「堅石白馬」(けんせきはくば)は、 堅白同異(けんぱくどうい)、 堅白異同(けんぱくいどう)、 ともいい、 ただ、如来の権実(ごんじつ 方便と真実の教え)徒らに堅石白馬(ケンセキハクバ)の論となり、祖師の心印、空しく叫騒怒張の中に落つべし(太平記)、 と、 堅と石、白と馬とはそれぞれ別の概念であり、ゆえに堅石は石ではなく、白馬は馬ではない、 とする、 詭弁の論法、 をいう(兵藤裕己「太平記」注)。出典は、『史記』孟軻伝に、 公孫龍、為堅白同異之辨、 とあり(大言海)、『史記』孟子荀卿伝に、公孫龍の堅白論が載る。 堅白石三、可乎、曰、不可。二可乎、曰可。謂目視石、但見白、不知其堅、則謂之白石、手触石則知其堅而不知其白、則謂之堅石、是堅白終不可合為一也(堅白石は三とは、可なるか、曰く不可なり。二とは可なるか、曰く可なり。謂う目は石を視るに、但白きを見て、其の堅きことを知らず、則ち之を白石と謂う、手石に触るれば則ち其の堅きを知りて其の白きを知らず、則ち之を堅石と謂う。是堅白終に合して一と為るべからざる)、 と(故事ことわざの辞典)。 つまり、 堅く白い石があるとすると、目で見た時はその白いことはわかるが、堅いことはわからない。手に触れた時はその堅いことはわかるが色の白いことはわからない。故に堅石と白石とは同一のものではない(広辞苑)、 とは、昨今では、 ご飯論法、 といった詭弁があった。「ご飯論法」とは、 「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際、「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、(パンを食べたにもかかわらず)「ご飯(白米)は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、論点をずらし回答をはぐらかす手法である、 というものだが(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E9%A3%AF%E8%AB%96%E6%B3%95)、要は、言葉を変えて、問題をすり替える。 似たものに、 自分の都合のいいように無理に理窟をこじつける、 意の、 牽強付会、 があるが、これに似たものに、 断章取義(だんしょうしゅぎ)、 がある。 文章の一節を取り出し、文章全体の本意と関係なく、その一節だけの意味で用いること。ひいて、自分の都合のよい引用をする、 意である。似ているようで違うのに、 郢書燕説(えいしょえんせつ)、 がある。 楚の都郢からきた手紙に対して、燕の国の人がとった解釈、 という意であるが、由来は、『韓非子』の、 郢の学者が、ある夜、燕の国の宰相に手紙を書いたが、灯火が暗いので、従者に「燭(しょく)を挙げよ」と命じ、従者は誤って「挙燭」というこのことばをそのまま、手紙に書き込んでしまった。これを読んだ宰相は、「挙燭」の語を「明(めい)を尊べ」の意(賢人を登用せよ)と誤って解し、王に進言して賢者を登用し、大いに治績をあげた、と伝える、 とあるのによる(故事ことわざの辞典)。 燕相受書而説之曰、 挙燭者尚明也。 尚明也者、挙賢而任之。 燕相白王。 王大説、国以治。 挙燭、 を、 尚明(明を尊ぶ)、 と解釈したもののようである。 韓非子は、 治則治矣、非書意也、 今世学者、多似此類、 と嘆いている(https://ameblo.jp/yk1952yk/entry-11346657378.html)。 「堅」(ケン)は、 会意兼形声。臤(ケン)は、臣下のように、からだを緊張させてこわばる動作を示す。堅はそれを音符とし、土を加えた字で、かたく締まって、こわしたり、形を変えたりできないこと、 とある(漢字源)が、別に、 土と、臤(ケン かたい)とから成り、土がかたい、ひいて、「かたい」意を表す。「臤」の後にできた字、 ともあり(角川新字源)、さらに、 会意兼形声文字です(臤+土)。「しっかり見開いた目の象形(「家来」の意味)と右手の象形」(神のしもべとする人の瞳を傷つけて視力を失わせ、体が「かたくなる」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)から、かたい土を意味し、そこから、「かたい」を意味する「堅」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1243.html)。 参考文献; 兵藤裕己校注『太平記(全六冊)』(岩波文庫) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館) 「むち」は、 鞭、 笞、 撻、 策、 等々と当てる(広辞苑)。 馬のむち、 の意もあるが、 罪人を打つむち、 の意もある(仝上)。 ブチとも云ふ、 とあり(大言海)、 打(うち)に通ず、 とある(仝上・日本語源広辞典)。或いは、 馬打(うまうち)の約、 ともある(大言海・言元梯)。 馬を打つところから、ウチの転(日本釈名・貞丈雑記)、 ウツの転(和語私臆鈔・国語の語根とその分類=大島正健)、 ムマウチの約(名語記)、 も同趣旨と思う。 