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コトバ辞典


遣戸


山の調(しらめ)は櫻人、海の調は波の音、又嶋廻(めぐ)るよな、巫女(きね)が集ひは中の宮、嚴粧(けさう)遣戸(やりど)は此處(ここ)ぞかし(梁塵秘抄)、

の、

嚴粧遣戸(けさうやりど)、

の、

嚴粧、

は、

化粧、

の意のようで、

嚴粧遣戸、

で、

きれいに飾った遣戸、

の意らしいhttp://false.la.coocan.jp/garden/kuden/kuden0-1.html。ただ、

化粧、

には、

化粧垂木(けしょうだるき)、
化粧木舞(けしょうこまい)、

のように、

軒下や室内にあらわれている、

という意もあるが。

また、

櫻人、
波の音、

は、

催馬楽の一曲、

を指すようである(仝上)。

調(しらめ)、

は、

マ行下二段活用の動詞「調む」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの、

で、

調む、

は、

秋の名残を惜しみ、琵琶を調めて(平家物語)、

と、

調べる、

に同じで、

演奏する、

意である(精選版日本国語大辞典)。

遣戸、

は、

鴨居(かもい)と敷居(しきい)との溝にはめて、横に引いて開閉する戸、

のことで、いわゆる、

引き戸、

のことである。

開戸(ひらきど)に対す、送り遣りて開く故に云ふ、

とある(大言海)ので、

妻戸(つまど)、

の対である(学研全訳古語辞典)。ただ、寝殿造の外周建具は、扉の部分の、

妻戸(つまど)、

を除くと、大半は、

蔀戸(しとみど)、

であった。「蔀」については、「半蔀(はじとみ)」で触れた。

遣戸、

は、

平安時代の寝殿造で初めて用いられ、室町時代に入って書院造に多用された、

とあり(日本大百科全書)、引違いのものは、

違いの遣戸、

ともよばれた。また、遣戸のみでは室内が暗くなるので、

鴨居、敷居の樋端(ひばた 溝のへり)を三本溝とし、外側に板戸2枚、内側に障子を入れて明かり取りとした、

とあり、板戸で横に桟を何段にも入れて板押さえとしたものを、

舞良戸(まいらど)、

という(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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舎利


淡路はあな尊(たうと)、北には播磨の書冩をまもらへて、西には文殊師利、南え南海補陀落(ふだらく)の山(せん)に向ひたり、東(ひんがし)は難波の天王寺に、舎利(さり)まだおはします(梁塵秘抄)、

の、

舎利、

は、

しゃり、

とも訓み、

サンスクリット語シャリーラśarīra、

の音訳、原義は、

身体、

のことであるが、転じて、

遺骨、

とくに、

仏陀(ぶっだ 釈迦)の遺骨、

をさし、

仏舎利、
仏骨、

という(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。骨崇拝は先史時代よりあったが、仏教で舎利崇拝がおこったのは、

仏陀がクシナガラで入滅し、その遺体が火葬に付され、遺骨と灰が仏陀ゆかりの八つの土地に分納され、塔が建立され供養されて以来のこと、

とされる(仝上)。アショカ王は、上記八つの仏塔のうち七つを開けて舎利を分け、インド各地に多数の仏塔を建てたと伝わる(仝上)。わが国でも舎利供養のための法会(ほうえ)が行われた(日本書紀)が、1898年(明治31)ネパールにおいて、仏陀の遺骨とみられるものが発掘されて仏教諸国に分与され、日本では名古屋市覚王山の日泰(にったい)寺に安置奉祀(ほうし)されている(仝上)とある。舎利を安置する塔を、

