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『哀原』における語りの眼差し


 

T

 

 作品の語りには、パースペクティブがある。語るものの目線に規定された視野がある。それによって作品に向き合う視線を決め、語り出しのディメンションを決定されるパースペクティブがある。それが、現であれ幻であれ、そうした視野を現前させる語りになるほかはない。そうしなければ語り始めることはできない。それが、擬人化された語り手を立てる場合であれ、語り手自身を「私」として対象化する場合であれ、また固有名の誰かに仮託する場合であれ、そのパースペクティブが語りを規制する。己のパースペクティブがとらえるだけの視圏を語るしかないのである。

 「私は……」と語り始めたとき、その語りは、それが語り手自身であれ、語り手の自己対象化した「私」であれ、「私」の目線に制約された〃偏ったパースペクティブ〃による語りであることを、そうした私的視野の現前であることを、第一行目から具体化していることにほかならない。

 さて、『哀原』は、次のように語り始められる。

 原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐もない、と友人はおかしそうに言う。見渡すかぎり、膝ほどの高さの草が繁り、交互に長いうねりを打っていた。風下へ向って友人はゆっくり歩いていた。夜だった。いや、夜ではなく、日没の始まる時刻で、低く覆う暗雲に紫色の熱がこもり、天と地の間には蒼白い沼のような明るさしか漂っていないのに、手の甲がうっすらと赤く染まり、血管を太く浮き立たせていた。凶器、のようなものを死物狂いに握りしめていた感触が、ゆるく開いて脇へ垂らした右の掌のこわばりに残っていた。いましがた草の中へふと投げ棄てたのを境に、すべてが静かになった。

 まず、この語り出しについて、「私」のパースペクティブに即して考えるところから始めてみよう。
 「原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐もない」と、言っているのは友人である。それを聞いているのは「私」である。「私」が友人の話を聞くというパースペクティブで、それを語っている。続く「見渡すかぎり、膝ほどの高さの草が繁り、交互に長いうねりを打っていた。風下へ向って友人はゆっくり歩いていた。」は複雑である。友人は自分の過去を眺めて語っている。友人の語りは、自分の過去の方を振り向いて、〃いま〃から〃そのとき〃を眺めるパースペクティブにある。友人の話を聞いている〃とき〃にいる「私」は、まだ友人の語りを対象化して写しながら、半ば、友人のパースペクティブに寄り添い、一緒になってそれを見ている。〃いま〃を見る「私」のパースペクティブから、〃そのとき〃を見る友人のパースペクティブへと移行しかけている。つまり友人の話を写し取りながら、そのまま友人が〃そのとき〃を見ている視線へと滑り込み、〃そこ〃を〃ここ〃に、〃そのとき〃を〃いま〃として、一緒になって眺めている。

 だが、「風下へ向って友人はゆっくり歩いていた」では、もう「私」はそれを眼前に見るところに立っている。友人のいた〃そのとき〃に立って眺めているように語っている。ここで、友人の語りは、「友人は」と、「私」から見られている、「私」の視線による語りに変わってしまっている、とみなすことができる。
 しかも、「私」は、一方では、まるでそこにいたかのように、友人の姿を外からの視線で眺めているのに、続いて「夜だった。いや、夜ではなく、日没の始まる時刻で、低く覆う暗雲に紫色の熱がこもり、天と地の間には蒼白い沼のような明るさしか漂っていないのに、手の甲がうっすらと赤く染まり、血管を太く浮き立たせていた」では、友人の内からの視点で、友人の見るものを見、感じるものを感じている。まるで「私」が友人自身になったように、友人のいた〃そのとき〃〃そこ〃を見ている。そこで、「私」は、友人が過去を振り返る視線に沿って〃そこ〃を外から眺めているだけでなく、そこに立っている友人自身の視線となって、それを感じる内側からのパースペクティブをも、自分の語りとしてしまったということができる。
 語っているのは「私」である。死病の床にいる友人と話している〃とき〃と〃ところ〃にいる「私」が、友人の過去の〃そのとき〃と〃そこ〃に、一緒に立ち戻りながら、しかし明らかに、その語りは、途中から「私」を背後に退け、友人自身に仮託した語りに滑り込んでいる。
 友人自身が、病床で、七日間のことを振り返りながら反芻していたはずである。友人自身が〃そのとき〃の〃その場所〃に立ち戻っていたはずである。それを「私」はいつのまにか一緒になって、その視線に寄り添って見ている。「右の掌のこわばり」を感じているのは友人だが、それ見ている、それを自分のものとして感じて語っているのは、〃そのとき〃と〃そこ〃にいないはずの「私」にほかならない。そして再び、

 ……しかし風が背後でふくらんで、衰えかけてもうひと息ふくらむとき、草は手前から順々に伏しながら白く光り、身体も白く透けて、無数の草となって流れ出し、もう親もなく子もなく、人もなく我もなく、はるばるとひろがって野をわたって行きかける。野狐が人間の姿を棄て、人間の思いを棄て、草の中に躍りこむのも、こんなものなのだろうか、とそんなことを友人は考えたという。

 と、語りかけられた友人の話を聞いている「私」のいる〃とき〃と〃ところ〃へ、「私」の視線は戻ってくる。
 だからそのとき、「私」は、「私」に語りかけている友人とそれを聞いている「私」を直接的に対象化して語っているだけではない。つまり〃そのとき〃の二人の会話を直截に対象化しているだけではないのである。

 一方で、「私」は会話している「私」の〃とき〃と〃ところ〃で友人の語りを対象化しながら、他方で、「私」はその語りの中の〃とき〃と〃ところ〃、つまり友人の立っていた「原っぱ」に一緒に立ち、友人の目線に重なって、その〃とき〃の友人をも対象化している。そのとき「私」は、友人が「私」に語りかけている〃とき〃と〃ところ〃から「私」のパースペクティブで語るのではなく、友人の語りの中の〃とき〃と〃ところ〃を、友人のパースペクティブで語っている。 このとき「私」は、友人の話を聞いている「私」のパースペクティブから友人の語りそのものを語り、更に友人の語っている〃そのとき〃をも、友人のパースペクティブで現前化させて語っていることになる。それは「私」のパースペクティブと同時に、友人のパースペクティブをも語っていることにほかならない。
 友人の〃そのとき〃にある「私」の視線は、友人の傍らにいて友人の語りを聞いている、次のような「私」の、視線とは明らかに異なっている。

 夢なんだろうね、と友人はまた笑う。自分があの七日間に何をしたか、覚えがないとは、俺は言わんよ。今は細かいことを思い出せないが、だからと言って、責任を逃れはせんよ。女のところへ逃げて、また女房のところへ逃げてきた、どちらかを疎んだその分だけ、どちらかに惹かれる、ということではないんだ。申し開きはできないが、かならずきちんと思い出す。始末をつけるということではなく責任を負う……。

 死病の床に就いた男のそんな言葉に、私は思わず目を逸らす。

 あるいは、また、

 夜明けに目を覚まして、涙を流すわけではないが、五体がようやく泣き疲れて静まっているのを感じることがある。哀しみではなく、むしろ懐しい気持だ。荒涼とした風が西の地平から吹きつけてくる。十歳の時に母親を亡くして、地平の一劃がぽっかり明いてしまい、それから何年かというものの、毎夜床に就く時と目覚めする時、そこから風の渡ってくるのを肌で感じた。熱っぽい身体に悩まされるようになった年頃にも、まだ吹いていた。(略)

 二十過ぎに父親が七転八倒の末に息を引き取り、二度目の母親もまもんく再婚して行った家で二年と経たぬうちに急死した。それを便りに聞いた夜、西の地平は相変わらず、明いていたが、風はとうに吹きつけなくなっていた。(略)

 それはどうだろうか、と浮びかける疑問を私は頭の隅に抑えこんで、傾聴のかたちを取りつづける。

 ここには、「私」はいる。友人と共にいる「私」が対象化されている。「私」は〃そのとき〃の「私」の眼差しで友人を見、友人の話に耳を傾けている。「私」は、友人の話を聞いている〃とき〃と〃ところ〃に立っている。「私」のパースペクティブから、友人の語りを現前化している。友人が「私」に語りかけている口調を現前化している。そのパースペクティブは、「私」の目線と感情で、制約され、彩られている。このとき、「友人」の語りと「私」の視線は、「私」の〃いま〃に、「私」の遠近法の中で、等しく見られている。
 もちろん「私」が、「私」のパースペクティブを語るには、自分自身を対象化しなくてはならない。友人の話を聞いている「私」のパースペクティブを語るためには、その「私」を語るもう一人の「私」か「私」を対象化できる別の誰かを必要とする。そのためには、二つのことが考えられるだろう。一つは「私」が「私」自身の過去を振り返っているとき等のように、「私」自身が語り手になって「私」を語っている場合、もう一つは「私」は語り手に対象化されており、語り手が「私」をして語っているだけの場合、である。
 たとえば、〃いま〃何かをしている「私」を現在進行で現前させつつ語るには、そういう「私」を対象化して語る語り手を必要とする。しかし過去を振り返って、〃そのとき〃を〃いま〃として語るのであれば、「私」自身が自分を対象化することができる。「私」は〃未来からの視線〃となることで、語り手そのものになることができる。

 だが、そのどちらにおいても、「私」という目線を通した、「私」に制約された「私」のパースペクティブによってしか語ることはできない。とすれば、「私」の視線がとらえることができるのは、友人が「私」に向かって語っている側面、既に語られてしまったことしかとらえることはできない。友人の語りそのものを対象化できても、それは語られていることと語り口が写されるか再現されるだけで、友人が語り出すために見た、語りの中の〃そのとき〃と〃そこ〃、友人が向う側に見ているものは、見ることはできない。友人のパースペクティブに踏み込んで、それを自分のパースペクティブとするには、別の語りのパースペクティブを必要とするように思われるのである。
 もし、たとえば、友人の話に引き込まれて、自分の目で見たように聞き取ったシンパシーによって受け止めたことの顕われが、友人の〃そのとき〃を〃いま〃としたのだとしたらどうだろう。

 この場合二つのことが考えられる。一つは、共感という自分の心象そのものを友人の心象として外化し、そこに友人のパースペクティブそのものを見ているという錯覚のパースペクティブを対象化している場合、もう一つは、自分の鋭角化した感性が直覚的に友人のパースペクティブを自分のものとして見た場合である。前者の場合は、自分の感情の対象化にすぎないので、そこに見ているのは自分自身にすぎないから、これは自分の目線の延長線上にあるだけだが、後者の場合は、自分の感情が蜃気楼のように創りなしたものとはいえ、友人の語りそのものを対象化しているようにみえる。だが、もともとどちらも結果として友人のパースペクティブを写すことになることはあるにしても、結局は、自分の心象の対象化にすぎない。

 ただ、自分の心象風景になったシンパシーを対象化するには、共感している自分ではなく、共感している自分の見ているものを対象化しなければならないから、それを見ている「私」を対象化するだけではなく、「私」の見ているものを対象化しなければならないという意味で、二重化した対象化のようにみえるが、自分のパースペクティブになった友人のパースペクティブそのものを対象化するのとは異なり、〃そのとき〃の「私」を対象化することで、〃そのとき〃見たものを現前化できるように、「私」が幻に見たものもまた、〃そのとき〃の「私」を対象化した語りのパースペクティブで十分現前化しえるはずである。「私」の目線に制約されることによる障害はない。

 ただ、この「私」の創り出す心象の外在化は、「私」が外部のものを対象化したときの、常について回る幻想であり、「私」が語り出したときに、いつも結局「私」の外延化でしかないといういかがわしさをもっていることを、想定させるものであることは注意すべきかもしれない。つまり、「私」が自分の目線で語り出したことは、全てが「私」のパースペクティブでしかないということであり、それは外在化しているように見えても、疑似的なものでしかなく、「私」は「私」の誤解の対象化、「私」の感情の作り出した錯覚のパースペクティブを対象化しているにすぎないこともあるということにほかならない。それは、この作品全体、この作品の語りの構造そのものが、「私が……」と語り出されたとき、その目線を超えられないということのもっていたもともとの意味に含まれていることにほかならない。

