(広辞苑)が、これは、空間的な意味である、 一束(ひとつか)、すなわち指4本の幅の意、 指四本で握るほどの長さの意、 という 束、 を時間的に転用したものといえる。 「束」には、 握ったときの四本の指程の長さ、 という意味の他に、 束ねた数の単位、 短い垂直の材、束柱、 (製本用語)紙を束ねたものの厚み、転じて書物の厚み、 といった意味がある。こうした「束」については、「束の間」で触れた。 「束」(漢音ショク、呉音ソク)は、「つかねる」、「束の間」で触れたように、 会意。「木+ߋ印(たばねるひも)」で、焚き木を集めて、その真ん中にひもを丸く回して束ねることを示す、 とある(漢字源)。「たばねる」や「たば」の意で、「つか」の意で長さの単位にするのはわが国だけの使い方であり、「ほんのひとにぎりの間」という「束の間」も、わが国だけである。しかし、他は、 象形。両端を縛った袋の形を象る。もと「東」と同字で、「しばる」「たばねる」を意味する漢語{束 /*stok/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%9F)、 象形。物をふくろの中に入れ、両はしをしばった形にかたどり、「たば」「たばねる」意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「たきぎを束ねた」象形から「たばねる・しばる」を意味する「束」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji601.html)、 と、全て、象形文字としている。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 形見とて見れば歎きの深見草なになかなかのにほひなるらむ(新古今和歌集)、 の、 にほひ、 は、 美しい色、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 にほひ、 は、 にほふ、 の連用形の名詞化になるが、 香水の匂い、 というように、 薫り、 香気、 の意のイメージが強く、類聚名義抄(11〜12世紀)にも、 堰Aニホフ、匂、ニホフ、カホル、 とあるが、 匂ふ、 薫ふ、 と当てる動詞、 にほふ、 の語源から見ると、 ニは赤色の土、転じて赤色、ホ(秀)は抜きんでて表れているところ。赤く色が浮き出るのが原義。転じて、ものの香りがほのぼのと立つ意(岩波古語辞典)、 萬葉集に、紅丹穂經(ニホフ)、又着丹穂哉(キテニホハバヤ)など記せり、丹秀(ニホ)を活用したる語にて、赤きに就きて云ふかと云ふ、匂は韵の字の省訛(大言海)、 ニホ(丹秀)で、色沢の意(日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、 ニハヒ(丹相・丹施)の義(雅言考・名言通)、 「丹に秀ほ」を活用した語で、赤色が際立つ意(デジタル大辞泉)、 等々、丹(ニ)を由来とする説が大勢で、元来、 赤色、 と、色を指していたもののようである。万葉集には、 妹が袖巻来(まきき)の山の朝露に爾寶布(にほふ)紅葉の散らまく惜しも、 手に取れば袖さへ丹覆(にほふ)女郎花この白露に散らまく惜しも、 春去れば春霞立ち秋行けば紅丹穂經(にほふ)神南備の三諸の神は帯にせる、 引馬野(ひくまの)に仁穂布(にほふ)榛原(はるはら)入り乱れ衣爾保波(にほは)せ旅のしるしに、 等々とあるのは、 専ら、色に就き、つややかなり、いろめく、 意である(大言海)。万葉集では、「にほふ」は、 爾保布、 爾保敝、 等々、仮名書きにした例が五〇首ほどあり、そのうち嗅覚に関すると認められるものは数例にとどまる。また、「にほふ」と読まれるべき漢字は、 「香」「薫」「艷」「艷色」「染」、 の五種が見える。「香」「薫」は漢字としてはもともと嗅覚に関するが、視覚的な情況に用いられている、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 赤系統を主体とする明るく華やかな色彩・光沢が発散し、辺りに映える、 という、視覚的概念の用例が圧倒的(仝上)である。ただ、「万葉集」末期に、 よい香が辺りに発散する、 ことにも用いられ始める。中世には、音・声などの聴覚的概念に用いた例も見え、時代が降るにつれ、「にほふ」の対象及びその属性・意味概念の範囲は広がりを見せる(仝上)。 匂ひ、 は、まずは、 春の苑紅(くれなゐ)爾保布(にほふ)桃の花下照る道に出でたつ少女(おとめ)、 と、 赤い色が映える、 意が、原義に近く、 黄葉(もみちば)の丹穂日(にほひ)は繁(しげ)ししかれども妻梨(つまなし)の木を手折りかざさむ(万葉集)、 と、 あざやかに映えて見える色あい、色つや。古くは、もみじや花など、赤を基調とする色あい、 についていった(精選版日本国語大辞典)が、 そのものから発する色あい、光をうけてはえる色、また染色の色あい、 等々さまざまな場合にもいい、中世には、 白き色の異なるにほひもなけれどもろもろの色に優れたるがごとし(無名抄)、 と、 あざやかな色あいよりもほのぼのとした明るさを表わすようになった(仝上)。 多祜(たこ)の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため(万葉集)、 では、更に広く、 色美しく映える、 意となり(岩波古語辞典)、字鏡(平安後期頃)に、 嬋媛(せんえん)、美麗之貌、爾保不、又、宇留和志、 とあるように、 宮人の袖付衣萩に仁保比(にほひ)よろしき高円の宮(万葉集)、 と、 色美しいこと、 色艶、 の意で使う(岩波古語辞典)。さらに、それが、 筑紫なるにほふ児ゆゑに陸奥の可刀利娘子(かとりをとめ)の結ひし紐解く(万葉集)、 と、 美しい顔色、 にまで広がり、さらに抽象度が上がって、 なでしこが花見るごとにをとめらが笑(ゑ)まひの爾保比(にほひ)思ほゆるかも(万葉集)、 と、 人の内部から発散してくる生き生きとした美しさ、あふれるような美しさ。優しさ、美的なセンスなど、内面的なもののあらわれ、 にもいうようになる(精選版日本国語大辞典)。それが、 故権大納言、なにの折々にも、なきにつけて、いとどしのばるること多く、おほやけわたくし、物の折ふしのにほひうせたる心ちこそすれ(源氏物語)、 と、 花やかに人目をひくありさま、 見栄えのするさま、 ひいては、 栄華のさま、 威光、 光彩、 といった意でも使うに至る。嗅覚が出てくるのは、このころで、 露にうちしめり給へる香り、例のいとさま殊ににほひ来れば(源氏物語)、 散ると見てあるべきものを梅の花うたてにほひの袖にとまれる(古今和歌集)、 と、 香りがほのぼのと立つ、 ただよい出て嗅覚を刺激する気、 の意で使う(岩波古語辞典)。これが、臭みの意だと、 臭、 の字をも当てる(仝上・精選版日本国語大辞典)。この嗅覚が、さらに、 こたへたるこゑも、いみじうにほひあり(とりかへばや物語)、 になると、 声が、張りがあって豊かで美しいさま、 声のつやっぽさ、 声のなまめかしさ、 と、聴覚にも転じ、中世になると、心にしみるような感じをもいう(仝上)にいたる。この、 そのもののうちにどことなくただよう、気配、気分、 情趣、 ただよい流れる雰囲気、 にも、 にほひ、 を使うようになると、その対象は広くなり、 故入道の宮の御手は、いと気色ふかうなまめきたる筋はありしかど……にほひぞすくなかりし(源氏物語)、 では、 文芸・美術などでそのものにあらわれている魅力、美しさ、妙趣、 等々を指し、 舞は音声より出でずば、感あるべからず。一声のにほひより、舞へ移るさかひにて、妙力あるべし(花鏡)、 では、能での、 余韻、情趣、 をいい、特に、 謡から舞へ、あるいは次の謡へ移るとき、その間あいにかもし出される余韻、 を指し、 にほひには、させる事なけれど、ただ詞続きにほひ深くいひなかしつれば、よろしく聞こゆ(無名抄)、 では、和歌・俳諧で、 余韻、余情、 を指し、特に、蕉風俳諧では、 匂付け、 というように、 前句にただよっている余情と、それを感じとって付けた付け句の間にかもし出される情趣、 を指す(精選版日本国語大辞典)。また、現代だと、 春の草花彫刻の鑿(のみ)の韻(ニホヒ)もとどめじな(島崎藤村「若菜集(1897))、 その一時代前の臭ひを脱することが出来ない(田山花袋「東京の三十年(1917)」)、 では、 あるものごとの存在や印象を示しながら漂っている気配、雰囲気、気分、 等々の意で、今日だと、 犯罪のにおいがする と、 事件の、それらしい徴候、 の意でも使う(仝上)。なお、 にほひ、 は、視覚的効果のうち、 濃い色からだんだん薄くなっていく、 いわゆる、 ぼかし、 をも、 にほひ、 といい、 かかるすぢはたいとすぐれて、世になき色あひ、にほひを染めつけ給へば(源氏物語)、 女房の車いろいろにもみぢのにほひいだしなどして(今鏡)、 と、 染色または襲(かさね)の色目、 の意や、 経正其の日は紫地の錦の直垂に、萌黄の匂の鎧きて(平家物語)、 と、 においおどし(匂威)、 の意、また、 刀の焼刃にも匂と云ふ事あり、焼刃の處に虹のごとく見えて、ほのぼのと色うすくなりたる所を匂と云ふ(「鎧色談(1771)」)、 と、 日本刀の刃と地膚の境に煙のように見える文様、 の意もある(精選版日本国語大辞典・大言海)。これについては、 刃文(焼刃)を構成している粒子が〈沸(にえ)〉と〈匂(におい)〉であって、ひじょうに細かくて肉眼で見分けられないほどのものを匂といい、銀砂子をまいたように粗い粒のものを沸といって区分するが、要は粒の大小の差であって、科学的には同じ組織である。刃文は形によって〈直刃(すぐは)〉(まっすぐの刃文)と〈乱刃(みだれば)〉に大別され、直刃には刃の幅の広狭により〈細直刃〉〈広直刃〉〈中直刃〉などの別があり、乱刃には形によって、〈丁子乱(ちようじみだれ)〉(チョウジの花の形に似るという)や〈互の目(ぐのめ)乱〉〈三本杉〉〈濤瀾(とうらん)乱〉〈のたれ(湾れ)〉などがある、 とある(世界大百科事典) なお、「襲」の色目の、 同系色のグラデーション、 を指す「匂い」については、 匂い、 で触れたし、鎧の縅(おどし)の、 濃い色から次第に淡い色になり、最後を白とする縅、 の 黄櫨匂(はじのにおい 紅、薄紅、黄、白の順)、 萌黄匂(もえぎにおい 萌黄、薄萌黄、黄、白の順)、 等々ついては、 すそご、 で触れた。 ところで、冒頭の歌の、 深見草、 は、 ぼたん(牡丹)の異名、 とされ、和名類聚抄(平安中期)に、 牡丹、布加美久佐、 本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、 牡丹、和名布加美久佐、一名、也末多加知波奈(やまたちばな)、 などとあるが、箋注和名抄(江戸後期)は、 この「牡丹」はもともとの「本草」では「藪立花」「藪柑子」のことで、観賞用の牡丹とは別物であるのに、「和名抄」が誤って花に挙げたために、以後すべて「ふかみぐさ」は観賞用の牡丹として歌に詠まれるようになった、 とする(精選版日本国語大辞典)。確かに、「深見草」は、 植物「やぶこうじ(藪柑子)」の異名、 でもある。しかし出雲風土記(733年)意宇郡に、 諸山野所在草木、……牡丹(ふかみくさ)、 と訓じている(大言海)ので、確かなことはわからないが、色葉字類抄(1177〜81)は、 牡丹、ボタン、 とある。しかし、 牡丹、 より、 深見草、 の方が、和風のニュアンスがあうのだろうか、和歌では、 人知れず思ふ心は深見草花咲きてこそ色に出でけれ(千載集)、 きみをわがおもふこころのふかみくさ花のさかりにくる人もなし(帥大納言集)、 などと、 「思ふ心」や「なげき」が「深まる」意を掛け、また「籬(まがき)」や「庭」とともに詠まれることが多い、 とある(精選版日本国語大辞典・大言海)。 「匂」は、国字であるが、 奄書き換えた字、よい響きの意からよい香りの意となった(漢字源)、 とあるが、 「韵」(整った音)の原字である「勻(堰j」が変形した文字、一説に「勻(堰j」に「ニホヒ」の「ヒ」を附した文字、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%82)、 国語で、おもむき(余韻〈=韵〉)を「におい」ということから、韵の省略形の勻(いん)の字形を変えたもの(角川新字源)、 象形文字からの変形した国字です。「弦楽器の調律器(楽器の音の高さを整える器具)」の象形から、「整う、整える」の意味を表したが、それを日本で「におい」の意味に用いた上、文字の一部を「ニオヒ」の「ヒ」に改め、「におう」、「におい」を意味する「匂」という漢字が成り立ちました。「匂」という漢字は、平安時代に日本で作られました、 とも(https://okjiten.jp/kanji2118.html)あり、 堰ィ匂、 韵→匂、 の二説があるようだが、大言海は、 匂は韵の字の省訛、 としている。ただ、上述の、 「韵」(整った音)の原字である「勻(堰j」が変形した文字、 また一説に「勻(堰j」に「ニホヒ」の「ヒ」を附した文字、 とすれば、同じ由来になる。 韵 は、 韻(繁体字、正字)の異字体、 「韻」(慣用イン、漢音・呉音ウン)は、 会意兼形声。「音+音符員(まるい)」、 とあり(漢字源)、別に、 会意兼形声文字です(音+員)。「取っ手のある刃物の象形と口に縦線を加えた文字」(「音(おと)」の意味)と「丸い口の象形と鼎(かなえ-古代中国の金属製の器)の象形」(「丸い鼎」の意味)から、「まろやかな音」を意味する「韻」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1326.html) とするが、 形声。音と、音符員(ヱン、ウン)→(ヰン)とから成る。たがいにひびきあって調和する意を表す(角川新字源)、 は形声文字とする。 「堰v(@漢音呉音イン、A漢音呉音キン)は、 会意文字。腕をまるくひと回りさせた形に、二印(並べる)を添えたもの。ひと回り全部に行き渡って並べる意を表す。均の原字、 とあり(漢字源)、「ととのう」「平均して行き渡る」「均整がとれている」の意では@の音、「平均している」意ではAの音、となる(仝上)。 「堰vが「均」の原字であるなら、 匂、 の字は、やはり、 韵(韻)、 の略字ということになるのかもしれない。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) たまゆらの露も涙もとどまらずなき人恋ふる宿の秋風(新古今和歌集)、 の、 たまゆらの、 は、 しばしの、 の意、 「玉」の連想で、下の「露」「涙」と縁語、 とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。 たまゆら、 は、 玉響、 と当て、 玉響(たまかぎる)きのふの夕(ゆふへ)見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか(万葉集)、 の、 玉響、 を、 玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから(デジタル大辞泉)、 玉が触れ合ってかすかに音を立てる意として(広辞苑)、 物に着けたる玉の、揺らぎ触れ合ふ音の、幽かなるより(大言海)、 ユラは擬声語、鈴や玉が触れ合う音のかすかなところから(日本古語大辞典=松岡静雄)、 等々から、 たまゆら、 と訓じたことから生れた語である(広辞苑・岩波古語辞典)。 たまゆら、 の、 ゆら、 は、 玉のふれあう音。その音をかすかなこととし、そこから短い時間の意に転じた、 と解されて(精選版日本国語大辞典)、鎌倉初期の歌学書「八雲御抄(やくもみしょう)」(順徳天皇)には、 玉ゆら、しばし、 とあり、 たまゆらの命、 というように、 ほんのしばらくの間、 一瞬、 しばし、 の意で、 いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか。しばしもこの身を宿し、たまゆらも心をやすむべき(方丈記)、 と使うが、 玉響に昨日の夕見しものを今日の朝は恋ふべきものか(風雅集)、 と、原義に近い、 幽かに、 の意でも使う(広辞苑・大言海)。この意味からだろうか、 玉響、……露の多く置きたる躰を云ふ語(匠材集)、 と、 草などに露の玉が宿っているさま、 にもいう(広辞苑・岩波古語辞典)。 「響」(漢音キョウ、呉音コウ)は、「響(どよ)む」で触れたよう、 会意兼形声。卿(郷 ケイ)は「人の向き合った姿+皀(ごちそう)」で、向き合って会食するさま。饗(キョウ)の原字。郷は「邑(むらざと)+音符卿の略体」の会意兼形声文字で、向き合ったむらざと、視線や方向が空間をとおって先方に伝わる意を含む。響は「音+音符卿」で、音が空気に乗って向こうに伝わること、 とある(漢字源)が、 「郷(ク)」は「邑」+音符「卿」の会意形声文字で、「邑(むらざと)」で「卿」は向かい合って会食する様を示す。向かい合って音が「ひびく」様、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%BF)、 会意兼形声文字です(郷(ク)+音)。「ごちそうを真ん中にして二人が向き合う」象形(「向き合う」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に縦線を加えた文字」(「音(おと)」の意味)から、向き合う音、すなわち、「ひびき」、「ひびく」を意味する「響」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1325.html)。 参考文献; 久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 国見をすれば国原は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は(万葉集) の、 うまし、 は、 シク活用形容詞、 で、 佳い、 の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 蜻蛉島、 は、 大和の枕詞、 で、 とんぼのような豊かさに対する賛美、 とある(仝上)。現代口語で、 うまい、 は、文語形で、 うまし、 だが、この、 うまし、 は、 旨し、 甘し、 美し、 と当て、 形容詞ク活用、 で、 (く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、 と活用し(学研全訳古語辞典・広辞苑)、 飯(いひ)食(は)めどうまくもあらずうま往ぬれども安くもあらずあかねさす君が心し忘れかねつも(万葉集)、 と、 心、耳、眼、口に感じて、甚だ好し、 愛でたし、 妙(くわ)し、 美(い)し、 結構なり、 の意で、 美、 と当て、神代紀に、 可美、此云于麻時(うまし)、 あるいは、 可美少女(うましをとめ)、 等々と使う(大言海・岩波古語辞典)。さらに、 旨、 と当て、 食不甘味(うまし)(欽明紀)、 と、 味、口に好し、 甘し、 の意で使い、字鏡(平安後期頃)に、 厚味、宇万志、 とある(仝上)。さらに、 新羅、甘言(うまくいひて)、希誑(めづらしくあざむくこと)、天下之所知也(欽明紀)、 と、 技(わざ)に好し、 巧みなり、 巧妙、 の意で使う(仝上)。それをメタファに、後世、 ものごとの状態が不足なく十分である、 ある事態や事のなりゆきが、当事者にとって都合がよい (男女の仲について)親密な関係だ (「あまい」から転じて)ぴりっとしたところのない、まのぬけた様子、 の意などに使ったりするが、基本は上記の三パターンだろう。なお、平安以降には、 むまし、 とも表記した(デジタル大辞泉)。 一方、冒頭の歌で使ったような、 形容詞シク活用、 の、 うまし、 は、 美し、 と当て、 (しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、 と活用し、 乃ち無目籠(まなしかたま)を作りて、彦火火出見(ひこほほでみ)尊を籠の中に内(い)れ、之を海に沈む。即ち自然(おのづからに)可怜(ウマシ)小汀(はま)有り(可怜、此をば于麻師(ウマシ)と云ふ。汀、此をば波麻(はま)と云ふ)(日本書紀)、 と、 満ち足りていて美しい、すばらしいと賛美する気持ち、 を表し、 よい、 すばらしい、 美しく立派である、 満ち足りて心地よい、 の意で使い、この、 うまし、 の語幹をつかい、冒頭の歌の、 うまし国そあきづ島大和の国は、 などと、 美し国、 と、 すばらしい国、 の意で使い、 うましものいづくか飽かじ尺度(さかと)らし角(四つの)のふくれにしぐひ合ひにけむ(万葉集)、 と、 旨し物(うましもの)、 と、 美しく立派なもの、 の意で使い(岩波古語辞典)、それを利用して、後世、上田敏が、 矢表に立ち楽世(ウマシヨ)の寒冷(さむさ)、苦痛(くるしみ)、暗黒(くらやみ)の貢(みつぎ)のあまり捧げてむ(「海潮音(1905)」)、 と、 味世(うましよ)、 と使ったりしている。 そこで、 ク活用の「うまし」 と、 シク活用の「うまし」 との関係である。意味の上からは、両者の関係は深いと思うのだが、 中古以降ク活用が一般的になった。上代には、シク活用は、用例のように、語幹(終止形と同形)が体言を修飾した、 とあり(学研全訳古語辞典)、 上古、シク活用の用例はごく少ないが、「うましくに」「うましもの」など、終止形(シク活用では語幹の働きもする)に体言の直接ついた例もあるところから、上代にもシク活用の存在したことが知られる。ク活用が対象の状態を表現しているのに対し、シク活用のほうは対象に対する主観的な気持ちを表現している、 ともある(デジタル大辞泉)のは、あくまで、 ク活用の「うまし」、 を言っている(のだが、後者は、両者が混同されているきらいもある)が、もともとは、漢字をあてはめるまでは、 シク活用の「うまし」 と ク活用の「うまし」 は、区別して使われていた可能性がある。両者の関係を明確に指摘しているものは見当たらなかった。しかし、 吾妹子に逢はなく久しうましもの阿倍橘のこけ生(む)すまでに(万葉集)、 の、 うましもの、 は、 味の良いものの意で「あべ橘」にかかる枕詞、 として使われている。両者が重なって使われている例と見ることもできる。判断は附かない。 なお、 美し、 を、 イシ、 と訓ませると、 シク活用、 で、 吉(よ)し、美(よ)しの転、 ともされ(大言海)、 技能・細工の巧みなこと、転じて味わいの良さを形容する語、 とあり、 吾は是乃(いまし)の兄なれども、懦(つたな)く弱くして、不能致果(いしきな)からむ(日本書紀)、 と、 技能がすぐれている、 意、また、 一二町を作り満てたる家とても是をいしと思ひならはせる人目こそあれ、まことにはわが身の起き伏す所は一二間にすぎず(発心集)、 と、 立派である、 という意、 子ながらもいしくも申したるものかな(曽我物語)、 と、 健気である、 意、 いしかりし斎(とき)は無窓に喰われて(太平記)、 と、 美味である、 意などで使う(岩波古語辞典)。この語の意味も、上述の二つの「うまし」の意味をまたいでいる。古くから、混同されていた可能性は高い。なお、この、 いし、 は、中世・近世には、口語形で、 いしい、 を用いたが、後には、丁寧を示す接頭語、 オ、 を付けて、 もっぱら美味の意、 を表す、今日の、 おいしい、 となった(広辞苑・岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。 「美」(漢音ビ、呉音ミ)は、その異字体は、 㺯、 媺、 嬍、 羙、 𡙡、 𡠾、 𫟈(俗字)、 𮊢(俗字)、 𮎪(俗字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%8E)。 頭に飾りをつけた人間の形。のちに「大」+「羊」という形に変化したため、従来は{大きい羊、立派な羊}を表すと考えられたが、その用例が未発見であることや、甲骨文中で「大」が{大きい}という意味の義符として普通用いられないことからその仮説は棄却された、 とあり(仝上)、いまのところ、 「羊」の象形、 または、 「大」きい「羊」を意味する会意、 の二説がある(仝上)ようだが、いずれでも、 古代周人が、羊を大切な家畜と扱ったことに由来する、 としている(仝上)。しかし、 象形。羊の全形。下部の大は、羊が子を生むときのさまを羍(たつ)というときの大と同じく、羊の後脚を含む下体の形。〔説文〕四上に「甘きなり」と訓し、「羊大に從ふ。羊は六畜に在りて、主として膳に給すものなり。美は善と同なり」とあり、羊肉の甘美なる意とするが、美とは犠牲としての羊牲をほめる語である。善は羊神判における勝利者を善しとする意。義は犠牲としての羊の完美なるものをいう。これらはすべて神事に関していうものであり、美も日常食膳のことをいうものではない(字通)、 は、象形説を採っている。ただ、多くは、会意文字説を採り、 会意。羊と、大(おおきい)とから成り、神に供える羊が肥えて大きいことから、「うまい」「うつくしい」意を表す(角川新字源)、 会意文字。