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コトバ辞典


遣戸


山の調(しらめ)は櫻人、海の調は波の音、又嶋廻(めぐ)るよな、巫女(きね)が集ひは中の宮、嚴粧(けさう)遣戸(やりど)は此處(ここ)ぞかし(梁塵秘抄)、

の、

嚴粧遣戸(けさうやりど)、

の、

嚴粧、

は、

化粧、

の意のようで、

嚴粧遣戸、

で、

きれいに飾った遣戸、

の意らしいhttp://false.la.coocan.jp/garden/kuden/kuden0-1.html。ただ、

化粧、

には、

化粧垂木(けしょうだるき)、
化粧木舞(けしょうこまい)、

のように、

軒下や室内にあらわれている、

という意もあるが。

また、

櫻人、
波の音、

は、

催馬楽の一曲、

を指すようである(仝上)。

調(しらめ)、

は、

マ行下二段活用の動詞「調む」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの、

で、

調む、

は、

秋の名残を惜しみ、琵琶を調めて(平家物語)、

と、

調べる、

に同じで、

演奏する、

意である(精選版日本国語大辞典)。

遣戸、

は、

鴨居(かもい)と敷居(しきい)との溝にはめて、横に引いて開閉する戸、

のことで、いわゆる、

引き戸、

のことである。

開戸(ひらきど)に対す、送り遣りて開く故に云ふ、

とある(大言海)ので、

妻戸(つまど)、

の対である(学研全訳古語辞典)。ただ、寝殿造の外周建具は、扉の部分の、

妻戸(つまど)、

を除くと、大半は、

蔀戸(しとみど)、

であった。「蔀」については、「半蔀(はじとみ)」で触れた。

遣戸、

は、

平安時代の寝殿造で初めて用いられ、室町時代に入って書院造に多用された、

とあり(日本大百科全書)、引違いのものは、

違いの遣戸、

ともよばれた。また、遣戸のみでは室内が暗くなるので、

鴨居、敷居の樋端(ひばた 溝のへり)を三本溝とし、外側に板戸2枚、内側に障子を入れて明かり取りとした、

とあり、板戸で横に桟を何段にも入れて板押さえとしたものを、

舞良戸(まいらど)、

という(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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舎利


淡路はあな尊(たうと)、北には播磨の書冩をまもらへて、西には文殊師利、南え南海補陀落(ふだらく)の山(せん)に向ひたり、東(ひんがし)は難波の天王寺に、舎利(さり)まだおはします(梁塵秘抄)、

の、

舎利、

は、

しゃり、

とも訓み、

サンスクリット語シャリーラśarīra、

の音訳、原義は、

身体、

のことであるが、転じて、

遺骨、

とくに、

仏陀(ぶっだ 釈迦)の遺骨、

をさし、

仏舎利、
仏骨、

という(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。骨崇拝は先史時代よりあったが、仏教で舎利崇拝がおこったのは、

仏陀がクシナガラで入滅し、その遺体が火葬に付され、遺骨と灰が仏陀ゆかりの八つの土地に分納され、塔が建立され供養されて以来のこと、

とされる(仝上)。アショカ王は、上記八つの仏塔のうち七つを開けて舎利を分け、インド各地に多数の仏塔を建てたと伝わる(仝上)。わが国でも舎利供養のための法会(ほうえ)が行われた(日本書紀)が、1898年(明治31)ネパールにおいて、仏陀の遺骨とみられるものが発掘されて仏教諸国に分与され、日本では名古屋市覚王山の日泰(にったい)寺に安置奉祀(ほうし)されている(仝上)とある。舎利を安置する塔を、

舎利塔、

舎利を納めておく堂宇を、

舎利殿、

という(仝上)。法華経に、

佛滅度後、供養舎利、

翻譯名義集(南宋代の梵漢辞典)に、

佛舎利、椎撃不破、弟子舎利、椎試即砕也、

とある。

和名類聚抄(平安中期)に、

舎利、法華経云、以佛舎利、起七宝塔、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

御所遺骨分、通名舎利、

とある。

なお、

舎利、

は、

米粒、

また、

白飯、

を指して用いたりするのは、

仏舎利が米粒に似ていること、

によっており、近世から例が見え始める。ただし、仏舎利と米粒とを結び付ける例は中国唐代に既に見られ、日本でも空海撰「秘蔵記」に、

天竺呼米粒為舎利。仏舎利亦似米粒。是故曰舎利、

とあるが、これらは、梵語の、

米śāli、

と、

身体śarīra、

との混同に依るらしい(精選版日本国語大辞典)とある。

内舎人」で触れたように、「舎(舎)」(シャ)は、

会意兼形声。余の原字は、土を伸ばすスコップのさま。舎は「口(ある場所)+音符余」で、手足を伸ばす場所。つまり、休み所や宿舎のこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。音符「余 /*LA/」+羨符「口」(他の字と区別するための記号)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%8D

象形。口(垣根の形)と、(建物の形)と、亼(しゆう)(集の古字)とから成り、「やどる」、ひいて「おく」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(余+口)。「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる」の意味)と「ある場所を示す文字」から、心身をのびやかにして、「泊まる(やどる)」、「建物」、「ゆるす」を意味する「舎」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji841.html、微妙に解釈が異なる。

「利」(リ)は、

会意文字。「禾(いね)+刀」。稲束を鋭い刃物でさっと切ることを示す。一説に、畑をすいて水はけや通風をよくすることをあらわし、刀はここではすきを示す。すらりと通り、支障がない意を含む。転じて、刃がすらりと通る(よく切れる)、事が都合よく運ぶ意となる、

とある(漢字源)。

会意。「禾 (穀物)」+「刀」で、穀物を鋭い刃物で収穫するさまを象る。「するどい」を意味する漢語{利 /*rits/}および「もうけ」を意味する漢語{利 /*rits/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A9

は、前者、

会意。刀と、禾(か いね)とから成り、すきで田畑を耕作する意を表す。「犂(リ すき)」の原字。ひいて、収益のあること、また、すきのするどいことから「するどい」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(禾+刂(刀))。「穂先がたれかかる稲」の象形と「鋭い刃物」の象形から、稲を栽培し、鋭い刃物(すき)で土を耕す事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「するどい」・農耕に「役立つ」を意味する「利」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji592.html

は後者の説を採っている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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もくれんじ


聖(ひじり)の好む物、木の節(ふし)鹿角(わざづの)鹿の皮、蓑笠錫杖木欒子(もくれんじ)、火打笥(け)岩屋の苔の衣(梁塵秘抄)、

の、

木欒子(もくれんじ)、

は、

もくげんじ(欒樹・木槵子)、

の別称、

ムクロジ科の落葉高木、

で、

中国原産、寺院などに栽植。高さ10メートル以下、葉は羽状複葉。夏、黄色の小花を大きな花序につけ、長楕円形の刮ハ(さくか)を結ぶ。球形の種子は数珠玉に用い、また、花を眼薬や黄色染料とする、

とある(岩波古語辞典・広辞苑)

センダンバノボダイジュ、
ムクレニシ、
ムクレンジノキ、
モクレンジュ、
モクレンジ(木欒樹)、
ムクロジュ(無患子・木穂子)、

ともいい、古名、

ムクレジ(牟久礼之)、
ムクレニ(牟久礼邇)、
ムクレニシ、

とあり(大言海・https://gkzplant.sakura.ne.jp/mokuhon/syousai/magyou/mo/mokurennju.html)、漢名、

欒華、
欒樹、
木欒子、

である(仝上・精選版日本国語大辞典)。色葉字類抄(平安末期)に、

欒、モクレンシ、木槵子、モク(ク)ェンシ、可用念珠木名、

とある。和名ムクロジは、モクゲンジの漢名、

木欒子、

を誤用し、その字音に由来していると言われる(仝上・大言海)が、

モクゲンジ(無患子・木穂子)、

が、

ムクロジの漢名、

無患子、

の誤用(日本語源大辞典・牧野新日本植物図鑑・精選版日本国語大辞典)ともある。いずれにせよ、

木欒子(もくれんじ)、

つまり、

欒樹・木槵子(もくげんじ)、

が、

むくろじ(無患子)、

を、誤称したことに間違いはない。

ムクロジ、

は、

漢名無患子の音の転(名言通)、
ムクレニシ(木欒子)の誤りの誤用(大言海)、

という転訛とは別に、

ムクロジが家にあると病を知らないとして「無患子」(むくろし)と呼ばれるようになった、
実のなる様子を「ツブナリ」と表現し、これが転訛した、
種子が黒いため「実黒地(みくろじ)」が転訛した、

等々の説があるhttps://www.uekipedia.jp/%E8%90%BD%E8%91%89%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9が、どうも漢語との関係から見ると、後付けの説のようである。。

「欒」(ラン)は、

会意兼形声。䜌は、むつれるを含む。欒はそれを音符とし、木を添えた字、

とある(漢字源)。

むくろじ科の落葉小高木。種子は球形でかたく、数珠につかわれる、

とあり、

もくげんじ、

とも(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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八大童子


大峯(おほみね)通るには、佛法修行する僧ゐたり、唯一人、若や子守は頭(かうべ)を撫でたまひ、八大童子は身を護る(梁塵秘抄)、

の、

八大童子、

は、

不動八大童子(ふどうはちだいどうじ)、
八大金剛童子(はちだいこんごうどうじ)、

とも呼ばれ、

不動明王に随従する8種の尊像を童子形に造形化したもの、

をいい、

不動明王の種字「唅(かん=hāṃ)」字より発生し、四智(金剛智、灌頂智、蓮華智、羯磨智)と四波羅蜜(金剛波羅蜜、宝波羅蜜、法波羅蜜、業波羅蜜)を具現化した八尊、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%A5%E5%AD%90。「種子(しゅじ)」、は、密教において、、

仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)、

で、「加持」で触れたように、普通には、

長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)

と区別する(日本大百科全書)。

密教では、「八大童子」を、

慧光(えこう)童子、
慧喜(えき)童子、
阿耨達(あくた・あのくた)童子、
持徳(指徳)(しとく)童子、
烏俱婆伽(うぐばか)童子、
清浄比丘(しようじようびく)、
矜羯羅(こんがら)童子、
制吒迦(せいたか)童子、

のを八人の童子いう(精選版日本国語大辞典)が、修験道では、

除魔・後世・慈悲・悪除・剣光・香精・検増・虚空、

の八童子をいう(仝上)とある。中国で撰述された偽経、

聖無動尊一字出生八大童子秘要法品、

に記された諸尊である(世界大百科事典)とある。このうち

矜羯羅(Kiṃkara 随順・奴隷と漢訳)、
制吒迦(Ceṭaka 福聚勝者と漢訳)、

の2童子が、

不動明王の両脇侍、

とされることが多い(世界大百科事典)とあり、

不動明王二童子像、

または、

不動三尊像、

と言い、三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に、

制吒迦童子、

左(向かって右)に、

矜羯羅童子を配置しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B

矜羯羅童子、

は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、

制吒迦童子、

は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い(仝上)とある。

脇士」には、不動明王には制多迦・衿迦羅の二童子が配されるが、薬師如来では、

日光・月光二菩薩、

あるいは

薬王・薬上菩薩、

が脇侍とされ、

般若菩薩には、

梵天・帝釈の二天、

が配される。釈迦像に脇侍を付す例は、すでに、インドの、

マトゥラーの石彫像以来認められる、

という(世界大百科事典)。

不動明王、

は、ヒンドゥー教のシバ神の異名で、

アチャラナータAcalanāta、

といい、漢音で、

阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)、

とあてる。アチャラは、

動かない、

ナータは、

守護者、

を意味し、

揺るぎなき守護者、

の意味となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて、

忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像、

で、その姿は、

不動、如来使、持慧力羂索、頂髻垂左肩、一目而諦観、威忿怒身猛炎、安住在盤石、面門水波相、充満童子形(大日経)、

不動明王、如来使者、作童子形、右持大慧刀印、左持羂索、頂有莎髻、屈髪垂在左肩、細閉左目、以下歯噛右邊上脣、其左邊下脣稍翻外出、額有皺紋、猶如水波相、坐於石上、其身卑而充満肥盛、作奮怒之勢、極忿之形、是其密印幖幟相也(仝上)、

と、

片目あるいは両目を見開き、牙を出し、下の歯で上唇を噛む忿怒相を示し、頭の頂には七髻(けい)があり、左肩には弁髪の一端を垂らし、左手に羂索(けんさく)、右手に利剣をとり、大火炎を背負って大磐石座の上に坐す、

形である(ブリタニカ国際大百科事典)。なお、「羂索(けんさく・けんじゃく)」については「弁才天」で触れたように、仏菩薩の、衆生を救い取る働きを象徴するもので、色糸を撚り合わせた索の一端に鐶、他の一端に独鈷(どっこ)の半形をつけたものである。

不動明王は、密教では、

行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降し、衆生(しゅじょう)を守る、

とされ(日本大百科全書)、

五大明王、
八大明王、

では中央に位置する主尊となる(仝上)。

五大明王(ごだいみょうおう)、

は、

密教特有の尊格である明王のうち、中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたものである。本来は別個の尊格として起こった明王たちが、中心となる不動明王を元にして配置されたものである、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%8E%8B

不動明王を中央として、東西南北におのおの降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)の四大明王を配置した一組一体からなる明王部の尊形、

である(日本大百科全書)。

五大尊、

ともいい、いずれも忿怒の形相を表わすので、

五忿怒、

ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。

八大明王(はちだいみょうおう)、

は、八方守護をつかさどる、

八体の明王、

で、

八大菩薩の変現したもの、

をいい、

降三世(金剛手菩薩)・大威徳(妙吉祥菩薩)・大笑(虚空蔵菩薩)・大輪(慈氏菩薩)・馬頭(観自在菩薩)・無能勝(地蔵菩薩)・不動(除蓋障菩薩)・歩擲(ぶちゃく 普賢菩薩)、

の明王となる(仝上 五大明王、八大明王についてはhttp://butuzou.jpn.org/b-world/buddha/html/bmyoou.htmlに詳しい)。

不動明王、

は、

密教の根本尊である、

大日如来の化身、

と見なされ、

お不動さん、

の名で親しまれ、

大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、
無動明王、
無動尊、
不動尊、

などとも呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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能化


天台大師は能化の主(す)、眉は八字に生(お)いわかれ、法(のり)の使(つかひ)に世に出(い)でて、殆ど佛(ほとけ)に近かりき(梁塵秘抄)、

の、

能化(のうげ・のうけ)、

は、「六道能化」で触れたように、

能く化すということ、

で、

「化」は教える、指導する、

という意味で、

我及諸子若不時出。必為所焼者。我譬能化仏、諸子譬所化衆生(法華義疏)、

と、師として、

他を教化できる者、

の意だが、主として、衆生(しゅじよう)を教化する、

仏・菩薩、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

教化されるほう、つまり一切衆生(いっさいしゅじょう)は、

衆生世闡ヲ所化機、智正覺世闡ヲ能化主(華厳玄談)、

と、

所化(しょけ)、

という(大辞林)。「能化」は、転じて、

雖為本寺住山、不労所学者、不可許能化事(「御当家令条・関東真言宗古義諸法度(1609)」)、

と、

一宗派の長老・学頭、

などを称し、真言宗では一山の総主、真宗では本願寺派で学頭職をいい(精選版日本国語大辞典)、西本願寺では、門主・良如の時代に僧侶の教育機関である学寮(後に学林)が設けられ、その学長として能化職が置かれ、学生は所化(しょけ)と呼ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%8C%96とある。

さらに派生して、

その郡や村県にちっとも学の方の材ある者をばすすめて京えのぼせて学問所の能化(ノウケ)や物をひろう知た博士先生に付て学問させたぞ(「玉塵抄(1563)」)、

と、

特にすぐれた僧。寺院、宗派の指導者、

をも指し、もっと一般化して、

能化(ノウケ)の姉女郎寄掛て聴聞あり(浮世草子「傾城禁短気(1711)」)、

と、

他をよく導く者、指導者、

をも指すに至る(仝上)。

「能」(@漢音ドウ、呉音ノウ・ノ、A漢音ダイ、呉音ナイ、慣用タイ)は、

会意兼形声。ム(イ 以)は、力を出して働くことを示す。能は「肉+かめの足+音符ム」で、かめや、くまのようにねばり強い力を備えて働くことを表す、

とあり(漢字源)、「非不能也(能ハザルニアラザルナリ)」と、「あたう」「欲物事をなしうる力や体力があってできる」「たえうる」という意味、「有能」「技能」「才能」の「琴を遣りうる力」の意味、「能弁」のやり手、達者の意などでは@の音、寒キニ能フ、というような「たえる」意ではAの音、となる(仝上)。別に、

象形。熊またはそれに似た動物を象る。ある種の動物を指す漢語{能 /*nəə/}を表す字。のち仮借して「できる」を意味する漢語{能 /*nəəng/}に用いる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%BD

説文解字では「肉」や「㠯」に従うと解釈されているが、甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、

とする(仝上)。象形説は、

象形。毛をさかだて、大きな口をあけておそいかかるけものの形にかたどり、くまの意を表す。借りて「あたう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「尾をふりあげ大きな口を開けた熊(くま)」の象形から熊の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ある動作をする事ができる」、「能力」を意味する「能」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji805.html

「化」(漢音カ、呉音ケ)は「化生」で触れたように、

左は倒れた人、右は座った人、または、左は正常に立った人、右は妙なポーズに体位を変えた人、いずれも両者を合わせて、姿を変えることを示した会意文字、

とある(漢字源)が、別に、

会意。亻(人の立ち姿)+𠤎(体をかがめた姿、又は、死体)で、人の状態が変わることを意味する、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%96

会意形声。人と、𠤎(クワ 人がひっくり返ったさま)とから成り、人が形を変える、ひいて「かわる」意を表す。のちに𠤎(か)が独立して、の古字とされた、

とか(角川新字源)、

指事文字です。「横から見た人の象形」と「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から「人の変化・死にさま」、「かわる」を意味する「化」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji386.htmlとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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一乗


娑婆に須臾(しばし)も宿れるは、一乗聴くこそあはれなれ、嬉しけれ、や、人身再び受け難(がた)し、法華経に今一度、いかでか参り會はむ(梁塵秘抄)、

の、

一乗、

は、サンスクリット語、

エーカ・ヤーナeka-yāna(一つの乗り物)、

の訳語、

「一」は唯一無二の義、
「乗」は乗物、

の意、

開闡一乗法、導諸群生、令速成菩提(法華経)、

と、

乗物の舟車などにて、如来の教法、衆生を載運して、生死を去らしむる、

とあり(大言海)、乗(乗り物)は、

人々を乗せて仏教の悟りに赴かせる教え、

をたとえていったもので、

真の教えはただ一つであり、その教えによってすべてのものが等しく仏になる、

と説くことをいう(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)とある。「声聞」で触れたように、

悟りに至るに3種の方法、

には、

声聞乗(しょうもんじょう 仏弟子の乗り物)、
縁覚乗(えんがくじょう ひとりで覚(さと)った者の乗り物)、
菩薩乗(ぼさつじょう 大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)、

の三つがあり、

三乗、

といい、『法華経』では、この三乗は、

一乗(仏乗ともいう)、

に導くための方便(ほうべん)にすぎず、究極的にはすべて真実なる一乗に帰す、

と説き(仝上)、

三乗方便・一乗真実、

といい、それを、

一乗の法、

といい、主として、

法華経、

をさす(仝上)。

声聞」で触れたように、

声聞、

は、

梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、

の訳語、

声を聞くもの、

の意で、

釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、

である(精選版日本国語大辞典)のに対して、

縁覚(えんがく)、

は、

梵語pratyeka-buddhaの訳語、

で、

各自にさとった者、

の意、

独覚(どっかく)、

とも訳し、

仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、

をいう(仝上・日本大百科全書)。

菩薩、

は、

サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、

の音訳、

菩提薩埵(ぼだいさった)、

の省略語であり、

bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、

より、

悟りを求める人、

の意であり、元来は、

釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、

をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。つまり、部派仏教(小乗)では、

菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、

だけを意味する。そして他の修行者は、

釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。

阿羅漢、

とは、

サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、

で、

尊敬を受けるに値する者、

の意。

究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、

をいう。部派仏教(小乗仏教)では、

仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、

をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、

無学(むがく)、

ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教では、

個人的な解脱を目的とする者、

とみなされ、

声聞、
独覚(縁覚)、

を並べて、二乗・小乗として貶しており、

悟りに至るに3種の方法、

である、

三乗、

を、

声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、

とし、大乗仏教では、

菩薩、

を、

修行を経た未来に仏になる者、

の意で用いている。

悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、

また、仏の後継者としての、

観世音、
彌勒、
地蔵、

等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、

小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、

とされた。

なお、法華経については、「法華経五の巻」で触れた。

「乘(乗)」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意文字。「人+舛(左右の足の部分)+木」で、人が両足で木の上にのぼった姿を示す。剩(ジョウ 剰 水準より上にのほける→あまり)の音符となる、

とある(漢字源)。別に、

会意。人が樹上に乗るさまを象る[字源 1]。「のる」「のぼる」を意味する漢語{乘 /*ləŋ/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%98

会意文字です(大+舛+木)。「両手両足を開いた人」の象形と「両足を開いた」象形と「木」の象形から、木にはりつけになってのせられた人を意味し、そこから、「のる」を意味する「乗」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji188.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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沙竭羅王(しゃがらおう)


龍女が佛(ほとけ)に成ることは、文殊のこしらへとこそ聞け、さぞ申す、沙竭羅王(しゃがらわう)の宮を出でて、變成男子として終(つい)には成佛道(梁塵秘抄)、

文殊の海(かい)に入(い)りしには、沙竭羅王波をやめ、龍女が南に行(ゆ)きしかば、無垢や世界にも月澄めり(仝上)、

の、

沙竭羅王(しゃがらおう)、

は、

沙羯羅王、

とも当て、

沙伽羅龍王、

とも、

しゃかつら、
しゃかちら、
しゃがら、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

八大竜王の娑伽羅(しゃから)、

の別の呼び名、

とあるhttps://naming-dic.com/wa/word/62270957

「沙伽羅」は、

Śāgara、

の音訳。「沙伽羅」の他、

娑羯羅、
沙竭、
沙羯羅、
娑伽羅、

などと当てている(精選版日本国語大辞典)。

八大龍王の一つ、

で、

観音二十八部衆の一つ、

であり、

護法の龍神、

また、

降雨の龍神、

として、

請雨法のおりの本尊、

とされる(仝上)。

八大龍王(はちだいりゅうおう)、

は、

八龍王、
八大龍神、

ともいい(大言海)、

有八龍王、難陀龍王、跋難陀、娑伽羅竜王、和修吉龍王、徳叉迦龍王、阿那婆達多龍王、摩那斯龍王、優鉢羅龍王等、各與若干百千眷属俱ト説ケリ(法華経・序品)、

と、

難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)、

の八龍王をさす(仝上・精選版日本国語大辞典)。

娑伽羅龍王、

は、

海や雨をつかさどる、

とされることから、

時により過ぐれば民の歎きなり八大龍王雨やめ給へ(金槐集)、

と、

航海の守護神、

雨乞いの本尊、

とされる(仝上)。

竜族の八王、

は、

霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。釈迦は「妙法蓮華経」の第二十五 観世音菩薩普門品に遺されているように「観音菩薩の御働き」を説いた。その結果、「覚り」を超える「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)、無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を得て、護法の神となるに至った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B。この八大龍王、

は、

天龍八部衆、

に所属するとされるが、

八部衆
竜神八部、

ともいう、

仏教を守護する異形の神々、

で、

天(天部)、竜(竜神・竜王)、夜叉(やしゃ 勇健暴悪で空中を飛行する)、乾闥婆(けんだつば 香(こう)を食い、音楽を奏す)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら 金翅鳥で竜を食う)、緊那羅(きんなら 角のある歌神)、摩睺羅迦(まごらか 蛇の神)、

