1 ひとは、いつ、どうやって自分自身と出会うのだろうか。いや、むしろ、こう問い直したほうがいいのか。ひとは、いつ、自分自身と、まともに向き合うのだろうか、と。 だがそれは、この自分とは何なのかと問うことではない、自分に何が出来るのかと問うことでもない、あるいは、自分は生きるに値するのか、いままで何をしてきたのか、一体何をしにこの世に生まれてきたのか、なぜこういう血縁の中で生きなくてはならないのか等々と問うことの、いずれでもないが、またいずれでもある。向き合うことは裁くことではなく、問うことだ。それも、答を求めて問うのではない。答は、より新しい(多角的な)「問い」を見つけることの中に、既にある。だからこそ、これはあるいは、ついに自分はそういう問いを立てることはなかったと、振り向いて気づいたものにだけ、その重大さが、後から痛切な悔いとして顕われてくるしかない、そういう「問い」なのかもしれない。 しかし、中上健次氏は、既にこの「問い」が終わったところから、出発したように感じる。いや、その言い方は正確ではない。確かに、こうした「問い」を(初期作品群では)無尽蔵にもっていた。しかし、謎があるから「問い」が生まれたのではない。「問い」が謎を生み出す。おのれに向き合うことで「問い」は生まれ、「問い」を「問い」として自覚したとき(どんな「問い方」をすればいいかを意識したとき)、初めて「問い」は、次々と謎の地下茎を引きずり出す。答え切れない「問い」だけが山のように堆積していく。
だが、書きたいことがあるから、作家になるのではない。書きたいことにどう向き合うか、つまりどう「問い」を立てるか、その向き合い方の中に、どういう作家になるかの答えがある。既に、中上氏は、出発点から、そういう「問い」方を模索していた。
だから本当は、「何を書くべきか」などは大した問題ではないのだ。「書きたいもの」があっても、それをいかに「語るか」が問題なのだ。あるいは、先走って言ってしまえば、その「問題」とどう向き合うかなのだ。 書きたいことがあっても、それが書けるまで(ここでは「岬」を意味している)には数年を要した。書きたいことなど、大して重要ではない。問題は、そのおのれの唯一性(本人には独自性かもしれない)ともいうべき〃書きたいこと〃と、どう向き合うかだ。同じことだが、どんな「問い」を立てるか、と言ってもよい。その中で、その書きたいことの見え方(パースペクティブ)が決まる。自分(あるいは〃書きたいこと〃と言っても同じことだ)とどう向き合うか、とは何を語るかではなく、それをどう語るかなのだ。これを擬人的に「語り手」と呼んでもよい。つまり、語り手を立てるとは、自分にどう向き合うかを決めることなのだ。それをここでは〃語りのパースペクティブ〃と呼ぶ。 瑣末なことにこだわるようだが、これは、「われわれが、語りのパースペクティブと隠喩的に呼んでいるものは、つまるところ、ある制限的な『視点』を選択すること(あるいはしないこと)から生ずる、情報の第二の制禦の仕方である」(G・ジュネット、花輪光・和泉涼訳『物語のディスクール』)とは別のことだ。ジュネット氏の言うのは、
という意味で、言ってみれは、どんな(制限的な)視点から語りの舞台が見られているかによって、その見え方(視界)は異なるという当たり前の指摘にすぎない。だが、
と、バルト氏が指摘するように、視界を決めるのは、「制限的な『視点』」ではなく、窓枠(あるいはファインダーのフレームに喩えられようか)だ。窓枠を決めるのは、それに向き合う語り手にほかならない。語り手が、それにどう向き合うかによって、窓枠が決まり、パースペクティブが決まる。これが〃語りのパースペクティブ〃である。窓枠にも向き合うなら、その窓枠を語る別の窓枠が必要になる。視点は、その結果にすぎない。 ミシェル・フーコー氏が、『言葉と物』で指摘した、ベラスケスの「侍女たち」という絵全体が見つめている絵画空間の外の、国王夫妻の立つ一点のもつ三つの機能、「描かれている瞬間のモデルの視線、場面を見つめている観賞者の視線、そしてその絵(表象されている絵ではなく、われわれのまえにあって、われわれがそれについて語っているところの絵)を創作している瞬間の画家の視線」(渡辺一民、佐々木明訳)の、絵「を創作している瞬間の画家」と呼んだものこそ、実は画家ベラスケスの設定した、語られる(描かれる)べきものと向き合う「語り手」(ここでは仮設の画家)にほかならない。現実に画家がそう向き合ったかどうかは、どうでもよい。問題は、どういうスタンスで語られる(描かれる)ものと向き合うか、だ。そのスタンスの取り方によって、語られる(描かれる)もの(の窓枠)が決まる。それが〃語りのパースペクティブ〃にほかならない。読み手(観賞者)は、そのパースペクティブをなぞって、語り手の向き合ったものに向き合うことになる。 だから、〃語りのパースペクティブ〃が語る視点を決める。〃語りのパースペクティブ〃を決めるのは、語り手のパースペクティブにほかならない。語り手がそれにどう向き合うかで、つまりどういうパースペクティブを取るかで語る視点は決まる。ジュネット氏は逆立ちしているのである。むろん、語りの視点が、語り手のパースペクティブを揺るがすことがあるかもしれない。しかし、ジュネット氏の言う、「制限的な『視点』」を選択すること(しないこと)が見え方(パースペクティブ)を変えるのではなく、〃語りのパースペクティブ〃が「制限的『視点』」(ジュネット氏の言うパースペクティブ)を選択する。 しかし、「書きたいこと」とどう向き合う(パースペクティブを決める)かとは、小説の素材となるものを、どう文学作品として書くか、ということではない。それなら、おのれの悲惨を絶対化した凡庸な作家で終わったろう。「対象化する」とは、そのことではない。例えば、「眠りの日々」と「岬」を比べてみればよい。「眠りの日々」に「岬」の素材と呼ぶべきもの、つまり〃書きたいこと〃は揃っている。しかし、「眠りの日々」の語り手には、「岬」の語り手に見えていた(ものと向き合った)パースペクティブがない。義兄(「父の息子」)も、義父(「土建請負師であるいまの父」)も、実父(「母の二番目の男」)も、腹違いの弟(「ぼくを母にはらませた男の息子」)も、姉の実家の兄弟殺し(「姉の嫁ぎ先の、妹のむこが一番上の兄を刺し殺してしまうという事件」)も、アル中の兄の縊死も、種違いの姉たちも、ぼんやりと帰郷した「ぼく」を語る語り手には、単なる遠景にすぎない。この語り手には、複雑な血縁関係などあってもなくてもどうでもよいようなのだ。 だが、この時点で、中上氏自身がそのことに無自覚であったのではない。少なくとも、「眠りの日々」の語り(手)では、不十分であることに気づいていた。だから以後、「蝸牛」では、その当の殺人の当事者の視点から、姉の夫の実家の諍いと向き合い(語り)、「補陀落」では、姉の視点から自殺した兄と向き合い(語り)、「黄金比の朝」では、義兄との関係と向き合い(語り)、「鳩どもの家」では、虚構ながら、義理の父と子と母と子の、連れ子同士の家族関係と向き合い(語り)、「修験」「草木」では、みずからの兄への思いと向き合い(語り)、「羅漢」では、姉との関係と向き合い(語り)、「火宅」では、兄の目を通した実父像と自分の妻子との関係の中での父親像を二重写しにしながら向き合い(語り)、意識的に、異なるパースペクティブを描いてみる。その意識的な試みの集約が、初めてみずからの〃書きたいこと〃と真正面から向き合った、「岬」のパースペクティブとなる。 ここで、唯一性として語られたこのパースペクティブは、しかし、その瞬間から、崩され(問い直され)なくてはならない。なぜなら、本来、パースペクティブは、私的でしかない。私的でしかないとは、相対的なものでしかないということだ。それを唯一性として語るとは、それを絶対化することだ。そこでとどまれば、凡百の「私」のパースペクティブを恃む語りに終わるだけだ。それでは、語り手を見つけ出し、新たなパースペクティブの中に整序した(語りの)方法が停滞することにしかなるまい。 中上氏は、こういうことを書いている。
ここで、注目したいのは、「夢の力」が見せつける中上氏の力技のことではない。
でいう〈物語の物語〉、「新聞記事」という物語を物語る、中上氏の〈物語の物語〉のことにほかならない。 言うまでもなく、われわれが受け取るどんな情報も、既に、一定のパースペクティブで切り取られたものだ。そもそも、一定のパースペクティブがあるからこそ、意味が見える。あるいは、どんなもののとらえ方も、必ず私的なパースペクティブをもっている。ものをとらえるとは、意味のあるパースペクティブを見つけることだからだ。われわれが何気なく「事実」と呼んでいるものもまた、ひとつのパースペクティブで切り取られた物語にすぎない。佐藤信夫氏は、こんなことを言っている。
誤解を恐れず独断すれば、私的パースペクティブでとらえることを、「語る」と言い切っていい。とするなら、「語る」とは、世界を再構成するということだ。それは、「現実」を、自分の視界の中で配置し直すことでなくてはならない。あるいは、「見るとか聞くとかいった起点がある。それを、時間、場所を変え、見ていなかった人、聞いていなかった人などに説明することが、カタルというのにふさわしい行為」(藤井貞和『物語文学成立史』)とするなら、〃いま〃〃ここ〃で、〃そのとき〃や〃そこ〃での「こと」を言葉にすること自体に、既に語りが含まれるのかもしれない。いずれにしろ、語りは、もともと(語るべき)ことに向き合い、それを「再現」し相手に再(追)体験してもらうことだ。そのとき向き合うものが、物(モノ)であるか、体験(コト)であるか、伝聞(コトバ)であるかは問わない。とすれば、「モノガタリはモノのカタリあるいはモノに就いてのカタリだとして、何かのカタリ、何かに就いての、何でものカタリ、何でもに就いてのカタリということになる。カタリではあるが、何でも、あるいは何でもに就いての、さまざまなカタリがモノガタリであ」(同『物語の起源』)り、「新聞記事」にしろ、伝え聞いた「事実」にしろ、いずれも、物語なのであり、中上氏は、新聞記事の記者の描いた物語を前に、もうひとつの物語を描いて見せたのである。このことのもつ重要性は、中上氏がサガと呼ぶ「路地物語」という〈物語の物語〉を書き続けた意味が見えるということにある。 考えてみれば、物語の語り手は、もともと一瞬ごとに幻(まだ〔語られて〕ないもの)と向き合い、過去から未来までを紡ぎ出す。その瞬間は、こうなっているのではないか。
