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コトバ辞典


尻目


「尻目」は、

しりめ、

と訓ませ、

後目、

とも当て、

同期を尻目に、彼一人出世していった、
騒ぎを尻目に、悠々と立ち去った、

などというように、

〜を…に、

の形で、

〜を無視して、かまわず事を行う、
目の隅に置いただけで全く無視する、

意(広辞苑)で使うことが多いが、

ただ一打ちに打ち拉がんと、尻目に敵を睨んで(太平記)、

というように、

横目、

の意(兵藤裕己校注『太平記』)で使ったり、

しりめに見おこせ給ひて(源氏物語)、

と、

顔を動かさず、ひとみだけ動かして、後方を見やること、またその目つき、

の意で、

流し目、

の意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典)。「横目」は、

横目づかい、

という言い方をするように、

顔を前に向けたまま横を見ること、
わき目、
ながしめ、

の意であり、その意味で、目の使い方としては、

尻目、

と重なる。しかし、それをメタファに、

その後、思ひかはして、また横目することなくて住みければ(宇治拾遺物語)、

と、

他に心を移すこと、

の意で使い、「尻目」とは意味が離れる。「尻目」は、

しりめ恥ずかしげに見入れつつ(狭衣物語)、

と、

相手を蔑視したり、無視したりする場合にも用いられるが、中古においては、多く女性が打ち解けたときのしぐさとして、また、近世においては、女性の媚を含んだ流し目という意味あいで使われた、

と(精選版日本国語大辞典)、「流し目」の方へシフトしたようである。特に、

尻目に懸く(懸ける)、

という言い方は、

言(こと)にいでて、などて言ひなし給ふと思ふがにくければ、のどやかにしりめにかけて見やりたれば(夜の寝覚)、

と、

人を見下したり無視したりする態度、
さげすむさま、

の意でも使うが、

中将かくとは知らず、しりめにかけ、うちゑみたる気色(きそく)をしてぞ通られける(御伽草子「しぐれ」)

と、

秋波を送る、

意や、

過し所縁(ゆかり)とてもろこしに笑はせ、かほるが尻目に懸られ(好色一代男)、

と、

媚びた目つきをする、
色目を使う、

意で使ったりする(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「しり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/454328830.htmlで触れたように、かつては、

まへ⇔しりへ

のちには、

まへ⇔うしろ

と対で使われ、「しり」は、

口(くち)と対、うしろの「しろ」と同根、

で、前(さき)・後(しり)と対でもある(岩波古語辞典)。

「しり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/454328830.htmlで触れたように、「尻」(コウ)は、

会意兼形声。九は、手のひどく曲がった姿で、曲りくねった末端の意を含む。尻は「尸(しり)+音符九」で、人体の末端で奥まった穴(肛門)のあるしりのこと、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(尸+九)。「死んで手足を伸ばした人」の象形と「屈曲して尽きる」象形から、人体のきわまりにある「しり」を意味する「尻」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2065.html

「目」(漢音ボク、呉音モク)は、

象形。めを描いたもの、

であり(漢字源)、

のち、これを縦にして、「め」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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斗藪


