動的な空間は、その空間につながれている観察者の視点から定義されるべきであって、外的な立場から定義されるべきではない。 (ジル・ドゥルーズ著 財津理訳『差異と反復』)
描くとは、絵も小説も映像もパースペクティブを表現することだ。しかし、小説の、いや言葉によるパースペクティブと映像によるパースペクティブとはどう違うのか。それに応えることが、なぜ劇画でなく小説なのか、なぜ映画でなく小説なのか、なぜ八ミリビデオではなく小説なのか、に応えることだ。いまほど、それに応えなくてはならせない時代はない。 かつて中上健次氏は、座談会で、古井由吉氏のある作品を評して、作品のメモないし草稿にすぎないと酷評したことがあった。それは、中上氏がおのれの甲羅で穴を穿ったにすぎないようにみえる。中上氏が問題にしていたのは、語られたものの構造だが、古井氏が問題にしているのは、語るものの構造だったようにみえる。ここには、言葉で語るとはどういうパースペクティブを描くことなのか、その両者の違いを鋭く露わにしているようにみえる。 古井由吉氏にとって、語るとはどういうことなのか。それを少し詳らかにすることで、いま言葉による表現の意味を最も先鋭に考えてみることができるはずである。
第一行を書き出したとき、そこにひとつの表現空間が生まれる。 たとえば、 腹をくだして朝顔の花を眺めた。 (『槿』) とあれば、誰かが朝顔を眺めている場面が語り出されている。語り手はそのような場面に直面していることになる。しかし、 十歳を越した頃だった。(同) とつづくと、「腹をくだして朝顔の花を眺め」ていた場面は、主人公杉尾の想い出の中の場面であることが明らかになる。つまり、語り手は、眼前に朝顔を見ていた場面を思い出している主人公を語っているのだということがわかるのである。 ただ、注意すべきなのは、ここで語り手は単純に主人公の想い出を語っているのではないということだ。思い出している場面を語っているのを語っているのであって、そこには、想い出の場面と思い出している場面の二つが現前している。 もう少し突っ込んだ言い方をすれば、いったん語り出されて現前した空間は、それを思い出す主人公によって、入子にされているということにほかならない。語り手は、だから、ある場面を思い出している主人公とそれが思い出しているある場面とを語っているということになる。それは主人公が語っている〃いま〃と、語られている〃そのとき〃とが二重構造になっているということであると同時に、思い出されている〃そのとき〃の場面と、それを語っている〃いま〃の場面とが二重に対象化されている場面であり、しかも語り手が、その全てを〃いま〃のように現前させて見届けているということにほかならない。 この語り口は、『槿』だけではなく、処女作『木曜日に』以来のものだ。『木曜日に』では、 鈍色にけぶる西の中空から、ひとすじの山稜が遠い入江のように浮び上がり、御越山の頂きを雷が越しきったと山麓の人々が眺めあう時、まだ雨雲の濃くわだかまる山ぶところの奥深く、幾重もの山ひだにつつまれて眠るあの渓間でも、夕立はそれと知られた。まだ暗さはほとんど変わりがなかったが、まだ流れの上にのしかかっていた雨雲が険しい岩壁にそってほの明るく動き出し、岩肌に荒々しく根づいた痩木に裾を絡み取られて、真綿のような優しいものをところどころに残しながら、ゆっくりゆっくり引きずり上げられてゆく。そして雨音が静まり、渓川は息を吹きかえしたように賑わいはじめる。 ちょうどその頃、渓間の温泉宿の一部屋で、宿の主人が思わず長くなった午睡の重苦しさから目覚めて冷い汗を額から拭いながら、不気味な表情で滑り落ちる渓川の、百メートルほど下手に静かにかかる小さな吊橋をまだ夢心地に眺めていた。すると向こう岸に、まるで地から湧き上がったように登山服の男がひとり姿を現し、いかにも重そうな足を引きずって吊橋に近づいた。 と、まるでひとつの物語の始まりを語る語り手の語り口が、実は、 《あの時は、あんたの前だが、すこしばかりぞっとさせられたよ》と、主人は後になって私に語ったものである。 と、《私》が、過去において宿の主人から聞いた話を再現して語っているのだということが、種明しされる。つまり、『槿』の書き出しと同じく、《私》は想い出を語っているのを語っているのである。 しかもここで《私》が語っている想い出の場面は、自分の想い出ではなく、宿の主人のパースペクティブを借りているのであり、更に言えば、その宿の主人のパースペクティブすら俯瞰する視点から、「御越山の頂きを雷が越しきったと山麓の人々が眺めあう」〃そのとき〃の情景を遠望し、そこから「ちょうどその頃」「長くなった午睡」から目覚めた宿屋の主人の視点へと滑り込み、彼の視線で、自分を客観化した「男」、つまり〃そのとき〃の《私》について、時間を巻き戻して、〃そのとき〃を現在として現前させながら、しかもその語り出された全体は、語り手である《私》の想い出となっている、という手のこんだ描写方法をとっているのである。 〃そのとき〃は《私》にとって想い出であり、《私》は、〃そのとき〃に対しては、未来からの視点となって俯瞰し、その俯瞰する視点を入子にして、《私》が〃いま〃語っている、ということになる。