この一瞬の現在〃ただいま〃に、過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在が、集中する。眼前に、なかった原因があったかのように、結果を招き寄せる形で、語られていくのはその瞬間からだ。古井氏は、その切迫した、語り出しそのものの一瞬を、拡大鏡にかけ、ストップモーションの〃いま〃として、現前化してみせた。 その語り手のいる一瞬の〃とき〃に、ありもしない現在過去未来が集約され、顕われる。そういう〃とき〃に向き合うとき、語り手になる(語り手がいるのではなく語り手になる)。いや、そういうように向き合う視線によって、初めて語り手の前に、語られるべき一瞬が収斂する。 ここで、逆転が起きている。語るべきことがあるから「物語る」のではない。物語る語り手となることで、「物語」が見えてくる。中上氏の言う、「夢の力」とはこのことでなくてはならない。そしてサガとは、〈物語の物語〉の積み重ね、作り上げられた作品に、新たに向き合う(眺める)ことによって、また新たな語るべきことが見えてくる、ということにほかなるまい。 2 折口信夫氏は、こんなことを言っている。
これは、図式化すると、当初神自身が独白しているのだから、本来、
となる。つまり、
しかし、一人称の神の語とは言え、実は巫女に憑依するかたちで、巫女の身体を借りて、神が語っているのだから、これは、
となる。巫女自身も、神に身体を貸しているのだから、自分の声と神の声の区別はない。このとき、巫女は、自らが語っていることを顕在化させず(これをゼロ記号化と呼んでおく、以下、 色はゼロ記号化を意味する)、自らを神そのものとして、一人称で語っている。ここでは、巫女は神の語と向き合うことはない。しかし、それが儀式化し、 一人稱式に發想する敍事詩は、神の獨り言である。神、人に憑つて、自身の來歴を述べ、種族の歴史・土地の由緒などを陳べる。皆、巫覡の恍惚時の空想には過ぎない。併し、種族の意向の上に立つての空想である。(「國文學の發生(第一稿)」) となるとき、巫女が前面に出、神の語の伝え手になることによって、神の発話は間接話法に変わる。つまり、
このとき、巫女は神の語あるいは神自身と向き合うことになる。つまり、巫女は神(あるいは神の語)の語り手となる。「其につれて呪言の本來の部分は、次第に『地の文』化」していくことになるのである。 だから、この場合は、ふたつの形が考えられる。ひとつは、巫女が「私は……」と語っているときであり、
巫女は、「私は……」と語っていても、その「私」は神の語であり、「私」=神となって(神を演じて)、神の語を語る。いまひとつは、「神は……」と語っている場合で、
既に、ここでは、神は語られるものとなる。つまり、「『地の文』化」は、神の語自体を間接表現に変え、神自体をも語ろうとしているのである。 お気づきの通り、ここで下敷きにしたのは、時枝誠記氏が、日本語の表現構造を「風呂敷型統一形式」と名づけ、
と図解したものである。周知の通り、時枝氏は、日本語の表現形式を、話し手が、対象の客観(客体)的な表現を、主観(主体)的な表現が包む、「入子型構造」と呼んで「机の抽斗と引手の関係」にたとえ、引手は「抽斗を引出すものとして、これを包み統一する關係」にあり、かつ「抽斗を用ゐる主軆の使用を助けるものとして、手の延長」(時枝誠記『日本文法口語篇』)と見なした。たとえば、「桜が咲いた」という構文を図解した、
における、「た」(あるいは否定の「ない」)は、「表現される事柄に対する話手の立場の表現」、つまり話者の主体的立場を表現するものであることを示す「辞」とし、「桜の花が咲い」の部分を、「表現される事物、事柄の客体的概念的表現」である「詞」とした。
そして終止形等のように、
と、「認識としては存在するが表現において省略されている」場合の、「 」部分を、「言語形式零という意味」(三浦・前掲書)で、零記号(本稿では、以下でゼロ記号と呼ぶ)と名づけた。 いわば、「辞」で、「詞」とは話者が向き合ったもの(話者の私的額縁でとらえたもの)でしかないことを示しているが、ゼロ記号化によって、「詞」だけが額縁抜きで剥き出されることになる。だから、ゼロ記号化とは、
と、一番外側の話者の辞による覆い(□)がない状態、つまり「桜の花が咲いた」(風呂敷に包まれた入子の部分)が剥き出しになった状態と言っていい。辞としての話者の立つ〃いま〃を取ると、話者が語っている〃とき〃がはっきりしなくなる。そのため、入子となっていた〃とき〃の、〃いま〃からの時間的距離(つまり時制)が曖昧化する。「咲いた」のが(〃いま〃からみた〃そのとき〃ではなく)〃いま〃であるかのように受け取れる。つまり、「た」が辞の位置になり、話者の語っている〃いま〃となる。 それから類推して、語り手の「辞」に敷衍するなら、
語り手の「辞」(語っている〃とき〃)がゼロ記号化することで、語り手は、直接Bの時と向き合う(語る)。しかしもしBの時もゼロ記号化されていれば、直接Aの時と向き合う(語る)こととなる。 先に述べた、本来一人称の神の語を、巫女が神に憑依されて、「自ら神として」発話したのをゼロ記号化と呼んだのは、巫女が、自分の発話(の〃とき〃)を潜在化し、神自身が(いま)語っているかのように(Bの位置に立って)発話しているからである。 強引の謗りを厭わずさらに敷衍するなら、前述の呪言の「詞」を、どんどん地の文に加えるなら、詞はますます細っていく。このとき「地」は、神の言葉を語る者になっている。しかし、このものをも語ろうとするなら、
という、語り手を必要とするだろう。巫女の例で言えば、
と、神(=私)がこう言ったと語る巫女を語る語り手を必要とする(厳密に言えば、神は神の「辞」、巫女は巫女の「辞」、語り手の「辞」となるが、以下「辞」は略す)。 この間の事情が、次の折口氏の言わんとするところにつながるのである。
ここに語り手の射程のすべてがある。 まず、「盲巫覡の幻想の口頭に現れ始めた物語」は、既に細かく見たように、巫女(語り手)がゼロ記号化し、
というの同様、「義經や、曾我兄弟の自ら告げた」カタチになり、「語り手を曲中の人物」つまり「主人公自身」として、
と、「神」を「主人公」と置き換え、(語り手が)主人公の独白に向き合い、それを語ることになり、「巫女」の神(の語)語りの変形、語り手がゼロ記号化している、と見なすことができる。 その語り手が、「みずから告げ」る者として語る主人公自体に向き合って、その語りをも語ろうとするとき、それは擬人化するなら、「生き存へた人」の語りとなろう。景清が琵琶法師となって、みずからの参戦した源平合戦を語ったという伝承のように、生き残った「其親近の人」、常陸房海尊や虎御前が語る場合、目の前で「物語つてゐる」ような「錯覺」が起きるのは、いまの「語り手」が、
と、ゼロ記号化しているためにほかならない。語りは、語ろうとすることとの向き合い方で、語るべきことが変わっていく、この語りの射程こそ、語りのカタチ(=制度)にほかならず、これを擬制化することで、語りはその奥行を方法として、表現の奥行とすることができるはずだ。 そして、「物語文学は、……語り手をなかに据えて語るように書く」(藤井・前掲書)。とは、つまり、語りの奥行を、どう抱え込むかにほかならない。語り手とは、便宜的に立てるようなものではなく、語りの方法としてある。それは、語りの奥行を入子として、機械的に、風呂敷のように包めば、「書き手」になれるということではなく、語り手との格闘として、「書き手」がある、あるいは「書き手」との格闘として語り手がある、ということでなければならない。 3 中上健次氏の四部作(三部作と呼ばれているものは、語りの方法からみて、『奇蹟』を加えることで完結する)を、『奇蹟』『地の果て至上の時』『枯木灘』「岬」と、逆に遡って読んでいくと、「岬」の、語りとしての完結性の高さが目につく。終始一貫、「彼」と呼ぶ主人公のパースペクティブが綻びることはない。「姉」と呼び、「母」と呼び、「義父」と呼び、「あの男」と呼ぶ、関係への視線も、その意味で一貫している。つまり、唯一性を語るものとして、語りのパースペクティブが首尾一貫しているのである。
ここでは、「彼」のパースペクティブを通して、相手の名前の呼び方で、日常での「彼」との、温度差が暗示されている。母、姉(美恵)、義父(とそれぞれ呼ばれる相手)は、基本的に「名前」で呼ばれることはない。日常の関係の中にない、芳子は、「もうひとりの姉」とか「名古屋の姉」と呼ばれることはあるが、基本的には、名前で語られる。また、血のつながりがない義理の兄弟である文昭が、「兄」と呼ばれることはない。 では、「岬」の「彼」に向き合う(語る)語り手は、「眠りの日々」の「ぼく」に向き合う(語る)語り手と、どれほどの違いがあるのか。 「眠りの日々」の語り手の向き合うのは、「御燈祭り」に帰郷した「ぼく」の、友人たちとたむろする半日だ。そこに、兄の自殺への悔いや姉たちの「神話時代」、義弟との遭遇等々のエピソードが遠景として点綴される。しかしこのとき、語り手は、友人たちとやりとりする「ぼく」に向き合いながら、その実、点綴されるエピソードに向き合っている。一見、「ぼく」の半日の接着剤のように点綴されるエピソードの方が、逆に、「ぼく」を触媒にして語られていると見える。なぜなら、語り手は、向き合うべきものと(母、兄、姉等々の誰ともまともに)向き合っていないからだ。実は、語り手は「ぼく」ともまともに向き合ってはいない。これは、まだ、おのれの唯一性の証しのようなエピソードをつなぎあわせて見せたにすぎない。しかし、思い出すことと語ることとは違うのだ。 このとき語り手が語るエピソードは、一見、語り手の〃とき〃に収斂するように見えて、語られる想い出の〃そのとき〃〃かのとき〃は、すでに向き合われた(語られた)ものとして、語り手の前に並列にある。