何ぞ湯涌すぞと見れば、此の水と見ゆるは味煎(みせん)なりけり(今昔物語)、 とある、 味煎、 は、 甘味料、あまづら(植物)から取った汁をにつめる、 と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。 未煎、 蜜煎、 とも当て(大言海)、字鏡(平安後期頃)に、 未煎、ミセン(甘葛)、 とあり、 あまづらせん(甘葛煎)に同じ、 とあり(仝上)、 あてなるもの 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷にあまづら入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる(枕草子)、 と、 あまづら、 とも言った(仝上)。 アマヅラ、 の、 ツラ、 は、 蔓なり、 とある。「つら」は、 連(つら)の義、 で、 今、つる(蔓)と云ふ、 とあり(仝上)、 甘蔓(あまづる)の意、 とある(岩波古語辞典)。 「甘葛煎」は、「甘茶」で触れたように、 アマヅル、 アマヅラ、 という、ブドウ科のつる性の植物から、 春若芽の出る前にそのツルを採って煎じ詰めて用いた(たべもの語源辞典)。 「甘茶」には何種類かあるが、 甘葛煎、 も、 甘茶、 といった(大言海・たべもの語源辞典)。 「味煎」は、中世後期に砂糖の輸入がはじまり、近世になってその国内生産が増大するとともに、位置をゆずって消滅した(世界大百科事典)。 「甘葛」は、 アマチャヅル、 のこととする説があるが、「甘茶」で触れたように、 アマチャヅル、 は、 ウリ科、 の多年草で、これから、 甘茶、 をつくり、 ツルアマチャ、 アマカヅラ、 というが、別物である。 また、今日、 アマヅル、 という、 男葡萄、 の名のある、 ブドウ科ブドウ属、学名Vitis saccharifera、 は(https://matsue-hana.com/hana/otokobudou.html)、「アマヅラ」とも呼ばれた古くからある「アマヅル」とは別のようだが、 一般的にはブドウ科のツル性植物(ツタ(蔦)など)のことを指しているといわれる。一方で、アマチャヅルのことを指すという説もあり、どの植物かは明かではない、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%85%E3%83%A9)、どの植物を指すかはっきりしない(仝上)という。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版) 坊主の僧、思ひかけずと云ひて、経営(けいめい)す。然れども湯ありげもなし(今昔物語)、 俎(まないた)五六ばかり竝べて様々の魚鳥を造り、経営す(仝上)、 とある、 経営、 は、 何かと設備する、接待する、 意とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「経営」は、普通、 けいえい、 と訓み、今日、 会社を経営する、 経営が行き詰まる、 などと 継続的・計画的に事業を遂行すること、 特に、 会社・商業など経済的活動を運営すること、また、そのための組織、 の意で使う(広辞苑)が、「経営(けいえい)」は漢語で、 家屋をはかりいとなむ、 意で、 経始霊臺、經之營之(詩経・大雅)、 と使う、 経始(けいし)、 と同義で、 家屋を建て始める、 意で、 經、 は、 地を測量する、 意とあり(字源)、 經は、縄張なり、營は、其向背を正すなり、 ともある(大言海)。「縄張」は、 縄を張って境界を定める、 つまり、 建築の敷地に縄を張って建物の位置を定める、 意であり、 経始(ケイシ)、 と同義となる(大辞林)。 その意味で、原義は、上記の、 経始霊臺、經之營之、庶民攻之、不日成之(詩経・大雅)、 と、 営むこと、 造り構ふること、 基を定めて物事を取立つること、 の意になる(大言海)。そこから転じて、 欲経営天下、混一諸侯(戦国策)、 と、 事を計(はから)ふこと、 の意で使う(大言海)。