の8神をいう(精選版日本国語大辞典)。「迦楼羅」については「迦楼羅炎」で触れた。

竜宮」で触れたが、

爾時、文殊師利、坐千葉蓮花、大如車輪、俱來菩薩、亦坐寶蓮華、従於大海、婆竭羅龍宮、自然湧出、住虚空中(妙法蓮華経・提婆達多品)、

とあるように、

大海の底に娑竭羅(しやから)竜王の宮殿があって、縦広8万由旬(ゆうじゆん 1由旬は帝王1日の行軍里程)もあり、七重の宮牆(きゆうしよう)、欄楣(らんび)などはみな七宝をもって飾られている(長阿含経)、

とか、

海上に白銀、瑠璃、黄金の諸竜宮があって、毒蛇大竜がこれを守護しており、竜王がここに住み珍宝が多い(賢愚因縁経)、

などと説く(大言海・世界大百科事典)、

娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘(第三王女)、

は、

善女(如)龍王、

と呼ばれ、

その年わずか八歳の竜少女、

とあり(妙法蓮華経・提婆達多品)、文殊師利菩薩はこの竜女は悟りを開いたと語るも、

智積菩薩はこれに対し、お釈迦様のように長く難行苦行をし功徳を積んだならともかく、僅か8つの女の子が仏の悟りを成就するとは信じられないと語った。また釈迦の弟子の舎利弗も、女が仏になれるわけがないと語った。

のに、

竜女はその場で法華経の力により即身成仏し、それまで否定されていた女子供でも動物でも成仏ができることを身をもって実証した、

とあるhttps://www.wdic.org/w/CUL/%E5%A8%91%E7%AB%AD%E7%BE%85%E9%BE%8D%E7%8E%8B%E3%80%82%E5%A5%B3

なお、

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)、

は、

千手観音の眷属、

で、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配されており、合計で二十八部衆となる。

娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)、

は、27番目に数えられているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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頭陀


法華経持(たも)てばおのづから、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、経には是名持戒、行頭陀者(づださ)と説いたれば、佛(ほとけ)の道には障(さわり)あらじ(梁塵秘抄)、

の、

是名持戒、
行頭陀者、

は、

法華経見宝塔品第十一の偈文、

であり、

此経難持
若暫持者
我即歓喜
諸仏亦然
如是之人
諸仏所歎
是則勇猛
是則精進
是名持戒
行頭陀者
則為疾得
無上仏道

云々とつづくhttp://www.kujhoji.or.jp/youten/sub14_2_09.htm

是戒を持ち 
頭陀を行ずる者と名く、

ということらしい(仝上)。

乞食」、「斗藪(とそう)」で触れたように、「頭陀(ずだ・づだ)」は、

梵語ドゥータ(dhūta)、

の音写、

洗い流すこと、
除き去ること、

が原意(本大百科全書)、

頭陀者、漢言抖擻、謂抖擻煩悩離諸滞着(四分律行事鈔)、

と、

抖擻(とそう)、

と訳し(抖擻はふるい落とす意)、

払い除くの意、

で、

頭陀此應訛也、正言杜多、譯云洮汰、言大灑也、舊云抖擻、一義也(玄應音義)、

と、玄奘(げんじょう)は、

杜多、

と当てた(仝上・大言海)。「頭陀」は、

頭陀支(ずだし)、
頭陀行(ずだぎょう)、

とも呼ばれ、

衣食住に対する欲求などの煩悩を取り除く、

意味でhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1980/129/1980_129_L88/_pdf/-char/ja

世尊爾時以此因縁集比丘僧、為諸比丘随順説法、無数方便讃歎頭陀端嚴少欲知足楽出離者(四分律)、

と、仏陀も頭陀行をすることを賞賛していた、とある(仝上)。上記、「十二頭陀」(じゅうにずだ)とは、

仏道修行者が守るべき衣食住に関する一二の基本的規律、

で、

衲衣(納衣 のうえ 人が捨てたぼろを縫って作った袈裟)・但三衣・常乞食・不作余食(次第乞食)・一坐食・一揣食・住阿蘭若処(あらんにゃ)・塚間坐・樹下坐・露地坐・随坐(または中後不飲漿)・常坐不臥の十二項目(顕戒論)、

とされる(精選版日本国語大辞典)が、

十二または十三の実践項目、

とし、

糞掃衣(ふんぞうえ 捨てられた布片を綴りあわせて作られた衣を着用する)、
但三衣(たんざんえ 三衣一鉢(さんえいっぱつ)、大衣・上衣・中着衣の三衣のみを着用する)、
持毳衣(じぜいえ 毛織物で作った衣のみを保持する)、
常乞食(じょうこつじき 托鉢乞食のみによって食物を得る)、
次第(しだい)乞食(行乞時には貧富好悪を選別せず、順次に行乞する)、
一食法(一日一食のみ食する)、
節量食(食を少なく、過食をしない)、
時後不食(食事の後で再び食事・飲み物を摂ってはいけない)、
阿蘭若住(あらんにゃじゅう 人里離れたところを住所とする)、
樹下坐(じゅげざ 樹の下を住所とする)、
露地坐(ろじざ 常に屋外を住所とする)、
塚間住(ちょうけんじゅう 塚墓つまり墓所の中やその近くを住所とする)、
随得敷具(ずいとくしきぐ 与えられたいかなる臥坐具(がざぐ)・住所も厭わず享受する)、
常坐不臥(じょうざふが 常に坐して横臥しない)、

などを挙げているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A0%AD%E9%99%80。「頭陀支(ずだし)」は、

パーリ(上座部仏教)系では13支、
大乗系では12支、

を立てるとあり(日本大百科全書)、諸部派・大乗の文献で項目や配列に若干の相違があるようである(仝上)。

因みに、頭陀の修行者が常に携行する持ち物を、

頭陀十八物(ずだのじゅうはちもつ)、

といい、持ち物を入れるために首に掛ける袋を、

頭陀袋(ずだぶくろ)、

という(仝上)。これが転じて、死装束の一つとして、

首にかけて、死出の旅路の用具を入れる袋、

つまり、

僧侶の姿になぞらえて浄衣(経帷子きょうかたびら)を着せた遺体に、六文銭などを入れて首に掛ける。三衣袋(さんねぶくろ)と称して、血脈を入れることがある、

を頭陀袋と呼ぶ(仝上・広辞苑)。

頭陀行(ずだぎょう)、

は、

乞食行(こつじきぎょう)、
行乞(ぎょうこつ)、

ともいうが、

托鉢(たくはつ、サンスクリットpindapata)

である。

信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行、

となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2

「陀」(漢音タ、呉音ダ)は、

会意兼形声。「阜+音符它(タ 長くのびる)」、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(阝+它)。「段のついた土の山」の象形と「蛇(へび)」の象形(「蛇」の意味)から「蛇のように曲がりくねった険しい崖」を意味する「陀」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2777.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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持戒


法華経持(たも)てばおのづから、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、経には是名持戒、行頭陀者(づださ)と説いたれば、佛(ほとけ)の道には障(さわり)あらじ(梁塵秘抄)、

の、

持戒、

は、

持律、

ともいい、

仏教の戒律を堅く守ること、

である(精選版日本国語大辞典)。

智慧によって欲望を制御して、悪を行わないように自覚的に実践すること、

である(ブリタニカ国際大百科事典)。「四衆」で触れたように、世俗人が実践すべき戒としては、

不殺生、
不邪淫、
不偸盗、
不妄語、
不飲酒、

の、

五戒、

があるが、出家者(比丘、比丘尼)は、『四分律』で、

男性の修行者は250戒、女性は348戒、

あるとされる(精選版日本国語大辞典)。ただ、「戒」は、

サンスクリット語のシーラśīla、

の訳語で、

自ら心に誓って順守する、

徳目であるとされる(日本大百科全書)が、「シーラ」は、

習慣性、

を意味し、

自分にとって良い習慣を身につける、

というのが持戒の意味https://www.nichiren.or.jp/glossary/id57/とある。これによって悟りの彼岸に至ることを、

持戒波羅蜜、

という(百科事典マイペディア)とある。

六波羅蜜、

のひとつである。「六波羅蜜」については、「禅定」で触れたが、

波羅蜜(はらみつ)、

は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、

大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。

持戒の対語が、

破戒、

である。なお、

戒香(かいこう)、

は、

持戒の人の徳が四方に影響することを、香の遠く匂うのにたとえた語、

である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「戒」(漢音カイ、呉音ケ)は、

会意文字。「戈(ほこ)+両手」で、武器を手に持ち、用心して備えることを示す。張りつめて用心する意を含む、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意文字です(廾+戈)。「左右の手」の象形と「矛(ほこ)」の象形から、武器を両手にして「いましめる」を意味する「戒」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1287.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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作禮而去(さらいにこ)


法華経八巻(やまき)は一部なり、拡げて見たればあな尊(たうと)、文字毎に、序品第一より受學無學作禮而去(さらいにこ)に至るまで、讀む人聞くもの皆佛(梁塵秘抄)、

の、

作禮而去(さらいにこ)、

は、

法華経普賢菩薩勧発品第二十八、阿弥陀経等の経典の末尾にある句、

で、

礼(らい)を作(な)して去りにき、

と、

仏の説教が終わって聴衆が会場を退出するとき、教えに感謝し、仏に一斉に礼をして立ち去ること、

を意味する(広辞苑・https://www.kanjipedia.jp/kotoba/0002564500他)。仏教の経典は、

如是我聞も(是くの如ごとくく我聞きけり)、

に始まり、

作礼而去、

の語で終わるのが通例という。

法華経序品第一は、

如是我聞。一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中、

と始まり(耆闍崛山(ぎしゃくせん)は霊鷲山(りょうじゅせん)のこと)、

法華経第二十八、普賢品の最後は、

佛説是經時
普賢等諸菩薩
舍利弗等諸聲聞
及諸天龍人非人等
一切大會皆大歡喜
受持佛語作禮而去、

でおわるhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/8/28.htm

受學無學、

は、

法華経第九の、

授学無学人記品、

を指しているhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/4/09.htm

法華経五の巻」で触れたように、法華経は、サンスクリット原典を、

サッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtra、

といい、

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)の略称、

だが、原題は、

「サッ」(sad)は「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)は「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)は「たて糸:経」の意、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

白蓮華のごとき正しい教え、

の意となる(世界大百科事典)。

この漢訳は、

竺法護(じくほうご)訳『正(しょう)法華経』10巻(286)、
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』7巻(406)、
闍那崛多(じゃなくった)他訳『添品(てんぼん)妙法蓮華経』7巻(601)、

三種が存在する。『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』が最も有名で、通常は同訳をさす。詩や譬喩・象徴を主とした文学的な表現で、一乗の立場を明らかにし、永遠の仏を説く(日本大百科全書)とある。

ただ、現行の『妙法蓮華経』は「提婆達多品(だいばだったぼん)」を加えているが、羅什訳原本にも他書にもなく、それを除くと、すべてのテキストが27章からなる(仝上)とある。

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妙見大悲者


妙見(めうけん)大悲者は、北の北にぞおはします。衆生願(ねがひ)を満(み)てむとて、空には星とぞ見えたまふ(梁塵秘抄)、

の、

大悲者(だいひしゃ・だいひさ)、

は、

大慈悲者の意で、諸仏菩薩、特に観世音菩薩の称、

とあり(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

妙見大悲者、

は、

妙見菩薩(みょうけんぼさつ・めうけんぼさつ)、

である。

妙見菩薩、

の、

妙見、

は、

Su-dṛṣṭiの訳、

で、

優れた視力、

の意で、

善悪や真理をよく見通す者、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9

北極星または北斗七星を神格化した菩薩、

で、

尊星(そんしょう)王、
妙見尊星王、
北辰(ほくしん)菩薩、
北斗妙見菩薩、

ともいう(https://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/bosatsu/myoken.html・日本大百科全書)。インドで発祥した菩薩信仰が、中国で、

道教の北極星・北斗七星信仰と習合、

し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9とされ、

国土を守り、災難を除去し、敵を退け、または人の寿命を延ばす福徳ある尊像、

とされる(日本大百科全書)。古来、

人間の一生は天文と関係していると考えられ、北半球では北斗七星がその中心とみなされていた。これは、北斗七星が人の善悪の行為をみて、これによって禍福を分け、死生を決めるものという、道教の思想から出たものと混交したものらしい、

とある(仝上)。

「菩薩」は、「薩埵」で触れたが、本来、

ボーディ・サットヴァ(梵語 bodhisattva)、

の音写で、

菩提を求める衆生、

の意で、

十界(じっかい 迷いと悟りの両界を分けたもの。迷界での地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界と、悟界における声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の称。あわせて六凡四聖(ろくぼんししょう)とも)、

では上位である、

四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)、

の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は、

大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部、

に分類され(仝上)、

妙見菩薩は名前こそ「菩薩」ですが、事相(じそう・実践上の儀式)においては天部として扱われ、その点では特殊なほとけといえます、

とあるhttps://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/bosatsu/myoken.html

「天部」というのは、仏教の尊像の4区分、

如来、菩薩、明王、天、

の第4番目にあたり、

諸天部、

ともいい、

インド古来の神が天と訳されて仏教に取入れられ、護法神となったもの、

で、

貴顕天部と武人天部、

があり、前者は、

梵天王、帝釈天、吉祥天、弁財天、伎芸天、鬼子母神(訶梨帝母)、大黒天、

後者は、

毘沙門天(多聞天)などの四天王や仁王、韋駄天、深沙大将、八部衆、十二神将、二十八部衆、

等々である(精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)。

妙見は、仏教では、

七仏八菩薩諸説陀羅尼神呪経(妙見神呪経 晋代失訳)、

に組み込まれhttps://www.ensenji.or.jp/contents/category/believe/

我北辰菩薩名曰妙見。今欲說神呪擁護諸國土。所作甚奇特故名曰妙見。處於閻浮提。眾星中最勝。神仙中之仙。菩薩之大將。光目諸菩薩。曠濟諸群生(我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見と曰ふ。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す。所作甚だ奇特なり、故に名づけて妙見と曰ふ。閻浮提に処し、衆星中の最勝、神仙中の仙、菩薩の大将、諸菩薩の光目たり。広く諸群生を済ふ)

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9

妙見菩薩は、北極星を神格化したものなので、

よく物を見、善悪を記録するとされる、

ため「妙見」の名があるとされ、

眼病治療、

を祈願するほか、常に北の空にあり、航海における道標ともなった北極星の化身ということもあり、

航海の安全、

を祈願したり、

国土を擁護して災いを除き、敵を退け、人の福寿を増す菩薩とされるhttps://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/bosatsu/myoken.html。妙見菩薩を本尊とする、

尊星王法という修法、

は天台宗寺門派において最大の秘法とされる(仝上)とある。

その姿は変化に富み、

二臂や四臂で龍や亀に乗るもの、
手のひらの上や蓮(はす)の上に北斗七星を置くもの、

の他、

俗形束帯像、
童子・童女形像、

もある(仝上)が、

一面四臂で二手に日と月とを捧(ささ)げ、二手に筆と紀籍(鬼籍)を持ち、青竜の上に乗る、

のが代表とされる(日本大百科全書)とある。

「妙」(漢音ビョウ、呉音ミョウ)は、

会意文字。少は「小+ノ(けずる)」の会意文字で、小さく削ることをあらわす。妙は「女+少」で、女性の小柄で細く、なんとなく美しい姿を示す。細く小さい意を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。女と、少(セウ→ベウ わかい)とから成り、年若い女、ひいて、美しい意を表す。また、杪(ベウ)・眇(ベウ)に通じて、かすかの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(女+少)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「小さい点」の象形(「まれ・わずか」の意味)から、奥床しい女性(深みと品位がある女性)を意味し、そこから、「美しい」、「不思議ではかりしれない」を意味する「妙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1122.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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降魔の相


不動明王恐ろしや、怒(いか)れる姿に劔(けん)を持ち、索(さく)を下げ、後に火焔燃え上(のぼ)るとかやな、前には悪魔寄せじとて、降魔(がま)の相(さう)(梁塵秘抄)、

の、

降魔(がま)の相(そう)、

は、

がうまの相、

の、

がうまの転、

で、

ごうまの相、

とも訓み、

第六天の魔王、成道を妨げし時も、尺尊、一指をあげて、魔を降し、龍女成仏せし時も、陁羅尼(陀羅尼 だらに)をえつつ、甚深の秘蔵を悟りて、後、正覚を成りき(鎌倉時代の歌論「野守鏡」)、

と(「第六天の魔王」は、「天魔波旬」、「陀羅尼」は「加持」で触れた)、

釈迦が悟りを開こうとした時、欲界の第六天が悪魔の姿になって行なった妨害を降伏させた、そのときの姿をいう、

とあり(デジタル大辞泉)、

釈迦八相、

のひとつである(広辞苑)。そこから転じて、広く、

悪魔を降伏する相、

の意でも使い、例えば、

不動明王が悪魔を降伏させる時のような忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)、

にもいう(仝上)。

降魔、

とは、

悪魔(煩悩の義)を降伏すること、

とあり(大言海)、

悪魔は身心を擾乱し、善法を障礙し、勝事を破壊し、智慧の命を奪うもの、之れを類別しては、三魔、四魔、十魔等の説あるも、要するに、心内の煩悩、心外の天魔、相応じて、修行者を逼迫するものなり、故に、仏道修行者は、必ずや禅定に住し、智慧力を以て之を対治、降伏して、亦、逼ることなからしめざるべからず、佛菩薩は衆生化益の為に、亦、定慧(禅定と智慧)の力を以て、之を降伏す、不動明王所持の劔の如きは、降魔の劔と称せらる、此れ降魔の相を標したるものなり、而して、釈迦仏、成道に當りての悪魔降伏の状は、最も壮烈を極め、八相成道の一相に數へたり、

とある(仝上)ように、

釈迦八相、

は、

釈尊の生涯における八つの主要な出来事のこと、

をいい、

八相成道(じょうどう)、
八相示現、
八相作仏(さぶつ)、

ともいうが、一般に、

降兜率(ごうとそつ 兜率天から下ったこと)、
託胎(母胎に入ったこと)、
降誕(母胎から出生したこと)、
出家、
降魔(ごうま 菩提樹下で悪魔を降伏させたこと)、
成道(じょうどう 悟りを得たこと)、
転法輪(てんぽうりん 説法・教化したこと)、
入滅(にゅうめつ 涅槃に入ったこと)、

の称とされる(精選版日本国語大辞典)が、

@処天宮 釈尊となるべき菩薩が自分の生まれるべき国や家族を観察したこと、
A入胎。托胎ともいい、白象となった菩薩が摩耶夫人の右脇より母胎に宿ったこと、
B現生。誕生のことで、摩耶夫人の右脇から生まれた菩薩が、七歩あゆみ「天上天下唯我独尊」と宣言したこと、
C出家。二九歳でこの世の善を求めて出家し、愛馬カンタカに乗り城を出て、修行生活に入ったこと、
D降魔。覚りを得る前に訪れた悪魔を征服したこと、
E成道。三五歳で正覚を得て、仏陀となったこと、
F初転法輪。サールナートで五比丘に説法をしたこと、
G入滅処。入滅のことで、八〇歳でクシナガラの沙羅双樹のもとで般涅槃したこと、

としたりhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AB%E7%9B%B8%E6%88%90%E9%81%93

@昇兜率、
A退来入胎、
B住胎中、
C出生、
D出家、
E成仏道、
F転法輪、
G般涅槃、

の八相(大乗義章)としたり(この場合、降魔がない)、八相として示される出来事には諸説あり(仝上)、

@昇兜率天、
A来下入胎、
B住胎、
C出生、
D童子相、
E娉妻相、
F出家相、
G成仏道相、
H転法輪相、
I般涅槃相、

の十相とするもの(無量寿経義疏)もある(仝上)。ただ、

八相成道、

といった場合、

特に成道を重視したものといえよう。仏はこれらを示すことで衆生を教化すると考えられている、

ということになる(仝上)。

成道(じょうどう)、

とは、

道すなわち悟りを完成する、

意で、

悟りを開いて仏と成る、

ことであるから、

成仏、

と同じ意味であり、

得仏(とくぶつ)、
成正覚(じょうしょうがく)、

ともいう(日本大百科全書)。釈尊(しゃくそん)は、

35歳のときにブッダガヤの菩提樹(ぼだいじゅ)の下で覚(さと)り(無上正等覚、無上菩提)を開いてブッダ(覚者)となった、

と伝えられ、これを中国・日本では一般に成道とよぶ(仝上)とある。

なお、

釈尊の生涯から八場面を取り上げて図像化したもの、

を、

釈迦八相図、

と呼び、そこでは、主として、

誕生、成道、初転法輪、涅槃、の四相は必ず組み合わされ、それに前後の事跡を付加して増幅する、

とあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%85%AB%E7%9B%B8%E5%9B%B3

また、

四魔(しま)、

とは、

人心を迷わせ死に至らせる四つのもの、

で、五蘊(ごうん)を、

五蘊魔(五陰魔また陰魔)、

煩悩を、

煩悩魔(ぼんのうま)、

死そのものを、

死魔、

死を克服しようとするものを妨げるものを、

天魔(他化自在天子魔)、

と呼んだもの(精選版日本国語大辞典・大言海)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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佉羅陀山(からだせん)


我が身は罪業重くして、終(つい)には泥犂(奈利 ないり)へ入りなんず、入りぬべし、佉羅陀山(からだせん)なる地蔵こそ、毎日の暁(あかかつき)に、必ず来りて訪(と)ふたまへ(梁塵秘抄)、

の、

佉羅陀山(からだせん)、

は、

Kharādiya、

の訳語で、

佉羅多山、

とも当て、

きゃらだせん、

とも訓ます(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

七金山、

の一つ。須彌山に近い山で、地蔵菩薩の住む所といわれる(仝上)。

七金山(しちこんせん・しちこんぜん)、

は、須彌山(しゅみせん)を中心として、そのまわりをめぐっているといわれる、

七つの黄金でできた山、

を言い、

持双(じそう)山・持軸(じじく)山・檐木(えんぼく)山・善見(ぜんけん)山・馬耳(ばじ)山・象耳山(ぞうじ)・尼民達羅山(にみんだつら)、

を指す(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1)。別に、

持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・障礙山・持地山(精選版日本国語大辞典)、

持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象鼻山・持辺山(デジタル大辞泉・広辞苑)、

ともあるのは、音訳のためかと思われる。

各山の間は、

淡水の香水海、

によって隔てられている(仝上)という。「須弥山」、「鐵圍山」で触れたように、須彌山(しゅみせん)を中心とし、鉄囲山(てっちせん)を外囲とし、の間にある、

持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象耳山・尼民達羅山、

の、

七金山を数えて、

九山、

とし、九山の間にそれぞれ大海があり、海は

七海が内海、

で、八功徳水をたたえ、

第八海が外海、

で、

鹵水(ろすい)海、

これらを、

九山八海(くせんはっかい)、

という(仝上)。この中の四方、東には、

半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう、勝身洲)、

南に、

三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、

西に、

満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、

北に、

方座形の倶盧洲(くるしゅう)、

の四大陸が浮かび、南に位置する贍部洲(せんぶしゅう)は我々が住んでいる世界とされる(仝上)。

三千世界」、「須弥山」、「鐵圍山」については触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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おんばさら


観音勢至の遣水は、阿耨多羅(あのこたら 阿耨多羅)とぞ流れ出(い)づる、流れたる、育王太子(薬王大士とも)の前の池の波は、や、唵嚩羅(おんばさら)とぞ立ち渡る(梁塵秘抄)、

の、

斡嚩囉、

は、

おん ばさら たらま きりく そわか、

の意で、

唵 斡嚩囉 塔囉痲 紇哩 薩婆訶(蘇婆訶)