語り出されたパースペクティブが、別のパースペクティブの入子となっているという語りの構造は、語られている場面がもうひとつ語られる場面の点景でしかないという、語られる場面の多層化だけでなく、初めに語るものであったものが、語られるものになるという、語りの視点そのものの逆転でもある。 たとえば、『槿』の例のように、思い出している想い出を入子として語られるときは、語られている〃いま〃は未来からの視線の入子にされ、過去の〃そのとき〃になっている。逆に願望や不安のように、語られている〃いま〃が過去からの視線に入子にされるとき、それは未来の〃いつか〃になる。同じように、〃ここ〃は、未来からの視線の入子にされるとき、過去の〃そこ〃になり、過去からの視線の入子にされるとき、未来の〃どこか〃へと変わる。 これは、何も書き出しにのみ関わる問題ではないはずである。 たとえば、『槿』の冒頭では、自分の過去を思い出していたが、それが他人のパースペクティブを入子としたらどういう語りになるのか。 『木曜日に』はまさにそうして、他人に見られた自分を積み重ねることで、一時的に喪失した〃そのとき〃の自分、自分に語られるべき自分の過去を取り戻す過程が語られている。先に例に挙げたこの作品の冒頭が、宿の主人のパースペクティブを借りて自分の想い出を語っていたのも、そのためにほかならないのだが、たとえば、昔の女ともだちに目撃されたとき、次のように自分の記憶との差異が顕われる。 そのとき《私》が、見たのはこうだった。 ビルの間にはたまたま人影が絶えていた。こんな瞬間が真昼の街にもあるものだ。人気のない石切場のような静けさが細長く走るその突当りでは、黄金色の日溜りの中を人間たちの姿が小さく横切っては消えていく。(中略)それから私は、ふと気味が悪くなって立ち止まった。見上げると、両側には二枚のコンクリート壁が無数の窓を貼りつけて、私のほうへ倒れかかりそうに立っていた。(中略)私は谷底をまた歩き初めた……。 谷底を歩みながら、私は《また立ち止まったらたまらないな》とくりかえしつぶやいていた。それと同時に私は、すでに立ち止まってしまった自分の姿を、呆然と細い首を伸ばして頭上を見上げている自分の姿を、思い浮べた。幾度となく私は立ち止まったような気がした。しかしそのたびに私は立ち止まった私のそばを、自分自身の幽霊のように通り過ぎた。そしてとうとう私は立ち止まった。実際に立ち止まって空を仰いだのだ。それから、私は憂鬱の虫にとり憑かれてビルの間を抜け出た……。 だが、彼女が見たのは違っていた。 ちょうどあの時刻に、彼女は書類袋をかかえてあの日溜りの中からビルの間に入り、冷え冷えとした陰の底をやって来た。そして人影のないように見えた道の中ほどで、私の姿を認めた。私はちょうど地から湧いたように立って、奇妙に細長い首を伸ばし、喉の哀れな鳥肌を風に曝して、しきりにビルの上のほうを眺めていたという。彼女は思わずつられて空を見上げた。美しい青空だった。窓も青々と輝いて白雲さえ映しそうだった。コンクリートの壁さえも陽差しを吸う土のようなふくよかな表情をしていた。それにひきかえ、この谷底の寒いこと、ちょっと立ち止まっただけなのに、もう冷さがふくらはぎを伝わって昇ってくる。そう思いながら、彼女は青い空に見入っていた。 このとき、自分の過去を、現在から振り返る視点で語り始めた彼女の話を聞く《私》は、彼女の過去の〃そのとき〃〃そこ〃へ滑り込み、〃そのとき〃の彼女のパースペクティブの中にある、見られている「私」を、彼女の目で語っている。ちょうど温泉宿の主人となって、「私」を外に見ていたように、《私》は、自分のパースペクティブの入子として、彼女のパースペクティブを重ねている。〃そのとき〃の彼女の見た《私》を、彼女の視線で、体験し直すように見ることで、頽れかけた自分の輪郭をなぞり直し、〃いま〃の《私》のパースペクティブの中に、整序し直し、あったはずの自分の記憶を取り戻そうとしている。 その時、彼女は自分の中で凝っていたものがほぐれるのを感じた。彼女は思わず足どり軽く私のそばへ飛んで行こうとした。ところが、私の体は張りを失って泥のようにずるずると崩れ出した。私は膝を折って不安な中腰となり、腕を両側にだらりとたれ、首を奇妙な具合に低く突き出し、厚い唇を鈍重にふるわせて、何だか吐気をこらえているような様子だった。それから風にあおられたように私はふたたび体を起し、まだ定まらない腰つきでふらりふらり彼女のほうに向かってきた。そして彼女にまともから突き当って、彼女をコンクリートの上に倒した。書類が二人のまわりに散った。私は彼女を突き倒したままの姿勢で立ちつくし、彼女は私を見まもった。一枚の紙が私の足もとに落ちた。それを私は一心に見つめていた。拾ってくれるのかしら、彼女は私の横顔を見つめた。すると私はその白い紙をまるで恐ろしいもののようにまたいで、それから後もふりかえらずに立ち去った。(略)という……。 《私》は、彼女の目で語る。彼女の語りに仮託して、見られた「私」を現前させる。そうやって、《私》は、彼女に見られた「私」を自分のパースペクティブに取り戻しているのである。 この語りは、《私》が他人のパースペクティブを、そのときを〃いま〃として映すことによって、失われている自分のパースペクティブを取り戻すのを見届けている、それがそのまま語りの視線の射程となっているということにほかならない。 だが、他人の語るものが本当にあったことかどうか、確かめようはない。もし彼女がおのれの幻視したものを語ったとしたらどうなるのか。しかし、そこまではこの語りは見届けてはいない。