 ま、それはともかく、少なくとも友人のパースペクティブを対象化するには、「私」のパースペクティブとは別の語りのパースペクティブを必要とするということなのである。つまり、友人の〃そのとき〃を語ることは、「私」が友人との会話を対象化するのとは少し趣が異なっているのである。「私」は、一方で、友人との会話を写し、他方でその会話の〃とき〃とは別の、友人の会話そのものの中へ入っている。とすると、「私」は、自分を対象化したり、会話を対象化したりするだけでは到達できないのである。「私」が会話の中の〃とき〃を対象化するためには、「私」の目線に制約されて、その会話に向き合っている「私」ではなく、友人の話の中の〃そのとき〃に向き合う「私」が必要となる、ということなのである。

 

U

 

このことを考えるために、もう一度冒頭の語りについて、別の視点から検討してみる必要がある。

 「原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐もない」と、語り出されたとき、そう言表されていることを語っているという語りのパースペクティブが与えられているだけだ。そしてまだ誰の言表で、それをどういう視線が語り取っているかも分明ではない。だから、こう語っているのが語り手自身であってもいいし、語り手が一緒になって覗いている誰かのパースペクティブであってもいい、この先どのように語りのパースペクティブを展開していってもいいように語り出されている。そこにあるのは、風に吹かれている〃そのとき〃〃そこ〃に立っていることを、誰かに言表しているにすぎない。
 しかし、次に、「、と友人はおかしそうに言う」と語られることで、友人が、自分の立っていた〃そのとき〃そこ〃について、語っている〃とき〃と〃ところ〃から振り返り、見ているということを、そこに立ち会っている誰かに語っている、そしてそれを「友人」と呼ぶ誰かが語っている、というように語りのパースペクティブが変わっていく。
 そこには、「、」を境にして、語られている〃とき〃、語っている〃とき〃、語られている〃とき〃と〃語っている〃とき〃の両方について語っている〃とき〃との三重の時空が語り出されてしまっている。

 初めの語り出しのもっていたパースペクティブは、風に吹かれている自分の立っているところでの視野であり、それを語っている語りのパースペクティブは、その自分を眺めている語りであり、その語りに立ち会っていた語りは、そのように友人が自分のあるときについて語っていることを俯瞰するパースペクティブで語っている、ということになる。これによって、そう語っている語り手は、友人の語っている〃とき〃にも、友人が振り返っている〃そのとき〃にも、視線が届いている。
 こうして初めて、語りのパースペクティブがはっきりさせられたのであり、それによって文体の視線の向きが決められたという意味で、文体のパースペクティブを確定したということができるのである。

 そして、わずかこの一行の示す、入子になった語りのパースペクティブは、古井の処女作『木曜日に』の冒頭のそれと同じ構造にある。

 鈍色にけぶる西の中空から、ひとすじの山稜が遠い入江のように浮び上がり、御越山の頂きを雷が越しきったと山麓の人々が眺めあう時、まだ雨雲の濃くわだかまる山ぶところの奥深く、幾重もの山ひだにつつまれて眠るあの渓間でも、夕立はそれと知られた。まだ暗さはほとんど変わりがなかったが、まだ流れの上にのしかかっていた雨雲が険しい岩壁にそってほの明るく動き出し、岩肌に荒々しく根づいた痩木に裾を絡み取られて、真綿のような優しいものをところどころに残しながら、ゆっくりゆっくり引きずり上げられてゆく。そして雨音が静まり、渓川は息を吹きかえしたように賑わいはじめる。

 ちょうどその頃、渓間の温泉宿の一部屋で、宿の主人が思わず長くなった午睡の重苦しさから目覚めて冷い汗を額から拭いながら、不気味な表情で滑り落ちる渓川の、百メートルほど下手に静かにかかる小さな吊橋をまだ夢心地に眺めていた。すると向こう岸に、まるで地から湧き上がったように登山服の男がひとり姿を現し、いかにも重そうな足を引きずって吊橋に近づいた。

 語り手は、ずっと引いた視点から、「山麓の人々が眺めあう」ような景観を、俯瞰する目で現前させ、それからゆっくりと温泉宿の主人へと焦点を絞り、その主人のパースペクティブの中に、登山服の男が入ってくるのを語っていく。そして、ふいに次のように語られる。

 《あの時は、あんたの前だが、すこしばかりぞっとさせられたよ》と、主人は後になって私に語ったものである。

 これもまた、『哀原』の冒頭の一行が示す、〃〜と、言う〃と同じ構造にほかならない。語り手は、語っている〃とき〃から、〃〜と言った〃主人の〜の中を、「風が吹いていた」と同じように現前化したにすぎない。そのとき、語り手は、〜の中に直接視線を這わせている。ここで、《私》は主人に聞いた話を、後から振り返って、主人が見ているように語り直している。その意味では、語っている〃とき〃にいる《私》が、主人の見ていたものを、そのまま主人の目で見ているふうに語っている。そこで見ているのは主人だが、語っているのは、《私》であり、それによって、《私》は〃そのとき〃に立ち会っているように見ているのにほかならない。

 だが、「風に吹かれていた」とあるのは、「私」との会話を対象化した、ただ「  」のないだけの直接話法にすぎず、語り手は友人の語りを写しているだけではないか、と思われるかもしれない。しかし、である。
 「見渡すかぎり、膝ほどの高さの草が繁り、交互に長いうねりを打っていた。風下へ向って友人はゆっくり歩いていた。」というとき、すでに友人の語りの対象化ではなく、友人の語っていた〃こと〃にまで、語り手の視線は届いている。すでに語り手は、友人のいた〃そこ〃に立って、友人を見ている。そういうパースペクティブで語られていることがはっきりしている。このとき、『木曜日に』の語り手《私》と同じことが起きていることは疑いない。

 両者の類比はさらに深い。続く「夜だった。いや、夜ではなく、日没の始まる時刻で、低く覆う暗雲に紫色の熱がこもり、天と地の間には蒼白い沼のような明るさしか漂っていないのに、手の甲がうっすらと赤く染まり、血管を太く浮き立たせていた」からは、『木曜日に』の語りの視線が、主人の視点に入り込んだと同様、語り手の語りは、友人のパースペクティブに滑り込み、友人のパースペクティブに滑り込み、友人の視点で、友人の見るものを見、感じるものを感じている。そして、

 ……しかし風が背後でふくらんで、衰えかけてもうひと息ふくらむとき、草は手前から順々に伏しながら白く光り、身体も白く透けて、無数の草となって流れ出し、もう親もなく子もなく、人もなく我もなく、はるばるとひろがって野をわたって行きかける。野狐が人間の姿を棄て、人間の思いを棄て、草の中に躍りこむのも、こんなものなのだろうか、とそんなことを友人は考えたという。

まできて、「、と主人は後になって私に語ったものである」と同じ構造になっていることが、よりはっきりする。そして『木曜日に』では、主人の話を聞いていた〃とき〃の《私》が語り手ではなく、その《私》をも対象化する〃とき〃から語っているもう一人の《私》がいるのと同様、

  夢だったのだろうね、と私は毎度なかば相槌のような口調でこたえる。

 の「私」は、語られている「私」であって、語り手自身ではない。しかも、「毎度」とあるように、「風がふいていた、……と、そんなことを友人は考えたという」までの、友人の語りは、一回きりの友人と「私」の会話の写しでないことも、「私」を対象化している語り手が別の視点から、その友人の語りそのものの対象化をしているらしいことを窺わせるはずである。
 つまり、語られている「私」を語っているのは、時間的に以前のことを、そして既に知っていることを、語っている「私」である、ということにほかならない。その意味で、それは、「私」の〃未来からの視線〃であると同時に、〃既知のパースペクティブ〃であるということができる。そういうことを語るとき、我々は、一般的に、俯瞰した視点で語ることができる。ここで、「私」を語り、友人の〃そのとき〃を語っている「私」について、語っているのは、そういう「私」にほかならない。

 ただこの場合だけは、もう少し複雑な事情がありそうである。

 ……あの七日の間、……連夜私の家へかけてきた電話には酒場のざわめきがこもっていたように聞えた。二度目の電話のあとで私は細君から問合せを受けて、彼が一昨夜から家にもどらないこと、肺癌の宣告を受けていて、しかも若いだけに早くも初期段階を過ぎていることを知らされた。

   (中略)

 暗い野原で風に吹かれていた話を最初に聞かされたのも、夜中の電話だった。今度こそは帰ってくる、と私はその後でなぜだか静かな確信に満たされて床にもどったが、明け方近くに目を覚まし、ほんのしばらくの間ではあるが身をこわばらせた。あの男、ひょっとしてほんとうに人を殺して、ひょっとして心中の片割れとなって、うろつきまわっているのではないか、と考えた。友人の妹が十何年か前に男と心中したことからの連想ではあった。一日おいて、朝早く友人は腑抜けのようになって家に帰り、その日のうちに病院に入れられた。

つまり、友人から話を聞かされたのは、これが最初ではないのである。友人が病床で語りかけている話を、〃そのとき〃〃そこ〃で「私」が再構成しているだけではなく、「私」はかつて(おそらく何度も)聞かされた話をも再構成している、もう一つの視線をもっている。

  夢だったのだろうね、と私は毎度なかば相槌のような口調で答える。

 という、「私」の友人の語りへの返事にもそれはそういうことの顕われとみられる。
 友人もまた何度も語るうちに、それ自体を想い出語りというよりは、外在化された物語のように語っていく。二人が中空に描くように〃そのとき〃〃そこ〃を語り出し再現したものでもある。自分のパースペクティブで語ったことも、別人の語りのように、対象化されている。
 ここに、俯瞰する視線が感じられるとしたら、それは「私」だけではなく、友人と共作の語りだからかもしれない。二人して〃未来からの視線〃で、〃そのとき〃と〃そこ〃を俯瞰している。二人して既に知っていることを何度も繰り返し見ている、外に実在するように見ている。それは、前述の〃偏ったパースペクティブ〃に対比すれば、〃既知のパースペクティブ〃と呼ぶことができるかもしれない。だからこそ、「私」は私的なパースペクティブではない、別のパースペクティブをもったように感じられるのかもしれない。
 だから、もう一人の「私」は、友人の語りかける傍らにいる「私」を対象化するのとは別の、既にそれ自体が別の時空のように、既に知っている共通の想い出の中の体験のように、お互いに対象化されている語りのパースペクティブを、取り出したというのに近いのかもしれない。  
 しかし、二人しての想い出語りではなく、想い出されたものの現前化を語るためには、それを対象化できるもう一人の「私」の視線が必要である。その「私」は、友人と語っている〃とき〃を〃いま〃として見ている視線と、友人の話の中の〃そのとき〃を〃いま〃とする〃未来の視線〃との入子になった視線をもっているということにほかならない。
 そうして見ている「私」は、友人と向き合っている何回かの〃とき〃と、それを振り返り対象化して語っている〃とき〃とをもっている。その俯瞰する視点で、友人との会話の〃とき〃を対象化している。しかし、その友人の話の中の〃そのとき〃を対象化するには、もう少し「私」の語りの転換が必要である。友人の会話を対象化する「私」の目線からでは、語りの中の〃そのとき〃を対象化できないのである。

 つまりこの語りは、直接話法の、語る友人と聞く「私」を直接対象化しているのでも、また〃〜、と言う〃というときのように、「私」が友人の語りを間接話法に対象化しているのでもない。前者では、語っている友人と聞いている「私」を対象化して、「私」のパースペクティブに収めているとすれば、後者は、聞いている「私」を通して対象化された友人の語りが、「私」のパースペクティブの前にある。前者では、「私」も友人もその会話の〃そのとき〃にいる。しかし後者では、会話を対象化している「私」の語りの〃とき〃に友人も「私」もいる。このいずれによっても、友人の語りの中の〃とき〃へは「私」は届かないのである。
 友人は、〜の中で、彼がいた〃とき〃と〃ところ〃を語っている。そのとき、彼は〃そこ〃に向き合っている。彼の向き合っているものを「私」は語ることができない。「私」は、彼が語ったことに向き合うだけだ。その「私」は、彼の語っている〃ここ〃(直接話法)か、「私」の語っている〃ここ〃(間接話法)にしかいない。
 だが、「私」のいる〃いま〃〃ここ〃で、「私」は友人の話を聞いている。「私」は、友人も友人の話をも、見ている。友人の過去の〃そのとき〃〃そこ〃を振り返り、未来からの視線で、眼前に見るように語っていたパースペクティブに添って、「私」は友人の〃そのとき〃そこ〃に滑り込み、「私」は、自分の〃いま〃を語りながら、同時に友人の〃そのとき〃にも、友人と一緒にいる。いや友人のパースペクティブを自分のパースペクティブとして、見ている。
 その両方を、並列に見ている「私」は、友人の語っている傍らにいる「私」ではない。 友人の〃そのとき〃に同化している「私」も、もう一人の「私」の分化したものにすぎない。つまり、その「私」は、自分のパースペクティブの中に、友人のパースペクティブを入子として、その両方を貫く視線となって語っているのにほかならない。