それは、語り手の「辞」に収斂するのではなく、現実の作家の「私」の人生の時制に収斂している。語り手のパースペクティブ(語る〃いま〃に彩られるパースペクティブ)ではなく、すでに人生の〃とき〃の時制(時系列)に位置づけられたものとして、併置されている。「ぼく」は、まだ語られてはいないのである。 「私」を語るとき、「私」は「私」から剥離する。「私」は語られることによって「私」から剥がれる。「私」を語るとは、語られる「私」を語る「私」から引き離すことであり、語る「私」が語られる「私」から剥がされることである。つまり、「私」を語るためには、「私」と向き合う語り手を必要とする。語り手が、「私」から剥がした「私」に向き合うのである。ただ単に「私は……」と語り出すだけなら、それは、独り言、つぶやきにすぎない。必要なのは、「私は……」と語り出す「私」に向き合う(語る)ことだ。「私」を語るとは、そういうことでなくてはならない。ここで問題なのは、「私が私について語るとき、私は私がそれについて語っているその人間と同じものであるかどうか」(ジャック・ラカン、佐々木孝次他訳『エクリU』)なのだ。 たとえば、土着化した『さんせう大夫』の『お岩木様一代記』では、イタコが語り手として、みずから安寿を一人称で語る(岩崎武夫『続さんせう大夫』)が、このとき、語り手=イタコは、「私は……」と一人称で語る安寿を演じている。それは、神の独語を語る巫女と同じである。しかしもしここでイタコ(=語り手)が、「安寿(=私)の独話」ではなく、イタコ(=語り手)自身の「私」を語り出したとするなら、イタコはその「私」自身と向き合っていることになるはずである。 が、こうして、語り手が「私は……」と語り出した場合、語り手に語られている「私」が語り手の向き合っている自分自身なのか、
語り手の語り出した(誰か、たとえば「安寿」の)一人称の「私」なのか、
の区別は(語り手の「辞」がゼロ記号化されればなおさら)しにくいはずだ。しかし戯画化した言い方をするなら、語られる「私」側(語り手の「辞」に包まれた入子部分)から見ると、それが誰から発話されたのであれ、
「私」は、既に「私」に語られており、その「私」が誰か(「私」は誰から剥がれてきたのか、あるいは語り手が向き合っているのは誰か)を決める(必要がある)のは、その(「私は……」と語る)「私」に向き合う(語る)語り手にほかならない。もともと、語り手が「私は……」と語り出した(その「私」に向き合った)瞬間、実は、その「私」は、語り手の「私」(あるいは一人称で語る「主人公」の「私」)から剥離していく。語られる「私」を、語る「私」から剥ぐことで、それを語る(それに向き合う)ことができるはずだ。 しかし、この言い方は逆立ちしているように見える。何に向き合うかを決めるのは語り手ではなく作家(あるいは、ここでの文脈から言えばイタコをしている女性)自身のはずである。その向き合う視線によって語り手となり、語るべき「私」が見えてくるはずではないのか。だが、前述した通り、作家が自分について「私は……」と語り出したのが、独り言でない限り、作家自身の「私」に向き合うものを必要とする。
つまり、「私は……」と語り出した作家自身が、その「私」に向き合う語り手(「作家の『私』を語る語り手」)に語られるものになる。自分に向き合う語り手をもたずに、作家の「私」を語ることはできない。「作家の『私』に向き合う語り手」によって、作家の「私」から剥がれ、語られる「私」になる。つまり、語り手に語られる(向き合われる)とき、「作家の『私』」は語られるものになる。語られるもの(「私」)に向き合うことで「私」は語り手(語るもの)になり、語り手に向き合われることで(「私」は)語られるものになる。「私」は語り手になることで(剥離した)「私」に向き合い、(剥離した)「私」に向き合うことで、「私」を語ることができる。むしろ、語り手を梃子にすることで、初めて「作家」にな(れ)るのである。 むろん、それは語る(向き合う)「私」(=語り手)側の一方通行ではない。「自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる」(古井由吉・『「私」という白道』)。語ることで語る(=語り手)側も変わり、語られることで語られる側も変わる。それによって、語る(=語り手)側もまた変わらざるをえない。 だから、主人公(の「私」)に向き合おうが、自分自身(の「私」)に向き合おうが、その語りの主体は語り手(のパースペクティブ)にこそある。そのとき、語り手の向き合う「私」が、作家の(「私」から剥離した)「私」であろうが、
語り手(あるいは巫女)自身の(「私」から剥離した)「私」であろうが、
語り手の立てた(主人公=安寿の「私」から剥離した)「私」であろうが(正確には主人公の「私」から「私」を剥ぐので、これまでの主人公(あるいは神)の「私」の図は、次のように描き直さなくてはならないが)、
(「私」に向き合う=「私」を語るという)語りのパースペクティブにおいては差がない。 ところで、この主人公の「私」に向き合う(語る)語りは、呪言の「地の文」化で触れたように、主人公自身に向き合う(語る)ことで、主人公の「私は……」は、
と、主人公の(「私」の)語りを間接的に語る語りに変わる(主人公の「私」の語りの〃地の文〃化。同様に、作家の「私」も、語り手の「私」も、間接化すれば、作家の「私」の語り、語り手の「私」の語りの〃地の文〃化となろう)。これは、語り手がどう向き合うかの違い、つまり語り手が語る時点で(既に起きたことを語る〃いま〃)語ろうとする(「間接話法とは、報告する言表の中に、報告される言表が現れる」ドゥルーズ、ガタリ、宇野邦一他訳『千のプラトー』)か、語られる時点で(起きた〃そのとき〃に遡って〃そのとき〃を〃いま〃として)語ろうとする(「間接話法は、直接話法を前提にするどころか、直接話法こそ間接話法から抽出される」ドゥルーズ、ガタリ・前掲書)かの違いであり、そこに語り手に語り出された主人公(や「作家」や語り手)の「私」が語られていることに変わりはなく、それは語り手の語りのパースペクティブの中に、みずからの語り出した主人公(や「作家」や語り手自身)の「私」を、どう語るかという方法の違いなのである。 してみると、語り手から見るなら、(「作家」や語り手の)「私」も「主人公」の「私」も、主人公(の「辞」)も、向き合うもの自体として違いはないのである。なぜなら、向き合ったときに(比喩的に言えば、直接的に語るか間接的に語るかの違いはあっても、作家自身の「私」からも語り手の「私」からも、主人公の「私」からも)「私」は既に剥がされている。剥がれた「私」を、語り手がどう名づける(あるいは名づけない)か(「その記号表現の住まいをそこに建て増し」(ラカン『エクリV』)するかどうか)の違いにすぎないからだ。ただし、語り手がゼロ記号化すると、向き合っているのが「私」自身か主人公の「私」か主人公かの間に隠されていた違いが顕われる。なぜなら、後述する通り、語り手がゼロ記号化しても、語り手が「私は……」と(自分や主人公自身として直接)語るのと、主人公(や語り手)の語りを(間接に)語るのとでは、語り手(の立っている位置)から語られていることへの距離は異なるのだから、向き合い方(どう向き合うか)の差は、写真に残る視角のように、(語り手との距たりの違いが)語りの中に顕われてくることになるからである。 ところで、古井氏は、「私」という人称について、こんなことを言っている。
いわば、語り手は、向き合った(語られる)「私」を〃私〃と名づけることによって、作家・古井氏の「わたし」から引き剥がしやすいということだが、肝心なのは、それによって、「わたし」と離れた、語られる「私」のパースペクティブを語れるようになったということのほうなのだ。なぜなら、重要なのは、バルト氏が、こう指摘している点だからだ。
つまり、語り手が「私」に向き合うことで、それを何と名づけよう(名づけまい)が、その「私」のパースペクティブを創り出せるかどうかなのだ。これこそが、「私」を思い出すのとは違う、「語る」ということの意味だからだ。ところが「眠りの日々」では、「ぼく」という人称を使いながら、語り手は、語られるものの世界として、「伝記的な時間を自分のもの」にできず、「自分を運命の対象として意味づけ」られず、「時間に意味を与えること」もできなかった、というよりその必要がなかった。なぜなら、「ぼく」はまだ語られるものになっていないからだ。「ぼく」はまだ作家の「私」から剥がれておらず、語り手の「辞」(〃とき〃)ではなく、作家の人生の時制に依存しているからだ。 「岬」で、「彼」という人称を立てたとき、語り手が向き合うもの自体は、「眠りの日々」での「ぼく」と変わっていないように見える。しかし「眠りの日々」になく、「岬」にあるのは、作家の人生の時制とは別の、語り手の「辞」(語りの時制)が確立していることだ。それは語り(手)のパースペクティブが確立しているということだ。「眠りの日々」では、遠景でしかなかったすべてのエピソードは、真正面から語り手の「辞」(時制)に整序され、「彼」の「運命の対象として意味づけ」られ、「彼」の「時間に意味を与える」ものとして語られている(向き合われている)。それは、もはや中上氏ではない、語られるものとしての「彼」の人生として、語り手の前に開かれている、ということだ。それは、前述したような「補陀落」から「火宅」まで、多角的な人物群それぞれの「私」の語りを語り、それぞれに「自分を運命の対象として意味づけ」ることによって、それぞれの視点から、ひとつの事態に多面的に照明を当て、言ってみれば、一旦輻射するプリズムと化した語りを、「彼」という光源からの唯一性のパースペクティブで放射し直したのである。 さて、では、語り手が、「眠りの日々」のように、「私」という一人称を立てる(「私」に向き合う)のと、「岬」のように、「彼」という三人称を立てる(「彼」に向き合う)のと、『枯木灘』のように、「秋幸」という固有名詞を立てる(「秋幸」に向き合う)のとでは、語り手の向き合い方の違いに、どう(いう要件の差として)顕われるのか。 連載当初、『枯木灘』は「岬」と同様「彼」のパースペクティブで語られていたが、連載二回目以降、「彼」は秋幸に、「母」はフサに、義父は繁蔵に、「その男」は龍造に書き換えられる。これについて、中上氏自身は、