日本でも、 仏殿・法堂……不日の経営事成て、奇麗の粧ひ交へたり(太平記)、 と、 なわを張り、土台をすえて建物をつくること、 の意や、それをメタファに、 御即位の大礼は、四海の経営にて(太平記)、 物事のおおもとを定めて事業を行なうこと、 特に、 政治、公的な儀式について、その運営を計画し実行すること、 の意や、 多日の経営をむなしうして片時の灰燼となりはてぬ(平家物語)、 と、 力を尽くして物事を営むこと、 さらには、上記の、 房主(ぼうず)の僧、思ひ懸けずと云ひて経営す、 と、 あれこれと世話や準備をすること、 忙しく奔走すること、 の意や、 傅(めのと)達経営して養ひ君もてなすとて(とはずがたり)、 と、 行事の準備・人の接待などのために奔走すること、 事をなしとげるために考え、実行すること、 の意で使う(広辞苑・日本国語大辞典)。「奔走する」意からの派生か、 弓場殿方人々走経営、……有火(御堂関白記)、 と、 意外な事などに出会って急ぎあわてること、 の意で使うが、「接待などのために奔走する」意と、「急ぎあわてる」意で使うとき、 けいめい、 と訓ませる(精選版日本国語大辞典)とある。さらに、「あれこれ工夫し考える」意の派生からか、 面白く経営したる詩也(中華若木詩抄)、 と 工夫して詩文などを作ること、 の意や、「考えめぐる」意の派生か、 諸国経営(ケイエイ)して(医者談義)、 と、 めぐりあるく、 意で使ったりする(仝上)。 この意味の流れからは、今日の、 継続的・計画的に事業を遂行すること、特に、会社・商業など経済的活動を運営すること、 の意は、「経営」の意の外延にあるといえる。 「經(経)」(漢音ケイ、呉音キョウ、唐音キン)は、 会意兼形声。巠(ケイ)は、上の枠から下の台へ縦糸をまっすぐに張り通したさまを描いた象形文字。經は、それを音符とし、糸篇を添えて、たていとの意を明示した字、 とある(漢字源)が、 形声。もと「巠」が「經」を表す字であったが、糸偏を加えた、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%93#%E5%AD%97%E6%BA%90)、 形声。織機のたて糸、ひいて、すじみち、おさめる意を表す、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(糸+圣(磨j)。「より糸」の象形と「はた織りの縦糸」の象形から「たていと」、「たて」を意味する「経」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji745.html)ある。 「營(営)」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、 会意兼形声。營の上部は、炎が周囲をとりまくこと。營はそれを音符とし、宮(連なった建物)を加えた字で、周囲をたいまつで取巻いた陣屋のこと、 とある(漢字源)。別に、 形声。意符宮(宮殿。呂は省略形)と、音符熒(ケイ→エイ 𤇾は省略形)とから成る。周囲に土を盛り上げた住居の意を表す。転じて「いとなむ」意に用いる、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(熒の省略形+宮)。「燃え立つ炎」の象形(「夜の陣中にめぐらすかがり火」の意味)と「建物の中の部屋が連なった」象形(「部屋の多い家屋」の意味)から、周囲にかがり火をめぐらせた「屋敷」を意味する 「営」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji829.html)ある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 簡野道明『字源』(角川書店) 其の時一の人の御許に恪勤(かくごん)になむ候ひける(今昔物語)、 とある、 恪勤(かくごん)、 は、 侍、家人、 とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。 