 確かに、一見「私」は、友人のパースペクティブを借り、「私」の視線でなく、友人の視線で語っているとき、「私」の視線は退けられているようにみえる。しかし、それを現前させている語りは、「私」のものである。「私」が、友人の話から、〃そのとき〃と〃その場所〃に立っているように語っている。「私」が、友人の〃そのとき〃と〃そこ〃に立ち、友人の感覚でそれを感じ、友人が見るものを見ている。〃そこ〃に「私」はいないが、それを語っているのは「私」だ。
 そうすると、この〃もう一人の「私」〃、つまり〃未来からの視線〃としての「私」は、一方で、「私」の目線を通して、友人との会話を対象化すると同時に、友人の〃そのとき〃を語るとき、「私」は「私」の眼差しを捨てて、つまり、「私」が語るという語りのパースペクティブを捨て、別のパースペクティブ、たとえば俯瞰する視点をもったことになるのではなかろうか。ちょうどその友人を主人公にした〃物語〃の語り手になって、その語り手のパースペクティブで、友人のいる〃そのとき〃と〃そこ〃を現前化している、とでもいうように。

 これは、「私」がどう視線を浸透させていくか、逆に言えば、「私」がどう、〃とき〃の異なる〃そのとき〃を対象化していくかをみることで氷解するはずである。
 まず、「私」は、語っている〃とき〃から、直接〃そのとき〃の会話を語る。この直接話法として対象化したとき、友人の語りと「私」それを聞く「私」を、次のように、「私」のパースペクティブで、現前化している。

 冒頭のように、

 見渡すかぎり、膝ほどの高さの草が繁り、交互に長いうねりを打っていた。風下へ向って友人はゆっくり歩いていた。夜だった。いや、夜ではなく、日没の始まる時刻で、低く覆う暗雲に紫色の熱がこもり、天と地の間には蒼白い沼のような明るさしか漂っていないのに、手の甲がうっすらと赤く染まり、血管を太く浮き立たせていた。

 と、友人のいた〃そのとき〃を現前させるのではなく、

 自分があの七日間に何をしたか、覚えがないとは、俺は言わんよ。今は細かいことを思い出せないが、だからと言って、責任を逃れはせんよ。女のところへ逃げて、また女房のところへ逃げてきた、どちらかを疎んだその分だけ、どちらかに惹かれる、ということではないんだ。

 という、友人の、「私」への語りかけとして現前させるはずだ。このとき「私」の語りは、それを聞いていた「私」と同時に、友人の語りを、語る友人になって、友人の語りを現前化させている。だが「私」は、「私」に語りかけている友人の語りそのものを自分のパースペクティブでとらえてはいるが、その語りの向こうを見ているわけではない。あくまで「私」に向かって語りかけている語りそのものを、「私」のパースペクティブによってしか見ていないから、その制約の中でその口調と意味を対象化しているだけだ。

 その意味で、この対象化された直接話法は、知覚による対象化と言うことができる。
 一方、「私」による、次のような友人の対象化は、

 厄年というのはあるもんだね、と友人はそんなことをつぶやく。危険な話題に私は尻ごみしかけるが、相手の回復者の口調はやはり破れていない。人さまざまなのだろうがね、と友人はことわってから、ぽつりぽつり話し出す。

 と、友人の話を、語っている「私」の〃とき〃で整理した、間接話法による語りは、友人の語りの口調をかなり残しているか、友人の語りの視線を残しているか、あるいは全くその意味だけを残しているか、という差異はあるが、その語りが、語っている「私」のいる〃とき〃からの俯瞰した視線によって対象化され、語りそのものを引き写すのではなく、語られている意味・内容を一旦「私」によって要約ないし整理されているとみなすことができる。だから、友人は、「私」が語っている〃とき〃にいる。だからその友人は、語っている「私」のパースペクティブで制約されていることになる。この意味で、対象化された間接話法による語りは、概念化による対象化と言うことができるだろう。

 「私」は、どれだけ「私」を対象化しても、結局「私」の視線からは出られない。「私」のパースペクティブの中から出られない。とすれば、「私」は「私」のいないところについての現前化を語り出すことはできない。
 直接話法では、語られている〃そのとき〃の「私」の目線で制約されていたとすれば、間接話法では、語っている「私」の目線に制約されている、ということができる。
 そして重要なことは、そのどちらもが「私」の見たこと、聞いたことであるという意味で、〃既知のパースペクティブ〃であるということだ。〃そのとき〃のいずれにも、「私」はいる、ということだ。

 それに対して、友人の語りの中の〃そのとき〃には、「私」はいない。いない〃とき〃について、「私」は語っている。そこには、「私」の視線だけが見た〃未知のパースペクティブ〃がある。友人の語ったことの向こうに、見えないものを見た、〃不在〃を語るパースペクティブがある。「私」の視線だけが現前化させたパースペクティブがある。そのとき「私」は、友人(後半の女性も同じだが)の語りの向う側を、ちょうど作品の語り手が作品に向かうように、向き合っていた、ということができる。あえて言えば、友人(女性も)の七日間について、物語る語り手の位置に「私」はいた、そしてその位置から、「私」の感覚で、人形遊びで子供の想像力で命を吹き込まれる人形のように、友人の話を蘇らせたということができる。それが、「私」が、いつもこの語りの中で立会人の役割しか果していないことの意味でもある、と見なしていいだろう。
 それを我々は、作品の語り手がそうやって作品を語り出すように、想像力による対象化と呼ぶことができる。それは、語り手が、まだ語り始めないときに、もともと作品空間を前にして手にしていたパースペクティブにほかならない。

 だから、冒頭の語りに、我々は、彼の語りを入子にして、〃「□」と言う〃という、直接話法の対象化の語りから始まって、「私」はまず友人の語りの傍らにいて、次いで「私」は語っている〃とき〃から、友人の語りを俯瞰し、「   」抜きの、間接話法による対象化へと移行し、その視点のまま、友人の語りの向こうの〃未知のパースペクティブ〃を現前化していった、という視線の転換をみることができる。
 そして、この視点の転換は、「私」が語っている〃とき〃と「私」が友人の傍らにいる〃とき〃と、「私」が友人の語りの向う側に見ている〃とき〃の三重の時間の層を意味し、それは同時に、語っている「私」のパースペクティブの中の、友人と話している「私」のパースペクティブの中に、友人のパースペクティブを自分のものとして見ている「私」のパースペクティブが三重の入子になっていることをも意味している。
 そして、我々は、前節で、パースペクティブの入子、つまり「私」の語りの視線の多層性、つまりどれだけ遠くまで「私」の視線が浸透しているかを見たのであり、本節では、「私」からの対象化の構造、入子のパースペクティブをもたらす「私」の認知構造の深度を見たのであり、このいずれもが、コインの表裏であり、対になっていることは、既に見たことから明らかである。

 だから、『木曜日に』の冒頭、主人の〜の現前化が、まるで物語の書き出しのように見えたのも故のないことではない。また、友人の語りの〜の中もまた、同様である。先入観なく、この□部分だけを抜き出してみると、その様相は一層はっきりするはずである。

 原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐もない、……見渡すかぎり、膝ほどの高さの草が繁り、交互に長いうねりを打っていた。風下へ向って友人はゆっくり歩いていた。夜だった。いや、夜ではなく、日没の始まる時刻で、低く覆う暗雲に紫色の熱がこもり、天と地の間には蒼白い沼のような明るさしか漂っていないのに、手の甲がうっすらと赤く染まり、血管を太く浮き立たせていた。凶器、のようなものを死物狂いに握りしめていた感触が、ゆるく開いて脇へ垂らした右の掌のこわばりに残っていた。いましがた草の中へふと投げ棄てたのを境に、すべてが静かになった。

 これが、「私」の視線だけが紡ぎ出した〃とき〃と〃ところ〃の現前化にほかならない。
 だが、問題は、語りのパースペクティブが、「私」の〃いま〃と友人の〃そのとき〃という位相の違うものが、「私」からの遠近法なしに、同列に、同次元に語られているということだ。入子になったパースペクティブが、劃割りのように、同一次元で並べられている、ということだ。この並列化された語りのパースペクティブは、どこからくるのか。

 「私」は、確かに友人のパースペクティブをも貫く視線となっている。「私」がその全てを語り出している。しかし「私」が語っている以上、「私」はそれを並列に見ることはできない。語っているものは語られることはないからだ。つまり、それは入子になっている「私」のパースペクティブを見る視線、つまり、作品の中で、〃未来からの視線〃をも対象化する「私」があるのか、作品の語り手の視線かのいずれかと考えるほかはない。
 「私」がどれだけ後方に下がって、そこから〃未来の視線〃となろうと、「私」が友人との会話の〃とき〃を前方へ、過去のことへと繰り下げているだけのことであり、それは、「私」が語っている〃とき〃を未来へと繰り上げても、「私」が作品空間の外へ出て、語り手になることはできない。

 これは、言い換えると、入子になっているパースペクティブを現前化しているのは、作品の語り手に対象化されている「私」なのか、「私」を対象化している作品の語り手なのか、ということと同じことだ。前者であるとすれば、「私」は、「私」のパースペクティブの中で入子にしている友人のパースペクティブを、並列にするもう一つの視点をもっているということであり、後者とすれば、友人の話を聞いている「私」の〃とき〃と、友人の話の中の〃そのとき〃の現前を、それぞれ作品の語りの中で別々に対象化させる視点をもっていたのであり、これは、語り手が、「私」をして、そのようなパースペクティブを取らせているのか、語り手が「私」のパースペクティブと友人(女性)のパースペクティブを同列に対象化しているのか、あるいは作品そのものの構造なのか、作品の構成なのか、と言い換えても同じことだ。

 そして、これは、我々が前に、友人の〃そのとき〃を現前化させている視線と友人の傍らにいた「私」との区別を検討したことと同じことだ、ということにすぐに気づかれるに違いない。この意味することは、友人の〃そのとき〃の語りが、作品そのものの語りと二重構造になっていることを間接的に証している、ということにほかならない。

 作品の語り手は、それが擬人化されていても、ただ眼差しだけであっても、語り手として立たされたとき、すでに作品空間にどう向き合うかという、自分のパースペクティブを与えられている。そのパースペクティブは、語り手には選択の余地はない。だが逆に、語り手のパースペクティブによって初めて、作品空間の遠近法が決まるのでもある。語り手が立つ前に、作品空間はあるが、語り手がいなければ、それは現前しない。《見るもの》がいなければ《見られるもの》は存在しえないが、《見られるもの》がいなければ、《見るもの》もまた存在しえない。それは、《語るもの》と《語られるもの》と言い換えても同じことだ。

 語り始められたとき、《私は(が)……》では、語り手は、作品空間に自分を外化し、その「私」に限定された目線をもって語り始めたのであり、《義男は(が)……》では、語りの視線は、対象化された作品空間にいる《義男》について語り始めたのであり、擬人化された語り手でない限り、いずれにおいても、語り手が作品空間の中に「私」か《義男》を対象化して眺めていることに変わりはない。しかし、そこには大きな違いがある。

 「私」を対象化したとき、語り手は、語っている〃とき〃と〃ところ〃から、対象となっている「私」の〃とき〃と〃ところ〃を見ている。それは「私」の〃未来からの視線〃であり、いわば「私」の内的視線である。ということは、語り手自身を分化しただけであり、自己外化でしかなく、どこまでも「私」自身を見ている。《見ているもの》も《見られているもの》も、「私」でしかない内的な視線は、入子になって一貫する。《見られているもの》は《見るもの》であり、その《見るもの》はまた《見られるもの》であり、という円環になるだけだ。

 それに対して《義男》を対象化するのは、作品空間の中に《義男》を突き放し、作品空間ごと語り手が向き合うことを意味する。それは、語り手の視線が、《義男》の外からくること、つまり外部の視線であるということにほかならない。