舎利塔、

舎利を納めておく堂宇を、

舎利殿、

という(仝上)。法華経に、

佛滅度後、供養舎利、

翻譯名義集(南宋代の梵漢辞典)に、

佛舎利、椎撃不破、弟子舎利、椎試即砕也、

とある。

和名類聚抄(平安中期)に、

舎利、法華経云、以佛舎利、起七宝塔、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

御所遺骨分、通名舎利、

とある。

なお、

舎利、

は、

米粒、

また、

白飯、

を指して用いたりするのは、

仏舎利が米粒に似ていること、

によっており、近世から例が見え始める。ただし、仏舎利と米粒とを結び付ける例は中国唐代に既に見られ、日本でも空海撰「秘蔵記」に、

天竺呼米粒為舎利。仏舎利亦似米粒。是故曰舎利、

とあるが、これらは、梵語の、

米śāli、

と、

身体śarīra、

との混同に依るらしい(精選版日本国語大辞典)とある。

内舎人」で触れたように、「舎(舎)」(シャ)は、

会意兼形声。余の原字は、土を伸ばすスコップのさま。舎は「口(ある場所)+音符余」で、手足を伸ばす場所。つまり、休み所や宿舎のこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。音符「余 /*LA/」+羨符「口」(他の字と区別するための記号)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%8D

象形。口(垣根の形)と、(建物の形)と、亼(しゆう)(集の古字)とから成り、「やどる」、ひいて「おく」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(余+口)。「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる」の意味)と「ある場所を示す文字」から、心身をのびやかにして、「泊まる(やどる)」、「建物」、「ゆるす」を意味する「舎」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji841.html、微妙に解釈が異なる。

「利」(リ)は、

会意文字。「禾(いね)+刀」。稲束を鋭い刃物でさっと切ることを示す。一説に、畑をすいて水はけや通風をよくすることをあらわし、刀はここではすきを示す。すらりと通り、支障がない意を含む。転じて、刃がすらりと通る(よく切れる)、事が都合よく運ぶ意となる、

とある(漢字源)。

会意。「禾 (穀物)」+「刀」で、穀物を鋭い刃物で収穫するさまを象る。「するどい」を意味する漢語{利 /*rits/}および「もうけ」を意味する漢語{利 /*rits/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A9

は、前者、

会意。刀と、禾(か いね)とから成り、すきで田畑を耕作する意を表す。「犂(リ すき)」の原字。ひいて、収益のあること、また、すきのするどいことから「するどい」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(禾+刂(刀))。「穂先がたれかかる稲」の象形と「鋭い刃物」の象形から、稲を栽培し、鋭い刃物(すき)で土を耕す事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「するどい」・農耕に「役立つ」を意味する「利」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji592.html

は後者の説を採っている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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もくれんじ


聖(ひじり)の好む物、木の節(ふし)鹿角(わざづの)鹿の皮、蓑笠錫杖木欒子(もくれんじ)、火打笥(け)岩屋の苔の衣(梁塵秘抄)、

の、

木欒子(もくれんじ)、

は、

もくげんじ(欒樹・木槵子)、

の別称、

ムクロジ科の落葉高木、

で、

中国原産、寺院などに栽植。高さ10メートル以下、葉は羽状複葉。夏、黄色の小花を大きな花序につけ、長楕円形の刮ハ(さくか)を結ぶ。球形の種子は数珠玉に用い、また、花を眼薬や黄色染料とする、

とある(岩波古語辞典・広辞苑)

センダンバノボダイジュ、
ムクレニシ、
ムクレンジノキ、
モクレンジュ、
モクレンジ(木欒樹)、
ムクロジュ(無患子・木穂子)、

ともいい、古名、

ムクレジ(牟久礼之)、
ムクレニ(牟久礼邇)、
ムクレニシ、

とあり(大言海・https://gkzplant.sakura.ne.jp/mokuhon/syousai/magyou/mo/mokurennju.html)、漢名、