「羊+大」で、形のよい大きな羊をあらわす。微妙で繊細なうつくしさ(漢字源)、 は、 「大」きい「羊」、 を採っている。別に、 会意文字です(羊+人)。「羊の首」の象形と「両手両足を伸びやかにした人」の象形から大きくて立派な羊の意味を表し、そこから、「うまい」、「うつくしい」を意味する「美」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji44.html)、 は、 羊+人、 を採っているが、意味からは、 大、 を含意しているようだ。いずれにせよ、 義、善、祥などにすべて羊を含むのは、周人が羊を最も大切な家畜したためであろう、 とある(漢字源)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) やすみしし 我が大君の 朝(あした)には とり撫(な)でたまひ 夕(ゆうべ)には い縁(よ)り立たしし み執(と)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝猟(あさがり)に 今立たすらし 夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり(万葉集) の、 中弭(なかはず)、 は、 弓の中程、矢筈をつがえるところか、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 なかはず、 は、 中弭、 中筈、 と当て、 未詳、 とあり、一説に、 長弭、 金弭、 とみる。これは、 万葉集の原文の、 八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里 の、 奈加弭、 は、 加奈弭の誤り、 と見て立てる説で、いま一つ、 鳴弭、 と見る説は、 奈加弭の「加」は「利」の誤り、 と見て立てる(広辞苑)。別に、 古への弓は、弦の中程に、竹の弭あるにより云ふ(和訓栞)、 「奈加」を「なが(長)」と詠んでも差し支えはないから「長弭」(http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html)、 とする説もある。 はず、 は、 筈、 弭、 彇、 と当てる。意味には、二つあり、ひとつは、 弓弭(ゆはず)、 弓筈(ゆはず)、 で、 弓の両端の弦を掛けるところ、木弓に材質から、弓を射る時に、上になる方を末筈(うらはず)、下になる方を本筈(もとはず) をいう。いまひとつは、 矢筈(やはず)、 で、 弓に矢をつがえる時、弦からはずれないために、矢の末端につけるもの、 を指す。この場合、前者を指すと思われるが、 はず、 の由来は、 ハズレ(外)の義(柴門和語類集)、 ハヅレヌ意か(和句解)、 ハスヱ(大言海・和訓栞)、 手筈の上略(日本語原学)、 ハズ(羽頭)の義か(和句解)、 と諸説載る(日本語源大辞典)が、結局よく分からない。漢字「筈」を見ると、 やはず(箭末)、 の意で、 竹+音符舌(カツ くぼみ、くぼみにはまる)、 とある。「はず」は、漢字の「筈」からきたということになる。筈は、 矢の先端の、弦を受けるくぼみ、 の意であり、「弭」の字は、 ゆはず(弓筈)、 を指す。つまり、 弓の末端に、弦をひっかける金具、 を指す。結局、「筈」は「カツ」と訓むので、わが国で、「ハズ」と呼んでいたものに、「筈」を当てはめたと見なしうる。 中弭、 については諸説あるが、いずれも、原文の、 奈加弭、 を、後知恵で解釈しているように思える。で、 「奈加(中)弭」で意味が通ずる、 とするのは、 弦を掛けた状態の弓本体は、弦の張力で弭間を引き縮めて屈曲することで、下位の本弭と上位の末弭が直接に弦で結びとめられることになるからで、つまり「中弭」とは弦のことを指し示す表わし方と理解する。しかもそれに掛ける他方の矢元を「矢弭」というからには、その矢弭を掛ける弓側の弦の位置にも、言わば弦弭というようなイマージュの興されていることが想定できる。 であるから「音すなり」。その弦の不可思議なる揺れ動きに神霊の音づれを予感し、その弦から発せられる唸りに、梓巫女も霊の厳粛な声を聴くのである、 と解釈するものもある(http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html)。それでいくと、冒頭の解説と同義で、 弓の弦の中央よりやや下よりにある矢の筈をかける部分、 となる(精選版日本国語大辞典)。 中関(なかぜき)、 中仕掛け、 ともいい、ふつうは、 露、 という(仝上)とある。 音為奈里(音すなり)、 とあるところからも、 その弦の不可思議なる揺れ動きに神霊の音づれを予感し、その弦から発せられる唸りに、梓巫女も霊の厳粛な声を聴くのである、 とする解釈(http://www.museum-kiyose.jp/researchB.html)は、 梓弓(梓の真弓で触れた)、 をも、思い起こさせる。弓については、 弓矢、 で触れた。 「弭」(漢音ビ、呉音ミ)は、 会意文字。「弓+耳」で、弓の端に耳状のひっかけ金具をつけて、弦を止めること、転じて、末端、そこまでで止めるなどの意となる。もと、彌(ビ・ミ)と同じだが、のち彌は端から端まで渡る意に専用された、 とある(漢字源)。「ゆはず」の意である。また、字通には、 会意。弓+耳。耳は弓の両端に用いるゆはずの形。〔説文〕十二下に「弓の縁無く、以て轡(くつわ)の紛れたるを解くべき者なり」とし、耳(じ)声とするが声異なる。重文の字は兒(げい)に従う。兒は虹蜺(こうげい)の蜺の初文で、両端に竜首のある形。それをゆはずにみたてた意象の字であろう。縁は、ゆはずを漆で固定したもの。弭は骨や象牙で作って装着するもの。金文の賜与に「象弭(ざうび)」という例が多い。弭は御者が馬を御するときに使うことが多く、それで〔楚辞、離騒〕「吾(われ)羲和(ぎくわ)(太陽の御者)をして節を弭(とど)めしむ」のように用いる、 とあり、やはり会意文字としている。 「筈」(漢音カツ、呉音カチ)は、 会意兼形声。「竹+音符舌(カツ くぼみ、くぼみにはまる、舌(ゼツ)ではない)」、 とあるが、他は、 形声。「竹」+音符「𠯑 /*WAT/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AD%88)、 形声。竹(矢)と、音符舌(クワツ)とから成る。弓のつるにひっかける「やはず」の意を表す(角川新字源)、 形声文字です(竹+舌)。「竹」の象形(「竹」の意味)と「口から出した、した」の象形(「した」の意味だが、ここでは、「會」に通じ(「會」と同じ意味を持つようになって)、「会う」の意味)から、弓の両端に張った糸に矢の端が会う部分「やはず」を意味する「筈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2639.html)、 と、解釈は異にするが、何れも形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 河伯、 は、 河童の異名、 であるが、 河童、 で触れたように、日本書紀に、 河内の人茨田連衫子(マンダノムラジコロモノコ)が河伯(カハノカミ)を欺き得たる両個の瓢(ひさご)なる者は(仁徳紀)、 と、 河伯(かはのかみ)、 は、 河神、 のこととされている。もともと、「河童」は、 田の水を司り、田の仕事を助けることもある。西日本の各地で、河童は秋冬は山にすみ、春夏は里にすむと伝える点は、田の神去来の信仰と対応する。河童は、小さ子たる水神童子の零落した姿であったろうと考えられている。かつて水神の化身、もしくは使者として信仰され、今でも各地で水神として祭られている。しかし、信仰の衰えに従ってしだいに妖怪に零落したもの、 で(日本昔話事典)、日本各地に、 河童石、 というものがあるが、 川子石(かわごいし)、 川太郎石(かわたろういし)、 ガラッパ石、 ヒョウスエ石、 エンコウ石、 等々ともいい、 春に山の神が水脈を伝わって里へ降りて来て田の神となり、秋に山にまいもどり山の神になるという信仰伝承に似て、河童は春は里に、秋は山に行くと信じられていたが、その中継基地が河童石と考えられる。ために、精霊の拠る台座として祭祀の対象にも、また常人の近づくことを許されぬ禁忌の対象にもなっていた、 という(仝上)。 河童、 は、九州南部では、別名、 水神(スイジン)、 という(柳田國男『山島民譚集』)ように、元来は、神であった。六月に行われる、 川祭、 水神祭、 は、 河童を祀り、好物のキュウリを供える、 とされる(日本伝奇伝説大辞典)が、 水神の供物と河童の供物とよく相似たるを見れば、本来一つの神の善面惡面が雙方に対立分化したるものと解するも必ずしも不自然ならず(仝上)、 たる所以である。和名類聚抄(931〜38年)には、 河伯、一云水伯、河之神也、加波乃加美、 とある。 河伯、 は、 漢語で、 水の神(字源)、 河の神(字通)、 とある。『荘子』秋水篇に、 秋水時に至り、百川河に灌(そそ)ぐ。……是(ここ)に於て河伯欣然として自ら喜び、天下の美を以て盡(ことごと)く己に在りと爲す、 とあり、『漢書』王尊伝に、 沈白馬、祀水神河伯、 とあり、中国の神話にみえる、 北方系の水神、 とされ(世界大百科事典)、『山海経(せんがいきよう)』大荒東経に、 殷の王亥が有易(狄(てき))に身を寄せて殺され、河伯も牛を奪われたが、殷の上甲微が河伯の軍をかりて滅ぼした、 とあり、『楚辞』天問にも、 殷と北狄との闘争に河伯が殷に味方したことを示す、 とある(仝上)。因みに、 草木扶疎たり、春の風山祇の髪を梳る、魚鼈遊戯す、秋の水河伯の民を字(やしな)ふ(和漢朗詠集)、 と、 河伯の民、 というと、 川の神に支配されているもの、 つまり、 魚類、 をいう(精選版日本国語大辞典)。 後の千金、 で触れたが、『宇治拾遺物語』に、「後ノ千金ノ事」と題して、『荘子』外物篇の逸話を、まるで隣家にちょっと借米に行ったような話に変えて、 今はむかし、もろこしに荘子(さうじ)といふ人ありけり。家いみじう貧づしくて、けふの食物たえぬ。隣にかんあとうといふ人ありけり。それがもとへけふ食ふべき料(れふ)の粟(ぞく 玄米)をこふ。あとうがいはく、「今五日ありておはせよ。千両の金を得んとす。それをたてまつらん。いかでか、やんごとなき人に、けふまゐるばかりの粟をばたてまつらん。返々(かへすがへす)おのがはぢなるべし」といへば、荘子のいはく、「昨日道をまかりしに、あとに呼ばふこゑあり。かへりみれば人なし。ただ車の輪のあとのくぼみたる所にたまりたる少水に(せうすい)に、鮒(ふな)一(ひとつ)ふためく。なにぞのふなにかあらんと思ひて、よりてみれば、すこしばかりの水にいみじう大(おほ)きなるふなあり。『なにぞの鮒ぞ』ととへば、鮒のいはく、『我は河伯神(かはくしん)の使(つかい)に、江湖(かうこ)へ行也。それがとびそこなひて、此溝に落入りたるなり。喉(のど)かはき、しなんとす。我をたすけよと思てよびつるなり』といふ。答へて曰く、『我今二三日ありて、江湖(かうこ)といふ所にあそびしにいかんとす。そこにもて行て、放さん』といふに、魚のはく、『さらにそれまで、え待つまじ。ただけふ一提(ひとひさげ)ばかりの水をもて喉をうるへよ』といひしかば、さてなんたすけし。鮒のいひしこと我が身に知りぬ。さらにけふの命、物くはずはいくべからず。後(のち)の千のこがねさらに益(やく)なし。」とぞいひける。それより、「後(のち)の千金」いふ事、名誉せり、 と載せている。ここに、原文にはない「河伯」が登場している。 「伯」(@漢音ハク、呉音ヒャク、A漢音ハ、呉音ヘ)は、 形声。「人+音符白(ハク)」で、しろいの意には関係がない。昔、父と同輩の年長の男をパといい、それを表わすのに当てた字、 とある(漢字源)。年長の男を尊敬して言うことば、兄弟の序列で最年長の人(伯兄)、父の兄(伯兄)等々年上の意の場合、@の音、「五伯」というように、諸侯の統率者の意の場合、Aの音となる(仝上)。他も、 形声。「人」+音符「白 /*PAK/」。「かしら」を意味する漢語{伯 /*praak/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%AF)、 形声。人と、音符白(はく)とから成る(角川新字源)、 形声文字です(人+白)。「横から見た人」の象形と「頭の白い骨または、日光または、どんぐりの実」の象形(「白い」の意味だが、ここでは、「父」に通じ(「父」と同じ意味を持つようになって)、「一族の統率者」の意味)から、「おさ」、「かしら」を意味する「伯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1996.html)、 と、解釈は異なるが、いずれも、形声文字とする。 参考文献; 柳田國男『増補 山島民譚集』(東洋文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店) 稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂) 綜麻形(へそかた)の林のさきのさ野榛(のはり)の衣(きぬ)に付くなす目につく我が背(万葉集) の、 榛、 は、 はんの木。実や樹皮を染料にした。「針」の懸詞、「衣」の縁語で、三輪山伝説に基づく、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 綜麻形(へそかた)、 は、 三輪山の異名、 とあり、 崇神記などの三輪山伝説による、 とある(仝上)。 綜麻、 は、 糸を丸く巻いたもの、 とある(仝上)。 三輪山(みわやま)、 は、 奈良県桜井市にあるなだらかな円錐形の山。奈良県北部奈良盆地の南東部に位置し、標高は467.1m、周囲は16km、 で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1)で、 三諸山(みもろやま)、 ともいい、記紀においては、 美和山」、 御諸岳、 などとも表記される(仝上)。三輪山の西麓にある、 大神神社(おおみわじんじゃ)、 は三輪山を神体山としており、大物主大神を祀る山を神体として信仰の対象とするため、本殿がない形態となっている(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE)。この、 大物主神(おおものぬしのかみ、大物主大神)、 には、いくつかの神魂伝承があるが、そのなかに、古事記・崇神天皇条に、 大物主神を祀って、その祟りを鎮めた大田田根子(意富多多泥古)が大物主神と活玉依毘売(いくたまよりひめ)の神婚によって生まれた子の子孫であることを語る話、 がある(日本伝奇伝説大辞典)。 崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。意富多多泥古の祖先とされる、 活玉依毘売のもとに毎晩麗しい男が夜這いに来て、それからすぐに身篭った。しかし不審に思った父母が問いつめた所、活玉依毘売は、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻き(苧環)に巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E4%B8%BB)、跡をたどると、男が、 蛇神の大物主神、 であると知れた(日本伝奇伝説大辞典)という話である。その、 糸巻きには糸が三勾(三巻)だけ残っていたので、 三輪、 と呼ぶようになったとされる(仝上)。 なお、 綜麻(へそ)、 は、 巻子、 とも当て、 紡いだ糸をつないで、環状に幾重にもまいたもの(広辞苑)、 績(う)みたる絲を、球の如く絡(まと)ひつけたるもの。外、圓く、内、虛(うつろ)にて、環の如し(大言海)、 をいうとある。和名類聚抄(931〜38年)に、 巻子、閉蘇、績麻(うみをを)圓(まるく)巻(まける)名也、 とあり、その由来は、 綜(へ)たる麻(そ)を巻くの義、其の巻きたる形、又、臍に似たる故に名とす(大言海)、 「へ」は下二段動詞「ふ(綜)」の連用形から(精選版日本国語大辞典)、 ヘ(綜)たるソ(麻)を巻いたもの(東雅・雅言考・言元梯)、 ヘは經、ソは麻の義(箋注和名抄・和訓栞)、 ヘソ(臍)ににているところから(鳥袋)、 等々とある。下二段活用の、 ふ(綜)、 は、口語では、 綜(へ)る、 だが、 ふ(経)と同根、 とあり(岩波古語辞典)、 経糸(たていと)を一本ずつ順次、機にかける、 経糸を布の長さに延ばしてそろえる、 意で、日葡辞書(1603〜04)には、 へて織る布、 と載る(広辞苑)。 ふ(經)、 は、口語では、 經る、 だが、 場所とか月日とかを順次、欠かすことなく、経過していく(岩波古語辞典)、 次々順をふんでいく(広辞苑)、 意で、 綜(ふ)、 の、 経糸をかけて行く、 という意の持つ含意がよく分かる。和名類聚抄(931〜38年)に、 綜(へ)、和名閉(へ)、機縷持糸交者也、 とある。 「倭文の苧環」で触れたが、 苧環(おだまき)、 は、 苧手巻、 とも当て(大言海)、 おだま、 ともいい、 糸によった麻を、中を空虚にし、丸く巻きつけたもの、 をいい(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、 績苧(うみを)の巻子(へそ)、其の形、外圓く、内虚にして、環の如くなれば云ふ、 麻手巻の義、 とある(大言海)。 布を織るためには、まず植物の繊維を糸状にする必要がある。古代では材料に麻(あさ)、楮(こうぞ)、苧(お)、苧麻(からむし)などが使われる。つまり、 おだ-まき、 ではなく、 お-たまき(手巻)、 ということのようである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A7%E7%92%B0)。 苧(お)、 は、 アサ(麻)、 の異名で、また アサやカラムシの茎皮からとれる繊維、 をいい、 苧環、 とは、 つむいだアサの糸を、中を空洞にして丸く巻子(へそ)に巻き付けたもの、 をいう(日本大百科全書)が、これを、 綜麻(へそ)、 ともいい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A7%E7%92%B0)。布を織るのに使う中間材料で、次の糸を使う工程で、糸が解きやすいようになかが中空になっている(仝上)。 因みに、「へそくり」で触れたように、その語源として、 へそは紡いだ麻糸をつなげて巻き付けた糸巻である綜麻(へそ)をいい、『綜麻繰』とする説、 がある。 麻、 は、 大麻、 苧麻(からむし)、 黄麻、 亜麻、 などの総称(広辞苑)であるが、現代では、 「大麻(ヘンプ)」「苧麻(ラミー)」「亜麻(リネン)」「黄麻(ジュート)」「洋麻(ケナフ)」、 等々、茎の繊維を取る植物の総称として使われている(https://hemps.jp/asa-hemp-taima/)とある。なかでも、 「大麻」と「苧麻(ちょま・ラミー)」、 は古代から日本で利用され、最も古い日本の「麻」の痕跡は、縄文時代の貝塚から見つかった「大麻」を使った縄(仝上)という。 麻(あさ)、 は、 植物表皮の内側にある柔繊維または、葉茎などから採取される繊維の総称、 であるが、 狭義の麻(大麻)、 と、 苧麻(からむし)、 の繊維は、 日本では広義に、 麻、 と呼ばれ、和装の麻織物(麻布)として古くから重宝されてきた。狭義の麻は、神道では重要な繊維であり様々な用途で使われる。麻袋、麻縄、麻紙などの原料ともなる。 狭義の「麻」、 大麻、 は、古語、 總(ふさ)、 といい(平安時代の『古語拾遺』)、 を(麻・苧)、 そ(麻)、 とも言った。 「綜」(漢音ソウ、呉音ソ)は、 会意兼形声。「糸+音符宗(ソウ たてに通す)」、 とある(漢字源)。「へ」の意で、縦絲を上下させて、横糸の杼(ひ)の通る道をつくるためのもの、とある(仝上)。 綜合、 総合、 と表記するように、「綜」と「総」は類義語だが、 「総」は、同音の漢字による書きかえで一部の代用語に用いられる、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%9C)。 会意兼形声文字です(糸+宗)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「屋根・家屋の象形と、神にいけにえをささげる台の象形(「祖先神」の意味)」(「祖先を祭る一族の長」)の意味)から、一族の長が一族を1つにまとめるように「糸を整え織る為の器具(へ)」を意味する「綜」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2360.html)、 ともあるが、 形声。糸と、音符宗(ソウ)とから成る。多くの糸を一本にまとめる意を表す(角川新字源)、 形声。声符は宗(そう)。〔説文〕十三上に「機(はた)の縷(る)なり」とあり、〔唐写本玉篇〕に「機の縷は絲を持して交はる者なり」の文がある。〔列女伝、母儀、魯の季敬姜伝〕に「推して往き、引きて來らしむるる者は綜なり」とあり、経(たていと)と緯(よこいと)とを織りなすものであるから、錯綜(さくそう)といい、綜括・綜合という(字通)、 と、形声文字とするものもある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店) 柳田國男『増補 山島民譚集』(東洋文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 川(かは)の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて(万葉集) の、 ゆつ、 は、 斎つ、 と当て、 ツは連体助詞で、 いわい清める、 意で、 おろそかに触れるべからざる、 神聖・清浄な、 の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典)。 草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて、 は、 草生(む)さず常にもがもな、 を、 草も生えないようにいつも不変でありたい、 と注釈し、 もがも、 は、 最終の願いのための手段に対する願望、 とし、 草も生えはびこることがないように、いつも不変であることができたらなあ。そうしたら、永遠に若く清純なおとめでいられように、 と、訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 もがも、 は、 終助詞「もが」にさらに終助詞「も」を添えた語、主に奈良時代にもちいられ、平安時代には「もがな」に代わった、 とあり(広辞苑・デジタル大辞泉)、 体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す、 とし、その 事柄の存在・実現を願う、 意を表し、 ……があるといいなあ、 ……であるといいなあ、 の意で使う(仝上・デジタル大辞泉)。発生的には、 「もが」に「も」が下接したものであるが、「万葉集」で「毛欲得」「母欲得」「毛冀」などと表記されている例もある、 とされ、上代にすでに、 も‐がも、 という分析意識があった(精選版日本国語大辞典)としている。 都へに行かむ船もが刈り薦(こも)の乱れて思ふ言告げやらむ(万葉集)、 あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ(万葉集)、 と、奈良時代に使われた、 もが、 は、 係助詞「も」に終助詞「か」がついた「もか」の転(広辞苑・デジタル大辞泉)、 係助詞「も」に終助詞「が」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、 がある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、 名詞、形容詞および助動詞「なり」の連用形、副詞、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す(デジタル大辞泉)、 文末において、体言・副詞・形容詞および助動詞「なり」の連用形、副助詞「さへ」などを受けて、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、 体言・形容詞連用形・副詞および助詞「に」を承け、得たい、そうありたいと思う気持ちを表す(岩波古語辞典)、 等々とあり、 ……があればいいなあ、 ……であってほしいなあ、 ……でありたい、 ……がほしい、 といった意味で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 もが、 をさらに強調して、 もが・も、 といったことになる。上代でも、 「もが」単独の形、は「もがも」に比して少なく、中古以後は「もがな」の形が圧倒的になる、 とある(精選版日本国語大辞典)。