 《見られている》「私」が同時進行で《見る》「私」であるとき、その矛盾は大きくなる。《義男》と語り始めたとき、語りは二つの視点をもつことができる。一つは、義男自身のパースペクティブに滑り込み、「私」を語るように語ることができる。しかし同時に《義男》と名づけることで、語り手は《見るもの》となり、《義男》は《見られるもの》となる。それは、《語るもの》と《語られるもの》とが距離をもったことにほかならない。 では、語り手が自分を語っているときは、どうなるのか。自分を語るためには、自分を対象化する語り手がなくてはならないように、語っている当事者は誰かにそれを対象化してもらわなくては、語られることはない。つまり、語っている人間は語られることはできない、ということだ。

 だが、それを語り始めるためには、我々は、もう一つ大事なことを忘れてはならない。たとえば、鏡を見ている自分を語るとき、「私は鏡を見ている」と語った「私」は、鏡を見ている私を対象化するだけでなく、そう語り出す「私」をも対象化している、ということだ。つまりその「私」は、「鏡を見ている私」を見ている私について語っている「私」、ということだ。鏡を見ている「私」を外から見る自分について語る「私」を設定している、ということにほかならない。
 ということは、常に自分について語るときは、語られる自分と語る自分の、既に二重構造化した自分を立てている、ということにほかならない。

 とすると、たとえば、入子になっている自分について語るときは、それが自己分裂でしかないことを知っている視点を必要とし、それを語る自分を更に設定するということを意味するし、またその全体が自分の自己分裂のもたらしたものであることを語ることは、その全てを貫く視点で自分を対象化する、後方の視点を必要とすることであり、それを語ることは、その自分をも対象化する自分を設定することにほかならない。したがって、全てを知っている視点、つまりその全ては自己分裂であり、それを統御する後方の視点で見ているときも、それを語るときには、その後方の自分が語るのではなく、それを対象化する自分が、語り手として設定される、ということにほかならない。

 このことは、逆に言うと、語り手とは、そのときの自分のパースペクティブを対象化して語ろうとする自分、向き合っている視野を語ろうとするとき立てるもう一人の自分、ということができる。語ろうとするとき、語られる自分を語るために、もう一人の自分を必要とするということにほかならない。
 敢えて言えば、我々は、何かを語るとき、語られるものの行方を見届ける、釈迦の掌になっている、というべきなのだ。語り手だけが、その時空の奥行きと限界とを知っている。またそういう語り手が、その全てを知っている語り手というべきなのだ。

 作品の語り手は「私」を語るとき、「私」のパースペクティブの限界に画されてしか語れない。しかし、「私」の外に分裂して、相手のパースペクティブに滑り込み、相手の目で見るとき、「私」を離れた俯瞰する視野を手にしている。それは、語り手が、もともと作品空間を前にして語り始めようとするとき手にしているパースペクティブだ。
 そこで、「私」の背後に、「私」について語る、「私」を対象化するもう一人の【私】を想定しても、また「私」自身がそのとき俯瞰する視点に分離したと考えても、いずれにしても、同じことだ。それは語り手自身の自己分裂が、語り手自身の自己分裂とみるか、語り手が「私」の自己分裂全体を対象化しているとみるかの違いにすぎないからだ。

 「私」が入子のパースペクティブの並列を語っているとしたら、その「私」自身を語るべきもう一人の【私】を語り手として、作品の外にもっていなくてはならない。それを作品の語り手と呼んでも同じことだ。それが、「私」を対象化して、語り出させたということにほかならない。そして、語り手が、「私」の〃いま〃と友人の語りの〃そのとき〃とその語りの中の〃そのとき〃を並列して、いずれも〃いま〃として再現してみせていることになる。それは、「私」の〃いま〃の中に、友人の〃そのとき〃を突出させたことにほかならない。「私」が話を聞く〃いま〃よりも〃そのとき〃を差別化して並べ直したと言ってもいい。

 それは、その全てを「私」をして語らせることで語り出して、この『哀原』という作品を紡ぎ出している語り手が、「私」をして作品の中の〃もう一人〃の語り手にするという、語り手を二重構造化したということの意味でもあるはずである。それは、友人が自分についての語り手になっているという意味では、三重構造になっているとさえいってもいい。つまり、友人が自分の過去を語り手として語り(これは後述の女性も同じ)、「私」は〃そのとき〃を語り手として語り、その全てを語り手が語っている、といったように。
 そして既に我々は、前述の問いの答も得たことになるはずである。即ち、入子の並列は、一方で語り手にとっての作品構成上での必要性があることであり、また他方では入子は作品の語りの構造上もたらしたものである、というように。

 いずれにしても、なぜ語り手は、こういう複雑な現前化を必要としただろうか。その答は、次節以降で全体を検討してみることではっきりしてくるはずである。

 

V

 

さて、友人が「腑抜けのようになって家に帰」った翌朝、女性が「私」に電話してきた。「もしもの時にはまずここへ連絡するように彼に言われた」からと、「一週間前から気の触れた彼を付ききりで守っていたところが、昨夜の明け方近く、落ち着いた様子なので自分もつい深く眠りこんだ隙にアパートから抜け出され」て、一日たっても戻らない、自殺のおそれがあると、女性は涙声で「私」に訴えたが、「とうに自宅に帰った旨」聞かされて、「そうなんですか」と、その場は電話を切ってしまったが、その女性と、後日「私」は話す機会を得る。

 そうして、女性の語りが始まる。それは、ちょうど、「原っぱにいたよ、風にふかれていた」の、前節でみた□の部分にあたる多層化した語りの特色が、ここでより一層徹底されていくことになる。ただそこには、微妙な語りの差異がみられることだけは、検討しておかなくてはならない。

 友人の語りの構造は、「私」と友人との話が、「毎度なかば相槌のような口調で答える」にはっきり顕われているように、何回か繰り返された語りが、「私」の語っている〃とき〃から振り返られる「私」の語りの中で、まるでいつも繰り返された語りそのものの象徴のように、〃いつ〃と特定できない〃とき〃に、友人の語り全体を抽出した語りのように、「私」に語り出されていた。その意味では、全体が、「私」の概念化したパースペクティブの中での間接話法になっていて、その中で重要な、「私」にとって印象的な、友人の語りだけが直接話法や〃そのとき〃の現前化で際立たされ、浮き上がってくる、という構造になっていた。それは、七日間が友人の意識にとって、「夢なんだろうね」という夢と現のあわいにあったことを、「私」の語りが顕わしているかのようである。

 それに対して女性との会話は、女性にとってそれが正気の、「苦しみを一緒させてもらって、感謝している」女性の意識を表すように、直接話法で、区別されている。

−いろいろ考えなくてはならないことがあるんでしょうが、わたしはこれで満足なんです。

−神経をつかってくださるのはあの人のほうなんです。わたしは無神経な女なんです、人にたいする感覚の、どこかしらが欠落しているんです。

−最後にはかならず、亡くなった妹さんの話になりました。

−わたし、苦しみを一緒させてもらって、感謝しているぐらいなんです。あの人のお陰で、母の年を越える覚悟がつきました。

−そう、あの人は、死ぬんですか。

−ひどいじゃありませんか、そんな仕打ち……。

 この直接を並べてみると、女性の七日間の気持が直截顕われていることがよくわかる。この直截の言辞が、彼女の〃そのとき〃を振り返った語りの節目で現れる。それは、一方で彼女の語りに同時進行の趣を与え、他方で彼女の語り全体に、そうした感情を浸透させ、そういう彩りを、〃そのとき〃に浸透している「私」パースペクティブにも与えることになる。そのため、「私」のパースペクティブは、友人の語りを対象化したときに比べて、概念化した間接話法においての視線でも、格段と女性の視線の向きに規定されたものになっている。それは、「つかのまかすかな感動を覚えた」「私」の女性への感情を反映している、と言えるかもしれない。

 こうした「私」の語りのもっている多少の〃ずれ〃を別にすれば、「私」の語り出すパースペクティブの同様に複雑な多層性が、一層徹底されていることが見てとれるはずである。

 それは、まず、次のように始まる。

 やはり三十すこし前の、地方の親もとから見限られ、自立して暮らす賢そうな女性だった。友人との関係が始まったのは二年も前のことで、ふた月ほどは毎週のように外で逢ったり部屋へ来てもらったりしていたのが、或る日を境に、彼女から見れば何の前触れもなしに、友人は電話を寄越さなくなった。こちらから勤め先のほうへ電話をすると、今週は忙しいので来週になったら連絡する、と逢っていた時とまったく同じ口調で答える。彼女のほうも人に迫ることのできない、迫られていると感じさせるのが厭な性分なので、ときたま声を聞くだけの電話に限るようになり、しつこくもしなかったのに避けられたことを一人苦しんで、……生活のほうも多少荒れ、一時は顔つきが変るまでになった……。

 初めの「やはり三十すこし前の、地方の親もとから見限られ、自立して暮らす賢そうな女性だった」は、会った〃とき〃に「私」の眼差しがとらえた女性の姿で、「やはり」とあるのは、友人の「《女癖》については私は多少知るところがある云々」に符合する既知のタイプだったからにほかならない。その意味で、この語りからは、「私」が女性を俯瞰する視点でとらえていることが窺えるのである。「私」が女性と会っていた〃そのとき〃を〃いま〃として現前させて語っているのではなく、〃そのとき〃を語っている〃とき〃を起点として、そこからの〃未来の視線〃で概念化した対象化をしていることが分かるのである。

 そのことは、続く「友人との関係がはじまったのは二年も前のことで」も同じで、女性から聞いた話を「私」が要約し、「私」が彼女の話を聞いていた〃そのとき〃を対象化できる時点にいることを示している。

 この視線は、女性を「彼女」と指示しながら、友人は「彼」とは指示しない。あくまで友人と呼ぶことで、「私」からの概念化した語りであることを示すと同時に、「友人は電話を寄越さなくなった」「こちらから勤め先のほうへ電話をする」といった女性の視線の向きに偏りがちな「私」の語りのパースペクティブを俯瞰する視点へと引き戻し、「私」はかろうじて両者を当距離において眺めるパースペクティブをえていることになる。

 ここで、友人を「彼」と指示すれば、「私」の視線は、女性の語りのもっていた視線の向きをそのままに、女性が語る視点に寄り添って要約していることになるだろう。

 句読点で区切った次の「ふた月ほどは毎週のように外で逢ったり部屋へ来てもらったりしていたのが、或る日を境に、彼女から見れば何の前触れもなしに、友人は電話を寄越さなくなった」は、「来てもらったり」にある女性の口吻と、「或る日を境に彼女から見れば」とか「自分には男女のことはよくわからない」とある「私」の〃いま〃に立った要約が同居している。彼女は「私」に過去を語り出そうとし、語っていくうちに、過去の〃そのとき〃と語っている〃いま〃とが混在する。それを突き放し、概念化による対象化をしているはずの「私」が、彼女の過去へ遡る語りに寄り添って要約していくうちに、彼女が語る〃そのとき〃に直接触れてしまったというようにみえる。女性の話を要約している中に、女性の過去がふっと顔を覗かせたというべきかもしれない。

 それは、「私」が彼女の語りを対象化していたはずなのに、語る「私」が語られる彼女の視線に逆に浸透され、彼女が「私」をして語らせているというようになってしまっているのである。彼女の語りを対象化していたはずなのに、見えないはずの〃そのとき〃を、彼女の語りにつられて語り始めている。それは、彼女の語りの対象化から、彼女の〃そのとき〃へと転移しかけている、とみることができるかもしれない。間接話法で「私」のパースペクティブにおき直したはずなのに、彼女が自分の視点で語った〃そのとき〃と〃そこ〃に「私」の視点でなぞり直したはずの語りのパースペクティブが、届いてしまったというべきかもしれない。

 だが、もともと彼女の語りが、間接話法で対象化されたものにならざるをえないのである。だから、事情は逆だ、とも言えるのである。彼女が過去を要約して語っていたのに、「私」がそれを対象化する過程で、〃未知のパースペクティブ〃となって、それを補うことによって、〃そのとき〃を現前化させてしまった、それが「私」の概念化した対象化に〃そのとき〃を滲み出させてしまった、というように。

 ここが、友人の語りを対象化するときとの違いにほかならない。「私」は語る〃とき〃から〃既知のパースペクティブ〃で、友人の語りを対象化するとき、語りの意味を掬いとることはしやすいが、語っていた〃とき〃の友人の過去への視線まで掬い取ることは難しい。既に「私」は「私」のパースペクティブで語っていた〃とき〃を対象化しようとしているからだ。そのパースペクティブの中で、直接話法による対象化をしても、事情は同じだ。