ムヂ(和名抄)、 ブチ(新撰字鏡)、 などもあり、 ウブチ→ブチ→ムチと変化(山口佳紀・古代日本語文法の成立の研究)、 とする説もあるが、馬にしろ、罪人にしろ、 打つ、 ところから来たものと思われる。ところで、「むち」に当てる、 笞 は、「むち」ではなく、漢音の、 ち、 と訓むと、 律の五刑のうち、最も軽い刑、 を指す。 楚、 とも当て、 木の小枝で尻を打つ刑で、10から 50まで、10をもって1等に数え、5等級とした。明治初年の刑法典である『仮刑律』『新律綱領』においても正刑の一つとして採用された。しかし明治5 (1872) 年それに代り懲役刑が行われることとなった、 とある(ブリタニカ国際大百科事典)。五刑とは、 五罪、 ともいい、罪人に対する五つの刑罰で、 古代中国では墨(いれずみ)、劓(はなきり)、剕(あしきり)、宮(男子の去勢、女子の陰部の縫合)、大辟(くびきり)をさす。隋・唐の時代には、笞(ち むちで打つこと)、杖(じょう つえで打つこと)、徒(ず 懲役)、流(る 遠方へ追放すること)、死(死刑)の五つをいう。日本では、大宝・養老律以後この隋・唐の方式がとられ、近世まで行なわれていた、 とされる(精選版日本国語大辞典)。「笞」を、 しもと、 あるいは、 しもつ、 と訓むと、 (葼(しもと 木の若枝の細長く伸びたもの)を用いたところから)木の若枝でつくったむち、 の意となる(岩波古語辞典)。「しもと」が「笞」の意であるところから、 老いはてて雪の山をば戴けどしもと見るにぞ実は冷えにける(拾遺和歌集)、 との歌があり、「霜と」と「しもと(笞)」を懸けている。 「大隅守さくらじまの忠信が国にはべりける時、郡のつかさに頭の白き翁の侍りけるを召しかんがへむとし侍りにける時翁の詠み侍りける」とあり、それが上記の歌で、註に、「この歌により許され侍りにける」とある。似た歌が、宇治拾遺物語にあり、やはり罪人が、 としをへてかしらの雪はつもれどもしもとみるにぞ身はひえにけり、 と詠んで、「ゆるしけり」とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。 和名類聚抄(平安中期)に、 笞、之毛度、 とある。養老律令の獄令(ごくりょう)には、 笞杖、大頭三分、小頭二分、杖、削去節目、長三尺五寸、 とある(大言海)。さらに、「笞」を、 びんづらゆひたる童子のずはえ持ちたるが(宇治拾遺)、 と、 ずはえ、 あるいは、 すはい、 すはえ、 等々と訓ますと、やはり、 杖(じょう)、笞(むち)の類、 の意となる。これも、「すはゑ」が、 木の枝から真っ直ぐ伸びた若枝、 の意で、これを「むち」に使ったからかと思われる。 笞 ほそきすはゑ、 杖 ふときすはゑ、 とある(日本書紀)。 「しもと」は、 葼、 楉、 細枝、 と当てると、 枝の茂った若い木立、木の若枝の細長く伸びたもの、 をさし、 すはゑ(すわえ)、 ともいう。元来は、 小枝のない若い枝を言った、 とある(今昔物語注)。和名類聚抄(平安中期)には、 葼、之毛止、木細枝也、 字鏡(平安後期頃)には、 葼、志毛止、 とある(大言海)。これは、 茂木(しげもと)の略、本は木なり、真っ直ぐに叢生する木立の意(大言海・万葉考・雅言考・和訓栞)、 シモト(枝本)の義(柴門和語類集)、 数多く枝分かれした義のシマと枝の義のモトから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、 等々の説があるが、どうもしっくりしない。 小枝のない若い枝を言った 枝本、 を音読みした「シモト」ではないかと、憶測してみる。 「すはゑ」は、 平安初期の写本である興福寺本霊異記に「須波惠(すはゑ)」とあるから、古い仮名遣いは「すはゑ」と認められる、 とある(岩波古語辞典)。 楚、 楉、 杪、 條、 等々とも当てる(広辞苑・大言海)。字鏡(平安後期頃)、天治字鏡(平安中期)に、 須波江、 類聚名義抄(11〜12世紀)に、 楉、シモト、スハエ、 楚、スハヘ、 色葉字類抄(1177〜81)に、 楉、楚、シモト、スハエ(楉は若木の合字)、 等々とある(大言海)。 木の枝や幹から細く長く伸びた若い小枝、 の意であり(広辞苑)、 しもと、 と同義となる。この由来は、 スクスクト-ハエタル(生)モノの意(大言海)、 スハエ(進生)の義(言元梯)、 スハエ(末枝)の意(日本釈名・玉勝間)、 直生の義(和訓栞)、 直生枝の急呼(箋注和名抄)、 スグスヱエ(直末枝)の義(日本語原学=林甕臣)、 等々あるが、どうもすっきりしない。 素生え、 なのではないか、と憶測してみた。 「笞」(チ)は、 会意兼形声。「竹+音符台(ためる、人工を加える)」 とあり(漢字源)、「笞杖」「笞刑」等々と使うが、竹で作った細い棒である。 「楚」(漢音ソ、呉音ショ)は、 会意兼形声。「木二つ+音符疋(一本ずつ離れた足)」。ばらばらに離れた柴や木の枝、 とあり(漢字源)、別に、 会意形声。複数の「木」+音符「疋」。「疋」は各々の足を表し、木の枝をばらばらにしたものを集めた柴、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%9A)。 形声文字です(林+疋)。