と述べた。柄谷行人氏は、「名を与えられた瞬間に、彼らは自立する。彼らは、彼=私との関係においてだけでなく、彼ら自身の歴史的・社会的な関係性において実存する。」(全集三解説)と言い、「人称を拒否し人物に名を与えたとき、彼は私小説と物語を内在的に越えようとした」という。 問題は、その方法上の意味だ。「私小説と物語を内在的に越え」たかどうかは、あくまで方法の問題でなくてはならない。それは、「私」と「彼」との差、「彼」と「秋幸」との差という、語りのパースペクティブの変化の中に、具体化されるはずである。それは、語り手の違いにほかならないからである。 ひとまず、その差を、語り手の向き合うものと、語り手(の立つ位置)との距離にある、と見なすことができる。 「私」という一人称を立てる(「私」に向き合う)とき、語り手自身は、(その「私」が自分自身なのにしろ演じるのにしろ)「私は……」と語る「私」の位置にいること意味をする(「指向する者としてのわたしの現存と、指向される者としてのわたしを含む話の現存」@・バンヴェニスト、岸本通夫監訳『一般言語学の諸問題』)。それが、語り手=「私」(あるいは語り手の「私」=作家の「私」)という誤解の原因となる。語り手が、(「私は……」と語る)「私」と向き合うこの語りは、
と、とりわけゼロ記号化されたとき、語り手が「私」の(語っている)位置で(「私」の語りに向き合って)いるのが顕われる。 「彼」という三人称を立てる(「彼」に向き合う)とは、語り手にとって、語り手の語りの中に(語り手との関係の中で)のみ存在する(あるいは同じことだが、まだ語り手の語りのパースペクティブの点景としてしか存在しない)、「一つの情報にすぎない」(バンヴェニスト・前掲書)ものに向き合うことだから、語る位置は語り手の語る〃いま〃にあり、語られる「彼」の〃とき〃にはない。それは、語り手が「彼」と名指したとき、そこに語り手には既知の情報を圧縮していることを意味する。「彼」という表紙の背後に、「彼」の生きている世界が包含(情報化)されている。喩えてみれば、「彼」のパースペクティブ全体は、「彼」と名指したものの向こう側(背後)に隠されている。しかし、語り手の点景でしかない「彼」の世界は、語り手側からではなく、「彼」(のパースペクティブ)によってしか、向き合う(語る)ことはできない。だから、本来、語り手はゼロ記号化して、
「彼」(の向き合う世界)を引き寄せることで(〃そのとき〃を〃いま〃として)、初めて「彼」のパースペクティブに向き合うことができるのかもしれない。だから「岬」の場合も、語り手はゼロ記号化しながら、「彼」のいる〃とき〃〃ところ〃に直接向き合うのでなく、たえず「彼」のパースペクティブ(視野)と向き合ってしか語ることはなかった。 それに比して、「秋幸」という固有名詞を立てる(「秋幸」に向き合う)とき、語り手が向き合っているのは、「秋幸」としか名づけようのないものであり、それは、そう名づけさせる(その中でしかその名前は有効ではない)世界抜きには語れないものなのだ。つまり、語り手は、そのとき「秋幸」だけではなく、「秋幸」のいる〃とき〃〃ところ〃と向き合っている。つまり、「秋幸」と名づけられたものの生きている世界そのものと向き合っているのだ。それを図解してみるなら、
と、語り手は、潜在的には、向き合っている世界について、「秋幸」の視点を離れて語る(向き合う)ことが可能となる。「彼」は語り手の語りの中にあるが、「秋幸」は、語り手の向き合う世界にある。「秋幸」と名づけたのは語り手ではなく、その世界であり、それにいま語り手は向き合っている。前述のように、途中で、「彼」から「秋幸」に変更されたことの理由はここにある。それは、語り手の手の中にあった(情報としての)「世界」から、語り手の直面する(向き合う)巨きな「世界」に変貌したことを意味する。 しかしながら、『枯木灘』の語りのパースペクティブは、秋幸が逮捕され、路地という舞台から、秋幸が退いた瞬間から、そのパースペクティブを変える。それまで一貫して秋幸に向き合っていた語り手は、秀雄を殺して逃走した秋幸を、「日の当るところに出たかった。日を受け、日に染まり、秋幸は溶ける。樹木になり、石になり、空になる。秋幸は立ったまま草の葉のように震えた。」と語った後、ふいにその一週間後、秋幸逮捕後の、秋幸不在の世界と向き合い、文昭、繁蔵、フサ、徹、ユキといった、残された人々に並列に向き合うように、こう語り出すのである。
語り手は、それまで通り、自首し、拘留された秋幸に向き合うこともできたのに、秋幸の視点を捨てて、もはや秋幸が不在の、「その土地」に残された人々を語ろうとする。語り手が向き合っていたのは、もともと「秋幸」ではなく、あくまで、「秋幸」の世界(路地)そのものであり、それを秋幸の視点から語っていたのにすぎない。ちょうど定位置に固定されたカメラのように、秋幸が不在になれば、その世界に残された人々と向き合うことになる。だから、本当は、秋幸の振るまいについてどう考えているのか、最も知りたいはずの「その男」の反応についても、
と、語り手は、潜在的には直接向き合うことも可能なのにもかかわらず、モン↓ユキという二重の語りを介在させて〈噂の噂〉としてしか語らない。ここであらわになったのは、『枯木灘』で語り手が向き合っている世界が、「秋幸」の家族、あるいは「秋幸」のいる路地に限定されたものでしかないということなのだ。その意味で、龍造は、その外の人物として、終始、秋幸側(の人々)から語られる(噂される)ものとして、つまり語りの語り(噂の噂)としてしか語られることはない。 しかし、だ。この点から考え直してみると、「秋幸」と向き合っていた語り手が、「秋幸」のパースペクティブを捨て、それと併置する形でフサや徹やユキに向き合う(語る)のは、「秋幸」と名づけられたものの生きている世界そのものと向き合ったから、潜在的には、残された人々を直接語る(向き合う)ことができる、と説明するだけでは(何やら同語反覆気味で)十分ではないのではあるまいか。 むしろ、浜村龍造を語った(噂した)のと同じ(路地や秋幸の家族の)視線で、そこまで語られてきた「秋幸」の物語(のパースペクティブ)全体を、語り(噂し)直したのではないのか。あえて図解してみるなら、
と、それぞれが並列に、それぞれ別々の視線で、そこまで語られてきた「秋幸」と向き合う(語る)のではないのか。秋幸逮捕までは、秋幸を通して語られた全体は、あくまで秋幸(の視点)を通した語り(のパースペクティブ)にすぎない。いま、それは、秋幸側(の人々)によって、それぞれが別々の視野(パースペクティブ)から、語り直(問い直)さなくてはならない、というように。 だから、「美智子が体重二千五百グラムの女児を産んだのは八月の末だった。」で始まる語りは、〈物語の物語〉となっている。秋幸側の人々、つまり、フサ、繁蔵、徹、ユキ(さらには、噂という間接的な語りを通して龍造)等々によって、秋幸について語られた語りの全体を、その意味、その影響、その結果等々について、それぞれ別途に語り直される(向かい直される)。それによって、一元的だった『枯木灘』の語り(のパースペクティブ)は、〈物語の物語〉あるいは〈噂の噂〉として、多層化された語りとなっていく。 こうした語りの語り(噂の噂)という多層(重)化した語りへの更なる問い直しとして、『枯木灘』は、『地の果て至上の時』で再度語り直されることになるのである。 4
『地の果て至上の時』は、何やら、股旅物の主人公が長い凶状旅から故郷へ帰ってきたという面持ちではじまる。 こう語る〈語り手〉は、始め、「朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。」と、秋幸をそのパースペクティブの点景において、語り始める。それは、「胸をつかれたように顔を上げた」の「ように」(という言い方で「顔を上げた」動作に「胸をつかれた」感情の顕われを読み取ったの)が〈語り手〉の「認識」であることからわかろう。「この男」が広場を「渡り始めた」というところまで、その語りの視点は変わらない。ところが、つづく、
では、「かかわりたくないというようにかがんではたきをかけはじめた」の「ように」が、前出の場合とは異なり、(「かがんではたきをかけ」る動作に自分と「かかわりたくない」という思いを読み取ったのが)〈語り手〉ではなく、秋幸の「認識」に変わっている。ここで〈語り手〉の視点は、秋幸に立ち、以後それは、基本的にはずれることはない。
と、「いまから思えば何もかもすべて始まってしまっていた」と、既に事態を知っている〈語り手〉によって、仄めかされ、さらに、この仄めかす〈語り手〉とは、モンであることが、次の箇所ではっきりさせられる。
だから、語り手は、「岬」では「彼」に向き合い、『枯木灘』では「秋幸」(及びその家族や路地という世界)と向き合っていたが、いま『地の果て至上の時』では、語り手は、「モン姐さん(の語り)」(あるいは〈語り手〉としてのモン姐さん)と向き合っている。路地の外の人間であるこのモンを介すことによって、語り手の向き合っている世界は、路地だけでなく、河口に広がる町、さらには熊野そのものにも広がり、結果として、語られる「秋幸」を、路地(の世界の人)への批判者ともなしうるのである。その語りは、
となっているが、たとえば、
というように、語り手が、モンを語る(向き合う)ときは、語り手はゼロ記号化し、
というように、秋幸を語る(向き合う)ときは、たとえばこの場合だと、一見、秋幸がモンを語っているようにみえるが、実は、
となっているのであり、モンの語りが(むろん語り手も)ゼロ記号化している。語り手は、モンの語りと向き合っているのだから、『千年の愉楽』のオリュウノオバの語りと同様、この語り全体がモンの語ることであって、その虚実はモンにのみに依っていること、さらに、そのすべては、モンのもとに集約される数々の噂を形にしたものでもあることが追々顕われてくる。中上氏はこう言っていた。