 しかし、同時性の擬制の中で、彼女の語りを対象化しようとすることは、概念化した対象化にもかかわらず、彼女が過去を語る〃とき〃とその彼女の語りを対象化する〃とき〃とを近接させることになり、擬制的に「私」の視線はそこを語っている〃いま〃とせざるをえず、視点の俯瞰化が十分できず、〃□、と語った〃と語る「私」は、□の中にある彼女が過去を物語る視線の向きの残像を残したまま、それを対象化することになり、「私」の語りがより彼女の語りの視線に引き摺られやすくなる。あるいは対象化する「私」との距りがうまくつかめない、というように。

 だから、その次にふいに、彼女が「私」に語っている〃とき〃ではなく、彼女の語っていることが起こった〃とき〃、友人がやってきた〃そのとき〃が現前させられたような語りへと転じていくように見えることになる。間接話法による対象化なのに、「私」は〃そのとき〃に立ち会っているような語りをしてしまっている。

 そのまま一年あまり経って、気持も落着きかけた頃、或る晩、友人はアパートに電話をかけてきて、近くまで来ているのだけれど寄ってもよいかとたずね、三十分も待っていると、疲れはてたような顔つきで入ってきて、ああ、ここはやすまる、と彼女のそばに寛いだ。彼女のほうも胸の底からほっとして、その間のことを忘れてしまった。

 これは、しかし、冒頭のような、〃そのとき〃〃そこ〃の現前ではない。彼女の語りに含まれていた〃そのとき〃の友人の語りの口調に、「私」の視線が届いてしまっただけだ。そのため彼女の語りを対象化し要約した「私」の語りに、〃そのとき〃が覗き出てしまっただけである。だから、「私」の視線は、冒頭の原っぱのように、〃そのとき〃には届かず、あくまで「私」の語っている〃とき〃に留まっている。
 しかしこれは、「私」の語りが、彼女の語りの視点、彼女から見た友人についての語り、彼女のパースペクティブへと、すこしずつ転移している兆候でもある。

 だから、再び始まった友人の来訪は、「彼の来訪」と語られ、彼女の視線で見た友人に変わり、そのまなざしで、「月に一度の間隔を置いて、規則正しく繰返される」ことを語っていくようになる。

 彼は彼女の身上話を細かに聞いてくれる。彼女は他人に自分のことをめったに話さないほうで、自分でも自分の過去にひどく冷淡だったのが、彼に導かれると、自分でこうも驚くほどいきいきと身上を話せるようになり、……彼は宵の口にやってきて、夜中の一時を回ると手早く身支度を整え、若い人のような軽い身のこなしで帰って行く。彼女は別れ際に粘りつかないように心がけて、話を聞いてもらっている時の気分のまま眠りにつく。

 ちょうど、〃いま〃語っている彼女の話を要約すると、彼女の語りだけでなく、彼女の語りの視線まで対象化してしまった、というように、「私」の語りは彼女の語りの浸食を免れていない。それは、語っている「私」語りが語られている彼女の語りに浸食され、その語りに語られてしまっている、というほうが適切かもしれない。彼女の語りを対象化して、直接話法なら、彼女の語りに移行して語っており、間接話法なら、距りをおいて「私」のパースペクティブに置き直しているはずなのに、「私」は彼女の語りの視線を「私」の語りの中に二重写ししてしまっているようだ。それは、「私」を対象化している語り手自身の語りのパースペクティブをも浸食している、というべきかもしれない。

 −いろいろ考えなくてはならないことがあるのでしょうが、わたしはこれで満足なんです。あの人もわたしのことを月一度のかぎりでは好いていてくださる、と思っていますから。それ以上のことは、わたし、人間が恐いんです。

 三十近くとは言え、まだジーンズの似合う、年よりはよほど若い女性の、そんな控え目な言葉に、私はつかのまかすかな感動を覚えたが、その反動か、友人にたいする腹立ちがうねり寄せてきた。私の知るかぎり、あの男はこういう女とばかり関係を結ぶ、というよりも、関係した女たちをすべてこんなふうに、自我の粘りをどこか洗い流されたように変えてしまう。

 友人との出会いを語った彼女の語りを対象化した「私」は、語っている〃いま〃の彼女の語りを、直接現前化する。それが、ちょうど彼女自身の、友人への感情を、まとめのように顕わすことになる。それは同時に「私」の語っている〃とき〃のような擬制の中にある。このとき語り手は、「私」のパースペクティブでみた彼女像を、彼女自身の語りで照応させようとしているようにみえる。

 「関係した女たちをすべてこんなふうに、自我の粘りをどこか洗い流されたように変えてしまう」と見なす「私」に対し、「泣き笑い」の表情とともに、友人を庇うように、しかし結局「私」が見なした通りのイメージでしかないことを顕わしてしまうことになる、女性自身の語りが、続いて直接現前化される。

 −神経をつかってくださるのはあの人のほうなんです。わたし無神経な女なんです、人にたいする感覚の、どこかしらが欠落しているんです。

 そして、そこから友人は、「私」の語りの中で、「彼」と指示され、一層そういう彼女の感情に染められた語りへとスライドしていくことになる。

  部屋へは最初に彼女のほうが、困惑する彼にだだをこねるようにして来てもらった。

 ついで、「私」の彼女の語りを要約する語りの中に、友人の語りを彼女が間接化した語りが、二重化して炙り出されてくる。

 彼女が小さな洋服ダンスの扉を細目にあけて、彼の視線を背中で遮るようにして中の物を探していると、妹があったんだよ、とだしぬけに教えた。そしてその夜は終始心ここにない目つきで、二十七の年に妻子ある男と死んだ妹のことをぽつりぽつりと話した。

 ここまでは、彼女の語りを間接話法によって対象化した語りとなっている。しかし、

 その何カ月か前から、妹は深みへはまって行くのがさすがに心細かったように、兄のアパートへのべつ現われ、相談を持ちかけるともなく身の回りの世話をあれこれ焼きながら、兄にたずねられるのを待っている様子だったが、兄のほうも我身のことでいっぱいの時期だったので、毎度黙殺しているうちに、そんなことになってしまった。最後に妹が、わたし、男の人とのことには、じつは努力しかないの、とつい涙をこぼしたのにも、それならやめとけよ、つまらない、と突き放しただけだったという。

 においては、必ずしもそう言い切れない。「という」と間接に言わせているのは、彼女の語りである。しかし、「兄」「妹」と友人を指示して語っているのは「私」にほかならない。そういうことで、「私」はその兄妹のやりとりを現前化する視点をもっている。ここにも、半ば想像力の対象化になりつつある「私」の語りがある。

 たとえば−静かな物音が、静かなまま雪崩ることがあるのを知ってるかい。子供の頃から、寝入りばなか、寝覚めぎわに、庭の木のさやぎやら、水の流れる音やら、縁の下の虫の声やら、人の咳払いの声やらが、どれもこれも耳にはのどかな物音と聞こえているのに、強い切迫感をおびることがあるだろう。坂道を転げ落ちるような、機関車が迫ってくるような、火事だあ、逃げろ、と叫ぶような。蒲団の中で手足を動かすと、衣ずれの音までが走るだろう。向こうの部屋でのんびり話している親たちの声が、息をころして争っているようなあわただしさで伝わってくるだろう。何もかもが、静かなまま、雪崩を打って滑り出すだろう。隣の寝床では妹がいつもうなされていた。

 これは、「たとえば」までは、女性による間接話法による対象化である。そこから友人の語りが現前化される。彼女に向かって語っていた友人が現前しているように語られている。これは再開された友人との〃そのとき〃に、彼女に語った友人の口調そのままに、その語りが現前させられている。「私」は、〃いま〃〃ここ〃での女性の会話を、自分の表現に変えてなぞり直している。女性の立っていた〃そのとき〃と〃そこ〃を現前はできないが、それを語っている。その視野のなかへ、友人の語りが現前する。それは、彼女との〃そのとき〃に語ったことを、そのまま語らせる、ということをしていることになる。そこまで「私」の視線は届いている。もうすでに、「私」が友人の〃そのとき〃にまで到達していることを意味する。

 それは、次の語りになると一層はっきりしてくる。

 妹とは死ぬまで郷里や親たちのことを話しはしなかったけれど、或る晩、妹が帰りがけにアパートの玄関の狭い三和土に屈んで、買いたてのちょっときつい靴をはきながら、兄さん、家の近くにアイハラというところはなかったかしら、あたし、ついこのまえ、夢の中で、そういう名前の暗い原っぱに行って、ほら、病気のお母さんが寝床から裏の畑へ抜け出したことがあったでしょ、あんなふうにしゃがみこんで泣いていたの、とそうたずねるので、アイハラなんてところは家の近くにあるものか、お前、よっぽど疲れているぞ、気をつけろ、と言ってやると、はい、気をつけます、でもつらいばかりの夢でもないんです、ここまで来れば引き受けてやる、お前はもう一人でない、と約束してくれる感じなんです、と兄の目を見つめて出て行った。寒夜に細い咳をしながら帰って行くのが、道に沿って遠くまで聞えた。

 「道にそって遠くまで聞え」る咳に耳をそばだてているのは、友人だが、それを一緒になって聞いているのは女性であり、それを見届けているのは、「私」にほかならない。

 友人の語り自体が間接であり、それを語る女性の語りも間接であり、それを対象化している「私」の語りも間接であるはずなのに、既にここでは、「或る晩」から友人自身が〃そのとき〃を〃いま〃として語り出している、そしてそれを女性の視線が見届け、「私」の視線が、友人の視線で物語っているように、〃そのとき〃を現前化させている。このとき、「私」のパースペクティブは兄と妹の物語の語り手の視点に近い。

 先の「妹があったんだよ」という語りの方は、女性の語りが現前化した、友人の語りであり、間接話法になっているその語りを、「私」はなぞっただけだから、「私」の視線は、彼女の語りには届いているが、友人の妹との会話の〃とき〃にまでは届いていない、まだ語りを対象化するのに留まっているのとは好対照になっている。

 この妹との〃そのとき〃の現前化に連れて、再び、女性の直截の語りが差し挟まれる。

 −最後にはかならず、亡くなった妹さんの話になりました。でも、わたし、それも自分のことのような、自分が愛されているような気持で聞いていました。我身のこととしてほんとうに言い当てられたような、子供の頃から見られていたような気がしました。

 それは、友人がそう語った彼にとっての意味と、女性がそれを受け止めた彼女にとっての意味とが、微妙な擦れ違いを生んでいることが、彼女の直截の語りによって顕われてくる。友人は女性に妹を見ているが、そして〃そのとき〃の自分の慚愧の気持を見ているが、相手のことつまりは自分のことが見えていないのに、女性は妹の中に自分の気持をみているだけだ。だから二人とも、自分の感情の織り出す妹像を見ているだけだ。それを語り手は、ここに女性の語りを、「私」の語りを通して現前化することで明らかにしているのである。つづいて女性は、

 −ですから、妹さんの話が出てきても自然に受け止めてしまって、あの人の胸の内のことは思いもしませんでした。わたし、駄目なんです、人の気持がわからないんです。わたしも早くから母親をなくしまして、あの人は、そのせいだと言ってくれましたけど。

 

 と語り、その語りの感情がそのまま、「私」の語りを彩り、そこから「私」の語りは想像力のパースペクティブへと転移していく。

 だからあの晩、夜中近くに彼がいきなり部屋の戸を叩いて、薄膜のかかったような顔つきで立った時にも、彼女は今夜こそほんとうに逢いたくて来てくれたと躍るような気持で迎えたものだった。雨に濡れた上衣を脱がせ、台所に出て酒の支度をしているあいだ、彼女は噪いだあまり呼吸が乱れて、しばらく咳きこんだ。部屋にもどって来ると、彼が目を剥いて、茫然としたような訝りを前進にあらわし、こちらを見上げていた。

 「だからあの晩」とあるのは、彼女の感情を引き摺っていると同時に、「私」の視線はその気持に寄り添って、彼女の視線と一緒になって〃そのとき〃へと滑り込んでいったようである。「私」はそのとき、既に女性と友人の七日間を物語る語り手になっている。だから、この「だから」は、語りのパースペクティブを決定する転換点である、ということができる。「だから」と言った瞬間、「私」はその向こうに、語らなければならないものを見たのであり、〃そのとき〃から始まる七日間に向き合うパースペクティブを直に手にしたのである。