「恪勤」は、 かっきん、 かくご、 などとも訓ませ、「ごん」は、 「勤」の呉音、 で(精選版日本国語大辞典)、 かくご、 は、 カクゴンの転、 で(岩波古語辞典)、 「かくごん」の撥音「ん」の無表記、 とある(大辞林・大辞泉)。 恪勤、 は、漢語で、 カッキン、 と発音、 朝夕恪勤、守以淳徳、奉以忠信(國語)、 とあるように、 つつしみてつとめる、 意であり、本来、 然纔行一二、不能悉行、良由諸司怠慢不存恪勤、遂使名宛員数空廃政事(続日本紀) と、 任務に忠実なこ、 怠ることなく勤めること、 つまり、 精勤、 の意であり(精選版日本国語大辞典)、 かくごん、 かくご、 かっきん、 などと訓ませた(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AA%E5%8B%A4)。この、 任務や職務などをまじめに勤めること、 が、 令制では、官人の勤務評定の際、最も重要な項目の一つとされた、 ためか、平安時代、 凡称侍者、親王大臣以下恪勤之名也(職原抄)、 とあるように、 小一条院の御みやたちの御めのとのおとこにて、院の恪勤してさぶらひ給、いとかしこし(大鏡)、 と、 院、親王家、摂関家、大臣家、門跡などに仕えて宿直や雑役を勤仕する侍、 また、 その侍として仕えること、 の意に転じ(精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)、 恪勤者(かくごしゃ)、 ともいわれ、 かくごん、 とも、 かくご、 とも訛った(精選版日本国語大辞典・広辞苑・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AA%E5%8B%A4)。さらに、武家でも、鎌倉幕府の職制が公家を模したためこの役も設置され、室町幕府にも受けつがれ、 権門高家の武士共、いつしか、諸庭奉行人と成り、或は軽軒香車の後(しりへ)に走り、或は青侍(せいし)挌勤(カクコ)の前に跪(ひざま)づく(太平記)、 と、 侍所に属して、宿直や行列の先走りなど、幕府内部の雑役に従事した小役、 で、のちに、 御末衆(おすえしゅう)、 と呼ばれ(仝上)、 恪勤侍(かくごのさむらい)、 などともいい(仝上・日本国語大辞典)、 かくごん、 かくご、 と訓ませた(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AA%E5%8B%A4)。同じ御所に仕える侍の中でも、将軍に近侍して警衛にあたった上級武士は、 番衆、 と呼ばれ、雑役にあたる下級の侍を、 恪勤、 と呼んだ(世界大百科事典)。 「恪」(カク)は、 会意兼形声。各(カク)は「口(かたいもの)+夊(あし)」の会意文字で、足がかたい物につかえて止まること、恪は「心+音符各」で、心がかたくかどばってつかえること、 とあり(漢字源)、「恪勤(カッキン)」の、つつしむ、堅苦しい意である。 「勤(勤)」(漢音キン、呉音ゴン)は、 会意兼形声。堇(キン)は、「廿(動物の頭)+火+土」の会意文字で、燃やした動物の頭骨のように熱気で乾いた土のこと。水気を出し尽して、こなごなになる意を含む。勤は、それを音符とし力を加えた字で、細かい所まで力を出し尽して余力がないこと。それから、こまめに働く意をあらわす、 とある(漢字源)。別に、 会意形声。「力」+音符「堇」。「堇」は「革」を下から火で炙り乾かす様、「乾」や「艱」と同系。余力がなくなるまで力を出し尽くして働く、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8B%A4)、 会意兼形声文字です(菫+力)。