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「宗と」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485666532.html?1645214436で触れたように、「宗と」の「むね(宗・旨)」は、

ムネ(棟)・ムネ(胸)と同根。家の最も高いところで一線をなす棟のように、筋の通った最高のもの、

である(岩波古語辞典)。だから、「胸」は、

古形ムナの転。ムネ(棟)と同根。棟木(むなぎ)の高く張るように、胸骨の張っている所の意、

とあり(仝上)、和名類聚抄(平安中期)に、

胸、膺、臆、無禰、

とある(膺、臆はいずれも「むね」の意)。

「棟」は、

ムネ(胸)・ムネ(宗)と同根、

とあ(仝上)、和名類聚抄(平安中期)には、

棟、無禰、

とある。

古形ムナ、

は、

ぬばたまの黒き御衣(みけし)をまつぶさに取り装ひ淤岐都登理(オキツトリ)胸(むな)見る時羽叩(はたた)ぎもこれは相応(ふさ)はず(古事記・歌謡)、

と、

胸先、
胸騒ぎ、
胸板、
胸骨、

など、

多く他の語に冠して複合語をつくる(仝上)。

もちろん、「胸」の語源には、

ムネ(身根)の義か(古事記伝・和訓集説・国語の語根とその分類=大島正健・日本語原学=林甕臣)、
ミネ(身根)の転か(大言海)、
ム(身)+ネ(根幹)、人の根幹をなす部分(日本語源広辞典)、

と、「身根」とする説があり(「身(み)」の古形は「身(む)」で、「身代(むかはり)、「身胴(むくろ)」、「身実(むざね)」、「身屋(むや)、「身根(むね)」等々複合語を作っている)、「棟」の語源にも、

ムネ(身根)の義(大言海)、
その形から胸の義(名言通)、
ム(建物のまとまり)+ネ(根幹)、建物の根幹をなす材の意(日本語源広辞典)、

と、「身根」とする説がある。さらに、「胸」を、

ムナギ(棟木)のムナと同源で、身体中で最も大切な部分の意(おしゃれ語源抄=坂部甲次郎)、

と、「棟」とつなげる説もある。「棟」を「棟木(むなぎ)」のように「ムナ」と訓ませるところも、「胸」との関連を感じさせる。しかし、別に、「棟」を、

山の峯のように屋の最も高いところから、ミネ(峯)の転(日本釈名・和語私臆鈔・家屋雑考・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
ウナ(頂)の転で、ミネ(峯)と同根(日本古語大辞典=松岡静雄)、

と、「みね(峯・峰)」と関連付ける説がある。

しかし、「みね」http://ppnetwork.seesaa.net/article/468333451.htmlで触れたように、

峰(ヲ)はタニの対、

とあり(岩波古語辞典)、「を(峰)」は、

尾、

と重なり、

尾根、
稜線、
脊梁(せきりょう)、

であり、「みね(峰)」は、

山の頂の尖ったところ、

の意であり、「を(峰)」とは由来を異にする言葉らしい。谷に対なのは、

峰々の連なり、

であって、

みね(峰)、

ではない、ということになる。「みね」は、

ミは發語。ネは嶺なり(大言海)、
ミは神のものにつける接頭語。ネは大地にくいいるもの、山の意。原義は神聖な山(岩波古語辞典)、
ミ(御)+ネ(嶺)(日本語源広辞典)、
ミは褒称。ネは高峻の義(箋注和名抄・東歌疏=折口信夫)、
ミは尊称、ネは止まり動かない意(東雅)、
ミネ(御根)の義。山上に神のあるところから(名言通)、
ミは神の略、ネはナル(成)の転(和語私臆鈔)、
ミはマシの約で美称、ネ(根)は山の義(和訓集説)、

など、「み」は「御」の意で、かつてヤマはご神体であり、とりわけ尖った頂は神聖視された。「ミ」はその名残りで、

ご神体、

の意味であると見ていい。つまり、「棟」と「峯」はつながらないのである。ちなみに、

峰打ち、

という、

刀の峰でうつ、

意も、

刀背打ち、
棟打ち、

とあて、

むねむち、

であり、「みねうち」はその転訛と見られる。

「胸」(漢音キョウ、呉音ク)は、

会意兼形声。もと匈と書く。凶の字の凵印がくぼんだ穴をあらわし、×印はその中にはまり込んで交差してもがくことをあらわす。匈(キョウ)は空洞を外から包んださま。胸は「肉+音符匈」で、中に空洞をつつみこんだむね。肺のある胸郭はうつろな穴である、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(月(肉)+匈)。「切った肉」の象形と「胸に施された不吉を払う印(しるし)と人が腕を伸ばして抱きかかえ込んでいる象形」(「むね」の意味)から、「むね」を意味する「胸」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji282.html

「棟」(漢音トウ、呉音ツ・ツウ)は、

会意兼形声。「木+音符東(真ん中を通す)」。家の頂上を通す棟木、

とある(漢字源)。「東」は、

袋の真ん中を通した様を象った文字で、家の真ん中を貫く「むなぎ」を意味する、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A3%9F、別に、

形声文字です(木+東)。「大地を覆う木」の象形と「袋の両端をくくった」象形(重い袋を動かすさまから、万物を眠りから動かす太陽の出る方角「ひがし」の意味だが、ここでは、「重」に通じ(「重」と同じ意味を持つようになって)、「おもい」の意味)から、家屋の中で最も重要な部分「むね」を意味する「棟」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1981.html。因みに、「東」は、