「木が並び立つ」象形(「林」の意味)と「人の胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「あし(人や動物のあし)」の意味)だが、ここでは「酢(ソ)」に通じ(同じ読みを持つ「酢」と同じ意味を持つようになって)、「刺激が強い」の意味)から、「群がって生えた刺激が強い、ばら」を意味する「楚」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2520.html)。「一本ずつばらばらになった柴」や「いばら」の意である。 「策」(漢音サク、呉音シャク)は、 会意兼形声。朿(シ・セキ)は棘の出た枝を描いた象形文字。刺(さす)の原字。策は「竹+音符朿(シ とげ)」で、ぎざぎざと尖って刺激するむち。また竹札を重ねて端がぎざぎざとつかえる冊(短冊)のこと、 とある(漢字源)。「馬に策(むちう)つ」(論語)のように鞭打つ意である。また竹札から、文書の意も。別に、 会意、「竹」+「朿」で、朿とげが付いてる竹たけの「むち」が原義。むちで刺激することから派生して、「はかりごと」「計画」という意味に転化した、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AD%96)、 形声文字です(竹+朿)。「竹」の象形と「とげ」の象形(「とげ」の意味だが、ここでは、「責」に通じ(同じ意味を持つようになって)、「せめる」の意味)から、馬を責める竹、すなわち、「むち」を意味する「策」という漢字が成り立ちました。また、「冊(サク)」に通じ、「文書」の意味も表すようになりました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji985.html)。 「鞭」(慣用ベン、漢音・呉音ヘン)は、 会意兼形声。「革(かわ)+音符便(平らで、ひらひらと波打つ)」、 とあり(漢字源)、まさに馬の「むち」の意である。別に、 会意兼形声文字です(革+便)。「頭から尾までを剥いだ獣の皮」の象形(「革」の意味)と「横から見た人の象形と台座の象形と右手の象形とボクッという音を表す擬声語(「台を重ねて圧力を加え平らにする」の意味)」(「人の都合の良いように変える」の意味)から牛や馬を人の都合の良いように変える革の「むち」を意味する「鞭」という漢字が成り立ちました、 との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji2783.html)。 「葼」(ソウ)は、 樹木の細長い小枝。しもと、 とあり、 葼(細枝)勝ち(しもとがち)、 は、 桃の木の若だちて、いとしもちがちにさし出でたる(枕草子)、 と、 若い小枝が多く茂っているさま、 をいう(デジタル大辞泉)。
「楉」(ジャク)は、 「はたる」は、 徴る、 債る、 と当て、 請求する、 強く求める、 意だが、 責めたてる、 という含意が強く、 科之以千挫句置戸、遂促徴(セメハタル)矣(神代紀) 檀越(だにをち)や然もな言ひそ里長(さとをさ)が課役(えだち)徴(はた)らば汝(いまし)も泣かむ(万葉集)、 安永その宮の封戸(ふこ)をはたらむがために上野(かみつけ)の国に行(ゆ)きにけり(今昔物語)、 等々と、税などを、 取り立てる、 徴収する、 との意で使う。類聚名義抄(11〜12世紀)には、 徴、ハタル、モトム、モヨホス、セム、 とあり、色葉字類抄(1177〜81)には、 徴、ハタル、税、 とある(岩波古語辞典・大言海)。 「はたる」の語源は、 朝鮮語pat(徴)と同源、 としか見つからない(岩波古語辞典)。ただ、大宝律令で完成する租・庸・調の税制度そのものが、唐の制度を真似たものだから、朝鮮半島経由で、この言葉が伝わってもおかしくはないが、これ以外に言及した物がないので、何とも言いようがない。 「徴(澂)」(チョウ・チ)は、 会意。「微の略体+王」で、隠れたところで微賤(ビセン 地位・身分が低くいやしいこと)なさまをしている人材を王がみつけて取り上げることを示す、 とある(漢字源)。「徴召」等々と云い、「隠れている人材を召出す」意である。「求める」意だが、 求、乞也索也と註す、なき物を、有るやうにほしがり求め、又、さがしもとむる義にて、意広し、求友、求遺書の類、 索、さがし求むるむなり、通鑑「粱主臥浄居殿、口苦索蜜不得、遂殂」、 需・須、音義通ず。まつとも訓む、無くてはならぬと、まち求むなり。赤壁賦「以待子不時之需」、 要、まちかまえてぜひにと求むるなり。孟子「修其天爵、以要人爵」、 徴、めすとも訓む。己の方へひきつけ求める義、 と(字源)、「求める」意味の中では、「徴」は、どちらかというと、「君主または官符の召出し」の意である。その意味で、「徴税」の意につながる。 同じく、 微+王、 としているものもある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%B4)が、別に、 旧字は、会意。微(び)(は省略形。かすか)と、𡈼(てい つきでる。「壬」(ニン ふくれる)とは別字)とから成り、かすかにものが現れる意を表す。ひいて、めしだす意に用いる。