ただし、後世にも、 源実朝や橘曙覧など万葉調歌人の歌にはしばしば用いられる、 とあり、 もがも、 が、平安時代以降、 もがな、 に代わっても、「金槐集」など万葉調の歌には使われたのと同じで、 万葉調、 の特色として、歌人には使われたようである。終助詞、 も、 は、主として奈良時代、 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐひす鳴くも(万葉集)、 と、 文末で、活用語の終止形、助詞、接尾語「く」に付く。感動・詠嘆を表す(デジタル大辞泉) 活用語の終止形(係結びでは結びの形)、ク語法について、詠嘆の意を表す。体言には、「かも」「はも」等々の形で用いる、なお「かも」は平安時代には「かな」に代わる(広辞苑)、 などとあり、 ……ことよ、 ……なあ、 の意となる(デジタル大辞泉)。 もがも、 が変化した、 もがな、 は、 終助詞「もが」「な」の重なったもの。上代の「もがも」に代わって中古以後に用いられた形、文末において体言・形容詞や打消および断定の助動詞の連用形・格助詞「へ」などを受け、願望を表わす(精選版日本国語大辞典)、 体言、形容詞の連用形、副詞などの連用部分につき、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す(広辞苑)、 終助詞「もが」+終助詞「な」から、名詞、形容詞および助動詞「なり」「ず」の連用形、助詞に付く。上の事柄の存在・実現を願う意を表す(デジタル大辞泉)、 とされ、 かくしつつとにもかくにもながらへて君が八千代に逢ふよしもがな(古今和歌集)、 と、 ……かほしい、 意や、 み吉野の山のあなたに宿もがな世のうき時の隠れ家にせむ(古今和歌集)、 ありはてぬ命待つ間のほどばかりうき事繁く思はずもがな(古今和歌集)、 と、 ……があるといいなあ、 ……であるといいなあ、 ……(で)あってほしいなあ、 といったいで使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。成立に関しては一般に、 願望を表わす「もが」に感動を表わす「な」の付いたもの、 とするが、上記の、 かくしつつとにもかくにもながらへて君が八千代に逢ふよしもがな(古今和歌集)、 を、 かくしつとにも角にもながらへて君が八千代に逢よしも哉、 と、 中古「もがな」が「も哉」とも表記されたこと、また「をがな」の形、さらには「がな」の形も用いられていることなどから、当時「も‐がな」の分析意識があったと推測される、 とある(精選版日本国語大辞典)。 も‐がな、 と意識された、 がな、 は、奈良時代にあった、 「もがも」という終助詞……が、平安時代になると、それが「もがな」に転じた。それが後には、「も」と「がな」との結合であると一般に思われるようになったらしく、「も」と「がな」を分離して、平安・鎌倉時代には、「をがな」の形でつかわれた(岩波古語辞典)、 多く「もがな」の形で用いられたが、中古中期ごろから「をがな」の形も現れた。「もがな」は「も‐がな」と意識され分離し、のち「がな」単独でも用いられた(精選版日本国語大辞典)、 とある、 がな、 は、 願望を表わす終助詞「が」に、詠嘆の終助詞「な」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、 終助詞「が」+終助詞「な」(デジタル大辞泉)、 で、 かの君達をがなつれづれなる遊びがたきになどうちおぼしけり(源氏物語)、 あっぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん(平家物語)、 などと、 体言または体言に助詞の付いた形を受け、願望、 の意を表わし、 ……が(あって)ほしいなあ、 ……だったらよいのに、 の意で使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。中世以後になると、 はしへまはれば人がしる、湊の川の塩がひけがな(歌謡「閑吟集(1518)」)、 早ふいねがないねがなともがけどいぬる気色なく(浄瑠璃「今宮心中(1711頃)」)、 と、 命令(禁止を含む)文を受け、第三者の動作の実現を願う、 意を表わし、 ……(て)ほしいなあ、 といったいで使う(精選版日本国語大辞典)。 「哉」(漢音サイ、呉音セ・サイ)は、 会意兼形声。才は、裁の原字で、断ち切るさま。それに戈を加えた𢦏(サイ)も同じ。哉は「口+音符𢦏(サイ)」で、語の連なりを断ち切ってポーズを置き、いいおさめることをあらわす。もと言い切ることを告げる語であったが、転じて、文末につく助辞となり、さらに転じて、さまざまの語気を示す助辞となった。また、裁断するとは素材に初めて加工はすることであるから「はじめて」の意の副詞となった、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です。「口」の象形(「言葉」の意味)と「川のはんらんをせきとめる為に建てられた良質の木の象形とにぎりの付いた柄の先端に刃のついた矛の象形」(「災害を断ち切る器具」、「断ち切る」の意味)から、「言葉を断ち切る助字」を意味する「哉」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2392.html)、 ともあるが、 形声。「口」+音符「𢦏 /*TSƏ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%93%89)、 形声。口と、音符𢦏(サイ)とから成る(角川新字源)、 は、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 味酒(うまざけ)三輪の山あをによし奈良の山の山の際(ま)にい隠るまで道の隈(くま)い積(つ)もるまでにつばらに見つつ行かむをしばしばも見放(みさ)けむ山を心なく雲の隠さふべしや(万葉集) の、 あをによし、 は、 「奈良」の枕詞、 で、 あをに、 は、 青土、 で、 顔料、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 あをによし、 は、 青丹よし、 と当て、 「よ」「し」は、共に間投助詞(広辞苑)、 ヨシは良い意(岩波古語辞典)、 「青丹よ」と呼びて、シを添えたるなり(麻裳(あさも)よし、眞菅よし)(大言海)、 「よし」は間投助詞(精選版日本国語大辞典)、 等々とあり、異同はあるが、 語調を強めたり、感動を表したりする役割り、 と見ていいが、 青丹よし、 は、 阿袁邇余志(アヲニヨシ)奈良を過ぎ小楯(をだて)大和を過ぎ(古事記) 青丹吉(あをによし)寧楽(なら)のみやこは咲く花の薫(にほ)ふが如く今盛りなり(万葉集) 悔(くや)しかもかく知らませば阿乎爾与斯(アヲニヨシ)国内(くぬち)ことごと見せましものを(万葉集) などと、 奈良、国内(くぬち)にかかる枕詞、 である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 奈良坂のあたりから、顔料や塗料として用いる青土(あおに)を産出した、 とある(秘府万葉集抄)とか(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。ただ、事実か伝説かは不明(広辞苑)とあり、一説に、 「なら」に続けたのは、顔料にするために青丹を馴熟(なら)すによる、 ともいい(仝上)、 青土を眉にも絵にも埏(練 ねや)し熟(な)らして用ゐる、 とある(大言海)。 青丹(あをに)、 の、 に、 は、 丸邇坂(わにさ)の土(に)を、端土(はつに)は膚赤らけみ、底土(しほに)はに黒きゆゑ(古事記)、 と、 土、 の意(広辞苑・大言海)、 青、 は、 緑、 をいい(色名がわかる辞典)、 青丹、 は、 岩緑青(いはろくしゃふ)の古名、 とされ(大言海)、 青黒い土、 で、 あらゆる土は、色、青き紺(はなだ)のごとく、畫に用ゐて麗し、俗(くにひと)青丹(阿乎爾)といひ、また、かきつにといふ(常陸風土記)、 と、 染料、顔料、畫料、 とした(広辞苑・岩波古語辞典)。 「丹」(タン)は、「丹青」で触れたように、 会意文字。土中に掘った井型のわくの中から、赤い丹砂が現れ出るさまを示すもので、あかい物があらわれ出ることをあらわす。旃(セン 赤い旗)の音符となる、 とある(漢字源)が、 会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、 と(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9)、会意文字とも、 象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1213.html)、 象形。丹井(たんせい)に丹(に)のある形。丹は朱砂の状態で出土し、深い井戸を掘って採取する。〔説文〕五下に「巴越の赤石なり。丹井にるに象る。丶は丹の形に象る」という。〔史記、貨殖伝〕に、蜀の寡婦の清が、丹穴を得て豪富をえたことをしるしている。〔書、禹貢〕に、荊州に丹を産することがみえる。金文の〔庚贏卣(こうえいゆう)〕に「丹一木+厈(かん)」を賜うことがみえ、聖器に塗るのに用いた。甲骨文の大版のものには、その刻字の中に丹朱を加えており、今も鮮明な色が残されている。〔抱朴子、仙薬〕には、丹を仙薬とする法をしるしている。丹には腐敗を防ぐ力があり、古く葬具にも用いられ、殷墓からは、器が腐敗し、その朱色が土に残された花土の類が出土する(字通)、 は、象形文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 味酒(うまざけ)三輪の山あをによし奈良の山の山の際(ま)にい隠るまで道の隈(くま)い積(つ)もるまでにつばらに見つつ行かむをしばしばも見放(みさ)けむ山を心なく雲の隠さふべしや(万葉集) の、 道の隈(くま)、 は、 道の曲り角が幾つも重なるまで、 の意で、 隈、 は、 邪神の籠る所、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 見放(みさ)けむ山、 は、 遠く見つめたい山であるのに、 の意、 隠さふべしや、 は、 隠したりしてよいものか、 として、 神々しき三輪の山よ、この山を、青丹(あをに)よし奈良の山の、山の間に隠れるまでも、道の隅々が幾曲がりも重なるまでも、充分に見ながら行きたいのに、いくたびも見はるかしたい山なのに、つれなくも、雲が隠したりしてよいものか、 と注釈する(仝上)。 つばらに、 の、 つばら、 は、 委曲、 と当て、 つばひらか(詳らか)と同根、 とあり、 くまないこと、 まんべんなくすること、 くわしいこと、 の意(岩波古語辞典・広辞苑)で、 つばらに、 で、 くまなく、 まんべんなく、 の意となる(仝上)。 隈(くま)、 は、別の、 時なくぞ雪は降りける間なくぞ雨は降りけるその雪の時なきがごとその雨の間なきがごと隈もおちず(万葉集) では、 道の曲り角一つ残さずずっと、 の意とし、 長の道中ずっと、 と注釈している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 くま、 は、 隈、 のほか、 曲、 阿、 暈、 とも当て(広辞苑・日本語源大辞典)、 道や川の曲がり込んだ所、類義語スミは、周囲をかこわれているものの奥の箇所(岩波古語辞典)、 他と境界を接する地点、奥まった場所(精選版日本国語大辞典)、 をいうとあり、この由来については、 奥閨iおくま)の上略か(おとなふ、となふ。おもや、もや)、隠(こもり)と通ずと云ふ。(中国最古の字書)『爾雅』(秦・漢初頃)、釋地篇「隩隈」、疏「隩、一名隈也、隈、即、酷熕[隩(カクルル)之處也」、『玉篇(ぎょくへん、ごくへん)』(南北朝時代に編纂された部首別漢字字典)「阿、水岸也」、字鏡(平安後期頃)「隩、蔵也、久牟志良」(大言海)、 コリコモル(凝籠)の意(雅言考)、 クマ(陰)はクラ(闇)、クマ(曲)はクマ(陰)の転義(言元梯)、 クレマガリ(転曲)の義(名言通)、 水の入江は陸(クガ)が曲がっているところから、クはクガ(陸)、マはマガリ(曲)の義(日本釈名)、 入り込んだ処の義、クは物の中へ入り込む義で、マは間(国語の語根とその分類=大島正健) 朝鮮語kop(曲)と同源か(岩波古語辞典)、 曲がり角の意で、朝鮮語kop(曲)と同源(万葉集=日本古典文学大系)、 等々の諸説があり、 我、當(マサニ)於百不足(モモタラズ)之八十隈(ヤソクマヂ)、将隠去矣(カクレナム)、隈、此云矩磨埿(くまぢ)(隈路なり)、 と、 曲がり入り、隠れて見えぬ處、道にも、河にも云ふ(大言海)、 とあるのが原義だろう。で、拡げて、冒頭の、 道のくまい積もるまでにつばらにも見つつ行かむを、 と、 曲がり角、 曲がり目、 の意(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)や、 山の阿(くま)に伏せ隠し、賊(あた)を滅さむ器(つはもの)を造り備へて(常陸風土記)、 と、 奥まったところ、 奥まって隠れたところ、 物陰、 陰になった所、 等々の意で使う(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。それをメタファに、 思ふてふ人の心のくまごとに立ち隠れつつ見るよしもがな(古今和歌集)、 では、 人の心の隈に入り込んで、そこから相手のこころをみる、 という発想(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)で、人の心の、 隠しているところ、 秘めているところ、 見えないところ、 の意で使ったり(岩波古語辞典)、 山里めいたるくまなどに、おのづから侍るべかめり(源氏物語)、 と、 へんぴな所、 片田舎、 の意(精選版日本国語大辞典)、さらに、 少しゆゑづきてきこゆるわたりは、御耳とどめ給はぬくまなきに(源氏物語)、 と、 (形式名詞的に用いて)ところ、点、 の意で、 打消「なし」を伴って、 全体にわたっている、 意で、形容詞「くまなし」の連用形から、 くまなく、 の形で、 行き届かない所がなく、 すみずみまで、 の意で使う(精選版日本国語大辞典)。 くま、 に、 暈、 と当てるのは、上記、 くま、 の転で(大言海)、 光と雲(くもり)との出会い、一方、影のくらがること、 の意で、 月の少しくまあるたてじとみのもとに立てりけるを知らで(源氏物語)、 と、 曇り、 くらがり、 かげ、 の意や、 かきつばた白と紫くまなして流るる水に鯉の餌(ゑ)かはむ(与謝野晶子「舞姫(1906)」)、 と、 色の濃い部分と淡い部分、あるいは、光と陰とが接する部分、 また、 色の重なった部分、 色の濃い部分、 などの意で使う(精選版日本国語大辞典)。 色や影の濃い部分、 の意から、歌舞伎の、 隈取り、 の意にも使う(仝上・岩波古語辞典)。 「隈」(漢音ワイ、呉音エ)は、 会意兼形声。「阜(土盛り)+音符畏(へこむ)」で、へこむ意を含む、 とある(漢字源)が、他は、 形声。「阜」+音符「/*ɁUJ/」。{隈 /*ʔuuj/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%88)、 形声。阜と、音符畏(ヰ)→(ワイ)とから成る(角川新字源)、 形声文字です(阝+畏)。「段のついた土の山」の象形と「グロテスクな頭部を持つ人の象形と鞭(ムチ)の象形」(「怪しい者がムチを持つ」、「畏(おそ)れる」の意味だが、ここでは「屈」に通じ(「屈」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、「山や水などの曲がった所」を意味する「隈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2778.html)、 形声。声符は畏(い)。畏に畏懼して、回避する意がある。〔説文〕十四下に「水の曲れる隩(くま)なり」、また隩(おう)字条に「水の隈(わいがい)なり」という。𨸏 (ふ)は神梯の象で聖域、隈とは深奥、恐懼すべきところをいう。神異のあるところであった(字通)。 と、いずれも、形声文字とする。 「曲」(漢音キョク、呉音コク)は、「曲水の宴」で触れたように、 象形、曲がったものさし描いたもので、曲がって入り組んだ意を含む、 とあり(漢字源)、直の対、邪の類語になる。別に、 象形。木や竹などで作ったまげものの形にかたどり、「まがる」「まげる」意を表す。転じて、変化があることから、楽曲・戯曲の意に用いる(角川新字源)、 象形。竹などで編んで作った器の形。〔説文〕十二下に「器の曲りて物を受くる形に象る」とあり、一説として蚕薄(養蚕のす)の意とする。すべて竹籠の類をいい、金文の簠(ほ)はその形に従う。簠の遺存するものは青銅の器であるが、常用の器は竹器であったのであろう。それで屈曲・委曲の意となり、直方に対して曲折・邪曲の意がある(字通)、 ともある。 「阿」(ア)は、 会意兼形声。「阜(おか)+音符可(かぎ形に曲がる)」。かぎ形の台地。また、かぎ形にいり込んだ台地、 とあり(漢字源)、別に、 会意兼形声文字です(阝+可)。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「口の奥の象形と口の象形」(口の奥から大きな声を出すさまから、「良い」の意味だが、ここでは、「かぎ型に曲がる」の意味)から、丘の曲がった所「くま(湾曲して入りくんだ所)」を意味する「阿」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2020.html)、 ともあるが、 形声。阜と、音符可(カ)→(ア)とから成る(角川新字源)、 形声。 声符は可(か)。〔説文〕十四下に「大陵を阿と曰ふ。𨸏(ふ)に從ひ、可の聲なり。一に曰く、阿は曲れる𨸏(をか)なり」(段注本)とみえる。可声が阿となるのは圭(けい)・奇(き)が蛙(あ)・倚(い)となるのと同じ。可は、木の枝で祝詞を収めた器であるᗨ(さい)を殴(う)ち、神の許可を求める意。𨸏は神の降下する神梯。たいてい山陵の屈曲したところで、その下で儀礼を行う(字通)、 と、形声文字とする説もある。 「暈」(ウン)は、 会意兼形声。軍は、車を並べてまるくとりまいた営舎のこと。丸く取り囲む意を含む。暈は「日+音符軍」で、日をまるく取り巻く光の輪、 とある(漢字源)が、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%88)、 形声。「日」+音符「軍 /*WƏN/」(仝上)、 形声文字です(阝+畏)。「段のついた土の山」の象形と「グロテスクな頭部を持つ人の象形と鞭(ムチ)の象形」(「怪しい者がムチを持つ」、「畏(おそ)れる」の意味だが、ここでは「屈」に通じ(「屈」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、「山や水などの曲がった所」を意味する「隈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2778.html)、 形声。声符は軍(ぐん)。軍に運(うん)の声がある。〔説文新附〕七上に「日月の气なり」とあり、日月の周囲に生ずるかさをいう(字通) と、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) み吉野の耳我(みみが)の山に時(とき)じくぞ雪は降るといふ間なくぞ雨は降るといふその雪の時じきがごとその雨の間なきがごと隈もおちず思ひつつぞ来しその山道を(万葉集) の、 時じく、 時じき、 とあるのは、形容詞シク活用の、 (じく)・じから/じく・じかり/じ/じき・じかる/じけれ/じかれ と活用する、 時じ、 で(学研全訳古語辞典)、 非時、 とも当てる(大言海)ように 時となく、 とか、 時とてないように、 の意として、 み吉野の耳我の山に、時となく雪は降るという。絶え間なく雨は降るという。その雪の時とてないように、その雨の絶え間もないように、長い道中ずっと物思いに沈みながらやって来 た。ああ、その山道を、 と注釈されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 わが宿のときじき藤(ふぢ)のめづらしく今も見てしか妹(いも)が笑(ゑ)まひを(万葉集)、 と、 季節外れの、 その時候でないところの、 その時でない、 の意(大言海・岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)と、それを敷衍して、 小田沼の愛智(あゆち)の水を閧ネくぞ人は掬(すくは)むちふ時自久(じく)ぞ人は飲むちふ(万葉集)、 と、 「トキジクにて名詞となる、 とし(大言海)、 時ならず、 時かさだまっていない、 絶え間ない、 いつでもある、 といった意で使う(仝上)。 時じ、 の、 じ、 は、体言に付いて、 男じ、 鴨じ、 のように、 それらしいさま、それのような様子、 の意を表わし(精選版日本国語大辞典)、 ……のような、 ……に似た、 の意から、転じて、 栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ(万葉集) と、 ……でない、 意を表すシク活用の形容詞を作る(広辞苑)とある。 時じ、 はそれである。因みに、 栲衾(たくぶすま)、 は、 栲の布の夜具、 で、 タクは楮(こうぞ)の類の樹皮から採った繊維。衾は「麻衾」ともあり、寝る時に身体を覆う夜具。栲の色が白いことから、シラの音にかかる、 とある(広辞苑・https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32092)。 時(とき)、 は、幅広く「時間」を表し、 過ぎていく時間、 時刻、 時分、 期限、 時節、 時候、 時期、 時世、 時機 時代、 時勢、 等々と意味の幅が広い(岩波古語辞典・広辞苑)。ために、「とき」に当てると漢字も、 世、 刻、 季、 期、 秋、 節、 辰、 齋、 等々少なくない(字源)。その語源も、 常(トコ)の転か。或は疾(トキ)の意かと云ふ(大言海)、 「疾き」説。早く過ぎ去るを示すトキ(疾き)で、時間の進行を示す(名語記・和句解・日本釈名・名言通・柴門和語類集)、 トキ(辰)の義(言元梯)、 「月の音韻変化」説。月の満ち欠けによって、時の動きを示す(日本語源広辞典) 「解ける・溶けるのトキ」語源説。溶けていく過程に時間の移り行きを示す(仝上)、 等々がある。 月と時が関係ある、 とされるのは、聖書に ヱホバは月を作りて時をつかさどらせたまへり、 にあるように、 太陰が時の計測の基準となった、 ことに起因している(渡邊敏夫『暦のすべて』)といわれ、英語の time は、 「潮の満干」を意味する tide と同一の語根 ti- を持つ、 とされる(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11138393646)。 ただ、固有の暦法をもたない、古代日本で、時間という抽象概念を月とつなげたかどうか、些か疑問である。 常(とこ)の転(大言海・東雅)、 疾(とく)の意(大言海・名語記・和句解・日本釈名・名言通・柴門和語類集)、 のいずれかということになるが、正直しっくりこない。 辰(とき)の義(言元梯)、 もあるが、 星辰、 というように、 星座、 星宿、 の意味で使うのは、中国暦が入ってきて以降のことかと思われる。 「時」(漢音シ、呉音ジ)は、「時」で触れたように、 会意兼形声。之(シ 止)は足の形を描いた象形文字。寺は「寸(手)+音符之(あし)」の会意文字で、手足をはたらかせて仕事をすること。時は「日+音符寺」で、日がしんこうすること。之(いく)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(止+日)。「立ち止まる足の象形と出発線を示す横一線」(出発線から今にも一歩踏み出して「ゆく」の意味)と「太陽」の象形(「日」の意味)から「すすみゆく日、とき」を意味する漢字が成り立ちました。のちに、「止」は「寺」に変化して、「時」という漢字が成り立ちました(「寺」は「之」に通じ、「ゆく」の意味を表します)、 ともある(https://okjiten.jp/kanji145.html)が、 形声。声符は寺(じ)。寺に、ある状態を持続する意があり、日景・時間に関しては時という。〔説文〕七上に「四時なり」と四季の意とする。〔書、尭典〕「敬(つつし)んで民に時を授く」は農時暦の意。古文の字形は中山王鼎にもみえ、之(し)と日とに従う。