象形。中に心棒を通し、両端をしぼった袋の形を描いたもの。嚢(ノウ 袋)の上部と同じ。太陽が地平線をとおしてつきぬけて出る方角。白虎通(後漢の班固の編集の書。正しくは『白虎通義』という)に、「東方者動方也」とある、

とある(漢字源)。別に、

象形。上下を縛った袋の形から。袋から棒が突き抜けるように、日が地平線から突き出る様、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%B1

象形文字です。「袋(ふくろ)の両端を括った」象形から、袋を動かし万物を眠りから動かす太陽の方角「ひがし」を意味する「東」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji148.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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水干


「水干」は、

水干の袍(ほう 束帯、それを略した布袴(ほうこ)、衣冠、日常着の直衣(のうし)などの上着)、
水干の狩衣(かりぎぬ)、

と言うように、

糊を用いず水張りにて干し、乾いてから引きはがして張りをもたせて仕立てた衣、

の意である(広辞苑・大言海・日本大百科全書)。しかし、専ら、

水干の狩衣(かりぎぬ)の略称、

として使われ、製法は、

狩衣と異ならず、

とある(大言海)。その形式は、

盤領(あげくび 首紙(くびかみ)の紐を掛け合わせて止めた襟の形式、襟首様)、身一幅(ひとの)仕立て、脇あけで、襖(あお)系の上着。襟は組紐(くみひも)で結び留め、裾は袴(はかま)の中に着込める、

とある(日本大百科全書)。「襖(あお)系の上着」とは、

日本古代の衣服の一種。ペルシア系の唐風上着、盤領(あげくび)で身頃(みごろ)が一幅(ひとの)と二幅(ふたの)のものがある。この上着の裾に、生地を横向きにして縫いめぐらした襴(らん)という部分がつかず、両脇があいた無襴衣(むらんい)である。もとは狩猟用に用いられ、平安時代に日常着として親しまれた狩衣(かりぎぬ)は狩襖(かりあお)ともいわれた、

とある(仝上)。「幅(の)」は、

布帛類の幅(はば)を表わす単位、現在、普通には鯨尺八寸(約30センチメートル)ないし一尺(約38センチメートル)

をいう(精選版日本国語大辞典)、とある。

「狩衣」と「水干」の違いは、

狩衣は、袴の上に着したが、水干は袴の下に着こめて行動の便をはかったこと、

菊綴(きくとじ)を胸に一ヵ所、背面・左右の袖の縫い目に四ヵ所、ほころび易いところに、特に太い組糸を通して結び、時には結び余りを糸総(いとふさ)として、いずれも二つずつつけた(その形から菊綴という)、

胸紐の、前は領(えり)の上角にあり、後は領の中央にあり、二条を、右肩の上にて打ち違え捩(もじ)りて、胸にて結ぶ、

等々といったところにある(有職故実図典・広辞苑・大言海)。狩衣が、広く有司(ゆうし)に使用されて華麗に形式化されたのに対して、水干は専ら、庶民に用いられ、平安時代以降、朝廷に仕える下級官人が用いたが、平安時代後期には、衛府の下級武官となった武士も水干を用い、鎧の下にも着用した。水干姿もしだいに礼装化して、鎌倉時代から室町時代にかけて、武家は狩衣とともに礼装として着用されるに至る(広辞苑・日本大百科全書)。

「水干」姿の構成は、

烏帽子、
水干、
水干袴、
単(ひとえ)、
扇、
沓(くつ)または緒太(おぶと)、

からなるのを普通とし、五位以上は立烏帽子、六位以下は風折烏帽子という(有職故実図典)。「烏帽子」については、「しぼ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475131715.htmlで触れた。なお、「緒太」は、

沓ぬぎに緒ぶと御ぬぎ候(石山本願寺日記・私心記(天文五年(1536)五月一二日)、

と、

裏の付いていない、鼻緒の太い草履、

とある(精選版日本国語大辞典)。

なお、「水干」の語源は、上記のように、

糊を用いず水張りにして干した衣、

とするのが大勢(広辞苑・大言海・南嶺遺稿・卯花園漫録・有職故実図典・岩波古語辞典)であるが、別に、

スイカンバカマ(水灌袴)の義か、灌には洗う意がある、

とするもの(筆の御霊)もあるが、意味はほぼ同じである。

ところで、「水干」の原型になった「狩衣」は、

もと狩のときに用いたから、

といい(広辞苑・岩波古語辞典)、

猟衣、
雁衣、

とも当てる(仝上)。

制、襖(あお)に似たれば、狩襖(かりあを)とも云ひ、袴を狩袴(かりばかま 指貫さしぬき)と云ひ、古くは、上下共に、布にて製しかば、布衣(ほい)、布袴(ほうこ)とも云へり、衣に袖括(そでくく)りあり、袴に裾括りあるは、放鷹、射猟の時、引き括るべきために、軽便なる服なれば、平時にも用いるやうになりしなり、

とある(大言海)。「指貫」は、

八幅(やの)のゆるやかで長大な袴で、裾口に紐を指し貫いて着用の際に裾をくくって足首に結ぶもの、

である(精選版日本国語大辞典)。

「狩衣」は、奈良時代から平安時代初期にかけて用いられた襖(あお)を原型としたものであり、

両腋(わき)のあいた仕立ての闕腋(けってき 両わきの下を縫い合わせないであけておく)であるが、袍(ほう)の身頃(みごろ)が二幅(ふたの)でつくられているのに対して、狩衣は身頃が一幅(ひとの)で身幅が狭いため、袖(そで)を後ろ身頃にわずかに縫い付け、肩から前身頃にかけてあけたままの仕立て方、