諸国の斗藪畢(おわ)りて、禅門、鎌倉に帰り給ひければ(太平記)、
僧を一人御倶(とも)にて、山川斗藪のために立ち出でさせ給ふ(仝上)、

と、

斗藪(とそう)、

とあるのは、

角(かく)て抖擻(トソウ)修業の後再(ふたたび)高雄の辺に居住して(源平盛衰記)、

と、

抖擻、
抖藪、

等々とも当て、

とすう、

とも訓ませ(精選版日本国語大辞典)、

頭陀(づだ)、

の漢訳語であり、

修治(しゅうじ)、
棄除(きじょ)、

とも表記する、

身心を修錬して衣食住に対する欲望をはらいのけること、また、その修行。これに十二種を数える、

意(精選版日本国語大辞典)とあり、つまり、

僧の、旅行して、行く行く食を乞ひ、露宿などして、修行する、

ことだが(大言海)、禅宗では、

行脚(あんぎゃ)、

といい、時宗で、

遊行(ゆぎょう)、

というのもこれに当たる(仝上)、とある。冒頭引用にある「山林斗藪(抖擻)」は、

山林斗藪の苦行、樹下石上の生臥、これみな一機一縁の方便、権者権門の難行なり(「改邪鈔(1337年頃)」)、

と、

山野に寝て、不自由に堪えながら、仏道修行に励む、

意になる(精選版日本国語大辞典)。

「頭陀(ずだ・づだ)」は、

梵語ドゥータ(dhūta)、

の音訳。

頭陀者、漢言抖擻煩悩、離諸滞着(四分律行事鈔)、

と(抖擻はふるい落とす意)、

払い除くの意、

で、

頭陀此應訛也、正言杜多、譯云洮汰、言大灑也、舊云抖擻、一義也(玄應音義)、



杜多、

とも訳す(大言海)。「頭陀」は、

頭陀支(ずだし)、
頭陀行(ずだぎょう)、

とも呼ばれ、

衣食住に対する欲求などの煩悩を取り除く、

意味でhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1980/129/1980_129_L88/_pdf/-char/ja

世尊爾時以此因縁集比丘僧、為諸比丘随順説法、無数方便讃歎頭陀端嚴少欲知足楽出離者(四分律)、

と、仏陀も頭陀行をすることを賞賛していた、とある(仝上)。上記、「十二頭陀」(じゅうにずだ)とは、

仏道修行者が守るべき衣食住に関する一二の基本的規律、

で、

衲衣(納衣 のうえ 人が捨てたぼろを縫って作った袈裟)・但三衣・常乞食・不作余食(次第乞食)・一坐食・一揣食・住阿蘭若処(あらんにゃ)・塚間坐・樹下坐・露地坐・随坐(または中後不飲漿)・常坐不臥、

の十二項目(顕戒論)、

ともされる(精選版日本国語大辞典)が、

十二または十三の実践項目、

とし、

糞掃衣(ふんぞうえ 捨てられた布片を綴りあわせて作られた衣を着用する)、
但三衣(たんざんえ 三衣一鉢(さんえいっぱつ)、大衣・上衣・中着衣の三衣のみを着用する)、
持毳衣(じぜいえ 毛織物で作った衣のみを保持する)、
常乞食(じょうこつじき 托鉢乞食のみによって食物を得る)、
次第(しだい)乞食(行乞時には貧富好悪を選別せず、順次に行乞する)、
一食法(一日一食のみ食する)、
節量食(食を少なく、過食をしない)、
時後不食(食事の後で再び食事・飲み物を摂ってはいけない)、
阿蘭若住(あらんにゃじゅう 人里離れたところを住所とする)、
樹下坐(じゅげざ 樹の下を住所とする)、
露地坐(ろじざ 常に屋外を住所とする)、
塚間住(ちょうけんじゅう 塚墓つまり墓所の中やその近くを住所とする)、
随得敷具(ずいとくしきぐ 与えられたいかなる臥坐具(がざぐ)・住所も厭わず享受する)、
常坐不臥(じょうざふが 常に坐して横臥しない)、

などを挙げているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A0%AD%E9%99%80。「頭陀支(ずだし)」は、

パーリ(上座部仏教)系では13支、
大乗系では12支、

を立てるとあり(日本大百科全書)、諸部派・大乗の文献で項目や配列に若干の相違があるようである(仝上)。

因みに、頭陀の修行者が常に携行する持ち物を、

頭陀十八物(ずだのじゅうはちもつ)、

といい、持ち物を入れるために首に掛ける袋を、

頭陀袋(ずだぶくろ)、

という(仝上)。これが転じて、死装束の一つとして、

首にかけて、死出の旅路の用具を入れる袋、

つまり、

僧侶の姿になぞらえて浄衣(経帷子きょうかたびら)を着せた遺体に、六文銭などを入れて首に掛ける。三衣袋(さんねぶくろ)と称して、血脈を入れることがある、

を頭陀袋と呼ぶ(仝上・広辞苑)。

「抖」(漢音トウ、呉音ツ)は、

形声、手+斗、

で、

ふるえる、

意であり、

「擻」(ソウ)も、身震いする意である。

「藪」(漢音ソウ、呉音ス)は、

会意兼形声。「艸+音符數(ス たくさん、つらなる)、

で、「やぶ」の意で、物事の集まるところ、となる。「抖藪」で、それを振り払う意となる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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有待(うだい)