之にものを指示特定する意があり、〔書、舜典〕「百揆(き)時(こ)れ敍す」、〔詩、大雅、緜〕「曰(ここ)に止まり 曰に時(を)る」のような用法がある(字通)、 と、形声文字とする説もある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 打ち麻(そ)を麻続(をみ)の王(おほきみ)海人(あま)なれや伊良虞(いらご)の島の玉藻刈ります(万葉集) の、 打ち麻を、 は、 麻続(をみ)、 つまり、 麻続(ヲウミの略)、 にかかる枕詞(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。 打麻(うちそ)、 の、 そ、 は、 麻(あさ)、 のこと(精選版日本国語大辞典)、 で、 打麻、 は、 うつそ、 ともいい、 麻を打って柔らかくしたもの、 をいう(広辞苑・岩波古語辞典)。 麻、 は、 大麻、 苧麻(からむし)、 黄麻、 亜麻、 などの総称(広辞苑)で、現代では、 「大麻(ヘンプ)」「苧麻(ラミー)」「亜麻(リネン)」「黄麻(ジュート)」「洋麻(ケナフ)」、 等々、茎の繊維を取る植物の総称として使われている(https://hemps.jp/asa-hemp-taima/)。なかでも、 大麻、 と 苧麻(ちょま・ラミー)、 は古代から日本で利用され、縄文時代の貝塚から「大麻」を使った縄が見つかっている(仝上)という。 麻(あさ)、 は、 植物表皮の内側にある柔繊維または、葉茎などから採取される繊維の総称、 であるが、 狭義の麻、 の、 大麻、 と、 広義の麻、 の、 苧麻(からむし)、 があり、後者は、日本では、 麻、 と呼ばれ、和装の麻織物(麻布)として古くから重宝されてきた。狭義の麻は、神道では重要な繊維であり様々な用途で使われる。麻袋、麻縄、麻紙などの原料ともなる。 狭義の麻である、 大麻、 は、古語、 總(ふさ)、 といい(平安時代の『古語拾遺』)、 を(麻・苧)、 そ(麻)、 とも言った。 打麻(うちそ)、 の、 そ、 はこれである。これは、 クワ科の一年草、 で、 春蒔きて、秋刈る。茎、方(カタ)にして、直(すぐ)に生ふること、七八尺に至る、葉の形、カヘデの葉に似て、長大にして対生す、茎の皮の繊維(すじ)を取りて、麻絲とし、其残茎は、アサガラ(一名ヲガラ)となる、 とあり(大言海)、 雄、雌あり、雄麻は、夏薄緑なる細かき花を生じて、實無し。一名サクラアサ。枲麻。雌麻は、花、緑にして細かき粒の如き子(み)を結ぶ。アサノミと云ひて、食用とす。一名、みあさ。苴麻、 とある(大言海)。和名類聚抄(931〜38年)には、 麻、阿佐、 とある。漢語では、雄株を、 枲(シ)、 雌株を、 苴(ショ)・芓(シ)、 という(http://www.atomigunpofu.jp/ch4-vegitables/taima.htm)とある。「櫻麻」で触れたように、この名は、万葉集古義(江戸末期)に、 櫻麻は、櫻の咲く頃、蒔くものなる故に云ふ、と云へり、 とあり(大言海)、 麻の種は陰暦三月の頃に蒔く、 からだとし(仝上)、 雄麻(ヲアサ)の一名、 とした(仝上・精選版日本国語大辞典)。 をとめらが績麻(うみを)のたたり打麻懸(うちそかけ)倦(う)む時なしに恋ひわたるかも(万葉集) とある、 打麻懸(うちそかけ)、 というと、 「うちそ」を糸にするために木のわくにかけて績(う)む、 意から、 「績む」と同音の「倦(う)む」 にかかる(精選版日本国語大辞典)とある。因みに、冒頭の、 麻績王(おみのおう)は、7世紀末の皇族で、 麻続王、 麻積王、 とも称されるが、 生没年不詳、 とされ、『日本書紀』には、675年5月17日(天武天皇4年夏4月18日)の条に天武天皇によって、 三位麻続王に罪あり、因幡に流した、 とあり、麻績王の子の1人を伊豆諸島の伊豆大島に流罪にし、もう1人を血鹿嶋(長崎県五島列島)に流罪にしたとある。冒頭の『万葉集』の歌では、流罪先が、 伊勢国の伊良虜の島、 になっているので、流罪先も諸説あることになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%B8%BE%E7%8E%8B)。 「打」(唐音ダ、漢音テイ、呉音チョウ)は、「うちつけに」で触れたように、 会意兼形声。丁は、もと釘の頭を示す□印であった。直角にうちつける意を含む。打は「手+音符丁」で、とんとうつ動作を表す、 とある(漢字源)が、 形声。「手」+音符「丁 /*TENG/」。「うつ」を意味する漢語{打 /*teengʔ/}を表す字、 も(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%93)、 形声。手と、音符丁(テイ)→(タ)とから成る。手で強く「うつ」意を表す、 も(角川新字源)、形声文字とする。 「麻」(漢音バ、呉音メ、唐音マ)は、「麻」で触れたように、 会意文字。「广(やね)+𣏟(麻の茎を二本並べて、繊維をはぎ取るさま)」。あさの茎をみずにつけてふやかし、こすって繊維をはぎとり、さらにこすってしなやかにする、 とあり(漢字源)、大麻の一種で、雌雄異株で、雄株を枲又牡麻、雌株を苴麻又小麻というとある(字源)。別に、 会意。广(げん)(いえ)と、𣏟(はい)(あさ)とから成り、屋下であさの繊維をはぎとる、ひいて「あさ」の意を表す(角川新字源)、 ともあるが、これらは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に基づくもので、 『説文解字』では「广」+「𣏟」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「广」とは関係がない、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BA%BB)、 形声。「厂」(「石」の原字)+音符「𣏟 /*MAJ/」。「砥石」を意味する漢語{磨 /*maajs/}を表す字。のち仮借して「あさ」を意味する漢語{麻 /*mraaj/}に用いる、 としている(仝上)。なお、 麻は雌体、枲は雄体、 を意味するともある(漢辞海)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたへ)の衣干したり天の香具山(万葉集) の、 白栲、 は、 まっ白い、 の意、 栲、 は、 楮の樹皮で作った白い布、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 衣干したり、 を、 白い布を斎衣と見たものか、 と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 白栲、 は、 しらたへ、 とも訓ませ、 白妙、 白細、 とも当てる(大言海)が、 妙、 細、 は、借字とある(仝上)。 しきたへ、 で触れたように、 栲(たへ)、 は、 𣑥、 とも当て、 たく、 ともいい(大言海)、 楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、 梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、 殻の木の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、 古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、 等々とあり、 コウゾの古名(デジタル大辞泉)、 「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、 ともあるのは、 カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、 とある(精選版日本国語大辞典)。 純白で光沢がある、 ため(仝上)、 色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる とあり(大言海)、 白栲(しろたへ)、 和栲(にぎたへ)、 栲(たへ)の袴、 栲衾(たくぶすま)、 などという(仝上・字源)。 栲、 は、 ハタヘ(皮隔)の義(言元梯)、 たへ(手綜)の義(日本古語大辞典=松岡静雄・続上代特殊仮名音義=森重敏)、 と、「織る」ことと関わらせる説もある(「綜(ふ)」については触れた)が、 堪(た)へにて、切れずの義か、又、妙なる意か、 とある(大言海)ように、 妙、 と同根とされる(岩波古語辞典)。また、 御服(みそ)は明る妙(タヘ)・照る妙(タヘ)・和(にき)妙(タヘ)・荒妙(あらたへ)に称辞竟(たたへごとを)へまつらむ(「延喜式(927)祝詞(九条家本訓)」)、 とあるように、 布類の総称、 として、 妙、 を当てている(精選版日本国語大辞典)例もある。 しろたへ、 は、 春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香具山(新古今和歌集) 卯の花の咲きぬる時は白たへの波もて結へる垣根とぞ見る(仝上) などと詠われるが、 栲(たえ)で作った製品の意で、繊維製品を表わす、 ので、 やすみしし我が大君の獣(しし)待つと呉床(あぐら)にいまし斯漏多閉能(シロタヘノ)衣手(そて)着備ふ(古事記)、 と、 「衣(ころも)」「衣で」「下衣(したごろも)」「袖(そで)」「たもと」「たすき」「帯」「紐(ひも)」「領巾(ひれ)」「天羽衣(あまのはごろも)」「幣帛(みてぐら)」、 などにかかり、白栲のように真白なの意で、 まそ鏡照るべき月を白妙乃(しろたへノ)雲か隠せる天つ霧かも(万葉集)、 と、 「君が手枕(たまくら)」「雲」「月」「雪」「光」「砂」「鶴(つる)」「梅」「菊」「卯(う)の花」、 など、白いものを表わす語にかかる(精選版日本国語大辞典)。 栲、 は、 上代において、衣料の素材として用いられていたため、「白栲」は、「万葉集」では、 衣服に関する語の枕詞として多用される。実生活に即した語ではあるが、一方で「白妙」という美称的表記も用いられ、歌語としての萌芽が認められる、 とある(精選版日本国語大辞典)。時代が下ると、「栲」が生活に用いられることはなくなり、それに伴って「白栲」は観念的なものとなっていき、歌語としては白色のみが強く意識され、白の象徴としての枕詞になっていく(仝上)とある。また、 白栲の衣、 は、 祭祀・葬礼・儀式のときなどに着用された、 といい(https://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32053)、冒頭の、 春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山、 は、 香具山を祀る巫女達の斎衣(さいい)、 とも、 香具山での春の神事に奉仕した人々が身につける白衣、 とも考えられ(仝上)、そうした衣を干した光景を歌に詠んだものともされ(仝上)。安積(あさか)皇子が薨去したときに家持が詠んだ歌に、 皇子(みこ)の御門(みかど)の五月蠅(さばえ)なす騒く舎人は白たへに衣取り着て、 と、 舎人が喪服として白い衣を着している、 と詠っている(仝上)。因みに、 斎衣(さいい)、 は、 喪服、 の意、「後漢書」礼儀志に、 夜漏二十刻、太尉長冠を冠し、齋衣を衣(き)、〜殿に詣(いた)る。〜群臣、位に入り、太尉禮を行ふ。執事皆長冠を冠り、齋衣を衣る。太祝令、跪いて謚策(しさく)を讀む、 とあり(字通)、 裳のすそをぬひしもの、 とある(字源)。 「栲」(こう)は、「しきたへ」で触れたように、異体字は、 𣐊、𣑥、𣛖、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B2)。字源は、 会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、 とある(漢字源)が、 形声。声符は考(こう)。〔説文〕六上に𣐊に作り「山樗(さんちよ)なり」とし、「讀みて糗(きう)の若(ごと)くす」という。〔爾雅、釈木、注〕に「樗に似て色小(すこ)しく白く、山中に生ず。〜亦た漆樹に類す」とあって、相似た木で、一類として扱われる(字通)、 と、形声文字とする説もある。 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、 紵緒の旁(つくり)を省き、合して木篇としたるもの、 とあり(大言海)、「栲」は、 樗(アフチ 「楝(あふち)」に似たる一種の喬木、 で、 栲栳量金買斷春(盧延譲詩)、 と、 栲栳(カウラウ)、 は、柳條をまげて作り、物を盛る器、 とある(字源・漢字源)。 「妙」(漢音ビョウ、呉音ミョウ)は、「妙見大悲者」で触れたように、 会意文字。少は「小+ノ(けずる)」の会意文字で、小さく削ることをあらわす。妙は「女+少」で、女性の小柄で細く、なんとなく美しい姿を示す。細く小さい意を含む、 とある(漢字源)。別に、 会意形声。女と、少(セウ→ベウ わかい)とから成り、年若い女、ひいて、美しい意を表す。また、杪(ベウ)・眇(ベウ)に通じて、かすかの意に用いる(角川新字源)、 会意兼形声文字です(女+少)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「小さい点」の象形(「まれ・わずか」の意味)から、奥床しい女性(深みと品位がある女性)を意味し、そこから、「美しい」、「不思議ではかりしれない」を意味する「妙」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1122.html)、 と、会意兼形声文字ともあるが、 形声。声符は少(しよう)。少に従う字に眇・秒(びよう)の声がある。〔玉篇〕に字を玅に作り、「奄ネり」と訓し、「今妙に作る」という。〔老子、一〕の「其の妙を觀る」の妙を、〔馬王堆帛書、甲本〕に眇に作る。漢碑には妙を通行の体として用いるが、その形は〔説文〕にはみえない。〔広雅、釈詁一〕に「好なり」とするのが通訓である(字通)、 と、形声文字ともある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 行き沿ふ川の神も大御食(おほみけ)に仕へ奉(まつ)ると上(かみ)つ瀬に鵜川を立ち下(しも)つ瀬に小網(さで)さし渡す山川も依りて仕ふる(万葉集) の、 上つ瀬、 の、 ツ、 は、 連体助詞、 で、 上つ枝(かみつえ)・下つ枝(しもえ) 上つ方・下つ方、 等々と使う(岩波古語辞典)が、 隠国(こもりく)の泊瀬の川の賀美都勢(カミツセ)に斎杙(いくひ)を打ち斯毛都勢(シモツセ)に真杙(まくひ)を打ち(古事記)、 と、 上つ瀬、 は、 下つ瀬、 と対で、 川の上流にある瀬、 をいい、 かんつせ、 ともいい、 下つ瀬、 は、 下流の瀬、 になる(仝上・精選版日本国語大辞典)。 小網(さで)、 は、漁具の一種、 すくい網、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 小網、 は、 叉手、 とも当て、 叉手網(さであみ)に同じ、 とある(広辞苑)。和名類聚抄(931〜38年)に、 網如箕形、狭後廣前也、佐天、 とある。 手もとを狭く浅く、前方を深く広くした網(岩波古語辞典)、 掬網(すくいあみ)の一種、二本の竹を交叉して三角状とし、これに網を張って袋状としたもの(広辞苑)、 二本の竹、又は木を交叉して、本を括り、両尖(りょうさき)を開き、三角形とし、その三角の部に、網を張り、其下部を、嚢の如く垂らしたるもの、形、略、箕の如し、本を柄として用ゐる。さてあみ、杈網、これを用ゐるを、サスといふ(大言海)、 袋状にした網地の口に木や竹、金属棒で三角・円などの枠(わく)を付け、これに柄を付けたもの。水中に敷設して魚が網上にくるのを待ってとるのに用いる。多く浅水に使用されコイ、フナ、ウナギなどを漁獲する。たも網(魚をすくいとる)としても使用。カモ猟に用いる叉手網もある(マイペディア) 袋状の網地の網口を三角形や四角形の枠に装着し、柄をつけた小規模な漁具である。ナイロン製の網目の小さい網地や綟子(もじ)網(縦糸の綟よりの間に横糸を通したこまかい目の魚網。小魚をとるのに用いる)が用いられている。設置した柴(しば)や篠(しの)の束に潜む小エビや、水面近くに集まっている小魚や小エビをすくいとるさで網(叉手網)、シラウオさでなどの抄網(すくいあみ)類と、網の上に水流により、または駆具(くぐ)によって集められた魚や小エビをすくいとる羽川(はねかわ)網、ウナギさで、コイさで、フナさで、ワカサギさでなどのさで網、鵜縄(うなわ)網、歩行(かち)網などの敷網類とに漁法上から分けられるが、形状はほとんど変わらない(日本大百科全書)、 掬網(すくいあみ)の一つ。交差させた竹や木に網を張ったもの。また、細い竹や木で輪を作り、平たく網を張って柄を付けたもの。さであみ。すくいあみ(精選版日本国語大辞典)、 等々とある。後世、 四手網(よつであみ)、 というもの、この類なり、 (大言海)とある。 なお、この、 小網、 を使うことを、 刺す、 というが、 水中に指し入れる、 意ではないか(大言海)としている。なお、 さす、 については触れた。 刺網(さしあみ)、 というと、 海中に垣のように張り、魚を網目にささるように、または、からませい捕獲する、帯状の網、上層に流し網、海底に底刺網を用いる、 とある(広辞苑)。なお、 モチ竿で鶏などを捕らえること、 も、 トリヲサス、 という(「日葡辞書(1603〜04)」)。また、 刺し渡す、 というと、 平瀬には小網(さで)さしわたし速き瀬に鵜を潜(かづ)けつつ(万葉集)、 と、 小網(さで)を一面にしかける、 意とされる(精選版日本国語大辞典)。この、 小網、 の由来は、 朝鮮語sadul(すくい網)と同源(岩波古語辞典)、 柄の長い、深く広い魚網をいう朝鮮語sadulと同源(万葉集=日本古典文学大系)、 さ手網と云ふが成語なるべく、それを下略して云ふなるべし、サは発語なり(さ衣、さ筵)、手綱と云ふ、手は柄の義(大言海)、 サテ(小手)の義(言元梯・名言通・和訓栞)、 狭手の義(箋注和名抄)、 サシテ(刺物)の連約で、魚を刺す意から手網の意に転用されたもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、 等々あるが、 叉手網(さであみ)、 の略だとすると、 さ、 は、 狭衣(さごろも)、 小百合(さゆり)、 さ牡鹿、 狭霧(さぎり)、 等々と使われる、 接頭辞、 という意味でいいのではないか(岩波古語辞典)。 語義不明、 とある(仝上)が、 ちょっとした、 といった含意のような気がする。 「叉」(漢音サ、呉音シャ)は、異体字に、 扠(繁体字・別字衝突)、㕚(別字)、义、岔、杈(繁体字)、汊(繁体字)、衩(繁体字)、釵、 等々とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%89)、 象形。手の指の間に物を挟んだ形を描いたもの。Y型をなしていて物を挟み、または突くものすべてを叉という、 とある(漢字源)。別に、象形文字は同じだか、 象形。指の間に爪があらわれている形(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%89)、 象形。手の指を組み合わせた形にかたどる。転じて「また」の意を表す。(角川新字源) 象形文字です。「指の間に物をはさんだ」象形から、「はさみとる」、「さすまた」を意味する「叉」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2386.html)、 象形。指の間に爪のあらわれている形。〔説文〕三下に「手指相ひ錯(まじ)はるなり」とするが、叉は一爪、㕚(そう)は二爪のあらわれている形。指爪を以て叉取することを原義とし、のち交叉・分岐する状態をいう(字通)、 等々とある。 「網」(漢音ボウ、呉音モウ)は、異体字として、 網󠄁(旧字体)、 網󠄂(康煕字典体)、 网(簡体字)、 䋄、𦁒、𮈗、 等々がある (https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%B2)。 会意兼形声。罔はもと。あみを描いた象形文字。網は「糸+音符罔(モウ)」で、かぶせて見えなくするあみ。または、目にみえにくくてむかぶさるあみ、罔とおなじ、 とある(漢字源)。別に、 会意形声。糸と、罔(バウ、マウ)(あみ)とから成り、「あみ」の意を表す。「罔」の後にできた字。(角川新字源)、 会意兼形声文字です(糸+罔)。「より糸」の象形と「あみの象形と、人の死体に何かを添えた象形(死亡の意味)」(「あみ・あみで捕らえる」の意味)から、「あみ」、「あみで捕らえる」を意味する「網」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1131.html)、 とあるが、 形声。「糸」+音符「罔 /*MANG/」。「あみ」を意味する漢語{網 /*mangʔ/}を表す字。もと「网」が{網}を表す字であったが、音符「亡」を加えて「罔」となり、さらに「糸」を加えて「網」となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%B2)、 形声。声符は罔(もう)。罔は網の初文。その初文は网で、網の象形。鳥獣を捕る網のほか、すべて網目のものをいう。〔老子、七十三〕「天網は恢恢(くわいくわい)、疎(そ)なるも失はず」とあり、〔馬王堆帛書老子〕に「天罔」に作る。天網は自然の法網をいう(字通)、 は、形声文字としている。 「罔」(漢音ボウ、呉音モウ)は、 会意兼形声。「网(あみ)+音符亡(見えない)」で、かぶせて隠すあみ。またおおいかぶせてみえなくすること、 とある(漢字源)。他は、 形声。音符「亡 /*MANG/」+音符「网 /*MANG/」。「あみ」を意味する漢語{網 /*mangʔ/}を表す字。もと「网」が{網}を表す字であったが、「亡」を加えた。のち仮借して「おろか」「くらい」を意味する漢語{惘 /*mangʔ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BD%94)、 形声。声符は亡󠄁(亡)(ぼう)。〔説文〕七下の网(もう)字条に重文として罔・網󠄁(網)を録しており、この三字は繁簡の字。罔にまた〔詩、小雅、蓼莪〕「昊天(かうてん)極まり罔(な)し」のように、有無の無に用いる。网・網は「あみ」の他に用義のない字である(字通)、 が形声文字、 象形文字です。「網(あみ)」の象形から「網」を意味する「网」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2868.html)、 が、象形文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 釧(くしろ)着く答志(たふし)の崎に今日(けふ)もかも大宮人の玉藻刈るらむ(万葉集) の、 釧(くしろ)着く、 は、 答志(たふし)の枕詞、 で、 釧(くしろ)着く、 は、 釧を着ける手節、 の意か(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。 釧をつけるから(広辞苑)、 釧は手に巻くので(岩波古語辞典)、 釧を着ける手から(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 などとあり、 同音「た(手)」を含む地名「たふし(手節)」にかかる、 とある(精選版日本国語大辞典)。 釧(くしろ)、 は、 婦人の腕輪、 とある(仝上)。 答志(たふし)、 は、 小浜の浦の北東海上答志島の崎、 という(仝上)。 釧、 は、 釼、 とも当て(精選版日本国語大辞典)、多くは、 貝・銅・石・ガラスの製品もあり、小鈴をつけたものもある、 が、ふつうは、 両手につけるが、片手のときは左手につけたようである、 とされる、 手首や臂(ひじ)につける輪状のかざり、 で、字鏡(平安後期頃)には、 釧、太万支、又、久自利 とあるように、 くしり、 たまき、 くじり、 ひじまき、 ともいい(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、 縄文時代から上代にかけて使われた(岩波古語辞典)、 彌生時代から古墳時代にかけて用いられた(精選版日本国語大辞典)、 と、多少の差はあるが、縄文時代から、 貝製の腕輪、 が用いられており、これは、 貝輪、 の名でよばれ、弥生(やよい)時代以降、とくに古墳時代の遺物について、 釧、 の語が使われている(日本大百科全書)。弥生時代には、 ガラス釧、 銅釧、 があり、銅釧(かなくしろ)は、 巻き貝を縦断した形をそのまま模して一方に突起がつけられた鋳造品と、静岡市登呂(とろ)遺跡出土品にみられるように薄い銅板を曲げた簡素な形とがある、 という(仝上)。銅釧の周縁に数個の小鈴をつけた、 鈴釧(すずくしろ)、 は、鏡の縁や冠などにまで鈴を飾った日本人の独創であり、小鈴の中には小石を入れて鋳造してある(仝上)。 古墳時代では前期から中期にかけては、 石釧、 が、それ以後は、埴輪(はにわ)人物によって、 金属製の釧、 ガラス玉などを連ねた釧、 なども用いられた(仝上)。