となっている(日本大百科全書)。平安時代後期になると絹織物製の狩衣も使われ、布(麻)製のものを、

布衣(ほい)、

と呼ぶようになり、

狩衣は、上皇、親王、諸臣の殿上人(てんじょうびと)以上、

が用い、

地下(じげ 昇殿することを許されていない官人)は布衣を着た。狩衣姿で参内することはできなかったが、院参(院の御所へ勤番)は許されていた(岩波古語辞典)、とある。ただ、近世では、有文の裏打ちを、

狩衣、

とよび、無文の裏無しを、

布衣、

とよんで区別した(デジタル大辞泉・広辞苑)。

狩衣姿の構成は、

烏帽子、
狩衣、
当帯(あておび 腰に帯を当てて前に回し、前身(衣服の身頃のうち、前の部分)を繰り上げて結ぶ)、
衣(きぬ 上着と肌着(装束の下に着る白絹の下着)との間に着た、袿(うちき)や衵(あこめ)など)、
単(ひとえ 肌着として用いた裏のない単衣(ひとえぎぬ)の略。平安末期に小袖肌着を着用するようになると、その上に重ねて着た)、
指貫(さしぬき)、
下袴(したばかま)、
扇、
帖紙(じょうし 畳紙(たとうがみ)、懐紙の意)、
浅沓(あさぐつ)、

とされている(有職故実図典)が、晴れの姿ではない通常は、衣、単は省略する(有職故実図典)。色目は自由で好みによるが、当色以外のものを用い、袷の場合は表地と裏地の組合せによる襲(かさね)色目とした。

なお、「畳紙(たとうがみ)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/425358088.htmlについては、触れた。

「浅沓」は、

深沓(ふかぐつ)、

に対する名称で、鳥皮履(とりかわのくつ)の変化したもので、

足の爪先から甲にカけて差し込むだけの浅い構造、

から由来する名称(有職故実図典)で、古代、中世は、

前方が丸く盛り上がり、後方が細くなった舟形のもので、皮に黒漆を塗った烏皮履(くりかわのくつ)のほか、木製に黒漆を塗った、いわゆる木履(もくり)が使われた。内部の底敷きとして、白の平絹や白の綾(あや)が張られたが、公卿(くぎょう)以上のものには、その表袴(うえのはかま)と同質の浮織物が用いられた、

とあり(日本大百科全書)、「深沓」は、公家の外出用で、激しい雨や深雪のときの所用とされている。

足首から上の立挙(たてあげ)と呼ぶ筒の部分も含めて,すべて牛の革製で,表面を黒漆で塗りこめ,袴の裾口にふれる立挙の縁には染革をめぐらしている、

とあり(世界大百科事典)、庶民はわら製の深沓(履)を用いた。

参考文献;
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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猪頸に着なし


「白星の五枚甲の、吹返(ふきかえし)に日光、月光(がっこう)の二天子を金と銀とを以て彫り透かして打ったるを、猪頸に着なし(太平記)、

とある、

猪頸に着なし、

は、

兜を少し後ろにずらして深くかぶり、

の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。

「猪頸」は、

猪首、

とも当て、

イクビノヒト(日葡辞書)、

のように、

猪の首に似ている、

ところから(岩波古語辞典)の、

短い首、ずんぐりした首、

意だが、

旗さしは黒かはをどしの鎧に、甲猪頸に着ないし(平治物語)、

と、

猪首に着なして、
猪首に着ないし、

と使うときは、

兜などのかぶりものをあおむけて、深くかぶること、
また、
着物など襟を高めにして着て首が短く見えるさま、

という意味で使う(精選版日本国語大辞典)。これは、ただ、そういう着方、被り方をしているという状態表現だが、兜を猪首に着るのは、

戦いにあたって視界をよくするためのかぶり方、

で、

首筋を覆う錏(しころ)が深くかかって首が短く見える、

ためだが、

それは、額が露出して危険なので、勇敢さを示すことにもなる、

という価値表現の含意がある。いくさの場でない、通常は、

寒気や雨滴が首筋にかかるのを防ぐためにするかぶり方、

とある(精選版日本国語大辞典)。

ただ、

古代の兜の錏(しころ)は大にして、肩まで覆ひ、頸のくびれなし、猪の頸の如し、

とする説もある(大言海)。
 

確かに、中世の大鎧と比較すると、そう見えなくもないのだが。

因みに、「しころ」は、

錣、
𩊱、
錏、

と当て、

兜の鉢の左右から後方に垂れて頸をおおう、革または鉄札(てつさね)で綴るのを常とする。その鉢についた第一の板すなわち鉢付の板から菱縫の板までの枚数により、三枚兜、五枚甲などといい、その形状で、割錏(わりしころ)、饅頭錏(まんじゅうしころ)、笠錏(かさじころ)などの名がある、