「腰に玉を帯びた人(腰に帯びた玉の色から黄色の意味)と土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「黄色の粘土」の意味)と「力強い腕」の象形から、力を込めて粘土をねりこむ事を意味し、そこから、「つとめる」を意味する「勤」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1021.html)ある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) それを取りて開きて見れば、通天(つうてん)の犀(さい)の角のえもいはでめでたき帯あり(今昔物語)、 にある、 通天の犀、 は、 通天のさいの角のかざりのある帯、 とあり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、 延喜式(治部省)によると通天のさいはその角に光があって天に通じ、雞が見て驚くという、 とある(仝上)。 是は明月に当て光を含める犀の角か、不然海底に生るなる珊瑚樹の枝かなんど思て、手に提て大神宮へ参たりける(太平記)、 が引用されているが、 薬用にされ珍重された、 としかない(兵藤裕己校注『太平記』)。「通天の犀」については載るものが少ないが、 サイの一種、 をいい、また、 犀(サイ)ノ 角ガ通天犀ナレバナニカゴザロフヲヲビニシマショフ(「交隣須知(18C中)」)、 と、 その角。角は鋭く、長さは中国尺で一尺(約24.12センチメートル)以上もあり、よく水をはじく。帯の飾りや薬として用いられ、 通天犀(つうてんさい)、 通天、 ともいう(精選版日本国語大辞典)とある。別に、 水犀(すいさい、みずさい)、 ともいい、 幻獣の一種、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%8A%80)、 その姿は体は馬、牛の四肢と尻尾を持ち、背中には亀の甲羅があり、額に巨大な角を持っている。その角には高い妖力がある、 とされ、 水を張った容器に入れたら水が真っ二つに別れる、 その角で火を起こせば数千里離れた場所からでも見える程に輝く炎が立つ、 その角で杯を作れば毒酒でも毒を浄化できる、 などの言い伝えがある(仝上)ともある。 通天の犀、 は、寺社の建築装飾で欄間や蟇股(かえるまた)によく見られ、 境界を守るやら火災よけ、 とするらしい。東照宮建物の部位ごとに漆・彩色・金具の仕様を詳細に記載した『御宮並脇堂社結構書』(宝暦結構書)によると、 昔より水犀や通天犀と呼ばれ、建築や絵画・工芸品などに使われていた犀が、いつの間にか変形して体形は鹿に、背中には亀の甲羅を背負い、一角を持つ、体には風車紋、脚は細く偶諦である姿に変わった。犀は我が国で生まれた霊獣である、 とある(http://www.photo-make.jp/hm_2/sai_toubu.html)。 海馬、 といわれたり、 天鹿(てんろく)、 といわれたりする(http://www.syo-kazari.net/sosyoku/dobutsu/sai/sai1.html)ともある。また、 霊犀(れいさい)、 ともいい、 心有霊犀一点通(李商隠・無題詩)、 とあるのが、 心と心が一筋通いあうのを、霊力があるとされる通天犀の角の、根元から先端まで通う白い筋にたとえた、 こと(デジタル大辞泉)から、あるいは、また、 犀の角は中心に穴ありて両方に相通ず、 こと(字源)から、 人の意志の疎通投合する(仝上)、 互いの意志が通じあう(デジタル大辞泉)、 意で使う。 通天御帯(つうてんぎょたい)、 という言葉があり、 通天犀にて飾りし天子の帯、 とある(字源)。ただ、これと、 獻象牙犀角瑇瑁(タイマイ)(御漢書)、 とある、 薬用とする、 犀角(さいかく)、 とは別のもののようである(字源)。 水犀(すいさい)、 とは、 夫差衣水犀之甲者(越語)、 とあり、 水に住む犀の一種、 とある(仝上)。 ただ、水犀の口伝から、現実のサイと混同され、 アジアに分布する犀が角を目当てに乱獲された、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%8A%80)、現在サイは、アフリカ大陸の東部と南部(シロサイ、クロサイ)を除くと、 インド北部からネパール南部(インドサイ)、 マレーシアとインドネシアの限られた地域(ジャワサイ、スマトラサイ)、 にのみ分布している(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4)。 