では、こうした入子のパースペクティブが、妄想や夢であったらどういう語りになるのか。そこまで見届ける視線は、どういう語りになるのか。 たとえば、『男たちの円居』では、それが効果的に使われている。まず山小屋からの脱出行のところで、 ……私は、徒労感に圧倒されないように、足もとばかりを見つめて歩いた。そしてやがて一歩一歩急斜面を登って行く苦しみそのものになりきった。すると混り気のない肉体の苦痛の底から、ストーヴを囲んでうつらうつらと思いに耽る男たちの顔が浮んできた。顔はストーヴの炎のゆらめきを浴びて、困りはてたように笑っていた。ときどきその笑いの中にかすかな苦悶の翳のようなものが走って、たるんだ頬をひきつらせた。しかしそれもたちまち柔かな衰弱感の中に融けてしまう。そしてきれぎれな思いがストーヴの火に温まってふくらみ、半透明の水母のように自堕落にふくれ上がり、ふいに輪郭を失ってまどろみの中に消える。どうしようもない憂鬱な心地良さだった。だがその心地良さの中をすうっと横切って、二つの影が冷たい湿気の中を一歩一歩、頑に小屋に背を向けて登って行く……。その姿をまどろみの中からゆっくりと目で追う男たちの顔を思い浮べながら、私はしばらくの間、樹林の中を登って行く自分自身を忘れた。 と、まず「私」は、自分の苦しみに沿い、それから小屋に残っている男たちの、飢えでぼんやりしている姿を思い描き、うつらうつらする衰弱感に一緒になって浸り込み、その水膨れしてぼんやりした想念の中で一緒になって遠ざかる「私」たちの影を一瞥し、その背中を思いやる、その視線を、「私」は次には一転して自分の背中に感じながら、樹林の中を登っている「私」のところへと、視線は返ってくる。 つまり、「私」は相手の思いの中の「私」を、相手と一緒になって思いなし、一緒になって視線を送り、それからその視線を感じながら歩く「私」へと返ってきている、というわけである。 「私」は男たちに〃成り〃、男の視線で自分を眺める。男を見ていた「私」は、男に成ることで、男の視線で自分を見、しかもその視線を背中に感じている自分に戻ってくる。その視線の転換すべてがここに語られている。それは、夢を見ているときに等しい。夢を見ているとき、夢の中にいる自分と、その自分を見ている自分、そのすべてを夢に見ている。夢を見ながら夢に見られているのを夢に見ている。 さらに、脱出するのに失敗した「私」たちは、小屋へと引き返し、無くなった食べ物の代わりに残った酒を無茶呑みし悪酔いして潰れてしまった男たちを背に、ストーヴの前でうつらうつらうつらする。 同じ睡気につつまれて、私は大粒の雫の滴る森の中を一歩一歩、混り気のない肉体の苦しみとなりきって、まだ喘ぎ登りつづけていた。同じ睡気につつまれて、私はまだ泥水の中に獣のように坐りこんで衰弱感に耽っていた。 そして同じ睡気につつまれて、私はまだケルンの蔭にかがみこんで霧の奥に目を凝らしている。それから私は立ち上がって霧の奥へみるみる遠ざかり、ゆるやかな尾根のうねりに乗って、ストーヴの前でまどろむ私自身の念頭から消えかかり、消えかかっては戻ってくる。 こんどは、逆に「私」自身がまだ山を登っている自分を見ている。その同じ朦朧とした意識は、食糧のために罠をかけた兎をも現前に見ている。兎の感じているものを自分でも感じながら、夢想している。 はるばると風の吹き渡る森の中で、おそらくここよりも風下のほうで、針金のワッカに首を突っこんで、野ウサギが悶えている。濡れた黒土の上で足掻きに足掻きまくったそのあげく、ふくよかな首筋の毛皮に深く、赤い素肌に至るまで針金に喰いこまれて、今ではもう窒息の苦しみも引き、内側から静かにひろがってくる生命の充足感につつまれて、ただ後足をヒクリヒクリと恥ずかしそうにひきつらせながら、心地よさのあまりうっとりと白眼を剥いて息絶えていく。が、まだ生きている、まだ生きている、死の前で時間が停っている……。 「私」は、「針金のワッカに首を突っこんで、野ウサギが悶えている」のを見ていながら、同時に、「今ではもう窒息の苦しみも引き、内側から静かにひろがってくる生命の充足感につつまれて、ただ後足をヒクリヒクリと恥ずかしそうにひきつらせながら、心地よさのあまりうっとりと白眼を剥いて」いる兎に〃成り〃、その苦痛を自分のものとして感受し、その果ての恍惚を感じ取っている。 《見ている》うちに《見られている》ものに成り、そのパースペクティブを見、しかもその視線を受けている《見るもの》でもある。そのとき、距りが消えるのは、《見るもの》と《見られるもの》の間ではなく、それを語っている視点にとって、にほかならない。これは、自分が見ている夢を語っていることと同じだ。夢を俯瞰して眺めながら、同時に眺められるものになっている。 結局それは、自分のうっとりとした空腹感を外に見ているだけではないか、というのは当たらない。もともと見るということ自体がそういうことではなかったか。外があり内があるのではない。外とはもともと内でしかない。いや、内はもともと外でしかない。要するに、どの視点から見るかで内と外を区別するまでで、鏡の中の自分を見ているのと同じことだ。「私」は、鏡の中に自分を見ているのではない。鏡の中の自分に成って、鏡を見ている自分を見ているにすぎない。「私」は見ていると同時に、見られている。見られている自分に成っている。そして意味があるのは、それを見届けている視線である。その視線にとって、《見るもの》と《見られるもの》は距りがないということにほかならない。 見るものが見られるものに成るとは、そのパースペクティブをおのれのものにするということにほかならない。それを見るものにとっては、それが《見るもの》の夢か、《見られるもの》の現か、差はない。 だから、自分が外へと歩き出したのを語ることと、自分が外へと歩き出したのを見ているのを語ることとの差は、ここにはない。 だが、しばらくして、私は頭を起した。風が止んで、雨が静かに降りはじめた。もう一人の人間が闇の中でふっと体を起したのを、私は感じた。 私は椅子から立ち上って戸口のところへ行き、扉を一杯に明け放った。そして暗闇の中に小屋の明りを流して待った。やがて私の足もとから濡れた地面をそって細長く伸びる薄い光の尖端を、すうっと横切って森の闇のほうへ消えて行く人影があった。私は後手に扉を閉じて闇の中へ踏み出した。衰弱感の中で、不思議な力が私を支えてくれた。 人影は私のほうを振り返らずに、まっすぐ森の中へ入っていった。