たとえば、秋幸が、自分について、
と物語ったのに対して、浜村龍造は、こう語り直した。
ここでは、浜村龍造も、『枯木灘』のように、虚実取り混ぜて、ただ語られるもの(噂されるもの)であるだけでなく、みずからも語る(「幾つも噂があり蝿の王だと悪罵を投げかけられる当人が他人の噂をする」)ものであり、秋幸もまた、みずから物語り(噂し)ながら、また物語られる(「蝿の王の血を引く者として路地の中で噂に取り囲まれ」る)ものとなっている。語り語られる語りの構造は、図式化して対比してみるなら、たとえば、龍造が、
と、秋幸(や鉄男やさと子やモン等々)によって噂されるだけでなく、秋幸もまた、
と、龍造(やモンやユキや徹や良一や美恵や鉄男等々)によって噂されるものとなっているのである。それは、ひとつの事柄も多様なパースペクティブで語られるということだ。「岬」や『枯木灘』では(基本的に)一つのパースペクティブしかなかった物語(噂)が、無数の焦点(パンフォーカス)をもち、その数だけ輻射される物語は、二重三重に噂(という物語)を問い直している形になる。 しかも、そのすべての噂(物語)は、モンの語りのパースペクティブに収斂し、配置し直される。一旦あるパースペクティブで噂さ(物語ら)れたことは、次に別のパースペクティブの噂(物語られたこと)と差し替えられ(語り直され)、それはまた別の噂(物語られたこと)によって別のところに焦点が当てられ、そのすべてはモンのパースペクティブに整序される。 たとえば、噂はこんなふうに紹介される。
こうした噂は、つづいて、モンによって、こう整序され、物語られる。
これが、「噂を小説世界につなげる」ことにほかならない。だがこれも、美恵(の語りを語ること)によって、さらに修正される。
美恵も、その場を見ているのではない。義父か母からの話か、これもまた美恵の物語にすぎない。しかし、こうして、噂は多層化し、それ自体が語りの奥行を膨らませていく。 同じように、浜村龍造についても、多焦点の物語(噂)の物語(噂)が錯綜する。モンは、まず、浜村龍造の物語をこう語る。
しかし龍造自身は、自分の噂をこう語る。
その佐倉は、龍造をこう物語る。
モンは、そうした噂を、モヨノオバの話を通して、こう整理し直す。
むろん、ことの真偽などこの場合二次的な問題だ。ここでは、噂を噂すること(〈物語の物語〉)が問題にすぎない。一旦語られた(噂された)ことは、またあらゆる角度で語り(噂し)直される。そうすることで、ひとつの事柄が、多焦点に、さまざまなパースペクティブで語られる、物語の厚み、奥行にこそ意味がある。 5 『地の果て至上の時』は『枯木灘』の〈物語の物語〉であり、さらに、その物語の中には、無数の〈物語の物語〉の層が層をなし、多層の上に多層化されている。そのすべての語りのパースペクティブの焦点にモンがいる、というより、モンというもう一人のオリュウノオバの語りだからそれが可能だといえるのかもしれない。 だから、「もはや『父殺し』のような闘争はありえない。たとえば、この作品が刊行された八年後に、ソ連邦が崩壊したが、それは、スターリン主義との闘争によってではなく、また外部からの攻撃によってでもなく、その最高指導者自身がまるで浜村龍造が自殺するように、自壊させたのである。」(柄谷行人『地の果て至上の時』文庫解説)や、「父親の屍を前に『違う』と明言する彼は、今では明らかに物語の存在を覚醒するにいたっている。彼は物語に参入し、同一なる物の回帰を操作した。そして昏闇とした物語を究極的に終焉へと追い込むことで、解放を手にしたのである。」(四方田犬彦『貴種と流転』)等々といった解釈には、ことの是非は知らず、どこかしっくりこない、異和感が残る。 それが、浜村龍造の自殺(というモンの語り)を前提に解釈しているというだけでなく、「ヨシ兄と浜村龍造が摩り替り、どこかで鉄男と秋幸の役割が摩り替った。」と語り手が語っていることも含めて(それはモンが語っているにすぎないのだが)、基本的に、〈物語の物語〉である『地の果て至上の時』は、既に中上氏によって、解釈されたもので、屋上屋を重ねる愚は、さておくとしても、結局のところ、作家中上健次自身の問い直しという手のひらの中での、いうなれば思う壷の解釈なのではないか、ということからも、だ。 中上氏自身の(後)解釈についても、ことは同じだ。たとえば、
と解釈してみせたところで、それを言葉通り信じる必要はない。なぜなら、こうしたレベル(位相)の交錯は、この語りがモンの主観に彩られた、多層化した語りの語り(噂の噂)だからにすぎない(「メタ言語というものは存在しない」ラカン・前掲書)。氏自身も、
と、述べていたはずだ。このことは、氏自身が考えている以上に重要である。 たとえば、次図のように、語り手が、「秋幸は路地の裏山を思い出した。」と語る(A)のと、(ゼロ記号化した)モンが、「秋幸は路地の裏山を思い出した。」と語る(B)のを語るのとでは、本来は一緒ではない。 [A]
[B]
前者(A)は、話者(語り手)が直接語っているが、後者(B)は、モンが語っているのを語っている。たとえ語りがゼロ記号化され、前者の語りと似ようと、語り手は、秋幸を語るモンの語りを語っている。その語りの中身は、あくまで「語りの語り」にすぎない。それは、『千年の愉楽』で、オリュウノオバの語り(に向き合い、それ)を語る語り手と同じなのだ。 その意味で言えば、そもそも、浜村龍造の自殺を、(作家がそう語らせようと意図したとしても)語り手が語る通り信じていいのかどうか。それは、何重にもしかけられた多層化した語りにあざむかれているだけなのではないか、という疑問を拭えない。なぜなら、この語りは、モンが、いわば噂の噂として、語っている。だから、作品全体が、巫女の託宣と同じ物にすぎぬ、ということを忘れているからだ。事実かもしれないし、事実ではないかもしれない。所詮、すべてはモンに物語られたことにすぎない。 仮に、語り手が向き合っているのが、
と、モンの語りと秋幸の語りの両方にだとしても、モンの語りと秋幸の語りの双方が相対化され、パースペクティブの唯一性を失うことに変わりはない。この意味からみれば、「いつでもどこでも侵入できる人物」としてのモンは、秋幸の語りの唯一性を相対化する役割を担っているとみることができる。 だから、秋幸が、浜村龍造自殺の物語を語ったにもかかわらず(モンがそれをなぞって語ったかどうかは暫く置くとしても)、その物語を、モンは、一旦はこう語ったのだ。
何も、「秋幸が殺した」と強弁する気はない。しかし、「自殺」を自明のように前提にして、さまざまな解釈を下すことの危うさを警告してみたいだけだ。たとえば、
これが、秋幸の気持だというのは、(オリュウノオバの語り同様、秋幸がそう語ったことを)モンが語って(みせて)いるにすぎないのを忘れてはならない。だから、去った秋幸については、モンは語ることができない。身を隠した紀子はどうなったのか、秋幸は何処へ行ったのか、いま何をしているのか、何を考えているのか、モンもモンの語りの語りである語り手も、秋幸の噂が集まって来るまで、語ることはできない。それも主人公が再び旅に出た股旅物の語り手と同じなのだ。
ここでなされたのは、モンの語りに収斂することで、語られたことの確かさを徹底的に相対化させたということなのだ。モンのみが語られたことを支えている。それは、モンが崩れれば、すべてのモンの語り、モンの語りの語りである、この『地の果て至上の時』という物語(の物語)そのものが崩壊する、ということを意味している。それはまた、まぎれもなく、物語(の語りの奥行)が本来もっていた原型にほかなるまい。それを、中上氏は、ここで顕在化させて見せたのである。 6 だから、『地の果て至上の時』への〈物語の物語〉としてある『奇蹟』は、ある意味で、こうしたモンの語りのパースペクティブに収斂した『地の果て至上の時』の語りを一層相対化させるものとなっている。それは、語りの「辞」の徹底した相対化といってよい。
こう語り始められたとき、語り手が向き合っている(語ろうとしている)のは、現のトモノオジかトモノオジの思い出か、あるいはトモノオジの幻想のはずである。だから、
と、正気に戻ったトモノオジに向き合っていても、あるいは、
と、トモノオジの見る幻覚そのものを語って(向き合って)いても、あるいは、
と、トモノオジの想い出を語って(向き合って)いても、あるいは、
と、幻覚と覚醒の入り交じった状態を語って(向き合って)いても、図解してみれば、
と、いずれもトモノオジ(の幻覚)に向き合うという語りから外れているわけではあるまい(トモノオジとトモノオジの幻想(想い出)が逆であってもよい)。しかも、
のだから、オリュウノオバを語ることも、オリュウノオバの想い出を語ることも、トモノオジ(の幻覚)の見る(語る)ものであるはずなのに、
では、トモノオジが、まるで現に、オリュウノオバと向き合っているのを語っているようなのに、逆に、
では、夢うつつのオリュウノオバが、夢か現か曖昧なまま、トモノオジ(の幻覚)を語って(向き合って)いるように語られている。 ひとつのとらえ方は、語り手が、トモノオジにも、オリュウノオバにも向き合って語っている、と考えることだが、たとえば、高橋源一郎氏は、それを含め、三つの可能性を挙げた(全集十巻解説)。「トモノオジとオリュウノオバがする物語」か、「物語の一切は、精神をやられてトモノオジの幻覚である」か、「オリュウノオバはタイチたちの『物語』を語る第一の、かつ唯一の語り手だった。そして、トモノオジもまたオリュウノオバによって語られる登場人物の一人に過ぎなかった」か、と。 そのいずれも正しく、いずれも間違っている。前出の二つの語りは、正確には、それぞれ、こう描き直さなくてはならない。
そして、タイチを語るときは、〃そのとき〃を〃いま〃として語るために、それを語るトモノオジ(オリュウノオバ)も、それを語るオリュウノオバ(トモノオジ)も、それを語るトモノオジも、それを語る語り手も、ゼロ記号化しているにすぎない。だから、
と、オリュウノオバが、『千年の愉楽』のように語っているのに、他方では、