秋思亭(しゅうしてい)の月(秋の寂しさを味わう四阿(あずまや)から仰ぐ月)は有待の雲に隠れ(太平記)、

の、

有待(うだい)、

は、

限りある人の身、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)が、

他に依存する、

の意で、仏教用語。

人間の身体は、食物、衣服などに依存する(たすけを待って保たれる)から、

という意で、

生滅無常のはかない身、

という意味になり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

有待の形空しく破れぬ(「妻鑑(1300頃か)」)、

と、

人間の肉体、
凡夫の身、

の意で使われる(岩波古語辞典)。だから、

有待の身を無墓(はかなく)あたなる物と思へり(「康頼宝物集(1179頃)」)、

と、

有待の身(うだいのしん・み)、

という言い方は、少し意味が重複するが、

生滅無常の世に生きるはかない身、
人の身、

という意味になる(精選版日本国語大辞典)。これは、

愛其死以有待也、養其身、以有為也(礼記)、

と、漢語であり、

有待之身(ゆうたいのみ)、

は、

後来事を為さんと時機を待つ身、

つまり、

いつかは事を成そうと時期を待つ身、

という意味になる(字源)。「有為」とは、

将大有為之君、必有所不召之臣(孟子)、

と、

為す所の事あり、

の意であり、更に、

莫戀漁樵與、人生各有為(李白)、

と、

職務がある、

意で使う。

「有待(ゆうたい)」は、仏教語に転用せられ、

初心有待、若得供養、所修事成(法華経)、

と、

有待の身(うだいのしん・み)、

と、

凡夫の身、

の意で使われた(字源)。この転用は、どういう筋道なのかはよくわからない。現代中国語では、動詞としては、

従属する、
他に頼って存在する、

の意であり、これが原意のようであるが、複音節動詞・動詞句・節の形で、

待たねばならない、
…する余地がある、
…する必要がある、

の形で用いられている(白水・中国語辞典)。つまりは、「待たねばならない」は、時機を待つであり、「する必要がある」が、なすべきことがある、という意と繋がっているようだ。

「中陰」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485912319.htmlで触れたように、「有」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

会意兼形声。又(ユウ)は、手で枠を構えたさま。有は「肉+音符又」で、わくを構えた手に肉をかかえこむさま。空間中に一定の形を画することから、事物が形をなしていることや、わくの中に抱え込むことを意味する、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。肉と、又(イウ 変わった形。すすめる)とから成り、ごちそうをすすめる意を表す。「侑」(イウ)の原字。転じて、又(イウ ある、もつ、また)の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(月(肉)+又)。「右手」の象形と「肉」の象形から肉を「もつ」、「ある」を意味する「有」という漢字が成り立ちました。甲骨文では「右手」だけでしたが、金文になり、「肉」がつきました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji545.html、「有」に「月(肉)」が加わった由来がわかる。

「待」(漢音タイ、呉音ジ)は、

会意兼形声。寺は「寸(手)+音符之(足で進む)」の会意兼形声文字で、手足の動作を示す。待は「彳(おこなう)+音符寺」で、手足を動かして相手をもてなすこと、

とある(漢字源)が、「じっと止まってまつ」という意味としっくり重ならない。別に、

形声。彳と、音符寺(シ)→(タイ)とから成る。道に立ちどまって「まつ」意を表す、

とか(角川新字源)、

形声文字です(彳+寺)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味)と親指で脈を測る右手の象形」(役人が「とどまる」所の意味)から歩行をやめて「まつ」を意味する「待」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji514.html、この解釈の方がすっきり納得できる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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六軍


洛中須臾に変化して、六軍翠花(すいか 古代中国で、カワセミの羽で飾った天子の旗)を警固し奉る(太平記)、

にある、

六軍(りくぐん・ろくぐん)、

は、

古代中国で天子の率いた軍、諸侯の軍の対、

と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)。

六師(りくし)雷のごとく震ひ(古事記)、

と、

六師(りくし)、

ともいう(広辞苑)。

一軍萬二千五百人、周制天子六軍、諸侯大国三軍(周禮・地官 注)、

とある(字源)ように、

三代の周の制に、一萬二千五百人を一軍とし、其の六箇の軍を、天子の率いる軍とす、

とあり(大言海)、周代の軍制で、天子の統率した六個の軍、

一軍が1万2500人で、合計7万5000人、

の軍隊となる。のち、

晉や唐もこれをまねて、この名称を転用した、

という(精選版日本国語大辞典)。

諸侯の軍は、

凡制軍、萬有二千五百人為軍、王六軍、大国三軍、次国二軍、小国一軍(周禮・夏官)