等々と当てる、

千手観音の真言、

である。

オン(帰命する)
バサラ(vajra 跋闍羅、伐折羅 金剛 金中最剛の意)
タラマ(dharma ダルマ 法)
キリク(hrih 観音 千手観音のこと)、

とありhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12102381997

そわか(そばか svāhā 蘇婆訶・薩婆訶)、

は、

円満・成就、

などと訳し、

幸あれ、
祝福あれ、

といった意を込めて、陀羅尼・呪文(じゅもん)などのあとにつけて唱える語、

で(デジタル大辞泉)、

あなた(千手観音)は、価値の高い法の下に導く者、

と、

千手観音、

をたたえ、

千手観音からの祝福がありますように、
とか、
千手観音からの幸がもたらされますように

という言葉になる(仝上)。

千手の呪い」で触れたように、普通には、

密教における仏菩薩(ぶつぼさつ)などの本誓(ほんぜい)(人々を救済しようとするもとの願い)を表す秘密語、

である、

密呪(みつじゅ)、
呪(しゅ)、
神呪(しんしゅ)、

は、

長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)

と区別し(日本大百科全書)、

頭初には帰依(きえ)を表すオームom((おん))またはナマスnamas(南無)を冠し、末尾には吉祥(きっしよう)を意味するスバーハsvh(蘇婆訶(そわか))の語を用いる、

ことが多いhttps://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000175490とある。

陀羅尼、

は、「加持」で触れたように、

サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、

で、

陀憐尼(だりんに)、
陀隣尼(だりんに)、

とも書き、

保持すること、
保持するもの、

の意で、

総持、
能持(のうじ)、
能遮(のうしゃ)、

と意訳し、

能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、

をいい(仝上)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、

サンスクリット語原文を音読して唱える、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC

其の用、聲音にあり。これ佛、菩薩の説ける呪語にして、萬徳を包蔵す。呪は、如来真言の語なれば真言と云ひ、呪語なれば、誦すべく解すべからず、故に翻訳せず、

とある(大言海)。ダーラニーとは、

記憶して忘れない、

意味なので、本来は、

仏教修行者が覚えるべき教えや作法、

などを指したが、これが転じて、

暗記されるべき呪文、

と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、

一種の記憶術、

であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、

暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、

を目的とし(仝上)、

種々な善法を能く持つから能持、
種々な悪法を能く遮するから能遮、

と称したもので、

術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった

とある(精選版日本国語大辞典)のは、

原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、

真言mantra、

といわれたからである、とされる。

この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、

これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、

とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、

初に那謨(なも)、或は唵(おん)の如き、敬礼を表す語を置き、諸仏の名號を列ね、二三の秘密語を繰返し、末に婆縛訶(そはか)の語を以て結ぶを常とす、又、阿鎫覧唅欠(アバンランガンケン)の五字は、大日如来の真言にて、五字陀羅尼とも云ひ、この五字は阿鼻羅吽欠(アビラウンケン)の如く、地、水、火、風、空、の五大にして、大日如来の自体となす(大言海)、

とか、

仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる(日本大百科全書)、

とかとある。

千手観音、

は、

日摩尼手(にちまにしゅ)」で触れたように、

千手千眼観自在菩薩、

の略称(精選版日本国語大辞典)、

千手、
千手千眼、
千手観世音、
千手千眼観世音菩薩、
千眼千臂観世音、

とも呼び(精選版日本国語大辞典)、観世音菩薩があまねく一切衆生を救うため、身に千の手と千の目を得たいと誓って得た姿である、

観音菩薩の変化(へんげ)像の一つ、

で、

五重二十七面の顔と一千の慈眼をもち、一千の手を動かして一切衆生(いっさいしゅじょう)を救うという大慈(だいじ)大悲の精神、

を具象している(日本大百科全書)。

「千手観音」の、

千は満数で、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表わしている、

とある(精選版日本国語大辞典)。観音菩薩は大きな威神力をもち世間を救済するという期待が、この千手観音像を成立させたと考えられる(仝上)。千手のうち、四十二臂(ひ)には、

印契器杖(いんげいきじょう)、

を持ち、九五八臂より平掌が出て、

宝剣、宝弓、数珠(じゅず)、

などを持っている。ただ、造像のうえでは千手ではなく、四十二手像に省略されることが多い(仝上)。江戸時代に土佐秀信によって描かれた仏画集『佛像圖彙』(元禄3年(1690))の「千手観音」の註には、

千手、實ニハ、四十臂也、二十五有ニ、各々、四十臂コレアルヲ都合スレバ、千手ナリ、根本印、九頭龍印、又、大慈悲観音、

とある。また、

二十八部衆、

という大眷属を従え、これらは礼拝者を擁護するという(仝上)。

なお、「印契(いんげい)」とは、

Mudrā、

の意訳、

で、

牟陀羅、

と音訳し、

印相、
密印、
印、

等々とも意訳する(精選版日本国語大辞典)。

「印」は標幟(ひょうし)、「契」は契約不改、

の意で、

指を様々の形につくり、また、それを組み合わせて、諸仏の内証を象徴したもの、

で、もとは、

釈尊のある特定の行為の説明的身ぶりから生れたもの、

であったが、密教の発展に伴って定型化した。顕教と密教では印契の意味についてかなり異なった解釈をし、顕教はこれを、

しるし、

の意味としているが、密教では、

諸尊の悟り、誓願、功徳の象徴的な表現、

と解し(ブリタニカ国際大百科事典)、

三密(身密(しんみつ 身体・行動)、口密(くみつ 言葉・発言)、意密(いみつ こころ・考え)との「身・口・意(しんくい)」)、

のうちの「身密」であるとされる。

施無畏印(せむいいん)、
法界定印(ほっかいじょういん)、
施願印(せがんいん)、
智拳印(ちけんいん)、
引声印、

などがある(精選版日本国語大辞典)。印契のうち持物を用いる象徴を、

契印、

手の形による象徴を、

手印、

という(仝上)。

「千手観音」は、六道に対応する、

六観音の一つ、

とされ、

餓鬼道または天道、

に配し、形像は、

立坐の二様、

で、

一面三目または十一面(胎蔵界曼荼羅では二十七面)、四十二の大きな手をそなえ、各手の掌に一眼をつけ、それぞれ持物を執るか、印を結ぶ、

とある。この菩薩の誓いは、

一切のものの願いを満たすことにあるが、特に虫の毒・難産などに秀でており、夫婦和合の願いをも満たす、

という(仝上)。因みに、六観音とは、

六道それぞれの衆生を救済するために、姿を七種に変える観音、

を言い、

衆生を救う六体の観音、

で、密教では、

地獄道に聖(しよう)観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、修羅道に十一面観音、人間道に准胝(じゆんでい)または不空羂索(ふくうけんじやく)観音、天道に如意輪観音、

を配する(広辞苑)。

七観音(しちかんのん)、

という呼び方もする。

なお、様々な種類の真言については、

光明真言 オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン(一心に唱えるとすべての禍(わざわい)を取り除けるとされる)
不動明王 ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン(
魔を払い災厄を砕く力を持ち、悪霊退散・立身出世・除災招福・商売繫盛などの利益がある)
普賢菩薩 オン・サンマヤ・サトバン(女性守護・修行者守護・息災延命の利益がある)
釈迦如来 ノウマク・サンマンダ・ボダナン・バク(魂を成長させ、悟りを開くための利益がある)
文殊菩薩 オン・アラハシャノウ(智慧を表す菩薩であることから、学業成就・合格祈願など学業にまつわる利益がある)
地蔵菩薩 オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ(安産・子授け・子供守護・先祖供養などの利益がある)
弥勒菩薩 オン・マイタレイヤ・ソワカ(衆生済度や極楽往生の利益がある)
阿弥陀如来 オン アミリタ テイセイ カラ ウン(亡くなった人を浄土に導く仏さまで、極楽往生の利益がある)
薬師如来 オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ(特に眼病の治癒に効果があるとされ、健康長寿・安産祈願・災難除去の利益がある)
観音菩薩 オン・アロリキャ・ソワカ(災難除けや運気好転の利益がある)
勢至菩薩 オン・サンザンサク・ソワカ(智慧明瞭・家内安全・除災招福の利益がある)
千手観音 ン・バザラ・タラマ・キリク・(ソワカ)(災難除け・病気平癒・苦難除去・開運など多くの現世利益がある)、
虚空蔵菩薩 ノウボウ・アキャシャキャラバヤ・オン・アリキャ・マリ・ボリ・ソワカ(頭脳明瞭・学業成就・記憶力向上・技巧向上の利益がある)

等々とあるhttps://www.eranda.jp/column/20508

なお、真言密教の「加持」、「求聞持法」については触れた。「千手観音」については「日摩尼手(にちまにしゅ)」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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観音勢至


観音勢至の遣水は、阿耨多羅(あのこたら 阿耨多羅)とぞ流れ出(い)づる、流れたる……(梁塵秘抄)、

の、

観音(かんのん)、

は、

観音菩薩、

勢至(せいし)、

は、

勢至菩薩、

の意かと思う。「菩薩」は、

菩、普也、濟也、善普濟衆生(金剛経・注)、

と、

菩提薩埵の略、

である(大言海)。「薩埵」は、

梵語sattvaの音訳、

で、

薩埵婆(さったば)の下略、

であり(仝上)、

有情(うじょう)、衆生(しゅじょう)、およそ生命あるもののすべての称、

の意とある(広辞苑・ブリタニカ国際大百科)が、さらに、

梵語bodhisattvaの音訳、

で、

菩提薩埵(ぼだいさった)の略、

であり、仏教において、

菩提(bodhi、悟り)を求める衆生(薩埵、sattva)、

の意味とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9、元来は、

仏教の創始者釈尊の成道(じょうどう 悟りを完成する)以前の修行の姿をさしている、

とされる(日本大百科全書)。だから、釈迦の死後百年から数百年の間の仏教の原始教団が分裂した諸派仏教の時代、『ジャータカ』(本生譚 ほんじょうたん)は、釈尊の前世の修行の姿を、

菩薩、

の名で示し、釈尊は他者に対する慈悲(じひ)行(菩薩行)を繰り返し為したために今世で特別に仏陀になりえたことを強調した(仝上)。故に、この時代、

菩薩はつねに単数、

で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊だけを意味した(仝上)。だから、たとえば、「薩埵」も、

釈迦の前身と伝えられる薩埵王子、

を指し、

わが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかける哉、

とある(宇治拾遺物語)「さた」は、

薩埵脱衣、長為虎食(「三教指帰(797頃)」)、

の意で、

釈迦の前生だった薩埵太子が竹林に身の衣装を脱ぎかけて餓虎を救うために身を捨てた、

という故事(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)で、法隆寺玉虫厨子の蜜陀絵にも見える(仝上)。しかし、西暦紀元前後におこった大乗仏教は、『ジャータカ』の慈悲行を行う釈尊(菩薩)を自らのモデルとし、

自らも「仏陀」になること、

を目ざした。で、

菩薩は複数、

となり、大乗仏教の修行者はすべて菩薩といわれるようになり(日本大百科全書)、大乗経典は、

観音、
弥勒、
普賢、
勢至、
文殊、

など多くの菩薩を立て、歴史的にも竜樹や世親らに菩薩を付すに至る(百科事典マイペディア)。で、仏陀を目ざして修行する菩薩が複数であれば、過去においてもすでに多くの仏陀が誕生しているとされ、薬師、阿弥陀、阿閦(あしゅく)などの、

多仏思想、

が生じ、大乗仏教は、

菩薩乗、

もいわれる(仝上)

観音、

は、

観世音(かんぜおん)の略、

で、

「かんおん」の連声、

である(精選版日本国語大辞典)。

観世音、

は、

梵語Avalokiteśvara、

の訳語、

観察することに自在な者、

の意で、「妙法蓮華経」普門品(観音経)などに説かれる菩薩である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

世の衆生がその名を唱える音声を観じて、大慈大悲を垂れ、解脱を得させるという菩薩、

であり、また、

勢至菩薩、

と共に、

阿彌陀如来、

脇侍であり、衆生の求めに応じて種々に姿を変えるとされ、

観音の普門示現(ふもんじげん)、

といい、法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、

衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ、

と(観音経・普門品偈文)、

観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身する、

と説かれておりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9

三十三観音、

といい、西国三十三所の観音霊場はその例になる。その形の異なるに従い、

千手(せんじゅ)、十一面、如意輪(にょいりん)、准胝(じゅんてい)、馬頭(ばとう)、聖(しょう)、

を、

六観音、

不空羂索(ふくうけんさく・ふくうけんじゃく)、

を含めて、

七観音、

というなど様々の異称がある(マイペディア)が、普通には聖観音をさす(精選版日本国語大辞典)とある。で、「観音」には、

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、
救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)、
施無畏者(せむいしゃ 人々の苦しみを救い、無畏を施す)、

等々多数の別名がある。その住所は、摩頼耶山(まらやさん)中の、

補陀洛(ふだらく)山(サンスクリットのポータラカPotalakaの音訳)、

とされ、中国では舟山列島中の、

普陀山普済寺、

日本では、

那智山、

を当てる(仝上・広辞苑)。

勢至菩薩(せいしぼさつ)、

は、サンスクリット語、

マハースターマプラープタMahāsthāmaprāpta、

の、

偉大な勢力を得たもの、

の意で、

大(だい)勢至、
得(とく)大勢、

などと訳し、その略名が、

勢至、

である(日本大百科全書)。

此、云、大勢至、思益云、我投足之處、震動三千大千世界及魔宮殿、故、名大勢至、観経云、以智慧光、普照、一切、令離三塗得無上力、是故、號此菩薩名大勢至(「翻訳名義集(南宋代の梵漢辞典)」)、

と、

智慧(ちえ)の光をもってすべてのものを照らし、もろもろの苦難を離れさせ、無上なる力を得させるので、この名がある、

という(仝上)。観音は、宝冠の中に、

化仏(けぶつ 頭上に阿弥陀像)、

をつけるのに対して、勢至は、

宝瓶(ほうびょう)、

をつける(精選版日本国語大辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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文殊


淡路はあな尊(たうと)、北には播磨の書冩をまもらへて、西には文殊師利、南え南海補陀落(ふだらく)の山(せん)に向ひたり、東(ひんがし)は難波の天王寺に、舎利(さり)まだおはします(梁塵秘抄)、

の、

文殊師利(もんじゅしり)、

は、

サンスクリット語マンジュシュリーMañjuśrī、

の音訳、詳しくは、

文殊師利法王子(青年たるマンジュシュリー)菩薩、

つまり、

文殊菩薩、

の意である。

文殊は誰が迎へ來し、「然(ちょうねん)聖(ひじり)こそ迎へしか、迎へしかや、伴には優塡國(うてんこく)るわうやらう正老人、善財童子の佛陀波利(はり)さて十六羅漢諸天衆(梁塵秘抄)、

の、

文殊、

は、

梵語Majur、

の音訳、

文殊師利の略、

で、

妙徳菩薩、
妙吉祥菩薩、
法王子、

と訳す(精選版日本国語大辞典)。

「然(ちょうねん)、

は、

平安時代中期の東大寺の僧。永観1(983)年東大寺と延暦寺の信書をたずさえて、宋商船に便乗して入宋し、翌年太宗に謁し、紫衣を賜わり、法済大師の号を受けた、

という。五台山その他を巡拝して、寛和2(986)年『釈迦如来像』や大蔵経 5048巻および『十六羅漢画像』をもって帰朝。現在清涼寺に安置されている『釈迦如来像』は、その将来仏で、国宝に指定されている、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。

善財童子、

は、華厳経の説く、

求道の菩薩、

の名。この菩薩の生まれたとき、室内に自然に財宝がわき現われたところから名づけられた(精選版日本国語大辞典)。福城長者の子であったが、発心(ほっしん)して、

愛着に執(とら)われ、疑いで智慧(ちえ)の目が曇り、苦しみ、煩悩(ぼんのう)の海に沈殿している私の目を覚ましてほしい、

と文殊菩薩に願い、文殊の教えを受け、

55か所・53人の善知識(ぜんちしき 各自の道を究め、解脱(げだつ)への道を勧めるのにふさわしい人物)を歴訪して教えを受け、先入観なしに謙虚に教えを受け、最後に弥勒(みろく)、文殊、普賢(ふげん)の三菩薩のところへ行き、真実の智慧を体得した、

とされ(日本大百科全書)、最後の普賢菩薩によって仏となることを約束される(精選版日本国語大辞典)。

観音菩薩などの脇士

としてまつられることが多い(仝上)とある。

仏陀波利、

は、

仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)、

の謂いで、

釈迦の弟子の一人、

で、

尊勝陀羅尼の梵本を中国にはじめて将来した僧、

であり、自らも『仏頂尊勝陀羅尼経』を翻訳している(佐々木大樹「仏頂尊勝陀羅尼の研究―特に仏陀波利の取経伝説を中心として」)とある。

優塡國、

の、

優填(うでん)、
もしくは、
于闐(うでん)、
また、
優陀延(うだえん)、

と音写する、

ウダヤナ(Skt:udayana、訳:出愛・日子など)、

のことで、インドのコーサンビー(憍賞弥国)の王、

であり、

釈迦在世中の仏教を保護した王、

として知られるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%83%8A。以上の、

優填王、
仏陀波利三蔵、
善財童子、
大聖老人(あるいは最勝老人(さいしょうろうじん)=婆藪)、

の四尊は、

文殊五尊図、

として、中国・日本などでよく描かれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AE%8A%E8%8F%A9%E8%96%A9とある。

さて、「文殊菩薩」は、

諸仏の智慧(般若)をつかさどる菩薩、

で、

釈迦如来の脇侍、

として左に侍し、普賢菩薩とともに三尊を形成する。普通、

右手に知剣を持ち、左手に青蓮華を持つ、

が、経軌(密教の経典と儀軌)によっては種々の持物あるいは像形が説かれ、時に、

智慧の威徳を示す獅子に乗る、

とあり(広辞苑)、眷属として、

八大童子

を従える場合もある(ブリタニカ国際大百科事典)。密教の胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)では、

中台八葉院、金剛界(こんごうかい)曼荼羅の賢劫(けんごう)十六尊、

のなかにそれぞれ位置づけられ、中台八葉院では、

五髻を戴き、左手に五鈷杵の立った蓮華、右手に梵篋を持った姿、

に表わされている(仝上)。

なお、『華厳経』に東方清涼山に住むとあるところから、中国では五台山が文殊の浄土とみなされ(日本大百科全書)、日本では葛城山(かつらぎさん)が聖地とされる(日本人名大辞典+Plus)

初期の大乗仏教経典において、

堅固な精神統一(首楞厳三昧 しゅりょうごんざんまい)の体現者、
仏に説法を請願し対話の相手役を務める菩薩の代表者、

などとして現れ、とくに般若(はんにゃ)経典との関係が深く、

仏滅後に実在した菩薩、

または、

無限の過去にすでに悟りを得た仏の現れ、菩薩の父母、

とされ、初期般若経典の形成に直接関与した実在の人物を背景として理想化された菩薩であると推定されている(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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深沙(しんじゃ大王)


釈迦の御法(みのり)は天竺に、玄奘三蔵ひろむとも、深沙(しんじゃ)大王渡さずば、此の世に佛法なからまし(梁塵秘抄)、

深沙大王、

は、

深沙大将(じんじゃだいしょう)、
深沙神、
奉教鬼、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E6%B2%99%E5%A4%A7%E5%B0%86

玄奘が天竺(てんじく)に赴いたとき、流沙で出あってから名づけられた、

という(精選版日本国語大辞典)、

砂漠で出現して励ましたと伝える護法神(沙悟浄)、

である(デジタル大辞泉)。

砂漠での危難を救うのを本誓とする善神で、疾病を癒し魔事を遠ざける、

といい(仝上)、

観音菩薩の化身、
または、
多聞天の化身、

といい、また法華経行者に仕える、

曠野鬼神、
とも、
央掘摩羅、

とも種々に説かれている(仝上・精選版日本国語大辞典)、

大般若経を守護する十六善神の一つ、

であり、形像は、

腰衣だけ着る力士形の裸形像、

で、

腹部に小児の顔を出現させ、首に髑髏(どくろ)の瓔珞(ようらく)をかける二臂(にひ)の立像、

である。左手に青蛇をつかむ像もある。

大般若経の守護神、

として、大般若十六善神図の中に玄奘三蔵像とともに描かれる場合が多い顕教系の尊像である。単独に造像されることは少ないが、東大寺と横蔵寺(岐阜)の彫像が知られる(世界大百科事典)とある。

深沙大将の形姿については、

髪を逆立て、眼を見開き、顔の半分もあろうかと思われる大きな口を開け、物凄い形相で、普通では考えも付かないような姿、

をしており、その膝頭から象の顔が出ているhttps://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/ten/jinjya.htmlとある。これは、

象皮(ぞうひ)の面、

といい、象の顔が付いた皮の半ズボン(膝当とも)らしい(仝上)とある。また、

ドクロを胸飾り、

としているのも特徴で、ドクロを飾りとするのは、

大威徳明王・伊舎那天・降三世明王・軍荼利(ぐんだり)明王、

などと同じで、いずれも仏教化される以前の姿を色濃く残しているものと考えることができる(仝上)とある。このドクロの飾りは、

七つのドクロを胸飾り、

としており、玄奘三蔵が七度生まれ代わった、それぞれの頭蓋骨であると伝わる(仝上)とある。

なお、

十六善神(じゅうろくぜんしん)、

とは、

十六尊の大般若経を守るとされる護法善神、

のことでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%96%84%E7%A5%9E

般若十六善神、
十六大薬叉将、
十六夜叉神、
十六神王、

とも呼ばれ、一説によれば十六善神は、

金剛界曼荼羅外金剛部院にある、護法薬叉の十六大護と同一、

とも、

四天王と十二神将とを合わせたもの、

ともいわれる(仝上)とある。

ちなみに、

四天王(してんのう 梵語Caturmahārāja)、

は、「四天王」で触れたが、

六欲天の第1天、
四大王衆天(しだいおうしゅてん、四王天)の主、
大王(しだいおう)、

もいい、

東方の持国天(じこくてん)、
南方の増長天(ぞうちょうてん)、
西方の広目天(こうもくてん)、
北方の多聞天(たもんてん)、

の四神、それぞれ須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護し、須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天に仕え、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で共に仏法を守護するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8Bとある。

また、

十二神将(じゅうにしんしょう)、

は、

十二薬叉大将(じゅうにやくしゃだいしょう)、
十二神王、

ともいい、

薬師如来の名号を聞いて仏教に帰依し、薬師経を受持する者や読誦する者を守護し、願いを遂げさせるという一二の大将、

で、

薬師如来(やくしにょらい)の12の眷属(けんぞく または分身)で、8万4000あるうちの上首に位置する、

とされ(日本大百科全書)、その出現のようすは、

薬師如来の12の大願に順応して現れる、

といい、

宮毘羅(くびら)、
伐折羅(ばさら)、
迷企羅(めいきら)、
安底羅(あんちら)、
摩儞羅(まにら)、
珊底羅(さんちら)、
因陀羅(いんだら)、
婆夷羅(ばいら)、
摩虎羅(まこら)、
真達羅(しんだら)、
招杜羅(しょうとら)、
毘羯羅(びから)

の大将で、いずれも憤怒形で、名称は『薬師経』に、身色や持ち物は『七仏本願経儀軌供養法(しちぶつほんがんきょうぎきくようほう)』に基づく(仝上)という。梵語では、例えば、

伐折羅、

は、

ヴァジュローマハーヤクシャセーナパティ、

であり、

ヴァジュラ(という神格の)偉大なヤクシャの軍の主、すなわち大夜叉将軍=神将、

と意訳される。元々は、

夜叉であったが、仏と仏法の真理に降伏し善神となって仏と信者を守護する、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A5%9E%E5%B0%86・精選版日本国語大辞典)。