  こうして語られていく七日間は、前節での層となった語りの入子が、繰り返される。

 まず第一は、語りがどこまで〃そのとき〃を対象化しているかという深度によって、つまりは「私」の視線の浸透度によって、語りの位相が層をなしている。逆に言えば、「私」が〃いつ〃から〃そのとき〃を見ているかの違いにほかならない。

 まず、「私」と女性が語り合っている〃とき〃の対象化、直接話法の語りであり、次は、ここでは時間的な距りはなくなってはいるが、「私」が彼女の語りそのものを対象化し、その語りを彼女の視線を残したまま「私」の語っている〃とき〃から語り直している、間接話法の語りであり、そして、女性の語りの中の、友人と一緒の、二年前、一年前、七日間の〃とき〃の現前化であり、そして更に女性の語りが引き出した、友人の妹と関わる〃とき〃の現前化である。

 第二は、第一の語りの視点によって必然的にもたらされるものだが、「私」が語っている〃そのとき〃に対して、時間が深度を増し多層化していく。女性の話を聞いている〃とき〃、彼女が語る友人との出会いの〃とき〃、友人を保護していた七日間の〃とき〃、友人が語る思い出しの中の〃とき〃等々。「私」の視線は、その時間の層を貫いているからこそ、それを語ることができる。

 第三は、その〃とき〃を遡っていくときのパースペクティブの多層性。そこに現前する視圏の重層性である。たとえば、「私」は彼女が語るパースペクティブの中の友人との〃とき〃の中で、友人が語ったパースペクティブの中の妹を、見届けるというように。

 たとえば、女性の語りの中に、友人の語りが現前化するところをみてみよう。それには二つの違った視点の語りが入っている。一つは、

 お前、死んではいなかったんだな、こんなところで暮らしていたのか、俺は十何年間苦しみにくるしんだぞ、と彼は彼女の肩を掴んで泣き出した。実際にもう一人の女がすっと入って来たような、そんな戦慄が部屋中にみなぎった。彼女は十幾つも年上の男の広い背中を夢中でさすりながら、この人は狂っている、と底なしの不安の中へ吸いこまれかけたが、狂って来たからにはあたしのものだ、とはじめて湧き上がってきた独占欲に支えられた。

 女性の語りの向う側に、彼女の語りの〃とき〃ではなく、彼女の語りの中の〃とき〃と〃ところ〃が現前する。「私」の視線は〃そこ〃まで届いている。「私」がいるのは、彼女の話を聞いている〃そのとき〃そこ〃でしかないのに、「私」は、その話の語り手となって、友人が彼女のアパートにやってきた〃そのとき〃に滑り込んでいる。「私」は、彼女のパースペクティブで、〃そのとき〃を現前させている。「私」の語りのパースペクティブは、彼女の視点で見る〃そのとき〃に寄り添って、それを入子にしている。
 もう一つの、入子になっている友人の語りは、

 或る日、兄は妹をいきなり川へ突き落とした。妹はさすがに恨めしげな目で兄を見つめた。しかしやはり声は立てず、すこしもがけば岸に届くのに、立てば胸ぐらいの深さなのに、流れに仰向けに身をゆだねたまま、なにやらぶつぶつ唇を動かす顔がやがて波に浮き沈みしはじめた。兄は仰天して岸を二、三間も走り、足場の良いところへ先回りして、流れてくる身体を引っぱりあげた。

 と、そこは、「私」のいる場所でも、女性が友人に耳を傾けていた場所でもない。まして「私」が女性のパースペクティブの中へ滑り込んで、その眼差しに添って語っているのでもない。彼女に語った友人の追憶話のパースペクティブの〃そのとき〃を現前させ、友人の視線に沿って眺め、友人の感情に即して妹を見ているのである。

 時間の層としてみれば、「私」の語る〃とき〃、彼女の話を聞いている〃とき〃、彼女が友人の話を聞いている〃とき〃、更に友人が妹を川へ突き落とした〃とき〃が、一瞬の中に現前していることになる。

 また、作品の構造から見ると、「私」の語りのパースペクティブの中に、女性の語りがあり、その中に、更に友人の語りがあり、その中にさらに友人の過去のパースペクティブが入子になっている、ということになる。

 しかも、「私」は自分のパースペクティブを見ているが、同時に女性のいた〃そのとき〃〃その場所〃に立ち会い、そして友人の追憶に寄り添って、「友人」のいた〃そのとき〃〃その場所〃にもいる。〃そのとき〃「私」は、女性のいるそこにも、友人の語りのそこにもいない。「私」は、眼差しそのものになって、その重層化した入子のパースペクティブ全てを貫いているだけだ。

 こうて、女性の語りは、友人の転がり込んだ七日間を多層化した語りで多義的なイメージを炙り出していく。

 ベッドの足もとのほうに背を丸めて小さく坐りこみ、閉じた窓をぼんやり見ている老人のような姿を、彼女はくりかえし見た。見ていながら、眠りが破れなかった。それから、眠りから人影が消えて、目をあけると、蒼白いような後姿が部屋を出て行く。

 夜明けまで、同じことが何度も繰返される。彼女は呼吸をすっかり呑みこんで、……やはり半分眠ったような気持でガウンを着こみ、アパートのすこし先で彼に追いつき、彼の気が済むまで黙って彼に従いて行く。

 こんなことが毎晩繰り返される。そして最後の夜、女性は「すぐに見つかるような確信に支えられて」「辻から辻へ彼の跡をたどって」進むうちに、「彼の歩く気配」が途絶え、「どこかに坐りこんだ」と考え、彼女も電柱の陰にしゃがみこむ。

 そのとたんに、彼女は自分の身体に、死んだ母親を感じた。……あと二年で母親の年齢を越えることを考えて、今まで何度となく死のうかと思ったことを考えて、彼女はいまある自分が、母親とようやく重なりはじめた自分がありがたくて、声を立てて泣いた……。

 目を上げると、あたりは明るくなっていた。彼女は立ち上がって空地を見た。狭苦しい、汚ならしい空地だった。……そのうちに、立てこんだ家と家の間のどこをどう渡って来るのか、向いから風がさあっと吹きつけ、草の穂がいっせいに波を打ち、……穂の上から彼の頭が浮んだ。

 怖気づいて、彼女の手招きに応じなかった友人が、彼女に「ガウンの襟を押しあけて、寝間着の胸のふくらみを」見せられて、あたふた近づいてくる。「風邪をひいたらいけない」とつぶやく友人のやさしさに、思わず、「わたし、頭がおかしくなって、こんなところへ来てしまったの」という彼女に、友人は、「いや、違う、狂ったのは僕のほうだ」とはっきり答える。それで鱗の落ちたように、翌朝彼は自宅へ戻っていく。

 その全てを語り尽くした彼女と一緒に、寄り添っていた「私」の視線も、彼女と話し合っている〃とき〃へと戻ってくる。

 −わたし、苦しみを一緒させてもらって感謝しているくらいなんです。あの人のお蔭で、母の年を越える覚悟がつきました。(中略)あとは忘れてくださって結構です。何もなかったように、ときどき来てくだされば、わたし、それで嬉しいんです。

 今はほんとうに気持が和んでいるらしい女性の顔を、私は思わず狼狽して見つめた。どうやら友人はこの女性に、自分が死病に取り憑かれていることだけは、最後まで黙っていたものと見える。どうしたものだろう、と私はしばし迷った末、やはり言わずにおこう、といったんは決めた。ところがそのとき頬をわずかに歪めたのを相手に気づかれ、目をまともに見つめられて、だらしのないことに、喋ってしまった。

 −そう、あの人は、死ぬんですか。

女性は妙に明るい声でつぶやいて、おかしそうに笑った。しかし頬がそのままこわばり、唇が蒼くなり、そのままもう一度微笑もうとして、いきなり泣き崩れた。

 −ひどいじゃありませんか、そんな仕打ち……。

 最後は、「私」を介して、友人自身と向き合う女性の孤独なつぶやきになっていく。

 そして、ここまできて、我々は、冒頭の

  原っぱにいたよ、風に吹かれていた

 という自分の心象風景に耽りこんでしまっている友人と、

 −ひどいじゃありませんか、そんな仕打ち……。

 と、恨みがましくつぶやく女性とを対に対応させ、語り尽くせない友人の心象と女性のつぶやきとを照応していることに気づかされるはずである。こう構成しているのは語り手にほかならない。これによって初めて、「私」が喋番となって、語ってきたことの意味が完結するのである。それを、語っている「私」は知らない。

 そして、そこには、本来語り手が対象化した「私」のパースペクティブによって画された視野(その遠近法によってしかみることのできない)と、「私」のパースペクティブをはみ出した語り手の、俯瞰した視点からの語りとの、作品の表に現れない背後の緊張をみなければならないのかもしれない。

 だから、「私」は、かなり危うい語りのタイトロープを渡っているというべきかもしれない。下手をすれば、幾つもの〃そのとき〃をばらばらに繋ぎ合わせるだけの狂言回しに終わってしまうかもしれない。
 しかし、「私」は、〃そのとき〃の全ての出発点、全ての語りの原因なのである、全ては友人と女性の、「私」への語りかけによって、「私」の〃いまと〃ここ〃に引き出されてきたものだ。またそれによって、「私」自身が、ときに相手に共感し、反発し、同情して、相手に踏み込まれ、そのパースペクティブによって浸透される、それによって、いつのまにか、自分は相手のいるところに立ち、相手のパースペクティブを自分のものと受け入れて、その見ているもの聞いているものを自分の感覚として感じてしまっている。それが、「私」を消して、視線となってそれぞれのパースペクティブに滑り込んでいった原因のようにみえる。

 ともかく、我々は、この作品から、「私」という語り手のもつ、あるいは「私」を対象化した語り手のもつ、そのパースペクティブの外延を、ぎりぎりの限界まで引き伸ばした語りの達成をみることができるはずである。

 

W

 

 『哀原』の語りの特徴は、前節までで述べたように、視線と〃とき〃と〃視圏〃の入子構造にあるが、作品の構成は、前半の友人が「私」に聞かせた話と、後半の、友人を七日間保護していた女性の「私」に聞かせた話とが、対照するような恰好になっている。両者の話は、「私」を蝶番にして、裏と表に照応し合っている。

 しかしよくみると、前半も後半も、「私」と友人、「私」と女性の会話を〃いま〃として「私」が語る恰好になっていながら、友人の話は、

 「原っぱにいたよ、風に吹かれていた」
 「夢なんだろうね、……自分があの七日間何をしたか、覚えがないとは、俺は言わんよ」
 「厄年というのはあるもんだね、……一年ほど前から身体がときどき、前触れもなしに、強い悲哀感におそわれるようになった」
 「夜明けに目を覚まして、涙をを流すわけではないが、五体がようやく泣き疲れて静まっているのを感じることがある」
 
「厄年というのは思春期よりも生命が柔かくなって、生命の被膜が薄くなる時期なんだ」

 といった、どこか現ならぬ、しかも覚束ない感覚的な、どこか友人自身の心象風景のようなのに対して、女性の話は、まともに七日間の友人と自分を語っていて、その面で、夢と現の対照をなしている。

 その基本構成に沿って、少しずつ対になったイメージ、あるいは関連するイメージを積み重ね、互いに浸透し合い、照応し合いながら、作品全体のイメージが螺旋を描いて形成されていく、というように見なすことができる。

 まず、冒頭の友人の語る、

  原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐もない、

という原っぱの、心象風景のような語りは、女性が語る、

 狭苦しい、汚らしい空地だった。

 という、現の空地に照応する。その原っぱは、妹が友人に問いかけた、病床の母親が抜け出してしゃがんでいた原っぱ、「アイハラ」と二重写しになっていく。更にその原っぱに吹いていた風は、空地に吹いていた「どこをどう渡ってくるのか」と不審がらせた〃風〃でもあり、友人自身が語った「西の地平から吹きつけてくる」「荒涼とした風」と重なっていく。

 その空地にしゃがんでいた友人の姿勢は、アイハラでしゃがんでいた母親のイメージと重なっていく。そして、それを聞かされていた女性にとって、友人を探しあぐねて「電柱の陰にしゃがみこんだ」とき、