と定められていた。

『戦争の中国古代史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/481322750.htmlで触れたが、西周時代、西の周原、宗周などの王畿に、

西の六師、

がある外に、東の拠点「成周」にも、

成周八師(せいしゅうはっし 殷八師)、

が置かれ、共に正規軍とされ、その他に、服属した国々の兵員から成る、

虎臣、

もあったとされる(佐藤信弥『戦争の中国古代史』)。

諸侯は、

周においては畿外の地に封建、

され、多く、

侯、

に任ぜられたため、諸侯と呼ばれる。もともとは、

辺境防衛のために配置された武官、

とされ、青銅器に鋳刻された金文によれば、周囲の敵と戦うとき、直属の六師、八師が動員された例はほとんどなく、

王臣や諸侯の兵力、

が駆使された、という(仝上)。

「六道四生」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486172596.html?1648323250で触れたように、

「六」(漢音リク、呉音ロク)は、

象形。おおいをした穴を描いたもの。数詞の六に当てたのは仮借(カシャク 当て字)、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AD)が、

象形。屋根の形にかたどる。借りて、数詞の「むつ」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「家屋(家)」の象形から、転じて数字の「むつ」を意味する「六」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji128.htmlあり、「穴」か「家」だが、甲骨文字を見ると、「家」に思える。

「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html

参考文献;
佐藤信弥『戦争の中国古代史』(講談社現代新書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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尩弱


尫弱の勢かさを見て、大勢の敵などか勇まであるべき(太平記)、

に、

尫弱(おうじゃく)、

とあるのは、

弱弱しい、

という意(兵藤裕己校注『太平記』)だが、

馬允なにがしとかやいひける老者、……尩弱の体にて、物くひてゐたりけるが(「古今著聞集(1254)」)、

と、

尩弱、

とも当てる。

「尫弱」の「尫」(オウ)は、

尩の俗字、

とあり(漢字源)、

尪、

とも表記するhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiy/14348.html。原意は、

足や背中が曲がって不自由である(仝上)、
曲がれる脛(曲脛)(字源)、

などとあり、

素尩弱不能騎、宛轉山谷閨A僅達幷州(唐書・裴懷傳)、

と、

尩弱、

とか、

少尩病、形甚短小、而聡敏過人(晉書・山濤傳)、

と、

尩病(おうびょう)、

等々と使う。「尩」は、

尢、

と同じ、とある(仝上)。

「尢」(オウ)は、

象形。足が曲がった人の姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、「まがる」「足や背が曲がった人」の意で、「尩」と同義であるが、「弱い」意はない。

「尩弱」は、上記の、

体、体力、気力などが弱いこと、
かよわいこと、

という漢語の意味の外に、和文では、

頼政、尫弱の勢にて固め給ふ(源平盛衰記)、
只近代使庁沙汰、逐日尫弱、偏如鴻毛(吾妻鏡)、
まことに尫弱(ワウジャク)の家に生れ天下一統の功を立給ひし事(「信長記(1622)」)、

などと、

微力、微禄、貧乏など、勢力、能力、財力、威力、影響力などが小さいこと、

の意や、

尫弱たる弓を敵(かたき)のとりもて、……嘲哢(てうろう)せんずるが口惜ければ(平家物語)、

と、

(弓などが)強くないこと、

の意、

月に六日十日は尩弱の事なり(極楽寺殿御消息)、

と、

とるに足りないこと、些細なこと、

の意や、

就尩弱所領、被懸抜群之課役事、難堪之至也(「新札往来(1367)」)、
抑笙筥一合蒔絵摺貝 妙怤持参、……結構之物也、則令買得、其代尫弱也、不慮感得喜悦也(看聞御記)、

などと、

土地からの税の貢納が少ないこと、
物品、金額が少ないこと、

の意や、

牛の事……在所をも不得尋候間、迷惑仕候。彼牛の事、此方よりはわうしゃく之儀なく候由申候へ共(高野山文書)、

と、

弱点、弱味があること、

の意にまで広げて使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)