日本では銅製品が多いが、朝鮮半島南部では銀製や金製の釧が多く、それらは内面は平らで、外側に蛇腹状の刻み目を飾っている(仝上)。 この、 くしろ、 は、 鏁(くさ)るの名詞形、くさりの転なるべし(手節(たぶし)、腕(たぶさ)。石子(いしこ)、沙(いさご)。禮代(ゐやじろ)、ゐやじり。被髪(かぶり)、童卯(かぶろ))。玉釧(たまくしろ)、手玉(てたま)、肘玉(ひじたま)など云ひ、履中紀に、手鈴(てなすず)なども見ゆれば、玉、又は、鈴を鏁(くさ)りつけたるが元なる名ならむ。正韻「釧(ヒン)、樞絹切」、説文解字「臂環也」、和名類聚抄「加奈加岐(鐵爪の合字、熊手なり)とあるに、又、「一云久之呂」とあるは、別に、釧の増畫字なる、釽あると混じりたり(萬葉集、標の字の上に、一點を加へ、、橿の字に二點を加へたるなど、あり)、萬葉集に、「玉釵(たまくしろ)」とあるは、その變體にて(靭(ゆぎ)の靫(ゆぎ)の類)、萬葉集に、劔著(くしろつく)とあるはその誤冩なり(大言海)、 朝鮮語kosïlt(珠)と同源(岩波古語辞典・万葉集=日本古典文学全集)、 クシシロ(櫛代)の義か(和訓栞)、 クシ(奇)に接尾語ロを付した語(日本古語大辞典=松岡静雄)、 コヱシラセ(声令知)の義で、鈴の音をいう(名言通)、 クジル(抉)の清濁相通によるクシルの連用形名詞法クシリから。髪に挿すクシ(串)も同語原(続上代特殊仮名音義=森重敏)、 等々諸説あるが、ここは、中国経由、朝鮮由来というのが妥当なのではないか。 「釧」(セン)は、 会意兼形声。「金+音符川(穿 つきとおす)」、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(金+川)。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土の中に含まれる「金属」の意味)と「流れる川」の象形(「川のようにうまく流れる」の意味)から、きれいな流れを持つ金属の輪「くしろ」を意味する「釧」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2764.html)、 ともあるが、他は、 形声。「金」+音符「川 /*LUN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%A7)、 形声。金と、音符川(セン)とから成る(角川新字源)、 形声。声符は川(せん)。〔説文新附〕十四上に「臂(ひぢ)の環(わ)なり」とあり、うでわをいう。わが国の古代には、男女ともに「くしろ」を用いた。もと辟邪、魂振りの意をもつものであった(字通)、 と、いずれも、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 東(ひむがし)の野にはかぎろひ立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(万葉集) の、 かぎろひ、 は、 あけぼのの陽光、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 陽炎、 火光、 と当て、 明け方の日の出るころに空が赤みを帯びて見えるもの(精選版日本国語大辞典)、 日の出前に東の空にさしそめる光(広辞苑)、 東の空に見える明け方の光、曙光(しよこう)(学研全訳古語辞典)、 あけぼのの光(岩波古語辞典)、 夜明け方の光(デジタル大辞泉)、 爀(かがや)く陽の光、曜光(大言海)、 の意だが、先後はわからないが、 埴生坂(はにふざか)わが立ち見れば 迦藝漏肥(カギロヒ)の燃ゆる家群(いへむら)妻が家のあたり(古事記)、 と、 火炎の雲焼(くもやけ)(大言海)、 炎(岩波古語辞典)、 炎などによって空の赤く染まって見えるもの(精選版日本国語大辞典)、 の意でも使い(大言海・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、後には、 世中(よのなか)を背(そむ)きし得ねば香切火(かぎろひ)の燃ゆる荒野(あらの)に白栲(しらたへ)の天領巾隱(あまひれがく)り……(万葉集) と、いわゆる、 かげろう(陽炎)、 の、 春のうららかな日に、地上から立つ水蒸気によって光がゆらいで見えるもの、 の意で、使うに至る(仝上)。 かぎろひ、 の由来は、 ちらちらひかるものの意(広辞苑)、 カガヨヒ・カグツチと同根、揺れて光る意、ヒは火。「輝き」きはカカヤキと清音で、起源的には(「かぎろひ」とは)別(岩波古語辞典)、 爀霧(かがきをひ)の約轉ならむ(軋合ひ、きしろひ)、動詞かぎろふの名詞形、かげろふといふ動詞の転なるべし(大言海)、 カギロヒ(R日・R火)の転呼。カギルはカガヤクと同義(雅言考・日本古語大辞典=松岡静雄)、 カカケヒ(R気火)の転(言元梯)、 カギリ(限)の延言(碩鼠漫筆)、 カは炎、キはガリの約で、指しきわむる言、ロは助辞、ヒはフに移る休言(皇国辞解)、 等々諸説あるが、はっきりしない。陽炎の意のある、 絲遊、 で触れたように、 陽炎、 は、 陽焔、 と同じで、 龍樹大士曰、日光者微塵、風吹之野中轉、名之爲陽焔(庶物異名疏)、 と、 遊絲、 と同義(仝上)とある。 陽炎(かげろう)、 の由来は、 (揺れて光る意の)かぎろふの転。ちらちらと光るものの意が原義。あるかなきかの、はかないものの比喩に多く使う(岩波古語辞典)、 かぎろひ、カゲロヒの転、カゲロヒはカゲルヒ(影日)の義(和訓栞)、 カギロヒの転(大言海)、 陽炎の燃えるさまが、カゲロフ(蜻蛉)の飛び交うさまににているところから(和字正濫鈔)、 などとあるが(「蜻蛉」については触れた)、 ともし火の影にかがよふうつせみの妹が笑(え)まひし面影見ゆ(万葉集)、 の、 静止したものがきらきらと光って揺れる、 の意の、 かがよふ、 とつながるのではあるまいか。 かがよふ、 は、 耀ふ、 赫ふ、 と当て、 かぎろひと同根(岩波古語辞典)、 とあり、 見渡せば近きものから石隠り加我欲布(カガヨフ)珠を取らずは止まじ(万葉集)、 と、 きらきらと揺れてひかる、ちらつく(広辞苑)、 きらきら光ってゆれ動く。きらめきゆれる(精選版日本国語大辞典)、 静止したものが、きらきらと光ってゆれる(岩波古語辞典)、 といった意味になり、 かぎろひ、 と かがよひ、 との意味の重なりがよくわかる。なお、 かぎろひの、 は、 かげろふ(陽炎)、 の意に転じて、 奈良の都は炎乃(かぎろひノ)春にしなれば春日山三笠の野辺に桜花木のくれがくりかほ鳥は間なくしば鳴く(万葉集)、 と、 陽炎の立つ季節から、「春」にかかる枕詞として使われ(岩波古語辞典)、それをメタファに、 春鳥の音(ね)のみ泣きつつ味さはふ宵昼知らず蜻蜒火之(かぎろひの)心燃えつつ歎く別れを(万葉集)、 と、 かげろうがもえるように心がもえるの意で、「心燃(も)ゆ」にかかる(精選版日本国語大辞典)。 「陽」(ヨウ)は、 会意兼形声。昜(ヨウ)は、太陽が輝いて高くあがるさまを示す会意文字。陽は「阜(おか)+音符昜」で、明るい、はっきりした、の意を含む。阳は中国で陽の簡体字、 とある(漢字源)。異体字には、 阳(簡体字)、 阦(俗字)𨼘、 𨼡、𨽐、𥌖、𨼗、𨹈、𫹖、𬪌(同字)、氜 𣆄、 等々がある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%BD)。別に、 会意形声。阜と、昜(ヤウ)(太陽が照る)とから成り、日光のあたる側の意を表す。転じて、太陽の意に用いる(角川新字源)、 会意兼形声文字です(阝+昜)。「段のついた土山」の象形と「太陽が地上にあがる」象形から、丘の日のあたる側、「ひなた」を意味する「陽」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji547.html)、 も、会意兼形声文字とするが、 形声。「阜」+音符「昜 /*LANG/」。「ひなた」「日光」を意味する漢語{陽 /*lang/}を表す字。もと「昜」が{陽}を表す字であったが、「阜」を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%BD)、 形声、声符は昜(よう)。昜は台上の玉光が下に放射する形。玉の光は、魂振りとしての呪能があるとされた。阜(ふ)は……、神の陟降する神梯の象。その神梯の前に玉をおき、神の威光を示す字であった。〔説文〕十四下に「高明なり」という。昜を〔説文〕九下は勿部に録し、「開くなり。日と一と勿とに從ふ」とし、日光と解するが、日は玉の形。昜は陽光の象徴とされ、その力能を陽という。陰陽は古くは侌昜としるした。陽はのち陽光の意となり、〔詩、小雅、湛露〕に「陽(ひ)に匪(あら)ざれば晞(かわ)かず」、〔詩、豳風、七月〕「春日載(すなは)ち陽(あたた)かなり」のような句がある。〔七月〕「我が朱孔(はなは)だ陽(あか)し」はその引伸義。佯(よう)と仮借通用する(字通)、 は、形声文字とする。 「炎」(エン)は、 会意文字。「火+火」で、盛んに燃えるさまを示す。曄(ヨウ)は、……炎と語尾が入れ替わった言葉。談、啖など、音符としてはタンと訓むことがある、 とある(漢字源)。 炎、 の異字体は、 燄(本字、 繁体字)、焔(異体字)、熖、㷔、𭶘、𦦨、𩸥、𦥿、𤑑、𤒰、 等々があり、 炎、 は、 燄、 が本字であり、その異体字(簡体字)、 焰、 および、この異字体(印刷標準字体)である、 焔、 の代用字、 とされる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%B0)。他も、 会意。火を二つ重ねて、ほのおが盛んの意を表す。(角川新字源) 会意文字です(火+火)。「燃え上がるほのお」の象形から、「ほのお」を意味する「炎」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1340.html)、 会意。火+火。火炎の意をあらわす。〔説文〕十上に「火光上るなり」とみえる(字通)、 とある。 「焔(焰)」(エン)は、 形声文字。「火+音符臽(カン)」で、盛んにもえるひ。臽(穴にはまる)は単に音符で、元の意味とは関係ない、 とある(漢字源)。他も、 形声。「火」+音符「臽 /*LAM/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%B0)、 形声。火と、音符臽(カム)→(エム)とから成る。「ほのお」の意を表す(角川新字源)、 と形声文字だが、 会意兼形声文字です(火+臽)。「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)と「人が落とし穴に落ちた」象形(「落ちる、落とす」の意味)から、火が落ちる事を意味し、そこから、「火が少し燃え上がるさま」を意味する「焰」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2294.html)、 と、会意兼形声文字とする説もある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) やすみしし我が大君高照らす日の皇子(みこ)荒栲(あらたへ)の藤原が上に食(を)す国を見したまはむと(万葉集)、 の、 荒栲の、 は、 「藤原」(大和三山に囲まれる地帯)の枕詞、 で、 藤蔓の布、 の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。 荒栲、 は、 荒妙、 粗栲、 麁栲、 麁妙、 等々と当て(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、 和栲(にぎたへ)、 和妙(にきたへ)、 の対、 であり(「和」については触れた)、上代、 御服(みそ)は明るたへ、照るたへ、和たへ、荒たへに(祝詞・祈念祭)、 と、 織り目のあらい粗末な織物の総称、 で(仝上)、一般に、 藤、カジノキなどの木の皮の繊維で織った粗末な布、 をいう(仝上)。ただ、中古以降、 阿波国忌部所織麁妙服(あらたへ)〈神語所謂阿良多倍是也〉」(「延喜式(927)」)、 と、 麻織物、 をいう(仝上)。なお、 荒妙と書けるば、借字なり、出典の孝徳紀には、麁布(あらたへ)とあり、 万葉集に、 やすみしわご大王(おほきみ)高照らす日の御子(みこ)荒栲(あらたへ)の藤井が原に大御門(おほみかど)始め給ひて、 とあるように、 荒栲とあるが正字なり、 とする説もある(大言海)。また、 あらたへの、 というと、冒頭の、 荒妙乃(あらたへノ)藤原が上に食(を)す国をめし給はむと(万葉集)、 と、 藤(ふじ)の繊維で作った粗末な布を「あらたへ」というところから、「藤井」「藤江」「藤原」などの地名にかかる、 枕詞として使う(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)。 しきたへ、 白栲、 で触れたように、 栲(たへ)、 は、 𣑥、 とも当て、 たく、 ともいい(大言海)、 楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、 梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、 殻の木の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、 古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、 等々とあり、 コウゾの古名(デジタル大辞泉)、 「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、 ともあるのは、 カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、 とある(精選版日本国語大辞典)。 純白で光沢がある、 ため(仝上)、 色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる とあり(大言海)、 白栲(しろたへ)、 和栲(にぎたへ)、 栲(たへ)の袴、 栲衾(たくぶすま)、 などという(仝上・字源)。 栲、 は、 𣑥、 とも当て、 ハタヘ(皮隔)の義(言元梯)、 たへ(手綜)の義(日本古語大辞典=松岡静雄・続上代特殊仮名音義=森重敏)、 と、「織る」ことと関わらせる説もある(「綜(ふ)」については触れた)が、 堪(た)へにて、切れずの義か、又、妙なる意か、 とある(大言海)ように、 妙、 と同根とされる(岩波古語辞典)。また、 御服(みそ)は明る妙(タヘ)・照る妙(タヘ)・和(にき)妙(タヘ)・荒妙(あらたへ)に称辞竟(たたへごとを)へまつらむ(「延喜式(927)祝詞(九条家本訓)」)、 とあるように、 布類の総称、 として、 妙、 を当てている例もある(精選版日本国語大辞典)。 荒栲、 の対である、 和栲 の、 「和(にぎ)」、 は、 熟、 とも当て、 にき、 と訓んだが、中世以降、 にぎ、 と訓む。 にきたへ、 は、 和妙、 和栲、 和幣、 と当てるが、 古く折目の精緻な布の総称、またうって柔らかく曝した布、 の意で、 神に供える麻布をぎたへ(和栲)といったのが、たへ(t[ah]e)の縮約で、にぎて(和幣)になった、 とある(日本語の語源)。因みに、 にこ、 は、 和、 柔、 と当て、「荒(あら)」と対なのも「にき」に同じ。 体言に冠して「やわらかい」「こまかい」の意を表す。にき、 穏やかに笑うさま、 と載る。前者は、にこ毛、にこ草、等々と使う。後者は、「にこと笑う」の「にこ」である。 「栲」(こう)は、「しきたへ」で触れたように、 会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、 とある(漢字源)。別に、 形声。声符は考(こう)。〔説文〕六上に𣐊に作り「山樗(さんちよ)なり」とし、「讀みて糗(きう)の若(ごと)くす」という。〔爾雅、釈木、注〕に「樗に似て色小(すこ)しく白く、山中に生ず。〜亦た漆樹に類す」とあって、相似た木で、一類として扱われる(字通)、 と、形声文字とする説もある。 「栲」の異体字は、 𣐊、𣑥、𣛖、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B2)。「字通」にあるように、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、 紵緒の旁(つくり)を省き、合して木篇としたるもの、 とあり、「栲」は、 樗(アフチ 「楝(あふち)」に似たる一種の喬木、 で、 栲栳量金買斷春(盧延譲詩)、 と、 栲栳(カウラウ)、 は、柳條をまげて作り、物を盛る器、 とある(字源・漢字源)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集) の、 采女、 は、 郡の次官以上の容姿端麗な姉妹子女で、宮廷に召された者。天皇の身辺に奉仕、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 采女、 は、 うねべ、 とも訓ませ、 娞、 とも書く(日本大百科全書)。 宮中において天皇に近侍し、主として炊事や食事などをつかさどった下級女官、 で、 供奉、御饌(みけ)のことに奉仕す、 とあり(大言海)、大化改新以前は、 其れ、倭直(やまとのあたい)等、采女(うねへ)を貢(たてまつ)ること蓋し此の時に始るか(日本書紀)、 とあり、大和(やまと)朝廷が地方豪族に服属の証(あかし)として、 国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)などの地方豪族が一族の子女を、容貌美しき者より大王に奉仕させ、 て、 采女司に属す、 という(仝上・精選版日本国語大辞典)。律令制では、これを継承して、 其貢采女者。郡少領以上姉妹及女(「令義解(718)」)、 と、 郡を貢進の単位として少領(しょうりょう)以上の郡司の姉妹や女(むすめ)のうち容姿端麗な者を後宮に貢上させることを定め、制度として確立し(日本大百科全書)、 諸国の郡司一族の子女のうちで一三歳から三〇歳までの容姿端正な者を選んで出仕させて宮内省采女司が管轄し、後宮の水司、膳司などに置かれた、 とある(仝上・精選版日本国語大辞典)。令の規定では、 後宮の水司(もいとりのつかさ)に6人、膳(かしわで)司に60人、縫(ぬい)司などに若干名の采女を置き、宮内省の采女司がこれをつかさどった、 とある(仝上)。本来は、 もっぱら天皇に奉仕すべき役割をもち、原則として終身の職であった。采女貢進単位は奈良時代において、兵衛と同じく郡であったので、「牟婁采女」などのように郡名をもって呼ばれるのが原則であった(仝上)。采女の資養には庸(よう)と諸国の采女田の地子(じし)があてられ、名前は出身の郡名を冠してよぶのが普通であった。 采女、 は、原則として後宮の雑役に従う下級女官であるが、実際には女帝のもとにあって政治に参与したり、天皇の寵(ちょう)を得て子女を産むものなどもあって、奈良時代には女官として重要な位置を占めていた(仝上)という。9世紀に入ると、貢進単位は国となり、「紀伊国采女紀寛子」のように国名を冠して呼ばれ、定員も47名に減員され、その後形骸化していく(世界大百科事典)。 采女(さいじょ)、 と訓ませると漢語であり、 采女、 は、 中国後宮の制に倣ったもので、『後漢書』皇后傳に、 采女、采、擇也、以因采擇而立名、 とあるように、 采擇(採択)せし女、 の義(字源)で、 宮中に奉仕する女官、 であり、 民間より選んだ。『後漢書』五行志に、 靈帝數々(しばしば)西園中に遊戲し、後宮の采女をして客舍の主人と爲し、身には商賈の服を爲し、行いて舍に至り、采女酒食を下し、因りて〜飮食を共にし以て戲樂を爲す、 とある(字通)。 宮中に奉仕する女官、 の意の、漢語、 采女(さいじょ)、 に当てた、 うねめ、 の由来は、 「うね」は領巾(ひれ)などを首に懸ける意の「うなく」と関係があるか(精選版日本国語大辞典)、 (「うねべ」は)嬰部(うなげべ)の約にて(いしなげどり、いしなどり)、領巾(ひれ)、襷を嬰(うなげ)り(項(うな)を活用した語)てある意なるべし。この「うねべ」が転じて「うねめ」となった(古事記傳・大言海)、 ウはウチの略、ネは神職の意で、ウネは内巫に当たる。官巫の集団をさすウネメベ(采女部)が変化し、その中の一人をもウネメと称したものか(宮廷儀礼の民俗学的考察=折口信夫)、 名門の女の意のウネメ(大系女)から、ネ(系)は、根の転義で、系統の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、 ウヂノメ(氏之女)の略転(万葉考・類聚名物考)、 ウオヒメ(卯童女)の義(和訓栞)、 ウナヰメの義(南留別志)、 ウケメ(受女)の転。諸国から獻ずる女を上に受ける意(名言通)、 「うなゐめ」すなわち処女の意(本大百科全書)、 等々諸説あるが、 宮中に奉仕する女官、 の意の、漢語、 采女(さいじょ)、 に当てた以上、それとの関連を付けなくてはならないが、どうもはっきりしない。 「うね」は、領巾(ひれ)などを首にかける意の「うなぐ(項・嬰)」と関係があるか、 とする(日本語源大辞典)のが最も、意味がある。 領巾(ひれ)、襷を嬰(うなげ)り、 とするのは、 主として炊事や食事などをつかさどった下級女官、 の身づくろいと一致するのではあるまいか。領布(ひれ)で触れたように、 『日本書紀』天武天皇11年(682)の条に、 膳夫(かしわで)、采女(うねめ)等の手繦(たすき)、肩巾(ひれ)は並び莫服(なせそ)、 と廃止されたことが記されており(日本大百科全書)、それまで采女の朝服(諸臣の参朝の際に着用)であったとわかる。 領布、 は、 上代から平安時代にかけての女子の装身具、 で、 首から肩に掛けて左右へ長く垂らした装飾用の白い布、 をいい、魔除けなどの呪力をもつと考えられた。 「采」(サイ)は、 会意文字。「爪(手先)+果物のなった木、または木」で、指でつかんで取ること、採の原字、 とある(漢字源)。異体字に、 采󠄁(旧字体)、埰(別字、繁体字)、採(別字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%87)ように、 採、 と同義になる。他も、 会意。「爪」(手)+「木」。「とる」「つみとる」を意味する漢語{採 /*tshəəʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%87)、 会意。爪と、木(き)とから成る。手(爪)で木から果実などを取り集めるさまにより、「とる」意を表す。「(サイ)」の原字(角川新字源)、 会意文字です(爫+木)。「手」の象形と「木と実」の象形から、果実を採取する事を意味し、そこから、「とる(手に取る、選び取る)」を意味する「采」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2128.html)、 会意。爪(そう)+木。木の実を采取する意。〔説文〕六上に「捋取(らつしゅ)するなり」とあり、もぎとることをいう。采取の意より、采地・采邑の意に用い、金文に多くその義に用いて「乃(なんぢ)の采󠄁と爲せ」のようにいう。また彩(彩)と通用し、采色の意に用いる(字通)、 と、ほぼ同じである。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 耳成の青菅山(あおすがやま)は背面(そとも)の大き御門(みかど)によろしなへ神さび立てり名ぐはし吉野の山は影面(かげとも)の大き御門ゆ雲居にぞ(万葉集) の、 よろしなへ、 は、 いかにも具合よろしく、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 神さび、 は、 神さびる、 で触れたように、 神々(こうごう)しい、 意で、 名ぐはし、 は、 名細し、 と当て、 長が美しい、 名高い、 意とある(広辞苑)。 背面(そとも)、 影面(かげとも)、 は、冒頭の歌の前の、 大和の青香具山(あをかぐやま)は日の経(たて)の大き御門に春山と茂(し)みさび立てり畝傍のこの瑞山(みづやま)は日の緯(よこ)の大き御門に瑞山と山さびいます(仝上)、 の、 日の経(たて)、 日の緯(よこ)、 と対で、 背面(そとも)、 は、 北面(きたおもて)、 影面(かげとも)、 は、 南面、 日の経(たて)、 は、 東面(ひがしおもて)、 日の緯(よこ)、 は、 西面(にしおもて)、 と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。つまり、香具山は、 日の経(よこ)、 つまり、東、畝傍山は、 日の緯(たて)、 つまり、西、耳成山は、 背面(そとも)、 つまり、北、吉野の山は、 影面(かげとも)、 つまり、南、となる。 