私は後を追った。 だからこれが、「私」がストーブの前でうつらうつらしながら、閉じ込められた中で、救いを求める気持が外に描き出したパースペクティブだとしても、あるいは現実に〃そのとき〃現とも夢とも境界の朧気なまま、外へと彷徨い出た、霧の中のように夢うつつの情景だとしても、それを〃いま〃語る「私」にとって、それほどの差があるのではなく、むしろ、〃そのとき〃を見届けている〃いま〃の《私》からの視線が、そこまでの射程をもって語られている、ということこそが重要なのだ。 幻を見ているのを語っているのも、幻を現として見ているのを語っているのも、いやそれを現として思い出しているのを語っているのも、それを語る語りにとっては距りなく見届けられている。その位相の差異があるかもしれないことを含めて見届けられている、ということが重要なのだ。 それは、夢の中にありながら、同時にその自分をも見ている、あるいは夢を見ながら、同時にその視線に見られているのを感じているのを見ている、といった夢の構造が、存外古井の語りの構造に似ているということを、はしなくも、炙り出しているように思えるのである。
しかし、こうした入子が、『木曜日に』のように、他人の見た自分ではなく、他人の見たものや想念そのものを思い描くのであれば、どういう語りになるか。それは、他人の見る視点を自分のものにする、あるいは他人の視点に〃成る〃といったお互いの確認、一方で理解や共感であると同時に、他方成ったつもりの妄想や誤解であるかもしれないものの現前となるはずだ。 たとえば、『杳子』は、まさにお互いの確認を、語るものにほかならない。 杳子は深い谷底に一人で坐っていた。 十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。 彼は、午後の一時頃、K岳の頂上から西の空に黒雲のひろがりを認めて、追い立てられるような気持で尾根を下り、尾根の途中から谷に入ってきた。道はまずO沢にむかってまっすぐに下り、それから沢にそって陰気な潅木の間を下るともなく続き、一時間半ほどしてようやく谷底に降り着いた。ちょうどN沢の出会いが近くて、谷は沢音に重く轟いていた。 (中略)河原には岩屑が流れにそって累々と横たわって静まりかえり、重くのしかかる暗さの底に、灰色の明るさを漂わせていた。その明るさの中で、杳子は平たい岩の上に躯を小さくこごめて坐り、すぐ目の前の、誰かが戯れに積んでいった低いケルンを見つめていた。 こう書き出された『杳子』もまた、 後になって、お互いに途方に暮れると、二人はしばしばこの時のことを思い返しあった。 と、『木曜日に』と同様、既知の二人の出会いを振り返っているのだということが明らかにされる。ちょうど『木曜日に』が、失われた自分自身をを見付け出す、《私》の自分自身との関係そのものの確認の物語であったとみなせるように、『杳子』では、「彼」による、杳子との関係そのものの確認の物語であり、それを語り手によって見届けられているとみなすことができる。 《彼》のパースペクティブと杳子のパースペクティブが、その出会いについて「思い返す」ことで、相互に、そのパースペクティブを確かめ合い、交換することによって、〃偏ったパースペクティブ〃が、複眼のパースペクティブにされ、それによって、ただ見られるものである杳子のパースペクティブが《彼》のパースペクティブによって質されるだけでなく、《彼》のパースペクティブに依存した語り手のパースペクティブそのものが、杳子のパースペクティブによって修正されていく。それは語りだけのことではなく、物語そのもののパースペクティブもまた修正されていくようにさえ見える。 杳子は、「足音が近づいてきて、彼女のすぐ上あたりで止んだ」のに気づいて、我に返る。 その時はじめて、杳子はハッとした。だれかが上のほうに立って、彼女の横顔をじっと見おろしている。そんな感じが目の隅にある。たしかにあるのだけれど、それが灰色のひろがりの、いったいどの辺に立っているのか、見当がつかない、見当がつかないから頭の動かしようもわからない。 同じことを、《彼》のパースペクティブは、別様にとらえる。見詰めている《彼》の山靴に触れた小石が転がりだし、 女が顔をわずかにこっちに向けて、彼の立っているすこし左のあたりをぼんやりと眺め、何も見えなかったようにもとの凝視にもどった。それから、彼の影がふっと目の隅に残ったのか、女は今度はまともに彼のほうを仰ぎ、見つめるともなく、鈍いまなざしを彼の胸もとに注いだ。気がつくと、彼の足はいつのまにか女をよけて右のほうへ右のほうへと動いていた。彼の動きにつれて、女は胸の前に腕を組みかわしたまま、上半身を段々によじり起して、彼女の背後のほうへ背後のほうへと消えようとする彼の姿を目で追った。 ここには、まず《彼》の視線で見た杳子があり、つぎに杳子のパースペクティブを借りた(思い入れた)《彼》の視線が、杳子の心の動きを追い、逃げる彼の動きと、追う杳子の視線の、見るものと見られるものの、緊張が見届けられている。 これを、杳子は次のように、見ていた。 《いるな》と杳子は思った。しかしいくら見つめても、男の姿は岩原に突き立った棒杭のように無表情で、どうしても彼女の視野の中心にいきいきと浮び上がってこない。《いるな》という思いは何の感情も呼び起さずに、彼女の心をすりぬけていった。杳子は疲れて目をそむけた。それから、視線がまだこちらに注がれているのを感じて、また見上げた。すると、漠としてひろがる視野の中で……男は、二、三歩彼女にむかってまっすぐに近づきかけて、彼女の視線を受けてたじろぎ、段々に左のほうへ逸れていった。男は、杳子から遠ざかるでもなく、杳子に近づくでもなく、大小さまざまな岩のひしめく河原におかしな弧を描いて、ときどき目の隅でちらりちらりと彼女を見やりながら歩いていく。 