「弱」(漢音ジャク、呉音ニャク)は、

会意文字。彡印は模様を示す。弱は、「弓二つ+二つの彡印」で、模様や飾りのついた柔らかい弓、

とある(漢字源)。さらに、

装飾的な弓は機能面で劣ることから、「よわい」という意味がでた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B1

象形。かざりを付けた弓を二つ並べた形にかたどる。弓を美しく整えることから、しなやか、転じて「よわい」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(弓+彡×2)。「孤を描いた状態の弓(たわむ弓)」の象形と「なよやかな毛」の象形から、「よわい、たわむ」を意味する「弱」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji206.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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禿筆


(細川清氏は)河内国に居たれども、その旧好を慕ひて尋ね来る人も稀なり。ただ秀(ち)びたる筆に喩へられし覇陵の旧将軍に異ならず(太平記)、

の、

秀(ち)び、

は「ちび」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464469440.htmlで触れたように、

擦り減る、

意で、

古形ツビ(禿)の転、

とあり(岩波古語辞典)、「つび(禿)」は、

ツビ(粒)の動詞形(つぶ)、

で、

角が取れて丸くなる、

意であり

ちび下駄、
ちび鉛筆、

のそれである。これは、

ツブルと通ずる(和句解・和訓栞)、
キフル(髪斑)の義(言元梯)、

を語源とする「ちび(禿)る」に由来し、

粒、

から来ているとみていい。

「つぶ」は、「つぶら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464485052.htmlで触れたように、

つぶら(圓)の義、

とし(大言海)、

丸、
粒、

とあて(岩波古語辞典)、
ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根(岩波古語辞典)、
ツブラ(円)義(東雅・夏山談義・松屋筆記・箋注和名抄・名言通・国語の語根とその分類=大島正健・大言海)、

などから見て、「粒」の意から出ているとみていい。なお、「ツブシ」が「粒」と関わるのは、「くるぶし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458644074.htmlでも触れた。

禿びた筆、

は、

先のすり切れた筆、

の意で、

戯拈禿筆掃驊騮(カリュウ 名馬の名)歘(タチマチ)見麒麟出来壁(杜甫杜「壁上の韋偃(イエン)の画ける馬に題する歌」)、

と、

禿筆(とくひつ)、

と訓む漢語で、

禿毫冰硯竟無奇(范成大)、

と、

禿毫(とくごう)

ともいう(字源)。また、

敗筆、

ともいい(大言海)、

古くなった筆、

の意の外に、

即使是名家的书法、也不免偶有败笔、

と、

書道の大家であっても、たまの書き損ないは免れない、

弘法も筆のあやまり、

の意で、

(書画・文字・文章などの)できの悪いところ、書き損ない、

の意でも使うhttps://ja.ichacha.net/mzh/%E6%95%97%E7%AD%86.html

「和語」としては、

擦り切れた筆、

の意の外に、

禿筆を呵す(とくひつをかす)、

というように、「呵す」は、

息を吹きかけること、

で、

穂先の擦り切れた筆に息を吹きかけて書く、

の意、転じて、

下手な文章を書く、

と、

自分の文章の謙遜語、

としても使う(デジタル大辞泉)。なお、「禿筆」は、和文脈では、

ちびふで、
かぶろふで、

とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。

また、冒頭引用の、

びたる筆に喩へられし覇陵の旧将軍に異ならず、

にある「覇陵の旧将軍」は、

漢の前将軍李広が、覇陵(陝西省(せんせいしょう)長安県)を通りかかって役人に通行を止められた。李広の従者が名乗ると、現職の将軍でさえ、夜間の通行は禁じられていると言われた(史記・李広将軍列伝)。この故事から、世に力を失った人を、「覇陵の旧将軍」といい、宋の詩人林通(字は達夫)は、李広を「禿筆」に喩えた、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。なお、李広は、司馬遷から、

桃李言わざれども下自ずから蹊(ミチ)を成す(桃や李の木は何も言わないが、その下には自然と人が集まって道ができる)、

とその人柄を評された、とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BA%83)。

「禿」(トク)は、

会意。「禾(粟が丸く穂を垂れるさま→まるい)+儿(人の足)」。まるぼうずの人をあらわす、

であり(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%BF)、「はげ」とか「筆のすりきれる」意である。