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補陀落


本體観世音、常在補陀落(ふだらく)の山(せん)、為度(ゐど)や衆生、生々示現大明神(梁塵秘抄)、

の、

補陀落、

は、

普陀落、

とも当てる、

梵語ポータラカPotalaka、

の音写、

光明山、
海島山、
小花樹山、

と訳す(広辞苑)とある、

インドの南海岸にある、八角形で、観音の住所といわれる山、

で、興福寺の、

南円堂、

の円形はこれを模しているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BDとされる。

補陀落伽山、此云海嶋也(陀羅尼集経)、

と、

海島、

ともされ、また、玄奘は、

秣剌耶山東、有布呾落迦山、山径危険、巌谷敧傾(大唐西域記)、

と、

南インドのマラヤ(秣剌耶)山の東にある、

としているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD

於此南方有山、名補怛洛迦、彼有菩薩、名観自在(新華厳経・八法界品)、

と、

観音の浄土、

として崇拝された(日本国語大辞典)。「観音」については「観音勢至」で触れた。

 
白衣観音図.jpg

 

補陀落山(ふだらくせん)、
補陀落浄土、

ともいう(広辞苑)。「観音勢至」で触れたように、その住所は、中国では舟山列島中の、

普陀山普済寺、

日本では、

那智山、

を当てる(仝上・広辞苑)が、中国・日本で、多く観音の霊場にこの名を用い、日本では、

熊野、
日光、

が補陀落になぞらえられhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD、中世には、観音信仰に基づき、熊野灘や足摺岬などから小船に乗って補陀落を目指す、

補陀落渡海、

が盛んに行われた(仝上)。

補陀落渡海、

は、阿弥陀(あみだ)信仰が極楽浄土を願うように、

観音信仰、

で、観音菩薩のいる補陀落山に往生することを願い、

小舟に乗って熊野那智山や四国足摺岬、室戸岬などから出帆すること、

をいうが、

信仰のためとはいいながら、実在かどうか定かでない補陀落に向かって決死の船出をするふしぎな宗教現象なので、古来なぞとされている、

とある(世界大百科事典)が、古来からの、

死後魂は海上のかなたにある先祖の住む常世国(とこよのくに)に帰る、

日本人の神観念が根底に流れていて、それが観音信仰と結び付いた(日本大百科全書)とする見方もある。

『熊野年代記』は868年(貞観10)の、

慶竜上人の渡海、

919年(延喜19)の、

補陀落(山)寺祐真上人と道行(同行)13人の渡海、

1131年(天承1)の同寺高厳上人の渡海、

等々、平安時代の渡海者3人、室町時代の渡海者10人、江戸時代の渡海者6人とその同行をあげている(世界大百科事典)。『吾妻鏡(あづまかがみ)』1233年(天福1)に、御家人の下河辺行秀(しもかわべゆきひで)が紀州那智の海岸から補陀落渡海したという報告があり、

船に屋形をつくり、外から釘を打ち、30日分の食糧などを積んで単身出発した、

という(仝上)。

9世紀から15世紀までは、

50年に1件、

の割合だったが、16世紀前半に、

4件、

後半に、

11件、

17世紀前半にかけて、

15件、

と流行のピークに達しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E6%B8%A1%E6%B5%B7、17世紀後半の江戸時代中頃になると、ほぼ発生しなくなる(仝上)とある。

 
普済寺.jpg

 

なお、冒頭の、

ゐど、

と訓ませている、

為度、

は、親鸞の、

広由本願力回向(こうゆほんがんりきえこう)
為度群生彰一心(いどぐんじょうしょういっしん)

にある(正信偈)、

為度、

と同じで、

広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために、一心を彰す、

の、

度する、

であると思われる。「度する」というのは、

「渡らせる」ということで、苦悩に満ちた状態から、苦悩が解消した状態へ導くことです。迷いの此岸から、覚りの彼岸へ渡らせることです、

とあるhttps://jodo-shinshu.info/category/shoshinge/shoshinge45.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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七寶蓮華


内(宇治)に神おはす、中をば菩薩御前たちはな(橘)こしま(小嶋)のあたぬし(縣主)、七寶蓮華はをしつるぎ(梁塵秘抄)、

の、

七寶、

は、

爾時佛前有七寶塔、高五百由旬、縱廣二百五十由旬、從地湧出、住在空中、種種寶物而莊校之。五千欄楯、龕室千萬、無數幢幡以為嚴飾、垂寶瓔珞寶鈴萬億而懸其上。四面皆出多摩羅跋栴檀之香、充遍世界。其諸幡蓋、以金、銀、琉璃、硨磲、瑪瑙、真珠、玫瑰、七寶合成、高至四天王宮、

と、「妙法蓮華經」(法華経)見寶塔品に説かれている宝塔を飾る、

金(こん)、銀(ごん)、瑠璃(るり)、碼碯(めのう)、硨磲(しゃこ)、真珠(しんじゅ)、玫瑰(まいえ)、

などの七種の宝石類をいい(http://monnbutuji.la.coocan.jp/yougo/4/470a.html・大言海)、無量寿経では、

金・銀・瑠璃・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚・瑪瑙(めのう)、

をいい(日本国語大辞典)、仏説阿弥陀経は、

金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻瓈(はり)・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)、

をいいhttps://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rwn.html

瑠璃は青色の玉(ぎょく)、玻瓈は水晶、硨磲は白い珊瑚または美しい貝殻、赤珠は赤い真珠で、碼碯は今の碼碯ではなくエメラルド、

とある(仝上)。「硨磲(しゃこ)」は、

車渠、

とも当て、

シャコガイの貝殻、

で、

インド洋・西太平洋までのサンゴ礁にすみ、外套(がいとう)膜にゾーキサンテラという藻類が共生してあざやかな黒、青、緑等の色になる、

とあり(マイペディア)、

七珍(しっちん)、

ともいう(広辞苑)が、転輪聖王が所持するという、

輪・象・馬・珠・女・居士・主兵臣、

の七宝をもいう(仝上・日本国語大辞典)。

転輪聖王(てんりんじょうおう、転輪王とも)、

は、

古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B

「法華経」提婆達多品には、法華経に信順するものは、その結果として、

どの仏国土に生をうけようとも、彼は如来の面前で、自然に生じた七宝づくりの蓮華のなかに生まれるであろう、

とある(塚本啓祥「蓮華生と蓮華座」https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/28/1/28_1_1/_pdf/-char/ja)とか。

蓮華(れんげ)、

は、

仏教の伝来とともに中国からやってきた言葉で、「法華経五の巻」で触れたように、

法華経は、サンスクリット原典は、

サッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtra、

といい、

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)の略称、

だが、原題は、

「サッ」(sad)は「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)は「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)は「たて糸:経」の意、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

白蓮華のごとき正しい教え、

の意となる(世界大百科事典)ように、古来より、

仏の悟りをあらわす仏教のシンボル、

として親しまれてきたもののようである。インド人にとって、「蓮華」は、

涼しさの象徴、

であると同時に、

清浄さの象徴、

とされ、釈迦は、

ハスの生き方に、人としての生き方を学びなさい、

というのは、

沼地にしっかり根を張り、泥の中から養分を吸収し、立派に花を咲かせます。の花も泥に染まる事なく、本来自分の持っている色「白や青、薄ピンクなど」を咲かせます。それは、まさに人としての姿勢を示しています、

という象徴的なものとみなされているhttps://www.nichiren.or.jp/glossary/id28/ようである。

なお、日蓮の『御義口伝』には、七宝とは、

聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慙(ざん)なり。……今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり、

とあるhttp://monnbutuji.la.coocan.jp/yougo/4/470a.htmlとするのは、「七宝」をメタファにして説いているものと思われる。

浄土に開花した蓮台の上に忽然と往生すること、

を意味する、

蓮華化生(れんげけしょう)、

という言葉がある。

無量寿仏の智慧を信じて善行の功徳を浄土往生のために振り向ける者は、蓮台に化生し不退転の位に立ち浄土の菩薩と同等となる、

これに対し、

無量寿仏に疑いを持ち仏の智慧を信じないながらも、浄土に往生することを願い善行を積む者は浄土の辺地にある宮殿に生まれる。これを辺地往生または胎生という、

とあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%93%AE%E8%8F%AF%E5%8C%96%E7%94%9F

胎生、

とは、蓮華の中に往生するが華が開かず500年間三宝を見聞きすることができない闇を経なければならないことを表現した語である、

とある(仝上)。「化生」は、

無而忽現、名化生(瑜加論)、

と、仏語の、

四生の一つ、

で、

湿生化生(ケシャウ)はいさ知らず体を受けて生るる者、人間も畜生も出世のかどは只一つ(浄瑠璃「釈迦如来誕生会(1714)」)、

と、

母胎や卵殻によらないで、忽然として生まれること、

をいい、

天界や地獄などの衆生の類、

を指す(精選版日本国語大辞典)。

「四生」(ししょう)は、「六道四生」で触れたように、生物をその生まれ方から、

胎生(たいしょう 梵: jarāyu-ja)母胎から生まれる人や獣など、
卵生(らんしょう 梵: aṇḍa-ja)卵から生まれる鳥類など、
湿生(しっしょう 梵: saṃsveda-ja)湿気から生まれる虫類など、
化生(けしょう upapādu-ka)他によって生まれるのでなく、みずからの業力によって忽然と生ずる、天・地獄・中有などの衆生、

の四種に分けた(岩波仏教語辞典)。その意味から、「化生」は、

後時命終。悉生東方。宝威徳上王仏国。大蓮華中。結跏趺坐。忽然化生(「往生要集(984〜85)」)、

と、

極楽浄土に往生する人の生まれ方の一つ、

として、

弥陀の浄土に直ちに往生すること、

の意、さらに、

其の柴の枝の皮の上に、忽然に彌勒菩薩の像を化生す(「異記(810〜24)」)、

化身、
化人、

の意で、

仏・菩薩が衆生を救済するため、人の姿をかりて現れること、

の意として使うが、ついには、

まうふさが打ったる太刀もけしゃうのかねゐにて有間(幸若「つるき讚談(室町末‐近世初)」)、

と、

ばけること、

の意となり、

化生のもの、
へんげ、
妖怪、

の意で使われるに至る(精選版日本国語大辞典・広辞苑・大辞林)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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大梵天王



大梵天王は、中の間にこそおはしませ、少将波利女の御前は、西の間にこそおはしませ(梁塵秘抄)、

大梵天王(だいぼんてんおう)、

は、

大梵皇帝、
大梵王、

ともいい、

大梵天の王、

で、

Mahã-brahman(マハーブラフマン)、

を、

淫欲を離れているため梵(ぼん)といわれ、清浄・淨行、

と訳すhttps://pseudo.ddo.jp/share/nexus/daibon.htmlとあり、

色界四禅天の中の初禅天の王、

名を、

尸棄(しき)、

といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護する、

仏法守護の神で娑婆世界の主、

とされる。バラモン教では万物の根源法である梵の神格化されたものとされ、宇宙の造物主として崇拝された(仝上)。

色界初禅天の主にして、又三界の主也、色界大梵天中の高楼閣中に住す、淫欲を離れ清浄なる王なり、故に又清浄天ともいう。其像は女身にして蠶衣を着け、手に柄香爐を執る、

とありhttps://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E5%A4%A7%E6%A2%B5%E5%A4%A9%E7%8E%8B

色界初禅天に三天あり、第一重を梵衆天第二重を梵輔天、第二重を大梵天といふ。大梵天は即ち初禅天の第一位の主君で梵輔天はその輔佐の臣梵衆天はその臣庶である、梵は清浄の義で此初禅天以上にあつては、淫欲更に起らぬので、清浄世界を梵天と名づける。この大梵天の宮城に住する大梵王は高麗の宝台に坐し、珠飾微妙の棲閣に居る、

とある(仏教辞林)。「三界(さんがい)」で触れたように、仏教の世界観で、

生きとし生けるものが生死流転する、苦しみ多き迷いの生存領域、

を、

欲界(kāma‐dhātu)、
色界(rūpa‐dhātu)、
無色界(ārūpa‐dhātu)、

の3種に分類(色とは物質のことである。界と訳されるサンスクリットdhātu‐はもともと層(stratum)を意味する)し、「欲界」は、

もっとも下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の三つの欲を有する生きものの住む領域、

で、ここには、

地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人・天、

の六種の、

生存領域(六趣(ろくしゅ)、六道(ろくどう))、

があり、欲界の神々(天)を、

六欲天、

という。「色界」は、

性欲・食欲・睡眠欲の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域、

をいい、

絶妙な物質(色)よりなる世界なので色界の名があり、

四禅天、

に大別される。「四禅天」(しぜんてん)は、

禅定の四段階、

その領域、とその神々をいい、「初禅天」には、

梵衆・梵輔・大梵の三天、

「第二禅天」には、

少光・無量光・光音の三天、

「第三禅天」には、

少浄・無量浄・遍浄の三天、

「第四禅天」には、

無雲・福生・広果・無想・無煩・無熱・善見・善現・色究竟の九天、

合わせて十八天がある、とされる。

「無色界」は、

最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界、

であり、

空無辺処・識無辺処・無処有処・非想非非想処、

の四天から成り、ここの最高処、非想非非想処を、

有頂天(うちょうてん)、

と称する(広辞苑・日本大百科全書・世界大百科事典)。「非想非々想天」については触れた。

つまり、「大梵天(だいぼんてん)」は、

色界十八天の中の第3天である。初禅三天(大梵天・梵輔天・梵衆天)の中では最高位となる、

らしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A2%B5%E5%A4%A9。つまり、色界の初禅天の、

大梵天、
梵輔天、
梵衆天、

の三天のうち、大梵天は、

初禅天の王、

であり、

梵輔天は、

家臣、

梵衆天は、

一般庶民に当たる(精選版日本国語大辞典)とある。

梵天は、

Brahman、

の訳。古くは、

ぼんでん、

ともいい、

インドの古代宗教で、世界の創造主として尊崇された神。古代インド思想で宇宙の根源とされるブラフマンを神格化したもの、

である(精選版日本国語大辞典)。それが、仏教にはいって、

色界(しきかい)の初禅天(しょぜんてん)に住する仏教護持の神となった(精選版日本国語大辞典)。

大梵天王、三十六天主、帝釈天王、四方之四王、三界之諸天、閻魔法王、天神地祇、一切護法、共成随喜、咸倍威光(「三代格」嘉祥三年(850)一二月一四日)、

と、

八方天、

の一つで、帝釈天と対をなすことが多い(仝上)とある。

十二天、

は、

仏教の護法善神である「天部」の諸尊12種の総称、

で、十二天のうち、特に八方、

東西南北の四方と東北・東南・西北・西南、

を護る諸尊を、

八方天、

あるいは、

護世八方天といい、更に、

天地を護る諸尊、

を加えて、

十天、

ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%A4%A9。すなわち、

東方の帝釈天(たいしゃくてん インドラIndra)、
南方の焔魔天(えんまてん ヤマYama)、
西方の水天(バルナVaruna)、
北方の毘沙門天(びしゃもんてん バイシュラバナVaiśravaa、クベーラKuvera)、
東南方の火天(アグニAgni)、
西南方の羅刹天(らせつてん ラークシャサRākasa)、
西北方の風天(バーユVāyu)、
東北方の伊舎那天(いしゃなてん イーシャーナĪśāna)、
上方の梵天(ぼんてん ブラフマーBrahmā)、
下方の地天(ちてん プリティビーPthivī)、
日天(にってん スーリヤSūrya)、
月天(がってん チャンドラCandra)、

をいう(日本大百科全書)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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梵天


母、子を慈(うつくし)び、因りて自から梵天に生まる(日本霊異記)、

の、

梵天、

は、「大梵天」で触れたように、

梵語Brahmā、

の訳で、

大梵天、
梵天王、
梵王、

ともいい、

インドの古代宗教で、世界の創造主として尊崇された神。古代インド思想で宇宙の根源とされるブラフマン(梵)を神格化したヒンドゥー教の三神(ブラフマーとヴィシュヌとシヴァという3つの様相をもつ三神一体)の一つ、

であるが、仏教に転じて、

色界の初禅天の主、

として、帝釈天と並んで諸天の最高位を占め、仏法の守護神とされる(広辞苑)。

密教では十二天の一つとされるが、「大梵天」で触れたように、

十二天、

は、

仏教の護法善神である「天部」の諸尊12種の総称、

で、十二天のうち、特に八方、

東西南北の四方と東北・東南・西北・西南、

を護る諸尊を、

八方天、

あるいは、

護世八方天といい、更に、

天地を護る諸尊、

を加えて、

十天、

ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%A4%A9。すなわち、

東方の帝釈天(たいしゃくてん インドラIndra)、
南方の焔魔天(えんまてん ヤマYama)、
西方の水天(バルナVaruna)、
北方の毘沙門天(びしゃもんてん バイシュラバナVaiśravaa、クベーラKuvera)、
東南方の火天(アグニAgni)、
西南方の羅刹天(らせつてん ラークシャサRākasa)、
西北方の風天(バーユVāyu)、
東北方の伊舎那天(いしゃなてん イーシャーナĪśāna)、
上方の梵天(ぼんてん ブラフマーBrahmā)、
下方の地天(ちてん プリティビーPthivī)、
日天(にってん スーリヤSūrya)、
月天(がってん チャンドラCandra)、

をいう(日本大百科全書)。

「梵天」は、日本では転じて、

ぼんでん、

ともいい、

幣束(へいそく)、

の、祭礼や修験道の祈祷に用い(広辞苑)、

梵天に奉る、

意で(大言海)、

此は卯月といふしでの、ぼんでんすごく立てならに(歌謡「落葉集(1704)」)、

と、

修験道(しゅげんどう)で祈祷に用いる幣束(へいそく)、

や、

棒の先から御幣を垂れ下げたもの。ほて(占有標)の意が梵天の語と結びついたもので、神の依代(よりしろ)を示す、

や、

秋田県その他で、ぼんでん祭りといい、杉丸太に大きな御幣をつけ、火消しの纏(まとい)状にしたものを土地の神社に担ぎ込んで奉納する、

等々の意でつかう(精選版日本国語大辞典)。

さらに、

幣束を棒の先に多く刺したもの、

をもいい、

江戸市中で、端午(たんご)の節供に町々の若者が多く作り、山伏を大勢雇いほら貝を吹かせ、家々に配って魔除けとして軒にささせたもの、

や、江戸時代、

風神、悪魔、虫などを追い払うための一種の幣束、

で、

飛脚などの往来や参宮に持参するほか、祭礼の際に振りながら持って歩いたり、村境に建てたりする、

ものにもいった(精選版日本国語大辞典)。

さらに、近世、劇場正面入り口の屋上に設けた、櫓(やぐら)の左右に立てた二本の招(まねき)、

は、

梵天王、

をまつり、官許のしるしとした(仝上)。

さらに、

漁具につける浮標(ブイ)、

で、

延縄(ハエナワ)や流し網などにつけるガラス球の類、

をもいう(仝上)が、これは、「梵天」からではなく、

ボンテンウリ、

に似ているからhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12104213802らしい。

ぼんてんうり、

は、

又就中署宅盤礴喫梵天瓜茶話(「蔭凉軒日録」文明一八年(1486)六月一六日)、

と、

梵天瓜、

と当て、

ぼんでんうり、

ともいい、

マクワウリの異名、

だが、

皮は白いタイプ、

とある(仝上)。

慈覚大師、病中、夢に梵天王より薬を賜り、其の一片を地に播きて、此の瓜を得たるより名づく(醒睡笑)、

とある(大言海)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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利采女


大梵天王は、中の間にこそおはしませ、少将波利女の御前は、西の間にこそおはしませ(梁塵秘抄)、

の、

波利女、

とあるのは、

婆利采女(ばりさいにょ・はりさいじょ・はりさいにょ)、

のことと思われる。

頗梨采女、
波利采女、
波利賽女、

とも表記される。名前の由来は、

梵語のハリ(水晶の意)、

に求める説があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%97%E6%A2%A8%E9%87%87%E5%A5%B3

「婆利采女」とは、「祇園」で触れたように、

牛頭天王の妃の名。沙伽羅(しゃがら)龍王の三女、

とされる。「牛王」でも触れたが、

牛頭天王(ごずてんのう)、

は、もともと、

祇園精舎(しょうじゃ)の守護神、

であったが、

蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B

武塔天神(むとうてんじん)、

あるいは、京都八坂(やさか)神社(祇園(ぎおん)社)の祭神として、

祇園天神、

ともいう(日本大百科全書)。「ごづ」は、

牛頭(ぎゅうとう)の呉音、此の神の梵名は、Gavagriva(瞿摩掲利婆)なり、瞿摩は、牛と訳し、掲利婆は、頭と訳す、圖する所の像、頂に牛頭を戴けり、

とあり(大言海)、

忿怒鬼神の類、

とし、

縛撃癘鬼禳除疫難(『天刑星秘密気儀軌』)、

とある(大言海)。これが、

素戔嗚を垂迹、

としたのは、鎌倉時代後半の『釈日本紀』(卜部兼方)に引用された『備後国風土記』逸文にある、

蘇民将来に除疫の茅輪(ちのわ)を与えし故事による、

とある(仝上)。すなわち、

北海の武塔天神が南海の女のもとに出かける途中で宿を求めたとき、兄弟のうち、豊かであった弟の巨旦将来(こたんしょうらい)はこれを拒み、貧しかった兄蘇民将来(そみんしょうらい)は髪を厚遇した。のちに武塔天神が八柱の子をともなって再訪したとき、蘇民将来の妻と娘には恩返しとして、腰に茅の輪を着けさせた。その夜、巨旦将来の一族はすべて疫病で死んだ。神は、ハヤスサノオと名のり、後世に疫病が流行ったときは、蘇民将来の子孫と称して茅の輪を腰につけると、災厄を免れると約束した、

というものである(日本伝奇伝説大辞典)。で、平安末期『色葉字類抄』は、

牛頭天王の因縁。天竺より北方に国有り。その名を九相と曰ふ。其の中に国有り。名を吉祥と曰ふ。其の国の中に城有り。牛頭天王、又の名は武塔天神と曰ふ、

とあり、

沙渇羅(娑伽羅、沙羯羅 しゃがら)竜王の娘と結婚して八王子を生み、8万4654の眷属神をもつ、

とある(世界大百科事典)。

頗梨采女、

は、

頗梨采女は牛頭天王の后であることから、素戔嗚尊の后である

奇稲田姫、

とも同一視されたとあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%97%E6%A2%A8%E9%87%87%E5%A5%B3。もともと頗梨采女は、祇園社の本殿西御座に祀られていたが、明治以後の八坂神社では、奇稲田姫として東御座に祀られている(仝上)とある。

祇園」で触れたことだが、祇園社の由来は、

牛頭天皇、初て播磨国明石浦(兵庫県明石市一帯の海岸)に垂迹し、広峯(広峯神社 兵庫県姫路市広嶺山)に移る。其の後、北白川東光寺(岡崎神社 京都市左京区岡崎東天王町)に移る。其の後、人皇五十七代陽成院元慶年間(877〜885)に感神院に移る、

とあり(吉田兼倶『二十二社註式』)、

託宣に曰く、我れ天竺祇園精舎守護の神云々。故に祇園社と号す(『二十二社記』)

とある、

祇園天神、
婆利采女(ばりさいにょ)、
八王子、

を祭って、承平五年(953)六月十三日、

観慶寺を以て定額寺と為す、

と官符に記され、別名、

祇園寺、

といった(http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/12.html・日本伝奇伝説大辞典)。

なお、「八大龍王」については、「沙竭羅王(しゃがらおう)」で触れたように、

八龍王、
八大龍神、

ともいい(大言海)、

有八龍王、難陀龍王、跋難陀、娑伽羅竜王、和修吉龍王、徳叉迦龍王、阿那婆達多龍王、摩那斯龍王、優鉢羅龍王等、各與若干百千眷属俱ト説ケリ(法華経・序品)、

と、

難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)、

の八龍王をさす(仝上・精選版日本国語大辞典)。

娑伽羅龍王、

は、

海や雨をつかさどる、

とされることから、

時により過ぐれば民の歎きなり八大龍王雨やめ給へ(金槐集)、

と、

航海の守護神、

雨乞いの本尊、

とされる(仝上)。

竜宮」で触れたように、この娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の第三王女は、

善女(如)龍王、

と呼ばれ、

その年わずか八歳の竜少女、

とあり(妙法蓮華経・提婆達多品)、文殊師利菩薩はこの竜女は悟りを開いたと語るも、

智積菩薩はこれに対し、お釈迦様のように長く難行苦行をし功徳を積んだならともかく、僅か八つの女の子が仏の悟りを成就するとは信じられないと語った。また釈迦の弟子の舎利弗も、女が仏になれるわけがないと語った。