「犀」(漢音セイ、呉音サイ)は、 会意文字。「牛+尾」。ただし、本字は、「尸+辛」で、牙がするどいこと、 とある(漢字源)が、意味がよく分からない。他は、 形声。牛と、音符尾(ビ→セイ)とから成る(角川新字源)、 会意文字です(尾+牛)。「獣の尻の象形を変形したものと毛の生えているさまを表した象形」(「毛のあるしっぽ」の意味)と「角のある牛」の象形から、「角としっぽを持つ動物、サイ」を意味する「犀」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2585.html)、 と、「牛+尾」説を採る。 参考文献; 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 怖ろしく思ゆれば、妻にをこづり問へども、物云はばやとは思ひたる気色ながら云ふともなし(今昔物語)、 の、 をこづる、 は、 だまして誘うのを言う、 とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。 をこづる、 は、 誘る、 と当て、通常、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 誘、ヲコツル、コシラフ、サソフ、アザムク、カドフ、 とあり、色葉字類抄(1177〜81)に、 誘、ヲコツル、 とあるように、 をこつる、 と清音で、 機る、 とも当て(大言海)、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 機、ワカツル、オコツリ、 とあり、 ワカツルの母音交替形、 とある(岩波古語辞典)ので、 をこづる、 を、 招(ヲキ)釣るの転かと云ふ、 という(大言海)のは如何か。むしろ、 機巧(わかつり)と通ずるか、 のほう(仝上)が妥当に思える。 を(お)こつる は、 あやにくがりすまひ給(たま)へど、よろづにをこつり、祈りをさへして、教へ聞こえさするに(大鏡)、 と、 利を与えて、だましさそう、 意や、 こなたに入り給ひて姫君を遊ばしをこつり聞こへ給ひて(浜松中納言)、 と、 だましすかす、 機嫌をとる、 意で使う(岩波古語辞典・学研国語大辞典)。ただ、仮名遣いは、 をこつる、 か、 おこつるか、 かは不明(デジタル大辞泉)とある。 わかつる、 は、 機巧る、 誘る、 と当て、 をこつる(機・誘)の母音交替形、 とあり、 断見の愚癡のひとを誘(わかつり)誑(たぼろ)かすなり(地蔵十輪経元慶点)、 と、 あやつり動かす、 転じて、 巧言を以て人を欺き誘う、 また、 御機嫌をとる、 とり入る、 だます、 意で使い(日本国語大辞典)、やはり、 わかづる、 とも濁るようだ(大言海)が、名詞で、 譬へば、機関(わかつり)の如くして業(ごふ)によりて転す(西大寺本最勝王経平安初期点)、 と、 機巧、 機、 とも当て、 からくり、 物をあやつり動かすしかけ、 の意で使う、 わかつり、 がある(広辞苑・日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 わかつる(機)の名詞化、 とある(日本国語大辞典)が、和名類聚抄(平安中期)に、 機、機巧之處、和加豆利、 類聚名義抄(11〜12世紀)に、 機、オコツリ、 とあるように、逆に、 わかつる、 をこつる、 が、 ワカツリ、 ヲコツリ、 の動詞化なのかもしれない。とすると、 招(ヲキ)釣る、 別(ワカ)釣る、 を語源とし、 わかつり、 は、 機(ハタ)のあやつる處、 とする説(大言海)が、逆に注目される気がする。 「誘」(漢音ユウ、呉音ユ)は、 会意兼形声。「事+音符秀(先に立つ)」。自分が先に立って、あとの人をことばでさそいこむこと、 とある(漢字源)が、別に、 「誘」は「羊+久+ムという漢字」の新字、 とし、 形声文字です。