とある(広辞苑)。「菱縫(ひしぬい)」は、

裾板の横縫の上を、×型に赤革または赤糸で綴じつけた飾り縫い、

で(広辞苑)、

札板(さねいた)の最下の板は横縫のかわりに、畦目綴(うなめとじ)と菱綴の連続にするので、菱縫の板といい、この菱綴を菱縫という、

とある(図録日本の甲冑武具事典)。

「猪頸に着なし」の逆に、

しころをかたぶけよ、うちかぶとをいさすな(平家物語)、

と、

錣を傾ける、

とあるのは、

兜を少し前に俯せて、敵の矢を避けること、

つまり、

戦闘時において兜は通常目深くかぶり、錣(しころ)を前に傾けるようにして内兜を防御するのが、心得とされた、

とある(精選版日本国語大辞典)。しかし、激戦の中では緒が緩み、錣の重みで次第に兜は後ろに傾き、後ろへずり下がる。それを、

仰兜(のけかぶと)、

という(仝上)。また、

義経、混甲(ひたかぶと)五百余人余騎にて後陣を支ふ(太平記)、

にある「混甲」は、普通、

直兜、
直甲、

と当て、

全員が鎧・甲で身を固める、

意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

「豬」(チョ)は、「豕(シ 象形。いのしし、またはブタを描いたもの)+音符者(充実する、太る)」。太ったいのしし。その家畜となったのがぶた。猪は豬の俗字、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(犭(犬)+者(者))。「口の突き出ているイノシシ」の象形と「台上にしばを集め積んで火をたく」象形(「集める、煮る」の意味だが、ここでは、「太る」の意味)から、体の太った「イノシシ」を意味する「猪」という漢字が成り立ちました、

との解釈があるhttps://okjiten.jp/kanji1817.html

漢字「首」「頸」については、「くびったけ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482240073.htmlで触れたように、

「首」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

象形。頭髪のはえた頭部全体を描いたもの。抽(チュウ 抜け出る)と同系で、胴体から脱け出したくび。また道(頭を向けて進む)の字の音符となる、

とあり(漢字源)、「頸」(漢音ケイ・ギョウ、呉音キョウ)は、

会意兼形声。巠は機織り機のまっすぐなたて糸を描いた象形文字で、經(経)の原字。頸はそれを音符とし、頁(あたま)を加えた字で、まっすぐたてに通るくび筋、

とある(漢字源)。

参考文献;
笠間良彦『図録日本の甲冑武具事典』(柏書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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鶺鴒


「鶺鴒(せきれい)」は、

鶺鴒(にはくなぶり)有りて、飛び来たりてその首(かしら)尾を揺(うごか)し(神代紀)、

と、

にわくなぶり、
にはくなふり、

と訓ませ、

庭くなぶり、

などと当てた(精選版日本国語大辞典)「セキレイ」の古名である。和名類聚抄(平安中期)に、

鶺鴒、爾波久奈布里、

とあり、本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)にも、

鶺鴒、爾波久奈布利、

とあり、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

鶺鴒、ニハクナブリ、トツギヲシヘドリ

とある。だから、日本書紀には、「鶺鴒(にはくなふり)」の別訓として、

とつぎをしへとり、
つつなはせとり、
つつまなはしら、
とつきとり、

とある(日本書紀・兼方本訓)し、

ももしきの大宮人はうづらとり領巾(ひれ)取り掛けて鶺鴒(まなばしら)尾行き合へ(すそを引いていきかわしの意)(古事記)、

と、

まなばしら、

ともいい、また、

アノ鶺鴒を、にはくなぎ、庭たたき、戀教鳥(こひをしへどり)とも云ふ(近松門左衛門「日本振袖始」)、

と、

にはくなぎ、
戀教鳥(こひをしへどり)、

ともいい(大言海・デジタル大辞泉)、

胡鷰子(あめ)、鶺鴒(つつ)、千鳥、真鵐(ましとと 麻斯登登)何(な)ど開(さ)ける利目(とめ)(古事記)、

とある、

つつ、

も、セキレイの古名とされる(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。「鶺鴒」は、他にも、

イシナギ、
イモセドリ、
イシクナギ、
イシタタキ(石叩き・石敲き)、
ニワタタキ(庭叩き)、
イワタタキ(岩叩き)、
イシクナギ(石婚ぎ)、
カワラスズメ(川原雀・河原雀)、
オシエドリ(教鳥)、
ツツナワセドリ(雁を意味することもある)、
ミチオシエドリ、

等々多くの異名を持つ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4・精選版日本国語大辞典)、とされる。

とつぎをしえどり(嫁ぎ教え鳥)、
戀教鳥(こひをしへどり)、

と呼ぶのは、

二柱(ふたはしら 伊弉諾尊、伊弉冉尊)……時に、鶺鴒(にわくなぶり)と云ふ鳥の、尾を土に敲きけるを見給ひて、始めて嫁することを習うて(太平記)、

とあるように、

日本書紀・神代巻の一書に、イザナギ、イザナミがこの鳥の動作を見て男女交合を知ったとされるところからのようである(岩波古語辞典)。

「にわくなぶり」は、

庭揺(にはくな)ぎ觸(ぶり)の義(大言海)、
庭来狎触の義(和訓栞)、
ニハは庭、クナは数揺、フリは触れの義(箋注和名抄)、
ニハクリナブル(庭砂嬲)の義(名言通)、

等々あるが、

庭で尾を振り動かすものの意、

であり(岩波古語辞典)、「鶺鴒」の特色である、

長い尾を上下に動かす、

ところと、その馴れ馴れしさから名づけているのかもしれない。

「鶺」(漢音セキ、呉音シャク)は、

会意兼形声。「鳥+音符脊(せぼね)」。背筋が奇麗な鳥の意、

とある(漢字源)。

「鴒」(漢音レイ、呉音リョウ)は、

会意兼形声。「鳥+令(きよらか)」、

とのみある(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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呉牛