常用漢字は省略形による、 とある(角川新字源)。どちらとは決めかねるが、「王」と「𡈼」では違い過ぎる気がする。さらに、 形声文字です。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「植物が芽を出して発芽した」象形(「芽生え」の意味だが、ここでは、「登」に通じ(「登」と同じ意味を持つようになって)、「登用する」の意味)と「すねのまっすぐ伸びた人が地上にすくっと立つ」象形(「すぐれた人」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手でうつ」の意味)から、「すぐれた人材を呼び出す」を意味する「徴」という漢字が成り立ちました。また、「取り上げるに値する証拠」の意味も表すようになりました。 との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1248.html)。 「債」(漢音サイ、呉音セ)は、 会意兼形声。「人+音符責(血でつぐなうべき貸し借り)」で。不整合に積み重なってきて、人を責めつける関係、つまり貸し借りの責任をいう、 とある(漢字源)。「清算していない貸借関係」の意で、「かり」「おいめ」の意である(字源)。「債券」「債鬼」「債権」「債務」等々と使う。 別に、 会意形声。人と、責(サク)→(サイ せめる、せめ)とから成り、おいめの意を表す。「責」の後にできた字、 とある(角川新字源)のが、意味が分かりやすい。別に、 会意形声。「人」+音符「責」、「責」は「貝」+音符「朿」の会意形声文字。「朿」は先のとがったとげや針で「刺」の原字。財貨の支払い・返済に関して、針などで責めるの意、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%82%B5)、 会意兼形声文字です(人+責)。「横から見た人」の象形(「人」の意味)と「とげの象形と子安貝(貨幣)の象形」(「金品を責め求める」の意味)から、借金で責められている人のさまを表し、そこから、「借り」、「負い目」を意味する「債」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1535.html)。「責」は、 会意兼形声。朿(シ)は、先のとがったとげや針を描いた象形文字で、刺(シ さす)の原字。責は「貝(財貨)+音符朿」で、貸借について、トゲで刺すようにせめさいなむこと。債の原字、 とある(漢字源)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 「桂を折る」は、 折桂(せつけい)、 という(字源)。 進士の試験に及第する(字源)、 文章生(もんじょうしょう)、試験、対策に応じて及第する(大言海)、 官吏登用試験に応じて及第する(広辞苑)、 という意で、 登第、 及第、 登科、 と同義になる(字源)。温庭筠の詩に、 猶喜故人新折桂、 とある(字源)。由来は、「晋書」郤詵(げきしん)伝に、 秦始中、詔天下、學賢良直言之士、太守文立學詵應選、……武帝於東堂會送、問詵曰、卿自以為如何、詵對曰、臣擧賢良策為天下第一、猶桂林一枝、崑崙片玉、帝笑、 とあるのによる(大言海・故事ことわざの辞典)。 すぐれた人材、 を、 桂の枝、 にたとえたのだが、「桂林」には、 文官 または 文人、 の意もある(故事ことわざの辞典)。 「桂林一枝、崑崙片玉」は、 桂の林の一枝、崑崙山の宝石の一片にすぎない、 の意から、 謙譲、 の含意があるとされ(字源)、「桂林一枝」には、転じて、 人品の清貴にして俗を抜く、 という喩えとしても使われる、とある(仝上)。ただ、雍州刺史という地方長官に任命されたことに対する答えなので、どこかに、 大した出世ではない、 という意味で、 これは桂林の一枝、崑崙山の美しい玉の一つを手に入れたにすぎない、 といっている含意もある(学研四字熟語辞典)。で、 世以登科為折桂、此謂郤詵対東堂。自云桂林一枝也、唐以来用之(避暑秘話)、 とある。「桂林一枝」から「折桂」と意訳したことになる。そして、続いて、 其後以月中有桂、故又謂之月桂、 とある。つまり、伝説の、 月に生えている桂の木、 と結び付けられて、 月の桂を折る、 とも言うようになる。 これは、 桂男(かつらおとこ・かつらを)、 といい、「酉陽雑俎‐天咫」(唐末860年頃)に、中国の古くからの言い伝えとして、 月の中に高さ五〇〇丈(1500メートル)の桂があり、その下で仙道を学んだ呉剛という男が、罪をおかした罰としていつも斧をふるって切り付けているが、切るそばからその切り口がふさがる、 という伝説がある(精選版日本国語大辞典)。シジフォスの岩に似た話である。 呉剛伐桂、 といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E7%94%B7)、伝説には、ひとつには、炎帝の怒りを買って月に配流された呉剛不死の樹「月桂」を伐採するという説と、いまひとつは、 舊言月中有桂、有蟾蜍、故異書言月桂高五百丈、下有一人常斫之、樹創隨合。人姓吳名剛、西河人、學仙有過、謫令伐樹(酉陽雑俎)、 と、仙術を学んでいたが過ち犯し配流された呉剛が樹を切らされているという説とがある(仝上)、という。 