のに、

竜女はその場で法華経の力により即身成仏し、それまで否定されていた女子供でも動物でも成仏ができることを身をもって実証した、

とあるhttps://www.wdic.org/w/CUL/%E5%A8%91%E7%AB%AD%E7%BE%85%E9%BE%8D%E7%8E%8B%E3%80%82%E5%A5%B3

雨乞いの対象である竜王のうちの一尊、

であり、

神泉苑、金剛峯寺などで鎮守社に祀られ、醍醐寺に鎮守として祀られる、

清瀧権現、

と同一視されたり、沙掲羅龍王の第三王女とされる方位神、

歳徳神、

とも関係が深いhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E5%A5%B3%E7%AB%9C%E7%8E%8Bとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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金剛蔵王


神のめでたく現ずるは、金剛蔵王はく王大菩薩、西宮、祇園天神大将軍、日吉山王賀茂上下(梁塵秘抄)、

の、

金剛蔵王(こんごうざおう・こんごうぞうおう)、

は、

金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、
または
金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)、

の略https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE

蔵王菩薩、
蔵王権現、

ともいい、

蔵とは、胎蔵界曼荼羅圖の中に、虚空蔵院と云ふ区画あり、其内に居る故の名なりとオボシ、

と(大言海)、

胎蔵界曼荼羅虚空蔵院の最右端に位し、千手観音と対して虚空蔵菩薩の智門を表す菩薩、

で(大辞林)、

百八臂(ひゃくはっぴ)で108の煩悩を打ち砕くことを表す、

とあり(仝上・広辞苑・精選版日本国語大辞典)、像は、

青黒色、十六面または十二面で一百八臂(ピ)、

である(仝上)。

金剛薩埵の変化身、

とするほか、

蔵王権現さまは、釈迦如来・千手観世音菩薩・弥勒菩薩の変化されたお姿(権現)、

とかhttps://sakuramotobou.or.jp/about/kongo-zao-daigongen.html

釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したもの、

とかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE、様々に菩薩を当てる説があるが、

日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊、

であり、

インドに起源を持たない日本独自の仏、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる(仝上)。「金剛蔵王」は、

究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王、

という意、「権現」は、

権(かり)の姿で現れた神仏、

の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという(仝上)。

奈良時代の呪術者(じゅじゅつしゃ)役小角(えんのおづぬ)が、奈良県金峰山(きんぶせん)上で難行苦行ののち、感得したと伝える悪魔降伏(ごうぶく)の忿怒(ふんぬ)相の像、

とされ(日本大百科全書)、

三目の顔で怒髪(どはつ)天をつき、右手は三鈷杵(さんこしょ)を握って高く振り上げ、左手は剣印を結んで腰部に当て、右足を振り上げ、左足のみにて岩石上に立つ、

形をとる。奈良県吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の本尊のほか、修験道(しゅげんどう)の伝播(でんぱ)とともに、各地の寺院に存在するが、この像の成立は、

平安中期、

とみられる(仝上)とある。修験道では険峻(けんしゅん)な山で忍苦の行(ぎょう)をし、心中の悪魔を降伏して験力を得ようとするが、そのようななかから生み出されたもので、

経軌(きょうき 経典や儀軌)、

によるものではない(仝上)。

胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)、

は、

金剛界曼荼羅、

に対するもので、二つの曼荼羅を合わせて、

両界曼荼羅、
または、
両部曼荼羅、

と称し、

「胎蔵」は客体、「金剛」は主体、

表現であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85とされる。

サンスクリット語で、

ガルバコーシャ・マンダラGarbha-kośa maala、

といい、

大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅、
理曼荼羅、
因曼荼羅、
東曼荼羅。、

と漢訳する。『大日経(だいにちきょう)』具縁品(ぐえんぼん)の所説の大曼荼羅を基調とし、現図は、

十二大院、

からなる。その構図は、

左右(南北)は三重、
上下(東西)は四重、

からなり、

上(天)を東方、

とする。中央は十二大院の中心である、

中胎八葉院、

を配し、八葉蓮弁(れんべん)を土台とし、その中心に、

大日如来(にょらい)、

各蓮弁に、

四仏(宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音如来)、
四菩薩(普賢菩薩、文殊師利菩薩、観自在菩薩、慈氏菩薩)、

を配し、その四周を、

遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地(そしつじ)院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障(じょがいしょう)院、

が、それぞれ同心円状にめぐり、これらすべてを囲む外周に、

外金剛部(げこんごうぶ)院、またの名は最外(さいげ)院、

が位置しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85、全体で、

計414尊、

を描く(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典・精選版日本国語大辞典)とある。

虚空蔵院(こくぞういん)、

は胎蔵曼荼羅の下部(蓮華部院・持明院・金剛手院の下)に位置する区画(院)で、中央の、

虚空蔵菩薩、

を主尊とし、左端に、

千手千眼観自在菩薩、

右端に、

一百八臂金剛蔵王菩薩、

を配し、

左側上5尊・下4尊、
右側上5尊・下5尊、

の合計22尊が位置するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E8%94%B5%E9%99%A2とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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弥勒


金(かね)の御嶽(みたけ)は一天下、金剛蔵王釋迦彌勒、稲荷も八幡(やはた)も木島(このしま)も、人の参らぬ時ぞなき(梁塵秘抄)、

の、

彌勒、

は、「出世」で触れたように、

釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩、

で、

於是衆生。歴年累月。蒙教修行。漸漸益解。至下於王城始発中大乗機上、称会如来出世之大意(法華義疏)、

と、

兜率天(とそつてん)に住し、釈尊入滅後56億7千万年後この世に下生(げしょう)して、龍華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するために出世する(衆生済度のため世界に出現する)、

未来仏、

とされる(広辞苑)。

梵語Maitreya、

を、

慈氏、
慈尊、

と訳し、

慈氏菩薩、
弥勒菩薩、
弥勒仏、

ともいい(仝上)、

弥勒慈尊(みろくじそん)

ともいう(仝上)。

下生のときにはすでに釈迦仏の代りとなっているので菩薩ではなく仏となっており、そのために、

将来仏、
当来仏、

とも呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。

兜率天」は、かつて釈迦がここにいて、ここから下界へ下ったが、

六欲天の第四なり、須弥山の頂上十二万由旬に在り、摩尼宝殿又兜率天宮なる宮殿あり、無量の諸天之に住(画題辞典)、

し、

内外二院あり(広辞苑)、内院は、

将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒(みろく)菩薩が住む、

とされ、

弥勒はここに在して説法し閻浮提に下生成仏する時の来るのを待っている、

とされている(仝上)。日本ではここに四十九院があるという。外院は、

天人の住所、

である(広辞苑)。

六欲天の第四、

というのは、

欲界(kāma‐dhātu)、
色界(rūpa‐dhātu)、
無色界(ārūpa‐dhātu)、

の三種に分類した、

三界

のひとつである「欲界」が、

他化自在天(たけじざいてん) 欲界の最高位。六欲天の第6天、天魔波旬の住処、
化楽天(けらくてん、楽変化天 らくへんげてん)六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする、
兜率天(とそつてん、覩史多天 としたてん) 六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある、
夜摩天(やまてん、焔摩天 えんまてん) 六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界、
忉利天(とうりてん 三十三天 さんじゅうさんてん)六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所、
四大王衆天(しだいおうしゅてん、四天王の住む場所) 六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所、

からなる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%B2%E5%A4%A9・精選版日本国語大辞典)、六欲天の、

第四天、

である。

「兜率天」は、

夜摩天の上にあり、この天に在るもの五欲の境に対し、喜事多く、聚集して遊楽す、故に喜楽集とも訳し、又兜卒天宮とは、此の兜率天にある摩尼宝殿をいふ、また三世法界宮ともいふ、この天に内院外院の二あり、外院は定寿四千歳にして内院にはその寿に限なく火水風の二災もこれを壊すこと能はざる浄土である、この内院にまた四十九院あり、補処の菩薩は弥勒説法院に居す、余の諸天には内院の浄土なく兜率には内院の浄土ありと『七帖見聞』に説かれている、

とあり(仏教辞林)、この天の一昼夜は、

人界の四百歳に当たる、

という(精選版日本国語大辞典)。この天は、

下部の四天王、忉利天、夜摩天三つの天が欲情に沈み、

また反対に、

上部の化楽天・他化自在天の二天に浮逸の心が多い、

のに対して、

沈に非ず、浮に非ず、色・声・香・味・触の五欲の楽において喜足の心を生ずる、

故に、弥勒などの、

補処の菩薩、

の止住する処となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9。七宝で飾られた四九重の宝宮があるとされる、

兜率天の内院(ないいん)、

は、

一生補処(いっしょうふしょ)の位、

にある菩薩が住むとされ、かつて釈迦もこの世に現れる前世に住し(釈迦はここから降下して摩耶夫人の胎内に宿り、生誕したとされている)、今は弥勒菩薩が住し、法を説く(仝上)とされ、日本では古くよりこの内院を、

彌勒菩薩の浄土、

つまり、

兜率浄土、

と見てきた(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。弥勒の兜率天での寿命が、

4000年、

とされ、兜率天の1日は地上の、

400年、

に匹敵するという説から、下生までに、

4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年かかるという計算になるはずだか、後代、

5億7600万年、

が、

56億7000万年、

に入れ替わったと考えられているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9

後世「弥勒菩薩」と同一視されたのは、

インド大乗仏教の瑜伽行派(いっさいは唯だ識の表れにすぎないという唯識説を説く学派)の始祖とされる、

弥勒(みろく)、

と音訳された、

マイトレーヤナータMaitreyanātha、
または、
マイトレーヤMaitreya、

で、

慈氏、

と意訳される。瑜伽行派の論書では、

マイトレーヤは兜率天(とそつてん)に住する当来仏で、《摂大乗論》などを著したアサンガ(無著 むぢやく)に唯識の教理を伝授した菩薩である、

とされる(世界大百科事典)が、このような伝説は後世の創造であり、弥勒は実在した史的人物であるとみなされている(日本大百科全書)

弥勒菩薩を本尊とする信仰である、

弥勒信仰(みろくしんこう)、

は、死後、

弥勒の住む兜率天(とそつてん)へ往生しようとする上生(じょうしょう)思想、

と、

仏滅後、

五六億七千万年ののち、再び弥勒がこの世に現れ、釈迦の説法にもれた衆生を救うという下生(げしょう)思想、

の二種の信仰から成り、

インドに始まり、日本には推古朝に伝来し、奈良・平安時代には貴族の間で上生思想が、戦国末期の東国では下生思想が特に栄えた、

とある(大辞林)。その、

弥勒菩薩が兜率天(トソツテン)から天降って人間世界に現れ、衆生(シユジヨウ)を救うという未来の世、

を、

弥勒の世、

といい、釈迦入滅後、五六億七千万年後の、弥勒菩薩がこの世に現れ、竜華樹の下で衆生教化の説法をする時を、

弥勒竜華の朝(みろくりゅうげのあした)、

といい(広辞苑・大辞林)、そのとき、

華林園の竜華樹下で説法するという会座、

を、

竜華会(りゅうげえ)、

といい、3回にわたって行うので、

竜華三会(りゅうげさんえ・りゅうげさんね)、
弥勒三会(みろくさんえ・みろくさんね)、

という(仝上)。

弥勒菩薩の住する浄土は、

兜率天(とそつてん)、

だが、

阿弥陀仏の西方極楽浄土、

と共に浄土思想の二大潮流をなしている。

弥勒菩薩の像容は、

菩薩形(ぼさつぎょう)、
と、
如来形(にょらいぎょう)、

に大別される(ブリタニカ国際大百科事典)とある。「菩薩形」は、

菩薩とは、本来悟りを求める者、修行者の意味なので、釈迦の出家以前の姿を基本として、インドの当時の貴族の形容、

でありhttps://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/002.html、「如来形」は、

如来とは、悟りに至った者の意味なので、悟りに至った釈迦の姿を基本として、仏相三十二相八十種好にそった表現、

となるhttps://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/001.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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若王子(にゃくおうじ)


熊野へ参らむと思へども、徒歩(かち)より参れば道遠し、すぐれて山きびし、馬(むま)にて参れば苦(く)行にならず、空より参らむ羽(はね)たべ若王子(梁塵秘抄)、

の、

若王子(にゃくおうじ)、

は、

熊野の十二所権現の一つ。十一面観音の垂迹(すいじゃく)といわれる、

とある(日本国語大辞典)。『長秋記』長承三年(1134)の記事で、

若宮(わかみや)、

とあるのが本来の呼称らしいが、平安末期の『梁塵秘抄』には、

若王子、

とある(世界大百科事典)。平安中期から中世を通して繁栄した、

紀伊国の熊野三山(本宮(ほんぐう)、新宮(しんぐう)、那智(なち)の熊野三社)、

に祀(まつ)られた、

熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)の一つ、

とされ、「若王子」、「若宮」のほか、

若一王子権現(にゃくいちおうじごんげん)、
若宮王子(わかみやおうじ)、
若女一王子(にゃくにょいちおうじ)、

などとも称し、三山ともその発祥を異にするらしいが、平安中期頃から神仏習合を表す本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、

本宮は家津御子神(けつみこのかみ 本地は阿弥陀如来)、
新宮は速玉大神(はやたまのおおかみ 本地は薬師如来)、
那智は牟須美神(むすびのかみ 本地は千手観音)、

の、

熊野三所権現、

と本地仏が祀られた(日本大百科全書)。平安後期までには、

若王子(本地は十一面観音)、

を中心とする、

五所王子(ごしょおうじ)、

と、一万眷属を含む、

四所宮(ししょみや)、

の、

熊野十二所権現、

が成立したとされる(仝上)。つまり、

三所権現、

が、

証誠殿(本地阿彌陀)・新宮(本地薬師)・那智(本地千手観音)、

五所王子、

が、

小守の宮(本地聖観音)・児の宮(本地如意輪観音)・聖の宮(本地龍樹)・禅師の宮(本地地蔵)・若王子(本地十一面観音)、

四所明神が、

一万の宮(本地普賢)または十万の宮(本地文殊)・勧請十五所(本地釈迦牟尼)・飛行夜叉(本地不動)・米持金剛童子(毘沙門天)、

の一二の権現を、

十二所権現(じゅうにしょごんげん)、

という(精選版日本国語大辞典)。

室町時代の意義分類体の辞書『下學集』には、

熊野権現、證誠殿、本地阿弥陀、両所権現者、薬師観音、若一王子者、施畏大士(だいじ)、號曰日本第一霊験熊野三所権現、

とある。

若王子、

は、三所権現に次ぐ位置を占め、

五所王子の第一、

に置かれ、

本宮・新宮では第四殿、
那智では第五殿、

に祀られる(仝上)。祭神は、

天照大神、
または、
伊邪那岐命、

で、

十一面観音の垂迹(すいじゃく)、

といわれる(精選版日本国語大辞典)。

また、京都から熊野への参詣路である、

熊野街道、

のうち、

窪津(くぼつ、大阪市中央区)から熊野三山までの各拝所、

に、

若王子
または
若一王子、

が配され、中世後期までには熊野九十九王子(熊野王子)と総称されるようになった(仝上)とある。

若王子、

というと、京都市左京区にある神社、

若王子(にゃくおうじ・にゃこうじ)神社、

を指したりするが、これは、

後白河天皇が京都白川に熊野三所権現を勧請(かんじょう)した際、那智(なち)の分社として建立した。祭神は天照大神・伊弉諾尊、

とあり(広辞苑)、

白川熊野、

とよばれ、全国の具足屋の信仰をあつめ(日本人名大辞典+Plus)、

若王寺、

とも記された(世界大百科事典)。

熊野三山、

は、

熊野三所権現、
三熊野、

ともいい、熊野に鎮座する、

熊野本宮(ほんぐう)大社(旧称は熊野坐(にます)神社、通称は本宮)、
熊野速玉(はやたま)大社(旧称は熊野早玉神社、通称は新宮)、
熊野那智(なち)大社(旧称は飛滝権現(ひろうごんげん)、熊野夫須美(ふすみ)神社、熊野那智神社、通称は那智山)、

の総称、中古、

僧徒の掌る所となり、盛んに、本地垂迹説を唱へて、本宮を證誠殿(しょうじやうでん)と称し、新宮を両所権現と称し、那智と併せて、熊野三所権現、また熊野(ゆや)権現と称す、後に、末社の神、若王子、禅師宮、聖宮、兒宮、子守宮など、凡そ、九所を加へて十二所権現とす、熊野より出す、牛王(ゴワウ)寶印と云ふもの、名高し、

とある(大言海)。「牛王」については触れた。

平安初期に新宮・本宮を中心に修験(しゅげん)道場が開かれ、延喜(えんぎ)年間(901〜23)にさらに那智が加えられ、この3社が知られ、11世紀末の永保(えいほう)・応徳(おうとく)年間(1081〜87)ころ、

熊野三山、

の呼称が一般となり、

本宮の本地阿弥陀如来、
新宮の本地薬師如来、
那智の本地観音菩薩、

を一体とした

熊野信仰、

が発達した(日本大百科全書)とある。

熊野三山の主祭神、

は、本宮の主神は、

家都御子大神(けつみこのおおかみ)、

家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、

とも言い、

素戔嗚尊、

に当てられており、新宮の主神は、

熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の2神、

熊野速玉大神、

は、

伊邪那岐、

に当てられ、那智の主神は、

熊野夫須美(ふすみ)大神、

で、

伊弉冉尊

に当てられている(マイペディア・ https://www.mikumano.net/nyumon/kami.html)。

なお、補陀落で触れたように、三山は、本地垂迹思想により、阿弥陀浄土と信じられ、妣(はは)の国、常世(とこよ)の国への通路とも、また補陀落(ふだらく)浄土(観音浄土)とも信じられた(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)

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常楽我浄


近江の湖(みずうみ)は海ならず、天台薬師の池ぞかし、何ぞの海、常楽我浄の風吹けば、七宝蓮華の波ぞ立つ(梁塵秘抄)、

常楽我浄(じょうらくがじょう)、

は、大乗仏教において、

涅槃(ねはん)や如来に備わる四つの徳、

をいい(涅槃経)、すなわち、

永遠であり(常)、安楽であり(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)こと、

を言う(広辞苑)。

四徳(しとく)、
または、
四波羅蜜(しはらみつ)、

ともいわれる(岩波仏教辞典)。さらに、

四つの誤った考え、

つまり、

四顛倒(してんどう)、

にもいい、真の仏智から見れば、世間の一切のものは、

無常・苦・無我・不浄、

であるのに、これを、

常・楽・我・浄、

ととらわれていること。また、仏の涅槃は、

常・楽・我・浄、

であるのに、これを、

無常・苦・無我・不浄、

と誤り解することをいい、

四倒(しとう)、

ともいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、合わせて、

八顛倒、

という(仝上)。つまり、

顛倒の妄見を四つに分類したもの、

をいう(精選版日本国語大辞典)。教行信証(1224)に、

如風能鄣静、土能鄣水、湿能鄣火、五黒十悪鄣人天、四顛倒鄣声聞果、

とある。ここから転じて、

げにや喜見城の都常楽我浄(ジャウラクガジャウ)とたわれしもことはりや(洒落本「交代盤栄記(1754)」)、

と、

何の心配もない安楽な生活、のんびりしていること、

の意で使うに至る(仝上)。

常楽我浄、

の、

「常」とは、

仏や涅槃の境地が永遠不変であること、

「楽」とは、

仏や涅槃の境地が人間の苦を離れたところに真の安楽があること、

「我」とは、

仏や涅槃の境地が人間本位の自我を離れ如来我(仏性)があること、

「浄」とは、

仏や涅槃の境地が煩悩を離れ浄化された清浄な世界であること、

をいうとあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E6%88%91%E6%B5%84。なお、

四波羅蜜(しはらみつ)、

には、

涅槃(ねはん)にそなわる常・楽・我・浄の四種のすぐれた特徴、

の意の他に、

此の無常苦空無我の四波羅蜜を観して菩提の道を求むるを、声聞四諦の法と云ふ(「快馬鞭(1800)」)、

と、

凡夫の常楽我浄の四顛倒に対して、それが無常であり苦であり空無我であるとみること、

の意もある(精選版日本国語大辞典)。

なお、「七宝蓮華」については触れた。

「常」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

形声。「巾(ぬの)+音符尚(ショウ)」。もとは裳(ショウ)と同じで、長いスカートのこと。のち時間が長い、いつまでも長く続く、の意となる、

とある(漢字源)。

「もすそ」(下半身の着衣の意)を意味する漢語、

から、仮借して、

「つね」を意味する漢語、

に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%B8・角川新字源)とある。別に、

形声文字です(尙+巾)。「神の気配を示す文字と家屋の象形と口の象形」(屋内で祈る意味だが、ここでは「長(ジョウ)」に通じ(同じ読みを持つ「長」と同じ意味を持つようになって)、「ながい」の意味)と「頭に巻く布にひもをつけて帯にさしこむ」象形から、長い布を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「長く変わらない」、「つね」を意味する「常」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji894.html

田楽」で触れたように、「樂(楽)」(ガク、ラク)は、

象形。木の上に繭のかかったさまを描いたもので、山繭が、繭をつくる櫟(レキ くぬぎ)のこと。そのガクの音を借りて、謔(ギャク おかしくしゃべる)、嗷(ゴウ のびのびとうそぶく)などの語の仲間に当てたのが音楽の樂。音楽で楽しむというその派生義を表したのが快楽の樂。古くはゴウ(ガウ)の音があり、好むの意に用いたが、今は用いられない、

とある(漢字源)。音楽の意では「ガク」、楽しむ意では、「ラク」と訓む。しかし、この、

「木」に繭まゆのかかる様を表し、櫟(くぬぎ)の木の意味。その音を仮借、

とする説(藤堂明保)、

に対し、

木に鈴をつけた、祭礼用の楽器の象形、

とする説(白川静)があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%BD。また別に、

象形。木に糸(幺)を張った弦楽器(一説に、すずの形ともいう)にかたどり、音楽、転じて「たのしむ」意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「どんぐりをつけた楽器」の象形から、「音楽」を意味する「楽」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「たのしい」の意味も表すようになりました、

とするものもあるhttps://okjiten.jp/kanji261.html

「我」(ガ)は、

象形文字。刃がぎざぎざになった戈(ほこ)を描いたもので、峨(ガ ギザギザと切り立った山)と同系。「われ」の意味に用いるのは、我(ガ)の音を借りて代名詞をあらわした仮借、

とある(漢字源)。

刃がぎざぎざになった戈又はのこぎりを象る。「のこぎり」を意味する漢語、

から、

仮借して「われ」を意味する一人称代名詞、

ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%91・角川新字源・https://okjiten.jp/kanji1020.html)。

「浄」(漢音セイ、呉音ジョウ)は、

形声。「水+音符爭」で、爭(争)の原義とは関係ない、

とある(漢字源)が、

形声。水と、音符爭(サウ、シヤウ→セイ、ジヤウ)とから成る。もと、魯国にあった池の名。古くから、瀞(セイ、ジヤウ)の略字として用いられている。常用漢字は俗字による、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+争(爭))。「流れる水」の象形と「ある物を上下から手で引き合う象形と力強い腕の象形が変形した文字」(「力を入れて引き合う」の意味)から、力を入れて水を「清める」を意味する「浄」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1938.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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山王十禅師