車輾(きし)りて横軸を摧(くだ)き、呉牛喘ぎて舌を垂る(太平記)、

にある、

呉牛喘ぎ舌を垂る、

は、

呉牛月を見て喘ぐ、

を出典とし、

中国南方の呉の牛が、暑さに月を日と見誤って喘ぐ、

の意と注記する(兵藤裕己校注『太平記』)。

呉牛、

は、

水牛の異称、

とあり(広辞苑)、

呉の地に多く産したから、

とも(仝上)、

中国の南方、呉の地方に多く棲息するところから、

ともある(精選版日本国語大辞典)。中国では、

8000〜9000年前から家畜化されていた、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A6ので、棲息ではなく、「家畜」としての「水牛」の生産地というべきだろう。

「呉牛月を見て喘ぐ」は、

呉牛喘月、

と四字熟語ともなっているが、出典は『世説新語』(せせつしんご 五世紀、南朝宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた文言小説集)言語篇の、冀州刺史・尚書令・司隷校尉を歴任した西晋の文官・満奮(マンフン)の故事、

滿奮畏風、在晉武帝坐、北窻作琉璃屏、實密似疎、奮有難色、帝笑之、奮荅曰、臣猶呉牛見月而喘(滿奮風を畏る、
晉の武帝(司馬炎)坐に在り、北窓に琉璃屏(ルリヘイ)を作る、実は密なれども疎なるに似たり、奮、難色有り、帝之を笑ふ、奮答へて曰く、臣は猶呉牛の月を見て喘ぐがごとし)、

に由来する(http://fukushima-net.com/sites/meigen/1614・大言海)。註に曰く、

今之水牛、唯生江淮閨i長江と淮河(わいが)の下流域の間)、故謂之呉牛也、南土多暑、而此牛畏熱、見月疑是日、所以見月則喘、

とある(大言海)。

昼間太陽の暑さに苦しんでいるため、夜月を見ても太陽と思って喘ぐ、

意で(広辞苑)、

似たるものを真物と見誤りて畏る、

意味である(大言海)。

蜀犬日に吠ゆ(霧の多い蜀地方でまれに日が出ると犬が怪しんで吠える、吠日之怪(はいじつのあやしみ)ともいう)、

は同趣の言い回しになる(広辞苑)し、

思い過ごして取り越し苦労をする、

という意味では、

羹に懲りて膾を吹く(「熱い羹に懲りて、冷たい膾を吹く」「懲羹吹膾(ちょうこうすいかい)」ともいう)、
羹に懲りたる者韲(和)えを吹く、

も、

似たるものを真物と見誤りて畏る、

意味では重なる。また、「杞憂」のもとになったのは、

杞人天憂(きじんてんゆう)、

つまり、

杞人天を憂う(杞の国に天が崩れ落ちたらどうしようと心配して、夜も眠れず飯ものどを通らなかった人がいたという故事)、

で(故事ことわざの辞典)、似た意味の外延にある。

「呉」(漢音ゴ、呉音グ)は、

会意。「口+人が頭をかしげるさま」。人が頭をかしげて、口をあけ笑いさざめくさまを示し、娯楽の娯の原字。古くから国名に当てる、

とある(漢字源)。別に、

口と、夨(しよく 頭をかたむけた人)とから成り、顔をそむけるほどの大声の意を表す、

ともある(角川新字源)。ただ、口を開けて笑うさま(藤堂明保)とは別に、

祭器を担いで踊る様(白川静)、

との解釈もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%89ので、

象形文字です。「頭に大きなかぶりものをつけて、舞い狂う」象形から「やかましい」、「はなやかに楽しむ」を意味する「呉」という漢字が成り立ちました、

との説になるhttps://okjiten.jp/kanji1685.html

「牛」(漢音ギュウ、呉音グ、慣用ゴ)は、

象形。牛の頭部を描いたもの。ンゴウという鳴き声をまねた擬声語であろう、

とある(漢字源)。別に、

象形。羊(の象形)と区別し、前方に湾曲して突き出た角のあるうしの頭の形にかたどり、「うし」の意を表す、

とある(角川新字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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丱女


年未だ十五に過ぎざる童男(どうなん)丱女(かんじょ)六千人を集め(太平記)、

とある、

丱女、

は、漢語であり、わが国では、

かんにょ、

とも訓ます。

総角(あげまき)に結った年若い女、

というより、

丱は、少女の髪型(あげまき)の意、

と注記があり(兵藤裕己校注『太平記』)、

童女(どうじょ)、

を指す(広辞苑)。

「丱」(漢音カン、呉音ケン)は、

象形。二枚の板に横軸を通した形を描いたもので、貫くの意を示す。この字は關(関 かんぬき)の字の中の部分に含まれる、

とあるが(漢字源)、

あげまきにむすびたる象形文字(字源)、
髪を左右の二束に分け、かんざしで止めた様の象形文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B1