ために、「月の桂」には、 月の異称、 とされ、略して、 かつら、 ともいい、月の影を、 かつらの影、 といったり、三日月を、 かつらのまゆ、 などという(大言海)。また「桂男」は、 桂の人、 などともいい、 かつらおとこも、同じ心にあはれとや見奉るらん(「狭衣物語(1069‐77頃)」)、 と、盛んに使われるが、さらに、 手にはとられぬかつらおとこの、ああいぶりさは、いつあをのりもかだのりと、身のさがらめをなのりそや(浄瑠璃「出世景清(1685)」)、 と、 美男子、 の意味でも使われるようになる(精選版日本国語大辞典)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 簡野道明『字源』(角川書店) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館) 「桂(かつら)」は、「桂を折る」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484421562.html?1637178611)で触れたように、「桂を折る」以外にも、 桂男(かつらおとこ・かつらを 月で巨大な桂を永遠に切り続けている男の伝説)、 桂の眉(かつらのまゆ 三日月のように細く美しい眉)、 桂の影(かつらのかげ 月の光)、 桂の黛(かつらのまゆずみ 三日月のように細く美しく引いた眉墨)、 等々と使われるのは、「桂」が、 月の桂、 から、 月の異称、 として使われるようになったことによる。 「月の桂」は、「桂を折る」で触れたように、「酉陽雑俎‐天咫」に、 舊言月中有桂、有蟾蜍、故異書言月桂高五百丈、下有一人常斫之、樹創隨合。人姓吳名剛、西河人、學仙有過、謫令伐樹、 とあり、中国において、「月桂」は、 想像の説に、月の中に生ひてありと云ふ、月面に婆娑たる(揺れ動く)影を認めて云ふなるべし、手には取られぬものに喩ふ、 とある(大言海)。「懐風藻」に、 金漢星楡冷、銀河月桂秋(山田三方「七夕」)、 は、 月の中にあるという桂の木、 の意で、 玉俎風蘋薦。金罍月桂浮(藤原万里「仲秋釈奠」)、 では、 月影(光)、 の意で使われている(精選版日本国語大辞典)。万葉集では、 目には見て手には取らえぬ月内之楓(つきのうちのかつら)のごとき妹をいかにせむ、 と、 手には取られぬもの の喩えとして詠われている。「毘沙門堂本古今集註」(鎌倉時代末期〜南北朝期書写)では、 久方の月の桂と云者、左伝の註に曰、月は月天子の宮也。此宮の庭に有二七本桂木一、此の木春夏は葉繁して、月光薄く、秋冬は紅増故に月光まさると云也、 と解説する。また、月の人、「桂男」を、 月人、 とも言い(大言海)、 かつらをの月の船漕ぐあまの海を秋は明石の浦といはなん(「夫木(1310頃)」)、 桂壮士(カツラヲ)の人にはさまるすずみかな(「古今俳諧明題集(1763)」)、 等々と詠われる(精選版日本国語大辞典)。 さて、「桂」は、 楓、 とも当て(岩波古語辞典)、 かもかつら(賀茂桂)、 とわだかつら、 ともいった(「日本植物名彙(1884)」)らしいが、和名類聚抄(平安中期)には、 楓(ふう)、和名、乎加豆良(をかつら)、 とあり(岩波古語辞典)、古名は、 おかつら(男桂・楓)、 といった(「十巻本和名抄(934頃)」)。 カツラ科の落葉高木。日本の各地と中国の山地に生える。落葉広葉樹の大高木で、高さはふつう20〜25メートル、高いものは30メートルほどで、樹幹の直径は2mほどにもなる。葉は広卵形で裏面が白い。雌雄異株。5月ごろ、紅色の雄花、淡紅色の雌花をつけ、花びらはない、若葉は紅味があり、賀茂祭にも使う。秋黄葉する、 とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。 また、同じ和名類聚抄(平安中期)に、 桂、和名、女加豆良(めかつら)、 とあり、これは、 肉桂、 を指す。正確には、 藪肉桂(やぶにっけい)、 を指す(広辞苑)。やぶにっけいは、別名 マツラニッケイ(松浦肉桂)、 クスタブ、 ともいい、 クスノキ科の常緑広葉樹。高木だが、せいぜい15メートル。樹皮は灰黒色で滑らか。ニッケイに似た香気と渋味をもつ。夏、葉脇に長い花軸を出し、淡黄色の小花をつける。果実は液果で、紫黒色、 とある(広辞苑)。すくなくとも、 おかつら、 と めかつら、 は区別していたものと思われる。大言海は、 かつら(桂)、 と かつら(楓)、 とを、別項として立て、 前者を、 めかつら、 とし、 訓香木、云加都良(古事記)、 を引き、 後者を、 をかつら、 とし、 杜木、此云可豆邏(杜は鬘の誤と云ふ)(神代紀)、 を引き、 古事記、「楓(かつら)」(神代紀「杜木(かづら)」とあるに同じ、楓は桂の借字なり)、 と註している。 「かつら」の由来は、 カツは香出(かづ)、樹皮に香気あり、ツは濁る可きが如し、ラは添えたる音(大言海・日本語源広辞典)、 とされる。「ら」は、 擬態語・形容詞語幹などを承けてその状態表現をあらわす、 とある(岩波古語辞典)。 