この時《彼》は、杳子に語り出された〃そのとき〃を、彼女の視線になって、それに映っていた自分を見ている。ちょうど『木曜日に』の《私》が、女ともだちの見たものを語っていたのと同じ構造だ。しかし、『木曜日に』と異なるのは、彼は〃そのとき〃の自分を、自分のパースペクティブの中で再現することで、彼女のパースペクティブだけでなく、自分のパースペクティブをも語り、その二つのパースペクティブの差異を現してみせていることだ。それが、「確認」といったことの意味にほかならない。彼の見たものは、 歩むにつれて、形さまざまな岩屑の灰色のひろがりの中、その姿は女のまなざしに捉えられずに段々に傾いて溺れていく。漠とした哀しみから、彼も彼女を見つめかえした。すると女の姿も彼のまなざしにつなぎとめられずに表情をまた失い、はっきりと目に見えていながら、まわりの岩の姿ほどに訴えてこない。彼はすでに女を背後に打ち捨てて歩み去るこころになった。 次に、杳子のパースペクティブで語り直される。「男が歩いていくにつれて、灰色のひろがりが、男を中心にして、なんとなく人間くさい風景へと集まっていく」のを、見まもっている。 わが身をいとおしく思って、そのために不安に苦しめられて、その不安をまたいとおしく思って、岩屑のひしめきにたちまち押し流されてしまいそうなちっぽけな存在のくせに、戦々恐々と彼女をよけていく。それでも、そうやって男が歩いていくと、彼女にたいしては険しい岩々が、彼のまわりに柔らかに集まって、なま温かい不安のにおいを帯びはじめる。杳子は……、《立ち止まって。もし、あなた》と胸の中で叫んでしまった。 掠め過ぎる影と影の擦れ違い様重なり合う、その束の間の互いのパースペクティブの吻合を、彼は語っている。 足音が跡絶えたとたんに、ふいに夢から覚めたように、彼は岩のひろがりの中にほっそりとたっている自分を見出し、そうしてまっすぐに立っていることにつらさを覚えた。それと同時に、彼は女のまなざしを鮮やかに躯に感じ取った。見ると、……女は、……不思議に柔軟な生き物のように腰をきゅうっとひねって彼のほうを向き、首をかしげて彼の目を一心に見つめていた。その目を彼は見つめかえした。まなざしとまなざしがひとつにつながった。その力に惹かれて、彼は女にむかってまっすぐ歩き出した。 《見るもの》が《見られるもの》の見ているものを見る、《見られるもの》に見られている自分を見る、それを彼のパースペクティブの中に見る。その一瞬の錯覚は、しかし、《見るもの》と《見られるもの》との距りを縮めることを意味しない。むしろ後ずさりし、遠ざかるから、手繰り寄せようとする視線にほかならない。それが、接近したかと思うとたちまち離反していく二人の心の関係を象徴している。 見たと思ったことは、見られたという意識とともにある。だが、それは手に入れた瞬間から不確かなものになっていく。この出会いの印象は、「あの女の目にときどき宿った、なにか彼を憐むような、彼の善意に困惑するような表情」に思い当たって崩れる。 《あの女は、あそこで、自殺するつもりだったのではないか》という疑いが浮かびかけた。すると記憶が全体として裏返しになり、彼は女の澄んだ目で、幼い山男のガサツな、自信満々な振舞いを静かに見まもる気持になった。 それは、彼のパースペクティブ全体の転倒にほかならない。その転倒は、駅のホームにおける再会でまた転倒される。 少女はかれの右側を一歩ほど遅れて歩いていた。先の尖った靴がときどき彼の目の隅に入り、あたりのざわめきの中で冴えた音を規則正しく立てていた。輪郭たしかな足音とでも言ったらよいのだろうか、それが自分の鮮明さに自分で苦しむように、ときどき苛立たしげにステップを踏んだ。そのたびに彼は振り向いた。すると、切れ長の目が彼に見つめられてすこしたじろぎ、それから、視線が小枝のように弾ね返ってきて彼の目を見つめて微笑んだ。あの日、谷底に坐っていた女の、目と鼻と唇と、細い頤にやわらかく流れ集まる線を、彼はまたひとつずつ見出した。 『杳子』の語りは、「彼」による、こうした確認・修正・再確認の繰り返しだ。だが、確認とは、見るものと見られるものの交換である。確認は一方的ではない。《見るもの》が、《見られるもの》のパースペクティブを見ようとすれば、《見るもの》は《見られるもの》に侵食され、《見られるもの》に変わっていく。二人の関係が深まるにつれて、微妙に、相互に浸透しあい、影響を与え始める。それを杳子は、 「あたしを観察してるのね、あなた。勝手になさい。だけど、あなたがあたしを観察すると、あたしも自然にあなたを観察することになるのよ。どっちかだけということはないのだから……」 と、言い当てている。 たとえば、神経の病は、関係の中でしか顕在化することはない。いや関係が神経の病を創り出す。神経の病とは関係の病そのものにほかならない。それは《見ること》と《見られること》の病でもある。あるいは《彼》が意識しているように、《彼》が《見ること》によって、《彼》に見られるという関係の中で、顕われてきたというべきかもしれない。だから《見ること》でつかまえるのは、杳子と同時に関係そのもの、つまりは病気そのものをつかまえることになる。そのモチーフは『聖』『栖』『親』と続く連作にもそのまま引き継がれていくし、『杳子』の《見るもの》と《見られるもの》との確認の関係は、『槿』において再現されることにもなる。 《見ること》は距離を置くことだ。いや距離があるから見る。だから、その異和を宥るために《見られる》もののパースペクティブを手に入れようとする。相手の見ているものを見るのは、距りがあるからだ。しかし相手の見ているものが見えないことが異和ではない。相手の見ているものが見えるからこそ、逆に異和が生まれる。近づけば異和が見え、遠ざかれば親和が見える。距離が変わるのではなく、心理の距りにすぎない。だから親和感や異和感に意味があるのではない。 そしてここで重要なのは、その全ての視線の距離を語り手は見届けていたということだ。その全てを現前化することも、またその距りのために思い入れにならざるをえないことも含めて、その視線は射程に収めている。その視線によってのみ、《見るもの》と《見られるもの》は距りを失い、両者の逆転を可能とする。