 そのとたんに、彼女は自分の身体に、死んだ母親を感じた。夜明けに道端にしゃがみこんでいる母親の姿を見た記憶はない。六つの年に死に別れたので、顔さえおぼろげにしか残っていない。しかしこの腰の太いしゃがみ方は、今までの自分ではない。

 と感じた、その感じ方の中に、友人の母親のイメージが刷り込まれてしまったと、みなすことができる。それは、友人に妹に見立てられ、母親の死をも思い出させる妹の記憶と重ねられた女性は、友人にとって妹でもあり、母親でもあるというイメージが裏側から炙り出されてくるようで、「いまある自分が、母親とようやく重なりはじめた自分」を意識し、空地の中で膝をかかえてうずくまっていた友人に向かって、

 出ておいで、と彼女は呼んで風の中で手招きした。しかし彼は怖気づいたような目を見ひらいて、こちらをつくづく見つめるばかりで立ち上がろうともしない。

 とっさに、彼女は自分でも思いがけないことをした。ガウンの襟を押しあけて、寝間着の胸のふくらみを彼にみせた。

 彼女の振る舞いの中に二重写しされ、それが、「あの人のお陰で、母の年を越える覚悟がつきました。あれ以来頻繁に、自分の身体に母を感じるようになりました」という彼女の言葉へとつながっていくようである。それは、語っている「私」自身にすらそれが意識され、その目で女性の話を対象化しており、そういう色合いが「私」の語りの中に染み込められているとさえ言えるかもしれない。

 こうした対比を核心にして、母の死と妹の死、妹の死と友人の死病、どちらも不倫に落ち込んでいる妹と女性等、幾つものイメージが相互に浸透し合い、共振れし合いながら、層をなし、全体のイメージを多層化し多義化していく。

 その核心にあるのは、妹のイメージである。それだけが、語り手によっていずれも〃そのとき〃を現前するように語り出され、そのイメージを際立たされているのも、象徴的である。

 その何カ月か前から、妹は深みへはまって行くのがさすがに心細かったように、兄のアパートへのべつ現われ、相談を持ちかけるともなく身の回りの世話をあれこれ焼きながら、兄にたずねられるのを待っている様子だったが、兄のほうも我身のことでいっぱいの時期だったので、毎度黙殺しているうちに、そんなことになってしまった。最後に妹が、わたし、男の人とのことには、じつは努力しかないの、とつい涙をこぼしたのにも、それならやめとけよ、つまらない、と突き放しただけだった……。

 この「努力しかない」という妹の姿は、女性の「迫られていると感じさせる」のを避け、ただ黙って月一度の友人の電話を待って「毎夜早く家に帰ってくる」女性自身の、やはり妻子ある友人と深みにはまっている姿勢そのものとだぶってくる。

 妹とは死ぬまで郷里や親たちのことを話しはしなかったけれど、或る晩、妹が帰りがけにアパートの玄関の狭い三和土に屈んで、買いたてのちょっときつい靴をはきながら、兄さん、家の近くにアイハラというところはなかったかしら、あたし、ついこのまえ、夢の中で、そういう名前の暗い原っぱに行って、ほら、病気のお母さんが寝床から裏の畑へ抜け出したことがあったでしょ、あんなふうにしゃがみこんで泣いていたの、とそうたずねるので、アイハラなんてところは家の近くにあるものか、お前、よっぽど疲れているぞ、気をつけろ、と言ってやると、はい、気をつけます、でもつらいばかりの夢でもないんです、ここまで来れば引き受けてやる、お前はもう一人でない、と約束してくれる感じなんです、と兄の目を見つめて出て行った。寒夜に細い咳をしながら帰って行くのが、道に沿って遠くまで聞えた。

 前述したようにアイハラは、原っぱと空地に、母親の死と妹の死に、そして女性の感じ方の中に、そのイメージが二重三重に重ねられていく。

 いちばん酷かったのはじつはこの兄で、すこしでも気持がむつかしくなると妹をしつこくなぶり、口もきけなくなるところまで追いこみ、逆らわない妹に腹を立て、最後には自分で自分がわからなくなって殴りつけた。それでも妹はけっして声を立てずに、ただ地面にしゃがみこんで涙をぽたぽたと垂らしている。そして兄が歩き出すと、すこし離れて、すまなそうにまた従いてくる。

 或る日、兄は妹をいきなり川へ突き落とした。妹はさすがに恨めしげな目で兄を見つめた。しかしやはり声は立てず、すこしもがけば岸に届くのに、立てば胸ぐらいの深さなのに、流れに仰向けに身をゆだねたまま、なにやらぶつぶつ唇を動かす顔がやがて波に浮き沈みしはじめた。兄は仰天して岸を二、三間も走り、足場の良いところへ先回りして、流れてくる身体を引っぱりあげた。

 この二つの現前化されたイメージは、自分の中で培われて、一層先鋭化した記憶だ。妹が自殺し、それに自分が何もしてやらなかったという自責感が、一層自分の過去を責めたてて、自分のマイナスの記憶、自分を責めるしかない記憶を研ぎ澄まし、炙り出し、それが益々自分の罪障感を煽り、それにどぎつく彩られた記憶を鮮明化し、それが益々自分を咎めて、妹への慚愧の念を煽り、増幅していく。そして自分の死への意識が益々自分と妹、母親のイメージを重複させ、強く意識され、それでなくても妹とだぶる女性のイメージが、益々先鋭化され、女性に妹のことを語らせることになった、ということができる。

  −最後にはかならず、亡くなった妹さんの話になりました。

 と女性は言ったが、友人を狂気へと押し出した罪障感につながるこの全てが、女性に語られ、しかも彼女のところへ転がり込んだ七日間の最初の日に、

 お前、死んではいなかったんだな、こんなところで暮らしていたのか、俺は十何年間苦しみに苦しんだぞ、と彼女の肩を掴んで泣き出した

 と、彼女を妹と錯覚させて狂気を顕わしたのは、死を目前にした友人に強く死の直前の妹が意識され、それがまた、同時に女性を強く意識させたからに違いない。それは、

 この男の《女癖》については私は多少知るところがある。女と遊ぶ男ではない。そのつどのめりこみ、のめりこませ、もう長年愛憎を閲したような感じで寄り添わせ、ひと月ふた月でふっつり逢わなくなる。あの人は近頃どうなってしまったのでしょうか、そのうちの何人かの女性に私は呼びだされ、友人の保護者のような口調でたずねられた。どれも三十歳前後の、目のやや陰険で賢そうな、思わず外へ詫びるような笑みを浮べる女で、私がいままでの関係を知る限り話すと、怒りもしないで淋しそうにうなずいて、はっきり執着がみられるのに、その後友人にすこしもつきまとった形跡がないのは不思議だった。どれも友人の細君と感じが似ている。

 と「私」がイメージをもっていた通り、友人の関わった女性の、「どれも三十歳前後」で、「思わず外へ詫びるような笑みを浮べる女」で、「どれも友人の細君と感じが似ている」という傾向が、全て女性に収斂されたように、「私」が話を聞いた女性にイメージが重なり、その全ての女性像がまた、妻子ある男性と心中した妹に重なっているからにほかならない。
 そして、もう少し考えてみると、

  「わたし、男の人とのことには、じつは努力しかないの」

 と言って死んだ妹、しかもそれに何も手を差し延べてやれなかった妹の心中は、友人に強く妹のイメージを焼き付け、それが、友人に「自我の粘りをどこか洗い流された」妹に似た女性と関わらせることになり、おそらく、細君をも含めた、友人の関係した女性全てのつながっているのだろうことを推測させる。それは、友人には自覚されているとは限らず、自分の妹への自責感が妹的な女性に関わらせ、それがまた妹を思い出させて、友人をしてその女性から遠ざけることになったものだろう。しかし死期近くなり、かえってそういう妹を思い出させる女性に、しかしどこかそこが落ち着けるというふうに、招き寄せられ、益々妹を思い起こさせていくということなったと言うべきだろう。それがまた、友人に女性のところへ転がり込ませた要因であろうし、友人の狂気につながり、深夜の狂態を募らせることにつながることも、ほとんど折り重なった同心円のイメージのように全体が炙り出されてくる。

 女性と友人の、こうした心理的な照応が、一つは、友人と女性の関係の陰に潜んでいる、友人側の心象を照らし出すようであり、また一つは、その心象をうすうす承知していた女性の、「苦しみを一緒させてもらって、感謝しているぐらいなんです」という内向した感情をも照らし出す。
 その気持の背後にある、「神経をつかってくださるのはあの人のほうなんです。わたし無神経な女なんです、人にたいする感覚の、どこかしらが欠落しているんです」と自ら認めていた女性、それは、「早くから母親をなくし」たために、友人からもそう指摘しされた「人の気持がわからない」という欠点のある女性をして、七日間「苦しみを一緒させてもらった」と感謝させた友人は、いつも「関係した女たちを」こんなふうに「自我の粘りをどこか洗い流されたように変えてしまう」という傾向をそのまま顕わしている。と同時に、そのことは、最後に友人が死ぬことを聞かされた女性が、「ひどいじゃありませんか、そんな仕打ち」と泣き崩れながらいった言葉と、陰陽をなしながらつながっていく。暗に人の気持のわからないのはどちらだ、とでもいうように。そこには、同じく早くから母を亡くした友人自身の欠落をも暗示し、「こうして人に対して外面を守ってきた、外面を守るのが情愛だった」という自身の言辞と照応しているのである。
 友人の話と女性の話の照応関係によって、その入り組んだイメージの類比がよく見えてくるはずである。そして、その細部は、益々上記の、幾重にも重なる重複を倍加していくのである。
 たとえば、友人の病勢と女性との関わりの進行とが、

 一年ほど前から身体がときどき、前触れもなしに、強い悲哀感におそわれるようになった。感情というよりはもっと肉体的な、疼きに近いものだ。

 という友人の「私」への語りは、関係が始まった二年前以後、ふた月でふっつりこなくなった友人が、

 そのまま一年あまり経って、……或る晩、友人はアパートに電話をかけてきて、近くまで来ているのだけれど寄ってよいかとたずね、……疲れはてたような顔で入ってきて、ああ、ここはやすまる、と彼女のそばに寛いだ

 という女性の話と、時期を照応させる。
 また、病床の友人から「原っぱ」の話を聞いて、「あの七日間、友人はそんな草深い所へは行っていないはずだった。連夜私の家へかけてきた電話には酒場のざわめきがこもっていたように聞こえた」という「私」の疑問は、

 毎夜電話をかけたのも彼女の部屋からだった。殺した殺していないのやりとりの真最中に、彼は受話器を取り上げ、ラジオを点けて音楽のボリュームを上げ、外の人にたいしても、殺したのどうのと口走っている。

 あるいは、

 十二時近くに、彼が外へ呑みに出ようと言うので、彼女は駅前のスナックへ案内した。スナックでも彼は陽気に喋り、彼女にたいしていつものようにゆとりのある優しさを見せた。店の電話を借りて、誰かと大きな声で談笑しあっていた。

 という女性の話に照応している。また「地面は空よりも暗く、草の下に転がる得体の知れぬ物がたえず足に触れた」「膝ほどの高さの草が繁」る「原っぱ」についての友人の夢とも現ともつかぬ語りも、

 狭苦しい、汚らしい空地だった。有刺鉄線を張りめぐらされて、……夏草が高く繁っているけれど、朝方から瑞々しさがなく、ところどころにコンクリート屑やら赤土やらが山をつくっている。……電気器具の廃品やら生ゴミが積まれている。……そのうちに、立てこんだ家と家の間のどこをどう渡って来るのか、向いから風がさあっと吹きつけ、草の穂がいっせいに波を打ち、ああ、これでも原っぱの趣きはあるものだな、と彼女が感心しかけたとき、穂の波の上から彼の頭が浮かんだ。……ずいぶん白い髪だった。

 という女性の話につながっていく。しかも、この「風」は、前述のように、「原っぱにいたよ、風に吹かれていた」の「風」に、そして女性の話に出てきた、友人が「夜明けに目を覚まして」感じた「荒涼とした風」に、照応していく。

 そして「白い髪」は、「七日ぶりに玄関先に立った夫の姿の中で細君をまずびっくりさせた」「髪の根もとの白さ」に、照応している。

 また、友人についての、

 友人は入院の三日目に細君をベッドのそばに坐らせ、お互いにもう隠すのはやめよう、わかるだけのことはわかっていいるのだから、もう何も言うな、隠さずに黙っていよう、と戒めるように言って、泣き出してしまった細君の背をいつまでもさすっていたという。