欒華、
欒樹、
木欒子、

である(仝上・精選版日本国語大辞典)。色葉字類抄(平安末期)に、

欒、モクレンシ、木槵子、モク(ク)ェンシ、可用念珠木名、

とある。和名ムクロジは、モクゲンジの漢名、

木欒子、

を誤用し、その字音に由来していると言われる(仝上・大言海)が、

モクゲンジ(無患子・木穂子)、

が、

ムクロジの漢名、

無患子、

の誤用(日本語源大辞典・牧野新日本植物図鑑・精選版日本国語大辞典)ともある。いずれにせよ、

木欒子(もくれんじ)、

つまり、

欒樹・木槵子(もくげんじ)、

が、

むくろじ(無患子)、

を、誤称したことに間違いはない。

ムクロジ、

は、

漢名無患子の音の転(名言通)、
ムクレニシ(木欒子)の誤りの誤用(大言海)、

という転訛とは別に、

ムクロジが家にあると病を知らないとして「無患子」(むくろし)と呼ばれるようになった、
実のなる様子を「ツブナリ」と表現し、これが転訛した、
種子が黒いため「実黒地(みくろじ)」が転訛した、

等々の説があるhttps://www.uekipedia.jp/%E8%90%BD%E8%91%89%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9が、どうも漢語との関係から見ると、後付けの説のようである。。

「欒」(ラン)は、

会意兼形声。䜌は、むつれるを含む。欒はそれを音符とし、木を添えた字、

とある(漢字源)。

むくろじ科の落葉小高木。種子は球形でかたく、数珠につかわれる、

とあり、

もくげんじ、

とも(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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八大童子


大峯(おほみね)通るには、佛法修行する僧ゐたり、唯一人、若や子守は頭(かうべ)を撫でたまひ、八大童子は身を護る(梁塵秘抄)、

の、

八大童子、

は、

不動八大童子(ふどうはちだいどうじ)、
八大金剛童子(はちだいこんごうどうじ)、

とも呼ばれ、

不動明王に随従する8種の尊像を童子形に造形化したもの、

をいい、

不動明王の種字「唅(かん=hāṃ)」字より発生し、四智(金剛智、灌頂智、蓮華智、羯磨智)と四波羅蜜(金剛波羅蜜、宝波羅蜜、法波羅蜜、業波羅蜜)を具現化した八尊、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%A5%E5%AD%90。「種子(しゅじ)」、は、密教において、、

仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)、

で、「加持」で触れたように、普通には、

長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)

と区別する(日本大百科全書)。

密教では、「八大童子」を、

慧光(えこう)童子、
慧喜(えき)童子、
阿耨達(あくた・あのくた)童子、
持徳(指徳)(しとく)童子、
烏俱婆伽(うぐばか)童子、
清浄比丘(しようじようびく)、
矜羯羅(こんがら)童子、
制吒迦(せいたか)童子、

のを八人の童子いう(精選版日本国語大辞典)が、修験道では、

除魔・後世・慈悲・悪除・剣光・香精・検増・虚空、

の八童子をいう(仝上)とある。中国で撰述された偽経、

聖無動尊一字出生八大童子秘要法品、

に記された諸尊である(世界大百科事典)とある。このうち

矜羯羅(Kiṃkara 随順・奴隷と漢訳)、
制吒迦(Ceṭaka 福聚勝者と漢訳)、

の2童子が、

不動明王の両脇侍、

とされることが多い(世界大百科事典)とあり、

不動明王二童子像、

または、

不動三尊像、

と言い、三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に、

制吒迦童子、

左(向かって右)に、

矜羯羅童子を配置しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B

矜羯羅童子、

は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、

制吒迦童子、

は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い(仝上)とある。

脇士」には、不動明王には制多迦・衿迦羅の二童子が配されるが、薬師如来では、

日光・月光二菩薩、

あるいは

薬王・薬上菩薩、

が脇侍とされ、

般若菩薩には、

梵天・帝釈の二天、

が配される。釈迦像に脇侍を付す例は、すでに、インドの、

マトゥラーの石彫像以来認められる、

という(世界大百科事典)。

不動明王、

は、ヒンドゥー教のシバ神の異名で、

アチャラナータAcalanāta、

といい、漢音で、

阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)、

とあてる。アチャラは、

動かない、

ナータは、

守護者、

を意味し、

揺るぎなき守護者、

の意味となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて、

忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像、

で、その姿は、

不動、如来使、持慧力羂索、頂髻垂左肩、一目而諦観、威忿怒身猛炎、安住在盤石、面門水波相、充満童子形(大日経)、

不動明王、如来使者、作童子形、右持大慧刀印、左持羂索、頂有莎髻、屈髪垂在左肩、細閉左目、以下歯噛右邊上脣、其左邊下脣稍翻外出、額有皺紋、猶如水波相、坐於石上、其身卑而充満肥盛、作奮怒之勢、極忿之形、是其密印幖幟相也(仝上)、