神の家の小公達(こきんだち)は、八幡(やわた)の若宮熊野の若王子子守御前(こもりおまえ)、比叡(ひえ)には山王十禅師、賀茂には片岡貴船の大明神(梁塵秘抄)、

の、

山王十禅師(じゅうぜんじ)、

は、

日吉山王(ひえさんのう)七社権現の一つ、

であり、

国常立尊(くにとこたちのみこと)を権現と見ていう称、

とあり、

瓊々杵尊(ににぎのみこと)から数えて第十の神に当たり、

地蔵菩薩、

の垂迹(すいじゃく)とする(精選版日本国語大辞典)とある。

僧形あるいは童形の神、

とされた。現在は、

樹下神社、

と称し、祭神は、

鴨玉依姫(かもたまよりびめの)和魂(にぎたま)、

とある(仝上)。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を権現とみていう称、

ともある(デジタル大辞泉)のは、

国常立尊(くにのとこたちのみこと)、

から数えて第十の神にあたるからである。つまり、『日本書紀』本書によれば、天地開闢の最初に現れた

国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、
泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)、
大戸之道尊(おおとのぢのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)、
面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)、

の十一柱七代の神を、

神世七代、

とし、

天照大神(あまてらすおおみかみ)、
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、
火折尊(ほのおりのみこと)、
鸕鶿草葺不合尊うがやふきあわせずのみこと)、

を、

地神五代(ちじんごだい)、

といい、

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

が、十代に当たるからである(日本書紀)。

瓊瓊杵尊、
火折尊、
鸕鶿草葺不合尊、

の3柱の神々を、

日向三代、

といい、

鸕鶿草葺不合尊

玉依姫命

の間に生まれたのが、

磐余彦尊(いわれびこのみこと)、

つまり、

神武天皇、

ということになる(日本書紀)。

ちなみに、

山王七社権現(さんのうしちしゃごんげん)は、現在、

本宮
一宮・西本宮(祭神 大己貴神 旧称・大宮法宿権現(大比叡) 本地釈迦如来)
二宮・東本宮(祭神 大山咋神 旧称・地主権現(小比叡) 本地薬師如来)
摂社
三宮・宇佐宮(祭神 田心姫神 旧称・聖真子(しょうしんじ)権現 本地阿弥陀如来)
四宮・牛尾神社(祭神 大山咋神荒魂 旧称八王子(やおうじ 牛尾)宮 本地千手観音)
五宮・白山姫神社(祭神 白山姫神 旧称客人(まろうど)権現 本地十一面観音)
六宮・樹下神社(祭神 鴨玉依姫命(大山咋神の妃) 旧称十禅師(じゅうぜんじ)権現 本地地蔵菩薩)
七宮・三宮神社(祭神 鴨玉依姫神荒魂 旧称三宮(みぐう)宮 本地普賢菩薩)

とあるhttp://tobifudo.jp/butuzo/san7sha/index.html

地蔵菩薩、

については、「六道能化」で触れたが、

はじめ三日の本尊には、来迎の阿彌陀の三尊、六道のうけの地蔵菩薩(曾我物語)、
われはかの入道(結城上野介入道道忠)が今度上洛せし時、鎧の袖に書きたりし六道能化(ろくどうのうげ)の主(あるじ)、地蔵薩埵にて候なり(太平記)、

などとある、

六道のうけ、
六道能化の主、

とあるのは、

六道衆生を能く教化する地蔵菩薩、

の意で、

六道能化、

自体が、

六道にあって衆生を教化する者、

の意、つまり、

地蔵菩薩の異称、

とされ(広辞苑)、

五濁(ごじょく)の悪世において救済活動を行う菩薩、

である。

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、

忉利天(とうりてん、三十三天 須弥山の上にある)に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩、

であるとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

「地蔵」は、

サンスクリット語クシティ・ガルバKiti-garbha、

の、

大地を母胎とするもの、

の意で、

一切衆生(いっさいしゅじょう)に仏性(ぶっしょう)があるという如来蔵(にょらいぞう)思想と関連し、大乗仏教の比較的後期に現れた、

とされ、『地蔵菩薩本願経(ほんがんきょう)』に、

仏になることを延期して、菩薩の状態にとどまり、衆生の罪苦の除去に携わることを本願とした、

とある。

しばしば比丘(びく 修行者)の姿をとり、剃髪(ていはつ)し、錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうしゅ)を持つ。天上から救済活動を行う他の仏、菩薩と違い、自ら六道を巡る菩薩、

である(日本大百科全書)。地蔵信仰は、

平安朝末から中世にかけて民間信仰として普及し、堂宇に祀(まつ)るだけでなく、道の辻、橋のたもとなどに石像を立てて祀るようになった、

とされ、今日民間における地蔵信仰では、

子育て地蔵、子安(こやす)地蔵、夜泣き地蔵、乳貰(もら)い地蔵、田植地蔵、鼻取り地蔵、いぼ取り地蔵(縛り地蔵)、雨降り地蔵、雨止(や)み地蔵、親子地蔵、腹帯地蔵、雨降地蔵、お初地蔵、とげぬき地蔵、勝軍地蔵、延命地蔵、

等々、何々地蔵とよばれるものが100以上にも及ぶといい(仝上)、各地にある、

六地蔵、

は、上述の六道の衆生を済度するというのに因み、六道のそれぞれにあって、典籍によって名称は異なるが、

檀陀(だんだ 地獄道を教化する)、
宝珠(ほうじゅ 餓鬼道を教化する)、
宝印(ほういん 畜生道を教化する)、
持地(じじ 阿修羅道を教化する)、
除蓋障(じょがいしょう 人間道を教化する)、
日光(にっこう 天道を教化する)、

の六種の地蔵をいう、とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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来迎引接(らいごういんじょう)


彌陀の誓(ちかひ)ぞ頼もしき、十惡五逆の人なれど、一たび御名(みな)を唱ふれば、来迎引接(らいがういむぜう)疑はず(梁塵秘抄)、

の、

来迎引接(らいごういんじょう)、

は、

引接(摂)、
迎接(ごうしょう)、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、四字熟語にもなっていて、

南無阿弥陀仏を唱えている人が死ぬときには、阿弥陀仏が菩薩を引き連れて迎えに来て、極楽浄土へ導いてくれる、

という意味である(四字熟語辞典)。

来迎、

は念仏を唱えている人の元へ、阿弥陀仏や菩薩が迎えに来ること、

引接、

は阿弥陀仏や菩薩が、念仏を唱えている人を極楽浄土へ導くこと、とある(仝上)。なお、

十惡五逆、

は、「業障(ごうしょう)」で触れたが、

身(しん)・口(く)・意の「三業(さんごふ)」から生ずる十種の罪悪、

つまり、

殺生(せつしよう)・偸盗(ちゆうとう)・邪淫(じやいん)・妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あつく)・両舌(りようぜつ)・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見(じやけん)、

を、

十惡、

といい、

五逆、

は、

五逆罪、

ともいい、この重罪を犯すと、もっとも恐ろしい無間地獄(むけんじごく)に落ちるとされるので、

五無間業(ごむけんごう)、

ともいう。異説が多いが、代表的には、

母を殺すこと、父を殺すこと、悟りを開いた聖者(阿羅漢)を殺すこと、仏の身体を傷つけて出血させること、仏教教団を破壊し分裂させること、

で、前二者は、

恩田(おんでん 恩に報いなければならないもの)、

に背き、後三者は、

福田(ふくでん 福徳を生み出すもの)に背くので、あわせて、

五逆、

という(日本大百科全書)。

この、

来迎引接(摂)、

を絵画化したのが、「九品往生」でも触れた、

来迎図、

であり、儀礼化したのが、

迎講、

来迎会、

である(世界大百科事典)。

阿弥陀仏の来迎、

は、

阿弥陀仏の救済の三様態(本願成就・光明摂取・来迎引接)の一つ、

で、阿弥陀仏四十八願のうちの第十九願が、

来迎引接の願、

になるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E5%BC%95%E6%8E%A5。法然は、

然れば則ち深く往生極楽の志有らん人は、来迎引接の形像を造り奉りて、則ち来迎引接の誓願を仰ぎたてまつるべきものなり(逆修説法一七日)、

と述べ、また、

いわゆる疾苦身に逼せまりてまさに死なんと欲する時、必ず境界・自体・当生の三種の愛心起るなり。しかるに阿弥陀如来大光明を放ちて行者の前に現じたまう時、未曽有の事なる故に、帰敬の心の外には他念無し。しかれば三種愛心を亡ぼして更に起こること無し…しかれば臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明らかなり、

ともあり、

然れば則ち、来迎引接は、魔障を対治せんがためなり、

とし、阿弥陀仏の来迎は衆生の三種の愛心や魔障を滅し、正念に導き浄土に往生させるため(来迎正念)であるとしている(仝上)。

四十八願(しじゅうはちがん)、

は、浄土教の根本経典である『仏説無量寿経』(康僧鎧訳)「正宗分(しょうしゅうぶん)」に説かれる、

法蔵菩薩(阿弥陀仏の因位の時(修行時)の名)が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のこと、

であり、http://shinshu-hondana.net/knowledge/show.php?file_name=shijyuuhachiganに詳しい。

臨終正念(りんじゅうしょうねん)、

については、「正念に往生す」で触れたように、

臨終のときに心が乱れることなく、執着心に苛まれることのない状態のこと、

で、『阿弥陀経』には、念仏衆生の命終について、

その人命終の時に臨んで、阿弥陀仏、諸(もろ)もろの聖衆とともに、現にその前に在(ましま)す。この人終わる時、心顚倒(てんどう)せず、すなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得、

とあり、善導は、

願わくは弟子等、命終の時に臨んで心顚倒せず、心錯乱(しゃくらん)せず、心失念せず、身心に諸の苦痛なく、身心快楽(けらく)にして禅定に入るが如く、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて阿弥陀仏国に上品往生せしめたまえ、

と述べている(『往生礼讃』発願文)のが、臨終正念のありさまを示したものとされる(仝上)。これは、

臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明(あきらか)なり、

とある(法然『逆修説法』)ことや、

念仏もうさんごとに、つみをほろぼさんと信ぜば、すでに、われとつみをけして、往生せんとはげむにてこそそうろうなれ。もししからば、一生のあいだ、おもいとおもうこと、みな生死のきずなにあらざることなければ、いのちつきんまで念仏退転せずして往生すべし。ただし業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあい、また病悩苦痛せめて、正念に住せずしておわらん。念仏もうすことかたし(歎異抄)、

という、

他力本願、

からいえば、

念仏申す毎に罪を滅ぼして下さると信じて「念仏」申すのは、自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、

となり、

一心に阿弥陀如来を頼むこと、

に通じていくhttp://www.vows.jp/tanni/tanni29.htm

正念、

は、「正念場」で触れたように、

八正道(はっしょうどう)、

の一つとされ、

八聖道、

とも書き、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目、

正見(しょうけん 正しい見解、人生観、世界観)、
正思(しょうし 正しい思惟、意欲)、
正語(しょうご 正しいことば)、
正業(しょうごう 正しい行い、責任負担、主体的行為)、
正命(しょうみょう 正しい生活)、
正精進(しょうしょうじん 正しい努力、修養)、
正念(しょうねん 正しい気遣い、思慮)、
正定(しょうじょう 正しい精神統一、集注、禅定)、

の1つで(日本大百科全書)、釈迦は、

それまでインドで行われていた苦行を否定し、苦行主義にも快楽主義にも走らない、中なる生き方、すなわち中道を主張したが、その具体的内容として説かれたのがこの八正道である、

とされ(世界大百科事典)、釈迦の教説のうち、おそらく最初にこの、

八正道、

が確立し、それに基づいて、

四諦(したい)、

が成立し、その第四の、

道諦(どうたい 苦の滅を実現する道に関する真理)、

はかならず「八正道」を内容とした。逆にいえば、八正道から道諦へ、そして四諦説が導かれた、

とある(日本大百科全書)。「四諦(したい)」は、

四聖諦(ししょうたい)、

ともよばれ、「諦(たい) サティヤsatya、サッチャsacca)」は真理、真実をいい、

迷いと悟りの両方にわたって因と果とを明らかにした四つの真理、

とされ(精選版日本国語大辞典)、

苦諦(くたい 人生の現実は自己を含めて自己の思うとおりにはならず、苦であるという真実)、
集諦(じったい その苦はすべて自己の煩悩や妄執など広義の欲望から生ずるという真実)、
滅諦(めったい それらの欲望を断じ滅して、それから解脱し、涅槃の安らぎに達して悟りが開かれるという真実)、
道諦(どうたい この悟りに導く実践を示す真実)

で、この、

苦集滅道(くじゅうめつどう)、

の四諦は原始仏教経典にかなり古くから説かれ、とくに初期から中期にかけてのインド仏教において、もっとも重要視されており、その代表的教説とされた(日本大百科全書)、とある。要は、

正念、

は、

四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいること、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

意識が常に注がれている状態、

である。しかし、他力本願では、

自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、

ではなく、

一心に阿弥陀如来を頼み、命の終わる最後まで、怠ることなく念仏し続けること、

を指すと思われる。

来迎図、

は、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の説く、

阿弥陀四十八願の一つ、

である、

浄土に生まれることを願う人の臨終に、阿弥陀仏が西方浄土から迎えにくる姿を描いたもの、

で、平安中期以後、浄土教の発達にともなって描かれた(旺文社日本史事典)。高野山の《阿弥陀聖衆(しょうじゅ)来迎図》など阿弥陀如来が聖衆を従えて飛来する図柄が多いが、迎えてから帰るさまを描いた帰り来迎図や《山越阿弥陀図》等もある(マイペディア)。

阿弥陀仏が従えている、

二十五菩薩、

は、

観世音(かんぜおん)菩薩、大勢至(だいせいし)菩薩、薬王(やくおう)菩薩、薬上(やくしょう)菩薩、普賢(ふげん)菩薩、法自在王(ほうじざいおう)菩薩、獅子吼(ししく)菩薩、陀羅尼(だらに)菩薩、虚空蔵(こくうぞう)菩薩、徳蔵(とくぞう)菩薩、宝蔵(ほうぞう)菩薩、金蔵(こんぞう)菩薩、金剛蔵(こんごうぞう)菩薩、光明王(こうみょうおう)菩薩、山海慧(さんかいえ)菩薩、華厳王(けごんおう)菩薩、衆宝王(しゅうほうおう)菩薩、月光王(がっこうおう)菩薩、日照王(にっしょうおう)菩薩、三昧王(さんまいおう)菩薩、定自在王(じょうじざいおう)菩薩、大自在王(だいじざいおう)菩薩、白象王(びゃくぞうおう)菩薩、大威徳王(だいいとくおう)菩薩、無辺身(むへんしん)菩薩、

とされるhttps://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=136。「来迎図」については、「九品往生」でも触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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摩訶迦葉


三会の暁を待つ人は、所を占めてぞおはします、雞足山(けいそくさん)には摩訶迦葉(まかかせう)や、高野の山には大師とか(梁塵秘抄)、

の、

雞足山、

は、梵語、

Kukkuṭapādagiri、

の訳、

鶏足山(けいそくざん、グルパ・ギリ)、

とも当て、

ククタパダ山、
狼跡山、
尊足山、

ともいい、

古代インドのマガダ国の山。伽耶(がや)城の南東にあり、釈迦の弟子迦葉(かしょう)が入寂したと伝えられる鶏足洞がある、

とある(デジタル大辞泉)。玄奘三蔵の大唐西域記に、

念深於鶏足之洞。降煩悩之魔軍、

とあり、迦葉が、

鶏足山の洞で彌勒の出世を待つ、

との故事から、

彌勒下生(げしょう)への待望、

をもいう(精選版日本国語大辞典)。古代中国人は、雲南省の「鶏足山(けいそくさん)を、仏典にある山と考え、

釈尊が摩訶迦葉(まかかしょう)に衣鉢して弥勒菩薩が成仏して現れるのを待ち、入定した場所である、

と考えた。言い伝えでは、摩訶迦葉は華首門のそばにある石の中に寝泊りしたという。そのため、鶏足山は仏教の聖地となり、

摩訶迦葉の道場、

として、中国仏教、チベット仏教、上座部仏教の交わる場所として重視されている。また仏教の禅宗の発祥の地https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E8%B6%B3%E5%B1%B1_%28%E9%9B%B2%E5%8D%97%E7%9C%81%29とも言われている、とある。もともと、

青巓山、
九曲山、

などと呼ばれていたが、山頂の峰が鳥の爪に似ていることからこの名がつけられた(仝上)という。

三蔵法師記した、

鶏足山(けいそくざん 現地では「グルッパ・ギリ」と呼ぶ)、

は、日蓮宗の僧侶「故椎野能敬師」が調査(アサヒグラフ1981年5月29日号、通巻3030号で発表)し、

インド国鉄ガヤ駅の東、グルッパ駅の南1キロほどにそびえ、ニワトリの様な形をした岩の山頂を望む事が出来ます、

とありhttps://tsunagaru-india.com/knowledge/

インド領チベット・ラダック地方出身のチベット僧により登山道が整備され、山頂には金色に輝く宿泊も可能なパゴダ(仏塔)が建設されております、

とある(仝上)。

摩訶迦葉、

は、

「摩訶」は美称、偉大な迦葉の意、

で(精選版日本国語大辞典)、

富楼那(ふるな)の弁」で触れた、

十大弟子、

つまり、

舎利弗(しゃりほつ 智慧第一)、
目犍連(もくけんれん 略して目連 神通力(じんずうりき)第一)、
摩訶迦葉(まかかしょう 頭陀(ずだ(苦行による清貧の実践)第一)、
須菩提(しゅぼだい 解空(げくう すべて空であると理解する)第一)、
富楼那(ふるな 説法第一)、
迦旃延(かせんねん 摩訶迦旃延(まかかせんねん)とも大迦旃延(だいかせんねん)とも、論議(釈迦の教えを分かりやすく解説)第一)、
阿那律(あなりつ 天眼(てんげん 超自然的眼力)第一)、
優婆(波)離(うばり 持律(じりつ 戒律の実践)第一)、
羅睺羅(らごら 羅睺羅(らふら) (密行(戒の微細なものまで守ること)第一)、
阿難(あなん 阿難陀 多聞(たもん 釈迦の教えをもっとも多く聞き記憶すること)第一)、

の(日本大百科全書・https://true-buddhism.com/founder/ananda/他)ひとりで、

仏教教団における釈迦の後継(仏教第二祖)、

とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集、経典の編纂事業)の座長を務め、

頭陀第一、

といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行ったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BF%A6%E8%91%89とある。

原名は、パーリ語で、

マハーカッサパMahā-Kassapa、

で、

大迦葉(だいかしょう)、

といい(仝上・日本大百科全書)、

摩訶迦葉波、
迦葉、
迦葉波、

とも呼ばれる(仝上)。

北インド、マガダ国の首都、王舎城(おうしゃじょう)の付近の富裕なバラモン(婆羅門)の家に生まれ、釈尊開教の初期のころ弟子となり、その1週間後には悟りを開いて阿羅漢(あらかん 供養を受けるに値する者の意)となったとされる。そのとき自身の新しい袈裟(けさ)を釈尊にさしあげ、釈尊の古い袈裟をもらい受けて、その後つねにこれを着用し、そのうえ頭陀行(ずだぎょう 厳しい苦行的な生活)を守り続けたので、

頭陀第一、

とたたえられた(日本大百科全書)。釈尊生存中にすでに彼の代理を務め、釈迦は、

我に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり、不立文字、教外別伝、今、摩訶迦葉に付す、

と言ったとされ(世界大百科事典)、滅後は事実上その後継者として教団を統括し、とくに釈尊の遺教を整理統合した第一結集(けつじゅう 経典編纂会議)においては、議長役を務めた、

とある(日本大百科全書)。

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三身仏性(さんじんぶっしょう)


仏も昔は人なりき、我等も終(つゐ)には仏なり、三身仏性具せる身と、知らざりけるこそあはれなれ(梁塵秘抄)、

の、

三身仏性(さんじんぶっしょう)、

の、

三身(さんしん・さんじん)、

は、色葉字類抄(平安末期)に、

三身、法身、報身、応身、

とあり、大乗仏教で、

真如そのものである法身(ホツシン)、
修行をして成仏した報身(ホウジン)、
人々の前に出現してくる応身(オウジン)、

の総称(大辞林)、

三仏身、
三身仏、

ともいい、

仏の一体に具備する所を、三相に別ちて云ふ、

とあり(大言海)、

法身、

とは、

真如(一切存在の真実のすがた。この世界の普遍的な真理)の理解、如来(仏の尊称。「かくの如く行ける人」、すなわち修行を完成し、悟りを開いた人)自證の妙理にして、諸法の本体、萬法の所依となる仏身、

なり、

報身、

とは、

福徳、智慧の勝因に酬報して、佛の感得する相好円満なる色身、

なり、

応身、

とは、

衆生の機類(根機(機根とも 仏の教化を受けるとき発動することができる能力または資質)に隨応して、三業(さんごう 身業・口業(くごう)・意業)の化用を施す化身、

なり(仝上)とある。『撮壌集(さつじようしゆう)』(飯尾永祥(享徳三(1454)年)に、佛名について、

毘盧遮那仏、法身、廬舎那仏、報身、釈迦牟尼仏、応身、

とある。

法身(ほっしん)・報身・応身、

という言い方が、最も一般的であるが、

法身・応身・化身(合部金光明経)、
法身・解脱身・化身(解深密経)、
自性身・受用身・変化身(仏地経論)、
法身・報身・化身、
法身・智身・大悲身、
真身・報身・応身、

等々もあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BA%AB・広辞苑)、法相宗では、

自性身・受用身・変化身、

といい、天台宗では、

衆生の心中に具足する正因・了因(報身因)・縁因(応身因)、

の、

三種の仏性、

をいう(精選版日本国語大辞典)。

三身円満の覚王なり(平家物語)、

と、

法・報・応の三身を完全に具有していること、



三身円満(さんじんえんまん)、

という(広辞苑)。

「身」(シン)は、

象形。女性が腹に赤子をはらんださまを描いたもの。充実する、いっぱいつまるの意を含み、重く筋骨のつまったからだのこと、

とあり(漢字源)、同趣旨で、

象形。女性がみごもったさまにかたどり、みごもる意を表す。転じて、からだの意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「人がみごもった(妊娠した)」象形から「みごもる」を意味する「身」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji17.html

等々とする説が多いが、

かつて妊婦を象る象形文字と解釈する説があったが、信頼できない説である、

と否定し、

腹部を強調して描かれた人の象形文字、
あるいは、
人の腹部に○印を加えた指事文字、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BA%AB

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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閻浮(えんぶ)


夜ふけて長夜に至る程、洲鶴(しうかく)眠(ねぶ)りて春の水、娑婆の故(ふる)き郷(さと)に同じ、塞鴻(さいこう)なきては秋の風、閻浮(えんぶ)の昔の日に似たり(梁塵秘抄)、

の、

閻浮、

は、

「えんぶ(閻浮)」の撥音「ん」の無表記形、

で、

えぶ、

とも訓ますが、

閻浮樹(えんぶじゅ)の略、

もしくは、

閻浮提(えんぶだい)」の略、

である(精選版日本国語大辞典)。

閻浮提、

は、「三千世界」で触れたように、「須弥山」をとりまいて、

七つの金の山、

と、それを囲む、

鉄囲山(てっちせん)、

があり、その間に八つの海があり、これを、

九山八海(くせんはっかい)、

という。周囲の鉄囲山(てっちせん)にたたえた海水に須弥山に向かって、東には半月形の、

毘提訶洲(びだいかしゅう、あるいは勝身洲 ビデーハ・ドゥビーパvideha-dvīpa)、

南に、

三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、

西に満月形の、

牛貨洲(ごけしゅう ゴーダーニーヤ・ドゥビーパgodānīya-dvīpa)、

北に方座形の、

倶盧洲(くるしゅう クル・ドゥビーパkuru-dvīpa)、

があり(『倶舎論(くしゃろん)』)、

贍部洲(せんぶしゅう)、

は、

閻浮提、

と同じで、

贍部(せんぶ)、

ともいい、須弥山の南にあるので、

南閻浮提(なんえんぶだい)、
南閻浮洲(なんえんぶしゅう)、

ともいうが、金輪際で触れたように、ここが、古代インドの世界観における人間が住む大陸に当たるとされ、ひいては人間界のことをさす(広辞苑・大辞林・大辞泉・日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。インド亜大陸を示している、とされる。