 と細君が「私」に語った「堪え性の強かった人」という友人像は、「私には回復しつつある人間の口調でしか話さなかった」友人の外面、「家では子供たちにたいしてかなり謹厳に振舞っている」友人、「早くも凛々しい顔立ちを見せはじめた男の子たちの見舞いを、けっして照れの混らない重々しい優しさで迎える」のを「私」が目撃した友人と重なり、それは、友人自身の、

 一年ほど前から身体がときどき、前触れもなしに、強い悲哀感におそわれるようになった。(中略)時と場所を選ばず、会議中とか女房子供たちとの食事の最中にまで起るようになった。……しかしそうなるとよけいにきちんと振舞い、きちんと人に受け答えしているのが自分でもわかる。こうして人にたいして外面を守ってきた、外面を守るのが情愛だった、これからも守りつづけるだろう。生涯繰返しても泣きは入れない。……おそらく子供たちの目には、いまの自分がいちばん頼りになる父親として映っているのだろう

 という、自己分析にも重なる。その自覚症状は、女性の前で見せた、

 ひと晩に一度ほど、全身が急に静かに、硬くなり、うっすらと汗ばんで息をこらすようになり、胸からみぞおちがときどき長い波をゆっくり打つ。目はゆるくつぶっている。

 という発作と表裏に照応する。それは、友人が、細君や「私」には決して見せなかった姿であり、細君の前では「堪え性の強」い貌をつくってきた友人が、女性の前でのみ見せた素顔なのだ。その対照は、「啜り上げながら」背をさすられて眠り、深更一人あてもなくうろつき回る「苦しみ」を露にしていた姿と表裏をなし、女性の話を通して、友人の内面を現前する恰好になっている。それは、

 現に死病に取り憑かれていると自分で知っていながら、このような淡々とした言葉は、健康な人間を前にして恨みやら恐怖やらを静めようとする努力から来るのだろうか。それともすでに我身ひとつの生死を超えた境地に入っているのだろうか。それとも、見かけは静かでも内は狂ったままなのだろうか、恐怖感と一緒に現実感までが意識から剥離してしまったのだろうか。

 という「私」の困惑に対して、「私」たちの知らない友人の顔によって、女性の話全体の現前化が答を出しているという恰好になっている。

 それは、「私」が、友人や細君の話から、自分のパースペクティブに収め、落ち着かせた光景が、女性のパースペクティブの光景によって壊され、修正されたといってもいいし、友人や細君や「私」の中の友人の姿に、女性の前で剥き出しになった友人の顔が並列されていくということでもある。

 友人の語ったこと及び「私」や細君の見聞したことと、女性の語ったことを並列させることによって、「私」の語りだしの中で、友人の全体が露に見えてくることでもある。それは、友人の内と外という対比だけではなく、友人自身の内が女性によって外に現前したり、それを語ることで女性自身の内が外に顕われたりもし、それぞれのパースペクティブが浸透し合い、照射し合うことでもある。その全ては、「私」が見届けているようにみえるが、「私」自身のパースペクティブもその浸透を受けることで、「私」もまたその語りによって照らし出されているのにほかならない。

 一方で、「私」が見たり聞いたりした友人の姿と女性から聞いた姿とが照応し合うだけでなく、友人と女性の「私」への語りかけそのものも、お互いに照応し合っている。それぞれは「私」に語りかけていながら、ちょうど「私」が仲介してお互いが直接語り合っている恰好になっている。しかしその語り口は、どこか孤独で、独り言めいている。
 そして、実はこの照応には、もう少し複雑なものがあるように思われるのである。

 まず、「私」の語りは、「友人」のベッドの傍らで、友人と話し合っている〃とき〃と、それと相前後して女性との対話の〃とき〃がある。だが、大事なことは、友人の失踪が、その以前にあり、それこそが、本当は語られなければならないことであり、両者が語っていることなのだ。背後に蟠っている七日間こそが、またその裄丈が、「私」にとっても、語るべきことであり、語られていることだ。友人も「私」も細君も女性も、語るべき陰の輪郭として七日間のことを語っている。それをそれぞれのパースペクティブで語ることが、まるでスポットライトで照明を当てるように、それぞれが立ち会っていた七日間の全体的な意味を照らし出し、同時に、友人の抱えていた七日間の意味をも照らし出してくる。そのように、「私」は語り出しているように思われる。それは、「私」のパースペクティブ、「私」が自分の見た外面の友人を、自分の語りによって侵食されていくというようでもある。

 しかし、そうみてくると、友人の語りの中の、原っぱでの〃そのとき〃そこ〃の現前だけが、「私」の語りからはみだしてしまうことに気づくはずだ。それは友人以外誰も語っていない心象であり、あるいは現とは思えない幻想の現前でもあり、またそれ自体が、全編の象徴のように、一層幻想性を強めているようでもあり、それに照応するものを、「私」はうまく語り出していないのだ。

 「私」が直接見たり、細君から聞いたりしたことが、友人の外面でしかなかったように、女性の見たものも、女性が外から見たものにすぎない。両者を総合して初めて、我々に、そこに友人の内面がそういう形で露呈したのだということを推測させはするが、友人自身にも語れない内面は、取り残されたままだ。

 女性や友人の「私」への語りかけの中で、それを聞き取る「私」の語り出しによってのみでは描きだせないもの、どう修正しても、「夢だったのだろうね」と言うより、その友人の語りを「私」のパースペクティブに収めようがなく、女性によっても語られなかった友人の夢現の現前は、友人の内面を引き出すように友人のパースペクティブに入り込んだ「私」の想像のパースペクティブによって、語り出されたというべきだろう。

 そうみれば、「原っぱにいたよ、風に吹かれていた」と語り出された、友人の〃そのとき〃そこ〃は、友人の心象風景の〃どこにもない〃〃いつか〃の隠喩でもあるし、女性の見た空地でもなく、むしろ、自殺した友人の妹の語りとして、友人が女性に話した、

 兄さん、家の近くにアイハラというところはなかったかしら、あたし、ついこのまえ、夢の中で、そういう名前の暗い原っぱに行って、ほら、病気のお母さんが寝床から裏の畑へ抜け出したことがあったでしょ、あんなふうにしゃがみこんで泣いていたの

 というアイハラの隠喩でもあるし、死んだ母親や妹の心象を自分にだぶらせている友人の心象でもあるし、だからこそ友人は死んだ母親と同じように原っぱでしやがんでいたのでもあるし、それはもっと敷延すれば、人間の寂しい心象風景そのものの隠喩でもあり、この作品全体の隠喩とみなすべきでもあるのだ。そして、だからこそ、作品の語り手は、ここで友人の〃そのとき〃〃いま〃を冒頭に、現前させる必要があったと考えるべきなのではあるまいか。

 こうして、作品全体は、積み重ねられ、浸透し合うイメージによって、多層化され、詩的な何かへと昇華していくもののようでもある。

 だが、である。ことはそれほど美的な効果だけではない。
 語りの対象化の深度、「私」の対象化か、「私」による相手の語りの対象化か、それとも、「私」による相手の語りの中の〃とき〃の対象化か、という多層化は、そのまま、時間の多層化につながる。語りの〃とき〃と語られている〃とき〃、「私」が友人と語っているとき、女性と語っているとき、それを対象化して語っている〃とき〃、女性が友人とすごした七日間の〃とき〃、女性の語りの中に出てきた、友人と妹の”とき〃、そしてその時間の多層化は、「私」のパースペクティブの多層化、視圏の多層化につながる。
 こうしたパースペクティブの転移は、視点の移動であり、視点の移動は、見るものと見られるものの安定した距離を失わせる。とすれば、「私」の語りは遠近法で整序されるのでなく、過去も現在も、遠方も至近も、同一次元で、劃割りのように並べられてしまうように思われる。

 「私」には語り切れない女性の〃とき〃や友人の〃とき〃を語るとき、ただ自己対象化の視点を後方へ下げるだけでは、「私」の視線は届いていない。「私」はそのとき、「私」の目線を捨てている。ほんのわずかな視点の転移かもしれない。しかし、「私」であるのでなく、「私」でなくなる視点、それは語り手まで後退する視点を得たのと同じことだ。 語り手は、「私」を対象化し、「私」について語るとき、作品との閾を意識していたはずだ。それは、「私」という視線を通してしか見ないというように。しかし「私」が「私」の視線を離れたとき、離れたことで、語り手の視線を誘い込んだといえるだろう。同じ俯瞰する視点ということで。それは、「私」が「私」の〃とき〃をパースペクティブに収めながら、一方「私」でない視点をももてた理由だ。しかし、もしそれを過剰にやれば、作品全体の構造を崩してしまう。だから、疑似的に、「私」の俯瞰する視点が、語り手の視点を代行したと、言うべきかもしれない。

 こうした語りのパースペクティブは、「私」という視点からの、安定したパースペクティブそのものを相対化し、不安定なものに変えていく。それは語り手という視点に対しても強い影響を与えずにはいない。

 たとえば、古井の処女作『木曜日に』に、「私」が自分の経験を思い起こすところがある。思い出している「私」を語り手とよぶことができるだろう。

 それは木目だった。山の風雨に曝されて灰色になった板戸の木目だった。私はその戸をいましがた、まだ朝日の届かない森の中で閉じたところだった。そして、なぜかそれをまじまじと眺めている。と、木目が動きはじめた。木質の中に固く封じこめられて、もう生命のなごりもない乾からびた節の中から、奇妙なリズムにのって、ふくよかな木目がつぎつぎと生まれてくる。数かぎりない同心円が若々しくひしめきあって輪をひろげ、やがて成長しきると、うっとりと身をくねらせて板戸の表面を流れ、見つめる私の目を眠気の中に誘いこんだ。

 見ているのは、〃そのとき〃〃そこ〃にいた「私」である。その「私」を思い起こしている「私」が現前化し、その視線を通して語っている。しかしそのうちに、それを見て語っていたはずの「私」が背後に隠れ、「私」は木目そのものの中に入り込み、木目に語らせていく。見ていたはずの「私」は、木目同様に、その語りに見られ語られるものとなっていく。そのとき「私」と木目とは等しく浸透しあっている。動き出した木目の感覚に共感して、「私」自身の体感が誘い出され、その体感でまた木目の体感を感じ取っている。更に、

 節の中心からは、新しい木目がつぎつぎに生まれ出てくる。何という苦しみだろう。その時、板戸の一隅でひとすじのかすかな罅がふと眠りから爽やかに覚めた赤児の眼のように割れてわずかに密集の中へ喰いこみ、そのまま永遠に向かって息をこらしている……。私も白い便箋の前で長い間、息をこらしていた。

 と、最後に視線は、語り手へと戻ってくる。そしてこの戻り方によって、いつも語り手の視線が貫徹していたこと、語り手のパースペクティブの入子になって「私」のパースペクティブがあり、それがまた木目に滑り込んで、木目に感応していたことに気づかされる。と同時に、浸透しあうのは、そのときの見ていた「私」だけでなく、語り手もまた、そうだということである。《見るもの》も《見られるもの》も、入子になっていく。《見るもの》は、《見られるもの》のパースペクティブの中では《見られるもの》になり、《見られるもの》は、《見るもの》に変わっていく。

 ここでは、もはやイメージへの安定した信頼感は失われている。イメージは別のイメージ、別の視点の入子になることで、「私」からの一定のパースペクティブを保つことはできない。それはイメージというものを崩壊させるものだ。
 もはやイメージといった安定した寓意性に頼るものは、死に体になるほかはない。なぜなら、社会そのもののほうが、寓意性に富んでしまったからだ。寓意の現実性は現実の寓意性にこえられてしまったのだ。情報化とは、具体性の喪失であり、何かのアナロジーになっていくということにほかならない。そういう社会で、どれほど寓意性やイメージに力があろうか。あるとすれば、単一のパースペクティブ化する寓意の幻想を破る、入子にできる視線だけではなかろうか。こういう視線から物語が語られることはない。しかし、また物語はここから初めて始まるのでもある。
 なぜなら、「私」のパースペクティブの一貫性を相対化し、見るものを見られるものにかえていくことを語っていくのは、その全てを語り出したのは、ほかならぬ「私」であり、その全てを視野の収め、その全てを自分のパースペクティブに収めてしまうのは、それを対象化した語り手自身なのだ。そして、物語がいまもし始まるとすれば、ここからしかないのだ。

 


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