と、

片目あるいは両目を見開き、牙を出し、下の歯で上唇を噛む忿怒相を示し、頭の頂には七髻(けい)があり、左肩には弁髪の一端を垂らし、左手に羂索(けんさく)、右手に利剣をとり、大火炎を背負って大磐石座の上に坐す、

形である(ブリタニカ国際大百科事典)。なお、「羂索(けんさく・けんじゃく)」については「弁才天」で触れたように、仏菩薩の、衆生を救い取る働きを象徴するもので、色糸を撚り合わせた索の一端に鐶、他の一端に独鈷(どっこ)の半形をつけたものである。

不動明王は、密教では、

行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降し、衆生(しゅじょう)を守る、

とされ(日本大百科全書)、

五大明王、
八大明王、

では中央に位置する主尊となる(仝上)。

五大明王(ごだいみょうおう)、

は、

密教特有の尊格である明王のうち、中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたものである。本来は別個の尊格として起こった明王たちが、中心となる不動明王を元にして配置されたものである、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%8E%8B

不動明王を中央として、東西南北におのおの降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)の四大明王を配置した一組一体からなる明王部の尊形、

である(日本大百科全書)。

五大尊、

ともいい、いずれも忿怒の形相を表わすので、

五忿怒、

ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。

八大明王(はちだいみょうおう)、

は、八方守護をつかさどる、

八体の明王、

で、

八大菩薩の変現したもの、

をいい、

降三世(金剛手菩薩)・大威徳(妙吉祥菩薩)・大笑(虚空蔵菩薩)・大輪(慈氏菩薩)・馬頭(観自在菩薩)・無能勝(地蔵菩薩)・不動(除蓋障菩薩)・歩擲(ぶちゃく 普賢菩薩)、

の明王となる(仝上 五大明王、八大明王についてはhttp://butuzou.jpn.org/b-world/buddha/html/bmyoou.htmlに詳しい)。

不動明王、

は、

密教の根本尊である、

大日如来の化身、

と見なされ、

お不動さん、

の名で親しまれ、

大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、
無動明王、
無動尊、
不動尊、

などとも呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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能化


天台大師は能化の主(す)、眉は八字に生(お)いわかれ、法(のり)の使(つかひ)に世に出(い)でて、殆ど佛(ほとけ)に近かりき(梁塵秘抄)、

の、

能化(のうげ・のうけ)、

は、「六道能化」で触れたように、

能く化すということ、

で、

「化」は教える、指導する、

という意味で、

我及諸子若不時出。必為所焼者。我譬能化仏、諸子譬所化衆生(法華義疏)、

と、師として、

他を教化できる者、

の意だが、主として、衆生(しゅじよう)を教化する、

仏・菩薩、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

教化されるほう、つまり一切衆生(いっさいしゅじょう)は、

衆生世闡ヲ所化機、智正覺世闡ヲ能化主(華厳玄談)、

と、

所化(しょけ)、

という(大辞林)。「能化」は、転じて、

雖為本寺住山、不労所学者、不可許能化事(「御当家令条・関東真言宗古義諸法度(1609)」)、

と、

一宗派の長老・学頭、

などを称し、真言宗では一山の総主、真宗では本願寺派で学頭職をいい(精選版日本国語大辞典)、西本願寺では、門主・良如の時代に僧侶の教育機関である学寮(後に学林)が設けられ、その学長として能化職が置かれ、学生は所化(しょけ)と呼ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%8C%96とある。