とある説の方が妥当な気がする。「丱」自体、

前髪を二つにわけて巻き、かんざしを通した、子供や少女の髪型、

つまり、和風に言う、

あげまき、

の意であり、

つのがみ(総角)、

の意であり、

丱頭(かんとう あげまき)、
丱角(かんかく あげまき、転じて幼い童)、
丱女(かんじょ あげまきした少女、幼女)、
丱童(幼童 あげまきしたわらべ)、

という言葉がある(字源・漢字源)のだから。

総角(あげまき)したる童子を、

丱童、

総角したる少女を、

丱女(かんにょ)、

と云ふ(大言海)、とするのは上記の理由である。『詩経』齊風・甫田篇に、

総角丱兮(クワンタリ)、
総角聚兩髪也、

とあり、朱傳に、

丱、兩角貌、

とある(字源・大言海)。

「みずら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484777081.htmlで触れたように、

角髪、
角子、
鬟、
髻、

などと当て(広辞苑)、

美豆羅、
美豆良、

とも書いた(日本大百科全書)、大和時代に始まる、

男子の成人に達したもの、

が結った髪型(岩波古語辞典)である、

みずら(みづら)、

の変型である(ブリタニカ国際大百科事典)。のちに、

髪を上げて巻く、

ところから、

あげまき(総角・揚巻)、

と呼ばれ、

古の俗、年少児の年、十五六の間は束髪於額(ひさごはな)す。十七八の間は、分けて、総角にす(書紀)、

と、

髫髪(うなゐ)にしていた童子の髪を十三、四を過ぎてから、両分し、頭上の左右にあげて巻き、輪を作ったもの、はなりとも、

とあり(岩波古語辞典)、

髪を中央から左右に分け、両耳の上に巻いて輪をつくり、角のように突き出したもの。成人男子の「みづら」と似ているが、「みづら」は耳のあたりに垂らしたもの、

とある(精選版日本国語大辞典)。「髫髪(うなゐ)」は、

ウナは項(うなじ)、ヰは率(ゐ)、髪がうなじにまとめられている意で、十二三歳まで、子供の髪を垂らしてうなじにまとめた形、

を言い(岩波古語辞典)、「束髪於額(ひさごはな)」は、

厩戸皇子、束髪於額(ヒサコハナ)して(書紀)、

とあり、辞書には載らず、はっきりしないが、「ヒサゴバナ(瓠花・瓢花)の項に、

上代の一五、六歳の少年の髪型の一つ。瓠の花の形にかたどって、額で束ねたもの、

とある(日本国語大辞典)。ただ、

ひさご花は後世に伝わっていない、

という(文政二年(1819)「北辺随筆」)。

なお、「をなご」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483799792.htmlで触れたように、「女」(漢音ジョ、呉音ニョ、慣用ニョウ)は、

象形、なよなよしたからだつきの女性を描いたもの、

とある(漢字源)が、

象形。手を前に組み合わせてひざまずく人の形にかたどり、「おんな」の意を表す、

とあり(角川新字源)、

象形文字です。「両手をしなやかに重ね、ひざまずく女性」の象形から、「おんな」を意味する「女」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji32.html。甲骨文字・金文から見ると、後者のように感じる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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表事


亡国の先兆、法滅の表事、誰人かこれを思はざらん(太平記)、

にある、

表事、

は、あまり辞書にも載らない(手元の大言海・岩波古語辞典・明解古語辞典には載らない)が、

前兆、

と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)。

素戔烏の尊に切り殺されたてまつし大蛇、霊劔を惜しむ心ざしふかくして、八のかしら八の尾を表事として、人王八十代の後、八歳の帝となって霊劔をとりかへして(平家物語)、

でも使われるが、

ひょうじ(表示)、

の当て字のようである(精選版日本国語大辞典)。

書生が身、忽に金色に変じたり。人皆、此を見て、此、偏に金粟(こんぞく=金粟如来)世界に生ぜる表示也と云て(今昔物語)、

と同じ使い方で、

きざし、印、兆候、表事、標示、

の意となり(精選版日本国語大辞典)、

ひょうし、

とも訓ませるが、それは、

意思表示、

のように、

外部へ表し示すこと、

の意ともなり(広辞苑)、今日では、

図表にして示すこと、

の意で使う。本来は、どうやら、

物事を表すしるし、

つまり、

きざし、

の意で使ったようである。「あらわれる」意の漢字には、

見、音はゲン、隠れたるものが出てくる義、露顕の義なり、
現、見と音義同じ、現在は、見在なり、
顯(顕)、光也、見也、明也などと註す、照り輝く程にあらわるるなり、高位高官に在る人を顕達、顕者などと云ふもこの義なり、
著、あらはる、あらはす、いちじるしなどと訓む、明らかに見ゆる義、著述、著姓などと連用す、
形、現也と註す、隠れたものの出現して形の観ること、大学「誠於中形於外」、
暴、日に晒す義なり、暴露とは、昼は日に照らされ、夜は露にうたれるをいふ。転用して、外へあらわし出す義とす、
露、むき出しにする義、史記「暴兵露師、十有餘年」、
表、うはがわへ出してあらはすなり、世説「謝之寛容、顛表於貌」、旌に似て用法広し、
彰、一に章に作る、同じ明也、著也と註す、物のあや模様などの、明らかに外に見ゆる義、書経「嘉言孔彰」、
旌、ハタと訓む。もと、はたを立てて功徳を人に知らする義より転用す、

等々と区別している(字源)。

「表」(ひょう)は、

会意。「衣+毛」で、毛皮の衣をおもてに出して着ることを示す。外側に浮き出る意を含む、

とあり(漢字源)、「表裏」の「おもて」であるが、「表現」の「あらわす」意でもある。皮衣では、毛の付いている部分が外側になることから、「おもて」「あらわす」意を表す(角川新字源)ことになる。ただ、別に、

会意文字です(衣+毛)。「衣服のえりもと」の象形と「毛」の象形から毛皮のおもて着(上着)、すなわち「おもて」を意味する「表」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji534.html