と、トモノオジの語りにもなる。しかも、いずれもが、
と、語り手が打ち明ける通りなのだ。このとき、トモノオジの現に向き合う語りも、幻覚に向き合う語りも、想い出に向き合う語りも、また現のオリュウノオバに向き合う語りも、幻覚のオリュウノオバに向き合う語りも、想い出のオリュウノオバに向き合う語りも、さらにそれぞれの中で向き合われる(語られる)タイチもイクオも、いずれの語りも「辞」の帰属の区別がつかないまま、すべて、語り手の前に、時を失って、並列に、向き合われている(語られている)ように見える。 中上氏自身は、この狙いを、
と述べているが、この語りの自在さは、『地の果て至上の時』で、モンの語りによって手に入れた、いつでもどこでも侵入できるモンを登場させることで、「モンがこう語ったと別の誰かが語ったという視点を導きいれることで作品自体の意味を変容」させることができる語りの延長線上にある。 前述した通り、風呂敷構造の日本語では、辞において初めて、そこで語られていることと話者との関係が明示されることになる。 第一に、辞によって、話者の主体的立場が表現される。 第二に、辞によって、語っている〃とき〃が示される。 第三に、辞の〃とき〃にある話者は、詞を語るとき、一旦詞の〃とき〃と〃ところ〃に観念的に移動して、それを現前化させ、それを入子として辞によって包みこんでいる。 三浦つとむ氏の的確な指摘によれば、 われわれは、生活の必要から、直接与えられている対象を問題にするだけでなく、想像によって、直接与えられていない視野のかなたの世界をとりあげたり、過去の世界や未来の世界について考えたりしています。直接与えられている対象に対するわれわれの位置や置かれている立場と同じような状態が、やはりそれらの想像の世界にあっても存在するわけです。観念的に二重化し、あるいは二重化した世界がさらに二重化するといった入子型の世界の中を、われわれは観念的な自己分裂によって分裂した自分になり、現実の自分としては動かなくてもあちらこちらに行ったり帰ったりしているのです。昨日私が「雨がふる」という予測を立てたのに、今朝はふらなかったとすれば、現在の私は、
予想の否定
過去 というかたちで、予想が否定されたという過去の事実を回想します。言語に表現すれば簡単な、いくつかの語のつながりのうしろに、実は……三重の世界(昨日予想した雨のふっているはずの〃そのとき〃と今朝それを否定する天候を確認した〃とき〃とそれを語っている〃いま〃=引用者)と、その世界の中へ観念的に行ったり帰ったりする分裂した自分の主体的な動きとがかくれています。(三浦、前掲書) 辞において、話者の語っている〃とき〃と語られている〃とき〃との時間的隔たりが示されるが、語られている〃とき〃に立つ限り、〃そのとき〃ではなく、〃いま〃見ていることを、〃いま〃語っていることになる。 その意味で言えば、語られている〃とき〃に立っている限り、そこで語られていることが、入子の語りとして現在形で語られているのか、認識においては存在しているが,表現において「辞」の省略された,ゼロ記号化した語りなのか、語っている〃いま〃「客観的」事実を述べているのかを区別することはできない。 だから、ときにトモノオジの想い出となり、ときにオリュウノオバの現となり、ときにオリュウノオバの想い出となり、ときにタイチやイクオを目の当たりに語る『奇蹟』の語りは、常に現前にして語っている〃いま〃だけが語り出され、時折思い出したように、トモノオジの現状を示す(それも、必ずしも現とは限らない)以外、語り手の「辞」は徹底的にゼロ記号化されており、しかも、トモノオジの幻覚の中でも、トモノオジの想い出の中でも、オリュウノオバの想い出の中でも、どの語りも、それぞれ語っている〃とき〃(つまり、トモノオジが幻覚する〃いま〃、オリュウノオバの思い出している〃いま〃等々の「辞」)がゼロ記号化されているため、オリュウノオバの現なのか想い出なのか、トモノオジの想い出なのか幻覚なのか、それともトモノオジが見る幻覚の中のオリュウノオバの語りなのかさえはっきりしなくなっている。 その語りの構造を図解してみるなら、
と、各語りは、それぞれの語りの「辞」が、徹底してゼロ記号化されることによって、タイチを語るオリュウノオバ、タイチを語るトモノオジ、オリュウノオバを語るトモノオジ、トモノオジを語るオリュウノオバ等々、それぞれがゼロ記号化した、(『千年の愉楽』のオリュウノオバと同じ)「語り手」になって 語っている。それは、語り手から見ると、
と、どの語りの「辞」をも飛び越えて、それぞれの「語り」の語っている(語られている)どれとも、直接向き合うことになる。 このことが意味するのは、徹底的にモンの主観に彩られた語りであった『地の果て至上の時』に比べて、『奇蹟』は、トモノオジの現に戻しても、それ自体が曖昧な幻覚でしかないかもしれないという、夢から覚めてもまだ夢の中にいるような、朦朧とした、収斂する焦点のない語り(のパースペクティブ)なのである。だから、一方では、アル中のトモノオジの現か夢か曖昧な混濁、いまひとつは現(生きている)か夢(トモノオジの幻覚)かはっきりしないオリュウノオバ、そのすべてもトモノオジの幻覚にすぎないのかもしれない、という曖昧さ(あるいは混沌)自体と、語り手は向き合って(語って)いる。 本来、「辞」は、それによって、語っていることを主観的な彩りに変えることを意味している。しかし、それは語るものと語られるものとの境界が明確なときでしかない。いま、語りは、語り出している〃とき〃そのものまで消失しかねない茫漠とした霧に包まれ、ふいに霧の中から現前化するのは、いつとも知れぬたえず〃いま〃〃ここ〃としてなのだ。 言ってみれば、『地の果て至上の時』では、語りの語りというモンの語り(のパースペクティブ)に一元化することで、語りの奥行(という物語のカタチ)を駆使し、語りを重層化し、多層化したのだとすれば、『奇蹟』では、同じように、見かけ上はトモノオジ(の幻覚)の語りに収斂していくような、語りの射程が、しかし、その奥行をどこまでたどっても、いつのまにかはぐらかされ、その代わりに、語りの奥行(という深度)の違う語りのすべてを、洗いざらい棚卸しするように、さらけ出し、並べてみせたことになるのである。こうした、「物語」の語りの奥行を自在に使いこなしてみせる手際こそ、中上氏の言う「語りもの文芸を導入」の意味にほかなるまい。 こうして『奇蹟』で、「物語」の(語りの)奥行を収斂する語りをはぐらかし、「物語」そのものを相対化する幻の物語(物語の幻)化してみせたことにこそ、ある意味で、「岬」→『枯木灘』→『地の果て至上の時』とつづいてきた〃方法としての語り(手)〃の、到達した頂点があると見なすべきなのだ。そして,この語りの原型を,古井由吉の『眉雨』に見出すことができる。 7 「岬」から『奇蹟』までの語りのパースペクティブの変化は、語りの射程の変化でもあるが、それを象徴的に示しているものに、前にも少し触れた、たとえば『枯木灘』で、
と表現される、「〜というように」という中上氏の特徴的な用語がある。語りは、「秋幸」(およびその世界としての路地)に向き合っている。したがって、語り手は、秋幸の視線で、徹の振る舞いをみている。「気持ちが半分程でも分かる」のと、「足をダンプカーのラックの上に乗せ」るのとは、イコールではないが、語り手は、徹の振る舞いに、自分の「気持ちが」半分もわかってくれていると、イコールと感じている秋幸の気持を語っていることになる。佐藤信夫氏は、
として、川端康成氏の『雪国』にある、「駒子の唇は美しい蛭の輪のように滑らかであった。」を指して、その類似性は「《ヒル》と《くちびる》のあいだに実在するのではなく、表現者−島村(主人公=引用者)あるいは川端−の意識のなかにある。この直喩は、駒子のくちびるを表現しているよりもむしろ、島村=川端の目か心を表現している」と指摘した。つまり、ここでは誰の「認識」として語られているかが問題なのだ。 だが、秋幸にとってその必要のないほど事態が明確な場合は、
「からかっていた」というように、という表現を必要としない。なぜなら、秋幸にはそれが紀子の「からかい」だということが十分承知されているからだ。だから、
とあるのは、誤解ではあるまいか。でないまでも、少し単純化しすぎである。むろん、語り手の「認識」の場合もあるだろうが、しかし『枯木灘』のように、秋幸と向き合って(語って)いる場合、語り手は、それが秋幸の「認識」であることを語っており、大杉氏の指摘している例を直接当たってみれば、
とあり、これも、前後の脈絡をとってみると、「疑似描写性を醸し出す表現」と短絡的には受け取れない。 この場合、そういう「認識」をしていたのは、「路地」(というムラ社会)なのだ、ということを語り手は語っている。そのことによって、実は語り手は、そうした「路地」の噂(「認識」)に沿って語る語り手(擬人化するなら、オリュウノオバを想定すればよい)であることをも示している。これを「疑似描写性を醸し出す表現」としてしまうと、この語りのもつ幅と奥行が見えなくなる。 こうした誰かの「認識」の表現には、実は、語り手の方法を反映する。前述したように、語り手がゼロ記号化しているとき、語り手の辞は直接には見えない。しかし、描写された絵や写真に視角が残るように、この直喩の中に、語り手の視点(語りのパースペクティブ)が、残されているのである。 だから、語りのパースペクティブの異なっている「岬」『枯木灘』と『地の果て至上の時』との間、『地の果て至上の時』と『奇蹟』の間には差がある。 「岬」では、姉の義理の弟に刺された義兄の家族を見舞った「彼」の描写で、
とあるときは、「彼」の「認識」だ。また『枯木灘』の最後の箇所で、語り手が、秋幸逮捕後の不在の中、秋幸と有縁の人々と向き合うとき、たとえば、まだ秋幸自首のことを知らないフサが、朝、仕事に出てこない息子について言及するところでは、
と、フサの「認識」を語っているし、ユキが昔話をしているところでは、
と、徹の「認識」を語る。しかし、同じ場面の少し前、ユキが訪ねてきた場面で、