だから語りは視線である。何が見られたかは視覚の問題にすぎない。どう見るかこそが、ここで言う語りの問題である。何が語られているかではなく、どう語っているかこそが、視線としての語りの問題にほかならない。その視線にとってのみ、《見るもの》と《見られるもの》は、また《語るもの》と《語られるもの》は、距りを、もたなくなる。 現を見ていた視線は、視点が〃いま〃から未来へ移すことで、そのパースペクティブが想い出に変わる。〃いま〃から過去へ退くことで幻想に変わる。見るもののパースペクティブは、見られたものの視点になることで、見るものを見返すとき、《見るもの》は見られたもののパースペクティブの点景に変わる。《見るもの》は《見られるもの》に変わり、《見られるもの》も《見るもの》に変わる。視線は《見るもの》のものだけではなく《見られるもの》のものでもある。 それを見届ける視線にとって、見るもののパースペクティブでも見られるもののパースペクティブでも、それを現前化させたとき、差をもっていない。夢も現も差はない。未来も過去も違いはない。もし視線が自分を説明しなければ、現前したものは、見るものと見られるものが同時に並列してしまう。そこまでいけば、語りはただその見届けたものを、ぶっきらぼうに投げ出すに等しい。 『哀原』では、かろうじて、その視線の全貌を説明し、語りの複雑な位相を余すところなく示している。 死病にとりつかれた友人の七日間の失踪を語る語り手たる「私」が、自分の目、友人の目、そしてその間受け入れていた女性の目、で友人の全体像を語り尽そうとする。そこでは、「私」の語りは三段階の射程をもっている。 まず「私」は、これを語っている〃とき〃(つまり、それを語り手のいる〃とき〃と考える)から、直接〃そのとき〃の会話を語る。この直接話法として対象化したとき、友人の語りとそれを聞く「私」を、次のように「私」のパースペクティブで、 自分があの七日間に何をしたか、覚えがないとは、俺は言わんよ。今は細かいことを思い出せないが、だからと言って、責任を逃れはせんよ。女のところへ逃げて、また女房のところへ逃げてきた、どちらかを疎んだその分だけ、どちらかに惹かれる、ということではないんだ。 友人の、「私」への語りかけとして現前される。このとき「私」の語りは、それを聞いていた「私」と同時に、友人の語りを、語る友人になって、友人の語りを現前化させている。だが「私」は、〃そのとき〃友人が「私」に向けた語りの面を見ているだけで、その語りの向う側を見ているわけではない。あくまで「私」に向かって語りかけている語りそのものを、〃そのとき〃の「私」のパースペクティブによって見ているにすぎないから、その制約の中でその口調と意味を対象化しているだけだ。 一方、「私」による、次のような友人の対象化は、 厄年というのはあるもんだね、と友人はそんなことをつぶやく。危険な話題に私は尻ごみしかけるが、相手の回復者の口調はやはり破れていない。人さまざまなのだろうがね、と友人はことわってから、ぽつりぽつり話し出す。 と、友人の話を、語っている「私」の〃いま〃整理した、間接話法による語りは、友人の語りの口調をかなり残しているか、友人の語りの視線を残しているか、あるいは全くその意味だけを残しているか、という差異はあるが、その語りが、語っている「私」のいる〃とき〃からの俯瞰した視線によって対象化され、語りそのものを引き写すのではなく、語られている意味・内容を一旦「私」によって要約ないし整理されているとみなすことができる。だから、友人は、「私」が語っている〃いま〃にいる。だからその友人は、語っている「私」のパースペクティブで制約されていることになる。 だから「私」は、どれだけ「私」を対象化しても、結局「私」の視線からは出られない。「私」のパースペクティブの中から出られない。とすれば、「私」は「私」のいないところについての現前化を語り出すことはできない。 直接話法では、語られている〃そのとき〃の「私」の目線で制約されていたとすれば、間接話法では、語っている〃いま〃の「私」の目線に制約されている、ということができる。そして重要なことは、〃そのとき〃のいずれにも、「私」はいる、ということだ。それに対して、 夜だった。いや、夜ではなく、日没の始まる時刻で、低く覆う暗雲に紫色の熱がこもり、天と地の間には蒼白い沼のような明るさしか漂っていないのに、手の甲がうっすらと赤く染まり、血管を太く浮き立たせていた。凶器、のようなものを死物狂いに握りしめていた感触が、ゆるく開いて脇へ垂らした右の掌のこわばりに残っていた。 では、友人の語りの中の〃そのとき〃には、「私」はいない。いない〃とき〃について、「私」は語っている。そこには、「私」の視線だけが見た未知のパースペクティブがある。友人の語ったことの向こうに、見えないものを見た、〃不在〃を語るパースペクティブがある。「私」の視線だけが現前化させたパースペクティブがある。そのとき「私」は、友人の語りの向う側を、ちょうど作品の語り手が作品に向かうように、向き合っていた、ということができる。あえて言えば、友人の七日間について、物語る語り手の位置に「私」はいた、そしてその位置から、「私」の感覚で、人形遊びで子供の想像力で命を吹き込まれる人形のように、友人の話を蘇らせたということができる。 