「羊の首」の象形と「横たわる人の背後から灸をする」象形(灸の原字だが、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「時間が長い」の意味)と「小さく取り囲む」象形(「小さく取り囲む」の意味)から、羊を長い時間をかけて取り囲む事を意味し、そこから、「人や動物を時間をかけてある場所・状態にさそい導く」を意味する「誘」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1682.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 己は甲斐殿の雑色(ざふしき)某丸と申す者に候ふ。殿のおはしけるを知り給へずして(今昔物語)、 の、 雑色、 は、 ざっしょく、 と訓むと、 種々まじった色、また、さまざまな色、 をいい、 ざっしき、 と訓ますと、 さまざまの種類、 の意で、 ぞうしき、 とも訓んだが、 雑色田(ざっしきでん)、 というと、平安時代に、 種々の費用にあてられた田地、放生田・采女田・節婦田・警固田、 等々をいい、 ぞうしきでん、 とも訓ませた(広辞苑)。 雑色官稲(ざっしきかんとう)、 というと、奈良時代に、 国郡で種々の費用にあてるために出挙(すいこ 稲や財物を貸しつけて利息を取る)した稲、 で、 正税稲(しょうぜいとう)・公廨稲(くげとう)以外の郡稲・駅起稲(えききとう)・官奴婢食料稲・救急料稲、 等々の、 雑稲(ざっとう)、 をいい、 ぞうしきかんとう、 とも訓ませた(仝上)。 ぞうしき、 と訓ますと、 雑多な色、雑多なもの、 の意から、 雑色ノ色ノ字ハ、品ノ字ノ意ニテ、雑食ト云フガ如シ、雑役ヲ勤ムル人品を云フナリ、 とある(安斎随筆)。 雑色(ザツショク)、 は、漢語で、 免諸伎作屯牧雑色徒隷之徒、為白戸(北史・斉文宣紀)、 と、 奴隷、 の意である(字源)。 雑色、 とは本来、 種別の多いことおよび正系以外の脇役にあるもの、 を意味し、そうした傍系にある一群の人々を、 雑色人(ぞうしきにん)、 あるいは、 雑色(ぞうしき)、 とよんだ。古代の律令(りつりょう)制に始まり、 諸司雑色人、 といって、朝廷の官人や有位者の下にあって、 雑使に従う使部(しぶ・つかいのよぼろ)、宮廷の諸門の守衛、殿舎の清掃・管理・修理、乗輿(じょうよ)の調進、供御(くご)の食物の調理、水氷の供進などにあたる伴部(ばんぶ・とものみやつこ)、 等々の職種があった。それより身分が低く、 宮廷工房で生産にあたる品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)、 も、 雑色、 に含める解釈もあり、各官司で、 写書、造紙、造筆、造墨、彩色、音楽などに従う諸生・諸手、 も、 雑色、 とよばれ、また、 造寺司のもとの各所の下級官人、仏工、画師、鋳工、鉄工、木工、瓦(かわら)工、 等々の工人も、 雑色、 に含まれる(日本大百科全書)とあり、 一般の農民=白丁(はくてい)とは区別され、属吏としての身分をもち、また官位を有するものもあり、課役を免除された(仝上)とあり、 下級の諸種の身分と職掌、 を表し、 供に侍(さぶら)ざうしき、三人ばかり、物も履かで、走るめる(枕草子)、 というような、 小者(コモノ)、 下男(シモヲトコ)、 僕隷(ぼくれい)、 を指す(大言海)。だから、古代には、「雑色」と括っても、 四等官の正規の官人に対する準官人、 農耕を本業とする思想によって末業の工芸民、 諸司に分属して専門技術に従う伴部や使部、 等々、その場所と立場に応じて異なった内容をもっていた(世界大百科事典)。 ただ、こうした律令制下での、 諸司の品部(しなべ)および使部(しぶ)、雑戸(ざつこ)、 の総称から、 蔵人所(くろうどどころ)に属する下級職員(下級の官人であるが、名誉職で、公卿の子弟や諸大夫が任じられ、本員数8人。代々蔵人に転ずる)、 や、平安時代以後 院司・東宮・摂関家などで雑役・走使いに任じた無位の職、 まで幅広く、一般に、 雑役に従う召使、 にもいうようになる(広辞苑・日本国語大辞典)。つまり、雑色の概念は拡大され、 諸国雑色人、 といって、国衙(こくが)や郡家で、上記に準じた身分のもの、 諸家雑色人、 として貴族の家務に従う従者にも適用され、また、 蔵人所(くろうどどころ)をはじめ政府の諸所が成立すると、 蔵人所雑色、 のような特殊なものも現れるようになる(日本大百科全書)。 