とあるのは、徹の「認識」ではない。一見、ユキの「認識」のように見えるが、語り手は徹と向き合っている。したがって、ここでは、語り手の「認識」とするのが順当だ。 この表現の仕方の特徴は、『地の果て至上の時』に至って、一層重要性を増す。なぜなら、この語りは、モンの語りに収斂しながら、その奥行として、語りの語りが多層化しているから、その分、誰の「認識」なのかは、必ずしも簡明ではないからである。 語り手が、語るものについて、(肯定)判断する(と語る)ときは、たとえば、
となる。しかし、それを、肯定(判断)同様と「認識」する(と語る)ときは、あえて分解するなら、次のように、「〜のよう」と「認識」するのを「(肯定)判断」していると語ることになる。
このとき、もし、「のよう」と「認識」する者と、「だ」と(肯定)判断する者とが異なる場合、単純に語り手の「認識」とすると複雑な語りの視線を見逃しかねない。 『地の果て至上の時』では、一見、すべてがモンの「認識」として収斂しそうに見える。しかし、モンの位置は、『枯木灘』の語り手の位置にあるから、「秋幸」を語るとき、二重化する。ひとつは、モン(=語り手)は、自分の「辞」をゼロ記号化し、「秋幸」の「認識」を語ることになる。しかし、いまひとつは、「秋幸」(の世界)を語るとき、モン自身の「認識」を語り出す。たとえば、
は、秋幸の「認識」だが、
は、モンの「認識」となる。また、次の、
も、モンの「認識」のように見える。しかし、ここは、ゼロ記号化したモンの語りが、「緊張し重大な秘密を告白したとでもいうように、人を射すくめるような眼をした」秋幸を「認識」する浜村龍造と、自分の「本当を見た」と、龍造を「認識」する秋幸の、双方を語っているモンの視線を読み取るべきだ。そうしなければ、複雑な語りのパースペクティブを見逃すほかない。 この複雑な視線は、『奇蹟』ではより徹底する。まず、語り手の「認識は」、
や、あるいは、
である。トモノオジの「認識」は、
となる。オリュウノオバの「認識」は、
となる。実は『奇蹟』は、オリュウノオバとトモノオジが、タイチらを語るとき、それぞれゼロ記号化しているため、たとえば、
は、タイチの「認識」を示し、
は、イクオの「認識」を示す。 「〜ように」は、一見「客観描写」に見えて、心理を描くのを省いているのと比例するように、語り手が語ろうとするものの心の動きを象徴するものとして、頻発される。それは、ある意味で、語り手の変位に合わせて、語り手の、語ろうとする(向き合っている)ことの複雑な視線(の奥行)が、象徴的に顕われてくるものとなっている。だから、視線の鮮明な「岬」以前に比べ、『枯木灘』『地の果て至上の時』『奇蹟』とその頻度は次第に増加していくことになる。 8 「岬」の語りは、「彼」という一点に収斂するパースペクティブで語られていたのに対し、『枯木灘』では、「秋幸」に収斂する語りの支点が、秋幸逮捕後、「秋幸」不在の世界(路地)を語るに当たって、フサ、繁蔵、ユキ、徹といった別々の支点に並列(併置)化された。そのバラバラの支点を、モンに集約させて重層化したのが、『地の果て至上の時』であった。秋幸の語りも、美恵の語りも、浜村龍造の語りも、すべてを入子にし、モンの語っている〃とき〃の一点に収斂し、語りの奥行がその一瞬に共時化された。 が、『奇蹟』では、モンに匹敵するトモノオジに収斂されるように見える語りが、あっけなくはぐらかされ、崩された。トモノオジとオリュウノオバの語り(お互いが語るものでもあり語られるものでもある)が、トモノオジの幻覚の中で語られているように見えて、語り手は、幻覚の中の、オリュウノオバの語るタイチとトモノオジの語るタイチとを区別せず、語り手が明らかにするのは、幻覚の中にある、現と夢の狭間の、トモノオジだけである。このとき、何が現の語りで、何が夢の語りかは簡明ではなく、すべては〃幻のパースペクティブ〃に化した言っても構わない。 それには、三つの意味がある。第一は、語られるものの相対化(あるいは曖昧化、幻想化)であり、第二は、語り手(語るもの)の相対化(あるいは曖昧化、幻想化)であり、したがって、第三は、語りのパースペクティブの相対化(あるいは曖昧化、幻想化)である。いわば、語りのもつ奥行(射程)を利用し、物語のカタチ(制度)を逆手に取った、と言っていいのかもしれない。 こうして、「岬」→『枯木灘』→『地の果て至上の時』→『奇蹟』と、語り手から語られるものであった(彼=)秋幸が、秋幸を語るものを語り、さらには秋幸を語るものを語る語りへと、語りの中心から遠ざかり、ついに、秋幸はアキユキとして、秋幸と同一人物かどうかもさだかでもないものへと変じていくというふうに、語られるものが相対化される。同時にそれは、語られるものだけでなく語るものをも相対化(幻想化)することになるはずである。 それは必然的に、〃いま〃と〃ここ〃の相対化(幻想化)をもたらす。いつなのか、何処なのかかは、唯一でも、絶対でもなくなり、何処ででも、いつでもありえることへと変じていく。これは、語られた〃そのとき〃〃そこ〃の路地(それは語り手の向き合っていた世界と言い換えてもいい)の、現実の路地↓記憶の路地・想い出の路地↓幻想の路地への変質と見合っている。そして、路地の相対化に応じて、そこに生きる秋幸たちも、「郁男→イクオ」「浜村龍造→イバラの留」「秋幸→アキユキ」等々と相対化されていく。 しかし、ある意味で、「問い」とは自分に向き合う(語る)ことであった。「問い」を問うとは、だから自分に向き合う自分に向き合う(語る)ことである。つまり、語りの奥行とは、問いの問い(の深化)である。だから、「問い」の(奥行の)曖昧化とは、問う「私」の相対化にほかならない。それは、語る(問う)⇔語られる(問われる)関係そのものの相対化を意味し、それはまた、多分、書き手の「私」の相対化、さらには「作家」の「私」の相対化をももたらすはずである。 もちろん、路地(あるいはその家系)を相対化し、「私」を相対化したからといって、現実の差別が相対化されるわけではない。 中上氏は、『地の果て至上の時』を完成させた直後のインタヴューで、こう述べる。 僕の小説の〈路地〉が、具体的に僕の生まれた新宮の、行政によって、解放同盟によって、あるいは一部の土建請負業者の金儲けによって、解体される具体的な被差別部落という路地と重なり、そして、重ならない。まさしく非常に反語的なんですね。
現実の被差別部落と路地との狭間とは、そのまま現実の被差別部落と向き合う作家と虚構の「路地」と向き合う語り手との狭間であり、それは、フーコー氏の、
と、言うところの「もうひとつの自己」のことであり、それは、「現実の作家」と「虚構の発話者」(語り手の向き合っているもの)との間の「距離」そのものにほかならない。 ところで、ベラスケスの「侍女たち」の構図(語るべきもの)に向き合っているのが「語り手」だとすれば、それ(語り手の向き合うもの)に向き合うことで初めて「書き手」(描き手)となる(語り手は書き手なしでありえるが、語り手なしに書き手はありえない。前に、「語り手との格闘として『書き手』がある」と述べたのはこのことである)。もしその構図が架空のものならば、それに仮設的に向き合う語り手に向き合う書き手は、限りなく語り手に近づく。逆にこの構図が現実のもので、それに向き合っているのが画家(あるいは作家)自身とすれば、書き手は現実の画家(作家)に限りなく近づく。書き手は、この「可変的でありうる」距離(フーコー氏の言う「もうひとつの自己」)そのものとしてある。しかし裏を返せば、書き手が可変的なのは、語り手(「フーコー氏の言う「虚構の発話者」に向き合っているもの)と作家の距離が可変的だからにほかならない。 前に述べたように、語り手のいる一瞬の〃とき〃に、ありもしない現在過去未来が集約され、ひとつのパースペクティブが顕われる。語り手みずからの向き合う視線によって、初めて語り手の前に、語られるべき一瞬が収斂する。その語り手に向き合う(語る)語り手があれば、その語り手は語られるものへと変じていく。それは、語り手のいる〃とき〃と〃ところ〃が、現実の「作家」と語り手の語り出すものとの間にあることを意味する。 語り手は、現実の「作家」の「私」と語られる作家自身の「私」(「私は……」と語り出した瞬間、作家から剥離していく)との間、現実の「作家」の「私」と語られる語り手自身の「私」(「私は……」と語り出した瞬間語り手自身から乖離していく)との間、現実の「作家」の「私」と語られる語り手の立てた一人称の「私」(あるいは誰其。巫女の神語りと同様、語られる「私」は演ずる「私」でしかない)との間、語られるものを語るものを語るものを語る……と語るものをどこまで後退させても、少し比喩的に言えば、アキレスの前に延びる亀との距たりのように、決して現実の「作家」には到達できない無限分割される距たり、つまり、現実の「作家」と《語られること》との間には、語り手の立ちうる、幾層にも亙る無限の〃とき〃が懸隔となっている。それは、語り手に向き合う書き手の位置もまた、それにつれて変わるということである。 中上氏は、入沢康夫氏、吉増剛造氏との座談会の中で、こんなやりとりをしていた。 中上 ……メモをほとんど用意しないということと、疾走感、それと統覚の問題ね。小説は特にそうなんだけど、言葉が勝手に遊んじゃいかんというものが強いですね。ある程度まではそれ自体いっぱい光っていいんだけど、あるところで力を持って、シンタックスの大本みたいなものをつかまえて、ここで意味が発生したら、こっちの意味を殺すということをする、そんな統覚みたいなものが小説なり詩なりを書く上にあるでしょう。その統覚をどのくらいの位置におくのか。散文の統覚はもっと下半身に近いと思うのね。(中略) 吉増 その場合、最初の書き出しの言葉、あるいは行と、統覚の関係は、具体的には……。 中上 ある。書き出しが駄目だったら全然動かない。その一行を書くと、言葉のコードが出てくる。息の長さと、どんなリズムを選ぶとその時の体調にピッタリ合うかというね。ぼくは特に典型的だけど、『水の女』でも、「海」に書いた連作の「うつほ物語」でも「、」を使わないわけよ。 吉増 ……『化粧』の一番最後の「紅の滝」だけまったく「、」がないでしょう。