閻浮提、

は、サンスクリット語の、

ジャンブ・ドゥビーパJambu-dvīpa、

に相当する俗語形からの音写語なので、他に、

剡浮洲(えんぶしゅう)、

とも音訳されるが、文字通りには、

ジャンブ(ムラサキフトモモ)の島、

を意味https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BB%E6%B5%AE%E6%8F%90し、

ジャンブ樹jambuすなわちフトモモの木rose-apple treeの繁茂する島(ドゥビーパdvīpa)、

の意である(日本大百科全書)。

閻浮提、

は、

三辺がおのおの2000由旬(ゆじゅん ヨージャナ。1ヨージャナは約7キロメートル)、

残りの1辺がわずかに、

3.5由旬、

で、車のような形をしており、インド亜大陸に比していると見られるのはその形からのようである。

なお、この中央には、金剛座がし、そこで菩薩たちが、

金剛喩定(ゆじょう すべての煩悩を断ち切る堅固な心)、

を修習すると説かれている(仝上・倶舎論)。

閻浮提、

には、

大国16、
中国500、
小国10万、

が存在するといわれている(ブリタニカ国際大百科事典)。

閻浮樹(えんぶじゅ)、

というのは、

閻浮提(えんぶだい)の雪山(せっせん)の北、香酔山(こうすいせん)南麓の無熱池(むねっち)のほとりに大森林をなすという想像上の大樹、

で(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

常緑樹で、高さ百由旬(ゆじゅん)ある、

とされる(精選版日本国語大辞典)。

由旬(ゆじゅん)、

は、

Yojana、

の音訳、古代インドで用いた距離の単位の一つで、

約七マイル(約11.2キロ)あるいは九マイル、

という。

牛車の1日の行程、

をさし、

帝王の軍隊が一日に進む行程、

といわれ、中国では、六町を一里として四〇里(一里は約405m)または三〇里、あるいは一六里にあたる、

とされる(仝上・デジタル大辞泉)。

閻浮提図附日宮図(1808年)というものが残っているが、これは、

ヨーロッパから新たな知識がもたらされるにしたがって、それまで浄土宗の学僧であった存統によって仏教系の世界観を示す世界図三部作が作られた一つで、上部に日宮を、中央に世界図を、下部に自然現象についての説明を載せている。世界図には新阿蘭陀(オーストラリア)やタスマニアが描かれており、当時としては最新の世界地理情報が取り入れられているhttps://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0011521000.html。世界図はその多くを高橋景保の「新訂万国全図」の西半球図に依拠しているといわれる。

なお、「三界」、「三千世界」、「金輪際」、「須弥山」、「佉羅陀山(からだせん)」、「鐵圍山(てちゐせん)」、については触れた。

「閻」(エン)は、

会意兼形声。臽(エン・カン)は、「人+臼(あな)」の会意文字で、くぼんだ穴をあらわす。閻はそれを音符とし、門を加えた字で、入り口となる穴のあいた門のこと、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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崑崙山



崑崙山(こんろんさん)に石も無し、玉してこそは鳥は抵(う)て、玉に馴れたる鳥なれば、驚くけしきぞ更になき(梁塵秘抄)、

の、

崑崙山、

は、

こんろんざん、

とも訓ませ、

中国古代の伝説上の山、

で、「崑崙」は、

昆侖、

とも書き、

霊魂の山、

の意で、

崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)、
崑崙丘(きゅう)、
崑崙虚(きょ)、
崑山、

ともいい(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%91%E5%B4%99・ブリタニカ国際大百科事典)、中国の古代信仰では、

神霊は聖山によって天にのぼる、

と信じられ、崑崙山は最も神聖な山で、大地の両極にあるとされた(仝上)。中国北魏代の水系に関する地理書『水経(すいけい)』(515年)註に、

山在西北、……高、萬一千里、

とあり、中国古代の地理書『山海経(せんがいきょう)』には、

崑崙……高萬仞、面有九井、以玉為檻、

とあり、その位置は、

瑶水(ようすい)という河の西南へ四百里(山海経)、

とか、
西海の南、流沙(りゅうさ)のほとりにある(大荒西経)、

とか、

貊国(はくこく)の西北にある(海内西経)、

と諸説あり、

その広さは八百里四方あり、高さは一万仞(約1万5千メートル)、

あり、

山の上に木禾(ぼっか)という穀物の仲間の木があり、その高さは五尋(ひろ)、太さは五抱えある。欄干が翡翠(ひすい)で作られた9個の井戸がある。ほかに、9個の門があり、そのうちの一つは「開明門(かいめいもん)」といい、開明獣(かいめいじゅう)が守っている。開明獣は9個の人間の頭を持った虎である。崑崙山の八方には峻厳な岩山があり、英雄である羿(げい)のような人間以外は誰も登ることはできない。また、崑崙山からはここを水源とする赤水(せきすい)、黄河(こうが)、洋水、黒水、弱水(じゃくすい)、青水という河が流れ出ている、

とあるhttp://flamboyant.jp/prcmini/prcplace/prcplace075/prcplace075.html。『淮南子(えなんじ)』(紀元前2世紀)にも、

崑崙山には九重の楼閣があり、その高さはおよそ一万一千里(4千4百万キロ)もある。山の上には木禾があり、西に珠樹(しゅじゅ)、玉樹、琁樹(せんじゅ)、不死樹という木があり、東には沙棠(さとう)、琅玕(ろうかん)、南には絳樹(こうじゅ)、北には碧樹(へきじゅ)、瑶樹(ようじゅ)が生えている。四方の城壁には約1600mおきに幅3mの門が四十ある。門のそばには9つの井戸があり、玉の器が置かれている。崑崙山には天の宮殿に通じる天門があり、その中に県圃(けんぽ)、涼風(りょうふう)、樊桐(はんとう)という山があり、黄水という川がこれらの山を三回巡って水源に戻ってくる。これが丹水(たんすい)で、この水を飲めば不死になる。崑崙山には倍の高さのところに涼風山があり、これに昇ると不死になれる。さらに倍の高さのところに県圃があり、これに登ると風雨を自在に操れる神通力が手に入る。さらにこの倍のところはもはや天帝の住む上天であり、ここまで登ると神になれる、

とある(仝上)とか。

宋代の『湘山野録』には、

崑崙山産玉、麗水生金、

中国の西方に位置して玉を産し、黄河の源はこの山に発すると考えられた、

とあり(日本大百科全書)、

美麗なる玉(ぎょく)を出すを以て、名あり、崑玉と云ふ、

ともある(大言海)。後漢書・孔融傳では、

與琭玉秋霜、比質可也、

とあり、その、

人格の高尚なる、

のに準えられている(大言海)。初めは、

天上に住む天帝の下界における都、

とされ、

諸神が集り、四季の循環を促す「気」が吹渡る、

とされていたが、のちに神仙思想の強い影響から、古代中国人にとっての、

理想的な他界、

とされ、女仙の、

西王母(せいおうぼ)、

が居を構え、その水を飲めば不死になるという川がそこの周りを巡っているという、

地上の楽土、

とされた。黄帝の崑崙登山や、西周(せいしゅう)の穆(ぼく)王が、この山上に西王母を訪ねた伝説がある(日本大百科全書)。

なお、

崑崙奴(こんろんど)、

は、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の、

崑崙(くろん)面、

の名称も、そもそもは黒人のことをさしたhttps://dic.pixiv.net/a/%E5%B4%91%E5%B4%99%E5%B1%B1とある。

現在の、

崑崙山脈、

は、

中国西部の山脈。チベット高原とタリム盆地の間を東西に走る山地。全長2400qで、西部、中部、南部に大別され、狭義には西部崑崙をさす、

とあり(日本国語大辞典)、

クンルン山脈、

を指し、

黄河・長江の水源、

である(仝上)。

西王母(せいおうぼ)、

というのは、山海経では、

西方の崑崙山に住む神女、

の名で、

人面・虎歯・豹尾・蓬髪、

の(精選版日本国語大辞典)、

半人半獣、

で、

不老長寿、

をもって知られ(デジタル大辞泉)、

三青鳥が食物を運ぶ、

とある(マイペディア)が、のち神仙説の流行から仙女化し、淮南子では、

不死の薬をもった仙女、

とされ、さらに周の穆王(ぼくおう)が西征してともに瑤池で遊んだといい(列子・周穆王)、長寿を願う漢の武帝が仙桃を与えられたという伝説ができ、漢代には、

西王母信仰、

が広く行なわれた(精選版日本国語大辞典)とある。「王母」は、

祖母や女王のような聖母、

といった意味合いであり、「西王母」とは、

西方にある崑崙山上の天界を統べる母なる女王、

の尊称で、

天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神とされ、東王父に対応する、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8D

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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四句の偈


摩耶の胎(なか)から生(むま)れ出て、寶の蓮(はちす)足をうけ、十方七度(ななたび)歩みつつ、四句の偈(げ)をぞ説(と)いたまふ(梁塵秘抄)、

十方(じっぽう)

とは、

東・西・南・北の四方、

と、

艮(うしとら=北東)、巽(たつみ=東南)、坤(ひつじさる=南西)、乾(いぬい=西北)の四隅(四維(しゆい・しい)とも)、

と、さらに、

上・下を合わせた称(精選版日本国語大辞典)をいい、

あらゆる方角、場所、

つまり、

あらゆる世界

の意で、

十方世界、

という。仏教で、

十方三世(じっぽうさんぜ)とは、

過去、現在、未来にわたるあらゆる時間とあらゆる空間、

を意味し、大乗仏教では、われわれの住む、

娑婆(しゃば)世界、

のほかに、十方に無量の世界、すなわち、

十方世界、

があり、そこには一世界に一仏の割合で三世にわたって無数の仏が出現すると説き(日本大百科全書)、

十方三世の諸仏、

という(仝上)とか。まるで今日の多次元宇宙のようでもある。

四句(しく)の偈(げ)、

は、

四句の文(しくのもん)、

ともいい、

諸行無常、
是生滅法、
生滅滅已、
寂滅為楽、

といった、

四句からなる偈の文句、

をいう(精選版日本国語大辞典)。「是生滅法」(ぜしょうめっぽう)で触れたように、

諸行無常(しょぎょうむじょう 諸行は無常なり)、
是生滅法(ぜしょうめっぽう 是れ生滅の法なり)、
生滅滅已(しょうめつめつい 生滅を滅し已(お)わりて)、
寂滅為楽(じゃくめついらく 寂滅を楽となす)、

は、涅槃経の、「雪山童子」の説話で、

釈尊は過去世に雪山で修行していたので雪山童子(せっせんどうじ 雪山大士)と呼ばれるが、雪山に住していたとき帝釈天が羅刹(ラークシャサ)の形をして現れてこの偈の前半を説いたとき、さらに後半を教えてもらうために身を捨てた、

という伝説があるので(自分の身命を施す菩薩行の代表例として引用されることが多い)、

雪山偈(せっせんげ)、

と呼び(「雪山」はヒマラヤを指すとされる)、

諸行無常偈、
無常偈、

ともいいhttp://www.joukyouji.com/houwa0604.htm、偈の全体の意味は、三法印(仏教の根本にある三つの概念)の、

諸行無常(あらゆる物事(現象)は変化している。変化しない、固定的な物事は存在しない)、
諸法無我(あらゆる存在(ダルマ 法)の中には我(アートマン)は無い)、
涅槃寂静(煩悩の炎の吹き消されたさとりの境地(ニルヴァーナ 涅槃)は心が安らかに落ちついた(至福の)状態である)、

に近いとされ、法然は、

かりそめの色のゆかりの恋にだにあふには身をも惜しみやはする、

と詠い、俗説に、

いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)、
わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)、
うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)、
あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢見じ酔ひもせず)、

の、

いろはうた、

がこれを訳したものと言われ(仝上)、「無上偈」は、

諸行无常、是生滅法と云ふ音(こゑ)風のかに聞こゆ(「観智院本三宝絵(984)」)、
とか、
初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり(光悦本謡曲「三井寺(1464頃)」)、
とか、
初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり、晨朝(しんちょう)の響きは生滅滅已、入相(いりあい)は寂滅為楽と響くなり(長唄「娘道成寺」)、

等々と使われる(仝上・精選版日本国語大辞典)、

偈(げ)、

は、

サンスクリット語ガーターgāthā、

の音写の省略形、

で、漢語では、

頌(じゅ)、
あるいは、
讃(さん)、

とも翻訳される、

仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの、

をいい、

偈陀(げだ)、
伽陀(かだ)、

とも音写し、意訳して、

偈頌(げじゅ)、

ともいい、対して散文部分を、

長行、

という(精選版日本国語大辞典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88)とある。古来インド人は詩を好み、仏典においても、詩句でもって思想・感情を表現したものがすこぶる多い。漢語では、これを三言四言あるいは五言などの四句よりなる詩句で訳出される。たとえば、七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)で、

諸悪莫作(しょあくまくさ)、
諸善(しょぜん 衆善)奉行(ぶぎょう)、
自浄其意(じじょうごい)、
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)、

とか、法身偈(ほっしんげ)で、

諸法従縁生(しょほうじゅうえんしょう)、
如来説是因(にょらいせつぜいん)、
是法従縁滅(ぜほうじゅうえんめつ)、
是大沙門説(ぜだいしゃもんせつ)、

と共に、「雪山偈」も仏教の根本思想を簡潔に表現したもの(日本大百科全書)とされる。四句から成るものが多いため、単に、

四句、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

四句の偈、

は、

要偈(ようげ)、
伝法要偈(でんぼうようげ)、

ともいい、

聖光(しょうこう)の『授手印』の袖書に、

究竟大乗浄土門(くきょうだいじょうじょうどもん)
諸行往生称名勝(しょぎょうおうじょうしょうみょうしょう)
我閣万行選仏名(がかくまんぎょうせんぶつみょう)
往生浄土見尊体(おうじょうじょうどけんぞんたい)

のことhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A6%81%E5%81%88とあり、

究竟大乗浄土門、

は、

大乗仏教の究極の教えは浄土門である、

との意味で、『無量寿経』の本旨を要約した一句であるとともに、阿弥陀仏の選択を意味する内容でもある(仝上)。

諸行往生称名勝、

は、

様々な実践行においても回向さえできれば極楽世界に往生することは可能ではある、

との意味で、しかし、

末代の凡夫にそのような回向は極めて困難である。末代の凡夫はただ選択本願称名念仏一行のみで極楽世界に往生するのだ。選択本願称名念仏一行こそが、あらゆる実践行の中で最も勝れているのだ、

という趣旨で、『観経』の総意をまとめた一句となっており、釈尊の選択を意味する内容でもある。

我閣万行選仏名、

は、

私は一切の他の実践行を捨てて、ただ称名念仏一行のみを選び取る、

という意味で、『阿弥陀経』の総意をまとめた内容であり、また諸仏の選択を意図した内容でもある(仝上)。この「私」とあるのは、

称名念仏一行を選択した阿弥陀仏であり、また阿弥陀仏の救済と念仏の教えこそが真実の教えであるとした釈尊であり、また念仏一行のみを絶讃した諸仏であり、そして阿弥陀仏が人の姿としてこの世界に現れ本願念仏を説いた善導でもある、

とある(仝上)。

往生浄土見尊体、

は、

阿弥陀仏の極楽浄土に往生し、阿弥陀仏と相見あいまみえる、

という意味で、「浄土三部経」の総意であると共に、阿弥陀仏と釈尊と諸仏の選択を意図した内容でもある(仝上)。

「偈」(漢音ケイ・ケツ、呉音ゲ・ゲチ)は、「是生滅法」で触れたように、

会意兼形声。「人+音符曷(カツ 声をからしてどなる)」、

とある(漢字源)。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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浄名居士


毘舎離(びさり)城に住(おう)せりし、淨名居士(こじ)の御室(みむろ)には、三萬二千の床立てて、それにぞや、十方の佛は居たまひし(梁塵秘抄)、

十方(じっぽう)、

は、「四句の偈」で触れたように、

東・西・南・北の四方、

と、

艮(うしとら=北東)、巽(たつみ=東南)、坤(ひつじさる=南西)、乾(いぬい=西北)の四隅(四維(しゆい・しい)とも)、

と、さらに、

上・下を合わせた称(精選版日本国語大辞典)をいい、

あらゆる方角、場所、

つまり、

あらゆる世界

の意で、

十方世界、

という。仏教で、

十方三世(じっぽうさんぜ)とは、

過去、現在、未来にわたるあらゆる時間とあらゆる空間、

を意味し、大乗仏教では、われわれの住む、

娑婆(しゃば)世界、

のほかに、十方に無量の世界、すなわち、

十方世界、

があり、そこには一世界に一仏の割合で三世にわたって無数の仏が出現すると説き(日本大百科全書)、

十方三世の諸仏、

という(仝上)。

浄名(じょうみょう)居士、

は、

Vimala-kīrtiビマラキールティ)の訳語、

「浄」は清浄、「名」は名声、

の意で、音訳、

維摩詰(ゆいまきつ)、
維摩羅詰、
毘摩羅詰利帝、

の意訳名、

浄名、
無垢称(むくしょう)、

とも漢訳される(仝上)。「居士」は、中国では、

学徳高くして仕官していない人(処士)、

をいうが、仏教では、

サンスクリット語のグリハ・パティgha-pati、

の訳、

迦羅越(からおつ)、
疑叨賀鉢底(げとうがぱってい)、

と音写し、

家主、
長者、
在家、

と訳す。また、

クラ・パティKula-pati(家族の長)、

の訳でもあり、

在家(ざいけ)の男子で仏教に帰依(きえ)して受戒し仏法を求める徳行ある者、

をいう。インドでは、とくに四姓のなかでは商工を業とする、

毘舎(バイシャVaiśya。第三の庶民階級)の富豪、

をいう(日本大百科全書)。『今昔物語』巻3第1話「天竺毗舎離城浄名居士語」で、

今昔、天竺の毗舎離((びしゃり)城の中に浄名居士と申す翁在ましけり。此の人の居給へる室は、広さ方丈也。而るに、其の室の内に、十方の諸仏来り集り給て、為に法を説き給へり。各、無量無数の菩薩、聖衆を引具し給て、彼の方丈の室に、各微妙に荘厳せる床を立てて、三万二千の仏、各其の床に坐し給て、法を説き給ふ。無量無数の聖衆、各皆随へり。
亦、居士も御まして、法を聞き給ふ。而るに、室の内に猶所有り。此れ、浄名居士の不思議の神通の力也。然れば、仏(釈迦)の、室をば、「十方の浄土に勝たる、甚深不思議の浄土也」と説き給ひけり。
亦、此の居士は、常に病の筵に臥して病給ふ。其の時に、文殊、居士の室に来り給て、居士に申し給はく、「我れ聞けば、居士、常に病の筵に臥して、悩給ふと。然らば、其れ何なる病ぞ」と。居士、答て宣はく、「我が病は、此れ一切の諸の衆生の煩悩を病也。我れ、更に外の病無し」と。文殊、此の事を聞き給て、歓喜して還り給ひぬ。
亦、居士、年八十有余に在して、行歩に安からずと云へども、「仏の法を説き給へる所に詣でむ」と思て、詣で給へり。其の道の間、四十里也。既に、居士、仏の御許に歩み詣で給て、仏に申して言さく、「我れ、年老て、歩みを運ぶに堪へずと云へども、法を聞かむが為めに、四十里の道を歩び詣たり。其の功徳は何許(いかばかり)ぞ」と。
仏、居士に答へて宣はく、「汝、法を聞むが為に来れり。其の功徳、無量無辺ならむ。汝が歩む足の跡との土を取りて、塵と成して、其の塵の数に随へて、一の塵に一劫を宛てて、其の罪を滅せむ。亦、命の永からむ事、其の塵と同じからむ。亦、仏に成らむ事、疑ひ無からむ。凡そ、此の功徳、量無し」と説き給ければ、居士、此の事を聞き給て、歓喜して還り給ひぬ。法を聞かむが為に詣でたる功徳、此の如き也となむ、語り伝へたるとや。

とあるように、維摩は、

バイシャーリーの富裕な在家(ざいけ)の仏教信者(居士)で、すでに菩薩(ぼさつ)としての実践を完成していた。釈迦が近くに滞在し説法をしていたが、彼は病にかかり参席できなかった。釈迦は弟子たちに見舞いに行くようにいったが、みんな維摩に議論を吹きかけられて負かされた経験があるため辞退した。結局智慧の優れた文殊菩薩が見舞いの代表となり、維摩の居室(方丈)を訪ね、病気の問題などを発端として仏教の真理について議論が闘わされる。そのとき、文殊は垢(よごれ)と浄(きよ)らかさは究極的に不二(ふに)、無言無説であるとことばで表現したのに、維摩は沈黙でもってそれを示したとされる、

とあり(日本大百科全書)、これを、

維摩の一黙、

という(仝上)とか。維摩は在家者でありながら、

空(くう)思想を実践する理想的な菩薩、

として、中国・日本の禅宗においてとくに重要視されている(仝上)。で、中国では、禅が盛んになると、

居士、

と称する人が増え、白居易などもその一人とされ、中国では、

仕官を求めない、
裕福、
無欲で徳を積む、
道を守り自ら悟る、

の4項目を満足する人を、

居士、

としたhttp://tobifudo.jp/newmon/name/koji.htmlとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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四向四果(しこうしか)


鷲のおこなふ深山(みやま)より、聖徳太子ぞ出(い)でたまふ、鹿(かせぎ)が苑(その)なる岩屋より、四果の聖(ひじり)ぞ出でたまふ(梁塵秘抄)、

の、

四果、

とは、

四向四果(しこうしか)、



四果、

だと思われる。

四向四果、

は、

四双八輩(しそうはっぱい)、
四向四得、

ともいい、

「向」は修行の目標、「果」は到達した境地、

の意で、部派仏教(小乗仏教)において、

阿羅漢果(あらかんか)に至る修行の階位、

をいい(広辞苑)、

修行していく段階を意味する「向」と、それによって到達した境地を意味する「果」、

とを総称したもの(ブリタニカ国際大百科事典)で、大乗仏教の立場からは、

小乗の修行階位、

とされるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C。具体的には、

@預流(よる 梵語srotāpanna、パーリ語sotāpanna)
A一来(いちらい 梵語sakṛd-āgāmin、パーリ語sakad-āgāmin)
B不還(ふげんanāgāmin)、
C阿羅漢(あらかん 梵語arhat、パーリ語arahanta)、

のそれぞれに向(こう 向かって修行する段階)と果(か 到達した境地)をたて(仝上)、
預流(よる)、

は、梵語、

スロータアーパンナ(須陀洹 しゅだおん)、

の訳で、

聖道の流れに入った者で、天界と人間界とを七度往来する間に修行が進み悟りを得る者、

の意(日本大百科全書)、

一来(いちらい)、

は、梵語、

アーガーミン(斯陀含 しだごん)、

の訳で、

天界と人間界とを一度だけ往復して悟りを得る者、

の意、

不還(ふげん)、

は、梵語、

アナーガーミン(阿那含 あなごん)、

の訳で、

ふたたびこの世に還(かえ)らないで天界で悟りを得る者、

の意、

阿羅漢(あらかん)、

は、

アルハトの主格アルハン、

の音写で、

この世で煩悩(ぼんのう)を滅尽し悟りを得る者、

に分け(仝上)、

四向四果、

は、

預流向、
預流果、
一来向、
一来果、
不還向、
不還果、
阿羅漢向、
阿羅漢果、

となり、四つの果を合わせて、

四沙門果(ししゃもんか)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C

預流向は、

四諦(したい)を観察する段階である見道で、欲界、色界、無色界の三界の煩悩を断じつつある間、

をいい(ブリタニカ国際大百科事典)、

三界の見惑(八十八使)を断じ、一五心まで、

をいい、この境地を、

見道、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C

預流果は、

見道のそれらの煩悩を断じ終ってもはや地獄、餓鬼、畜生の三悪道には堕することがなくなる状態、

をいい、

三界の見惑(八十八使)を断じ、一五心までをいい、第一六心で修道に入り預流果となる。ここに達すれば、もはや三悪趣に堕ちることがない(ブリタニカ国際大百科事典)。

一来向は、

四諦を観察することを繰返していく修道の段階で、欲界の修道の煩悩を9種に分類したうちの6種の煩悩を断じつつある間をいい、

一来果は、

その6種の煩悩を断じ終った位、

不還向は、

一来果で断じきれなかった残りの3種の煩悩を断じつつある間をいい、

不還果は、

その3種の煩悩を断じ終った位、

阿羅漢向は、

不還果を得た聖者がすべての煩悩を断じつつある間をいい、

阿羅漢果は、

すべての煩悩を断じ終って涅槃(ねはん)に入り、もはや再び生死を繰返すことがなくなった位、

をいう(ブリタニカ国際大百科事典)とある。

ここまでの境地を、

修道、

といい、

阿羅漢果、

は、

見惑、修惑をすべて断じた涅槃の境地、

で、この境地を、

無学道、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9Cとある。因みに、「四諦(したい)」は、「声聞」で触れたように、