この三つの語りの射程が見届けているのは、三つの語りの層である。 まず第一は、語っている〃いま〃から、どこまで視線の射程が届いているか、という語りの深度が見届けられている。その深度によって、つまりは「私」の視線の浸透度によって、さまざまな語りの次元が層をなすことになる。 「私」と女性(あるいは友人)が語り合っている〃とき〃の対象化、直接話法の語りであり、次は、ここでは時間的な距りはなくなってはいるが、「私」が彼女(あるいは友人)の語りそのものを対象化し、その語りを彼女の視線を残したまま「私」の語っている〃とき〃から語り直している、間接話法の語りであり、そして、女性の語りの中の、友人と一緒の、二年前、一年前、七日間の〃とき〃を現前化する語りであり、そして更に女性の語りが引き出した、友人の妹と関わる〃とき〃を現前化する語りである。 第二は、第一の語りの視点によって必然的にもたらされるものだが、「私」が語っている〃とき〃に対して、どれだけ時間の層を遡っていくかが見届けられる。女性の話を聞いている〃とき〃、彼女が語る友人との出会いの〃とき〃、友人を保護していた七日間の〃とき〃、友人が語る思い出の中の〃とき〃と、「私」の視線は、その時間の層を貫いている。 第三は、その〃とき〃を遡っていくときのパースペクティブの多層性(あるいは視点の転換)。そこに現前する視圏の重層性である。たとえば、「私」は彼女が語るパースペクティブの中の友人との〃とき〃の中で、友人が語ったパースペクティブの中の妹を、見届けるというように。 たとえば、女性の語りの中に、友人の語りが現前化するところをみてみよう。 それには二つの違った視点の語りが入っている。一つは、 お前、死んではいなかったんだな、こんなところで暮らしていたのか、俺は十何年間苦しみにくるしんだぞ、と彼は彼女の肩を掴んで泣き出した。実際にもう一人の女がすっと入って来たような、そんな戦慄が部屋中にみなぎった。彼女は十幾つも年上の男の広い背中を夢中でさすりながら、この人は狂っている、と底なしの不安の中へ吸いこまれかけたが、狂って来たからにはあたしのものだ、とはじめて湧き上がってきた独占欲に支えられた。 女性の語りの向う側に、彼女が「私」に語っていた〃とき〃ではなく、その語りの中の〃とき〃が現前する。「私」の視線は〃そこ〃まで届いている。「私」がいるのは、彼女の話を聞いている〃そのとき〃でしかないのに、「私」は、その話の語り手となって、友人が彼女のアパートにやってきた〃そのとき〃に滑り込み、彼女の視線になって、彼女のパースペクティブで、〃そのとき〃を現前させている。「私」の語りのパースペクティブは、彼女の視点で見る〃そのとき〃のパースペクティブを入子にしている。 もう一つの、入子になっている友人の語りは、 或る日、兄は妹をいきなり川へ突き落とした。妹はさすがに恨めしげな目で兄を見つめた。しかしやはり声は立てず、すこしもがけば岸に届くのに、立てば胸ぐらいの深さなのに、流れに仰向けに身をゆだねたまま、なにやらぶつぶつ唇を動かす顔がやがて波に浮き沈みしはじめた。兄は仰天して岸を二、三間も走り、足場の良いところへ先回りして、流れてくる身体を引っぱりあげた。 と、そこは、「私」のいる場所でも、女性が友人に耳を傾けていた場所でもない。まして「私」が女性のパースペクティブの中へ滑り込んで、その眼差しに添って語っているのでもない。彼女に語った友人の追憶話の中の〃そのとき〃を現前させ、友人の視線に沿って眺め、友人の感情に即して妹を見ているのである。 時間の層としてみれば、「私」の語る〃とき〃、彼女の話を聞いている〃とき〃、彼女が友人の話を聞いている〃とき〃、更に友人が妹を川へ突き落とした〃とき〃が、一瞬の中に現前していることになる。 また、語りの構造から見ると、「私」の語りのパースペクティブの中に、女性の語りがあり、その中に、更に友人の語りがあり、その中にさらに友人の過去のパースペクティブが入子になっている、ということになる。 しかも「私」は、女性のいた〃そのとき〃に立ち会い、友人の追憶に寄り添って、「友人」のいた〃そのとき〃をも見ている。〃そのとき〃「私」は、女性のいるそこにも、友人の語りのそこにもいない。「私」は、眼差しそのものになって、重層化した入子のパースペクティブ全てを貫いている。 それは、友人は妹の語りを、女性は友人の語りを、「私」は友人と女性の語りを、それぞれ入子にしながら、相手のパースペクティブを自分のものにしようとしていたということである。にも拘らず、重要なことは、「私」はそのすべての語りを通じて、結局、友人のことも、その女性のことも分かっていないことが、それどころか、友人も女性のことも妹のことも、女性も友人のことが、それぞれ分かっていなかったことが露わになっていく。語り手はそのすべてを見届けて語っているのである。そこまでの視線の射程をもっているということにほかならない。