葉の香りに由来し、落葉した葉は甘い香りを発することから「香出(かづ)る」(日本語源広辞典・大言海)、 と香りが由来らしく、古事記(712)に、 傍の井の上に湯津香木有らむ、 に、 訓香木、云加都良、 注記がある。薫りに由来したものだと思われる。中国名は、 連香樹、 と表記される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%83%A9_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29)が、中国で言う「桂」は、 モクセイ(木犀)、 のことであって、日本と韓国では古くからカツラと混同されている(仝上)、ともある。 詩などに桂花と云ふは木犀なり、 とある(大言海)のはその意味である。 「桂」(漢音ケイ、呉音カイ)は、 会意兼形声。「木+音符圭(ケイ △型にきちんとして格好がよい)」で、全体が△型に育った良い形をしている木、 とあり(漢字源)、「肉桂(ニッケイ)」「筒桂(トウケイ)」「岩桂(ガンケイ)」「銀桂」「金桂」「丹桂」など香木の総称の他、伝説上の月の桂の意、である(仝上)。 桂については《山海経(せんがいきよう)》や《荘子》など先秦の書物にも記事があり、珍しい木、香辛料の木とされ、時代が下ると《本草》をはじめ諸書に、薬用植物として、牡桂、菌桂、木桂、肉桂など多様に表出される。これらが現在の何に当たるかは大半不明だが、漢の武帝が未央(びおう)宮の北に桂宮を作ったように、桂が高貴、良い香りを象徴したことはまちがいない、 とある(世界大百科事典)。別に、 会意兼形声文字です(木+圭)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「縦横の線を重ねた幾何学的な製図」の象形(「上が円錐形、下が方形の玉(古代の諸侯が身分の証として天子から受けた玉)」)の意味から、「かつら(肉桂などの香木の称、モクセイ科の常緑樹、月に生えているという伝説の木)」、「カツラ科の落葉高木」を意味する「桂」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji2251.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 「短兵急」は、 乗勝軽進、反為所敗、賊追急、短兵接、光武自投高岸(御漢書)、 と、 刀剣を以て急に攻める、 意であり、「短兵」は、『史記』匈奴伝に、 長兵則弓矢、短兵則刀鋋、 とある(字源)ように、 刀剣の類、 を指す(仝上)。因みに、「鋋」は、 柄の短い小さな矛、 つまり、 手鉾(てぼこ) とあり(https://kanji.jitenon.jp/kanjip/7662.html)、 薙刀に似た古代の武器。刃はやや内に反り、柄に麻糸を巻き、鉄の口金と木の石突きをつけたもの、 とある(デジタル大辞泉)。 しかし、わが国では、「短兵急」は、 息もつかせず急に急き立てる、 の意で使う(字源)、とある。しかし、 相従ふ兵僅に二十余騎に成しかば、敵三千余騎の真中に取籠て、短兵急に拉(とりひし)がんとす(太平記)、 小林民部丞、得たり賢しと勝(かつ)に乗って、短兵急に拉(とりひし)がんと、揉みに揉うで攻めける(仝上)、 等々をみると、 短兵(短い武器、刀剣)+急に(だしぬけに)、 と(日本語源広辞典)、原義に近く、 短兵を振るって敵に肉薄する(岩波古語辞典)、 いきなり敵に攻撃をしかける、だしぬけに行動を起こす(由来・語源辞典)、 意で使われていた、と見える。同じ意味で、 短兵直(ただ)ちに、 という言葉もあり、 さしも嶮しき山路を、短兵直ちに進んで、大敵の中に懸け入り、前後に当たり、左右激しける勇力に払われて(太平記)、 と、 息もつかせず攻め立てる、 意だが、ここではまだ「短兵」の持つ接近戦の含意がある。室町後期の注釈書「蒙求抄」にも、 短兵は、長具(ながぐ)を置いて、太刀打・腰刀の勝負ぞ。事の急ぞ、 とある(岩波古語辞典)。 そこから、戦いの場面が消えて、武器云々はなくなり、 事の急なこと、 つまり、 にわかに、 やにわに、 の意で使う(広辞苑)ようになる。江戸語大辞典には、 急に、にわか、 の意から、個人の振舞いにシフトして、 短兵急にやらうと云っても、些(ちつ)と六(むつ)かしいのう(文化七年(1810)「娘太平記操早引」)、 貴殿と某両人が、心を堅むる事を知らば敵心を赦さずして、たんぺいきうに若君を、殺害せんも計られず(浄瑠璃「伽羅先代萩(1785)」)、 等々と、 気早や、せっかち、 の意で使われ、今日の用例になっている。江戸時代になると、 勢いよく急に攻めるさま、 から、さらに、 突然ある行動を起こしたり、しかけたりするさま、だしぬけ、 の意味へと転じた、とある通りである(由来・語源辞典)。 「短兵急」に似た言葉で、 「短兵急接」(たんぺいきゅうせつ)、 があり、略して、 短兵急、 ともいうらしい(https://yoji.jitenon.jp/yojii/4135.htm)が、これも、 いきなり近づいて、いきなり攻撃する、 という意味から、 他の人よりも先に物事を行う、 という意に転じたとある(仝上)。 