さらに派生して、

その郡や村県にちっとも学の方の材ある者をばすすめて京えのぼせて学問所の能化(ノウケ)や物をひろう知た博士先生に付て学問させたぞ(「玉塵抄(1563)」)、

と、

特にすぐれた僧。寺院、宗派の指導者、

をも指し、もっと一般化して、

能化(ノウケ)の姉女郎寄掛て聴聞あり(浮世草子「傾城禁短気(1711)」)、

と、

他をよく導く者、指導者、

をも指すに至る(仝上)。

「能」(@漢音ドウ、呉音ノウ・ノ、A漢音ダイ、呉音ナイ、慣用タイ)は、

会意兼形声。ム(イ 以)は、力を出して働くことを示す。能は「肉+かめの足+音符ム」で、かめや、くまのようにねばり強い力を備えて働くことを表す、

とあり(漢字源)、「非不能也(能ハザルニアラザルナリ)」と、「あたう」「欲物事をなしうる力や体力があってできる」「たえうる」という意味、「有能」「技能」「才能」の「琴を遣りうる力」の意味、「能弁」のやり手、達者の意などでは@の音、寒キニ能フ、というような「たえる」意ではAの音、となる(仝上)。別に、

象形。熊またはそれに似た動物を象る。ある種の動物を指す漢語{能 /*nəə/}を表す字。のち仮借して「できる」を意味する漢語{能 /*nəəng/}に用いる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%BD

説文解字では「肉」や「㠯」に従うと解釈されているが、甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、

とする(仝上)。象形説は、

象形。毛をさかだて、大きな口をあけておそいかかるけものの形にかたどり、くまの意を表す。借りて「あたう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「尾をふりあげ大きな口を開けた熊(くま)」の象形から熊の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ある動作をする事ができる」、「能力」を意味する「能」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji805.html

「化」(漢音カ、呉音ケ)は「化生」で触れたように、

左は倒れた人、右は座った人、または、左は正常に立った人、右は妙なポーズに体位を変えた人、いずれも両者を合わせて、姿を変えることを示した会意文字、

とある(漢字源)が、別に、

会意。亻(人の立ち姿)+𠤎(体をかがめた姿、又は、死体)で、人の状態が変わることを意味する、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%96

会意形声。人と、𠤎(クワ 人がひっくり返ったさま)とから成り、人が形を変える、ひいて「かわる」意を表す。のちに𠤎(か)が独立して、の古字とされた、

とか(角川新字源)、

指事文字です。「横から見た人の象形」と「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から「人の変化・死にさま」、「かわる」を意味する「化」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji386.htmlとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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一乗


娑婆に須臾(しばし)も宿れるは、一乗聴くこそあはれなれ、嬉しけれ、や、人身再び受け難(がた)し、法華経に今一度、いかでか参り會はむ(梁塵秘抄)、

の、

一乗、

は、サンスクリット語、

エーカ・ヤーナeka-yāna(一つの乗り物)、

の訳語、

「一」は唯一無二の義、
「乗」は乗物、

の意、

開闡一乗法、導諸群生、令速成菩提(法華経)、

と、

乗物の舟車などにて、如来の教法、衆生を載運して、生死を去らしむる、

とあり(大言海)、乗(乗り物)は、

人々を乗せて仏教の悟りに赴かせる教え、

をたとえていったもので、

真の教えはただ一つであり、その教えによってすべてのものが等しく仏になる、

と説くことをいう(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)とある。「声聞」で触れたように、

悟りに至るに3種の方法、

には、

声聞乗(しょうもんじょう 仏弟子の乗り物)、
縁覚乗(えんがくじょう ひとりで覚(さと)った者の乗り物)、
菩薩乗(ぼさつじょう 大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)、