背面、 は、 「そ(背)つおも(面)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、 背(ソ)之(ツ)面(オモ)の約(大言海)、 背(ソ)ツオモ(面)の約(広辞苑)、 背(ソ)ツオモ(面)の約、ソは連体助詞、光の射す南に対して、その背面の意(岩波古語辞典)、 等々とあるように、 山の日の当たる方から見て背後に当たる方向、 を、つまり、 山の陰、 をいい(大言海)、 山の北側、 また、 北の方角、 をいう(精選版日本国語大辞典)。これをメタファに、 わがかどのそともにたてるならの葉のしげみにすずむ夏はきにけり(「書陵部本恵慶集(985〜87頃)」)、 と、 背中の方向、 後ろの方向、 また、 家のうら手、 をいい、転じて、 ぬしなくて荒れたる宿のそともには月の光ぞひとりすみける(能因法師集)、 と、 外面、 とも当て、 事物のそとがわ、 家のそと、 の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この対は、 山陽(やまのみなみ)を影面(かけとも)と曰(い)ひ山の陰(きた)を背面(そとも)と曰(い)ふ(日本書紀)、 とあるように、 影面(かけとも)、 と言い、 「かげつおも(影つ面)」の音変化。「かげ」は光の意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 カゲ(影)ツ(之)オモテ(面)の約(広辞苑・大言海)、 カゲ(光)ツオモ(面)の約、ツは連体助詞(岩波古語辞典)、 などとあり、 日の光に向かう方、南(岩波古語辞典)、 日影すなわち太陽に向かう方、南(広辞苑・大言海)、 太陽に向かう方、南の面、南方(精選版日本国語大辞典)、 の意で、 背面、 の、 山の北面、 に対して、 山の南面を云へる語、 である(大言海)。 日の経(ひのたて)、 は、 日の縦(ひのたたし)、 ともいい、 タテはタタ(楯 たつの古形)の轉、 日の縦(ひのたたし)、 の、 たたし、 は、 タタはタツ(立)の名詞形、シは方向、日の登る方向の意、 で、(岩波古語辞典)、 たて(縦)に同じ、 とあり(大言海)、 日の立つ(出る)方向、 つまり、 東、 である(岩波古語辞典)。 シ、 は、 息、 風、 と当て、息、風の意から転じて、 日向(ひむか)し(「日向かし」の意。ひんがし→ひがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(万葉集)、 と、 方角、 の意になる(岩波古語辞典)。 以東西為日縦(ひのたたたし)、南北為日横(ひのよこし)(成務記)、 と、 東西、 の意で用いるのは誤用(岩波古語辞典)とある。 日の経、 の対は、 日の緯(よこ)、 で、 日の横(よこし)の略、 とある(岩波古語辞典)。つまり、 西、 の意である。ただ、上述のように、 以東西為日縦(ひのたたたし)、南北為日横(ひのよこし)(成務記)、 と、誤用して、 南北、 の意でも使う(岩波古語辞典)とあるが、 太陽を中心とし、東西を経(たて)とし、南北を緯(よこ)とす。支那にては、北辰を中心とし、南北を経とし、東西を緯とす、 という(大言海)とあるので、故はある。漢字、 経(ケイ たていと)、 は、 緯(イ よこいと)、 の対で、 織物の縦糸、 また、 縦・南北の方向、 をいい(字源)、 緯、 は、 織物の横糸、 また、 左右・東西の方向、 をいう(字源)。 なお、 立つ、 たて、 よこ、 については触れた。 「背」(漢音ハイ、呉音へ・ハイ、ベ・バイ)は、「背向(そがい)」で触れたように、 会意兼形声。北(ホク)は、二人のひとが背中を向けあったさま。背は「肉+音符北」で、背中、背中を向けるの意、 とある(漢字源)。「北」は(寒くていつも)背中を向ける方角、とある(「北」は「背く」意がある)。また「背」の対は、「腹背」というように腹だが、また「背」は「そむく」意があり、「向背」(従うか背くか)というように「向」(=従)が対となる(仝上)。別に、 会意形声。「肉」+音符「北」、「北」は、二人が背中を合わせる様の象形。「北」が太陽に背を向けるの意から「きた」を意味するようになったのにともない、(切った)「肉」をつけて「せ」「せなか」「そむく」を意味するようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%8C)、 会意形声。肉と、北(ホク)→(ハイ)(そむく)とから成る。からだのうしろ側、「せ」の意を表す。「北」の後にできた字(角川新字源)、 と会意兼形声とするが、 形声。声符は北(ほく)。北に邶(はい)の声があり、北を邶・背の初文として用いる。〔説文〕四下に「脊(せき)なり」とあり、脊は身の背後にあたり、脊肉の象に従う。後ろより違背の意があり、背馳・叛背のように用いる(字通)、 と形声文字とする説もある。 「影」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、「影向の松」で触れたように、 会意兼形声。景は「日(太陽)+音符京」からなり、日光に照らされて明暗のついた像のこと。影は「彡(模様)+音符景」で、光によって明暗の境界がついたこと。とくに、その暗い部分、 とあり(漢字源)、別に、 会意兼形声文字です(景+彡)。「太陽の象形と高い丘の上に建つ家」の象形(「光により生ずるかげ」の意味)と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形(「模様・色どり」の意味)から、「かげ」を意味する「影」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1289.html)、 会意形声。彡と、景(ケイ)→(エイ)(ひかり)とから成り、光、転じて物の「かげ」の意を表す。「景」の後にできた字、 とも(角川新字源)あるが、 会意。景+彡(さん)。景は望楼状のアーチ門である京の上に日をしるし、日影をはかる意で、影の初文。彡は光や音をしるす記号(字通)、 と、会意文字とする説もある。なお、「景」(漢音ケイ・エイ、呉音キョウ・ヨウ)は、 形声。京とは、高い丘にたてた家をえがいた象形文字。高く大きい意を含む。景は「日+音符京」で、大きい意に用いた場合は、京と同系。日かげの意に用いるのは、境(けじめ)と同系で、明暗の境界を生じること、 とある(仝上)。 「經(経)」(漢音ケイ、呉音キョウ、唐音キン)は、「経営(けいめい)」で触れたように、 会意兼形声。巠(ケイ)は、上の枠から下の台へ縦糸をまっすぐに張り通したさまを描いた象形文字。經は、それを音符とし、糸篇を添えて、たていとの意を明示した字、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(糸+圣(磨j)。「より糸」の象形と「はた織りの縦糸」の象形から「たていと」、「たて」を意味する「経」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji745.html)、 ともあるが、他は、 形声。もと「巠」が「經」を表す字であったが、糸偏を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%93#%E5%AD%97%E6%BA%90)、 形声。織機のたて糸、ひいて、すじみち、おさめる意を表す(角川新字源)、 形声。旧字は經に作り、巠(けい)声。巠は織機のたて糸を張りかけた形で、たて糸。經の初文。金文の「コ經」「經維」の字を巠に作るものがある。〔説文〕十三上に「織るなり」とするが、横糸の緯と合わせてはじめて織成することができるので、合わせて経緯という。〔太平御覧〕に引く〔説文〕に「織の從絲(たていと)なり」に作る。交織の基本をなすものであるから、経紀・経綸・経営の意に用い、経書の意となり、経緯より経過・経験の意となる(字通)、 と、形声文字としている。 会意兼形声。「緯」(イ)は、韋(イ)は、口印のまわりを、上の足は←方向に、下の足は→方向にめぐるさまを描いた会意文字。緯は「糸+音符韋」で、経(縦糸)の閧めぐってゆきつもどりつするよこ糸、 とある(漢字源)が、他は、 形声。「糸」+音符「韋 /*WƏJ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B7%AF)、 形声。糸と、音符韋(ヰ)とから成る。機織りの「よこいと」の意を表す(角川新字源)、 形声文字です(糸+韋)。「より糸」の象形と「ステップの方向が違う足の象形と場所を示す文字」(「そむく」の意味だが、ここでは、「囲(イ)」に通じ(同じ読みを持つ「囲」と同じ意味を持つようになって)、「めぐらす」の意味)から、機織りで縦糸の周囲をめぐらしていく糸を意味し、そこから、「横糸」を意味する「緯」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1129.html)、 形声。声符は韋(い)。韋は圍(囲)の初文で、囗(い)(城郭)の上下をめぐる形。上は左へ、下は右への足(止)の形。そのように織物の横糸をめぐらすことを緯という。〔説文〕十三上に「織る横絲なり」とみえる(字通)、 と、いずれも形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 泉の川に持ち越せる真木のつまでを百足(ももた)らず筏に作り泝(のぼ)すらむいそはく見れば神からにあらし(万葉集) の、 百足(ももた)らず、 は、 「筏」の枕詞。百に足りない「い」(五十)の意、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。わかりにくいが、 百に足りない意で、「八十(やそ)」、「五十(い)」に掛かり、転じて、同音をもつ、「い」「や」などにかかり、八十と同音の山田、五十の「筏」「斎規(いつき)」にかかる、 とあり(広辞苑・岩波古語辞典)、 いそはく見れば神からにあらし、 は、 精出しているのを見ると、神慮のままであるらしい、 と、注釈される(仝上)。 いそはく、 は、四段活用の、 いそふ、 で、その活用は、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、 で、 争ふ、 勤ふ、 競ふ、 と当て(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、 「いそぐ」、「いそいそ」などと同源(広辞苑)、 (シク活用の形容詞)「いそし」、「急ぐ」と同根(岩波古語辞典)、 とあるが、 イは、息の略(息吹(いきふき)、いぶき。気含(いきふく)む、いくくむ)、ソフはあらそふ、きそふの、ソフに同じ、 ともある(大言海)。色葉字類抄(1177〜81)には、 争、競、イソフ、 とあり、もとは、 国内巫覡等、……争(イソヒテ)、陳神語(かむごと)入微(たへなる)之説(ことば)を陳(まう)す(皇極紀)、 と、 先を争う、 競争する、 意だが、それをメタファに、 頬の上に花開きて、春をいそふに似たり(「遊仙窟」鎌倉期点)、 と、 一心にする、 努め励む、 意でも使う(仝上)。 いそふ、 は、 イソシ(勤)・イソグ(急)と同根、 とあり(岩波古語辞典)、 イは息の略(息吹(いきふき)、いぶき。気含む(いきくく)む、いくくむ)、ソフは、あらそふ、きそふ、のソフに同じ(大言海)、 キソフ(息並)の義(俚言集覧)、 といった由来説しか載らないが、同根とされる、 いそぐ(急)、 は、天治字鏡(平安中期)に、 經紀、伊曾支毛止牟(いそきもとむ)、 類聚名義抄(11〜12世紀)に、 遽、競、イソグ、 とあり、 イソフ(勤)・いそいそなどと同根、仕事に積極的にはげむ意、 とある(岩波古語辞典)。その由来を見ると、 息急(いきせ)くの略転なるか(息吹(いきふく)、いぶく。せはせはし、そはそはし)、争(いそ)ふといふ語と同趣(大言海)、 イソグ(息進)の義(日本語源=賀茂百樹)、 イキ(息)ヲソグの義(日本声母伝)、 イは発語、イ-シク(及)の義、及は息の意を有する(和訓栞)、 イセク(往急)の義(言元梯)、 イソは磯か、クは行クから(和句解・柴門和語類集)、 イソはイトナム(營)の語根イトに通ず(国語の語根とその分類=大島正健)、 等々あるが、どうやら、 争ふ、 とほぼ同義の、 一身に何かをする、 その、 息使い、 が由来と思われる。だから、 争ふ、 を、 あらそふ、 と訓む場合は、 自分の気持や判断を是非にも通そうと、きつく対手を押しのける意。類義語アラガフは、相手の言葉を否定したり拒否したりする意、キホフは、相手に先んじようとせり合う意(岩波古語辞典)、 同源と思われる「あらがう」「あらそう」は、自身を強く押し出して他者に対抗する意が共通するが、「あらがう」が他者の言動に直接向かう否定や拒否をいうのに対し、「あらそう」は自己の目的の実現のために他者と張り合うことをいう(精選版日本国語大辞典)、 とあり、 荒し合ふの、あらさふ、アラソフと約轉したる語なるべし(大言海・日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、 アラキソフ(荒競)の約(万葉代匠記・和訓栞・言元梯・名言通・古語類韻=堀秀成)、 とされるが、 香具山は畝火(うねび)ををしと耳梨と相(あひ)諍競(あらそひ)き……うつせみも 嬬(つま)を 相挌(あらそふ)らしき(万葉集)、 と、 何かをしようとして、また、何かを得ようとして、張り合う、 互いに相手に勝とうとする、また、互いにすぐれていることを誇示しあって張りあう、戦う、 意の場合は、 争ふ、 と当て、 行く鳥の相競(あらそふ)間(はし)に〈一云うつせみと 安良蘇布(アラソフ)はしに〉(万葉集)、 と、 相手と競う、 意の場合は、 競ふ、 と当てる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、 争ふ、 を、 すまふ、 と訓ます場合は、「すまふ」で触れたように、 抗ふ、 拒ふ、 とも当て、 相手の働きかけを力で拒否する意、 で(岩波古語辞典)、 人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし(伊勢物語)、 と、 争ふ、 負けじと張り合ふ、 抵抗する、 為さんとすることを、争ひて為させず、 という意味と、 もとより歌の事は知らざりければ、すまひけれど、しひてよませければ、かくなむ(仝上) 草子に歌ひとつ書けと、殿上人におほせられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに(枕草子)、 と(大言海)、 拒む、 ことわる、 辞退する、 と、微妙に意味のずれる使い方をする(広辞苑)。この名詞、 すまひ、 は、 相撲、 角力、 と当て、 乃ち采女を喚し集(つと)へて、衣裙(きぬも)を脱(ぬ)きて、犢鼻(たふさぎ)を着(き)せて、露(あらは)なる所に相撲(スマヒ)とらしむ(日本書紀)、 と、 互いに相手の身体をつかんだりして、力や技を争うこと(日本語源大辞典)、 つまり、 二人が組み合って力を闘わせる武技(岩波古語辞典)、 である、 すもう(相撲)、 の意になる。 争ふ、 を、 あらがふ、 と訓ますと、 諍ふ、 とも当て、 事の成否・有無などについて相手の言葉を否定したり拒否したりすると。類義語アラソフは、互いに自分の気持や判断を通すために相手を押しのけて頑張る意、 とあり(岩波古語辞典)、 アラは争也、カフは。行交(ゆきか)ふのカフにて、互いに争ひ合ふに云へり(雅言考)、 とある。 馬子宿禰諍(アラカヒ)て従はず(日本書紀)、 と、 相手の言うことを否定して自分の考えを言い張る、言い争う、 意、 一日などぞいふべかりけると、下には思へど、……いひそめてんことはとて、かたうあらがひつ(枕草子)、 と、 賭け事で張り合う、 賭で確かにこうなると主張する、 意や、 その一巻ここへ出せば、苦痛せずに一思ひ、あらがふとなぶり殺し(浄瑠璃「妹背山婦女庭訓(1771)」)、 と、 力ずくで張り合う、 抵抗する、 意で使う(精選版日本国語大辞典・大言海)。 「爭(争)」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、異体字が、 争(新字形・新字体)、 鿇、 𠄙(古文)、𠫩(古字)、𣌦、 𤪡、 𪜃、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AD)、 会意文字。「爪+一印+手」で、ある物を両者が手で引っ張り合うさまを示す。反対の方向へ引っ張り合うの意を含む、 とある(漢字源)。他も、 会意。ある物(「亅」)を両者が手(「爫(<爪)」及び「ヨ」)で反対に引っぱりあうさま。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AD)、 会意。爪と、尹(いん)(棒を手に持ったさま)とから成る。農具のすきをうばいあうことから、「あらそう」意を表す。教育用漢字は俗字による。(角川新字源)、 会意文字です。「ある物を上下から手で引き合う」象形と「力強い腕の象形が変形した文字」から力を入れて「引き合う」・「あらそう」を意味する「争」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji714.html)、 会意。旧字は爭に作り、杖形のものを両端より相援(ひ)いて争う形(字通)、 と、同趣旨である。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤原の大宮仕へ生(あ)れ付くや娘子(をとめ)がともは羨(とも)しきろかも(万葉集) の、 羨(とも)しきろかも、 は、 羨ましきかぎりだ、 と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 ろ、 は、 接尾語、 とあり(仝上)、 かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも(万葉集) や、 武蔵野のをぐき(小岫)が雉(きざし)立ち別れ去(い)にし宵より背(せ)ろに逢はなふよ(仝上) と、 名詞の下につく。意味は明確でない。歌の調子で用いられているような例もあり、親近感を示すように見える例もある、 とある(岩波古語辞典)。この、用例は、 記紀歌謡と、「万葉集」の東歌・防人歌や「常陸風土記」のような上代東国の歌にほとんど集中している、 といい(精選版日本国語大辞典)、名詞に付くことが主であるところから、この「ろ」を、 形式名詞、 として、上接の語を含めた全体を体言相当語とする説もある(仝上)。 ともし、 は、 乏し、 羨し、 と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 乏、トモシ、貧、トモシ、マズシ、 とある。現代語でいうと、 ともしい(乏しい、羨しい)、 になる。 ともし、 は、その由来を、 タマサカ・タマタマのタマ(偶)から転じたトモから派生した語(続上代特殊仮名音義=森重敏)、 タマシキ(偶如)の義(名言通)、 友ホシヒの義(国語溯原=大矢徹)、 トモはトミオ(富發)の約(国語本義)、 トモホシ(甚乏)の義(日本語源=賀茂百樹)、 等々、諸説あるが、 トム(求)と同根。跡をつけたい、求めたいの意。欲するものがあって、それを得たいという欠乏感・羨望感を表す(岩波古語辞典)、 動詞トム(求)の形容詞化(日本古語大辞典=松岡静雄)、 とあり、 オソル(恐)とオソロシイの関係と同じく、トム(求)から派生した語であろう。求めたいと思う対象が稀少であったり、心ひかれる対象についての情報量が少ない時に懐く感情をいう、 とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)のが妥当なのだろう。 とむ、 は、 尋む、 求む、 覓む、 と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、 トは跡の意、 で、 時に川上に啼哭(ねな)く声有るを聞く。故、声を尋ねて覓(トメ)(別訓 まき)往(いてま)ししかば、一(ひとり)の老公(をきな)と老婆(をむな)と有り(日本書紀)、 と、 跡をつけていく、 たずねる、 さがしもとめる、 意である(仝上・精選版日本国語大辞典)。 ともし、 は、上述の由来から、 思ほしきことも語らひ慰むる心はあらむを何しかも秋にあらねば言問の等毛之伎(トモシキ)子ら(万葉集)、 と、 物事が不足している、 不十分である、 (もっと欲しいと思うほど)少ない、 とぼしい、 意や、 乏(トモシキ)者(ひと)の訴は水をもて石に投ぐるに似たり(日本書紀)、 と、 財物が少ない、 貧しい、 貧乏である、 とぼしい、 意というように、 少ない、乏しい、貧しい等々、対象の客観的状態等を主とする(日本語源大辞典)、 状態表現として使われ、 八千種(やちくさ)に花咲きにほひ山見れば見のともしく川見れば見のさやけく(万葉集)、 と、 (存在の稀なものに)心惹かれる、 珍しく思う、 意や、 日下江の入江(くさかえ)の蓮花蓮身(はちすはなはちすみ)の盛り人(さかりびと)登母志岐(トモシキ)ろかも(古事記)、 と、 自分にはないものを持っている人などをうらやましく思う、 意などのように、 心惹かれる、羨ましいなどの意未は、対象に対する話し手の感情を主とする(日本語源大辞典)、 価値表現となる。ただ、中古以降、この用例は、 ほとんど見られなくなる、 といい(仝上)、 うらやまし、 等々に代替された(仝上)とみられる。 うらやまし(羨)、 は、 女児も、男児も、法師も、良き子ども持たる人、いみじううらやまし(枕草子)、 と、 ウラヤムの形容詞形。恵まれた状態にある相手に、ひそかに憧れ、自分が相手の状態になれればいいと遠くから思う意。類義語トモシは、相手の状態が非常に稀で貴重なので、自分もそうありたいと思う気持ちからくる欠乏感・羨望感。ココロヤマシは、相手の思うままにされて不愉快だ、抵抗もならず、自分ながら劣等意識でいやになる、などの不快な感情、 とある(岩波古語辞典)が、 ウラヤマシのには恵まれた状態にある相手にあこがれ、自分もそうなりたいと思う感情が含まれる、 とある(日本語源大辞典)。 「羨」(@漢音セン・呉音ゼン、A漢音呉音エン・慣用セン)は、「羨魚情」で触れたように、 会意文字。「羊+よだれ」で、いいものをみてよだれを長く垂らすこと。羊はうまいもの、よいものをあらわす、 とあり(漢字源)、「臨河而羨魚」の、「うらやむ」意や、以羨補不足(羨(あま)れるを以て足らざるを補う)の、「あまる」の意の場合は、@の発音、「羨道(エンドウ)」の、墓の入口から墓室へ通じる長く伸びた地下道の意の場合は、Aの発音、とある(仝上)。別に、 会意形声。羊と、㳄(セン)(よだれを流す)とから成り、羊の肉などのごちそうに誘発されてよだれを流す、ひいて「うらやむ」意を表す(角川新字源)、 会意兼形声文字です(羊+次)。「羊の首」の象形(「羊」の意味)と「流れる水の象形と人が口を開けている象形」(「口を開けた人の水「よだれ」の意味)から、羊のごちそうを見て、よだれを流す事を意味し、そこから、「うらやむ」、「うらやましい」を意味する「羨」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2179.html)、 も、会意兼形声文字とするが、これを否定し、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%A8)、 形声。「羊」+音符「㳄 /*LAN/」(仝上)、 形声。声符は㳄(せん)。㳄は涎(せん)の初文。〔説文〕八下に「貪欲なり」と訓し、字を㳄と羑(ゆう)の省に従うとするが、字の形義を説くところがない。墓壙の羨道(えんどう)の意もあり、また羨余の意もあることからいえば、羨道で犠牲を供えて祭り、その余肉を人に頒つことと関係のある字であろう。㳄には唾して汚す意があり、盜(盗)とは血盟を唾して汚し、その盟約に離叛する者をいう(字通)、 と、形声文字とする説もある。 「乏」(漢音ホウ、呉音ボウ)は、 会意文字。正の字の上下が反対の形。正(征の原字で、まっすぐ進むこと)とは反対の、動きが取れない意を表し、乏は、貶(ヘン おとす、退ける)の字に含まれる、 とある(漢字源)。「乏」の異字体は、 疺、 𠂜、 𠓟(古字)、 𣥄、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%8F)、他は、 指事。正の上部を曲げて、正しくない意を表す(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%8F)、 指事。正の字を左右逆向きに書いて、「とぼしい」意を表す(角川新字源)、 と、指事文字とするが、別に、 象形。仰むけの屍体の形。水に浮かぶものは泛、土中に埋めることを窆(へん)という。