なお、「にわかに」の意で使う「短兵急」と同義の言葉に、 やにわに、 抜き打ちに、 があるが、いずれも、 意志的な動作に限って用いられる、 とある(類語新辞典)。由来を辿ると、当然のことかもしれないが、今日それが薄れているので、こういう確認が必要となる。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 簡野道明『字源』(角川書店) 大野晋・浜西正人『類語新辞典』(角川書店) 「爪弾き」は、 つまはじき、 と訓ますと、本来は、 風やまず、爪弾きして寝ぬ(土佐日記)、 (光源氏は)ありさまのたまひて、幼かりけりとあはめたまひて、かの人の心を爪弾きをしつつ恨みたまふ(源氏物語)、 と、 心にかなわぬことのある時、または嫌悪・排斥する時など、(人差し指または中指の)爪先を親指の腹にかけて弾く、 という、 自分の不満・嫌悪・排斥などの気持を表すしぐさ、 の意であったが、それが転じて、 ……豈に天下の利にあらずやと、爪弾きをして申しければ(太平記)、 と、人を、 嫌悪・排斥して非難すること、 つまり、 指弾、 の意になる。 「爪弾き」は、もともと、あるいは、 散花や跡はあみだの爪はじき(俳諧「葛の松原(1692)」)、 とあるように、仏教でいう、 弾指(だんし・たんじ)、 という(本来は「たんじ」と訓む)、 曲げた人差し指を親指の腹で弾き、親指が中指の横腹に当たり、はじいて音を出す、 動作の、 他人の家や部屋に入る許諾の意味や、歓喜の合図、 などを表し、また場合によっては、 東司(手洗い)から出て手を洗うとき、不浄を見聞したときに、これを払い除く意味で行う、 ものからきた(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BC%BE%E6%8C%87)とみられる。古く、 縁起の悪さを祓う仕草、 とされた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%81%AF%E3%81%98%E3%81%8D)のも、その由来ゆえかもしれない。 「指弾」も、 曲げた指を急に伸ばして物をはじく、 意で、これも漢語で、仏教の影響かもしれないが、 度百千劫、猶猶如指弾(維摩経)、 と、 つまはじき、 の意で使い、転じて、 三過門前老病死、一指弾頃去来今(三たび門を過ぐる閧ノ老ひ病み死す、一たび指を弾く頃(あいだ)の去来今)(蘓武)、 と、 極めてわずかの時間、 に喩える(字源)、とある。 三度門を過ぎる間に、老い病み、そして死ぬ。一度指を弾くだけの短い間に、過去・未来・現在の三世がある、 と、注記(兵藤裕己校注『太平記』)される。 「百千劫」の「劫」が、 共忘千劫之蹉跎、並望一涯之貴福(「三教指帰(797頃)」)、 と、仏語で、 天人が方一由旬(四十里)の大石を薄衣で百年に一度払い、石は摩滅しても終わらない長い時間といい、また、方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない、 ような、 きわめて長い時間、 を指したことに対して、「儚い」一生を言うのかもしれない(精選版日本国語大辞典)。 さらに、「爪弾き」は、 つまひき、 あるいは、 つまびき、 と訓ますと、 と、 苦しとおぼしたる気色ながら、つまひきにいとよく合わせただ少し掻きならい給ふ(源氏物語)、 と、 指の爪で弦を弾くこと、 要は、 筝、又は、三味線などを、假甲(かけづめ)、撥(ばち)を用いずに、手の爪にて弾くこと、 になる(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。 つめひき、 ともいう(大言海)が、また、 つまひく、 あるいは つまびく、 と訓ませ、 爪引く、 と当てると、 梓弓つまひく夜音(よと)の遠音(とほと)にも君が御幸(みゆき)を聞かくし好(よ)しも(万葉集)、 と、 弓弦(ゆずる)を指先で引く、 意となる(仝上)。 爪弾(つまびき)、 には、どうやら、上記の仏教の 弾指(だんし)、 の動作の、 許諾、歓喜、警告、入室の合図などを表す。また場合によっては排泄後などの不浄を払う、 意から、 後に爪弾(つまはじ)きといわれ、嫌悪や排斥の気持ちを表すことになった。この行為から(12000弾指で一昼夜というきわめて短い時間を表す)時間的概念が生まれ、主に禅宗などで行われる。元は密教の行法の一つだったが、縁起直し、魔除けの所作として僧以外の人々に広まった、 とする仏教の「弾指」由来とする説(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%BE%E6%8C%87)と、 楽器の弦を弾く、 意から、擯斥(ひんせき)の意の、 屈したる指を急に爪にて弾く、 という動作に転じ、その言葉が、 指弾、 の意に転じた(字源)とする説がある。どちらとも断じ得ないが、後者としても、前者の翳があり、何処か、 厄払い、 の意味がある気がしてならない。 「爪」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、 指事。