の三つがあり、

三乗、

といい、『法華経』では、この三乗は、

一乗(仏乗ともいう)、

に導くための方便(ほうべん)にすぎず、究極的にはすべて真実なる一乗に帰す、

と説き(仝上)、

三乗方便・一乗真実、

といい、それを、

一乗の法、

といい、主として、

法華経、

をさす(仝上)。

声聞」で触れたように、

声聞、

は、

梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、

の訳語、

声を聞くもの、

の意で、

釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、

である(精選版日本国語大辞典)のに対して、

縁覚(えんがく)、

は、

梵語pratyeka-buddhaの訳語、

で、

各自にさとった者、

の意、

独覚(どっかく)、

とも訳し、

仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、

をいう(仝上・日本大百科全書)。

菩薩、

は、

サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、

の音訳、

菩提薩埵(ぼだいさった)、

の省略語であり、

bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、

より、

悟りを求める人、

の意であり、元来は、

釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、

をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。つまり、部派仏教(小乗)では、

菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、

だけを意味する。そして他の修行者は、

釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。

阿羅漢、

とは、

サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、

で、

尊敬を受けるに値する者、

の意。

究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、

をいう。部派仏教(小乗仏教)では、

仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、

をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、

無学(むがく)、

ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教では、

個人的な解脱を目的とする者、

とみなされ、

声聞、
独覚(縁覚)、

を並べて、二乗・小乗として貶しており、

悟りに至るに3種の方法、

である、

三乗、

を、

声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、

とし、大乗仏教では、

菩薩、

を、

修行を経た未来に仏になる者、

の意で用いている。

悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、

また、仏の後継者としての、

観世音、
彌勒、
地蔵、

等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、

小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、

とされた。

なお、法華経については、「法華経五の巻」で触れた。

「乘(乗)」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意文字。「人+舛(左右の足の部分)+木」で、人が両足で木の上にのぼった姿を示す。剩(ジョウ 剰 水準より上にのほける→あまり)の音符となる、

とある(漢字源)。別に、

会意。人が樹上に乗るさまを象る[字源 1]。「のる」「のぼる」を意味する漢語{乘 /*ləŋ/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%98

会意文字です(大+舛+木)。「両手両足を開いた人」の象形と「両足を開いた」象形と「木」の象形から、木にはりつけになってのせられた人を意味し、そこから、「のる」を意味する「乗」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji188.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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沙竭羅王(しゃがらおう)


龍女が佛(ほとけ)に成ることは、文殊のこしらへとこそ聞け、さぞ申す、沙竭羅王(しゃがらわう)の宮を出でて、變成男子として終(つい)には成佛道(梁塵秘抄)、

文殊の海(かい)に入(い)りしには、沙竭羅王波をやめ、龍女が南に行(ゆ)きしかば、無垢や世界にも月澄めり(仝上)、

の、

沙竭羅王(しゃがらおう)、

は、

沙羯羅王、

とも当て、

沙伽羅龍王、

とも、

しゃかつら、
しゃかちら、
しゃがら、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

八大竜王の娑伽羅(しゃから)、

の別の呼び名、

とあるhttps://naming-dic.com/wa/word/62270957

「沙伽羅」は、

Śāgara、

の音訳。「沙伽羅」の他、

娑羯羅、
沙竭、
沙羯羅、
娑伽羅、

などと当てている(精選版日本国語大辞典)。

八大龍王の一つ、

で、

観音二十八部衆の一つ、

であり、

護法の龍神、

また、

降雨の龍神、

として、

請雨法のおりの本尊、

とされる(仝上)。

八大龍王(はちだいりゅうおう)、

は、

八龍王、
八大龍神、

ともいい(大言海)、

有八龍王、難陀龍王、跋難陀、娑伽羅竜王、和修吉龍王、徳叉迦龍王、阿那婆達多龍王、摩那斯龍王、優鉢羅龍王等、各與若干百千眷属俱ト説ケリ(法華経・序品)、

と、

難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)、

の八龍王をさす(仝上・精選版日本国語大辞典)。

娑伽羅龍王、

は、

海や雨をつかさどる、

とされることから、

時により過ぐれば民の歎きなり八大龍王雨やめ給へ(金槐集)、

と、

航海の守護神、

雨乞いの本尊、

とされる(仝上)。

竜族の八王、

は、

霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。釈迦は「妙法蓮華経」の第二十五 観世音菩薩普門品に遺されているように「観音菩薩の御働き」を説いた。その結果、「覚り」を超える「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)、無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を得て、護法の神となるに至った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B。この八大龍王、