ところで、視線の深度が深いということは、〃見る〃視点から〃見られるもの〃に〃成る〃視点へと随意に移行し、そこから《語るもの》を見返す、そしてそのすべてを見届けている、ということである。そのことを示す典型は、『木曜日に』で《私》が宿の人々への手紙を書きあぐねていたある折、「私の眼に何かがありありと見えてきた」ものを現前化した視線に見ることができる。 それは木目だった。山の風雨に曝されて灰色になった板戸の木目だった。私はその戸をいましがた、まだ朝日の届かない森の中で閉じたところだった。そして、なぜかそれをまじまじと眺めている。と、木目が動きはじめた。木質の中に固く封じこめられて、もう生命のなごりもない乾からびた節の中から、奇妙なリズムにのって、ふくよかな木目がつぎつぎと生まれてくる。数かぎりない同心円が若々しくひしめきあって輪をひろげ、やがて成長しきると、うっとりと身をくねらせて板戸の表面を流れ、見つめる私の目を眠気の中に誘いこんだ。 厳密に言うと、木目を見ていたのは、手紙を書きあぐねている〃とき〃の《私》ではなく、森の山小屋にいた〃そのとき〃〃そこ〃にいた「私」であり、その「私」が見ていたものを《私》が語っている。しかし、そのうちに、それを見ていたはずの「私」が背後に隠れ、「私」は木目そのものの中に入り込み、木目そのもののになって、木目が語っているように「うっとり」と語る。見ていたはずの「私」は、木目と浸透しあっている。動き出した木目の感覚に共感して、「私」自身の体感が「うっとり」と誘い出され、その体感でまた木目の体感を感じ取っている。 節の中心からは、新しい木目がつぎつぎに生まれ出てくる。何という苦しみだろう。その時、板戸の一隅でひとすじのかすかな罅がふと眠りから爽やかに覚めた赤児の眼のように割れてわずかに密集の中へ喰いこみ、そのまま永遠に向かって息をこらしている……。私も白い便箋の前で長い間、息をこらしていた。 最後に、視線は、《私》へと戻ってくる。そして、いつも《私》の視線が貫徹していたこと、《私》のパースペクティブの入子になって「私」のパースペクティブがあり、それがまた木目に滑り込んで、木目に感応していたことに気づかされる。と同時に、浸潤しあっていたのは、〃そのとき〃見ていた「私」だけでなく、それを〃いま〃として、眼前に思い出している《私》もなのだということである。 そのとき、《見るもの》は《見られるもの》に見られており、《見られるもの》は《見るもの》を見ている。《見るもの》は、《見られるもの》のパースペクティブの中では《見られるもの》になり、《見られるもの》は、《見るもの》に変わっていく。あるいは《見るもの》は《見られるもの》のパースペクティブを自分のものとすることで、《見られるもの》は《見るもの》になっていく。 その全てを貫徹していた語り手の視線にとっては、思い出している《私》も、その入子になっている「私」も、木目も、こう語るとき、その〃とき〃と〃ところ〃の微妙な差は見届けられており、それが三者の重なりを一層際立たせていくと同時に、木目への感応が語り手にまで届いていたようにも見えるのである。 《見るもの》が《見られるもの》の見ているものを見ること、そのことによって、《見られるもの》は《見るもの》となる、あるいは《見るもの》が《見られるもの》に見られることでもある、ということだけがいいたいのではない。《見るもの》が《見られるもの》を見ること自体が、《見るもの》をまた《見られるもの》にすることになる、ということなのだ。それは、語り手は語ることによって、それ自体語られるものになる、ということでもある。それが、語りの入子の構造にほかならない。
だが、誰かが語ることを入子にするとは、自分のパースペクティブに対して差異化することにほかならない。あるいは差異化とは自分の中に入子を見ること、別のパースペクティブを見ることにほかならない。『木曜日に』では、自分の失っているパースペクティブに対する差異として、他人のパースペクティブを現前化し、そうすることで自分のパースペクティブを差し替えていく。『男たちの円居』では、自分の現状への異和として、幻を見た。幻を見ることと現を見ることとが差し替えられていく。『杳子』では、相互のパースペクティブの入子による確認だ。それは一見、共感や理解につながりそうに見えて、実は相手のパースペクティブへの差異化にほかならない。相手の見るパースペクティブは自分には届かないこと、逆に言えば自分の見るパースペクティブが相手とは異なることを見届けることこそが、相手のパースペクティブを入子にすることの意味にほかならない。 『哀原』では、女性の語りは友人によって差異化され、友人の語りは妹の語り、女性の語りで差異化され、そして「私」の語りは、そのすべてを自分のパースペクティブに整序したそれぞれの語りによって差異化されていく。ついにお互いを語りながら誰もお互いが分からないことが顕われていく。 ここには、友人の失われた記憶を女性の語りで補填するという意味で『木曜日に』の語りがあり、友人にとって現と幻が区別されなくなっているという意味で『男たちの円居』の語りもあり、そして相互に理解できないパースペクティブの交換という意味で『杳子』の語りもある。 そして、その語りのすべては、「私」との距離によってのみ、語っている「私」のパースペクティブの中に整序されていく。 「私」が語っている〃いま〃、〃そのとき〃について語っていること 「私」が〃そのとき〃を〃いま〃のように語っていること 「私」が語っている〃そのとき〃において語られた〃あるとき〃について語っていること 「私」が語っている〃そのとき〃において語られた〃あるとき〃を〃いま〃のように語っていること 「私」が語っている〃そのとき〃において語られた〃あるとき〃について語られた、別の〃あるとき〃について語っていること 「私」が語っている〃そのとき〃において語られた〃あるとき〃について語られた、別の〃あるとき〃を、〃いま〃のように語っていること 等々が、「私」との遠近法だけによって、共時の〃とき〃につながれている。だから、そのすべては、「私」の語りにすぎない。その意味で、この作品は、初期作品以来の語りの構造を集大成したとみることができる。 では、そこまで徹底された入子構造の語りは、この先どうなるのか。その方向を示しているとみなすべきなのが『眉雨』である。
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