〔説文〕二下に訓義を説かず、「春秋傳に曰く、正に反するを乏と爲す」と〔左伝、宣十五年〕の文を引いて字形を説くが、字は正の反形ではなく、むしろ亡󠄁(亡)の反文に近い。乏困の意は、その天禄の少ないことをいう。〔荘子、天地〕に「吾が事を乏(す)つること無(なか)れ」という用法がある。矢ふせぎの意は、窆を転用したものであろう(字通)、 と、象形文字する説もある。 「覓」(漢音ベキ、呉音ミャク)は、「覓(ま)ぐ」で触れたように、 会意兼形声。覓の原字は、「目+音符脈の右側の字(細い)」。目を補足して、ものを見定めようとすること。覓は「見+爪」からなる俗字、 とあり(漢字源)、別に、 会意。爪(そう)+見(けん)。金文の字形は手と見とに従い、手をかざして見る形のようである。〔玉篇〕に「索求するなり」とあり、何かをさがし求める意。「食を覓む」のようにいう(字通)、 と、会意文字とする説もある。 覓、 は、 遂教方士殷勤覓(ツヒニ方士ヲシテ殷勤ニ覓メシム)(白居易)、 と、 もとめる、 さがしもとめる、 意である。 覓ぐ、 を、 目、 と関わらせるのが妥当な所以である。「まぐ」に当てる、 覓、 と、 求、 の違いは、漢字では、 求は、乞也、索也と註す、なき物を、有るやうにほしがり求め、又はさがし求むる義にて、意広し、求友・求遺書の類、 覓は、さがし求むるなり、捜索の義、是猶欲登山者、渉舟航而覓路(晉書)、 とある(字源)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲(しの)はな巨勢の春野を(万葉集) の、 偲ふ、 は、 眼前の物を通して眼前にない物を偲ぶ意、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 つらつら椿、 の、 ツラ、 は、 列の意、 で、 列列椿 と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、 並んで数多く咲いている椿の花、 の意で、後ろの、 つらつら、 の、 序、 に用いる(広辞苑)。 序、 は、 和歌などで、或る語句を導き出すために置く修飾句。枕詞より長い、 とある(岩波古語辞典)。それが導き出す、 つらつら、 については触れたが、 倩、 倩々、 熟、 熟々、 等々と当て、 つらつら思へば、誉れを愛する人は、人の聞(きき)をよろこぶなり(徒然草)、 というように、 つくづく、 よくよく、 の意で使う(広辞苑)。類聚名義抄(11〜12世紀)には、 熟、ツラツラ、コマヤカナリ、クハシ、 とあり、さらに、 倩、ツラツラ、 ともある。また、「つらつら」は、 御涙にぞむせびつつ、つらつら返事もましまさず(浄瑠璃「むらまつ」)、 と、 すらすら、 の意でも使うが、これは、 滑々、 と当てる、 なめらかなさま、 つるつる、 の意となる。 倩、 熟、 と当てる「つらつら」は、 「と」を伴って用いることもある。古くは「に」を伴うこともあった、 とされ、 物ごとを念を入れてするさまを表わす語、 なので、 つくづく、 よくよく、 念入りに、 の意で使われるが、詳しく見ると、冒頭の、 巨勢(こせ)山の列々(つらつら)椿都良々々(ツラツラ)に見つつしのはな巨勢の春野を(万葉集)、 と、 じっと見つめるさま、熟視するさま、 の意、 伝燈の良匠にあらずして、強ひて訂(ツラツラ)この事をかへりみる(「霊異記(810〜824)」)、 と、 物事を深く考えるさま、 熟考するさま、 の意、 つらつらと歎き居たり(「今昔物語(1120頃)」)、 と、 深く嘆き、また反省するさま、 の意と、 男も草臥て、つらつら寝入ければ(仮名草子「東海道名所記(1659〜61頃)」)、 と、 よく寝入るさま、 ぐっすり、 の意と、単純に「よくよく」「つくづく」には置き換えられない含意の幅があり(精選版日本国語大辞典)、また当てた字も違うものもあるようである。 で、「つらつら」の語源を見ると、 絶えず続きての意(大言海)、 不断の意から転じた(日本古語大辞典=松岡静雄)、 として、 連連(つらつら)の義、 とするもの、あるいは、 連ね連ねの約(日本語源広辞典)、 ツラはツレア(連顕)の約(国語本義)、 と、「連」と絡める説が多いが、これは、上記万葉集の、 巨勢(こせ)山の列々(つらつら)椿都良々々(ツラツラ)に見つつ思(しの)はな巨勢の春野を、 を、 連連(つらつら)の意、 とする説(万葉集略解・万葉集古義)からきているようだ(精選版日本国語大辞典)。しかし、 つらつら椿、 の、 つらつら、 は、確かに、 列々、 と使っているように、 連なっている、 意で、 連連、 の意でいいが、 都良々々(ツラツラ)、 は、別の字を当てており、 連連、 とは区別していると見るべきではないか。 他の語源説には、 ツヅラ(蔓)から派生した語(国語溯原=大矢徹)、 と、どちらかというと、 連連、 と、似た発想になる。さらに、 ツラは、ツヨシ(強)のツヨ、ツユ(露)、ツラ(頬・面)と同根(続上代特殊仮名音義=森重敏)、 とする説もある。いずれの語源説も、 よくよく、 念入り、 という意味とのつながりは見えてこない。「つら」は、上記でも、 列々(つらつら)椿、 と当てているように、 連、 列、 と当て、 連なる、 ならぶ、 意である。これが、 途絶えず続く意味から転じ、じっと見つめたり、深く考えるさまを表すようになったと考えられている、 とされる(語源由来辞典)が、 つらなる、 ことが、 よくよく、 念入り、 の意へと意味の外延としては繋がりにくい気がする。ただ「連連」の、 空間的な連続、 が、 時間的な連続、 へと意味を転化させたということは、他の語の例でもよくあるので十分あり得るとはいえる。そうみれば、 連連、 にも根拠はある。 なお、「つらつら」を、 熟、 と当てるのは、 「熱」は「熟考」や「熟視」など、「十分に」「よくよく」といった意味からの当て字、 とされ(語源由来辞典)、 倩、 と当てるのは、中世、 記録資料をはじめ、「平家物語」など記録体の影響を受けた文学作品に、「倩」の表記が見られる、 とある。「倩」は、 漢籍では美しく笑うさま、あるいは、男子の美称であり、この「つらつら」との結び付きの由来はわからない、 とある(精選版日本国語大辞典)。 なお、「ツバキ(椿)」については触れた。 「列」(漢音レツ、呉音レチ)は、 会意文字。歹は、殘・死・殆(タイ)などに含まれ、骨の形。列は、「歹(ほね)+刀」で、一連の骨(背骨など)を刀で切り離して並べることを示す。裂(さく)の原字だが、列はむしろ一列に並ぶ意に傾いた、 とあり(漢字源)、 会意文字です(歹+刂(刀)。「毛髪のある頭骨」の象形と「刀」の象形から刀で首を切る、すなわち、「わける」を意味する「列」という漢字が成り立ちました。(また、「連」に通じ(「連」と同じ意味を持つようになって)、「つらなる」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji549.html)、 会意。𡿪(れつ)+刀。𡿪は断首の象。頭骨になお頭髪を存する形である。〔説文〕十一下は𡿪を「水流るること𡿪𡿪たるなり」とし、列を𡿪声とするが、𡿪は頭部を切りとった形。断首してこれを列することを列といい、これを呪禁に用いることを「遮迾(しやれつ)」という。殷墓には断首坑が多く、身首を別ち、各々別に十体ずつを一坑とし、数十坑にわたってこれを列するものがある。その遺構によって遮迾の実体が知られ、列・𡿪の字義を確かめることができる。それよりして列次・序列・整列・列世のように用いる(字通)、 ともあり、漢字源と解釈は同じだか、 形声。刀と、音符歹(ガツ)→(レツ)とから成る。順に分解する、さく意を表す。転じて「つらねる」意に用いる。(角川新字源)、 と形声文字とするものもある。しかし、 偏の「𡿪」は、「死」や「殘」などの文字に含まれる「歹」とは全く関係がない、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%97)、字通と同じく、 形声。「刀」+音符「𡿪 /*RAT/」 としている(仝上)説がある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) ますらをのさつ矢手挟(たばさ)み立ち向ひ射る円方(まどかた)は見るにさやけし(万葉集) の、 円方、 は、 三重県松阪市東部、 とあり、 さつや、 は、 幸多き矢、矢のほめことば、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 さつや、 の、 さつ、 は、 さち(幸)と同源(広辞苑)、 サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、 サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、 などとあるが、 「さち」の母音交替形「さつ(幸)」に「矢」がついたもの(精選版日本国語大辞典)、 とする説、 (「さちや」の「サチ」は、)サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、 とする説とに分かれ、 矢を意味する古代朝鮮語(sal)に求める(あるいはこれに霊威を表わす「ち」が付いたものとする)説がある。ただし「さつ矢」の他、「さつ弓」という語もあり、「さつ(ないし「さ」)」がただちに「矢」を意味する語であったとするには疑問が残る(精選版日本国語大辞典)、 とあり、はっきりしないが、いずれにせよ、 猟矢、 幸矢、 などと当て(仝上・デジタル大辞泉)、 猟に用いる矢(大言海・広辞苑)、 威力ある矢、縄文時代からあった石の矢じりの矢に対して、朝鮮から渡来した金属の矢じりの、強力有効な矢の意(岩波古語辞典)、 サチ(幸)を得るための狩猟用の矢(日本語源大辞典)、 とあり、意見が分かれるが、 さつや→さちや、 と転訛し、 狩猟用の矢、 の意である(岩波古語辞典)。 さつゆみ(猟弓・幸弓)、 さちゆみ(幸弓)、 と対であり(仝上・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 山の辺にい行くさつをは多かれど山にも野にもさ男鹿鳴くも(万葉集)、 と、 さつお(猟夫)、 というと、 サツ(矢)ヲ(男)、 で、 猟師を指す(仝上)。 さちや は、 朝鮮語sal(矢)と同源(広辞苑・岩波古語辞典)、 さちや(猟矢)の義(大言海)、 サチヤ(刺霊矢)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、 と諸説あるが、もともと、 さち、 自体が、その由来に、 サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、 幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、 サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、 サキトリ(先取)の義(名言通)、 山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、 サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典) 矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、 サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、 サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、 サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、 等々諸説あり、 さち、 は、 火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、 と、 獲物を取る道具(広辞苑)、 狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、 獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力(精選版日本国語大辞典)、 上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、 とされる。しかし、 威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、 霊力、 を、 さち、 といい、さらに、その、 矢の獲物、 さらに、転じて、 幸福、 をも言うようになった(広辞苑)という意味の転化が納得がいく。 上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称。又、幸弓(さきゆみ)と云ひ、其業を、山幸(やまさち)と云ひき、又海に漁(すなどり)して、魚を釣り得る鉤(チ 釣鉤(つりばり))をも、幸(サチ)と云ひ、又幸鉤(さちぢ)とも云ひ、其の業を海幸(うみさち)と云ひき。神代に、火遠理(ほをりの)命、幸弓(さちゆみ)を持ちたまへるに因りて、山幸彦と申し(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の御事なり)、其の兄火照(ほでりの)命、幸鉤(さちぢ)を持ちたまへるに因りて、海幸彦と申しき、 との説があり(大言海)、ここでは、この、 山幸彦、 から、 狩人(かりうど)、 を、 猟人(さつびと)、 猟夫(さつを)、 といい、その弓矢を、 猟矢(さつや)、 猟弓(さつゆみ)、 という説を採っている。で、道具の意の、 さち、 から、 各、其の利(サチ)を得ず(日本書紀)、 と、 漁や狩りの獲物の多いこと、また、その獲物、 の意となり、 凡人の子の福(さち)を蒙らまく欲りする事は、おやのためにとなも聞しめす(続日本紀)、 と、 都合のよいこと、 さいわいであること、 の意に転じて行く(精選版日本国語大辞典)。ただ、 さち→さき、 の転訛については、「道具」や「獲物」の状態表現と、価値表現である「さき(幸)」とは、関係ない語であったが、 「さち」を得られることが「さき」という情態につながることと、音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に「幸い」の意味が与えられるようになったと推定される、 とし(精選版日本国語大辞典)、上代の文献には、 ますらをの心思(おも)ほゆ大君の命(みこと)のさきを聞けば貴(たふと)み(万葉集)、 に、 さき(幸)、 はあるが、 さち、 の、 狩りや漁に関係しない、純然たる「幸い」の意味の確例は見られない、 としている(仝上)。なお、 猟矢を打ちつがひ、よっぴいて放つ(曽我物語)、 と、 猟矢、 は、 ししや、 とも訓ませ、 鹿矢、 とも当て、 さつや、 ともいい、 狩猟用の矢、 野矢(のや)、 の意となる(デジタル大辞泉)。 「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、異体字が、 𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、 𭎎(俗字)、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、 象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、 とある(漢字源)。同趣旨で、 象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji43.html)、 象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、 ともあるが、別に、 会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、 と会意文字とするものもある。しかし、手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、 とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、また、 『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、 ともあり(仝上)、 「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、 としている(仝上)。 「獵(猟)」(リョウ)は、異体字に、 猎(簡体字)、猟(新字体 「獵」の略体) がある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%B5)が、 会意兼形声。「犬+音符巤(リョウ 毛深い、数多い)」。犬を伴うのは、狩猟に犬を使用したからであろう。手当たり次第に数多くあさりとること、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(犭(犬)+鼡(巤))。「耳を立てた犬」の象形と「頭の象形と長いたてがみ」の象形から、犬を使って長いたてがみの獣を「かる(狩猟)」を意味する「猟」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1311.html)が、他は、 形声。「犬」+音符「巤 /*RAP/」。「かる」を意味する漢語{獵 /*rap/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%B5)、 形声。犬と、音符巤(レフ)とから成る。「かり」の意を表す。常用漢字は省略形による。(角川新字源)、 形声。旧字は獵に作り、巤(りよう)声。巤は獣のたてがみのある形。〔説文〕十上に「放獵するなり。禽(きん)を逐ふなり」とする。狩猟は祭祀のために行われることも多く、〔爾雅、釈天〕に春猟を蒐(しゆう)、夏猟を苗(びよう)、秋猟を獮(せん)、冬猟を狩というとし、〔白虎通〕にその総名を獵(猟)というとする。古くは「うけひ狩り」などが行われたが、のちには遊猟のことがさかんになり、漢賦以来、そのことを歌うものが多い(字通)、 と、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 霰打つ安良礼(あられ)松原住吉(すみのゑ)の弟日娘女(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも(長皇子) の、 安良礼松原、 は、 大阪市住吉区付近の松原、 をいい、 住吉(すみのゑ)、 は、 すみよしの古称、 で、 大阪市住吉区、 とある(https://sanukiya.exblog.jp/26809964/)。 弟日娘子、 の、 弟日、 は、 倭(やまと)は彼彼茅原(そそちはら)浅茅原(あさちはら)弟日(オトヒ)、僕是(やつこらま)(日本書紀)、 と、 兄弟のうち年若い者、 をいい、 弟、 また、 妹、 を指す(広辞苑)。 をと、 は、 をとめ、 をとこ、 で触れたように、 をつの名詞形、 であり、「をつ」は、 変若つ、 復つ、 と当て、 変若(お)つること、 つまり、 もとへ戻ること、 初へ返ること、 で、 我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ(大伴旅人)、 と、 若々しい活力が戻る、 生命が若返る、 意であり(仝上・大言海)、 若い、 未熟、 の含意である。 をとめ、 は、 をとこ、 で触れたように、古くは、 をとこの対、 であり(岩波古語辞典)、 少女、 乙女、 と当てる(広辞苑・大言海)。和名類聚鈔(平安中期)は、 少女、乎止米、 類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう 11〜12世紀)は、 少女、ヲトメ、 としている。 ひこ(彦)、 ひめ(姫)、 などと同様、「こ」「め」を男女の対立を示す形態素として、「をとこ」に対する語として成立したもので(精選版日本国語大辞典)、 ヲトは、ヲツ(変若)・ヲチ(復)と同根、若い生命力が活動すること。メは女。上代では結婚期にある少女。特に宮廷に奉仕する若い官女の意に使われ、平安時代以後は女性一般の名は「をんな(女)」に譲り、ヲトメは(五節の)舞姫の意、 とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 今星川王(ほしかはのみこ)、心に悖(さかしま)に悪しきことを懐(いだ)きて、行(わさ)、友于(ゆうう 兄弟の道 このかみオトヒト)に闕(か)けり(日本書紀)、 の、 弟人(おとひと)、 というと、 おとうと(弟)、 であり、 あに、 で触れたように、 おとうと、 の、 「え(兄・姉)」の対。オトシ(落)・オトリ(劣)のオトと同根、 とある(岩波古語辞典)。 え(兄・姉)、 は、 同母の子のうち年少者から見た同性の年長者。弟から見た兄、妹から見た姉、 を指す。つまり、下から見て、「え」という。「うへ(上、古くはウハ)」という意味ではあるまいか。 上(うへ)の約(貴(あて)も、上様(うはて)の約ならむ)(大言海)、 とある。逆に、年上から見て、下のものを、 おと、 という。 「え」は、弟から見た兄、妹から見た姉 「おと」は、兄から見た弟、姉から見た妹、 となる(仝上)。 三野国造の祖、大根王の女、名は兄比売、弟比売の二人の嬢女(おとめ)、其の容姿麗美(かたちうるは)しと聞し定めて(古事記)、 の、 おとひめ(弟姫・乙姫)、 は、 兄姫(えひめ)の対、 で、 妹の姫、 末の姫、 の意の他、 篠原の意登比売(オトヒメ)の子をさ一夜(ひとゆ)も率寝(ゐね)てむ時(しだ)や家にくださむ(肥前風土記)、 と、 年若く美しい姫、 の意でつかうが、 龍宮の乙(ヲト)ひめなどの出池のをもに遊て(「玉塵抄(1563)」)、 と、浦島伝説などによって、 竜宮に住むという乙姫、 と、固有の名となっていたりする(世界大百科事典)。 「弟」(漢音テイ、呉音ダイ、慣用デ)の異字体は、 𠂖、 𢦢(古字)、弚(訛字)、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%9F)、 指事。「ひものたれたさま+捧ぐい」で、棒の低いところを/印で指し示し、低い位置をあらわす。兄弟のうち大きい方を兄、背丈の低いのを弟という。また低く穏やかにへりくだる気持ちを弟・悌(テイ)という、 とある(漢字源)が、他は、 象形。「柲」(戈の柄)に縄を巻き付けたさまを象る。『説文解字』では「韋」と関連付けているが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「韋」とは関係がない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%9F)、 象形。なめし皮で物を順序よく巻きつけている形にかたどり、順序の意を表す。ひいて、「おとうと」の意に用いる。(角川新字源)、 象形文字です。「ほこ(矛)になめし皮を順序良くらせん形に巻きつけた形」から「順序」の意味を持つ「弟」という漢字が成り立ちました。また、出生の順番の遅い「おとうと」を意味します(https://okjiten.jp/kanji37.html)、 象形。韋皮(なめしがわ)の紐でものを束ねた形。〔説文〕五下に「韋束の次第なり。古字の象に從ふ」とあり、次第してものを締結する意。のち兄弟の意に用いる。第は後起の字である(字通)、 と象形文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 大君の命(みこと)畏(かしこ)み親(にき)びにし家を置きこもりくの泊瀬の川に舟浮けて(万葉集)、 の、 にきぶ、 は、 馴れ親しむ、 意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 和ぶ、 とも当て、 荒ぶ、 の対、 で、 にきむ、 ともいい、 しろたへの手本(たもと)を別れ丹杵火(にきび)にし家ゆも出でて(万葉集)、 と、 やわらぐ、 柔和になる、 くつろぎ安んじる、 平和なさまになる、 馴れ親しむ、 の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 こもりくの、 は、 隠国の、 隠処の、 と当て(広辞苑)、 「く」は所(デジタル大辞泉)、 クはイヅクのク、所の意(岩波古語辞典)、 「く」は場所、所の意(精選版日本国語大辞典)、 などとあり、大和國風土記に、 古老傳云、此地者、両山澗水相夾而、谷關r長、故云隠國長谷、 とあるように、 泊瀬(はつせ)は山に囲まれた地であるから(広辞苑)、 両側から山が迫って、これに囲まれたような地形であるところから、……、「はつ」に身が果つの意をふくませて、死者を葬る場所の意をこめている例もある(精選版日本国語大辞典)、 両側から山が迫っている所の意で(岩波古語辞典)、 等々によって、地名、 泊瀬、 にかかる枕詞である。 