「諦」はsatyaの訳。真理の意、

で、迷いと悟りの両方にわたって因と果とを明らかにした四つの真理、

苦諦、
集諦(じったい)、
滅諦、
道諦、

の四つで、

四聖諦(ししょうたい)、

ともよばれる。苦諦(くたい)は、

人生の現実は自己を含めて自己の思うとおりにはならず、苦であるという真実、

集諦(じったい)は、

その苦はすべて自己の煩悩(ぼんのう)や妄執など広義の欲望から生ずるという真実、

滅諦(めったい)は、

それらの欲望を断じ滅して、それから解脱(げだつ)し、涅槃(ねはん ニルバーナ)の安らぎに達して悟りが開かれるという真実、

道諦(どうたい)は、

この悟りに導く実践を示す真実で、つねに八正道(はっしょうどう 正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精進(しょうしょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう))による、

とするもの(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。

阿羅漢、

は、「声聞」、「一乗」で触れたように、

サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、

で、

尊敬を受けるに値する者、

の意。

究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、

をいう。部派仏教(小乗仏教)では、

仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、

を指し、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、

無学(むがく)、

ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教の立場からは、

個人的な解脱を目的とする者、

とみなされ、

声聞、

を、

独覚(縁覚)、

と並べて、この二つを、

二乗・小乗、

として貶している、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E。ちなみに、「乗」とは、

「乗」は乗物、

の意で、

世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え、

を指し、「三乗」とは、

悟りに至るに3種の方法、

をいい、

声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、

の三つをいう(仝上)。大乗仏教では、

菩薩、

を、

修行を経た未来に仏になる者、

の意で用いている。

悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、

また、仏の後継者としての、

観世音
彌勒
地蔵

等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、

小乗の聖者、

をさし、大乗の、

求道者(菩薩)、

には及ばないとされた。つまり、「声聞」の意味は、

縁覚・菩薩と並べて二乗や三乗の一つに数える、

ときには、

仏陀の教えを聞く者、

という本来の意ではなく、

仏の教説に従って修行しても自己の解脱のみを目的とする出家の聖者のことを指し、四諦の教えによって修行し四沙門果を悟って身も心も滅した無余涅槃(むよねはん 生理的欲求さえも完全になくしてしまうこと、つまり肉体を滅してしまって心身ともに全ての束縛を離れた状態。)に入ることを目的とする人、

のことを意味するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E

だからか、大乗の『法華経』随喜功徳品や『アヴァダーナシャタカ』によると、

一瞬にして四向四果のいずれかに達する、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C

なお、

羅漢、

は略称で、

十六羅漢、
五百羅漢、

などが知られている。

十六羅漢、

は、釈尊が般涅槃のとき、

一六の阿羅漢とその眷属に無上の法を付属した、

と言われ、釈迦の弟子でとくに優れた16人、

賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ 跋羅駄闍 ばらだしゃ)、
迦諾迦伐蹉(かにゃかばっさ)、
迦諾迦跋釐墮闍(かにゃかばりだじゃ、諾迦跋釐駄 だかはりだ)、
蘇頻陀(そびんだ)、
諾距羅(なくら 諾矩羅 なくら)、
跋陀羅(ばっだら)、
迦理迦(かりか、迦哩 かり)、
伐闍羅弗多羅(ばっじゃらほつたら、弗多羅 ほつたら)、
戍博迦(じゅばくか)、
半託迦(はんだか、半諾迦 はんだか)、
囉怙羅(らごら、羅怙羅 みらごら)、
那伽犀那(ながさいな)、
因掲陀(いんかだ)、
伐那婆斯(ばつなばし)、
阿氏多(あした)、
注荼半託迦(ちゅうだはんたか)、

をいうhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AD%E7%BE%85%E6%BC%A2

十八羅漢、

というときは、

慶友と賓頭盧(びんずる)、

あるいは、

迦葉(かしょう)と軍徒鉢歎(ぐんとはつたん、屠鉢歎)、

を加えた一八人の阿羅漢をいうhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%BE%85%E6%BC%A2

五百羅漢、

は、

釈迦の直弟子たち500人、

をいい、

釈迦が死んだ後に十大弟子を含む500人の阿羅漢が集まり、

第一結集、

という仏教の会議が開いたとされるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E7%99%BE%E7%BE%85%E6%BC%A2。後に中国や日本で信仰された(仝上)。

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耆闍崛山(ぎじゃくっせん)


浄飯王帚を持ち、耆(き)闍崛山(せん)には聖者(そうじゃ)居りとかやな、五臺山の深きより、一乗となつて出でたまふ(梁塵秘抄)、

の、

耆闍崛山、

は、

きじゃくっせん、

とも訓ませ、

サンスクリット語 Gṛdhrakūṭa、

の音写

祇闍崛山、

とも移されるが、

霊鷲山(りょうじゅせん)、
鷲峰山(じゅほうせん・じゅぶせん)、
鷲山(じゅせん)、
霊頭山、
鷲頭山、
鷲台、

等々と訳され、

霊山(りょうぜん)、

と略すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%B7%B2%E5%B1%B1

霊鷲山で触れたように、

禿鷲の頂という山、

という意(原語のグリドラはハゲワシのこと)で、

耆闍崛山、此翻靈鷲、亦曰鷲頭(法華文句)、

とあるように、

この山のかたちが、空に斜めに突き出すようになっており、しかも頂上部がわずかに平らになっていてハゲワシの首から上の部分(頭)によく似た形をしているので、

山の頂が羽を拡げた鷲の形に見えるところから、

とも、

山形が鷲の頭に似るから、

とも、あるいは、

鷲が多くすむから、

ともいわれる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%80%86%E9%97%8D%E5%B4%9B%E5%B1%B1・ブリタニカ国際大百科事典)。

インド古代マガダ国の主都王舎城を囲む五山の一つチャッター山の南面にある山、

で、

釈迦が法華経や無量寿経などを説いた所、

として著名である(仝上)。『無量寿経』上の序分に、

我れ聞ききかくの如きを。一時、仏、王舎城の耆闍崛山の中に住して、大比丘衆万二千人と俱なりき、

とあり、『観経』『大品般若経』『法華経』『金光明経』などの多くの大乗諸経典がこの山で説かれ(仝上)、

妙法蓮華經(卷第一序品第一)では、

如是我聞。一時佛住王舍城耆闍崛山、

妙法蓮華經如來壽量品(第十六)では、

時我及衆僧 倶出靈鷲山 我時語衆生……於阿僧祇劫 常在靈鷲山 及餘諸住處、

などとあるhttp://tobifudo.jp/newmon/seichi/ryoju.html

ビンビサーラ王が釈尊の説法を聞くために登ったとされる小路が今も用いられている、

とありhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%80%86%E9%97%8D%E5%B4%9B%E5%B1%B1

灌木がとりまく中腹には、出家者が修行にはげんだ多くの洞窟が残る、

とある(仝上)。

仏典上、

摩掲陀國、

とされる、

マガダ国、

は、古代インドにおける十六大国の一つ。ナンダ朝のもとでガンジス川流域の諸王国を平定し、マウリヤ朝のもとでインド初の統一帝国を築いた。王都はパータリプトラ(現パトナ)、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%83%80%E5%9B%BD

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有漏・無漏


有漏(うろ)の此の身を捨てうでて、無漏(むろ)の身にこそならむずれ、阿彌陀佛(ほとけ)の誓(ちかい)あれば、彌陀に近づきぬるぞかし(梁塵秘抄)、

の、

有漏、

の、

漏、

は煩悩の意、

で、

有漏(うろ、梵語sāsrava)、

は、

煩悩のある状態、

無漏(むろ、梵語anāsrava)、

は、

迷いを離れていること、

つまり、

煩悩のない境地、

の意で、

無漏道、

ともいう(広辞苑)。

漏(ろ、梵語āsrava)、

は、

さまざまな心の汚れを総称して表す言葉で、広い意味で煩悩と同義と考えられる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%BC%8Fが、仏教(大毘婆沙論)では、

六処の門から流れ出るもの、
迷いの境涯に留めるもの、
輪廻に縛りつけるもの、

などの意味が与えられ(仝上)、

流れ出る、
漏出、

の意に解しhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%84%A1%E6%BC%8F%E3%83%BB%E6%9C%89%E6%BC%8F

汚れ・煩悩は六根(視覚・聴覚など五官と心)から流れ出て、心を散乱させるもの、

とした(岩波仏教語辞典)。

漏泄(もれ)ある義、煩悩の意、煩悩は種々の縁に触れて、貪欲、瞋恚の過ちを漏らすこと、極まらぬなり、「諸漏已盡、無復煩悩」と云へり、

とある(大言海)のはその解釈である。

因果不亡曰有、即、色界無色界、見思煩悩也、謂、衆生因此、煩悩不能出離色無色界、故名有漏、

とある(大蔵法數)。

だから、

有漏路、

というと、

煩悩が多い者のいる世界、

つまり、

この世、

をいい、

無漏路、

というと、

煩悩に汚されない清浄の世界、

を指し、

煩悩をもつ人間の世俗的な智慧、

つまり、

世俗智、

の、

有漏智、

に対し、

煩悩を離れた清浄の智慧、

を、

無漏智、

といい、

煩悩をもつ存在である凡夫の行う修行(煩悩の出現を断つことはできるが、煩悩の根本を断つことはできないとする)、

を、

有漏道、

煩悩を離れた清らかな智慧を得た存在である聖者の行う修行(煩悩を根本的に断ち切るために行う)、

を、

無漏道、

という(大辞林)。

煩悩を備えている存在、

を、

有漏法、

といい、

四諦のうち、苦・集の二諦。煩悩に関する教え、

をいい、

煩悩をもたない存在、

つまり、

真如、

を、

無漏法、

といい、

煩悩の消滅と悟りの出現を説明する滅と道の二諦(にたい)、

とする(大辞林)。ただ、

三つの無為法(虚空・択滅(ちゃくめつ=涅槃)・非択滅)と道諦(無漏の智慧等)、

が、

無漏、

であり、それ以外のすべてが、

有漏、

である(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%84%A1%E6%BC%8F%E3%83%BB%E6%9C%89%E6%BC%8F・広辞苑)ともある。

因みに、「四諦」は「正行」で触れたように、

四聖諦、
四真諦、
苦集滅道、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6、人間の生存を苦と見定めた釈尊が、そのような人間の真相を四種に分類して説き示したもので、「諦」は、

梵語catur-ārya-satyaの訳、

で、

4つの・聖なる・真理(諦)、

を意味し、すなわち、

@苦諦(くたい、梵語duḥkha satya) 人間の生存が苦であるという真相。苦聖諦ともいう。人間の生存は四苦八苦を伴い、自己の生存は、自己の思いどおりになるものではないことを明かす。
A集諦(じったい、じゅうたい、梵語samudaya satya) 人間の生存が苦であることの原因は、愛にあるという真相。苦集聖諦ともいう。この愛とは、渇愛といわれるもので、ものごとに執着する心であり、様々なものを我が物にしたいと思う強い欲求である。このような欲求に突き動かされて行動することが、苦の原因であることを明かす、
B滅諦(めったい、梵語nirodha satya) 苦の原因である渇愛を滅することにより、苦がなくなるという真相。苦滅聖諦ともいう。渇愛を滅することで、生存に伴う苦しみが止滅し、覚りの境地に至ることを明かす、
C道諦(どうたい、梵: mārga satya) 渇愛を滅するための具体的な実践が八正道であるという真相。苦滅道聖諦ともいう。渇愛を滅し、苦である生存から離れるために行うべきことが、八正道であることを明かす。これが仏道、すなわち仏陀の体得した解脱への道となる、

をさすhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E8%AB%A6))

そして、

有漏無漏法、

で、

迷いの世界と悟りの世界とのあらゆる存在、

をいう(仝上)で、

道に迷ったり、どうして良いのか判断できずに困って彷徨っている、

様子をいう、

うろうろする、

の、

うろ、

に、

有漏、

を当てる説もあるが、こじつけかもしれない。

うろたふ、

の、

うろ、

とする説(志不可起・大言海)がある。

うろうろ、

は、擬態語のようだから、これが妥当な気がする。

「漏」(漢音ロウ、呉音ル)は、

会意兼形声。屚(ロウ)は、「尸(やね)+雨」からなり、屋根から雨がもることを示す会意文字。漏はさらに水をそえたもの、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。屚(ロウ 屋根から雨がもれる)とから成り、水どけいの意を表す。ひいて、「もる」「もれる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+屚)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「片開きの戸の象形と雲から水滴がしたたり落ちる象形」(「戸・屋根に穴が開いて雨水がもれる」の意味)から、「もれる」を意味する「漏」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1511.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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摩訶止観


天台宗の畏(かしこ)さは、般若や華厳摩訶止(まかし)観、玄義や釋籤倶視舎頌疏(ずんぞ)、法華経八巻(やまき)が其の論義(梁塵秘抄)、

の、

摩訶止観、

は、

天台摩訶止観、
天台止観、
止観、

ともいい、

法華三大部の一、

で、594年、隋の智(ちぎ 561〜632)述、灌頂(かんじよう)筆録の、

天台宗の根本的な修行である止観、すなわち瞑想法の体系的な記述、

で、その究極的世界観を明らかにする(大辞林)とある。

天台宗の観心(かんじん)を説き修行の根拠となる、

ともある(広辞苑)。

観心(かんじん)、

とは、

観法の一、

で、

自己の心を対象として観察すること、

をいい、天台宗で修行における中心課題とされる(デジタル大辞泉)。

天台三大部(てんだいさんだいぶ)、

は、

三大部、
法華大三部、

ともいい、中国天台教学の大成者である智(ちぎ)が講説した、

『妙法蓮華経文句(もんぐ 法華文句)』一〇巻、
『妙法蓮華経玄義(法華玄義)』一〇巻、
『摩訶止観』一〇巻、

の総称http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E4%B8%89%E5%A4%A7%E9%83%A8。これらは智の講説を門人の章安灌頂が筆録し整理したもので、智の法華教学が余すところなく展開され(仝上)、それぞれは、

『法華文句』は『法華経』の経文の解釈、
『法華玄義』は『法華経』の経題の解説、
『摩訶止観』は実践方法を説いている、

とある(仝上)。

摩訶止観、

の、

摩訶、

とは、

梵語mahā、

の音訳、

大・多・勝、

の意で、

摩訶者是梵語也。此翻有三義。一竪横無辺際故云大。二数量過刹塵故云多。三是最勝最上故云勝(「大日経開題(824頃)」)、

と、摩訶迦葉で触れたが、

大きいこと、偉大なこと、すぐれていることを表し、他の語や人名の上について美称として用いることも多い(精選版日本国語大辞典)とある。

止観、

は、

梵語 śamatha-vipaśyanā(シャマタ・ヴィパッサナー)、

の訳、仏教瞑想を構成する、

止は三昧、観は智慧、

を意味するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E6%AD%A2%E8%A6%B3

ヨーガ行、

である。サンスクリット語から、

奢摩他、
毘鉢舎那、

とも音写されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E8%A6%B3)。

止(シャマタ 奢摩他)、

は、

心の動揺をとどめて本源の真理に住すること、

観(ヴィパシヤナ 毘鉢舎那)は、

不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察すること、

である(仝上)。

止は禅定

に当たり、

観は智慧、

に相当し、ブッダは止により、人間の苦の根本原因が無明であることを自覚し、十二因縁を順逆に観想する観によって無明を脱した(仝上)とされる。

摩訶止観、

の、灌頂による序文には、

此の止観は、天台智者、己心中所行の法門を説く、

とあり、

円教教理に立脚した止観(円頓止観)による修行の方軌、

が詳述されているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E6%AD%A2%E8%A6%B3とある。

止観、

は、

即空即仮即中、

と言表される、

円融三諦の妙理(諸法実相)に繫念して妄念の流動を止息せしめる「止」、
と、

円融三諦(実相)に即して諸法を観察する「観」、

とを併称した天台独自の実践法であり(仝上)、

独自の発展を遂げた日本の天台宗のみならず、唐代以降の中国仏教、および日本の仏教諸宗派にも多大な影響を与えた(仝上)とある。

三大部の注釈は、唐代の、荊渓湛然(けいけいたんねん)の『玄義釈籤(しゃくせん)』『文句記』『止観輔行伝弘決(ふこうでんぐけつ)』が著名で、末疏(まっしょ)は数多い(日本大百科全書)とある。

三諦円融」で触れたように、天台宗が説く三つの真理は、

空諦(くうたい 一切存在は空である)、
仮諦(けたい 一切存在は縁起によって仮に存在する)、
中諦(ちゅうたい一切存在は空・仮を超えた絶対のものである)、

とされ、それぞれ、

独立の真理(隔歴(きゃくりゃく)三諦)、

とみるのでなく、

その本体は一つで三者が互いに円満し合い融通し合って一諦がそのままただちに他の二諦である、

として、

即空・即仮・即中、

とする(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)をいう。円融と隔歴の関係は、

無差別と差別、
絶対と相対、

という関係に近い(精選版日本国語大辞典)とある。この、

一切の存在には実体がないと観ずる空観(くうがん)、

と、

一切の存在は仮に現象するものであると観ずる仮観(けがん)、

と、

この空仮の二観を別々のものとしない中観(ちゅうがん)、

との三観を、

一思いの心に同時に観じ取ること、

を、

一心三観(いっしんさんがん)、

という(精選版日本国語大辞典)。一瞬の心のうちに、

空観、仮観(けかん)、中観の三観が成立する、

というのは、

竜樹の思想を実践しようとするもの、

ともされる(百科事典マイペディア)。

「圓融」(えんゆう 「えんにゅう」と連声になることが多い)は、漢語で、

公家之費、敷於民者、謂之円融(長編)、

と、

あまねくほどこす、

あるいは、

靈以境生、境因円融(符載銘)、

と、

なだらかにして滞りなし、

の意(字源)だが、天台宗・華厳宗では、

一切存在はそれぞれ個性を発揮しつつ、相互に融和し、完全円満な世界を形成していること、

つまり、

円満融通、

をいう(広辞苑)。

「三諦」(さんたい・さんだい)は、

有諦・無諦・第一義諦、

とも、また、

空諦・色諦・心諦、

ともいうhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E8%AB%A6%E5%86%86%E8%9E%8Dが、この三諦の真理を観ずる智慧として、

空観・仮観・中道観、

の三観を立てる。三諦と三観は、

所観の境、

と、

能観の智、

の関係だが、本来的には三観と三諦は同体であり、不二である(仝上)、とある。これを、

観法の側面、

から見ると、

一切の存在には実体がないとする空観、一切の存在は仮に現象するものであるとする仮観、空観と仮観の二観を別のものではないとする中道観の三観を順序や段階を経ずに一心のなかに同時に観じとること、

を、

一心三観、

といい、観法の究極的な目標とする。これに対して、

真理の側面、

から見ると、

空・仮・中の三諦が究極においてはそれぞれ別のものではなく、相互に障ることなく完全に融けあっているということ、

となる(仝上)。つまり、

相即無礙、

である(仝上)。

摩訶止観、

は、「止観」を、

漸次・不定(ふじょう)・円頓(えんどん)、

の3種でとらえ、

円頓止観、

こそ究極的な真理把握の方法とする(日本大百科全書)。

円頓止観(えんどんしかん)、

とは、天台宗が修行実践法として取る、法華経にのっとった観法で、

修行の階程や能力の差にかかわることなく、初めから実相を対象とし、行(修行)・証(修行の結果としての悟り)ともに円満で頓速な観法、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

一念の心に迷から悟にいたるあらゆるものごとが本来そなわっている、

という、

一念三千の理、

を心に観じる禅観的思惟によって体得されるものであるとして、その過程において突当るいろいろな壁を打開していく周到な用意を、綿密な配慮のもとに述べている(ブリタニカ国際大百科事典)とある。

智(ちぎ)、

は、

中国、隋代の僧。天台宗の開祖であるが、慧文(えもん)―慧思(えし)の相承から第三祖ともされ、

智者大師、
天台大師、

と称される。彼の教学思想は、

止観の法門、

として特徴づけられ、

一心三観(いっしんさんかん)、

を修して諸法の実相である、

円融(えんにゅう)の三諦(さんたい)、

を得知すべきことを教える法門であり、十観十境(じっかんじっきょう)の教え、方便(ほうべん)の教説、一念三千(いちねんさんぜん)説、が有機的に関連づけられて成り立つ壮大な法門である(日本大百科全書)とある。

「法華経」は「法華経五の巻」で触れた。

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犍陟駒(こんでいこま)


太子の御幸(みゆき)には、犍陟駒(こんでいこま)に乘りたまひ、車匿(しゃのく)舎人に口とらせ、檀特山(だんとくせん)にぞ入りたまふ、

の、

犍陟駒、

とは、

Kaṇṭhaka、

の音訳、

金泥駒、

とも当て、

悉達太子(しったたいし)が王宮を去って出家した時に乗った馬の名(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

とある。

悉達、

は、

Siddhãrtha、

の音訳。

悉達多(しったるた)、

とも当て、

目的を完成している者、

の意で、

一切事成、

等々とも訳す、

釈尊、

の名である(仝上)。

インド・ネパール国境沿いの小国カピラバストゥKapilavastuを支配していた釈迦(シャーキャ)族の王シュッドーダナŚuddhodana(浄飯(じようぼん)王)とその妃マーヤーMāyā(麻耶)の子としてルンビニー園で生まれた。姓はゴータマGotama(釈迦族全体の姓)、名はシッダールタSiddhārtha(悉達多)、

生後、占相によって命名された、

とされる(仝上・世界大百科事典)。

車匿(しゃのく)舎人、

の、

車匿(しゃのく・さのく)、

は、

Chandaka、

の音訳、

車匿舎人(しゃのくとねり)、

ともいい、

釈迦が出家のため王城を去ったとき、御者として従い、後に出家した人の名。傲慢(ごうまん)で他の僧と和合することがなかったが、釈迦入滅後は、阿難について学び、阿羅漢果を証した、

という(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「阿羅漢果」の「果」については、「四向四果」で触れた。

舎人(とねり)、

は、ここでは、

貴人に従う雜人(ぞうにん)、

をいい、

牛車(ぎっしゃ)の牛飼い、乗馬の口取、

を指す(広辞苑)。

檀特山、

の「檀特」は、梵語、

Daṇḍaka、

の音訳、

だんどくせん、

とも訓ませ、

北インド(現在のアフガニスタン)ガンダーラ地方にある、

とされ、

弾太落迦(だんだらか)、


とも称する。

釈迦の前身、須太拏(しゅたぬ)太子が菩薩の修行をした所、

といい(精選版日本国語大辞典)、釈迦も師事した、

アーラーラ・カーラーマ、

が住んでいたというhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E7%89%B9%E5%B1%B1。日本では、平安中期から、

悉達(しった)太子が苦行した場所、

とする俗説が行なわれ(精選版日本国語大辞典)、『うつほ物語』『梁塵秘抄』『平家物語』などにも登場する(仝上)。

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