(中略)最初から統覚でうたない姿が見えていたのかしら。 中上 点を打ちたくなかった。それともう一つ、あれは電話送稿だったんだ。それで点というのは面倒くさいんだよ(笑)。全然言わないで切り取ったわけ。(中略) 吉増 最初に読んだ時、読み終わったら頭に入っていない。ハッと気づいたら大変なブロックがあるね。もう一回読み直した。おそらく中上さんの頭の中にあったようなことがこっちに映っているね。あそこで詩の書き方と本質的には通底するものが出ているなと思うもの。 入沢 現象としてはそうだったかもしれないけど、結果的にはそうさせたものがあるわけよね。(『〈統覚〉をどこに置くか』) 三者の中で、「統覚」ということばの意味が必ずしも共有化されているとは限らず、少々曖昧なやり取りには、意味をつかみ取りにくいところがあるが、吉増氏は、「中上さんに連れられて新宮へ行った時、彼が統覚の話をしてたんですよ。それが妙に印象に残っていましてね。そのトウカクというのが今日聞くと『覚える』と書くんですけどね。ぼくは角度の角だと思っていた。なにかある地層を斜めに切り裂くようなね。」と、受け止め、入沢氏は、「問題は、その統覚の元になっているのが何かということよね。それが蓮實重彦流に言えば、一種の制度みたいなもの、外界との関係で生じて自由を制約するものとして住みついてしまっているものか、それとも内発的、創造的なもの、いわば自由そのものなのかというね。往々そうなんだけど、かなり無茶をしようと思ってとりかかっても無茶をしきれないわけでしょう。ぼくなんかシンタックスをあまり壊さないほうだし、自分がいまいましいようなところがあるんだけど。」と述べ、両者なりに、中核的な部分を掘り当てているように見える。 吉増氏が勘違いした「地層を斜めに切り裂く」という言い回しには、ラカンが「意味作用の横滑りを阻止する」(前掲書)とした「クッションの(留め縫いの)鋲」を思わせる、直覚的な鋭さがある。それが、これから書かれ(語られ)ようとする語りの奥行(深度)を一瞬で貫く(見通す)、未知の完成像(イメージ)のパースクティブによる束の間の幻視(透視)をつなぎ止める。一方、入沢氏の「統覚の元」では、「統覚」は、制度と内発的な自由が相克する、いまだ書かれざる(あるいは書かれようとする)ものへと突き抜けるブラックホールに見える。そこでは、制度もシンタックスも、文体・スタイルも、一旦すべて一点に収縮し、新たなパースペクティブで再配置し直される。しかしことはまったく逆でもある。シンタックスや制度があってこそ統覚は統覚として(まとめようと)働くはずだ、と。 中上 一つの方法としてさっきも言ったんだけど、シンタックスを破壊するというのが、物語に対する一つの懐疑のしかただと思うんです。詩はある意味で先鋭的な戦いが出来ると思うから……。(中略)ぼくは散文を書いているんだけど、なるたけ散文の中で、文体とかスタイルから逃げようと思っている。しかしながらことその思いとは違って、ある文体は決まってくる。 入沢 とりあえずの文体ね。とにかく小説として成り立つためには、いきなりシンタックスの破壊されたものをつなぐわけにはいかないでしょう。 中上 そこまでやりたいんだけど。 これは言い換えると、作家と書き手、書き手と語り手、語り手と語られるものの間の相克である。作家は書き手(の向き合うもの)に向き合い、書き手は語り手(の向き合うもの)に向き合い、語り手は語られるものに向き合う。したがって、書き手は作家と相克し、語り手は書き手と相克し、語られるものは語り手と相克する。とすると、シンタックスは作家にあり、「統覚」は書き手にあり、語りの「辞」、つまり語りの奥行をどこまで抱え込むか、を統べるという意味での統「辞」は語り手にある。で、書き手に書き直しは可能だが、語り手に語り直しはきかない。しかし、まったく逆でもありえる。最も語りのカタチ(制度)にとらわれるのが語り手であり、書き手の統覚はシンタックスの軛から逃れられず、作家が最も制度に縛られない、と。 この現実の「作家」と物語の語り手の間の、限りなく伸縮自在な懸隔にある、「可変的であ」る書き手の向き合う眺め(語り)のすべてを、中上氏は、『熊野集』でさらけ出してみせたのである。それは、語りの射程がもつ語りのカタチ(制度)との格闘の、いわば実況報告に近い。 まず、限りなく物語の語り手に近づき、作家の「私」から遠のいた書き手は、
と、語り手の「辞」に対しては、最大限に弱まり、逆に、
では、限りなく書き手は作家に近づき、比喩的に言うなら、書き手は後ろ向きに作家の現実に向き合い(格闘し)つつ、同時に(というより同じレベルで)、語り手の語った世界と向き合っている。このとき、書き手の向き合っている語り手(作家の「私」を語る語り手)の前に、語られる作家の「私」と、その「私」が語り手となって向き合った(語った)世界の「秋幸」「美恵」「芳子」「フサ」が並列にある、といっていい。これと似た、
における「私」は、作家の「私」を語る語り手に語られながら、そのまま、つづいて、その「私」自身が語り手になって、
と、「朱雀門の上に女盗賊病臥の事」に向き合い(語り)、「男」の世界を物語り始める。いわば「妖霊星」の(奥行の違う虚実並列の)語りがどうして生ずるのかを、語りのプロセスとして現前化してみせたと言ってよい。それに向き合う書き手は、語られる「私」から、語りのカタチ(制度)へと、語りの深度(奥行)を下っていくことになる。 氏は、「あとがき」で、こう述べている。
ここで、問いの中身は問題ではない。何に立ち向かったかではなく、どう立ち向かったかだけが問題である。 『熊野集』で試みた「問そのものを書」くとは、こう言い換えたらわかりやすい。「問う」自分自体をも書く、と。それは、問い及び問いに立ち向かう自分を語ることだ。その問いは、「私」の現実と「私」の語り出した世界の両方を、現実に立ち向かう「私」と作品世界を語った「私」とを、同時に語ることだ。そのとき、現実を問い直すのと同じようにして、作品世界を問い直している。いや、逆でもある。作品世界を問い直すのと同じようにして、現実を問い直そうとしている。しかし、作品を問い直す〈物語の物語〉と、現実を問い直す〈現実の現実〉とは別だ。そこに『熊野集』全体の苦汁と苦難がある。 たとえば、「私」と書き出したとき、「私」に向き合う語り手となって、「私」を見る。しかし、そのとき、語られ(向き合われ)るのは、限りなく作家自身に近づく「私」から、語り手が立てた一人称の「私」までの奥行がある。 そこでは、作家自身の「私」に、既に向き合われた(語られた)、(記憶の中の)〃そのとき〃〃かのとき〃(の「私」)から、語り手によって語られたものとしての浜村龍造や秋幸までが、等価で、語り手のパースペクティブに、併置されている。その限りで、作家自身という「私」が語り手となって向き合う(語る)「現実」(語られる「被差別部落」あるいは「作家自身(の生き方)」)と、語り手の向き合う(語る)語られた「世界」(「路地」あるいは「秋幸(の生き方)」)とが、ほとんど同じように(地続きで)、問い直す(語り直す)ことが可能なものとしてある。 この物言いが、逆立ちしているのを承知の上で言えば(なぜなら、どこまでいっても、作家自身の「私」という語り手が作家そのものにならないように、語られた(向き合った)「現実(の解決)」は現実(の解決)そのものではないから)、この限りで、現実側から物語を眺め、物語の側から現実を眺める、あるいは、現実に作品(語られたこと)をつなげ、作品(語られたこと)に現実をつなげようとすることが可能(有効)のように見える。だから、たとえば、
と、現実から虚構を照射し、「実の男親、いや、こう書くにも妙に粘りつくようでうっとうしくなる私の憎しみの根源、嫌悪や差別の根源たるソレに、子、呼ばわりされる。ソレが私の実の男親だというのは人が信じ当人が信じ私が信じた物語にすぎないのに、さらにソレが父親で私が子だとは、物語の度が過ぎる。」(「妖霊星)と、現実をもうひとつ別の物語へと貶める。一方で、
と、今度は虚構が現実をかき乱し、「『枯木灘』という物語をあたかも現実だったように」、事実が「一等酷い形で主人公秋幸を襲」いもする。こうした、一種逆立ちした「ソレと浜村龍造、現実の路地と私の路地、新宮と熊野の乖離と捻転」を、同列に問い直し、語り直すことこそが、結局「既に作家としての毒が全身にまわりすぎている」中上氏の「その道」(しかない)にほかならない。その問いの全行程が、『枯木灘』への語り直し(問い直し)として、『熊野集』の語りとなり、ここで棚卸しされた語りの奥行(あるいは語り手の立ちうる幾層にも亙る〃とき〃の懸隔)の多様性が、『地の果て至上の時』『奇蹟』の語りを可能としたのである。しかし、にもかかわらず、『地の果て至上の時』も『奇蹟』も、『熊野集』の提起した多様な「問い」の一面にしか、立ち向かえてはいないのだ。 考えてみれは、差別という物語を語り直すには、誤解を恐れず、簡略してしまうと、 @物語るもの(あるいは物語られるもの)をなくすこと A物語られることを変えること B物語る・物語られる関係を変えること がある。@は、物語を支える構造を崩すこと、Aは別の物語を語ること(物語を差し替えること)、Bは、語り手を変えること、だと言い換えることができる。 『熊野集』は、@の試み(およびAとBの可能性)を素描してみせた。が、Aは『地の果て至上の時』で、Bは『奇蹟』で実行されたものの、@は『熊野集』の延長線上の『異族』で蹉跌した。あるいは、Cとして、このすべてを含め、既存の視点をまるごと点景にしてしまう新たな語りの視点(語り手)が必要かもしれない。が、『奇蹟』以降、書きたいことを押し出す(唯一性として語る)に急で、「方法としての語り(手)」の工夫は少なく、未完の作品群は、かろうじてCの可能性を予感させる『鰐の聖域』を除いて、その試みすら棄て去られてしまったように見える。 言うまでもないが、ここで言いたいのは、現実の問題解決のことではなく、語りの方法のことである。
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