こもりく、 の由来は、 隠國(こもりくに)の下略(國栖(くにす)、くす。陸(くにが)、くが)。國は、泊瀬國なり、こもるは、幽冥に隠るる意、泊瀬は、埋葬の地にて、地名も、果瀬(はてせ 憂瀬(うきせ)の類)の転なり(稜威言別)、万葉集「事しあらば小泊瀬山の石城(いはき 墓)にも隠(こも)らば共に莫(な)思ひそ吾が夫(せ)」(夫婦、倶に死せむ)、倭姫命世紀「許母理國(こもりくに)、志多備(したび)之國(下部は、黄泉なり)」(大言海)、 コモリクはコモリ(隠)所、すなわち密林の意か。初瀬の枕詞として用いられるのは地形によるものか(日本古語大辞典=松岡静雄)、 コモリキノ(隠城之)の義(槻の落葉信濃漫録・稜威言別)、 泊瀬は口のコモ(隠)った地形であるところから、コモリクは隠口の義(万葉集類林・和訓栞)、 等々諸説あるが、「隠沼」(こもりぬ)で触れたように、 隠沼、 が、 隠れの沼、 ともいい、 隠れた沼、 つまり、 草などに覆われて上からはよく見えない沼、 をいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)ところから類推すれば、 「く」は場所、所の意。両側から山が迫って、これに囲まれたような地形であるところから、 というのでいいのではないか(精選版日本国語大辞典)。なお、 「皇太神宮儀式帳」(八〇四)や「倭姫命世記」(一二七〇‐八五頃)には「許母理国志多備之国」と続いた例があり、「したびの国」に続く枕詞の例となっている。「したびの国」は黄泉(よみ)の国で、死者のおもむく所であるから、「こもる」には身を隠す意で死ぬ、葬るなどを暗示していると見ることが可能である、 ともある(仝上)。 泊瀬、 は、 奈良県桜井市東部の初瀬川渓谷の総称、 で、 初瀬、 長谷、 とも書く(世界大百科事典)。古くは、 はつせ、 と呼ばれ、 泊瀬、 とも表記した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E7%80%AC)。現在は、 はせ、 と発音する。 大和と東国とを結ぶ伊勢街道の要衝にあってはやくから開け、雄略天皇の泊瀬朝倉宮、武烈天皇の泊瀬列城(なみき)宮などが営まれたとされる、 とある(世界大百科事典)。和名抄に、 長谷郷、 が見え、城上(しきのかみ)郡に属していた。 渓谷入口の三輪山に近い慈恩寺・脇本地域などは古代のシキ(磯城)地域に含まれ、狭義のヤマトの範囲の東端に位置していた、 とある(仝上)。渓谷中部には西国三十三所第八番の長谷(はせ)寺がある(仝上)。 泊瀬の由来は、 大和川(やまとがわ)を川舟でさかのぼって泊(は)てる瀬の意か。山川の清浄な地域で、〈こもりく(隠国、隠口)の泊瀬〉と呼ばれる特殊な霊地であったらしく、初瀬川、初瀬山なども歌に詠まれた(世界大百科事典)、 初瀬は、猶、濫觴と言はむが如し。長谷をハツと云ふは、谷、蹙して長し、故に長、谷の字を當つ、長谷川、此に発する也、川瀬の発するところの、略して、はせ(大言海)、 この場所は大和川が東から大和盆地に流れ下る川口にあたり船舶による運搬が主だった上古の時代の船着場(=泊瀬)でもあった。これより上流は三輪山の南麓を東西に流れる隠遁とした長い谷となっており、万葉の歌はこの様子を詠んだものである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E7%80%AC)、 等々とある、独特の地形に因っている。 「隱(隠)」(漢音イン、呉音オン)は、 隱、 は、 旧字体、異体字は、 隠(新字体)、隐(簡体字)、㡥、㥼、䨸、乚(古字)、嶾、濦、蘟、𠂣、𠃊(同字)、𤔌、𨼆、𨽌、𮥚(俗字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%B1)。「隠沼」で触れたように、字源は、 会意兼形声。㥯の上部は「爪(手)+工印+ヨ(手)」の会意文字で、工形の物を上下の手で、おおいかくすさまを表す。隱はそれに心を添えた字を音符とし、阜(壁や土塀)を加えた字で、壁でかくして見えなくすることをあらわす。隠は工印を省いた略字、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「上からかぶせた手の象形と工具の象形と手の象形と心臓の象形」(「工具を両手で覆いかくす」の意味)から、「かくされた地点」を意味する「隠」という漢字が成り立ちました。また、「慇(イン)」に通じ(同じ読みを持つ「慇」と同じ意味を持つようになって)、「いたむ(心配する)」の意味も表すようになりました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1278.html)が、 形声。阜と、音符㥯(イン)とから成る。「かくれる」「かくす」意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、 形声。「阜」+音符「㥯 /*ɁƏN/」。「かくす」を意味する漢語{隱 /*ʔ(r)ənʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%B1)、 形声。声符は㥯(いん)。㥯は呪具の工で神を鎮め匿(かく)す意。𨸏 (ふ)は神の陟降する神梯。その聖所に神を隠し斎(いわ)うことをいう。〔説文〕十四下に「蔽(おほ)ふなり」とするが、神聖を隠す意(字通)、 は、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 居(ゐ)明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも(万葉集)、 の詞書に、 右の一首は、古歌集の中(うち)に出づ、 とある。古歌集、 とは、 万葉集の編纂に供された資料の一つ。飛鳥・藤原朝頃の歌の集、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。さらに、続いて、 古事記に曰はく、 として、 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に姧(たは)く。この故にその太子を伊予の湯に流す、 とある。 軽太子、 は、 一九代允恭天皇の子、木梨軽皇子、 軽太郎女、 は、 軽皇子の同母妹、 で、当時、同母兄妹の結婚は固く禁じられていた(仝上)とある。 姧(たは)く、 の、現代語は、 たわける、 で、 戯ける、 と当てる(広辞苑)。 たはく(たわく)、 は、 け/け/く/くる/くれ/けよ、 の、カ行下二段活用で、多く、 戯く、 と当て(学研全訳古語辞典)、 タハル(婬)タハブル(戯)と同根、常軌を逸したことをする意(岩波古語辞典)、 タハム(戯)と同語(猫も杓子も=楳垣実)、 タハフレケの略(物類称呼・俚言集覧)、 タは接頭語、ハケが語根で理に昧い意のワケナキからか(俗語考・神代史の新研究=白鳥庫吉)、 等々とあり、 タハル、 タハブル、 と、いずれも、 戯れる、 と繋がりそうである。で、 王母(こきしのいろね)と相婬(タハケ)て、多に行無礼(ゐやなきわさ)す(日本書紀)、 と、 正常でない、また常識にはずれたことをする、 特にみだらなことをする、ふしだらな行ないをする、 たわし(戯)る、 意で、 淫(たは)る、義に違ひて交通す、色に溺れて世の誹を顧みず、 の意とある(大言海)。因みに、 たわし(戯)る、 も「たはく」と同義で、 たわむれる、 みだらなことをする、 の意になる。 たはく、 は、これが転じて、 さてもたはけた事かな。……何の用にもない物を楽しむ事かな(驢安橋)、 五日前より奥に夫婦並んでじや、たはけたことぬかすまい(浄瑠璃「傾城反魂香(1708頃)」)、 と、 おろかなことをする、 たわむれる、 ふざける、 ばかなことをする、 意で使う(岩波古語辞典・背精選版日本国語大辞典)に至る。 類義語の、 たはる、 は、 れ/れ/る/るる/るれ/れよ、 の、ラ行下二段活用で、 淫る、 戯る、 婬る、 狂る、 などと当て(岩波古語辞典・大言海・学研全訳古語辞典)、字鏡(平安後期頃)に、 淫、遊逸也、戯也、太波留、 天治字鏡(平安中期)に、 婬、放逸也、戯也、私逸也、多波留、 とあり、 タチハブル(戯)・たはし(婬)と同根、常軌を逸した行為をする意、 とあり、 人皆のかく迷(まと)へれば容(かほ)よきによりてひ妹はたはれてありける(万葉集)、 と、 異性と不倫な関係を結ぶ、 異性にみだらな行為をする、 男女がいちゃつく、 浮気心で男女が関係する、 などの意(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)や、 さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれてこそ、あらまほしかるべきわざなれ(徒然草)、 と、 色恋に溺れる、 意だが、転じて、 おほやけざまは少したはれて、あざれたる方なりし(源氏物語)、 と、 本気でなく行なう、 いたずら心でする、 ふざける、 意や、 秋くれば野べにたはるる女郎花(をみなへし)いづれの人かつまで見るべき(古今和歌集)、 と、 遊び興ずる、 無心に遊ぶ、 たわむれる、 意で使う(仝上)。 たはし、 は、 戯し、 婬し、 と当て、 (しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、 の、形容詞シク活用で、 たはく・たはる(戯)と同根、 で、 九条の師輔(もろすけ)の大臣(おとど)、いとたはしくおはして、あまたの北の方の御腹に男十一人・女六人(栄花物語)、 と、 女性関係に常軌を逸している、 ふしだらである、 みだらである、 好色である、 等々の意で使う(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。 たはく、 たはる、 の、意味の変化の先に、 戯る、 と当て、 れ/れ/る/るる/るれ/れよ、 と、自動詞ラ行下二段活用の、 たはぶる、 がある。口語でいう、 たはぶれる、 で、 たわむれる、 の古形 になる(精選版日本国語大辞典)。これも、 タハク・タハル(戯)と同根、常軌を逸したことをする。ふざけた気持ちで人に応接する意、 とあり(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、 しきたへの床のへ去らず立てれども居れどもともに戯礼(たはぶレ)(万葉集)、 と、 遊び興ずる、 無心に遊ぶ、 意や、 我に並び給へるこそ君はおほけなけれとなむたはぶれ聞え給ふ(源氏物語)、 と、 本気でないことや、ふざけたことを言う、 冗談を言う、 意や、 をかしく人の心を見給ふあまりに、かかる古人をさへたはぶれ給ふ(源氏物語)、 と、 かまう、 からかう、 意で使う。ただ、まだ、 あさましと思ふに、うらもなくたはぶるれば(蜻蛉日記)、 と、 異性に対してふざけかかる、 みだらな言動をする、 不倫なことをしかける、 意の翳が残っている(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この、 たはぶる、 が、 たはぶる、 ↓ たはむる(戯)、 ↓ たはぶれる、 ↓ たわむれる、 と転訛していくことになる。 たはふる、 の転の、 たはむる、 は、 戯る、 と当て、 春雨に、しっぽり濡るる鶯の羽風に匂ふ梅が香の花にたはむれしほらしや(端唄「春雨」)、 と、ほぼ、 興として可笑しきことをなす、 遊ぶ、 ふざける、 意で、この転訛、 たわむれる、 となると、 宮は……火威の鎧の裾金物に、牡丹の陰に獅子の戯(タハムレ)て前後左右に追合たるを、草摺長に被召(太平記)、 と、 そのものに対して興のおもむくままに働きかけてふるまう、 遊び興じる、 無心に遊ぶ、 意や、 大般若の櫃の中を能々捜したれば、大塔宮はいらせ給はで、大唐の玄弉三蔵こそありけれと戯(タハム)れければ(太平記)、 と、 ふざけて言う、 冗談を言う、 相手を軽くみてふざけかかる、 ふまじめにふるまう、 意で使う(精選版日本国語大辞典)が、まだ、 「ソレソレ、爾(さ)う手を上げた所を、恁(か)う緊め付けたものぢゃ」ト戯(タハブ)る(歌舞伎「三十石艠始(1759)」)、 と、 異性にざれかかる、 みだらな言動をする、 また、 男女がいちゃつく、 痴戯をする、 という意が残っているが、どちらかというと、言語レベルになっている。現代では、その、 たわむれる、 は、より言葉レベルの意味が強まり、 子供と、たわむれる、 物まねをしてたわむれる、 と、 遊び興ずる、 ふざける、 いたずらをする、 意でも使うが、 蝶が花にたわむれる、 のように、 修辞的な言い方で、ものとものがまとわりじゃれあうような動きの表現に好まれる、 とあり(明解国語辞典)、そのメタファで、 酔狂の一興にと戯れて描いた絵です、 などと、 興にまかせて面白半分に物事をする、 遊び心で……する、 意や、その延長で、 異性に楽しげに(または冗談半分に)色恋を仕掛ける、 といった意味で使う(仝上)。なお、 戯る、 を、 あざる、 と訓ませると(自動詞 ラ行下二段活用)、 かみなかしも、酔ひあきて、いとあやしく、潮海(しほうみ)のほとりにて、あざれあへり(土左日記)、 と、 ふざける、 たわむれる、 ざれる、 意や、 しどけなくうちふくだみ給へる鬢茎(びむくき)、あざれたる袿(うちき)姿にて(源氏物語)、 と、 うちとける、 くつろぐ、 儀式ばらないでくだける、 意や、 返しはえ仕(つかうまつ)り穢(けが)さじ。あざれたり。御簾(みす)の前に人にを語り侍らん(枕草子)、 と、 しゃれる、 風流である、 気転がきく、 意で使う(精選版日本国語大辞典)。この転訛した、 戯(あじゃ)る、 も、 彼が此をあじゃってかう作たことなり(「玉塵抄(1563)」)、 と、 他をばかにする、 また、 ふざけたり冗談を言ったりする、 意となる(仝上)。口語の、 ざ(戯)れる、 の文語形、 戯(ざ)る、 も、その転訛、 戯(じゃ)る(口語「じゃれる」の文語形)、 も、 ふざけたわむれる、 意である(仝上)。 戯る、 を、 そぼる、 と訓ませると、 つばいもちゐ・梨・柑子やうの物ども……若き人々、そほれ取りくふ(源氏物語)、 と、 たわむれる、 ふざける、 はしゃぐ、 といった意や、 書きざま、今めかしうそほれたり(源氏物語)、 と、 しゃれる、 きどる、 様子がくだけている、 意になる(仝上)。 「姧」(漢音カン、呉音ケン)は、 奸、 の異体字(https://kakijun.jp/page/U_E5A7A7.html)、 奸、 は、 姦(繁体字)、 の異字体(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B8)、 姦、 は、 姧、 の異字体(字通)、 姧、 は、 姦、 の異字体(漢字源)と、「姧」「奸」「姦」は繋がっている。 「姧(姦)」(漢音カン、呉音ケン)は、 会意文字。女三つからなるもので、みだらな行いを示す。道を干(おか)す意を含む。「姧」と「姦」は同じ、 とある(漢字源)。他の、 会意。女を三人合わせた形。〔説文〕十二下に「厶(し)(私)するなり。三女に從ふ」とし、重文を録するが、その字は悍の古文である。二女に従うものは奻(だん)、「訴ふるなり」と訓する。厶字条九上に「姦邪なり」とあり、邪悪の意。〔荘子、徐無鬼〕に「夫(そ)れ神は和を好みて姦を惡(にく)む」、〔左伝、文十八年〕に「賄を竊むを盜と爲し、器を盜むを姦と爲す」とあって、もと神を瀆(けが)す行為をいう。神の邪悪なるものを神姦という(字通)、 も、会意文字とする。 「奸」(@漢音カン、呉音ケン、Aカン)は、 会意兼形声。干は、突く棒を描いた象形文字で、突いておかす意を含む。奸(カン)は、「女+音符干(カン)」で、女性や正道をおかして悪事をすること、 とあり(漢字源)、「奸臣」というように、「よこしま」「道理をおかしている」「悪事、または悪事を犯した人」の意の場合、@の音。男女間で不義を犯す意の場合、Aの音。いずれも、「姦」と同義、 とある(漢字源)。別に、 形声。「女」+音符「干 /*KAN/」。「おかす」「みだす」を意味する漢語{奸 /*kaan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%B8)、 形声。声符は干(かん)。干に干犯の意がある。〔説文〕十二下に「婬を犯すなり」とあり、姦婬のことをいう(字通)、 は、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ(万葉集)、 の、 山たづ、 は、注記として、 ここに山たづといふは、今の造木をいふ、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 山たづの、 で、 「迎へ」の枕詞、 となり、 山たづ、 は、 にわとこ、 で、 神迎えの霊木、 とある(仝上)。ちなみに、 造木、 は、 みやつこぎ、 と訓ませ、 にわとこの古名、 である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。 「たはく」で触れたことだが、この歌の題詞(だいし 詞書と同じ、和歌や俳句の前書き。漢文で書かれた万葉集の場合、題詞(だいし)という)には、 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ 軽太子の同母妹)に姧(たは)く。この故にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(軽太郎女(かるのおおいらつめ)のこと)、恋慕ひ堪へずして追ひ往く時に、歌ひて曰はく、 とある。 やまたづ、 は、 にわとこ(接骨木)の古名、 で、 みやこぎ、 ともいう、 とある(岩波古語辞典)。 山たづの、 は、 ニワトコの枝葉は相対して生ずる、 ので、 むかへ にかかる枕詞である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 山たづ、 は、 くさたづ(接骨草)に対す、 とある(大言海)。 くさたづ、 は、 接骨草、 藋、 と当て、 接骨木(にはとこ)をたづの木と云ひ、木本(きだち)なれば、又、木だつと云ふ。それに対して、此草は草本(くさだち)なれば、草たづと云ふなり、 とあり(大言海)、江戸後期の『箋注和名抄』に、 今俗、呼接骨木、為木多豆呼藋為草多豆、 とある。 くさたづ、 は、 そくず(藋)の異名、 であり、 そくどく、 とも訓ませ(仝上)、 レンプクソウ科の多年草。北海道を除く各地の山野に生え、高さ1〜1.5メートル。葉は大形の羽状複葉。夏に白い小花が多数集まって咲く。実は小粒で赤く熟す。全草を乾かして入浴剤にする(デジタル大辞泉)、 スイカズラ科の多年草。本州、四国、九州および中国の山野に生える。根茎から太い茎を直立し、高さ一〜二メートル。葉は大形の羽状複葉で五〜七個の小葉からなり対生する。小葉は長さ五〜一五センチメートルの広披針形で縁に鋸歯(きょし)がある。夏、茎の先に大形の花序をつけ、白い小花を密生する。花冠は五裂し、径三〜四ミリメートル。花序のところどころに黄色の杯状の腺体がある。果実は径約四ミリメートルの球形で赤く熟す。葉・根を乾燥したものは薬用としてリウマチ、打撲傷あるいは下痢どめに用いる(精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典)、 と、科目が別れるが、漢名は、 藋(サクチュウ)、 とあり(精選版日本国語大辞典)、葉は、 ニワトコに似たり、 実も、 ニワトコの如し、 とあり(大言海)、で、 くさにわとこ、 くさたず、 にわたず、 オランダ草、 などという(精選版日本国語大辞典)。 山たづ、 つまり、 たづのき、 は、 にわとこ(接骨木)の異名、 とされる(「大和本草(1709)」)が、 「ねずみもち(鼠黐)」の異名、 とも(「本草和名(918頃)」)、 「きささげ(木豇豆)」の異名、 ともされる(「きささげ」については「楸(ひさぎ)」で触れた)。 たづのき、 は、 木たづ、 山たづ、 みやこ木(ぎ)、 みやつこぎ(造木)、 ともいう(大言海)、いわゆる、 にわとこ、 で、 接骨木、 と当て、 續骨木、 接骨、 ともいい(大言海)、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、 接骨木、和名美也都古木、 『康頼本草』(984)にも、 接骨木、美也川己支、ニハトコ、 とある(大言海)。で、 ミヤツコギ、 の名は「宮仕う木」に由来し、紙を切って木に挟み神前に捧げた幣帛(御幣)が、大昔は木を削って作られた木幣だったものと推定され、その材料に主にニワトコが用いられた、 とする説がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%B3)。だから、「ニハトコ」の由来に、それと絡める説もあり、 みやつこ木の音転(大言海・松屋筆記)、 ニワトコキは、ニ-ソクト(藋)木の義か(名語記)、 ニハイトヒキ(庭厭木)の義(日本語原学=林甕臣)、 ニハトコ(庭鳥籠)の義(名言通)、 ニハ(庭)+ツ(連体助詞)+ウコギ(五加木)の略転(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、 等々の諸説があるが、はっきりしない。すくなくとも、 くさたづ、 と対比していたことは確かのように思えるが、漢字表記の、 接骨木、 は、 ニワトコ、 とも、 せっこつぼく、 とも訓ませるが、 枝や幹を煎じて水あめ状になったものを、骨折の治療の際の湿布剤に用いたため、 といわれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%B3)。中国植物名は、 無梗接骨木(むこうせっこつぼく)、 といい、漢名で接骨木といえばトウニワトコを指す(仝上)とある。ただ、 接骨木、 を慣用漢名としているが、正しくは、 センリョウ、 の漢名としているものもある(精選版日本国語大辞典)。 ニハトコ、 は、 レンプクソウ科の落葉低木。山野に自生。枝の内部に白い髄があり、葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。春、白色の小花が円錐状に咲き、実は赤く熟す。幹や枝を消炎・利尿薬に、花を発汗に用いる。庭木とする(デジタル大辞泉)、 とする説もあるが、多くは、 スイカズラ科の落葉低木。本州・四国・九州の山野に生える。高さ約六メートル。髄は褐色で太く柔らかい。葉は対生し奇数羽状複葉で五〜一一個の小葉からなる。小葉は長さ六〜一五センチメートル、披針形または長楕円形で縁に細鋸歯(きょし)がある。托葉は線状。春、葉腋に花柄を出し先が五裂したごく小さな白花を円錐状に集める。果実は小球形で赤く熟す。葉・花は煎(せん)じて利尿・発汗薬および湿布に用いる(精選版日本国語大辞典)、 スイカズラ科(APG分類:ガマズミ科)の落葉低木。高さ2〜6メートル。葉は羽状複葉。3〜5月、円錐(えんすい)花序をつくり、5数性の小花を多数集めて開く。花冠は淡黄色、裂片は反り返る。子房は下位で3室。果実は球形、9〜10月、赤色に熟す。本州から九州、および朝鮮半島に分布し、北海道には花序の粒状突起が長い変種エゾニワトコがある。庭木として植えられ、早春の切り花とする。葉は発汗、利尿に効果があり、民間薬とする。髄は顕微鏡観察用の切片をつくるのに用いる(日本大百科全書)、 山野のやや湿ったところに生えるスイカズラ科の落葉低木。庭木として植えられたり、切花にされる。高さ3〜6m、枝には太く柔らかい髄がある。葉は羽状複葉で小葉は5〜7枚。花は枝の先に多数集まって円錐状となり、長さ幅とも3〜6cm、4〜5月に咲く。萼裂片は著しく退化し、花冠は淡黄色、5裂し、そり返る。子房は下位で3室、各室に1胚珠が下垂する。液果は夏に赤く熟し、鳥が食べる。若い枝の髄は顕微鏡観察用の切片を作るピスとする。中国産のニワトコに似たS.williamsii Hanse(中国名は接骨木)の花を乾かしたものを接骨木花といい、発汗・利尿剤とし、また打身、切傷、リウマチにも効く。日本のニワトコも接骨木と呼ばれ、同様に利用される(世界大百科事典)、 スイカズラ科の落葉低木。本州〜九州、朝鮮の山野にはえる。枝には柔らかく太い髄がある。葉は対生し、長楕円形の小葉2〜5対からなる奇数羽状複葉。3〜4月、若枝の先に散房花序を出し、径3〜5mmで淡黄白色の花を多数開く。果実は球形で6〜7月、赤熟。材は細工物などとする(マイペディア)、 等々、スイカズラ科とされる。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) |
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