は、

天龍八部衆、

に所属するとされるが、

八部衆
竜神八部、

ともいう、

仏教を守護する異形の神々、

で、

天(天部)、竜(竜神・竜王)、夜叉(やしゃ 勇健暴悪で空中を飛行する)、乾闥婆(けんだつば 香(こう)を食い、音楽を奏す)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら 金翅鳥で竜を食う)、緊那羅(きんなら 角のある歌神)、摩睺羅迦(まごらか 蛇の神)、

の8神をいう(精選版日本国語大辞典)。「迦楼羅」については「迦楼羅炎」で触れた。

竜宮」で触れたが、

爾時、文殊師利、坐千葉蓮花、大如車輪、俱來菩薩、亦坐寶蓮華、従於大海、婆竭羅龍宮、自然湧出、住虚空中(妙法蓮華経・提婆達多品)、

とあるように、

大海の底に娑竭羅(しやから)竜王の宮殿があって、縦広8万由旬(ゆうじゆん 1由旬は帝王1日の行軍里程)もあり、七重の宮牆(きゆうしよう)、欄楣(らんび)などはみな七宝をもって飾られている(長阿含経)、

とか、

海上に白銀、瑠璃、黄金の諸竜宮があって、毒蛇大竜がこれを守護しており、竜王がここに住み珍宝が多い(賢愚因縁経)、

などと説く(大言海・世界大百科事典)、

娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘(第三王女)、

は、

善女(如)龍王、

と呼ばれ、

その年わずか八歳の竜少女、

とあり(妙法蓮華経・提婆達多品)、文殊師利菩薩はこの竜女は悟りを開いたと語るも、

智積菩薩はこれに対し、お釈迦様のように長く難行苦行をし功徳を積んだならともかく、僅か8つの女の子が仏の悟りを成就するとは信じられないと語った。また釈迦の弟子の舎利弗も、女が仏になれるわけがないと語った。

のに、

竜女はその場で法華経の力により即身成仏し、それまで否定されていた女子供でも動物でも成仏ができることを身をもって実証した、

とあるhttps://www.wdic.org/w/CUL/%E5%A8%91%E7%AB%AD%E7%BE%85%E9%BE%8D%E7%8E%8B%E3%80%82%E5%A5%B3

なお、

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)、

は、

千手観音の眷属、

で、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配されており、合計で二十八部衆となる。

娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)、

は、27番目に数えられているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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頭陀


法華経持(たも)てばおのづから、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、経には是名持戒、行頭陀者(づださ)と説いたれば、佛(ほとけ)の道には障(さわり)あらじ(梁塵秘抄)、

の、

是名持戒、
行頭陀者、

は、

法華経見宝塔品第十一の偈文、

であり、

此経難持
若暫持者
我即歓喜
諸仏亦然
如是之人
諸仏所歎
是則勇猛
是則精進
是名持戒
行頭陀者
則為疾得
無上仏道

云々とつづくhttp://www.kujhoji.or.jp/youten/sub14_2_09.htm

是戒を持ち 
頭陀を行ずる者と名く、

ということらしい(仝上)。

乞食」、「斗藪(とそう)」で触れたように、「頭陀(ずだ・づだ)」は、

梵語ドゥータ(dhūta)、

の音写、

洗い流すこと、
除き去ること、

が原意(本大百科全書)、

頭陀者、漢言抖擻、謂抖擻煩悩離諸滞着(四分律行事鈔)、

と、

抖擻(とそう)、

と訳し(抖擻はふるい落とす意)、

払い除くの意、

で、

頭陀此應訛也、正言杜多、譯云洮汰、言大灑也、舊云抖擻、一義也(玄應音義)、

と、玄奘(げんじょう)は、

杜多、

と当てた(仝上・大言海)。「頭陀」は、

頭陀支(ずだし)、
頭陀行(ずだぎょう)、

とも呼ばれ、

衣食住に対する欲求などの煩悩を取り除く、

意味でhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1980/129/1980_129_L88/_pdf/-char/ja