「筆」(漢音ヒツ、呉音ヒチ)は

会意文字。「竹+聿(手で筆を持つさま)」で、毛の束をぐっと引き締めて、竹の柄をつけたふで、

とある(漢字源)が、「聿」(漢音イツ、呉音イチ)は、

筆の原字。ふでを手にもつさまをあらわす。のち、ふでの意味の場合、竹印をそえて筆と書き、聿は、これ、ここなど、リズムを整える助詞をあらわすのに転用された、

とある(仝上)。「聿」は象形文字で、それのみで「ふで」を意味する。「筆」は、竹製であることを強調したものである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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敗軍の将は以て勇を言るべからず


越王げにもとや思はれけん、敗軍の将は二度(ふたたび)謀らず、と云へり(太平記)、

にある、

敗軍の将は二度謀らず、

は通常、

敗軍の将は兵を語らず、

などとも言うが、

敗軍の将は以て勇を言(かた)るべからず、

が正確、出典は史記、

廣武君辭曰、臣聞、敗軍之將、不可以言勇、亡國之大夫、不可以圖存、今臣敗亡之虜、何足以大事乎(淮陰侯傳)、

にある、

敗軍之將、不可以言勇、

からきている(字源)。

広武君、つまり、

李左車(りさしゃ)、

は、趙の武将。名将李牧の孫。漢の劉邦と敵対した趙は、20万の大軍を擁したが、漢の別働隊の韓信と

井陘(せいけい)の戦い、

で戦い敗れた。

戦いに臨んで、李左車は宰相の陳余に、

狭い地形を利用して本隊で守りつつ別働隊で韓信を襲うことを献策したが、陳余は却下した。趙に内偵を送っていた韓信は、李左車の策が容れられなかったことを知って大いに喜び、敢然と攻め入った。結果、隘路を越えて背水の陣を採った韓信に趙軍は敗れ、趙王歇と陳余と李左車は捕虜となった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%B7%A6%E8%BB%8A、その折、韓信は、李左車に、

燕と斉を破る方法を尋ねたのに対して、上記の、

敗軍之将、不可以言勇、

と答えたもの。

敗戦した将は、兵法について語る資格がない、

といった意だが、

背水の陣、

も、史記の、

謂軍吏曰、趙已先據便地爲壁、且、彼未見吾大将旗鼓、未肯撃前行、恐吾至阻険而還、信(韓信)乃使萬人先行出、背水陳、趙軍望而大笑(淮陰侯傳)、

にある(大言海・https://kanbun.info/koji/haisui.html)。この背水の陣は、武経七書のひとつ、中国戦国時代の、兵法書、

『尉繚子』(うつりょうし 尉繚)、

に、

背水陣為絶地、向阪陣為廃軍(尉繚子・天官篇)

とあり(大言海・字源)、

川などを背後にひかえて、陣を立てること、

は、趙軍が「大笑」したというように、

兵法では自軍に不利とされ、自ら進んで行うものではなかった、

とされる。しかし、20万の趙軍を、狭隘な地形と兵たちの死力を利用して防衛し、その隙に別働隊で城砦を占拠、更に落城による動揺の隙を突いた、別働隊と本隊による挟撃で趙軍を打ち破った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1。この戦法は、「尉繚子(うつりょうし)」には、

周(しゅう)の武王(ぶおう)が殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を破ったとき

の例、「後漢書(ごかんじょ)」銚期(ちょうき)列伝)に、

清陽(せいよう)の博平(はくへい)が銅馬(どうば)の賊を破ったとき、

の例などにみえるhttps://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza46。なお、「陣」(漢音チン、呉音ジン)は、

会意文字。陳(チン)の原字ば「東(袋の形)二つ+攴(動詞の記号)」の会意文字。その東一つを略して、阜(土盛り)→防禦用の砦)を加えたものが陳の本字。陣はその俗字、

とあり(漢字源)、正しくは、

背水の陳、

ということになる。この時の故事から、

千慮の一失(絶対に失敗しないと思われた賢明な人でも、失敗することがあるということ)、
愚者一得(愚か者でも、ときには役に立つような知恵を発揮するということのたとえ)、

という故事も生まれている(故事ことわざ辞典)とある。

「敗」(漢音ハイ、呉音ヘ・ベ)は、

会意兼形声。貝(ハイ・バイ)は、二つに割れたかいを描いた象形文字。敗は「攴(動詞の記号)+音符貝」で、まとまった物を二つに割ること、または二つに割れること。六朝時代までは、割ることと割れることの発音に区別があった、