「事」(漢音シ、呉音ジ、慣用ズ)は、

会意。「計算に用いる竹のくじ+手」で、役人が竹棒を筒にたてるさまを示す。のち人の司る所定の仕事や役目の意に転じた。また仕(シ そばに立ってつかえる)に当てる、

とあり(漢字源)、

会意。「㫃(旗の原字)」の略体+「中(記録を入れる竹筒)」+「又(手)」で記録したものを差し出すさま。「史」「吏・使」と同系。筮竹+「手」とも、

とあるのはhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%8B、同趣旨と見られるが、別に、

形声。意符史(記録官)と、音符之(シ)の省略形とから成る。記録官の意を表す。もと、史(シ)・吏(リ)・使(シ)に同じ。一説に、象形で、文書をはさんだ木の枝を手に持つ形にかたどるという、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「神への祈りの言葉を書きつけ、木の枝に結びつけたふだを手にした」象形から、「祭事にたずさわる人」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「しごと、つかえる」を意味する「事」という漢字が成り立ちました。

ともhttps://okjiten.jp/kanji491.htmlある。

「示」(漢音キ・シ、呉音ジ・ギ)は、

象形。上の「一」はものを、下部はものを乗せる高杯の象であり、高杯にものを乗せて「示す」というのが、現在最も有力な説。これに関連して、「不」は高杯の上にものが無いので「あらず」の意とされる(但し、「不」は甲骨文などから「つぼみ」の象形とする説が有る)。他説に、「示」は「光」の変字だとするものがあるが、説得力に乏しい、

と諸説あるようだがhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A4%BA、見た限りでは、

象形。神霊の降下してくる祭壇を描いたもの。そこに神々の心がしめされるので、しめす意となった。のち、ネ印に書かれ、神・社など、神や祭りに関することをあらわす、

とか(漢字源)、

神の座に立てて神を招くための木の台の形にかたどる、

とか(角川新字源)、

「神にいけにえをささげる台」の象形から、「祖先の神」を意味する「示」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji821.html

と祭壇説が大勢である。また「しめす」意については、

「指(シ)」に通じ(同じ読みを持つ「指」と同じ意味を持つようになって)、「しめす」の意味も表すようになりました、

との説もある(仝上)。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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よそ


嶮しき山の習ひとしとて、余所(よそ)は見えて、麓は見えざりければ(太平記)、

にある、

余所、

は、

他所、
外、

とも当てる(広辞苑)が、

天雲の外(よそ)に鴈(雁)鳴き聞きしより薄垂(はだれ)霜雫(しもふり)寒しこの夜は(万葉集)、
いつしかも見むと思ひし粟島を与曾(ヨソ)にや恋ひむ行くよしをなみ(仝上)、
昔こそ外(よそ)にも見しか吾妹子が奥つ城と思へば愛(は)しき佐保山(仝上)、

など、

万葉集の「よそ」に「余所(処)」の表記が一例もないところから、「余所」は中世以降の当て字と思われる、

とある(日本語源大辞典)。「よそ」は、

かけ離れていて容易に近寄りがたい場所、またそのような関係の意。転じて、全く無関係であること、局外者の意。類義語ホカは中心点からはずれた端の方の所の意、

とある(岩波古語辞典)。だから、

遠き所→疎遠な事→自分の外のもの、

といった意味の転化をした(大言海)ものと思われ、「ほか」と重なっていく。なお、

他所(たしょ)、

は漢語である(字源)。

風発於他所(漢書・五行志)、

と、

他の場所、

という状態表現の語である。それを「よそ」に当てはめたとき、価値表現に転じている。

こうみると、語源的に、

ヨソ(余所・他所)の義(名語記・言元梯・国語の語根とその分類=大島正健)、

とするのは、如何なものか。とはいえ、

イヤセ(弥脊)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
形容詞ヤサシの語幹ヤサから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

というのはしっくりこない。むしろ、説明的すぎるが、

ヨ(関係のない)+所、つまり関係のない場所、
ヨ(横・避く)+ソ(背・外)、横の外、避くべきところの意、

とする(日本語源広辞典)ほうが、意味的にはあっている。ただ、

ソ、

は、

セ(脊)の古形、

なので、「よそ」の「そ」は該当するが、「よ」は分からない。

「よそ」は、

かけ離れて関係なない所、

という意で、

玉桙(ほこ)の道の行き逢ひに天雲の外(よそ)のみ見つつ言問はむ縁(よし)のなければ心のみ咽(む)せつつあるに(万葉集)、

と、

位置的に近寄れない所、

という意や、

光なき谷には春もよそなれば咲て疾(と)くも散るもの思ひもなし(古今集)、

と、

縁がない、

という意や、

御涙に咽ばせ給ふとばかりこそ、御車のよそへは聞へけれ(保元物語)、

と、

内に対して外(そと)、

の意で使われるが、ここまでは、

外、

の意である。しかし、

貝をおほふ人の、我が前なるをばおきて、よそを見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に(徒然草)、

と、

他の領分、

の意で、

余所、

を当てる意味が出てくる。また、

相手と直接つながらない人間関係、

という意味で、

よその人漏り聞けども、親に隠すたぐひこそは昔物語にもあれど(源氏物語)、

と、

血縁関係がない、

意や、

この大将の君の、今はよそになり給はむなむ、飽かずいみじく思ひ給へらるる(源氏物語)、

と、

疎遠な関係、

の意や、

さればよ、なほよその文通はしのみにはあらぬなりけり(源氏物語)、

と、

男女の関係がないこと、

の意や、

まして女はさる方に絶えこもりて、いちじるくいとほしげなるよそのもどきを負はざらむなむ良かるべき(源氏物語)、

と、

世間一般、

の意までは、

外、

の意だが、

これほどにもてなし興しあへるに、身の力なくて、そこばく多かる殿原の中に、われ一人よそなるが(古今著聞集)、

となると、

仲間はずれ、

の意で、

余所、

の当て字に当たる意味になる。で、

よろづの物まねは心根、鬼の能、ことさら当流に変れり。拍子も、同じものを、よそにははらりと踏むを、ほろりと踏み、よそにはどうど踏むを、とうど踏む(「申楽談儀(1430)」)、
申さばそちとは相弟子同前、夫故余所には思はねど(歌舞伎・「小袖曾我薊色縫(十六夜清心)(1859)」)、