つめの原字は蚤の上部であり、手の指先に「ヽ」印を二つつけて、つめのある所をしめしたもの。爪は手をふせて指先で物をつかむさまを示し、抓(ソウ つかむ)の原字。しかし普通には爪を「つめ」の意に用いる、 とある(漢字源)。しかし「象形」とする説が、 象形。上から下に向けた手の形にかたどり、物をつかむ、つかんで持ち上げる意を表す。「抓(サウ)」の原字、 とか(角川新字源)、 象形。下に向けた手の形から。元は「つかむ」のみの意で、「つめ」には「叉」に点を打った文字(「掻」の旁の上部)があったが、後代に「つめ」の意も含むようになった、 とか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AA)、 象形文字です。「手を上からかぶせて、下にある物をつまみ持つ」象形から、「つめ」を意味する「爪」という漢字が成り立ちました、 とか(https://okjiten.jp/kanji296.html)等々、多数派である。 「弾(彈)」(漢音タン、呉音ダン)は、 会意兼形声。單は、両耳のついた平らなうちわを描いた象形文字で、ぱたぱたとたたく、平面が上下に動くなどの意味を含む。彈は「弓+音符單」で、弓や琴の弦が上下に動くこと。転じて、張った紐や弦をはじいて上下に振動させる意、 とある(漢字源)。「弦をはじいて音を出す」意だが、「指弾」「弾劾」など、相手の悪事をはじき出す、意がある。 別に、 旧字は、形声。弓と、音符單(タン)とから成る。石つぶてなどを飛ばす弓、ひいて、「はじく」意を表す、 とか(角川新字源)、 会意兼形声文字です(弓+単(單))。「弓」の象形と「先端がY字形になっているはじき弓」の象形から「はじき弓」を意味する「弾」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1411.html)。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 簡野道明『字源』(角川書店) 「すそご」は、 裾濃、 末濃、 下濃、 等々と当てる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 すそごう、 すえご、 などとも訛る(仝上)。 白地の下方をしだいにぼかして濃くする染色法、 で、布帛(ふはく)と甲冑の縅(おどし)の場合とがある。 布帛の場合、 すそご、むらご(斑濃・叢濃・村濃 同じ色でところどころを濃淡にぼかして染め出したもの)なども、つねよりはをかしくみゆ(枕草子)、 と、 上を淡く下を濃くした、 ものだが、 織色(おりいろ)によるものと染色(そめいろ)によるもの、 とがあり、 大旗、木旗、下濃(すそご)の旗、三流れ立てて三手に分かれ(太平記)、 と、旗にも使われる。 甲冑(かっちゅう)の威(おどし)の配色では、 上を白、次を黄とし、しだいに淡い色から濃い色とする、 ものを言う(仝上)。因みに、「縅」とは、 札(さね 鉄または練革で作った鎧の材料の小板)を上から下へ連接することを言い、縅は元来「緒通す(おどおす)」に「威す」の字を当てた(縅の字は、「威」に「糸」偏をつけた和製)、 を指し、「緒」の材質により、 韋(かわ)縅、 糸縅、 綾縅、 があり、縅し方には、 縦取縅(たてどりおどし 垂直に縅していく)、 縄目縅(なわめおどし 斜め状の縅毛が横に連続するため縄のように見える)、 素懸縅(すがけおどし 縦取縅の省略ともいえる間隔をおいて菱形に交差させながら2本ずつ縅す)、 寄懸(よせがけ 間隔をおいて3本以上ずつ縅す)、 等々があり、 紫裾濃、 紺裾濃、 紅裾濃、 萌黄裾濃、 等々という。縅の配色には、「すそご」と反対に、 濃い色から次第に淡い色になり、最後を白とする縅、 を 匂い、 といい、 黄櫨匂(はじのにおい 紅、薄紅、黄、白の順)、 萌黄匂(もえぎにおい 萌黄、薄萌黄、黄、白の順)、 等々がある(有職故実図典)。 縅には、一色に威すものもあるが、「すそご」「におい」の他に、 村濃(むらご 上下左右に偏せず、まばらに濃い色を配する)、 妻取(つまとり 袖・草摺の端の妻を三角に色々の意とで縅し交ぜたもの)、 等々がある。江戸後期の有職故実書『貞丈雑記』には、 すとごと云は、何色にても、上の方の色を淡くして、すその方をば、濃く染たるを云他、鎧の紅すそご、紫すそごも右の心なり、 とある。 なお、「すそご」には、他に、 三種の神器ならびに玄象(げんじょう)、裾濃、二間の御本尊に至るまで(太平記)、 と、玄象(げんじょう)と並び、 琵琶の名器の名、 にこの名がある(仝上)。平安末の日本における現存最古の書論書『夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)』に、琵琶名として、 井手、渭橋(已上、宇治殿)、玄上(大内)、牧馬(斎齋院)、下濃(すそご 内大臣殿)、元興寺(大内)、兩道、小比巴、木繪、元名(蝉丸比巴也)、以上皆、紫檀也、 とあるし、枕草子に、 御前にさぶらふものは、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄しゃう、牧馬(ぼくば)、井手(ゐで)、渭橋(ゐけう)、無名など、 |