とあり(漢字源)、「敗」は「勝」と対で、

破、
廃、

と類義語になる。なお、

会意形声。「攴」(=撲)+音符「貝」、「貝」は二枚貝の象形であり、貝殻が打たれて二つに分かれることを意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%97

形声文字です(貝+攵(攴))。「子安貝」の象形(貝の意味だが、ここでは「敝(へい)」に通じ(「敝」と同じ意味を持つようになって)、「やぶれる」の意味)と「ボクッという音を示す擬声語・右手の象形」(「手で打つ・たたく」
の意味)から「やぶれる」を意味する「敗」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji671.html

「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041で触れたように、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html

「將(将)」(漢音ショウ、呉音ソウ・ショウ)は、

会意兼形声。爿(ショウ)は長い台をたてに描いた字で、長い意を含む。將は「肉+寸(て)+音符爿」。もと、一番長い指(中指)を将指といった。転じて、手で物を持つ、長となって率いるなどの意味が派生する。また持つ意から、何かでもって処置すること、これから何か動作をしようとする意などを表す助動詞となった。将と同じく「まさに〜せんとす」と訓読することばには、且(ショ)がある、

とある(漢字源)。別に、

形声。寸と、音符醬(シヤウ は省略形)とから成る。「ひきいる」、統率する意を表す。借りて、助字に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(爿+月(肉)+寸)。「長い調理台」の象形と「肉」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、肉を調理して神にささげる人を意味し、そこから、「統率者」、「ささげる」を意味する「将」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1013.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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大名の下には久しく居るべからず


大名(だいめい)の下には、久しく居るべからず、功成り遂げて、身退くは、天の道なり(太平記)、

にある、

大名の下には久しく居るべからず、

は、

『史記』越王句践世家の范蠡(はんれい)の言、

范蠡以為、大名之下難以久居、

による。『明文抄』(鎌倉初期成の漢語の故事金言集)にも引かれる。

大いなる名誉のもとに長くいてはいけない、

の意である(兵藤裕己校注『太平記』)。「大名(だいめい)」は、

諸葛大名照垂宇宙、宗臣遺像肅清高(杜甫)、

と、

すぐれたる誉れ、
大いなる名誉、

の意で、

大名を揚ぐ、

などと使う(大言海)。

名誉をきわめても、その地位に長くとどまるのは他人のねたみをうけてよくない、早く退(ひ)くのが賢明である、

の意(精選版日本国語大辞典)が正確かもしれない。

「狡兎死して」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485426752.htmlで触れた、

狡兎死して良狗烹らる、

と同じ出典であり、呉を亡ぼして有頂天になる勾践を見て、越から斉(せい)に去った范蠡(はんれい)が越に残る文種(ぶんしょう)に宛てた手紙で、

范蠡遂去、自齊遣大夫種書曰(范蠡遂去り、齊より大夫種に書を遣わして曰く)、
蜚鳥盡、良弓藏(蜚鳥(ひちょう)盡(つ)きて、良弓(リョウキュウ)藏(おさめ)られ)、
狡兔死、走狗烹(狡兎(コウト)死して、走狗(ソウク)烹(に)らる)、

と言ったのと同じ文脈である。文種に、越王の容貌は、

長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)、

と指摘し、「子よ、何故、越を去らぬ」と書いたが、文種は、病と称して出仕しなくなったが越を去れず、謀反の疑いありと讒言され、勾践は文種に剣を贈り、

「先生は私に呉を倒す7つの秘策があると教えて下さいました。私はそのうちの3つを使って呉を滅ぼしました。残り4つは先生のところにあります。私のために先生は亡くなった父王のもとでその秘策をお試し下さい」と伝え、文種は自殺した、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E8%A0%A1

功成り遂げて、身退くは、天の道なり、

は、

功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり、

という『老子』の一節に由来する。やはり『明文抄』も引く。

功績をあげて名誉を得たならば、身を引くのが天の道にかなった生き方である、

という意(兵藤裕己校注『太平記』)である。「天の道」は、荘子の、

天道、

あるいは、

天理、

と同義であり、

天、
道、

とも言う、

天地自然の理法、

であり、

人間界と自然界を貫く恒常不変の真理、自然の掟、必然の理法、

の意である(福永光司訳注『老子』)。ふと、

死生有命、富貴在天(論語・顔淵篇)、

を連想したが、「天命」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163558.html、「天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163401.html、で触れたように、