と、

余所、

が主流になる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「餘(余)」(ヨ)の字源は、「余」は、

会意。「スコップで土を押し広げるさま+八印(分散させる)」で、舒(ジョ のばす・ゆったり)の原字。ゆったりとのばし広げるの意を含む。余・予を「われ」の意で用いるのは当て字で、原意には関係ない、

「餘」は、

会意兼形声。餘は、「食+音符余(ヨ)」で、食物がゆったりとゆとりがある意を示す。ゆとりがあることから、余ってはみ出るの意、

とある(漢字源)。「餘」と「余」は、別由来であることは、解釈は異なるが、

「余」 象形。柱で支えた屋根の形にかたどる。借りて、おもに、一人称単数代名詞「われ」の意に用いる、
「餘」 形声。意符食と、音符余(ヨ)とから成る。食物がありあまる、ひいて「あまる」意を表す。教育用漢字は、俗に餘の略字として余を用いたものによる、

も(角川新字源)、

「余」 象形文字です。「先の鋭い除草具」の象形から、「自由にのびる」を意味する「余」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「我(われ)」の意味にも用いるようになりました、
「餘」 会意兼形声文字です(食+余)。「食器に食べ物を盛り、それにふたをした象形」(「食べ物」の意味)と「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる、豊か」の意味)から「食物が余る」、「豊か」を意味する「餘」という漢字が成り立ちました、

とするのもhttps://okjiten.jp/kanji796.html同趣旨である。しかし、「餘」を、

会意形声文字。「食」+音符「余」。「余」は土を払い退ける農具で、掘り出した土の有り余る様で、食物が余ること、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A4%98

「他」(タ)は、

会意兼形声。它は、頭の大きい、ハブのような蛇を描いた象形文字。蛇(ダ・ジャ)の原字。昔、蛇の害がひどかったころ、人の安否を尋ねて、「無它=它(タ)無きや(ヘビの害はないか)」といった。変異の意から転じて、見慣れぬこと、他のことの意となった。也は、サソリを描いた象形文字。它と也は字体が似ているため古くから混用されて、佗を他と書くようになった。他は「人+音符也」、

とあり(漢字源)、「無它」は、無事を確認する挨拶であったことから、異変の意を生じたようであるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%96。別に、

会意形声。もと、佗(タ)に同じ。人と、它(タ ほかの意。也はその変形)とから成り、もと、異族の人の意を表したが、它の意に用いられる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(人+也・它)。「横から見た人」の象形と「へび」の象形(「蛇(へび)、人類でない変わったもの」の意味)から、「見知らない人、たにん」を意味する「他」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji248.html

「所」(漢音ソ、呉音ソ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.html?1645128312で触れたように、

形成。「斤(おの)+音符戸」で、もと「伐木所所(木を伐ること所々たり)」(詩経)のように、木をさくさくと切り分けること。その音を借りて指示代名詞に用い、「所+動詞」の形で、〜するその対象を指し示すようになった。「所欲」とは、欲するそのもの、「所至」とは、至るその目標地をさし示した言い方。後者の用法から、更に場所の意を派生した、

とある(漢字源)が、別に、

会意文字です(戸(戶)+斤)。「入り口の戸」の象形と「斧(おの)」の象形から斧等を置いた入り口の戸を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ところ・ばしょ」を意味する「所」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji468.html

会意、「斤」(おの)で「戸」を守るの意で、神の居る所(白川静)。または、「戸」を音とし、「斤」で切り開く意であったものが、音を仮借し指示代名詞として用いた(藤堂明保)、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%80

「戸」を守る、

の意と、

「戸」を音、

の意との二説ある。

「處(処)」(ショ)は、

会意。処は「夊(あし)+几(だい)」。足を止めて床几(しょうぎ)に腰を落ち着ける意を示す。處は、のち音符として虎の略体「虍」を添えた形声文字、

とある(漢字源)。

処は、会意。几と、夂(ち 後ろから追いつく)とから成り、来て止まる、ひいて「おる」意を表す。「處(シヨ)」の原字。處は、形声で、処に、音符虍(コ)→(シヨ)が加わったもの。教育用漢字は、のちに處の俗字として用いられた処による、

も解釈は少し異なるが同趣旨(角川新字源)。「処」が原字で、後から「處」を作ったということである。しかし、

会意文字です(几+夂)。「下向きの足」の象形と「台」の象形から、「台をおりる」、「腰掛ける」、「居る」を意味する「処」という漢字が成り立ちました。(旧字の虎の頭の象形(虍)は、「居(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「居」と同じ意味を持つようになって)、「居る」の意味である)。「処」は「處」の略字です、

と、真逆の解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji977.html。しかし、簡略の方が新字とするのは、「處」という漢字に欺かれた解釈のように思える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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幾許(ここだ)く


天の益人(ますひと)らが過ち犯しけむ雜々(くさぐさ)の罪は、天津罪(あまつつみ)と、畔放(あはなち)、溝埋(みぞうみ)、樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしざし)、生剥(いけはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)、許多(ここだ)くの罪を天つ罪と法(のり)別けて(延喜式(927)祝詞)、

にある、

許多(ここだ)く、

は、普通、

幾許く、