世尊爾時以此因縁集比丘僧、為諸比丘随順説法、無数方便讃歎頭陀端嚴少欲知足楽出離者(四分律)、

と、仏陀も頭陀行をすることを賞賛していた、とある(仝上)。上記、「十二頭陀」(じゅうにずだ)とは、

仏道修行者が守るべき衣食住に関する一二の基本的規律、

で、

衲衣(納衣 のうえ 人が捨てたぼろを縫って作った袈裟)・但三衣・常乞食・不作余食(次第乞食)・一坐食・一揣食・住阿蘭若処(あらんにゃ)・塚間坐・樹下坐・露地坐・随坐(または中後不飲漿)・常坐不臥の十二項目(顕戒論)、

とされる(精選版日本国語大辞典)が、

十二または十三の実践項目、

とし、

糞掃衣(ふんぞうえ 捨てられた布片を綴りあわせて作られた衣を着用する)、
但三衣(たんざんえ 三衣一鉢(さんえいっぱつ)、大衣・上衣・中着衣の三衣のみを着用する)、
持毳衣(じぜいえ 毛織物で作った衣のみを保持する)、
常乞食(じょうこつじき 托鉢乞食のみによって食物を得る)、
次第(しだい)乞食(行乞時には貧富好悪を選別せず、順次に行乞する)、
一食法(一日一食のみ食する)、
節量食(食を少なく、過食をしない)、
時後不食(食事の後で再び食事・飲み物を摂ってはいけない)、
阿蘭若住(あらんにゃじゅう 人里離れたところを住所とする)、
樹下坐(じゅげざ 樹の下を住所とする)、
露地坐(ろじざ 常に屋外を住所とする)、
塚間住(ちょうけんじゅう 塚墓つまり墓所の中やその近くを住所とする)、
随得敷具(ずいとくしきぐ 与えられたいかなる臥坐具(がざぐ)・住所も厭わず享受する)、
常坐不臥(じょうざふが 常に坐して横臥しない)、

などを挙げているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A0%AD%E9%99%80。「頭陀支(ずだし)」は、

パーリ(上座部仏教)系では13支、
大乗系では12支、

を立てるとあり(日本大百科全書)、諸部派・大乗の文献で項目や配列に若干の相違があるようである(仝上)。

因みに、頭陀の修行者が常に携行する持ち物を、

頭陀十八物(ずだのじゅうはちもつ)、

といい、持ち物を入れるために首に掛ける袋を、

頭陀袋(ずだぶくろ)、

という(仝上)。これが転じて、死装束の一つとして、

首にかけて、死出の旅路の用具を入れる袋、

つまり、

僧侶の姿になぞらえて浄衣(経帷子きょうかたびら)を着せた遺体に、六文銭などを入れて首に掛ける。三衣袋(さんねぶくろ)と称して、血脈を入れることがある、

を頭陀袋と呼ぶ(仝上・広辞苑)。

頭陀行(ずだぎょう)、

は、

乞食行(こつじきぎょう)、
行乞(ぎょうこつ)、

ともいうが、

托鉢(たくはつ、サンスクリットpindapata)

である。

信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行、

となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2

「陀」(漢音タ、呉音ダ)は、

会意兼形声。「阜+音符它(タ 長くのびる)」、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(阝+它)。「段のついた土の山」の象形と「蛇(へび)」の象形(「蛇」の意味)から「蛇のように曲がりくねった険しい崖」を意味する「陀」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2777.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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持戒


法華経持(たも)てばおのづから、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、経には是名持戒、行頭陀者(づださ)と説いたれば、佛(ほとけ)の道には障(さわり)あらじ(梁塵秘抄)、

の、

持戒、

は、

持律、

ともいい、

仏教の戒律を堅く守ること、

である(精選版日本国語大辞典)。

智慧によって欲望を制御して、悪を行わないように自覚的に実践すること、

である(ブリタニカ国際大百科事典)。「