武家社会になっても、武家の従者が、 雑色、 とよばれるのは、主として、 諸家雑色人、 の系譜を継ぎ、鎌倉幕府・室町幕府に所属する、 番衆(ばんしゅう)、 で、 雑役に従事する者、 を指す(岩波古語辞典)。 番衆、 とは、 番を編成して宿直警固にあたる者、 をいい、 営中に宿直勤番し、営内外の警衛その他雑務を掌ったもの、 の総称、 番方、 ともいい(精選版日本国語大辞典)、 狭義においては幕府に詰めて将軍及び御所の警固にあたる者、 を指す(仝上)。室町時代、 禁裏、仙洞御所に宿直勤番して警衛にあたった公家衆、 や、 封建領主や権力者の館、寺院などの警固にあたった郷民、門徒、 のこともいった(仝上)。戦国時代、 大名の城・館に宿直勤番して警衛にあたった武士、 を指し、江戸幕府では、職名となり、 江戸城をはじめ、大坂城、二条城、駿府城などの要害地の守備、および将軍の警衛にあたったもの、 の総称、 で、 番方、大番、書院番、小姓組、新番および小十人組、 の五種があった(精選版日本国語大辞典)。 室町時代から江戸時代にかけての、 雑色、 は、 京都所司代に属して雑役に当たった者、 をいい、 行政・警察・司法の補助をし、行幸啓(ぎょうこうけい)の先駆け、祇園会の警固、要人の警固、布告の伝達などの雑役に当たった町役人、 をいい(岩波古語辞典)、 四座雑色(しざのぞうしき)、 があり、 四条室町辻で京都を4分割して各方面(方内(ほうだい)という)を上雑色とよばれた五十嵐(北西)・荻野(北東)・松村(南西)・松尾(南東)の4家が統轄した、 ので四座の名がある(マイペディア)。 「雜(雑)」(慣用ザツ・ゾウ、漢音ソウ、呉音ゾウ)は、「雑談」で触れたように、 会意兼形声。木印の上は衣の変形、雜は、襍とも書き、「衣+音符集」で、ぼろぎれを寄せ集めた衣のこと、 とある(漢字源)。混ぜ合わせることを意味する、ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%9C)。別に、 形声。意符衣(ころも)と、音符集(シフ→サフ)とから成る。いろいろのいろどりの糸を集めて、衣を作る意を表す。ひいて「まじる」意に用いる、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(衣+集)。「衣服のえりもと」の象形(「衣服」の意味)と「鳥が木に集まる」象形(「あつまる」の意味)から、衣服の色彩などの多種のあつまりを意味し、そこから、「まじり」を意味する「雑」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji875.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 頼光、辭(いな)び申し煩ひて、御弓を取りて、ひきめをつがへて亦申すやう、力の候はばこそ仕り候はめ、かく遠き物は、ひきめは重く候ふ。征矢してこそ射候へ(今昔物語)、 とある(「征矢」は触れた)、 ひきめ、 は、 蟇目、 引目、 曳目、 響矢、 と当て(広辞苑・日本大百科全書)、 射放つと音響が生ずるよう、矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑が取り付けられた矢、 である、 鏑矢(かぶらや)、 の一種で、 蟇目鏑(ひきめかぶら)、 ともいい、「鏑矢」は、 戦場における合図として合戦開始等の通知、 などに用いられ、 鏑(かぶら)、 蟇目(ひきめ)、 神頭(じんとう)、 がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2)とされるが、「鏑」と「蟇目」は、 大きさによって違いがあり、大きいものをヒキメといい小さいものをカブラという、 と故実にあるように、もともと同類のものであったようである(日本大百科全書)。