天には、「生き死にの定め」「天の与えた運命」の二つが並列されている。つまり、天命には、二つの意味があり、一つは、天の与えた使命、

五十にして天命を知る

の天命である。いまひとつは、天寿と言う場合のように、「死生命有」の寿命である。だから不慮や非業の死は非命という。

しかし、もうひとつ、

彼を是とし又此れを非とすれば、是非一方に偏す
姑(しばら)く是非の心を置け、心虚なれば即ち天を見る(横井小楠)

で言う「天理」のことでもある。ここでの「天道」は、後者を指していると見える。

『老子』九章には、

持而盈之、不如其已(持してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如かず)。
揣而鋭之、不可長保(揣(う)ちてこれを鋭くすれば、長く保つべからず)。
金玉滿堂、莫之能守(金玉(きんぎょく)堂に満つるも、これを能く守る莫(な)し)。
富貴而驕、自遺其咎(富貴にして驕(おご)れば、自(み)ずからその咎(とが)を遺(のこ)す)。
功遂身退、天之道(功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり)。

とある(福永光司訳注『老子』)。「揣(た)」は、

捶(た)もしくは鍛(たん)と同義、

で、

打って鍛える、

義である(仝上)。

「功」(漢音コウ、呉音ク)は、

会意兼形声。工は、上下両面に穴をあけること。功は、「力+音符工」。穴をあけるのは難しい仕事で努力を要するので、その工夫をこらした仕事とできばえを功という、

とある(漢字源)が、

会意形声。力と、工(コウ つくる)とから成り、はたらき、ひいて「いさお」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(工+力)。「のみ(鑿)又はさしがね(工具)の象形」(「作る」の意味)と「力強い腕」の象形から「仕事・手柄」を意味する「功」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji605.html

参考文献;
福永光司訳注『老子』(朝日文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

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はためく


雷光行く先にひらめいて、雷(いかずち)上に鳴り霆(はた)めく(太平記)、

の、

鳴り霆めく、

は、

鳴りとどろく、

意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

「はためく」に、

霆、

を当てる例は少ないが、「霆」には、

いなずま、
いなびかり、
とどろく、

の意があるし、

鳴動、

と当てる(大言海)場合もあるので、外れているわけではない。

「霆」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。「雨+音符廷(まっすぐのびる、よこにのび)」とあり、挺(テイ まっすぐのびる)と同系、

とある(漢字源)。「いなずま」の意である。「廷」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。右側の字(テイ)は、人がまっすぐ立つ姿を描き、その伸びたすねの所を一印で示した指事文字(形で表すことが難しい物事を点画の組み合わせによって表して作られた文字)。壬(ジン)とは別字。廴(のばす)を加えた字で、まっすぐな平面が広く伸びた庭、

とある(仝上)。

形声。廴と、音符𡈼(テイ 壬は誤り変わった形)とから成る。宮廷の中庭の意を表す。「庭(テイ)」の原字、

とある(角川新字源)のも、

会意形声。「廴」+音符「𡈼」。「𡈼」はすねを指し示した会意文字で、「廴」とあわせ、長く伸ばすの意を表す、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B7のも同趣旨だが、

会意兼形声文字です。「庭」の象形と「階段」の象形から、階段の前に突き出た庭を意味し、そこから、「広庭(政事を行う所(朝廷))、訴えを聞き裁判する所(法廷)」を意味する「廷」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2206.html

「はためく」は、

(太刀を)打ち合わする音のはためく事(義経記)、
にはかに雷のはためく音して(北条五代記)、

などと、

鳴り響く、
はげしく響き渡る、

意で使うように、

はた、

は、

擬音語(広辞苑・岩波古語辞典)、
音を名とする(大言海)、

と、擬音語由来と見られ、同義の言葉に、

水無月の照りはたたくにも、さはらずきたり(竹取物語)、

と、

はたたく、

という言葉があり、

並外れて激しい音をたてて雷などが鳴る、

意で、

ハタタはハタメクのハタを重ねた語(岩波古語辞典)、

とあるが、

音のハタハタの活用(大言海)、

なのではあるまいか。ただ、

はたはた、

は、今日の語感では、