因みに、 神頭(じんとう)、 というのが、鏑矢と間違われるが、 矢頭、 とも書き、鏑とは別物で、外見が鏑と似ているちため混同されがちである。古くから存在し、鏑に良く似ているが、中身が刳り貫かれておらず、また大きさも鏑より小さく、 鏃の代わりに矢に取り付け、射あてるものを傷を付けないよう、もしくは射砕く目的で使用される、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2)。 蟇目は、 朴(ほお)・桐などで作った、紡錘形の先端をそいだ形の木製の大形の鏑(かぶら)、また、それをつけた矢、 をいい(広辞苑・大辞林)、 鏑矢の鏃に似て長く、凡そ、四寸許り、圍(かこ)み五寸、五孔、或いは六孔、 とある(大言海)が、 正式な造りは四つ穴で、これを、 四目(しめ)、 と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2)とある。 鏃(やじり)をつけず、犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)などで射る物に傷をつけない、 ために用い、これを矢の先端に取り付けた矢を放つと、 穴に空気が流入する事で笛のように音が鳴り、鋭い音を発する(仝上)。この音が、 邪を払い場を清める、 とされているので、妖魔を降伏(ごうぶく)するとし、 降魔(ごうま)の法、 に用いられ(仝上)、古代より、 宿直(とのい)蟇目、 屋越(やごし)蟇目、 誕生蟇目 犬射蟇目(いぬいひきめ)、 笠懸蟇目、 産所蟇目(さんじょひきめ)、 などの式法が整備されてきて(日本大百科全書)、今日でも、 蟇目の儀、 は弓道の最高のものとして行われている(日本大百科全書)とある。 犬射蟇目、 は特に長大につくり、 笠懸蟇目、 は、目の上にひしぎ目を入れて用いた。また、破邪のための、 産所蟇目、 は白木のまま用いるのを例とした(日本国語大辞典)。 御産の蟇目射るには、白き大口直垂にて射べし、白べりの畳一畳出すべし、それにむかばきをかけて射べし、……射る数は、女子には、一手射べし、男には三かいな可射(今川大雙紙)、 というように、 弓術の道に、蟇目の矢を射ることと、弦打ちする(鳴弦(メイゲン)と云ふ)こととにて、共に其發聲にて邪気を退くと云ふ。産屋などにて行ふ、 とある(大言海)。因みに、「鳴弦」は、 弦打(つるうち)、 ともいい、 弓矢の威徳による破邪の法、 で、後世になるとわざわざ高い音を響かせる引目(蟇目)という鏑矢(かぶらや)を用いて射る法も生じた。平安時代においては、生誕儀礼としての湯殿始(ゆどのはじめ)の、 読書(とくしよ)鳴弦の儀、 という、 宮中で皇子誕生後七日の間、御湯殿の儀式の際に湯殿の外で漢籍の前途奉祝の文を読み、弓の弦を引き鳴らす儀式、 として行われたのをはじめ、出産時、夜中の警護、不吉な場合、病気のおりなどに行われ、また天皇の日常の入浴に際しても行われた(世界大百科事典)とある。 「蟇目」の語源には、 「響き目」の義(貞丈雑記・古今要覧稿・和訓栞・大言海・広辞苑・大辞林)、 その形がヒキガエルの目に似ているから(名語記・本朝軍器考・類聚名物考)、 その孔が蟇の目に似ているから(大辞林・大言海)、 とあるが、この矢の特徴から見れば、 響き目の略、 とする(日本語源大辞典)のが妥当なのではないか。 諸所の神社で行われる鏑矢(かぶらや)を射て邪を除く神事を、 蟇目の神事(しんじ)、 といい、蟇目を射て妖魔を退散させる役目の番衆を、 蟇目の当番、 妖魔を降伏させるために、弓に蟇目の矢をつがえて射る作法を、 蟇目の法(ほう)、 といい、貴人の出産や病気のときに、妖魔を退散させ邪気を払うために蟇目を射る役の人を、 蟇目役、 などといった(日本国語大辞典)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 暗くなる程に、此の太郎介が宿したる所に行きて、おほけなく伺ひけるに(今昔物語)、 の、 おほけなし、 は、 大胆にも、 と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。 |